中世後期の経済学 : 名田経営・財貨経済を焦点とする楕円経済
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(2) . 第 19 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 中. 世. 後. 期. の. 経. 済. 昭和4 3年12月. 学. 一一名田経営・財貨経済を焦点とする楕円経済 --. 石. 沢. ?敵. 北海道教育大学旭川分校史学研究室. Toru, 1s亘1zAWA : Economics o f Late. Midd l n Japan e‐Agesi. 目. 次. 序. I 本論文の目的. 1 財貨経済の展開と貫徹 イ 貨幣を媒介とする流通経済の発達 ロ 中世後期の財貨経済を示す商業活動 ・ 地頭職・名主職の得分権化 ノ 二 財貨獲得の努力 ホ 土倉・酒屋の高利貸業者の発達 2 財貨経済の根底をなす経済思想と社会. 中世後期の経済的変質 口. 中小名主級・作人級による名田経営の発. 達 1 荘園経営の崩壊 2 名田の経営権 下級に及ぶ イ 中小名主・作人級の名田経営 ロ 小農民経営の成長 ・ 名主職等の土地所有権の得分権化 ノ 3 農民の地域的団結 4 中世後期の商業の性格 5 中世後期の手工業の性格. 意識 イ 経済思想 ロ 有徳人・長者の理想像 、 社会意識 ノ 3 財貨獲得の方法 4 財貨経済の意義. 皿 中世後期の財貨経済. W 楕円経済の意味 1. 序. 論. 1 , 本論文の目的 本論文の目的は, 中世後期の, いずれかの地域 についての, 経済事象の新しい調査を, 報告し ようとするものではない. 中世経済史研究家の報 告をもとにして, この時代の経済を動かしてい た経済法則を, 明らかにせんとするものである, ドイツの歴史学派経済 学者 シュモラーは, 経済 史の研究によ って, 経済法則などの成立しないことを主張したが, それでは経済学の成立を否定 するものである, 経済学が成立す るためには, 経済現象の中に経済法則を見出す ことによる. 経済法則には, 時代を超えた 恒常的なものもあるが, 著しく時代によ って異なる法則の作用 し ていることを発見する. それ故に, 本論文は中世後期の経済現象を説明 しうる経済法則を見出さ んとするものである. 経済史家の報告している経済諸現象を, おおよそ説明しつくす ことができ る か どうか とい うこ と に,. 本 論 文 の 是 非 が か か っ て い る の で あ っ て, こ れ ま で に 知 ら れ て い な か. った経済現象の事実を, 報告しようとするのが目的ではない, 2 , 中世後期の経済的変質 - 83 -.
(3) . 石. 沢. 徹. 中世前期の経済は, 荘園経済の経営という一 つの中心によ って把握されることを, かつて私は 1 ) にて論述 したのであるが, 中世後期になると明らかに荘園全盛 期の 「中世荘園経済の経済学」 荘園経営中心の経済から変質して, 異な った様相を呈 してくることについては, ほとん どの経済 史 家 の み と め る と こ ろ で あ る,. ) (日本経済史大 系口巻・ 2 たとえば, 永原慶二氏は, 「中世後期の農業生産と領主;農民関係」 中世) にて, 中世前期社会の経済構造は, 13世紀後半 ごろから明瞭な変化を示 しは じめた. その 指標 としては, 1 . 大規模な 「名 主経営」 の解体と小経営の生成, 2 . 在地領主の農奴制的農民 支配体制の進展, 3 , それを起動力とした荘園の変質・解体, 地域 的領主制の進展, 4. 以 上 の ような変動を推進 した基礎的条件としての農業生産力の発展, 5 . 地方における分業と交換の展 開と貨幣流通の拡大等の諸現象が指摘される. 中世前期の経済のあり方に対比すれる , 中世後期 に入ると, 商業が 著しく活溌となり, 貨幣の流通度は高まり, 年貢 も代銭納されることが多くな った, 各地の特産物生産がすすみ, 地方市場や物資輸送上の, 中継基地としての港町が生まれ, 商業交通路や都市の発達がめだ ってくることがあげられる, 永原慶二氏の用語法に全面的に賛成するわけではないが, 中・ 世後期にいろいろの方面に変化が 起 こ っ て い る こ と の 指 標 は 示 し て い る と 思 わ れ る.. 3 ) において, 永原氏よりも広い範囲の時代の変 網野善彦氏は 「農村の発達と領主経済の転換」 化の展望として, 13世紀後半から15世紀前半, 南北朝動乱を間にはさんだこの二世紀の間に, 中 世を前後にわかつ転換期があ ったことはいうまでもないとし, 農村の新たな発展が, 在地の, ま た都市の領主たちに, 否応ない経済の転換を追 っていた. この時期を, 日本の封建社会成立史上 の重要な画 期とみる見方からして, 小農民経営の成長 (永原氏のいう名主経営の解体と小経営 の 生成) . 封建的村落共同体の成立, 地域 的・一円的な支配を行なう封建領主の出現 (永原氏のい う地域 的領主制の進展) , 荘園領主経済の崩壊等の評価を基礎づけるために, 実証的な成 果が積 み重ねられており, そこに明らかにされてきた事実の多 くは, 動 かしがたい重みをも っている, という. そして経済的な特色ある現象としては, 一方では, 年貢・公事につまる百姓の発生に対 して, 他方では, 米・銭を 「経入れ」, 名主職を新たに手に入れ, 手広く農業経営を営み, かつ, 高利賃活動等を通 じて, 多くの米銭財貨 を蓄積 し, 「有徳」 な百姓といわれるよ うになってゆく ) で, 14世紀末になると, 4 人々のできたことである, と。 桑山浩然氏は 「室町幕府経済の構造」 この高利貸活動 をしている酒屋・土倉に対 して課 した酒屋・土倉役が, 幕府の経済生活を支える 重要な役割を果せることを指摘 している, 以上 の例でもわかるよ うに, 中世後期の経済は, 中世前期の荘園経済の経営 としては, 説明で き ない こ と は 明 ら か で あ る,. そ の変 化 に つ い て は. , 色 々 の 項 目 が あ げ ら れ て い て, そ れ ら の 現 象. を, 一 貫 した法則では把握しがたいようにもみえる, しか し, 私は中 世後期の経済 の著しい特色 を, 次のよ うに考える. 中世前期の荘園経営についての, 大名主の経営が崩壊して, 中小名主級 と作人級による小経営の名 田経営が一般的となったということと, それと表裏 のようにして, 土 倉・酒屋・豪農な どの有徳人が拾頭してくる財貨経済が, 他方に発展して, 中世後期の経済は, 中小名田経営と財貨経済 という両焦点をもった楕円経済が成立 したと考えられる. 中小名 田経営 とは, 単に荘園経済 の小規模化ということではない。 荘園経済は, 自給自足の経営経済 である が, これは貨幣・交換経済 を条件として成立している経済であるか ら, 本質的に異なるものであ る, 両焦点をもつ楕円経済 であるとい うことは, 両焦点の相互作用 と関連があ っ て始めて成立す る経済であるからである. 4- -S.
(4) . 中世後期の経済 学. 口. 中小名主級・作人級による名田経営の発達. 1 , 荘園経営の崩壊 荘園経営を支えていた経営者の経営理念も熱意も喪失 してしまった. 不輪・不入権をも つ自給 自足体制の経営という理念も熱意も失なわれてしまった。 彼らがその理想を失なったのは, 簡単 にいえば, 荘園経営の困難にあ った, 荘園経営を困難にした原因はいるいるある, まづ地頭が 荘 園を侵略した, 地頭の荘園侵略の例は, 非常に多い. 守護までが荘園を侵略 した, 荘園領主は, 彼らとの争いをさけるために, 和与中分とか半済法な どによ って妥協 して事を収めたが, しかし, 荘園経営の理想を失なわせた, また, 大きな武力組織をもった悪党らの荘園侵略も, 荘園経営を 困難にした, しかも, このよ うな事態に直面 して, その侵略を防禦するような荘園の一体性がなく なってい た. 一体観が 失なわれていた, 幕府は悪党に対 して禁令を出したが, 幕府でさえも抑え る力を・ も たなかった, 荘園が経営体としての一体性を失なった理由には, かつてそれを結合せしめていた 主従観念が, 衰退したことである. それは惣領制の崩壊から生 じたともいえる. 明徳記 (中巻) ) にもあ るように5 , 主従観念の喪失, 恩顧と恩誼によ って結ばれていた忠義観念とその関 係とが 崩壊した. それで戦場に臨んでも, 戦不利とあれば, 皆逃げてしまうほ どであった, そのように なっ た要因の一つには, 大名田の経営者・所有者が, 即ち, 守護・地頭らが旧来の土着の主家 で はなしに, 他からの任命によるものであり, 官吏のようなものであっ て, 氏ノ上と氏子, 主家と ) 家人・郎等というような結合関係がうすれたからである, 室町幕府 も建武式目では6 , 守護らを 昔の国司の如きものと考えて, 器量人を採用す べきこと をとなえている, また, 下級の荘官の手下ら, たとえを , 給人らが年貢を抑留 して, 納めない ものもあり, いよ いよ 荘園領主は経営の理想を失ない, 事実, 不可能でもあ った, 伊勢神宮の荘園 である甲賀郡の 柏木御扇では, 山中氏が 荘官で, また幕府の地頭でもあ ったが, その手下の給人松原らが 年貢を 抑留して納めないので, 年貢を神宮に納めることが できないと山中荘官は訴えている. なおもう一つの要因は, 荘園経営は, 自給自足の経済 の保持と努力が必要であ るのだが, 次第 に交換経済 の浸透によ って, 自給自足経済 の努力を失な ったことにもある, 荘園経営の理想の喪 失は, 荘園の経営権の地頭職・名主職・作職などが売買されるよ うになり, かつてのよ うな一生 懸命の土地ではなくなった, 柏木御厨の荘官山中氏の場合をみても, 彼の地頭職の一部が売却さ れている. 自足体制の荘園経営を考えなくな った証拠である, 経営の理想が失なわれたとい うことは, よい経営者がえられなくなったということにも, 重大 な一 つの要因がある, 2 , 名田の経営権 下級に及ぶ 荘園経済 の経済原則として, 経営権が在地の実際 の名田経営者の手に移っていくことを指摘 し たのであるが, 中世後期となって, 名田経営の経営権の主体が, 中小名主級や作人級の手に, つ まり在地の実際の名田経営者の手に推移し, かつ, 彼らは荘園領主の隷属関係 から独立する傾向 を著しく した. そこから下~ 劉上の気運も強く なった, 会社の経営権が, 組合に把握されるように なったのと似たところもある. 荘園領主の経営意欲の喪失から経営権が下級の, 実際 の在地の経 営者の手に渡り, 荘園領主や荘園経営担当者の一生懸命の土地経営体としての価値を失ない, 経 ) 営権が得分権化されて売買もされるにいたった. 西岡虎之助氏も7 , 在地の名田経営者としての 大名・小名の成立発展は, 荘園制そのものの経済的・政治的意義の喪失過程であったと指摘して - 85 -.
(5) . 石. 沢. 撒 ‐. い る.. 荘園が自足経済的経営 体と しての経済活動を停止 したことと, 他方では交換経済の発展から, 金銀財宝 (タカラ) の経済的価値をたかめ, 財貨経済を発達させた. 財貨経済 の発達は, 何ら生 産的発達に即応する ものではない. 土地の経営ということ が, 政治的・社会的ないろいろの事情 によ って, 生産性を失ない, 経済的尊貴性・確実性を失な ってきたことからして, (低下 したこ とから してというほうがよ いか もしれない) , 金銀財宝を経済 的に信頼のおける確実なもの と 考 え, それを堅牢な倉の中に保管 したり, 保存する, 蓄積するのが 有徳人の経済行動と考えられる ようになった, それは ドルと ポ ンドによ ってた っていた国際経済秩序が, ドル不安によって動揺 し, フラ ンスな どのように, 金の貯蔵という風潮を 起こ したが, 生産性のおくれたフラ ンス経済 が, 生産性を国民の富と考えていない 非生産性・非発展性を曝露した と同 じ意味をもっている. 経済的生産性の信頼される社会では, 金銀財宝の蓄積の如きは, あまり意味のない こ と で あ る.. イ, 中小名 主級・作人級の名田経営 鎌倉中期以後になる と, 農業の集約化や多角化な どによ って農業 の発展があり, 有力な名 主た ちは, 一部の手作地を残して,.他を下人に解放 し, 小農民による個別経営を行なわせ, 彼は経営 をはなれて, 加地子 (カ ジシ) 年貢を収取す るものに転じ, 所有と経営とが分 離するようになっ てい った. このようにして, 鎌倉時代の農村に多くみられた大規模な名 田経営は, 年と共 に解体 ) し, 中小名主層の袷頭が到るところにみられるようになった8 . このような名 の細分化が進行す るよ うになった要因にはいろいろのこ とがあげられるが, その二 三についてのべてみると, 惣領 制的な名は, 分割相続な どによ って, その内部では個別的な経営が行なわれていたのであるが, 惣領制が崩れはじめた時に, 個別的経営を行なっていたものが, 次第に隷属関係が稀薄となり, ) 新たに名をつくり だすものが多かった9 , 或は, 貨幣経済 の農村浸透により, 一方では荘園のなかにも, 貨幣経済 の発展に便乗して, 高 利貸な どを営む富裕な名 主もでてきたが, 他方では, 貨幣経済 に順応できず, 高利貸商人などの ために, 相伝の田地を奪われ没落する名 主層もあり, このような名の解体の中で, 小農民で生産 諸条件を, その手に掌握して独立経営化をすすめてゆくものもあっ た. このようにして, 中小名 主級や作人級による名田経営 が進行 した, 彼らの名田経営 という面についてみる に, これらの小農民たちは, 農業経営 上, 必須条件であ る用水や山 野の公平な確保や配分につい て, 相互に管理規制する必要があ った. たとえば用水問 題について考えてみても, 中世前期のような荘園領主層による管理支配が後退 して, 在地土豪や 農民自身が管理するという傾向 がめだ ってくる. 京都近郊の桂川用水につい て, 東寺領であった 久世荘.上野荘な どの農民が, 郷村的な地域結合の もとに, 管理するようにな った, 大和国の能 登, 岩井川用 水についても, 応仁・文明の乱後は, 興福寺の管理をはなれて, 興福寺の衆徒 ・国 o ) 民とよを れた土豪層 が 管理するよ うにな ったl , 入会地 なども, 延暦寺領近江国得珍保の場合の て よ うに, 農民の自治的な 惣結合の規定によ っ , 利用が決定されるようにな った例もある=) , 荘園領主の経営 権の侵害 (農民によ る侵害) には, 次のよ うな例もある. 1355年 (女和4年) に, 山城国伏見荘 の農民は, 領主四条家の定便の改替を要求 して, 許されなかったので, 定便 の 屋敷をおそい, 息子を殺したが, 農民の力 によ る荘園領主の管理権の侵害である. このよ うにして, 荘園領主とその経営担当者が, 経営権を放棄し, 放棄せざるをえなくなり, 経営権 が下層に推移 した. 一 86 -.
(6) . 中世後期の経済学 口, 小農民経営の成長 中世後期の農業経営の特徴は, 前期の有力名主による名田経営が細分化されて, 新興名主 ・百 ) 2 姓らによる小農民経営 が進展したことである1 . 室町時代の畿 内村落を構成 していた主体 は, 成 長してきた多数の小 農民であ って, 彼らは 「百姓, とか 「小百姓」 とよばれた. こ のよ うな小 農 民の経営が進展した要因については, 南北朝の内乱と無関係ではない. この南北朝 の内乱を 契機 として, 小農の経営が進行 したのは, この内乱に多数の農民が参加していた からである, 彼らは 積極的に, 独自な形で参加していた, 太平記巻38に, 諸国宮方蜂起事 並 起中軍事, その外, 東寺百合文書などに, 南北朝動乱にあたり, 国人層の活躍のあったことが書かれている. このよ うな機会に, 彼らは集団的実力を発揮するようにな った, 荘園領主から悪党 とみなされていたも のの実体は, 地域的な小領主化 しつつあ った武士や, それと結んで荘園 領主の収奪を排除せんと した名主・百姓らの集団であ った場合が多い. 各地の荘園では, 名主・百姓らは, 近隣の悪党, 武士らをかたら って, 荘園内に誘導 して, 年 貢を抑留したり, 荘官を 「数々の群訴」 の一味にひきいれたり, 領主側の検注を拒否 したりする こ とが, 日 常 時 に な っ て い た.. このよ うにして, 荘園領主勢力の後退・没落から, 領主がいろいろの名目で農民に課 していた 無償賦役から解放されるようにな った, ただ し, 在村の名主・小武士・小 領主な どの賦役からは 解放されなかった. このようにして,剰余生産物が,農村の内部で配分されるようになり, それを 3 ) つかみとったのは, 在地の有力な名主層であ った. 彼らは小地主 ・領主化したものであ った1 , ハ, 名主職等の土地所有権の得分権化 名体制の固定化か らして, 地頭職・下司職・または公文職・名主職な どと得分権化 したが, こ の名主職の下には百姓職とよばれたり, 作手職・作職とよばれた耕作権も生 じて, 売買されるよ うになった, 畿内を中心 とする地域 では, 南北朝内乱期以降は, いわゆる名主職とよばれる名主 の土地所有権が, 先にのべた百姓職とか, 作職とかよばれるよ うな幾層もの得分権に分化 し, 売 4 ) 買されるよ うにな っ た1 , このよ うな現象は, 荘園領主の経営権の衰退と表裏を なすものである, 伊勢神宮領柏木御厨の荘官・地頭なる山中氏は, 地頭職の一部 を売却 している. 荘園経営の全盛 時には考えら れないことである, 下池上の社会思想の強化は, 土地経営権の価値権を低下させたとも考えられる。 大正時代 の小 作争議の続発は, 不在地主に, 地主権を放棄せんと の考えを起こさせたが, 北海道では, 昭和の 初めには, 地主たちは如何にして, 土地を小作人たちに売却せんかと苦心す るほどに, 地主は価 値 のな い も のに な っ た 時 が あ る.. 3 , 農民の地域的団結 荘園経営者の経営に信頼のおけなくな った農民たちは, 地侍 (国人衆) らを中心に, 地域的な 一撰, 地域 的な団結をした. 荘園経営者や経営担当者らは, 真の意味の勧農の責任は負えず, そ の理想も失なっていたし, む しろ中小名主層 や作人層らが経営権を握っていたのであるから, こ れらの地侍とか国 人衆とかよばれるものが中心となっ て, 対外的侵略からの自己防衛と, 農業経 営の必要から, 農民は地域 的ー擬・地域 的共同行動をとった. また甲賀53人衆の団結のよ うに, 5 ) 独立名主層の横の団結 が なされて, 佐々木守護の勢力の排除 なども行なった1 . ここでは群惣と 称して, 全郡一致した団結がみられた. 当時の農民の運動は, 地縁的村落共同体の発展により, 年貢の減免ばかりではなく, 夫役の排除や, 幕府守護反戦の排除や, また, 高利貸資本の収奪に 対する反抗な どが行なわれた, 応仁の乱後に は, 地下請とか百姓請といわれる, 荘園領主に対 し 一8 7-.
(7) . 石. 沢. 撤. て, 荘内居住の百姓たちが, 一味同心 して, 所定の年貢の徴収を請負 うという制度が広く行な わ れるようになり, も し未進者がでた場合は, 百姓一同で 「惣百姓中」 として納入するという誓い の文書が多くな っている。 当時 の農民運動は, 時によ っては, 荘園の枠をこえて拡大 し, 一荘園領主を相手とするだけで なく, 守護とか高利貸資 本を相手とするようになり, 荘園領主対荘民ではなくて, 荘園領主・幕 府・守護勢力・高利貸 資本に対する農民らの闘争にまで発展 して, 「土一撲」 といわれる争いに まで発展した. 当時, 社 会秩序を守る公権力が弱く, その権力の所在も 不安定であ ったために, 売買契約証文 ) , 売買を などでは, 時の公方とか, 時の公方・地下とかいう, その時々 の権力者の保証の下にa 契約するという文章がみられるが, 恒久的に信頼のおける公権力 のなか ったことが女面によくあ らわれている, それだからこそ, 地特級を中心にして, 地域的団結にせまら れたのである, 「土 一撰」 な ども, 衆徒・国民な どといわれる国 人衆が中心となっ て, 一撲団結 したのである. 4 , 中世後 期の商業の性格 荘園制的秩序の解体, 中小名主級・作 人級の経営権の掌握, 実力 の把握は, 商業の形態にも大 きな変化を もたらした, 荘園経済 の崩壊は, 荘園の自給自足体制の中で荘園領主や荘園経営担当 者に依存 していた商業, 領主や荘官 らのぜいたく品の購買に依存していた商業から, 経済的実力 をもっ た中,小名 主級や作人級ら小経営者の, 必須的また春杉的な商品販売へと変 った. 塩焼の ・うになっ たので, 長者女正 のように, 荘園領主の下での塩の自給 がやまり, 交換経済 にたよ るよ 女正は塩の製造・販売によって, 富豪・長者とな った. 従来は商業 は, 荘園経済 の全盛時には, 荘園年貢の輸送・移動 のルートによって発達 し, 商 人 には多くは荘園領主の関係者か, その荘園領 主から取引独占な どの特権を 与えられたものが, 支 配的地位をもっていたのであるが, 南北朝 の内乱の頃から, 事情が大きく変 ってきて, たとえば 紙園社に下属 した綿商人の場合をみても, 散在商人が新座を結んで, 本座商人に対抗 したばかり ) 6 . こ でなく, なかには 「近年, 密々自由の業を致す」 「自由新儀商 人」 もあらわれてきている1 のように, 荘園経済 の自足経済の崩壊から して,.荘園内で広く自給 していた農器具や生 活必需品 にいたるまでも, 中小名主級や作人級の経営者を相手とする商業へと変じた, また, 年貢輸送ル ー トとはかぎらず, 地方に広く商人が分布するようにな った. 中世後期の都市商業の変質 上にのべたような理由から して, 都市商業の性格も変 ってきたのは当然である, 佐々木銀弥氏 の考えをまとめると以下のよ うなものである. 南北朝 以後の, 中世後期にも, 京都・奈良は最大 消費地であ って, 商業 の繁栄をつ づけ, 国内商業の中心をな していたこと には変わりが ないが, しか し, それらの都市商業繁栄の基礎条件は著 しい変質を とげた, その一つには, 前期の商業を 支えていた荘園領主層の荘園支配の後退と, それにともな って領主経済 の縮少がさけられなか っ たことである. こと に京都の場合は, それが著 しかった, 中央都市商業 に占 める荘園領主経済 の ウェイ トの軽減は, 明らかであるが, しかし, 京都などでは, それを補うような形で, 武家の駐 留や商工業人口 の増加があ って, これらのものが新しい都市商業の重要な基礎となっ ている. 中 世商業 の中心として繁栄した京都・奈良などの中 央都市商業は, 中世前期には, 荘園領主を相手 とする, 彼らの著修的な欲望を充足する高級衣類な どが中心的な商品として, 流通していたので あるが, 中世後期になると荘園制の解体の進むにつ れて, 京都では武家, 新興商工業者, 奈良で は商工業者, 興福寺衆徒らの新 しい実力階級を相手とする商業にと変化 し, 都市内分業も発展し 一 88 -.
(8) . 中世後期の経済学 た. これを一般的ないい方をすれば, 中小名主級・作人級らを相手とする新 しい必需品的な商品 の流通が比重をたかめ, 全体としては中央都市商業は繁栄をつづけた」 しかし, 前期にあ っては, 地方の諸商業の成立・発展を促進する地位にあ った中央 都 市 商 業 が, 後期になると, その比重を低め, ・ 地方の中小名主級・作人級らの購買力を背景とす る地方の 商業, また地方の封建領主制の進展にともなっ て, 地方城下町, 港湾都市, 門前都市のような, 初期封建都市商業が拾頭してきて, 中央都市商業の集中的な繁栄と地位はゆらぎだし, 国内商業 ) 7 に占める地位も, 前期に比しては低下せざるをえなくなったt , 5 , 中世後期の手工業の性格 中世後期になると, 手工業生産, 商業的生産が発展するのであるが, それは荘園経済 の自給自 足の体制の崩壊からして, 中小名主級・作人級の経営者の, 手工業的必需品・著惨品な どの需要 に応ずる商品の製作・販売へと性格が変わってい った。 豊田武・佐々木銀弥氏らが中世後期の手 工業について指摘する特徴は, 1 , 手工業生産の中核をなしていた手工業座の数が, 前期に比して 8 ) 圧倒的に増加 していること1 . これは, 荘園の自給自足体制の崩壊から して, 必然的に, 経済的 実力を握った中小名主級や作人級らの必需品や著ず 多品の製造販売する手工業 の発達が広 く 行 なわ れるのは当然である。 2 , 織物, 製紙, 製陶, 醸造, 漆器, 日用 雑貨, 加工食料, 鍛 台, 鋳物な ど 9 ) の広汎な部門にわた って, 手工業生産が発展してい ったi , 手工業座や手工業 者が, 従来のよ 。3 うに, 畿内, とくに京都中心ではなくて, 京畿内はもちろん, 地方社寺, 諸大名などの保 護の下 に, 北陸・東海道 な ど, 全国的に成立分布するようになった. このような手工業座の多部門にわたる増加と, 全国的成立ということは, 単純に考えても, 需 要が全国的に増大 していること, この増大した需要に応ずるために手工業生産物の売買が広く活 溌に行なわれるようになった。 それが前期の少数の手工業座の独占に対 して, 新興手工業者 の侵 害, 競争の激化とな ったと推測される, いずれにせよ荘園経済 の手工業品の自給自足体制の崩壊 から起こる必然の現象である, このような現象について, 農業生産力の向上から説明する人が多 いようだが, それよりも, しばしば繰り返しているように, 荘園経済の自給自足体制の崩壊と, 中小名主級・作人級 の経営権の掌握・経済的実力の獲得という点から説明す べきであると 思 う,. m 中世後期の財貨経済 1 , 財貨経済 の展開と貫徹 中世後期の楕円経済 の, 他の焦点は, 財貨経済である, この焦点は, 先の中 小名主級・作人級 の名田経営という焦点では説 明しきれないものを, この時期の経済現象 としてもっているという こと, む しろ, 財貨経済 という焦点から説明する方が, よく説明される経済 現象が多くみられる ということである, 先に説明した焦点と, この焦点とによる楕円経済であるとい うのは, 両者の 焦点の相互作用 によって, 中世後期の経済が成立しているからである, また, 予め説明しておかねばならない用語は, 財貨経済ということである, 財貨経済とよぶの は, 単に貨幣経済とか, 交換経済とよぶことでは説明しきれないものがあり, 信用経済 の発達 し た時代の貨幣経済とは, 質的に異なる貨 幣経済であるからである. 金銀貨幣が交換媒介物として の貨幣ではなくて, 金銀それ自身がもつ財宝性, 尊貴 性によって, 交換性が与えられているから である。 近世経済となっ ても, 金銀貨 幣は, その品位によ って価値が定まったのであって, 新井 白石が貨幣は品位な どは問題でなくて, 紙幣で もよいはずだとい ったが, 近世とても信用経済 に までは進んでいなかった, 金銀貨 幣が財宝 (タカラ) として通用 したというのみでなく, その他 -8 9-.
(9) . 沢. 石. 徹. の高級工芸品や芸術品, または舶載品, 即ち財宝 (タカラ) と称されるもの, 金銀財宝の蓄積を もって富者, 長者, 有徳人としてあがめ, それを理想とした, 大きな生産経営者よりも, かかる ものを有徳者とした時代であるから, 財宝経済 とよんでもよいような意味で, 財貨経済というの で あ る,. イ, 貨幣を媒介とする流通経済 の発達 鎌倉時代初期には, 朝廷も幕府側も, 貨幣の流通は荘園の自足経済を破るものとして, 停止を しば しば命 じたり したが, 年貢米の銭紬化 や荘園領主らの生活の向上 から, 交換経済 の手段とし ての貨幣が要求されるようになっ た, さらに敷街するならば, 荘園経営者自身が, 荘園経済の自 給自足経営の理想を失ない, そのような努力を怠り, 自ら交換経済にたより始めたことが貨幣の 流通を促進 したのであるが, さらに中世後期にな ると, 経営主体が小規模の農業経営にな ったの で, 自然に, 自足経済は不可能となり, 貨幣を媒介とす る交換経済に依存せ ざるをえ な く な っ た.. このように して発達 してきた流通経済を, とくに貨幣経済といわずに, 財貨経済というのは, 中世後期になっ て, 荘園経済体制でみられたような荘園経営という生産性に信をおく経済 に不信 をもつようにな ったこと, そして, 他の金銀財宝といわれる財貨 (タカラ) に, 富としての信を おくという経済に変わったことをいうのである, このことは, 土地そのものが生産力を失なった というのではなくて, 政治的に, 社会的に, その富としての安 定性を失な ったことにより, 他の 金銀財宝に比 して, 相対的に価値を失なったということである. かつて のように, 土地が一生懸 命の土地ではなくなっ たということである, むしろ, 他の金銀財宝 (タカラ) に信をおくような 経済 に な っ た と い う こ と で あ る.. 貨幣を媒介とする交換経済 の発達は, 小農民経営の成長によるものがあるので, 荘園の自足経 済に比すれば, 社会的分業の画期的発展にともなう必然性であるが故に, この頃より, 貨幣の流 通は, 社会経済 の基本的条件となりは じめたといってよい, また, 貨幣経済の発達は, 貨幣の流 通によ って生ずる憂れうべき現象としての, 年貢・公事につまる百姓を発生させたが, 他方では これに便乗 して, 米銭を 「経入れ」 て, 名主職を新たに手 に入れ, 手広く農業経営を営みつつ, しかも, 高利貸活動 な どによ って, 多くの金銀財宝・米銭を蓄積して, 「有徳」 な百姓といわれ るような人になってゆく ものが輩出 したことは, よく知られていることで, このよ うな有徳人を 生みだす経済 をさ して, 特に財貨経済とよぶのである. 財は, 当時の用 語ではタカラという意味 で用いられていた. ロ, 中世後期の財貨経済 を示す 商業活動 中世後期の名田経営が, 中小名 主級 や作人級による経営, 小規模の小農民の経営を 主体とする ようになっ てくると, かつての荘園内の自給自 足の体制を不可能とし, 必然的に交換経済 ・商業 活動を発達させた. 社会的経済 体制の, 分業という関 係からい うと, 名田体制, 給免田制を骨子 としていた荘園制的な分業 体制の解体があり, それに代 って, 地方荘園村落には, 農民層を主体 と した地域的な分業体制, または在地領主層の支配した地域的分業体制が形成された, 中央諸都 市と地方との分業 関係では, 荘園経済時代に機内諸都市が占めていた経済 的地位は, 中世後期に なると, 低下 して, 地方城下町な どの経済 的地位の向 上がみられて, それが地方の商業活動を活 溌にした, 上にのべたよ うな新 しい分業体制の一貫として商業活動は発達 し, かつ, 社会的に必 須の存在となってきた. それでは荘園内の交換経済 の発達は, どのよ うな影響を与えたか. 具体的にはどう で あ っ た - 90 -.
(10) . 中世後期の経済学 ‐世紀初めにかけて, 荘園制的名田体制の解体があ か, 太良荘 の例によると, 13世紀後半から14 り, 14世紀前半になると, 明らかに荘内の諸階層の間に新しい動きがみられる, 有力名主層の小 領主化傾向, 中小農民の小商 人的活動, 荘内外の高利貸的名主の進出, 手工業生産者の自主的 な 分離の進展, これらの諸階層による新しい分業体制, 即ち, 地域内分業体制の形成, 惣的・地 縁 的共同体の形成がみられたといわれている, ハ, 地頭職・名主職・作職等の得分権化 財貨経済貫徹の一貫として, 荘園経済 の主体であった地頭職や名主職・作職などが, 完全に得 分権化されて, 売買され, 名田経営 (勧農) の如きは問題ではなくなった, 砥園社記 の建治4年 正月廿五日の条によると, すでに京都 の土倉が寄合衆を組織 して, 質流れになった備前可真郷 の 処分について協議 したことがみえており, 所領の売買, 質入も甚だしくなったので, 鎌倉幕府 は, これも制限, もしくは, 禁止せねばならぬほ どであったといわれている. 南北朝以後になる と, この 傾向 が, いよ いよ 甚 だ しく な っ た,. このことは, 反面からいうと, 地頭職も, 名 主職・作職も, たやすく財貨で入手できるよ うに なっ たということである. 「有徳な」 百姓たち は, 土地を買集めて, 大きく農業経営するものも あらわれて きた, これは, 土地というものが, 一族・一家にとっ ての唯一の富, 一生懸 命の土地 ではなくなったということであり, 富としての価値の相対的低下 であるということができる, 二, 財宝・財貨獲得の努力 荘園経済体制が多 くの困難にぶつかり, 経済的に絶対的な信のおけない不安定なものになっ て くると, 財宝や財貨の蓄積を主とするような世相になった, 困難な自足的荘園の経営よりも, 交 換手段でもある財宝の獲得 と蓄積の方が, 有利な経済活動とされるよ うになってきた. 金銀, 舶 載品, 書画, 骨董品, 名刀, 名器な どの財宝 に価値が見出された. 多く の米銭をも蓄 え た 長 者 が, 戦舌 Lの際な どには, 米銭には目もくれず, 金銀財宝 (名宝・名器など) の持運びに努力 した い と い わ れ る。. 金銀財宝な どの蓄積ということは, 経済的には荘園経済への不信から生 じた, きわめて非生産 的であり, 非創造的な経済思想にもとづくものである, 有徳人と称された人たちは, これらの財 宝を堅牢な土倉の中に蓄蔵 した. 土倉は財貨経済のシンボルでもあ った. 荘園経済の不信が, 他方では高級衣服 や高級工芸品, 書画, 骨董品な どの財宝を尊重す る経済 思想を生みだした, 非生産的ではあるが, 芸術趣味的な名器・名作などを尊ぶ経 済的価値観念が 生まれた, 同 じ観念から異国唐物・高麗珍物が尊ばれた. それは同時に, それらのものをつくる ) には 各地の 2 0 名工, 名匠な どの職人気質を生みだ した. 室町前期の作と思われる 「庭訓往来」 , 銘産品をあげているが, 名器・名作 を尊ぶ意識があらわれている, 1370年代頃より窯業は盛んに なったといわれるが, 瀬戸焼な どに天目紬が行なわれてすぐれたものを作るよ うになり, それに おくれて, 備前・信楽・伊賀・常滑・丹波などの製陶業が 発達した, 製紙では美濃国の美濃紙, 越前国の鳥の子紙など, 醸造業の京都の柳の酒屋がもっ とも有名で, 京都・博多・堺・西宮の銘 酒が知られた, 鋳物では, 楠葉の鍋, 河内鍋, 播磨鍋が知られた, 140 3年には井手家太刀 (備前 長船盛光) の名刀がつくられたし, 14 26年には北野神社梅蒔絵箱が作られた, 室町中期には名工 ・名匠が輩出して, 名器・名作を発表 し, 全盛期とな った. 金銀が流通貨 幣というよりも, 財宝 として蓄積され, また多く の高級工芸品な どが蓄蔵され るよ うにな ったので, このよ うな経済を 貨幣経済と区別 して, 財貨経済というのである. 当時, これらの名器を将軍な どから賜わるの は, 一国の所領を賜わるにも似てありがたいこととされ るようになった. このような観念 は江戸 .- 91 -.
(11) . 石. 沢. 轍. 時代にまでもつづくのであるが, 新井白石は, これは将軍義政の時より行なわれだ した悪習であ ると批判している, 根本的には, 非生産的な観 念であることは間違いない, ホ, 土倉・酒屋の高利貸業者の発達 財貨経済を象徴するものには, 土倉・酒屋という高利貸業者らの土倉こそ は, それであると先 にのべたのであるが, この分析は財貨経済 の本質を示す面をもっている. 明月記に (女暦元年) 「八月五日, 丁末, 朝来無 雲, (中略) 一昨日火事実説, 烏丸西, 油小路東, 七条坊門南, 八 条坊門北, 払 地焼亡, 土倉不 知二員数-, 商買充満, 海内之財貨只在二其所-云々, 黄金之中務 為二其最→ 目二翌日→ 皆造作云々, 商買富有之同類相訪者如二山岳-積置, 先隔二大路-各引し鰻居二 其中-境, 飯酒肴不 可二勝計→ (下略)」 これは京都南方の火災の時にお びただ しい土倉 が焼けた が, この土倉には 「海内の財貨ただ其の所にあり」 と嘆ぜられている. 女暦元年は北条泰時 の執 権の時代であるが, その後, 土倉・酒屋らの高利貸業 はいょ ,いよ盛ん とな ってゆく. 彼らは金銭 を貸し, 質物をとり, それを堅牢な土倉 に保管し, また質流れ品を 所有 した. 三浦周行氏の法 制 りおく 1 ) 史の研究では2 , 質営業者を土倉と称 した理由は, 当時, 盗難火災 などから, 貴重品を預 ために, また, 質物の保存 のために, 堅牢なる庫倉をつく っていたからである, と, 土倉・酒屋 な どの高利貸業は, 南北朝 の動乱を境にしていよいよ 発達 し, 上下を通じて, 重要な金融機関と な っ て い っ た.. 土倉・酒屋らの高利貸業の発達は, 基本的には, 財貨経済の発達からして, 上下ともに金銭 の 借用 者が多くなり, しかも, それが再生産のための借用 ではなく, 生活費補充のための借用であ っ た ので, いよ い よ 借財は多くなり, 業者は彼らから担 保としてとりあげた財貨・財宝を堅牢な ) 2 土倉に蓄えた. 都には何百という土倉の庫が建ち並んだという. 高利貸業発生の条件は2 , 京 都・奈良な どの貨幣・商品の流通の活溌化は, 荘園領主層 の銭貨獲得の欲求を強めた し, 地方荘 園からの年貢を代銭納入する必要からも銭貨を必要とした. とくに南北朝時代 を転機として, 地 方遠隔地荘園からの収入は減少 し, または途絶 して, いろいろの財源をもとめたが不安定であ っ て, 商品経済 の発達の中 にまきこまれて, 収支 のバ ラ ンス を失ない, 不足分は都市 の有力商 人や 高利貸に借入れざるをえなかった, 地頭・御家人層も, 鎌倉や居住 地荘園内で, 次第に商品流通 経済にまきこまれ, とくに元置な どの不時の出費や, 欲 望の増大などによ っ て収支のバラ ンスを 失ない, 所領や財宝を質入 して借金する者が多くな った. 荘園内農民の場合 も, 荘園内市場商業 の開設や市場での年貢物販売な どによ って商品流通経済 にまきこまれて, 金銭 の借用 の必要にせ まられた, 貢納や生活のために銭貨の不足を生じ, 荘園内有力名 主や他地方の高利貸から借 金し たり, 土地を売却せざるをえなくなったものもでてきた. このように して, 土倉・酒屋その他の 高利貸業は, 当時, 支配者層 はもとより, 小市民から農民にい たるまで の, 欠くことのできない 金融機関であ った. しかも, この土倉・酒屋は, 14世紀末の応安 の頃になると, 幕府から土倉・ 酒屋役が設けられて, 幕府の財政を支えるほ どに発達 した, 室町幕府 は土地収入 がきわめて不安 定であり, それ を補うものと して, 日明貿易に乗出 したが, 不確定であ ったので, 幕府は土倉衆 を幕府 の財政機関に登用 し, 土倉・酒屋役を彼らに課 して財政を補 っ ていた. このよ うにして, 土倉,酒屋の高利貸業者は, 室町時代には幕府の財政を支える有力な経済実力 者であり, 金融機 関 で あ っ た.. うである が, ) 3 室町幕府の将軍家の諸要脚 (費用) は2 , 原則として は,御料所に依存 していたよ 幕府諸官庁 (政所・侍所・問注所な ど) の年中要脚は, 幕府は他に求 めなけれ ばならなかった, 室町幕府は, この通常会計のための財源として確保した ものが, 「洛中辺土散在の土倉およ び酒 - 92 一.
(12) . 中世後期の経済学 屋役」 であ った, 最初, 臨時課役として始めた土倉・酒屋役を1393年 (明徳4年) に, 恒常課役 とした. 明徳の土倉・酒屋条令は, 室町幕府 の財政政策を明文化 した重要な法令である, 政所が 財政を掌ったが, その下に, 倉奉行と納銭方があ って, 倉奉行が御料所の貢納を, 納銭方は, 酒 屋・土倉の管理をした. 上 述のよ うな経済 実力をもった土倉・酒屋らの土倉が, 洛中・洛外には多くたっ ていた. 貸付 の対象は, 下層武士, 京都周辺の代官的名主層を始めとして, 農民層・馬借・車借にまで及んで いた, 室町時代以降にな って頻発した貸借破棄を要求 した土一擬や徳政一撰の構成者はこれらの 諸階層からな っていた, 当時の金融機関としての機 能の大きかったことが知られる. しかし, こ のよ うな高利貸的金融機関の発達は, 近 代的な意味での経済の発達とはいえない. 近代的金融業 は, 主として再生産のための 貸借であるが, 中世の高利貸業は, 非生産的な, 生活費補充のため の貸借であるから, 結果的には, 貸付者は担保としての財宝を積み, 土地を入手し, 借手は財宝 を失ない, 土地を手放 し没落するほかはなかった. 商業 の発達とか, 金融業の発達という面で は, 経済的進歩のよ うにきこえるが, 経済的には全く非生産的であり, 荘園制経済秩序の崩壊期 という不信の時代に発生した経済現象である, 2 , 財貨経済の根底をなす経済思想と社会意識 イ, その経済思想 七福神の信仰は, 室町時代中期ごろに成 立したらしいが, その中の一人, 弁財天はもとは知慧 ・弁説の神として弁 才天としてあがめられていたもの が, 室町時代の世相によ って, 財福をもた らす弁財天の意味で あがめられるようになった, 中世後期の弁財天の思想を生みだした経済思想 は, 同時にこの時代特有の長者の理想像を生みだ した, 古代にても, 大土地所有者を長者といっ ていたが, 仏教信仰も加味 して, .大福長者とよび, 同義語で, 有徳人とい った, しかし, 中世後 期には, 作善徳行という本義は全く失なわれて, 単に富者を指すのに用 いられ, 時には営利観 念とも混増して, 有徳者は有得者ともかかれて, 利得をえて富をなした人と .いう意味で用いられ 4 ) た2 お伽草子にある塩焼の長者女正は 当時の理想像であり 有徳者 有徳人といわれた , , , . , 5 ) 徒然草に2 , 当時の財貨・財宝の蓄積の経済思想がかかれている. 徒然草の原文を引用するよ ) 6 りも, 柴謙太郎氏の解説がわかりやすいので, それを借用する2 , 長者たらんとする ものは, 何をさておいても, ひたすらに利得を身につけ, 富を積むべきであ る. 貧乏では生きている甲斐がない, 富人のみが人間である. 営利によ って余剰を得, 消費制限 をな して, 余剰を蓄積すること, 富の蓄積は心の持方による, 第一は現実主義であらねばなら ぬ, 無常観などは以 っての外である, 第二 には禁欲たるべきである, 欲望は無限であ るから, こ れに応ずる無尽財はあろう筈もない. 第三は拝銭宗であらねばならぬ, 銭を奴の如く使うものだ と思 っていると, 到底, 貧苦は免れない. 「君の如く, 神の如く恐れ尊み」 てゆかねばならない, 第四には, 恥かしめられても, 怒ったり恨んだりしてはならない. 我慢することである, 第五に は, 正直にして, 約束を堅く守 ることである, 信用が大切である. 以上の道理を厳守 して, 利を 求めれば, 富の蓄積は可能である, あだかも火がかわ けるにつき, 水が下れ るに従うよ うなもの である, この理想では, まだ利潤獲得までの営利には進んでいないが, 拝銭思想である, 兼好法 師が評 していうの には, 人は所願を成就せんがために, 財 (タカラ) を求める, 銭 を財とするの は, 望みがかなうからである. これは却貨万能思想である, ここでは貨幣蓄積 が, 所順成就のためにあるととかれているが, それが再生産のための資本蓄 積のためであるとはとかれておらず, 高利貸資本の蓄積のためであるともとかれていない. 財貨 - 93 -.
(13) . 石. 沢. 撒. が全く財宝 (タカラ) として の価値をもつが故に, その意味で蓄積されるのである, その意味で, 近代的な意味の資本蓄積 とは全く異な った意味をもっているので, また, かくの 如く して蓄積し た富をもつ長者の貸付業 が, 非生産的な生活費補充のためであるが故に, このような経済のあり 方を, 財貨経済 というのである. ロ, 有徳人・長者の理 想像 上 にの べたよ うな, 財貨を蓄積した人の理 想像が, 長者 とか有徳人として描かれ ている. その 7 ) 代表 的な文学 が女正草子にある女正長者である2 . この話によ ると, 女正長者は, 前名を女太 といっ た, 女太は鹿島大宮司 家の雑色の一人であ って, 馬を飼うよりほかは何の芸能もない, た だ正直に奉公 しているだけの, 下賎な, 貧乏な男であ った. 交太は主家を故意に追出され, 窮乏 な流浪生活のすえ, 「つのをかが磯」 の塩屋に奉公 し, 塩やく薪を採りつつ年月を送ったが, そ れではあまりにたよりなく 思われたので, 「われも塩やきて売らばやと思ひ」 たち, 主人に請う て塩窯一 つをもらい うけ, 製塩をはじめたところ, それが高価に, かつよく売れて, 「かまひと つ と い へ ど も, つ ね の か ま 十 ば か り が しほ よ り も, おそまく さ か へ て, め で た く な る ほ どに, つ の. おかがいその, しほやき どもをみなみな したがへて, わが しほをぞやかせげる, ぶんたが塩とな づ けて, やく しほは, かぎりなく, おほかりけれ ば, 人もみな, ふしぎのことに思ひ, くち ぎた な く も い は ず, め で た き こ と にぞ, い ひ の の し」 られ つ つ, 長 者 と な り, い よ い よ 富 み 栄 え, や. がて土地を手広く買いあっめて, 農牧業の方面にもの りだ して, 後には, 農業経営が, 女正長者 家の経済 を代表す るよ うになり, 豪農となった. 豪農となった長者は, 屋敷は 「門をばみえ」 に して, 「四 ほ う に く ら を た て, 一 ま ん ぢ や う, む ま う しの ま の ま き 七 が う, と ゐ の う ち に, 75町 かい ごめて, ざいけの数 300, げ ん い ゑ の あ り さ ま, い ふ も お ろ か 也 (中 略), め で た し と も, い. ふばかりな し」 一万町歩の田地と, 三百の在家は下 作人の票落であり, 土居の内の75町歩は, 大 部分 は田地と菜園である. 数百人の奴蝉を使用 しているので, 日用 品は自給経済である. しか し, 女正の娘 がほしがる高級の著惨品は, 京都の商 人が販売にきた. 「おもしろい は, 京下りの商 人, 千反櫨荷なって, つれは三人なり. 千反橿には, 多くの宝が ひ 候よ. (中略) , 商 人を恋ゆるか, せんだびつを恋ゆるか, せんだびつの中の花 紫を恋ゆるよ, つ の 中 な る ば しやうの絞りの雌子, まよ うた花紫の色には, きせいで糸捻りかけの かたびら」 8 ) な どが 入 っ て い た2 .. 荘園経済の 全盛時には, 製塩の如きも自給 していたのであるが, 荘園経済の自給自足体制の崩 壊から, 塩の如き必需品までも, 商 品化されるよ うな交換経済の 発達という経済状勢となって, 女正は塩 という必需品を, 製造販売 して, 積極的に交換経済 に結びつき, 富をなすにいた ったも の と して 語 ら れ て い る.. ) 9 女正長者の外に, 有徳人の理 想像として語られている ものに, 「猿源氏草子」 には2 , 伊勢の ) 0 阿漕の鰯売が都に上り, 有徳人とな った話がの っている. また, 薦軒日緑には3 , 名和長年は鰯 u 商 して, 人から出世 売から長者となり 後世になるが, 老 人雑話には斎 藤道 三は, 山崎油売りの 長 者 と な っ た と し る さ れ て い る.. 長者・有徳人 (ウ トク人) といわれるものの, 実際の例では, 15世紀末の例であるが, 蔭涼軒 及び河辺の倉では, 家財 日録によると引) , 備中で, 戦乱のさいに, 軍兵によ って掠奪された宮内 が甚だ多く, 三日三晩も運びとっても, まだ尽きず, しかも米銭は目もかけられなかったと伝え ) 2 ている. 原田伴彦 氏は3 , いわゆる有徳人とは, このよ うな商 人化した富裕 な地主層であ ったの だとい っている, このよ うな有徳人の出現は, 生産力の発達に帰せられるよりも, む しろ, 荘園 - 94 -.
(14) . 中世後期の経済学 領主の経営権が下に移り, これによっ て, 中小名 主級・作人級らの地主の収入が増大し, その収 入の多くを財貨をもって蓄積 している経済現象とみ るべき であると思う, ハ, 社 会 意 識 中世後期になると, 鎌倉時代の封建制を支えていた惣領制が崩れて, 単婚家族を中心にした個 人主義的利己主義が発達 して, 経済 的な得分権化 した家督相続権をめぐって, 肉親の間ではげし く争うよ うになっ た, また, 戦場に臨んでは, 戦不利とみえると, ほとんどが主人をすてて逃亡 したので, 武士道の頗廃として, 識者をなげかせた, これは, 当時の個人主義的利己主義の社会 意識によるものであるが, かかる社会意識は, また, 財貨経 済を発達させる根底的な社会意識で もあ っ た. 3 . 財貨獲得の方法 日明の勘合符貿易によっ て, 幕府をは じめとして, それに従事 した守護大名 や商 人で利をえた ものがあ っ た, また, 倭趨として, 支郡・朝鮮の沿岸を 掠奪して巨利をえたものもあっ た. しか し, それはきわめて不安定なものであっ た, 何よりも, 国内商業活動 や高利貸行為による財貨の 獲得の方法によるものが多い, 根本的には, 荘園経済の自給自足経済の崩壊から, 中小名主級・ 作人級の経済力の把握, 即ち, 購買力をもっ たこと, しかも小規模農業経営を主とするので, 必 然に交換経済に依存せざるをえなかったこと, これに呼応 して, 商 人たちが荘園領主から独立し て, 活溌に財貨の獲得に奔走 したことである. 当時, 塩商人が如何に利潤をえていたかという例 として, 1292年 (正応5年) の東寺百合文書の伊予国弓削島庄問丸の申詞には, 弓削島の塩年貢 190 俵を, 1 俵2 00女で淀間丸に渡 したところ, 京都七条坊門の塩商 人がこれを買いとり, 2~ 3 日後に, 1 俵4 00女で売 ったことがでている, 座商 人らの販路独占による致富も著 しいものが. あ った. 市なども, 臨時市が定期市と化して, 農工生産品も多く商品として売買され, 行商も発 達 して武装した隊商団も流行 した, 4 , 財貨経済の意義 財貨経済 とは, 経済秩序の混乱期に生ずる換物運動に似たものがある, 荘園経済秩序の崩壊期 にあたって, 荘園の土地経営よりも, 金銀財宝の蓄積に, 経済 的価値の恒久的保持の安定観がお かれて, 金銀財宝を蓄積する換物運動が生 じたのである, イ ンフ レ時代には換物運動 が起こるが 最近 では, ドル・ポンドの平価切下げの心配から, 金の買あさりが生 じた, 堅牢な土倉に, 金銀 財宝を蓄積するのは, 盗賊団 や一撰に掠奪される心配はないわけではなかっ たが, 彼らは土倉役 ・酒屋役を, 幕府もしくは時の権力者に納めて保護をえたので, つねに侵略の危険にさらされる 土地経営よりは経済的安定性があった, 財貨経済は, 荘園経済の崩壊から生ずる不安定から免れる意味はあっても, 財貨経済 (財宝の 蓄積) は, それ自身としては, 生産的でも, 創造的でも, また前向きのものではない. フラ ンス は金保有では, 世界に誇りなが ら, おくれた生産性のために, 政治的危機に直面 したと同 じであ ・のと同 じである, る, ドルを金に換えて, 金で遊ばせておくことは何ら生産的ではなし それでは, 財貨経済は, 社会的分業の進んだ市場経済へ進む前提としての意味があるかという に, そのような価値ももっていない. 当時, 名主の経営 が完全に破滅してしまったわけではな い. 狂言などにも, 名主はなお農村の経営者としての力をもっていた, この名主級が武力に、 よっ て土地生産の経営権と, 財宝としての経済力を, 掌握して, 実力をもってやるときに, 彼らの経 営の理念と経営力によ って, 新 しい形の政治的・経済的秩序としての, 近世封建制下の, 領国経 済 が 発足するのである, - 95 -.
(15) . 石. W. 沢. 撒. 楕円経済の 意味. 荘園領主及び経営担当者の経営権が, 下級の在地中小名主級・作人級に推 移したのみでなく, 荘園経営のような大規模の自給自足経済を不可能にし, 必然的に交換経済に依存せ しめた. 農産 物以外の ものは交換経済に依存せ しめた. また, 中小名 主級・作人級が経済的実力を も っ た こ と, 購買力をもっ たことは, 交換経済を発達させた, 財貨経済は, 荘園経済秩序の動揺 と崩壊, 中小名 主級らの名 田経営の発達によ って発達 したも のではあるが, それは今日考えられるような信用 経済にたつ貨幣経済や, 交換経済 ではない, 財 貨経済 では, 貨幣は交換性を媒介するもの ではあるが, 同時に, 財宝 (タカラ) としてのそれ自 身の価値によ っ て尊重されたのであ って, 紙幣でもよいよう な貨幣ではなかっ た, 財貨経済法則 の貫徹によ って, 名田そのものも, 財貨として評価され売買された, 先にも指摘 したよ うに, 財 貨経済法則は, 生産性とは必ずしも結びつかぬものであり, 社会経済秩序の動 揺・不安定期に生 ずるものである, 上にのべたよ うな両焦点をもって, 中世後期の経済は楕円経済 が行なわれたということは, ど ちらか 一方の焦点を中心として説明しつくすこ とができないということと, 両焦点は相互に作用 し影響 していること. むしろ, 両焦点の相互作用によ って, 中世後期の経済現象の大半を説明し つくすこと ができるが故に, この両焦点による楕円経済 であるというのである. 註 0月号 3年1 1) 石沢 轍 : 中世荘園経済の経営学・北海道教育大学研究紀昭和4 2) 永原 慶二 : 日本経済史大系口巻 p ,27 3) 網野 善彦 : 同上, P ,103 4) 桑山 浩然 : 同上, p ,191 5) 明徳記中巻 ; 明徳2年の山名氏清の乱を記す. 6) 建武式目条々参照 7) 西岡虎之助 : 新日本歴史・鎌倉室町時代 p .62 武 : 中世社会 p 8) 豊田 ,128 福田栄次郎 : 日本歴史講座皿巻・惣村の発展 p .70 6 9) 永原 慶二 : 日本封建制成立過程の研究 p ,36 10) 佐々木額弥 : 中世の商業, p .32 11) 今堀日吉神社文書 0 12) 永原 慶二 : 日本歴史講座皿巻, p ,4 02 13) 石田 善人 : 同上, p ,1 14) 永原 慶二 : 日本歴史講座皿巻, p .43 武 : 新日本歴史 : 鎌倉室町時代, p 15) 豊田 ,70 1 6) 砥園執行, 日記1 1 7) 佐々木銀弥 : 中世の商 業, p ,55 武 : 都市及び座の発榔参照 18) 豊田 武 : 中世商業史の研究 19) 豊田 - 20) 庭 部 ~往 来 : 正平五年に没した憎玄恵の作といわれているが, 疑われている. 室町前期の作 と い わ れ る.. 1) 三浦 周行 2 22) 佐々木銀弥 博 23) 杉山 鞭太郎 24) 柴 言 2 5) 徒然草下巻 2 6) 柴 訂長太郎 2 7) 女正 草子 28) 西岡虎之肋. : : : :. 1 日本法制史の研究, p ,91 中世の商業, p ,167 日本歴史講座, 皿巻, p .63 4 6 9 9 中世の経済, p ← .. : 中世の経済「財貨に関する思想」 : 御伽草子の中の女正草子 : 民衆生活史の研究, p ,27 一 96 一.
(16) . 中世後期の経済学 2 9 )猿源子草子 : 日本女学大系所収 3 0) 秀弘 大叔 : 1) 蔭凍軒日録 : 3 32) 原田 伴彦 : a) 笠松 宏至 :. 薦軒日録・応仁・文明期の堺 大日本仏教全書所収 中世の商業・日本歴史講座皿巻 日本社会経済史研究, p 7「中世在地裁判権の-考察」 .3. - 97 -.
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