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世代を超えた生活の場の提供

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Academic year: 2021

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シンポジウム

-世代を超えた生活の場の提供

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佳代子 1

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I

.はじめに

特定非営利活動法人デイサー ビス このゆび と- まれ は1993年,富 山赤十字病院に勤めていた看護師

3

人が 開所 させ た。従 来の宅老所の枠 を広げ,赤 ちゃんか らお 年 よ りまで,障害があって もな くて も利用可能に した。 1998年富 山県 は私達の活動 にあわせ,縦割 り行政 を超 えて,

2

つの助成制度を

1

つの施設 にだぶ らせて補助金 を出した。のちに縦割 りを取 っ払った 「富 山型デイサー ビス」 と呼ばれる活動の開始である。 宅老所 は 「住民参加型福祉」 をつ くり出 し,地域 に密 着 した活動へ と発展 している。今回はこのゆぴと-まれ の14年間の活動 を振 り返 り,小規模 ・多機能ケアの意 味 と役割 について述べ る とともに地域 ケアにおける看護 職の役割 と可能性 について述べたい。

Ⅱ.

誰もが地域で共に暮 らす

日本の福祉施設はお年 よ りだけで100人・200人が住 んでいる。 知的障害者施設 は500人が住んでいる。同 じ ような人達 だけを集め,一つの村 をつ くってはいけない と14年間,言い続けている。 その集団は異様であ り,お互い相乗効果がないか らで ある。豊かな人間関係のなかで人は育ち,喜 びも大 きい。 一人ひとりが輝 く。

Ⅲ.

みんなが一つ屋根の下で過ごすことは日本

の文化である

このゆび と- まれには県外か ら年 間2,000人以上の見 学者が訪れる。「最先端の ことをしたね え」 とよ く言わ れるが,私達の して きたことは最先端 なことをしたので はな く,あた り前 ・普通 の生活 をしているだけである。 赤 ちゃんか らお年 よりまで一つ屋根の下で過 ごす ことは 日本の文化 である。「共生」 とはどんな人で も排 除 しな いで包みこむことである。 1)特定非営利活動法人デイサー ビス このゆび と-まれ理事長 -3

8-Ⅳ.

なぜお年よりと子供や障害者が共に過ごす

ことがよいのか

認知症のお年 よ りが赤ちゃんをおんぶする。 お年 より がおんぶひもをかけたのである。 昔取 った杵柄である。 6ケ月の赤ちゃんの顔を見て 「あれ え,あんたも歯な いがけ え。 婆ちゃんみたいに入れ歯つ くられ」。

2

歳 の子供が家 で夕食の時

,

「松風そ よ ぐ

∼」

と三橋 美智也の 「古城」 を唄 う。20歳代 の母親が 「私が知 ら ないのに, どうしてこの子知 っとるがけ え」 と驚 く。 認知症のお年 よりも,一方的に介護 されるだけではだ んだん気落ちしてい くであろ う。 お年 よりが これ もで きる,あれ もで きるとなれば,坐 き生 きする。 『人の役 に立 っている。 自分 にで きること がい くつ もある。 とい う意識 をもつ ように働 きかける

そのことがケアの重要 なポイ ン トである。 マズローの 「自己実現」は認知症のお年 よ りであって も障害者であっても,介護する私達であって も,人間が 等 しくもつニーズである。

V.

このゆびと-まれで亡くなったお年より

14年 間の活動で, このゆび と- まれが ター ミナルに 関わ り,亡 くなった事例は6事例である。 2事例 を紹介 する。

1

.キヨさん

キ ヨさんは1993年 10月か ら7年 4ケ月間適所 した。 きっか けは俳鋼 のため警察 に何 回かお世話 になって来 た。食べ物か どうか区別がつかな くな り,家で最初に食 べたのはノリの乾燥剤 だった。 このゆびと- まれでは洗 面所 に置いてある手を洗 う固形石鹸 を食べた。 1997年病院の医師か ら左乳がんを指摘 され,手術 を しない と後6ケ月の命だと宣告 された。長男は手術をし ない と決断す る。 キ ヨさんは余命6ケ月 と言われなが ら,その後 3年 6ケ月生 きるこ とが で きた。2001年 1月 1日AM5:39 に亡 くなった。亡 くなる2週間前には大好 きなゆうき君

(2)

(2歳)が布団に入 って くると自分か ら起 きだして 「足 冷たいぜ え」 と言って靴下をはかせた。 人間とい うのは最後 まで大好 きな人に対 し何か してあ げたい とい う気持ちがあるのだと思 う。キ ヨさんは亡 く なる

5

日前か ら寝泊 りして亡 くなった。12月 31日の夕 食 も口か ら食べていた。だか ら点滴 など

1

本 もせずに亡 くなった。

2.

タカさん

タカさんは認知症のため 1995年3月か ら8年4ケ月 来 られ,2003年 7月 4日に亡 くなった。私 と西村 (副 代表,看護師)が添い寝 をして畳の上で大往生 した。 亡 くなる 16日前 に心房細動があ り,救急車で病院に 運ばれる。医師は 「命が危 ない

I

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U に」。す ると, タカ さんは 「先生,家 に帰 らして下 さい

と強 く要望 した。 結局,入院 しないでこのゆび と-まれに来た。 亡 くなる10日前 に口か ら物が食べ ることがで きな く なった。かか りつけ医の指示によ り500mlの点滴 をしよ うとすると,タカさんは「あ りがた くないです」と言った。 このまま何 もしないで死 なせて欲 しい と懇願 した。それ なのに私達 は 500mlの点滴 を5時間 15分かけて した。 その後,死ぬ まで 10日間あ り, 口か ら食べ ることは で きなかったが,点滴 をしないで見守 った。亡 くなる

5

日前にタカさんは 「砺波の家 に帰 りたい」 と言った。 タカさんの生 まれた家 に帰 りたい と言 いだ したのであ 聖路加看護学会誌 Vol.12No.1March2008 る。 富 山市 にお嫁 に きて70年以上 も経 っている。長男 が 「母 ちゃん,その家, もう代が変わってないわ

と言 うと,わかった とうなず き,そのまま眠っていった。そ の後一度 も砺波に帰 りたい と言わずに亡 くなった。 タカ さんは 「あの家がないのなら, じゃ-私はこのゆぴと-まれで死ぬん じゃ」 と腹 を決めて下さったのではないか と感謝 している。

Ⅵ.おわりに

や りたい介護が とことんやれる, 自分の判断で行 うこ とがで きるか ら介護現場 はお もしろい。 このゆぴと- ま れ は制度が あって活動 したのではな く,町 にニーズが あって活動 し,後か ら制度がついてきた。赤十字の理念 である 「明 日の100 人 を救 うよ り,今 日の1人 を救 え」 という,今, 目前 に困っている 1人の人への全力投球 は 私達の活動 を支えてきた言葉のひとつで もあった。 今後,さまざまな地域の介護現場で,看護師が リーダー シップをとり,働いてい くことによって,質の高い介護 が必要 な人々に提供 で きると思 う。誰 もが,いつで も, いつ までも,安心 して過 ごせ る町づ くりを考 えねばな ら ない。地域ケアにおいて看護師が これか らいよいよ重要 な役割 を果た してい くであろう。 -3

参照

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