トレルチの神学
全文
(2) 小. 2. tive. und. Metaphysische. chte. in. der. 林. Geschichte.. 謙 Sein. 一. Programm,. "Geschichte. durch. Geschi-. war. zu色berwinden=, schlieBlich undurchfiihrbar. Troeltrch von das Christentum auBen. untersuchte es begr也nden, der Wissenschaft Das war nit vereinigen. m8gliches. Unterfangen.. Daher. die dialektische. wegung. muBte mach Theologie,. seinem die das. Er. es. wollte. aber. von. ein. Tode. eine Christentum. neue von. wissenschaftlich An fang an. un-. theologische. Be-. innen. betrachtet. auftreten: Gottes begr払nden Troeltschs Verdienst ist sich nur auf die Offenbarung will. das Ergebnis: Indem M8glichkeiten der Vereinigung des grundgerade negative eral1e 1egenden Gegensatzes Theologie darin ist, in der modernen versucht und gescheitert der Theologie孟uBerst klar dar. Die nachste Generation konnte stellt er die Problematik tlnd. dallk Ende. Bem地ungen seiner entschieden der liberalen Tbeologie.. einen. anderen. Weg. geben.. Trotltscb. das. war. トレルチは対立と総合という形で思索を進める思想家である。このことは彼の歴史叙述 に明らかに認められる。大著『キリスト教会および諸集団の社会教説』において,古代教 会から近代のキリスト教の諸形態を通じて,考察の軸となっているのは福音(神の法)と 自然法との対立・緊張関係であるbたとえばアウダスティヌスにおいてもこの対立をめぐ る思索が発展を促し,古代から中世へと時代が移る刺激となったことが述べられるl)。ま たクpムウニルによるイギリス革命も超自然と政治とを統一しようという試みであったが, 挫折したことが述べられる宅)。さらに「ドイツ観念論は楕円である.しかしまさにそのゆ えに,円の完結性を求める努力をやめないのである」8)という言葉は,トレルチの思想の 基盤を暗示するものである。 この対立一総合という思考方法ほ彼の理論的研究にはいっそう明らかである。多くの論 文が「-と-」という題をもつ.そうでない論文でも,たとえば「偶然性の概念の意味」4) は宗教における合理主義とそれに抗する偶然性(Kontingenz)との対席を柴鍬こ論じて いる。. このような思考方法は神学者にとって必然的である。キリスト教が元来,神と世界,霊 と肉,福音と律法,信仰と理性,という二元論(とその克服)を根幹とするからである5). トレルチにおいてこの思考方法が一貫していることは,彼が広く多岐にわたる問題関心の 中で,キリスト教をたえず思考の中心また目標としたことを示している。彼はこの根本問 題を,多くの学者・思想家から受けついだ論理と概念を駆使しつつ,時代の学問と信仰の 要請にこたえて,解決しようと努力したのである.トレルチの問題国心を彼自身の回顧的 な文章「私の著書」 宗教的形而上学」,. (1922)令)についてみると,問題が「形而上学と歴史」,. 「歴史的神学と 「宗教史・精神史という歴史的問題と心理学・形而上学という内容の閉. 園」, 「ヨ-ロッ.1文化史におけるキリスト教の発展」というように,次第に限定され具体 イヒされた上で遂行されるにいたったことがわかる.この問題関心の下で次々に発表された. 研究は,一方で「近代の成立とその諸問題」を扱った歴史研究群であわ,他方それと平行 して宗教哲学も続行される.この双方からの方向が一致する問題の中心は「キリスト教の 絶対性」の問題であって, 1902年の同名の著書が「後のあらゆる仕事の萌芽」7'である.。.
(3) トレルチの神学. 3. 彼はなおこの後も,社会学の方法を摂取し,歴史哲学の問題に集中していくのであるが, われわれとしては神学の問題を直接に扱った彼の諸研究について,先の対立の克服の努力 がいかになされていったかを見ることにしたい8).なお本稿でほトレルチの理論的著作を 対象とし,歴史的研究にほ立ち入らないが,両者の関係について二つのことをつけ加えて. おきたいo第一に「近代精神の歴史は歴史的方法の形成の歴史であるo」9)すなわち,理論 的論文においてトレルチは,近代精神発展の研究の帰結を受けて,体系的な考察を行なっ たのである。しかしそれだけではなく第二に,現在および未来のキリスト教と文化の形成 のために,ヨーロッパの宗教と精神の構成要素を探求しようという実践的意図も,古代か ら近代におよぶ歴史研究はもっているのである。 トレルチの思想の発展はふつう3期に分けられる。本稿の筆者もそれが便利だと考え る10'.以下の叙述で明らかになるように,初期から中期への移り行きは1903年頃におか れるであろう.この頃からリッカートの影響を十分に受け入れ,研究の方法を変えるから である。これにヴェ-バーの影響が加わって社会学的視野が開かれ,さらに第3期にこれ. を含んで包括野な歴史哲学の研究に集中していく.本稿ではトレルチの神学の発展に考察 を限定するので;初期の思想の分析に重点をおくことになる. I.初期一幕故の自立性 トレルチの著作で公刊された最初のものは1884年の「キリスト教の世界観とその反対 実証主義と新カント学派,とい これは自然科学と唯物論,新人文主監. 潮流」11)であるo. った近代の主な潮流の高まりの中で,キリスト教がそれらと共存しうるか,それとも新し い宗教が必要であるのか,という問題を立て,結局キリスト教は近代思想と接合できると いう結論を導き出す.若々しい情熱にあふれた,弁証的(apologetisch)な論文であるo まず自然科学および実証主義,新カント派に対しては,モナド論的な観念論形而上学を対 抗させ,自然を精神に服せしめる.そしてこの形而上学とキ1)スト教の近縁を主菜する. 次に近代の自律的倫理についても,キリスト教の倫理が観念論と同じく目的概念をもち, ただその内容を異にするだけだと論証する。第三に観念論の中の美的一元論に対しては, トレルチほいっそう敵対的であるo美的一元論は空虚な形式の遊戯(Spiel)であり,内容 ほキリスト教の超世界性の側にあるとして,有神論(T血eismus)の弁証を行い,熱烈に キリスト教を賛美している。しかしここで再び倫理の問題を取り上げて,人間的な倫理を 前段階とし. キリスト教倫理を最高の倫理とする二段階構造をもって,対立を尭服しよう. とする。人格の成熟の中で徐々に観念論的倫理による統一が経験されてくるだろう,とい う道徳的発展論である。 このように,この論文は近代思想に対して神学を守るために,新観念論哲学,特にロッ ツェのモナド論的思想を援用している12).トレルチ自身もこの論文を著作集に収めるにあ 「この当時の立場を私は今日もはや主張できない」18)とこ たって(1913年)註をつけて, とわっている。しかしまた同じく「この論文ほ私の後の思想形成とその根本原朗を明瞭に 示している」14)と註している.それは次の諸点であろう.まずトレルチがこの論文で第四.
(4) 4. 小. 林. 謙. 一. の対決点として論じている「発展」の概念であり,それを謝る「基準」. (MaL3stab)の問題. である.第二の点はキ1)スト教の独-性に対する関心である。ここではトレルチほキリス ト教の絶対性を要求している.歴史の価値と基準は歴史学にではなく,宗教に委ねられて いると言い,キ1)スト教の成立を超感性界に帰属させ,キ1)スト教以外の宗教をすべて自 然宗教と断じ,キリスト教の唯一独特なることを主張する。この点をトレルチは十分に証 明することをせず,要請しているだけである。まだ素朴な絶対性と学問的論証が未分化な ままで,リッチュル学派の超自然主義を残している。数年後のトレルチと異なり,キリス ト教を宗教史的発展の鳳怠ないし完成とするのでほ不十分であって,あくまで超世界的で 唯一独自の宗教であることの証明を要請するのである.トレルチも1913年にほ,この時 の歴史およびキリスト教の把挺がideologischであったと自認している15).. この論文の結びの部分は,教会の病気が進行中である,神学の徹底的な改造が必要であ る,と若々しく主張しているが,その具体的な内容にはふれない。「キリスト教が今日も将 来も真理である」16)ことを確信してトレルチはこの論文(もともとは講演)を結んでいるo トレルチにとってはじめから「キ1)スト教の絶対性」と歴史哲学の問題(ことに発展の. 概念)が関心の中心にあったのであって,これほ最後まで変わることがない。 1895年の「宗教と教会」17)ほ,その表題が示すとおり,宗教と教会の相違・対立するこ とを論じた,これも若々しい論文である。. 「宗教」ほ内面的・個人的な確信と感激であり,. 「教会」は権威と強制手段をもった制度であるo両者は相反するものであり,. 「教会ほ〔宗. 教という〕核を次第に木化してしまう外皮である。」18'ここでトレルチほ言うまでもなく 「宗教」の側に立っており,これには彼自身も名を挙げている19). R.ローテの影響が著し. い。この論文で注目すべき点は第一に,トレルチはローテと同じく,教会から離れた宗教 というものは達成不可能な理想であって,せいぜい「教会化」を最小限におさえるよう努 めることしかできない,という「いくらか諦めをもった」20'態度を示していることであるo 教会ほ一種の必要悪なのである.したがって第二に,宗教改革も宗教(すなわち福音)に のみ基づいて共同体を作ろうとしたが,結局は教会形成に追いやられた,プロテスタソテ ィズムは教会を内面化・精神化はしたが,教会の背後にまでさかのぽることはできなかっ た,という宗教改革観を示していることである。第三に,未来の教会の形として自由教会 (Freikircbe)をとることを簡単ながら述べている点である。第四にゼクテと神秘主義の 意義を小さく評価している点であるが,これについてはトレルチは,. 『社会教説』でほそ. の評価を大いに改めた,と註を付している21'.第五に,この論文の主題と関係して,キリ スト教は神の国すなわち純粋に精神的な共同体を知っているのだから,キリスト教だけが その本質上教会から自由な宗教であるという一方,キリスト教が最も宗教的で最も高度に 組織化した教会を生んだのだから,キリスト教が最も普遍的で最も純粋な宗教である,と 主菜する.すなわちキリスト教の独-性を立証するのに宗教史的比較の方法だけを用いて, 超自然主義を棄てている.リ.,チエルの影響から離れたのである. この論文ほ,トレルチ自身が1913年に言うように,. 「社会教説』に着手する前の考えを.
(5) 5. トレルチの神学. 示しており2皇,,簡単なスケッチであるが,他面,問題意識はいっそう明瞭である。ただそ れはキリスト教内部の問題意識であって,経済.社会的な拡がりはまだない。 この論文において教会の現状を危横と見ているが・そのために神学が果たす役執こつい てトレルチは控え目である。神学者は近代の世界観と教会との調停・対立の緩私妥協を 行なうのであり,新しい教会は神学や学問からは創り出せない・というのである。このよ ぅな傍観者の立場はトレルチに一貫しており,次代の弁証法神学者とは対照的であるo 同じく1895年に発表された短い論文「無神論的倫理」空8'は,経験主義・実証主義の立 場から無神訴を擁護したある著者-の反論である.この著者の主熟ま,プロテスタソティ ズムは無神論への移行であり,現代の政治と社会はキリスト教なしにやっていけるように なった,という歴史観を含んでおり,後のボン-ゲファーの「成人した世界」の思想を思 ゎせるものがあって興味深い。トレルチはこれに対して,無神論倫理の基礎づけと内容と の両面から反論を加える。第一の点については,無神論ほ有神論を前提としてのみ存立し ぅるし,宗教的倫理に固有な点を多く保持しており・特に「神」のEupbem主smusを残 していて,一種の宿仰,善の力と進歩-の信仰であると論じ,結局,いかなる倫理にも宗 教的基礎が不可欠であると結論する.第二の点については,倫理の目的と価値(G加er) ほ国家と社会という外的なものだけでなく,神性との交わりという形而上学的要素が不可 欠であり,そこから得られる絶対的なるもののエートスの方がアリストテレスや18世紀 の社会幸福主義より高いものであると論じ,キリスト教倫理が無神諭倫理に優越すると結 論する。 apo-. このようにこの論文はトレルチの初期における倫理-の関心を示すものであるが・ logetiscbに相手を論駁するに急で,倫理の基礎づけと内容をくわしく展開するにいたら 『社会教説』における成熟を待たなければならないo ない。この点は「倫理学の根本問題」, 1895-96年に善かれた「宗教の自立性」と題する長い論文24'ほ・この時期のトレルチの 神学思想の中心をなすものであり,題名が示すように,. 1894年の論文で前提されていた宗. 教の自立性を論証しようとしたものであるbトレルチは宗教心理学と宗教史の二面から論 じる。宗教心理学の面から,神の表象が事実的であり,非悪意的必然性から出てくるもの であることを主張して,宗教の成立を願望と欲求に還元する経験主義・実証主義の幻想論 約説明を斥ける.絶対者の予感,神表象は意識の原事実であって,優位(Prioritat)をも っのである.この論証はシュライエルマヅ--,ディルタイ・ヴン=こ依拠している。神 表象ほ原初的に存在する事実であるが,神が直接に感取されないのはなぜか・という問題 が次に起こり,神経験がなされる媒体(Medien)の問題が論じられるo媒体ほ神直観のシ ンボルであり乗物(Vebikel)であるとして,現代の宗教現象学が挙げるさまざまな存在 物が指摘される。ここで注目さるべきは,キリスト教にとってイエスが本質的・持続的で ほあるが一つの媒体として例示されていることであるo次にシンボルは祭儀(Kult)を要 或するとして,宗教の社会的性格が指摘される○.
(6) 6. 小. 林. 謙. 一. このように宗教の根源は一山理学的額域に求められるが,これがどのように歴史的に個別 化してくるか,という問題から宗教史が取り扱われる○ここでもトレルチほ新カント派の. 現象学的・実証主義的主観主義に対する反論を展開するo宗教ほ人間の思考の要請にすぎ ない,たとえば宗教ほ倫理的要請である,という説に反対して, --ゲル的な「宗教史の 神人性(Gottmenschlichkeit)」を主張するo主観の内的・外的体験から推論していくと, 超主観的世界が推定されるのであって,カント自身もこのように主観主義をしばしば超え 出ているではないか,というのであるoこのように宗教史が主観を超える世界の実在を確 証しているとして,トレルチほ形而上学に近づく。. 心理と歴史の両面から・宗教が自立したもので,他の精神活動から導出されるのでほな いことが論証されるのであるが・ここで宗教と学問の関係が問題として現れて,問題が複 軌こなる。すなわち宗教史も歴史である限り事実のつながりであるが,あらゆる歴史と同 じく,宗教史にも論理的に整理し切れない不合理・愚行・残虐がみちている。この点でト レルチほヘーゲルの「宗教史の神人性」に批判を加えるo宗教が神的であると同時に人間 的であり・歴史が神の働きと同一である点ほよいが,宗教史をもあまりに精神一般の活動 と同質化する--ゲルの汎論理主義ほ斥けるのである○ここにトレルチを一貫する根本問 題・経験と合理性・歴史と形而上学の問題がはっきりと姿を現わす。 トレルチは学問と宗教の関係から宗教史の一般理論を構成する.事実的・原初的な宗教 内容が生C・それが神話的ファンタジーによって豊かにされ,そこに学問的思考が介入し てさまざまに結合し整序する.これが教義学として化石化すると,再び新しく強力な宗教 内容が(reproduktivに)現われるoこういう循環である.このような学問的・反省的思 考と宗教との関係において神学のもつ役割についてのトレルチの見解は注目に値する。宗 教は学問的思考とほBfJものである.しかし同時に,両者は分離できず,互いに他を必要と するo宗教は学問の介入なしには存続できないo両者が反日するとき,調停の役を担うの が神学であるo神学は学問的理念を教会の目的に適用するという妥協のための学であって, 妥協の長所も短所ももつ・.神学は学問に固着するが,自身学問なのではない.このような トレルチの神学における妥協的・調停的性格と,宗教の学問に対する近すぎる関係とを, 当時のリッチュル学派も,一世代彼の弁証法神学者も,攻撃の対象とする。 宗教史の最後にして最大の問題ほ,多くの歴史的宗教の価値判定の基準の問題である. トレルチはここではオイケン・シュライエルマッ--,フォイ-ルバッ-,. --ゲルに拠. って論を進め,歴史上の太宗教に共通する根本思想を抽き出す.それは神,世界,魂,救. 済という四つの概念であり,そのいずれを見ても,宗教理念の内的弁証法が,自然宗教か ら出発して・個人主義的・普遍的な救済宗教とそれに伴う精神化された倫理に向かう債向 を示す,という発展法則が構成されるo発展法則といっても,もちろんアプリオリな演舞 的法則でほなく・宗教史の事実からの帰納的推論であって,発展の傾向という蓋然的な判 断にとどまるべきものであり,学問的確実性を主張できないとされる。 ところが宗教の自立性を論証するという問題を一歩超え出て,その絶対性を論じる段に なると,トレルチの議論は括れを示すように思われる。キリスト教・仏教.イスラムの三.
(7) 7. トレルチの神学. 太宗教を比較して,辛.)スト教が先の「発展法則」に照らして最も高い宗教であると論じ,i 「最も厳格な学問的客観性からしてもこの点に疑いの余地はない」望5)と断じ・. 「これによっ. て判定の基準が与えられた」26'と確言するが・後の段階になると・基準が得られたわけで ほなく, 「絶対」宗教が証明されたのでもない・とされる。すなわちトつの宗教が絶対的 に真理であると学問的に証明はできないoこれまでに存在した諸宗教のうち,相対的に最 高である,という以上のことは言えない」27)のである.学問ほキ1)スト教を絶対宗教と証 明することほできず,その蓋然性がある,というところまでしか行けないのであって,そ. の先ほ主観的確信の事柄である。 この問題をめぐるトレルチの論証ほ行きつ戻りつしていて,考えの未整理なところを残 している。これを整理した形で提起するのが1902年の『キリスト教の絶対性』の本であ る。. なおトレルチは,神的話力の表象の優位として,宗教心理学の客観的側面を指摘したが, それと並んで主観的な宗教的衝動(Trieb)についても短くふれている28'oこれをトレル チは,宗教の底層であり,不分明・無規定の下部段階であって・心理学で説明することは できない,という以上にくわしくほ展開していないが,これが後に「宗教的アブ1)オt)」. としていっそう厳密に取り扱われる問題の萌芽を示している。 1897年の「キ.)スト教と宗教史」皇9'の趣旨は「宗教の自立性」と同じであるo宗教を人. 間精神の共通の運動傾向を根拠とする統一的根本現実として立証し,次にキ1)スト教を宗 教史の一般的発展傾向(自然宗教から人格的救済宗教-)の完成・頂点とする。ここで新 しいことは,収赦(Konvergenz)という概念でキ1)スト教をとらえる点であるoしたが って目がいっそう未来に向けられ,東方の宗教とキリスト教の収赦を未来に期待し,キリ スト教のこれまで発展させられなかった側面が強調されるであろうと予韻帽れるoキ1)ス ト教の信仰心を中心として,ヨーロッパがこれまで獲得したもろもろの根本思想を精錬し ていこう,と述べられる。これが後に「文化総合」として明確化される。 「宗教の自立性」においてトレルチが批判の対象としたのは新カント派・実証主義とヘ ルマンら.)ッチュル学派とであった.そこでほ主として前者の要語理論を論駁したのであ るが,この論文にリッチェル学派のカフタンが反論を寄せた80)oトレルチがこれに答えた. のが1898年の「歴史と形而上学」81'である。カフタンの批判紘,トレルチが啓示信仰と 宗教哲学を混同していること,認識論の誤謬を犯していること,形而上学-の性向を示し ていること,の三点にあり,トレルチの答えも自分の仕事の方法論的前提を明瞭に提示す ることに向けられる.二人の立場の違いは明らかであるoカフタンは正統主義の伝統につ らなる超自然主義に基づいて,キリスト教と他宗教を裁然と区別するのに対し・トレルチ. ほまず「宗教」一般を宗教哲学として扱うのである.カフタンからすればトレル利こは神 学がなく,宗教哲学すなわち宗教の歴史哲学しかない,ということになるoトレルチはこ. の点で歴史の事実を引き合いに出すo近代の宗教史訴究は超自然主義を不可能にしたので.
(8) S. 小. 林. 謙. 一. ある○トレルチはちょうどこの鼠近代精神史研究をも発表しはじめている。. 「啓蒙主義」 「理神論」は1898年である。トレルチは啓蒙主義の反超自然主義の根本思想 ほ1897年, を受けいれ,キリスト教をもあくまでも学問的に取り扱おうとするのであって,教義学的 方法に対する批判もくり返される.「宗教史の神人性」の主張もいっそう鮮明になり,シン クレティズムや自然神学と非難されることを怖れない。 トレルチからすると神学の基礎づけとしてまず歴史と精神との形而上学が必要なのであ るoトレルチほ全面的にシュライエルマヅ-一に拠ってこの形而上学の概略を示し,さら にその前提として認識論の問題のあることを指摘している(この点ではヴント,ディルタ イをとり,リッカートを斥ける)が,プログラムにとどまっている。トレルチはこの論文 杏, 「形而上学的なものだけが至福を与えるのであって,歴史的なものが,でほ決してない」. というフィヒテの言葉で結んでいるが,これは彼の晩年の思想をも晴示するものと思われ る。なお「宗教の自立性」でもふれられていたイエスのPersonとPrinzipとの問題が論 じられるが,この問題ほ第2期にいたってはっきりと主題化される。 この論文は「宗教の自立性」よりも自覚的に方法を論じており,そのため,トレルチの 問題が宗教の内容よりむしろその基礎に,すなわち歴史哲学と形而上学にあることを示し ている。. トレルチのこの時期の方法を整理して書いたのが1900年の「神学における歴史的方法. と教義学的方法」82)である.この論文もカフタンの弟子ニーバーガルの「キリスト教の絶 対性紅ついて」という論文に対する批判として善かれ,権威的啓示概念を基礎とした教義 学的方法に対して自己の歴史的方法を擁護したものである。歴史的方法ほ三点からなる。 第一に批判の方法で,蓋然性の判断を特徴とする.第二ほ理解のための類比(Analogie) であり,第三は事象を全体の脈絡の中で理解する関連(Korrelation)の概念である。トレ ルチはこういった方法を自覚的に神学にも適用する.キリスト教とユダヤの歴史も-般宗 教史・文化史にくみこむべきものである。こうして彼の「宗教史的神学」の大要が提示さ れが8).宗教的直観(Intuition)ないし神的啓示という根源から自然宗教へ,さらにヤー ウェ宗教-,次いでイエスの宣教,最後にキリスト教信仰で鳳点に達する。 続く部分は教義学的方法の批判で,ここで問題ほ結局その方法の形而上学的基礎にある ことが明らかにされる.世俗史と救済史という歴史の二元論的把握,神と人間についての 二元論把捉,という形而上学が問題なのである。トレルチほこれに対して,啓蒙主義に始 まる歴史的方法をとる。これに続いて,主観的であるがと断りながら,トレルチ自身の立 場をのべるが,ほぼシュライエルマッ--の人間精神の形而上学と--ゲルの発展概念に 拠っている。. 1902年に『キリスト教の絶対性と宗教史』初版が出版される84)o. この木の目的は神学. の規範性を宗教史から得ようということであり,問題は宗教概念の実現としてのキリスト 教の絶対性が確立されうるか,そして歴史の多様性から規範(Normen)への出口が縛ら.
(9) 9. トレルチの神学. れるか,ということである。すなわち,表現ほ新しいが,問題自体は「宗教の自立性」に ぉけると同じである。トレルチの議論は前の論文以上にジグザグの道をたどっているが・ 本書には邦訳もあることであり85',この問題に対するトレルチの答えをただちに見ること にしよう。すなわち,辛.)スト教を絶対宗教と証明することは歴史的方法による限り不可 能であり(第2節),ただその最高性を承認することしかできない(第4節)oそして絶対 性はこの学問的客観性の側にはなく,膚仰の確信・決断(Entscheidung)という主観の側 にしかありえないが,信仰こはこの確かさで十分である(第5節).キ7)スト教とその教 会的・歴史的形態とほ分離できる(「宗教と教会」での問題)のであるから,キリスト教の 本質的事柄(Sache)すなわちイエス-,イエスの素朴な自由へ帰ろう・回り道をたどっ たが,ついにここに帰着する,ここに歴史の重荷からの解放があり,イ-利こならって歴 史の中を素朴な絶対性によって生きてよいのだ,客観的絶対性ほ前方に漂う目標であり・ 最後の審判を待望して生きよ(第6節),というのであるo 間馴まさまった第3節では歴史哲学の諸問題が指摘される.その主なものは,第一・相 対性の中で価値を判定し,規範を産み出すのは決断であり・前方にある目標を求めつつ・ 歴史の中で態度決定を行い,不断の創造的総合を求める,という主観主義の主葉である。 判定の基準は究極のところ主観的であって,実践において立証するものであり,規範の普 「ヨ-. 遍妥当性は目標・理想でしかありえない○第二,文化的「氷河時代」の予言,第三,. pッパ主義」の萌芽,第四,発展思想という形而上学的概念。 このように「『宗教の自立性』と『歴史と形而上学』の議論を継続し・部分的にはいっ そう厳密に規定した一宗教の概念の理想といっそう強く断絶している点で-」85'ので あるが,たしかに主体的決断の要素と,未来に絶対をおいて現在には相対性の中で待望に 生きるという終末論的要素は,新たに非常に鮮明になっている。ドレッシャーは第一の人 格的・実践的決断は.)ッカートの価値論から学んだものであり,すなわち形而上学的・歴 史哲学的概念であって,信仰の要素は派生的意義しかもたないと言う87'が・これは極端だ と思われる。トレルチはもともと信仰者一神学者であり(トレルチの妻マルタは彼の「深 く畏敬にみちた敬度」を証言し, 「彼のこの宗教的根本確信を知らなければトレルチを理 解できない」と述べていが8'),またキルケゴール89'やニーチェの名もしばしば彼の著作 に登場するのであって,トレルチにもともとあったこの傾向がリッカートによって明確な 形をとった,というのではないか。終末論的思想も1894年以来,たえずトレルチととも にあったものが,歴史哲学的思索の深まりと,それによる絶対性証明の決定的挫折によっ て,明確になったのではなかろうか。 このようにこの本ほこれまでの初期トレルチの研究と思索の踏まとめであり・同時に以 後の研究の出発点である40'。すなわち, 「キリスト教の絶対性」の問題を解決したのではな く,むしろ学問の方法からする限り解決が不可能であることを確証し・問題をいわば否定 し去ったのである。これまでトレルチは学問(特に歴史の方法)と宗教の関係に境力卸こ 取り組んできたが,ここでこの両者を分離できたのである。信仰の方ほ終末論一決断一乗 践の境域に委ね,学問は純理論的に宗教哲学および歴史哲学に集中する。これ以降の神学.
(10) 10. 小. 林. 謙. 一. 的論文ほ本質的に回顧的となるか・未来と実践の面に重きをおくか,あるいほ宗教哲学・ 歴史哲学の枠内で取り扱われるようになるo うにとらえると,. (トレルチの思想と研究の主な発展をこのよ. 『社会教説』は壮大なExkursということになるo)なおトレルチの宗教. 哲学と歴史哲学は密接に関連したもので・しばしばはとんど同義に用いられており,. 「宗教. の歴史哲学」というとらえ方も頻出する。. これに反比例してトレルチは以後, 「宗教史」の立場を主菜することが少なくなる。 教史学沢」は本質的に--ゲル的な立場であって,トレルチもこれまで,ヘーゲルに部分. 「宗. 的に修正・批判を加えながら,根本的にはその立場に拠っていたoこれが以後は宗教哲学 と歴史哲学に分かれていくoその際,宗教哲学の心理学・認識論による基礎づ桝こ関して はディルタイ,ロッツェから1)ッカートおよびカントに拠点を移すo歴史哲学に関しても. 1)ッカートの影響は決定的であるoこのような転回ほ,. Spitzに表現すれば,「宗教史学派」. の終わりでほなかろうか。. 1902年の「倫理学の板木問題」41'においてトレルチは-ルマンの『倫理学』. (1901)と. の詳細な対決を行い,自己のキリスト教倫理学のプログラムを揖示しているoここでトレ ルチはリッチュル学派のヘルマンを批判して,キ1)スト教が唯一真理であるという弁証論 を斥机キリスト教倫理学も宗教史・歴史哲学的方法で考察さるべきであり,その中でキ リスト教道徳の最高性を論証すべきであると主菜し,彼の他の研究に接続することを明ら かにしている○またトレルチは一連の近代精神史研究の成果からも学んで,キリスト教に おける人間的道徳と宗教的道徳との二極性(Polaritat)という表現を打ち出し,この統一 を課題として提示しているo郎ミここで略述している方向ほ,世界内道徳を前段階ないし 前備え,キリスト教の絶対的道徳を上部段階とする二段階構造で,その上昇運動(Auf-. stieg)を生の中で行うべきであり,統一がたえず新たに創り出さなければならない,とい うものである。トレルチ自身も認めるように,カト1)ック倫理,むしろその中に受容され ている新プラトン主義に近いと同時に,実践の観点に強調をおいたものである。多くの論 者(たとえばマイネッケ・パルりの言うように,トレルチは歴史的分析とそこから引き. 出される現在の問題の提示において冴えを見せるが,それ以上の積極的解決の段になると 簡略すぎる・という憾みが残るoただトレルチが指し示す方向は,ボン-ッファーの「究 極以前のもの」. 「道備え」という思想42). (これも彼の刑死によって試論にとどまっている. が)につらなっていくものとして興味深い研究課題を与えていると思われる。. ここでトレルチの思想発展の第一期から第二期-の移行という問題について少し述べて おきたい。トレルチは時代のさまざまの哲学思想を受容しつつ自己の研究方向を定めてい った思想家であるが,この時期におけるリッカートの影響が決定的に重要であることは,/ 諸家がひとしく指摘している.たとえば, 「トレルチのリッカ-トに対する関係は,デ pツツェその他に対する関係とは別種のものであるo」48'トレルチは1899年に 『文化科学と自然科学』の書評でリッカートの「純粋に内在的,反形而上学的出発点」に イルタイ,.
(11) ll. トレルチの神学. 反対し44', 1900年の講演『学問的状況』でもリッカートの『フィヒテの無神論論争とカ 1903. ント哲学』にふれて,リッカートに一部賛成,一部反対の態度を表明している45'o 年の「現代の神学的・宗教的状況」46)の概観においてトレルチは新カント学派の宗教哲学. を低く評価し,なおオイケンの宗教哲学,ヴソトの民族心理学を最も高く評価している○ 1)ッカートの『自然科学的概念形成 同じ年にトレルチは「近代の歴史哲学」47'を書いて, の限界』 (1902)の内容を紹介し,かつ批判を加えたoトレルチほリッカートの言う自然科. 学と文化科学の区別に賛成し,歴史と倫理の結合の必要性をも承認し,ただその歴史哲学 に補完が必要であるとして,二つの点を指摘するo第一に,歴史論理における債向(Ten・ denzen),額比(Analogien),壁(Typus)という方法的概念の必要,第二に歴史の形而 上学の必要性を主張し,ベルクソン,. --ゲルの名を挙げる.. 1)ッカートの論理的超越主. 義でほ十分でないとトレルチは考えるのである。. トレルチはこの論文を著作集第2巻に入れるに際して(1913),次のように書いている。 「私の『キリスト教の絶対性』と『キ1)スト教の本質』の概念についての論考はリッカー トの歴史哲学,ことに経験的歴史と歴史哲学との関連について彼から学んだことを,困難. な諸問題を解決する最も重要な手段として利用した.」48'この論文が1903年に雑誌に発表 されたときにはこの部分がなく,代わりに「私の1901年の『絶対性』は,事実リッカートの 立掛こ広い範囲で対応している。その本を書くときに1)ッカートの大著の主要部分をすで に知っていたとしたら,多くのことがもっとはっきりと明瞭になっていたことだろう」と なっていた49'。 『キリスト教の絶対性』においてトレルチは,一方で正統主義的超自然主義 およびこれと結びついたリッチェル派と論争し,他方で(リッチュル派と部分的に同盟し ている)新カント派の因果論的・現象学的な宗教のとらえ方を批判して,いわばこの左右 の間に立場を定めて調停しようとし,全体としてシュライエルマッ--の道をたどり直そ うとしたのであって,たしかに歴史現象の個体性の発見はトレルチにおいて新しい要素で あるが,まだ後の時斯こおけるはど強調されておらず,全体としては『絶対性』は第一期 の最後の地点を示すものと思われるoトレルチはl)ッカートとの取り組みを1899年頃に始 1903年頃にその受容を一応完了し,立場を新しく広げたと思われるのであり,その間. め,. の著作は移行期の段階を示すものと言えよう。特に本稿の主な関心である神学への関係と 1903年以後は新し 『絶対性』はそれまでの思想とのつながりが強く, いう点からすると, い関係を示していると思われる。. 先のトレルチ自身の証言に関して一言つ朋口えると,彼は自分の以前の著作について必 ずしも正確でなく,その時の思想を以前の著作にさかのぽって読みこむ懐向があるように 思われる。これと関連しておもしろいのは,トレルチが自作の題名について思い違いをす ることである。. 「倫理学の根本問題」を「根本概念」として引用する5¢'。. 「歴史と形而上学」. を「形而上学と歴史」と呼ぶ51'のほ,単なる記憶違いでなく,思想の内容を暗示する象徴 的なまちがいと言えよう。 『近代世界の成立に対するプロテスタンティズムの意義』を 『近代文化の成立に対する新プロテスタソティズムの意義』とする52'のも意味深い.また ●. 自作の発表年をまちがえることも多い。これにははっきりした債向があって,その時の立.
(12) 12. 小. 林. 謙. 一. 場に近いと考えるものは年代を新しくし.すでに克服した立場だと考えるものは古くする。 たとえば著作集第2巻に収録した論文でも, 1900年の「神学における歴史的方法と教義学 胎方法」を1898年とし, 「近代の歴史哲学」 (1903)を1904とし, 「神学半世紀の回顧」 (1909)を1908とする(それぞれの表題のところ)o. 「私の著書」でも「宗教哲学」. を1906年と書く(もっとも再版は1907年であるが).. 「歴史と形而上学」. 年としたり53', 1897年としたり与4'する. 「宗教の自立性」. (1904). (1898)を1896. (1895-96)を1894-95とするS5',. など。. 2.第2期一乗敦哲学と未来のキリスト教 この「移行」をトレルチ自身は「私の著書」で(トレルチほ必ずしも年代的順序に従っ 「私はリッカートの銃利な論理に異常に圧倒され,かつ励ま. て回顧しているのではない),. された。今や私はこういったすべての〔宗教哲学的・内容的な〕問題を新しくとらえ直し 「宗教学における心理学と認識論」. た」と述べ, 的なもの」. (1905),. 「カントの宗教哲学における歴史. (1904)を「この問題設定の転回を示す」ものとして挙帆「宗教哲学」. (1904). を新しい立場からの課題の捷示としている与6).ここではこれらのほか,著作集第2巻に収 められた「宗教と宗教学の本質」 (Kontingenz)の概念の意味」. (1906), 「宗教的アプ1)オ1)の問題」. (1909), 「偶然性. (1910),. 「神学と宗教哲学におけるロゴスとミュトス」 (1913)を一括して,この時期の宗教哲学におけるトレルチのキリスト教理解の特質を簡 単に見ておくことにしたい57).. これらの著作を通してトレルチが目ざしているのほ,経験的・心理学的事実(Kontingenz, Mythos)と合理的認識論(Logos)の総合であって,トレルチはこれをカントの指 し示す方向に求め,. 「宗教的アプリオリ」を捷示する。この概念をトレルチは論じ切っては. いないように思われる。筆者にほ今この問題を十分に論じる準備がないが,この概念は結 局不可能ではないかと思える58).トレルチのこの分野での功歳は明噺な問題の整理にある のではないか。. 1913年の論文の結語ほ,. 認」59'であり,. 1910年の論文も,. 「生と思考,ミュトスとロゴスの,二極性の承. 「合理と非合理,事実性と概念性・・・・の閑係の問題・調停は不可能である」60'を結論としている.もっともす(oあとにトレルチは「神概念」を 解決の方向として暗示するが,論証はない。結局トレルチは神概念を含む形而上学に最後 の解決を求めて考察を終える.それはシュライエルマッ--,. --ゲル,ライプニッツの. 方向, 「自然と精神の,宇宙的過程と生産的自由との,相互浸透(Ineinander)」飢'である。. なおトレルチは1922年にも宗教哲学について,新カント派の価値論を評価しつつもその 主観主義に限界を感C,形而上学への道を求めているが,まだ結論を得ていないとして, ライプニッツらの名を解決方向として挙げている62'oトレルチの根本問題の解決ほこの宗 教哲学の試みにおいても,結局挫折したと思われる。すなわち神学と宗教史(発展史的観 念論)の立場を変えて,批判的先験論のいっそう「一般的な宗教哲学」63'をこよって「宗教 の自立性」 「キリスト教の絶対性」を基礎づけようと試みたが,宗教哲学の内灘ではこれが 不可能だったのである。.
(13) 13. トレルチの神学. この時期のトレルチの神学には三つのきわだった特色がある。第一に神学の宗教哲学へ の解消,第二にキ7)スト教の未来の形成への関心,第三に宗教社会学的関心.これらが相 互に密接に関連していることほ言うまでもない. 第一の特色はすでに「現代の神学的・宗教的状況」. 「私は神学を. (1903)にも見られた。. 独立の,純粋に学問的な宗教哲学に接合する(angliedern)という目標を追求してい る.」64'「神学半世紀の回顧」 (1909)8さ'も表題のとおり問題の整理と回顧であるoヘーゲル に起源をもつ歴史的神学(宗教史学派)と,シュライエルマッ-一に由来する教義学的調 停的神学との分裂の寛服を課題として立て,そのために両者に共通の前提の研究が必要で 「この主要問題ほ歴史的 あるとして,キリスト教の妥当性(Ge加ng)の問題を提起する。 問題ではなく,歴史哲学的ないし宗教哲学的な問題であって,学問的な意味では宗教の一. 般理論とその歴史哲学的段階区分からのみ,とらえられるo」68' 第二の席向は「近代哲学との関尉こおけるキ1)スト教の未来の可能性」. (1910)67'が集中. 的に扱っている。この論文では近代思想の特放として,一元論的世界観(自然主義,世界 内的功利主義など),歴史主義,此岸的倫理,宗教的個人主義の四つが挙げられ,これらと キ1)スト教との衝突の問題が論じられる.この問題設定は1894年の論文と同じである。 トレルチは今では「自由キリスト教」を主張する。すなわち四つの対立点を解決し,調停 する自由主義的キリスト教であって,その中心は内面性と人格性である○この点でキリス ト教はカント的な超越論,人格主義的形而上学に近い。また両者はともにLogosへの信 Logos (イエスにあらわれた力)に集約 頼を核としている.辛.)スト教のSacheがこの・. され,形而上学的な世界根拠としてのLogosと融合する。この点でキリスト教ほ近代思 想と総合されうるであろうし,盾仰と歴史の関係も解決され,宗教的個人主義も宗教的共 同体の中で位置を得,倫理も二段階の上昇過程として統一されうるであろう。このような 「自由キ.)スト教」の未来可能性をトレルチは終生追求していく68).なおこの「自由キリ スト教」がトレルチの歴史研究の成果であることは言うまでもない.彼のプロテスタンテ. ィズムの叙述のどれにも,これが結論として主張されている69'。 この時期のトレルチの神学観を最もよく表わしているのほ「『キリスト教の本質』とは どういう意味か」70'である.これほもともと1903年に発表されたものであるが,著作集 第2巻に収めるにあたって大幅に加筆され71',内容的にも第2期の特徴を示している。こ の論文は-ルナックの『キリスト教の本質』を横に書かれたが,トレルチ自身の本質観を 「本質規定ほ本質形成である.」7望'すなわち実践的な新創造,新しい適応. 提示しているo. 現在の啓示であって,未来-の志向を含む,理想としての本質という主観主義の側面をも っ.それゆえ本質はまた現象(ここでほキ1)スト教)全体紅関わる発展概念であり,また その中で理想によって判定を下す批判概念でもある。ここにおいても本質規定は歴史的要 素と規範的・未来形成的要素の結合であって,トレルチの年来の板木問題,歴史と規範の 総合として,とらえられるのである。トレルチの解答ほここでも両者の相互浸透であり, 歴史的伝来と人格的決断との接衝からする客観的価値の,そのつど新たな創造・継続形成 なのである.こうして「自由キl)スト教」が未来の可能性,歴史と未来の給食のプログラ.
(14) 14. 小. 林. 謙. 一. ムとして提示される。 「本質」ほ以前トレルチが「原理」と言っていたものと同じであるが,今やトレルチはこ のヘーゲル的概念に距離をおいている. 「宗教史の神人性」に対してもそうである。その代 わり「ニ極性」の概念が強調されてくる。これと関連して注目されるのは,トレルチのキ リスト教理解が倫軌こいっそう重点をおくようになったことである. 「キ.)スト教ほ,_オ プティミスティックとペシミスティック,超越的と内在的の両世界観を結び合わせ,世界 と神をきびしく分離するとともに内的に結び合わせる救済の倫理であり,原理的な,しか し信仰と行為においてたえず新たに止揚される二元論である。」78) 第三の特色を最もよく示すのほ,言うまでもなく『社会教託』である.その「序言」に おいてトレルチほ例によって自己の関心を略述するが,方法論と宗教哲学的研究からいよ. いよ倫理の面,特紅社会倫理に重点をおくようになったと言う74'oM・ヴューバーの影響 を受けて・新しい観点が加わったのである75'.トレルチはその尾大な歴史的研究の成果を 「結論」においてまとめている78'oここで新しいことは,教養と神学の社会学的被制約性で あるo唯一の特殊キ1)スト数的Ur・Dogmaたるキリストの神性ほ,キリスト祭儀(Kult) から生じたのであり,. Kultも信仰共同体(Gemeinde)統一の必要から生じた,というの. であるoこの点に教会史に対するマルクシズムの方法の影響のあることほ明らかである. すなわち一方では宗教的発展の大きな結節点は宗教的生の自立した表現である,として 「宗教の自立性」が承認されるが,他方で,. 「特殊宗教的思考がその衝撃力・形式・運動・ 目標を具体的に獲得する困果連関にほ必ず,強さの違い,直接間接の別こそあれ,社会的. な力と,これに媒介されて・結局は経済的な力が働いている」門'のである.ここでは,慎 重な言い方でほあるが,宗教の自立性に本質的な制限が加えられている。しかもそれは, 1890年代に考えられたような,現象論的・幻想論的な面からでほなかったoなおまたこ こでほ「キリスト教倫理に不変かつ絶対的な点を見出すことほ不可能である」78)とも述べ られ,歴史主義の,それもマルクス主義的な観点からの,深化が看取される。 こうして問題はまたしても,キリスト教の(ここでほ特にその倫理の)未来に向かう 形成の可能性である。この点では,人格主義的有神論により形而上学的に基礎づけられ, 人格性・個体性の思想を中核とするキリスト教のエートスに,永続的な倫理的内実が確認 されるoこれが社会全体に神の国という目標と,禁欲(Askese)という手段を与えるので あるo 「彼岸が此岸の力であるo」79)トレルチはこの出発点から,最も目的にかなった未来. の宗教共同体の基本を略述するo本論の分析の結果, 3類型のうち教会が組織体として優 越しているが,近代世界にほゼクテと神秘主義の方が親近性をもつのであって,この3類 型の統一が未来の最大課題である。個人の良心の自由を生かす教会共同体が求められるの であって,この点でトレルチは1893年以来変わらずに「教会のミニマム」の立場を守っ ている80'oトレルチはこの宗教共同体の形成は教義学よりも大切であると考え,. 「『プロテ. スタント教会的教義学』ほもはや存在しない」81'とさえ言い切っている。後にバルトはこ れにあえて抗して,プロテスタント教会の教義学を敢行する。トレルチは最後に, (教会形 成の要請とは矛盾すると思るるが)新しいキリスト教思想の形成を要求する。現在残る二.
(15) 15. トレルチの神学. っの主要類型,カトリシズムも禁欲的プロテスタソティズムも,ともに命脈が尽きている からである。トレルテは全く新しく,状況に適応した,可能なるもののみを欲する新形成 「いささか諦めた」現実主義がよく を展望するのである。ここにはトレルテの自由主義と, 表われている. 「われわれの力の保持と集中の,相対的に保守的な体系」82'が著作集第2巻 の目標でもあった。. 「信仰に対するイ この時期に発表された二つの神学論文も同じ立場から書かれている。 エスの歴史性の意義」 (1911)83'においてもトレルチは二つの相矛盾する主菜をしている ように思われるo一つほ近代の信仰概念たる個人的・内面的な,理念としてのキ1)スト教 の受容であって,これほ神秘主義-スピリチュアリズムの線上にある。他方でトレルチは, このような「近代の教養人のひそかな宗教」が共同体とKultを欠くことを現代の宗教性の (人格と 病と診断し,この二つのものの必要不可欠を主張するoここにイエスのPerson いうよりむしろ存在と訳すべきであろう)の意義がある。すなわちイエスは宿仰とその共 同体およびKultの支え,中心となるシンボルとして,社会心理学的に不可欠だ,という のである.. 1890年代以来PersonとPrinzipとしてとらえられた問題が,ここで社会学. 的な新しい解明を受けるのである.しかしこの二つの主衷の統合にトレルチは成功してい ないように思われるo同じ年に発表された「現代の生における教会」84'も同じ主菜をして いる。ここでほ文化総体の未来という,より広い視野から,キリスト教と近代文化の総合 を求め,望むべき形態を「柔軟になった国民教会(Volkskircbe)」に求めている。自由で 精神的・内面的な「教会」である′。トレルチほこれに近代の理念と教会棟型の給食を期待 しているのであるが,無理があるように思われる。トレルチのこの後の歴史哲学研究にお (1922)においても, 「教会」は姿を消して いても,また最晩年の『歴史主義とその克服』 おり, 1894年以来の用語法で言えば「宗教」にあたる,理念としてのキリスト教が最後の. 言葉になるのである一結局「教会」共同体は,トレルチの事実的歴史研究の分析において 位置をもつだけであって,彼の思想構造の中には一時的にしか場所をもたなかったように 思われる。 ヘルマンはトレルチの「イエスの歴史性」の書評85)を書いてトレルチを批判したoつま. りトレルチがイエスの意義をプラグマティッシュな必要からしか評価しない点を攻撃した のであるoこのことは, くおくことによる。. -ルマンからすると,トレルチが学問を信仰に対してあまりに高 -ルマンからすると学問はただ相対的な妥当性しかもたないのに対し. て,信仰は絶対的なのである.この点は二人に一貫する相違であって, 若きバルトも,トレルチにおける宗教と学問の近さを批判した86'. 1913年にトレルチはアメリカの雑誌の求めに応じて,. -ルマンの弟子の. 「『宗教史学派』の教義学」87'を書. いたoしかしこれは教養学の叙述でほなく,これまでのトレルチのキ1)スト教理解をまと めて,来るべき「教義学」,というよりむしろ信仰論の利点を略述したものである○ここで 興味深いのはむしろ,トレルチがそのような「教義学」に対してありうべき反論を列挙し ているところである。いわく,それは教義学ではない,学問的でない,共同体的でない,.
(16) 16. 小. 林. 謙. 一. 伝道に向かない,聖書主義的でない,キリスト教的でない。なかんずく第三の点が注目す べきで,トレルチほこれに,危機と転換の時代にあっては教会の自由化・流動化が必要だ, と答えるのであるが,後でこの信仰論の利点を主菜する部分になると,教会的要素ほ弱く なっている.また第五の点も注目に値する反論で,トレルチはこれ軒こ,近代の宗教的生自 体が聖書主義的ないしプロテスタント的でないのであり,聖書が唯一の道具ではなく,辛 リスト教の歴史も加えられるべき素材である,と答えるが,この点はトレルチのカトリッ ク的傾向を示しているoトレルチほ「このような信仰論ほまだ創られていない」と言う88'。 彼は後に回顧して, 「『教義学』を書く決心が私にほ,もっともなことだが,つかなかっ た」89)と暗示的に述懐しているoなおトレルチはそのような信仰論に今までで最も近いの はシュライエルマッ--のそれであると言う帥)。数多くの彼の権威のうち,シュライエル マッ-一に対する評価だけは終始変わらなかったように思われる。 以上のトレルチ第2期の思想をどのように評価すべきであろうか. まず宗教哲学の試みについてo. 『キ7)スト教の絶対性』でほ「宗教哲学」ほほとんど「歴 史哲学」と同義に使われている。その後には「宗教の歴史哲学」という言い方が多くなる。 次第に両者が明確に分けられるようになるのである。そしてこの時期に宗教哲学の可能性 を集中的に探ったのであるが,結局アポリアにぷつかったように思われる..シュライは 「宗教哲学が歴史哲学に移行するのはトレルチの意図に完全に沿っており,彼のアブ.)オ. リ概念のとらえ方にすでに,この移行の芽がひそんでいる」抑と指摘する。歴史哲学への 集中ほ避けられなかった。 次に社会学的視野の採用について.. M.シューラ-はトレルチが教義をもっぱら社会学 的に条件づけられたものと見ること,また経済的要因を甚だしく過大評価することを批判 し,. 「この大部の宗教社会学的労作の深い諦めの調子をもった終結部が,トレルチが後年. いよいよ哲学に,それも彼の素質と彼の研究の全過程とにふさわしく,まず第一に一般的 歴史哲学に向かった,という事情を促進したのかもしれない」と推謝する92'o筆者から見 ても,すでに述べたように,社会学的関心はトレルチの思想構造を本質的に変えるにはい たらなかったと思える。シュライは一般に多くの精神史家に共通する社会学への関心の原 因を説明している.つまり理念の発展の過程を社会的な要田がたえず阻害する。それゆえ 現実のいっそう忠実な像を措くために,彼らは社会学的要因を熟bに追求するのである98'。 またレッシソグは「トレルチにとって下部構造一上部構造という関係ほ,自然と精神の関 係の観念論的理解に等しい」94'として,トレルチの思考の基軸ほ終始観念論的であると主 菜している。. このようにトレルチは,宗教史,宗教哲学,宗教社会学の可能性を探って,そのどれに も確固たる学的基礎づけを見出せず,しかも彼の思想の前提からして教義学への道ほ閉ざ されていた以上,唯一つ残る可能性として歴史哲学に向かうはかなかったのである。.
(17) 17. トレルチの神学. 3.第3期一度史と終末論 トレルチは生涯の最後の10年近くを,戦争を機縁として文化哲学的発言を行い,政 治・行政に参画する多忙な活動の中で,歴史哲学の研究に集中し,著作集第3巻『歴史主 義とその諸問題』にまとめられる論文を次々と発表した。しかしここではまず1916/17年 に発表された「舌代教会」95)に簡単にふれておきたい。トレルチほ「預言者-福音の思想 世界の完結としての古代教会という見方」の「理念的根本特徴」として, 「現実的なるもの の純粋な事実性の思想」をとりあげる.形式法期としての思考によりとらえられる一般概 念でなく,存在の必然性,一般法則の必然性でなく,純粋に事実的な意志の至高性(Souver邑ni蛸.t),現実的なるものの純粋な措定としての自由,これが決定的なのであり,神概 念の中核をなす。この神の自由に対応して人間の自由とほ,単なる存在,単なる法則から 脱して,神の自由の運動に向かう信仰である.それゆえ出発点にして目標となるのは存在 でほなく,運動なのである96)o. このようなキ1)スト教のとらえ方ほ,エンゲルの解釈する. バルト神学にきわめて近い97)。しかしトレルチほこれを,古代教会を-プライイズムから. 解する「一面的な発展理論」の一つとして客観的に叙述しており,もう一つの, ムから解する立場との総合に古代教会の現実を見ているのであるo. -レニズ. もちろん給合とほいっ. ても,矛盾にみち,緊張をはらんだ総合で,統一的Systematikという意味ではなく,そ れゆえ未来を開くものである98).この論文は客観的な歴史学的研究であるが,トレルチの キ1)スト教観紅広げて考えることもできるであろうoすなわち純粋の神信仰と文化との complexio. oppositorumである。. 晩年の大著『歴史主義とその諸問題』 (1923)をくわしく論じることほ本稿の課題では ない。ここでは二つの点に簡単にふれておきたい。第一ほ本書の目標である「現在的文化 総合」に関するものである。. 「過去と現在の接触の中で,本来の最後の決定的基準が形成さ. れる。これは同時に未知の無限の未来へと駆り立てる未来形成である。それは,キルケゴ ールが・-主張したように,決断の飛躍であって,それによりわれわれほ自己の決断と責 任において,過去から未来に達するのであるo」99)文化総合はそのつどの個人の決断行為 に委ねられる「超論理的な統一」100)であり,トレルチはこの決定的な点でキルケゴールや. ベルク?ンに拠り・実存主義的な見解を主張するのである。 第二は,同じく「文化総合」に関して,最後のものとして「神思想」がとりあげられ, 「古代教会」での洞察がくり返されることである。これがこの事でキI)スト教軒こ直凄ふれ た唯一の箇所である。ここでトレルチは,. 「-ラクレイトスからイスラエルの預言者とキ. リスト教の,概念的にくみ尽くせない,創造的な,神の意志の生命」の立場を叙述するlO1〉。 神自身が動き,変化するのであって,これに応じて真理と理想も動き,変化するが,しか も究極の真理と統一は神の中で不変なのである。ここでも「絶対者はそもそも概念でほな い」として,歴史の「超論理学」が主張されるのである。. トレルチの死後出版された『歴史主義とその克服』 (1924)に収められた第2講演「世界.
(18) 18. 小. 林. 謙-. -. 宗教の中でのキリスト教の位置」10望'でトレルチは,. 『キリスト教の絶対性』での問題,戟 の仕事の「核であり出発点」であった,歴史主義と規範の確立の問題をふり返.,て,最後. に到達した地点から修正を加えている.ここで明らかなのほ,第一に「個体性」がきわめ て強調されてくることであるoこれは彼が『歴史主義とその諸問題』でも中心とした概念 で108', 1)ッカ丁トに拠るところが大きい104'oキリスト教に適用すると,キリスト教も社. 会免御キ制約されていることと,・キリスト教以外の宗教も真正の絶対性をもつこととが東 認される。ここから,キリスト教とヨーロッパとの結びつきが強調され,すなわちキリス. ト教の全人類的普遍性が放棄される。 「妥当性や最高妥当性という,常にいくらか合理主 義的な理念が著しく後退する.決定的なのは事実であり,運命の歩みである.」105,すなわ ち,..絶対性の問題に対する結論は1902年の時と本質的には変わらないが,そのニュアン 「宗教史」の立場の不可 スほ変化し,諸宗教の価値比較の不可能性がいっそう強調される。 能性が・歴史哲学的思索の深化を経て,明瞭になるのである。トレルチほその生涯で自由. 主義神学を歩み尽くして,すでに次の時代を予兆Lていると言えるのではなかろうか1。S,0 第二の点ほ,終末論的要素が強調されることである.トレルチほ,第一点の宗教の個体 性・相対性にもかかわらず,. 「本来の宗教性を自立した独特の」107)ものとして感C,. 「最後. の統一・客観的一絶対的なもの」を「未知の,未来の,おそらくほ彼岸的なもの」108,に期 待するoこの点でトレルチはいわば再び--ゲルの理念に立ち帰るが,しかし全く終末論 イヒされた形においてであり,学問の彼岸に宗教の統合を求めているのである。このような. 諸宗教の「相互理解」. 「出会い」109'-の待望は,もようどバルトの晩年を思わせるoなお. この講演においても,. 「教会」ではなく「宗教」に方向を定めている点に変わりはない。. 本書の刊行者フォン・ヒエーゲルは「序文」において第一に,トレルチが個人主義(個 体主義)を強調しすぎて,普遍的なものが失われてしまい,そのためまた宗教における r教会」の要素が不当に低く評価されている,と批判する.またヒエーゲルは第二軒こ,トレ ルチの主観主義を批判する。膚仰の行為という結論-いきなり飛躍している,とれはsal. tomortaleである,というのである。たしかにこの点にトレルチの人間ほた信仰)と学. 問との分裂が現われていると言える。 '4.結. 論. トレルチの30余年にわたる多面的な思索の結果をどのように見るべきであろうか。ド Vッシヰ-110'は,トレルチが結局最後にほ初期の解決に帰ったと見る.. 「歴史を歴史によ. って蒐服する」という『歴史主義とその諸問題』の結びの言葉にもかかわらず,トレルチ ほライブニッタ,マールプランシa.的なモナド論形而上学によって歴史主義を克服しよう としたのであり,形而上学思想と神秘主義思想との結合によって直接性を求める努力がト レルチに一貫している,と見るのである。シュライもライプニッツ的形而上学と--ゲル の論理主義,それにキルケゴール的「決断」をトレルチの最後の立場と見る111)。このよう. な評価はトレルチの歴史哲学に主限をおいて,そこから「形而上学への逃走」112'を指摘す. るP)であるoたしかにトレルチ自身も「私の著書」で,今後の研究に必要なものをま形而上.
(19) 19. トレルチの神学. 学であろうと述べているI13).しかし本稿はトレルチの神学-の関わりの観点からそ の内 的発展を概観しようとしたもので,そこからIT応の見通しを述べて結論tしたいと思うo パルトはトL,ルチを「散慮」.. (zerstreut)と評したことがあるoたしかにトレルチは多. くの学問分野に手を拡げたが,そこには一定の方向があるのであって‥神学から宗教哲学 へ,さら軒こ社会学と歴史哲学へと,いわば中心から周辺へと拡がっていったのである.辛 リスト教を出発点とし,そこから次第に離れていく方向とも見ることができるが,問題関 心は一貫している。それほキワスト教の自己理解であり,その歴史を探求し,そこから未 来に向かう新しいキ1)スト教の資を形成するということである。この実践的・倫理的な目 標のために,思索と研究の基礎を次々と拡げ,深めていったのである.その際トレルチは 時代の思想状況を敏感に反映し,ライプニッツ,カント,. --ゲル,シュライ-ルヤッ-. -,ディルタイ,ヴューバー,リッカート等々の思想と研究をキ1)スト教の理解と形成の ために援用したのである114). トレルチはゲーテ,フィヒテ,. C.F.マイヤー,メーテルリンクなどの莞しい句を引用. 「キリスト教の本質」 して論文に色彩を与えるが,特徴的なことに聖書を全く引用しない。 「イエスの歴史性」 『社会教説』 『信仰論』,どれでもそうである。このことに象徴的に示さ. れるように,トレルチほ終始キ.)スト教を一つの宗教として外側から見たのであらて,学 者として書く限り,内側から語ることは決してなかった。神の啓示について述べるときも, それをあらゆる宗教におけると同様,外側から述べるのであって,啓示を説明概念としな い.キ1)スト教の内側からという観点はトレルチでは決断と飛躍の主観主義とな1り,信仰 と確信の立場として扱われる。 「キリスト教」という語も客観的に外からその発展を見る 場合の,歴史学的に規定された概念である115)。トレルチはこの内と外,信仰と学問を総合 しようとしたo. しかも外側から,学問的に厳密な方法で総合しようとした。 Iレ′L:チ自身, 最初期にほ護数的な意図を直接にあらわにするが,リッチュル学派と論争する頃から,自 分の立場と方法が神学内部にないことを認めるようになる。. 「私の関心がはじめから,どち. らかというと一般文化批判的・宗教批判的で,特殊キ1)スト教神学的でないと患ラ人がい るかもしれないo」116)「私の任事は特殊神学的な- ・研究方法というものを承認しないo」117) 「学問上の大問題はいつも神学の外部で決せられてきたoJl18) ・. トレルチはこのような,野心的であると同時に諦念を内に秘めた企てを,歴史畠述の方 汰(宗教史),次いで宗教哲学,宗教社会学,歴史哲学によって追求し,それによってキリ スト教の歴史的・内容的理解を豊かにしたが,キリスト教の学問性と信仰の主観性との総. 合にはついに成功しなかったと思われる.そもそもそれはおよそ不可能な企七で奉った. ヒエーゲルの不満はこの点に関わり,また-ルマンが「トレルチには宗教と歴史的現象と の内的関連がない」と批判し,結局歴史にではなく「合理主義と神秘主義への頗向」にト. レルチの本質を見ている119'のも同様である.トレルチの試みは必然的に挫折し,凍の時代 に啓示を立脚点とする弁証法神学と宗教科学との並立をよびおこすことになる。トレルチ もその晩年, 「今日の,純粋に実践的な関心からなされ,宗教史と宗教学」に関心をもたな い神学にほ興味をもてないl皇0),と時代の転換に対して述懐している121)..
(20) 小. 20. 謙. 林. 一. しかしこれほトレルチの努力がむだであったということでは決してない。不可能な課題 に取り組み,近代思想とキリスト教との総合の試みを歩み尽くし,その不可能性を究めた ことがトレルチの功績であった。トレルチはいわば神学の戦場をきれいにした。時代の神 学の問題を明らかにし,次代の新しい歩みを備えたのである。トレルチにほ「アポ1)アへ の勇寛」があったのであり,「世紀の最上のものを一身に集中し,それを批判的に最後まで 導いた」l星空)のであるoティリブヒも同じことを述べている。 「トレルチが最後の最も力東 い努乱すなわち無制約的なものを湖約的なものの中に見出すという努力においても,蘇 局は失敗した,ということが彼の深い悲劇性である。いや,彼の世代の最上の人々の悲劇 性であったと言ってよかろう。しかしこの彼の闘いと,それが結局敗北したことが,われ われと未来とにとって,無限に重要なのであるoJ128) 注 トレルチの著作集4巻からの引用にほその巻数をローマ数字で,ページ数をアラビア数字で示すo 1) Ⅰ.170.くわしくは『アウダスティヌス,キリスト教的古代と中世』参照・ in der Neuzeit, Christentum 1906/1922, S・ 598・ und Kirche 2) Protestantisches 1981, 172貫・ 3) ⅠⅤ.570.拙訳トレルチ著作集第10巻,ヨルダン社, 4) ⅠⅠ.769-778. 5)トレルチほ若い頃の誇清で,キ1)スト教がギI)シア世界の自然との素朴な一体感を打破して二 268ff・ 元論をもちこんだことを指摘している・ ⅠⅠ・ 6) ⅠⅤ.3-18. 7) ⅠⅤ.9. 8)トレルチは1916年に,披削ま歴史的1)ア1)ズムと概念的理念の二重性があるが,これほ中途 ⅠⅤ・817・ 半端だ,という批判紅,二重性ほ現実の本質そのものの中匠あるのだ,と答えている・ Troeltsch, in: ZThK 57 I)rescher, DAB Problem der Geschichte bei Ernst (1960), 9) H. ・G. S.219.. 10) Vgl. E. Leasing, Die Geschichtsphilosophie ll) ⅠⅠ.227-327. 12) Drescller, aaO. 188 f. 20・ 13) ⅠⅠ.324. Ann. Ann. ll. 14) ⅠⅠ.227. 15)註13)に同t:. 16) ⅠⅠ.227. 17) ⅠⅠ.146-182. 18) ⅠⅠ.175. 19) ⅠⅠ.178f. 20) ⅠⅠ.182. 4. 21) ⅠⅠ.171. Ann. Ann. 2. lI. 146. 22) ⅠⅠ. 525-551. 23) der Religion, ZThK 24) Die Selbstandigkeit 218.. 25) 26) 27) 28). ZThK6,. S. 200.. Eゎd. Eゎd. 2()6 f. Ebd.. 97. ff.. Ernst. 5. Troeltschs,. (1895), S.. 361-436,. Hamburg,. 6. (1896), S・. 1965・. 7ト110,. 167-.
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