利根川改修計 画 に よる栗橋 河岸 の変化
加
藤
光
子*
1は じ め に イ.本 稿 の 目的 栗橋 河 岸 に つ い て の史 料 は,河 岸 の移 転 な ど に よ りそ の 多 くが 消 失 して お り,河 岸 景 観 につ い て の復 原 ・分 析 は非 常 に 困難 で あ る. そ こで,近 代 政 府 が 地 租 を課 す た め に作 成 し た,「 旧 土 地 台 帳 附 属 地 図 」(こ れ は地 籍 図 の 一 種 で,本 稿 で 使 用 す る の は 「地 租 改 正 地 引 図 」 で あ る)と 「旧土 地 台 帳 」 を採 用 し た. 「旧 土 地 台 帳 附属 地 図 」,す な わ ち,地 籍 図 は,明 治 前 期 に作 成 され た も の(明 治6∼14 年 の地 租 改 正 事 業 で作 成 され た もの と,明 治 18∼21年 に行 わ れ た 地 押 調 査 で 調 製 さ れ た 「更 生 地 図 」)や,そ れ を補 訂 し た もの で あ る. 地 籍 図 は,土 地 の 一 筆 ご との 筆 界,地 種 ・地 目, 面 積,字 名 と地 番 な ど を表 し た地 図 で あ る. 「旧 土 地 台 帳 」 は,「 旧 土 地 台 帳 附 属 地 図 」 を も とに作 成 され,地 租 を課 す た め の 元 本 で あ り,土 地 所 有 者 や 地 価 ・地 租 お よび 地 積 な どが 記 載 さ れ て い る.こ れ らは,明 治6年 か ら14年 間 に わ た っ て 実 施 さ れ た,地 租 改 正 事 業(地 租 が 正 確 に課 せ られ る た め の 事 業) が 不 完 全 で あ っ た た め に,明 治18年 か ら明 治21年 に か け て 行 わ れ た,全 国 地 押 調 査 事 業 に よ っ て 新 た に調 整 され た もの で あ る. 歴 史 地 理 学 の 分 野 に 蓄 い て,地 籍 図 の 活 用 にお け る先 行 研 究 は,数 多 くな さ れ て きた. 特 に近 年 に お い て は,1995年 の学 会 誌(第37 巻 第1号)の 特 集 号 に も取 りあ げ られ て い る. *か とう み つ こ 文 教 大 学 教育 学 部 それ は この 地 籍 図活 用 が,そ の 多 くは環 境 の 復 原 に よ る環 境 認 識 の た め の もの で あ り,地 籍 図 を どの よ う な 方 法 で 読 み と っ た らい い の か や,地 籍 図 活 用 が 歴 史 地 理 学 的 に も,過 去 の復 原 にお い て い か に有 効 で あ るか な ど とい っ た もの で あ る.そ し て そ の 史料 批 判 と して は,史 料 そ の もの の 本 来 的 性 格 を もっ と考 慮 す べ きで あ る とか,作 成 時 の 土 地 調 査 方 法 の 精 度 の 問 題 を視 点 にい れ る べ きで あ る とか, い っ た こ とで あ る.し か し,地 籍 図 で あ る 「旧 土 地 台 帳 附 属 地 図 」 は地 形 や 土 地 利 用, 「旧 土 地 台 帳 」 は 土 地 所 有 者 や 地 価 ・地 租, そ れ に土 地 の 分 ・合 筆(数 量 的 な も の を 除 く),土 地 の売 買 の記 載 な ど に つ い て は精 度 が 高 く,歴 史 地 理 学 の 分 野 にお い て も史 料 的 価 値 を認 め て きた. そ こで 今 回 は,上 述 した史 料 を用 い て,栗 橋 河 岸 を復 原 し,近 代 か ら昭 和 にか け て の, 利 根 川 改 修 計 画 に よ る栗 橋 河 岸 の変 化 の 実 態 を,地 形 や 土 地 利 用 を 中心 に調 べ て み た. 口.調 査 地 域 の概 要 栗 橋 河 岸 は利 根 川 右 岸(図1)に あ り,そ れ は,利 根 川 と陸 羽 街 道(日 光 奥 州 街 道)が 交 差 して い る位 置 で あ り,対 岸 に は 同 じ く中 田宿 が 位 置 して い る.行 政 上 は,栗 橋 河 岸 は 栗 橋 宿 に属 して お り,昭 和 ・安 永 ∼ 文 化 年 間 に か けて,栗 橋 宿 河 岸 と呼 ばれ て い た.寛 政 以 降 は栗 橋 河 岸 に な っ た(厂 利 根 川 の 水 運 」). 栗橋 宿 は,近 世 は幕 府 領 で あ り,利 根 川 に は軍 事 上 の 目 的 か ら,架 橋 はで きな か っ た. そ れ に代 わ る もの と して,通 行 に は房 川 の 渡図1栗 橋 河 岸 の 位 置 (迅速 測 図,明 治16年,2万 分 の1尺 「栗 橋 駅 」の11部) 図2栗 橋 河岸 図(権 現 堂川締 切 前) 資料 「利根川の水運」 より しが あ り,栗 橋 宿 側 に は 関 所(図2)が 設 け られ て い た.つ ま り,栗 橋 宿 は,水 運 と と も に 陸 上 交 通 の 要 衝 で もあ っ た.そ して,天 保 14年(1843年)調 査 の 「宿 村 大 漑 帳 」 に よ る と,栗 橋 宿 は 戸 数:404軒,人 口 は1741人 で あ り,本 陣1軒 と脇 本 陣2軒 が 置 か れ,旅 籠 屋 は25軒 で あ っ た.水 運 関 係 で は,公 儀 渡 し舟2艘 ・茶 舟5艘,馬 舟2艘 が 備 え られ て い た. 栗 橋 河 岸 の成 立 は,史 料 と して は,元 禄3 年(1690年),幕 府 公 認 の 河 岸(厂 徳 川 禁 令 ■ 一27一
利根川改修計画による栗橋河岸の変化 *三ッ俣の土地利用は( )の中に記入、 ( )がないのは郡村宅地 図4 明治22年頃の三ッ俣の「旧土地台帳」最初の土地所有者
(
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日土地台帳附属地図j とn
日土地台帳J
により作成) 注) 図中の土地所有者の番号は筆者が便宜的につげた通し番号 考J
)
として記録されているのが見られる. 河岸問屋は,菊田屋(古川氏)と伊勢屋(村 田氏)の 2軒であった.中心地区は小字の船 戸であり,他に同じ並びに,小字の三ッ俣と 堤外が位置している(図1).I
I
河岸の変化
栗橋河岸は,r
旧土地台帳」の最初(明治 表1 利根川におげる基本計画の変遷 工事着手 事 業 名 基本高水決定根拠等 (変更)年 明治33年 利 根 川 改 修 計 画 明治29年洪水 ) } 44年 万 )} 43年8月洪水 昭和14年 利 根 川 増 強 計 画 昭和10年 9月洪水 か 13年 6月洪水 ) } .24年 利根川改修改訂計画 か 22年 9月洪水 利 根 川 水 系 工 事[~蜘蜘指定l
か40年 実 施 基 本 計 画 か に伴う工事実施 基本計画の策定 既住最大洪水(昭和22 か55年 )} 年 9月洪水)又は1/200 の確率洪水の大きい方 資料 「利根川その治水と利水J
より 22年)の土地所有記名者は,図 3・4
・5の ように,船戸が 73戸,三ッ俣が 26戸,堤外 が 62戸であった.最初の登録には,地番は 校番がなく,明治 32年の大蔵省訓令により, 分・合筆の際に,枝番が付されるようになっ た.利根川改修工事(明治 33年 昭和 5年) によれこの船戸や三ッ俣・堤外は,国(内 務省,後に建設省)の用地買収が,分筆され て実施されたケ}スが多い. 表1
は,利根川改修計画(計画年及び計画 変更年の決定根拠はその都度の洪水による) と,表2
は,栗橋河岸に関連したものをまと めたものである.ここでは,利根川改修計画 によって,栗橋河岸が変化していく実態を明 らかにしよう. イ . 船 戸 図6
の一筆は,分・合筆されていない本番 の元本の図である.そしてこれは,船戸が, 県や国に土地を買い上げられた年を表した図 である.買い上げ年は,表1
の洪水による決 定根拠により,1
期が明治3
0
年,2
期が明治明治42 利 根川第3期工 事 の一 部,4県 の県費 で着 工 す る. 1910 明治43 三 ッ俣 の浪除八幡社 を八坂神社 に移設す る. 利根川大洪水 1911 明治44 第3期工事本格着工(茨 城県取手町 か ら群 馬 県 芝 根村 まで)計 画 高 水 流 量5,570nf/S, 栗橋町地内に利根川上流工事事務所が設置 ぎ れ る. 1928 昭和3 権 現堂 川締 め切 る 1930 昭和5 第3期工事が完成 1931 昭和6 権 現 堂川締 切 り堤 に 「水神」が祀 られ る (内務省東京土木 出張所 ・真田秀吉 による) 1939 昭和14 利 根 川増 補 計画 た て る.(計 画高 水 流量 10,000㎡/秒) 1947 昭和22 キ ャサ リン台風 によ り利根川大洪水 1949 昭和24 利根川改修改訂計画 たでる.(計 画高水 流 量17,000㎡/秒) 資料 「栗橋 町歴 史 年表 」 よ り 44∼45年,3期 が 大 正3年,4期 が 大 正11 年,5期 が 昭 和17∼18年,6期 が 昭 和27年 の6回 に分 け られ て い る.買 い上 げ 方 法 は, 一 筆 の み の場 合 や,一 筆 を数 期 に分 筆 し た形 で 買 い 上 げ られ て い る. 1期(明 治30年)は,唯 一,埼 玉 県 の 買 い上 げ で あ る.1期 は船 戸 の 中 で も,地 元 で は番 屋 敷(房 川 渡 し船 頭 の屋 敷:)と 呼 ば れ て い る地 区 の西 側 の みで あ る.こ の 番 屋 敷 と呼 ば れ て い る地 区 は,図6の 東 西 に長 い 堤 の下' にあ っ た.こ の 地 区 は,堤 の拡 幅 工 事 の た め に は必 要 な場 所 で あ っ た.こ こ に は,渡 船 場 関 係 に 従 事 して い る船 頭(水 主),船 頭 の組 頭(水 主 番)な どが 居 住 して い た.し か し, 一29一
利根川改修計画による栗橋河岸の変化 注)複 数期 は、1筆 を分筆 して買い上げた 図6船 戸 に お け る 県 ・国 の 土 地 買 い 上 げ 状 況(「 旧土 地 台 帳 附 属地 図」 と 厂旧土地 台帳 」 を使 用 して 作成) 注)複:数 期 は,1筆 を分 筆 して買 い 上 げ た. 注)図 中の1筆 の番 号 は筆者 か便 宜 的 につ けた通 し番 号 この 地 区 は,図3の 土 地 所 有 者 を見 る と,古 川 や村 田 の 河 岸 問 屋,菅 沼 ・小 林 な どの 商 人 らの名 前 が記 載 され て い る.彼 らが(あ るい は彼 ら の親 戚 な どが)船 頭 も兼 ね て い た か は 定 か で は な い が,何 らか の 関係 は あ っ た の か も しれ な い. 2期(明 治44∼45年)か ら6期(昭 和27 年)ま で は,国(内 務 省)の 買 い 上 げ で あ る. 2期 は,番 屋 敷 の 南 側 で 堤 に接 し て い る 地 区 が 中 心 で あ る.2期 の 用 地 買 収 が 契 機 とな っ た の は,明 治43年 の大 洪 水 で あ り,未 曾 有 の洪 水 と して 記 録 に残 さ れ て い る.利 根 川 流 域 の 本 ・支 川 の堤 防 が,各 地 で 破 堤 越 水 し て い る.そ して それ は,東 京 下 町 に も浸 水 し, 浸 水 戸 数 は東 京 府 の み で185,000戸 に もお よ び,氾 濫 域 は 関 東 地 方 一 帯 で18万haに も 達 した.栗 橋 河 岸 付 近 で は,堤 防 決 壊5件, 堤 防 破 壊1件 が あ っ て,多 くの 被 害 を 出 し た. そ の こ と は,図6に 見 る よ う に,筆 番 号(一 筆 の通 し番 号 で,筆 者 が便 宜 的 に付 け る)57, 58,61を 除 くが,2期 目 の 内務 省 の 用 地 買 収 を容 易 に した に違 い な い. 3;期(大 正3年),4;期(大 正11年)・6;期 .(昭和27年)は,堤 の北 側 の宿 場 側 が ほ とん ど で あ る.そ して,3・4期 は,1・ ・2;期と 同 じ く番 屋 敷 地 区 で あ る が,「 旧 土 地 台 帳 」 を 見 る と,そ れ ぞれ1筆 だ け で あ る. 1∼4期 と6期 の 用 地 買 収 後 の 番 屋 敷 地 区 は,そ の 全 て が 堤 塘 敷 と官 用 地 とな っ た. 5期(昭 和17年)は,堤 の 南 側 の 堤 内 地 で あ る.5期 は,昭 和10年 と昭 和13年 の洪 水(栗 橋 河 岸 は被 害 が なか っ た)に よ り,利 根 川 改 修 計 画 の増 補 計 画 に よ る もの と思 わ れ る.図6に よ る と,内 務 省 は筆 番 号7を 除 き, 堤 内一 帯 を買 収 して い る.こ の地 区 は,栗 橋 河 岸 の 中 心 地 区 で,図3に 見 られ る よ うに,
図7三 ッ俣 に お け る県 ・国 の 土 地 買 い 上 げ 状 況(「 旧土 地 台 帳 附属 地 図 」 と 「旧土地 台 帳 」 を使 用 して 作 成) 注)図 中 の1筆 の 番号 は筆 者 が便 宜 的 に つ け た通 し番 号 河 岸 問 屋 で 古 川 氏 経 営 の菊 田 屋 や 同 じ く村 田 氏 経 営 の伊 勢 屋 が あ り,そ の 他,酒 類 醤 油 及 び肥 料 商 で 小 林 氏 経 営 の 原 勢 屋,米 商 で 松 田 氏 経 営 の松 阪 屋,料 理 店 旅 舎 で稲 荷 屋 経 営 の 菅 沼 氏,材 木 商 の吉 岡氏 な どの,大 きな店 が 立 ち 並 ん で い た.昭 和17年 の 用 地 買 収 は, 移 転 を余 技 な くさせ られ るが,深 廣 寺 所 蔵 の 「地 引 兼 絵 図 面 」 を見 る と,こ れ らの 人 々 の 中 に は,宿 場 側 に も店 や 家 を 持 っ て い る.ま た,宿 場 側 に は家 は な くて も,そ の資 金 力 に よ り,移 転 は容 易 で あ っ た と思 わ れ る.そ の 地 区 の 跡 地 は,ほ とん ど が 河 川 敷 と官 用 地 と な っ て し ま っ た. 6期 は,買 い 残 され て 拡 散 して い る番 屋 敷 の 一 部 と,堤 内 の一 筆 の み で あ る.昭 和27 年 の 以 上 の 土 地 は,周 辺 の土 地 が,堤 内 は栗 橋 河 岸 の跡 形 もな い 河 川 敷 で あ り,番 屋 敷 地 区 は堤 塘 敷 や 官 用 地 とな っ て お り,整 理 され る の は時 間 の 問題 で あ っ た と思 わ れ る.つ ま り,内 務 省 の 用 地 買 収 は,船 戸 地 区 に お い て は,ほ とん ど5期 で ほ ぼ終 了 した とい え る. 口.三 ッ俣 三 ッ俣 は図4に 見 られ る よ う に,集 落 の 中 をへ の字 形 に堤 が 通 っ て い る.土 地 所 有 は栗 橋 持 で,堤 の 利 根 川 側 の船 戸 地 区 に接 して い る場 所 は,房 川 の渡 し場(大 正13年 に廃 止) や,栗 橋 関 所 が 明 治2年 の 廃 所 に な る まで 設 置 さ れ て い た.そ の 番 所 は,関 所 廃 止 と と も に取 り壊 され た.跡 地 の石 垣 は,表1の 利 根 川 改 修 工 事 の た め,内 務 省 の用 地 買 収(図7 の 筆 番 号1,2)が 行 わ れ て,堤 塘 敷 と化 し た.ま た,現 在,利 根 川 上 流工 事 事 務 所 栗橋 出 張 所 が 位 置 して い る付 近 は,土 河 岸(ド ロ 河 岸 と呼 ぶ)と 呼 ば れ て い た.そ して,堤 の 宿 場 側 に は,図4に 見 られ る よ う に,栗 橋 関 一31一
利根川改修計画による栗橋河岸の変化 所の番士(加藤家・足立家・島国家・富田 家)が,代々居住していた番土屋敷があった. 明治