地方語文献としての『岩井崎詣』の資料的価値について
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(2) 地方語文献としての『岩井崎詣』の 資料的価値について 作 田 将三郎 ₁.はじめに 筆者は、これまで作田将三郎(2007、2009、2012、2013a・b、2016、2017)に おいて、現在の岩手県や宮城県に残存する近世中期から後期の庶民層が作成した 「庶 民記録」や「道中記」を対象に、資料の性格や資料の表記に反映された方言的特徴 の検討による地方語文献の資料論的考察を行ってきた。そして、これらの資料は、 表記面から見ると、「イとエの混同」、「シ・ジ・チとス・ズ・ツの混同」 、 「語中・ 尾におけるカ行・タ行子音の有声化」など、音声の方言的特徴と考えられる用例が 反映されており、資料の成立時期、および成立地における方言を知るための地方語 文献としての価値があることを明らかにした。 そこで、本稿では、近世後期庶民層の三郎兵衛が記した「道中記」である『岩井 崎詣』を取り上げ、資料論的考察を行い、近世後期における陸奥国仙台藩本吉郡波 路上杉ノ下(現在の宮城県気仙沼市波路)の方言を知ることができる地方語文献と して有効な資料になることを提案したい。そして、『岩井崎詣』の表記に反映され た音声の方言的特徴のうち、 「語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化」を例に、 『岩井崎詣』が作成された近世後期の使用状況を確認し、それと近い時期に近隣地 域で作成された地方語文献における使用状況との比較、さらには昭和中期や現代方 言との比較を行うことで、近世後期以降の変遷について見ていくことにする。. ₂. 『岩井崎詣』の資料的性格について 本章では、本稿で取り上げる『岩井崎詣』に関する資料の概要、内容・位相面の 性格、言語資料としての性格といった点について検討していく。 まず、資料の概要として、『岩井崎詣』は、安政₂(1855)年ころに陸奥国仙台 藩本吉郡波路上杉ノ下(現在の宮城県気仙沼市波路)に住む三郎兵衛が記した20丁 からなっている。ただ、₁丁ウラに「岡崎先生刪定」と記述されており、岡崎先生 なる人物が語句や文章の悪い箇所を削り、体裁を整えたことが窺える。 原本の所在は不明であるが、宮城県古文書を読む会編(不明、2007)には原本の 複写本が掲載されている。本稿ではより鮮明な複写本である宮城県古文書を読む会 編(2007)を使用し、分析を行うことにする(注₁)。なお、 書名・表題については、 宮城県古文書を読む会編(不明)の平の部分に『岩井詣』と記されているものの、 複写本の本文に『岩井崎詣』 〈₂オ〉と記されていることから、 本稿では『岩井崎詣』 - - 1.
(3) と呼ぶことにする(注₂)。 次に、内容面であるが、作成者の三郎兵衛の地元観光名所である岩井崎に関する 詳細な情報、旧仙台藩領のうち現在の宮城県気仙沼市(旧気仙沼市・旧唐桑町・旧 本吉郡本吉町)や気仙沼湾に浮かぶ大島から現在の宮城県南三陸町(旧志津川町) ・ 牡鹿郡女川町・石巻市(旧北上町)、および旧盛岡藩・仙台藩境地域である現在の 岩手県陸前高田市・大船渡市にある港・漁村・山、さらには現在の岩手県一関市 (旧 室根村・旧千厩町)にある山・神社などの名所や旧跡が紀行文形式で記されている。 これらの内容が記された資料は「道中記」と呼ばれ、国史大辞典編集委員会編 (1989) 『国史大辞典』第10巻にある「道中記」には以下のような記述が見られる。 (1)江戸時代を中心として刊行された、旅行の日記・紀行、 または旅路の宿駅・ 里程・名所・旧跡などを記した旅行用の冊子、ないし案内記の類をいう。 (後 略)【西坂靖執筆、p.174・中】 「道中記」に関しては、これまで作田(2011、2012、2013b)でも取り上げてき たが、それらで扱った資料は伊勢参宮への経路、月日や天候、宿場までの距離、宿 賃・舟賃などの費用、見物した名所旧跡や参詣した寺社の名前といった「旅行の日 記・紀行、または旅行用の冊子」としての性格が強かった。それに対し、 『岩井崎詣』 は、資料作成者の地元、および近隣地域の名所や旧跡を紹介する「旅行用の冊子、 ないし案内記」としての性格が強く出ている資料と言える。そのため、これまで作 田(2011、2012、2013b)で扱った「道中記」とは内容面において多少性格が異な るものの、 『岩井崎詣』を「道中記」として扱うことに問題はないものと思われる。 ところで、本文に「波路上杦ノ下三郎兵衛著」〈₁ウ〉と記されているが、資料 作成者である三郎兵衛の苗字は明記されていない。近世における苗字の位置づけに ついては、大藤修(2003)が以下のように述べている。 (2)近世の庶民は苗字の公称を禁じられていたので、公的に自己の家を表示す る手段を持たなかった。私的には苗字を称していたものの、それは同族の標 識でもあった。【p.10】 この指摘から、おそらく三郎兵衛が庶民層であったことから、三郎兵衛の苗字が 示されなかったと考えられる。そのため、本稿では、ひとまず三郎兵衛の階層を陸 奥国仙台藩本吉郡波路上杉ノ下在住の庶民層と解釈しておきたい。 最後に、言語資料としての性格について、語法として文末表現を例に挙げると、 「なり・けり・らん・候」いった文語、および動詞の終止形を基調とした文体で書 かれている。文法面や語彙面での口語的、または方言的使用についてほとんど観察 - - 2.
(4) できなかったが、音声面における方言的特徴は確認することができた。 そこで、 『岩井崎詣』で確認できた音声面の方言的特徴を表₁として示す(注₃) 。 なお、表₁には、昭和中期の三陸地方南部地域における方言調査結果を報告してい る加藤(1972)が指摘している音声面の方言的特徴のうち、『岩井崎詣』で確認で きたものを取り上げた。 このうち、「語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化」の用例が多く得られて おり、 「語中・尾における母音のイとエの混同」、 「シ・ジ・チとス・ズ・ツの混同」 、 「カ行合拗音」などは用例数が少ないものの確認できた。また、これらの音声面の 方言的特徴は、 『岩井崎詣』と近い時期、および近隣地域で作成された地方語文献 のうち、作田(2007、2009)で扱った現在の宮城県南三陸町(旧志津川町)におい て近世中期から後期の庶民層によって作成された庶民記録や作田(2014)で扱った 現在の宮城県登米市(旧東和町)において近世後期に言語形成期を過ごした庶民層 が明治初期に作成し、現在の岩手県陸前高田市の庶民が明治初期に書写した人情本 においても確認することできる。したがって、資料の成立地や種類に関係なく、近 世中期から後期にかけて庶民層が作成した資料には、このような音声面における方 言的特徴が表記に反映されている可能性が高いことが窺える。 表₁ 近世後期と現代における音声の方言的特徴 加藤(1972). 作田(2014). 『岩井崎詣』. 作田 (2007、2009). 昭和中期・高年層. 幕末期~明治初期 人情本₁種. 近世後期 道中記₁種. 近世中期~後期 庶民記録₂種. 岩手県陸前高田市(現陸前高田市) 宮城県気仙沼市(現気仙沼市) 宮城県唐桑町(現気仙沼市) 宮城県本吉町(現気仙沼市) . 宮城県登米市 (旧東和町) 岩手県陸前高田市 (旧陸前高田市). 宮城県気仙沼市 (旧気仙沼市). 宮城県南三陸町 (旧志津川町). 語頭のイとエは区別なく、エに統合される <宮城県気仙沼市は単独母音音節の場合も同様>. 少. ―. ―. 語中・尾のイとエは区別なく、エに統合される. 多. 少. 少. シ・ジ・チがス・ズ・ツに統合される. 多. 少. 少. カ行を合拗音[kw]で発音する <宮城県気仙沼市のみ>. 少. 少. 少. 語中・尾において、カ行・タ行が有声化する. 多. 多. 多. 促音・撥音・長音ともに独立性が弱く、シラビー ム方言的性格を有する. 多. ―. ―. 【表の見方】 (1)用例が多く見られた場合は「多」、₁例でも見られた場合は「少」 、 全く見られなかった場合には「―」 を記した。 なお、庶民記録については、₂種から得られた用例の合計数から判断した。 (2)宮城県唐桑町は2006年₃月31日に当時の気仙沼市と合併し、現在の気仙沼市になり、宮城県本吉町は 2009年₉月₁日に気仙沼市に編入しているが、昭和中期(調査当時)の市町名を記し、( )に現在の市 名を付した。また、近世における地方語文献の成立地は現在の市町名で示し、 ( )に平成の大合併以前 の市町名を付した。. - - 3.
(5) 以上のことから、 『岩井崎詣』は、時期的には作成された近世後期、階層的には 庶民層、さらには作成者である三郎兵衛が生まれ育った陸奥国仙台藩本吉郡波路上 杉ノ下(現在の宮城県気仙沼市波路)の方言が反映されている地方語文献となり得 る資料と言えそうである。. ₃. 『岩井崎詣』における語中・尾のカ行・タ行子音の有声化 作田(2007、2009、2011、2012、2013a・b、2016、2017)は、それらで扱った 資料において、中央語を基準に考えると、付されることが予想されない箇所に濁点 が見られ、そのほとんどがカ行・タ行に集中していること、さらには本来、清音表 記であるカ行・タ行に付された濁点は、単なる誤点ではなく、資料作成者が使用し ていた語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化が表記に反映された可能性が高い ことを指摘している。 本稿で扱う『岩井崎詣』においても、このような指摘と同じような表記が比較的 多く見られることから、本章では、音声の方言的特徴のうち、「語中・尾における カ行・タ行子音の有声化」について取り上げることにする。 そこで、本章では、最初に『岩井崎詣』に見られる語中・尾におけるカ行・タ行 子音の有声化の認定方法について述べ、その後で、得られた用例を『岩井崎詣』の 成立地である宮城県気仙沼市に隣接する宮城県本吉町を含む地域において語中・尾 のカ行・タ行子音の有声化の調査した大橋純一(2002)により指摘されている音環 境にあてはめ、当時の使用状況を検討する。その際、 『岩井崎詣』と成立地や作成 時期が近い資料を扱っている作田(2007、2009、2014)や宮城県気仙沼市を含む三 陸地方南部地域における昭和中期の音韻調査結果を報告している加藤正信(1972) を援用することで、現在の宮城県気仙沼市における近世後期の使用状況、または近 世中期以降の宮城県北東部地域における方言音韻史の一端を明らかにしていきたい。 3.1 用例採取の基準、およびカ行・タ行の有声化現象認定の仕方 本稿では作田(2007、2009、2014)と同様、以下に示した観点から得られた語形 を語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化と見なし、用例を採取した。 (3)『日本国語大辞典(第₂版)』を参照し、中央語史上、常に清音表記である が、本稿で扱う資料において濁点が付された語形は地域的現象として採用し た。 (4)助詞については、以下に示した(5)や(6)のように濁音表記されている用例 を確認することができた。しかし、他地域ではあるが、岩手県一関市(現岩 手県一関市)と三陸町(現岩手県大船渡市)の有声化現象を取り上げた齋藤 孝滋(1990)は助詞の有声化を「形態論的性質」として扱い、音環境の面か - - 4.
(6) らは考察していない。本稿でも齋藤(1990)に倣い、採用しなかった。 ふぎ. てう. みず. (5)名ニしおふ塩噴穴ハ潮勢満くることに吹あげで〈吹き上げて・₄オ〉 きせき くわいがん. (6)此側に奇石 怪 岩 みぢ\/で〈満ち満ちて・₆オ〉 ただし、上記の観点を基準にして採取した用例の中には、以下に示した (7) と (8) のように、同一の語形でありながら濁音表記されているものとされていないものが 見られたり、 (9)のように、本来、前の文字である「ゝ」にだけ付されるべき濁点が、 後ろの文字である「き」にも付された単純な打ち誤りとも考えられる用例が含まれ たりしているかもしれない。そこで、本稿では、(8)のような例を除き、 (7)や (9) のような用例を有声化として扱うことにする。 ぜつてう. め. すそ. (7)夫より亀山に登り大田神を拝し絶頂にすゝめハ雌亀山は乾ノ裾に打つゝぎ 〈打ち続き・14オ~14ウ〉 (8)老山峯々嶂々打つゝきて〈打ち続きて・18ウ〉 あらね. ね. (9)いかなる 霰 となかあふらんひゞぎ音の恐しさ〈響き音・₅オ〉 3.2 音環境から見た語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化 以上の基準により、 『岩井崎詣』から採取した用例を表₂に示す。表₂を見ると、 語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化が反映されたと考えられる用例が29語 (30例)得られたことが分かる。なお、表中の語形前にある「※」は、用例 (8)の ように、同一語形ではあるが、濁点表記されない場合もあることを意味している。 表₂ 『岩井崎詣』に見られる不審な位置に打たれた語中・尾におけるカ行・タ行子音の 濁音表記一覧 用例 かだむけ. さぎ. ぼん せぎ. ぬか. かだむけて・ 傾 (傾けて・₂例)、咲 みだれ、はごびツゝ(運びつつ)、盆 石 岩、稽 つぎ. ふぎ. ね. うづ. 首、塩噴穴、ひゞぎ音(響き音)、つるへ放(つるべ打ち)、あわでゝ(慌てて)、みぢ すかだ. のだま. \/で(満ち満ちて)、石 貌 、※いがなる(如何なる)、いがて(如何で)、 宣 ひし、. ぢんれぎ. やかだ. ね すかだ. 巡歴、 樓 舩、鶴ノ寝 姿 の石、御てづがら(御手づから)、遠ぎ、有かたぎ(有り難き)、 うづ. なり. ふもど. つぎ. 若ぎ男女、移して、ひゞぎ鳴し(響き鳴りし)、※打つゝぎ(打ち続き)、 麓 、尽たり、. のぎ. つハぎ. 軒、 椿 嶋、心地よぎ(心地良き). さて、表₂で見た用例を大橋(2002)が指摘している現代方言において語中・尾 のカ行・タ行子音が有声化する音環境にあてはめると、 「母音音節に後接する場合」 、 「広母音尾の子音音節に後接する場合」、「長音に後接する場合」 、 「無声子音(有声 子音)+狭母音+カ行・タ行子音+狭母音」構造といった₄つに分類できる (注₄) 。 - - 5.
(7) 以下には、₄分類された音環境ごとに用例をすべて挙げ、 該当箇所に下線を付し、 〈 〉に理解のための注記と用例の所在を記しておいた。なお、同一語形の用例が 複数得られた場合、₁例のみ挙げ、◆の後に他の用例の所在と用例数を示した。 Ⅰ.カ行・タ行子音が母音音節に後接する場合 はらがん. うづ. (10)仏郎機をつるへ放かとあやしまる〈つるべ打ち・₅オ〉 ふる. するわざ. ふさく. (11)是なん千早振神ノ所為いがなる斧鑿の跡ならん 〈如何なる・₆ウ~₇オ〉 (12)いがて凡夫ノ見判べぎ〈いかで・₇オ〉 あゆみ. うづ. (13)夫より 歩 を移して塩場に出〈11ウ〉 Ⅱ.カ行・タ行子音が広母音尾の子音音節に後接する場合. さぎ. (14)兼而御物語の祝か崎幷大嶋見物の事思立候頃ハ弥生の半路々花も咲みだ れ〈₂オ〉 (15)次第に歩をはごびツゝ〈運びつつ・₃オ〉 ぼんせぎ. ぬかつぎ. (16)沖見レハ戸倉嶋又松ヶ下盆石岩を一覧金比羅ニ稽首〈₃ウ〉 (17)立登ル姿ハ瀧をさかさまにかだむけて落くる白糸 〈傾けて・₄オ~₄ウ〉 ◆12ウ~13オに₁例あり ちか より. (18)近寄見る中にしゞく衣裳ニぬれかかりあわでゝ後退レと〈慌てて・₅オ ~₅ウ〉. すかだ. (19)奇妙奇異なる石 貌 〈₆ウ〉 こう. のだま. (20)先ノ國守肯 山公此地を観給へて祝か崎と 宣 ひしより己來其名を稱せり 〈₇オ~₇ウ〉 し. ぢんれぎ. こゝ. (21)又獅山公も巡歴シ給ひ爰を以て御二代の御咏歌甚おふし〈₇ウ~₈オ〉 やかだ. ふな. (22)郡中の漁夫共召集メ 樓 舩を引ツゝ櫂歌を三拍子ニ唱せで御遊覧ありし処 〈₈ウ~₉オ〉. ね すかだ. ひろ. こと. (23)其時鶴ノ寝 姿 の石を御てづがら拾わせ給ひ御機嫌事殊ニうるわしく〈₉ オ〉 (24)今の瑞兆目出度は誠ニ有かたぎ御代ぞかし〈有り難き・10オ〉 (25)若ぎ男女此磯を一度踏時は夫妻の縁長尽じといひ傳へり〈10ウ~11オ〉 こ. ふもど. たとゑ. (26)海水平湖のことく此山の 麓 四々相かこみ縦令ハ盆池の上に山をかゝけし 如也〈14ウ~15オ〉. のぎ. ゑん かい. さてい まわ. (27)北ハ気仙沼の人家軒を並松崎鶴か浦赤岩沿海の地沙汀廻りつらなり〈16 オ~16ウ〉. つハぎ. (28)はるかに気仙ノ廣田なる 椿 嶋〈17オ〉 ほ. なぎ. (29)心地よぎ舟飛帆ばしる浪の上今日ハいかなる企ならん〈19オ~19ウ〉. - - 6.
(8) Ⅲ.カ行・タ行が長音に後接する場合 (30)崎の名のいわゐの石に千代こめて宿れるつるの姿をぞ見ると咏給ひし聖 りんほう. 人ノ御代麟鳳至りしハ遠ぎ唐事〈₉ウ~10オ〉 Ⅳ.「無声子音(有声子音)+狭母音+カ行・タ行子音+狭母音」構造 ぼんせぎ. ぬかつぎ. (31)沖見レハ戸倉嶋又松ヶ下盆石岩を一覧金比羅ニ稽首〈₃ウ〉 ふぎ. てう. みず. (32)名ニしおふ塩噴穴ハ潮勢満くることに吹あげで〈₄オ〉 あらね. ね. (33)いかなる 霰 となかあふらんひゞぎ音の恐しさ〈響き音・₅オ〉 きせき くわいがん. (34)此側に奇石 怪 岩 みぢ\/で〈満ち満ちて・₆オ〉 へ めく. ふむ. なり. (35)濱を経廻れハふしぎや足踏ことにくゝとひゞぎ鳴しハ扨面白事ぞかし 〈響 き鳴りし・13ウ~14オ〉. ぜつ てう. め. すそ. (36)夫より亀山に登り大田神を拝し絶頂にすゝめハ雌亀山は乾ノ裾に打つゝ ぎ〈打ち続き・14オ~14ウ〉 くうくわつ. てうぼう. つぎ. (37) 空 豁 として見得渡リ風景眺望ニ尽たり〈15オ〉 Ⅵ.「有声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」構造(注₅) ねすかだ. ひろ. こと. (38)其時鶴ノ寝姿の石を御てづがら拾わせ給ひ御機嫌事殊ニうるわしく〈御 手づから・₉オ〉 上に示した音環境のうち、「長音に後接する場合」であるが、加藤(1976)は近 世仙台方言集記載語彙の「かうのけ・こうのけ」 (眉の意) 「なんぼう」 、 (幾らの意) 、 「ほいとう・ほいどう」(乞食の意)について、同時期、および明治期以後におけ る仙台方言集類の長音表記から見て、近世後期には「コーノケ」 「ナンボー」 「ホイ トー」のように長音で発音されていたことを指摘している。本稿でも、 加藤(1976) に倣い、 『岩井崎詣』が作成された近世後期には長音が存在し、 用例 (30) も「トーギ」 と長音で発音されていたものと判断して処理した。 ところで、近世中期から後期において現在の岩手県南部・東部から宮城県にかけ ての地域で作成された「庶民記録」を扱った作田(2007、2009、2011、2013a)や 近世後期において現在の宮城県丸森町にあたる地域の庶民層が執筆した「道中記」 を扱った作田(2013b)からも「長音に後接する場合」という音環境で有声化して いた用例が確認されている。したがって、『岩井崎詣』が作成された現在の宮城県 気仙沼市を含めた近世後期の仙台藩領では、少なくともこの音環境下では有声化し ていたことが窺える。 3.3 近隣地域との比較 『岩井崎詣』に見られた語中・尾のカ行・タ行子音が有声化する音環境は、近世 - - 7.
(9) 期の近隣地域においても見られたのだろうか。この点を明らかにするために、作田 (2007、2009、2014)において近世中期から後期の庶民層が作成した地方語文献よ り得られた語中・尾のカ行・タ行子音が有声化する音環境との比較を行いたい。な お、作田(2007、2009、2014)では、以下の地方語文献を取り上げている。 ・現在の宮城県南三陸町(旧志津川町)にあたる地域で近世中期から後期に作 成された庶民記録₂種・・・作田(2007、2009) ①『天明飢饉物語』・天明期(1781~89)成立・作成者不明・村役人?・南 三陸町図書館所蔵本 ②『大飢饉記』・天保₉(1838)年成立・山村孫兵衛・元肝煎・南三陸町図 書館所蔵本 ・現在の宮城県登米市(旧東和町)にあたる地域で明治₄(1871)年に庶民層 が作成し、現在の岩手県陸前高田市にあたる地域で明治₅(1872)年に庶民 層に書写された人情本である『奥州桃生郡女川久登起』₁種・・・作田 (2014) そこで、 『岩井崎詣』、および近隣地域で作成された地方語文献から得られた語中・ 尾のカ行・タ行子音が有声化する音環境、さらには昭和中期と現代方言において見 られる有声化の音環境を合わせて記したものを表₃として示す。 表₃を見ると、語中・尾のカ行・タ行子音が「母音音節に後接する場合」 、 「広母 音尾に後接する場合」、 「無声子音(有声子音)+狭母音+カ行・タ行子音+狭母音」 構造においては、近世を通して資料や時期、地域を問わず、用例が確認できる。 これらの音環境のうち、まず、「無声子音(有声子音)+狭母音+カ行・タ行子 音+狭母音」構造について、『岩井崎詣』の成立地の近隣地域で近世中期から後期 に作成された庶民記録からも有声化している用例を確認することができる。また、 『岩井崎詣』の成立地である宮城県気仙沼市を含む昭和中期の三陸地方南部地域の 方言音声を論じている加藤(1972)が、「口(くち)」の「ち」や「聞く(きく) 」 の「く」を有声音で発音すること、宮城県気仙沼市の近隣地域である昭和後期の宮 城県北部地域の方言音声について論じている佐藤和之(1983)が、 「狸(たぬき) 」 「靴(くつ)」[k¨ts¨]を[k¨dz¨]、 「聞く(きく) 」[kïk¨] [tan¨kï]を[tan¨gï]、 m. m. m. m m. m. m. を[kïg¨]のように有声化して発音することを指摘している。さらには、現代方言 m. の大橋(2002)でも有声化する音環境として取り上げられていることから、近世後 期以降、現代に至るまで有声化しやすい音環境であることが窺える。 一方、 『岩井崎詣』とその近隣地域で近世後期の庶民層が作成、 および書写した『奥 州桃生郡女川久登起』において有声化する「長音に後接する場合」であるが、『岩 井崎詣』の成立地の近隣地域で近世中期から後期に作成された庶民記録から用例を 確認することはできなかった。しかし、庶民記録の対象地域を現在の宮城県全域へ - - 8.
(10) 表₃ 音環境から見る近世後期と現代における語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化 大橋(2002). 加藤(1972). 作田(2014). 『岩井崎詣』. 作田 (2007、2009). 現代方言・ 高年層. 昭和中期方言・ 高年層. 近世後期~明治初期 人情本₁種. 近世後期 道中記₁種. 近世中期~後期 庶民記録₂種. 宮城県気仙沼市 宮城県南三陸町 宮城県登米市 宮城県本吉町 岩手県陸前高田市 (旧気仙沼市) (旧志津川町) (旧東和町) (現気仙沼市) (現陸前高田市) 宮城県気仙沼市 岩手県陸前高田市 (現気仙沼市) (旧陸前高田市) 宮城県唐桑町 (現気仙沼市) 宮城県本吉町 (現気仙沼市) 母音音節に後接する場合. ○. ○. ○. ○. ○. 広母音尾の子音音節に後接す る場合. ○. ○. ○. ○. ○. 長音に後接する場合. △. ―. ○. ○. ―. 促音に後接する場合. ×. ×. ×. ×. ×. 撥音に後接する場合. ×. ×. ×. ×. ×. 無声子音(有声子音)+狭母 音+カ行・タ行子音+狭母音. ○. ○. ○. ○. ○. 無声子音+狭母音+カ行・タ 行子音+広母音. ×. ―. ○. ―. ―. 有声子音+狭母音+カ行・タ 行子音+広母音. ―. ―. ○. ○. ―. 【表の見方】 (1)記号は次のように付した。○=有声化する、×=有声化しない、△=条件により有声化する、―=用例が得られなかっ たもの、または報告されていないもの。なお、作田(2007、2009)のうち、ここでは₂種の庶民記録を扱っているが、 そのうち₁種でも用例が得られた場合には「○」に記号を付した。 (2)本稿で扱った使用から「撥音に後接する場合」の用例が得られなかったが、作田(2007、2009)で扱った庶民記録や 作田(2014)で扱った『奥州桃生郡女川久登起』においても用例は確認できなかった。また、昭和中期、および現代方 言の結果から、近世中期から明治初期当時においてもこの音環境では有声化していなかったものと判断し、便宜的に「×」 の記号を付した。 (3)音環境として示した「母音音節に後接する場合」から「無声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」構造は、大橋(2002) で取り上げられているものである。ただし、 「無声子音(有声子音)+狭母音+カ・タ行子音+狭母音」構造については、 大橋(2002)において「無声子音+狭母音+カ・タ行子音+狭母音」のみを取り上げているが、本稿で扱った資料から は「有声子音」の用例も確認することができるため、この分類に含めて処理した。 (4)また、「有声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」構造であるが、大橋(2002)や作田(2007、2009)では用例を 確認できなかったものの、作田(2014)、および本稿で扱った資料から用例を得ることができたため、項目として新たに 加えた。. と広げてみると、この音環境で有声化している用例を作田(2007)から確認するこ とができる。ただ、大橋(2002)では、現代方言において長音が₁モーラ相当の接 続時間を有しない場合を条件として有声化することが指摘されているものの、明治 期から昭和初期における仙台市方言の音韻を論じている小倉進平(1932)には、 「箒 hoːki–hoːgï」 (p.63)のように長音に後接する場合でも有声化する例が挙げられてい る。このことから、近世後期から昭和初期までは長音でも有声化していたが、現代 になると大橋(2002)が指摘する条件下でのみ有声化するようになったと考えられ る。 - - 9.
(11) また、 『岩井崎詣』と『奥州桃生郡女川久登起』で有声化する用例が得られた「有 声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」構造であるが、現在の宮城県南三陸町 (旧志津川町)を含む宮城県において近世中期から後期に作成された庶民記録から は用例が確認できず、さらには、昭和中期の加藤(1972)や現代方言の大橋(2002) でも報告されていない。しかしながら、少なくとも近世後期の宮城県北東部や北部 地域では、この音環境で有声化していた可能性が高かったと言えそうである (注₆) 。. ₄.まとめと課題 以上、現在の宮城県気仙沼市(旧気仙沼市)において近世後期に作成された『岩 井崎詣』を対象とし、作成当時の方言を知るための地方語文献としての資料論的考 察を行い、近世後期以降の「語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化」について 音環境の面から検討を行ってきた。その結果をまとめると、次のようになる。 ①『岩井崎詣』の資料的性格であるが、作田(2011、2012、2013b)で扱った「道 中記」が「旅行の日記・紀行」としての性格が強いのに対し、 『岩井崎詣』は「道 中記」の範疇に含まれるものの、 「地元の観光案内記」 に近い性格を有している。 また、音声面における方言的特徴が表記面に反映されていることから、近世後 期における現在の宮城県気仙沼市(旧気仙沼市)にあたる地域の地方語文献と してある程度有効な資料となり得る。 ②音声面における方言的特徴のうち、「語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声 化」を取り上げ、音環境の面から現在の宮城県気仙沼市(旧気仙沼市)におけ る近世後期当時の使用状況について近隣地域と比較しながら検討したところ、 「母音音節に後接する場合」、「広母音尾に後接する場合」 、 「無声子音(有声子 音)+狭母音+カ行・タ行子音+狭母音」構造については、有声化しやすい音 環境であるということが推定された。この推定は、昭和中期や現代方言におけ る有声化の傾向から見ても、十分妥当性があると考えられる。したがって、少 なくともこれらの音環境下では、近世後期以降、現代に至るまで有声化してい ることが判明した。ただ、「長音に後接する場合」だけは、近世後期に有声化 する音環境であったが、現代に至る間に有声化しなくなってしまうというよう な時代による違いも確認することができた。 今回の検討を通し、「道中記」の中でも庶民層が記した「地元の観光案内記」と いう性格を持つ資料にも方言的特徴が反映されていることが明らかになった。今後 の課題として、宮城県気仙沼市(旧気仙沼市・旧唐桑町・旧本吉郡本吉町)におい て、本稿で扱った「道中記」を含め、近世に作成された地方語文献の更なる発掘調 査、および資料論的検討を行い、それらから得られた用例と本稿で得られた結果を 比較することで、近世における「語中・尾のおけるカ行・タ行子音の有声化」の使 用状況をより確実な、かつ正確なものにしていくということを挙げておきたい。 - - 10.
(12) 注 ₁.宮城県古文書を読む会編(2007)には複写本の翻刻されたものや本文中の用語 注釈も記載されている。 ₂.〈₂オ〉〈₁ウ〉は「₂丁オモテ」「₁丁ウラ」に用例があることを意味する。 ₃.加藤(1972)では1966~1971年にかけて三陸地方南部24地点を調査した音韻の 結果について報告されている。調査地点の中には『岩井崎詣』の成立地である宮 城県気仙沼市も含まれているが、主として岩手県遠野市の調査結果が記述されて いる。しかし、各調査地点の音韻体系に違いがないため、本稿の対象地域である 宮城県気仙沼市にも適用できるものと判断した。ただし、違いが見られた場合に は< >で注記しておいた。 ₄.大橋(2002)では「無声子音+狭母音+カ行・タ行子音+狭母音」構造のみを 取り上げているが、本稿で使用した資料では「有声子音+狭母音+カ行・タ行子 音+狭母音」構造の用例も確認できたため、この分類に含めて処理した。 ₅.作田(2007)では庶民記録から得られた「無声子音+狭母音+カ行・タ行子音 の有声化+広母音」構造を「Ⅴ」として処理したため、ここでは「無声子音+狭 母音+カ行・タ行子音の有声化+広母音」構造を「Ⅵ」として処理している。 ₆.作田(2009、2013a)では、現在の岩手県南部・東部、および福島各藩で作成 された近世の庶民記録から、この音環境下で有声化している用例が得られている。. 文 献 大藤修(2003)『近世村人のライフサイクル』山川出版社 大橋純一(2002)『東北方言音声の研究』おうふう 小倉進平(1932)『仙台方言音韻考』刀江書院 加藤正信(1972)「第₁章 音韻」〈佐藤喜代治・加藤正信「三陸地方南部の言語調 査報告」所収〉『日本文化研究所研究報告』別巻₈・₉〔東北文化研究室紀要 通巻12・13〕 加藤正信(1976) 「江戸時代以降の仙台方言史―転訛を中心として―」佐藤喜代治 教授退官記念国語学論集刊行会編『佐藤喜代治教授退官記念国語学論集』桜楓 社 国史大辞典編集委員会編(1989)『国史大辞典』10 吉川弘文堂 齋藤孝滋(1990) 「岩手県における語中子音有声化現象―音環境・語彙的事情・世 代の観点から―」『国語学研究』30 作田将三郎(2007) 「庶民記録から見たカ行・タ行子音の有声化―宮城県を例に―」 『国語学研究』46 作田将三郎(2009)『庶民記録による東北地方語史研究』平成20年度東北大学大学 院文学研究科博士学位請求論文 - - 11.
(13) 作田将三郎(2011)「近世中期における盛岡藩下級武士の音声方言の特徴―岩手県 二戸市立図書館所蔵『伊勢参宮道中記全』を例に―」 『旭川国文』24 作田将三郎(2012)「近世後期における八戸藩領紫波郡上土舘村の音声の方言的特 徴について―『道中記覚』に見られる表記を手がかりとして―」『旭川国文』 25 作田将三郎(2013a) 「庶民記録から見たカ行・タ行子音の有声化―岩手県を例に―」 『語学文学』51 作田将三郎(2013b) 「地方語文献資料としての『伊勢参宮仕候御事』 」 『旭川国文』 26 作田将三郎(2014)「『奥州桃生郡女川久登起』に見られる音声の方言的特徴」『旭 川国文』27 作田将三郎(2016)「近世後期の「紀行・道中記」に見らえるカ行・タ行子音の有 声化―『道の記旅硯』と『参詣記』を例に―」『旭川国文』29 作田将三郎(2017)「道中記と庶民記録による近世中期以降の方言音韻史―岩手県 二戸市におけるカ行・タ行子音の有声化現象を例に―」 『日本語学』36-₉ 佐藤和之(1983)「₁.音韻」〈加藤正信・佐藤和之・小林隆「宮城県北部の方言調 査報告」所収〉『日本文化研究所研究報告』別巻19〔東北文化研究室紀要通巻 23〕 宮城県古文書を読む会編(2007)『宮城県古文書を読む会創立30周年記念誌 参詣 往来』宮城県古文書を読む会 宮城県古文書を読む会編(不明)『古文書を読む会テキスト』32 宮城県古文書を 読む会. - - 12.
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