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古代に於ける地名について(2)

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Academic year: 2021

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(1)Title. 古代に於ける地名について(2). Author(s). 栗原, 薫. Citation. 北海道学芸大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 13(1): 1-4. Issue Date. 1962-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3817. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第1 3巻. 第1 号. 北海道学芸大学紀要 (第一部B). 昭和37年8月. 古代に於ける地名 について (2) 栗. 原. 薫. 北海道学芸大学旭川分校史学研究室. Ka。ru KUR工HARA ; on Ancient Ge I Names.低) ographi ca. 目. 次. ー 序 二 後方羊蹄について 三 粛慎について. 一 序 古代に日本人に知られた北海道叉はそれ以北の地名の中 日本語源と思わ れるものの中 後方 , , 羊蹄と粛慎の二つについて論じた, 二. 後方羊蹄について. )に, 其の五年 阿倍臣が蝦夷国を討ち 問菟の蝦夷の後方羊蹄を 政所 日本書紀斉明天皇の巻1 , , としたいとい う申出にしたがい, 郡領を置いて帰ったと記されている. この後方羊蹄は 原注に , )に, 羊蹄を 和名抄に羊 此ヲ云二斯梨蔽之- とあり, 叉傍訓にもシリヘシとある. 日本書紀通釈2 , 蹄菜を和名シとも読ませているの等を 引いて説明している. 後方はシリヘと読む事疑うべく も無 いから両方併せてシリヘシとなり, 日本書紀原注及傍訓は後方羊蹄の元来の訓 1み方を忠実に示し て い る 事 にな る.. .後方羊蹄について 同名或は類似名の土地及び高山が蝦 さて, 日本書記集解及び書紀通釈に, , 夷地にある事が指摘されてより, その事が注目されている. 此はアイヌ地名なのであるが 日本 , 書紀の後方羊蹄の後で使用されだしたのであるかもしれぬ, そしてシリヘシの名については, 元来日本語源の地名であったが, 後アイヌ地名 化して尻別な どと呼ばれるようになったのだとも言い得よう. 唯其の為には, 日本語でその意味が説明出来ねばならない. シリヘシのシリヘは後方の字が説明 している意味であろう. 土地を前後に分け, その都より遠い部分を後コシリと呼んだ事は, 豊後をトョクニノミチノシ リと読み, 丹後をタニハノミチノシリと読むなどの例がある. 隠岐を島前, 島後に分け本土より 遠 い 方 を 島 後 と して い る.. そ して ドウ ゴ と 読 ん で い る が, ミ チ ノ シ リ と 云 っ て 居 た 事 が あ る の か. も知れない. これは一つの群島を前後に分けた例である. 沖縄本島も本土より遠い南端部が島尻 で, 北端部が国頭である. 此は琉球人がつけたとい うより, 日本より渡来した貿易商人が, 日本 の習慣に従って付けた名でで もあろぅか. - 1 -.

(3) . 原. 栗. 薫. 後と云 うのは, 前があるからであるが, 前の無いの もある. 前述丹後 も丹波に対する丹後て, )に 大雀命が太子だった時, 父応神天 皇より日向の髪長比費を 前後相 対していない。 更に 古事記3 カミノ ゴ ト. コハダ ラトメ ラ. キ コ エ シ カ ドモ. アヒマ クラマ ク. 賜った後に, 美知能斯理 古波鞄蓑登費麦 迦徴能碁登 岐許 延斯迦秤母 阿比麻夕良麻久 とぅ ウ ルハ シミオモ ネ シク ラシゾモ アラ ソハ ズ ・ノ シ リ ミリ コハダ ラ トメハ 斯久麦斯叙母 宇流波志美意母 たよみし給い, 叉美知能斯理 古波砲蓑登賓波 阿良嫌波受 涯・ 布 と歌い給うた. このミチノシリは 遠い辺境とい う位の意味で漠然 と指しているのである. それ は陸奥;ミチノクニミチノオクな どと同 じ云い方だと思われる. 唯陸奥のように一定の地域を指 す ようにな らなかっただけである. 此等は漠然としたミチノクチな どと云 う地名と相対すべきで あるが単にミチノクチという呼び方は残されていない ようである. シ リ ヘ シ の シ リ も そ の よ う な 意 味 で あ ろ う. ヘ は そ の 方 一 帯 とい う 事 で あ ろ う.. ) に道口岐閣国造 があり対になっている. )に道 尻岐開国造, 旧事記5 (古事記4 また小地域を指して単にミチノクチと云う例はある. 和名抄郡郷 部常陸国多珂郡に道ロ郷 があ )に も出ている. これは元来はや>広い地域 だったのか も知れぬ. る. 同郷は常陸風土記6 )孝霊天皇大倭根子日子賦斗通命の御代, 針間を道口と して吉備 叉普通名詞としては, 古事記7 ) 国を言向和し玉うたと記されている例がある. シ リ ヘ シ の シ に つ い て は,. 島 ニ シ マ が シ に な っ た の で は 無 い か と 思 う.. ′. 私はかつて北海道学芸大学 紀要十一巻一・二号古代に於ける神社の研究 で, 地名の何々 シマが 何々シになる例 があり, 築紫, 武蔵, 高志な どの地名 のシもシマと云 う意味で, 対になってほ ぼ 同時につけられたものであろうと論じた. シリヘシの場合もこれ 等と並べて考えられる命名 では 無いかと思 う. 斉明紀のす ぐ後に, 陸奥蝦夷につづいて渡嶋蝦夷が出て居り, 叉注に度嶋の名 も出ていて, シ リヘシがワタリシマの地と同じ地帯を指すのであれば, シマの名がふさわしくない事 もない. ÷ 唯シマの地名は山間にもあ り, 着物の縞の如く入れ代り 立代り順々に重っている 中の まとま . りと云う事 があり, そのような意味では単 に一地域とい う位の事になる. 武蔵, 高志な どのシが シマであれば, そう云う意味なのであ る. 神代紀に一書に越の洲 が大八洲の中にあ げられている と してい る そ の シ マ は そ の 意 味 で あ ろ う.. この意 味に解すれ ば, シリヘ 汲ま都より遠く離れた一帯の地と云う事にな る. そ うすれば元来 津軽海峡以北 でなくても良くなる. 筑紫等の地名と対の名だとすれば, 斉明朝より古く地方辺境を呼んだ名だったかもしれ ない. 殊にミチノク が一番辺境をさ しているのと別の表現の仕方 である. 書記に後方羊蹄と前後してアイヌ語と思 っれる地名がかなり出ている事を見れば, 古代日本 人 が蝦夷地に進出してむやみに日本名をつけ たものでは無いらしい. しか し渡嶋の如く 日本語で説 明出来るのもあり, 事にふれ日本名をつけたのであろ う. 注 1) ) 2 ) 3 4) 5 ) 6) 7). 15頁. 増補六国史, 日本書紀, 下巻, 2 50頁. 日本書紀通釈, 33 新訂増補国史大系, 古事記, 103頁, 新訂増補国史大系, 古事記, 19頁. 4頁. 標注校本旧事記, 23 日本古典文学大系, 風土記, 89頁. 7頁. 新訂増補国史大系, 古事記, 66頁一6. 三. 粛慎について. 欽明紀及斉明紀記載粛慎IH山 一 は佐渡 島に渡来した異民族であり, 一 は蝦夷に接する異民族 一 2 ー.

(4) . 古代に於ける地名について 脂). )は新羅人と共に渡来し或は大唐人 蝦夷と共に位 である. つゞいて天武紀, 持続紀記載の粛慎2 , や物を賜って いる. 傍 訓 に ミ シハ セ 叉 は ミ シハ セ ノ ク ニ 叉 は .ミ シ ハ セ ノ ヒ ト叉 は ア シ ハ セ 叉 は ア シ ハ セ ノ ヒ ト 叉 は ア シハ セ ノ ク ニ 叉 は ミ シ ム セノ ヒ ト と よ ま せ て い る.. 粛慎を音読 してはミシハセに もアシハセにもならない しそれに連る訓にはならないので, 此は 日本語 等の訓である. 日本語の訓だとするとその語義は如何. 書紀通釈, 日本紀標注皆その意 味 は 分 ら ぬ と して い る.. 思うに, ミシハセのハセは奈良県磯城郡の初瀬≠長谷;迫 瀬と同じで, かつて前述拙稿古代に 於ける神社の研究の中で論じて置いた如く, 他境に出る境と言う意味だと思う. )に例があり, 日本書紀4 )傍訓にも例がある. この語義を谷川 十二月 をシハスとい うのは寓葉3 士清 の和談 !梁は歳極るの義なるべしと言ってい る. 私 は トシハ ス の 意 で, ハ スは 前 述 ハ セ と 同 じく そ こ か ら 外 に 出 る 境 の 意 味 で あ ろ う と 思 う.. ハ. セは連用 形が名詞化したので (例が多い) ,ハスは終止形が名詞化 したもので同義ではあるまいか. シは土清の如く歳の意 とすれば, 年か終って次の年に 入る境の意味になる. 此所にハシ=ハセの上につく語の最初の一字が落ちている事が, もしミシハセにもあるとすれ ば, ミ シ ハ セ のミ シ は 恐 らく エ ミ シ で あ ろ う. エミ シ の国 が つ き て, 更 に 他 の 地 域 に 入 る 所 が エ ミ シ ハ セ = ミ シ ハ セ で 更 に ミ シ ハ セ に 接 して い る 国 だ か ら,. ミ シハ セ の 国 と い っ た の で あ ろ う. い い か え れ ば エ ミ シ の 向 う の 国 の 意 で あ る.. 更に叉考えると書紀傍訓は粛慎の出ている巻十九, 巻二六, 巻二九, 巻三十は最も古い もので 平安末期よりはさかのぼれない写本のもので, 当時の傍訓は釈日本紀の秘言 丸 1を見ると例えばク ダ ラ ク ニ ニ ラク ル と 訓 を つ け る べ き を ク タ ラ ク ニ ラク ル と 訓ま せ,. 百 済 がク タラ ク にな っ てい る如. き単純な間違いがかなりあり, これは文化 が固定化 し先例が重んぜられるにいたり, よく分るは ずの簡単な間違い もそのまま正しいものとして伝承するようになった為であろう. 粛慎の傍訓は 五ヶ所のみであるが,何かでエミシハセの工が間違いで落ちてしまったのではあるまいか. 或は斉 明 紀 の方 の 傍訓 に は ア シ ハ セ ノ ク ニ と ミ シ ハ セ ノ ク ニ の 二 つ が あ る が,. 5 ) 等に 使わ ’ J 1 釈 日 本 紀 秘言. れているミはァ に似ているので,アと元来書いてあったのをミとよみあやまったのかもしれない. ア シハセだとすると, アシは前出拙稿にふれて置いた如く倭建命と関聯ある地名と思われるの :ある地方, 倭建命が平げられた蝦夷国, 日高見 で, ア シハセはァシ即ち倭建命の征討事業 に関耳 ヂ i 国な どから更 に外に出る境の意味であろう. 欽明紀佐渡島の場合は, 粛慎の隈という地名がでている. クマは日前をヒノクマと言う如く, 一番前をい う事があり, この場合粛慎人の住地の一番先端と言う意 味であろうから, 蝦夷の境で は具合が悪く, したがってミシハセよりアシハセの方がふさわしい. ただ蝦夷北方の民族をミシ ハセ=エミシハセとよ ぶ事に固 定されていて, ごく機械的にそう傍訓をつけたのであれば理解で き る.. .. シリベ シやアシハセなどの地名- 民族名は, 都を中心とした統一された日本を 反映した名であ る. 都を遠くはなれた地, 或は服属 した蝦夷 に境を接する国という意 味だからである. 凡そ南支郡を上代日本人がク レとよんだ事は, 聖徳太子の示し給うた如く我が国が日出る国で 大陸は日没する国だという国民的自覚がうかがわれるが, 叉南朝が北方 野蛮 人におびや かされな がら落日の如き女化のかがやきを周囲に及ぼしていた事, それへのあこがれ も汲取れるように も 思う, 更に南 朝に日暮の運命を課していた北方蛮族への対立感情 もあったもしれぬ, アシハセの 一 3 ー.

(5) . 栗,. 原. 薫. もあるのである. 両方の で・ ハセは境の意味だが, 元来宗教的な意味があり, こえてはならない境・ 地名 に共 通して北 方 蛮族への対立感 も出ているようである. 一方ではアシハセにはそこにのびて ゆこうとする統一意欲が出ているのに, クレの場合は日出る日本と日くるる大陸と対称しただけ であるという相違がある, 注 i) 増補六国史, 日本書紀, 下巻, 55頁一56頁, 213頁. 218頁,. 下巻,27 6頁340頁, 3 43頁. 2 ) 3 ) ) 4 5). 国歌大観歌集7 42頁. 新訂増補国史大系, 日本書紀, 上巻, 1 26頁. 増補六国史, 日本書紀, 下巻, 14頁. 新訂 増補国史大系, 第八巻, 釈日本紀, 147頁, 他に例多し, 百済将軍をクタラクノシヤウクソとょま せたのもある.. - 4 -‐.

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