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福永武彦『死の島』について(小特集 : メディアとしての歴史と文学)

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福永武彦『死の島』について

南 谷 覺 正

情報文化研究室

On Fukunaga Takehikos The Isle of the Dead

Akimasa MINAMITANI

Information and Culture

Abstract

This essay is an attempt to prove that Fukunaga Takehiko s The Isle of the Dead is an insightful work of literature about Hiroshima, while analizing various devices that the author employs. 福永武彦(大正7/1918年―昭和54/1979年;享年61歳)の『死の島』は,昭和41/1966年1月(福 永47歳)から昭和46/1971年8月(福永53歳)にかけて,雑誌『文藝』に,病気療養による休載期間 を挟みつつ,5年半に亙り断続的に連載された後,昭和46/1971年9,10月に上下2巻の単行本とし て刊行され,昭和47/1972年の第4回日本文学大賞を受賞した,福永の代表作であるばかりでなく, 評家によっては日本の戦後文学の金字塔の1つともされる作品である。例えば加賀乙彦は,次のよう に述べている。 福永武彦の長編小説の中で『死の島』は頂点に聳えている。それは最も長い作品であるというためではな くて,作品世界の特質においても方法においても,従来の諸作品を集大成し凌駕しているからである。『風土』 や『草の花』の抒情,『夜の三部作』や『忘却の河』の暗黒の意識,『海市』のロマネスクと要約してみれば, それらのすべてが『死の島』には濃密に見出される。また『風土』と『海市』における過去と現在が 錯し た特異な方法は『死の島』においてほとんど極限にまで活用され,複雑な騙 し 絵を思わせる華麗な世界を作 りだしている。このような冒険的方法は作品にそれに見合うだけの描写力がない場合は一種の知的遊戯に 終ってしまうおそれがあるが,この作品はその点でも充 読者を納得させるだけの 衡を保っている。…(中 略)…『明暗』に源を発した日本の現代小説の一つの到達点が『死の島』にある。小説の方法を えるとき,

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新しい文学を 造しようとするとき,そこには絶えず立ち返ってみるべき小説の問題が豊かにもられてい る。 しかしながら『死の島』の知名度は低く,一部の読者を除いてさほど読まれることもなく今日に至っ ており,また「原爆文学」としても,一部の研究者を除けば,あまり評価されていないようである。 福永は単行本化に際して添えた「作者の言葉」の中で,「主題については読んでもらう他はないが,例 えば原爆という私らしからぬ社会的問題を,重要な主題の一つとして扱っている。なぜならばそれは 日本人にとっての魂の問題と結びつくからである。」と述べており,また亡くなる年の夏には,一友人 に向かって「君,僕は『死の島』で終っているのだから 」 と語っているところを見ても,生半可 な気持ちで原爆のテーマを扱ったのではないことは十 に察せられる。本論では『死の島』を,原爆 を扱った真摯な文学として,少し詳しく見てみたい。 * * * * * * 『死の島』の,主要登場人物は,相馬鼎,萌木素子,相見綾子,それに内的独白の形でだけ出てく る「或る男」の4人である。主人 相馬鼎の,昭和29年1月23日㈯明け方から翌日の明け方までの, ほぼ24時間を る主筋に,他のいろいろな narrativeが流れ込んできて,ジグソー・パズルのように, 読者の目に「過去」の事情が少しずつ形をなしていくという結構上の意匠が凝らされている。 昭和29年1月23日という日付の設定は,小説の中でのように,その日に実際に雪が降ったことが1 つの大きな決定要因になっているようだが,加藤道夫の自殺 や二重橋事件 への言及もあり,当時 の歴 的現実に対する関心も存していたことを感じさせる。 そうした歴 的現実の中の最たるものは,当時の世界の危機的な核状況であるに違いない。昭和27 年11月1日にはアメリカが,また昭和28年8月12日には旧ソ連がそれぞれ初の水爆実験を行い,核兵 器をキロトンの次元からメガトンの次元へと進化させ,その破壊力を一気に巨大化させた。(破壊力の 規模は次第にエスカレートしていき,昭和36年10月30日に実験された旧ソ連の RDS-220「ツァーリ・ ボンバ」は,控えめに見ても広島型原爆の約3,000発以上の爆発力を持っていたとされる。)シカゴ大 学の「世界終末時計」(“Doomesday Clock”)は,昭和28年には2 前を指しており,核戦争による 世界の終末は現実味を帯びていた。アメリカのビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸が被爆したのが 昭和29年3月1日のことである。 福永が『死の島』を執筆していた昭和40年代までには,米ソは相手を威嚇するための核兵器の開発・ 備蓄に狂奔しており,昭和37年10月のキューバ危機は文字通りの一触即発状況を現出した。また,昭 和39年8月のトンキン湾事件をきっかけとしてベトナム戦争に本格介入していたアメリカは,昭和41 年4月から北爆を開始,原爆 用も当然のことながら 慮されていた。 一方この時期の日本は,昭和26年9月8日にサンフランシスコで署名された対日講和条約が昭和27 年4月28日に発効し,「独立」と平和が回復され,朝鮮特需によって軌道に乗り始めた戦後復興の慌た

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だしさの中,戦争の惨禍の記憶も次第に薄らぎ,広島の爆心地も記念 園として整備され,多くの観 光客が訪れるようにさえなってきた時期である。昭和29年5月には,日米相互防衛援助協定が発効し, 保安隊,警備隊の自衛隊への改編がなされ,日本は実質的な軍隊を持って冷戦構造に巻き込まれるに 至るのだが,自衛隊は姿の見えない軍隊であって,国民はそれに目を閉ざしさえすれば,「戦争放棄」 を掲げた「平和国家」の夢をむさぼることができた。占領の続く沖縄に核が持ち込まれたとしても, それを知る方法さえなかったのである。 『死の島』の冒頭部の相馬鼎の夢 この夢は福永自身が実際に見た夢である の描写は,水爆投 下後の情景を思わせ,この小説全体のトーンを予告している。 広々とした涯もない平面が地平線まで見通されて,灰色の一本の線がこころよい丸みを帯びて横に長くつ らなっていた。空は一面にどんよりと曇り,赤茶けた,鈍い,不透明な光線が空中に漂い,そして次第に眼 が馴れてくるに従い,此所から地平線までの広々とした空間のところどころに,異様な形をした物たちが不 動の姿勢のまま佇んでいるのを見 けることが出来た。物たち それらはすべて破滅した,腐敗した,形ら しい形を持たぬ,嘗て存在したものの幽霊だった。…(中略)…それらの物の一つ一つは,地上に在ること を後悔するかのように,寧ろ彼等の同胞と共に四散し,こなごなに跳ねとばされ,塵にかえってしまえばよ かったと思い嘆いているかのように,虚無を指向し,絶滅を希望しているかに見えた。いな,後悔するとか 嘆くとかいう形容は当たらない。それは寧ろまったくの無意志,まったくの無意味, 物たちが初めからそ うであったような,そして人間がそこに勝手な効用を発見したというにすぎなかったような,物それ自体の 沈黙を固く守って,何ものをも望まず,崩れ落ちたままただそこに在るというだけだった。(上,p.12) 原爆はただ通常兵器の規模を大きくしただけのもので特別視するにはあたらないという議論も,原 爆は放射能が後世にまで影響を及ぼす残虐な兵器であって通常の兵器とは一線を画すという反論も, (落とされた側の人間の目に映る)圧倒的な虚無の現出という,魂に関わる肝心な要素を見落として いる。犠牲者数では広島,長崎のそれを上回る,沖縄(犠牲者約20万人)やベルリン(犠牲者約30万 人)の地上戦でも,東京やドレスデンにおける無差別空爆でも,文字通りの生き地獄と地域的な虚無 が現出するが,これらは何度繰り返されようとも人間の歴 自体は執拗に残るだろうという感覚は保 たれ,その限りで,人間のドラマの一部として取り込める本質を有している。しかし原爆は,そうし た人間の歴 自体を 笑し,息の根を止めるものを伏在させている。油脂爆弾で四囲に火の壁を作り, その後で焼夷弾の絨毯爆撃によって一晩で10万人もの人間を焼き殺した責任者であるルメイに対し, われわれは憎悪と侮蔑を感じることができる。憎めるのは,相手を邪悪ではあってもまだ人間として 認めているからだ。しかしルーズベルトやトルーマンやチャーチルやグローヴズやバーンズやティ ベッツやスウィーニーを憎悪し侮蔑しようとしても,何かある巨大な愚劣さの前に,人間的な感情が 空無化してしまうところがありはしないだろうか?それは原爆の生み出す途方もない虚無に由来する のに違いない。『死の島』の原爆に対する視線は,最初からそこに焦点が合わせられている。

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『死の島』は,1)「語り手」の narrative;2)(「内部」と名づけられている)萌木素子の内的独 白;3)「或る男」の内的独白;4)相馬鼎の小説(“Work in Progress”)という,4種類の異なる narrative text から構成されていて,それらが1つ1つ独立した章のように断片化されて,一見無秩序 に並べられている。 1) は,主人 相馬鼎に密着した narrativeになっているが,これに2種類があり,1つは,1−A) 昭和29年1月23日㈯明け方から翌日の明け方までほぼ24時間の,主人 の空間的な移動を伴いながら の時間軸に って進行する物語全体の主筋であり,もう1つは,1−B) 昭和29年1月23日を300日 る昭和28年3月29日㈰から,1−A) の前日である昭和29年1月22日㈮までの約10ヵ月間の「過去」 の経緯を物語る narrativeで,こちらは時間軸に っているわけではなく,相馬鼎が適宜思い出すにま かせてといった様子で並べられているが,季節が明示されているので,読者は春→夏→秋→冬とめぐ る年単位の時間の流れの中にそれらの断片を位置づけることができる。このように,相馬鼎を中心と した2つの narrativeは,いわば地球の自転と 転の時間を 錯させたものと言うこともできよう。 2)萌木素子の内的独白は,昭和29年1月19日㈫∼1月22日㈮の4日間の,萌木素子と相見綾子が 心中を決意して広島へ向かい,そこで一緒に薬を飲むまでの意識の流れが, から までの番号がふ られて時間軸に って配置されおり,この narrativeによって読者は,最も めいて映る彼女の内面を 垣間見ることができる。 萌木素子の内的独白に特徴的なことは,2−A) 現在進行的な narrativeの中に,突然,2−B) 被 爆時の記憶の narrativeが闖入してくることで,その部 は,漢字・カタカナ書きとなっていてはっき り識別できる。2−B) の記憶自体は,時間軸に っていない部 もあり,それこそ断片化されてい るが,読者は,萌木素子の被爆時の物語を朧に再構成できるようになっている。それらを想像によっ て大まかに時系列化すると以下のようになろう 昭和20年8月6日に10代後半の女学生であった萌木素子は,被爆後,倒れた木材の下敷きになって いた少女を引きずり出し,顔がすっかり崩れてしまった女の子を抱きかかえて歩き出すが,水を求め られても与えてやることができず,やがてその子は死んでしまう。死骸を道端に置き去りにして,母 と妹を探しに( は幼い頃に理由は からないがいなくなっている),爆心地に近い家に向って歩き始 める。向こうから来たトラックに乗っていた兵士に,広島の中心地は全滅だから行っても無駄だと言 われても引き返すことはせず,途中で黒い雨に打たれていると,近くに座っていた兵士に雨宿りする よう勧められるが,兵士はその一瞬後凭れていた壁からずるずるとずり落ちて息絶えてしまう。かつ て家のあったあたりをうろついてみても誰とも見 けのつかない黒焦げの死体を見出すばかりで, 真っ赤な夕陽をしばらく茫然と見つめた後,救護所になっている国民学 に行き,被災者たちの群れ が横たわっている惨憺たる光景を見る。ある少女は素子の手を握りしめ,「オ母サン」と言いながらこ と切れる。素子は何か手伝えないかと医者に申し出,薬罐を持って皆に水を配って歩く役を受け持つ。 そして翌日(ないし翌々日か)の朝,腐乱し始めた死体の焼却を手伝っていると,自 を母だと思っ て死んでいった少女の遺骸があるのに気づく

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3)「或る男」というのは,女を次から次へと取り替えては,女たちにたかりながら生きている男で あるが,読み進むにつれ相見綾子のかつての恋人であったことが かる。時間的には昭和29年1月23 日㈯の午前から同深夜まで,つまり,萌木素子と相見綾子が自殺を図った夜の翌日,1−A)の相馬 鼎の narrativeとほぼ重なる時間がカバーされている。彼の内的独白から,綾子の過去がどのようで あったかについて少し推察できるようになっている。 4) 相馬鼎の小説は,4−A)「恋人たちの冬」,4−B)「カロンの艀」,4−C)「トゥオネラの白 鳥」の3つの物語から成っている。相馬は小説家志望で,3つの独立した物語で構成されるこの小説 を途中まで執筆しており,『死の島』の中ではそれらがさらにバラバラに配置され,初読の際には,そ れらの相互関係の把握や,「現実」と(相馬鼎の)「小説」の区別にかなり難渋する。 4−A)「恋人たちの冬」は,相見綾子をモデルにしており,A(相見綾子)は,教会でがK(「或 る男」)に出会ってやがて彼と同棲するに至るが,次第にKとの不協和に堪え難くなり,盲腸炎となっ たのを機にKのアパートを出ていく。 4−B)「カロンの艀」は,4−A)を引き継ぐような物語で,Aは盲腸炎で入院した先の病院で, 相部屋のM(萌木素子)と親しくなり,(病院で自殺を図って失敗した後)Mに誘われてMの下宿に同 居するようになる。しかしAはMが何となく自 を疎ましく思っているのではないかと気に病む。 4−C)「トゥオネラの白鳥」は,相馬鼎の小説原稿と同じ順に配列されており,広島の原爆関係の 同人誌『土星人』のメンバーに加わったMの,同人である男性SとRとの関係が描かれている。 『死の島』の narrative text はこのように多様であるが,読者は1−A)の明確なストーリー・ラ インを りながら,それまでの過去の経緯についての情報をいろいろ与えられつつ,この物語はどの ような結末を迎えるのかというサスペンスに引きずられながら読み進む。相馬は京都以西に行くのは 初めてであり,ある意味でその道行きは, の中心地ヒロシマへの旅という意味合いを帯びている。 1−B) の narrativeにより,相馬鼎,萌木素子,相見綾子の物語を時間軸に って整理し直してみ ると次のようになる 昭和28年3月29日㈰に相馬鼎は展覧会に行き萌木素子の『島』という絵に強く惹かれ,側で同じ絵 を見ていた相見綾子を絵の作者かと間違えて話しかける。六根書房という出版社に勤めている相馬は, 企画中の『平和への手引き』という本の表紙の絵を萌木素子に依頼することを思いつき,それを社に 認めてもらって彼女の下宿(西本家)を訪ね,そこで素子と同居している綾子に再会し,また素子が 被爆者であることを知る。以後,絵や音楽を通じて,あるいはどこかへ出かけたり食事を一緒にした りしながら,相馬はこの二人の女性に親しむようになり,また素子も綾子もそれぞれに相馬に対し単 なる好意を超えた感情を抱くようになる。しかし相馬はどちらか一人を選ぶということはせず,どち らに対しても煮え切らない態度を取り続ける。12月28日(26日前)には綾子が,また年が明けた1月 19日(4日前)には素子が,それぞれ一人で相馬鼎のアパートを訪れて彼に対する愛情の意思表示を するのであるが,相馬はコミットすることを頑なに避ける。1月20日(3日前),再び彼のアパートを

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訪れた綾子に対し,好意を持っていることは伝え彼女の手は取るもののそれ以上には進もうとしない。 その夜,素子と綾子はほとんど同性愛的とも言い得る気持ちを確認し合って広島への死出の旅を決め, 翌1月21日(2日前)昼過ぎに東京を発って,22日(1日前)の朝広島に着き,終日広島の町を歩い た後,宿で寝る前に一緒に薬を飲んで自殺を図る。21日,22日と西本家を訪れて二人の不在を訝しん だ相馬は,23日(物語の当日)の朝に西本から電話で,広島から緊急の電報が来たことを告げられ, 急いで駆けつけると,それは二人の危篤を知らせる電文であった。相馬は広島に行くことを決め,綾 子の実家に立ち寄って事情を話し,タクシーを飛ばして昼過ぎの急行「きりしま」にぎりぎりで間に 合う。車中,名古屋で,その後一人が死亡もう一人が昏睡状態(どちらがどちらであるかは不明)で あるという電報を受け取る。二人の女性への気持ちを確かめようと,これまで自 の書いた小説を読 み直しているうちに,24日払暁,列車は夜来の雪の降る広島に着き,相馬は再びタクシーを飛ばし一 体どちらが生きているのかを確認するために病院に駆けつける 『死の島』の1つの大きなモチーフは,相馬鼎,萌木素子,相見綾子の三人が,それぞれ他の二人 に対して愛に似た感情を抱いているという特異な「三角関係」にある。萌木素子は被爆者であり,背 中に大きなケロイドを残し,それにも増して深刻な精神的傷害を受けているという点において,また 相見綾子は,家族の愛に飢え,家族の反対を押しきって或る男と同棲生活を送りそれが破綻して自殺 未遂を行ったという点において,いずれも「過去を背負った女性」である。一方「怖いもの知らずの 呑気な大学生」から「楽天的な編輯者」となり,「くそ真面目な小説家志望の文学青年」である相馬鼎 は,シベリウスの音楽,ベックリン,ムンクの絵画を好む知的ディレッタントである。萌木素子と出 会うきっかけとなったのも,素子の『島』に惹かれてのことであり,その絵への偏愛は持続し,つい にはそれを手に入れる。綾子は何につけても受動的で,絵画にせよ音楽にせよ平凡な感覚しか示せな いのだが,その「伝統的な日本女性」のしおらしさ,可憐さは魅力に れており,相馬はこの二人の どちらにも等しく惹かれ,一人に りきれないことについて自 でも煩悶する。 相馬の Work in Progress という小説も,実は自 のそうした気持ちを探る手だてとしても構想され ており,「トゥオネラの白鳥」で素子を,「恋人たちの冬」と名づけられることになる物語で綾子を, 「カロンの艀」で二人の共同生活を描く予定であった。美しくはあってもお嬢さん然とした綾子につ いては書きあぐねていたが,素子から綾子の過去を聞かされると俄然 作意欲を刺激される。「しかし その場合でも,果してM子とA子のいずれを愛しているのかは,作者である相馬鼎自身にも らなかっ た」のである。 福永の「『死の島』ノオト断片」には,「重要な一主題は選択である。主人 はM子とA子との何れ を選ぶべきかを最後まで決定し得ない」と記されている。 ある時素子から,私と一緒に来るか,綾子 と残るかを迫られた相馬が描かれる次の場面などにはそうした制作意図が反映されている。 素早く選ばなければならない,萌木素子と行くか,相見綾子と残るか。 相馬鼎は一瞬の間,いつもとは 違った相手の服装を見詰めながら えた。もし一緒に行くと言えば,それは不断の彼女ではない彼女に,魅

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せられたということの証拠になりはしないか。もし行かなければ……。 萌木素子はそのほんの暫くの間も待っていなかった。身を翻すと,彼をアトリエに残してさっさと階段を 下りて行った。玄関で相見綾子と話している彼女の声が,二階の廊下に立ち止まっている彼の耳に聞えて来 た。己には選ぶことが出来なかった,と相馬鼎は えた。(上,p.274) このハムレット的なモチーフは,優柔不断が最後には大きな悲劇を招くという人生の機微とも,人 間が本来的に意識層と無意識層に 裂した存在であるという事実とも結びついているのだろうが,同 時に,戦後の日本の,自 で責任をもって選択しない済し崩し的な状況を反映させていると解釈する こともできよう。例えば平和ということについても,多くの日本人がそう言うであろうように,相馬 は,平和は人間が本能的に欲する希望だと言い,そこに日本人通有の欺瞞性を嗅ぎつけた素子は次の ように辛辣に批判する。 「そうかしら,」と萌木素子は るような光を眼に浮べた。「本能的には,人間は闘争の方に向いているんじゃ ないかしら。穏かに,何ごともなくて,無事に暮して行けるなんてのは,それこそ夢もいいところじゃない? 放っとけば人間どうしはいつでも喧嘩を始める,国家どうし,民族どうしはいつでも戦争を始める。それが 本能なんじゃなくて?」…(中略)…「茶化さないで頂戴。わたしは,平和は選び取るべきもので,黙って いて与えられるものじゃないと思うわ。日本人は戦争に負けて平和を与えられた。平和を強制された。それ で日本人はみんな平和を満喫して,平和ほどいいものはないと言っている。一体それが平和かしら。そんな 済し崩しの平和なんて,いつまで持つと思っているのよ。」(上,pp.271-272) 自 で死を選択した萌木素子は,一緒に死のうとする綾子とともに身体を震わせているが,それは 「寒さのせいではなく,わたし[素子]にはわたしの選択が,彼女[綾子]には彼女の選択が,迫ら れているということのため」である。しかしながらこの二人の女性も,死の選択においては勇気を奮っ たものの,相馬に対する感情においては煮え切らない態度に終始している。素子は綾子のほうが,綾 子は素子のほうが相馬にふさわしいと思って自 は身を引こうとするのだが,未練が断ち切れないと いう様子であるし,何よりも相互に同性愛的な感情を隠し持っているために,曖昧さを脱しきれない。 自殺を決める場面を回想しての素子の めいた言葉 「その時彼女は生きていて,わたしは生者に 呼び掛ける言葉を持っている筈だった。死者に呼び掛けることは出来ないとしても,生者に対しては 何等かの慰めが,何等かの忠告が可能な筈だった。しかしわたしの手は綾ちゃんの背中の上を,外套 とパジャマとを通してその皮膚の暖かみを探るかのように,空しく撫でていた。」(上,p.284) は, 彼女の被爆時の体験を踏まえたものである。 「オ水要リマセンカ」 シカシ返事ヲシナイ人モイタ。手ヲ動カスコトモ,脣ヲワナナカセルコトモ出来ナイ人モイタ。澱ンダ空 気ノ中デ,彼等ノ吸ウベキ息,吐クベキ息ハ既ニ尽キテイタ。ソウイウ人タチハヤガテ顔ニ白イ布ヲカブセ ラレ,担架ニ載セラレテ裏 ノ方ヘ運バレタ。シカシ人手ガ不足シテイタノデ,彼等ハソノ時ガ来ルマデ,

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生者等ト同ジヨウニ枕ヲ並ベテ寝テイタ。ソシテタトエソウイウ時デモ,彼女ハ決シテ省略スルコトハナカッ タ。必ズ声ヲ掛ケテ呼ビ掛ケタ。 「オ水デス。オ水要リマセンカ。」 ソレガドンナ空シイコトデアッテモ,ソノ呼ビ掛ケハ死者ニ対スル儀礼ダッタ。イナ,ソレハ彼女ガ自 ニ課シタ儀式ダッタ。ワタシハワタシノ見タモノヲ決シテ忘レナイダロウ,ワタシニ呼ビ掛ケタ死者タチノ 声ヲ決シテ忘レナイダロウ。彼女ハソウ呟キ,乾イタ眼デ真直ニ前ヲ見ナガラ,薬罐ト湯呑茶碗トヲ手ニシ テ,少シズツ歩イテ行ッタ。(上,p.286) 『死の島』の昭和28年という年は,福永にとっても人生の大きな節目であった。昭和22年から28年 3月まで6年という歳月を清瀬の療養所で死と隣り合わせの生活を送り,28年の春にやっと社会復帰 したのである。サナトリウムでの生活は福永に「現実を死者の眼から見ること」 を教え,それが『死 の島』の構想に繫がっていったと えるのは自然なことである。バーで踊る男女が骸骨が踊っている ように見える素子のビジョンには,福永自身のそれが重ねられていたかもしれない。昭和20年には生 者に(そして死者にまでも)優しく語りかけることのできた素子は,今では生者の綾子にも慰めの言 葉を掛けることができなくなっている。それは,8年半の歳月の間に彼女の心がゆっくりと焼き尽く されてしまい,そういった慰めの言葉自体がもう虚ろなものに思えるようになってしまっているとい うことを意味している。素子の生における選択の意思も,すでに血の色を失い青ざめているというこ とだ。 福永は「一度本格的に『雪』を描きたかった」という『死の島』執筆時の抱負を述べている が, その抱負通り『死の島』の雪は,1月23日に実際に降ったというリアリティの重み以上の様々な含み を持たされており,ジョイスの“The Dead”の雪にも似て,多重性を帯び,ジョイス顔負けの周到さ で描かれていると言ってもよい。タクシーの運転手がポツリと漏らすように,大雪は,(原爆の遠因を なす不吉な)二・二六事変の日の大雪と響き合っている。また東北の一寒村で生まれ育った「或る男」 の独白の中で降り始める雪は,その回想に何度も言及される雪女の言い伝えによって,薄気味悪いトー ンを帯び,次のような場面では,素子に femme fatale(素子は別のところでは,その長い黒髪により, メドゥーサに喩えられている)としてのイメージが重ねられている。熱の中の氷のような冷たさ,死 の戦慄と魅惑が渾然としている。 ふと彼[相馬鼎]が気のついた時に,彼女[萌木素子]は彼のすぐ側まで躙り寄っていて,その両手は彼 の両方の肩を覆い,と同時にその片方の手は彼の首のうしろに廻って,その紅を引いていない薄い脣があっ という間に彼の脣に迫った。 初めはそれはただ一種の親密さの証拠のように軽く触れ合わされただけだった。しかし直にそこに力が篭 り,その勢いに押されて思わず彼の身体がぐらりとうしろざまに蒲団の上に倒れると共に,彼女の脣は吸血 鬼の脣のように密着したまま,身体ごと彼の上に覆いかぶさって一緒に倒れた。そうすると,もう親密さと か愛とかいっただけではないもの,彼が長い間無意識のごく深い底で待ち望んでいた筈のものが,氷のよう なつめたい響を立ててぶつかり合う歯,蛇のように絡み合い溶解した鉄のように混り合う舌となって,彼の

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意識を一点に凝縮した。死 不思議にも…(中略)…その時彼の感じたものは,死だった。彼の経験したこ とのある接吻が常に生を感じさせたのと違って,それは理屈にならない喪失感,漠然たる恐怖,絶滅へのつ んざくような稲妻,つまりそれは死だった。しかしそれが死であるからといって,死もまた快楽ではないの か。彼は夢中になって,彼を殺すべき筈の吐息を貪り飲んだ。彼の首のうしろに絡みついた死神の両腕,彼 の顔に纏いついて離れない網をなす黒髪,屍衣のような白い皮膚,地獄の番人が持つ赤熱した刺股のように 口の中を貫くもの。(上,pp.51-52) 実際に雪が降る前日の1月22日の夜,素子は窓の外に雪が降るのを見る。それは綾子には見えない 幻覚の雪で,暗い夜,暗い海を一面白くするかのように降りしきり,そしてそれは彼女の心までも白 くしていこうとする。白という色は屍衣の白,爆心地の白骨の白につながり,そしてまた塗り潰した キャンヴァスの白とも共鳴している。冷ややかな無関心,拒絶の色,虚無の色…… 白は,もう1つの重要なモチーフである狂気とも繫がっている。「朝」の病室の綾子は,素子は気が 違っていたと述懐し,「別の朝」の素子は既に正気を失っており,「アンナ綺麗ナ太陽ヲワタシハ見タ コトガナイ。冷タクテ,氷ノヨウニ平デ,真丸クテ,ワタシノ顔ヲソノ中ニ映シテイタ……」と,虚 空を見つめながら呟く。この白い太陽は,無論人工の太陽,死を齎す太陽である原爆そのものを想起 させる。福永がどこまで調べたのか不 明だが,これは被爆者(長崎)の治療にあたった塩月正雄医 師の証言と奇妙に暗合している。 あの当時,原子爆弾で死んだ人は,死ぬ前に朦朧状態になって譫言を言ふんですね。その言葉に「白い」と いふ表現が非常に多く出て来るんです。さつき言つた言葉にも「池に白鳥が浮いてゐる。あれを早くこつち へ呼んで下さい」なんていふのがありました。「軍医さん,あのスワンを早く連れて来て……」とか「ハンカ チを落としました。早く取つてください」とか,必ず「白い」ものに関係のあることを言ふんです。意識は ないんですよ。その「白い」が何から来たのか。それは判りません。僕が勉強した精神病学からいふと,あ の原爆のフラッシュの強さが頭にこびりついて,さうなつたんじゃないかと,これは想像ですけれども, へられるんです。 この「白い太陽」は,8年半前の爆心地において,閉ざされた沈黙を破って阿鼻叫喚を照らし出した 血の色の太陽が,日没時にふと素子に見せた相貌であった。それが彼女の脳髄に,狂気の毒素が流し 込まれた最初であった。 彼女ハ太陽ヲジット見ツメテイタ。不思議ナコトニソノ太陽ハチットモ赤クナカッタ。アラユル色彩ガ混合 シテ白ク見エルヨウニ,高温ニ達シタ火焔ガ白ク光ルヨウニ,異様ナホド真白ナ太陽ダッタ。果シテソノ太 陽ニ熱ガアルカドウカサエ疑ワシイ程ノ,冷タイ,澄ミ切ッタ,巨大ナ円盤ダッタ。ソシテ白ク輝キナガラ 限リナイ沈黙ヲ放射シテイタ。ソノ真白ナ球ノ中ニ,ソレヲ眺メテイル彼女マデイツノマニカ吸イコマレテ 行クヨウダッタ。コノ太陽ハワタシノモノダ,ト彼女ハ呟イタ。オ前ハワタシノモノダ,ト太陽ハ叫ンダ。 ソシテ凍ッタ白イ太陽ハ轟クヨウナ笑イ声ヲ立テタ。(下,p.443) 「凍った太陽」(上,p.411)というのは,相馬がシベリウスの音楽に与えた隠喩でもあり,雪は氷を

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通じて,素子が強い関心を示した音楽「トゥオネラの白鳥」とも繫がっている。「トゥオネラの白鳥」 は,死後の国「トゥオネラ」の周りを流れている暗い河に浮ぶ swanを描く印象的な旋律の曲である。 相馬が開陳するシベリウス論は,福永自身が「私の内なる音楽」で述べていることと重なる部 が多 く,福永は,人間のいない荒涼とした自然を表す「トゥオネラの河の水は私の心の中に常に流れてい る」 と,この音楽への親炙を表明している。この曲想はたちどころに素子の絵『島』に通う。あらゆ る寒色を混ぜ合わせたような暗い海に浮ぶ「島」は,人間を排除して荒涼として不気味で,「北」(ノ ルウェー)の画家ベックリンの『死の島』を思わせるが,ベックリン以上に切迫した感じを与え,「作 者自身が呪縛されている内部の秘密に出口を与えたもの」であることを相馬は感受している。 『島』は,まさに「死の島」の表象として,相馬のアパートに懸けられると,瞬時にして不吉な 囲気がそこから流れ出して来るのであるが,一方それこそが,相馬と綾子と素子を結びつけている暗 い力となっていることも忘れてはならない。この絵を見ていると,相馬と綾子はふと自 ではないよ うな夢遊状態に誘われ,綾子は身体を震わせながら彼にしなだれかかっていく。アラモゴードで炸裂 した原爆は,オッペンハイマーに自 は(バガバッド・ギータの言う)死神になったと言わしめると 同時に,記者のローレンスにはその凄まじいパワーへの paeanを書かせる。だがその魅惑は,人と人 とを甘美に結びつけてくれる魅惑ではない。相馬は「羽をひろげた鴉を思わせる黒々とした死の島の 風景」に射すくめられるようで,綾子への自然な愛情の流露は阻害されてしまうのである。 他方雪は,“The Dead”においてもそうであったように,天からのメッセージのような,どこか優 しい,郷愁を誘う面も持っており,それは『死の島』においては「或る男」の内的独白に最もよく表 現されている。 ああよく降っているな,己は夜の暗闇の中に逃げ込むことでひと時の安息を貪ったものだが,それに較べ て雪というのは地上の万物の上に静かに降りつもって,まるで佛の慈悲のようにすべての罪障を洗いきよめ てくれる,特にこうしてあたりが次第に暗くなりつつあるのに白々と雪が舞っているような時に,この白い 夜が己の心の中にまで降りつもって,今までに己の犯した罪科を墓のように埋めてくれるような気がして来 るのだ。こうした雪暮れには町の音もふっつりと途絶える。雪江が台所で働いている皿小鉢の触れ合う音が かすかに聞え,この狭い とも言えない に一面の雪,己の子供の頃に雪はいつももっと深くもっと静かで, 母親はかたりとも音を立てずに針仕事をしていて,己はしんしんと雪の降る音を聞いていたものだ,木の梢 や枝などにつもった雪が時々鈍い音を立てて落ちた,それを除けば雪の日は本当に静かだったな,それに囲 炉裏ではちょろちょろと火が燃え,母親が時々薪をくべるとそのはじける音がうとうとしている子供には寂 しかった…(下,pp.88-89) 「或る男」は東北の一寒村の出身であり,相馬も北海道出身で「北」が故郷である。福永も昭和20 年から帯広に移り,昭和21年には中学の英語教師をしながら雪に閉ざされた「北」の冬を体験してい る。シベリウスの音楽の中に,福永は次のように雪の両義性とどこか通うものを見出している。

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…私はこのトゥオネラに,一つの地獄を見るのである。それは罪人たちが火に焼かれて泣き叫んでいる常識 的な地獄とはまるで違ったものだ。それは人間の魂の一つの状態である。そこには沈黙がある。抽象的な自 然,虚無と一体になった自然がある。人間的なものは何一つ見出せず,非人間的であるが故の不安が濃く染 められている。確かにこの世にはない無気味な場所だが,しかもそこへ戻りたいという奇妙な欲求がある。 もし人がそこへ行けば,孤独は自然の中に溶け込み,自然そのものと化して,永劫にトゥオネラの河の中を 流転するだろう。生の孤独とはまた違った死の孤独が,一つの休息としていつまでも続くだろう。それは死 の国であると共に,人間が生れる前の自然そのものであるかもしれない。そしてこの寂しい自然の上に,古 代人は彼らの幻想の赴くままにさまざまの神話を思い描いたのである。いわばそれは自然の原型のようなも のであり,魂の古里のようなものである。 福永は,音楽というものを,魂の底に存在する普遍的な《記憶》と共振し得るものとして捉えてい る。トゥオネラの河の水が彼の心の中に常に流れているというのは,シベリウスの音楽が,それを思 い出させるということだ。雪にもそれと似たところがあり,雪女の説話の戦慄には,その抱擁に対す る魅惑 雪の中で死んでゆきたいという潜在願望 が不可 に結びついている。『死の島』に何度と なく登場する「それ」は「虚無」そのもののように描かれているが,素子はそこから逃れようとしな がらも,それに魅入られ,最後には同意してその抱擁に身を任せるのである。 しかし素子の人物造形は,平板な femme fataleになっているのではなく,生身の人間としての「生」 の特質も描き込まれている。素子は,ある場合には鋭利な政治意識をのぞかせるし,相馬と綾子との 三角関係においては,心遣いも嫉妬も示す。そしてまたある場合には,被爆前はおそらくこのような 女性であったろうと思わせるような 康な明るさや含羞みさえも見せている。 [相馬に尾行されているのに気がつき,彼女の方から呼び止めて一緒に喫茶店に入った場面] 「ええそうよ,あなたについて来られては困るから,こうしてお茶を附き合っているのよ。」 「ついて来たって,それじゃ知ってたんですか。」 その時,萌木素子が笑い出した。と言っても声を立てて笑ったわけではない。眉をしかめ,脣を尖らせる ようにして,白い歯を見せた。 「知っていたわよ,勿論。」 眼の中に明るい光がひろがり,その笑顔はまるで別人の感があった。彼女がこんな親密そうな笑顔を見せ たことは,彼の記憶の中には一度もなかった。それだけに眩しいような気がした。(上,p.476) [勤めている店に出かけようとする場面] 「相馬さんはどうなさる?わたしと駅まで一緒に行く?それとも綾ちゃんとお喋りをしている?」 不意に背中でそう言われて,彼は振り返り,萌木素子が今 の不断着とは違った服装ですぐうしろに立っ ているのを見た。濃い藍色のワンピースを着ていて,その色彩が彼女によく似合った。化粧は相変らずして いないようだったが,よく見ると脣に かながらルージュの跡があった。 「綺麗だなあ」 相馬鼎はつい口が滑った。ああまたやられるかなと思うよりも早く,萌木素子は意外にもたじろいだ。そ

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れはまるで彼女が突然 くなったかのようだった。(上,p.273) 『死の島』の登場人物は,いずれも生きた人物として長く心に残るが,そこにはこうした,人物に 血を通わせて描こうとする福永の造形上の細やかな工夫が働いているように感じられる。 * * * * * * 小説『死の島』に深みを与えているもう1つの大きな要素は「或る男」の内的独白の導入である。 名前も らず,所謂ヒモ生活を送っているこの男が,実は綾子のかつての同棲相手であったことに, 読者は意表を突かれる。綾子の相手の男は,相馬の小説「恋人たちの冬」で描かれているような,教 会での出会いがむしろ似合いそうな先入観があったからだ。しかしさらに男の独白を読み進むにつれ, 読者は,この男もまた 苦と家 の破綻と戦後日本のニセモノ社会に深く傷を負って「虚無」を抱い た男であることを知るようになり,彼の言い草に,日本人の多くが隠し持っている感染力の強い声を 聞き けるようになる。 …己にはこの世の愉しみだとか人生の意義だとか社会の仕組だとかいうことにちっとも興味がない,己はど こかに情熱というものや正義というものや理想というものや,つまりは人間的なものを置き忘れてきたのだ, どこに,恐らくはあの施療病院のいため物の厭な臭いの漂っていたむんむんする廊下の板壁に,にたにた声 で坊主が説教していた線香のくすぶる暗い本堂の黴びた畳の上に,母親と逃げていった 華畑の見える埃っ ぽい道の上に,それからは同じことの連続があるにすぎない,パチンコの玉がじゃらじゃらと弾けるように, 己の人生は無意味に弾けながら狭い磐の上をころがり廻っているだけだ(上,pp.432-433) 「或る男」は女性の心にうまく取り入る天稟に恵まれており,ある読者は,世慣れない(そして人 から愛されたことがないと思っている)綾子が,女あしらいの巧みな彼に誑かされたのだと えかね ないが,それは必ずしも正 を射ていない。ここでも雪が二人の心を結びつける触媒として巧みに われている。 [「或る男」がつき合い始めたばかりの綾子と話している場面] 僕の母親は寂しい女だったよ,雪の降る日に家の中に閉じ込められて母親が縫物などをしているのを見てい ると,いつか大きくなったら母親をしあわせにしてやりたい,もっと明るい笑顔をさせてやりたいと子供心 にも思わないことはなかったな,と己は言った,あたしお母さんの背中におんぶされて雪の降る中に連れて 行ってもらった記憶があるの,本当のお母さんのことなんてまるで覚えていないんだけど,他の人じゃないっ て自信があるの,あたし嬉しくてきゃあきゃあ騒いでいた,きっと雪が降るのが珍しくてそれで覚えている のだわ,と彼女は懐かしげに眼を細めて言った,雪はいいねえ,と己は言った,いいわねえ,あたし雪の降っ ている中で死にたいような気がするわ,と彼女は言った,ロマンチックなんだなあ君は,と己は言った,彼 女は微笑した,今度雪が降ったら雪見に行こうか,と己は誘った,彼女は微笑した,まるで寂しさがその微

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笑の中に結晶したかのように。(下,pp.91-92) この「寂しさ」は,日本文化の伝統の底に流れている,虚無感を裏返したような心的構造によるも ので,それによって逆説的にも相互を結びつけるという紐帯の役割を果たしてきた。ほとんどの女性 は,社会的弱者,性的弱者として寂しさに閉じ込められ,彼女たちはその を溶かしてくれる男性を 密かに待ち望んだ。ただしその寂しさには,人によって,容易に らすことのできる根の浅い寂しさ と,そうではない深く純粋な寂しさとがあった。 思えば己が物にした女たちは誰でもどこかに寂しさの塊りを持ち,それをやさしく溶かしてくれる男が現れ るのを待ちながら沢子のように男なんか眼中にないという顔をしていたり,操のように男には飽き飽きした という顔をしていたり,時子のように早く誘ってと男に呼び掛けるような顔をしていたりするのだ。しかし 彼女[綾子]だけは,己が今までに識ったあらゆる女たちの中で寂しさを正直に寂しさとして見せていた, それは彼女が本当に寂しかったからだ,男と一緒になったからといって れてしまうようなそんなものじゃ なくて,もっと生れつきの寂しさを持ち,そのために己に騙され,そして己と別れたあとでまた別の寂しさ を持った(下,p.98) …女たちはみんな寂しい,女たちが少しでも,暫くでも,幸福になれるとしたらそれは己のような男と一緒 に暮すことによってだけだ,己のように人間はいつも無明の闇にいることを知っていて寂しさをとことんま で味わいながら,表だけは陽気に,女たちの気持ちを理解してやさしく扱うことの出来る男,そういう男と 一緒にいることだけが,和子や操や明美や保子や時子や沢子にとって一番の幸福だったのだ。しかし彼女は そうは思わなかった,そういうことを理解しなかった,己のやり方が間違っていたのかもしれないが,彼女 が持っていた寂しさの塊りは己の愛情では溶けなかった,己の愛情?そうだろうか,何か己には らないも のがそこにあったに違いない,だから彼女は己から逃げ出して行ったのだ。(下,p.99) 「或る男」は,多くの面で相馬と対照的に描かれ,相馬がごく普通の家 に育った堅気で生真面目 な青年で,よい教育を受け,ベックリン,シベリウス,英書,独書に親しむ文化的インテリであるの に対し,「或る男」は, しい母子家 に育ち,性的に自堕落な母親は最後には施療病院でボロ雑巾の ように死んでしまい,ろくすっぽ教育も受けぬまま,安定的な職業にも就かず,女にたかりながらそ の日暮らしをしている。しかし,綾子と素子だけは他の女たちとは別格に えており,それぞれに惹 かれているところは相馬と同じであり,「虚無」に対しては相馬以上に鋭敏な嗅覚を働かせている。(事 実,彼は素子も「物に出来る」と踏んでおり,送っていって彼女の部屋に招じ入れられる手前まで漕 ぎ着けている。そこに綾子がいなかったら別の展開になったかもしれないと感じさせるほどである。) 相馬は綾子をお嬢さんとしか見ておらず,彼女の中にある深い寂しさに気づいていない。「或る男」と 綾子の間に取り わされている会話には,相馬と綾子の間の「お上品な」会話には見られない,生の 人間同士の親しみが感じられる。 思 様式においても「或る男」は,西洋的な相馬とは対照的に,仏教的虚無感を根城にしたその土 くさい「無明哲学」によって,自 の人生に一種開き直ったような意味づけを行っている。それはあ る面で勁いのであるが,ある面では自己欺瞞的で,読者には時としていい気な与太に響く。しかしそ

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うした吹きだまりのような人生に 塞した意識の中で,彼の綾子に対する思慕と,幼少期にただ一人 彼の支えであった「ああちゃん」に対する思慕とには,どことなく純な,聖なるものが感じられなく もない。大雪の日の夜に,行き場を失って彼は桃子(素子)のアパートを目指すが,それは無意識に 綾子を求めてのことではないかとも感じられ,読者は彼に対し一抹の哀切の情を寄せる。二度繰り返 される「雪の白い輪が燃えている」という独白は,幻覚にすぎないのであろうが,その時すでに危篤 状態にある吉祥天たる綾子の幻の放つ光にも,またその逆に,「凍った太陽」に通うものにも思われ, 彼はそのまま凍死していくのではないかという含みもあるだけに,“The Dead”のゲイブリエル・コ ンロイの“swoon”と似た趣がある。 なぜ綾子は「或る男」の許を去ったのか 福永の「『死の島』ノオト断片」によれば,綾子の内的 独白が与えられていないのは意図的であり,つまりそれは『死の島』という小説の大きな空白となっ ていて,そこでは読者の想像力による共同作業が期待されているということになる。相馬の「恋人た ちの冬」では,日常生活の関心のすれ違いが大きな要素として えられており,一方「或る男」の独 白では,はっきりとした理由がつかめていない。ただ綾子が自 と釣り合うような人間ではないとい うことから何となく彼の方でそれとなく身を引くところがあったように語られている。彼は思慕はで きても,綾子が言うように人を愛することの出来ない人間なのかもしれない。とまれ綾子は,暖かな 家 に恵まれてこなかった生い立ちというばかりでなく,そもそも戦後の日本社会がどうやっても充 足させることのできないような何らかの純粋な憧れに起因する寂しさと,「或る男」との同棲生活の破 綻が決定的な要因となって自殺を図ったと 自殺を企てるだけの「虚無」がその段階で彼女の心の中 に巣食っていたと 憶測するしかないであろう。『島』に魅惑を感じ,素子に惹かれるようになって いったのもその証しである。素子がしばしば突っ慳貪で辛辣な返答をするのに対し,綾子は常に遠慮 深く応接し,すぐに顔を赤らめたり,泣いたりする。そのあたりはやや童女的であり,ある成長段階 で,愛情不足のためにネオテニー的となり,永遠に「ああちゃん」の面影を留めることになったのか もしれない。 被爆時の素子にも,綾子と同じような優しさと心遣いと献身を見て取ることができるのは前述した 通りで,二人は姉妹のような血脈を本能的に感じているらしく見える。素子は綾子が家を出ていくと パニック状態となり,綾子は素子が夜遅くまで帰らない日が続くと気が気でなくなるように,この二 人の女性は,「男性」不在の日本で深く互いを必要とし合っており,それが最後の心中を一種宿命的な ものにしている。「虚無」との一体化を受け入れた素子を後ろから抱きしめる綾子は,素子を母親と思っ て手を握りしめながらこときれた被爆少女を思い出させる。誰も救うことのできない素子の孤独と虚 無は,同じ病に苦しむ人間の,人間が与えることのできる最大のもの,死によってしか慰め得ないの であろう。 相馬が広島に向かう急行列車内の描写にも文学的な工夫が随所に凝らされている。 刻みで運行す る列車は,「近代」の生み出した直線的な時間の縮図といったような趣があるが,この13時間の旅程で,

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相馬の意識は大きく揺らぎ,その揺らぎに応じて緊迫度も高まっていく。「シノシマ(死の島)」であ る「ヒロシマ」への旅は,文字通り,死と虚無の中心へ向かう旅になっている。 富士山を見たいがために右側の席を取ったり,駅弁を食べたり,乗客たちを眺めたりするところは 日常性が 在であるが,米原で雪が降り始め,どことなくいわくあり気な女が京都で降り,入れ替わ りに酔っぱらった男が相馬の前の席に座り,居眠りして乗り過ごした様子で席を立ったあたりから, どうも様子がおかしくなっていく。相馬が間が抜けていて滑稽に思った酔った男は,デッキで差し向 いで話すと,実は特攻隊崩れで,血走った目を彼に向けながら,これから列車から飛び降りて死のう としているところだと告白する。 深夜となり岡山を出たあたりから気味の悪さがあたりを侵し始める 列車のドアの横の鉄道地図 が蛾に変身し,ドア自体が生きもののように伸縮を始める……そのドアがやがて開き,さっきの特攻 隊崩れの男が入ってきて,この列車は止まらないと告げて再び出ていき,相馬が後を追ってドアノブ をつかむとノブは手のなかで溶け,男はデッキから外套を翻して闇の中に飛び降りる……「死の島」 に舟で向かう裸の素子と綾子が見え,その舟が転覆し,二人を救おうとする相馬の手に水の中で触れ る素子の腕や乳房の生々しい感触が伝わる, れそうになって彼の方に差し伸べられる綾子の手を相 馬は反射的に振り払う……何か大変なことが起こったらしい,逃げ惑う群衆と緑衣の女兵士たち…… 綾子をやっと探しあてて一緒に逃げようと言うと,綾子はKを待っているのだと答える 言うまでもなく,これは列車の中で眠り込んだ相馬が見ている夢ないし幻なのだが,その夢と現実 との境界は小説のテクストにおいて朦朧としていて,どこから夢が始まりどこまで続いているのか特 定できそうもない……夢の中でさえ素子と綾子に対する気持ちが 裂している相馬は薄明の広島に着 き,駅から雪の中を寡黙に運転する運転手のタクシーで病院へ駆けつける…… おそらくあらゆる読者の予想や期待を裏切って,『死の島』の結末部は,1)「朝」では,素子が死 んで綾子が生き残り,2)「別の朝」ではその逆,3)「 に別の朝」では二人とも死んでいる,とい う3つの展開が独立して並べられている。この奇想天外な結末は,奇を衒った思わせぶりなのだろう か,それとも何か意味を求め得るものなのであろうか? 逆にこの小説が,上記のどれか1つで終っていたとするとどうであろう。多くの読者が予想したで あろう1)で,素子が死んで綾子が生きており,綾子と相馬が結ばれる というのであれば,まこと にありきたりな結末になってしまうだろうし,2)であっても3)であっても似たような印象が拭え ぬであろう。小説では,現実が夢(幻)の中で溶融したかのように,現実自体があやふやなものになっ てきている。特攻隊崩れの男の,この列車は止まらないという言葉が暗示するように,広島に着いて 以降の narrativeも相変わらず夢の連続であるかのような感触がある。一人が死に一人が生きている と告げられた瞬間から,この3つの結末はいずれも可能性として生を享けたものであり,列車が止ま らない限り,つまりもしわれわれが夢に生きる限り,それは永続的な命を持つことになる。 列車の中で自 の書いた小説を読み返していた相馬は,1)「カロンの艀」,2)「トゥオネラの白鳥」, 3)「恋人たちの冬」の物語は収束しないであろうことを確認する。3つの物語は,永遠に平行線で進

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むほかはない ちょうどわれわれが死ぬとき,どの死も,他の死とはけっして わらないように。と すれば,3通りの結末は,相馬鼎の3つの物語にそれぞれ呼応したものになっているとも言えるので ある。 夢自体の時制は常に現在形で,人がそれを思い出したときに夢は初めて存在する,つまり,夢は過 去形で語られて初めて人間にとっての存在を獲得する とは相馬の認識だが,相馬の24時間の物語 は,「そして今,彼は少しずつ意識を取り戻す」から「やがて彼の意識はすっぽりと,音もなく,その 中へ呑み込まれてしまう」まで,すべて現在形 より適切に言えば動詞の原形 で語られ,それが このストーリー全体に夢の感触を与えている。われわれの生は,列車のように,暫く走っては停まり, 停まっているうちにこれまでを振り返って思い出して現在を過去の最先端に確認し,そして再び走り 出すというプロセスを繰り返すことによって成り立っている。もしわれわれの意識が,停まることな くわれわれの生と並走,つまり時間とともに走り続ければ,われわれの生は夢と同じものになる。一 方,小説の最初の,「相馬鼎は夢を見た」に始まる「序章・夢」と,小説の最後の,「相馬鼎は窓の前 に立ち,外を見ていた」に始まる「終章・目覚め」だけは過去形で語られ,語り手が事実を伝えると いう伝統的な narrativeに則り,小説としての安定した枠組みを与えている。 しかしもっと重要なことを見落とすべきではないだろう。それは3つの結末のどの場合も,虚無が 宰領しているということである。1)では,相馬と綾子とは,死んだ素子の視線に呪縛され,かつて のような暖かな関係を築けず,気の抜けた白々としたものになってしまっており,2)では,綾子は 死に,素子は発狂している。3)は何かを囁きあっているかのような2つの死体の前で,相馬は自 が疎外されているのを感じる。二日町の病院の病室や霊安室には,冬の寒々とした光が射し,相馬が あれだけ求めていた女性たちをそれぞれ三様に浮かび上がらせる。しかし彼女らはいずれの場合も生 気を感じさせず,冷ややかな無関心と拒絶を伝えてくるばかりである。 「虚無」は,素子の内的独白の中で,「それ」という名で,常に彼女を見つめている生きた存在とし て言及されている。 わたしは彼女の背中を抱きしめ,彼女の濡れた顔はわたしの膝の上で顚えていた。美しいものはすべて滅び るだろう,とわたしは呟いたが,その心の声は,わたしではなくそれが勝ち誇って呟いたのかもしれなかっ た。がらんとしたアトリエの中で,それはまるで悲鳴のような笑い声を洩らした。(上,p.286) 最後に素子が広島を歩くときに明かされるのは,広島がどんなに「復興」しようとも,その都市全 体が大きなガラスの球の中に閉じ込められていて,それが外からじっと見つめているという illusion である。無論狂っている意識なのだが,そこには,逆にたがの外れた現代のわれわれを う正気も篭 められている。 ねえ何処へ行くの?と綾ちゃんが訊いた時に,わたしはこの透明な球のことは言わなかった。その代りわ たしは別のことを言った。わたしたちが大蛇の胃袋の中にすっぽり呑み込まれているというように,あなた

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感じないかしら?この道をどっちに歩いて行っても決してわたしたちは町の外へは出られない。わたしたち ばかりじゃなくて,この町の人はみんな,いいえ町そのものが,大蛇にがぶりと一呑みにされて今その胃袋 の中にいるのよ。…(中略)…この広い豊かな町は,今,大蛇の胃袋の中で刻々に溶けているのよ。いつか はビルも工場も樹も,そして人も,みんなぐしゃぐしゃに溶けてなくなってしまう。…(中略)…こうやっ てわたしたちの見ている風景,それは贋ものの,実際にはありもしない幻の風景なのよ。…(中略)…わた したちは大蛇の胃袋の中で,生きているとか愛しているとか,平和だとか,自由だとか,口々に言っている けれども,この町を呑み込んでいる大蛇が何処へ向けてのたくっているんだか,見ることも想像することも 出来ないでいる。巨大な,邪悪なものの正体すら,わたしたちには見当もつかないでいるんだから。(下,pp. 320-321) 虚無は,「生」を食い物にするところに生彩を放つ。食い物にされる「生」は泣き叫び,絶望し,狂 い,そして死んでいく。ところでそれは誰に向って泣き叫ぶのだろうか?次の引用は,素子が最後に 広島に向かう前の夜,アトリエに入り,すべて白く塗り潰してしまった自 の描いた絵を一枚一枚見 つめる場面である。塗り潰されたモノたちが再び色と形を求めて悲しむ声が聞こえてくるが素子はそ れを拒む。この小説で最もパセティックな一節ではないだろうか。 わたしは立ち上がり,隣のアトリエとの境にある を開いて,板の間の上に下りた。練炭ストーブに火はは いっていなかったから,その部屋は凍りついたように寒く,その中にあるすべてのものと同じように既に死 んでいた。わたしは窓に行ってカーテンを引き,それと共に陰気な 色の光線が硝子越しに射し込んで来た が,それでも死んだものたちが甦ったわけではなかった。…(中略)…わたしは壁のところへ行き,素知ら ぬ顔で背中を見せているカンヴァスたちを,一枚一枚こちら向きに引繰り返した。しかしそれらはみな,夜 中に見た時と同じように,いな幾日か前からわたしが一枚一枚塗り潰して行きながら見ていた時と同じよう に,完全に死んでいた。いな,死んでいたというのは当らない,それらは生きてもいず死んでもいず,慰め られない霊魂のように宙に漂っていたのだ。それらが死んでいたのは寧ろわたしがその上に何等かの形を, 何等かの色を,附け加えたその時だった。わたしの死んだ魂が,死んだ物たちをその上に描いたその時だっ た。塗り潰されてしまった今では,それらは 生すべき生命を待ち受けて,もう一度生れたい,もう一度形 と色とを与えてほしい,と声をあげてわたしに迫って来た。わたしは言った。お前たちが待っているのはわ たしではない。わたしは一度もお前たちに生命を与えたことはないし,この後も決してそれを与えることは 出来ない,なぜならばわたくしは死んでいるから,わたしもまた死んでいるから,と。そしてわたしはこれ らの白く塗られた墓たちを,一枚,また一枚,向うむきに壁に並べて行った。カンヴァスたちは涙を流して いたような気がする。しかしわたしは泣いてはいなかったし,それは泣くことをわたしに許さなかった。し かしわたしは,この生気のない,うそ寒いアトリエの中に一人立ったまま,部屋全体がわたしを憐れんで泣 いているような気がした。部屋は天井と壁と床とで嗚咽しながら,そこに立っているわたしを息苦しいまで に締めつけた。(上,pp.503-504) 『死の島』では,こうした「虚無」の中で愛がなお可能であるのか,それとも不可能であるのかが 探られており,そういう意味では1960年代の実存主義文学の色彩を色濃く帯びている。そこで提起さ れた問題は,今日ではもうすっかり色褪せてしまったように見えるが,問題自体は解決されたわけで も,問う価値がなくなってしまったわけでもない。どの時代に生きていようとも虚無の魔手を逃れる

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ことは簡単ではなく,また虚無をよく知っている人の言葉でなければ,すべて空疎に響くことも変わっ てはいない。素子の言う「深淵と深淵との間に懸けられた懸橋」というのは,そうした状況における 愛を表現しているのであろうが,それが可能であるかどうかは,読者それぞれの判断に委ねられてい るようである。 * * * * * * 井伏 二の『黒い雨』(昭和40/1965年1月∼昭和41/66年9月『新潮』に連載)は海外でも最もよ く知られた原爆文学の代表となっており,その抑制された語りは特筆に価するものの,原爆の悲惨が 綿々と語られ最後に希望がほの見えるというような,どちらかと言えば定型的な文学になっている。 しかしほぼ同じ時期に執筆され始めた福永武彦の『死の島』が,それよりもはるかに現代のわれわれ に近しいものを感じさせるのは,原爆をわれわれ自身の悲惨と虚無に繫がる状況として捉えているか らであろう。「死の島」は,広島であると同時に,日本をも表象していることは,福永自身が昭和38年 に書いた「『死の島』予告(二)」にある,「死の島である日本の精神状況を内面的に描き出したい」と いう言葉にも明らかである。われわれの多くは,「平和と馴れっ子になって,何も知らないお坊ちゃん で育って来た」(下,p.294)相馬鼎とよく似たところがあり,他者が闇で耐えている苦しみには鈍感に 生きている。しかしわれわれの生も「根源的な不安」,つまり虚無(死)に対する怯えを隠し持ってい る以上,そうした人たちの自殺は,われわれの認識を目覚めさせ,遅まきながら故人の耐えた虚無の 重圧を浮かび上がらせる。原爆によって顕現した凄まじいばかりのこの世の虚無 われわれは,原爆 製造に至るプロセス,投下の決定,周到な訓練,実際の投下の様態,そしてその後の人々の反応など を歴 で知れば知るほど,その虚無の大きさを感じないわけにはいかない。『死の島』は,原爆を直接 には知らない人間が,いかにしてその過去に繫がりを持ち得るか,ないしは持ち得ないかを誠実に探っ ている。作者自身がサナトリウムで死と虚無とに向き合わされた体験の重さがそこに働いていること は想像に難くないが,また日本の歴 がなければ生まれようのない文学でもあることも確かである。 『死の島』は,幾つかの異なる narrativeを 叉させることによって,被爆者の虚無と狂気を迫真的 に描き出した文学である。断片的な narrativeの配置は,レミンカイネンの切り刻まれた身体を修復し 生き返らせるのにも似た作業を要求し,読者は主体的に「歴 」を再構築しなければならない。 歴 は「物語る」ことと血で繫がっている。うまく物語るということは,過去を,われわれにも, そして死者たちにも,意義深く思い出すということだ。そして相馬鼎に倣って言えば,語り手と読者 の間に,過去を通じて,懸橋を懸けることだ。神話が,小説が,命を持つのは,そうした場合であっ て,『死の島』は,それに接近した稀な小説の1つになっている。 原稿提出日 平成21年9月16日 修正原稿提出日 平成21年11月18日

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注 ⑴ 加賀乙彦『日本の長編小説』(筑摩書房,1976)p.226-28. ⑵ 源高根『編年体・評伝福永武彦』(桜華書林,1982)p.64. ⑶ 同年生れの友人 加藤道夫の自殺(昭和28年12月22日)について福永は,「『夜の三部作』初版序文」で,「私を捉え て離さなかった死の強迫観念と,それから逃れるための願望としての生への燃焼とを,同時に含んでいた」「冥府」 (「『死の島』の一つの variation」)執筆の最後の一押しになったと述べ,「私は彼の死に痛恨と羨望との入り混った 一種の感情」を持ったとしている。『死の島』の萌木素子が加藤の自殺の記事に強い反応を示すのは,彼自身の気持 ちを投射させているのかもしれない。 ⑷ 二重橋事件は,戸川猪佐武によれば,反米というよりもムード的な復古であると言う。いずれにせよ,戦争の記憶 が薄らぎ,戦争責任問題もうやむやのうちに忘れられたことを象徴しているのであろう。1月2日の一般参賀の折 りの惨事である。「この日,午前九時から午後三時まで,三十八万千二百五十人の参加者が,二重橋から坂下門に詰 めかけ,皇居警察と丸ノ内署員の整理も追いつかず,悲鳴があがるほどの大混乱で,一人の老婆が転んだうえに五 十数人がどっと倒れた。老人,婦人,少年など十六名が死に,六十三名が重軽傷を負うという大惨事になった。」戸 川猪佐武『素顔の昭和 戦後』(角川書店,1982)p.139. ⑸ 本文中に例えば(上,p.12)と注記してあるのは,『福永武彦全集』第10巻の『死の島』(上)の12頁を示す。(下, p.12)とあれば,『福永武彦全集』第11巻の『死の島』(下)の12頁のことである。 ⑹ 『福永武彦全集』第12巻(新潮社,1987)p.342. ⑺ 「『冥府』初版ノオト」;『福永武彦全集』第3巻(新潮社,1987)p.493. ⑻ 『国文学 解釈と教材の研究』(學燈社,1972年11月)p.11. ⑼ 「世界に訴へる日本原爆医学」(『文藝春秋』1952年12月号;『日本原爆論大系』第1巻(日本図書センター,1999年) p.101より引用) 『福永武彦全集』第19巻(新潮社,1988年)p.329. 『福永武彦全集』第19巻(新潮社,1988年)p.331.

参照

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