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-雑
報
茨城廓下に於ける津浪の調査
水戸測候所
一、本牒土木課にて行はる L 那珂川河口に近き祝町下の川岸に 於ける自記検潮儀記象に依る。 三 日 三 時 八 八 刀 頃O
米二税減水したる後O
米三六の浪一同あり 四時五分より五時十分の聞に著しきもの三同あり、六時頃よ り再び著しく友り七時三十五分に最高O
米七五を現はし以後 十時五十分より漸弐弱まりたりしが二十時前後約三時間に亙 り精著しきものありたり。 著しきもの十同の平均 高さ O 米四二 週期十六分五 時刻七時三十五分 高さ O 米七五 週期十分 O 最 両 二、向上柏上流友る字小川にあるものに依る(時間は直しから ざるもの L 如 し 。 ﹀ 二日三時四十分より水位精上昇したる後O
米 一 ↑ 八 程 減 水 し 四 時十分にO
米三の浪一同あり其後五時前後に亙り著しきもの 三岡あり、又六時より十時迄著しきもの十三同あり漸弐弱まり たりしが再び十九時より二十一時三十分迄和著し υ 著しき浪十六回り平均 最 高さ O 米二四 週期十四分。 時刻七時五十七分 合 同 さ O 米三四 週期十二分 両 三、多賀郡大津町役場よりの報告地震北津浪の被害たし ο 四、多賀郡干潟町役場よりの報告地震の被害なし、津浪主格 ずる程度のものに非ざるも午前六時三十分に汐六尺強引きて後 犬 潮 ・ と な る 被 害 た し 。 命本勝沿岸には被害なきもの L 如 し 。設光現象報告
筑波山測候所 コ一月三日二時三十二分の地震に見たる光。 一、見た場所 見 た 人 見 た 時 見た方向 光 の 形 光 の 色 筑波町大字筑波東山 石井富次郎(筑波山測候所小使) 震動中(最大動直後) 東 南 東 と 岡 山 ふ 不明(パツバツと光り、電光より速い﹀ 不 明 三五五光 っ た 同 数 二 同 備 考 此 の 人 は地震に枇ぬいて直ちに起きて居たが 、 其 内 グ ラ / ¥ と 大きく来たので驚いて表 へ 飛 び出したが其 の 瞬間 に 前記の光りを 見た、形や色 は 明 瞭に 見る問がな か った方向 は 戸 口 の 位置や駈け 出し て 立 ち 止 ったと 云ふ場所 から考へで も東南東で あると思ふ。 二、見 た場所 筑波町ケ l プ ル カ 1 宮脇停車場 見 た 人 J 小 池武男 (宮脇牒助役) 見 た 時 震 動 中 見 た 方 向 南 ( 東京方面) 光 の 形 市 山 光 の様に明瞭 で は な い 、 そ ζ に雲が あ ったら し く、其の後ろでパツパツパツと三岡光ったロ 光 の 色 淡 青 色 光 っ た 回 数 三 同 備考地震に枇ぬいて直ちに表へ飛び出したが、閥東大震災の事を忠 ひ 出 し 、先 づ東京方 面 を 見 た東京の屯燈の 光 りは平 常 の 如 く 見 へ て居た、北(の時層積一的誌の後ろで前記の様に光ったのだと忠ふ。ハ高 山 四郎) 紳奈川懸下地震 被 害 報 告 紳 奈 川 懸 測 候 所 昭和 八 年三月三日の三陸沖強震により横潰市中直大岡川陀架 せる吉間橋 ( 伊 勢 佐 木町と 尾 上川 LC の連絡橋 ) 橋 脚及橋欄は添 附せるお真 A B の如き 損傷を受けたり。 B は橋閥の損傷最大た る筒所 ( C 岡 b) の 沼 田 県 に て 石 枠 の 前 方にのめり出でたり。 金鑓 としての同橋 損傷の程度は C 聞の如 ( む 望 り よ 西 北 ) 害 被 の 脚 々 橋 田 吉 (A) 一 五 六 し 即 ち 大 積 ' と し て 同 橋は北二十度末
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方 向 に震害を被り 、 其 の 方向は大略震源に向ふ同橋は﹁かねの橋﹂・とも呼ばれ明治二年 十一月竣工せる本邦 最初の銭橋にて大正十二年の大震災 にて大破 せしを 修繕を加へたるものなり。 因に本所にての最大振幅は三四粍五なり ω 附近の諸橋梁は検 せ し に 、 羽 川 衣 、 盟圏 、 蓬莱港の四橋は阿元に小損を被りたり 。 るめのへ前欄の側問北害被の糊々橋田吉 (B) 国取見所箇損破橋田吉 (0)
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姥子三月三日午前二時三十二分地震と同時に戸外を見れば 東方の空(営地姥子温泉揚より)に営り頻に光る稲妻の如き閃 光を認む‘直に戸外に出で内方を見廻したるも光は東の窓丈け なあった。北伊豆烈一震山口同時現れたるものは赤味掛りたる光にて 光度の鑓化頻りなるも最後迄全く治ゆる事無かりしに、今見た る光は電気のスパークの如く青白くピカリf
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と頻りに断績し 恰も稲妻ω
如し G 命北伊豆地震蛍時現れたるものと、共通知は 光度の強弱に従ひ地震心震動に縫化を及ぼしたる事なり。印ち 強く光りて約山、五秒の後震動は強くなり、光り方弱くなれば 震動は弱くたる,(北伊豆地震営地は約一、二秒後に震動の愛化 を見たり。)二時二十四分殊に強く光り、績いて直ちに一、二同 弱く、マ夕、ィて沿ゆ心地震後に強く成り弐に弱ぐなりて止 む 。 箱根町 地震に付束の方向にピカツしに見えました。もんでびでお丸よりの海震報告
大阪商船株式曾祉 洋上に於て地震飴波を感じたる件 本舶は昭和八年二月十四日北米ロスアンゼルス港を出帆して横演に向ふ航海の途中同年三月三日午前三時間十分(営時本船 時計は東経百五十四度四十五分に於ける真時を使用し居たり) 推測位置北緯四十度三十五分東経百五十一度二十七分に於て突 然強激危る推進機の言。山口拘の如き震動を約四分間機績して感 じたり。営時の気象及び海上の朕態は左の如し。 同 │ 方 二│且│風 四│力 二
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方 西 四 胎躍は柏従勤し居たりしも震動を w m ぜし直前営時の波浪£明 らかに直別し件らる L 階級四在る﹁ウネリ﹂を西方より受けた り。依って直に無線電信を以て銚子無線電信局に照合同したる所 関東地方に於ては約三分間強烈なる地震を感じたる報知あり後 報によりて東北地方の震災を知れり。以上御参考までに御報告 申 上 候 也 。本吉郡唐桑村瀧演に打ち上げられたる
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唐桑村小皐校中井分校 本吉郡唐桑村申井瀧演は東海に面した荒演だが共庭に打ち上 げられたE
岩は高さ問、尺経六尺もある豆石である。重さ一千貰 以上もある主恩はれ表面は白色にして海底の深所に生えた海草 が附着してゐる。設に飴り人に知れない流犬家屋が二ケ所あれ 前後に並んた家の高さは海面から二丈位の上である一戸は魚粕 等を製する製造場もあり共の後に三尺位高く一戸あった c 共に 一物も止め下唯製遁場の井戸のコンクリートが残って居り上の 家は後の小高い便所が浅されてある。 津浪の夜逃げ残った前の家(千葉大士口氏、家族十二人﹀は浪 に迫ひっかれつ L 上の山に遺るに膝まで水にひたりながら逃げ たりださうだ。後の小山徳右街門氏(家族七名)の家では徳右 衛門氏が出漁して留守なので女ばかりと子供が早く逃げたので 命は助かった。 此 の 附 近 に は 未 だ 北 ハ の 岩 の 様 ・ 申 告 石 が 打 ち 上 げ ら れ て ゐ る が 如 何に自然の暴力の大きかったかど知られると共に、海岸の人の 心ずべきと主である。(口給潟員第七十六闘参照倫同第甲山県及本原 稿は本吉郡気仙沼町石川務員館主の厚意に依り図富技師宛撮影 送附されたものである。)海震に閲する報告
平安丸船長金子文左衛門氏報告 本船今復航晩香披護横演向航行中昭和八年三月三日午前二時 三五九三十一分より同三十六分(日本中央標準時)に至る約五分間左 の地黙に於て激甚たる海震を感知せり。 北緯四十一度五十分、東経百四十九度三十分、 営初恰も機開会速後退せし時の如き震動をせしが瞬時 にして上下動甚しく羅針儀矯めに躍出せざるや主思は しめ就眠中の船内一同寝床を蹴って室外に飛び出だせ 位 置 丹 犬 況 し程度なりき U 天 候 曇 風 向 西 風 力 気 温 零 下 三 度 水 温 一 度 直ちに機関廻轄数、塗水、操舵機を賭放せしも何等異欣を認 めや依って海震 ξ 断じ、海岸局銚子を経て気象憂に通告せりト
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ト 気 摩 二 九 、 九 四設光現象に関する報告
ム、大森直新井宿四丁目一二六問窪田瀬士口氏より本牽宛書簡に 依れば弐の如し c 昨夜の地震に私家族一一同戸外に飛出しましたが最大震幅を感 やる主同時に北西(寧ろ北よりに)の定より電光一閃致しま した御参考迄御知ら中設します、普通はピカ/¥ーと瞬き・ます が咋夜のはピカツル﹂一光りしたのみのやうでした先も先年函 根拙方大地震(北伊豆烈震)の時は西南方の室にピカ/¥と 三 六 O 致したのを見ました U 二、茨城勝平磯町電気試験所平磯出張所中井友三氏より本塁藤 原技師宛に寄せられた書簡によれば弐の如し。 今岡の三陸の地震に於て護光現象を相認め申候間御報告申上 候 。 一、後光現象後見営時の経緯地震を感下ると同時に起床暫 し様子を伺ひ居り候ひしも縫結時間長くして格息の様子も見 えざる故に寓一の場合の逃出しの準備'として雨戸(南向き)を 一枚開けて暫し外を見て居る内に南方の空に愛光を認め候 ν 一、欝光の時刻及光の縫積時間←へ鰻の見営で最初に地震の 身飽に感じ-初めてから約三、四分の時刻。光は始んど瞬間的。 南方、暗夜のとと L て封照物無き魚精確ω
と左不明なれども大健の見営で距離約十米の庚場を隔て L 存 在する一千家の屋根の少し上位の比較的低き昼間に後見。 形は一つの線より成る国弧 b 色はアークの色に 一、方向及高度 一、形及色 近 い 様 、 な 淡 青 線 色 ι 恰 も 虹 欣 で 、 唯 色 が 草 色 で あ る ん ﹂ 一 五 ふ 貼 が虹・と遼ふ、国弧の宇径は大胆胞の見営で普通の虹の牛径主同 等か。線の幅は虹の七色の線全障の幅よりも細い様に感じた 線は相営はっきりした線。光度は弱い方。倫首夜は晴天、星光を諸所に認めた。 前述の通りにして此の光が電力線電燈線の切断等に依り生ず る火花、或はア l クに依るものに非ぎるととは光の形よりして 容易に想像し得られるとん﹂にして、又営地は水戸に侯へ共共の 光を認めた方向には斯かる電力線電燈線は無之候(但し営家よ り南へ数丁先迄は電燈線有一之候﹀以上は小生の住家(水戸市上 市備前町)に於ての記事に候同日平磯の役所に出勤しまして此 の話を致し申候庭平磯でも同時刻頃南方に光を認めたと云ふ者 一名有之候但し此の平機に於ける光はサーチライト般の光だっ た左申候但し此の平磯の方の話は確信を以て御紹介出来不申 候 。