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近世河川統制下での河岸の集荷力

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近世河川統制下での河岸の集荷力

加 藤 光 子

1

.

現代の日本は,規制列島とも云われている ほど政・官・業界の三つどもえによる規制の 網の目がはりめぐらされている.その数は1 万数千とも云われている.この政・官・業界 のトライアングルによる支配は外圧により少 しずつは崩れているが 良否は別にして総体 的には依然として変らない. 近 世 に 目 を 転 ず れ ば 江 戸 幕 府 ( 政 ・ 官 界)と特権的河岸問屋(特権的流通業界)と の関係がある.幕府は古来からの河岸や河岸 問屋に株仲間設定の許可などの特権を与えて 保護し,その代償としてそれぞれの河岸に見 合った運上金(税金)を上納させた(表1). 河岸は幕藩体制にとって大量交通を可能なら しめた近世水運の基地(湊)であり,特に河 岸問屋を通しての直轄領や大名・旗本領から の年貢米輸送になくてはならないものであっ た.その後,輸送する主な積荷が年貢米に限 らなくなり,商荷物などが増大してくると荷 主である生産者と今までより安全で速く消費 地へ輸送する新興の流通産業(特権のない未 許可の河岸問屋や河岸に関係した新しい業者 層)との関係ができてきた.つまり,体制を 尻目に新興の流通業者が生産者のニーズに答 え始めたのである.これに対し,旧来の特権 的河岸問屋は幕府権力の援助を得てこのよう な新興河岸問屋の自由な営業権を剥奪しよう とした.ここにきて,この特権的河岸問屋と 未許可の新興河岸問屋はお互いの生存をかけ 14 -て競争せざるを得なくなった.河岸や河岸問 屋が生存をかけるということは河岸で取り扱 う積荷量の安定や増大をはかることである. そミで今回は,江戸幕府による河川統制下 での河岸を整理し その河岸が持っている集 荷力に焦点をあてた.そして本論の内容はそ の河岸の集荷力による地理的意味を考えるこ ととした.河岸としての集荷力はその機能か らもいっても積荷の取扱量によって決まるも のとした.ここでは明和・安永期(後述)の 河岸の運上金が河岸の積荷量の利益によって 計算されるということに目をつけた.河岸の 運上金は川名氏の調査史料を基に,その河岸 で営業している河岸問屋一軒当りの運上金と その河岸の河岸問屋数を掛けることで表した. 対象地域は主に利根川水系(図1)とした. 河岸についての研究は 川名登氏の「近世 日本水運史の研究」や丹治健蔵氏の「関東河 川水運史の研究jの著書がある.これらは河 岸や近世の水運に関しての総合的な研究書と もいえる本である.また,個別の河岸につい ては五十嵐富夫氏らの「倉賀野河岸」や田中 昭氏の「藤ノ木河岸」 ・椎名仁氏の「境河 岸」 ・渡辺英夫氏の「小堀河岸」などの研究 事例が多くある.これらは各河岸の特徴や構 造を史料の吟味などから河岸の解明に重点を おいた考察が主であると考えられる.本稿の 特色は集荷力という観点から利根川水系の河 岸を全体的に考えたことである.

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1 一 α ー 表1.元 禄 期 と明 和 ・安 永 期 の 吟 味 河 岸 と運 上 金 及 び 未 公 認 河 岸(但 し,関 東 水 系) ※(明 和 ・安 永期の(No.)の,○ で囲んだ数字の河岸 は元禄期 にも吟 味が行われた河岸. (川名氏資料 よ り作成) 元禄期の吟味河岸 』明和 ・安永 期の吟 味河 岸 未公認河岸 No 河川名 元禄吟味河岸 Na (No) 河川名 明 ・安吟 味 河岸問屋数 一軒当運上額 運上額合計 NoI(No) 河川名 明 ・安 吟味 河岸問屋数 一軒当運上額 運上額合計 記号 河川名 未公認河岸 0 烏川 川井 1 烏川 倉賀野 12永1,000文 永12,000文 87 〃 上三川 1 250 250 A 利根川筋のみ 石塚 OO 〃 2 .〃 藤 ノ木 4 88 〃 柳林 1 250 250 B 〃 出来 島 0 〃 八町 3 0 〃 川井 6 89 〃 粕田 1 500 500 C 〃 古海 ④ 〃 一本木 4 0 ク 新' 3 90 ク 中里 2 500 1,000 D 〃 舞木 o. 利根川 五料 5 0 〃 八町 3 91 〃 若旅 1 900 900 E 〃 俵瀬 ⑥ 〃 平塚 6三 友, 3 92 ク 上谷貝 1 700 700 F 〃 赤岩 0 〃 中瀬 7 ④ 〃 一本木 6 93 〃 吉田 1 500 500 G 〃 中条 ⑧ 〃 前嶋 8 0 利根川 五料 2 94 〃 西大島 1 500 500 H 〃 須賀 0 〃 女沼 9 〃 靫負 1700700 95 〃 小川 4 750 3,000 1 〃 上 新郷 10 〃 古戸 10 ク 八斗島 2150300 96 〃 伊佐山 3 750 2,250 J ゲ 別所 n ク 葛和田 11伊勢島 2300600 97 〃 川島 1 750 750 K ク 龍蔵 iz ク 酒巻 12 〃 山王堂 21,0002,000 98 〃 女方 3 750 2,250 L 〃 長宮 13 〃 川俣 13 ⑥ 〃 平塚 121501,800 99 〃 船玉 4 750 3,000 M ク 発戸 ⑭ ク 稲子 14 0中瀬 2 100as小森 2 (休株)150 N ク 下村 15 〃 権現堂 15高島 3 loiョ久保田 8 500-1,000 6,000 0 〃 大越 16 〃 16 ⑪ 〃 葛和田 3 102 〃 中 村 1 750 750 P 〃 鷲宮 ⑰ 〃 長谷 17 ⑮ 〃 権現堂 103 〃 上山川 1 1,000 1,000 Q .〃 栗橋 18 〃 取手 18 16 〃 21,2502,500 104 〃 山王 2 375 750 R ク 木 野崎 19 〃 小堀 19 〃 関宿内 4150600 105 〃 新宿 1 300 300 s 〃 三 ツ堀 D 〃 布川 20 〃 関宿内 91501,350 106 〃 関本中町 1 250 250 T ク 瀬戸 ⑳ ク 木下 21関宿向下 22100-1502,750 107ゥo 〃 平方 1 500 500 U 〃 大室 ⑳ 〃 藤堂納屋 22 ⑰ 〃 長谷 1750750 1085z 〃 野瓜 1 250 250 V ク 戸 頭 ⑳ 〃 安食 23 is 〃 取手 12,0002,000 109 〃 前河原 1 300 300 W 〃 布 施 ⑳ 〃 金江津 24 19 〃 小堀 73002,100 110 〃 』 桐ケ瀬 1 300 300 X 〃 布佐 ⑳ 〃 西大須賀 25 ⑳ 〃 木下 1 111 〃 川尻 Y 〃 川尻 26 〃 源太 26 ク 藤蔵 2250500 112 〃 長塚 2 200-300 500 Z 〃 松岸 ⑳ ク 結佐 27 ク 江 口 11,0001,000 113 〃 行田 2 250 500 a 〃 潮 来 ⑳ 〃 佐原 28 〃 ■ 十里 2350700 114 〃 鎌庭 1 250 250 b 江戸川のみ 今上 ⑳ ク 津宮 29 〃 安西 115ゥ3 〃 宗道 3 1,000 3,000 C 〃 加 30 〃 小 見 川 30 西大須賀 11,0001,000 116 〃 皆葉 1 100 100 31 〃 阿玉 川 31 〃 滑川 1500500 117新石下 1 300 300 32 〃 野尻 32 ⑳ 〃 源太 11,0001,000 118sョ 〃 中妻 2 500 1,000 33 渡良瀬川 猿 田 33 〃 高岡 119 〃 水 海道' 3 1,000 3,000 ⑭ 〃 梁 田 34 〃 本宿 120細代 1 300 300 ⑳ 〃 羽 田 35神崎 121寺畑 1 500 500 36 〃 早川 田 36 〃 神宿 122 飯沼川 佐平太新田 1 250 250 ⑰ 〃 越名 37 〃 杢子 123 小貝川 伊丹 1 500 500 38 巴波川 部屋 38 ⑳ 〃 佐原 27501,500 124 江戸川 松戸 2 300 600 菖 三澣逃洲弓㊦菖 毎㊦

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ー ま ー ⑳ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑯ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑭ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ⑪ ⑫ ⑬ ⑳ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ⑳ ⑫ ⑳ ⑭ ⑳ ⑳ ね 〃 〃 怒 〃 鬼 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 小 貝 川 〃 江 戸 川 〃 〃 ク 荒 川 〃 〃 新 河岸川 〃 〃 霞ケ浦 〃 〃 〃 ク 〃 〃 北 浦 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 ク 印旛沼 ク

錦灘

齷難

谿

辮飜

0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 5 5 5 5 5 5 5 5 5 5 6 6 6 6 6 6 6 6 6 6 7 7 7 7 7 7 7 7 7 7 8 8 8 8 8 8 8 し ⑳ ⑫ ⑳ ⑰ 38 39 ⑳ @ 〃 ・ ー 〃 〃 ー ・ 〃 齲 〃 渡 ノ ノ 〃 〃 〃 〃 ク 〃 〃 、 〃 〃 ク 〃 〃 場 〃 波 〃 〃 〃 〃 矢 巴 〃 思 川 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 鬼 怒 川 〃 〃 〃 〃 ク

馴鸚

槲纂

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駢鬣

2 1 1 1 1 2 1 1 4 2 3 2 1 1 1 2 1 6 4 1 1 1 1 1 2 1 1 10 5 1 7 3 4 2 3 2 1 3 3 3 2 1 1 1 1 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 5 5 5 0 0 0 0 0 5 0 0 0 0 0 5 0 0 5 5 5 0 0 5 0 5 0 5 5 5 0 5 5 5 0 5 5 2 1 2 1 7 1 5 5 5 0 5 2 5 2 5 3 0 5 5 2 5 5 5 3 4 2 5 2 2 7 7 5 0 1 0 2 0 7 7 7 5 2 7 7 5 2 ) ) ) 主 目 圭 目 主 目 曇 両 碁卩 昌 =卩 + コ 寸 十 り 壬 丁 ← → ← → ( ( ( ) 一 主 目 〇 二 二卩 0 十 ﹂ 3 ホ ( 3 1 1 1 一 〇 〇 5 1 1 2 1 一 一 A ) 0 ( ∪ ∩ ) -R り 一 一 〇 ( ) ( ) 5 1 1 一 一 喞 0 0 ∩ ) -rO じ 0 ∩ V 一 1 1 2 0 0 5 1 一 〇 〇 5 一 } 一 1 0 0 0 一 〇 5 0 0 1 9 自 1 5 1 26 27 28 29 30 瓢 認 33 誕 鑢 36 訂 38 鐙 40 岨 銘 43 必 45 妬 貯 48 49 50 田 52 詔 54 騙 56 57 58 59 60 61 ㏄ 63 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 ー ユ ー 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 0 0 0 0 0 0 0 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 00 20 蛎 25 10 ω m 50 60 00 跖 00 茄 騙 % 00 30 30 00 50 肪 50 50 50 60 40 % 00 留 % 正 鉐 ω 50 菊 50 肪 η 即 50 跖 50 お 覧 乃 00 ゐ 1 1 1 1 6 3 1 1 3 6 4 3 3 1 1 1 ・ 1 1 1 1 1 〃 〃 〃 〃 ⑭ 霞 ケ浦 ⑬ 〃 ⑳ ⑯ ⑲ ⑳ ⑳ " " 〃 〃 瞞 〃 ク 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 4 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 牛子 上新 下新 扇 ・ 小川 高浜 東崎町(土浦) 中城町(土潮 木 原 古渡 大和 田 鳥栖 駒 木根 徳宿 当 ケ崎 鉾 田 串挽 烟 田 安塚 二重作 梶 山 阿玉 札 上幡 木 武井 塙 立 原 棚 木 居合 奈 良毛 沼 尾 須 賀 大船津 谷 原 下幡 木 深 芝 息 栖 木 崎 1 8 7 7 2 6 6 3 1 2 3 2 1 1 4 1 3 2 1 1 1 1 2 4 3 1 1 1 2 1 2 2 8 1 1 1 1 1 0 0 0 0 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 25 00 50 50 12 00 75 50 10 30 00 00 75 50 20 30 25 25 50 20 10 10 50 50 25 25 50 70 20 15 25 10 20 50 , 一 一 -( ) ∩) 一 5 5 50 1 1 1 , 一 一 1 0 0 0 () 2 1 , , 一 -り Q O O 1 由目 二 = 卩 寸 ネ(   請 村 一 〇 〇 1 一 一 〇 〇 〇 〇 3 1     主目 圭目 昌 = 卩 二= 卩 寸 亠 -ま 丁 去丁 ( ( 0 0 0 5 5 0 5 0 0 0 0 0 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 50 菊 % 卯 瓰 00 姐 60 m 30 00 00 飾 00 20 30 % ゐ 00 80 30 m 50 50 蕊 ゐ 00 00 20 得 肪 10 20 50 3 1 1 1 4 3 1 1 1 1 1 1 霪 韻磁 嬰話畑 ﹄ 潯 蝉汁患蝉 鵡磁 b。 。。 中 お 漣 営

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近世河川統 制下で の河岸の集荷力 II.河 岸 の 構成 「河 岸 」 と い う言 葉 は 近 世 に 生 ま れ た 言 葉 (「栃 木 県 史 」 史 料 編 ・近 世 三)で あ り,そ れ ま で は 「津 」 と か 呼 ば れ て い た(「 万 葉 集 」).河 岸 は成 立 年代 や そ れ ぞ れ の 河 岸 に特 徴 が あ る.例 え ば倉 賀 野 河 岸 は 中'山道 の 宿 駅 を兼 ね た 河 岸 で あ り,関 宿 三河 岸(内,向, 向 下)や 松 戸 ・小 堀 河 岸 は艀 下 河 岸 と.して の 特 殊 な機 能 も果 た して い た が,し か し一 般 的 に は 多 くの河 岸 が 次 の よ うな構 成 か ら成 り立 、 って い た. 河 岸 は河 岸 に関 係 した 中 心 業 者 と して 河 岸 問屋,船 持,船 頭,水 主(舟 乗)ら(図2) で構 成 さ れ て い る.そ して 河 岸 を 中心 と し た 集 落 は多 くの 河 岸 関連 業 者 な どが 生 活 を して い る(表2).そ の 河 岸 問 屋 は 船 持 ・水 主 ら を抱 え て お り,河 岸 問屋 が 所 有 して い る船 の 船 年 貢 と と も に河 岸 の役 銭 ・問 屋 運 上 金 ・漁 労 運 上 金 の営 業 税 は河 岸 問 屋 が 一 手 に ひ き受

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『教 育学 部 紀 要』 文 教 大 学教 育 学 部 第28号1994年 加藤 光 子

河岸問屋 一 → 河岸問屋の手船(船 頭)一

一→水主(舟 乗)

1ニ ー 所

河岸問屋所属の船持 一→ 船頭 一 → 水主(舟 乗)

一 …

(舟乗)

図2河 岸 問 屋 と船 持 ・水 主 ら と の 関 係(「 近世 日本水運 史の研 究」 より作成) 表2境 河岸 職業構 成 表(天 明5年) 戸 数 人 口 河 岸 問 屋 浜 方 問 屋 そ の 他 尸 2軒 4 7 3 156人 船 持 59 297 舟 乗 小 揚 日 雇 156 491 渡 守 9 46 茶 屋 旅 籠 屋 21 91 商 人 55 309 医 師 職 人 座 頭 27 113 百 姓 38 226 馬 持 28 122 計 409 1,851 (ヂ資 料 で 見 る,境 河 岸 」 よ り作 成) け て 幕 府 代 官 所 に上 納 した.し か し独 立 して い る船 持 らの 船 年 貢 は彼 ら 自身 で 上 納 した. また 古 来 か らの 有 力 河 岸 は他 の 新 興 河 岸 間 と 積 荷 な どで トラブ ル が 発 生 す る と支 配 領 主 や 幕 府 権 力 へ 冥 加 金(礼 金)を 納 め て事 件 解 決 を は か っ た り した.河 岸 問屋 の 収 入 は 船 賃 や 仲 介 料(年 貢 米 や 商 人 荷 物)と して 口 銭,荷 物 の 保 管 料 と して 蔵 敷 や庭 銭 な ど の手 数 料 か ら成 り立 っ て い た. 皿.河 川 統 制 近 世 に 河 岸 が 成 立 す る要 因 は 徳 川 家 康 が 関 東 入 国 後,幕 府 直 轄 領(入 国 当 時 は伊 豆 ・相 模 ・武 蔵 ・下 総 ・上 総 ・上 野 の6ケ 国 の 約 240万 石,そ の 内 直 轄 領 は約120万 石.後 に伊 豆 ・駿 河 を合 せ て10ケ 国 と な る.)か ら河 川 を利 用 して の 兵 糧 米,後 に元 禄 期 以 前 まで の 主 に年 貢 米 の 江 戸 へ の 輸 送 に あ っ た.そ して 河 岸 は 関 東 水 系 の 河 川 改 流 工 事,特 に利 根 川 の 東 遷 事 業 の 完 成(1654年)に よ り内 陸 水 路 が 整 備 され て,大 名 ・旗 本 ・直 轄 地 領 か らの 年 貢 米 や 商 荷 物 な ど も増 加 し,さ らに発 達 し て い った.そ して 江 戸 幕 府 は 幕 藩 体 制 の 維 持 や 構 造 の 上 か ら も,こ の よ うな 河 岸 を把 握 し 統 制 す る必 要 が あ っ た. 幕 藩 体 制 下 の 河 川 運 輸 機 構 の 特 色 は,大 別 して 二 期 の 河 岸 吟 味 と五 期 の 川 船 行 政 に表 現 さ れ る(「 近 世 日本 水 運 史 の 研 究 」). 河 岸 吟 味 につ い て は元 禄 期(元 禄3年)と 明 和 ・安 永 期(明 和8年 ∼安 永6年)の 二 期 に分 け られ る.ま ず 元 禄 期,幕 府 は領 主 的 荷 物 の江 戸 輸 送 に お い て,以 前 まで 不 統 一 で あ っ た 運 賃 を江 戸 と各 河 岸 との 路 離 を調 査 して 統 一 運 賃 を 定 め た(「 関八 州 伊 豆 駿 河 国廻 米 津 出 湊 浦 々 河 岸 之 道 法 並 運 賃 書 付 」(徳 川 禁 令 考)).こ の運 賃 は幕 府 が 支 出 す る 「御 定 ノ 運 賃 」 で あ り,実 際 に は こ の 運 賃 で は 引 き請 け な い 河 岸 もあ り,そ の場 合 に は年 貢 を上 納 す る 農 民 が 追 加 運 賃 を 出 さな けれ ば な ら なか っ た(図3).つ ま り河 岸 は 経 済 的 に採 算 が 一18一

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近世河川統制下での河岸 の集荷力 図3元 禄 期 に 幕 府 に よ り定 め られ た 運 賃(利 根川本川 のみ抽 出) ※川名氏の調査史料 を基 に作 成 合 わ な い 運 賃 で は 決 して 引 き請 け な か っ た. そ して 直 轄 地 以外 の 年 貢 米 輸 送 につ い て の 諸 費 用 は 領 主 と農 民 の 負 担 で あ った. とに もか くに も元 禄 期 に調 査 さ れ た 河 岸 は, 関 八 州 駿 豆10ケ 国 に わ た っ て120余 に も上 っ た.関 東 水 系 で は86河 岸 あ っ た(表1).い わ ゆ る幕 府 公 認 の 河 岸 の成 立 で あ っ た.し か し,こ れ ら の 河 岸 は幕 府 直 轄 地 の 河 岸 だ けで は な く大 名 や 旗 本 の 領 地 の 河 岸 ま で及 ん だ. つ ま り元 禄 期 の 河 岸 吟 味 は領 主 支 配 領 域 を越 え た 幕 府 の河 岸 直 接 支 配 の 始 りと もい え る. 次 に明 和 ・安 永 期,元 禄 期 以 後 は 農 民 的 商 品 生 産 の 発 展 に よ って 商 荷 物 が 増 大 し,今 ま で の よ う な領 主 荷 物 の輸 送 ル ー トよ りも新 し い 河 岸 と結 び つ い た速 くて低 運 賃 な い わ ゆ る 農 民 的 ル ー トを 出現 させ た.こ の こ と は元 禄 期 に 公 認 さ れ た 古 来 か らの 河 岸 に と って 脅 威 とな っ た.川 名 氏 は 中利 根 川(図4)の み に 限 って も新 ル ー ト新 興 河 岸 との 争 論 数 は安 永 期 まで に42件 もの 数 を調 べ て い る.こ れ らの 公 認 河 岸 は,権 力 と直 接 結 びつ くこ と に よ っ て 自分 た ち の 営 業 権 を守 ろ う と した.つ ま り 幕 府 に対 し河 岸 問屋 株(河 岸 問屋 の独 占営 業 権)の 設 定 要 求 で あ る.そ れ に対 し幕 府 は こ の 河 岸 問 屋 株 設 定 を条 件 と して,河 岸 の積 荷 の 取 扱 量 の 利 益 に見 合 っ た運 上 金(税 金)を 賦 課 し河 岸 の直 接 支 配 を強 化 す る こ とに務 め た.そ して 新 興 河 岸 と の争 論 は 支 配 領 主 や 幕 府 代 官 所 へ 冥 加 金(礼 金)を 上 納 して 解 決 を はか っ た.河 岸 の 再 吟 味 は直 接 幕 府 勘 定 奉 行 所 に よ って 行 った.そ して運 上 金 の 徴 収 は支 配 地 の役 人 で は な く幕 府 代 官 所 が 行 っ た.多 額 の運 上 金 徴 収 の 目的 の た め に は元 禄 期 以 後 の新 し く台 頭 して き た新 興 河 岸 も多 く公 認 し た.関 東 水 系 だ けで163河 岸(表1)と な り い 元 禄 期 の 河 岸 数 の 約 卑倍 と もな った.以 前 よ り公 認 の 河 岸 数 は増 加 した が,そ れ で も公 認 さ れ な い 河 岸 も多 くあ っ た.そ して 公 認 され

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『教 育 学部 紀 要 』 文教 大 学 教 育学 部 第28号1994年 加 藤光 子 図4上 ・中 ・下 利 根 川 の 境 界 と浅 瀬 地 域(「 利根川図誌」 によ り作 成) た 特 権 的 河 岸 問 屋:は幕 府 権 力 や支 配 領 主 と直 接 に結 び つ き営 業 権 が 保 護 さ れ た.つ ま り特 権 的 河 岸 問 屋 以 外 の 河 岸 の 営 業 の禁 止 で あ っ た.こ こ に幕 府 は河 岸 の 直 接 支 配 を確 立 した. 一 方 ,川 船 行 政 は寛 永 期 と延 宝 期,元 禄 ・ 宝 永 期,正 徳 期,亨 保 期 の 五 期 に変 革 を行 い な が ら実 施 され た.寛 永 期,こ の 頃 まで は年 貢 米 や 木 材 な ど の公 用 荷 物 輸 送 の た め の 川 船 を徴 集 す る こ と を 目 的 に川 船 に極 印 を打 つ 「極 印 打 ち 」 を行 っ て い た.そ の後 は 一 般 の 川 船 に も 「極 印 打 ち」 が 行 わ れ た.幕 府 は, この よ うに して 川 船(河 岸 問 屋 手 持 ち の 川 船 や独 立 した 川 船 所 有 者)を 把 握 す る よ う に な り,川 船 奉 行 が こ の任 に あ た っ た.幕 府 は こ の 「極 印 打 ち 」 と と もに 次 第 に川 船 か ら船 年 貢 や 役 銀 を徴 収 す る よ うに な っ た.延 宝 期 に は 関 東 で は 川 船 の 「極 印打 替 」 が 行 わ れ た. さ ら に川 船 の 船 年 貢 や役 銀 は船 請 人 を通 して 納 入 す る 「船 請 制 」 とい う制 度 が 設 け ら れ た. 川 船 奉 行 は この 船 請 人 に 最 終 的 な責 任 を負 わ せ て 船 年 貢 役 銀 の 徴 収 を 強化 して い った.元 禄 ・宝 永 期 に は 厂廻 村 改 め 」 が 行 わ れ,川 船 奉 行 の 配 下 た ち が 関 東 各 地 の 村 々 を廻 り 「無 極 印 」 の 川 船 の 「極 印 打 ち 」 に努 め た.こ の よ う に して幕 府 の 川 船 把 握 が徹 底 して 行 わ れ た.正 徳 期 に は届 書 の 書 式 ・諸 手 続 の 整 備 が 行 わ れ,従 来 の 船 請 人 と と も に家 主 や 名 主 に ま で 連 帯 責 任 を負 わ せ て,無 極 印 船 の 取 り締 り を行 っ た.幕 府 は以 上 の よ う に徹 底 して 行 っ た 船 年 貢 役 銀 徴 収 の た め の 川 船 把 握 で あ っ た が,十 分 な取 り締 ま りが で き な か った. 亨 保 期 に な る と幕 府 は,い ま まで の よ う な 川 船 奉 行 を廃 止 し作 事 方 大 棟 梁 鶴 氏 に 「川 船 改 役 」 と して全 権 を一 任 した.こ れ は 亨 保 の 改 革 の 政 策 の 一 環 と して船 年 貢 役 銀 増 徴 を 目 的 と して 行 わ れ た.鶴 氏 の 川 船 支 配 に よ って 従 来 の 船 請 制 度 は 廃 止 され,船 年 貢 役 銀 の 徴 収 は直 接 川 船 役 所 が 行 う こ と と な っ た.(「 近 世 日本 水 運 史 の研 究 」) 以 上 の よ うに,江 戸 幕 府 に よ る河 川 統 制 の 目的 は河 岸 と川 船 を正 式 な 手 続 き.で把 握 し, 河 岸 と川 船 か ら税 や 冥 加 金 を収 奪 す る こ と に あ った.河 岸 は税 や 冥 加 金 と引 き換 え に 直接 に幕 府 権 力 や支 配 領 主 と結 び つ き営 業 権 の 保 一20一

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近世河川統 制下での河岸の集荷力 護 を勝 ち取 っ た.い わ ば政 ・官 界 と業 界 の 癒 着 で あ る.し か し川 船 の 把 握 は 後 半 期 に は 貧 農 の持 ち船(田 船 ・耕 作 船)な ど の小 船 まで お よf,,だた め2多 くg)農 民 か ら不 満 や 反発 が お きた.ま た船 持 層 ら はそ の よ う な川 船 行 政 な ど を批 判 し,鶴 氏 を訴 え る事 件 を も起 こ し た.し か し河 川 統 制 は幕 藩 体 制 が 崩 壊 す る ま で 続 い た. 】V.集 荷 力 と地理 的意 味 大 別 して 元 禄 期 と明 和 ・安 永 期 の 二 期 に わ た っ て 関 東 水 系 の 河 岸 吟 味 が行 わ れ たが,そ の 時 の 資 料 を用 い て 河 岸 の分 布 図 を作 成 した (図1).こ の 分 布 図 は 元 禄 期 に 公 認 さ れ た 図5河 岸 の集荷 力

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『教 育学 部 紀要 』 文教 大 学 教育 学 部 第28号1994年 加 藤 光子 河 岸 と明和 ・安 永 期 に 新 た に公 認 さ れ た 河 岸 と未 公 認 の 河 岸 とか らな っ た そ れ ぞ れ 異 な っ た3種 類 の 河 岸 の分 布 図 で あ る.利 根 川 水 系 が 中 心 で あ る.ま た集 荷 力 の 分 布 図(図5) は明 和 ・安 永 期 の河 岸 吟 味 の 際 に河 岸 に 割 り 当 て られ た運 上 金(一 軒 当 り運 上 金 × 河 岸 問 屋 数)を 基 に して 作 成 した.序 に お い て 河 岸 が 取 り扱 う積 荷 量 の利 益 に応 じて河 岸 の 運 上 金 が 決 め られ る と い う こ と を述 べ た.そ の こ と は河 岸 が持 って い る 集 荷 力 を表 す 目や す と もな る.河 岸 に よ っ て は 不 明 な デ ー タ も少 し あ った が 大 局 に は影 響 が な い と考 え た.こ れ らは 利 根 川 本 川 や 渡 良 瀬 川,思 川,鬼 怒 川, 小 貝 川,霞 ケ 浦,北 浦 に お い て ほ ぼ川 ご と に 地 理 的 に特 徴 が あ る地 域 と してA∼Nま で の ブ ロ ック を仮 定 して 作 成 した.そ して ブ ロ ッ ク 内 で 運 上 金 が 高 い 場 所 は1位 と2位 の み の 河 岸 名 を チ ェ ッ ク ア ップ した.地 理 的 な 意 味 づ け は 主 に利 根 川 本 川 を 中 心 と した. 」Aブ ロ ック の 烏 川 の 倉 賀 野 河 岸 とNブ ロ ッ ク の 渡 良 瀬 川 の北 猿 田河 岸 や 馬 門河 岸 は 一 番 高 い 彙 荷 力 を持 って い る河 岸 で あ る.倉 賀 野 河 岸 は 中 山道 を始 め 下 仁 田 道 な どの 信 州 の 山 々 の各 峠 へ の 道 との 水 陸 の結 節 点 で あ り,地 理 的 に も重 要 な位 置 に立 地 して い る.上 信 越 諸 藩 か らの 大 量 の物 資 が 集 っ た.ま た 北 猿 田 河 岸 や 馬 門 河 岸 は渡 良 瀬 川 に あ って 最 北 端 の 河 岸 で あ り,足 尾 銅 山 か らの銅 や 足 尾 山塊 か ら の林 産 物 を 中心 と し た物 資 が 集 荷 した と考 え ら れ る. BやDブ ロ ック は 未 公 認 河 岸 が 集 中 して立 地 して い る地 域 で あ る.運 上 金 につ い て は未 公 認 河 岸 で あ る た め不 詳 で あ っ た.Bブ ロ ッ ク は地 理 的 に は需 要 な位 置 に立 地 して お らず お そ ら く運 上 金 は高 くな か っ た と思 わ れ る. またDブ ロ ックの 利 根 川 の 木 野 崎 ・三 ツ堀 ・ 瀬 戸 ・大 室 河 岸 の 地 域 は,下 流 か らの 物 資 輸 送 がCブ ロ ッ ク の 境 河 岸 ま で の 浅 瀬 の 障 害 (後述)の た め 交 通 困 難 で あ っ た.故 に これ らの 河 岸 は江 戸 川 の 今 上 河 岸 ま で一 旦 陸 送 し, 今 上 河 岸 か ら江 戸 川 を通 っ て 江戸 まで物 資 の 輸 送 を行 った 地 域 で あ る.今 まで よ り も最 短 距 離 の コ ース で あ った.最 短 コー ス を使 用 し た い鬼 怒 川 か らの物 資 は鬼 怒 川 の 落 口付 近 に も位 置 して い るDブ ロ ック の 河 岸 へ 集 中 す る た め 集 荷 力 は高 か った と思 わ れ る.ま た利 根 川 の 布 施 河 岸 は対 岸 の 戸 頭 河 岸 が 水 戸 街道 に も通 じて い た た め水 戸 方 面 か ら江 戸 へ の近 道 と して 貨 ・客 が 集 中 し た.そ して 布 施 河 岸 は 江 戸 川 の 流 山 河 岸 や加 河 岸 まで 陸 上 輸 送 の基 地 と して の 役 割 を行 っ た.つ ま り布 施 河 岸 は 戸 頭 河 岸 か らの 渡 し場 と して機 能 した.以 上 の よ うな 未 公 認 河 岸 問 屋(問 屋 手 持 ち の船 や 雇 っ て い る船 頭 や 水 主)や そ の 河 岸 で 事 業 を 行 っ て い る独 立 の 船 持 ら は荷 主 た ち の ニ ー ズ に答 え て,運 賃 が 安 く しか も最 短 コ ー ス を 開 発 して い った.一 種 の 流 通 革 命 で あ っ た. Cブ ロ ックの 利 根 川 の 境 河 岸 や 関 宿 三 河 岸 (内 ・向 ・向 下)は 江 戸 川 との分 峠 点 で あ り 江 戸 へ の 最 初 の 入 口 で あ る.利 根 川 水 系 の 中 心 核 を な す べ き位 置 に 立 地 して い る.本 来 な ら ば こ の ブ ロ ックが 一 番 高 い集 荷 力 を示 して い い は ず で あ る.し か し こ の場 所 は 下 流 のD ブ ロ ック まで 浅 瀬 の地 形 で あ り通 船 に は不 利 で あ る.Eブ ロ ック の小 堀 河 岸 で 艀 下 舟(高 瀬 舟 な ど よ り浅 瀬 を通 船 で き る舟)に 乗 り換 え る こ とが 多 く,Cブ ロ ックへ の通 船 は安 全 性 や 割 高 の運 賃(艀 下 賃)な ど の 問 題 もあ っ た.運 賃 を 見 る と(図3)境 河 岸 よ り下 流 の 下 利 根 川 地 域 が 上 利 根 川 地 域 よ り も追 加 運 賃 が 高 い の が わ か る.ま た境 河 岸 の対 岸 に は物 資 や 旅 人 の船 改 め を受 け な けれ ば な らな い 関 宿 関 所(関 宿 藩 担 当)が あ っ た.境 河 岸 は こ の2つ の不 利 な 条 件 の た め に物 資 が 段 々 と減 少 して い っ た.そ の た め境 河 岸 はDブ ロ ック の 未 公 認 河 岸 な ど との 間 で 多 くの 積 荷 争 い の 訴 訟 事 件 を起 こ した.つ ま り上 ・中 ・下利 根 川 筋 や 利 根 川 支 流 の 近 ・遠 郊 の 農 村 や東 北 諸 藩 か ら水 運 ・陸 送 に よ っ て き た 多 くの 物 資 (そ の 他 旅 客)はCブ ロ ック を避 け,統 制 の 一22一

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近世河川統制下での河岸の集荷力 網 の 目 を抜 けて 他 の ル ー トや他 の 河 岸 を利 用 した もの が あ っ た と考 え られ る.関 宿 三 河 岸 の 河 岸 問屋 は関 宿 関所 の 通 船 改 め の順 番 待 ち をす る(番 取 札 制 度)場 所 で あ り,関 宿 関所 の 通 船 改 め の 一 部 を も代 行(宿 付 制 度)し て い た.ま た 関 宿 三 河 岸 は 上 述 の小 堀 河 岸 や江 戸 川 の松 戸 河 岸 と と も に艀 下 河 岸 で も あ っ た. 境 河 岸 や 関 宿 三 河 岸 は 利 根 川 水 系 の 中心 核 の ブ ロ ック に立 地 し,し か も通 船 し な けれ ば な ら な い正 規 の ル ー トで あ っ た た め そ れ で も多 くの船 で 混 雑 した.プ ロ ッ単 位 で は集 荷 力3 位 を も って い るKブ ロ ック の久 保 田河 岸 や付 近 の 中村 ・上 山川 河 岸 か ら境 河 岸 まで の 陸 送 ル ー トは 公 認 さ れ て お り,集 荷 力 は特 に冬 季 の 浅 瀬 障 害 を避 け て この ル ー トを通 過 す る 多 くの物 資 が あ っ た た め に全 般 的 に他 の ブ ロ ッ ク よ り も高 か っ た. Eブ ロ ック の利 根 川 の 取 手 河 岸 は水 戸 街 道 との結 節 点 で あ り,河 岸 問屋 一 軒 で 高 い運 上 金 を納 入 して い る.元 禄 期 以前 か ら の古 来 の 公 認 河 岸 で い わ ば 老 舗 の 河 岸 で あ る.小 堀 河 岸 は上 述 した よ う に艀 下 河 岸 と して の機 能 を 持 っ て い た.下 利 根 川 か ら高 瀬 船(200俵 か ら500俵 積 み)な ど で 小 堀 河 岸 まで 通 船 して きた船 は,通 称 元 船 と い った.こ の元 船 の 積 荷 は小 堀 河 岸 で艀 下 舟 に乗 り換 え た.艀 下 舟 は そ の 元 船 と併 送 しなが ら関宿 河 岸 を通 過 し, 江 戸 川 の 松 戸 河 岸 まで の 浅 瀬 区 間(図4)を 輸 送 した.小 堀 河 岸 の 河 岸 問屋 は領 主 荷 物 に 対 して は御 穀 宿 と して 領 主 か ら指 定 を受 け, 年 貢 米 な ど の 荷 物 の艀 下 輸 送 を行 い,商 人 荷 物 に対 して は 船 頭 や 船 持 ち た ち と艀 下 舟 の 契 約 を行 う船 宿 と して,艀 下 舟 の差 配 提 供 セ ン ター と して の 機 能 を持 って い た.ま た 小 堀 河 岸 は小 貝 川 の 落 口付 近 に位 置 し手 賀 沼 な ど と も近 く周 辺 に は こ の船 宿 を頼 っ た 多 くの 小 船 も出 現 した.故 にEブ ロ ック の取 手 河 岸 と小 堀 河 岸 の集 荷 力 はCブ ロ ック の境 河 岸 や 関宿 河 岸 と も格 差 が な く高 い 数 値 を示 して い る. Fブ ロ ッ ク は下 利 根 川 の 中心 部 で あ り佐 原 の宿 を 中心 と した地 回 り経 済 が 発 達 した 地 域 で あ る.佐 原 は香 取 神 宮 を は じめ広 範 な 水 田 地 域 を後 背 に持 ち,水 運 と陸 上 交 通 の 要 衝 の 地 で あ っ た.近 世 初 期 は領 主 の領 内 繁 栄 策 に よ って 六 斎 市 が 開 か れ多 くの 物 資 が佐 原 に集 中 し た.そ して 多 くの 商工 業 が 発 達 した.佐 原 の 人 口 は天 保 年 間 で5,647人 で 当 時 で は大 都 市 で あ った.佐 原 河 岸 は佐 原 宿 に お い て の 交 通 の 一 窓 口で あ っ た.佐 原 河 岸 の 江 戸 へ の 取 扱 荷 は 米 穀 ・薪 ・酒 ・醤 油 な どで あ っ たが 多 くは米 穀類 で あ っ た.酒 や 醤 油 な ど は主 に 地 回 り もの が 多 か っ た.Fブ ロ ック の 西 端 に 位 置 す る 布 川 河 岸 は 「利 根 川 図誌 」 の 著 者 赤 松 宗 旦 の 生 まれ 故 郷 で あ る.厂 利 根 川 図 誌 」 の 一 節 に は,「 … 銚 子 浦 か ら鮮 魚 を積 ん で 利 根 川 を の ぼ る船 を な ま船 とい う.舟 をあ やつ る も の た ち 三 人 が 日暮 れ の う ち に銚 子 浦 を 出 て,夜 の 間 に20里(約80キ ロ メ ー トル)あ ま り利 根 川 を さか の ぼ って,未 明 に布 佐 ・布 川 に到 着 す る.一 方,冬 の 間 に は布 佐 か ら馬 に 積 み 松 戸 を通 っ て江 戸 に輸 送 し,夏 は生 きた 魚 を水 槽 に入 れ た 「活 舟 」 で 関宿 を経 て 日本 橋 に到 着 す る… また常 陸 の 鹿 島 浦 か ら来 る鮮 魚 を積 ん だ な ま船 もた ま に あ っ た.鰹 節 の生 の ま ま の もの や 乾 魚 は て ん ま ・ば うて う な ど の 小 さ な 舟 で 輸 送 した の で あ る.」 とあ る. 当 時 の 情 況 が よ くわ か る.ま た鮭 が こ の地 域 まで 下 流 か ら上 って きた の で 漁 の対 象 と な り, 布 佐 ・布 川 の河 岸 問屋 は鮭 の漁 労 運 上 金 も上 納 して い た.近 く に は木 下 河 岸 が あ り木 下 河 岸 は竹 袋 村 か ら利 根 川 に木 を下 す とい う とこ ろ か ら き た 名 称 で あ る.こ こ か ら 「木 下 茶 船 」(観 光 船)に 乗 船 し香 取 ・息 栖 ・鹿 島 の 三 社 に 参 詣 し銚 子 浦 を遊 覧 す る 観 光 客 で賑 わ っ た(「 利 根 川 図 誌 」).ま た 布 川 河 岸 か ら下 流 の 下 利 根 川 地域(図4)は 常 に洪 水 の被 害 に悩 ま さ れ て い た 地 域 で あ る.村 役 人 は 洪 水 対 策 や 水 田 の復 旧対 策 に 明 け 暮 れ た.し か し こ の 地 域 は河 岸 を通 して江 戸 との 人 的交 流 が 盛 ん で 多 くの 学 者 や 文 化 人 が 訪 れ た.そ して

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『教 育 学部 紀 要』 文 教 大学 教 育 学 部 第28号1994年 加藤 光 子 赤松 宗 旦 や伊 能 忠 敬 な どの 地 元 の 学 者 も輩 出 す る よ うに な った.こ の よ う に してFブ ロ ッ ク 地 域 は利 根 川 文 化 圏(川 名 氏)を 形 成 して い った.集 荷 力 はそ れ ぞ れ の 河 岸 に差 異 が な い が,こ の地 域 は特 に旅 客 が 集 中 した. Gブ ロ ッ ク は利 根 川 の河 口 で 東 廻 り海 運 の 基 地 で もあ る銚 子 を もつ 地 域 で あ る.特 に 東 北 諸 藩 との 関係 が 深 か っ た 地 域 で あ っ た.そ れ な の に河 岸 の 集荷 力 は そ れ ほ ど高 くは な い. 銚 子 近 海 の鹿 島 灘 は昔 か ら風 浪 が 激 し く多 く の 漁 船 が 難 破 した と こ ろで あ り,利 根 川 水 運 の基 地 と して も適 して は い な か った.江 戸 時 代 末 期 の 記 録(「 見 聞 自知 永 顕 録 」)に は那 珂 湊 よ り凅 沼 川 に入 り大 貫 や 海 老 沢 で 陸上 げ し Hブ ロ ック の鉾 田 河 岸 や 当 ケ 崎 河 岸 ま で 陸 送 し,そ れ らの 河岸 か ら北 浦 を 渡 り利 根 川 へ 出 て物 資 輸 送 を行 った,と あ る.こ の 鹿 島灘 を 避iけた 方 が は るに安 全 だ っ た の で あ る.那 珂 湊 以 南 銚 子 まで の 海路 は正 保 以 後 寛 文 頃 に仙 台 藩 の 廻 船 に よ って 開 か れ た.東 北 請 藩 の 廻 船 が そ の 頃 か ら銚 子 の 飯 沼 な ど に着 船 しだ し た.ま た 銚 子 はFブ ロ ック の佐 原 と な らび 人 口6,849人 の 商 工 業 が 盛 ん な 地 方 の 大 都 市 で あ っ た.そ して野 尻 河 岸 や 高 田 河 岸 の集 荷 力 は年 貢 米 や 銚 子 産 出 の 醤 油 や干 鰯 ・鮮 魚 の水 産 物 に よ っ た とこ ろ が 大 き か っ た と もい え る. Hブ ロ ック は上 述 した よ う な 理 由 で 鉾 田河 岸 や 当 ケ 崎 河 岸 が 集 荷 力 が 高 か った.ま た こ の 地 域 は 集 荷 力 の格 差 が 大 きい.集 荷 力 の低 い 河 岸 に は運 上 金 の村 請 け もあ り村 の名 主 な どが 上 納 した と思 わ れ る. V.結 近 世 河 川 統 制 下 に お い て の河 岸 は 幕 府 公 認 の 特 権 的 河 岸 とそ うで は な い 未 公 認 の 河 岸 と に 大 き く分 類 され る.特 権 的 河 岸 の 河 岸 問 屋 ら は幕 府 や 支 配 領 主 へ 運 上 金 や 冥 加 金 を上 納 して,幕 府 か ら株 仲 間設 定 が 許 可 され 自分 ら の 営 業 権 が 保 護 され た.つ ま り,特 権 的 河 岸 問屋 間 は河 岸 で 取 り扱 う積 荷 量 が 調 整 され 安 定 的 な集 荷 が で きる よ う に した.こ れ に対 し, 未 公 認 の 河 岸 問 屋 らは荷 主 と直 接 に結 び つ き を もち物 資 を高 速 な ル ー トで しか も低 廉 な 運 賃 で 輸 送 しよ う と した.こ の た め 特 権 的河 岸 問 屋 らの積 荷 量 は減 少 す る とい う不 安 定 な様 相 を呈 した の で あ る.そ こで 特 権 的 河 岸 問屋 は 営 業 権 侵 害 の た め に 未 公 認 の新 興 河 岸 問屋 ら に対 し訴 訟 事 件 を起 こ した.特 権 的 河 岸 問 屋 は常 時 勝 訴 した.し か し,こ の新 興 河 岸 問 屋 ら は幕 府 の 河 川 統 制 の 網 の 目を 抜 け て流 通 業 界 の革 命 児 と して ます ます 台 頭 して きた. 取 り も直 さず こ れ らの 河 岸 問屋 の 生 存 は 河 岸 で 取 り扱 う積 荷 量 の利 益 で 決 ま っ た の で あ る.そ して 河 岸 の運 上 金 は幕 府 に よ り明 和 ・ 安 永 期 に は 河 岸 の積 荷 量 の 利 益 に よ って 計 算 され た.つ ま り河 岸 の 集荷 力 は河 岸 の 運 上 金 を計 算 す る こ とで 表 され る ので は な い か と考 え た(一 軒 の 河 岸 問屋 の 運 上 金 × そ の 河 岸 の 河 岸 問 屋 数).こ の 河 岸 の 集 荷 力 は 地 理 的 に そ れ ぞ れ特 徴 が あ る と仮 定 し集 荷 力 の 分 布 図 を作 成 して,A∼Nま で の ブ ロ ッ ク ご とに分 類 した. そ の結 果,こ の 特 権 的 ・新 興 河 岸 の 分 布 は そ れ ぞ れ に 意 味 の あ る場 所 に立 地 して い る の が わ か っ た.元 禄 期 か らの 古 来 の特 権 的 河 岸 は街 道 との 分 峠 点 や 利 根 川 支 流 の落 口,各 支 流 の 上 ・中 ・下 流 に お い て また 霞 ケ 浦 や 北 浦 な ど に お い て そ れ ぞ れ一 定 の 距 離 に バ ラ ン ス が とれ た位 置 に立 地 して い る.そ して 明 和 ・ 安 永 期 か らの 特 権 的 河 岸 は 元 禄 期 か らの 河 岸 の 近 接 地 域 に 集 積 の 利 益 を得 る よ うに 立 地 し て い る.未 公 認 の 新 興 河 岸(利 根 川 と江 戸 川 の み で あ る が)は 前 記 の2種 類 の河 岸 と は異 な り江 戸 ま で 新 ル ー トと結 び つ き高 速 度 で し か も低 運 賃 で 採 算 が 取 れ る い わ ば交 通 条 件 の 良 い 場 所,特 にDブ ロ ック に立 地 して い るの が わ か っ た. 今 回 は河 岸 の積 荷 量 の実 数 や 詳 細 な積 荷 の 種 類 や 内 容 お よび 河 岸 の集 荷 ・出荷 先 に つ い て は調 査 で きな か った.次 回 か ら は そ ち ら に 一24一

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近世河川統 制下で の河岸の集荷力 焦 点 を あ て て 少 し ず つ 整 理 し て ま と め ら れ た ら と 思 う. 参 考(引 用)文 献 1.群 馬 県 史 編 纂 委 員 会 編(1978):『 群 馬 県 史 』 資 料 編10近 世2425∼762群 馬 県 2.茨 城 県 史 編 纂 近 世 史 第2部 会 編(1971): 『茨 城 県 史 料 』 近 世 社 会 経 済 編115∼425 茨 城 県 3.柏 市 史 編 纂 委 員 会 編(1971):『 柏 市 史 』 資 料 編6布 施 村 関 係 文 書 ・下72∼490柏 市 役 所 4.篠 崎 四 郎 編(1956):『 銚 子 市 史 』241∼ 409図 書 刊 行 会 5.佐 原 市 役 所 編(1966):『 佐 原 市 史』293 ∼802臨 川 書 店 6.千 葉 県 香 取 群 役 所 編(1921):『 千 葉 県 香 取 群 誌 』31∼127臨 川 書 店 7.東 庄 町 史 編 纂 委 員 会 編(1982):『 東 庄 町 史 』 上 巻541一 一一560東 庄 町 8.取 手 市 史 編 纂 委 員 会 編(1992):『 取 手 市 史 』 通 史 編 矼401∼450取 手 市 教 育 委 員 会 9.川 名 登(1984):『 近 世 日本 水 運 史 の 研 究 』 409.雄 山 閣 出 版 10.丹 治 健 蔵(1984):『 関 東 河 川 水 運 史 の 研 究 』450.法 制 大 学 出版 局 11.椎 名 仁(1982):『 境 河 岸 』109.筑 波 書 林 12.赤 松 宗 旦[阿 部 正 路 ・浅 野 通 有 訳](1978) :口 訳 『利 根 川 図誌 』 巻1∼ 巻6崙 書 房 13.埼 玉 県 教 育 委 員 会 ・埼 玉 県 立 さ き た ま 資 料 館 編(1989):「 利 根 川 の 水 運 」 歴 史 の 道 調 査 報 告 書 第10集108.埼 玉 県 政 情 報 資 料 室 14.建 設 省 関 東 地 方 建 設 局 河 川 部 河 川 課 監 (1993):「 河 物 語 ・利 根 川 」181.関 東 建 設 弘 済 会 15.田 村 ・木 村 ・石 塚 編(1993):「 資 料 で 見 る 境 河 岸 」47.境 町 歴 史 民 俗 資 料 館 16.吉 田 東 伍 「蘆 田 伊 人 補 」(1935):「 大 日本 讀 史 地 図 」91∼120富 山 書 房 17.五 十 嵐 富 夫(1963):「 近 世 に お け る河 岸 制 度 倉 賀 野 河 岸 を事 例 と し て 」 信 濃15 1820一 一一830 18.渡 辺 英 夫(1991):「 利 根 川 舟 運 に お け る 艀 下 河 岸 の 構 造 下 総 国 相 馬 郡 小 堀 河 岸 の 場 合 」 秋 大 史 学3785∼113 ・19.田 中 昭(1979.1980):「 烏 川 ・利 根 川 の 水 運 藤 ノ木 河 岸 の 変 遷 を 中 心 と して 上 ・下 」 郡 馬 文 化231∼10241∼11

参照

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