北欧文化圏に伝承される超自然的存在“トロル"像
の変遷―ノルウェーとアイスランドの民間説話を中
心に―
著者
粉川 光葉
学位授与機関
Tohoku University
URL
http://hdl.handle.net/10097/55447
1 北欧文化圏に伝承される超自然的存在“トロル”像の変遷 ―ノルウェーとアイスランドの民間説話を中心に― 国際地域文化論専攻 ( ヨーロッパ文化論講座 ) B0KM1002 粉川 光葉 伝承文芸は常に変化しながら生成しており、物語の語られている各時代あるいは各地域 の社会的、地理的、経済的、宗教的背景などの影響を受けながら 、それらの積み重なりに よって形成されてきたものである。これらの伝承文芸の性質 を考慮するなら、伝承文芸、 特に民間説話を研究することで、物語が育まれてきた地域の世界観 ・自然観を浮かび上が らせることができると考えられる。そのために本論文では、北欧文化圏に伝承される超自 然的存在の中でも、最も中心的な役割を担い続けてきた「トロル (troll) 」を定点とし、そ の変遷を検討していくことにする。まずノルウェーとアイスランドの民間説話を資料体と してトロル像の記述的分析をし、次いで、その変遷を両国における宗教、社会制度、自然 観といった観点から明らかにすることを目的とする。 「北欧諸国」 ( 本論文ではノルウェー、アイスランド、デンマーク、スウェーデンの 4 カ 国 を 「 北 欧 諸 国 」 と 総 称 する ) には、「トロル」という名を持つ超自然的存在が登場す る昔話、伝説などが多く残されているが、その詳細は起源や語源も含め、明らかにされて いない。本来「トロル」という語は、北欧神話 ( 『古エッダ』 ca.800-1300, 『新エッダ』 ca.1220-40 ) において、一般的に巨人族の名称の一つとして用いられていた。しかし、現在 のトロル像は、巨人、小人、妖精など様々な姿かたち・属性を有しており、必ずしも一つ のイメージに還元されず、北欧諸国間でもトロル像の差異がみられ、その統一的な全体像 を捉えることは容易ではない。 曖昧な点が多くみられるトロルだが、北欧諸国の法典 (ca. 800-1300 ) の中にも「トロル」 という名が見られ、他方では、雪崩を引き起こす原因としても考えられており、アニミズ ム的な側面も持っている。このように、トロルは、北欧神話の登場人物としての「トロ ル」という狭義の地位にとどまらず、北欧の世界観を構成する主要な要素の一つとして、 時間・空間を超えて北欧各地域の伝承文芸に遍在している。したがって、トロル像の変遷 を検討することは、北欧の世界観・自然観とその変化を考察する重要な手掛かりの一つと なりえるだろう。
2 トロルの伝承範囲は、北欧諸国と、そこにスウェーデン = フィンランド、オークニー 諸島、シェトランド諸島を加えた「北欧文化圏」である。その北欧文化圏の中でも、歴史 的観点から、ノルウェー、アイスランドの 2 カ国は古来から共通のトロル像を持っていた と判断でき、比較を行う前提条件が揃えられる。したがって、本論文では、その中でも歴 史的に密接な関係を有し、北欧文化圏の古来の人々が有していた世界観の共通性の度合い が高いと考えられるノルウェーとアイスランドの 2 カ国に研究対象地域を限定する。 先行研究として、北欧神話の時代から民間説話に至るノルウェーのトロル像変遷の問題 を扱ったヴィルジニー・アミリアン Virginie Amilien の研究 (1996) を主として参照するが、 アミリアンが研究対象から除外した魔法昔話に分類される物語以外のものも分析対象にい れると同時に、先行研究で扱われてこなかったアイスランドを研究対象地域に 加える。 本論文では、19世紀に収集されたノルウェーとアイスランドの民間説話、即ち昔話と伝 説を研究対象として、トロル像の変遷を両国の民間説話に基づいて跡付けていく。その記 述的研究の後、トロル像の通時的変遷の様態と、ノルウェー、アイスランドの宗教的背景、 社会制度、自然観などとの関連が見出されるのかどうかを検討して いく。 本論文は 2 章構成であり、第 1 章は 4 節、第 2 章は 3 節からなる。 < 第 1 章 民間説話にあらわれるトロル像 > では、ノルウェー、アイスランド民間説 話において、トロルがどのように描かれているのかを記述的分析に基づき検討する。 第 1 節「民間説話におけるトロル像の同定とその分析方法」では、民間説話におけるトロル像 の同定とその分析方法を定める。本論文では、民間説話に登場するトロルを研究対象とし ているため、「トロル」であるとする判断基準を統一し、明確にする必要がある。そのた め、この節では、はじめに民間説話に登場する超自然的存在を「トロル」とみなす 判断基 準を設定する。また、それらの基準で選別した物語に現れるトロル像を、 ( a) 名称と外形、 (b) 出現の仕方、 (c) 住居、の 3 つの観点から分析を行う。さらに、これら 3 項目に加え、 トロル像をみるさいに重要となる、トロルの「性別 」、 「主人公との関係 ( 属性 ) 」、 「死に方・追い払われ方」にも注目し、分析・分類を行う。 以上の分析方法を用い、第 2 節「ノルウェー民間説話におけるトロル像の特性とその分 類 」、 第 3 節「アイスランド民間説話におけるトロル像の特性とその分類 」にてノルウェ ー、アイスランド民間説話に登場するトロル像の特性とその分類を それぞれの節で行う。 各節では、まず物語内で、語り手によって付与されるトロルの呼称 ( 「トロル」という固 有名称以外 ) に注目する。ノルウェー、アイスランド民間説話におけるトロルへの呼称の
3 付与は、どちらの民間説話にみられる現象であるが、その呼称の付与が如何なる 要因に由 来するのかを確認する。次いで、第 1 節で設定したトロルと「主人公との関係 ( 属性 ) 」 に焦点を当て、トロルの属性を「敵対者」と「助力者」の 2 つに大別し、それぞれのトロ ルが物語のなかでどのように描写されているのかに留意しながら分析を行 っていくことに する。この分析によって、ノルウェー、アイスランド民間説話のそれぞれにみられるトロ ル像の差異を明確化する。また、第 4 節「ノルウェー、アイスランド民間説話でのトロル 像の進展」では、アウルマン・ヤーコブスソン Ármann Jakobsson が論文 (2004) に お い て 提 示 し て い る 、 ア イ ス ラ ン ド の12,13世紀以降に独特の発達を見た散文物語であるサ ガおけ る「トロル」という語の13の使用法を参照し、民間説話におけるトロル像の変貌を確認す る。トロルを含めた超自然的存在は、神話やサガといった古ノルド語のテクストの本質的 要素を担っている。したがって、神話やサガにおけるトロル像と民間説話におけるトロル 像を比較し、共通点と差異を見いだすことで、古来より伝わるトロル像の様相がより明確 になると推測できる。その作業仮説にたち、この節では、このアウルマンが分類した「ト ロル」という語の13の使用法を参照し、それに基づき、第 2 節、第 3 節でみたノルウェー、 アイスランド民間説話に登場するトロル像の展望を行う。 以上のトロル像の記述的分析に基づき、 < 第 2 章 ノルウェー、アイスランド民間説話 にみられる世界観―宗教・社会制度・自然― > では、ノルウェー、アイスランド民間説話 におけるトロル像の変遷を検討していく。多くの研究者はノルウェー、アイスランド双方 の民間説話に登場するトロルに古来の信仰の内包を指摘する。とはいえ、それらトロルに 残存する古来の信仰とは、ノルウェーとアイスランドに共通のものであるか否か、それが 両国のトロル像にどのように現れているかについて詳細な議論はなされていない。その点 を明確にすることで、ノルウェーとアイスランドにおいて展開してきたそれぞれの世界観 の重要な諸側面を把握することができると考えられる。そこで、第 1 節「ノルウェー、ア イスランドの宗教的背景とトロル像変遷の関係 」では、民間説話におけるトロル像の描写 を通じて、ノルウェー、アイスランド両国の世界観を展望するために、はじめに、両国に おけるキリスト教への改宗の過程を確認し、民間説話において、古来から伝えられている トロルと、後から流入してきたキリスト教信仰との間にどのような関係が見られるのかを 検討する。宗教的背景から、一方でトロルと他の超自然的存在との混同を跡づけ、他方で トロル像における古来の信仰とキリスト教の要素の併存を明らかにする。次いで、第 2 節 「ノルウェー、アイスランドの社会制度とトロル像変遷の関係」では、第 1 章の記述的分
4 析より明らかにした、アイスランド民間説話における人間とトロルとの境界線の問題に注 目し、“追放制度” skoggang という社会制度の観点から考察を行う。追放者が人間ならざ るものとなり、人間の住んでいない場所、主として洞窟に向かっていくという空想的およ び社会的事象と、トロル像形成との関係性について論じていく。最後に、第 3 節「ノルウ ェー、アイスランド民間説話に見られる世界観-自然が形作るトロル像- 」では、この章 の第 1 節、第 2 節で行う分析を基に、ノルウェー、アイスランド民間説話におけるトロル 像に、両国の民衆が培うことになる各々の自然観がどのように作用し、変遷に関わってく るのかを検討する。この節では、北欧諸国で展開されていた、世界を「内側」 Ásgarðr / Miðgarðr 「外側」 Útgarðr の二つの部分に分ける世界観に注目し、ノルウェー、アイスラン ド民間説話においても、その北欧に共通する世界観がどのように反映されているのかを、 トロルの住処に注目しながら検討していく。 本論文では、以上の分析方法で、トロル像の変遷を明らかにしていくことで、次のこと を示すことができたと考える。 まずノルウェー、アイスランド民間説話の双方に登場するトロル像は、ノルウェーでは 民衆の純粋に想像力に基づく進展の側面が大きいのに対し、アイスランドでは ごく日常的 な経験的な事象に基づいて形成されている側面が大きいと言えるだろう。 ノルウェーとア イスランドにおいては古来の信仰からキリスト教への改宗の過程は非常に異なり、 土着的 な形でキリスト教および教会を発展させていくことになったアイスランドは、改宗が宣言 された後も古来の信仰に基づく慣行が法によって約束された。他方、王による圧制が行わ れ、新たな信仰への急激で強制的な転換を求められたノルウェーではキリスト教という宗 教の下では維持しえなかった古来の慣行が持続され、それらの事象に起因する特徴がトロ ル像の中に取り込まれていったと考えられる。したがって、ノルウェー民間説話のトロル 像からは払拭されてしまった、古来の信仰にみられる“伝統的”な特徴がアイスランド民 間説話のトロル像には保持されている。しかしその一方で、もともと無人島であったアイ スランドは植民 ( ca. 870-930 ) によって成立した共同体であり、植民をした人々が自ら切り 開いていった場所である。そのため、北欧諸国で展開されていた「内側」 / 「外側」の世 界観は維持されにくく、ノルウェーではキリスト教への改宗が行われた後 でさえも存在し えた「内側」 / 「外側」の地理的・精神的概念も、アイスランド民間説話においては不明 瞭になってしまったこと、またそれに伴い人間とトロルの区別に曖昧性が見られるように なったことが結論付けられる。
平成
24 年度 ( 2012 年) 修士論文
北欧文化圏に伝承される超自然的存在“トロル”像の変遷
―ノルウェーとアイスランドの民間説話を中心に―
国際文化研究科
国際地域文化論専攻
(ヨーロッパ文化論講座)
B0KM1002 粉川 光葉
目次
序論 ... 1
第 1 節 研究の目的 ...1 第 2 節 用語の定義と先行研究 ...3 第 3 節 諸前提:研究対象とする地域・資料・時代 ...9第 1 章 民間説話にあらわれるトロル像 ... 19
第 1 節 民間説話におけるトロル像の同定とその分析方法 ...19 第 2 節 ノルウェー民間説話におけるトロル像の特性とその分類 ...21 第 3 節 アイスランド民間説話におけるトロル像の特性とその分類 ...36 第 4 節 ノルウェー、アイスランド民間説話でのトロル像の進展 ...52 小括 ...63第 2 章 ノルウェー、アイスランド民間説話にみられる世界観
― 宗教・社会制度・自然 ― ... 66
第 1 節 ノルウェー、アイスランドの宗教的背景とトロル像変遷の関係 ...66 第 2 節 ノルウェー、アイスランドの社会制度とトロル像変遷の関係 ...77 第 3 節 ノルウェー、アイスランド民間説話に見られる世界観 -自然が形作るトロル像- ...83 小括 ...91結論 ... 94
書誌 ...97 補遺 ...105 資料 1 (ノルウェー) ...107 AM 107-152, FN 153-161, SL 162-168, SS 169-170. 資料 2 (アイスランド) ...171 J 171-201, TH 202-205, F 206-209, MI 210-212.1
序 論
第 1 節 研究の目的 伝承文芸は、古くから現在まで神話、昔話、伝説、民謡など様々な形で伝えられている。 伝承文芸の多くは、今でこそ文字化され、一つの読み物として親しまれているが、実際は、 身分の違いに関係なく人間の生活に密着し、人々が口から口へ語り継いできた生きた文学 である1 。それゆえ、伝承文芸は常に変化に富んでおり、物語の語られている各時代ある いは各地域の社会的、地理的、経済的、宗教的背景などの影響を受けながら積み重なりに よって形成されてきたものである。こうした伝承文芸の性質から、伝承文芸、特に民間説 話を研究することで、物語が育まれてきた地域の世界観を浮かび上がらせることができる と考えられる。そこで本論文では、北欧文化圏2 の世界観を展望するため、北欧文化圏で 伝承されており、民間説話に遍在している超自然的存在である「トロル」を研究対象とし、 トロル像が変遷してきた要因を考察する。また、その変遷を、歴史的に密接に関係しあっ ているノルウェーとアイスランドの民間説話を通じて観察する。 「北欧諸国3 」には、「トロル (troll 4 ) 」という名を持つ超自然的存在が登場する昔 話、伝説などが多く残されているが、その詳細は起源や語源も含め、明らかにされていな い5 。本来「トロル」という語は、北欧神話において、一般的に巨人族の名称の一つとし 1 一 方 で 、 伝 承 文 芸 は 口 承 と 書 承 を 厳 密 に 区 別 す る こ と は 不 可 能 で あ る 。 な ぜ な ら 、 互 い は 密 接 に 絡 み 合 っ て お り 、 書 か ら 派 生 し 口 で 語 ら れ 始 め た 物 語 も あ れ ば 、 他 方 で 、 口 で 語 ら れ て い た 物 語 が 文 字 と し て 書 き 下 ろ さ れ 読 み 継 が れ る な ど お 互 い に 影 響 し 合 っ て い る か ら で あ る 。 ス テ ィ ス ・ ト ン プ ソ ン Stith Thompson に よ れ ば 、 口 承 と 書 承 は そ の 機 能 す る と こ ろ は 相 異 な る が 、 筋 立 て の 独 創 性 、 及 び 作 者 あ る い は 語 り 手 で あ る こ と の 栄 光 を 全 く 顧 み な い と い う 点 に お い て 共 通 し て お り 、 双 方 が 密 接 に 関 係 し て い る 事 実 を 了 解 し て い る な ら ば 、 区 別 す る こ と は 必 要 な い と し て い る( Cf. Stith Thompson, The Folktale [1946], University ofCalifornia Press, 1977 (Reprinted), pp. 3-10) 。
2 「 北 欧 文 化 圏 」 お よ び 「 北 欧 諸 国 」 の 詳 し い 地 域 設 定 に つ い て は 、 序 論 第 3 節 を 参 照 。 3 こ こ で は 、 ノ ル ウ ェ ー 、 ア イ ス ラ ン ド 、 ス ウ ェ ー デ ン 、 デ ン マ ー ク の 4 か 国 を 指 す 。
( 脚 注 2 を 参 照 )
4 原 語 で あ る 古 ノ ル ド 語 で は troll / trǫll だ が 、 ノ ル ウ ェ ー 語 (bokmål) ・ 新 ノ ル ウ ェ ー 語
(nynorsk): troll 、 ラ ッ プ ラ ン ド 語 : triölla 、 ア イ ス ラ ン ド 語 : tröll 、 古 ア イ ス ラ ン ド 語 : trøll 、 ス ウ ェ ー デ ン 語 : troll 、 古 ス ウ ェ ー デ ン 語 : trull 、 デ ン マ ー ク 語 : trold 、 オ ー ク ニ ー 諸 島 : trow 、 シ ェ ト ラ ン ド 諸 島 : troll と そ れ ぞ れ 表 記 さ れ て い る ( Cf. Jan De Vries,
Altnordisches Etymologisches Wörterbuch [1957-60], E. J. Brill, Leiden, Netherlands, 1977, s. 598-599 ) 。
5 ト ロ ル の 原 義 は 、 「 太 っ た 男 」 と す る 説 が あ る 一 方 で 、 他 方 で 「 廻 転 す る 」 と い う が
2 て用いられていた6 。しかし、現在のトロル像は、巨人、小人、妖精など様々な姿 かた ち・属性を有しており、必ずしも一つのイメージに還元されえない7 。さらに、北欧諸国 間でもトロル像の差異がみられ、その統一的な全体像を捉えることは 容易ではない。この 歴史的・宗教的背景に由来すると考えられるトロル像の地域差は、それに加え、トロルの 住処や登場する場所は、各国の地理的条件と密接に関係しているだろう。 曖昧な点が多くみられるトロルだが、13世紀のノルウェーの法典の中には、ラップラン ドに住む少数民族であるサーミの女性を女トロルとみなしていたことを明示しているもの が存在している8 。また、他方でトロルは、雪崩を引き起こす原因としても考えられてお り、アニミズム的な側面も持っている。このように、トロルは、北欧神話の登場人物とし ての「トロル」という狭義の地位にとどまらず、北欧の世界観を構成する主要な要素の一 つとして、時間・空間を超えて北欧各地域の伝承文芸に遍在している。したがって、トロ ル像の変遷を検討することは、北欧の世界観とその変化を考察する重要な手掛かりの一つ となりえるだろう。 以上の推測に基づき、本論文では、トロル像の変遷を、ノルウェーとアイスランドの民 間説話を資料体とすることで跡付けていき、次いで、そのトロル像の変遷がいかに両国に おける宗教的背景、社会制度、自然観と関連しているのかについて 明らかにし、世界観を 展望することを目的とする。確かに、民間説話に登場する超自然的存在のトロル像に着目 することで、それらトロル像の変遷に関係する要素を導き出せるのかという反論が出る可 能性がある。しかしながら、超自然的存在であるトロルのイメージは、他の物語、そして 歴史的、地理的、経済的、社会的なさまざまな変化に影響されて、大幅に進展した もので ス ・ ド イ ツ ・ 北 欧 諸 国 の 妖 怪 ・ 精 霊 ・ 魔 神 」、 『 四 次 元 の 幻 境 に キ ミ を 誘 う 妖 怪 魔 神 精 霊 の 世 界 』、 自 由 国 民 社 、 1979 年 、 176-177頁 参 照 ) 。 6 北 欧 神 話 に お い て 、 巨 人 族 は 「 ヨ ゥ ト ゥ ン (jötunn) 」、 「 ス ル ス (þurs) 」、 「 ト ロ ル 」 な ど の 呼 称 を 持 っ て い る 。 「 ヨ ゥ ト ゥ ン 」 の 語 源 は 、 グ リ ム の 古 典 的 解 釈 に よ れ ば 、 ア ン グ ロ サ ク ソ ン 語 の 「 eoton 」 あ る い は 「 eten 」 で あ り 、 「 食 べ る 」 と い う 動 詞 を 意 味 す る 古 ノ ル ド 語 の 「 eta 」 に 見 る こ と が で き 、 「 大 食 漢 」 と い う 意 で あ る 。 ま た 他 方 で 、 「 ス ル ス 」 は 「 飢 え 乾 い た 」 と 「 酩 酊 し た 」 と い う 意 で あ る 。 さ ら に 、 こ の 二 者 の 根 源 的 意 味 を カ ニ バ リ ズ ム と 指 摘 す る 研 究 者 も い る 。 し か し な が ら 、 ヤ ン ・ デ ・ フ リ ー ス は 、 彼 ら が 持 つ 大 食 漢 お よ び カ ニ バ リ ズ ム 的 な 特 性 は 後 付 さ れ た も の で あ る と 反 論 し て い る 。 そ れ に 加 え て 、 デ ・ フ リ ー ス は 「 ヨ ゥ ト ゥ ン 」 は 原 存 在 者 と し て の 巨 人 族 で あ り 、 「 ス ル ス 」 と 「 ト ロ ル 」 は 特 別 悪 魔 的 存 在 と し て の 巨 人 族 で あ る と 三 者 を 区 別 し て い る ( 尾 崎 和 彦 、 『 北 欧 神 話 ・ 宇 宙 論 の 基 礎 構 造― 『 巫 女 の 予 言 』 の 秘 文 を 解 く 』、 明 治 大 学 人 文 科 学 研 究 所 叢 書 、 白 凰 社 、 1994 年 、 512-513頁 参 照 ) 。
7 Virginie Amilien, Le Troll et autres créatures surnaturelles, Berg International Éditeurs, 1996, pp.18-19. 8 Cf. John Mckinnell, Meeting the other in Norse myth and legend, D. S. Brewer, Cambridge, 2005, p. 45 ( ジ
ョ ン ・ マ ッ キ ネ ル 、 「 原 典 資 料 」、 伊 藤 盡 訳 ( 山 本 充 編 、 『 ユ リ イ カ 』 10 月 号 第 39 巻 第 12 号 ( 通 巻 541 号 )、 青 土 社 、 2007 年 所 収 ) 、 115 頁 参 照 ).
3 あるため9 、トロルが保持するいくつかの性格の層を分析することで変遷の要因を遡るこ とは可能であると考えられる。加えて、ノルウェーとアイスランドの民間説話の内容それ 自体を分析するのではなく、民間説話に登場する超自然的存在に着目する妥当性として、 先に述べたようにその遍在性があげられる。ヨーロッパの北に位置するノルウェーとアイ スランドは、他のヨーロッパ諸国に比べて物語の輸入および輸出の頻度は 比較的低いこと は確かであるが、少なからず他国 ( 地域 ) の物語の影響を受けている。そのため、ノルウ ェーとアイスランドで採集された話の中にも、他国で採集された話と酷似するもの、即ち 「類話」が存在する。しかし、伝播してきた多くの物語の影響を受けながらも、あるいは それぞれの国で伝承される物語が相互に影響を与えながらも、ノルウェーとアイスランド において「トロル」という存在は、新たなイメージを蓄積しつつも現在まで保存され得た。 つまり、語り継がれてきた背景にある世界観が、トロルの持つイメージそれ自体の上に幾 層にも積み重ねられていると考えられる。よって本論文では、北欧文化圏の中でも、密接 な歴史的関係を持ち、さらに分析する際の前提条件10 を揃えることができるノルウェーと アイスランドを研究対象とし、超自然的存在トロル像をノルウェーとアイスランドの民間 説話双方から観ることで、トロル像が変遷した要因を探っていく 。 第 2 節 用語の定義と先行研究 1. 用語の定義 本論文では、ノルウェーとアイスランドの民間説話を通してトロル像の変遷を見ていく ため、その際に使用するいくつかの用語の定義をここで行う11 。
はじめに「民間説話 folktale12 」とは口承 oral tradition で語り継がれてきた物語、つまり口
9 Cf. Amilien1996, p. 264. 10 序 論 第 3 節 1. を 参 照 。 11 用 語 の 定 義 に つ い て は 、 Thompson1946, pp. 7-10 、 稲 田 浩 二 編 代 、 『 日 本 昔 話 事 典 』、 弘 文 堂 、 1972 年 、 稲 田 浩 二 編 代 、 『 世 界 昔 話 ハ ン ド ブ ッ ク 』、 三 省 堂 、 2004 年 、 290-294頁 を 主 と し て 参 照 し た 。 ま た サ ガ に つ い て は 、 谷 口 幸 男 、 『 エ ッ ダ と サ ガ - 北 欧 古 典 へ の 案 内 - 』、 新 潮 選 書 、 1976 年 を 参 照 し た 。
12 現 代 ノ ル ウ ェ ー 語 : folkeventyr ( し ば し ば eventyr) 、 現 代 ア イ ス ラ ン ド 語 : þjóðsaga / ævintýr
に 相 当 す る 。 し か し な が ら 、 英 語 folktale あ る い は fairy tale に 相 当 す る 言 葉 は 、 ノ ル ウ ェ ー 語 、 ア イ ス ラ ン ド 語 も 含 む 他 の 言 語 ( 例 : ド イ ツ 語 Märchen 、 フ ラ ン ス 語 conte populaire 、
4 承文芸 oral literature の 1 部門である13 。この語は、民間において長年にわたって口承、書 承で伝承されたあらゆる形式の散文体のことを指し、特に “ 話の伝承性 ” が重視される。 そのため、口承文芸の一部門である民間説話には、昔話、伝説 legend 、世間話 gossip など が分類される。 「昔話」の英訳として、しばしば folktale が用いられるが、 folktale は「昔話」が意味する 範囲よりも広く、完全には一致しない。昔話は、主に口承を基本的な伝承の様式と して持 ち14 、一定の型を備えた散文の物語であり、発端句や結末句を用いるなど、話の様式性や 架空のもの、不思議な出来事を物語るなどの虚構性15 を重視する特徴を有する。次に、伝 説について定義する。「伝説」は、昔話と同様に民間で伝承されてきた散文形式の物語と いう点で共通するが、伝説は虚構性を排除し、具体的な ( 歴史的 ) 事物に直接結びついて、 真実と信じられてきた言い伝えである。そのため、伝説は特定の時代、人物、地域と結合 しており、昔話の一般的、不確定な時代、人物、地域を擁する性格とは異なる。しかしな がら、伝説は語り継がれる間に誇張され、虚構性を含有することもあるため、昔話と伝説 を厳密に区別することは困難である16 。そのため、本論文では「昔話」と「伝説」を指す 語として「民間説話」を使用する。 他方で、天地の創造、生命や人類、民俗の起源などを説明する話や、神々の活躍する話 の総称17 として用いられる「神話 myth /mythology18 」は、韻文 ( 詩 ) 形式と散文形式、ま ス ウ ェ ー デ ン 語 saga 、 ロ シ ア 語 skazka な ど ) に も 存 在 す る が 、 全 て 漠 然 と し た 意 味 で 使 用 さ れ て お り 、 状 況 に 応 じ て 示 す 意 味 が 異 な る (Cf. Thompson1946, pp.21-23) 。 13 他 に も 、 例 え ば 、 民 謡 、 こ と わ ざ 、 な ぞ な ぞ も 口 承 文 芸 に 分 類 さ れ る 部 門 で あ る 。 14 脚 注 1 で 述 べ た よ う に 、 口 承 と 書 承 の 区 別 は 困 難 で あ る た め 、 日 本 語 の 「 昔 話 」 と い う 学 術 語 と し て 定 義 を あ る 程 度 確 立 さ せ た 柳 田 国 男 に よ れ ば 、 口 承 が 基 本 的 な 様 式 を 持 つ と い う 説 明 に 次 の よ う な 補 足 を し て い る 。 昔 話 は 、 た と え 、 話 が 文 献 記 録 に 発 し 、 ま た は そ れ を 経 由 し て 伝 承 さ れ た も の で あ っ て も 、 文 芸 と し て は 口 承 に よ っ て 最 終 的 に 成 立 し て い る も の を 指 す ( 「 昔 話 」、 稲 田 浩 二 執 筆 、 稲 田 1972 、 917-918頁 参 照 ) 。
15 虚 構 性 を 含 む 物 語 の 場 合 は 、 folktale で は な く wonder tale あ る い は fairy tale と い う 語 が
用 い ら れ る 。 16 例 え ば 、 ノ ル ウ ェ ー の 民 間 説 話 の 中 に 、 実 際 に 存 在 し て い た 人 物 、 出 来 事 、 地 域 が 舞 台 と な り 、 物 語 の 途 中 に 虚 構 性 を も つ “ 挿 話 ( 小 話 )” が 見 ら れ る 場 合 が あ る ( 例 と し て 、 資 料 1: Asbjørnsen og Moe 36, 65 番 参 照 ) 。 即 ち 、 物 語 の 中 に 伝 説 と 昔 話 の 両 性 格 を 含 有 し て い る 。 17 神 話 の 定 義 は 大 き く 分 け て 広 義 の も の と 狭 義 の も の の 二 つ あ る 。 広 義 の 意 は 、 宇 宙 ・ 自 然 ・ 人 事 な ど の 起 源 ・ 由 来 を 、 超 自 然 的 霊 格 に よ る も の と 説 明 し た 信 仰 的 な 物 語 で あ り 、 ま た 口 承 が 原 則 で あ る が 、 半 ば 信 仰 性 を 失 い 、 半 ば 文 芸 化 し た 記 録 も 含 め る 、 と い う も の で あ る 。 他 方 、 狭 義 の 意 は 、 超 自 然 的 霊 格 が 主 役 と な り 、 そ の 原 古 に お け る 神 聖 な 行 為 と と も に 、 そ の 行 為 に よ っ て 現 在 の 存 在 や 秩 序 が 始 ま っ た こ と が 語 ら れ る 物 語 で あ り 、 口 承 の 物 語 で あ る が 、 し ば し ば 儀 礼 を 伴 う 、 と い う も の で あ る 。 本 論 文 で は 、 ど ち ら の 定 義 の
5 た文字に記録されて伝えられた書承と、文字によらない口承のものに大別される。従って、 民間において口承で伝えられてきた散文形式をとる神話は、昔話として認められるものも 存在する。しかしながら、散文形式をとり、書承・口承を厳密に区別できない「口承文 芸」と異なるため、口承文芸に分類され得ない。これらの事情から、本論文では、民間説 話を主として扱うが、トロルが神話においても、昔話および伝説においても存在するとい う事実を鑑み、「口承文芸」という語ではなく、神話、昔話、伝説を全て包括する「伝承 文芸」という語を使用する。 最後に、アイスランド19 の「サガ saga 」という語であるが、サガは厳密な意味での歴史 的な記録ではなく、書き手の創意からなる虚構性が含まれており 、歴史的な作品として捉 えられ20 、12,13世紀以降に独特の発達を見た散文物語である。サガは大きく「宗教的学 問的サガ」「王のサガ」「アイスランド人のサガ」「伝説的サガ」の四つに分類される。 ノルウェーとアイスランドの多くの民間説話とは異なり、早い時期に文字にされたが、サ ガの中には物語が文字化される前の歴史的出来事について語っているものもあり、さらに サガの内容を含む民間説話がみられ、伝承性が含まれているという理由から、本論文では、 サガも「伝承文芸」の中に含め、資料体として使用する。 2. 先行研究 北欧文学、とりわけ北欧神話が研究の対象として扱われ始めたのは、18世紀頃からであ る。その時代において、特に重要な研究者として、ドイツのメルヒェン研究者としても知 られる、グリム兄弟-ヤーコプ・グリム Jacob Grimm (1785-1863)、ヴィルヘルム・グリム Wilhelm Grimm (1786-1859) が挙げられる。 グリム兄弟の間には、研究方向には相違がみられたが、彼らは共にゲルマン民族の 原郷 立 場 を と る の か は 直 接 論 に 関 係 し な い た め 、 両 定 義 を ま た ぐ 「 天 地 の 創 造 、 生 命 や 人 類 、 民 族 の 起 源 な ど を 説 明 す る 話 や 、 神 々 の 活 躍 す る 話 の 総 称 」 と し た ( 「 神 話 」、 松 前 健 執 筆 、 稲 田 1972 、 475-477頁 参 照 ) 。 18
現 代 ノ ル ウ ェ ー 語 :myte / mytologi 、 現 代 ア イ ス ラ ン ド 語 :goðsögn / goðsagnir.
19 サ ガ 文 学 は ア イ ス ラ ン ド で 花 開 い た が 、 そ の 内 容 は ノ ル ウ ェ ー を は じ め 、 そ の 他 ス ウ
ェ ー デ ン や デ ン マ ー ク な ど 、 舞 台 は ア イ ス ラ ン ド に 留 ま ら な い 。
20 サ ガ の 中 に は 、 歴 史 History か 作 品 fiction か ど う か に つ い て 議 論 さ れ て い る も の が 存 在
す る (Cf. Ármann Jakobsson, ‘History of the trolls? Bárðar saga as an historical narrative’, Saga-book, 25/1, The Viking society for northern research, 1998, pp.53-60) 。
6 を探るべく北欧文学の研究を行っていた21 。彼らはトロルという存在について、研究のな かで大きく取り上げていないが、ヤーコプは『ドイツ神話』 Deutsche Mythologie (1835 年 )22 の第14章「巨人 riesen 」に、「トロル Tröll 」という項目を設け、「トロル」という 語が持つ意味について簡単に述べている。その項においてヤーコプは、「トロル」という 語は、確かに頻繁に巨人として用いられるが、それは一般的な表現法であって、「トロ ル」という語は妖精、魔法使いの性質を有しており、また怪物に相当する、と述べている 23 。ヤーコプによるこの説明は、現在用いられているトロルの 概要と大差ないものとなっ ている24 。例として、日本における北欧文学、特に神話、昔話 研究の代表者の一人である 山室静は、「トロル」を次のように説明している。 「トロルは巨人の一種で、しかも巨人 よりも醜怪な姿に想像されている。しかし、キリスト教が支配的になって以来、巨人がめ っきり矮小化され、図体は大きくとも子どもに容易にだまされる愚か者となったように、 トロルも矮小化されて小人に近いものとなり、巨人、トロル、小人、妖精などが、しばし ば混同される 。」25 この山室の説明は 1979 年のものであるが、 1835 年にヤーコプによって された説明から大きく変化していない26 。 またアウルマン・ヤーコブスソン Ármann Jakobsson が14世紀において人間とトロルとの 境界線は決して明確なものではなかったと論文 (1998)27 の中で指摘している。また、他の 論文28 において、アウルマンはサガにおける “ トロル ” という語の使用法を分析し、分類 21 ヤ ー コ プ は 言 葉 の 研 究 と 並 行 し 、 神 話 、 古 代 文 学 、 民 俗 な ど の 史 的 研 究 を 専 門 と し 、 ヴ ィ ル ヘ ル ム は 文 学 、 と く に 中 世 文 学 と 民 衆 文 学 の 研 究 を 中 心 と し て い た ( 谷 口 幸 男 、 「 ヴ ィ ル ヘ ル ム ・ グ リ ム の 北 欧 研 究 に つ い て 」、 『 広 島 大 学 文 学 部 紀 要 』 第 45 巻 、 1986 年 、 351 頁 参 照 ) 。
22 Jacob Grimm, Deutsche Mythologie [1835], Keip Verlag frankfurt / Main, 1985. 23 Cf. Grimm1985, s. 302.
24 他 方 で 、 神 話 に お け る 図 肖 論 、 記 号 論 を 専 門 に し て い る ド イ ツ の マ ン フ レ ッ ド ・ ル ー
カ ー Manfred Lurker (1928-1990) の 『 神 々 と 悪 魔 ( 魔 ) の 事 典 』 Lexikon der Götter und Dämonen (1984 年 ) に よ れ ば 、 ( 古 来 北 欧 の “ 怪 物 ”Unhold で あ る ) ト ロ ル は 、 ス カ ン デ ィ ナ ビ ア の 民 間 信 仰 に お い て 、 男 あ る い は 女 悪 魔 Dämon で 、 ま た 巨 人 化 、 小 人 化 し 得 る 、 さ ら に 彼 ら の 魔 術 的 な 力 は 夜 に の み 発 揮 さ れ る た め 、 昼 間 を 恐 れ て い る 存 在 で あ る と し て い る (Cf.
Manfred Lurker, Lexikon der Götter und Dämonen : Namen, Funktionen, Symbole / Attribute, Alfred Kröner Verlag, Stuttgart, 1984, S. 321) 。
25 山 室 1979 年 、 163-212頁 参 照 。 26
ヤ ー コ プ の こ の 記 述 を 引 用 し て 、 ハ ル 大 学 University of Hull の マ ー テ ィ ン ・ ア ー ノ ル ド Martin Arnold が ‘Hvat er troll nema þat? : The Cultural History of the Troll’ と い う 論 文 を 出 し て い る (Tom Shippey, The Shadow-Walkers: JACOB GRIMM’S MYTHOLOGY Of THE MONSTROUS, Arizona Board of Regents for Arizona State University and Brepols Publishers, n.v., Turnhout,Belgium, 2005 所 収 ) 。
27
Ármann Jakobsson, ‘History of the trolls? Bárðar saga as an historical narrative’, Saga-book, 25/1, The Viking society for northern research, 1998, pp.53-71.
28
Ármann Jakobsson, ‘The Trollish Acts of Þorgrímr the Witch: The Meanings of Troll and Ergi in Medieval Iceland’, Saga-book, 32, The Viking society for northern research, 2008, pp. 39-67.
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を行っている。しかし、アウルマンは、サガにおけるトロル像に焦点を当てているため、 民間説話におけるトロルは研究対象から外している。
北欧神話の時代から、伝承されているトロルを研究対象とした最初の論文は、エリザベ ート・ハルトマン Elisabeth Hartmann の『スカンディナヴィアの伝説と昔話におけるトロル 像』 Die Trollvorstellungen in den Sagen und Märchen der skandinavischen Völker (1936 年 ) 29 である。
ハルトマンは、研究地域をデンマーク、スウェーデン ( 東北欧30 ) 、ノルウェー ( 西北 欧 ) に設定しており、アイスランド、フェロー諸島、フィンランドは研究地域から除外し ている。ハルトマンは、資料体に伝説と昔話を取り上げ、伝説に登場するトロル、昔話に 登場するトロルを区別し、それぞれの特徴を考察した。その際に、東北欧の伝説におい て、 トロルが深く関係している「取り換え子」と 「( 子どもの)誘拐」の類話に注目している。 他方、昔話に登場するトロルを敵対者と助力者としての題材とみなしている。ハルトマン は、伝説と昔話に登場するトロルは、「巨大な図体 」、 「山に住んでいる 」、 「人と敵対 している」という共通点はあるが、スカンディナヴィアのトロルによる「取り換え子」・ 「誘拐」の伝説は昔話とは異なり、実際の感情的な実体験に由来し ていると結論付けてい る31 。しかしながら、ハルトマンはトロル像の分析を西北欧と東北欧で異なった視点から 考察し、特に東北欧にみられるトロル像分析に重点を置いている。このようにハルトマン は特定のテーマを設定し、その中でみられるトロル像の考察を行っており、北欧神話の時 代から民間説話にかけてのトロル像変遷の問題を扱うまでには至っていない。 この問題に初めて取り組んだのが、ヴィルジニー・アミリアン Virginie Amilien の『トロ ルと他の超自然的存在』 Le Troll et autres créatures surnaturelles (1996 年 ) 32
である。アミリ アンはこの中で、ノルウェーにおけるトロル像の構造・通観史、トロルの容姿の象徴的意 味と連想について論じており、主として 4 つの視点からトロル像を考察している。一つ目 に、トロルの世界とキリスト教の死者の世界の関係を、 トロルの世界と死者の世界の両領 域の共通点をあげ分析を行っている。二つ目に、「キリスト教改宗」33 によって、トロル
29 Elisabeth Hartmann, Die Trollvorstellungen in den Sagen und Märchen der skandinavischen Völker, Verlag
W. Kohlhammer, Stuttgart & Berlin, 1936, (Tübinger germanistische Arbeiten 22).
30 ハ ル ト マ ン は 論 文 の 中 で は こ の 2 国 を 東 北 欧 、 ノ ル ウ ェ ー を 西 北 欧 と 称 し 、 東 北 欧 の
ト ロ ル 像 OstnordischeTrollvorstellung 、 西 北 欧 ( ノ ル ウ ェ ー ) の ト ロ ル 像 Westnordische (norwegische) Trollvorstellungと 区 別 し て 論 じ て い る 。
31 Cf. Hartmann1936, S. 143-144.
32 Virginie Amilien , Le Troll et autres créatures surnaturelles, Berg International Éditeurs, 1996. 33
キ リ ス ト 教 へ の 改 宗 は 、 ア イ ス ラ ン ド は 1000 年 に 行 わ れ た 全 島 民 会 で キ リ ス ト 教 へ の 改 宗 が 宣 言 さ れ て い る 。 し か し な が ら 、 そ の 宣 言 は 同 時 に そ れ ま で 信 仰 さ れ て き た 古 来 北
8 が悪魔のイメージと同化した問題をあげ、民間説話における聖書、特に聖ヨハネの黙示録 からの影響を論じている。三つ目に、古代北欧の死、魂、運命の概念の関係から、超自然 的存在のイメージを分析することによって、トロルの象徴的特性を考察し、トロルは運命 の具現化であると述べている。四つ目に、トロル独特の特性を特定することが可能かどう か考察している34 。 しかしながら、アミリアンは、論文の序論で述べているように、研究対象として取り上 げた資料体は“ 魔法昔話 ” のみであり35 、魔法昔話以外に登場するトロルを除外している。 確かに、トロルが登場する物語は、トロルが魔法的な力を保持し、敵対者あるいは助力者 という属性を持っていることに起因し、魔法昔話に分類されることが最も多い。 とはいえ、 魔法昔話に分類される話型以外にもトロルが登場する事実は無視できない。さらに言えば、 魔法昔話という枠組みを作成し、物語を分類したのは後代の研究者であり36 、物語の語り 欧 の 信 仰 を 続 け て も 構 わ な い と い う も の で あ る 。 他 方 ノ ル ウ ェ ー は 、 ア イ ス ラ ン ド の よ う に キ リ ス ト 教 へ の 改 宗 の 宣 言 は 行 わ れ て お ら ず 、 ノ ル ウ ェ ー に お け る キ リ ス ト 教 へ の 改 宗 は も っ ぱ ら 890 年 か ら の 歴 代 ノ ル ウ ェ ー 国 王 の 圧 制 に よ る も の で あ り 、 1000 年 ご ろ に は キ リ ス ト 教 が 定 着 し た と 考 え ら れ て い る ( 谷 口 幸 男 、 「 北 欧 の キ リ ス ト 教 改 宗 に つ い て 」、 『 大 阪 学 院 大 学 国 際 学 論 集 〈 論 説 〉』 第 9 巻 第 2 号 、 1998 年 、 52-61 頁 参 照 ) 。 詳 し く は 第 2 章 第 1 節 で 論 じ る 。 34 ア ミ リ ア ン の 後 、 ク ヌ ー ト ・ ア ウ ク ル ス ト Knut Aukrust は 『 ト ロ ル 、 教 会 と 聖 オ ー ラ ヴ 』 «Troll, kirker og St. Olav» (1997 年 ) と い う 論 文 に お い て 、 ト ロ ル 、 教 会 と ノ ル ウ ェ ー 民 間 説 話 に お い て 特 別 な 地 位 を 占 め て い る 聖 オ ー ラ ヴ ( ノ ル ウ ェ ー の 守 護 聖 人 ) の 関 係 に つ い て 研 究 を 行 っ た 。 ア ウ ク ル ス ト に よ れ ば 、 聖 オ ー ラ ヴ に よ っ て も た ら さ れ た ノ ル ウ ェ ー の キ リ ス ト 教 化 は 反 対 な し に 成 し 遂 げ ら れ た も の で は な く 、 そ の 際 に ト ロ ル は 最 も 重 要 な キ リ ス ト 教 化 の 対 抗 者 と し て 台 頭 し た と 言 及 し て い る 。 ま た 、 民 間 説 話 に お い て 、 聖 オ ー ラ ヴ と ト ロ ル と の 戦 闘 は 、 教 会 の 建 築 に 関 連 付 け ら れ 、 最 終 的 に ト ロ ル は 単 な る 敵 対 者 で は な く 、 同 様 に 教 会 の 実 際 の 建 築 者 と し て 語 ら れ る と い う 物 語 の 筋 を 考 察 し 、 ア ウ ク ル ス ト は 神 聖 な 空 間 の 創 造 と 悪 を 覆 う 善 の 勝 利 を 結 び つ け る 、 聖 オ ー ラ ヴ と ト ロ ル の 物 語 の 象 徴 的 意 味 に つ い て 吟 味 し て い る 。 ま た 、 2004 年 に は Camilla Asplund Ingemark が ス ウ ェ ー デ ン 系
フ ィ ン ラ ン ド に お け る ト ロ ル 像 に つ い て 論 じ て い る (Camilla Asplund Ingemark, The Genre of Trolls, Åbo Akademi University Press, Åbo, 2004) 。
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ア ミ リ ア ン は 、 AT 分 類 を 使 用 し 、 資 料 体 と し て 取 り 上 げ る の は 、 「 最 も 代 表 的 な 魔 法 昔 話 」 les plus représentatif des contes merveilleux の 中 か ら 選 ん だ 約 500 話 と し て お り 、 魔 法 昔 話 に 限 定 し て い る (Cf. Amilien1996, p. 15) 。 AT 分 類 と は 、 ア ン テ ィ ・ ア ー ル ネ Antti Aarne
(1867-1925, Finland) と ス テ ィ ス ・ ト ン プ ソ ン Stith Thompson (1885–1976, US)に よ っ て 作 成 さ れ た 、 各 昔 話 を さ ま ざ ま な 話 型 ( タ イ プ ) に よ っ て 分 類 し 、 番 号 を 定 め て い っ た も の で あ る 。 現 在 、 伝 承 文 芸 研 究 で 最 も 代 表 的 な AT 分 類 は 、 ア ー ル ネ が 、 各 昔 話 に 独 自 の 「 原 郷 」 ( 発 生 地 ) が あ る と い う 一 元 発 生 説 派 に 立 ち 、 可 能 な 限 り 数 多 く の 昔 話 を 国 際 的 に 収 集 し 、 話 型 と モ テ ィ ー フ を 基 準 に こ れ ら を 比 較 ・ 分 類 す る こ と に よ っ て 個 々 の 話 型 の 原 型 を 復 元 す る と と も に 、 そ の 発 生 地 ・ 発 生 時 期 ・ 伝 播 経 路 を 明 ら か に し て い る こ と を 昔 話 研 究 の 方 法 論 と し て 提 唱 し た こ と に 由 来 す る 。 ア ー ル ネ は 、 そ の 方 法 論 に 基 づ き 、 1920 年 に フ ィ ン ラ ン ド 周 辺 の 昔 話 を 対 象 に 話 型 表 を 作 成 し た 。 そ の 後 、 1927 年 に ト ン プ ソ ン が 他 国 の 資 料 も 取 り 入 れ 拡 大 し 、 1961 年 に さ ら に 増 補 し た 。 2004 年 に 改 訂 版 が 出 版 さ れ て い る 。 ( 詳 し い AT 分 類 の 振 り 分 け に つ い て は 、 補 遺 を 参 照 ) 36 初 め て 行 わ れ た 昔 話 分 類 は 、 フ ィ ン ラ ン ド 学 派 の ア ン テ ィ ・ ア ー ル ネ Antti Aarne が 1920 年 に 作 成 し た 話 型 表 で あ り 、 後 の AT 分 類 表 で あ る 。 そ の 話 型 表 は 、 研 究 が 進 む ご と
9 手は自らが語る物語のジャンルについては意識していない。つまり言い換えれば、 トロル 像の変遷を見出す際に、魔法昔話の話型以外に属する物語を排除する ための妥当な理由が 見当たらないのである。どの話型に分類されているにしても、民間においてトロルという 超自然的存在が語り継がれてきたという前提は同じであることから、本論文では魔法昔話 に分類される物語以外も分析対象に含めることにする。 以上より、本論文では、アミリアンの論文を主として参照しながらも、アミリアンの論 文も含めてこれまでの先行研究で扱われてこなかったアイスランドを研究対象地域に加え、 また魔法昔話およびそれ以外の話型分類に属する物語も研究対象とする 。よって、本論文 ではトロル像の変遷を、ノルウェーとアイスランドの民間説話、特に伝説、昔話に基づい て跡付けていく。その記述的研究の後、トロル像の通時的変遷の様態と、 ノルウェー、ア イスランドの社会制度、自然などとの関連が見出されるのかどうかを検討してみる。 第 3 節 諸前提:研究対象とする地域・資料・時代 1. 取り扱う地域について 本論文では、研究対象地域をノルウェーとアイスランドに限定する。しかし確かにトロ ルの存在は、ノルウェーとアイスランドのみならず、他の北欧諸国、つまりデンマークと スウェーデンの民間説話などにおいても確認できる ( 本論文では、この 4 カ国を「北欧諸 国」と総称する ) 。「北欧諸国」とは異なりカレワラの神々37 を信仰していたフィンラン に 他 の 研 究 者 た ち に よ っ て 改 訂 さ れ 、 現 在 で は ヨ ー ロ ッ パ の 民 間 説 話 を 研 究 す る 際 に は 無 視 し が た い 準 拠 枠 と な っ て い る 。 例 え ば 、 AT 分 類 に 批 判 を 呈 し て い る 昔 話 の 構 造 論 的 ア プ ロ ー チ を 行 っ た ロ シ ア の ウ ラ ジ ミ ー ル ・ プ ロ ッ プ も 、 し か し な が ら 、 AT 分 類 で 「 魔 法 昔 話 」 に 属 す る ロ シ ア の 昔 話 の み を 自 ら の 研 究 対 象 に し て い る 。 ノ ル ウ ェ ー で は 、 AT 分 類 を 使 用 し た 、 オ ェ ル ヌ ル フ ・ ホ ー デ ネ Ørnulf Hodne に よ る 話 型 表 が 作 成 さ れ て お り 、 ア ミ リ ア ン も こ れ を 参 照 し て い る 。 37 『 カ レ ワ ラ 』 と は フ ィ ン ラ ン ド の 民 族 叙 事 詩 で あ り 、 全 50 章 か ら 成 る 。 『 カ レ ワ ラ 』 は 、 カ レ リ ア 地 方 ( ロ シ ア 領 カ レ リ ア 、 通 称 東 カ レ リ ア ) を 中 心 に 口 承 で 歌 わ れ て き た 叙 事 詩 を 、 1835 年 に 医 師 エ リ ア ス ・ ロ ン レ ー ト Elias Lönnrot が 採 集 、 編 集 し た も の で あ る 。 ロ ン レ ー ト は 1835 年 に 第 1 版 を 、 1849 年 に 第 2 版 を 出 版 し て い る 。 そ の た め 、 第 2 版 は 『 新 カ レ ワ ラ 』 と 呼 ば れ て い る 。 『 カ レ ワ ラ 』 第 1 章 で は 、 天 地 創 成 が 宇 宙 卵 を モ テ ィ ー フ に 美 し く 描 か れ て い る 。 そ れ に 対 し て 、 『 エ ッ ダ 』 で は 、 氷 の 国 Niflheimr の 氷 が 火 の 国 Muspellzheimr の 熱 風 に よ っ て 溶 け 、 そ の 滴 か ら 原 初 の 巨 人 ユ ミ ル が 生 ま れ 、 そ の 後 ユ ミ ル の 3 人 の 子 が ユ ミ ル を 殺 し 、 そ の 遺 骸 か ら 天 地 創 造 が 行 わ れ る 。 世 界 各 地 域 に 伝 わ る 神 話 に お い て 、 宇 宙 卵 の モ テ ィ ー フ が 分 布 し て い る 地 域 は 限 ら れ て お り 、 北 欧 文 化 圏 の い ず れ
10 ドについては、文化的、民族的背景を異にするため 、「北欧諸国」という枠組みから原則 的に除くことにする。しかし、他方でフィンランドの中でもスウェーデン = フィンランド においては、トロルが伝えられていることを忘れてはならない。フィンランドは、 1155 年 から 1809 年までスウェーデンの統治下にあり、その際にスウェーデンからフィンランドに 移住した人々が、トロルをその地に移入し、伝承している。さらに、北欧諸国以外にも、 イギリス領のオークニー諸島とシェトランド諸島にもトロルが伝えられている。両諸島は、 北欧のヴァイキング時代 ( 8 世紀末 -11 世紀末) にヴァイキングが入植地とするとと もに、「トロル」 が伝えられた地域である。そしてヴァイキング時代後も、両諸島で独 自の形成過程を辿り、そして現在、「トロウ (trow) 」 としてなお伝承されている38 。こ のように超自然的存在 “ トロル ” が伝えられている 3 つの主要地域を本論文では、「北欧 文化圏」と総称することにする。 なぜ研究対象地域を北欧文化圏の中からノルウェーとアイスランドの 2 カ国に絞り込む のかという問題があげられるが、トロル像の変遷をたどる際に、 前提条件と考えられるも のをできるだけ同一なものに揃える必要があったためである。 この研究における前提条件とは、北欧文化圏の古来の人々が有していた世界観の共通性 の度合いである。この問題には、現在トロルという存在を確認できる初期の参照物、つま り神話とサガの起源に関係している。北欧神話の原典とされる『古エッダ』 Den Elder
Edda (ca. 800-1300) および『新エッダ』 Den yngre Edda (1220-40) 、サガなどの資料体の起 源は北欧西部、即ちアイスランドとノルウェーにあるため、ノルウェー、アイスランドに おける時代状況を色濃く反映して描かれていると考えられている39 。このことから、これ らの神話群・サガ群といった資料体の内容がどの程度まで、他の北欧文化圏にとって典型 的と見なすことができるのかが疑問点としてあげられる。特にスウェーデンのキリスト 教 改宗以前の時代に関する完全な史料は多く残されておらず、スウェーデンの宗教史 ・民間 の 地 域 も 属 し て お ら ず 、 フ ィ ン ラ ン ド と 北 欧 文 化 圏 の 神 話 は 系 統 を 異 に し て い る 。 ( 小 泉 保 、 『 カ レ ワ ラ 神 話 と 日 本 神 話 』、 日 本 放 送 出 版 会 、 1999 年 、 1-25 頁 、 石 野 裕 子 、 「『 レ ワ ラ 』 に 見 る フ ィ ン ラ ン ド 性 の 形 成 」、 『 北 欧 世 界 の こ と ば と 文 化 』、 岡 澤 憲 芙 編 、 成 文 堂 、 2007 年 、 121-142頁 、 ア ー サ ー ・ コ ッ テ ル 、 『 世 界 神 話 事 典 』 [1976 / 1986] 、 左 近 司 祥 子 他 訳 、 柏 書 房 、 1993 年 、 191-192頁 参 照 ) 38 オ ー ク ニ ー 諸 島 と シ ェ ト ラ ン ド 諸 島 で 伝 承 さ れ て い る ト ロ ウ Trow は 、 海 あ る い は 丘 に 住 ん で い る と 考 え ら れ て お り 、 狩 人 や 漁 師 の 恐 れ の 対 象 と な っ て い る 。 ( Cf. Gertrude Jobes, Dictionary of Mythology Folklore and Symbols, Part 2, The Scarecrow Press, New Mythology Folklore and
Symbols, Part 2, The Scarecrow Press, New York, 1962, p. 1600.)
39 Cf. Folke Ström, Nordisk hedendom. Tro och sed i förkristen tid, Akademiförlaget, Göteborg, 1967 ( フ ォ
11 信仰の専門家であるフォルケ・ストレム Folke Ström は、少なくとも部分的には、エッダに 見るのとは異なる色合いをした北欧東部 ( スウェーデン、デンマーク ) の神話財宝があっ たことは、大いに考えられると述べている40 。よって、北欧文化圏でどの程度、神話とサ ガに描かれている世界を共有していたかという問題をあきらかにすることは困難な状態に なっている。そのため、北欧文化圏のトロル像の変遷を見る際に、共通のトロル像変遷の 出発点を持っていない地域同士を同列に比較することはできない。それに対し、以下に詳 しく述べるように、ノルウェー、アイスランドの 2 カ国は古来から共通のトロル像を持っ ていたと推測することが十分可能である。このことが本論文で研究対象地域をノルウェー、 アイスランドに限定する理由である41 。 さて、なぜノルウェー、アイスランドの 2 カ国が古来から共通のトロル像を持っていた と推測できるのかは、エッダ群とサガ群発祥に関することでもあるが、ノルウェーとアイ スランドの歴史的関係性を検討すれば納得されることだろう。 アイスランドは、成立した起源が明確に分かっている希少な国の一つである42 。アイス ランドは、ノルウェー人が植民を行った地であり、それ以前は事実上無人の島であった43 。 ノルウェー人が植民を開始する以前、アイスランドの存在は、ベーダの年代学の本におい て、夏の間、太陽が一晩中輝く島ティーレとして記録され知られていた。アイスランドの 史料によれば、ノルウェー人が初めてアイスランドに訪れたのは 9 世紀半ばである。ノル ウェー人が本格的に植民を開始したのは870 (ないし 874 年44 ) から 930 年にかけての60年 40 ス ト レ ム 1982 、 15 頁 参 照 。 41 エ ッ ダ 群 が ア イ ス ラ ン ド で 、 あ る い は ノ ル ウ ェ ー で 成 立 し た の か 否 か に つ い て は 、 確 か に 現 在 も 論 争 の 的 と な っ て い る 。 そ う で は あ る が 、 エ ッ ダ の 一 部 は ノ ル ウ ェ ー 、 他 の 一 部 は ア イ ス ラ ン ド で 成 立 し た と い う 見 解 が 有 力 な こ と 、 次 い で ア イ ス ラ ン ド と い う 地 域 が 、 主 に ノ ル ウ ェ ー 人 の 植 民 に よ っ て 成 立 し た と い う 事 実 、 ア イ ス ラ ン ド 成 立 後 も ノ ル ウ ェ ー と ア イ ス ラ ン ド 間 で 交 流 が あ っ た こ と か ら 、 本 論 文 で は エ ッ ダ 群 に ま つ わ る こ の 問 題 を 特 に 重 要 視 し な い こ と と す る 。 42 ノ ル ウ ェ ー 人 の ア イ ス ラ ン ド 入 植 お よ び ア イ ス ラ ン ド 成 立 に 関 し て は 、 グ ン ナ ー ・ カ ー ル ソ ン 、 『 ア イ ス ラ ン ド 小 史 』 [2000] 、 岡 沢 憲 芙 監 訳 、 早 稲 田 大 学 出 版 部 、 2002 年 、 1-4 頁 、 Haakon Shetelig, Det Norske Folks Liv og Historie -Gjennem Tidene, Bind I, H. Aschehoug & Co. Oslo, 1930, s.205-218 、 清 水 誠 、 『 北 欧 ア イ ス ラ ン ド 文 学 の 歩 み - 白 夜 と 氷 河 の 国 の 六 世 紀 - 』、 現 代 図 書 、 2009 年 、 1-10 頁 参 照 。 43 研 究 者 の 間 で は 、 広 大 な 土 地 を も つ ア イ ス ラ ン ド が 無 人 の 地 で あ っ た か ど う か が 議 論 の 的 と さ れ 、 ノ ル ウ ェ ー 人 が 入 植 す る よ り は る か 以 前 に ア イ ス ラ ン ド に は 定 住 民 が い た と い う 仮 説 も 出 さ れ て い た 。 し か し 、 後 の 考 古 学 的 調 査 ( 地 層 調 査 ) に よ り 、 定 住 民 が い た と い う 仮 説 は 一 蹴 さ れ 、 植 民 以 前 は ( や や 先 ん じ て 住 み つ い て い た ご く 少 数 の ア イ ル ラ ン ド 人 修 道 士 を 別 と す れ ば ) 無 人 の 地 で あ っ た こ と が 証 明 さ れ た 。 ( 引 用 元 は 脚 注 42 を 参 照 ) 44 ア イ ス ラ ン ド 最 初 の 歴 史 家 ア リ ・ ソ ル ギ ル ス ソ ン (1068-1184) が 、 ア イ ス ラ ン ド 植 民 か
12 間であり、この間に 1 万人以上がアイスランドに入植した。アイスランドは、ノルウェー 人(主として農民)45 が、 870 年から 930 年にかけての60年間46 に入植した地である。他 地域からも多少の入植者47 はいたものの、当時のノルウェーと共通の埋葬方法・墓の副葬 品・建築物を有し、さらに古ノルド語が使われていたことから、基本的にはノルウェーの 当時の習慣が保たれていた可能性が高い。北欧史の研究者である熊野聰によれば、ノルウ ェー人のアイスランド植民の理由48 を、 9 世紀末のノルウェーの「統一49 」に始まる王権 の成立と展開にともなうノルウェー国内の内包的発展、社会の質的転化から逃れるためと し、その本国を逃れアイスランドへ植民した人々が建設した社会は、ノルウェーの統一以 前の古い社会形態、つまり散居的定住様式および非国家的な社会機構を再現し保存したと 思われる50 。それに加え、トロル由来の地名もアイスランド各地にみられることから、ト ら 200 年 の 1122-32 年 の 間 に 『 ア イ ス ラ ン ド 人 の 書 』 Íslendingabók ( ア イ ス ラ ン ド の 870-1120 年 に お け る 略 史 ) を 著 し た 。 そ の な か で 、 ア リ は 「 ア イ ス ラ ン ド の 移 住 は 、 お よ そ 870 年 か ら 930 年 に か け て の 60 年 間 に 行 わ れ た 」 と し て お り 、 特 定 の 年 を 記 し て い な い 。 他 方 で 、 後 代 の 歴 史 家 た ち に よ っ て 書 か れ た 『 植 民 の 書 』 Landnámabók 全 5 部 に は ア イ ス ラ ン ド の 移 住 開 始 の 年 を 874 年 と 記 し て い る 。 後 の 考 古 学 調 査 に よ っ て 、 ア イ ス ラ ン ド 最 古 の 遺 跡 の 多 く が 発 見 さ れ た 地 層 の 年 代 が 、 871 年 前 後 の 可 能 性 が 高 い と い う 結 果 が 出 さ れ て い る 。 45 他 方 で 、 『 植 民 の 書 』 に よ れ ば 、 移 住 者 の 多 く は ノ ル ウ ェ ー 王 の 圧 制 を 逃 れ て き た ノ ル ウ ェ ー の 大 豪 族 た ち で あ る と 記 さ れ て い る が 、 ノ ル ウ ェ ー の 豪 族 は 、 熊 野 聰 に よ れ ば 、 “ 豪 族 的 農 民 ” で あ り 、 大 農 的 農 場 世 帯 と 豪 族 的 従 士 団 扶 養 を 結 合 し て お り 、 多 く の 農 民 を 伴 っ て い た こ と か ら 、 植 民 者 の 多 く は 農 民 で あ る と 判 断 さ れ る 。 46 熊 野 聰 は 著 作 の 中 で 、 ノ ル ウ ェ ー 人 の 移 植 開 始 を 974 年 か ら 60 年 間 と し て い る が 、 ア イ ス ラ ン ド 人 が 新 た な 土 地 を 求 め て グ リ ー ン ラ ン ド へ 移 住 を 開 始 し た の が 985 年 ご ろ で あ る こ と と 他 の 資 料 の 多 く が 870 年 ご ろ を 入 植 開 始 時 期 と み て い る こ と を 考 慮 し 、 誤 植 で あ る と 判 断 し た 。 ( 熊 野 聰 、 『 北 欧 初 期 社 会 の 研 究 』、 未 來 社 、 1986 年 、 96 頁 参 照 ) ま た 、 こ の 60 年 間 は 「 植 民 の 時 代 」 Iandnámsöld と 呼 ば れ て い る ( 清 水 2009 、 1 頁 参 照 ) 。 47 入 植 者 の 大 部 分 は ノ ル ウ ェ ー 人 ( と り わ け ノ ル ウ ェ ー 南 西 部 出 身 者 ) で あ っ た が 、 ノ ル ウ ェ ー 人 の 中 に は 長 い 間 ブ リ テ ン 諸 島 の 入 植 地 に 居 住 し て い た も の も 含 ま れ て お り 、 そ れ に 伴 い ケ ル ト 系 の 解 放 奴 隷 も 含 ま れ て い た と 考 え ら れ て い る 。 ま た ス カ ン デ ィ ナ ビ ア の 他 の 地 域 出 身 者 が 含 ま れ て い た 。 48 入 植 者 が な ぜ 、 ま た ど の よ う に し て ア イ ス ラ ン ド へ 植 民 し た の か は 明 ら か に さ れ て い な い が 、 ア イ ス ラ ン ド と ノ ル ウ ェ ー の 農 場 地 名 の 比 較 分 析 か ら 、 お そ ら く ノ ル ウ ェ ー 西 部 地 方 か ら 北 部 に か け て の 定 住 地 が 限 界 に 達 し つ つ あ っ た こ と が 原 因 だ と 考 え ら れ て い る ( 熊 野 1986 、 104-107 頁 参 照 ) 。 49 9 世 紀 末 に 統 一 を 果 た し た ハ ー ラ ル 美 髪 王 の 支 配 領 域 は 、 東 部 山 間 部 で は な く 、 サ ー ミ 人 が 住 む 北 地 域 を 除 く 、 沿 岸 部 に 対 す る も の で あ り 、 主 と し て 南 西 部 地 方 に 限 定 さ れ て い た と 考 え ら れ て い る ( 熊 野 1986 、 45 頁 参 照 ) 。 50 ノ ル ウ ェ ー の 定 住 形 態 は 自 然 条 件 と 結 び つ い た 散 居 性 で あ り 、 農 場 が き わ め て 高 い 程 度 で 牧 畜 に 依 存 し て い た 。 散 居 性 を と っ て い た た め 、 農 業 を お こ な う 土 地 の 所 有 者 は 地 主 で あ り 領 主 に は な ら ず 、 ま た 農 民 も 農 奴 に は 成 り 得 な か っ た 。 そ の た め ノ ル ウ ェ ー が ハ ー ラ ル 美 髪 王 に よ っ て 国 家 統 一 さ れ る 以 前 は 、 王 に よ る 一 般 租 税 と 公 的 執 行 権 力 を 欠 い た 非 国 家 的 な 社 会 機 構 で あ り 、 散 居 農 民 の 同 盟 と 集 会 と い う 社 会 形 態 を と っ て い た 。 そ の 形 態 が 、 ノ ル ウ ェ ー か ら の 植 民 者 に よ っ て ア イ ス ラ ン ド で 再 現 さ れ る ( 熊 野 1986 、 7-13 頁 参 照 ) 。
13 ロルという超自然的存在も入植者とともに運び込まれていたと考えられる。つまり、アイ スランドとノルウェーは当初、共通のトロル像をもっていたと推測することができるので あり、その共通性から出発してそれぞれの相異なった自然・社会制度のもと、トロル像は それぞれ独自の展開を遂げたのであろう。こういった理由で、両国の民間説話における相 違点を見出し比較することは、トロル像の変遷の要因を探る上で妥当である。 最後に、ノルウェーとアイスランドの民間説話におけるトロルという超自然的存在の重 要性があげられる。アミリアンによれば、デンマークとスウェーデンの昔話に登場する ト ロルは、ノルウェーにおけるトロルよりも超自然的存在として重視されていない のに反し て、ノルド語に浸透されたアイスランドの昔話と伝説において、トロルは頻出しており、 アイスランドの昔話と伝説に出てくるトロルの外見は、ノルウェーのトロルと相似 的であ る51 。このことから、アイスランドとノルウェーにおけるトロルは共通点がみられ、デン マークとスウェーデンのトロルとは区別されると考えられる。以上が北欧文化圏の中でも、 とりわけノルウェーとアイスランド両国のトロル像を比較することが有効であると思われ る理由である。 2. 取り扱う資料について 本論文では、ノルウェーとアイスランドの民間説話、即ち昔話と伝説を資料体として用 いる。先に述べたように、昔話は話型分類にとらわれることなく、 “ トロルが登場する物 語” および “ 「トロル」という語が出てくる物語 ” という観点から選別し、研究対象とす る。 本論文では、ノルウェーの民間説話93話とアイスランドの民間説話51話を資料体に用い、 その物語にみられる“ トロル ” 像の分析を行う。出典は主に19世紀に入ってから収集が行 われた版を使用している。その際に、編集者による物語の内容変更 ( 改変的編集 ) が行わ れていないことに注意した52 。以下に本論文で使用したノルウェーとアイスランドの民間 51 ま た 、 ア ミ リ ア ン は 、 ノ ル ウ ェ ー と ア イ ス ラ ン ド で は 昔 話 の 形 態 と 敵 対 者 の 役 割 が 異 な っ て い る と 指 摘 し て い る (Cf. Amilien1996, p. 265) 。 52 グ リ ム 兄 弟 に よ る 民 間 説 話 集 は 、 後 の 版 に お い て グ リ ム 兄 弟 の 手 に よ っ て 物 語 の 内 容 の 変 更 が 成 さ れ て い る な ど 、 民 間 説 話 集 に よ っ て は 編 集 者 の 意 向 に よ っ て 物 語 の 内 容 自 体 が 変 更 さ れ て い る 場 合 が あ る 。