〈論文〉江戸時代におけるウミガメ祭祀の成立過程--宮城県七ヶ浜町の伝承と新出資料の比較を通して
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(2) に お い て、 ウ ミ ガ メ祭 祀 を 開 始 し て か ら 二年 後 に 書 か. る。 そ のう え 、 筆 者 の平 成 一八 年 (二 〇 〇 六 ) の 調 査. 地 を 訪 れ た 文 人 に よ る 江 戸 時 代 の紀 行 文 も 残 さ れ て い. 伝 来 し て い る。 さ ら に は 、 祭 祀 を 開 始 し て ま も な く 現. 立 過 程 を 考 察 し て おく こと にす る。. も に 、 伝 承 や 紀 行 文 な ど と あ わ せ る こと で、 祭 祀 の成. 祀 に つ い て、 新 出 の史 料 を 全 文 翻 刻 し て紹 介 す る と と. る。 そ こ で 、 本 稿 で は 、 宮 城 県 七 ヶ浜 町 の ウ ミ ガ メ祭. の 民 俗 に つ い て 、 発 信 す る こ と の必 要 性 を 痛 感 し て い. 七 ヶ浜 町 の概 要 と ウ ミ ガ メ の民 俗. れ た 古 文 書 を 確 認 す る こ と が でき た 。 こ れ に よ って 、 よ り 詳 細 に 、 江 戸 時 代 末 期 の ウ ミ ガ メ 祭 祀 が ど のよ う. 一. 七 ヶ浜 町 は 仙 台 市 中 心 部 か ら 東 に約 二 〇 ㎞、 南 は 太. に し て始 ま った のか 、 と いう 具 体 的 な 過 程 を た ど る こ と が 可 能 と な った 。 し か し な が ら 、 こ の事 例 に つ い て. 平 洋、北と 東 は松島湾 に面 し、三方 を海 に囲ま れた半 ら . は 、 こ れ ま で 日本 ウ ミ ガ メ協 議 会 の 機 関 紙 に ご く 簡 単. 後、東 北地方 沿岸 部 のウミガ メ供養 塔など を追 跡調査. 平 成 二 三 年 (二 〇 一 一) 三 月 一 一日 の東 日 本 大 震 災. 吉 田 浜 、 東 宮 浜 、 代 ヶ 崎 浜 、 松 ヶ 浜 、 花 淵 浜 の七 浜. 江 戸 時 代 、 現 在 の 七 ヶ浜 町 内 に は 、 湊 浜 、 菖 蒲 田 浜 、. 海 岸 部 に向 け て放 射 状 に 傾 斜 し た 地 形 と な って いる 。. 島 状 の地 形 を な し て いる 。 町 の中 央 部 は 丘 陵 地 で あ り 、. す る機 会 に恵 ま れ た。 こ れ に つ いては、 平 成 二 五年. あ った 。 こ れ が、 町 名 の由 来 と な って いる 。 明 治 二 二. . (二 〇 = 二) 刊 行 予 定 の 近 畿 大 学 民 俗 学 研 究 所 の 紀 要. 年 ( 一八 八 九 )、 七 ヶ 浜 村 が 成 立 、 昭 和 三 四 年. 二 〇 〇六 ︺。. ﹃民 俗 文 化 ﹄ 二 五 号 で紹 介 す る 予 定 であ る 。 震 災 で は. (一九 五九 ) に 七 ヶ浜 町 と な った 。 明 治 以 降 、 周 辺 と の. に紹 介 した だ け であ った ︹ 藤井. 七 ヶ 浜 町 も 大 き な 被 害 を 受 け た が、 松 ヶ浜 の御 殿 場 旅. 合 併 を 行 な って いな い。. 縄 文 時 代 の 目ハ塚 も 多 数 存 在 す る な ど 、 古 く か ら 海 と. ヨ . 館 に 電 話 で 確 認 し た と こ ろ、 幸 い に し て ウ ミガ メ の祭 祀 に か か わ る資 料 に つ い て は 流 出 を ま ぬ が れ た よ う で. 密 接 に結 び 付 いた 生 活 が 営 ま れ てき た 。 江 戸 時 代 、 町. . あ る 。 震 災 後 、 被 害 の有 無 に か か わ ら ず 、 東 北 沿 岸 部. [24].
(3) 内 の大 部 分 は 仙 台 藩 の 蔵 入 地 と な って お り 、 仙 台 への 距 離 が 近 いた め 、 仙 台 城 内 で の魚 類 貢 租 の割 り 当 てな ど が 課 さ れ て いた 。 し か し 、 大 網 や カ ツ オ 釣 り 漁 な ど ではなく 、刺 し網、地 曳網、 釣り、採 貝、採 藻 などが 中 心 の 沿 岸 漁 業 で あ った よ う であ る。 明 治 時 代 以 降 、 漁 船 の動 力 化 と と も に 、 大 ・中 型 漁 船 漁 業 も 盛 ん に な り 、 昭 和 時 代 に な って 海 苔 、 牡 蠣 の 養 殖 も 発 展 し た 。 現在 は刺 網漁、採 貝漁 、釣り漁 、小型 定置網 漁 など の 沿 岸 漁 業 と 、 海 苔 養 殖 な ど が中 心 と な って いる。 ま た 、 町 内 の沿 岸 部 は 景 勝 地 に富 ん で い る た め 、 古 く か ら 行 楽 地 と し て親 し ま れ 、 近 年 で は 海 水 浴 場 な ど も 整 備 さ れ て いた 。 と く に、 ウ ミガ メ 祭 祀 に か か わ る 古 文 書 を 所 有 す る 御 殿 場 旅 館 が 立 地 す る御 殿 崎 は 、 平 安 時代 か ら歌枕 と し て知 られ た風光 明 媚 な岬 であ る。 江 戸時 代 に は 、 伊 達 政 宗 が 訪 れ て 、仮 館 を 建 て た た め 、 御 殿 崎 と 呼 ば れ る よ う に な っ た と い う ︹渡 辺. 太 平洋 に面 して いるため ウミガ メと のかかわ りも生. 一九 八 一︺ (写真 1 )。. じ る こ と に な る が 、 ウ ミ ガ メ の生 息 域 は 暖 か い海 であ. [25].
(4) る た め 、 七 ヶ浜 町 で の か か わ り は 限 定 的 で あ る 。 ア カ. 二 〇 一二︺、 宮 城 県 で確 認 さ れ る 上 陸. ウ ミ ガ メ の産 卵 地 の 北 限 は 、 宮 城 県 南 部 の山 元 町 付 近 であ る が ︹亀 崎 や産 卵 は き わ め てま れ であ る 。 た だ し 、 宮 城 県 沿 岸 部 でも ア カ ウ ミ ガ メ、 ア オ ウ ミ ガ メ、 オ サ ガ メな ど の回 遊 は 行 わ れ て いる 。 宮 城 県 沖 に は 、 暖 流 で あ る黒 潮 の 流 れ に乗 って ウ ミガ メ が現 れ る こと にな る。 漁 民 か ら の聞 き 取 り に よ る と 、 ウ ミ ガ メ は 夏 場 に 来. [26]. る こ と が多 いと いう 。 江 戸 時 代 に ウ ミ ガ メ 祭 祀 を 行 っ た 家 の 子 孫 で あ る鈴 木 捨 五 郎 氏 (昭 和 一二年 生 ま れ ) は 、 ﹁カ メは あ った け ー ( 暖 か い) 水 に乗 って く る ﹂ と いう 。 具 体 的 に は 六 月 か ら 一〇 月 ご ろ で あ る と いう 。. 戯. ヶ浜 の漁 港. 写 真2松. ㌔. 嘲噂 ヒ. '層. ・ ぞ. 鱒 謹■ 齢. 版 爺 馴凱. 黙 \. 舶 離. …ノ:-7-一. 篠 制. 一二『 一一 一 一 † ・ 灘. ウ ミ ガ メ が 回 遊 し てく る と 、 七 ヶ浜 町 でも 漁 業 の網 に か か る こと があ る。 こ の辺 り で は 、 網 に か か った ウ ミ ガ メ に は 酒 を 飲 ま せ て 放 す と いう 習 俗 が あ った 。 松 ヶ浜 (写 真 2) と 花 淵 浜 の漁 民 か ら の聞 き 取 り で 、 カ メ を 海 の神 様 の使 い. 一九 八 〇 ︺。 筆 者 の聞 き 取 り. と し て、 網 に か か っても 酒 を 飲 ま せ て 放 す と いう 事 例 が 報 告 さ れ て いる ︹ 小玉. 愕1. 麟 州 墨誰 融 醐騨 壁 襲藻.
(5) か か って は だ め だ ﹂ と 声 を か け た 。 カ メ が 網 に 入 る の. 木 を か ま せ て 一升 瓶 で 飲 ま せ た 。 放 す と き に は ﹁網 さ. 本 当 に 酒 が 好 き な の か は 分 か ら な いと 考 え て い る が 、. た 。 刺 し 網 、 流 し 網 に か か った 。 捨 五 郎 氏 は 、 カ メが. 捨 五郎氏 は、 ウミガ メが網 に入ると 酒を飲 ませ て帰 し. は 、 網 元 で あ り 、 捨 五 郎 氏 自 身 も 漁 業 を 行 って き た 。. 調 査 でも 同 様 の事 例 を 確 認 で き た 。 鈴 木 捨 五 郎 氏 の家. 墓 の よう な も の は作 ら な か った よう であ る。. に は 、 片 付 け な いと 臭 い た め 、 砂 浜 へ埋 め た と いう が 、. 縁 起 物 で あ ると いわ れ て いる 。 カ メ が 死 ん で いる と き. 言 って い る ﹂、 と 言 っ て い た と い う 。 カ メ ノ コ は 長 寿 の. 顔 を 出 し た た め 、 見 て い た 人 た ち は 、 ﹁カ メ が お 礼 を. を 飲 ま せ て か ら 海 へ放 し た 。 カ メ が 泳 い で い く と き に. が 入 っ た と いう 。 こ の と き も 、 カ メ を 連 れ て 来 て 、 酒. こ の辺り では、 子 ども のカ メでな く ても. (昭 和 二 一 二年 生 ま れ ) も 、. ﹁カ メ ノ コ ﹂. は 年 に 一回 あ る か な いか と いう 程 度 であ る が 、 最 近 で. ま た 、 東 宮 浜 の鈴 木 義 信 氏. 子 供 のこ ろ、 父親 の網 に ア カ ウ ミガ メと オ サ ガ メ が. は カ メを オ カ ま で 持 って き て 酒 を 飲 ま せ る こと は な く な った と いう 。 後 述 す る よ う に 、 捨 五 郎 氏 の先 祖 は ウ. 入 った こ と を 記 憶 し て い る 。 ア カ ウ ミ ガ メ は 松 島 の 水. 入 った 。 い ず れ も 小 型 底 曳 網 で あ った 。 同 じ よ う な 漁. ミ ガ メを 埋 葬 し て い る が 、 捨 五 郎 氏 自 身 は 死 ん で い る. 江戸時代 のウミガ メ祭祀 に関す る古文書 を所有 す る. 業 を し て い る 人 た ち は 、 よ く カ メ が か か っ て いた と い. 族 館 に 売 った と いう 。 そ の 一、二 年 後 、 オ サ ガ メ が 網 に. 加 藤 実 氏 (昭 和 一 一年 生 ま れ ) も 、 カ メ は ひ と 夏 に. は 船 に 積 ん で き て 、 四 、五 人 で 引 き 上 げ た 。 酒 を 買 っ て. う 。 カ メ は 外 洋 のほ う でよ く か か って いた 。 オ サ ガ メ. カ メを 持 ってき て埋 めた こと はな か った 。. 一、二回 ぐ ら い網 に か か ると いう 。 加 藤 氏 の家 では 、 明. 来 て 、 竹 か 棒 で 口 を 開 け て飲 ま せ た と こ ろ、 目 か ら 涙. を 流 し て いた と いう 。 酒 を 飲 ま せ た あ と 、 松 島 湾 内 ま. た が 、 実 氏 の代 に は 農 業 と 旅 館 経 営 を し て い た 。 子 ど. . 治 時 代 の 中 ご ろ ま で は 漁 船 を 所 有 し て漁 業 を 行 って い. も のころ. で 船 で 載 せ て 行 き 、 海 へど ぼ ん と 落 と し た と い う 。 義. (昭 和 一七 、八 年 ご ろ )、 大 網 と い う 網 が あ り 、. そ の 網 に カ メ ノ コ が 入 った こ と を 実 氏 は 記 憶 し て い る 。. [27].
(6) 謙. ∴濡. 脚. ・ξ 蝸 劇. 陽L辱1岬n. 御齢い. ﹁三 分 ぐ ら い た つ と 、 ば. '開Llじ. 信 氏 は、 放 し た オ サ ガ メは. 瀞 藁 鍵1;騨 壁鰐 魏 這藍. ぶ ー っと 出 て 、 そ の後 、 す ー っと 潜 っ て 行 っ た 。﹂ と 語 る。. 門h幽. 口 1、 噴. r匂 岬. ドF. 以 上 の よ う に 、 七 ヶ 浜 町 で は 、 ウ ミ ガ メ が 漁 業 の網. 、▼辱. 陛申の ¶. 翫. ρや門. に か か る こ と が あ り 、 生 き て いる と 酒 を 飲 ま せ て 放 す こ と が あ った 。 た だ し 、 昭 和 時 代 の で き ご と と し て は 、 死 ん で い た カ メ を 埋 葬 し て 、 祭 祀 ・供 養 を 行 っ た 事 例 は 確 認 で き な か った 。. (写 真 3 )。 カ メ が く. [28]. こ の ほ か 、 先 述 の加 藤 実 氏 の家 で は 、 ウ ミ ガ メ が 遊 ん で いた 木 を 床 の 間 に 飾 って いる. る く る 回 し て遊 ん で いた と い い、 そ れ を 拾 ってき た と いう 。 実 氏 のお ば あ さ ん は 、 こ の木 のこ と を カ メ ノ マ ワ シ ギ と 言 って いた と いう 。 実 氏 は 、 自 分 の家 で 船 を. 「カ メ ノ マ ワ シ ギ 」. 写真3. 鉱'. III二 一 隔 一廟. 細. 岡「1. 隔 糊rWFq町. 膿1門 闘1. し樹Iu州. 卜 編. III. 、,. 膳'1脇. ・ 。. 持 って いた こ ろ の こと で あ る か ら 、 明 治 よ り も 前 の こ. 八二 ㎝. .訓. '. 榊,. "脇. 腎簡 、'. 楠 押 剛 鏑 1転淵 崩瑚. 却 二・. 繍. と であ ると 考 え て い る。. 長さ. 八㎝. カ メ ノ マワ シギ. 最大直径. 1,蕊融 繍 畿轡 繰 ・1湘 鰍 罫趾梱 蜘`一. 藩 訟 、、 ∵ 。 坤牌 職 こA、髄 1・,'肺 ・川. 1占、 .㌦ ㌔ 縣 、 臨← ,. ・一剛 肖 ト鮎 明 岬'随 の、. ・一網 し・ 禰貞幽. 日1い'「. 1裡. 、_,. 蟻 「 ▲」 1・ 測. ・ 露 ㊧露霧 「 葡@壁 '⑪ 一謹 纒.
(7) い上 げ る と いう 習 俗 も 存 在 し て いた こと が 分 か る 。 こ. 例 で は あ る が ウ ミ ガ メ が ま と わ り つ い て いる 流 木 を 拾. 飲 ま せ て 放 す 習 俗 が 広 ま っ てお り 、 ま た 、 限 ら れ た 事. て生 活 し てき た 七 ヶ浜 町 に お い て は 、 ウ ミ ガ メ に 酒 を. か し な が ら 、 以 上 み て き た よう に、 海 を 生 業 の場 と し. メ と の か か わ り は 、 西 南 日 本 のよ う に多 く は な い。 し. 東 北 地 方 は ウ ミ ガ メ の回 遊 が 限 ら れ る た め 、 ウ ミガ. を 紹 介 し て おく 。. 内 容 と ほ ぼ 同 じ 内 容 で あ る が 、 こ こ で捨 五 郎 氏 の語 り. お 話 を う か が った 。 ﹃七 ヶ浜 町 誌 ﹄、 川 島 氏 の聞 き 取 り. (二〇 〇 五 )年 に、 当 時 の当 主 であ る鈴 木 捨 五 郎 氏 か ら. 行 っ て い る ︹川 島. る鈴 木 ま つえ 氏 (明 治 四 一年 生 ま れ ) か ら 聞 き 取 り を. 調 査 を 行 って、 ウ ミガ メ 祭 祀 を 行 った 家 の子 孫 に 当 た. そ の後 、 川 島 秀 一氏 は 平 成 三 年 (一九 九 一) に 現 地. に印 を し て お いた の で、 同 じ カ メ だ と 分 か った 。 と こ. ま せ て大 漁 さ せ てく だ さ いと い っ て帰 し た 。 錠 で 甲 羅. か ら な い。 カ メ は 酒 好 き だ と 聞 い て い た の で 、 酒 を 飲. 網 で 捕 った と いう 。 今 は ロ ク 網 は な く 、 ど ん な 網 か 分. 昔 、 二年 続 き で 同 じ カ メ が 網 に 入 った 。 カ メ は ロ ク. 二 〇 〇 四 ︺。 筆 者 も 平 成 一七. . の よ う な 地 域 に お い て、 江 戸 時 代 、 ウ ミ ガ メ の 埋 葬 ・. ﹁亀 霊 神 社 ﹂ の 伝 承. 祭 祀 が行 わ れた と いう こと にな る。. 二. 祀 っ た 話 に つ い て は 、 ﹃七 ヶ 浜 町 誌 ﹄ に 記 述 が あ る. 七 ヶ浜 町 の松 ヶ浜 に お いて 、 江 戸 時 代 に ウ ミ ガ メを. 一九 六 七 ︺。 こ こ で は 、 口絵. 写 真 に ﹁浮 穴 ノ 貝 ﹂ の 写 真 ( 図 版 四〇) が掲載 され て. に 目 印 と し て椿 の木 を 植 え て いた 。 昔 は 、 寺 の敷 地 で. 上 げ て、 寺 の後 ろ に葬 った。 小 さ な 祠 を 置 い て 、 そ ば. ろ が 、 そ の ヵ メ が 死 ん で し ま った た め 、 何 人 か で 担 ぎ. ︹七 ヶ 浜 町 誌 編 纂 委 員 会. いる 。 ま た 、 ﹁処 誌 ﹂ の ﹁松 ヶ 浜 ﹂ (地 域 の紹 介 ) に あ. は な く 、 た だ の ジ ラ ッパ. ( 原 ) だ った 。 正 月 と 祭 り の. と き に お参 り し 、 お 供 え も 持 って い った 。 そ こ に 祀 っ. る ﹁寺 院 ﹂ の ﹁養 松 院 ﹂ の個 所 に ﹁亀 神 社 ﹂ の こ と が. ﹁ 浮 穴ノ貝﹂ ( 七 七 三頁 ) が記 述 さ れ て いる。. 触 れ ら れ て いる (五 七 五 頁 )。 さ ら に、 ﹁口承 伝 説 ﹂ に. [29].
(8) さ ん は 家 に 持 っ てき て 祀 る よ う に し た 。 掘 り 返 さ な. て い る の は 粗 末 だ と い う こ と で 、 父 親 と 一緒 に 捨 五 郎. そ の酒 を 貝 に つ いで、 飲 ん でも ら って いた。. ま せ ん か ら 、 酒 を 買 っ てき てく だ さ いと 言 って いた 。. て 祀 っ て い る 。 ﹁亀 神 様 ﹂ と 呼 ん で い る 。 寺 の 後 ろ に. 三 二 、三 年 ご ろ か 。 家 の 裏 庭 に 、 氏 神 と 一緒 に 祠 を 置 い. 氏 の聞 き 取 り と 筆 者 の聞 き 取 り で は 、 鈴 木 家 に お い て. と も に、 ほ ぼ 同 じ よ う な 内 容 であ った 。 た だ し 、 川 島. 町 誌 、 川 島 氏 の聞 き 取 り 内 容 、 筆 者 の聞 き 取 り 内 容. か った が 、 土 を 持 っ て き た 。 持 っ て き た の は 昭 和. あ った と き か ら 、 自 分 の 家 の 神 で 、 ほ か の 人 は 参 ら な. か った 。 こ の貝 は 、 鈴 木 家 で宝 物 と し て大 事 に さ れ た. 貝 が ど の よ う に 使 用 さ れ て き た のか 、 と いう 状 況 が 分 ﹁ふ け つ の 目ハ﹂ と 呼 ん で. か った 。 カ メ の首 に つ い て いた 貝 を. 入 った 。 現 在 、 貝 は か な り 欠 け て し ま っ て い る 。 捨 五. 飲 む と 一八 歳 に 若 返 る と い う 。 酒 は 目ハの 中 に 二 合 半. も 一緒 に 出 し た と いう 。 見 世 物 に し た 。 こ の 目ハで 酒 を. れ た と し て いる ︹川 島. は こ の祠 に つ い て、 養 松 院 の ﹁境 内 整 備 時 に 撤 去 ﹂ さ. 移 った 経 緯 も う か がう こ と が で き た 。 川 島 氏 、 小 島 氏. ま た 、 筆 者 の聞 き 取 り か ら は 、 ﹁亀 神 様 ﹂ が 鈴 木 家 に. と いう だ け で な く 、 若 返 り の意 味 を こ め て、 め で た い. 郎 さ ん が 小 さ い こ ろ は も っと 形 が あ っ た 。 結 婚 式 や フ. 養 松 院 は 昭 和 五 〇年 (一九 七 五) に 本 堂 を 建 て替 え て、. いる 。 宝 物 だ か ら と い って よ く 磨 いた 。 昔 は よ く 貸 し. ナ オ ロ シ な ど に 出 し た 。 こ の 貝 で 三 々九 度 を し た 人 も. そ の折 に 本 堂 の後 ろ 側 も 整 備 し て い る 。 し か し 、 筆 者. 式 に お いて酒 を 飲 む こと に使 わ れ てき た の であ った。. い る 。 貸 し て い て 戻 っ て こ な い 時 期 も あ った の で 、 家. が確 認 し た と こ ろ 、 寺 で は カ メ の祠 に つ い て は 把 握 し. た 。 博 覧 会 な ど に も 出 し た 。 貝 だ け では な く 、 書 き 物. 族 で も こ の 貝 で 三 々 九 度 を し な か った 人 も い る 。 全 国. て いな か った 。 川 島 氏 が 典 拠 と し て いる ﹃七 ヶ浜 町 誌﹄. 二 〇 〇 五 ︺。. 歩 いた 貝 だ 。 北 のほ う は あ ま り 行 ってな いが 、 九 州 ま. にも 撤 去 さ れ た と いう 表 記 が 見 当 た ら な い。 鈴 木 捨 五. 二〇〇 四、小島. で 行 った 。 見 せ て く だ さ い と 人 が 来 る と 、 お 金 は い り. [30].
(9) 郎 氏 の語 り か ら 判 断 す る と 、 養 松 院 の境 内 整 備 時 よ り も 以 前 に 、 祭 祀 者 の意 向 によ って 、 ﹁亀 神 様 ﹂ が 鈴 木 家 に移 さ れ た と み て よ いと 思 わ れ る 。 た だ し 、 ﹃七 ヶ浜 町 誌 ﹄ の養 松 院 の項 目 に は 、 境 内 に ﹁亀 神 社 ﹂ と 記 し て い る た め 、 町 誌 が 刊 行 さ れ た 昭 和 四 二 年 (一九 六 七 ). 犀 犀墜 . 口. ご ろ ま で は 何 ら か の祠 が 養 松 院 にも 残 って いた 可 能 性. 直径. 約 二〇 ㎝. [31]. 写 真 三 五 九 四 cmcm4. 神 古 古. も あ る。. 座 竃. ﹁ふ け つ の貝 ﹂ ( 写 真 5). 祠 台.
(10) イ 夢. 「ふ け つ の 貝 」. 写 真5. 三. 江 戸 時 代 の紀 行 文. 鈴 木 家 の伝 承 だ け で は 、 ウ ミ ガ メ を 祀 った の が い つ. の 時 代 のこ と な の か は は っき り し な い。 と こ ろ が 、 文. 政 元 年 (一八 一八 ) に、 只 野 真 葛 が 七 ヶ浜 を 訪 れ た と. . き の紀 行 文 ﹃いそ つた ひ ﹄ に 、 こ の話 が 出 て い る の で. あ る 。真 葛 は ウ ミ ガ メ を 祀 った 七 、八 年 後 に鈴 木 家 を 訪. ね て お り 、 ウ ミガ メ祭 祀 の詳 細 に つ い て記 述 し て いる 。. . 江 戸 時 代 の漁 民 の習 俗 が う か が え る 貴 重 な 記 録 で あ る. た め、 該 当 部 分 を 引 用 し て おく 。. 此 島 の め ぐ り を は な れ ぬ 小 舟 有 り き 。 ﹁人 を の せ. て ん や ﹂ と 、 と は せ つ れ ば 、 ﹁二 人 三 人 は よ し ﹂ と. いふ 故 、 のり て み れ ば 、 蛸 つ る舟 に は 有 し 。 今 と. り た るを 、 膝 の も と に 打 ち い る ・は、 め づ ら か な. る も の か ら 、 心 よ か ら ず 。 こ の つり 人 のか た る や. う 、 ﹁今 よ り は 七 八 年 さ き に 、 亀 の も て こ し 、 浮 穴. の 貝 と い ふも のを 持 は べ り 。 わ が 家 は 、 道 行 人 の. かならず 過給 ふ所 なれ ば、立 よら せ給ひ て、見給. へか し 。 今 や つが り も 参 り て ん ﹂ と そ い ひ し 。 舟. [32].
(11) 釣 人 の 家 に い た り て 、 ﹁ふ け つ の 目ハて ふ も の 、 も. 中 に て釣 せ し と き 、 亀 の出 て さ ぶら ひ つれ ば 、 と. み 候 ひき 。 さ て 放 や り し に 、 あ く る年 の夏 、 又 沖. ﹁よ か ら ん ﹂ と 申 て 、 の ま せ 侍 し に 、 一本 ば か り の. 六 七 人 候 ひ し が 、 ﹁亀 は 酒 こ の む も の と き け ば 、 の. た り と 聞 を 、 見 せ て ん や ﹂ と こ へば 、 内 な る 女 、. ら へ て 酒 を 呑 せ て 放 侍 り し に 、 一年 有 て 、 こ た び. よ り あ が る と て、 いま と り た る蛸 を こ ひ も と め て 、. あ し た か き 折 敷 に白 き 箱 を す ゑ て、 持 出 た り 。 こ. は此貝を 背 におひ て、磯 より道半 ば かり隔 たる所. ま せ て ん ﹂ と 、 や つ が り 申 た り し を 、 あ ま ど も ・、. の 磯 屋 の さ ま 、 板 敷 に て 、 引 網 ・た く 縄 な ど お ほ. に、 う か び よ り て候 ひ き 。 や つが り は 、 い つも 朝. 家 つ と に した り 。. く 積 入 て 、 折 敷 な ど は 有 げ に も 見 え ぬ に、 か く ふ. 増 れり 。 内 に汐 こ も り て、 打 ふ れ ば 、 こを ー. 中 は 夜 光 貝 に 似 て、 こ ま や か な る こと は 、 いた く. 外 の色 は 白 く て、 茶 色 に、 と ら ふ のご と き か た 有 。. に過ぬ べし. と鳴. べ く も あ ら ず 見 え 侍 つ れ ば 、 人 を 集 へ て舟 に か き. と ら れ ん と お ぼ し く 、 い た き 疵 を お ひ て、 う ご く. の ま せ て は な た む と し 侍 し に、 左 の手 を 物 に く ひ. ば 、 見 る こ と に た が わ ず ぞ 候 し 。 例 の如 く 、 酒 を. は じ め は な ち は べり し 時 、 ま じ る し を つけ 侍 つれ. を か 、、 つき 分 て ゆき て見 侍 り し に 、 例 の亀 に ぞ 候 し 。. しき. る ま ふ は 、 い み じ き た か ら と 思 へる さ ま な り 。 と. と く 磯 辺 を み め ぐ り 侍 つれ ば 、 見 あ や し み て、 汐. な が ら 、 い さ ・ か も こ ぼ れ 出 ず 。 ﹁こ れ を 得 て 八 と. の せ て 、 [原 割 註 - 四 人 し て 、 漸 持 た り 。] 沖 に こ. [原 割 註 - 四 寸 五 分 ]。 貝 い と あ つ く 、. せ に な れ ど も 、 か わ き も せ ず ﹂ と そ いひ し 。 と か. ぎ 出 て 、 放 て か へり 侍 し に 、 夕 つ 方 、 ま た も と の. お. り て み る に 、 目 な れ ぬ 貝 の 形 な り 。 わ た り 一束 半. く す る う ち に 、 釣 人 か へり 来 て 、 こ と の よ し を 語. 今 よ り は 十 年 ば か り さ き 、 沖 に い で ・ つり し 侍. れ し む く ひ に 、 目ハ を も て こ し な ら め と 、 いと 哀 に 、. 所 に 来 て 死 侍 り き 。 言 こ そ か よ は ね 、 酒 のま せ ら. る。. し 時 、 四 尺 余 の亀 を え 侍 り き 。 乗 合 し つり 人 も 、. [33].
(12) は じめ より よきも のとし り侍 らば、か くは しさ ぶ. 今 は 公 よ り 仰 蒙 り て 、 亀 昊 明 神 と 申 侍 。 こ の 目ハ を、. だ かき 所 の地 を 堀 て、 埋 め 候 て 、 と ぶ ら ひ侍 り き 。. と し て 釣 り 人 に声 を か け て いる 。 こ の釣 り 人 こ そ 、. り 松 ヶ浜 へと 入 って い る。 小 船 に 乗 せ ても ら お う. の 七 ヶ浜 町 を 東 よ り 西 へ向 か って進 み 、 菖 蒲 田 よ. ぼ そ のま ま 記 述 し て い る 点 に あ る。 真 葛 は 、 現 在. こ の記 述 が 貴 重 な の は 、 真 葛 が 漁 民 の語 り を ほ. ら はじを 、た "めづ らしと のみ思侍 しかば 、あま. 鈴 木 家 の先 祖 であ った 。. か な し ま れ 侍 つれ ば 、 か ら を 陸 に か き あ げ て、 こ. を と め ど も の 、 ﹁亀 の も て こ し 貝 え さ せ よ ﹂ と い ひ. と ひ 聞 侍 り て 、 か つ感 じ 、 か つ か け 損 じ た る こ と. 貝 と い ふ も の な り 。 いか に し て得 し ﹂ と そ の 故 を. と 休 た る 旅 人 の と り 見 て 、 ﹁こ は 、 ま さ し う 浮 穴 の. 半 年 ば か り 、 も てあ そ び も のと し て置 候 し を 、 ふ. れ ど 、 い さ ・ か も 汐 の 出 侍 ら ね ば 、 そ の ま ・に て. て、 つき く じ り な ど し 侍 し 故 、 穴 も 崩 れ 侍 り 。 さ. 孫 ど も に あ た へん と 思 ひ侍 て、 角 あ る か な は し も. 針 も て つき た る ほ ど の穴 明 て 候 し を 、 汐 を ぬき て 、. り 侍 つれば、 かく そ む じ侍。 は り切 た る所 にも、. が 現 れ た 。 目 印 を つけ て い た の で 同 じ カ メ であ る と 分. も カ メ に 酒 を 飲 ま せ た 。 さ ら に翌 年 、 貝 を つけ た カ メ. いた と き ウ ミ ガ メが か か り 酒 を 飲 ま せ た 。 翌 年 の夏 に. こ った 以 下 の よ う な 出 来 事 を 聞 い て いる 。 釣 り を し て. 載 せ て 出 てき た 。 真 葛 は 貝 を 見 な が ら 、 七 、八 年 前 に起. て いる 。 目ハは 、 漁 民 の家 に は に つか わ し く な い折 敷 に. り 、 真 葛 は カ メ が 持 って き た と いう 貝 を 見 せ ても ら っ. と 言 わ れ る 。 タ コを 釣 って いた 鈴 木 家 の当 主 も 家 に帰. る と こ ろ に 家 が あ る か ら 、 立 ち 寄 って 見 て く だ さ い、. メ が 持 っ てき た 珍 し い目ハ を 置 いて い る、 道 に面 し て い. 真 葛 は 鈴 木 家 の当 主 か ら 、 家 に は 七 、八年 前 に ウ ミガ. を 、 あ た ら し み 侍 て 、 ﹁得 が た き も の な る を 、 今 よ. か った 。 カ メが 死 ん で し ま った の で 小 高 いと こ ろ に埋. し て 、 と ら る ・ほ ど は と. り は 宝 と せ よ ﹂ と 、 を し へ侍 し に よ り て 、 俄 に た. めた 。 今 は ﹁亀 霊 明 神 ﹂ と し て祀 って いる。 カ メ が持 っ. つ ・、 手 々 に う ち か き く. ふと み候 ひ ぬ、 と そ 語 し。. [34].
(13) て き た 貝 は 孫 た ち に 与 え よ う と し て いた が 、 旅 人 が. ミ ガ メ祭 祀 を 伝 え る貴 重 な 資 料 で あ る た め 、 こ こ に全. の倉 庫 を 壊 し た と き に 出 て き た と いう 。 江 戸 時 代 の ウ. ( 写 真 6 ・7 )。. . ﹁浮 穴 の貝 ﹂ で あ る と い った た め 大 事 にす る よ う にな っ. ﹁亀 霊 神 社 不 死 貝 由 来 ﹂. 文 を 翻 刻 し て 紹 介 さ せ て いた だ く. 写真 6. た 。 こ のよ う な 内 容 であ った 。 現 在 も 伝 え ら れ て いる ﹁亀 神 様 ﹂ と 目ハの由 来 が 裏 付 け と な る資 料 と し て貴 重 で あ る。 な お 、 ﹃い そ つた ひ﹄. . に は 、 七 ヶ 浜 町 に 現 在 も 伝 わ る サ メ の伝 承 な ど も 記 さ れ て お り 、 江 戸 時 代 末 期 の漁 民 の習 俗 の 一端 が よ く 記. ﹁亀 霊 神 社 ﹂ の 古 文 書. 述 さ れ て いると いう 特 徴 があ る。. 四. 江 戸 時 代 の出 来 事 が 、 伝 承 と し て 伝 え ら れ 、 伝 承 に 関 す る 祭 祀 が 継 続 し、 伝 承 に ま つわ る 品 物 が 残 り 、 さ ら に 同 時 代 の紀 行 文 に 記 述 が あ る と いう だ け で 、 七 ヶ 浜 町 の ウ ミ ガ メ祭 祀 は 貴 重 な 事 例 で あ る。 そ のう え 、 当 時 の こと が 記 さ れ た 古 文 書 も 残 って いる こ と が 現 地 調 査 に お い て確 認 す る こと が でき た 。 こ の文 書 は 、 江. の で あ る と い い、 加 藤 氏 の家 に 残 って いた 。 実 氏 も こ. 戸 時 代 に 肝 入 を 務 め て いた 加 藤 実 氏 の先 祖 が 書 いた も. の存 在 を 知 ら な か った が 、 平 成 一〇 年 (一九 九 八 )、 家. [35].
(14) 亀 霊神 社 不 死 貝 由 来 」 写 真7「. ( 表紙) 安政 五午年 亀霊神社不死貝由来 四月十 五日 肝入. 清右衛門. 文 化 九 年 六 月 四 日 、 宮 城 郡 松 ヶ浜 御 百 姓 漁 師 儀 兵. 衛 ト 申 者 、 ふけ ず 乃 貝 所 持 之 品 口 上 書 上 ヲ 以 左 二. 貝 形 蛇 之 手 枕 に似 合 申 候. 置申候事. 儀兵衛. 松 ヶ浜 之 内 川 子 浜 ト 申 処 こ て、 右 儀 兵 衛 求. 右 貝、 文 化 九 年 六 月 四 日朝 五 つ半 時 頃、. ふけ ず 乃 貝 壱 つ. 宮 城 郡 松 ヶ浜 之 内 川 子 はま 屋 敷 御 百 姓 漁 師. 申上候. 一. 一. 但 シ 丸 キ 方 二御 座 候 事 、 横 指 渡 シ 四 寸 以 上 御座候. 亀 霊 之 神 社 ト正 宗 置 申 候. [36].
(15) 貝 ヲ亀 之 背 二相 付 上 り 候 故 、 右 亀 を 神 与 正. 但 シ 右 宮 は 瓦 宮 二而 相 建 置 候 、 右 ふ け ず 乃. 候 而酒を 為呑 可申由 相談 之上、 右亀 を捕置 、又以. ヲ為 呑 放 シ候 亀 二も 候 哉 、 又 以 浮 ミ 上 り 候 間 、 捕. 年 夏 中 酒 を 呑 て 放 シ 候 節 、 見 印 等 仕 放 シ 候 筈 二候. 酒 ヲ五 合 斗 り 為 呑 申 候 、 右 酒 茂 呑 テ 申 候 、 然 所 去. 拙 者 儀 先 年 よ り 漁 師 に候 ヘ ハ、 亀 井 、 か ま す 、. 問 、 右 見 印 在 無 之 訳 二見 届 可 申 由 心 付 候 問 、 見 分. 宗申候事. あ ち 、 か な か し ら 、 た な ご 、 漁 渡 世 仕 来 二候. 仕 候 所 見 印 仕 置 候 亀 之 様 二相 見 得 申 候 、 乍 然 確 与. 処、 其翌年 文化 八年夏 、又以 右之為 渡世 之出 舟仕. 印 相 定 放 シ可 申 候 相 談 之 上 、 見 印 等 仕 相 放 シ 申 候. 二無 御 座 候 、 乍 然 此 亀 此 末 二茂 見 当 り 可 申 哉 、 見. 候 所 、 右 酒 ヲ 一宇 呑 申 候 処 、 扱 々 亀 ハ酒 を 呑 事 偽. 呑 可申与 右亀 を捕、拙 者共呑 酒之 内壱升 斗り 為呑. 師 共 呑 酒 二持 参 仕 候 漁 師 之 酒 舟 中 二在 合 候 問 、 為. 右 亀 ヲ捕 置 酒 を 為 呑 可 申 よ し 相 談 を 仕 候 処 、 幸 漁. 物 者 酒 ヲ 呑 候 物 之 由 、 老 人 之 咄 二而 承 伝 置 候 間 、. 拙者 井乗 共迄 見附申 候処 、何も 被相咄 者、亀 与申. 当 は ま 御 殿 崎 近 所 こ て大 き な る 亀 浮 ミ 上 り 候 ヲ、. 同 年 七 月 十 五 日 朝 飯 後 、 常 陸 国 加 波 山 之 洞 二住 居. 候 得 は 、 何 やら 珍 敷 目ハニ御 座 候 、 大 切 二仕 置 申 所 、. 貝 を 、 は ま 須 賀 江 落 置 申 候 ヲ、 取 上 ヶ み か き 見 て. も の吸 付 居 候 所 、 如 何 致 候 哉 、 亀 之 せ な か に 右 之. 亀 ヲ能 々見 分 仕 候 処 、 亀 之 せ な か に 貝 と お ほ し き. 二引 寄 又 以 如 已 前 之 漁 師 酒 を 五 合 斗 為 呑 候 上 、 右. 者 儀 直 々■ 参 り 見 分 仕 候 所 、 亀 二御 座 候 、 浪 打 岸. 丁 斗 沖 二、 何 や ら 浮 ミ 上 り 居 物 二候 得 申 候 間 、 拙. 夏 六 月 四 日 朝 五 つ半 頃 二、 川 子 は ま 浪 打 岸 よ り 半. 御 座 候 問 、 大 切 二仕 直 々放 シ置 申 候 処 、 文 化 九 年. 哉 、 悪 き 亀 二御 坐 候 、 乍 然 亀 は 漁 事 二は 吉 事 之 物. 之 様 子 二相 見 へ申 二付 、 扱 々此 亀 は 又 以 酒 を 呑 度. 一. 処 六 七 年 夏 の頃 、 右 為 渡 世 之 出 船 仕 候. 候 処 、 川 子 は ま 沖 合 こ て 又 以 亀 二見 当 り 申 候 処 、. 已 前 ノ亀 と ハ難 申 御 座 候 得 と も 、 大 体 は 已 前 之 亀. 拙 者 初 舟 中 之 者 共 何 も 被 相 咄 候 者 、 扱 々去 年 中 酒. [37].
(16) 致 候 者 之 由 二而 、 拙 者 方 江 参 り 右 貝 ヲ被 見 度 よ し 被 頼 候 問 、 見 申 候 処 、 右 之 者 同 上 二は 、 是 者 正 敷 ふ け す の貝 二相 違 無 御 座 候 由 被 申 候 、 尤 右 之 者 被 相 咄 候 者 、 右 亀 ヲ神 与 正 宗 候 得 ハ、 浜 方 漁 師 繁 昌. 宮城郡松 ヶ浜之内川子屋敷. 伝左衛門様. 同はま右儀兵衛親類 仮肝入. 右貝持主漁師. 儀兵衛. 仲左衛門. 右之 通申出候問、猶 承届申候所 、相違無御座 候問、. 且 ハ其 身 家 内 茂 繁 昌 可 仕 候 、 何 て 亀 明 神 共 奉 祭 可 然与 被為 申聞 候問、何 茂寄 合吟 味之 上、亀霊 之神. よ ろ しく 被 仰 上 候 様 、 被 成 下度 奉 ぞ ん じ候 以 上. 右 口上書 を以指 上候 訳者 、御郡奉 行勇 作様 より書. 同年同月. 中 程 よ り 喰 被 切 至 而 、 亀 も 労 レ候 様 子 二相 見 得 申. 上 候 様 被 仰 渡 候 由 二而 、 宮 城 郡 御 代 官 都 沢 勘 重 郎. 清右衛門写. 候 問 、 色 々介 抱 仕 翌 こも 相 成 舟 二積 遠 沖 江 放 シ 可. 様 より御 首尾 合之 上、大肝 入佐藤 久太 郎殿 より被. 同 はま 肝 入. 社 ト 正 宗 置 申 所 、 新 宮 相 建 候 儀 二付 候 而 者 、 向 々 様 江 茂 願 等 申 上 候 神 こも 祭 り 可 申 儀 二御 座 候 所 、 自 分 二新 宮 ヲ 相 建 候 儀 者 不 折 入 儀 二御 座 候 問 、 此 段 者 よ ろ し く 被 仰 上 候 様 二被 成 下 度 奉 存 候 、 且 又. 申 与 存 居 候 処 、 同 日 八 つ過 手 を や み候 故 、 終 二落. 仰 渡 候 故 、 右 之 通 書 記 指 上 候 事 二御 座 候 問 、 猶 為. 亀 を 能 々見 分 仕 候 所 、 何 二被 痛 候 哉 、 右 之 方 手 乃. 命仕 候間 、当 はま牌所 養松院 地内 江葬 置申事 御座. 星氏清右衛門. 後 見 之 拍 等 如 斯 二御 座 候 事. 湊 松 ヶ浜 先 之 村. 候 処 、 右 亀 を 埋 候 塚 之 上 二小 キ 瓦 之 宮 ヲ相 建 、 亀 霊神 社与 正宗 置申候 問、此段 共 よろし く被仰 上候 様 、 被 成 下度 奉 願 上 候 以 上 文 化 十 一年 四月 廿 日. [38].
(17) る。 当 時 す で に、 ﹁不 死 目ハ ﹂ のう わ さ が 広 ま って いた と. カ メ が 現 れ た 。 六 月 四 日 の 朝 五 つ半 (午 前 九 時 ご ろ ). 浜 の波 打 ち よ り 半 丁 ( 約 五 四 メ ー ト ル) ほ ど 沖 に 再 び. メ で あ る か ど う か 分 ら な か った が 、 カ メ は ﹁漁 事 に は. いう こ と であ ろう か 。 ﹁貝 ﹂ を 背 負 ってき た カ メ であ る. の で あ った 。 今 度 は 背 中 に 貝 が つ い て いた 。 貝 を 取 っ. こ の文 書 は 、 宮 城 郡 の郡 奉 行 か ら の要 請 を 受 け 、 ﹁亀. た め に 神 と し て 祀 った と 述 べ て お り 、 ﹁亀 霊 神 社 ﹂ と. て か ら カ メ に 酒 を 飲 ま せ て 再 び 沖 に放 そ う と 考 え た 。. し た 。 さ ら に 翌年 の文 化 九 年 (一八 一二 ) の夏 、 川 子. ﹁不 死 貝 ﹂ が怪 し いも の で は な いと いう こと を 証 明 す る. と こ ろ が、 カ メ は 右 手 が 中 ほ ど か ら食 いち ぎ ら れ て お. 吉 事 ﹂ で あ る た め 、 ま た 捕 ま え て 酒 を 飲 ま せ 、 海 に放. 書 上 であ る と 思 わ れ る 。 こ の 文 書 か ら は、 ウ ミ ガ メ祭. 八 つす ぎ (午 後 二 時 ご ろ ) の こと で あ った 。 儀 兵 衛 た. り 弱 っ て いた た め 、 介 抱 の か いな く 死 ん で し ま った 。. 霊 神 社 ﹂ と ﹁不 死 貝 ﹂ の 由 来 に つ い て、 安 政 五 年. 祀 の開 始 に つ い て、 さ ら に 詳 し い経 緯 を 知 る こ と が で. (一八 五 八 ) に仙 台 藩 に 届 け 出 た 書 き 上 げ の控 え で あ. き る。 要 約 す ると 以 下 の よう な 内 容 であ る。. で漁 を し て いた と こ ろ 、 大 き な ウ ミ ガ メが 浮 き 上 った 。. (一八 一〇) の夏 であ った 。 儀 兵 衛 は 仲 間 と 御 殿 崎 の沖. 七 ヶ 浜 御 殿 崎 の 沖 合 に ウ ミガ メが 現 れ た のは 文 化 七 年. の 貝 を 拝 見 し た いと 言 い出 し た 。 行 者 は こ の貝 を 見 る. 立 ち 寄 り 、 カ メ が 持 っ てき た 珍 し い目ハの 話 を 聞 き 、 そ. 一五 日 、 常 陸 国 ( 茨 城 県 ) 加 波 山 の行 者 が 旅 の途 中 で. た 。 貝 は 儀 兵 衛 の家 に 置 い て い た と こ ろ、 同 年 七 月. ち は 松 ヶ 浜 の養 松 院 の境 内 に カ メを 埋 葬 し て塚 を 作 っ. 老 人 た ち か ら カ メ は 酒 を 飲 む と 聞 い て いた 儀 兵 衛 た ち. ウ ミ ガ メを 祀 った 人 物 は 儀 兵 衛 と いう 漁 師 であ った 。. は 、 カ メ を つか ま え て船 に積 ん で いた 酒 を 飲 ま せ た 。. こ のカ メ を 祀 れ ば 漁 師 は 繁 盛 す る と 言 った 。 そ こ で儀. 兵 衛 た ち は カ メを 葬 った 塚 の 上 に 瓦 屋 根 の宮 を 作 り 、. と 、 こ れ ぞ ま さ しく ﹁ふ け ず の貝 ﹂ で あ る と 言 い出 し 、. に放 し た。 翌 年 の夏 、 漁 を し て い る と 、 川 子 浜 の 沖 合. ﹁亀 霊 神 社 ﹂ と 称 し て大 切 に 祀 った 。. カ メ は 一升 ば か り 酒 を 飲 ん だ 。 そ し て、 印 を つけ て海. で儀 兵 衛 の船 の 前 に 再 び カ メ が 現 れ た 。 去 年 放 し た カ. [39].
(18) ミ ガ メか ら 貝 を も ら い、 酒 を 飲 ま せ て 沖 に 放 し た と こ. 貝 を 持 っ てき て 死 ん で し ま う 場 面 であ る 。 真 葛 は 、 ウ. 葛 の文 章 と 一部 異 な って いる 個 所 も あ る。 ウ ミ ガ メが. も 必 要 な か った 。 ま た 、 ﹁亀 霊 神 社 不 死 貝 由 来 ﹂ では 真. ウ ミ ガ メ に 思 いを は せ る た め 、 そ う し た 情 報 は 必 ず し. れ る 。 真 葛 の場 合 は 、 貝 を 手 に 取 り な が ら 、 祀 ら れ た. 届 け 出 で あ る た め に、 正 確 な 記 述 を し て いる と 考 え ら. て いな か った 。 ﹁亀 霊 神 社 不 死 貝 由 来 ﹂ の ほう は 藩 への. 時 、 ﹁ふ け ず の 目ハ ﹂ を 見 出 し た旅 人 の出 自 な ど は 記 さ れ. 証 明 さ れ る 。 た だ し 、 真 葛 の文 章 に は 漁 師 の名 前 や 日. 内 容 であ る 。 真 葛 の聞 き 取 り 、 お よ び 記 述 の正 確 さ が. 書 かれ て いること は真葛 の聞き取 りと ほと んど同じ. う 字 を 当 て る こと も あ る よう であ る。. ク﹄ (七 ヶ浜 町 H P に て公 開 ) に よ る と 、 ﹁富 結 ﹂ と い. いる が 、 地 元 で作 成 さ れ た ﹃七 ヶ浜 町 観 光 ガ イ ド ブ ッ. 現在 では、 ﹃ 七 ヶ浜 町 誌 ﹄ で は ﹁浮 穴 ノ貝 ﹂ と 記 さ れ て. を 閲 覧 し た 真 葛 の よ う な 人 物 で あ った 可 能 性 も あ る 。. ﹁ふけ つ﹂ と 読 ま せ る よう に な った の は 、後 年 に こ の貝. 真 葛 の ﹃い そ つ た ひ ﹄ で あ った 。 浮 穴 の 字 を 当 て て. と いう 表 記 は 見 当 た ら な い。 こ の表 記 が 出 て いる のは 、. つ の貝 ﹂、 ﹁不 死 貝 ﹂ な ど と 記 さ れ てお り 、 ﹁浮 穴 の 貝 ﹂. と こ ろ で、 ﹁亀 霊 神 社 不 死 貝 由 来 ﹂ に お い ては ﹁ふけ. と を 確 認 し て おく こと がむ し ろ大 事 であ ると 思 わ れ る。. 考 え ても よ い で あ ろう 。 そ れ 以 外 の内 容 が 一致 す る こ. ろ、 夕 方 に な って カ メ は 死 ん で 打 ち 上 が っ て い た と 書. ん で し ま った と あ る。 こ の程 度 の 違 いは 、 現 在 、 数 十. 放 そ う と し た が 、 弱 って いた た め 、 介 抱 の か い な く 死. の資 料 が 残 さ れ て いて 、 祭 祀 当 時 の詳 細 な 様 子 が 分 か. か ら 貴 重 な の で は な い。 伝 承 、 遺 物 、 文 献 と いう 複 数. 七 ヶ浜 町 の ウ ミガ メ 祭 祀 は 、 江 戸 時 代 の事 例 で あ る. 考察. 年 前 の こと を 聞 き 取 り し て い て も 感 じ る こ と が あ る 。. る た め に き わ め て興 味 深 い事 例 と な って い る。 二 〇 〇. 五. 同 じ 話 者 か ら 同 じ 事 実 を 聞 い ても 、 別 の 日 に 聞 く と 少. 年 も 前 の 出 来 事 であ り な が ら 、 民 俗 学 的 に さ か のぼ っ. いて いる 。 し か し、 ﹁亀 霊 神 社 不 死 貝 由 来 ﹂ に は 、 沖 に. し内 容 が 異 な っ て い る 場 合 も あ る。 そ の程 度 の差 異 と. [40].
(19) 本 章 で は、 七 ヶ浜 町 に お け る祭 祀 の事 例 に つ いて 伝 承. み ら れ る 。 ﹁カ メは 酒 を 好 む ﹂ と いう 言 い伝 え に つ いて. り 、 酒 を 飲 ま せ て 海 に帰 す と いう 習 俗 が 江 戸 時 代 か ら. 漁 民 に と って は 、 ウ ミ ガ メ は 縁 起 物 と いう 認 識 であ. や資 料 を 比 較 す る だ け で な く 、 現 在 の現 地 に お け る ウ. は、 い つご ろか ら 発 生 し 、 ど のよ う に 広 ま って い った. て 研 究 す る こ と が でき る、 稀 有 な 事 例 と な って い る 。. ミ ガ メ の 民 俗 、 さ ら に他 地 域 の 事 例 を 比 較 し な が ら 、. の か に つ い て は いま だ 分 か って いな い。 し か し 、 ﹁亀 霊. お . こ の事 例 か ら 読 み取 れ る こと を 考 察 す る。. 神 社 不 死 貝 由 来 ﹂ に は 古 老 が ﹁亀 与 申 物 者 酒 ヲ呑 候 物. 好 む と いう 言 い伝 え が 伝 わ って いた こ と が 分 か った 。. 宮 城 県 に お い て は、 ウ ミ ガ メは 産 卵 し な い が 、 沿 岸. ウミガ メと酒 に関す る事例 は、東北 以外 からも たら さ. は、 一九 世 紀 初 頭 よ り も 前 の段 階 で 、 ウ ミ ガ メ が 酒 を. メ が 出 現 す る のは 、 江 戸 時 代 、 現 在 と も に夏 が 多 いよ. れ た 知 識 であ り 、 習 俗 であ る と 思 わ れ る 。 七 ヶ 浜 の漁. 之 由 ﹂ を 語 って いた と あ る た め 、 七 ヶ浜 の漁 民 の問 で. う で あ る。 七 ヶ 浜 で は 、 江 戸 時 代 に お いて も 、 現 在 に. 部 を 回 遊 し て い る。 資 料 か ら 、 江 戸 時 代 に お い て も. お い ても 、 ウ ミ ガ メを 捕 獲 し て 食 用 に し よう と いう 発. 民 と 、 他 地 域 の漁 民 と の交 流 が あ った こ と を 示 す 事 例. 七 ヶ 浜 の 漁 民 に 認 識 さ れ て いた こ と が 分 か る。 ウ ミガ. 想 は ほ ぼ な い よ う で あ る 。 た だ し 、 東 北 で ウ ミ ガ メを. と いえ よう 。. 食 用 に し た こ と が あ った と い う 。 し か し な が ら 、 江 戸. の 聞 き 取 り に よ る と 、 昭 和 時 代 に お い ても 、 岩 手 県 で. ウ ミ ガ メ を 食 用 に し よ う と いう 人 が いた 。 ま た 、 筆 者. す と いう も の で あ る。 こ れ に つ い ては 、 産 卵 を し な い. メ が 産 卵 に 上 陸 し た と こ ろを 捕 ま え て飲 ま せ て 海 に帰. 大 き く 分 け て 二 つ ほ ど の 可 能 性 が あ る。 一つ は ウ ミガ. と こ ろ で、 ウ ミ ガ メ に 酒 を 飲 ま せ る 機 会 に つ い ては 、. 食 用 に す る こと が ま った く な か った と いう わ け で は な い。 江 戸 時 代 にも 、 宮 城 県 石 巻 市 網 地 島 で捕 獲 さ れ た. 時 代 以 降 の東 北 で は 、 ウ ミ ガ メ を 食 用 に し よ う と す る. か った ウ ミガ メ を 捕 ま え て 、 酒 を 飲 ま せ て 放 す と いう. 宮 城 県 で は 行 う こと が でき な い。 次 に、 漁 民 の網 に か. ね . こ と は き わ め て ま れ な こ と で あ った 。. [41].
(20) と いう の は 、 現 在 でも 各 地 で 見 ら れ る 習 俗 であ る 。 し. は 放 流 す る 必 要 が あ る 。 そ の 際 に、 酒 を 飲 ま せ て 放 す. 獲 し よ う と す る 地 域 で な い限 り は、 ウ ミ ガ メ に つ い て. の で あ る。 ウ ミ ガ メ が網 に入 った 場 合 、 ウ ミ ガ メ を 捕. ミ ガ メを 捕 ま え て酒 を 飲 ま せ 、 印 を つけ て 放 し て い る. ミ ガ メ に 酒 を 飲 ま せ た も の で は な か った。 わ ざ わ ざ ウ. 七 ヶ 浜 町 の江 戸 時 代 の事 例 に つ いて は 、 網 に 入 った ウ. ガ メ に酒 を 飲 ま せ て いる 。 と こ ろ が 、 今 回 取 り 上 げ た. 七 ヶ 浜 町 に お い ても 、 昭 和 時 代 に は 、 網 に 入 った ウ ミ. も のであ る。 これ に ついては、 全国 各 地 でみ られ る。. と いう 程 度 の感 覚 で ﹁見 印 ﹂ を つけ た よう であ る。. であ り 、 ま た こ の ウ ミ ガ メ に出 会 う か も し れ な いか ら 、. で 熱 心 に大 漁 を 祈 る気 持 ち が あ った わ け で は な さ そ う. う 心意 が見 て取れ る。ただ し、儀兵 衛 たちは、 そこま. 海 の彼 方 へと 自 分 た ち の願 いを 届 け ても ら いた いと い. こと があ った ︹ 藤井. て いた ︹藤 井. し た 習 俗 は 、 昭 和 時 代 に な っても 、 三 陸 一帯 で行 わ れ. 大 漁 祈 願 の文 字 、 な ど を 書 い て放 す 場 合 も あ る 。 こう. でき る 。 ウ ミガ メ の甲 羅 に、 自 分 の船 名 、 神 仏 の名 前 、. 甲 羅 に印 を つけ た と いう 。 こ の習 俗 は 全 国 各 地 で 確 認. ま せ る と いう こと は 、相 当 の手 間 が か か る も の で あ る 。. 習 俗 も 伝 わ って いた 。 加 藤 家 に 伝 わ る カ メ ノ マ ワ シボ. 七 ヶ浜 町 に は 、 こ の ほ か 、 ウ ミガ メと 流 木 に 関 す る. 二 〇 一二 a︺。ウ ミガ メ に対 し て、. 二 〇 〇 一︺。沖 縄 では 、 管 を つけ て放 す. か し 、 海 上 に い る ウ ミ ガ メを わ ざ わ ざ 捕 ま え て 酒 を 飲. 文 化 年 間 の七 ヶ 浜 町 の 漁 民 が 取 った 行 動 か ら は 、 ウ ミ. ウ か ら 推 測 す る と 、 江 戸 時 代 に は こ の知 識 と 習 俗 も 伝. に ま と わ り つ い て いて 、 そ う し た 現象 に出 会 う こ と は. ガ メ に 対 し て漁 を も た ら し ても ら いた いと いう 心 意 が. こ の習 俗 に 関 連 し て 、 ウ ミ ガ メ を 放 す 際 に、 何 ら か. め った に な く 、 出 会 った 場 合 は流 木 を 拾 い上 げ て 祀 る 、. わ ってき て いた と 思 わ れ る 。 こ れ は 、 ウ ミ ガ メ が 流 木. の印 を つけ ると いう 習 俗 が あ る 。 儀 兵 衛 た ち は ウ ミガ. と いう 習 俗 で あ る 。 こ の習 俗 に つ い て は 、 全 国 各 地 に. 強 か った こと がう か がえ る。. メ を 放 す 際 に ﹁見 印 ﹂ を つけ て い る 。 こ れ が ど の よ う. 分布 するが ︹ 藤井. 一九 九 九 ︺、 東 北 各 地 に も ウ ミガ メ. な も の で あ った のか は 分 ら な い が、 伝 承 に よ る と 錠 で. [42].
(21) と いわ れ て い る 。 江 戸 時 代 の事 例 を み る と 、 廻 船 関 係. ご ろ 、 ウ ミ ガ メ が 持 って いた 流 木 を 拾 い上 げ て刻 ん だ. 青 森 県 八 戸 市 の 浮 木 寺 に 祀 ら れ る観 音 は、 一八 世 紀 中. の 流 木 習 俗 が残 って い る ︹川 島. る 儀 兵 衛 た ち の親 し み が う か がえ る。 そ し て、 死 ん で. 酒 を 飲 ま せ た と いう 表 現 か ら も 、 こ の ウ ミ ガ メ に 対 す. て、 ﹁悪 き 亀 ﹂ ( ﹁亀 霊 神 社 不 死 貝 由 来 ﹂) と 思 った が 、. て き た と いう こ と が あ ろう 。 何 度 も 現 れ る カ メ に 対 し. う 事 実 が重 な る こ と で 、 ウ ミ ガ メ に 対 す る 愛 着 が わ い. サ メ ) に噛 ま れ た 傷 が も と で 死 ん で し ま った 、 こ う い. 戸 時 代 に は 、 各 地 か ら ウ ミ ガ メ に関 す る 知 識 や 習 俗 が. よ う に発 生 し た のか 考 え て み た い。 上 記 のよ う に 、 江. る ウ ミガ メを 埋 葬 し て 、 祭 祀 し よ う と す る 習 俗 が ど の. そ れ で は 、 江 戸 時 代 の七 ヶ 浜 町 に お い て、 死 ん で い. る。 そ れ に も ま し て、 愛 着 が わ いた た め に 、 儀 兵 衛 た. ウ ミ ガ メ に 出 会 う こと は さ ら に め った に な い こ と であ. 度 で あ る た め に 、 縁 起 物 と いう 意 識 が 高 ま る。 死 ん だ. 域 で は 、 生 き て いる ウ ミ ガ メ に 出 会 う のも 年 に 一回 程. と ﹁亀 霊 神 社 不 死 貝 由 来 ﹂ に は 書 か れ て い る。 こ の地. 二 〇 〇 四 ︺。 と く に 、. 者 が 拾 い上 げ た も の が多 いよ う に 思 わ れ る 。 廻 船 関 係. し ま った ウ ミ ガ メを 哀 れ に 思 って埋 葬 し て 塚 を 作 った. 伝 わ って いた 。 と こ ろ が 、 ウ ミ ガ メ を 埋 葬 し て 、 祭 祀. ち は 埋 葬 し て塚 を 作 る と いう 行 為 を と っ て いる 。 七 ヶ. . れた 習 俗 と 考 え ても よ さ そう であ る。. 者 と の交 流 の な か で、 上 方 方 面 か ら 七 ヶ浜 に も た ら さ. す る と いう 習 俗 は 、 文 化 年 間 の七 ヶ 浜 町 に は 伝 わ って. 浜 の漁 民 の自 発 的 な 行 動 、 素 朴 な 信 仰 と 考 え ても よ さ. 愛 知 県 知 多 半 島 や 山 口県 長 門 地 方 で は 、 特 定 の埋 葬. いな か った の で は な いか と 思 わ れ る 。 つま り 、 儀 兵 衛. ら も た ら さ れ た 知 識 を も と に行 った と いう よ う に は み. 祭 祀 の事 例 が 周 辺 に影 響 を 与 え て いる こ と が 確 認 でき. そう であ る。. え な い の で あ る 。 儀 兵 衛 た ち が ウ ミ ガ メを 埋 葬 し た の. た ︹藤 井. た ちが ウミガ メを埋葬 した背 景を 考え ると、ど こかか. は 、 ウ ミガ メが 三 年 連 続 で現 れ た と いう こ と 、 最 後 に. 時 代 に い く つか ウ ミ ガ メ の供 養 塔 が 建 立 さ れ て いる 。. 二 〇 〇 五 、二 〇 一二 c︺。 東 北 地 方 でも 江 戸. は 珍 し い目ハ を つけ て き た と いう こ と 、 何 か (お そ ら く. [43].
(22) ﹁亀 霊 神 社 不 死 貝 由 来 ﹂ に よ る と 、 埋 葬 し た ウ ミガ メ. く な り 、自 然 と 忘 れ ら れ て いく と いう 傾 向 が み ら れ る 。. (一七 二 六 )、 岩 手 県 釜 石 市 唐 丹 小 白 浜 の盛 岩 寺 に は 文. を 神 に祀 る と いう こと は 、 儀 兵 衛 た ち の当 初 か ら の意. 東 北 各 地 に 残 さ れ て いる 江 戸 時 代 の ウ ミ ガ メ の供 養 塔. 政 一二年 (一八 二 九 ) に 建 て ら れ た 供 養 塔 が 残 さ れ て. 思 で は な か った こと が 明 ら か で あ る。 伝 承 で は 、 塚 に. 儀 兵 衛 た ち も 、 埋 め た ウ ミ ガ メを 祭 祀 続 け る と いう 意. いる 。 し か し 、 こ れ ら は そ れ ぞ れ 個 別 の理 由 に よ って. 椿 を 植 え た と いう が、 当 初 か ら あ った の か 、 ﹁亀 霊 神. を 見 ても 、 そ れ ら が 相 互 に 影 響 し て い る様 子 は 見 当 た. ウ ミ ガ メ が 葬 ら れ て お り 、 相 互 に影 響 を 与 え た わ け で. 社 ﹂ と し て祀 り 始 め てか ら 植 え た のか は 定 か で は な い。. 識 がど れ ほど あ った か分 ら な い。. は な さ そう であ り 、 七 ヶ 浜 の事 例 に も 影 響 を 与 え て い. と もかく 、ウ ミガ メの祭祀を 開始 した のは、茨 城県 の. ら な い の で あ る 。 宮 城 県 石 巻 市 網 地 島 に は享 保 = 年. るわ け で はな いよう であ る。. 朽 ち て し ま う と 、 祭 祀 を 終 え る と いう 事 例 も 多 い。 無. う 人 た ち も い る 。 墓 標 が 木 の 塔 であ った 場 合 、 そ れ が. り 続 け な け れ ば いけ な いと し て、 む し ろ敬 遠 す る と い. 者 の聞 き 取 り で は 、 埋 葬 し た 上 に何 か 建 てた 場 合 、 祀. け 、 木 を 立 て て お く だ け 、 と いう 程 度 の墓 も 多 い。 筆. だ け と いう も の も あ る が 、 埋 め た 上 に 自 然 石 を 置 く だ. 地 で 現 在 に 至 る ま で し ば し ば 行 わ れ て いる 。 埋 葬 し た. メ が も た ら し た 珍 し い目ハが 宝 物 と な って い った の で. ウ ミ ガ メ が 神 に な っ て ﹁亀 霊 神 社 ﹂ が 成 立 し、 ウ ミガ. 代 の七 ヶ 浜 で も 、 こ の よ う な 宗 教 者 の 介 在 に よ っ て、. 規 模 にな った り す る こ と は し ば し ば み ら れ る。 江 戸 時. 祭 祀 が 、 宗 教 者 に よ る 助 言 に よ っ て開 始 さ れ た り 、 大. 祀 れ ば 漁 業 が 繁 盛 す る と 言 い出 し た 。 各 地 の ウ ミ ガ メ. 死 の貝 ﹂ であ る と 言 い出 し 、 こ の ウ ミガ メ も 神 と し て. こ の行 者 は ウ ミ ガ メ が も た ら し た 貝 に つ い て ﹁不 老 不. 加 波 山 か ら や ってき た 行 者 の助 言 に よ る も の であ った 。. 記 名 の自 然 石 の場 合 な ど は、 石 自 体 は 残 る が 、 埋 葬 し. あ った 。 こ の人 物 が 現 れ るま で は 、 ﹁ふけ つ の目ハ ﹂は珍. 死 ん で いた ウ ミ ガ メ を 埋 葬 す る と いう 話 は 、 全 国 各. た 当 事 者 が い な く な る と 、 埋 葬 当 時 の由 来 も 分 か ら な. [44].
(23) を 背 中 に 載 せ て浜 辺 に 来 た 。 ﹁禮 ﹂ と いう 字 は 一八 画 で. そ の後 、 明 和 五 年 (一七 六 八 )、 ウ ミガ メ が 一八 個 の貝. る ウ ミ ガ メ を 買 い取 って、 酒 を 飲 ま せ て海 に帰 し た 。. 県 の須 崎 市 にあ った 弘 田 家 の先 祖 が 、 い じ め ら れ て い. 田. 一九 七 四︺。 高 知. にも み ら れ た 。 そ れ は 、 以 下 のよ う な 内 容 であ る ︹弘. と こ ろ で 、 珍 し い貝 を も た ら し た ウ ミ ガ メは 高 知 県. そ れ だ け で は、 ウ ミガ メを 神 に祀 る こと や 、 祠 や 供 養. 然 発 生 的 に 各 地 で 行 わ れ てき た と 思 わ れ る。 し か し 、. て、 ウ ミ ガ メが 死 ん で い ると 埋 葬 す る と いう こ と は 自. る と いう 言 い伝 え を 聞 い て い る、 な ど の 理 由 が重 な っ. も のを も た ら す 、 漁 民 に 危 害 を 加 え な い、 縁 起 物 であ. る存 在 で あ る。 そ のう え に 、 定 期 的 に 現 れ る、 珍 し い. 着 し て現 れ る生 き 物 で あ り 、 海 の彼 方 を 思 い起 こ さ せ. 現 実 的 に 、 ウ ミ ガ メ は 南 の 海 か ら珍 し い貝 な ど を 付. て いた 。 先 述 し た よ う な ウ ミ ガ メ が 持 って い る 流 木 を. あ る た め、 カ メ が命 を 救 わ れ た 礼 で持 って き た も の で. 塔 を 建 て る と こ ろ ま で は いか な い。 祭 祀 習 俗 が 発 生 す. し いと いう 意 識 で み ら れ て い た が 、宝 物 では な か った 。. あ る と 、 土 佐 の 学 者 が 言 った と いう 。 そ の後 、 弘 田 家. るため には、宗 教者 や学者 など、知 識人 の介在 がみら. した 認 識 があ る から と 思 わ れ る。. で は 貝 を 大 事 に し て き た 。 こ の場 合 は 、 カ メ の恩 返 し. れ る 。 江 戸 時 代 の七 ヶ 浜 の事 例 は、 漁 民 の 素 朴 な 心 意. 拾 い上 げ る のも 、 海 か ら も た ら さ れ る 宝 物 と いう 共 通. と いう 内 容 であ る 。 貝 を 背 中 に つけ てき た こと 、 そ れ. と 習 俗 を 背 景 に 、 外 部 か ら の知 識 に よ っ て、 ウ ミ ガ メ. し て、 宝 物 の貝 にな った の であ る。. を 知 識 人 が 解 釈 す る こ と で貝 が宝 物 に な って いく こ と 、. 祭 祀 が 開 始 さ れ て いく 契 機 が よ く 分 か る貴 重 な も の で. 子 ど も た ち が 振 って 遊 ん で いた と いう 。 そ れ が 、 一転. に つ い て は 七 ヶ 浜 の事 例 と 共 通 し て い る。 儀 兵 衛 の家. あ った 。. 一九 七 三 、 須 崎 市 史 編 纂 委 員 会. を 訪 れ た 加 波 山 の行 者 が 、 四 四 年 前 の土 佐 の出 来 事 を 知 って いた か ど う か は 分 か ら な い。 し か し 、 海 の 生 き 物 が宝物 を持 っている、とす る伝承 は古く から広 ま っ. [45].
(24) おわ り に 東 日 本 大 震 災 後 、 地 元 の大 学 、 博 物 館 を 中 心 に し て 、 さ ま ざ ま な 文 化 財 レ ス キ ュー が 行 わ れ て い る。 民 俗 資 料 の レ ス キ ュー も も ち ろ ん行 わ れ て い る。 尽 力 さ れ て き た 方 々 に は 頭 が 下 が る 思 い であ る 。 た だ し 、 一般 論 で いえ ば 、 そ の他 の文 化 財 に 比 べ て 、 民 俗 資 料 は 見 落 と さ れ が ち に な って し ま う 。 ま た 、 被 害 を 受 け た 沿 岸 部 は 広 大 で あ り 、 す べ て の地 域 に対 し てき め こ ま か な 対 応 が でき て いる わ け で は な い の も 事 実 であ ろ う 。 被 災 地 か ら 離 れ た 遠 方 の大 学 に で き る こ と は 限 ら れ て い る が 、 せ め て、 震 災 前 に 調 査 さ せ て いた だ いた 成 果 を ま と め て お く こ と が 必 要 であ る と 思 い、 こ の論 文 を ま と め さ せ て い た だ いた 。 こ れ か ら も 、 震 災 前 に聞 き 取 り をした 記録、撮 影し た写真 などを でき るだけ公 表す る こ と で、 不 十 分 で は あ る が、 復 興 へ の さ さ や か な 援 助 と した いと 考 え て いる。. ( 注) て実 施 され た成 城 大学 民俗 学 研究 所 の研 究プ ロジ ェク ト ﹁沿. ( 1) 平成 一〇年 度 (一九九 八 )か ら 一二年 度 (二〇 〇〇 ) にか け. - 柳田国男主導 ﹁ 海村調査﹄. ﹃ 離島 調査 ﹄ の追 跡 調査1 ﹂ にお いて、筆 者 は高知 県 宿毛 市 、. 海 諸 地 域 の文 化 変 化 の研 究. 岩 手 県 普 代 村 お よ び 三 陸 沿 岸 二 九 九 九 年 五 ・八 ・ 九 月、. 二 〇 〇 〇年 七 ∼ 八月 )、東 京 都 八 丈島 を 調 査 し た。 ま た、 平. 成 一六年 度 (二〇 〇 四 ) 、 一七年 度 ( 二 〇 〇五 ) に かけ て実. 施 し た科 学 研 究費 補 助 金若 手 研 究 ( B ) ﹁ウ ミガ メを め ぐ る. 食と 祭 祀 に つ いて の民俗 学的 研究 ﹂ ( 研 究 代表 者 藤 井弘 章 ). ( 二 〇〇 五年 七月 )、青 森 県 下北半 島 (二〇 〇五 年九 月 )を 調. で は、 宮 城 県 七 ヶ 浜 町 (二 〇 〇 五 年 七 月 )、 石 巻 市. 査 した 。国 学院 大 学 日本文 化 研究 所専 任 プ ロジ ェクト ﹁ 沿海. 地域 にお ける祭 祀 と食 文 化 の研究 ﹂ ( 研 究 代表 者 藤 井弘 章 ). に お いて、宮 城県 七 ヶ浜 町を調 査 した (二〇〇 六年 七月)。. で、 加 藤家 のカ メノ マワシ ギ の写 真 を紹 介 し て いる ︹ 藤井. (2 ) 東 日本 大震 災後 に、被 災 地 に思 いを は せな がら まと め た拙 稿. 二 〇 = ︺。. 地方 沿岸 地域 と した 。こ れ によ って、平 成 二四年 ( 二〇 一二). (3 )近畿 大 学民 俗学 研 究所 の平成 二 四年 度 の年 間主 題調 査 は東 北. 三月 、 八月 、 = 月 に青森 県 八 戸市 から 福島 県 いわ き市 の沿. 岸部 を訪 ね 、ウ ミガ メ の民俗 に つ いて追 跡調 査 した 。. で九 二人 の方 が亡 く なり 、松 ヶ浜 地 区だ け でも 一二人 の方 が. (4 ) 七 ヶ浜 町 のH P によ ると 、東 日本 大 震災 では、 七 ヶ浜 町全 体. 亡く な って いる ( 平成 二四年 二月 二七 日現在 )。. 4. 宮 城県 ﹄ を 中心 に、 町. (5 ) ﹃ 七 ヶ浜 町誌 ﹄、七 ヶ浜 町 ホ ー ムペ ージ ( 七 ヶ浜 町観 光 ガイ ド. の概 要を まと め た。. ブ ック)、 ﹃ 角 川 日本 地名 大辞 典. [46].
(25) (マ グ ロ ) を 馬 の 背 に 載 せ て 、 仙 台 の 魚. (6 ) 松 ヶ 浜 の 加 藤 実 氏 の 家 で は 、 明 治 時 代 ま で は 漁 船 を 七 、八 艘 所有 し てお り 、 シビ 町 ま で 売 り に 行 っ て い た と いう 。 (7 ) 小 島 孝 夫 氏 は 、 ﹁ウ ミ ガ メ の 墓 一覧 ﹂ の な か で 、 ﹁宮 城 県 七 ヶ ︹小 島. ︹ 藤井. 二〇 一二 b︺。. し て いる と こ ろ で は、 全 国 で 最古 の ウ ミガ メ供 養 塔 で あ る. (13 ) 江 戸時 代 には 、和 歌 山県 、愛 知県 な ど で、 ウ ミガ メに酒 を 飲. 二〇〇 五な ど︺。. ま せ て放す と いう 習俗 が み られ た こと が確 認 でき る ︹ 藤井. (14 ) カ メが 持 って いた 流木 か ら刻 んだ 観音 を 安置 し た寺 が寛 延 二. 浜 町 鴻 ヶ 崎 養 松 院 ﹂ の ﹁亀 神 社 ﹂ と し て 挙 げ て い る 二 〇 〇 五 ︺。 鴻 ヶ 崎 と は 松 ヶ 浜 の 小 字 で あ る 。 こ こ で は 、. の少 し前 であ ろう ︹ 八戸市 博物 館. 年 (一七 四九) に建 てら れ て いる。 流木 を拾 い上げ た のは そ. 二 〇〇 五. ﹃ 海 の民俗 文化. ﹁漁 村 生 活 の 一考 察 一九 七三. 一九 七 九. ﹁ 角 川 日本 地 名. 千葉県. ﹃ 須崎 市 の昔話 ﹄ 須 崎市 教育 委員 会. 松島湾を中心として. 漁携 習俗 の伝 播 に 関す る. ﹂﹃ 日本 常 民文 化. ﹁漁業 の近代 化と 漁 携儀 礼 の変 容. ﹃ カ ツオ漁 ﹄ 法 政大 学出 版局. ﹁東 北太 平 洋 岸 のウ ミガ メ の民 俗 ﹂ ﹃ 東北民. ﹃ 漁掛 伝承 ﹄ 法 政大 学出 版局. 二〇 = 一 ﹁ ウ ミガ メの自然 誌﹄ 東京 大学 出版 局. 宮城 県﹄ 角 川書 店. 一九 八 八︺。. ﹃七 ヶ 浜 町 誌 ﹄ 掲 載 の 伝 承 と し て 記 し て お り 、 成 立 を 文 化 四. 4. 二〇 〇三. 川島 秀 一 二〇 〇 五. 俗﹄ 三八. 川 島 秀 一 二 〇 〇四. 川 島秀 一 二〇 〇 三. 亀 崎直 樹編. 大辞 典. ﹁角 川 日本 地 名大 辞 典 ﹂ 編纂 委 員 会編. ( 参考 文献 ). 年、 境 内 の整 備 時 に撤 去 、と し て いる。 筆 者 の現 地 調 査 で は、 成 立 は文 化 九 年 で、 祠 は鈴 木 家 に移 設 し て残 って いる、. ︹田 口 ほ か. と いう こ と が 判 明 し た 。 な お 、 田 口 理 恵 氏 の 魚 類 供 養 の 一覧 に お いても 、小 島 氏 の引 用 によ る誤 記が み られ る. (一八 二 五 )。 仙 台 藩 江. ﹃赤 蝦 夷 風 説 考 ﹄ な ど を 著 し た 工 藤 平 助 の 娘 。. (一七 六 三 ) ∼ 文 政 八 年. 二〇 一こ 。 (8 ) 宝 暦 = 二年 戸詰 の医 師 で. 女流 文 学者 、 国学 者。 江 戸生 ま れ。仙 台 に嫁 いでか ら 、松 島 な ど を め ぐ っ た 紀 行 文 も あ ら わ し て い る 。 ﹃い そ つ た ひ ﹄ は そう した 紀行 文 のひと つ。. 紀要﹄ 二. 銚子 市 川 口神社 ウ ミガ メ埋 葬 習俗 を事 例 に. 小 島孝 夫. 小 島孝 夫編. も掲 載 され て いる。. (9 ) 以 下 は 、 ﹃ロハ野 真 葛 集 ﹄ の文 章 を 引 用 し た 。 ﹃七 ヶ 浜 町 誌 ﹄ に. サ メを 釣り 上げ た 。サ メの頭 骨、 釣 り針 、収 納箱 は 現存 し て. 一九 八〇 坂 本正 夫採集. ﹂﹃ 東北 民俗 資料 集﹄ 九. 小玉敏. 実証 的研 究﹄ 明 石書 店. (10 ) 父 親 が サ メ に 殺 さ れ た 息 子 が 、 父 親 の 仇 を 討 つ た め に 巨 大 な. お り 、 町 指 定 文 化 財 に な っ て いる 。 (11 ) ﹁亀 霊 神 社 不 死 貝 由 来 ﹂ の大 き さ は 、 一六 ・七 × 四 四 ・五 ㎝ で あ る。 (12 ) 結 局 は ウ ミ ガ メ を 食 べ ず に 供 養 塔 を 建 て て い る 。 筆 者 が 確 認. [47].
(26) 員会. 七 ヶ浜 町 教 育委 員 会 編. 場. 一九 八 八 一九 六七. ﹃ 漁 業 点 描﹄ 七 ヶ浜町 教 育委 ﹁ 七 ヶ浜 町誌 ﹄ 七 ヶ浜 町 役. ﹁ 須崎 市史 ﹄ 須 崎市 ﹁ 魚 類 の供養 に関す る研. ﹃ 仙 台叢 書﹄ 七 ( 復刻 版) 宝 文 堂. 一九 七四. 七 ヶ浜 町 誌 編纂 委 員 会 編. 一九七 二. 須 崎市史 編纂 委 員会編 鈴木 省 三編 二〇 = ﹃ ロハ 野真 葛 集﹄ 国書 刊 行. 究﹂ ﹁ 東 海大 学海 洋研 究所 研究 報告﹄ 三二. 田 口理 恵 ・関 いず み ・加 藤登 一九 九 四 ﹃ 市 内 神社 仏 閣 秘宝 展 ﹄ 八 戸市 博 物. ﹁押岡 版 ・浦島 太郎 ﹂ ﹁ 須崎 史談 ﹄ 四. 一九 八八. 只 野真 葛 ( 鈴 木よ ね 子校 訂) 会 八 戸市 博 物 館 編 一九 七三 ﹁ウ ミガ メ の墓. 館 弘 田忠男 一九 九 八. ﹁ウ ミ ガ メと 流木 にま つわ る漁 掛 習俗 ﹂ ﹁エ. 和 歌 山 県 内 の事 例 報 告. 藤井弘章 一九 九 九. ﹂﹃ 和歌 山県 立博 物館 研究 紀要﹄ 三 コソ フィア﹄ 四. 藤 井 弘章. ﹂﹁ 成 城大 学民 俗学 研究 所紀 要﹄. 二〇 〇 一 ﹁地 域 差 と 時 代差 か ら みた ウ ミガ メ の民 俗. 五. ﹂ ﹃マリ ン. 江 戸時 代 のウ ミガ メ. 生活 環 境 の変 化 と民 俗﹄. ﹁知多 半 島 のウ ミ ガ メ埋 葬 ・供 養 習俗 ﹂ ﹁ 名. 海 村 ・離島 追 跡調査 か ら. 藤井弘章 二五 四. 二 〇 〇五. ﹁ウ ミガ メ の民俗. 宮 城 県 七 ヶ浜 町 ・﹁亀 霊神 社 ﹂ の成 立. 二〇〇 六. 古 屋 民俗叢 書. 藤 井 弘章. 供養 1. 藤 井弘 章 ター ト ラー﹄ 九. 藤 井弘 章 二 〇 一二 a. 二〇 =. ﹁ウ ミガ メに ま つわ る報 恩 説 話 と 禁 忌 伝. ﹁津波 と 民俗学 ﹂ ﹁ 季 刊東 北学﹄ 二八. 藤井弘章. ﹁民俗. ヒトと ウ ミガ メの関 係史 ﹂亀 崎 直. ﹂﹃ 民俗 文化 ﹄ 二四. ﹁山 口県 のウ ミガ メの民俗. 長 門地 方. ﹃ ウ ミガ メの自然 誌﹄ 東京 大学 出版 局 二〇 一二 c. 二〇 一二. 二〇 一二b. 承﹂ ﹃ 万 葉古 代学 研究 所年 報﹄ 一〇 藤 井弘 章 樹編 藤 井弘 章. 算6 \\ ≦窯名゜ ω 巨o巨α q p ・ げ鋤890 08\. 一九 八 一 ﹃ 御殿 崎 の天妃 神﹄ 御殿 場. の祭 祀 ・供養 習俗 を中 心 に 渡 辺波 光. 七 ヶ浜 町 ホー ムペ ージ. 七 ヶ浜 町 の現地 調査 にお いては、 加藤 実 氏 ( 御殿 場 旅館 )、鈴 木. ( 付記 ). 捨 五 郎 氏 、 鈴 木 義 信 氏 の ほ か、 七 ヶ浜 町 歴 史 資 料 館 の お 世 話 に な った 。感謝 の意を 表し た い。. [48].
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