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西欧コーポラティズムと社会統治 ―ネオリベラル経済秩序下の労働市場―

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西欧コーポラティズムと社会統治

−ネオリベラル経済秩序下の労働市場− 中 野

1. ネオリベラル経済秩序と西欧コーポラティズム

1990年代の西欧諸国は,ネオリベラル(新自由主義)改革の浸透とコーポラティズム(団 体参加)型市場統治の復活という,異なる社会的潮流を内包していた1).シュミッターが, “なおコーポラティズムの世紀なのか”と問うたのは1974年のことである.当時,西欧の社 会コーポラティズム体制は,“一方で広範な社会運動によって,他方で独特な自発的抵抗行 動によってますます疎んじられ,迂回され”つつあった(Schmitter, 1974).1979年,サッチ ャー保守政権によって市場再生と競争経済を志向するネオリベラル改革の端緒が開かれる と,それは先進諸国の為政者によって,まず現実的な政策的オルタナティブとして,次いで, グローバルな市場経済を前提とする限り避けえない政治的課題として認識されるようになっ た.この潮流は,団体統治経済の代表とみなされ,また,最も強固に制度化された(1983年 または92年以前の)スウェーデンや(1990年代までの)オーストリアといったネオコーポラ ティズム経済をも,押し流して行く2) 他方で,1980年代後半以降には,従来必ずしもコーポラティズム型とはみなされなかった 諸国を含め,政労使間の社会協定(social pacts)が頻繁に締結された.これには,アイルラ

1)本稿は,UACES(the University Association for Contemporary European Studies)第11回リサーチコンフェランス(Limerick, Ireland, 2006.9.3)および慶応義塾大学EU研究会(2006.10.28)報告原稿の概念化の試みを再構成したものある.欧州ソーシ ャル・ダイアログとナショナル・システムの比較分析の精緻化の試みの一部をなす. “コーポラティズム(corporatism)”は,独占的代表権を与えられた利益団体(労働組合や使用者団体)が,公共政策の形 成・施行過程に協調的に参画する利益代表システムを指す.シュミッターの理念型的定義によれば,この仕組みでは,構 成単位が単一性,義務的加入,非競争性,階統的秩序,職能別分化といった特性をもつ,一定数のカテゴリーに組織され る(シュミッター, 1984).“自律的で(国家へ)浸透していく”社会コーポラティズム(例えば北欧諸国)は,自発的集団 形成,集団数の増大,集団の横への広がりと競争的相互関係を特性とする多元主義や“依存的で(国家に)浸透される” 国家コーポラティズム(例えば全体主義体制)と対置されるが,その起源は“ほとんど認知できないほどゆっくりした先 進多元主義の衰頽”に求められる.コーポラティズム型ガバナンスは,究極的には,議会を通して表現される民主制の主 権に従う.シュミッターが“ある程度代表的”とみなしたオランダの社会コーポラティズムの軌跡は,それが“その時々 の実用に応じて不均等に展開されつくりあげられたもの”であることを示している. 戦後スウェーデンの福祉国家論を代表したミュルダールは,このプロセスを“完全市場”の条件の崩壊と代替経済統治モデ ル形成の過程として論じた(ミュルダール, 1960).市場機能の喪失は,寡占競争体制の確立と政治の民主化を背景とする. 労働者や農民による政治運動が活発化すると,政党は,労働組合や農民団体,市民団体をその票田として取り込み,政策 形成プロセスへ統合することを試みた.結果として,労働市場はこれら諸団体の多角的団体交渉によって管理されるよう になる.それは,完全市場経済からは程遠いが,ミュルダールにとっては,市民が国家と経済を民主的統制の下に置く, 完成された福祉国家の姿だった. 2)スウェーデンの戦後社会経済体制の転換に関しては,“スウェーデン・モデル”の立役者の一人であったR.メイドナーのイ ンタビューが興味深い(Silverman, 1998).プロクエストなどで入手可能.1992年,スウェーデン公共行政機関における利害 媒介は,各組織を代表しない(しばしば同一の)私的代表によって置換され,オーストリアでは,2000年2月に成立した国 民党と自由党の連立政権が,政策決定プロセスから労働代表を除外した.

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ンド(1987−90年,1991−3年,1994−6年,1997年),イタリア(1993年,1998年),オランダ(1982 年,1993年),スウェーデン(1991−2年,1993年,1995年),デンマーク(1987年),ドイツ(1998 年),フィンランド(1991年,1995−7年,1998−2000年),ベルギー(1989年,1996年,1998年), ポルトガル(1996年,1997年)などが含まれる(Hassel and Ebbinghaus, 2000)(表1).また,北 部欧州諸国では,社会協定ほど広範なスコープをもたないアドホックな協約が締結され,マ クロまたはサブナショナルレベルの常設機関における政策形成が持続的に機能し続けている

(Mailand, 2006).こうした動向は,EU(欧州連合)の掲げる“欧州社会モデル”の主張が,各

国政府と労働組合の根拠となった点で,欧州ソーシャル・ダイアログ(政労使社会対話)や 欧州雇用戦略(EES: European Employment Strategy)の展開と直接関係する(Goetschy, 2000:55). むろん,今や“独自のダイナミズムを獲得した”EUソーシャル・ダイアログ自体が,狭義 では北部諸国に存在し,広義では西欧諸国全般にみられるコーポラティズム型市場統治シス テムをモデルに構築された限りで,スープラナショナル・システムとナショナル・システム は相互作用の関係にある3) それでは,1990年代の社会協定の復活には,どのような社会経済的背景があるのだろうか. それは,どのような特徴をもつのか.それらの間の,また,1970年代のネオコーポラティズ ム型統治との共通点と相違点は,なにか.社会協定の背後にある市場統治システムには,ど のような構造的変化が見られるのか.労使組織のマージナル化とコーポラティズムの終焉を 3)欧州委員会でソーシャル・ダイアログを担当するダベンポート氏とのインタビュー(ブリュッセル,2003年10月). 【表1】1980-90 年代の主要社会協定 アイルランド イタリア オランダ スウェーデン デンマーク ドイツ フィンランド ベルギー ポルトガル

Programme for National Recovery (PNR), 1987-90

Programme for Economic and Social Progress (PESP), 1991-3 Programme for Competitiveness and Work (PCW), 1994-6

Partnership 2000 for Inclusion, Employment and Competitiveness, 1997 Tripartite agreement on abolition of scala mobile, 1993

Social Pact on Growth and Employment, 1998 Wassenaar Accord, 1982

New Course, 1993 Agenda 2002, 1997

Rehnberg Agreement, 1991-2 Rehnberg Agreement (renewal), 1993 Edin Commission, 1995

Agreement on Social Partnership, 1987 Alliance for Jobs, 1998

Stability Pact, 1991 Social Pact, 1995-7 Social Pact, 1998-2000 Law on competitiveness, 1989 New law on competitiveness, 1996

Collective agreement in the framework of the 1996 law, 1998 Tripartite agreement, 1996

Strategic Social Pact, 1997

A. Hassel and B. Ebbinghaus, 2000,‘From means to ends: linking wage moderation and social policy reform’, in G. Fajertag and P. Pochet eds., Social Pacts in Europe - New Dynamics, Brussels: ETUI.

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乗り越えるような,創造的な試みは存在するのか.本稿では,こうした問いに答える端緒と して,社会協定の特徴を限定的な形で概念化することを試みた.特に,①実証的考察の対象 とする社会協定と制度を,主にアイルランドとイタリア,オランダの事例に限定し,②コー ポラティズム型市場統治の機能と制度,歴史的安定性を概念化の枠組みとした4).その際, 社会協定の実質的側面よりも手続き的側面を考察の中心に据えている. これら3ヶ国は,90年代の全国レベル協定が機能した代表的事例とみなされている.しか し,“ある程度代表的な”オランダの社会コーポラティズムに対し,アイルランドとイタリ アは,団体統治型の経済とは考えられていなかった.また,ここでは,コーポラティズム型 労働市場管理(より包括的な場合は,市場管理)の基本機能を賃金調整(wage coordination) と(狭義の)政策協調(policy concertation)に分離した5).コーポラティズム型賃金調整は, 総賃金動向を何らかの経済的要請―物価安定や雇用増加,より平等(または公正)な所得 分配など―に連動させることを目的とする(Traxler et al., 2001).賃金決定は,多くの場合, 労使の自治的領域とみなされているが,実際には政治的圧力やリサーチ機関の経済予測の影 響を受け,しばしば政策的な拡張機構によって一般化される6).例えば,フランスの1995年 の労働組合組織率は10%だったが,団体交渉対象下の従業員比率は95%に達していた. 政策協調は,“政府,使用者団体と労働組合による公共政策の協議と共同決定”を指す

(Berger and Compston, 2002).西欧の規範は“少なくとも社会および雇用政策の一部のコン

ポーネントが(3者)協約によって共同決定されることにある”が,その対象と機能は様々

である7).ここでは,(狭義の)政策協調の領域を,労働市場(社会)政策と社会保障政策

に分け,また,1990年代の機能的特徴を,積極的な政策協調(active concertation),ダイナミ

ックな政策協調(dynamic policy concertation)―またはダイナミックなコーポラティズム

(dynamic corporatism)―に概念化した8).制度化の程度は,明示的に比較するのが困難なの

4)マクロレベルの比較分析は,(筆者の慣れた)歴史学的な意味における“実証分析”足りえない.ここでは,2次文献から比較

枠組みを概念化し,それを2次資料などで検証するアプローチを取った.制度に関する議論はシュミッターの,機能に関する 議論はレームブルッフの理念型に関連する.また,紙幅の関係から,制度的側面に関しては一部の事例に言及するに止めた.

5)ここでは,“政策協調(policy concertation)”の概念を広狭両義(賃金調整を包括するものと除外するもの)で用いた.狭義の定

義は,賃金調整を公共政策の範疇から除外するバーガーらの用語法に準ずる(Berger and Compston, 2002).他方で,労使の賃

金調整が,政府の支援を受け,その経済政策の一環を構成する場合,準公共政策としての性格をもつものとみなすこともでき

る(Compston, 2002: 314).この用法は,シュミッターの元々の“コンサーテーション(concertation)”の定義――大規模な利益

集団が相互に,また公的機関と協力するような制度化された政策形成のパターン――に近似する(Berger and Compston, 2002:3).

なお,西欧のコーポラティズム型政策決定は,“ソーシャル・パートナー”や“ソーシャル・パートナーシップ”,“(時にはフ

ァシズムを意味する否定的用語として)コーポラティズム”,“3者協調”などと呼ばれてきた.

6)協約の拡張(extension),拡大(enlargement)と適用範囲(parvasiveness)が考慮される必要がある(Traxler et al, 2001:182, 196). 拡大は,団体協約を対象領域外の特定領域の労使にも課すことを意味し,拡張規定ほど包括的ではない.1951年のILO勧告 No.91に従い,多くの諸国が拡張規定を導入した.フランスは普遍的な拡張規定をもち,オランダとドイツには中位の拡張慣 行が存する.スウェーデン,アイルランド,イギリスには明確な拡張慣行がないが,アイルランドには法的規定は存在する. 7)典型的なネオコーポラティズム体制では,ソーシャル・パートナーは,トップレベルを含む複数のフォーラムや議会委員会へ の代表,行政機関統治組織への参加などを介して,雇用・社会,社会保障,経済政策に幅広く関与した.オランダのコーポラ ティズムは歴史的に賃金決定へのコミットメントを示し,イギリスでは,1992年以降,政策協調がほとんど存在しない.レー ムブルッフは,政府と経済界の協力関係が突出するフランスや日本を,“労働なきコーポラティズム”と見なしていた. 8)メイランドは,1990年代デンマークのコーポラティズム型統治を,コーポラティズム論で論じられたものとは異なる“ダイナ

ミックなネオコーポラティズム(dynamic neo-corporatism)”として捉えている(Mailand, 2006).それは,“(政策)施行におけ

る参加は重要かつ広範だが,政策形成への参加は,数チャンネルを介してアドホックベースで行われ…(アクターの)戦略的

選択と行動によって毎年更新される必要がある”.ネグレリは,集権的なネオコーポラティズム型システムに比し,垂直的な

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だが,政策的必要に応じて行われるアドホックなトライパータイト(3者)協議から経済社会 評議会のようなコーポラティズム型常設機関における参加まで,多様な形態が存在する9) 状況の推移を適確に理解するためには,帰納的アプローチだけでは不十分だろう.ネオリ ベラル経済秩序下における市場資本主義システムの多様化を指摘する論調が,繰り返されて きたからである.コーポラティズムをめぐる問題も,調整型市場経済論や福祉資本主義の類 型論と同様に,“多様な資本主義(varieties of capitalism)”論の一部を構成しうる(Esping-Andersen, 1990; Hall, 1999; Soskice, 1999).元来多様だったコーポラティズム型市場管理の仕 組みそのものが,さらにその多様性を深めている.最も重要なのは,そうした多様性の中に こそ存在しうる,新たな社会統治の萌芽的形態に他ならない.

2. 西欧コーポラティズムと社会協定

社会協定の復活は,コーポラティズムと社会的パートナーシップに対するアカデミックな 関心を再喚起した(Berger and Compston ed., 2002; Fajertag and Pochet ed., 2000; Grote and Schmitter, 1999; Hancké and Rhodes, 2005; Mailand, 2006; Sisson et al, 1999; Traxler et al, 2001など). ポシェやゴエツィーらの分析を参考に,1990年代の“第3期”社会協定の特徴を,戦後体制 下の社会協約(social agreements)と比較しつつまとめたものが,表に示されている(表2)10). 社会協定の機能と制度は,それぞれの時代のコーポラティズム型ガバナンスの特徴を示す. 9)国家と利益団体間の相互浸透プロセスは,直接的な政府補助から,交渉上のパートナーとしての公的承認,失業保険などの 公的業務の責務委任,専門的審議会における指定席,特殊法人における管理職ポスト,非公式の準閣僚的地位,経済社会 評議会のような機関を通じての政策形成過程への直接的参加に至る,多様な形態がみられる(シュミッター, 1984). 10)ゴエッツィーは,経営権と分配に関する争議権承認を軸とする1930-45年の社会協定を第1期,賃金抑制と職場での経営参加 が論争の対象となった1970年代を第2期,1990年代のものを第3期に分類している(Goetschy, 2000). 【表2】社会協定の特徴 経済・社会的背景 賃金調整 労働市場 社会的保護 制度的枠組み

【参考】P.Pochet and G.Fajertag, 2000,‘A new era for social pacts in Europe’and J. Goetschy, 2000,‘The EU and national social pacts:employment and social protection put to the test of joint regulation’, in G.Fajertag and P.Pochet eds.,Social Pacts in Europe - New Dynamics, Brussels:ETUI.

ケインズ主義的需要管理,フォード主義, 労使団体の組織化,ベビーブーム インフレ抑制,生産性ベースの再分配 労働市場管理,職場の経営参加促進 社会保障カバリッジ拡大と給付改善に 影響 集権的交渉,ソーシャル・パートナー 主導,制度化 グローバル化(企業・金融市場),欧州 市場拡大(経済通貨同盟とマネタリズム, 収斂基準,欧州社会モデル,国内財政・ 金融政策の弱化),サプライサイド改革, 労働組合の弱体化,高齢化 労働費用抑制と産業競争力の維持 雇用(非典型雇用や労働時間規制,退 職制度)のフレクシブル化とセキュリ ティー,訓練制度改革 間接労働費用の抑制(特に失業保険や 職域年金,早期退職制度) 調整型分散化,国家主導,政策領域間 の連動 1960-70年代 1990年代

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1990年代までには,先進諸国の置かれる社会経済的コンテクストが大きく変わった.需要 構造の変化とネオリベラル改革の展開は,成長率を総体的に押し下げ,市場競争を激化させ た.企業活動のグローバル化は,社会的側面において,移動性に欠ける国家と労働に対する 資本の地位を相対的に強化し,国内労使関係の安定性が経済界にもたらすメリットに影響を 与えた(Silverman, 1998)11).IT技術の進歩は,ポスト・フォード主義的生産システムの普及 を支えるものだったが,同時に世界規模の証券市場形成の技術的基盤をなした.数十億の金 融資本が即座に移動し,通貨価値そのものに影響を与えるようになると,各国政府の経済・ 社会政策も,金融市場の反応を度外視しては遂行しえない状況が生まれる.特に,多くの欧 州諸国は,ユーロ移行のための経済的条件として示されたマーストリヒト収斂基準と経済通 貨同盟(EMU:Economic and Monetary Union)の確立により,ケインズ主義的財政政策におけ る 裁 量 を 減 じ , 為 替 レ ー ト と 利 率 操 作 に よ る 金 融 政 策 と い う ツ ー ル を 欧 州 中 央 銀 行 (ECB:European Central Bank)へ移転した.

(1)持続する賃金調整 こうした経済的コンテクストにおいて,社会協定は,(場合によってはテーブルひとつで 済む)相対的に簡便な市場管理のツールとして機能したとされる.ここでは,3ヶ国の1990 年代の賃金調整の特徴を,より広範な先進諸国における調整パターンの歴史的変化の中に位 置づけつつ考察したい.まず,一般的には,政労使(または労使のみ)による多様な形態の 賃金調整は,大半の西欧諸国で持続したばかりでなく,これら全協約の“ドライビング・フ ォース(動因)”であり,異なる政策領域を統合する“かなめ(glue)”でもあった(O'Donnell

and Thomas, 2002; Hassel and Ebbinghaus, 2000)(表3)12).それは,輸出産業の競争力への影響

11)例えば,1990年代のスウェーデンは,“製造業の一部や安価な労働力を求める大企業の本社すらを失う過程”にあった (Silverman, 1998).

12)トラクスラーらの分類によれば,国家強制型調整(state-imposed coordination)では,賃金抑制は法的凍結や強制的調停など を介し,国家により強制される.国家支援型調整(state-sponsored coordination)では,国家は第3者として交渉過程に参画す

る.伝統的なネオコーポラティズム型制度は,中央レベル協約が労使ピーク組織によって締結される組織間調整(inter-associational coordination)に近似する.ピーク組織が下位協約の調整に活動を限定する組織内調整(intra-associational

coordination)や調整がピークレベル以下の交渉ユニットで排他的に行われるパターン交渉(pattern bargaining)も見られる. ドイツとオーストリの賃金調整は,歴史的にメゾレベルにおけるパターン交渉の形態を取ってきた. 【表3】マクロ賃金調整のタイプ State-imposed State-sponsored Inter-associational Intra-associational Pattern bargaining No coordination

A=Austria, B=Belgium, CH=Switzerland, D=Germany, DK=Denmark, E=Spain, F=France, FIN=Finland, I=Italy, IRL=Ireland, N=Norway, NL=Nethrelands, P=Portugal, S=Sweden, UK=United Kingdom.

【参照】F. Traxler et al., 2001, National Labour Relations in Internationalized Markets. Oxford: Oxford University Press. Table III.7.

1960-70年代 B, F DK, E, FIN, I, NL, S N CH, IRL, P A, D UK 1960-70年代 F B, DK, FIN, IRL, N, NL, S I CH, E, P A, D UK 1960-70年代 F B, DK, FIN, I, IRL, N, NL, P, S CH, E A, D UK 1960-70年代 B, F DK, I, IRL, N, NL E, P A, D FIN, S, UK 1960-70年代 B, DK(1998), F DK(1997), FIN, I, IRL, N, NL E, P A, D, S(1998) S(1997), UK

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だけではなく,公共セクターの賃金と社会支出全般に関連していたとされる(Hassel, 1999). この点では,1980年以降のイギリスと1990年代半ばのスウェーデン(およびEUシステム) は,西欧の例外をなす. 著名な1982年のオランダ,ワセナール協約(Wassenaar Accord)は,基本的に,セクター および企業協約の物価補償分を,労働時間短縮と雇用創出に振り向けるものだったし (EIRR, 1983),一連の全国協定の端緒となった1987年の“アイルランド復活のためのプログ

ラム(PNR: Programme for National Recovery) ”も,主要セクター(公共と民間,半国営semi-Stateセクター)の賃金協約と税制,労働時間,雇用と経済成長の間のトレードオフとして構 想された(EIRR, 1987).1993年イタリアの“歴史的全国協約”は,その冒頭で,所得政策を “インフレと名目賃金抑制を通して,より公正な所得分配の達成をめざす経済政策のための 不可欠な手段”として位置づけている(EIRR, 1993).後述するように,1980年代の2社会協 定では,賃金抑制と労働時間短縮,雇用創出が政策的に関連づけられていたが,90年代のイ タリアの協定は,賃金調整とその効率化のための団体交渉制度改革,失業保険制度改革,積 極的労働市場政策の促進,労働市場のフレキシブル化,ビジネス支援が結合している点で, より広範なスコープをもつものだった. なぜ,ネオリベラリズムの時代に,コーポラティズム型賃金調整が持続するのか.実際, “コーポラティズムが崩壊し,過去のものになったと主張するのが流行した1980年代後半から 1990年代初めにかけ,国家支援型賃金調整はかつてないほど一般的になった(Traxler, 2001: 159)”.こうした協定の出現には,いくつかの経済的,社会的または思想的条件があるよう に思われる.コーポラティズム型制度持続の背景に,その機能変化を見いだすトラクスラー らの議論が,とりわけ示唆に富む(Traxler, 2003).マーストリヒト収斂基準に喚起された西 欧諸国の社会協定が示すのは,労使関係が,ネオリベラルな市場依存,サプライサイド型の 経済政策から独立するか,またはそれに適合してきたということである.賃金調整は,ケイ ンズ主義体制下では総賃金動向の生産性へのインデックス化を通して,購買力維持とインフ レ抑制機構として,あるいは,経済の二重構造を解消し,社会的平等を達成する連帯賃金政 策のツールとして使われた.現在それは,比較労働コストを抑え,賃金と雇用のフレキシビ リティーを増すことによって産業競争力を維持・強化し,インフレ再来を未然に防ぐための, “競争型(またはサプライサイド)コーポラティズム”の要素として機能している(Traxler et al., 2001). それでは,なぜ,アメリカやイギリス,カナダ,オーストラリアを含むアングロ=サクソ ン諸国で放棄された賃金政策が,多くの西欧諸国で維持されているのか.トラクスラーらは, それがマルチ−エンプロイヤー(複数使用者)交渉が支配的な社会において持続している点 に着目している.こうした経済では,それがマクロ経済的影響力をもつからである.他方で, マルチ−エンプロイヤー交渉は,強い労働組合と政策的な拡張慣行―一定の基準に従い, 協約を非対象産業や労働者に適用する法制の存在―によって維持されている.社会構造的 要因が労組組織率に否定的に作用し,代表制の正統性危機を引き起こした限りで,この社会 システムを支持したものは,利益媒介がもつ準公共政策的機能とその経済社会的価値の認知

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になる13). 他方で,しばしば指摘されてきたように,多くの経済で賃金調整の形態が変化してきた. 特に,グローバルな市場競争にさらされる経済界のフレキシブル化の要請を受け,賃金調整 の水準が,ネオコーポラティズム体制の主流を占めたマクロ(経済)レベルからメゾ(産業 セクター)レベルへと分散化した.このプロセスは,賃金調整そのものの放棄に帰結した英 語圏の“非組織的(混乱した)分散化(disorganized decentralization)”と対比して,“組織的 分散化(organized decentralization)”や“調整型分散化(centrally coordinated decentralization)” と呼ばれている(Ferner and Hyman ed., 1998: xvi; Traxler et al., 2001: 145-6).集権的利益媒介 が,コーポラティズム型統治の主要要素であるかどうかについては,議論は一致しない.そ れが,賃金規制の包括性と強度を意味する限りで,ネオコーポラティズム論で論じられた主 張は妥当するが,1990年代には大半のコーポラティズム型調整は,多様な形態のセクトラル 交渉を取るようになった. 調整水準の分散化は,しばしばマクロとメゾ,ミクロレベルの団体交渉間の相互作用を生 みだした(Goetschy, 2000: 58).オランダでは,トップレベルで協議されたワセナール協約 の後1年足らずで,数百を数えるセクターや企業レベル協約の2/3が更新され,物価補償の 放棄と5%の時間短縮が規定された(EIRR, 1983; Hemerijck et al., 2000).アイルランドの社 会協定は,1980年以降,全国レベルで締結さてきたが,1991年の“経済と社会進歩のための プログラム(PESP: Programme for Economic and Social Progress)”や97年の“パートナーシッ

プ2000”では,地域・企業レベルの交渉範囲規定が包括されている(EIRR, 1997).イタリア の1993年トップ協定も,団体交渉をセクトラルレベル(CCNL)と企業・地域協約に集約し, それぞれの有効期間(2年または4年)と機能を規定するものだったし,1998年協定は,政府 と主要労組連盟(CGIL,UIL,CISL),使用者団体(Confindustria),中小企業団体,地域お よび地方政府代表を含む32のソーシャル(社会的)パートナー団体間で締結された(EIRR, 1999).こうした異なる水準間の調整を伴う新たなアレンジメントは,“ダイナミックな賃金 調整(dynamic wage coordination)”と呼びうるかも知れない.

(2)積極的な政策協調 ここでは,1990年代の社会協定の2番目の特徴を,便宜的に,“積極的な政策協調(active concertation)”と捉えている.そのインプリケーションは,経済・社会問題の顕在化と悪化 を背景として,その解決を目的に合意形成的分析と行動が生みだされた点にある.そうした 分析や行動は,しばしば政府のイニシアティブや圧力を背景としている.実際,“経済統合 が社会協定を生みだす背景となったのは,国内の経済状況が,全てのアクターの行動によっ て改善されなければならないほど悪化した国においてだった.これが,イタリア,アイルラ ンド,オランダで起きたことである(Negrelli, 2000)”.また,“大半の協定は,それが実際 に署名され,施行されたにせよ(アイルランドやオランダ),不成功に終わった(abortive) 13)トラクスラーによれば,既存の妥協が後退した場合,“スープラナショナル市場と国境で分断された労使関係システムの不 均衡を是正しうるのは,ヨーロッパの妥協だけだろう(Traxler, 2003)”.

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にせよ(ドイツやベルギー),深刻な失業問題とそれを是正しようとする確固たる決意によ って主導されていた(Pochet and Fajertag, 2000)”.

そうした共通理解は,しばしば状況の推移と論争を通して変化していったが,(初期の) 賃金規律による労働費用の抑制,(後年の)間接費用を含めた全労働費用の抑制,労働市場 (雇用契約や労働組織,労働時間)のフレキシブル化による雇用促進,または,職業訓練を 含む積極的労働市場政策の強化といったネオリベラリズムや北欧ネオコーポラティズムに由 来する政策課題を,協調的妥協によって追及しようとするものだった.例えば,社会協約の 先駆であり,EU“失業病(unemployment malaise)”からの離脱の契機ともなったとされるオ ランダのワセナール合意の場合,1982年11月に成立したキリスト教民主党と自由党連立政権 は,財政赤字(11%)や高失業率(13.6%),インフレ(6.2%)の問題に直面していた (EIRR, 1983; Hemerijck and Visser, 2001).状況打開のために緊急の行動が必要なことも,ま た,職なき福祉を維持しえないことも,明らかだった.政府は,民間および公共セクターの 賃金と物価凍結を宣言するが,労使は,過去の所得政策が失敗に終わったことを指摘して批 判した.

戦後オランダのコーポラティズム型統治は,全国レベルでは労使2者機関の労働協会 (Foundation of Labour/ STAR: Stichting van de Arbeid)と政労使3者機関の社会経済評議会 (Social Economic Council/ SER: Sociaal Economische Raad),中央計画局(Central Planning Bureau/ CBP: Centraal Planbureau)などによって担われてきた(Hemerijck and Visser, 2001; 水

島, 2001).ワセナール合意に帰結する協議の契機となったのは,中央計画局による経済予測 である.その報告書は,労働供給の増加がさらに失業率を増加させる傾向にあるものの,賃 金上昇が抑制されれば,年間約10万件の雇用が創出され,さらに労働時間の2.5%短縮による ワークシェアリングにより,雇用増は24万件に達するとした.協約冒頭では,使用者(VNO) と労組連盟(社会主義系FNVとキリスト教系CNV)が,雇用改善のために,経済成長と物価 安定,競争力の向上と資本投資が必要であること,また,短期的な解決策として,(生産時 間を維持した)労働時間短縮による雇用機会の再分配と雇用創出を謳っていた.雇用再分配 と若年者の失業に関する検討は,労働協会で行われた14). 一定の状況認識の共有にもとづく問題解決型のプロセスは,アイルランドとイタリアにも 存在した.アイルランドの労使関係は,イギリス同様,ボランタリズムの伝統をもつ.ピー ク労使組織であるICTU(Irish Congress of Trade Unions)とIBEC(Irish Business and Employers Confederation)は集権性に劣り,政治的には,強い社会民主主義政権の歴史にも欠けるなど, ネオコーポラティズム論で想定された基準と整合しない点が多い.他方で,マクロ賃金調整 は,1948年の試行に遡るアイルランド労使関係の重要な特徴で,労使コンフェランス(ELC:

14)失業率は,1998年には4%に低下した(Hemerijck and Visser, 2001).オランダの雇用増加は,アメリカやイギリスほど所得格 差の拡大と貧困をもたらさず,失業と社会支援給付もOECD諸国の中で高位にある.貧困率は,ベルギーに次いで低く,可

処分家計所得のジニ係数も,スウェーデン,ベルギー,デンマーク,ドイツに次いで低い.しかし,“輝くもの全てが金で

はない(All that glisten is not gold)”.社会保障給付を受け取り,雇用創出プログラムに登録した労働年齢の失業・非活動人

口は,労働力の約20%に達する.1983年以降の雇用増加の3/4が,“フレクシキュリティー”下のパートタイム労働で,長期

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Employer-Labour Conference)(使用者としての政府を含む)が設立された1980年に,最初の

全国賃金協約が締結されている(EIRR, 1991).1987年にソーシャル・パートナーシップ復活

を主導したのは,C.ホーヒー首班のフィアナ・フォイル共和党政権であり,1994年のPCW (Programme for Competitiveness and Work)テクストの一部は,フィアナ・ファオイル=労働

党連立政権の政策綱領によって構成されていた.

オドネルらは,こうした特徴を,組織構造がソーシャル・パートナーシップの主要条件や 説明とならないことの例証と捉えた上で,アイルランドにおける社会協定展開の背景に, “ERMやEMU,賃金に関する交渉と合意,税,福祉,公的規制,構造調整と競争力向上のた

めのサプライサイドの改善を含む・・・経済に関する共通理解(と,より弱い政治と社会に関 する共通理解)”があるものと見なしている(O'Donnell and Thomas, 2002).特に,実質所得

の低下(1981−7年に−7%)に歯止めをかけるには,“適度な賃金成長が国際競争力を維持し, 公的支出を管理するために必要である”ことが,ソーシャル・パートナーによって認識され ていた. また,イタリアの1993年社会協定に帰結する,数年間の政労使交渉と約40日間の集中的討 議を主導したのも政府だった.他方で,共産圏の崩壊と汚職による政党政治の衰退を背景に, 主要労組連盟―旧共産党系のCGIL,キリスト教民主党系のCISL,社会党系のUIL―がそ の活動の目的を,セクトラルな利害要求から経済の回復へと大きく舵を切っていた点にも留 意する必要がある(EIRR, 1993; Negrelli, 2000).さらに,プロディーとダレマ両政権下の社 会協定締結プロセスには,EU社会政策の影響を直接見ることができる(EIRR, 1999).1999 年パクトにおける3者協議拡大の項目は,EUソーシャル・ダイアログとの連携を謳い,そ の雇用政策も,欧州委員会に提出するイタリアの行動計画(NAP: National Action Plan)と連

動していた.同時期のドイツの“新中道(Neue Mitte)”戦略―マネタリスト的なマクロ経 済体制の承認と財政安定化,労働市場と税制,社会保障改革を,コーポラティズム型制度と その拡大によって達成しようと試みた―も,賃金抑制と雇用創出の因果関係の不明瞭さが 論争を招くようになるが,この類型に属するものとして理解できるだろう(Bispinck and Schulten, 2000; ブレア&シュレーダー, 1999). (3)ダイナミックな政策協調 1990年代の西欧ソーシャル・パートナーシップは,多様な機能領域を示す.戦後スウェー デンやオーストリアのような広範なコンサーテーション社会では,労使団体は,コーポラテ ィズム型統治制度―トップレベルの3者交渉やフォーラム,政府政策策定機関や行政機関 委員会への参加,労使協約の法的施行―を介して,雇用・社会政策,社会保障,財政・金 融,産業政策などを含む広範な機能領域に影響を与えた(Compston, 2002).1990年代に労働 市場政策を越えた“広い(または中程度の)”政策協調が見られたのは,オーストリアとア イルランド,イタリアのみであり,その意味では,“ポスト・ネオコーポラティズム”の時 代の西欧諸国の大半は,バーガーらの基準による“狭い”政策協調社会に位置することにな る.また,オランダやドイツ,デンマークでは,政策協調が頻繁に行われたが,フランスや

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スペインでは散発的で,イギリスでは1990年代にも復活することがなかった15). 他方で,1次(賃金)分配を中心に旋回した1970年代のネオコーポラティズムに対し,90 年代のものは,1次的分配と2次的再分配(社会的保護)をブリッジし,広範な領域間の相 互作用によって経済・社会パフォーマンスの向上をさせようとする特徴が見られる.特に, 包括的な社会協定は,賃金調整と労働市場改革(例えば,公的支援を含む雇用創出,非典型 雇用や労働時間規制の緩和による労働市場のフレキシブル化,セキュリティーの再定義と “フレクシキュリティー”の確立,早期退職制度などのワークシェアリング,アクティベー ションや職業訓練制度の拡充などの積極的労働市場政策),社会保障制度改革(年金,医療 保険の改革と後退や社会保険料拠出の削減),税制改革(所得税減税),経済・金融政策を含 む広範な社会経済プログラムとして立案されてきた.包括的かつ権威主義的,しばしば労働 排除的な自由市場型改革に,労働包括的な“交渉による改革”を対置することによって,社 会的な労働市場改革を行う試みとして理解することもできるが,それは,欧州委員会が,欧 州雇用戦略(EES: European Employment Strategy)やケルン・プロセス,カーディフ・プロセ

スの形で促進してきたEU社会経済モデルのアプローチでもある(Goetschy, 2000). また,前述したように,ネオコーポラティズム型パクトが集権的であったのに対し,賃金 調整の分散化と領域の複合化を背景に形成された90年代のものは,スープラナショナルレベ ル(EU)からマクロレベル,メゾレベル(産業や地域),ミクロレベル(企業)に至る交渉 プロセス間の結合を生みだしてきた.ゴエッツィーによれば,“マルチガバナンス・システ ムを想定できるものの,まだ,どのレイヤーがより形成的かつ基底的な役割を担うかは,識 別できない(Goetschy, 2000)”.したがって,1990年代の社会協定の3番目の特徴である“ダ イナミックな政策協調(dynamic concertation)”または“ダイナミックなコーポラティズム (dynamic corporatism)”は,領域間と水準間という異なる相互作用を伴うものとして理解で きる. 政策領域間のブリッジの形態には,コーポラティズム型アレンジメントを発展させた西欧 諸国間でも差異が見られる.ここでは,それぞれの社会協定の類似性と差異を考察してみよ う.前述のように,オランダの1982年合意は,(労組の)賃金抑制と(使用者による)労働 時間短縮のトレードオフによるワークシェアリングを基本要素としていたが,政府は,そこ に公共セクターの賃金凍結と法定最低賃金の引上げ(1%),税制改革と社会保障改革と若 年失業者の雇用対策を持ち込むことによって交換に貢献した(EIRR, 1983; Hemerijck et al., 2000: 261).1993年のニューコース(New Course)にも,ワセナール協約との共通点が見ら れる.この時も,政府介入の直前にソーシャル・パートナーシップが復活を果たし,また, 賃金抑制と労働時間短縮が連動していた. しかしそれは,よりイノバティブでもある.参加と分散化の哲学をもち,フレキシブルな 労働慣行とパート雇用の拡大を包括した(Hemerijck et al., 2000).労組は,初めて同一セク 15) 欧州大学のC.クラウチは,一定の留保を示しつつも,政労使による協調的改革を模索しない英ブレア労働党政権の労働市 場政策を,“金融市場などのネオリベラル利害に譲歩を迫られる社会民主主義”というよりも“社会民主主義者に譲歩しな ければならないネオリベラリズム”に近接するものと見なした(Crouch, 2001).

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ターまたは企業における労働時間と労働形態の差異化に同意するが,その目的は,雇用のフ レキシビリティーとセキュリティーをバランスさせることにあった.労使とも,ニューコー

スの帰結にほぼ満足していたとされる(EIRR, 1994).短期的には,使用者は協定どおりの賃

金抑制を,労組は雇用保証の協約包括とパート雇用の増加,労働時間のフレキシブル化を評 価した.中期的には,労働協会での議論が継続され,1996年の“フレキシビリティーとセキ ュリティー(Flexibility and Security)”合意に結実する16).翌97年の“アジェンダ2002”も, “責任ある賃金政策”とフレキシブル化(賃金設定の分散化,団体賃金協約の枠組みの中に

おける雇用条件の個別化,パート雇用の促進など),エンプロイアビリティーの向上,高齢

者や失業者の統合をテーマとした.

他方で,1990年代には,賃金調整と社会保障改革をめぐるオランダ交渉経済の混乱が生じて

いる.1989年12月に政労使が非公式合意した“共通の政策枠組み(Common Policy Framework)”

は,賃金抑制を補完する政府の税制措置と社会保障支出増加から構成されていたが,セクタ ー労組は企業利潤の上昇を理由に抑制を拒否,使用者は社会保障費の増額を理由に,戦後初 めて労働協会会合を欠席,合意は死文化した(Slomp, 2002). 1991年には,傷害保険制度の問題が浮上する.社会経済評議会(SER)は,増え続ける保 険利用者に対処するための制度改正に合意できず,既存プログラムの下方修正を断行したの は政府だった17).1992年には,自由党・社会民主党連立政権が,社会保障制度の運営におけ るソーシャル・パートナーの役割に関する調査のための議会委員会を設置した.同委員会報 告は,労使の職権乱用を指摘し,同領域における労使共同管理権限を縮小,独立監査制度の 導入を勧告した(Hemerijck et al., 2000; Slomp, 2002).1995年には,議会が,全ての社会経済 法制に関して事前協議を受けるSERの権限を無効にするが,それは,“ポルダー・モデル (Polder model)と呼ばれた交渉経済が,国際メディアに発見されつつあるときだった (Hemerijck et al., 2000)”18). アイルランドでは,1970年代の終わりには,マクロレベルの賃金調整と政府の経済・社会 政策のリンクが明確化し,政府は独自の観点から労使交渉に関与するようになる(EIRR, 1991).“政府支援型”賃金調整の結果,1979-80年には“経済と社会発展の国民的合意 (National Understandings for Economic and Social Development)”が生みだされている19).1980 年代には地域交渉に戻るが,1987年4月にICTUが新たなプログラムの作成を政府に提案,交 渉の結果作成されたものがPNRだった.PNRは,賃金抑制と労働時間短縮,税制改革,経済 成長を目標とする3年プログラムとして作成され,公共セクター給与の厳格なラインは,公 共財政の回復に資したとされる(EIRR, 1994). 16)協約は,コア労働者の解雇保護を引き下げる一方で,非典型労働者の雇用と社会保障基準を引き上げるもので,“労使だけ ではなく,安定した職を持つものと持たない者の妥協でもあった(Hemerijck, 2000)”.“フレクシキュリティー”合意は, 政府に取り上げられて1999年法となる. 17)1968年に制定されたオランダの障害保険法(WAO)には,先進諸国の類似制度に比し,労災に由来するものと一般障害の 未分離,給付基準の相対的な低さなどの特徴があったとされる(EIRR, 1993).1990年代初めには,労働人口600万人に対し, 100万人近い請求者がいたが,その一部はリダンダンシー対象の従業員であった点に社会的批判が集中した(Slomp, 2002). 18)スロンプは,一連の過程を通して,政府とソーシャル・パートナーの役割が変わったと見なした(Slomp, 2002). 19)既にこのプログラムも,給与と雇用だけではなく,税制と教育,医療,社会保障などの課題を包括していた.

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その後の一連の社会協定―ホーヒー首相が“アイルランド史上最も進歩的な政府プログ ラム”と主張した1991年のPESP(Programme for Economic and Social Progress),共和党・労 働党連立政権下で,賃金抑制(6%)と税制改革(所得税減税)のトレードオフと実質所得 改善を目的に作成された1994年のPCW(Programme for Competitiveness and Work),および 1997年のパートナーシップ2000―は,類似した形態と政策を示す(O'Donell and Thomas, 2002).これらは,狭義には,賃金調整とそれに対する財政的補償や低インフレ政策の政治 的交換として組織され,広義には,雇用政策や税制改革,社会的平等,経済政策を軸とする 広範な社会統治に労使団体などを統合し,またパートナーシップ体制を促進するための枠組 みを形成するものだった.

例えば,PNRでは,全国協約の監査とモニタリングを目的に,3者構成の中央監査委員会 (CRC: Central Review Committee)が,PESEでは,失業と社会的排除に対処するため,12の 地域レベル・パートナーシップが設置された.当時のOECDレポートは,地域パートナーシ ップの試みを,経済再生と参加民主主義の実験として国際的な重要性をもつものとも指摘し

ている(OECD, 1996).1993年には,経済・社会政策のイニシアティブ展開と社会経済的問

題の合意形成を目的に,新たなパートナーシップ組織として全国経済社会フォーラム (NESF: National Economic and Social Forum)が設置されるが,その審議過程には,伝統的な ソーシャル・パートナー,農業団体,共同組合に加え,コミュニティーとボランタリーセク ターからなる“ソーシャル・ピラー”が包括された20).パートナーシップ2000では,3年強 にわたる民間・公共セクターの賃金上昇率と地域(企業)交渉水準の規定,減税と国民保険 拠出料の削減,企業レベルパートナーシップ構築のための全国的枠組みの設定,社会的排除 (特に長期失業)対策(就業プログラムや起業文化促進)が盛り込まれていた(EIRR, 1997). イタリアの1993年協定は,“所得政策と雇用政策の交換を定式化”するものだったが,同 時に所得政策と団体交渉システムの構造そのものをヨーロッパ型に再構築する,“労使関係 と雇用の新たな憲法”でもあった(EIRR, 1993; Negrelli, 2000).前述のように,所得政策は “インフレと名目賃金の抑制を通して,より公正な所得分配を達成する”ための手段として 位置づけられ,政府は,ソーシャル・パートナーとの合意の上,インフレ率を競合的なEC 経済水準まで引き下げると共に,財政赤字削減と通貨安定の責務を負った21).交渉水準は, セクターと企業(または地域)レベルに収斂され,ドイツ型の4年(賃金部分は2年)協約 が導入された.使用者連盟(Confindustria)は,当初,企業交渉を承認しなかったが,この レベルの増加分が基本給を構成しないこと,政府が同等の社会保障拠出削減を行うことで妥 協が成立した(EIRR, 1993).企業レベルの従業員代表組織として,単一組合代表(RSU)が

20)パートナーシップ2000で“ソーシャル・ピラー”に包括されたのは,以下の諸団体(O'Donell and Thomas, 2002:168): INOU (Irish National Organisation for the Unemployed),NWCI(National Women's Council of Ireland),CORI(Committee of Religious Superiors),Centres for the Unemployed,Society of St. Vincent de Paul,Protestant Aid,Community Platform(パートナーシップ参加

のために14団体によって設置された組織).7団体は,協定交渉の“第2グループ(strand)”に属し,拒否権をもたなかった.

21)この目的のために年2回の3者トップ会談が組織された.5-6月セッションは,インフレ率,GDP,雇用に関する共通目 的を設定し,予算法制化前に具体的方策を検討する9月セッションでは,政府は財政・準財政(parafiscal)政策,競争政策 と市場開放によって,使用者は効率,技術革新,成長政策によって,労使は賃金政策によって,それぞれ設定インフレ率

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導入されたのもこの協約による.雇用政策領域では,賃金保証基金(CIG)の支払いが簡素 化され,労使が地方自治体と雇用局の協力により,積極策,フレキシビリティー,職業訓練 のパッケージに合意するための体制がつくられた.また,この文書で最も長いのがビジネス 支援で,公的なリサーチや企業のR&D支援,教育,職業訓練,国際化のための基金設置,地 域的不均衡の是正,インフラの整備や関税政策などを包括した. 1998年12月に政府と労使,中小企業団体,地方政府代表を含む32のソーシャル・パートナ ーによって締結された社会協定は,翌99年に議会の承認を受けている(EIRR, 1999).1993年 協定の成功と96年の労働市場改革に関するパクトの影響を受けて作成されたこの協定は,労 働費用の削減,職業訓練への投資,社会政策領域における3者交渉(tripartims)の拡大,南 イタリア開発局の設置などによる経済成長と雇用創出を目的とした.5年間で3%の数値目 標を掲げた労働費用の削減は,主要目的のひとつだが,使用者の社会保障拠出の減額と社会 保障負担(育児給付と家族手当)の国家財政への移転を含む間接費用が主な対象だった. 1997年改革で導入された継続職業訓練基金は,賃金総額の0.3%から0.5%へ増額されている. これら3ヶ国の社会協定には,いくつかの共通点が見られる.大半は,プロアクティブな 政府行動に支えられている.労働協会やCPBによる労使統治の伝統をもつオランダでも,協 定は政府による“法制化の影の下で”締結された.また,オランダのワセナールや1993年協 定,アイルランドのPNRは,賃金抑制と労働時間短縮をトレードオフの基軸に据えていたが, それは,短期的に有効かつ受諾可能な雇用政策として社会的アクターに認識されていた. “競争型コーポラティズム”またはサプライサイド改革としての特長も,ワセナールのよ うな初期協約(e.g. 使用者の失業給付拠出レベルの削減や公共サービスの民営化),アイル ランドのパートナーシップ2000(e.g.使用者のPRSI社会保険拠出の削減)やイタリアの1993 年協定(e.g.政労使の積極的労働市場政策とフレキシビリティー,職業訓練のための枠組み やサービスセクターにおける社会保険料拠出の減免の検討)など,広範に見られる.他方で, 比較競争力の維持を目的とする政策は,例えばオランダの場合,1970年代や80年代ではなく, 少なくとも1950年代までは遡るとされる(Hemerijck, 2002)22). また,それは,しばしば補償的措置とのトレードオフ関係に置かれるか(e.g.ワセナール 協約における児童手当の引き上げやパートナーシップ2000における減税パッケージ),より 広範な政策的枠組みの中に位置づけられている(e.g.1993年協定における労使関係と所得政 策システムの構築).1990年代の社会協定にとりわけ多く包括されているのが,アクティベ ーションや職業訓練制度の再構築を含む積極的労働市場政策の流れである. さらに,オランダやアイルランド,イタリア,スウェーデン,ドイツのものを含む社会協 定は,賃金調整を社会保障改革に連動させる機能的スコープを示してきた.ハッセルらは, この現象は,福祉国家の再調整というコンテクストにおいてこそ理解しうると考えている 22)“厳格な賃金規制の時代を通して,社会問題省は,労働協会の協力,社会経済評議会の助言とセントラルプランニングビュ ローの経済予測にもとづいて,いわゆる‘経済的に受諾可能な(economically permissible)’賃金を確立しようとしてきた. …世界経済拡張期には,低賃金戦略が競争力を与え,1950-60年の間の賃金は,ドイツやベルギーに比して20-25%低かった (Hemerijck, 2002: 230).”

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(Hassel and Ebbinghaus, 2000).つまり,社会協定は,“新たな世界経済へ適合するというニ ーズと欧州社会モデルの維持の間の新たな均衡を確立する(striking a new balance)ための主

な手段”だった(Ebbinghaus, 1999).1990年代の政治的交換は,新たな社会給付がないとい う点で,ネオコーポラティズムの時代の所得政策とは異なる.それでも,福祉後退をソフト にするという取り引きは,労組にとっても価値あるものだった23). 社会協定と社会保障改革の連動は,いくつかの理由によって説明されている(Ebbinghaus and Hassel, 2000).まず,ソーシャル・パートナーは,戦後の大陸福祉国家において,しば しば失業保険,早期退職制度,職域年金などの社会保険制度を運営またはモニタリングする 役割を担ってきた.保守またはキリスト教民主主義的なオランダ福祉国家では,職域社会保 険が労使によって運営されてきた(Hemerijck et al., 2000).イタリアとドイツでは,政府と 議会が法制によって拠出と給付水準を定めるにせよ,ソーシャル・パートナーはその施行過 程に関与し,一部諸国では,独自の共同スキーム(e.g.団体交渉パートナーが運営するフラ ンスの失業制度,ベルギー,デンマーク,フィンランド,スウェーデンの組合管掌・国家補 助の失業基金,ベルギー,フランス,デンマーク,オランダの早期退職制度)を運営してき た.オランダ,イタリア,フランス,スウェーデン,ドイツ,デンマークなどでは,ソーシ ャル・パートナーが契約型の職域年金拠出を交渉しうる限りで,社会的賃金も賃金交渉の対 象へ包括するのが自然だった.使用者(または労使)の労働市場年金保険は,政府が公的年 金給付の代替率を下げるにつれて重要性を増す傾向にある. 次に,非賃金労働費用,特に労使の法的社会保険拠出の重要性を指摘できる.大陸諸国の 保険型福祉国家では,非賃金労働費用は製造業労働費用の45−50%に達する.ソーシャル・パ ートナーは,賃金調整の責任を負うものの,社会保障支出は管轄せず,保険料率の設定に対 する影響力も限定的である.結果として,福祉国家の後退局面で締結された社会協定は,賃 金抑制へのコミットメントと共に,政府による社会的労働費用の抑制を包括するようになった. 3番目に,賃金形成と社会給付のカップリング(連動)を指摘できる.最低社会給付は, しばしば最低賃金にリンクし,社会拠出は賃金水準により設定される.特に年金は,いくつ かのケース(オランダ,オーストリア,ドイツ,デンマーク,フィンランド)では賃金動向 にインデックスされている.最後に,失業給付は,しばしば賃金に連動している.新古典派 理論では,失業給付が実際の賃金に近いほど―デンマーク,フィンランド,スウェーデン の任意制度では総額の80%を占める―労働へのディスインセンティブは高くなると見なさ れているのだが. 23)サンデー・トリビューン紙は,PNRにおける労組の役割に着目して,“多くが,アイルランドの経済生活の周辺(マージン)

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3. 西欧コーポラティズムの多様化

1980年代以降,西欧コーポラティズムは,持続と崩壊,または形成という異なった軌道を 示してきた.それが持続した(新たに制度化された)社会では,その機能は,縮小・不安定 化する需要構造と経済のグローバル化,マーストリヒト収斂基準を背景に,労働費用の削減 と産業競争力の強化へと大きく転回した.政府主導の規制緩和政策が一方的に展開したアン グロ=サクソン諸国やフランス,日本と対象をなすのは,施行錯誤を繰り返しつつ“交渉に よる改革”を模索するアプローチとそれがもたらす社会的帰結になる.それは,“社会的排 除”に“社会的統合”を,“市場競争”に“市場競争の効率性と社会的公正の両立”を対置 する欧州社会モデルに,少なくとも一部では,直接連関していた. 本稿における試みは,1990年代の西欧諸国の社会協定の特徴を,持続する賃金調整と積極 的かつダイナミックな政策協調に概念化することにあった.それは,“ある程度代表的な” オランダの社会コーポラティズムや,アイルランドやイタリアのような新たに“コーポラテ ィズム化(corporatization)”した諸経済の事例によって,やや異なった形で例証しうるよう に思える.他方で,この論文には積み残しも多い. まず,政策協調が伴うダイナミズムの論理とその歴史的変化の理解が重要である.こうし た“交換による構造改革”を軸に据える統合的アプローチは,コーポラティズム型経済にお いて,時系列的に,またはクロスセクショナル的に,どの程度安定的なものとして理解でき るのだろうか.一部のコーポラティズム経済で成立した妥協が,類似した制度的枠組みをも つ他社会で形成されなかったり,失敗したりしてきた原因はどこにあるのだろうか.また, EUの政策調整型のアプローチ(OMC: Open Method of Coordination)の展開は,各国の社会 政策領域における収斂をもたらしつつあるのだろうか. システムの歴史的安定性とクロスセクショナルな同質性と関連するのが,制度化の問題で ある.スウェーデンやオーストリアの例が示すように,社会的アクターの妥協の上に構築さ れる“パートナーシップ”モデルは,不均衡要因を内包している.制度化は,システム全体 の安定性を保証しない.ポシェらは,1990年代の展開は,“多くが不安定で,循環的な経済 的要因に依存しており,2者または3者関係がネオコーポラティズム型組織と同等の組織化 に向かうことはない”と見なしている(Pochet and Fajertag, 2000).

コーポラティズム型社会統治は,その伝統が弱い経済にも定着していくのだろうか.それ とも,経済統合と構造改革期に出現したアドホックな現象に過ぎないのだろうか.それは, グローバルな自由競争モデルと共に(またはそれに対し),21世紀の労働市場管理を担う参 加民主主義的な仕組みとして展開しうるのだろうか.当面の論考は,西欧コーポラティズム の手続き的側面に着目してはいるのだが,それはまた,社会統治の実質的側面との関連にお いて捉えられなければならない.コーポラティズムは社会統治の手段であり,重要なのは, それが生みだす現実に他ならないからである.

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参照

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