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フランス革命と植民地主義

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(1)Title. フランス革命と植民地主義. Author(s). 浜, 忠雄. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 43(1): 49-62. Issue Date. 1992-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4519. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部B) 第43巻 第1号 lofHokkaido Universi Jouma &iucat ty of1 ion( Sec i l 43 I t onI B) Vo ‐ . ,No. 平成4年7月 l Ju y ,1992. フランス革命と植民地主義 浜. ま. 忠. え. お. 雄. き. この小論は, 拙稿 「『原則よりも植 民地が滅んだほう がよい』 というアポストロフについて」 (北海道教育 大学史学会 『史流』 , 第17号, 1976年) に補強と部分的な修正を施して改稿した ものである. このような形で再考を試みる こととした主たる理由は, 前稿において利用できな かっ た史料を新たに入手しえたことや, とりわけ 「フランス革命20 0年」 を機に進展を見た内 外の研究によっ て, より豊富な論証が可能となり, また, 部分的には修正を要する箇所が出て きたことにある. だが, 改稿にあたっ て, 基本的な構成も論 旨も変えていない .. は じめ に 「原則 よ り も 植 民 地 が 滅 ん だほ う が よ い (Per i loni inc ipe) ま た は ssentlesco esplut6tq小皿ーpr 」. 「植民地よりも原則 である」 (P1ut6tlesprincipesquelescoloni ) と い う 言 葉 は, フ ラ ン ス 革 命 es 期の植民地問題や黒 人奴隷制の廃止論争を扱っ た研究書では, 多少の差はあれ必ずといってよいほ ど言及ないし引用される有名 な言葉 である. ここではまず, 後論への手がかりとして, その代表的な引用例のひとつ ヴィ クトル・シュ ルシ , 1 842年) の一節を挙げておこう. ェールの 『奴隷制と植民』 ( 「奴隷制は それが有益であろうとなかろうと 根絶しなければならない 自由の原則はあ ら , , . ゆる面から考えて正当 であるのだから, それは至上か つ絶対でなければならない それ故 我々 , . は人道の精神を放棄するくらいなら砂稀唐なしで済ませるのをよしとするのであり 我々は かの , , 有名 な言葉を, そのまったき意味において受け入れ, 我々もまた, 厳かに官言するのである EP . ち,『原 則 よ り も 植 民 地 が 滅 ん だ ほ う がよ い』(Pきri 1 )」 inc ipe ssentl )と{ escoloniesplut6tqぜ1皿 pr .. シュ ルシェールは,フランスにおいて1 83 0年頃から高揚をみた黒人奴隷制廃止運動の中心人物の ひとりであっ て, 二月革命臨時政府の植民省次官として,1 848年4月 27 日の廃止宣言の起草にあた ( 2 } た 人 物 で あ る シ ル シ ー ル は っ ュ ェ . , 自 ら の 廃 止 論 の 思想的原点を「原則よりも植 民地が滅んだほ う がよい」 という言葉で代弁さ せているのだが, そうすることによっ て彼は ナポレオンが棚上げ , にしてしまっ た1 7 94年2月 4 日の廃止宣言の精神を, いわば歴史的・思想的遺産としてフランス国 3 ) 民に想起させようとしているのである( . だが, 既にフランス革命期のジャ ーナリストであるシャ ルパンティ エ・コシニーが書いているよ うに, この言葉は「頻々引用さ れ, 異論を挟まれ きわめて多様な意味に解釈されてきた( 4 ) , 」のであ る.. 49.

(3) . 浜. 忠 雄. 3日のロベ ス ピエール演説に発端を求め 革命当時から存在した最も有力な理解は, 1791年5月1 9世紀中葉に革 命期の議事録 が新たに編纂・公刊されるに及ん るものである. だが, この理解も, 1 ssent 3日のロベ スピエール演説には,〈Peri 791年5月1 で, 疑問視されるようになる.というのは,1. loni i i es〉 と い う セ ン esco ipe〉 あ る い は 〈P1ut6ti i nc espr lut6tqdl皿 Pr loni pesquel l nc esp esco. テンスは完全かつ明示的には存在せず, 似てはいるものの別の表現になっていること が判明したか ら で あ る. こ の 点 を 最 初 に 指 摘 し た の は, 『ロ ベ ス ピエ ー ル 伝』 (1866 年) の 著 者 E・ア メ ル で あ る. 5 ( ) しか し, ア メ ル が, そ の こ と か ら 直 ち に「こ の 言 葉 を ロ ベ ス ピエ ー ル に 帰 す の は 誤 り で あ る 」と 断. 定したのには問題がある. なぜなら, この言葉をひ とつのア ポストロフ (縮約・頓呼) と考えるな らば, ロベスピエール演説にこの言葉 が完全な形で存在せずとも, 内容的に解釈して, これをロベ スピエールのものとするこ とも, あながち不可能とは言えないからである. このよう な点まで立ち 入っ た本格的な研究は未だ存在しない. 筆者の知る限りで従来の研究を 整理すれば, 以下のふたつに大別すること が可能である. そのひ とつは,「かかる公式は正確 なテクストからもロベ スピエー ルの 思想からも 離れている. 根拠のない. 7 ) 「 6 ) 典 型 的 な デ ッ チ あ げ で あ る( 」 (シ 引 証 で あ る{ 」 (ジ ヨ ル ジ ュ・ア ル ディ) , ある いは 反動側 による 「 ベ リ ル・ラ イ オ ネ ル・ロ バ ー ト・ジ ェ ー ム ズ) と す る 理 解 で あ り, い ま ひ と つ は, ロ ス ピエ ー ル は,. 少なくとも一定の状 況の下では, 植民地が滅びることのほうが, 諸原理を犠 牲にして植民地を保持 「 8 ) す る よ り も 好 ま し い こ と だ と 考 え て い た( 」 (マ ル セ ル・ガ ロ オ), あ る い は こ の ア ポ ス ト ロ フ を 使. うとロベ スピエ ールの思想を歪曲することになると 非難するのは当たらない. ロベ スピエールは, 『植民地か原則か』 とするモロ・ド・サン=メリや バ ルナー ヴに対して, 『植民地よりも原則である』 9 ) ) と 回 答 した の で あ る( loni inc ipes quel es (Piut6tl esco 」 (ジ ャ ン ・ サ ン ト ワ ヤ ン) と い う espr. 逆の見方である.. ipe〉 の 言 葉 を, 1791 inc i escoloniesplut6tqぜ 皿Lpr ssentl こ の よ う に相 対 立 す る 見 方 だ が, 〈Per. 年5月13日のロ ベスピエール演説に起源を求め,そのロベ スピエール演説のアポストロフと見なす 点 では一致している. 従って問題は, 第1に, このア ポストロフはロベ スピエール演説の真意を正 しく伝えて いるかどうか, 第2に, フランス革命を全体としてみたときに, 植民地問題に関する基 本理念をこのアポストロフに置き換えることが妥当かどうかにある. i tles r s s en 以下の小論は, 問題のロベ スピエ ール演説の 内容的検討からはじめて, その演説 が〈Pe i i 〉 に置き換えられていく経緯を, 入手し得た 史料の限りで検討する r nc colonies i ut6t qぜun p pe p. ことによっ て, 筆者なりの回答を得ることを目的としている. 問題は余りに微細である かに見える. だが, 革命の原則は何ものにも換え難いものである から, そのようなフ ランス革命の大義のためには, たとえ植民地を失うことがあってもやむを得 ないの含 意であり, ひいては, そこから 「植民地の放棄J あるいは 「反植民地主義」 を表現したもの とも受 け取られかねないこのア ポストロフが, ロベスピエールの思想やフランス革命の理念を 表現する標 語として相応しいか否かは, まことに重大 な違いであり, フランス革命と植民地主義との 関係如何 を問う鍵と なるであろう. けだし, エメ・セゼールが書いているように, ロベ スピエー ルの演説に よっ て 「植民地問題が, そしてまたフ ランス革命そのものの問題 が, その幅と次元において初めて 1 0 ) 正しく措定さ れた{ 」 ということができるからである. )王. i i i s S et almoteS par s o“ 1 sのま β 8Z C〆◇“Z ( ) Sch慌lcher ctor 1 , Te×teScho ,1842 , Par , Esc如りα8 , Vi. ion i g s 2cα禽B S 2 S F粥7 i B S Coわ7 l Tersen s ;ld ,ReProduct e ,1842 ,Par . .102‐103 ,DB ,Pp ,1948 ,Par ,Emi. 50.

(4) . フランス革命と植民地主義 ’ del edi i t i on de1842 s ,Par ・384一385 ,1976 ,PP - さ しあ た S ( 2 ) l り, ai le 湾 &ねαた庇γ 口804 nvi 防 ヱ89砂, Par i げ - 79; s ‐ , Lさonard , ‐63 , 1950 , pp Mar in G t 圧声 〆 t Z を 云 腹 d a s o n ゐ を め Z “ Z 立 “懲e α”s s の “8 i s 膚口7 2“ s搭,Par , s , ‐280f ‐を 参 ,1948 ,pp . . ( ) フランス革命における黒人奴隷制 の廃止論争については 拙稿 「フランス革命の植民地問題 - 3 , 『歴史学研究』 第419号 1 黒人奴隷制の廃止をめ ぐる論争 -」 ( 「 5年) , , 97 , 同 フランス革命にお 『 ける黒人奴隷制 廃止論争.再 考 [ 1 ]」 ( 史流』 99 2年. [ 2 ] は第33号, 19 93年に掲 , 第32号, 1 載予定) を参照されたい. ( ) 4. Ch紅pent ier‐Coss ig1 肌 s ly,Joseph‐Francoi Z eγ搭加“粥Z O“ , oyg“s d姿m認め川筋“ ez d op鱒禽 ,P〆. α“ go”“の例の昭雄れZ 8z のば 初め飼お“お d 2 Z Z Z e s のめ7 Z 2 8 2gBS PD s o” 粥雌ね7 7 s 2のり z毎”β s Q“g ,aco ,α翌““彦s ’ ご 彰 e c D伽粥e“ 郷 霧じ 〆 i β如Z於 α加 のめ〃Z 290f 筆 者 未 見 の た め 8s Par s 1 An X1 t 1. , . , , . , ‐ ,pp . , ”Maximi Br電lat R b i l i J e z m d d i K l o e s e r r e n e i p u n e oonal eme” n: 脇 伽Zm 筋e” 尺oる probl , , ‐ ,i ヱZ94 l eゆ彰γ彩, ZZ58- ter Markov) B l i 1 9 5 8 S S 1 5 3一1 5 4 よ e に r n る ‐von Wa ,(Hrsg , , , . . ( 5 ) Hz揺nel i eγ〆 β 1 ) s ,Eり 揺蒔わかぽ ばβ R必 然pi ‐1 ‐439 note( , Par ,1866 ,t ,p . ( 6 ) Hardy, Georges,“Robespierre etla question noire”, Aれ72α‘es R彦リメのめ”7 2の名鶴 川,1920 ‐ ,p 360 同 l d 8 旨は 錆 猛禽 d 卿 め Z 勿 F i e g の 〃s窮め7 2 m7 1 9 2 8 1 1 6 2‘α禽e に も s ‐ 見 え る , . , p , Par ‐ ,4 ed ‐ , , . ’ e““粥 α”d 劫 s ( ) James I Lione 7 i I Robe賞, 7 T脳 β如cた ス僻 め 勿s , Cyr g α 7 z ‐ Zo雄班 幼云 L ○”〃 DomiれgO RのoZ 『 i ZZ o” . , New York,2nded .76 (青 木 芳 夫 監 訳 ブ ラ ッ ク ・ ジ ャ コ バ ン - ,1963 ,p ト ゥ サ ン= ル ヴ ェ ルチ ュ ー ル と ハ イ チ 革 命 -』 大 村 書 店 1991 年 416 頁) , , , .. ( 8 ) Garaud, Marcel 勿 勿αZ 8 dz メメ Z ZP力” おり“釦Z oi“ ge リ i s dg ヱZ89 ダヱ804 Par s , 猛禽Z ‐ ,1953 ,p. 44 . ( ) Sa 9 intoyant S瞬か“ ルα“鍵 盤 戊 露如“Z 如 尺ぼり〆のめ“ Par i s ,jean ,Lα のめ“Z , .1 ,1930 .318 ‐ ,t ,p ( l ) Cるsa o i A i さ の ZL L n 尺 re ≧ 勿 m の o雄 s “ Z Z “鑑 O 泌 〆 β 7 2ルロ7 2 αs i eβZを pmろ嫁伽8 のめ”畝 Par , , ‐ α 〃◇ s , 1961 ‐ ,p‐110. 1. ロベス ピエール演説の真意 1791年5月1 3日のロベ スピエール演説とは どのようなもの であっ たのか その真意を 可能な限 , り正確に把握するために, 以下に, 『ロベスピエー ル著作集』 に収録さ れた6つの史料を示す① . 《Gaze o t te Nat ional l teur Uni e oul e Moni verse .360》 ,n 135 ,p. 「国民と植 民地にとっ ての最高の利益は 諸君が自由であり 続けること , , そして諸君が諸君自. ら の 手 で 自 由 の 諸 基 礎 を 覆 さ な い こ と に あ る 植 民 地 は 滅 ん だ ほ う が よ い (Per i ssent l es .. l i ) co on e s , [激しい不満の声]もし諸君が植民地のため に諸君の幸福, 諸君の栄光, 諸君の自由を 犠牲にしなければならぬのなら! (gi ldoi t vous en coQter votre bom]eur votre gloire votre l i ber tさ! ) . もう一度言おう. ,. ,. i tles colonies), も し コ ロ ン r s s en . 植民地は滅んだほうがよい (Pe たちが我々を威嚇 して彼らの利益にもっ とも合致する ことを立法するよう強 い る の な ら ! ( il s es. l colonsvement ). ,Par es menaces ,nousforceradきcretercequiconvientleplusaleurintきretl. 私は, 自由たることを欲する全国民の名 において モヌロン氏の如き 代理人を攻撃しなか た植 , っ 民地代議員の犠牲とはならぬことを宣言する もう一度言おう 我々は彼らのために国民も植民 . . 地も, およそユ マニテも犠牲にしないことを宵言する 私の結論は次のとおりだ 他の方針なら . . , どんな方針でもよい. モロ (・ ド・サン=メリ) 氏の修正案よりも (連合) 委員会の案の ほう が 51.

(5) . 浜. 忠 雄. よい. しかし, その案を採用するとしても私がたっ た今説明してきた甚だしい不都合を免れ得な いから, 私は, 国民議会が有色自由人は能動市民としての諸権利を享受する権利を有する旨の 宣 言をなすよう 要求する. 更に私は, 委員会提案の 条項を先決事 項とするよう要求する.」 ILogographique ldes Etats Ganきra 《journa ‐483》 L 1x oujouma . XXV,p ,t. 「諸君の植民地を保持することは 大きな利益である. しかし, その利 益はそれ自体諸君の 憲法 に依存して いる. 国民と植民地その 自身にとっての最高の利益は, 諸君が諸君の 自由を保持する こと, そして諸君 が諸君自らの手でこれらの自由の諸基礎を覆えさぬことにある. だから!植民 ssent 地は滅んだほうがよ い, もし, これらを 代価として植民地を保持しようとするのなら (Peri. ix). [不 満 の 声, そ う だ, そ う だ, 喝 采] し か り, も ivousl loni l esconservezacepr es esco ,s. し諸君の植民地を失うか, 諸君の幸福, 諸君の栄光, 諸君の自由を失うか, そのいずれかでなけ ればならぬというのである ならば, もう一度言うことであろう, 諸君の植民地は滅んだほうがよ lie l i erdre votre bor山eur loi t lfal , votre , votre gor om,ぎi いと ( ,ou perdre vos co on es, ou p. l i ) [喝 采] そ れ 故, 私 は 次 の よ う に 結 論 す る. 有 色 i ber l i tさ ,jerきpきteros:penssentvoscoones.. 市民にでは なく, 植民地にではなく, フランスの国全体にもたらしかねない, この上ない不幸は, 国民議会が, モロ氏より提出された有害なる修正案を採用することにあると. 他の提案は, いか なるものであれ, それよりもま しである.」. luse no121 《Cou寵i erde Dきpa六ementde vauc .483》 ,p ,. 「我々 が我々の植民地を保持するこ とは王国にとっ て 一大利益である. しかし, 目下緊急の利 益は, 我々が我々の 原則と我々の幸福を保ち続けることにある‐ だから!植民地は滅んだほう が よ い, も し, 植 民地のため に我々の 栄光, 我々の自 由 を犠 牲 に しな けれ ばなら ないの なら! bert壱! ) も し, コ ロ ン i loi f rel i i loi reetnot l lfa tleursacr reg ernot loni i (Per es ssentnos Co ,ざi. たちが法律の制定に固執するのなら, 私は, 憲法の転覆を 欲しない者の名において, 彼らのため に大き な犠牲を払うよう なことをしないことを, 宣言する.」 《Mercurede France ,p‐222》 ,21 mai1791. 「彼 (ロベ スピエール一著者) は, コロンの擁護者たちが憲 法を攻撃しようという裏切り 的な 『 意図を隠し持っ ていることに嫌疑をか けて, 議会において慎重に発言した. 諸君は権利の富言を 引き合いに だす. そして奴 隷制を是認してきた.』奴隷制度が統御しえないものになっ ているとい う恐れから, 彼は次のように結んだ.『植民地のために我々の原則, 我々の自由, 我々の幸福を犠 l ssent nos colonies ぎi 牲にしな ければならぬの なら, 我が植民地は滅んだほうがよい !』 (pari )」 r山eurl i ber t壱 iPes rebo i i f i rel fa l lo i nc tl er nos Pr eursacr ,not ,not 1 《Le Poi ntdu1our ,173》 , XXI ,p ,t. 「彼(ロベ ス ピエール -- 筆者)は次のように述べた‐彼らは諸君の憲 法の原則を 侵害するだ けで なく,諸君の不名誉を是認するが如き言葉 を記載するよう 無理強いしている.むしろ植民地が滅ん だほうがよ い,もし,植民地を残しておくことが,我々の自由に対する悔辱と,我々の憲法の転覆をも l di t i l eSterquepardes lut6tnoscolonies ssentp たらすだけだと した ら(Pari ,s e esne o ven nousr ・. ber i tる i erenversement de notre constitution).」 t sa notrel outragesfa ,parl 4》 《じAmi sdu Roi(Royou) ‐ ,p , が361 「ロ ベスピエ ール氏は, こう 叫んだ. 諸君の崇高 なる憲法を いささかでも傷付 けるくらいなら, i t la mo d ndre i t vos colonies r en s s 諸君の植民地は滅んだほう がよい ( pe , plut6t que e por er ion).」 i i t tut t n]econs resubl atteinte avo i es escoloni ssentl 史料 に よ っ て 精 粗 の 差 が甚 だ し い が, こ こ で は, ひ と ま ず, どの 史 料 に も〈Per 52.

(6) . フランス革命と植民地主義 ’ i ipe〉 の 文 が 完 全 か つ 明 示 的 に は 存 在 し な い こ と を 確 認 す る に と どめ て お こ う nc un pr plut6tqu .. 「その型 印刷 固有名詞及び事項別の索引 各会議の分析 最後に, 19世紀末に編集さ れ, 今日,, , , , において, ならぶも ののない研究資料」 とされ, 最も信頼に価する議事録 と して活用さ れている 《Arch i lementa i ves Par res》 に よ っ て ロ ベ ス ピエ ー ル演 説 を 示 す. 《Archives Par l i res》 ementa. 「諸君の植民地を保持することは大きな利益である しかし その利益はその自身 諸君の憲 , . , 法に依存している. 国民と植民地そ れ自身の至上の利益は, 諸君が諸君の自由を保持し その自 , 由の諸基礎 を諸君自らの手で覆えさぬことにある もし諸君がそれらを犠牲にして植民地を保持 . しよ う と す る な ら, 諸 君 の 植 民 地 は 滅 ん だ ほ う が よ い (per i loni ssent vos co es , si vous les ix). [野 次 ・ 喝 采} ……しかり もし 諸君の植民地を失うか それとも植民 conservezacepr. , , , 地のために諸君の幸福 ・栄光・自由を犠牲 にするか, そのい ,ずれか でなければならぬという こと なら, もう一度言おう, 諸君の植民地は滅んだほうがよい! (gi lai lfal tou perdrevoscolonies. , if i ou leur sacr ibert己 je le rきPきte er votre bol山eur re : Per 1 ssent vos , votre gloi , votre l. l i ) co on e s! . [喝采]もし, コロンが我々を威嚇して彼らの利益にもっ とも合致することを立法す るよう強いるのなら, [野次.喝采] ……私は, 国民議会の名において 憲法を覆すことを欲しな , い国民議会成員 の名において, 自由たることを欲する全国民の名において モヌロン氏のごとき , 代理人を攻撃しなかっ た植民地代議員の犠牲とならぬことを宣言する 私は宣言する 我々は . , , 国民も植民地も, およそユマニテも, 彼らの犠牲 にはしないであろう ことを それ故 私は次の . , ように結論する. 有色市民に ではなく, 植民地にではなく, フランスの国全体にもたらしかねな い, この上ない不幸は, 国民議会が, モロ・ ド・サン=メリ氏が提出 した有害なる修正 案を採用 す る こ と に ある と‐ お よ そ 他 の 提 案 は, い か な る も の で あ れ そ れ よ り ま し で あ る し か し 他 , , .. の提案を採用するにしても, 私がこれまで説明してきた不都合を免 れ得ないから 私は 国民議 , , 会が有色自由 人は能動市民たる諸権利 を享受する権利を有する旨の宣言をなすよう 要求する , . 2 }」 更に私は, 委員会提案の条項を先決事項とするよう要求する( . 《Archivespar l i ementa res》 の編纂の際になされた史料操作は, 端的に言っ て, 《Moni teur》 を 主史料 と し, 《Journal des Etats G6nera・ I Logographi 1x ou jou 1na que》 を 補 助 史 料 と して 用 い て, 相対的に記述の長い方を取り出し, かなり 機械的に繋 ぎ合わせたものであることが分かる .. 《Archi l i teur》 及び 《journal des Etats Gきnきraux ou JoumaI ves Par ementa res》 , 《Moni Logograph ique》 で は い ず れ も 2 回, そ の 他 の 議 事 録 で は 1 回 出 て く る 〈Per i loni ssentl esco es〉. の箇所は, ロベ スピエール演説の全体, 更には, この演説がなされた論争のコンテクストを十分 に 念頭に置いて検討されな ければならない. のに詳述したの で繰り返さないが 概略は以 論争の背景 である1791年5月の論争については別稿( , 下 の と お り で あ る‐. 国民議会は, 目下, 「連合委員 会」が上呈して いた植民地有色人の身分に関する決議案をめ ぐ て っ 議論している. 決議案は, 植民地有色 人の身分についての決定には植 民地とくに植民地議会 (白人 のみで構成される) の意向を尊重し, 国民議会が発議することはないこと ただし 混血児と解放 , , 黒人からなるいわゆる 「有色自由人」 の参政権については早急に何らかの決定をすべく 特別委員 , 会を設置することを内容としていた。 この提案に対してモロ・ ド・サン=メリは 決議案第1条中 ,. の 「人の 身 分」 ( きtat ) の 表 現 が 暖 昧 だ と し て, こ れ を 「奴 隷 の 身 分」 ( s des personnes きtat s des. l )へと修正するよう要求した. ロベスピエール演説にある「モロ氏より提出さ れた有害なる e sc ave s 修 正 案」 と は, こ れ を 指 して い る 同 じ条 文 に つ い て サ ン = メ リ の ほ か に も リ ュ カ が 「不 自 由 人 . , 53.

(7) . 浜. 忠 雄. bres i ) へ の 修 正 を, ル ゥ ベ ル が 「自 由 人 を 父 母 と す る 者 を 除 きtats des persormes non l の 身 分」 ( き ta t sdes persolmes non libres, autres qui ne sont nees de peres et meres く不自由 人の身分 (. 」 l i br )への修正を提案した. ロベスピエ ール演説中の「他の提案」はこれらの修正案を指して いる. e s サン=メリ提案の 意図は, 黒人奴隷制存続論の立場から国民議会に法令上字義的にこ れを確認させ 「 ることにあっ た。 そしてその根底には, もし植民地に 人権宣言」 の原理を適用するなら植民地が 「 植民地たる本来の目的を失い, フランスにとっ て打撃は絶大である, 従っ て, 植民地の富・貿易を 放棄するか, 植民地には権利の宣言が適用されないのだということを明確に表明するか」 そのいず れかであり, 採るべきは後者であるという 認識があっ た. ロベ スピエ ール演説は, 直接には, かか るサン=メリの主張に対する批判としてなされたものである. 以上のよう な脈絡を念頭に置いて, ロベ スピエール演説を読み返すことにしよう‐ 「原則よりも植民地が滅んだほう がよい」 という言葉からは, ロベ スピエールもまたサン=メリ 「 と同様に 「植民地か原則か」 の二者択一論に立ち, しかし, サン=メリとは逆に 原則」 の擁護を 主張したかのよう な理解を生みかねないし, 実際, ガロオ やサントワヤンの場合は, そのような理 解に立っ ていることは先に触れたとお りである. その点では, 英語文献で一般的に採用されている. 4 日本 語に直せ ば i i e〉 の 翻 訳 も 誤 解 を 招 く 表 現 で あ る() nc i 〈Per pl . shthecoloniesratherthanapr 「原則よりも植民地を滅ぼせ」 となるこの英訳は明らかに誤 訳である. この英文を 逆に フ ラ ン ス語 「 inci i pe〉 と な る で あ ろ う が, 原 文 は 命 escoloniesplut6tqぜun pr ssezl に翻訳 し直 す な ら, 〈Per. 「 令法」 ではなく, 一般に期待や 願望あるいは諦観を表現するときに用いられる 接続法現在」 で書. loni en e Ko か れ て い る の で あ る. ち な み に, ジ ャ ン・ブ リ ュ ア が与 え た ドイ ツ 語 訳, 〈M6geneherdi 5 } 原文 に忠 実 である iner wュ l tmdsatze〉 は( serer Gr verderben a se . ,. ロベ スピエールは, 単純に 「植民地は滅んだほう がよい」 と言っ ているのでは ない. その後には 「植民地のために我々の原則, 我々の自由, 我々の幸福を犠牲にしな ければならぬというの なら」 あるいは 「もし植民地を残しておくことが, 我々の自由に対 する悔辱と, 我々の憲法の転覆をもた らすだ けだとしたら」 など, 史料によっ て表現は異なるものの, 必ず限定条件が付さ れているのを i ioteFranca s》 に 無視してはならないであろう. その意味で, ブリッ ソ・ド・ワル ヴィ ルが 《Patr 書いた 「注意」 は, まっ たく正当であり, 重要である. o i iote Franca 《Pat s r .637》 ,p ,n 644 l i ) なる文が相も変わらず幾度 「我々 は 『植 民 地 は 滅 ん だ ほ う が よ い』 (Per i e s esco on ssentl ,. となく繰 り返されて いることについては, 途徹もない悪意が隠されていることに注意すべきであ る. ロ ベ ス ピエー ル氏は 『我々の 憲法の 原則 が覆さ れるよ り も植 民地 が滅ん だほう がよ い』 i ionsoi trenverse) と 言 っ た t tut inc ipe denot recons lut6tquel loni epr i (Per es ssentlesco ,p. 6 )」 (傍点は筆者) のだ. 彼の言葉を途中で切っ てはならない( . ロベ スピエ ールがサン=メリ流の二者択一論に立っ ているのでないことを示すもうひとつの証 左 と して, 《joumaldes Etats Gさnara馴:oujoumaILogol耳aphique》 中の一節を再 度引用しておき たい. -- 「もし諸君の植民地を失う か, 諸君の幸福, 諸君の栄 光, 諸君の自由を失うか, そのい ずれかでな ければならぬというのであるなら ば, もう 一度言うことであろう, 諸君の植民地は滅ん re lfalloit,ou perdrevoscolonies,ou perdrevotre bol山eur,votregloi ,Votre だほう がよ い と (ぎi. 「 ).」 従 属 節 は 半 過 去, 主 節 は 条 件 法 現 在 で あ り, 事 i es ssentvoscoloni l i ber l t己jerepetero s:per. 7 } 換言すれば, 「植民地を失うか」 「幸福・栄光・自由を失う 実に反する仮定に基づく推論」 である( . か」 という比較考 量そのもの がロベ スピエールのロジッ クではないのである. ロベ スピエールは根本的に植民地主義を否定しているの だろうか. 演説の前段を見る限りはそう. 54.

(8) . フフンス革命と植民地主義. 読めなくもない. しかし, 後段に見える 「我々は, 国民も植 民地も およそユマニテも彼らの犠牲 , に し な い」 に 注 目 し な け れ ば な ら な い ・こ こ に ロ ベ ス ピエ ー ル の 主 張 の眼目がある 彼は あく ‐ , 。 , までも 「人権宣言」 と 「植民地」 の両立を主張しているのであり 決して植民地主義そのものに反 , 対しているのでも, まして 「植民地の放棄」 を唱導しているのでもない 彼が論難しているのは . , 「植民地か人権宣言か という二者択一論 にた て 「人権宣言 の放棄を迫るサン 」 =メリ流の論法 っ 」 であり, 植民地をもっ ぱら自らの利害にそっ て利用しようとするコロンたちの態度なのである . 筆者のこのような理解 を補強する意味 で, 詰家の見解を2・3引用してお こう -- 「(ロベスピ . エールの演説は) ,『原則よりも植 民地が滅んだほうがよい』という言葉 で連想されるよりもはるかに 8 } 「 温和 で現実主義的である( 」 (ガ ブリエル・ドゥ ビアン) , ロベ スピエールは, 奴隷制の反対論者だ 9 ) っ た が, こ こ で は た だ, サ ン = メ リ 提 案 に 賛 成 投 票 し な か っ た だ けの こ と で あ る{ 」 (ジ ャ ン・マ ル. 「 タン) , ロ ベ ス ピエールは, コロン達の反革 命的エ ゴイ ズムから植民地を救おう とした に過 ぎな 0 ( 1 ) 「 い 」 (アンリ.プレ) , 彼は植民地には賛成だっ た. 反対だっ たのは, 人道的規範を顧みず特定の 1 1 ) 私 的 利 益 に よ っ て 植 民 地 を 収 奪 す る こ と に 対 し て で あ っ た( 」 (ピエ ー ル ‐ モ ン タ ニ ョ ン). フ王. ( ) 6 つ の 史 料 は す べ て, の”り″s de 肌α吃粥Z 1 Z Z 1 B“ Ro友鶏かげγa t i t scours e ‐VI ,Di , Par ,sousla di ion de M‐Bou lo G i L f b A rect S b t l P seau i e e 1 9 5 2 wee 3 2一3 65 728note( 2 }に . o ou, ars , ‐ ‐6 , ,pp , よ る. 最 初 の「モ ニ ト ゥ ー ル」は, R愛粥P〆 Z Z鋤 窺わ煽云蹴れ 彫“を ゑ黍おかeα“放e鰯電解 e s s o7 2dB だA7 2c 湯Z“”弥彦だ勿 dB 如 尺彦りo粥云わ7 2 S 如 γ卿 mo” 〆β 2Fm7 2‘α禽8 吃り” s E加お‐G彦”み竃隙ゾz ぬ辺“姿” Co”s”如Z E 忍妙), 【以 下 で は 《Mon i “@〆 おそ妙 一 筋り teur》 と 略 す]t .ヱク .V m,1861 ‐395 に も 収 録 さ れ て ,p. おり, 同時に参照した‐. ( 2 ) Arcあれβ s Pαγ迄粥eれ加Z陀s dgヱZ87. 1 ヱ86 0 Z Zcの呪〆“ de g棚鳶 煽ぎ禽加巧ん eZPOZ Z a sd Z s q”g , 尺gc”e dg 8 γ q如 る f M d き i d l L s 削 だs l 1 av a, aurent et B1ave par S i e 1 7 8 7 一 1 7 9 9 以下では )[ r e( , on , 《Archi l ves par e 1 mentai res》 と 略 す] ‐ ××VL p ,t .60 ‐. ( 3 ) 前掲拙稿 「フランス革命の植 民地問題」 0一1 4頁. ,1 ) 管見の限りの英語文献はすべてそうである 代表的には 例えば Jame ( 4 s . , , , 0ぬ CZL PP‐76冊. 77 (青 木 訳, 85 頁);Lokke Car I Ludwig i 2” α 7 2〆 劫g coわ”如Z qzgsz o〃. A S彰あ qf , , Fm7 co“彰mpom “ Fだ7 6 3-ヱ ヱZ 8の N Y k 2cあ ゆ 加われ 1 2 9 3 3 r spenser, ;St , , ew or , .jot晒,Si ,p‐1 7 方超防ぎ or 劫8 B如cた 尺ゆ”秘i L d 8 8 1 4 1 7 c n 9 1 o n 3 8 o r e p P , , , ‐ , ,. . ( 5 ) Brtdlat ‐a -0っ S-157 ,a -. ( 6 ) の”〃“搭 露 脇 僻ま伽Z Z 2 7 2 尺o彰功迄rだ,p 4 ) 8 ‐364 note(. ‐. ( 7 ) 念のため言 えば, 《Mon i 》の場合は, 主節, 従属節とも直接法現在形であるため 現実にあ t eur ,. り う る 仮 定 に な っ て い る 《Archivespar l ementai res》は, 前 述 の よ う に,《Moni teur》と《Journa l . des Etats GきnきraLば oujou IL lna ogo 圭享aphique》 とを繋 ぎ合わせて編 纂されたものだが この. , 場合は, 従属節を半過去 にしたまま, 主節は直接法現在形にしているため 条件文としてはやや ,. 破 格 に なっ て いる . ( ) Debien,Gabr i l 8 e sc Dめ郡 叱 s加 川-Do粥 勿g解 窃 如 尺勿oZ”≠ 〆 ◇”- Es班ぎs”γ を α”る 肌僻s勿じ ,Le # 仏o ZヱZ89-Ao溺 ヱZ92j P i 1 9 5 3 2 8 6 a r s p , , ,. ‐ 9 ( ) Mar in t 2α鮒 の”ち ヱZ89-ヱ87Z i s ,Jean ,L E雛声“ 形7 ,Par ‐24 ,1987 . ,p ( 1の B1e H i 猛鴬 t Z d 如 わ め Z S em のめ 禽 粥 B 2 L の “ 霜 t e “ 口 ” α t e lon ia l ‘ . . , es apes dl , ml erenai , ssanceco e 55.

(9) . 浜. 忠 雄. i ) s 1789一1970 ( .9 . ,p ,1946 ,Par d 8 F OZだ 吃 ZE粥メメ L P i O“”ね Lα gZ 2c B COZ . t. 1 M , Du temPs es ( ) 1 1 onta厚lon , α m7 , erre i s e Croi ‐78 . ,p sades ala Seconde Guerre Mondial ,1988 ,Par. 2. ロベス ピエール演説の歪 曲にむかって 3 日 演 説 に あ る よ う な 主 張 は, ひ と り・ロ ベ ス ピエ ー ル の も の な の ロ ベ ス ピエ ー ルの 1791 年 5 月1. もロベ スピエ ール で は な い. デ ュ ポン・ ド・ヌ ム ー ル は, 同 じ 5月 13 日の国民議 会において, しか, に先立っ て次のように演説している. 《デ ュ ポン ・ ド・ ヌ ム ー ル 演 説, 1791 年 5 月 13 日》. 「諸君 我力冴直民地の離反を気遣う必要はない. 仮りに, 植民地の離反が宿命であり, また正 , 義あるいは人道を犠牲にする必要に迫られて いるとすれば, 私は諸君に次のように言うことであ ろう. 諸君の権 威は公正に由来するものであるこ と, もし諸君がその 基礎を放棄 するなら, その 時は諸君がこれまでなしてきた人道のための 多くの事跡を危うく するであろうと. しかるに, 諸 君の利益, ヨーロ ッ パさらに世界の利益は, 諸君が原則よりも植民地を犠牲にする こ とを蹄賭し ’ inc ipe ) ことを loni i f i un pr e ut6tqued i ce duneco tass esacr ez pas dansl ない (vous dhきsi 1 ) 強く要求するであろうことを. [野次と喝采]( 」 i teur》 で は 省 略 が 多く, 末 尾 の 「諸 i l res》 か ら 訳 出 し た が, 《Mon ementa vesPar こ こ では《Archi. 「 君が原則よりも植民地を犠牲にすることを磯賭しない」 の表現は 原則よりも植民地を犠牲に した 2 ) ま incepe) と な っ て い る{ lut6tqぜunpr f i i t mi escoloniesp erl . 1 lvaudrai euxsacr ほうがよい」 ( d i た, このヌムール演説につ いて, カミーユ・ デムーランは 彼が主宰する 機関誌 《Revolutons e France e tdes Royaumnes》 で次のように解説している. O ions de France et des RoyaUmnes lut 《Rき▽o ,n 77》. 「デュ ポン・ド・ヌムール ー- 私はこう 言いたい. 諸君が植民地を失うことはあるまい. だが 植民地を失うのは宿命かもしれない. もし原則をその犠牲にしなければならぬの なら, 植民地は. i ). 友 人ヌ ム ー ル i f i i nc lvautl espr erl pes eursacr i es esColoni ssentl 滅んだほう がよい (per ,ざi 3 )」 (傍点は筆者) は ロ ベ ス ピエ ー ル と 同 じこ と を 言 っ て い る !( . イ ブ・ブノ, ジャック・ティ ボーの近著も, ロベ スピエール演説に先 立つヌムール演説の存在を 4 ) デムーランは, 問題のロベ スピエー ル演説につ いては詳報して いないが, 別 改めて確認している( .. の重要 な情報を提供してくれている. 》 7 ionsde France et des Royaumes,n07 lut 《Revo 「何 にして も 今 日デ ュ ポー ルがなした よう に, 原則よりも 植民地が滅ん だほう がよ い! ,. ) と い う ロ ベ ス ピ エ ー ル や ペ テ ィ オ ン の 原 理, l i i ! loni i (par es ssentlesco ,plut6tque esprncpes i tum) と いう キ ケ ロ の 原 理 thones i l h i lut 『正しからざる 何ものも有用ならず』 (Ni equod nons. 5 )」 に, 絶えず立ち戻らなければならないのである{ .. ベ の 「原 理」 こ こ か ら 確 認 で き る こ と の ひ と つ は, デ ム ー ラ ン の 言 う と こ ろ の ロ ス ピ エ ー ル inci es pr pes〉 の 文 で 要 約 さ れ て い る こ と で i ) が, 〈Par ( ssentles colonies, ut6t quel systeme 1ut6t i i 〈Par esP escolon sentl s i inc あ っ て, 末 尾 の〈pr pe〉が 単 数 と 複 数 と の 違 い が あ る の を 除 い て, lut6t loni i esp esco ssentl ipe〉と 同 文 で あ る. ブ ノ は, 史 料 的 根 拠 を示 す こ と な く, 〈Per inc qdl則Lpr inc ipe〉は, ロ ベ ス ピエ ー ル演 説 の 要 約 と し て デ ム ー ラ ン に よ っ て 定 式 化 さ れ た も の だ と 書 qぜ 皿1pr. 6 ) 史料的裏付 けは, 上述のようになるであろう. いているが( , 56.

(10) . フランス革命と植民地主義 デム ー フ ン の 記 述 か ら 確 認 で き る, い ま ひ と つ 重 要 な 点 は 〈Pきr i ssentles colonies,plut6t que , l inc ipes〉と いう 言 葉 で 要 約 さ れ る 主 張 が ひ と り ヌ ム ー ルや ロ ベ ス ピエ ー ル だ け の も の で は な espr , く, 少 なく と も, デ ュ ポ ー ル や ペ テ ィ オ ン そ し て デ ム ー ラ ン 自 身 の も の で も あ っ た と い う こ と で あ. る. デュ ポールやぺティ オンが, いっ, どこで, そのような発言をしたかは示されておらず 筆者 , も史料を発見できていない. だが, デュ ポールが 「原則よりも植民地を犠牲にした ほう がよい」 ( 1 l ierl vaut mi inc ipe) と 書 い て いる ら し い こ と は ア メ ル が 『ロ ベ ス ピ e期こsacrif escoloni esqdl皿 pr. 7 ) あるいは 『ロベスピエール著 作集 によれば バレールも同趣旨の論 エール伝』 で触れている( 』 , ‐ , 8 ) 調 を 展 開 して い る と の こ と で あ る( .. いずれにせよ, 「原則よりも植民地が滅んだほうがよい」という言葉で表現される主張や思想がロ , ベスピエールの独創でないだけでなく, 同時代の少なく ない革命家にも共有されていたと見て間違 い な い で あ ろ う. と こ ろ で, デ ヴィ ト ・ ブ ラ イ オ ン ・ デ ー ヴィ ス は ロ ベ ス ピエ ー ル は 「レ ナ ー ル 的 な レ ト リ ッ ク ,. 9 ) を援用したに過 ぎない( 」と書いている‐ デーヴィ スは何も根拠を示していない が, 「レナール的な レトリッ ク」 とは, おそらく, 絶対王政とカトリ シズムに対するラジカルな批判ととも にヨーロ ッ パ 諸国の植民地支配に対する激しい攻撃によっ て 当時の一大ベ ストセラーとなり 「 , , , 今日でも 植 「 民地のアンシクロペディ ー」 反植民地主義理論の兵器庫」 と評価される ギヨーム・トマ‐フラン , ソワ・レナールの名著 『両イン ドにおけるヨーロッ パ 人の建設と通商に関する哲学的・政治的歴史』 『 (初版は177 2年) , 略称 両イ ン ド史』におけるそれを念頭に置いて いるのであろう. 『両イン ド史』 は, 第2版以降の刊行にあたっ て協力執筆者となっ たディ ドロの 「雄弁の書」 とも言われる如く , 全編にわたっ て植民地主義と奴隷制 に対する告発と弾劾に満ち溢れているが 問題のアポストロフ , に最も近いのを ひとつだけ挙げるとすれば, 「奴隷制の起源とその発展 奴隷制を正当化する根拠 , , これへの反論」 の中の以下の「節が適当 であろう‐ 《レ ナ ー ル 『両 イ ン ド史』 か ら》. 「この恐ろしい情景に 私のすべての血液は逆 流する 私は憎悪する 私は 犠牲者と死刑執 , . , . 行人からなる人類なのだ. もし人類がよりよいものにならぬものならば 人類は絶滅した ほうが , ’ よ い ! (Tout mon sang sesoulきve acesimageshorribles ine s sl esPecehumna .Jehal ,jesui , imes et bourreaux ets , composきe de vict ie l l l leure Pui t Pas devenir mei le s e ne doi t sse‐ ‐el , ,. l o ) i ){ aneant rl 」. 『両イ ン ド史』 を挙げるのであれば 同様に 「植民地 をテーマとし かつ類似の言回しをとる 」 , , , も の と して, か の 『ア ン シ クロ ペ ディ ー』 の 中 の 「黒 人 貿 易」 ( trai tedesne ) の項目 (執筆者 e s gr はジョ クール) も挙 げるべき であろう. 《『ア ン シ ク ロ ペ ディ ー』 「黒 人 貿 易」 の 項 目》. 「もし植民地の黒人奴隷制を廃止したなら 植民地は直ちに崩壊すると言う人がい るかもしれ , ない. しかしそうだと しても, 我々を豊かにし我々 の質沢を満たすために 人類が恐ろしいほど , に侵害を受けなければならないという結論になるのだろうか 盗みというものが完全になく なれ . ば, 追剥 ぎの巾着は空っ ぽになるのは決まりきっ たことだ しかし 人は 残酷 で犯罪的な手段 . , , によっ て金持ちになる権利を持っ ているというのであろう か 山賊が通行人を追剥ぎするのは ‐ , いっ たいどんな権利 によるというのだろう 同胞を不幸にしておいて 自分は裕福 になるなどと . , い う こ と は 誰 に 許 さ れ て い る の で あ ろ う か 自分 の欲望や虚栄心 個人的な情熱を満足させると . , いう, ただそれだけの目的で, 人類から 最も神聖なるこ れらの権利を奪い去ることは果たして , 正当なことなのであろうか. 決してそんなことはない ……かくも多く の不幸な人々を作り出す ‐ 57.

(11) . 浜. 忠 雄. loni eseuropeemlessoient esco く ら い な ら, ヨ ー ロ ッ パ の 植 民 地 は 破 壊 さ れ た ほ う がよ い (Quel ). し か し 私 は, 奴 隷制 の 廃 止 が 植 民 地 lheureuxl i lut6tdきtrui tes doncp retantde ma ,quedefa. 1 1 }」 の崩壊を惹起するというのは誤りであると信じる{ ‐. i lut6t qぜun pr nci i pe〉 と い う よ う な 表 現 es colonies p ssentl こ の よ う に 見 て く る な ら ば, くPer. は, 自説をより説得的にする弁舌の, いわば常套的レトリ ッ クとして用いられたものである ように 思われるのである. 2 7 89年1 .月 4 日 シ ャ ル ル・ド・ラ 筆者は史料上の確認ができてい ないが, ジェーム ズによれば, 1 メトは次のように演説したという.. 》 《シ ャ ル ル・ ド・ ラ メ ト の 演 説 (1789 年 12 月 4 日) 「私はサン= ドマン グ最大の資産家のひとり であるが, 正義と人間性 が神聖視する原則を冒す ldec l a r eto くらいならば, かの地に所有する全財産を失うほうを選ぶことを, 諸君に官言する (. i inc ipl t latethepr ce esthatjus l llpossessthereratherthanvio ertolossa youthatlwouldpref と あ る 成 で こ 放 も 賛 黒 解 に も 人の に 血 議 会 参 加 の ま た 混 児 d ) tyhaveconsecrate . andhumnani , 2 1 )」 を 宣 言 す る( .. 「 ラメトの場合は, 真情を吐露したものかどうか, かなり疑わしく, むしろ はっ たり」 であるよ 「 うに思われる. 彼は当初, 黒人奴隷制廃止論の 中核となっ た 黒人の友の会」 に身を置く が, 実際 7 91年9月ジャ コバン・クラ ブからの追放に伴っ て 「黒人の友 の言動はきわめて消極的であって, 1 loni i es esco ssentl の 会」か ら も 退 会 さ せ ら れ て お り,「財 産 の 放 棄」を 実 行 に 移 した 事 実 は な い.〈Par い お き た 注 意 して と ipe〉 の レ ト リ ッ ク に は, そ う し た 使 用 例 も あ る こ を i nc . plut6tqdl皿 pr. さて, 後にロベ スピエールの政敵となるジロン ド派の領袖 で 「黒人の友の会」 の設立者でもある ブリッ ソは5月 1 3日の国民議会には議席を持っ ていなかったが, 「植民地問題に関する5月の論争 1 3 } { で は, 私 は, と り わ け, グ レ ゴ ワ ー ル, ペ テ ィ オ ン, ロ ベ ス ピエ ー ル の 演 説 に 満 足 し て い た 」 と 書 い て い る こ と か ら 推 量 す る な ら, 少 なく と も こ の 時 点 で は, ブ リ ッ ソ と ロ ベ ス ピエ ー ル と の 間 に i 4 i 1 ) だ と す れ ば 〈Par i nc pe〉 escoloniesplut6tqぜunpr ssentl 見解の違いはなかっ たと 思わ れ る( .. という主張も, 先に引用した彼自身の 「注意」 のとおりに, 「途中で切」 らなければ, ブリッ ソの主 張 でも あ っ た と いう こ と で あ ろ う. だ が, 周 知 の よ う に ブ リ ッ ソ は 1793 年 6月 ロ ベ ス ピ エ ー ル に よ. パイ であ 「 っ て告発され, 処刑される. ブリ ッソはフランス領植民地の崩壊を画策したイ ギリスのス 1 5 { ) 「 る」 と い う の が 『告 発 状』 に 記 さ れ た 植 民 地 問 題 に か か わ る 罪」 で あ っ た . こ の こ と は, ロ ベ. 「 スピエールがおよそ植民地の崩壊につながる言 動をもっ て 反革命」 と見なして いた事実, 端的に 言って, 彼が 「反植民地主義者」 でなかっ たことを重ねて裏付 けるものである. ブリ ッ ソは 「無実」 を立証すべく 『抗弁書』 を書いて いるが, そのなかで再び問題のアポス トロ フ に 言 及 して い る.. 《ブリッ ソ 『抗弁書』》 「私を裁き非難するのなら, 私と同じ原則を主張してきた者すべて, そしてその 原則を祝聖 し てきた3つの 国民議会をも裁き非難すべきである. 国民を告訴せよ, わけても, ロベ ス ピエール 5日法令力遮議論されたとき, 私と同じ原則を擁護していたの を告訴せよ. 彼は, 国民議会で5月1 であり, まして憤慨するの あまり,『原則をひとつたりとも犠牲にするより も植民地が滅んだほう i i ) と 叫ん だの では な か f i i nc er un seulpr pe i が よ い』 (par es colonies plut6t que desacr ssentl ベ ピエ ー ル は そ の コ ロ ン っ た か. こ の 発 言 は, そ の と き コ ロ ン か ら 激 しく 排 斥 さ れ た が, 今 ロ ス. 1 6 )」 (傍点は筆者) たちを支持して いるのである( .. 「 ブ リ ッ ソ は, こ こ で も, ロ ベ ス ピエ ー ル の 言 葉 を 「途 中 で切」 ら ず に 引 用 し て い る. だ が, 植 民. 58.

(12) . フランス革命と植民地主義. 地の崩壊を策した」 という非難に応えるべく, その限りではロベスピエー ルも同罪であることを証 明するために引用されたこの場合は, 「植民地は滅んだほう がよい」という部分にアクセントを置い て い る こ と は 明 ら か で あ ろ う. ブ リ ッ ソ に お い て ロ ベ ス ピ エー ル 演 説 の 取 り 上 げ 方 は 1791 年 と , 1793 年 の 時 期 で ニ ュ ア ン ス が 生 じ て い る.. もとより,「植民地は滅んだほうがよい」のほうにアクセントを置く引用は, プリンだけでもなく , また彼が最初なのでもない‐ ロベスピエール演説の直後にその傾向が現われていたらしいことは既 に述べたとおりである. だが, それが, 明瞭かつ集中的に顕現 したのは, 17 91年9月 23 日 と 24 日 の議会でのことである. 9月 23.24 日とは, 「有色自由人」 の参政権を条件付きながら認めた5月1 5日法令の破棄を内容 「 バ ブ とする ルナー の提案が提出され, ロベスピエールや 黒人の友の会」 メンバーによる反論にも かかわらず, これが可決成立した日である. この議会に, バ ルナー ヴ提案を支持するいくつかの「意 i i 見書」 ( ) が提出され, その中で5月1 3日のロベ スピエール演説が持ち出さ れた op n on . 《ベ グウ アンの意見書》 「これらの条項は この会議場の天蓋に二度までも響きわた た あの 『植民地は滅んだほう っ , , l がよ い』 (Pきr i t l i e s ! ) という 狂気じみた絶叫 ssen coone s の恐ろしくも破壊的な極印を抹消す , るために不可欠であると考える. 諸君, 植民地の崩壊 は王国の滅亡を惹起せずにはいないであろ 1 7 )」 う( .. 《マルウ エの意見書》 「どうしたら 諸君が陥りかねない致命的な誤り とその結末に そして 植民地の反対者たち , , , が迂間にも明かしていることの結 末に, 気付いてもらえるだろうか 彼らは この会議場で諸君 . ,. に 『我々 の 原 則 よ り も 植 民 地 が滅 ん だ ほ う が よ い』 (Per i lon ies plut6t que nos ssent l es co 8 ( 1 } i i ) と 言 わ な か ろ た う か n r c e s p p っ .」. 《グウイ・ダルシの意見書》 「ロベ スピエー ルはこう言っ た 『ひとつの原則を曲げるよりも植民地が滅んだほうがよい ! 』 . i (Per l inci tererlmLpr ssentl ) 彼 は こ の よ う に 言 い, 罰 す べ き 拍 手 escoloniesplut6tque da pe!. がこの罰すべき言葉を祝≧ 空した のである. 分断された植民地は本来の働き手を失う ことになるだ ろう. 虐げられた者の党派が奴隷を武装させ, 白人も混血 児も最後の一人まで死に絶えることだ 1 9 )」 ろ う( .. いずれも, 黒人奴隷制擁護論 を代表する人物 である ル・アーヴルの貿易商であるベ グウ アンは . 『植民地の重要性と黒 人の隷属に関する所説 なる パンフレ トでヒステリ クなまでの黒人奴隷 』 ッ ッ 制擁護論を展開しているし, 元マルチニ ッ クの行政官の マルゥエ男爵とサン; ドマング代議員のグ ウ イ . ダ ル シ は と も に 「マ シ ャ ッ ク ・ ク ラ ブ」 (正 式 名 称 は 「フ ラ ン ス 植 民 者 通 信 協 会」) の メ ン バ. ーである. 黒人奴隷制 の維持に危機意識を持っ た奴隷制主義 者が 「完全かつ不変の連合」 の た め に と っ た連係 プ レイ と 見 て よ い で あ ろ う. 〈Peri inc ssentl ipe〉 の ア ポ ス ト escoloniesplut6tqu’ lpr un ロフを 「反動側のデッチあげである」 とするジェ ーム スの根拠が (彼は明記していないが) ここに あるとすれば, 首肯しうる断定としなければならない . 筆 者 は, ロ ベ ス ピ エ ー ル 演 説 が 〈Per i ssentl incipe〉 の ア ポ ス ト ロ フ escolonies plut6tqdl皿 pr. に置き換えられ, 従ってそのアポストロフによってロベ スピエール演説の真意か らはなれることが 決定的となっ た時点を, この9月 24 日 に 求 め, そ れ 以 後, こ の ア ポ ス トロ フ は 独 り 歩 き を 始 め た と考えている.. ,. 59.

(13) . 忠 雄. 浜. ’. i i nc pe〉 に 関 わ っ て 得 ら れ る 史 料 の す べ て だ が, escolonies plut6tquun pr ssentl 以上が, 〈Peri ssent 最後に, 最近ジャ ン‐マルタンによっ て編纂された『フランス植民地用語辞典』のなかの, 〈Pきri. i lut6tqぜl loni nci l un pr esp pe〉 の 項 目 を 訳 出 し て, 若 干 の 検 討 を加 え て お き た い. esco 《ジ ャ ン ・ マ ルタ ン 『フ ラ ン ス 植 民 地 用 語 辞 典』》. 「ロベ スピエ ールのものとされ, 人権宣言の諸原理を放棄するよりも植民地の破壊と奴隷制の 廃止を考える のをよしとすることを表明 しようとした 公式. このフ レー ズは, バ ルナ ーヴに帰せ だ 91年 17 られることもあるが, 実際には, 憲法制定義会において植民地と奴隷制力 議論された際 ( ・ヌムー ポン・ド デ ュ 5月 13 日) になされた ふたつの演説の混合物として造られたものである.. f i i es colonies qu’ t mi 1 erl lvaudrai euxsacr ルは 『原則よりも植民地を犠牲にしたほう がよい ( 張 して 『も し, 植 民 地 の た め に 我 々 の i i nc 皿ーpr pe…)』 と 表 明 し, 次 い で ロ ベ ス ピ エ ー ル は 一 層 誇. 名誉, 我々の栄光, 我々の自由を犠牲にしな ければならぬのなら, 植民地は滅んだほう がよい! i be”きり ’ rel i i ldo t nous en coater notre honneur,notre gloire,not i (Per ssentlescoloniess. もし, コロンたち が我々を威嚇して, 彼らの利益にもっ とも合致することを立法するよう強いる. lentpardesmenaces lonsveu loni il i esco ess esco ssentl の な ら, 植 民 地 は 滅 ん だ ほ う がよ い(Per け加 え た. こ れ ら の 言 ) と 付 i e e s… 』 eurs nt r t eplusai reterce quiconvientl nous forcer adきc. 7 89年末に既に, モロ・ド・サン=メリが 『もし, 諸君が (人権) 宣言の実施を望むなら, 葉は, 1 1 ion,ehbi en!i ivous voulez user dela Dきclarat そうであるなら!植民地はなくなるだろう (S ( 2 0 ) αy a plus decoloni es…).』 と 叫 ん で い た こ と へ の 反 論 で あ っ た .」 ’ inc ipe〉 を, サ ン = メ リ の 主 張 に 対 す る 反 論 と し て な さ 〈Per i escolonies plロt6tquunpr ssentl. れたヌム ー ルとロ ベ ス ピエー ルの演 説 -- 原文 をいく らか 改変 して いる が, 引用 はお そ らく i 》からのものであろう 一一 に基づいて「造られた」ものとする基本 的な把握には異論 が 《Mon t eur ない. だが, ここでも, ヌムールやロベスピエ ールが植民地の破壊と奴隷制の廃止を自説としてい 「 たかの如き印象を与える余地を残している. 少なくとも, この演説でふたりが 奴隷制の廃止」 を i tlescolonies .てきたように, 演説の本意と 〈Pe r s s en 主張した形 跡はない. また, 本小論で詳述し. i ipe〉 の ア ポ ス ト ロ フ が 有 す る ト ー ン の 違 い を 明 確 に す べ き で あ ろ う. nc plut6tq小 皿 pr 1 、 、 )王. ) A〆 ( 1 c廟膨s P昭彦伽 例 解か鎧,t . ‐50 . XXV1 ,p 1 9 1 V I I 3 粥お粥彰 t ( 2 ) ”γ . . ,P ,. ions de 3 ) Revolut (. le et iona d t ee Nat d e Assembl France et de s Royaumnes, qui , eman en mュ. 0 l les i i ber l te tesdelal ,dans: Ca口 arborantl acocarde, meriteront une place danscesfas ,n 77 諺 Fmれce ez d8 βm 加 川,t ins Desmoul ‐ 同 時 に, の 例 解s de . 530一578 .6 , pp , 兄≧り〆のめ 硲. )も参照. 前稿 「『原則よりも 植民地が滅ん だほうがよい』 4 t 朋 姻Z粥2膨れ Robeゆすげ〆 e e( .364no ,p ionsde France et des Royaumes》 を利用できな と いう ア ポ ス トロ フ に つ い て一 で は 《Revolut. かっ たが, この 度は, 専修大学の 「ミッ シェ ル・ベルンシュ タイン文庫」 所蔵本を閲読できた.. bau i s お “ 如 万” 〆g g s Zi F oわ“す sc ‐76; Thi , ( ) Benot 4 ,1987 ,P , Par , Lα 尺彦ひo%Zo“ m“倣 β , Yves ’ 8 9 Z P i 1 9 あ 如 b o れ , ars ) み吻g c 7 嘱すれg”8 れi -Do ,PP‐ , 乙褒 ばB Sαす jacques . L 8窮如ひαgB 勿 彰 P冗 , LB 海難 255一256 . lut ionsde Franceet ち な み に, 《Revo l i ) Desmou ( 5 ns ‐572 .こ こ で は 深 入 り し な い が, , の. α L P 79 0年暮に反乱を起こし desRoyau umes》 の同 じ号でデムーランは, サン= ドマングの混血児で1. 60.

(14) . フランス革命と植民地主義. たが捕らえられて処刑されたヴァンサン・オジェ に 「植民地のス パ ルタ ク ス」 ( l espartacusdes 「 loni ) の 賛 辞 を 贈 っ て, そ の 死 を 悼 ん で い る. 妨頭りp 564 co es . ‐フ ラ ン ス 革 命 時 代 の ス パ ル タ ク. 『専修人文論集』 第47 ス」の用例については, 土井正興「フランス革命におけるス パ ルタクス」 ( , 「 『 パ 号, 1991年)、 同 デムーランとス ルタクス」 ( 専修大学人文科学年報』、 第22号、 1 992年) を参照. ( 6 ) Benot ‐76 ‐ , の‐ α L P C す 1 ) Hz揺ne l t 1 )に よ る‐ { 7 の ん ‐ ‐p ‐439 note{ , . Z Z 4 )に よ る. { 8 ) の“りだs dg 朋 僻fmi 8 7 2 Ro腐り彰γだ,p ‐364 note( ion T物 Pm弱8粥 qf s如彩 り 粥 劫8αgeqfReの‘励め“,ヱ77 i リーヱ823 London ) Davi ( 9 s ,DavidBr ,7 , 1975 ‐ ‐143 ,p i l G l lau ( 1 0 ) Rayna s D n ne Tho1mlas Frango OZだ P脳わs噂 脳q”8 “ Po防ぎ 2な q“g dgs gね〆禽sのα雄7 , ui , 丑偽Z } と加s‘ gz d” のフ 吻例解c e de s五 ““の卵“s d B S Pβ ②α Z 7 zdg s,Geneve ‐206 .同 時 に, Esquer .6 , ,p ,1781 ,t e Gabr i l 乙壱 筋 め ね Z 禽 ズ”江 ね H猿 ら 7 諭 脳わ 脳 Z わか の 云均“g dg と e, % の ” “ぼ α“ sc βP sop q”8 POZ s ぽあ ‐ 偽sの吻eれ鳶 gz dz co粥粥eγ l l 2 c e de s E”〆 りめ勿7 s dの榔 をs Pe zα 1”〆e s Pαγ Zb劫彦 Rαツ“〆,co ‐< e Co 2 loni t E i i L l i l l i P > 絶 d i 2 4 8 i 1 9 1 8 も 参 照. ese mpres , re : escassques e acoonsaton ‐ , 5,p , , ars. 念のため英訳版で示すと以下のようである. 〈Mybloodrises atthesehorridimages‐ldetest,l l 国 L D oesand executioners; and i fi tis neverto abhorthe hmman sPecies comPosed o ct劃 y ofvi become better, may i hi latedl 〉 t be armi tamond 7 2〆 Fo腐す伽Z ‐ 〇・ . Jus ,J , A F力め 即力あ定雄 α i 籾ゐわり ザ 放esezZZeme“お α72d zmde qf 防e E”“のeαれs 効 挽e E硲Zα7 zd 隣β新 座d e s , ,London 『 「 V 4 l 1 2 0 両 イ ン ド史 い 世 1798 に て は 拙 稿 史 識 と 地 ー ル 『両 つ 界 認 植 民 レ ナ o 』 . . ‐ ,p , ,. 『北海道教育大学紀要』 第31巻第1号・第2 イン ド史』 の検討をとおして -- [1] ~[ 1 1 1 ]」 ( , 「 『思想』 第 号, 第34巻第1号, 1 980一19 83年) , 大津真作 啓蒙の植民史へのディ ドロの寄与」 ( , 724 号, 1984 年) を 参 照 さ れ た い. Z Q I ) Diderot et ぜA1embert e s o7 2“彦 dg z〆 e mz z s sde“ce s dβ s A窟 e , o” Dた云の”“α , E〃cydopaα ルイ鷲Z l l i en t- ×Xxl s -883 - ,1778 ,P ,Par Z 4 ( 1 2 ) james C 6 ( 青 訳 Z 木 , 73 頁). ‐ りp , の. ( 1 3 ) 1791 年. 6月 9 日付 《Pat Z Z iote Franca i ) 8 r s》 B“ Rのeゆ彰“e ‐376 note( . の 卿 だs de 肌 解Z粥Z ,p によ る. 1 Q ) EI 4 ery se e , 劫禽sol dβ 賜α“”‘ ,E1oi , A S勿吻 効 放e ゑ禽あり げ 劫e Fだ”物 尺8の 勿云わ〃, New York,1915 2 ) . .232 note( ,Rep ,1970 ,p . ( 1 5 ) 植 民 地 問 題 に 関 す る 告 発 条 項 は, 坊Zd,pp .448-450 , Appendix C に収録されている. l i ( ) Br tdl l i 1 eesavecき i iqueetnotespar C1 6 tudecr t ssotde Wrar e , 肌ゑm〆〃s 立 方4-ヱ79の,pub ‐ Pen「 i oud s .2 ‐272-306 . ,Par ,1911 ,t ,pp. ( ) Aγc腐り偽 月 1 7 z 2″8伽e“如か搭,t . XXX1 .289 ‐ ,p ‘ ( 1め A だ腐りg z γ 2加Zだs s月 z e伽e 7 . XXX1 .295 . ,t ,P 「 ( e粥e”加Z 1 9 ) A だ蹴りB S 月冴Z 名 B S .XXX1 .310 .以 上 の ベ グ ウ ア ン, マ ル ウ エ, グ ウ イ・ダ ル シ の 意 ,t ,p. 見書」 は 《Moni teur》 には収録されていない. ⑩● Mar i t i n,Jean,L窃均“e de 如 co乙 o 2ゐのZ 7 o“ ルロ 7 2FαZ s e s .292 ‐ ,Par ,1988 ,p. 61.

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