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『草枕』の那美さん : 作品内の言葉と場をてがかりに

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一

﹃草枕﹄ の那美さん

作品内の言葉と場をてがかりに

橋

本

 

尚

書

夏目漱石﹃草枕﹄ の ﹁那美さん﹂ を ︵常軌を逸した不可解な女性︶ とする のが従来の一般的な見解である。重松泰雄は彼女を ﹁気まぐれな仙女﹂ と評 した︵注1︶。越智治雄・平岡敏夫・前田愛らの ﹁那美さん﹂ 像も ︵死を指向す る女性︶ というものだ。︵注2︶。果たしてそうだろうか。本稿では、この ﹁那 美さん﹂ を再検討してみたい。 ﹁ 噂のなかの ﹁那美さん﹂ ﹁那美さん﹂ に関する主な情報は、二人の作中人物 − ︵観梅寺の大徹和 尚︶ と ︵髪結床の親方︶ の言葉にちりばめられている。 まず、第五章 へ髪結床の親方︶ の言である。 ﹁︹前略︺ ︵志保田のご隠居さんは − 引用者︶ 去年御新造が死んぢまっ て、今ぢや道具ばかり捻くってるんだが!何でも素晴らしいものが、 有るてえますよ。売ったら余程な金目だらうつて話さ﹂   ︵五〇頁︶ 語られているのは ﹁志保田﹂ の家の状態である。ここでは、志保田の ﹁ご 隠居﹂ ︵1那美さん﹂ の父︶ が骨董趣味を持つこと、﹁売ったら余程な金目だ﹂ といわれる骨董品を所有するだけの蓄えを持っていることが示される。 この言葉に、﹁画工﹂ が ﹁奇蔑な御嬢さんが居るぢやないか﹂ と返事をする と、即座に ﹁親方﹂ は ﹁あぶねえね﹂ と答える。ここから続くのは ﹁那美さ ん﹂ に対する ﹁親方﹂ の否定的な見解だ。 め え                 も ど ﹁何がって。旦那の前だが、あれで出返りですぜ﹂ ﹁ さ う か い ﹂ ﹁さうかい所の騒ぢやねえんだね。全体なら出て来なくつてもい1所を さ。1銀行が潰れて贅沢が出来ねえつて、出ちまったんだから、義理 が 悪 る い や ね 。 ︹ 後 略 ︺ ﹂                                     ︵ 五 一 頁 ︶ これに続いて志保田家の未来がそう明るくないことを ﹁親方﹂ はほのめか す。そして、﹁画工﹂が長く逗留する意図を表すと、返す刀でこう言う。 こ ﹁︹前略︺ あぶねえ。およしなせえ。益もねえ事った。確でもねえものに 引つかゝつて、どんな目に逢ふか解りませんぜ﹂ ﹁ ど う し て ﹂ ﹁旦那あの娘は面はいゝ様だが、本当はき印しですぜ﹂ ﹁ な ぜ ﹂ きちげえ ﹁なぜって、旦那。村のものは、みんな気狂だって云ってるんでさあ﹂ ︵ 五 一 頁 ∼ 五 二 貢 ︶ ﹁親方﹂ の言わんとするのは ﹁那美さん﹂ が精神的な病におかされている ことだ。﹁画工﹂が軽い気拝で彼女に近づくのを制止しようとする意図の忠告 一五頁

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であろう。﹁親方﹂ の発言の最終部分に留意したい。﹁みんな気狂だって云っ てる﹂ のが ﹁那美さん﹂ 評価の基準であるなら、﹁親方﹂は自分の判断の根拠 を持っていないことになる。噂話が持つ危うさを ﹁親方﹂ は早くも露呈して しまった。﹁画工﹂が ﹁そりゃ何かの間違だらう﹂ と反駁すれば、﹁親方﹂ は ﹁だって、現に証拠があるんだから、御よしなせえ。けんのんだ﹂ としなが ら、更に ﹁画工﹂ から﹁どんな証拠があるんだい﹂ と問いただされると答え に窮し、﹁可笑しな話さね。まあゆっくり、憫草でも呑んで御出なせえ話すか ら。!頭あ洗ひまLやうか﹂と﹁那美さん﹂が精神を病んでいる﹁証拠﹂ を捜す時間稼ぎの方略をめぐらす。ここからしばらく話の筋をそらした ﹁親 方﹂ はこんな風に体勢を立て直した。 みさけえ ﹁︹前略︺どうも薩はし、見境のねえ女だから困つちまはあ﹂ ﹁御嬢さんが、どうとか、為た所で頭垢が飛んで、首が抜けさうになっ た つ け ﹂ ﹁逮ねえ、がんがらがんだから、殻切、話に締りがねえつたらねえ。 −   そ こ で 其 坊 主 が 逆 せ ち ま っ て ⋮ ⋮ ﹂                     ︵ 五 三 頁 ︶ ここで話題に上る ﹁坊主﹂は昔、観海寺にいた人物である。﹁親方﹂ の話に よると、﹁納所坊主﹂ の泰安は ﹁那美さん﹂ に懸想して付け文をした。ところ がその泰安を、﹁き印﹂ である﹁那美さん﹂が常人の理解を超えた行動で翻弄 し、﹁那古井﹂ の土地から出奔させてしまったというのだ。次の引用部がその 箇 所 で あ る 。 いきなハリ ﹁どうしてつて、本堂で和尚さんと御経を上げてると、突然あの女が飛 きじるし び込んで来て ー ウフ・⋮︰。どうしても狂印だね﹂ ﹁ ど う か し た の か い ﹂ ﹁そんなに可愛いなら、仏様の前で、一所に寝ようつて、出し抜けに、 泰安さんの頸つ玉へかぢりついたんでさあ﹂ 一六頁 ﹁へえゝ﹂ きちげえ ﹁面喰ったなあ、泰安さ。気狂に文をつけて、飛んだ恥を掻かせられて、 とうノ∼、其晩こっそり姿を隠して死んぢまって⋮:・﹂ ﹁ 死 ん だ ? ﹂ ﹁死んだらうと思ふのさ。生きちや居られめえ﹂ ﹁ 何 と も 云 へ な い ﹂ きちがひ ﹁さうさ、相手が気狂ぢや、死んだって冴えねえから、ことによると生 き て る か も 知 れ ね え ね ﹂                           ︵ 五 四 貞 ∼ 五 五 頁 ︶ ここで目を引くのは親方のしゃべりロだ。彼は ﹁死んぢまって⋮︰・﹂ と軽 々に口の端にのぼせられない内容を伝えながら、その直後﹁死んだらうと思 ふのさ﹂ とやや言葉をにごらせる。その後は、﹁死んだって冴えねえから、こ とによると生きてるかも知れねえね﹂ というところまで言葉を変えてしまう のだ。もう一度﹁親方﹂ の言葉をまとめるなら、泰安は﹁死んだ﹂が、﹁死ん だらうと思ふ﹂ とやや暖味になり、もう次の瞬間には ﹁生きてるかも知れね え﹂と内容を全く逆転させてしまうのである。事実を確定できる証拠を彼が 何一つ持たないことを予想させる会話であろう。また、一種異様な﹁ウフ﹂ という語をここで作者は用いている。性的な醜聞を頭の中でめぐらした・﹁親 方﹂ の人柄がよく伝わる表現だ。この品のない ﹁ウフ﹂ といい、人間として の軽薄さといい、﹁親方﹂ の内実はまことに疑わしい。すなわち、﹁親方﹂か ら読み手に伝えられてきた ﹁那美さん﹂像が、信ずるに足りぬものであるの は ほ ぼ 確 実 で あ る 。 彼が﹁那美さん﹂離縁の原因としてあげる ﹁銀行が潰れて贅沢が出来﹂な いなども根拠のない話だろうし、多角的な検討が ﹁親方﹂ の心中でなされた 形跡もない。私たち読み手がこれらの言葉から伝えられるのは歪められた ﹁那美さん﹂像である。事実、この後、観梅寺の小僧がやって来て ﹁泰安さ んは、その後発憤して、陸前の大梅寺へ行って、修行三昧ぢや。今に智識に

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なられやう。結構な事よ﹂ と譜るのだ。とすれば﹁那美さん﹂ は仏道成就の 機縁を泰安に与えるため、一種の禅問答を仕掛けたといいうるだろう︵注3︶。 次に、この﹁髪結床﹂の場所について考えてみよう。﹁髪結床﹂が海の近ぐ に存することを思えば ﹁志保田﹂ の家から標高が低い土地が想定される。お そらく、邸びた海岸沿いに位置すると思われる。このような地理的条件のも とに ﹁髪結床﹂ の場が設定されていることに、何かしらの意味を求めようと するのは危険だろうか。 作品冒頭に戻れば、﹁画工﹂ の ﹁非人情﹂ への思いが山道を登るにつれて高 まりを見せ、﹁那古井﹂に向かって道を下り出すと雨に降られ、心中に迷いを みせはじめたことも思い返される。観海寺が山の高みにあるのと、﹁髪結床﹂ の位置は実に対照的だ。観海寺を ︵聖︶ とするなら、まさに ﹁髪結床﹂ は ︵ 俗 ︶   の 世 界 だ ろ う 。 この ﹁髪結床﹂ で ﹁画工﹂ が受けた扱いも相当荒っぽい感じを与える。﹁田 舎へ流れ込んで来﹂ た ﹁江戸っ子﹂ の ﹁親方﹂ はまさに流れ者である。しか も彼は ﹁親方﹂ でなく ﹁職人﹂ とみずから断っている ︵親方の言を補足する ならば、﹁髪結い﹂ の身分差ははっきりしており、﹁親方﹂ と ﹁職人﹂ では全 く異質な存在︶。・﹁職人﹂は﹁親方﹂ に雇われたにすぎず、客からも非常な侮 辱を受けることがあったという。﹁職人﹂ は叱責されてもそれを甘んじて享受 せ ね ば な ら ぬ 低 い 立 場 に あ る の だ ︵ 注 4 ︶ 。 社会的な地位が人間の価値を決めるものではない。しかし、東京で ﹁すっ かり食ひ詰め﹂、この地に移り住んだ ﹁親方﹂ には何やらいわくがありそうだ。 読者は再び﹁親方﹂、いや﹁職人﹂ の素性を間い直し、彼の言の信憑性や無定 見な語り口を疑うべきだろう。 二、観海寺の﹁大徹和尚﹂ 続いて、﹁大徹和尚﹂が居所とする観梅寺に目をむけてみよう。 既に述べたとおり、﹁髪結床﹂ を ︵俗︶ とすれば、こちらはそれに対する ︵聖︶ と規定できる。いみじくも ﹁髪結床﹂ の ﹁親方﹂ が ﹁石段をあがると、 何でか逆掛だから叶はねえ﹂と話していた通りだろう。その観梅寺の住職、 ﹁大徹和尚﹂が初めて姿をあらわすのは第八章、﹁志保田﹂家の場面である。 この家には様々な骨董があり、それを眺めるのを楽しみとする ﹁ご隠居﹂ を ﹁大徹和尚﹂は訪ねたのだ。そこに居合わせた画工が話に加わる。 ﹁ 観 海 寺 と 云 ふ と ⋮ = ・ ﹂ ︵ 八 一 頁 ︶ ﹁髪結床﹂ での伝聞に心動かされた ﹁画工﹂ が問うと、和尚が答える。 ﹁観梅寺と云ふと、わしの居る所ぢや。いゝ所ぢや、滴を一目に見下し て の   −   ︹ 後 略 ︺ ﹂                                         ︵ 八 一 頁 ︶ ﹁観海寺﹂ の名が示す通り、﹁海﹂が遠望できる見晴らしのよさもこの苛の 位相を決定する要件とみなすことができるだろう。観梅寺が高みにあるのは 偶然の符合なのだろうか。﹁画工﹂ も観梅寺に魅力を感じたらしく、日を改め ての訪問を約束した。 二人の会話が耳に人らぬかのように ﹁ご隠居﹂ は自分の所有物の自慢にい も ん ど ん す そしむ。頗山陽の所蔵したという紋継子の古い袋に入った ﹁端渓﹂ の硯から、 荻生狙裸の ﹁大幅﹂ をと、続々骨董を繰り出し続ける。そして、﹁画工﹂が硯 の蓋をけなすと、﹁ご隠居﹂はとうとう不機嫌になってしま曳。それでも﹁ご 隠居﹂はあきらめず、次に硯本体を手渡し、相手が感服するまで粘るのだ。 この時の老人を形容した句が面白い。 老人は艇の出さうな口をして云ふ。 ︵ 八 五 頁 ︶ 一七頁

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︵聖︶ と ︵俗︶ の分類をすれば老人は間違いなく ︵俗︶ になる。﹁那美さ ん﹂ を、彼女が愛した京都の男性でなく、近隣の城下随一の物持ちで、銀行 を営む家に嫁がせたのもこの人物の介在によるところが大きいのだ。銀行と は近代の資本を表象するのに最もふさわしい。それは ﹁ご隠居﹂ の志向と一 致し、同時に個人の愛を排斥する方向性を暗示する。 この ﹁ご隠居﹂ と対角線上に位置するのが ﹁大徹和尚﹂ である。石段を登 るその在所が示すとおり、彼は ︵聖︶ の世界の住人である。その ﹁大徹和 尚﹂ の ﹁那美さん﹂ への視線は、﹁髪結床﹂ の ﹁親方﹂ に代表される村人のそ れとはおのずから異なるし、読み手である我々が信頼を置くに足るものとな る だ ろ う 。 ﹁︹前略︺嫁に入って帰ってきてから、どうも色々な事が気になってなら ん、ならんと云ふて仕舞にとうく、わしの所へ法を間ひに来たぢやて。 所が近頃は大分出来てきて、そら、御覧。あの様な訳のわかった女にな っ た ぢ や て ﹂                                     ︵ 一 一 八 頁 ∼ 一 一 九 頁 ︶ 第十一章で、﹁画工﹂は観梅寺の石段を上る。﹁画工﹂ の観梅寺訪問の大きな 目的は、 ﹁那芙さん﹂ の真実の姿をとらえたいという願いによるものだろ う︵注5︶。﹁大徹和尚﹂ の返答を追えば、﹁那美さん﹂もやは私人町子であった。 彼女は、離婚後大きな悩みに突き当たって自分のすすむべき方向性を見失い、 和尚のもとに仏の教えを請うて来訪するようになったということになる。 ︵聖︶ の世界の住人の示唆に従えば、﹁那美さん﹂ は、﹁大徹和尚﹂ との接 触を重ねるうちに﹁於抄かかフた女﹂、悟りを知る女にまで成長したわけだ。 この彼女の行動は、一般の人間よりも更に誠実な人間の心性をあらわしてい るだろう。苦悩を直視することは人間にとって難しいことである。参禅を重 ねて克己するとなるとそれは常人の域を越えている。 以上約言すれば、作品内から読みとれる ﹁那美さん﹂ の姿はごく正常であ 一八頁 る。加えて、︵聖︶ なる部分をも持ち合わせた女性と彼女をみなすこともでき よ う 。 三、奇矯な行動の意味 ﹁那美さん﹂ には奇矯な行動が多々あるとされている。確かにそのような 印象を残す幾多の文言を﹃草枕﹄が抱え込んでいるのは事実だろう。だが、 このことに関しても作品をよく読み込めば、彼女の振る舞いを不可解とばか りはいいきれなくなってくる。 その例、証として、峠の茶屋での ﹁画工﹂ と ﹁婆さん﹂ の会話を参考として み る こ と と し よ う 。 ﹁︹那美さんの花嫁姿は − 引用者注︺噴美くしかったらう。見にくれば よ か っ た ﹂ ﹁ハ11今でも御覧になれます。湯治場へ御越しなされば、蛇度出て御 挨拶をなされませう﹂ ﹁はあ、今では里に居るのかい。矢張り裾模様の振袖を着て、高島田に 結って居ればい1が﹂ ﹁たのんで御覧なされ。着て見せましよ﹂ ︵ 一 九 貢 ︶ ﹁見にくればよかった﹂ という﹁画工﹂ に、﹁婆きん﹂ は ﹁御挨拶をなされま せう﹂ と答えている。この時、﹁画工﹂ は ﹁婆さん﹂ の真意を汲んでいない。 ﹁ハゝゝ今でも御覧になれます﹂ という ﹁婆さん﹂ の言には、ある種の自信 が感じとれるだろう。もし、﹁御覧になれ﹂なくても、﹁那美さん﹂ と昔なじ みの自分が請えば、﹁画工﹂ の希望を﹁那芙さん﹂がかなえてくれるのを﹁婆 さん﹂ はよく知っているのだ。それを理解できずにいる ﹁画工﹂ は ﹁矢張り 裾模様の振袖を着て、高島田に結って居ればい1が﹂ ともう一度同じ願いを

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繰り返す。そこで ﹁婆さん﹂ は ﹁たのんで御覧なされ﹂ というわけである。 ﹁婆さん﹂ が ﹁あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おも はゆるかも﹂の歌を﹁画工﹂に聞かせたときの事情も同様で、﹁画工﹂は﹁こ んな山里﹂ で古雅な経験をするとは考えもしなかったという。彼は ﹁非人 情﹂ の旅に少し酔っているのだろう。しかし、実はこれにも後日談があり、 ことの次第が明らかにされる。 ﹁私がまだ若い時分でしたが、あれが来るたびに長良の話をして聞かせ てやりました。うた丈は中々覚えなかったのですが、何遍も聴くうちに、 と う く 何 も 蚊 も 暗 諭 し て 仕 舞 ひ ま し た ﹂           ︵ 四 五 頁 ∼ 四 六 貞 ︶ この ﹁那美さん﹂ からの告白をうけて慮れば、読み手はあることに思い当 たるだろう。﹁都美さん﹂は﹁画工﹂ に数々の不可思議な行動を示した。それ は ﹁那美さん﹂ と ﹁婆さん﹂ の親密な関係がもたらしたものだったのである ︵ 注 6 ︶ 。 次 の 部 分 は 、 そ の 例 と し て 適 当 な 箇 所 だ 。 振袖姿のすらりとした女が、音もせず、向ふ二階の横側を寂然として あ る い 歩行て行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸ひかけた息をぴたりと 留 め た 。                                               ︵ 六 七 頁 ︶ ﹁画工﹂ は思いもかけず自分の希望をかなえて、﹁那美さん﹂ の花嫁姿をみる。 この後、長い廊下を ﹁那美さん﹂ は何度も行ったり来たりした。これは ﹁画 工﹂ に花嫁姿をはっきり見せようという﹁那美さん﹂ の配慮だろう。もう一 度、時間軸にそって整理すれば、﹁婆さん﹂が﹁画工﹂ の希望を聞く。これを ﹁婆さん﹂が﹁那美さん﹂ に伝える。﹁那美さん﹂は﹁画工﹂ の望みを実現す る。この観点から考慮すれば ﹁那美さん﹂ の言動には不審な点がなくなって し ま う の だ ︵ 注 7 ︶ 。 そのことは次の部分との照合で確認できる。 ﹁何か御褒美を頂戴﹂と女は急に甘へる様に云った。 ﹁ 何 故 で す ﹂ ﹁見たいと仰やったから、わざノ\、︹花嫁姿を − 引用者︺ たんぢやあありませんか﹂ ﹁那美ざん﹂が風呂場の煙の中に ﹁渡はす黒髪を雲とながして、 見せて上げ ︵ 九 五 頁 ︶ あらん限り の の背丈を、すらりと伸した﹂裸体で現れ、全身をあらわにさらす直前に姿を 消す場面がある。これについても、次の ﹁画工﹂ の言葉から、﹁那美さん﹂ の 意志による ﹁画工﹂ への ﹁親切﹂ であることが判明する。 ﹁ぢや昨夕の風呂場も、全く御親切からなんですね﹂ ︵ 九 六 貢 ︶ このような返答しかできない ﹁画工﹂ に、﹁那美さん﹂ が、﹁そんな忘れっ ぽい人に、いくら実をつくしても駄目ですわねえ﹂ と愛想づかしの発言をす るのももっともなところだ。 ﹁那美さん﹂ は ﹁婆さん﹂ の言に従って、﹁画工﹂ の望む行動を次々に繰り 返す。一見すれば奇矯にうつる行動を繰り返す ﹁那美さん﹂ の真意はどこに あるのだろう。以前、彼女が別の人物にも同様に振る舞ったのを記憶してい れば答えは簡単であろう。観梅寺の ﹁納所坊主﹂泰安に修行の機縁を与えた のは ﹁那美さん﹂ であった。この泰安と ﹁画工﹂ を並べてみれば、どちらも それぞれが選んだ道にまだ精通していないという共通項が見出せよう。泰安 のその後を考えてみると、﹁那美さん﹂が﹁画工﹂に見せた奇矯な行動は、悟 得した女性が人生の精髄に接する機会を賦与しようとしたとできるだろう。 村人から﹁気狂﹂よばわりされた﹁那美さん﹂ の数々の所業は、﹁那美さん﹂ 自身の意志に基づく働きかけであったと結論される︵注8︶。 一九頁

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﹁那美さん﹂ に他人への働きかけが存在していたことの傍証をあげておこ う。﹁那美さん﹂ は、異国に渡る金を無心に来た ﹁野武士﹂然としたかつての 伴侶に ﹁財布﹂ を渡した。この男性は ﹁那美さん﹂ を離縁した ︵しかもその 後一度も彼女に連絡をとっていないと ﹁那美さん﹂が後で述べる︶ 男である。 男性中心の社会にあって、家の都合で里に戻した女性に依頼して渡航費を工 面してもらうのは相当な恥辱であったろう。﹁那美さん﹂ は ﹁野武士﹂一の境遇 を見抜き、自分ができる最大限の優しさを彼に与えている。﹁那美さん﹂が他 人 へ の 誠 実 な 働 き か け 、 ↓ 憐 れ ﹂ を 持 た な い と 誰 が い い き れ よ う か ︵ 注 9 ︶ 。 彼女の生き方は、﹁画工﹂ の理解を超えた ﹁竹影払階塵不動﹂ につきる。い くら現実の世界が揺れ動こうとも ﹁大徹和尚﹂ を通じて知った境地から動き は し な い 。 なお、彼女が村人から好奇心の対象として常に注目を浴びるのは、これだ けが原因ではないだろう。前近代的な村落共同体の中で生き続けている人々 の規範に、東京や京都にいた﹁那美さん﹂ の行動が沿わないのだ。村に住む 人々は、自分たちの持つ常識的な女性像と相容れないものを ﹁那美さん﹂ に 感じ取る。自由闊達な女性の生き方は、彼らに本能的な拒絶反応を引き起こ す。その結果として、村人は、﹁那美さん﹂ に ﹁気狂﹂ ﹁狂印﹂ の烙印をおし てしまう。それは彼女が近代的な知性をも持つが故に、必然としておこりう る事態なのだ。そこにはまた、幕藩時代から村ゐ旧家として存続してきた ﹁志保田﹂ 家に対する羨望と嫉妬のない交ぜになった、名状Lがたい村人の 思 い が 感 じ と れ る ︵ 注 1 0 ︶ 。 四、﹁那美さん﹂と椿の花、そして﹁画工﹂ 前節までの検証で、﹁那美さん﹂ が決して ﹁気狂﹂ などではないことを確認 してきた。それと同時に ﹁那美さん﹂がみずからの判断に基づいて自己の行 動を推し進める女性だということを導き出した。 二 〇 頁 本節′では三節までの論述を引き継ぎ、﹁那美さん﹂ が、︵死を指向する女 性︶ でないことを確認するつもりである。そのために、以下、﹁画工﹂ の動き に注目していく。﹁画工﹂ と ﹁那美さん﹂ のやりとりにこの ﹃草枕﹄ の展開が 託されている以上、﹁那美さん﹂だけに大きな比重をかけるのは不適当であろ う。これまであまりかえりみられなかった ﹁画工﹂ の ︵視点︶ について考え、 語り手としての ﹁画工﹂ の資質を検討する。 さて、﹃草枕﹄において第十章と第十一章は重要な意味を持つ。﹁画工﹂ の 想念を提示した次のような言葉からもそのことは推察される。 ゆ   ば 温泉場の御那美さんが昨日冗談に云つた言葉が、うねりを打って、記憶 の う ち に 寄 せ て く る 。                                     ︵ 一 〇 二 頁 ︶ 一読しただけでは読みすごしてしまいそうな箇所だ。しかし、画工はここで 決定的な変化を遂げているのである。そのことは、﹁那美さん﹂ への呼称の変 化が如実に示している。今まで ﹁画工﹂ は ﹁那美さん﹂ を、単に ﹁女﹂ とし ていた。ここで ﹁画工﹂ は初めて ﹁御那美さん﹂ という一個の人格を心中に 思い描いているのだ。いうまでもなく ﹁御﹂ は、丁寧な印象を聞く者にあた えるための接頭辞として用いられる語である。おそらく ﹁御那美さん﹂ とい う引用中の言辞には、﹁画工﹂ の自分に対する数多の親切への感謝がこめられ ているのだろう。それに加え、自分よりも人間的に優れた ﹁那美さん﹂ への 敬意を ﹁画工﹂ が抱きはじめたことを引用の一文は読み手に教えてくれる。 それまで ﹁画工﹂ は、﹁女﹂ を見くびっていたに相違ない。﹁女﹂ は ﹁女﹂ であり、﹁那美さん﹂ も ﹁女﹂ という性に区分けされる者のひとりに過ぎなか ったのだ。、だが、﹁画工﹂ はここでやっと ﹁画工﹂ 自身と対等、あるいはそれ 以上の教養や人間性を ﹁那美さん﹂ に嘆ぎつける。彼女を評価すべノき人物と して理解する端緒を ﹁画工﹂が把捉した事実を、﹁御那美さん﹂という語句は 端的に示す単独だろう。 ところで、この第十章と第十一章の二つの章が﹃草枕﹄ という小説世界内の

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転換点として位置づけられなければならない重要な理由が存在することをも う一つ指摘しておこう。 第十章は﹁鏡が池﹂ の場面である。確か.に、この章の叙述が特真で、一見 すれば、死の世界へと読み手を誘導する書きぶりがなされているのは否めな い。﹁画工﹂ の目に映る﹁鏡が池﹂周囲の描写には確かに死の影が感じられる し、馬子の ﹁源兵衛﹂ が話す﹁志保田の嬢様﹂ の因縁話はそれに追いうちを かける︵注目︶。﹁那美さん﹂ が ︵死を指向する女性︶ とされる根拠もここにあ るのだ︵注12︶。だが、本当にそれだけをこの車から得る情報としてよいのだろ う か 。 以下に、﹁画工﹂ を取り巻く不吉な﹁椿﹂ の映像を引いてみよう。 余は深山椿を見る度にいつでも妖女の姿を連想する。︹略︺椿の沈んで居 るのは全く違ふ。黒ずんだ、毒気のある、恐ろし味を帯びた調子である。 ︹略︺ぱっと咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾百 年の星霜を、人目にか1らぬ山陰に落ち付き払って暮らしてゐる。︹略︺ あの色は只の赤ではない。屠られたる囚人の血が、自づから人の眼を惹 いて、自づから人の心を不快にする如く一種異様な赤である。 ︵一〇一頁︶ ﹁ 妖 女 ﹂ 、 ﹁ 毒 気 ﹂ 、 ﹁ 恐 ろ し 味 ﹂ 、 ﹁ 屠 ら れ た る 囚 人 の 血 ﹂ 。 ど れ を 取 り 上 げ て も不気味な響きを持つ語ばかりである。殊に ﹁ぽたりと落﹂ ちる椿の一赤﹂ に、﹁血﹂ の色を誰しもが強く想起させられることだろう。 又ぽたり落ちる。あ1やって落ちてゐるうちに、池の水が赤くなるだら うと考へた。︹略︺また落ちる。あれが沈む事があるだらうかと思ふ。年 々落ち尽す幾万輪の椿は、水につかって、色が溶け出して、腐って泥に なって、漸く底に沈むのかしらん。幾千年の後には此古池が、人の知ら う づ             ひ ら ち ぬ間に、落ちた椿の為めに、埋もれて、元の平地に戻るかも知れぬ。又 つ大きいのが血を塗った、人魂の様に落ちる。又落ちる。ぽたりノ1 と落ちる。際限なく落ちる。 ︵ 一 〇 二 頁 ︶ ﹁血を塗った、人魂の様に落ちる。又落ちる﹂ とはなんとも生々しい表現で ある。﹁池の水﹂を﹁赤く﹂する ﹁椿﹂。そして ﹁幾千年の後﹂まで永劫に近 い時間をこの ﹁椿﹂は輪廻し地面を埋め尽くすのだ。誰が読んでも ﹁死﹂ の 相をこの場面に垣間見るに違いない。 この他にも、﹁鏡が池﹂ に沈む ﹁水草﹂ に関するくだりに、次のような文が あ る 。 底には細長い水草が、往生して沈んで居る。余は往生と云ふより外に形 容すべき言葉を知らぬ。︹略︺ 百年待っても動きさうもない、水の底に沈 められた此水草は、動くべき凡ての姿勢を調へて、朝な夕なに、弄らる ゝ期を、待ち暮らし、待ち明かし、幾代の恩を茎の先に籠めながら、今 に至る迄遂に動き得ずに、又死に切れずに、生きて居るらしい。 ︵ 一 〇 〇 頁 ︶ 水草は﹁又死に切れずに、生きて居﹂ て、﹁画工﹂は﹁往生と云ふより外に 形容すべき言葉を知ら﹂ ないという。まきにごの章は ﹁死﹂一色に彩られて いるといってもよいだろう。 さてここで注意をしたいのは、これら﹁死﹂を印象づける表現が﹁画工﹂ の 視線に支えられていることだ。第九章に、次のような記述がある。﹁画工﹂は、 ﹁那美さん﹂ とのこの会話をうけて ﹁鏡が池﹂ にやってきており、いわば暗 示にかかった状態といえよう。その ﹁画工﹂ の目の不確かさは留意されてし か る べ き で あ る 。 ﹁あなたは何所へ人らしつたんです。和尚が聞いて居ましたぜ、又一人 二 一 頁

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散 歩 か つ て ﹂ ﹁ え 1 ▼ 鏡 の 池 ′ の 方 を 廻 っ て 来 ま し た ﹂ ﹁その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが⋮⋮﹂ ﹁ 行 っ て 御 覧 な さ い ﹂ ﹁画にかくに好い所ですか﹂ ﹁身を投げるに好い所です﹂ ﹁身はまだ中々投げない積りです﹂ きんきん ﹁私は近々投げるかも知れません﹂ 余りに女としては思ひ切った冗談だから、余は不図顔を上げた。女は 存外憶かである。 ﹁私が身を投げて浮いて居る所を1苦しんで浮いてる所ぢやないんで す   ー   や す く と 往 生 し て 浮 い て 居 る 所 を   −   奇 麗 な 画 に か い て 下 さ い﹂ ﹁ え ? ﹂ ﹁驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでせう﹂ 女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧 み て に こ り と 笑 っ た 。 茫 然 た る 事 多 時 。             ︵ 九 七 貞 ∼ 九 八 頁 ︶ ﹁画工﹂ は ﹁那美さん﹂ の掌中にある。﹁画工﹂ は ﹁那美さん﹂ に統御を受 け て い る の だ 。 第十章、﹁鏡が池﹂ の描写はこの翌日のことで、まだ ﹁画工﹂ は ﹁那美さ ん﹂ の言葉の余韻を引きずったままである。もし、﹁画工﹂ が r死﹂ を語る ﹁那美さん﹂ の姿をその心中に留めたまま ﹁椿﹂ や ﹁鏡が池﹂ に臨み、﹁椿﹂ を眺めていたとしたらどうだろう。﹁死﹂ の幻影を、﹁画工﹂ が ﹁鏡が池﹂や ﹁椿﹂に感じたどしても何ら不可解な点は存在しない︵注13︶。 不思議なこ七に過去の研究でそのことは特に取り上げられてこなかった。 しかし、﹁画工﹂ の語る言葉の信憑性を問題にすることは一考に値する。この ﹁鏡が池﹂ は村人たちの因習に支配された ︵都︶ に相当する場所だろう。村 二二頁 人にとって ﹁鏡が池﹂ は、ねたみ・恨み・怒りなど鬱屈した情念のたまり場 である︵注目︶。穿った見方をすれば、﹁鏡が池﹂ は、︵ムラ︶ が ﹁志保田﹂ の女 性を水死させるための装置ともいえるだろう。従って、このような場所での ﹁画工﹂ の言葉は空疎なものとならざるを得ない。、 更に、﹁鏡が池﹂ が ﹁那美さん﹂ にとって特別な場であることも考慮するべ ぎま きだろう。この池は ﹁那美さん﹂ が、自分の生き様をうつし、自らの行動を 反窮する修行の場なのだ。このことは、彼女がこの池をひとり ﹁鏡の池﹂ と 呼び換えていることからもくみとれる︵注は︶。﹁鏡が池﹂ はその名の通り、﹁那 美さん﹂ にとっての ﹁鏡﹂、すなわち投影機能を果たす場所なのである。 ﹁大徹和尚﹂ の教えを請うて悟りを開こうとした ﹁那美さん﹂ は、﹁鏡の 池﹂ で村落の論理を押し崩すため沈思黙想にふける。﹁那美さん﹂ はここに立 ち、那美さん自身、あるいは ︵ムラ︶ の圧力と対幅しようとしたのだ。 この ﹁鏡が池﹂ は、﹁那美さん﹂ 以外の人間にとって ︵閉じられた場所︶ と いえよう。封建道徳に押し込められた村落に住む人間が、その思い ︵長年胸 に沈み込ませた悲哀︶ を代々鬱積させた領域、それが ﹁鏡が池﹂ なのである。 とすれば、﹁鏡が池﹂ の ﹁椿﹂ は ︵ムラ︶ の論理を集約したものであって、 ﹁那美さん﹂ の内面をあらわしたものとはいえない。従ってこの花及び ﹁鏡 が池﹂ の描写をもって、人死を指向する女︶ と﹁那美さん﹂を括るのは困難 に な る だ ろ う 。 もし、従来通り ︵死を指向する女︶ の根拠を ﹁鏡が池﹂ の ﹁椿﹂ とするな らば、﹁画工﹂ の印象を・支える何らかの保障を別の観点から求めなければなら ないはずである。そのためには、第十章だけではなく、他の角度からの検討 が必要となる。本稿は、もちろんこれに反対する検証を続けるが、次節では 語り手の ﹁画工﹂ の言葉をとりあげて、﹁那美さん﹂ が ︵生を指向する女性︶ であることの傍証を求めたい。

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五、鏡が池の﹁椿﹂ と観海寺の ﹁木蓮﹂ 第十一章で﹁画工﹂は歩く。﹁山里の臆に乗じ﹂、﹁石段を登﹂ ることで﹁画 あふぎかぞふしゆんせい 工﹂ はすでに異界に入ろうとしている。口には ﹁仰数春星二一三﹂ の句を 得 た ︵ 注 1 6 ︶ 。 ﹁ 大 徹 和 尚 ﹂   が 住 む こ の 山 寺 は   ︵ 聖 性 ︶   に み ち て い る ︵ 注 目 ︶ 。 境 界 を越えた ﹁画工﹂ は第十章の ﹁画工﹂ とは、すでに別の人物と化した。﹁鏡が 池﹂ での ﹁画工﹂ の言葉と観梅寺での彼の言薬は質的な違いを持つのだ。そ れはまず、﹁画工﹂ の回想となってあらわれてくる。 昔し鎌倉へ遊びに行って、所謂五山なるものを、ぐるく尋ねて廻った 時、たしか円覚寺の塔中であったらう、矢張りこんな風に石段をのそり こ ろ も ノ\と登って行くと、門内から、黄な法衣を着た、頭の鉢の開いた坊主 が出て来た。︹略︺ すれ違った時、坊主が鋭どい声で何処へ御出なさると 間ふた。余は只境内を拝見にと答へて、同時に足を停めたら、坊主は直 ちに、何もありませんぞと言ひ捨て1、すたノ\−下りて行った。 ︵ 一 〇 九 貢 ︶ ﹁何もありませんぞ﹂ とは、いかにも禅僧らしい言葉である。見ても何もな い。あるのは建物だけだ。迷いを捨てて悟りを得る気持ちが本当にあるのな ら座禅を組めばよい、座禅を組まぬならここに来ても何ら意味はない。禅僧 の語はこのような意と解すればよいだろうか。この言葉を聞いた ﹁余﹂ は ﹁成程禅僧は面白い﹂、﹁きびノ\して居る﹂ と考える。そして自分自身 ﹁禅 し や ら く のぜの字も未だ・に知らぬ﹂ が、禅寺を ﹁酒落﹂ と思うのだ。この引用文の後 に、世俗的で嫌みな近代文明への手厳しい批評が控えている︵江川︶。それとの 対照によって一層、禅寺は俗塵を払いのけた、静諦な空間となっていく。今 ﹁画工﹂ が歩く観海寺こそ、彼が真実を語るにふさわしい場所である。 禅寺の観海寺には第十章の ﹁椿﹂ と対照的な花が咲いている。この観梅寺 に咲く花と ﹁鏡が池﹂ の ﹁椿﹂ は、対概念として取り扱うのが妥当だろう。 ︵俗︶ の世界に住む村人が籠有する場に咲く花は、︵聖︶ なる場所 ﹁観梅寺﹂ に咲く花との比較を要求しているようだ。 ﹃草枕﹄ には ﹁蒲公英﹂ ﹁海業﹂ ﹁董﹂ など実に多くの花が散りばめられて さ ぽ て ん いるが、この観海寺では ﹁覇王樹﹂ の次に登場してくるのが ﹁木蓮﹂ である。 ﹁木蓮﹂ の花が、﹁椿﹂ とシンメトリックな様相を呈していることを今から提 示 し て み よ う 。 鏡が池の ﹁椿﹂ と観海寺の ﹁木蓮﹂ の一番の相違は花の色である。﹁椿﹂ が あ さ ぎ 血を想起させる ﹁赤﹂ であるのに対し、﹁木蓮﹂ は ﹁あた1かみのある淡黄﹂ とされる。﹁赤﹂ の反対色は白とされるかもしれない。しかし、ここでは ﹁花 の色は無論純白ではない﹂ と断りがつく。﹁徒らに白﹂ いのは ﹁寒過ぎ﹂ るし、 たく ﹁ことさらに人の眼を奪ふ巧みが見える﹂ のがその理由だとされる︵注19︶。 ﹁赤﹂ と ﹁淡黄﹂、﹁死﹂ と ﹁あた1かみ﹂。これが、二つの花に関する違いの 一 点 目 だ 。 次の相違点は、﹁椿﹂ と ﹁木蓮﹂ の方向性である。﹁椿﹂ の枝は池の底にむ かって伸びていく。だが、﹁木蓮﹂ は、空にむかって葉を伸ばす。﹁木蓮﹂ の ﹁枝の上﹂ には、もう一つの ﹁枝﹂ が茂り、そうして ﹁枝﹂ が重なりあった 彼方には ﹁月﹂ が見えるのだ。地 ︵池の底︶ と天 ︵空︶ という相反するベク トル、これが両者に存する二つ目の違いである。天に向かうものと地に向か うものを比べ、それぞれのイメージを考えた時、後者よりも前者に強い生命 力を感じるのはあながち不当な解釈ではあるまい。 三つ目の相違点は、二つの樹木の高さである。﹁椿﹂ は ﹁森閑として、かた まってゐる﹂ が、﹁木蓮﹂ は ﹁庫裏の屋根を抜﹂ く高さで人の目を引く。自然 に衆目を集める ﹁木蓮﹂、静かで日陰者のようなたたずまいの ﹁椿﹂、果たし て人はどちらによい印象を持つのであろうか。個人的な嗜好はともかくとし て、少なくとも ﹁木蓮﹂ を、この場合において人は好むと思われる。 その他にも二つの花の異同は多い。﹁木蓮﹂ は、小僧の ﹁了念﹂ に案内され る﹁画工﹂が、一筋の石贅を行き尽くして、初めて寺内の建物﹁庫裏﹂にでた ところに位置するといー三.一方﹁椿﹂は﹁花がなければ、何があるか気のつ 二 三 頁

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かない所﹂ にあると記述されることも付け加えたい︵注空。 ﹁画工﹂ が受ける印象も相当異質なものとなる。﹁椿﹂ は堆積して泥となり、 池を埋めてやがて ﹁平地﹂ になると ﹁画工﹂ は想像をひろげていく。この箇 所をもう少し引用すると、﹁水につかって、色が溶け出して、腐って泥になっ て、漸く底に沈むのかしらん﹂ とされている︵注21︶。それに対して、むらがっ て咲き誇る ﹁木蓮﹂ の花は、一塊をなしながらも、それぞれの ﹁一輪の花﹂ を、﹁はっきりと一輪に見﹂ せる。それは ﹁木蓮﹂ が、﹁枝と枝の間﹂ を ﹁は がらかに隙﹂ かせているからである。そのため、﹁木蓮﹂ においては、樹下か ら ﹁一輪と一輪の間から、薄青い空が判然と望﹂ むことができるという。 腐って ﹁泥﹂ となり ﹁池﹂ をうめつくす﹁椿﹂ と、星の瞬暮夜空にまで続 くかのように咲き誇る ﹁木蓮﹂ の花。幹の太さについても、﹁木蓮﹂が﹁一と か 1 へ 抱﹂ はどもあり、どっしりした安定感を与えるのは﹁椿﹂ との大きな違いで ある︵注22︶。先刻、﹁画工﹂ が ﹁仰数春星二一三﹂ の句を得たあの星空のもと に観海寺の ﹁木蓮﹂ はある。その夜空の下には ﹁臓にひかる春の海が帯の如 くに見え﹂ て、﹃草枕﹄ の世界は浄化の度合いを増していく。やはり、観海寺 は特別な場として位置づけられているといえよう。 ﹁鏡が池﹂ の ﹁椿﹂ を単独で論じるのではなく、この観梅寺に咲く ﹁木 蓮﹂ とあわせて読解をすすめてみれば、またもや ︵死を指向する女︶、﹁那美 さん﹂ の像にひずみが生じてくる。 六、﹁大徹和尚﹂ の禅問答 それではここで、︵聖域︶ である観海寺での ﹁大徹和尚﹂ と ﹁画工﹂ の応答 を 覗 い て み よ う 。 観海寺に住む﹁大徽和尚﹂を、﹁画工﹂は訪ねた。この観梅寺での﹁画工﹂ の動きは、すでに ﹁了念﹂ とのやりとりから始まっている。﹁画工﹂ は次のよ うな言葉を、靴脱ぎ場でいきなりこの ﹁小坊主﹂ からあびせられてしまう。 二 四 頁 ﹁行儀がわるい画工さんぢやな﹂ ﹁ な ぜ ﹂ ﹁下駄を、よう御揃へなさい。そらこ1を御覧﹂ と紙燭を差しっける。 ︹ 略 ︺ ﹁そおら。読めたろ。脚下を見よ、と書いてあるが﹂ ﹁成程﹂ と余は自分の下駄を丁寧に揃へる。 ︵一一四頁︶ 無論、﹁了念﹂ の ﹁脚下を見よ﹂ は脚下照顧の謂いだろう。.通常この句は、 履き物をきれいに整えて玄関に入れという意の警句として用いられる。だが、 脚下照顧とは、足元をよく見ろ、自己の立脚点をしっかりしなければ憤りな どつかめるはずもない、そのために自分の拠って立つ地をきちんと決めよと の本意を持つ禅語だ。﹁画工﹂ のふらついた心の持ちようは、﹁小坊主﹂ の ﹁了念﹂ にさえ見透かされている。ましてや ﹁大徹和尚﹂ がそれを知らぬは ず は な い 。 ﹁わしが小坊主のとき、先代がよう云はれた。人間は日本橋の真申に臓 腑をさらけ出して、恥づかしくない様にしなければ修業を積んだとは云 はれんてな。あなたもそれ迄修業をしたらよかろ。旅杯はせんでも済む 様 に な る ﹂ ﹁画工になか浄卦せぼいつでもさうなれます﹂ ﹁それぢや画工になり澄したらよかろ﹂ ︵一一八貢︶ ﹁画工﹂ はみずからを ﹁画工﹂ としながら、傍点部の通り ﹁画工﹂ として自 分がまだ成熟の域に達していないことをほのめかす。彼の画業の覚束なさを あらわにする場面だ。同様の会話はまだ他にも数多く見られる。 ﹁ あ の 松 の 影 を ご 覧 ﹂ ﹁ 奇 麗 で す な ﹂

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﹁ 只 奇 麗 か な ﹂ ﹁え1﹂ ﹁奇麗な上に、風が吹いても苦にしない﹂

︵

二

九

頁

︶

﹁画工﹂ は自分が試されているのを知らない。﹁大徹和尚﹂ は ﹁松﹂ の本来の 面目をたずねているのだ。﹁大徹和尚﹂から禅問答をしかけられたの実さえ気 がつかず、﹁画工﹂ は松を眺めるにとどまった。松籍という言葉を禅家が好ん で使用することを知っていれば良く分かるが、松の風に揺れる音、風が運ぶ 松の香り、それらに付随する松の清らかさを ﹁画工﹂ は感じとれない。要す るに ﹁画工﹂ は、松を視覚によってとらえているだけで、松全体を十全に理 解しているわけではないのだ︵注曇。もし ﹁画工﹂ が修行中の僧侶なら、一喝 されてしまう迂闊さであろう。下手をすれば警策が﹁画工﹂ に与えられると ころだ。この場面は﹁画工﹂ の未熱さをよく示す。﹁大徹和尚﹂ に ﹁法を間ひ に来﹂続けた﹁那美さん﹂が、﹁松﹂とおなじく風雨にさらされても微動だに しない境地に達していることをあわせて思いおこしても良い︵注空。 ここで観海寺の ﹁覇王樹﹂ にも目をむけてみよう。前節で論じた通り、特 に観海寺の植栽には充分な注意を払う必要がある。﹁画工﹂ は﹁覇王樹﹂ につ いて次のようにこの車中で述べていた。 如何なる是仏と間はれて、庭前の柏樹子と答へた僧があるよしだが、も し同様の間に接した場合には、余は一も二もなく、月下の覇王樹と応へ る で あ ら う 。                                           ︵ 一 二 頁 ︶ このように言いながら﹁画工﹂は簡単な公案を与えられていることにすら思 いが至らない。いかに ﹁画工﹂ が人間として未成熟であるのかが、ますます 鮮明になってくる。彼自身も ﹁此覇王樹も時と場合によれば、余の塊を動か して、見るや否や山を追ひ下げたであらう。刺に手を触れて見ると、いら くと指をさす﹂ とそれを内心認め、自分が ﹁山から追﹂ われる程度の人間′ なのを了解しているのだ。とすれば、語り手である ﹁画工﹂ の ﹁那美さん﹂ 評があてにならない性質のものであることは自明のこととなる︵注空。 この延長線上で考えれば、﹁画工﹂ の ﹁那美さん﹂像には再びひずみが生じ てくる。次に掲げるのは、その ﹁画工﹂ が、﹁那美さん﹂ と初めて会った時の 印象を語った場面である。 口は一文字を結んで静である。眼は五分のすきさへ見出すべく動いて居 る。顔は下膨の瓜実形で、豊かに落ち付きを見せてゐるに引き番へて、 額は狭苦しくも、こせ付いて、所謂富士額の俗臭を帯びて居る。のみな す ちず眉は両方から通って、中間に数滴の薄荷を点じたる如く、びくノ\ 焦慮て居る。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。 ︹ 略 ︺ どうしても表情に一致がない、悟りと迷が一軒の家に喧嘩をしながらも てい 同居して居る鉢だ。此女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない 証拠で、心に統一がないのは、此女の世界に統一がなかったのだらう。 不幸に圧しっけられながら、其不幸に打ち勝たうとしてゐる顔だ。不仕 合 な 女 に 違 な い 。                                 ︵ 三 一 一 頁 ∼ 三 三 貢 ︶ ﹁画工﹂ の ﹁那美さん﹂ 評は、どう読んでも好意的には受け取れないだろ う。しかし、引用文中の文言 ﹁心に統一がない﹂ のは、果たして ﹁那美さ ん﹂ なのだろうか、それとも ﹁画工﹂ なのだろうか。和尚とのやりとりがそ の答えを示している。﹁大徹和尚﹂ が ﹁えらい女だ﹂ と ﹁よう褒め﹂ る ﹁那美 さん﹂ を ﹁画工﹂ が ﹁和尚﹂ と正反対にとらえるのも、語り手の能力の限界 にその原因があることは明らかだろう。 ﹃草枕﹄ の最終場面では、﹁画工﹂ が ﹁那美さん﹂ の表情に ﹁憐れ﹂ を兄い 出すとされている。だがむしろ、﹁那美さん﹂ が当初からもっていた ﹁憐れ﹂ を ﹁画工﹂ がそれまで感知できなかっただけで、ひとえにそれは彼の人間観 察が不充分だったと考える方が自然ではなかろうか。 二 五 頁

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彼は ﹁あの女の顔に普段充満して居るものは、人を馬鹿にする微笑と、勝 たう、勝たうと焦る八の字 ︹﹁眉宇﹂ をさす ー 引用者注︺ のみである﹂ とも 語っている。だか、事実としては﹁那美さん﹂を見る﹁画工﹂の心に、﹁統二 がな﹂く、なにかに ﹁打ち勝たうとしてゐlる﹂焦りがあったのだろう。その ため、﹁那美さん﹂ の正確な把握を ﹁画工﹂ はできなかったのだ。他ならぬ ﹁画工﹂ こそが救われるべき ﹁不仕合﹂ な存在ともいえようか。 ﹃草枕﹄ の研究史において、﹁那美さん﹂ は永らく ︵死を指向する女︶ ︵運 命の女︶ とされてきた。ところが、その言説を支える﹁画工﹂ の ︵眼︶ は不 安定かつ不確実なものにすぎない。こう考えを進めれば、﹁那美さん﹂ を ︵死 を指向する女︶ ︵運命の女︶ とする従来の説は否定されなければならない。 ﹁那美さん﹂ は、むしろ、︵生を指向する女性︶、生きて自己の人生に内実 を与えようとする女性と規定するのが穏当ではなかろうか。それは、彼女の 行動を鑑みた時に、自分以外の人間にも積極的に関与して、その人物の変革 さえをも導こうとしているからである︵注空。紙幅の関係上、詳述はできない が、﹁大徹和尚﹂ とのやりとりのあと、確実に ﹁画工﹂ は変化する︵注望。こ のあとで ﹁那芙さん﹂ が ﹁画工﹂ を ﹁先生﹂ と親しく呼ぶようになるのも、 この ﹁大徹和尚﹂ との問答に関係がないわけではなかろう。 ﹃ 草 枕 ﹄ か ら の 引 用 は 、 山 下 浩 監 修 ﹃ 漱 石 雑 誌 小 説 復 刻 全 集 ﹄ 第 四 巻 ︵ 草 枕 ︶   ︵ ゆ ま に 書 房 、 二 〇 〇 一 年 一 月 ︶   に よ っ た が 、 原 則 と し て 通 行 の 字 体 に 改 め 、 ル ビ は 必 要 と 思 わ れ る 箇 所 の み 残 し た 。 な お 、 引 用 文 末 尾 に 付 し た 貢 は 、 初 出 ﹃ 新 小 説 ﹄   の も の で あ る 。 ま た 、 引 用 文 中 の 傍 点 は 橋 本 に よ る 。 注1、重松泰雄﹁漱石初期作品論ノート︵二︶ − ﹁屠枕﹂の本質﹂︵﹃文学論輯﹄第一二号、 一九六五年三月。のち日本文学研究資料刊行全編﹃夏目漱石﹄I ︵日本文学研究資料叢 書︶ 有精堂、一九七〇年一月に再録︶。 注2、越智治雄﹁草枕﹂ ︵﹃国文学解釈と教材の研究﹄第三三巻第一〇号、一九六五年八月。の 二六頁 ち﹃漱石私論﹄角川書店、一九七一年六月に再録︶、平岡敏夫﹁志保田那美﹂ ︵﹃国文学解 釈と教材の研究﹄第一三巻第三号、一九六八年二月。のち﹃漱石序説﹄塙書房、一九七六 年一〇月に再録︶、前田愛﹁桃源郷への旅 − ﹃草枕﹄をめぐって﹂ ︵﹃国文学解釈と教材 の研究﹄第二八巻第一四号、一九八三年二月︶、同﹁世紀末と桃源郷1−−−﹃草枕﹄をめ ぐって﹂ ︵﹃理想﹄第六二二号、一九八五年三月。のち﹃漱石作品論集成﹄第二巻 ︵坊っち ゃん・草枕︶桜楓社、一九九〇年一二月に再録︶。なお、﹃草枕﹄ の研究動向については、 中島国彦﹁草枕﹂ ︵﹃国文学解釈と教材の研究﹄第三二巻第六号、一九八七年五月︶ を参照。 注3、﹁那美さん﹂ の激しさは、﹁祖師におうては祖師を殺し、仏におうては仏を殺す﹂とい う言葉を思い出させる。 注4、朝倉治彦・相川修一編﹃守貞謹稿﹄ ︵東京堂書店、一九九二年九月︶、芳賀登﹃江戸のく らじ﹄ ︵町人文化百科論集第二巻︶ ︵柏書房、一九八一年四月︶、佐々木俊介﹃大江戸万華 鏡﹄ ︵人づくり風土記/聞き書きによる知恵シリーズ︶ ︵農山漁村文化協会、一九九一年一 二月︶、乾宏巳﹃江戸の職人−−上郡市民衆史への志向﹄ ︵吉川弘文館、一九九六年一一月︶、 山岡俊明編﹃類衆名物考﹄ ︵歴史図書社、一九七三年六月︶、網野善彦・大西廣・佐竹昭広 / 編﹃いまは青 むかしは今﹄第五巻︵人生の階段︶ ︵福音館書店、一九九九年二月︶など を参考にした。この ﹁髪結床﹂ の ﹁職人﹂ の語り口の特性をよく表す引用をもう一つ次に 添える。﹁レコに参つちまって、とうノ\文をつけたんだ。−−1おや待てよ。口説いたん だつけかな。いんにや文だ。文に違えねえ。すると ー こうつと ー 何だか、行きさつが 少し変だぜ。うん、さうか、矢つ張りさうか︹略︺﹂ 注5、﹁那美さん﹂ との応答に疲れ果てた後、﹁画工﹂ が、﹁鏡が池﹂ で ︵死の影︶ を見たこ とをうけての観梅寺訪問。このことについては後に触れる。 注6、山に囲まれた村落共同体の ﹁那古井﹂ では、東京から来た﹁画工﹂ の行動は住人の関心 を大いに喚起しているだろうし、彼の言動は村人にはぼ筒抜けと考えても差し支えはない。 ましてや、﹁婆さん﹂が ﹁志保田﹂ の家に奉公にあがり、﹁那美さん﹂ と慣れ親しんでいる なら事情はなおさらのことだ。この点について、吉田麒生﹁﹃草枕﹄序説﹂ ︵﹃作品論夏目 漱石﹄双文社出版、一九七六年九月。打ち﹃漱石作品論集成﹄第二巻︵坊っちゃん・草 枕︶桜楓社、一九九〇年一二月に再録︶ は、鋭い指摘をしている。但し、吉田の論と本稿

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の違いは、吉田が ﹁那美さん﹂ を単に ﹁近代的な合理的女性﹂ としている点に存する。吉 田の論を引き継ぐ形で、大野淳一﹁﹁草枕﹂覚え書 − 附二坊っちゃん﹂ ﹁二百十日﹂ ﹁野 分﹂ について﹂ ︵﹃国語と国文学﹄第五六巻第五号、一九七九年五月︶、安藤久美子﹁﹃草 枕﹄ノート ︵非人情美学︶考﹂ ︵﹃国文学解釈と鑑賞﹄第五三巻第八号、一九八八年八月︶、 中山和子﹁﹃草枕﹄ − ﹁女﹂ になれぬ男﹁男﹂ になれぬ女﹂ ︵﹃国語と国文学﹄第七二巻 第七号、一九九五年七月︶がそれぞれの立場で ﹁那古井﹂や﹁那美さん﹂ についての見解 を 示 し て い る 。 注7、﹁那美さん﹂ は後に ﹁婆さん﹂ が ﹁もと私の家に奉公したもの﹂ と﹁画工﹂ に告げる。 だが、この段階ではまだ﹁那美さん﹂は ﹁画工﹂ に本当のことをすべてさらけ出してはい ない。それが明らかになるのは、第四車からはるかに下った、第九章である。ここでは ﹁山越をなさつた画の先生が、茶店の婆さんにわざわざお顔みになったさうで御座います ︹傍点 − 引用者︺﹂ ︵九五頁︶ と明言している。 注8、投宿の夜に、長良の乙女の歌を、﹁画工﹂ に聞かせたのも、もちろん ﹁那美さん﹂ の判 断によるものだろう。﹁画工﹂が伝説に興味を示したこと、﹁婆さん﹂ がその伝説に﹁那美 さんし の身の上を重ねたことも、﹁都美さん﹂側では了解済みである。 注9、ここでは ﹁那美さん﹂ の ﹁憐れ﹂ を、愛情・やさしさ・いたわりの心としておく。次 節でとりあげるが、﹁画工﹂ が ﹁那美さん﹂ を ﹁御那美さん ︹傍点 − 引用者︺﹂ と想起す るのも﹁憐れ﹂ を有するが故だろう。﹁御那芙さん﹂ に関しては、竹盛天雄が﹁﹃草枕﹄に ついて ー 幻境との往還﹂ ︵﹃国文学研究﹄第一〇二号、一九九〇年一〇月︶ において別の 角度からの指摘をしている。 注用、次節に、村の ︵負︶ の側面をすべて流し込む場所としての ﹁鏡が池﹂ について述べる が、その際に ハムラ︶ に生じる、アンビバレントな情念についてもう一度考察を加える。 ここでは次のような指摘をするにとどめよう。村人からみた ﹁志保田﹂ の家族関係は謎 に包まれている。例えば、﹁那美さん﹂ の母は狂死したとされ、﹁兄﹂の住む本家には人 の気配が全くしない。﹁髪結床﹂ の親方には ﹁先の日一都の崇ってるんだ﹂ との言葉があ る。これらの設定に、村の ﹁庄屋﹂ に対する ︵実利のからんだ︶敬意とそこから派生す る恨みや敵意を読み取ることは可能だろう。それらの情念がむけられている ﹁那美さ んしだけが ﹁志保田﹂家で唯∵ 力強さを保っているのは興味深いところである。この 家で近代社会と対幅できるのは ﹁那美さん﹂ だけに違いない。﹁志保田﹂ 家の存続も ﹁那美さん﹂ の肩にかかるところが大きいのではなかろうか。 注目、﹁源兵衛﹂ は、﹁画工﹂ が思いをめぐらしているさなか、突然あらわれる。それはあた かも夢か幻に登場する人間のもののような話しぶりであった。彼の口から ﹁画工﹂ に伝 えられるのは、﹁志保田﹂ の家にまつわる一種の崇りめいた因縁話である。﹁都美さん﹂ の家系には精神的な病におかされる女性がおり、万葉の昔に遡る伝承と結びつけて ﹁梵 論字﹂ に懸想して死に至った ﹁志保田﹂ の女性の存在が、﹁源兵衛﹂ の語りから明らか になる。但し、これも ﹁髪結床﹂ と同様、確固たる事実に基づいていないことはよくよ く気をつけなければならない点であろう。 注12、第十一章が重要である理由については、次節で論述する。 注13∵引用部分の ﹁驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでせう﹂ と同じ言葉を三度繰り返して ﹁顧みてにこりと実った﹂ という言葉と、﹁鏡が池﹂ において ﹁那美さん﹂ が巌頭から飛 び降りてみせた時の ﹁画工﹂ の発した言葉 ︵﹁又驚ろかされた﹂︶ の二つをあわせて勘案し てみると、﹁那美さん﹂ が本気で投身する覚悟をしているなどとは ﹁画工﹂ 自身も思って いないだろう。﹁那美さん﹂ がみずからの意志で ﹁画工﹂ の心に波風をたてているのだ。 ただ、そのことに ﹁画工﹂ が気づくのはまだ先のことである。 注14、この場合、村の名家への情念が主に想定されるが、村人同士、あるいは各戸が家中の 隠蔽事項としている事柄もこの池に押し込まれていると考える。なぜなら、山に囲まれ 外界と遮蔽された ﹁那古井﹂ の地理的条件を考えれば、この作品中に、村人が秘匿する 思いを吐き出す場所がここ以外に見出せないからである。これについては熊坂敦子が、 ﹁幻境への模患Tl−﹁草枕﹂ 論﹂ ︵﹃国文学解釈と教材の研究﹄第二一巻第一四号、一九七 六年一一月︶ で指摘している。丹羽章 ﹁漱石 ﹃草枕﹄ の世界 −  ﹁境界世界﹂ の認識﹂ ︵﹃四国学院大学論集﹄ 第九言号、一九九六年七月︶ も同様の論。 注15、この点についても既に指摘がある。大津知佐子 ﹁波動する刺那 − ﹃草枕﹄論﹂ ︵﹃成 城国文学﹄第四号、一九八八年三月。のち﹃漱石作品論集成﹄ 第二巻 ︵坊っちゃん・草 枕︶ 桜楓社、一九九〇年四月、及び石原千秋編﹃夏目漱石 反転するテクスト﹄ ︵日本文 学研究資料新集一四巻︶ 有精堂、一九九〇年一二月に再録︶ 注16、﹁画工﹂ が漢詩をものにしたり、俳句をまとめる時は、彼が理想とする境地に近づい 二七頁

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ている時である。この時も同様の状況と考えてよいだろう。 注17、大徹和尚には ﹁行屈走尿の際にも、完全たる芸術家として存在し得る﹂ と最高の賛辞を おくつており、また、﹁基督﹂ と同じ資格を有するとの記述もある。 注18、試みに一郡を引用する。﹁世の中はしっこい、毒々しい、こせノ\した、其上づう ノ\しい、いやな奴で埋ってゐる﹂ ︵一一〇頁︶ でこの段落は始まり、同時代人への偏 執狂的なまでの文言が続く。最後には、それらの輩がこれ以上の勢力の得たときに ﹁日 本も運の尽だらう﹂ としている。 注19、﹁画工﹂ はすべての芸術において技巧の跡の残るものを嫌う。西洋の文明にはそこを 越えたものがあまりなく、それが人間を疲弊させるというのが彼の持論である。 注20、ここでも﹁木藩の花許りなる空を噛る﹂ という句を ﹁画工﹂は書きっけている。 注21、この花の近くには、例の、﹁今に至る迄遂に動き得ずに、又死に切れずに、生きて居る らしい﹂ 水草があった。この ﹁百年待っても動きさうもない﹂ 水草が、﹁椿﹂ の花ととも に池の底には沈む。﹁画工﹂ はこの水草を ﹁往生﹂ していると形容し、﹁南無阿弥陀仏﹂ と 唱えるはか言葉を持たない。 注22、この作品内での各々の花の果たす役割を鑑みれはV ﹁木蓮﹂が、﹁椿﹂ の毒々しさを中和 し、陰惨な前車の雰囲気を相対化する機能を果たしているのは間違いない。 注23、思いきった推論をすれば、﹁大徹和尚﹂ が求めているのは、﹁松﹂ という個別の世界内存 在の意義ではなく、その本質、松を松たらしめているものが何なのかをたずねているよう にも解せる。あるいは、人間と自然、人間と宇宙が共有する存在基盤を ﹁画工﹂ に問いか け、気づかせる機縁を設けた感もあるだろう。このことを、加藤二郎は ﹁﹃草枕﹄一面﹂ ︵﹃外国文学﹄第三〇号、一九八二年三月︶ で、﹁無慮﹂ という語を使用して説明している。 ち く え い か い は ら っ て も り う ご か す 注24、﹁那美さん﹂ は ﹁竹影払階塵不動﹂ の句を好み、作品中何度かロにしている。 注25、﹁時に九月天高く露清く、山空しく、月明かに、仰いで星斗を視れば皆光大、たまノ\ 人の上にあるが如し。患間の竹数十竿、相摩憂して声切々己まず。竹間の梅楳森然として 鬼魅の離立笑饗の状の如し。二三子相顧み、晩動いて寝るを得ず。遅明皆去る﹂。まこと にこの場にふさわしい句である。一般に ﹁魂醜﹂ といわれるが、﹁魂﹂ は天に通じ、﹁晩﹂ は地に宿るものと解されるのが通例だろう。﹁晩動いて寝るを得ず﹂ の通り、﹁画工﹂ の体 は ﹁醜﹂ が動いて地に足がついていない。無意識にせよ、自身の画業の心もとなさは ﹁画 二八頁 工﹂ にも自覚されているようだ。 注26、先の奉安に大悟の機縁を与えたのもその一例と考える。 注27、観海寺の禅問答の後、﹁画工﹂ は日をかえて木瓜の花をみる。その時の言葉を引こう。 ﹁見詰めて居ると次第に気が遠くなって、いゝ心持ちになる﹂と﹁画工﹂.は思いを述べる。 更にその上、﹁緑紗忘是非﹂ という句を含む漢詩を書き付けている ︵一二七貢︶。﹁見詰め て居ると次第に気が遠くなって、い1心持ちになる﹂ としたところの文言﹁気が遠くな﹂ るには、忘我状態を経験する ﹁画工﹂ を看取できる。この忘我状態は﹃草枕﹄ に何度かあ らわれる重要な転換点であり、宗教的恍惚感と同じ性質のものかと思われる。その例とし て最もふさわしいのは ﹁風流な土左衛門﹂ という観念をもって ﹁ミレー﹂ の ﹁オフエリ ヤ﹂ に共感を覚え始めた ﹁画工﹂ の体感する、温泉場での浮遊するような忘我状態である。 本田宙思代が、﹁﹃草枕﹄試論 − モチーフと那美像をめぐって﹂ ︵﹃実践国文学﹄第一九号、 一九八一年三月︶ で触れている。

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