西ドイツ・ポーランド教科書会議と西ドイツ歴史教科書におけるその意義について--歴史認識を問う
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(2) 近畿大学教育論叢. 第15巻 第1号(2003・7). 国 の 領 土 保 全 の尊 重 と オ ー デ ル 。ナ イ セ線 と東 西 ドイ ツ国境 を 含 む現 存 の 国境 の承 認 、 領 土 要 求 の 放 棄 な どで あ っ た。 モ ス ク ワ条 約 に続 き、 ポ ー ラ ン ドと も、1970年2月. に交 渉 が 開 始 され 、 同 じ年 の 十 二 月 に. プ ラ ン ト首 相 と チ ラ ンキ エ ヴ ィ ッチ首 相 の間 で ワ ル シ ャワ条 約 が調 印 さ れ た。 そ の結 果 、 ポ ッ ダ ム協 定 で 定 め られ た オ ー デ ル ・ナ イ セ線 の国 境 を両 国 が 承 認 し、 国 交 正 常 化 へ と導 か れ た。 こ の よ うな 中 で、 西 ドイ ッ で ナ チ ス時 代 の 負 の 遺 産 を改 善 しよ う とす る積 極 的 な運 動 が 起 こ っ た。 そ して 、 西 ドイ ッ と ポ ー ラ ン ド両 国 ユ ネ ス コ委 員 会 の 聞 に 合 意 が 成 り立 ち、1972年 2月 に第1回 教 科 書 会 議 が 開 か れ た。 会 議 は、 委 員1ユ 名 ず っ で 構 成 され 、 ドイ ツ側 の 議 長 に は国 際 教 科 書 研 究 所 所 長 で 教 科 書 改 善 に多 大 な 努 力 を 惜 しま な か ったG・ エ ッカ ー ト氏 が 、 ポ ー ラ ン ド側 に は ワル シ ャ ワ大学 教 授W・. マル キ ュ ヴ ィ ッチ ュ氏 が 就 任 した。 委 員 に は双 方 と. も、 両 国 に歴 史 に精 通 した学 識 経 験 者 が 選 ば れ た。 第2回. か ら会 議 は 毎 年2回. フラ ウンシュ. ヴ ァイ ク と ワル シ ャ ワ とで交 互 に 開 か れ て い った。 1976年 の 第9回 教 科 書 会 議 の 後 、 両 委 員 会 は、 全26項. 目か らな る 「歴 史 、 地 理 教 科 書 に関. す る勧 告 」 を作 成 した。 こ こで は歴 史 教 育 に 関 す る テ ーマ を取 り扱 って い るの で 歴 史 教 科 書 に 関 す る勧 告 の み見 て い く こ とに す る。 勧 告 は、1項. か ら13項 まで は、 第1次 世 界 大 戦 前 ま で の古 代 、 中世(ル. ネ ッサ ンス)、 近 代. (プ ロ イセ ン)の ポ ー ラ ン ド・ドイ ッの諸 問題 を 扱 って い る。14項 か ら18項 にか けて は、 第1 次 世 界 大 戦 か らヴ ァイ マ ー ル 共 和 国 を扱 って お り、 「ポ ー ラ ン ド民 族 運 動 に よ る独 立 達 成 の 意 義 や ヴ ェ ル サ イ ユ条 約 に基 づ い て 定 め られ た 新 国 境 の 歴 史 的 沿 革 」 が 扱 わ れ て い る。19、20 項 に な る と、 これ まで の項 に比 べ て 、 ナ チ スが ポ ー ラ ン ドで行 った ア ウ シ ュ ビ ッ ツ収 容 所 で の ユ ダ ヤ人 大 虐 殺 とい っ た数 々 の 蛮 行 にっ い て か な りの量 で 詳 細 に 叙 述 さ れ て い る。21項 か ら は戦 後 期 で 、 戦 後 処 理 問 題 を扱 って い る。 この勧 告 の21項. と22項 は勧 告 の 中 で論 議 を呼 ん だ. 項 目な の で 全 体 を 挙 げて 見 る こ と にす る。 ・勧 告21 、 領 土 変 更 第 二 次 世 界 大 戦 後 の ドイ ッ ・ポ ー ラ ン ド国 境 の調 整 は、 戦 争 の結 果 と して の全 般 的 な 領 土 、 国 境 変 更 と関 連 させ て 考 え るべ きで あ る。 モ ス ク ワ、 テ ヘ ラ ン、 ヤ ル タの連 合 国 会議 で は、 ポー ラ ン ドの 西 部 国 境 問 題 が 重 要 な役 割 を 果 た した。 新 しい ポ ー ラ ン ド西 部 領 土 の範 囲 に 関 す る見 解 の 相 違 は、 ポ ッ ダ ム会 談 以 前 に は調 製 され なか った。 しか し、 会 議 以 前 に 国 家主 権 は事 実 上 ポー ラ ン ド当 局 に移 って い っ た。 西 側 連 合 国 は、 ポ ー ラ ン ドの 行 政 は承 認 した が 、 会 議 か ら年 月 が 経 過 して も国 際 法 上. i,.
(3) 『 西 ドイ ッ ・ポーラ ンド教科書会議 と西 ドイッ歴史教科書 におけるその意義 について一歴 史認 識を問 う』 は、 同 国 境 線 を 最 終 的 に承 認 す る こ と はな か った。 しか し、 第13条(ド. イ ッ住 民 の秩. 序 あ る移 転)に 関 す る合 意 と、 駐 独 連 合 国 管 理 理 事 会 に よ る受 け入 れ 案 の 提 示 が1945 年 十 二 月 に同 時 に実 現 す る に伴 い、 連 合 国 は 旧 ドイ ツ領 に対 す る ポ ー ラ ン ドの 支配 は修 正 可 能 な暫 定 的 な状 態 で は あ り得 な い と の判 断 を示 した。 ポ ー ラ ン ドの 国 土 は、1939年 に は、38万9千km2に 約31万2千km2と. な っ た。 旧東 ドイ ッ の領 土 は、1937年. そ の う ちオ ー デル ・ナ イ セ地 域 の約 ユ0万2千km2(更 km2)が. 達 して い た が、 国境 変 更 の結 果、 に約47万km2で. に 自 由都 市. あ っ た が、. ダ ン ツ ィ ヒの約2千. ポ ー ラ ン ド国家 に移 転 した。 ドイ ッ民 主 共 和 国 政 府 は、1950年 の ゲ ル ワ ッ ツ条. 約 で、 オ ーデ ル ・ナ イ セ線 を ポ ッ ダ ム決 議 に基 づ いて ポ ー ラ ン ド共 和 国 との最 終 的 国境 と して 承 認 した。1950年 代 半 ば に到 る ま で冷 戦 の 時 代 に は、 ポ ッ ダ ム決 議 に 関 す る解 釈 の相 違 が先 鋭 化 した。 緊 張 緩 和 政 策 の 開 始 と共 に、 か っ て の連 合 国 側 に、 遂 に は ドイ ツ連 合 国 に お い て、 戦 争 終 結 時 に生 じた領 土 変 更 を尊 重 しよ う とす る態 度 が 生 ま れ た。 ・勧 告22住. 民移動. 第 二 次 世 界 大 戦 終 了 時 の領 土 の 変 更 は、 広 範 囲 にわ た る住 民 の移 動 と結 びっ い て い た。 領 土 変 更 の 目的 は、 可 能 な 限 り、 国 家 と民 族 との 境 界 を 一 致 させ る こ と に な っ た。 民 族 抗 争 の歴 史 的経 験 つ い に先 頃 の ナ チ ス によ る暴 力 的 な住 民 占領 政 策 、 それ が こ の関 係 で 多 大 な役 割 を演 じた。 ポ ッ ダ ム会 談 に従 って ポ ー ラ ン ドに譲 渡 され た オ ー デ ル川 ・ナ イ セ川 以 東 の 旧 ドイ ッ領 に は、1939年 に約850万 人 が 住 ん で い た。 その 約 半 数 と、 更 に ダ ンツ ィ ヒの ドイ ッ人 住 民 お よ び ポ ー ラ ン ドに住 ん で いた ドイ ッ人 の 過 半 数 は、 大 き な損 失 を被 りなが ら、 既 に戦 争 終 結 以 前 に、 オ ー デ ル 川 ・ナ イセ 川 以 西 の ドイ ッ領 に疎 開 さ せ られ るか 、 非 難 す る か して い た。 オ ー デ ル ・ナ イ セ地 域 に残 って いた ドイ ッ人 住 民 の 部 分 は、 ユ945∼1947年. に立 ち退 か され たか 、 あ る い は連 合 国 の 移 転 協 定 の枠 内 で 強 制. 移 住 させ られ た。 そ の後 、 更 に個 別 の移 住 や家 族 合 流 とい う枠 にお い て 、 個 人 的 な 出 国 が1956∼1957年. に な され た。 ドイ ッ人 住 民 が 明 け渡 した地 域 に は、 そ の 間 にそ こ に住. み つ いて い た ポ ー ラ ン ド人 住 民 の定 住 が 、 系 統 的 に行 わ れ た。 ドイ ッ人 の4っ の 占領 地 区 にお いて は、 難 民 や 強 制 的 に移 住 させ られ た人 々 は、 短 期 間 の うち に社 会 に溶 け込 ん だ 。 彼 らは西 ドイ ッ の経 済 復 興 に大 きな役 割 を果 た した。 ドイ ッ連 邦 共 和 国 で は、 こ う した グ ル ー プ は全 て 「故 郷 を追 わ れ た者 」 と い う概 念 に包 括 さ れ た。 自分 た ち の政 党 (BHE=故. 郷 を 追 放 され た 者 お よ び 権 利 を 剥 奪 され た者 の同 盟)を 通 じて、 独 自の政 治. 勢 力 を形 成 しよ う とす る試 み は、 早 く も1957年. 一47一. に失 敗 した。 こ う した グ ル ー プ が、 以.
(4) 近畿大学教育論叢. 第15巻 第1号(2003・7). 前 の連 邦 政 府 に 支 持 され て 、 故 郷 の 対 す る権 利 を 公 言 した以 上 、 彼 らは、 ポ ー ラ ン ドで は 国境 の 修正 主 義 の 守 護 者 とみ な され た 。 しか し、 連 邦 政 府 ・州 政 府 は、 様 々 な方 法 で そ の よ うな グル ー プ を 物 質 的 、 社 会 的 に溶 け込 ます よ う に した。 そ の こ と に よ っ て、 住 民 の 中 で 、 この グル ー プ が い っ まで も社 会 的 不 満 を 抱 く分 子 と な り、 そ こか ら外 交 的 に も危 険 な爆 発 が生 じ る とい う事 態 が 回 避 され た。 彼 ら は久 し く以 前 か ら、 政 治 的 に も ド イ ツ連 邦 共 和 国 の 大政 党 や 社 会組 織 に組 み 込 まれ て い る。 以 上 で戦 後 期 を 中心 と した勧 告 の 内容 を 扱 って きた 。 ドイ ッ ・ポ ー ラ ン ド合 同 歴 史 教 科 書 委 員 会 は、 様 々 な 解 釈 の相 違 点 が 生 じた 前 述 の 「領 土 変 更 」 や 「住 民 移 動 」 の 問 題 につ い て70年 当時 の緊 張 緩 和 政 策 の一 環 と して現 存 の 西 部 国 境 問 題 を 「勧 告 」 と して 取 り ま と め られ た こ と は犬 変 評 価 で き る もの で あ った。 又、 過 去 に 歴 史 的 に歪 み を もつ 面 目の 歩 み よ り に よ って 外 交 的 に も領 土 保 全 の一 歩 を踏 み 出 せ た とい え る。 ち な み に、 当 時 連 合 国 は、 ポ ッ ダ ム協 定 に お い て ポ ー ラ ン ド西 部 国境 を暫 定 的 な もの と位 置 付 けて い た 。 この 問 題 が 国 際 法 に基 づ い た規 定 で 動 き出 す まで 、 オ ー デ ル ・ナ イ セ 川 流 域 を最 終 的 な国 境 と承 認 させ る ま で な ん と45年 の 月 日 が 流 れ て い る。 っ ま り、 米 ソの 冷 戦 の 終 結 や ドイ ッ統 一 の実 現 無 しに は国 際 上 の 「政 治 レベ ル」 解 決 に至 らな か った と分 析 で きる。 両 国 歴 史 委 員 会 の過 去 に対 す る反 省 か ら、 この 「勧 告」 の 作 成 が 両 国 の 歴 史 認 識 及 び歴 史 観 に ま ぎれ もな く共 有 の方 向 へ転 じた こ とは、 これ か らの 史 的 教 育 を 考 慮 す る こ とで 大 きな 一 歩 と い え た。 そ して 、 「勧 告 」 に 対 す る問 題 提 起 ・改 善 点 を付 け加 え る こ とに よ り歴 史 理 解 が 親 密 に深 ま った と い え る の で は な い か。 さて 、 次 章 で は この 「勧 告 」 を め ぐ って繰 り広 げ られ た ドイ ッ各 州議 会 の論 争 を 見 て い き行 政 レベ ルで ど の よ うな反 響 が あ り、 ど の よ うに対 応 した か を 見 て い く。 又、 政 府 レベ ル で の 勧 告 及 び両 国 教 科 書 委 員 会 の活 動 が い か に して承 認 さ れ た の か を念 頭 に 置 い て 見 て い く。. 第 二章. ドイ ツ 各 州 議 会 で の 「勧 告 」 を め ぐ る論 争 と そ の 経 過. ドイ ッ連 邦 共 和 国 で は全 国 で は な く各 州 ごと に教 育 権 が置 か れ て い る た め、 勧 告 を教 科 書 の 作 成 に取 り扱 う のか 否 か は各 州 の与 党 の判 断 に よ る もの で あ った。 そ こで勧 告 は 各 州議 会 の与 野 党 間 で 大 議 論 を呼 ん だ 。 こ こで 「勧 告 」 を受 け入 れ た州 と受 け入 れ な か った州 の対 応 ぶ りに つ いて 見 て い く。 まず 勧 告 に関 して 最 も敏 感 な反 応 を見 せ た の は ヘ ッセ ン州 議 会 で あ った。 この州 の与 党 で あ. 一48一.
(5) 『西 ドイ ッ ・ポ ーラン ド教科書会議 と西 ドイッ歴史教科書 におけるその意義 につ いて一歴史認識 を問 う』 るSPDとFDDに. 対 し、 野 党 のCDUが. 勧 告 を拒 否 す る よ う請 求 し、 批 判 した。 第2次 世 界 大. 戦 直後 に ポ ー ラ ン ドが ドイ ツ人 住 民 の 「暴 力 的 大 量 追 放 」 に対 して、 勧 告22項. を 「住 民 移 動 」. とい う簡単 な 表 現 で 済 ま して い る点 を 強 く批 判 した ので あ る。 あ るCDUの. 議 員 は、 次 の よ う に述 べ て い る。. 「こ の追 放 が 国 境 と民 族 的境 界 線 を一 致 させ る必 要 に基 づ いて い る とい うよ う な ら、 そ れ は 何 とい う侮 辱 で し ょう。 しか し勧 告 はそ の よ うに述 べ て い る の です 。 そ の際350万. 人 の ドイ ッ. 人 が追 放 され る以 前 の 方 が 、 民 族 的 境 界 と国 境 が は るか に よ く一 致 した こ とに は 口 を っ ぐん で い る の で す。」 と こ れ に対 し、 与 党 のSPDは. 、 ソ連 や東 欧諸 国 との 緊 張緩 和 ・平 和 共 存 の た め. に東 方 政 策 は受 け入 れ られ るべ きだ と訴 え 、 勧 告 に お け る 自国 の主 張 を制 止 し、 相 手 側 の主 張 に耳 を傾 け るよ う擁護 した 。 ブ レー メ ン州 で も、SPDとFDDが. 政 権 を 握 って お り、 勧 告 を ブ レー メ ンの文 部 大 臣 は次 の. よ うに評 価 して い る。 「ドイ ツ連 邦 共 和 国 と ポ ー ラ ン ド人 民 共 和 国 の 歴 史 と地 理 の教 科 書 委 員 会 の長 期 に渡 る精 力 的 な協 議 の成 果 で あ る。 そ れ は、 学 問 的 な 議 論 の 位 置 を 示 し、 地 理 ・歴 史 ・公 民 ・政 治 の教 科 書 と教 員 に対 して 、重 要 な方 向性 を 示 して い る。 ドイ ッ ・ポ ー ラ ン ド関 係 の正 常 化 に 向 け て の 道 の りの第 一 歩 と評 価 す る こ と もで き る。 私 は将 来 、 上 記 の 教 科 書 に関 して ドイ ッ ・ポ ー ラ ン ド文 化 協 定 の 精 神 に 合 致 し、 ドイ ッ ・ポ ー ラ ン ド教 科 書 勧 告 に配 慮 して い る教 科 書 だ け に ブ レー メ ンの 学 校 で の使 用 を認 め る っ も りで あ る。」 と。 お も しろ い こ と に、 ニ ー ダー ザ ク セ ン 州 で は、CDUが. 政 権 を 握 って い た に も殉 わ らず 、 教 科 書 作 成 の 際 に勧 告 を受 け入 れ て 、 州 内. の学 校 機 関 に勧 告 を送 って い る。 ハ ン ブル クで も勧 告 は大 学 な どの 各 教 育 機 関 や 教 科 書 委 員 会 の各 委 員 に送 られ た。 そ こで文 部 省 は教 科 書 に対 し適 切 に考 慮 す る よ う支 持 を 促 した。 こ れ ま で は勧 告 を全 面 的 に受 け入 れ た 州 の状 況 で あ っ たが 、 そ れ に 対 し、CDUが. 与党で あ. る シュ レス ヴ ィ ヒ ・ホ ル ツ シ ュ タイ ン州 や ライ ンラ ン ト ・フ ァル ッ州 で は、FDDとSPDが. 勧. 告 を各 学 校 に配 付 し、 教 科 書 作 成 に勧 告 を取 り扱 うよ う に とい う提 案 を したが 拒 否 に終 わ って い る。CSUが. 与 党 のバ イ エ ル ン州 で も又 、 勧 告 を 共 産 主 義 的 だ と見 な し拒 否 して い る。 バ イ エ. ル ン州 、 バ ー デ ン ・ヴ ィ ッテ ンベ ル ク州 、 ザ ー ル ラ ン ドで は州 議 会 で 勧 告 に関 す る討 論 さえ 行 わ れ なか っ た。 以 上 で 各 州 議 会 の勧 告 の対 応 ぶ り又 は反 響 を 見 て きた。 連 邦 レベ ル で の 与 党 のSPDとFDD の 政 権 が勧 告 に対 して 積 極 的、 野 党 のCDU/CSUは で の 論 議 が80年 代 に入 りCDU政. 否 定 的 と言 え る。 この勧 告 に対 す る議 会. 権 の州 で も、 前 述 の ニ ー ダー ザ クセ ンの よ うな 州 を 筆 頭 に勧. 一49一.
(6) 近畿大学教育論叢. 第15巻 第1号(2003・7). 告 に対 し積 極 的 な州 が 出現 し、 続 い て今 ま で勧 告 に対 して完 全 拒 否 して い た バ イ エ ル ン州 も、 勧 告 を 受 け入 れ る動 きが で て き た。 そ の後 、 ドイ ッの 各州 議 会 に お け る様 々 な 激 しい 論 争 に ピ リオ ドが打 た れ 、 国 家 レベ ル に お いて1985年. コ ー ル首 相 と ヴ ァイ ッ ゼ ッ カ ー大 統 領 は勧 告 及. び両 国 教 科 書 委 員 会 の活 動 を承 認 した。 な ぜ こ こま で転 じた の か と言 え ば、 この委 員 会 の 作 成 され た 「勧 告 」 に よ って 連 邦 政 府 、 議 会 、 マ ス メ デ ィア及 び州 の文 部 省 、 そ の 他学 会 、 民 間 の 団 体 な ど世 論 に向 けて 政 治 レベ ル を超 え て学 問 的命 題 を歴 史 認 識 で共 有 す る とい う観 点 に お い て 取 り組 む 姿 勢 が 反 響 にっ なが っ た。 そ して、 これ は ドイ ッ 国民 全 体 の第2次 世 界 大戦 中 に ナ チ スが 犯 した戦 争 責 任 問 題 に対 す る反 省 の念 で あ り、 過 去 に起 こ った史 的事 象 に 直視 して 真 剣 に取 り組 ん で い く姿 勢 を 包 括 的 に意 味 して い た。 今 まで は、 勧 告 を め ぐる ドイ ッ各 州 議 会 の論 争 を見 て きた が、 次 は各 州 の教 科 書 の 内容 を 規 定 して い る指 導 要 領 と歴 史 教 科 書 と を取 り上 げ て 、 「勧 告 」 と実 際 の教 科 書 叙 述 と の相 違 点 に つ い て 戦 後 期 の 中 で 見 て い き、 問 題 を指 摘 して い く。. 第三章. 戦後期の関する勧告の内容 と教科書叙述 との相違点について. 指 導要 領 と は、 各 州 の 学 校 で 教 授 され る概 要 で あ る。 教 科 書 認 可 の際 に も各 州 で規 定 され た 要 領 の な す べ き役 割 は特 に大 き い。 そ して 歴 史 教 育 の場 合 、 各 人 に歴 史 観 を持 た せ る重 要 性 か ら認 識 問 題 も含 め て 教 育 現 場 で は様 々 な尽 力 が な され て い る。 そ こで 、 勧 告21項. の ポー ラン. ド地 域 か らの ドイ ッ人 移 動 問 題 の 指 導 要 領 は ど う取 り扱 って い る のか 見 て い こ う。 各 州 の指 導 要 領 で は この 問題 を ドイ ッ人 の 「追 放 」 と して 解 釈 して い る。 バ イ エ ル ン州 の指 導 要 領 で は、 「こ の移 動 は ソ連 が ポ ー ラ ン ド東 部 を獲 得 した た め 、 ポ ー ラ ン ドはそ の代 償 を西 部 国 境 に求 め た」 と して い る。 又、 旧 ソ連 の ポー ラ ン ドに対 して 行 っ た政 策 を ラ イ ンラ ン ト ・プ フ ァル ッ州 や シ ュ レス ヴ ィ ッ ヒ ・ホ ル シ ュ タイ ン州 の 様 に批 判 した と こ ろ もあ る。 で は、 実 際 の教 科 書 で は この 移動 を ど う叙 述 して い るの か 見 て み る こ と にす る。 「… ソ連 邦 は、 西 側 諸 国 の最 終 的 同 意 を得 る こ と な く、 オ ー デ ル 川 及 び西 ナ イ セ以 東 の ドイ ッ占領 地 域 を ポ ー ラ ン ドに委 譲 した 。 ソ連 邦 は この 地 域 を ほ とん ど完 全 に非 ドイ ッ 化 した。 ほぼ1,100万 人 の ドイ ッ人 が逃 亡 な い し追 放 さ れ た。 お よ そ150万. 人 が 、1944. 年 以 来 の追 放 の過 程 で死 亡 した。(『そ の 時 代 の 人 々 』) こ の叙 述 を見 て も、 ソ連 の政 治 的圧 力 に よ りオ ー デ ル ・ナ イセ の ドイ ッ系 住 民 が 残 酷 に も追 放 さ れ て い っ た の が 分 か る。 勧 告 の 中 で は、 この 追 放 を 単 な る住 民 移 動 程 度 で しか 取 り扱 わ な 一50一.
(7) 『西 ドイ ッ ・ポ ー ラ ン ド教 科 書 会 議 と西 ドイ ッ歴 史教 科 書 に お け る そ の 意 義 に つ い て 一歴 史 認 識 を 問 う』 か っ た 。 そ し て 、 そ の 背 後 に ソ連 が 政 治 的 に 関 わ っ た 点 が 一 切 触 れ ら れ て い な か っ た 。 こ の 勧 告 の 叙 述 に は 納 得 し て い な い ドイ ッ 人 は か な り い る。 追 放 問 題 に 関 す る 第21、22項 導 要 領 ・教 科 書 と3っ. の 勧 告 ・指. の 叙 述 を 比 較 し て も こ の 場 合 、 勧 告 と指 導 要 領 の 見 解 は 全 く相 違 して い. る。 この 問 題 に限 定 され ず 、 こ うい った相 違 点 は改 善 さ れ る よ うな重 大 な テ ー マ で あ る。 戦 後 処 理 問 題 にっ いて もっ と考 慮 され るべ き で あ る。. ∼ お わ り に ∼. 以 上3章. に渡 り西 ドイ ッ ・ポ ー ラ ン ド教 科 書 会 議 を 中心 に そ の西 ドイ ッ歴 史 教 育 お け るそ の. 意 義 にっ い て 考 慮 して き た。 非 常 に珍 しい ケ ー ス なが ら両 国 の歩 み寄 りの状 況 は、 ご理 解 い た だ けた か と思 う。 こ こで 、 この テ ー マ に対 す る私 な りの見 解 及 び疑 問 点 を述 べ て締 め く く り と した い。 歴 史 教 育 に お い て、 自国 中心 的 な 教科 書 の 叙 述 は、 そ の国 の個 人 の歴 史 意 識 の 中 に、 あ る種 の偏 見 を植 え っ け、 誤 った歴 史認 識 を 伴 いか ね な い。 そ して 、 そ う い っ た歴 史 認 識 が 各 人 の ナ シ ョナ リズ ム を高 揚 させ、 集 団 あ るい は国 家 レベ ル に な って くる と国 家 利 益 が 優 先 し、 紛 争 や 戦 争 な ど とい った忌 ま わ しい無 意 味 な残 虐 行 為 に発 展 しか ね な い と い う こ と も事 実 で あ る。 こ の よ うに ナ チ ス が ポ ー ラ ン ドで行 った あ ま り に も短絡 的 犯 行 と い うべ き負 の 遺 産 を 史 的 に持 ち 合 わせ なが ら も、 旧西 ドイ ッ とポ ー ラ ン ドが何 度 も教 科 書 問 題 に真 剣 に取 り組 ん だ こ と は、 そ の よ うな偏 見 を取 り除 き、 両 国 の歴 史 相 互 理 解 に っ な が って 双 方 の 歴 史 認 識 に固 い信 頼 性 の も て る 出来 事 で あ った。 そ の点 で は、 当時 の プ ラ ン ト政 権 の東 方 外 交 政 策 の一 環 と して も成 果 が あ った と いえ た。 で は、 こ の例 を参 考 に して、 日本 は ど うな の か とい う こ とを み る。 日本 も中 国 ・韓 国 との 間 で 補 償 問 題 な ど の戦 争 責 任 問 題 を抱 え て い る。 戦 前 、 日本 軍 が大 陸 で行 った南 京 大 虐殺 な どの 精 神 的 苦 痛 を 伴 う残 忍 行 為 を と って も筆 舌 に しが た い。 中 国 ・韓 国側 は依 然 と して歴 史 教 科 書 叙 述 改 善 を 日本 政 府 に要 求 して い る。 北 朝 鮮 に至 って は今 だ に、 国 交 正 常 化 へ の道 が 閉 ざ され て お り、 政 治 的 閉 塞 で 歴 史 問 題 を議 論 す る よ うな場 さ え な い の も事 実 で あ る。 そ して、 社 会 主 義 にお け る北 朝 鮮 の 政 治 状 況 ・教 育 シス テ ム を比 べ て もか な り対 話 が 困 難 に な る こ とは否 定 で きな い 。 中 国 や 韓 国 と教 科 書 会 議 と い う場 で お 互 い の歴 史 認 識 を ど う位 置 づ け、 過 去 の反 省 を 踏 ま え た うえ で 、 これ か らの 歴 史 教 育 の 展 望 の 面 が 論 議 され て い け ば、 発 展 性 の あ る新 た な局 面 も見 え て くるか も知 れ な い 。 一51一.
(8) 近畿大学教育論叢. 第15巻 第1号(2003・7). 日本 の歴 史 教 科 書 は歴 史事 項 を 暗 記 中心 に 作 成 され が ちで あ る。 確 か に初 、 中 等 教 育 の段 階 に お い て歴 史 事 項 を覚 え て い く こ とで歴 史 に 対 す る面 白 さ、 背 景 が と らえ られ て 単 位 と して認 定 さ れ た。 しか し、 果 た して この社 会教 育 法 が 歴 史 教 育 あ る い は認 識 に意 義 が あ るか ど うか は 疑 問 が 残 って しま う。 っ ま り、 日本 と隣接 の ア ジア 周 辺 諸 国 と教 科 書 作 成 段 階 にお いて 十 分 な 議 論 が な さ れ て こ そ意 味 の あ る教 科 書 作 りが で き る の で は な い か と い う点 で あ る。 一 方 で 、 「国 の 歴 史 教 育 に外 国 が 見 解 を述 べ る こ とで 自国 の歴 史 教 科 書 の叙 述 に 制 限 が 加 わ る の で は な いか 」 と い う自国 擁 護 の批 判 的意 見 もあ り議 論 が分 か れ る と ころ だ。 これ まで に西 ドイ ッ ・ポ ー ラ ン ドを 中心 に、 歴 史 教 育 とい う観 点 か ら個 々 の 人 々 に与 え る教 科 書 の 持 っ 重 要 性 を問 題 し検 証 して き た。 日本 の歴 史 教 育 に は、 た だ た だ歴 史事 項 を 暗 証 す る だ けで な く、 知 識 型 か ら思 考 型 へ と転 ず る必 要 性 が あ る の で は なか ろ うか。 そ して 、 「知 識 型 教 科 書 づ く り」 で は も う遅 い 。21世 紀 に な った 今 、 国 際 協 調 が さ さ や か れ る中 で 、 「国 際 人 と して 歴 史 観 を 共 有 で き る よ う な教 科 書 づ く り」 が 時 代 と共 に作 成 さ れ る べ きで あ る。 そ の た め に は、 様 々 な 見 地 か らの 論 議 が 要 す る し、 歴 史 教 育 に携 わ る者 の重 要 な課 題 で あ る。. 参考文 献 ・近 藤孝 弘 『ドイ ツ現 代 史 と国 際 教 科 書 改 善 一 ポ ス ト国民 国家 の歴 史 意 識 』 名 古 屋 大 学 出 版 会1993年. 。. ・西 川 正 雄(他) 『西 ドイ ッ ・ポ ー ラ ン ド教 科 書 勧 告 と西 ドイ ッ の歴 史 教 育 』 『教 育 』 第449、450、451号1985年. 。. ・藤 沢 法 瑛 『ドイ ッ人 の 歴 史 意 識 一教 科 書 にみ る戦 争 責 任 論 』 亜 紀 書 房1986年. 。. ・成 瀬 治 ・黒 川 康 ・伊 東 孝 之 『ドイ ツ現 代 史 』 山 川 出 版 社1987年. 。. ・望 田 幸 男 ・木 谷 勤(編) 『ドイ ツ近 代 史 』 ミネル ヴ ァ書 房1992年. 。. 一52一.
(9) 剛 .5,.駄.. 『西 ドイ ッ ・ポ ー ラ ン ド教 科 書 会 議 と西 ドイ ッ歴 史 教 科 書 に お ける そ の 意義 に っ い て 一歴 史 認 識 を 問 う』. ・永 井 清 彦 『国 境 を こえ る ドイ ツ』 そ の過 去 ・現 在 ・未 来 講 談 社 現 代 新 書1992年. 。. ・望 田幸 男 『ナ チ ス追 及 』 講 談 社 現 代 新 書1990年. 。. ・五 島 昭 『大 国 ドイ ッの進 路 』 欧 州 の 脅 威 か 統 合 の中 核 中 公 新 書1995年. 。 (平 成15年5月15日. 一53一. 受 理).
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