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教育基本法成立の始原

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(1)Title. 教育基本法成立の始原. Author(s). 古野, 博明. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 43(2): 41-56. Issue Date. 1993-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5250. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第4 3巻 第2号 lof Hokkaido Universi ion(Sec Jouma ty ofEducat ionIC)Vo l t ‐43 .2 , No. 平成 5年3月 March ,1993. 教育基本法成立の始原. 古. 野. 博. 明. は じめ に. 教育基本法(昭22 , 法律第25号)の成立にいたる動 きは, いっ たい, いっ, 何を起動的 . 3‐ 31 動機として始まっ たのであるか. 教育基本法成立の始原のおき方は, 教育基本法というものを どう 押さえるか, その本質規定にかかる重要な探究の課題である ‐ 教育基本法の成立については, 第90議会衆議院の帝国憲法 改正草案審議過程においてなさ れた , 田中耕太郎文相の一連の 「教育根本法」 発言に起点を置き, 彼の発意と熱意を原動力としてこれを とらえるという見方が広く普及している. それには有力な根拠があっ た すなわち 文部省内の教 ‐ , 育基本法の草案起草作業を実務的に指導した田中二郎 (文部省審議室参事・東京帝国大学法学部教授) は , 後年, 「教育基本法の制定という ことについては, 私は田中耕太郎先生の文部 大臣としての熱意が )と 断 言 し て い る 周 知 の ごと く こ れ を 発 やっ ぱりなんといっ ても一番中心だっ たと 思い ま す ね」,1 ‐ , 掘した鈴木英一は, 田中 (耕) に焦点を定めて教育基本法の成立を解き 構想のルーツを求めて第 , )ここに本格的な教育基本法研究の道は拓 90議会の彼の「教育根本法」発言に言及した のであっ た.2 かれ, その後の諸々 の研究が, さま ざまなバリ エーショ ンをともないつつも かかる根拠と見方に , リー ドされてあっ たのはだれもが認めるところ であろう 筆者の論究もしばらくはそのうちの一つ . であ っ た‐. が, 翻 っ て考えてみると, このような通説には疑 問が生じないわけではけっ してない 諸々 の著 . 作や発言に現れた田中 (耕) の立論には, 教育根本法=教育基本法に連なる発想を認めがたいばか りか, 教育権独立 (政治と教育の分離) 論の裏側の論法として教育の理念や目的の類を憲法や法律 で定めることには懐疑的な傾きが強く, 彼の信念と 田中 (二) のいうその 「熱意」 との間に矛盾の あることを認めないわけにはいかない. しかも, 田中 (二) 証言は これをよく吟味すれば 教育 , , 3 )という認識と表裏の関係 で語られてある 教 刷新委員会が「大きな役割を果た したとは 思わない」 . 育基本法成立の始原の探究に際しては, 一度通 説の見解と根拠を離れて 問いのより精密な発し直 , しを必要とするの ではあるまいか‐ 端的に, 教育基本法の構想は はたして田中 (耕) の内発的独 , 創 であっ たのか否か, と‐ これの解かれ具合如何によっ ては先の田中 (二) 証言は相対化さ れて , 通説の適用限界が割り出されることも予期 しないわけにはいかないように 思わ れ る そ こ で 第 90 , ‐ 議会での田中 (耕) 文相による 「教育根本法」 発言の裏側に教育根本法=教育基本法に連なる構想 ないし発想がはたして実体として存在したのか どうか, この点の見極めを通路として 以下頭書の ,. 課題に迫っ てみよう‐. 41.

(3) . 古 野 博 明. 1. 田中 (耕) の 「教育根本法」 の発言の実像. (1) あまねく知られているように, 田中 (耕) 文相の 「教育根本法」 発言は1946年6月 27 日 の森戸辰男 (日本社会党) の質問演説に対する答弁が最初であっ たから, まず, 6月段階の実際が問 題となろう. 第一に, 議会の憲法草案審議をにらんで文部省内で用意された予 想質問・答弁資料に は どうあっ たか. その一つ 「憲法改正草案関係答弁資料 (文部省, 昭和21年6月)」 には, 教育立 法にかかってただ-箇所, 「国民の権利義務に関係するところ大なる」 教育については 「今後法律に 改むべきものと思ふが政府の所見如何」 と問い, これに答えて 「学校教育の全般に亘り 重要なる事 項は法律で規定すべきことが憲法改正の趣旨に 沿ふ所以であり又立憲的である」 ので 「目下学校教 )社会教育局作成の資料にも 「国民の権利義 育に関し法律案を準備」中である, と記されてあっ た‐4 , 務に関係のある事 項に就ては, 之を単行法とする か否かは別として議会の協賛を得たい」 「図書館, )これら大 博物館等の施設, 社会教育団体等も法的根 拠を与え度いと存じ研究」 している, とある.5 臣答弁用の資料には, 憲法改正草案第24条の趣意に則して教育立法の法律主義原則を採り, これに 沿っ た法律案を準備・研究中である 旨が述べられているにす ぎない. 第二に, 米国対日教育使節団 に協力すべき日本教育家委員会の改組拡充, すなわち, 教育刷新委員 会設置の方針が浮上するに合 わせて策定された文部 省の新部局, 教育刷新資料部 (教育調査部) 案ではいかにあっ たか. 大臣官 8日付「教育刷新資料部概算書」 は, 企画, 調査, 審議, 統計の四課編成でこ 房文書課作成の6月1 2 )米国教育使節団 1 )教育刷新委員会に関する事務, ( の新部局を構想 し, 審議課の所掌事務として, ( 4 )教育に関する憲法附属法令の調査研 3 )委員会の答申に基づく具体的方策の立案, ( 報告書の検 討, ( )194 2月 4 日の調査局設置に 6年1 )教育行政機構に 関する調査研究, の五項目を掲げている.6 5 究,( 連なるこれの審議課は,8月 28 日の審議室設置という 暫定措置を経て実際に教育 基本法の草案起草 を直接担当することに なる注目のセクショ ンである. このように重要な構想にも憲法附属教育法令 の調査研究が記されたにす ぎず, 教育根本法=教育基本 法という発想に直接関連するものはその萌 芽すら現れていない. 第三に, では, 田中(耕) 文相自身について着目する と事態はどう映るか. 6月 24 日の衆議院本 会議, 彼は松原一彦 (新光倶楽部) に応じて, 彼自身の教育施政方針ともいうべき積極的答弁を行っ )冒頭 政治と教育の理念的関係に論及してこう言い切っ た,「共同ノ福祉ト云フモノ ガ国家 ている‐7 , 社会ノ目標デアリ, 進ンデ行カナケレバナラナイ北極星デアル」 , と‐ ここに共同の福祉とは, 人間 「 の物質的, 経済的幸福のみならず, 人間ノ精神的, 倫理的使命」 をともない 「宗教, 政治, 教育ノ 薄然一体ラナシタル所ノ綜合的問題」 である. 田中 (耕) は, これの実現には人間が自己目的であ ると いう原則と社会連帯, 義務履行, 秩序尊重の原則がともに重要であるとしながら, これからの 教育の 「目途」 「理想」 はかかる 「共同ノ福祉ニ貢献シ得ル所ノ人間ヲ養成スル」 ことにある, とし たのであっ た. 政治と教育の理念的同一性を説くかかる教育 目的論は, それが教育の「内容的方面」 に及ぶとき真理教育, 人格教育の理念と して展開する‐ この日の答弁 でも旧来の国策遂行的教育目 真灘1ノ 的に対置して, 「真ノ民主主義的ノ教育ノ・ , 真理以外ノ何モノニモ奉仕シナイ, 真蝉1ノ認識, バ 国主義的ノ 尊重及ビ真麓1ノ愛ニ依ッ テ一貫セラレルモ ノデナケレ ナリマセヌ,教育ノ内容カラ軍 , ・ 、 ノ 真ノ意味ノ人格教 ノ ノ 是 生ジタ所ノ真空状態ヲ満ス 主義的ノ内容ヲ払拭シマシテ 又極端ナ国家 , 育デナケレバナラナイ」 と力説し, 政治と教育の分離の根拠をも合わせて示唆 したのであっ た‐ 田 中 (耕) は, こうして, 議会でも彼の個性を直裁に 表出させてみせたのである, ただし, 教育改革 に際しその指導理念を最重要視するというかぎりにおいて. さらに彼は,「制度的方面」に対しても, 42.

(4) . 教育基本法成立の始原 かかる教育理念の実現なしには 「国民ノ・反対ノ方向ノ誤りニ陥ル危険ガアル」 という筋で改革の必 要を説き, 教育権の独立論にも言及した. が, それの省内準備作業については 「少ナクトモ学校制 度ノ根幹ニ関スル限りノ・立法事項ニ致ス必要ガアリマシテ, 其ノ目標ヲ以テ近々教育調査部ヲ設置 シ, 改革ノ準備体制ヲ整へタイ ト存ジ, 目下其ノ準備ノ・相当ニ進捗シテ居 ル」 (傍点弓 ー用者)と述べた にす ぎない. 先掲諸資料の含意に一致はするものの, 教育理念の法制度的確立の必要については何 も語っ ていない‐ かく して, 教育理念の根本的転換を必要視し省内の準備 作業を正確に反映してい た文相自身の教育施政方針からも, 教育根本法=教育基本法への問題意識すら窺う ことはできない のである. というより, そこには教育理念の法定に懐疑的な彼の論法が貫かれてあっ た, と見る方 がより精確なのではあるまいか. そ こ で, 6月 27 日の発言に至近の以上の諸事実は何 を意味するか. ‐ 端的に, 田中(耕) 自身にも 文部省内にも, 教育根本法=教育基本法制定の意図はその萌芽すら内在していなかっ たのではある まいか‐ とすれば, ここに, 第90議会衆議院における再三の 「教育根本法」 発言を教育基本法構想 の発現とみる通説への疑問は避けがたく, その再検討が必要視されてこよう‐ (2) 田中 (耕) 文相が衆議院で 「教育根本法」 のタームを用いたのは7回に及ん でいるが, そ の最初の言明は, 前述のごとく, 6月 27 日の森戸に対し「教育ニ関スル根本法」 というかたちでな された. そこで, 森戸質問の真義を究め, その論法に対比して, 田中 (耕) 文相発言の実像に迫っ てみよう- 憲法改正草案には 「政治的人権宣言ニ比べテ, 社会的, 文化的人権宣言トモ云フベキ部分ガ甚 ダ 「 稀薄デアル」 , 森戸がこう言っ て提出した 文化的諸規定ノ中ノ教育」 問題は以下のごとく三つあっ 8 ) た. (傍点弓 1用者) ( 1 )教権(教育の自主権) の確立は憲法によるのが最も適当 であるが, 草案にはそ れの規定が欠けている.( 2 )学校制度は議会の協賛を経る法律によっ て規定されるべきもの である‐ ( 3 )教育の根本方針を憲法により議会自身の手で確立しなければならない‐ これらのうち, 田中(耕) の元来の持論で議会各会派に共通の要求でもあっ た( 1 ) 2に ついては, ,憲法改正草案自身が意図する( 森戸の主張がとくに際立つわけではない‐ が, 注目はそれらを布石とした( )であり, 彼はその論旨 3 をこう展開している, すなわち, ①教権の確立がなされたとしても, 「教育ノ根本精神」 「教育ノ根 本法律」 が確立されなければ 「新シキ教育」 を施すことは不可能である, ②しかるに, 従来教育の 根本原理であっ た教育勅語は, 民主主義日本の建設, 欽定憲法改訂のなされる今日 「新シキ教育」 を育成する 「教育ノ根本原理」 としてはす でに十分でないところがある, ③したがっ て, 新時代に 処する 「教育ノ根本方針」 は 「憲法ニ於イテ, 国民ノ代表タル我々ノ手ニ依 ッ テ」 作られることが 必要である, 少なくとも 「此ノ新シイ教育ノ根本ヲ規定スルモノ」 は 「国会ヲ以テ其ノ実質」 が定 められなければならない, と. 「新生日本ノ建設」 の課題にからめて教育の 「使命 を説く森戸にあ ては 「新シキ国民 を 「育 っ 」 」 , 成する」 「新シキ教育」の確立は, 教育の根本方針の転換なしには不可能と考えられた 教育勅語に . ついて, 彼は 「欽定憲法ト略々年ヲ同ジウシテ出来, 恐ラクハ同ジ精神ヲ以テ起草セラレタ」 もの という 見方を示している. このようなかたちで両者の原理的一体性に着目するがゆえに 欽定憲法 ,. の改訂=新憲法制定の機会に, 欽定の教育根本方針の改訂=教育勅語に代わる新教育根本方針の同 時的な確立の必要を認めたのであっ た. では, 新しい 「教育ノ根本方針」 はいかなる形式・手段 で 樹立さるべきか‐ 彼はこれを少なく とも憲法の条規において, 換言すれば国民代表たる国会が定め るべく主張した. ここに, 憲法でこそ 「教育ノ根本方針」 を確立すべしという命題と 「教育ノ根本 ヲ規定 スルモノ」 の実質は少なくとも議会が定めなければならぬというそれが 表裏の関係 で語ら , れてある. 森戸質問の本義・本体は, こう して, 教育自主権の憲法上の保 障と学校制度法定主義を. 43.

(5) . 古 野 博 明. 確立したうえでなお 「教育ノ根本方針一 の憲法的確立による転換を必要視す る戴こあっ たとみなし うる‐ 彼の論法に登場する「教育ノ根本精神」 「教育ノ根本法律」 「教育ノ根本原理」 「教育ノ根本方 針」「新シイ教育ノ根本ヲ規定スルモノ」等々のタームはいずれも,教育勅語の存在に対しこれに取っ 3 )ー③の要求に結び収赦する用い方がなされている. ここに て代わる新根本方針を必要視する筋で( 一度だけ登場する 「教育ノ根本法律」 とは, むろん狭義の 「法律」 ではなく, それの憲法条規成文 化に含意があっ た. では, 田中 (耕) 文相の答弁はいかになされたか‐ 第一. 彼は何よりもまず森戸の第三論点に鋭 く反応した‐ すなわち, 冒頭, 教育根本方針問題を 「教育勅語ガ今後ノ倫理教育ノ根本原理トシテ 3 )-②をとらえ 維持セラレナケレバナラナイカ ドウカ」というかたちに設定し直し -- 森戸のいう( 「廃止スル必要ヲ認メナイ バカ 勅語を ただちに これをみずからの論法に強引にひきつけて , , )その リデナク, 却テ其ノ精神ヲ理解シ昂揚スル必要ガアル」 (傍点引用者)と論結したのであっ た‐ 9 うえで言う, ①教育勅語は 「古今東西ニ通ズル道徳律, 人倫ノ大本」 であっ て, そのなかに 「特ニ 「 軍国主義的又ノ・極端ナ国家主義的要素ノ・見受ケラレナイ」 , ②しかしながら, 教育勅語は 人間デア ラレマスル天皇陛下ノ御言葉」 (傍点引用者) であるから完全 無欠なものではなく, 「其表現等」 今日 の時代に合わないところもある, ③したがっ て, 「今後ノ教育方針」 (傍点引用者) としては, 教育 勅語は, 「古今東西ノ宗教ヤ倫理」 と並ん で, 「将来ノ我ガ国民」 のための修身教育・公民教育のたっ た一つではないが「特ニ重要デ親シミノアル教訓ノーツ」 として取り扱われるべきものである, と. 田中 (耕) に独特の教育勅語自然法論・教育勅語原理相対化論は, かくして, 憲法制定議会で政府 方針のかたちをとっ て内外に 宵示された. それは, 勅語処理問題における文部省当局の独立性の成 立をも意味しよう. また, ここに, 「教育ノ根本方針」の憲法条規成文化論に対する直接の言及はな い. が, かかる論法に沿っ て勅語の精神を深め理解し昂掲すること, この方向が森戸の第三論点に 対置されてあり, 実質的には, これが森戸質問の本体に向けられた対案の意義を有すると解される. 換言すれば, 教育勅語原理の相対化こそが田中 (耕) 文相の教育根本方針であっ た. それゆえに, われわれは, 森戸の第三論点に向けられたかかる論結をこそ, 彼の答弁の本体としてもっ とも重視 しなければならないであろう‐ 第二. 次いで森戸の第一論点=教権確立問題に対し, 立法技術的理由からこれを退けた後,「教育 ニ関スル根本法」 を制定する際に 「其ノ中ニ採り入レタイ」 とした. 教育権独立の憲法的保障とい う彼の学的信念はここでは貫徹されず, 憲法に代えて 「教育ニ関スル根本法」 なるタームが用いら れてある- が, そこに教育根本方針の類を 「教育ニ関スル根本法」 に規定することが想図されてあ る, とはとうてい見られまい‐ というのも, 田中 (耕) が政府方針のかたちをとっ て 官示した教育 根本方針は教育勅語相対化論にあっ たのであるから. 第三. 最後に森戸の第 二論点=学校制度法定 論に対し, 「教育ニ関スル根本法ヲ法律デ規定シタラ ドウデアルカト云フ御質問デ ゴザイマス」と述 べ, 答弁課題の微妙な設定を行っ た‐ しかるのち森戸に同意して, 「少ナクトモ, 学校教育ノ根本ダ ケデモ議会ノ協賛」 を経るために目下その立案準備に着手している, と言っ ている. では, うえの 第二答弁と相僕って, この言明を教育根本法=教育 基本法構想の起点と解してよいであろうか.「教 育ニ関スル根本法」 のタームは, 森戸のいう 「教育ノ根本法律」 の真義とは対照的に, 始めから法 律の形態に流し込むかたちで裏側に現行勅令 主義が対比されてあると読める‐ しかも, 田中 (耕) のいう 「学校教育ノ根本」 (に関する法律) とは, 先掲6月 24 日の言明にある 「学校制度ノ根幹」 に関する法律に同趣意であろう‐ 発言のトーンも森戸の第二論点に対応する教育立法上の法律主義 推進策に力点があっ た. 「教育ニ関スル根本法」の少なくとも法的なかたちは, 文部省で準備中であ るとされた学校制度の根幹に関する法律の意味に解するのが至当であり, ここには, 森戸の用語に 44.

(6) . 教育基本法成立の始原 相似のタームを用いることによる老槍な論点のすりかえがあるように思われる‐ (3) ところで, 田中 (耕) 文相発言の舞台裏では, 憲法改正草案をにらんだ教育改革立法の構 想が模索されつつあっ た‐ すなわち, 第一に, 1946年5月 27日付で社会教育法立案項目(案)が起 0 )それは 「1 社会教育目的」「2 社会教育施設」「3 社会教育団体」「4 社会 案されていた.1 ‐ . . , ‐ 教育課程」 「5‐ 文化機関」 「6‐ 文化ノ保存」 の6項目から成り, 内容的には, 法の規定対象が図. 書館, 博物館, 美術館, 公民館といった社会教育諸施設や文化団体, 青年団, 婦人団等の社会教育 団体はむろんのこと, 民間の工場事業場での教育活動, 文化財の保護から出版, 放送, 新聞, 演劇, 映画に至るまで, きわめて広範囲に設定されてある‐ 社会教育局作成 (推定) のこれが社会教育制 4 度に関する総合的な単 一立法を意図しているのは明らかで, 社会教育法 (昭2 ‐ 法律第207号) に 対する著しい特色を示している. これが社会教育法の最初の立法構想と目される以上その萌芽性・ 暫定性は否めないが,憲法改正草案第24条第1項に含意された教育制度法定の趣意に沿っ て起案さ れたのは確実であろう. 第二に, 1946年6月学校教育局作成 (推定)*の 「新憲法に基づく 学校教育 1 )第1章・総則に規定すべ き事項 第2章・国民学校 第3章・中等学校 (青 法」 が見出されてある‐1 , , 第6章・高等学校 第5章・専門学校 第4章・師範教育 年学校を含む) , , 第7章・大学, から成 , , 「 「 り, 第2章以下に包含せらるべき事項は, 概ね左の如きもの」として, 1. 目的, 2‐ 修業年限, 3. 入学資格又は就学義務, 4. 設備, 編制, 教授訓練, 教科書, 5. 補則」を掲げたこの文書は, 諸学校令の制度をまとめて規定し昭和21年度からの六・五・三制を基本とする当時の現行学校系統 をほぼ維持しようとする意図 (青年学校の中等教育程度への改革を含む) を示している‐ 標題の示 唆するごとく憲法改正草案に沿う べく起案されたものとして, それは, 学校教育法(昭22 . 法律第 946年5月末 2 6号) の草案起草作業の起点と目されよう‐ こうして, 田中(耕)の文相就任直後の1 から6月下旬にかけて, 文部省内では社会教育法と学校教育法というそれぞれ単 一の二大総合法典 の制定準備が, 教育調査部 (教育刷新資料部) 案の実現を待たずに, 生起していたのである‐ この 二つのうち, 憲法改正草案の教育立法法律主義原則に抵触することの明白な 各学校令諸規定の法律 化をめ ざす学校教育法立案の方が急がれた, これが実際の推移であっ たろう‐ 議会で再三言明され た目下準備中の 「学校制度ノ根幹」 「学校教育ノ根本」 に関する法律案とは, 以上のように生成を始 めた教育立法政策の実際の姿に現れた学校教育法のことだっ たの である. *今日, 学校教育法の立案開始の日時を史料的に確定しうるのは, 7月 22 日である‐ (日高ノート1) が, 大橋基 博らは, 6月21日付朝日新聞の, 文部省が 「学校教育法 (仮称)」 制定の方針を決定した旨の報道, 学校教育法 6 47 1年6月頃だとする坂元彦太郎 (当時学校教育局青少年課長, 194 の起草が開始されたのは昭和2 ‐3‐6‐ ‐5‐ 23 ) の回顧談 (浜田陽太郎他編・戦後教育と私--改革をになった人たちの証言, 日本放送出版協会, 197 9年p . 「 「学校教育法案の形成過程」 教育学研究第50巻第4号 4 54 ) に注目している‐ ( , 1頁) そこで, うえの 新憲法 , 46(昭2 1 ) 年6~7月作成は確実であ に基く学校教育法」 が学校教育法立案作業の起点と目される以上, その19 るとみられよう. では, 6月か7月の下旬か. その第3章に 「中等学校 (青年学校を含む)」 (傍点, 引用者) と あることを手がかりにこの問題を以下に少しく検討しておくこととする‐ すなわち, 文部省作成の 「憲法改正草 案関係答弁資料 (昭和2 1年6月)」 には, 問 今後青年学校をどうするか‐ 答 此の間題は初等教育の問題と関連し簡単に決定できないのですが, 大衆青年に地方の実情に即した中等程 度の教育を課する教育機関に改め男女に対して均しく義務制を考慮しておりますが教育刷新に関する委員会 で十分研究致したいと存じます‐ と, 青年学校問答が記述されてある. (辻田文書1--6)ここに, 憲法改正草案審議を目前にした文部省の青年学 校改革方針が 「大衆青年に地方の実情に即した中等程度の教育を課する教育機関に改」 める構想であった事実が 示唆されている‐ そして, 辻田文書中の原資料には鉛筆手書きで, 「大衆青年」 中の 「大衆」 を削除し 「公民教育 及び職業」 と訂正する書き込みがある‐ 辻田による書き込みの日時を特定することは困難だが, ここに, おそら. 45.

(7) . 古 野 博 明 く省内の検討で 「青年に地方の実情に即した公民教育及び職業教育を課する教育機関」 として充実する構想へと 方針変更のなされた実際が知られるのである. 6月 24 日の衆議院本会議, 田中 (耕) 文相は松原一彦 (新光倶楽 部)に答えて, 「青年学校ヲ公民教育ト職業教育ノ方向ニ」 充実するべく努力している旨述べているが, (第90帝 国議会衆議院議事速記録) この言明の内容は辻田の書込みに全く一致している さらに田中 (耕) 文相は 7月 . , 17日, 衆議院の第1 5回帝国憲法改正案委員会で, 6月 24 日の本会議答弁と同様に,「第一に公民教育ノ徹底」「第 二ニ職業教育ノ面」から青年教育を充実しなければならない, と言っている. 翌1 8日には, 青年学校を「義務教 育ノ枠カラ外シマシテ, 内容ノ充実ニ依ッテ魅力アラシメル」のも一つの方法だとした. (帝国憲法改正案委員会 議録) このように, 6月 24日以後7月 20日前後までの田中 (耕) 文相の姿勢には青年学校を中等教育の系統に 組み入れる方向で改革する発想はなかったに等しいのである. こうみてくると, 青年学校を含めて中等学校の章 を規定しようとした 「新憲法に基く学校教育法」 の趣意の, 先掲 「答弁資料」 中の青年学校問答原文にいう, 「大 衆青年に地方の実情に即した中等程度の教育を課する教育機関に改」 める方向 (傍点, 引用者) との照応関係を 認めることの方が史実に近いように私には思われる‐ 以上の状況証拠は, 坂元証言にあるごとく学校教育法の立 案開始を6月と見て, 「新憲法に基づく学校教育法」 の194 6(昭21 ) 年6月作成という推定を有力にするといえ よう‐ 実際, 7月 2 日に臨時法制調査会が発足して以降, 省内の教育改革立法立案作業は新憲法草案に抵触する 教育法令の調査が主要な課題となっており, と ”こ学校教育局は7月中旬これに追われていた. 坂元のいう学校 教育法立案作業は, 一時事実上中断していたと考えられる‐ 7月 22 日に再開されたその作業が上の史料を叩き台 としたことは十分ありうるが, その7月下旬作成を主張するには, 以上の状況証拠を覆すに足る新資料の発見な いし新史料解釈が提示されなければならないように思う‐. かかる諸事実との連関を加味すれば, 「教育ニ関スル根本法」の意義はもはや以下のごとくに確定 されていい. 第一に, 「教育ニ関スル根本法」 のタームは田中 (耕) の先掲答弁中二箇所で用いられ てあるが, 同義とみて問題はない. 第二に, 学校制度法定論にかかっ て, 「根本法」 の 「法律」 への すりかえがあっ た‐ 第三に, そのすりかえられた 「学校教育ノ根本」 に関する法律の実際は, 学校 教育法であっ た. ゆえに, 森戸に対蜂して用いられた 「教育ニ関スル根本法」 なるタームの現実態 はまさに目下立案中の学校教育法に ほかならず, これに教育権独立の網羅的規定をも委ねるべく意 図された, 田中 (耕) 文相の 「教育ニ関スル根本法」 発言の意味合いをこう解して誤りないものと 思う. それは, 学校制度を成り立たしめるそもそもの大もとの法律といっ たニュ アンスの日常語と して, 後の教育基本法の構想とも著しく異質の用語・用法であっ たことをここに力説したい. 念のため, かかる日常語の其の後の展開に少しく言及しよう‐ 7月3日の第4回委員会において, 田中 (耕) 文相はこう言っ ている. すなわち, ①文部省では 「教育ニ関スル大方針及ビ学校系統ノ 主ナル制度」 につき 「教育根本法トデモ云フベキモノ」 を早急に立案し, 平和・民主主義などの 「教 育ノ根本方針ナリ学校ノ系統ヲ議会ノ協賛ニ付シテ決メルト云フコト」 が妥当であると考え準備中 である, ② 「教育権独立」 つまり 「教育ガ或ハイテ政ナリ, 詰り官僚的ノ干渉ナリ 或ノ・政党政派ノ干 渉ト云フモノカラ独立シナケレバナラナイ ト云フ精神」 は 「法令ノ何処カニ現シタ」 く, 文部省 で 計画中の 「教育根本法ニ, 若シ法律的ノ 『テクニッ ク』 トシテ許シマ スナラバ考慮シテミタイ」 , ③ 「教育ノ義務制ノ範囲」の問題は 近々設けられる教育刷新委員会の議に諮り 「サウ云フ根本問題 , , 2 )速記録の記述・文言に厳密に ヲ再検討」 のうえ 「教育根本法制定ノ際ニ考慮」 したいと 思う, と. 1 従えば, かく言われた 「教育根本法」 とは, 「学校系統ノ主ナル制度」 について定めるべく準備中の 法律, 法律的テクニッ クをふまえて教育権の独立を現す法律, 「義務制」 の範囲・「青年学校其ノ他 ノ青年教育」 制度の定めを予定した法律, これ以外ではありえず, かかる意味合いに関する限りは 6月 27 日の 「教育ニ関スル根本法」 発言からの変化を認めがたい. 教育の 「大方針」 「根本方針」 なる用語も, 「何カノ形ニ於イテ此ノコトノ・実質的ニ法令ノ上ニ出ス必要ガアル」という文脈で用い られたことから推して, 日常語のニュアンスを超えるタームとは見徴しがたい. 田中 (耕) が7月 上旬に用いた 「教育根本法」 もまた, 6月 27 日に同じく, 学校教育法のことであっ たと解して誤り な い と 思う. 46.

(8) . 教育基本法成立の始原 第90議会衆議院にお ける田中 (耕) 文相の 「教育根本法」 発言は, こう して, 学校教育法を想図 してなされたものであっ た. 通説は, 「教育根本法」という日常語の語感をダミーにした彼のトリ ッ ク的用語用法にひきずられたきらいがある. 6月 27 日の森戸・田中(耕) 論戦の注目点は, むしろ, 森戸が提出した「教育ノ根本方針」憲法条規成文化論の方であり, 同時に, 森戸に対時した田中(耕) の教育根本方針=教育勅語相対化論の方でなければならなかっ た. ここに, 通説の見解を予断とし て心に抱いて教育 基本法成立の始原を語りえないのは明白である‐ われわれは以上の論結に従い目 を転 じて, 閣内にあっ た田中 (耕) の対極を注視し, そこに伏在した教育の根本問題を探究しなけ ればならない.. 1 1 森戸質問の起動点と波動 ) 年11月 5 日, 東京は内幸町の新生社に, 高野岩三郎, 室伏高信, 杉森孝次郎, (1)19 45(昭2 0 森戸辰男, 岩測辰雄, 鈴木安蔵らが集まっ た. 彼ら知識人の グループがみずからを憲法研究会と称 し新憲法の草案起草に取り組ん だのは, 当事者の一人, 鈴木 (安) が証した記録によっ てよく知ら 3 )ところで 彼らの最初の草案「新憲法制定の根本要綱」 (憲法研究会第一案)には, 「三 れている‐1 . , 8条 人権」の項の末尾に注目の一文がそっ と添えられてあっ た, すなわち, 「なほワイマル憲法第14 のごとき教育ないし文化建設の根本方針を明示することが必要と思ふ」 , と‐ 5 日, 14 日, 21 日 の 会合における原則的審議をその後の討議のために鈴木 (安) がまとめたというこの草案は, 28 日 の 会合に提出されたものとみられる‐ ここに, 憲法研究会の前3回の会合のいずれかにおいて 「教育 48条を範として, 新しく制定すべき憲法の人 ないし文化建設の根本方針」 を, ワイマール憲法第1 権の章で確立すべく論議のあっ たことが知られる‐ うえの一文がだれの発意によるかは定かではな い. が, 前記常時出席者6名のうち一人ないし複数人から発せられたのは確実であろう‐ では, この論議はいかに展開したか. 鈴木 (安) の証した要点は次の通りである‐ 第一に, 11月 28 日の会合には, 高野岩三郎も 「日本共和国憲法私案要綱」 を提出している‐ 冒頭, 「根本原則」 を 「天皇制ヲ廃止シ 大統領ヲ元首トスル共和制採用」 と掲げた点に高野案の最大の特色があっ た . , が, われわれの注目点はその第六章 「文化及ビ科学」にある. そこには, 「凡テ教育其他一切ノ文化 「 ノ享受ノ・男女ノ間ニ差異ヲ設クベカラ ズ」 , 一切ノ教育・文化ノ・真理ノ追究, 真実ノ間明ヲ目標ト スル科学性ニ其ノ根底ヲ措クベシ」 という 二箇条が設けられてあっ た‐ 共和制案の採用にあたって の参考憲法の一つにワイマール憲法をあげていることからみて, 少なくとも第六章はそれの第二編 2月1日付 第四章 「教育及び学校」 (第142一15 0条) を参照しかかれたと推測されよう‐ 第二に, 1 で 「憲法改正要綱」 (憲法研究会第二案) が, 高野, 森戸, 室伏, 杉森, 岩淵, 鈴木 (安) の連名 で 彼ら周辺に発送さ れている. 第一案を検討した11月 28 日の会合の諸意見を参照 し, 29日に鈴木 (安) が推鼓を加えたものだという. これの 「二, 人権」 の項は, 「学術, 言論, 宗教等の自由を妨 ぐる如何なる法令をも発布するを得ず」 との規定を設けるべき旨を指摘しつつ, 10項目を列挙して いるが, その第10項には 「民主主義並びに平和思想に基づく 人格の完成, 社会道徳確立の義務」 と ある. 第二案の 「教育ないし文化建設」 の根本方針規定である‐ 第三に, 12月 5 日の会合では, 寄 せられた各方面の意見が参照され, 第二案について若干の検討が行われた‐ 鈴木 (安) は彼自身の メモに基づいて, 「人権の項に 『人格完成, 社会道徳確立ならびに他国との協同の義務』 を追加せよ 1 4 ) との提案が杉森氏からであっ たかと 思う が出されている」 , と記している. さらにその会合で出た 2月11日,「憲法改正要綱」(憲法研究会第三案)を執筆し17 諸意見を考慮し自己の見解を加えて,1 47.

(9) . 古. 野. 博. 明. 日までに条文の修正・増補を行なっ た, という. これの資料は公表されていないが, 彼の著作に収 められた「後日自分で整理した鈴木自身の草案というべきもの」には, 「国民権利義務」の末尾に「一, 国民は民主主義ならびに平和思想に基づく人格完成, 社会道徳確立, 諸民族との協同にっとむべし」 5 }第三案の「教育ないし文化建設の根本方針 規定はこれに同じか もしくは著しく近似し とある. 1 」 , た も の と み て い い. 第 四 に, 12 月 26 日, 先の6名に馬場恒吾を加えた会合で 鈴木(安)筆の最終 , 確定案について-, 二の条文字句が加除訂正され, ただちに浄書二通が作成されたという. その一 通を杉森, 室伏, 鈴木 (安) が首相官邸に赴き秘書官に手交, その足で記者室にて発表となり, 他 の一通は杉森によっ てGHQに届けられたとされる. この公表草案 「憲法草案要綱一 の 「国民権利 義務」の項には, やはり末尾に, 「一, 国民ノ・民主主義並平和思想ニ基ク人格完成社会道徳確立諸民 族トノ協同ニ努ムルノ義務ヲ有ス」 とあっ た. 憲法研究会の原則的論議で必要視された 「教育ないし文化建設の根本方針」 問題が以上の ごとく 展開した事実は,第9 0議会の森戸質問との直接的連関で重視されなければならない.憲法研究会は, 6 )という固い方針をとっ 憲法草案起草作業において「会員中に一人でも異議のある条文はのせない」1 「 ており, 公表草案の 教育ないし文化建設の根本方針」 規定は, 少なくとも森戸辰男を含む署名 し た 7名の合意点で成っ たとみていい. しかも, 憲法研究会は, 年明けてからは 「憲法制定会議」 の 必要を喚起して国民自身の意見表明による新憲法制定をめ ざす活動に重点を移し, 自由主義者やコ ミュ ニストを含む各方面への連絡・働きかけを強めていた‐ 3月11日には, 政府の3月6日付 「憲 法改正要綱」 に対する声明を発表しているが, そのなか で「人民主権の不徹底」 「日本国家再建の基 7 ) 本たる経済, 文化についての規定欠如」 (傍点弓 1用者)等々の欠陥を指摘しているのが留目される.1 6月 27 日の森戸質問に現われた憲法による「教育ノ根本方針」確立の要求は彼独自の発案ではなく, 1 945年11月以後の憲法研究会の活動なかんずくその「教育ないし文化建設の根本方針」論議を一身 に引き受け, 院外の世論を背に負うてなされたものとみるのが至当であろう. (2)森戸の切っ た口火は6月 29 日からの衆議院帝国憲法改正案委員会 (芦田均委員長・日本自由党) に舞台を移してから, 憲法に教育の一章または一箇条を設けよ, という要求として飛火した. 前者. は教育権の独立・教育の機会均等・義務教育の範囲拡大を求める大島多蔵, 久芳庄二郎ら新光倶楽 8 }おりしも 憲法改正草案第24条第2項に反発した青年学校運動の それを 部の草案批判 である‐1 , , 「すべて国民はその保護する青少年に法律の定める年令まで教育を受けさせる義務を負ふ と修正 」 を求める陳情行動は活発で,4月1 0日の総選挙で進出した教育関係議員の結集体=新光倶楽部が発 9 }新光倶楽部の主張は 青年学校運動の修正要求を 足してからはとくにこれとの結合を強めていた.1 , 「根本方針 化してなされたものとみることができる 後者は民主主義的な新しい教育理念の憲法 一 . による確立を説いた日本社会党の杉本勝治の主張であり, それは女子教育の根本方針を質した加藤 0 )田中(耕)文 シズエ, 教育勅語相対化論を批判した及川規ら同党一部議員の質疑に連動している. 2 相の 「教育根本法」 発言は, 実に, かかるかたちの草案第24条批判論に対抗してなされてあっ たの であ る.. 新光倶楽部は, 7月1 9日, 無所属クラブ・日本民主党準備会の一部と合同して40名の新会派・ 新政会となり, 草案の修正問題を扱う小委員会に大島多蔵を送り込むことに成功すると, 教育の章 の創設案を捨てて青年学校運動の修正要求一本に絞る戦術に出た. が, 7月 25 日 の 第 1 回 ・委員会 に社会党が提出した修正案には, 草案第24条の修正項目の一つとして, 「第五項に 『教育の根本方 1 )これが同党小委員の一人 森戸の意向によるこ 針はこの憲法の精神による』 を挿入‐」 とあっ た.2 , とは推測に難くない. というのも, 日本社会党憲法特別委員会が7月1日に発表した, 草案第三章 2 )教育関係規定としては 「第二十四条第四項に 『才能 に挿入すべ き 「社会的, 経済的規定」 には, 2 , 48.

(10) . 教育基本法成立の始原 あっ て貧困なる青年の高等教育は国費を以てする』 を挿入」 とあるのみで, 「教育の根本方針」 規定 については何も触れられていなかっ たのであるから. 憲法研究会の 「教育ないし文化建設の根本方 針」論議は, 森戸を介しこのような姿態をとっ て小委員会に流れこんだの である. 7月 30 日 の 第 5 回小委員会, 森戸は草案第24条のあいまいさを指摘しこう主張した, すなわち, 「この憲法の精神 に照らした場合, 教育方針は主として民主主義と平和主義に基づくべきであり, 新憲法の近代精神 「 に沿って人間の権利を保障すべきである」 , ところが教育勅語は 強い封建的要素を含み, 個人の尊 「 厳や自由の尊重といっ た肝心の点を重視していない」 , それゆえ 新しい教育方針は憲法に沿っ て立 てられること, 又新しいイ デオロギーに基づいて定められた教育制度と教育方針が教育の基礎であ 2 3 } ることなどを憲法によっ て宣言することは極めて重要なことである」 , と. 小委員会の空気は森戸 に好意的だっ た. が, 主に立法技術的理由のゆえに全体の合意に至らないまま, 8月1日の第7回 4 )「教育の根本方針」 規 小委員会, 鈴木義男 (日本社会党) が突如修正案撤回の挙に出たのであっ た.2 定それ自体は, こう して, 小委員会の否決によらず立ち消えとなる. 8月21日, 第21回帝国憲法 改正案委員会に提出され否決された社会党単独の修正案にものぼることはなかっ た. 他方, 新光倶 楽部→新政会の主張だけは,「すべて国民は, 法律の定めるところによりその保護する子女に普通教 6条第2項)というか 育を受けさせる義務を負う. 義務教育は, これを無償とする.」 (衆議院修正案第2 5 )が 問題はこれらの結果で落着したわけ ではない たちで功を奏することになる.2 , . 8 月 27日の貴族院本会議 ,新憲法の安定性を問い草案の成立経緯や政府の主権論をきびしく質し. 6 )それは 従来ほとん ど注目 た南原繁は, 規定内容の一つに「教育及び文化の問題」を取り上げた.2 , されていないが, 実質的には衆議院修正案第26条批判の意義を担っ たものである. 日く, 世界人類 に向かっ てわが国民の果たすべき文化国家の使命を自覚せしめるうえでも, 教育が新しい民主主義. 実現の基礎要件をなす関係からも, 今世紀外国の憲法の教育の章, 教育の根本規定を参照する必要 があっ たのではないか, 政府は 「教育法ノ如キモノラ新タニ設ケ」 て 「学校教育ニ関スル根本ノ問 題ヲ規定」 する方針と承るも, 「外ナラヌ憲法」 において 「其ノ教育ノ全般ニ通ジタ根本方針並ニ国. 家ノ之ニ対スル任務ヲ規定スル必要ハナカ ッタカ」 , と. ここに, 憲法研究会-森戸ラインの主張は, 衆議院修正案の貴族院送付という情勢の急迫下, さらに南原繁において継受, 展開されてあっ た. しかも南原は, これに関連し, 教育根本方針論議としては二つの新しい論点を提出している. 第一 に, 田中 (耕) の教権確立論を批判して言う, それの 「結果ノ・国民ノ政治的, 社会的生活力ラ遊離 ンプ」 一種 の教階的制度, 文教官僚主義に陥る恐れはないか, ことに地方教育制度に関する学区庁 のごとき構想には教育の民主化に逆行するものがある,「要スルニ国民一般カラ分 離スルコトニ依 ッ テ教育ノ権威ヲ確立スルト云フノデナクシテ, 国民ニ直結シテ, 国民ノ自覚ト, 其ノ手ニ依 ッ テ教 育ノ進歩ヲ図ルト云フコトガ眼目デナケレバナラヌ」 , と. 第二に, およそ教育理念は真理とか正義 という抽象性に止らない限り, その時代の政治的, 社会的精神と分離しては考えられず, その具体 的内容は必ずや国民の政治的, 社会的現実生活から生じてくるものである. ここに必要なことは, 各政党の世界観的対立を超えて, いやしくも新憲法が「如何ナル国民モ把握シ」 「サウ云フ国民的ナ 世界観, 或ノ・政治観ト云フモノラ作ッ テ, 公衆ノ識見ヲ高メ ルト云フコト」であり, この意味で「一 般国民ノ政治教育ハ, 今極メテ重要ナ意味ヲ持ッテ来ル」 と思う, 政府当局はこれに対しどういう 方 針, 対 策 を も っ て い る か, こ う, 質 し た の で あ っ た‐. このようにして, 彼が少しく以前までの持論, 新勅語漢発論からの転回を遂げ始め, 森戸らの教 育根本方針論にきびすを接して立つに 至っ た事実は, 森戸と田中 (耕) の対時が南原と田中 (耕) のそれに相当部分重なっ て展開するという, 情勢の新しい組み合わせが生まれることを意味する. 教育基本法成立史において南原の占める位置は, その影響力の強さという点で森戸以上にこれを重 49.

(11) . 古 野 博 明. 視しなければならないだろう.. (3) かく して, 憲法研究会で生起した 「教育ないし文化建設の根本方針」 問題こそ, 憲法制定 議会の教育論戦を貫通する最大の 争点の始まりを形づくるものであっ た. そして, 森戸質問を口火. 4条批判 とする教育根本方針確立問題の展開には, 教育勅語相対化論批判のみならず, 憲法草案第2 の構造が醸成されつつあっ た. われわれはこのことにも正当に眼を向けなければならない. 第90議会において政府を代表しこれとの 闘争を担っ たのはほとん ど田中 (耕) 文相だけであり, 彼は衆議院ではその 「教育根本法=学校教育法」 論をくずすことなく, ひとり憲法改正草案教育 条 項の問題性を背負うかたちで行動したのである. が, 彼の個性的対応は徐々に注目の変化を示し,. 教育権の独立に加えて民主主義的, 平和主義的教育の理念, 教育の機会均等と初等教育無償の範囲,. 義務教育の範囲, 初等・中等学校の教育の方針, 女子教育の理念, 私学の問題等々を, 「教育ノ本義」 「教育根本法」 発言すなわ に照らし何らかのかたちで法令のうえに表すという趣意で, みずからの 「 5日の第1 3回委員会, つい ち学校教育法に取り込む姿勢を次第に内外に明らかにしていく. 7月1 7 )すなわち 「 にはそれらを集約するかたちで, 教育法ノ根本的ノ構想」を口頭で提示するに至っ た.2 , 加藤一雄 (日本自由党) の 「教育ノ基本法」 の資料提出要求に機敏に反応して日く, 「教育法ノ根本的 ノ構想」 については, 第一に民主主義的平和主義的教育の 根本原理, 第二に教権の独立, 第三に学. 校教育の根本については, 義務教育の範囲の問題, 男女の性別に依っ て教育の区別を設く べきでは. ないと云うような問題=女子教育の根本理念, 教員養成機関の問題, 私学の問題,「大体サウ云フヤ ウナ根本的ノ問題ニ付テ法律ノ規定ニ ドレダケ取り入レラルベキデアルカト云フヤウナコトモ考」. えて構想を練っ ている, と. それは, 閣内の一員たろ彼の, 憲法改正草案教育条項への批判をかわ す対抗的な譲歩行動の頂点として, 教育理念の法定に懐疑 的な自己の信念を ズル ズルベッ タリに曲 げてなされてある, 裏側に教育勅語相対化の教育 根本方針をなお堅持しつつ. 8月 27 日に南原が問 題視した 「教育法ノ如キモノ」 も田中 (耕) のかかる発言をとらえてあっ たとみられよう‐ では, 7月 15 日の田中 (耕) 発言にいう 「教育法」 とは何 であっ たか. また, 彼の 「教育根本法」 発言が 「学校教育法J を想図してあり, 憲法研究会に発する新憲法による教育根本方針確立の展望 が断たれる中, 教育基本法の草案起草作業はいかにして生まれたのであっ たか. 最後にこれらの問 題が残る.. m. 「教育法」 「学校教育法」 の分離制定方針の成立事情. 2日閣議決定済みの臨時法制調査会をようやく発足させ, 新憲法に (1) 7月 2 日, 政府は3月1 を教育刷新 基づく法体制の整備作業を開始した. 7月11日の第1回総会, 教育関係については審議. 委員会に委ね, その進捗状況をにらみつつ政府部内で適当に処理するという方針が明らかにされ, 16 日の第四部会がこれを確認した. ここに, 教育法制の整備に関し注目の展開があっ た. すなわち, 7月 4 日 (推定) の臨時法制調査会第1回幹事会, 法制局作成の 「憲法を施行するために制定又は 改廃を必要とする法律案の件名概略」 には, 「制定又は全部改正を要するもの」 (第1項) として, 2 8 ) 「 教育関係では「教育法」 , 地方学事法」の二つが掲げられてあっ た. 前者は新たに制定を要するも 3 9号) の全部改正を予定したものと解される. ここに 「教育 の, 後者は地方学事通則 (明2 . 法律第8 法」 とは, 他の件名が皇室典範以下単行法の名称を用いて いることからみて, 教育諸法律の総称で はなく単一法典としての 「教育法」 を意味すると解して誤りない. 次いで, 第1回幹事会の指示に従い, 文部省内で7月6日付 「教育法について一 が作成され, 7 50.

(12) . 教育基本法成立の始原 9 )この文書は 「従来教育に関することは大部分勅令で規定さ 月 9 日の第2回幹事会に提出された.2 , れてゐたが, 新憲法に伴っ て法律で規定すべ き であると思ふ」とし, その大体の内容として, 「教権 の独立, 研学の自由, 教育の機会均等等教育に関する原則の宣言」 「就学の義務, 学校設置の義務, 経費の負担等国民の権利義務に関係ある事項の規定」「学校の種類, 目的, 入学資格, 修業年限, 教 員の資格, 身分 等教育制度中重要な事項の規定」 「その他特に法律で規定するを適当とする規定」の 四項目を掲げている. ここに 「教育法」 とは法制局サイ ドのタームを踏襲してあり, 各学校令を総 合して法律化をめ ざす単 一法典 として, 実質的には先掲の 「新憲法に基づく学校教育法J と同質の 構想と見られよう. 教育に関する原則の宣言を規定しようとする意図が留目されるが, それは7月 3日の田中 (耕) の 「教育根本法」 発言の投影と解される‐ さらに, 文部省内では, 臨時法制調査 会の指示に従って, 現行教育法令中憲法改正草案抵触条文・事項の調査が7月9日から開始され, 7月16日の第四部会にはその調査結果を整序した文書「現行教育法令中憲法改正草案に抵触すると 0 )現行の各学校令ごとに抵触事項と抵触条項を掲げたそれは 7月 6 思はれる部分」が提出された.3 , 日付 「教育法について一 と表裏一体の文書として, 7月下旬からの学校教育法草案起草作業のもう 一 つ の 土 台 を 形 づく る も の と な っ た と み ら れる. 7月 15 日の田中(耕)文相の発言はかかる舞台裏の事情との連関において解釈されるのが至当で. あり, 「教育法ノ根本的ノ構想」 にいう 「教育法」 とは, 以上のような臨時法制調査会サイ ドのター ムとみるほかない. したがって, 実質的にはそれは学校教育法の構想を想図して語られたと解され 1 } る の であ る‐ 3. (2) 次に進もう. 日高ノートの7月 22 日の記述には, 「◎局議……新憲法ニ抵触する教育法令 ノ・間ニ合ハセ」 「水‐ 午后一時カラ毎週, 学校教育法, 参謀, 責任者ヲ作ル, 総務係」 「 24日(午后 3 2 「 「 カ ラ)」 4 , と あ る‐ に こ に, 7月 22 日の文部省学校教育局の局議が 参謀」 責任者」 をおいて2 日から学校 叉教育法の立案作業の再開を決定した事実が知られる. さらに, 7月 31 日, 8 月 7 日, 8 日, 13 日, 15 日, 19 日に学校 父教育法立案にかかる会合のあっ たことが記されている. こう して, 学. 校教育法の立案作業は, 臨時法制調査会の発足に伴う 「教育法」 の要綱作成と現行教育法令中の憲 法改正草案抵触条項の調査を経て再編成されたのであっ た‐ 今日, 8月 22 日付で印刷原版の異なる 3 )いずれもその「第一 総則」に 学校教育の目標 義 二つの学校教育法要綱案が見出されてあり, 3 . , , 務教育, 教育上の機会均等, 宗教教育, 政治教育等々に関する原則にかかる諸規定を設け, 「第八. 学校 叉教育行政」 を起こして 「教育行政官はその任務遂行に当たり教育者の自主性を尊重擁護し教育 に必要な諸条件の整備に努めること」 と規定するなどの, 学校教育法の他の諸草案にはない特色が 認められる. 8月 22 日付学校教育法要綱案こそ, 田中 (耕) 文相の再三にわたる 「教育根本法一 発 言と臨時法制調査会サイ ドの 「教育法」 構想を継受して成っ たただ一つの成案とみていい. 他方, 教育調査部 (教育刷新資料部) を設置してこれの審議課に 「教育に関する憲法附属法令の 調査研究」に当たらせる構想は, 7月に入っ ても堅持されてあっ た. 7月18日, 内藤誉三郎がCI& E教育課のオア (Mark T. orr), デ ル レ (AmndeIDeI Re ) に会い, これを企画, 調査, 審議, 統計の四課で編成する こと, そのうちもっ とも重要な審議課に教育刷新委員会と連携し教育財政, 3 4 ) ionall 教 育 法令 (educat ) aws , 教育行政機構の改革案作成に当たらせ る旨を説明している. その. 際彼は, 現行教育法令中新憲法に適合すべく根本的改正を要する事項として, 各段階の学校の目的, 初等教育6年間ないしそれ以上の授業料無償, 男女の機会均等, 青年学校の問題点, 高等学校の問. 題点, 教師への援助の6点を示した. それらは, 実質的には, 先の 「教育法=学校 父教育法」 を想定 した, 別 ルートからの指摘であると 思われる‐ が, この教育調査部構想は財政問題で大蔵省との折衝に難航し, 7月下旬には計画の縮小を強い. 51.

(13) . 古 野 博 明 ら れて い た. 日 高 ノ ー ト に は, 7月 23 日省議の記述に「教育刷新資料部ハニ課, 勅任官6」とあり,. 3 5 ) 8月6日省議のそれに も「教育刷新資料部 二課(二級官8名) ,a . 調査課’」とある. . 審議課, b ところ で, このように教育刷新資料部 (教育調査部) 設置計画が障害に直面するなか, 注目の現象 が生起していた. すなわち, 日高ノートの上記8月6日の 記述には, 続いて 「af 事務局制, 憲法, 教育法, 要綱マトメアゲ.」と注目のメモが記されてある. 8月6日の省議では 二課編成に縮小され. た教育刷新資料部の審議課を教育刷新委員会の事務局として位置付け, これに憲法附属の法律であ る 「教育法」 の 「要綱」 の立案に当たらせる旨論議がなされた, こう読んで誤りないであろう. 管 見のか ぎりではここにはじめて, 審議課の所掌事務として 「教育法」 の立案が定立されたのである‐ では, この 「教育法」 とは何を意味するか. 日高ノートの記述が省議のメモであること, すでに7 月 24 日から学校教育局内で学校教育法の立案作業が再開されてあっ た事実に鑑みれば, それの「学 校教育法」 とは区別されて用いられて ある傾きは急である. もはや, それは法制局・臨時法制調査 会サイ ドの 「教育法」 とは明らかに異なる 意義のタームである, とみなければなるまい. われわれ は, ここに学校教育法 立案作業とは明瞭に区別された 「教育法」 立案の意図の初発を確認しうるの 4日付 である. しかも, 今日発見されている最初の教育基本法の草案は, 審議室の起案に成る9月1 6 「 3 ) 「教育法要綱案」 (傍点弓 1用者)である. こう して, 教育調査部構想の展開過程に浮上した 教育法」 の制定方針こそ後の教育基本法の構想に連なる萌芽 である, と解して誤りないであろう. (3) では, かかる 「学校教育法」 と 「教育法」 の分離制定という状 況は, なにゆえに醸成され たのであっ たか. 前述のごとく, 臨時法制調査会は教育法制の 整備を教育刷新委員会に委ね, 適宜 政府部内で処理する方針であっ た. 他方, 文部省は教育調査部を設置し, 教育刷新委員 会と連携し てその審議課に新憲法に抵触する教育法令の調査研究と教育関係 立法の立案に当たらせるべく意図 7 }教育刷新委員会の発足準備は していた. が, 委員の人選に関しCI&E教育課との不一致があり,3 遅れ気味であっ た. 前述のごとく, 教育調査部案も大蔵省との折衝に難航していた. 思うに, かか る状況下で,新憲法との関係で当面最も急がれる教育 法=学校教育法を第91議会に間に合わせるべ く臨時法制調査会の意向が触媒的に働き, 学校教育局で見切り発車されたのではあるまいか. ここ. に, 教育刷新委員会と連携して教育調査部審議課が所掌すべき教育関係法立案事務の問題が再検討 課題として残っ た. 日高ノートの8月6日の記述に現われた 「教育法」 とは, かかる意味合いで, 当初だれも意図しなかっ たはずの産物としてにわかに浮上したものと解して大きく的をはずすこと は な い と 思うのである. 以後, 教育調査部構想はしばらく断念さ れ, 文部省は8月 28 日大臣官房に. 0日発足の教育刷新委員会は9月6 日ようやく審議を開始 暫定的に審議室を設置した. 一方, 8月1 する運びとなる. しかも, 米国対日教育使節団来日以来の文部省とJEC→教刷委の対立緊張の構 「教育法」 の 立案 造はなお解消されていなかっ た. かかる情勢下, 9月10日省議の意向を受けて,- が教育刷新委員会の審議に先行するかたちで審議室内で開始され,先掲9月14日付教育法要綱案と 8日付教育 な っ た の で あ る. 14 日の省議でこれの名称を「教育基本法」とすることが決まり, 9月1 3 8 に こに, 文部省の教育 基本法制 基本法要項案を経て9月21日付教育基本法要綱案が成案をみる. 定方針が誕生したのである. こうして, 「教育基本法」というかたちの立法を最初から意図したものはだれもいなかっ た. 意図 されたものは, 憲法条規による教育根本方針の確立であり, 「教育の大方針」や教育制度原則の学校 教育法への取込みであっ た. 諸々の動機は織り成されて, 学校 叉教育法とは別の 「教育法」 構想が生 まれ, それが教育基本 法構想へと発展したのである. 新憲法の制定が急がれた事情 がこれらにズッ ポリ重なっ てあり, GHQ/SCAP と日本政府の憲法政策と日 、本国民の自由な意思表明による憲法制 定をめ ざす勢力との対抗の構図がその背後にはある. 52.

(14) . 教育基本法成立の始原 結. び. (1) 教育基本法の構想が田中耕太郎の内発的独創によるものでないことは以上で立証しえたと 思う. このことは, 教育基本法成立史における問題の構造をいかにつかみ, 教育基本 法成立の始原 をどこに置いて探究すべきかという新しい論題を発生せしめよう. 私は, 以上の考察にしたがっ て,. 教育基本法制定方針の誕生を憲法改正草案教育規定の問題性および文部省の教育改革立法政策に対 する憲法制定議会の型肘力との連関においてみる視点が必要不可欠であり, かつ妥当と考えるもの である. が, 議会の型肘力といっ てもそれがストレートなかたちで強力に形成されてあっ たわけで はなく, むしろその教育論戦の波動は, 新憲法の制定が急がれることによっ て派生した諸要因の作 用するなか, 複雑な軌道を描いて文部省の教育改革立法政策に影響を与えたとみるべきもの であろ う‐ このような型肘力の鏡を形づくっ たものが教育根本方針の憲法条規による確立論であり, その 源が憲法研究会にあるのは確実である. 教育基本法成立に至る動きは, このような意味で, 憲法研 究会の 「教育ないし文化建設の根本方針」 論議に始まり, 憲法制定議会で表舞台に登場してから, これ力赫児野と影響力を拡大して発達を遂げ, 文部省内と教育刷新委員会のそれぞれにそれの複雑な 転移の構造をつくりだすのである. 由来, 「根本法」 の観念は 「さま ざまな身分の, 国王によって侵害されない特権の成文化という意 3 9 )とされる このこ 味」 を有し, やがてそれが, 市民革命期を経て 「近代的憲法の考え方つながる」 ‐ とを加味すれば, 「教育根本法」 とは本来, このように近代的転回を遂げた 「根本法」 観念の類比と. して, 憲法研究会の「教育ないし文化建設の根本方針」規定や第9 0議会の諸々の教育根本方針憲法 条規成文化論を抽象する用語と考えていいのではあるまいか.ここに,教育根本法問題とは何であっ たか, それはいかにして文部省内に教育基本法制定方針を誕生させたか, という教育基本法成立史 研究の重要な問題を解く道筋が開かれよう‐ では, このような問題のつかみ方, 始原のおき方からは, 文部省内における教育基本法制定方針 の誕生をどのように見ることになるか‐ 第一に, 正視しなければならないのは, 憲法研究会を起動 点とし, 森戸辰男と社会党の一部, 新光倶楽部を経て, 南原繁にまで脈々と継受された教育根本法 論が, 教育勅語に代わる教育根本方針確立要求にとどまることなく, 憲法改正草案第24条および同 衆議院修正案第26条 (現行第26条) への厳しい批判として発達を遂げながら展開した事実であろ う. 教育基本法という立法の形態およびその構成, 条文内容を成立させた要因を探究するには, 教 育勅語原理からの転換の筋に加えて, この 「教育を受ける権利」 規定批判の構造が問題となるはず. である‐ 教育基本法制定方針の誕生の意味合いは, 憲法研究会の教育根本法論が発達を遂げる諸々 の相を周辺諸事情との構造的連関において解明することでつかみうるだろう. 第二に, したがって, 学校教育法とは区別された 「教育法」 構想から 「教育基本法」 へと発展する プロセスについては, 議会の教育根本法論が教育刷新委員会に転移したこととの構造的連関で再度検討されるべきことと なろう. 憲法制定議会に現われた田中 (耕) 対森戸, 田中 (耕) 対南原の対時の構図は, そのまま. 教育刷新委員会の審議過程と文部省の関係に流れこみ, 双方の緊張と融合のプロセスが再生産され る. これをとらえなければならないと 思うのである. それゆえ, 教育根本法確立の観点からみた田 中 (耕) への注目は, 少なくとも9月14日以後の教育刷新委員会総会や貴族院における「教育根本 法」 発言に対してなされることとなろう‐ 第三に, 以上の視角は, 先掲省議-審議室ライ ンの相対 的に独立した教育法→教育基本法立案作業において, 田中 (耕) の 「意見というものが一番つよく 0 }たとみることを否定するものではない 衆議院での譲歩行動にあらわれた田中(耕)文相 影響し一4 .. の個性的 割性が, 憲法改正草案の貴族院審議過程や教育刷新委員会の審議過程との緊張関係のなか 53.

(15) . 古 野 博 明. で, 省議等を通じて省内に展開して何の不思議があろう. そこで, 審議室参事としてこの 立案過程 94 6年9月の省 内 を実務的に指導した田中二郎の, 本稿冒頭に言及した証言は, なによりもまず, 1 「 思わ な い」 たしたとは 大きな役割を果 に限定して読ま なければならないと思う. 教育刷新委員会が という彼の言句も, 文相の個性が今度は教育刷新委員会に対し攻勢的に 展開したことに関する目撃 者の実感を述べたものと解されるのではあるまいか. この点で, 教育基本法成立史における田中耕 太郎の位置に対しても正当に, かつ, 限定的に注意 が向けられなければならないのは当然である. 問題の始原と構造を以上のようにとらえて初めて, 教育基本法の成立事情を光のなかに浮かび上 がらせ, 日本国憲法第26条の 「教育を受ける権利」 規定を批判 しこれの不十分さを補完するものと して(すなわち教育を受ける権利の具体化としてではなく) , 教育基本法成立の意義を日本教育のリ ベ ラル化の線上で考察すると いう視野が開かれてくるのではあるまいか. それの見極めを通じての み教育基本法の 限界点もまた真に問題にしうるであろう. 教育勅語原理からの転換の筋で教育基本 法成立の意義を史料実証的にとらえたのは鈴木 (英) の研究の重要な到 達点であり, われわれはい まなおこれを軽視してはならない. 同時に同じ比重をもって, 教育勅語に代わる教育根 本方針問題 の裏側に埋もれた諸論点を発掘することも重視されなければならない, と思うのである. (2) ところで, 先行研究は, 第90議会における田中 (耕) 文相の 「教育根本法」 発言以前の動き に全く言及していないわけではない. 最後にこの点に論及しておこう. 教育基本法成立との絡みで は少なくとも次の 四つが問題となる. 第一に, 米国対日教育使節団に協力すべく 組織された日本教. 育家委員会 (JEC) 内部には, 新勅語湊発に反対する少数意見の根拠の一つとして, 教育憲章議. 1 )第二に 田中 二郎は 教育基本法立案作業に通ずるものとして, 前田多門文 会制定論が存在した.4 , , 2 )田中(二) 相期の, 安倍能成, 芦田均, 和辻哲郎, 谷川徹三, 森戸辰男らとの会合をあげている. 4 はこの集まり (それが何であったかは不明である) で 「なにか新しい体制に応じた教育の方針, 教 育の根本理念をうたっ たものを出した方がいいん じゃ ないかというような意見」「教育の根本理念を うたうものとして法律の 形をとっ たらどうかということは--必ずしも法律ということ (で) はな いんですが--天皇の勅語と (か) 詔書というような形は 適当でないから何かもっ と民主的な方 法 ではっ きり示す必要があるんではないかという意見」 が出ていたと証言している. 鈴木英一は 「憲 3 )ものとして以上 二つ動きに注目していた 第 法改正議会における田中耕 太郎の言明以前にある」4 .. 三に, 山住正巳は, 公民教育刷新委員会第二号答申冒頭の一節,「今やわが国は文化国家, 平和愛好 国家として, 道義の昂揚に努め, 普遍的にしてしかも個性豊かなる文化を創 造発展して, 世界の平 和と人類の文化に貢献せねばならぬ.」 を取り上げ, そこに教育基本法前文に 「文章表現まで符合す 4 )第四に 米国対日教育使節団報告書との関連が問題に る内容 がふくまれていた」と指摘している.4 , 「 道の上に, 教育基本法, 六三制, 教育委 使節団報告書の勧告の軌 村井実は たとえば されよう. , 員会制度等, 日本の教育改革の諸施策が着々と具体化されていく 運びとなっ た」 と述べているが, このような見方は一般にも流布 しているように思われる. 私はこれらの諸事実・事象に結果として教育基本法の成立に合流していく部分のあることを否定. しない. というより, 教育基本法成立史研究においてこれらの一つ一つは, 問題の磁場を形成した ものとして重視されなければならないと思う. けれども, それらは教育基本法成 立に至る動きに引 き寄せられたものではあっ ても, その動きをつくりだした起動点 ではない. これに対し, 憲法研究 会の 「教育ないし文化建設の根本方針」 論議の展開については事情は異なる. それは自 由に表明さ れた国民の意思を決定力とした新憲法の制定 をめ ざす世論を背に負うて, 議会という論戦の舞台に 登場する. もとよりそれは, 統治の危機の回避策すなわち新憲法の早期制定の目論見を打ち破るよ うな破壊力や展望を帯びたものではなかっ た. が, それでも次 第に発達を遂げながらついには, 教 54.

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