Bull. Mukogawa Women's Univ. Humanities and Social
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武庫川女子大紀要(人文・社会科学)カブカの『判決』につい
ロシアの友人像をめぐって
水 野 幸 夫
(武庫川女子大学文学部英米文学科)D
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Anglistische Abteilung,
Mukogawa Frauen-Universitat, Nishinomiya 663, Japan
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〈序〉 フランツ・カフカは 1912 年 9 月,短鋳小説『判決~(
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を一夜のうちに一気に言書き上げた.これによ りカフカはし、わば文学的に掬限し,自己に最も適した真にカフカ的といえる文学表現形式を獲得したと言われて いる.まず,作品の梗概を掲げておこう. ある晴れた春の日羅臼の午前,若い商人のゲオルクベンデマン(
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は,ロシアで事業に失 敗して不遇な日々を送っている幼友達に宛てて自分の婚約を知らせる手紙を議いている.しかし,ゲオルグはこ れを脅き終えた時,落ちぶれてしまったこの独身の友人にこのような手紙を送ることは相手を苦しめることにな るだけではなかろうかという疑問に捉われ,ためらったすえ,父親の了解宏得るため,この手紙を持って父親の 部屋を訪ねる.父親は奏に先立たれて大きな心の痛手をうけ,家業の阪でも共伺緩営者である息子のゲオルグに 実権を奪われて,昼間でも暗い部屋の中で佑びしく暮らしている.ゲオノレクが手紙の件を切り出した途端,父親 は突然怒り出し, ロシアの友人の存在を否定してゲオノレクな面食らわせる.父親はその後,自分自身を友人の代 理人と称し,息子の臼頃の倣慢な生活態度について厳しく追及を始める.そして遂に,息子が結局自分のことし6
5
(水野) か考えず父親をないがしろにしたという理由で,父親はゲオノレタに溺死刑を笈告する.突如強者に変身した父親 のあまりの対等に圧倒されたゲオノレグは,会く逆らうことなく唯唯務誇としてこの刑に服し,夢中で部震を飛び 出して橋の欄千から川に身を投げて死ぬ. この作品のテーマは一般に「父親と息子の選藤
J
(Vater -Sohn -Konflikt)と考えられており,この函から多く の解釈が試みられている1) しばしば指摘されるように,この作品には作者の自伝的要素が色濃く反映してい る.郎ち,カフカは内気で弱々しい文学青年であったが,その父親は体格も立派で殊に生活力が極めてi配盛で あった.カフカは父親に常にコンプレッグスを抱き,両者の窓患の疎通はうまくいっていなかった.しかし,だ からといって,このF判決』を単なる父と予とL、う世代間の問題を扱った作品として捉えて毒事足りるわけで、もな い.なぜなら,そのような捉え方においては,ロシアにいる友人の存在は必然的に彩が務くなり,単に父親と怠 子の答藤・確執のきっかけをつくった存在にすぎなくなってしまうからである.そもそも率件(溺死刑)の発端と なったもの(口モチーフ)は手紙(あるいは諮くとL、う行為)であり,とりわけロシアにいる友人の存在であった. 逆にいえば,この友人の存夜こそが,父親と怠子の対立をもたらし,ついには悲劇的な結末(主主人公の死)に惑い たので、ある.確かにカフカの文学的肉眼について語る場合よくぎわれるように,カフカはこの作品を惑いたこと によって,父親と怠子の対立・葛藤というテーマ宏文学的に究明するという課題を見出した.しかし,より正確 にいえば,カフカをして真に文学的に開眼せしめたものは,人間カフカの内部(無窓議溜)における「ロシアの友 人」なる存在の発見とその文学的定着(形象化)であった.父親が息子に死刑を宣告するというショッキングな結 末に殴を奪われて,この作品の内包する問題i
伎を,父親と怠子の断絶と父親による弾劾とL、う側面に限局するこ とは必ずしも適切ではない.r
父と子の闘い・葛藤J
というテ…マの陰に隠れてややもすれば過少評価され勝ちな 「ロシアの友人像J
に強い;焦点をあて,これを浮き彫りにすることによってはじめて,ロシアの友人とテー?との 関わりの深さと緊密さを解明することも可能になるであろう.本格ではしたがって,W
判決』におけるロシアの友 人像に焦点をしぼり,その詳細な考察を通してこの作品の解釈を試みることとしたい.2
くロシプの友人の誕生〉 小説『判決』のt
問主次のようなシーンからその纂が開く.一一一春の盛りの日緩院の午前,若い商人のゲオノレク ・ベンデマンがロシアにいる友人に宛てた手紙を議き終え,それをもてあそびながらゆっくり封をした.彼は机 に肘をついて窓ごしに)11や橋ゃうっすらと緑をおびた対岸の丘を眺めている. カフカの数ある作品の中でこれほど静かで、のどかな牧歌的ともきいうる情景描写で始まる作品が他にあっただ ろうか.作品の冒頭部で主人公が突然、,議虫に変身したり(W変身I
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Die Verwandlung, 1915),あるいはだしぬ けに逮捕されたり(
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Der Prozes, 1925)する,カフカの作品ではよく知られた場面とはじつに対R
質的であ る.読者にいきなりショックを与え,有無を言わせずカフカ独自の文学世界の仁村へ読者を引きずり込んでしま う,カブカの得意とする手法は,これらの作品に先立つ『判決』の中ではまだ見られない.ここでは読者は何の抵 抗感もなく非常にスムーズに作品の役界に入ってゆくことができる.とはし、え,この作品もいわゆるカフカ的な ショック(話の筋の念、転)とは無縁ではなく,最後あたりになって,即ち父親による唐突な溺死刑の宣告の場面に なってそれは現われる. (もっともその前段階として,この作品の後半部,郎ち主人公が父親の部屋を訪ねた場 関あたりから物語が徐々に転回して日常的世界が盗み始め,幻想性をおび出してはいる)• この作品の舞台となっていると怠われるヨーロッパでは,春は一年中で最もうるわしい季節である.厳しい長 い縞い冬からようやく脱して春を迎えた人びとの心は,ひとりでに和む.主人公ゲオノレクも,気候はよいし,休 日で仕事から解放されていたので,ゆったりとした気分で自家の机に向かつてのんびり窓の外を挑めたりしてい るうちに,ふとロシアに暮らしている幼友達に久しぶりに手紙でも書く気になったのだろう.しかし,このよう な泰の日曜日の午前という時調子誇は,ある窓味ではじつに危険な時間帯でもあるのだ.カフカの『変身』における 議虫への変身は主人公が朝,留をさますと照時に生じ, W審判』における逮様も主人公の朝の起床直後に行われ た.この二つの作品に共通していることは,モチーフとなる事件が主人公の稿、神活動がまだ十分活発に行われる 以前に生じているという点、である.W判決』の主人公の場合もこれらのケースほどではないにしても,やはり同じ6
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判決』について ように精神が緊張を欠き,何者かにつけ入られ易い状況下に主人公がおかれていたといえよう.ゲオノレクはまだ 何となく眠たげで放心状態,あるいは注意力の散漫な状態にあった.そこに或る穫の「油断jまたは心の「隙」があ り,その結果,得体の知れないデモーニッシュなものが彼の心内で活動し始めた.作品の冒頭における友人に関 する主人公の長い仁思考」部分は,最初しばらくの間は巳r dachte'" (彼は思った)と L、う形式で叙述されている が,途中から思考の主体のer(彼)が man(ひと)にすり換わる2)(27).これはA. ウzーバーが指摘している ように,怠考そのものが「非個人的な性格l)Jを帯び始めたことを意味している.つまり,語りそ予がゲオルグの怒 考過程に秘かに介入し始めたのである.そしてやがて不定代名詔man(実質的には erであるが)はその正体を現 わし始める.一ーゲオルグの「商売はこの二年間,全く居、いもかけず景気がよく,雇い人は倍にふやさねばなら ず,売り上げは五倍になったJ
(28). 忙しくて仕事に追われている週日には,彼は仕事以外の友人のことなどを 考えている綴がおそらくなかっただろう.したがって,ゲオノレクが商人としての仕事で忙しい時には忘却の淵に 沈潜し抑茂されていた遠い呉国の友人が,休日における主人公の精神の弛緩という一種の隙をついてふいに主人 公の心の中で頭をもたげ,主人公をつき動かしてこれに宛てた「手紙」一ーしかし実質的には,後述するように自 己宛ての手紙一ーを惑かせたのだと解される.ただ,これが遠因となって主人公が毅後に「自殺」に齢、込まれる ことになろうとは,主人公はもちろん, (この作品の最後の部分を除いて全知の諮り手がほとんど設場しないた め)読者もこの時点では知る由もない. ところで,主人公のいわば放心の瞬間に妖怪の如くに姿を現わし,のちには主人公の存在そのものを脅かすに 至る「ロシアの友人」とはいったい何者なのか.まずは作品に郎してそのイメージ合浮き彫りにしておこう.彼は 故国での生活に満足できず,数年前正式にロ、ンアへ移住し,ベテルフツレタで商売を始めた.最初は商売はうまく いっていたが,そのうち振るわなくなり,顔は黄ばみ,病気の気配すら見られるようになった.ベテルフツレタに 住む悶僚とも,そしてまたロシア人ともほとんど何の交渉も持たず,生涯独身生活を続ける決意を周めているよ うである.ゲオノレクはこの男を評して「どう見ても生き方を誤った男J
(Manne[・・・J
,der sich offenbar ver -rannt hatte, (27))と言い,役会的に不適応なために彼の人生を完全な失敗と見なすのである. ここではまず, ロシアおよびベテルブノレタとL、う地名に注目したい.そもそもカフカの作品に具体的な,しか も実在する(あるいはかつて実在した)地名が登場すること自体が珍しいことである.友人の移住先は,なぜロシ アなのか,ベテノレフソレクなのか. ロシアという地名は,例えばカフカの『日記JJ(1914年8月)の中の「カノレダ鉄道 の思い出Jの中に出てくる.I生涯のある時期一一一今となっては何年も前のことだが一一私はロシアの爽地の (im Innern Ruslands)ある小さな鉄道に勤めていた.私はその地にいた時ほど打ち楽てられていた(verlassen)こと はなかった. (中略)私は当時そのような場所主ど求めていた.孤独(Einsamkeit)がひしひしと身に迫れば迫るほ ど,ますます私には好ましく恩われたのJ
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これによるとロシアとL、う表象はカフカにとっては,狐独,荒涼と した寂莫,寄る辺のなさといったものの象徴と考えられていたように思われる.自伝的事実との関連でいえば, カフカは家庭内でよそよそしく暮らしていたので,ロシアはまた「家庭からの離脱の象徴5)Jであったともいえよ う.w
判決』の中の友人がロシアにおいて置かれていた状況はこれらに照応している.一方,ベテノレフツレタはどう だろうか.モスクワの北西600km,フィンランド湾に習したこの都市は, Petersburgという綴字からも切らか なように, Peter der Grose,即ちピョートノレ大滑によって 1703年に造られたが, 200年余りのちの 1914年, 第1次世界大戦が始まり,ロシアがドイツと戦ったためドイツ嵐のブノレクという名称が消され,ベトログラ…ト と改称された.さらに1924年, レーニンが亡くなるとレニングラード(1991年にはサンタトベテノレフツレク)と改 称された.w判決』が警かれたのは1912年であるから,ベテノレプノレクという都市名は当時,風前のともしびで あったことになる.この都の建設当時は苛酷な労働のため何万もの人命が失われた模様で,このためベテノレフツレ タは,ある人の表現を借りれば, I人骨の上に建てられたアンチ・キリストの街,呪われた都で‘あったことも察突 である.呪われ,騒気楼のように(水聖子) ベテノレブ、ノレクという街の性格について,別の文献からも少しばかり引用して見ておくことにしよう.
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ロシア の都市は,広漠とした大地の上に浮かぶ泡のようなものだ.その中でも,ベテノレフツレタは最も人工的で,不自然 で,都市のはかなさを痛切に感じさせる都市である7)J.この文中の「ベテノレブノレクは最も人工的で,不自然jと いう件りに特に注尽したい.先緩からベテノレフツレクと『判決』の中の友人とを二重映しにして見ているわけだが, もしベテルブノレクがこのようであるなら,友人もそれに相似していて不思、議はないことになろう.つまり,ここ に来てこの友人はf判決J
の中で果たして笑芸Eする人物と無条件に見なしてよいのかどうかという疑問がにわかに 浮上する.というのも,ベテノレブノレクが人工的な根なし主主のような都市であったのと同様に,ゲオノレタの友人も じつはいわばで、っちあげられた人物,即ちゲオノレタの心の中にふと泡のように浮かび上がった架空授の人物にすぎ ないのではなかろうかと思われるからである.これを裟づけるかのように,ヨーロッパ(ドイツ)と思われる,物 語の展開される主要な舞台(ゲオノレクやその父毅らの生きていること地)の描写は,現実的.TlP
物的で、8
常のザアリ ティがうかがわれるのに対し,ベテノレブノレクについては地名のみ具象的だが風景描写等は一切なく, リアリティ には乏しい.ちなみに戸シアの文人たちのベテノレフソレク鋭にも興味深いものがある.一一「ゴーゴザの作品にお いて,ベテノレフソレクという街はその突体を喪失し,不気味な夢幻約なイメージに変、よきしてゆく. (中間各)現実と幻 想が奇妙に交錯する夢幻的な街として,ベテノレアソレクはドフトエフスキーの小説に描かれる8)J.これらをふま えて深層心理学的に解釈すれば, ヨ一戸ッパがゲオノレクの意識震とすれば,ベテルフツレクは彼の無意識!欝,抑圧 され忘れ去られていた自白の深層に相当しよう.しかもゲオルグという一個の人間の本質,~突の自己はベテノレ ブノレクにあるといってよい 一方,名前すら与えられない友人の外貌やロシアにおける生活ぶりについての描写はどのようであろうか. 「彼〔ゲオルグ〕は想い起こしてみた. (中盟各)彼〔友人〕は顔中に珍妙なヒゲをはやしていたが, ヒゲの下に隠され た幼なじみの顔は黄ばんでいて,病気の気配がうかがわれたJ(27).r
ベテノレブノレクの友人の姿がまざまざとゲ オノレクのまぶたに浮かんできた.速いロシアで途方にくれている彼が見えた.略奪にあい人けのない庖の彦事にた たずんで、いる彼が見えた.棚の残がし、や踏みにじられた商品,倒れたガス灯の腕木が散乱する中に,彼はぼんや りと立っていたJ
(34). この友人の様子は,言うまでもなくゲオノレクの想像が述べられているにすぎない.われ われ読者はベテノレフソレクにゲオノレタの友人が実在することを当然、の前提として物語を読み進めてきた. しかし, 考えてみるとこの作品の中に友人がゲオノレクと直接出会って言葉を交わす場聞は皆目出てこない.物語の主要部 分には全知の語りそF
は主霊場せず,毒事ら主人公ゲオノレクの線を通して物語の筋が遂ばれてゆく. ロシアの友人は, したがってゲオノレクのパ…スベクティブの中にのみ現われる.このため, ロシアの友人は客観的に存在するとも しないとも,いずれとも断定はできない.ロシアの友人の存夜に関してH
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ポリツアーは「疑いもなく友人は 存在する. (中野告)しかし同時に,この友人はゲオノレクとその父親にとっては象徴(SymboJ)という姿をとってい る円と述べている.象徴でもある以上は,この友人は精神的なもの,抽象的なものを暗示していることになろ う.カフカが例えば中篇『変身jの主人公において,動物(虫)と人間の境界線を駿妹にしていったのと向様に,ロ シアの友人の存在に関しても,これは「作中人物の境界線上への位援づけJ
,もしくは「存在の援隊化jというカフ カ独特の手法の一つのあらわれと見なしてよいであろう.ロシアの友人はなるほど生を事けた一一ーただしそれ はゲオノレクの内部においてであるにすぎない,と一先ず理解しておこう.カフカはF判決』について『日記』 (1913. 2. 11 付)の中で,r
この物語はまるで本物の誕生のように汚物や粘液でおおわれて,私の中から生ま れてきたものである10)Jと述べているが,カフカの胎内に隠っていたものは,むしろ「友人jそのものであったと 奮いかえたほうがより当を得ているだろう.然、り,友人はゲオノレクの分身,もう一人のゲオルグでもあったの だ.カフカの Ws 記~(1913. 7. 1付)の中に次のような記述も見られる.r
無意識の孤独への願望.自分にのみ 相対していること11)J .したがって,友人はゲオノレクの(ということはカフカの)潜在意識の中にある孤独への願 望を形象化したものである.W判決』のテキストの中に,友人の置かれている状況に関して形容詞カフカの『判決
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について の誕生をも意味していた.角度を変えていえば,この符,作家カフカの内部で「文学革命jが生じたのである.言, うまでもなく,ベテノレフツレクはロシア尊命発祥の地であった.カフカが作中人物であるロシアの友人を,ほかの 都市ではなくまさにベテルフツレクに「派遼」したのは,この意味からも偶然とは恕われない. カフカはサラりーマン作家であったが,昼間,勤務しているときのカフカがゲオルグであるとすれば,勤めを 終えてから夜,作品を繋いている(~、わば文学している)カフカが「友人j であるともいえよう.カブカはまた『臼 記~(1913. 8. 21付)の中で,r
私の勤務は私にとっては耐えがたいものだ.なぜなら,それは私の唯一の要求, 私の唯一の使命一一一それは文学であるーーと相反するからである12)J
と述べている.夜(文学)の世界に生きよう とするカフカが,感(勤務)の世界にさたきるカフカを告発し,否定し,葬り去ろうとしている構図は,まさに小説F
判決』の構造とオーバーラップする.というのも,結局のところゲオルグ(勤労者としてのカフカ)は,友人(作 家としてのカフカ)によって(より正確にいえば友人の代理人を自ら名乗る父続によって)自己の安定していた世 界を容赦なく侵蝕され,あげくの巣て溺死刑を主主告されるからである.3
くゲオノレクと父親と友人と〉 ゲオルクの内部に苧まれたロシアの友人は,手紙という形で外化されBの自を見る.カフカは生涯におびただ しい数の手紙芝ど惑いた.手紙議き魔だったといってもよい.手紙を悉くとL、う行為は,特にカフカの場合は「逃 れがたく義務つeけられた自己観察13りの結果うみ出されたもので,結局もう一人の自己自身との対話にほかなら ない.手紙一一それはゲオノレグの,閣の世界に沈潜している赤裸々な真実の自己(=ロシアの友人)を照射する一 条の光のようなものであり,ゲオノレクの意識!習と無窓識!震とをつなぐ掛け橋のようなものでもある.カフカに とって悉くとL、う行為は「怒魔に奉仕することに対する報鱗であり,務いもろもろの力がうごめく領域に下降し, もともとは縛られていた霊たちを解放すること!4)J(傍点,引用者)を意味した.父親が溺死刑を宣告する蔵前に ゲオノレクにむかつて「お前は所詮は悪魔のような人間だったJ
(36)と言っているが,この発言が決して理由のな いことではないことは,このことからも理解できょう.ともあれロシアの友人という愛は解き放たれた.手紙を 議くことによって,忘れ去られようとしていた友人の存在がにわかに浮かび上がり,これが契機となって次第に 父親と息子の対立が表面化してくる.w判決』の智頭部の世界に再びもどることにしよう. ゲオノレグは友人あての手紙をポケットに入れて立ちあがる.手紙に乗り移った友人とゲオノレクはこの時,いわ ば一心肉体の関係になったといってよい.ゲオノレクと友人はこの時点ではいわば袋裂の関係にある.ゲ、オノレクが ポジ(陽画)なら友人はネガ(陰画)であり,光と悶,健燦的と病的,裕福と貧窮,社交的と非社交的,インサイ ダーとアウトサイダー,r
結婚して健全な市民生活を送る者jと「禁欲的な独身者として生きる者」とL、った具合 に,術者は対極に位置する人物同士であるといえる.ゲオノレクのその後の行動を作品に即して追いつつ,さらに 彼と友人と父親との関係の変化を考察しよう.ゲオルグは自分の部屋を出て父親の部屋へゆく.そこにはゲオノレ クはもう何ヶ月も足を踏み入れたことがない.父親とは毎日, J友で顔を合わせてはいるが,家ではほとんど口を きいたことがない.父殺の部屋は昼間でも務格く,その片隅には死んだ婆の形見が童話ってある.父親は食欲もあ まりないらしい.ゲオノレクがその名前をもう全く覚えていない古い新開を父親はベッドに震いている.場面がこ れまでのゲオルクの明るい部屋から父親の陰気な騒い部屋に移りかわった.父親の部震はまるで死人の部屋のよ うである.落ちぶれ,忘れ去られようとしている者の居る空間 それは,しかし父親の部屋のみを指すのでは ない.ゲオノレクの友人の住んでいる都市ベテルフ守ルクもまた大同小異である.なおざりにされ陽の当たらない所 に住む孤独な二人の努,逆境に生き過去を志向する病的とも奮いうる彼ら一一父親像と友人像はこの意味におい てまさしく相{以している. 父親の部屋で、ゲオノレタは手紙の件を切り出す.すると父親はゲオルクの友人の存在をー艮は強く肯定しておき ながら,暫くして「嘘をつくな.お前,ベテノレブノレタに本当に友人がいるのかJ
(32)という.この台認は唐突で 非常に不可解であるが,意味深長でもある.父親によるこの間いは,単に彼自身が言うようにf年をとって忘 れっぽくなったJ(32)から発せられたのではない.そうではなくて,このふういによって,明らかに作品のこれま で安定しているかに見えた世界が突然、揺さぶられたのである.友人の実在という,読者にとっての当然の前提が 突然崩れ始めたので‘ある.即ち,作品における合理的な現実の伎界がふいにずらされ歪められデフォノレメされ 69-(水野) て,幻想的な世界が,あのカフカ独特の謎めいた悪夢的な世界が露見したので、ある.外面的な慈識のtt!:界の中か ら突然,忘れ去られ抑圧されていた内溜的な無意識の世界が頭をもたげ,これ以降次第に後者が前者を俊触して ゆく.時い口シアの森にも駿えられ,時隠さえ歩みを止めてしまったかのように兇える父親の暗い部屋に迷い込 んだ主人公は,この時以降いわば人間の窓識の内部の迷宮へと向かう.つまり,自己の心の深層の探索,本来的 な自我の探究に乗り出すことになる.しかし,その内部の世界の核のような部分には,主人公にとって危険な存 在である友人という名の亡霊が潜んでいる.ともあれ,作品は後半になると個々の細部にわたる描写はりアノレで、 あるにもかかわらず,われわれ読者の合理的な精神を満足させず,論理がはぐらかされ,特に主人公の死に~る プロセスには論理的な必然性が認められなくなる. 父親から友人の存夜を会前的に否定する,意外な全く予知しない言葉を聞いた持,ゲオノレクはし、わば激しいカ ノレチャ…・ショヅクをうけ,自己の存在ーとの危機に見舞われた.友人がゲオノレクにとって何者であるかというこ とを,これまでゲオノレクは自らに深く問うたことはなかった.父親という名の他人(異質なもの)との出会いな契 機にして,ゲオノレクは~応なく自己のアイデンティティの自覚を迫られ,もう一人の自分であり,かつ彼本来の 自我であるロシアの友人の存在証明に全力をあげ,父親に友人の存夜をi思い起さぜるべくカを尽くすことにな る. しかし,父親は「反撃jのそ
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をゆるめようとはしない.ゲオノレクのカノレチャー・ショックは次のシーンにおい て緩荷物こ達する.一一ゲオノレグは父親をベッドに寝かせて毛布をかけてやる.父親は「ちゃんと毛布にくるま れてるかいJ
(34)と繰返してゲオノレクに尋ねる.r
ちゃんとくるまれてまずともJ
(34)とL、う返答に対して,突 然「そんなことはないり(34)と父親は叫ぶ.父親は毛布を力一杯、はねのけ,ベッドの上に仁王立ちになり,怒り をあらわにして「わしをくるみ込もうとしたって,そうはさせんぞJ(34)と言う.われわれ読者は父毅のこの豹 変ぶりに騒然、とし困惑を禁じえない.あの弱々しかった父親,怠子に抱えられてベッドに遼ばれる際,r
息子が 胸につけている時計の鎖で遊んで、いたJ(33)ようなあの子供っlま.くなっていた父親が突然、カ強く立ち上がる.父 親は熱弁をふるってゲオルグを弾劾し始める.その間,ゲオノレクはほとんど口をさしはさめない.対話の主導権 は完全に父親に握られてしまう.それどころかゲオノレクはなるだけ父親から離れて部屋の片隅に立ち,不意打ち を食らうことのないように身構える.両者の立場が逆転したのである.手なずけられていたもの,無視されてい たも同然だったものの反逆r
暗い領域」で過去に執着し,落ちぶれ忘れ去られようとしていた者の覚醒と復縫 い一要するに,弱者と強者の地位の逆転現象がここには見られる. さて,いわば「強者」に変身したのちの父親が,怠子に{匂かつてその友人について述べた言葉を築約してみよ う.r
お前の友人ならわしもよく知っている.わしの心に遜った息子ときってもL市、くらいだJ
(34).r
わしはこ の町であの男[友人〕の代理人(Vertreter)をつとめていたJ
(35).r
わしはお前の友人と臨く手を給んでいた.お 前に関することは何もかもみなわしのこのポケットに収まっているぞJ
(35).r
お吉右は婚約したことを友人に知 らせるべきかどうかときうが,友人はどっこい何もかも知っているぞ. (中略)わしが友人に議き送っていたから だよJ(36).これらの発言内容はいす。れも読者には俄かには信じがたいものである.しかし,この一連の発言を 通じて父親と友人との関係が読者に明らかになったと怒われる.父殺が友人と回く手を結んでいたということ は,父親が友人に深い理解を示し,共感を覚えていたことを意味する.何よりも彼ら二人の境遇とおかれている 環境が似かよっている.部ち,窓を閉めきったままの陪い父親の部屋は,諸矛盾をかかえ解体寸前の世紀末都市 ベテノレフツレタ に似ている.言葉に先立たれ家業の主導権を息子に奪いとられてすっかり老けこんでしまった父綴の 境遇は,遠いベテノレフツレクで事業に失敗し健康がすぐれず生涯独身を続ける腹づもりの友人の境遇と似ている. 父親は怠子ともほとんどコミュニケーションがなく騒い独房のような部慶に打ち捨てられているのに対し,友人 もベテノレフツレクに住む向胞や土地の人ともつながりを持たす途い異郷で途方にくれるばかりである.ゲオノレタ は心の中で友人に対して「君は年を食った子供だJ(27)と言っているが,父殺もゲオノレクの時計の鎖で遊んでい た場聞に象徴されるように,年令を重ねるにつれて子供っlま.くなっていった.このように見てくると,父毅が友 人を突の怠子のように怒い,自らを友人の代理人と名乗カフカの『判決』について 在意識下にある本質的部分に相当する. したがって,ゲ、オノレクが父親に向かつて友人の存在宅ピアピーノレし,友人 のありょう(生きざま)を切らかにすることは,つまるところゲオルク自身が自らの何者であるかを明らかにする ことと同じである.しかるに,自分は果たして何者であるかという,自己発見の非常に重要な願望を表明してい ながら,その自覚が残念ながらゲオノレク本人には無い.官官述した父親の,
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お言iJの友人はわしの心に適った息子 といってもL、L、くらいだJ
(34)という発言の真意、は,友人はじつはお前(口ゲオノレク)の真実の存在なのだ,と遠 回しに述べて,ゲオノレクに対してアイデンティティの自覚を促すことにあったと思われる. しかし,ゲオノレクは ついにそれには気つ。かず,r
自己実現・自己の検証J
に失数した.これはゲオノレクの努とL、うほかあるまい.4
くロシアの友人像…一総括〉 「二つの相反する傾向がカフカの内部でi絞っていたのだ.孤独へのあこがれと,共同体への窓志である16)J これは,カフカの親友であったM. ブロートの言葉である.孤独への懐れの文学的形象こそが,ほかなら ぬロシアの友人であった.友人はゲ‘オルクの内部にある孤独の因子である.ゲ、オノレクの心の最も奥深い所に棲む 異形のものであり,ゲオルクの窓識層をつきぬけて無意識層へと深く沈潜してゆく時にようやく出会う存裂であ る.友人はゲオノレクが白日の内頭にむかつて語りかけた時,言言い換えると自己自身との対話を行った時,その深 部から意識の表面に浮かび上がってきたある種の異質な存在,いわば縛られていた霊である.ゆえに,友人は本 来ゲオノレクの内部から独立して客観的に存在している者とは震い難い.饗えてみれば,友人は一つの影であり, ゲオルグのもう一つ別の自我の姿である.得意の絶頂にあり,いわゆる揚のあたる場所にいるゲオルグの文字ど おり影の部分に,友人は相当すると言言い換えることもできょう.さらに比験的にぎえば,カフカは幼児期より父 親の投げかける巨大な影におびえ,終生そのカに呪縛されていた.この作品におし、てまさに友人のそのような彩 (あるいは霊)が,ゲオノレタの書いた手紙により橋渡しされることによってゲオルクの父親に滋依してそのカと濃 度を増し,影の本体であるゲオノレクに襲いかかり,彼を抹殺しようとする.ゲオルグの無意識}習に潜伏していた 友人は自己宛ての手紙を脅かれることによって「疎外jされた(外イヒされた,あるいはでっちあげられた).友人は ゲオルグの内面の本質的部分が「疎外jされたものであり,その代理人である父親も,ゲオノレタによって通俗的な 意味においてf疎外」されていた(疎んじられ,ないがしろにされていたト「疎外」されたものが疎外したもの(そ れを生み出した者t ゲオノレク)を脅かし滅ぼそうとする.つまり,r
疎外Jされたものの逆襲一一これが父親によ る死刑判決においてその頂点、に達するのである. 友人の疎外されたあり方はまた,カフカのおかれていた状況にも符合する.即ち,カフカはさ当時,家庭の中で 他人よりもよそよそしく暮らしていたし,カフカ自身もその一人であるユダヤ人は,f
自のヨーロッパ民族から疎 外され,迫筈さえ受けていた.故郷を喪失し母なる大地,主主きるための磯濁とした大地をもつことがでをないロ シアの友人は,かくして友人公ゲオノレクの分身であると同時に,また作者の分身で、もある.友人はゲオノレタの自 我の投影または存在の核をなすものであって,否パーセント純粋の「他者J,あるいはー僚の独立した人格という わけではない.友人は確かにゲオノレクの自我の中のネガティブな部分,つまりゲオルグにとって呪いであり議荷 でもあるのだが,これがむしろカフカの脅くという行為に関わる本質的な部分なのである.社会的に不適応で隠 者のように禁欲的な友人のありょうこそ作家カフカにとっての本来のあるべき自己の姿なのである.ロシアの友 人はこの意味において,まさにカフカの文学への綴望を象徴化したもの,書くとL、う行為を体現したものときっ てよい.ただw
エムリッヒも指摘しているように,r
彼[カフカ]自身の議くとL、う行為は彼には常に葬 (Schuld)と思われた17)J
.その負い自のせいであろうか,友人はいわば社会の落伍者となり,共向体からドロッ プアウトして没落してしまった.しかしそれなくしてカフカはカフカたりえないとL、う窓味で,この友人の存 在は襲むと望まないとにかかわらずカフカの根源的な生命に属し,彼の本質約部分をなすものであるといってよ い.ちなみにW. H ケノレは,友人宏「カフカの本来的自我J(Kafkas eigentliches Ich) ,r
カフカの実存 における“純粋自我"J(“reines Ich" in Kafkas Existenz18))と捉えている.ロシアの友人はカフカの,従ってま た作中のゲオノレグの文字通りの意味での「自己疎外J
であり,自我の本質の投影である.人間カフカを根底におい て支えるもの一一それは文学(あるし、は議くこと)にほカミならなかった.その同じ文学が皮肉にもカフカ自身を告 発する.そして特に,実生活において婚約とその解消を数度繰返したカフカの結婚願望にまつわる自己欺隔を毒事 71(水野) き出す.w判決』の世界についてきえばロシアの友人が,いわば自己の生みの親であるゲオノレクを告発し,とりわ け彼の世俗的成功と婚約に象徴されるところの非文学的生き方を糾弾する.経済的に成功を収めて家庭を築くと いうことは,創作するためには必要不可欠な「孤独」への侵害にほかならないからである.とはいえ,カフカはこ の友人の存者Eを普通妥当化しようとする意思は少しも持っていない.むしろ,それに対しては引け自を感じてい ると言ってもよい.カフカは突の父親のようなバイタリティーがあり生活力の旺盛な人総になりたいと秘かに 頼ってもいた.それを綴いつつも無意識のうちに,カフカは孤独に心を
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まかれてゆく.一一魂の安住所・遊難所 はそこにしかないと考えるかのように. "t書くとL、う行為なとおして自分を掘り下げていった持,ゲオノレクは図ら ずももう一人の自分合発見し,これを父親の勢力閣外であるロ、ンアへ緊急避難させた.ロシアの友人という名の 魂(霊)はこの時ゲオノレタの肉体から離脱した.言言い換えると,ゲオノレタの身体から,友人という名の影の剥離が 行われた.その結巣,肉体は父親の死刑宣告によって抹殺されても,主砲や影のみは主主きのびる, 1!f,生きのびさ せたいと,ゲオノレクは考えたので‘あろう.しかしそのようなことは果たして可能だろうか.ロシアの友人の不 幸な呪われた運命はその答えを暗示して余りある. ともあれ,カフカは,そしてまたゲオノレクも共肉体の中では安住し難く, ロシアの友人の生き方・ありょうを 心の奥底で綴っていたと考えられる.むろん,作品の中でゲオノレクはそのような願認をおくびにも出さない.と いうのは,体験話法などをとおして時折テキストの行間に顔を出す全知の語り手はともかくとしても,肝心の主 人公ゲオノレク自身がそのことに気づいていなし、からである. しかし,溺死刑の判決を聞いた時,ゲオノレクは突然 その事に気づき何ら隊隊ーすることなく,まるでこの刑を待っていたかのように唯唯諾諾としてこれに従い,橋の 鶴子からJlI
面に身を翻した.ゲオノレクが従順にこのJflJ
に服したのはなぜか.それは,彼が世俗的な成功を収めて 婚約したことに対して罪の意識を抱いていたから,あるいは父親を無視ないし蔑ろにしたことに関して自交の念 に駆られ自分自身に絶獲したからでもあろうが,むしろ社会の底辺で全き孤独に生きる覚悟を決めたロシアにい る友人に同化することによってアイデンティティを回復したいとの潜在的な願望,つまり本来的自己への回帰願 望を抱いていたからだと解すべきであろう.かくして,小説『判決』は翠寛,主人公ゲオノレクのレーゾン・デ…ト ノレ(存在理由)をめぐる命懸けの内閣の葛藤刻であったと震えよう.注
1) Binder, Hartmut, Kafka -Kommentar zu samtlichen Erzahlungen. Munchen, S. 123(1975)
2) Kafka, Franz, Samtliche Erzahlungen, hrsg. v. Raabe, P., Frankfurt a. M., S.27(1970)=テキ スト.以下,本文中の引用個所等の米濃の内数字は同議のページ数を示す.
3) Weber, Albrecht, u. a., Interpretationen zu Franz Kafka. Munchen, S. 25 (3. Aufl. 1972) 4) Kafka, Franz, Tagebucher 1910-1923, hrsg.v. Brod, M., Frankfurt a. M., S.302(1967) 5) Neumann, Gerhard, Franz Kafka.