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国際法における侵略と自衛 : 信夫淳平「交戦権拘束の諸条約」を読む

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国際法における侵略と自衛 : 信夫淳平「交戦権拘

束の諸条約」を読む

著者

日暮 吉延

雑誌名

鹿児島大学法学論集

45

2

ページ

1-41

別言語のタイトル

"Aggression and self-defense in international

law : referring to the unpublished document,

""Treaties binding the right of

belligerency,"" by Junpei SHINOBU"

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国際法における侵略と自衛

──信夫淳平「交戦権拘束の諸条約」を読む──

      

 

 

 

 

一   内外法政研究会とは何か 本稿は、内外法政研究会の『研究資料』第一〇五号の原典を紹介するものである。 内外法政研究会とは、第二次世界大戦後、日本指導者の国際法上の刑事責任を追及した極東国際軍事裁判(いわゆる東 裁 判 ) の 弁 護 対 策 を 研 究 す る た め に 組 織 さ れ た 民 間 団 体 で あ る。 こ の 組 織 に 初 め て 言 及 し た の は 住 本 利 男『 占 領 秘 録 』   そこで公使[中村豊一──筆者註、以下同]は、岸本勘太郞氏[実業家]と話をし、これに福島正雄、加藤正雄氏 ら が 加 マ っ て、 裁 判 準 備 を 組 織 的 に や る こ と に な っ た。 岸 本 氏 ら が 中 心 で、 財 界 か ら 資 金 を あ つ め て、 「 内 外 法 制 研 究 会」という団体をつくった。名前は漠然としているが、戦犯裁判の弁論に必要な資料を、日本側としてあつめる機関 だ っ た。 書 記 長 は 鵜 飼 信 成 氏[ 元 京 城 帝 大 教 授 ] が な り、 委 員 に は 高 柳 賢 三[ 東 京 帝 大 教 授 ] 、 高 木 八 尺[ 東 京 帝 大 教授] 、小野清一郎 [東京帝大教授] 、信夫淳平 [国際法学者] 、金森徳次郎 [元法制局長官] 、河合良成 [農林次官] 、 堀内謙介[元外務次官・駐米大使]氏ら十五名くらいだった。右翼の動き、軍の動向といったように、戦争に至るま で の 政 治 や 経 済 の 情 勢 に つ い て、 い ろ い ろ な 人 を 招 い て 話 を き き、 こ れ を プ リ ン ト に し た。 [ 一 九 四 六 年 ] 夏 ご ろ ま で仕事はつづけられ、調査資料は大きなものにまとまっていった。そして求められれば、容疑者やその弁護人に提供 したのである。外務省と直接つながりはなかったが、民間側の弁護士の間に、これに反発する空気がでてきた。林逸

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郎氏らは、弁護士会を無視してなにができるか、という気持であった 。   実は現在でも内外法政研究会の内情は詳らかでない。確認可能なところでいえば、この研究会の前身である「戦争責任 研究会」が一九四五年一〇月頃に発足し、一九四六年二月に「内外法政研究会」と改称された。当時の錚々たる学者、評 論家、官僚等が研究会のメンバーになっており、先の引用文にあげられた人物以外でも、東京帝大教授の神川彦松、矢部 貞治、京都帝大教授の田岡良一、評論家の馬場恒吾や佐々弘雄、東洋経済の石橋湛山、元商工次官の椎名悦三郎らが会員 または協力者であったと見られる。   内外法政研究会は、その設立経緯から外務省との関係が深かったため、大日本弁護士会連合会に属する職業弁護士の感 情的な反発を買った。東京裁判の日本人弁護団は、職業弁護士の「国家弁護」派グループと、高柳賢三ら官界とのつなが り が 深 い「 個 人 弁 護 」 派 グ ル ー プ と に 分 裂 し、 激 し く 対 立 し た と い わ れ る が 、 内 外 法 政 研 究 会 は 後 者 の「 個 人 弁 護 」 派 グループに近かったのである。   そして、この研究会は、戦勝国の戦犯裁判に対処するという明確な目的のため、国際法・国際政治・日本政治の諸問題 に つ い て 水 準 の 高 い 研 究 を 重 ね た。 そ の こ と を 示 す 報 告 書『 研 究 資 料 』 に は、 た と え ば、 以 下 の よ う な も の が あ る。 第 七 六 号「 Ex post facto の 立 法 に つ い て 」 、 第 八 四 号・ 第 八 五 号「 満 洲 発 展 史 」 、 第 九 五 号「 戦 争 犯 罪 人 処 罰 の 法 律 的 根 拠 」 、 第 一 〇 三 号「 軍 閥 の 解 剖 」 、 第 一 〇 四 号「 近 衛 新 体 制 に つ い て の 手 記 」 ( 矢 部 貞 治 著 ) 、 第 一 〇 六 号「 統 帥 と 国 務 」 、 第 一 〇 九 号「 翼 賛 会 問 題 」 、 第 一 二 五 号「 日 本 外 交 を 繞 る 国 内 情 勢 」 、 第 一 二 九 号「 支 那 事 変 と 軍 部 」 、 第 一 三 六 号「 東 條 内閣及軍部の開戦責任」 。   研 究 資 料 』 は、 筆 者 が 確 認 し た 限 り で 第 一 四 〇 号 ま で 存 在 す る が、 残 念 な が ら、 た い て い の 場 合、 著 者 や 報 告 者 が 誰 なのかがわからない。東京裁判対策としての研究であったため、署名原稿にする必要がなかったか、むしろ名前を出すこ

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と自体が忌避されたのかもしれない。実際、報告書には概して「極秘」の印が捺されている。これらの資料は東京裁判の 弁護人たちの個人文書に所蔵されていることが多いので、住本が述べたように、弁護活動において活用されたり、参考に 供されたりしたのであろう。     二   信夫淳平の経歴と業績   さて今回、本稿が取り上げる『研究資料』第一〇五号は、著者がはっきりしている。外交官、国際法学者であった 信 し の ぶ 夫 淳 じ ゅ ん 平 ぺい に よ る 口 頭 の 研 究 発 表 を 記 録 し た 謄 写 版 印 刷 の 冊 子 で あ り、 表 題 は「 交 戦 権 拘 束 の 諸 条 約( 特 に 開 戦 手 続 条 約 と 不 戦条約) 」である。   この文書は、活字ではなく手書きの楷書となっており、本文で五三頁を数える。日付は不明であるが、作成時期を大ま かに推測すると、本文中に「現在のこの戦争犯罪人の裁判」というくだりがあることから、東京裁判が始まった一九四六 年五月三日から同年「夏ごろ」までの間ではないかと推測される。   本稿が使用したのは筆者所有の謄写刷原本である。しかし内外法政研究会の『研究資料』は日本国内の文書館や大学に 所蔵されており──たいていの場合、全巻揃ってはいない模様であるが──、個人文書中で『研究資料』が見つかること もある。信夫淳平「交戦権拘束の諸条約」は東京の国立公文書館、東京大学社会科学研究所に所蔵される。   だ が 内 外 法 政 研 究 会 の 資 料 は、 研 究 会 の 内 実 が 不 分 明 と い う 事 情 も あ っ て か、 従 来 ほ と ん ど 利 用 さ れ て い な い 。 信 夫 の「 交 戦 権 拘 束 の 諸 条 約 」 は、 以 前 に 酒 井 哲 哉『 近 代 日 本 の 国 際 秩 序 論 』 で 一 部 紹 介 さ れ た こ と が あ る も の の 、 戦 犯 裁 判研究の観点から貴重な内容や論点を多く含んでおり、信夫による緻密でバランスのとれた論理展開を完全なかたちで紹 介することには、なお重要な学術的意義があると考えられる。   そこで、まずは信夫淳平の経歴を確認しよう。信夫は一八七一(明治四)年九月、漢学者の信夫 恕 じ ょ 軒 け ん の長男として生ま

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れた。開成中学、東京専門学校(現早稲田大学)の英語普通科を経て、一八九四年、東京高等商業学校(現一橋大学)を 卒業、三年後の一八九七年、外務省に入省する。日露戦争の際、遼東守備軍司令部付として占領地行政に携わるが、ちょ うど法律顧問として従軍中であった国際法学者、 有 ある 賀 長雄の知遇を得た。それ以来、信夫は有賀の薫陶を受けて、国際法 への学問的関心を深めていく。そしてオーストリア、オランダ、インドに勤務した後、一九一七(大正六)年に退官し、 一九四三 (昭和一八) 年まで早稲田大学講師の身分で外交史と国際法を講義した。この間、新聞 『新愛知』 の主筆も務め、 一九二五年には法学博士の学位を取得している。第二次大戦後は、一九五一年から五六年まで早稲田大学教授となってお り、一九六二年一一月に他界した。ちなみに朝日新聞記者の信夫韓一郎、政治学者の信夫清三郎は、ともに信夫淳平の子 息である 。   信夫の研究分野は、今日の区分でいえば、第一に外交史・国際政治学、第二に国際法学と大別することができる。こと に信夫が著わした『国際政治論叢』全四巻(日本評論社、一九二五~一九二六年)は「日本における国際政治学の草分け 的 業 績 」 と 位 置 づ け ら れ て い る 。 ま た 戦 時 中 の 一 九 四 三 年 に は『 戦 時 国 際 法 講 義 』 全 四 巻( 丸 善、 一 九 四 一 年 ) の 業 績 で帝国学士院恩賜賞を受賞した。   そ れ 以 外 の 主 な 著 書 を あ げ れ ば、 次 の 通 り で あ る。 『 韓 半 島 』 ( 東 京 堂、 一 九 〇 一 年 ) 、 『 外 政 新 論 』 ( 大 鐙 閣、 一 九 一 八 年) 、 『印度の現勢』 (大鐙閣、一九一八年) 、 『東欧の夢』 (外交時報社出版部、一九一九年) 、 『国際連盟講評』 (外交時報社、 一 九 二 〇 年 ) 、 『 巴 バ ル カ ン 爾 幹 外 交 史 論 』 ( 大 鐙 閣、 一 九 二 一 年 ) 、 『 外 交 側 面 史 談 』 ( 聚 芳 閣、 一 九 二 七 年 ) 、 『 大 正 外 交 十 五 年 史 』 (国際連盟協会、一九二七年) 、 『近代外交史論』 (日本評論社、一九二七年) 、 『不戦条約論』 (国際連盟協会、一九二八年) 、 『明治秘話二大外交の真相』 (万里閣書房、一九二八年) 、 『近世外交史』 (日本評論社、一九三〇年) 、 『滿蒙特殊権益論』 (日 本評論社、一九三二年) 、 『ビスマルク伝』 (改造社、一九三二年) 、 『鉄血宰相ビスマーク』 (潮文閣、一九四二年) 、 『小村 壽 太 郎 』 ( 新 潮 社、 一 九 四 二 年 ) 、 『 戦 時 国 際 法 提 要 』 ( 照 林 堂 書 店、 一 九 四 三 ~ 一 九 四 四 年 ) 、 『 国 際 政 治 論 』 ( 早 稲 田 大 学

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出版部、一九五三年) 、 『海上国際法論』 (有斐閣、一九五七年) 。     三   「侵略」と「自衛」の論点   信夫淳平「交戦権拘束の諸条約」の内容にも、ごく簡潔に触れておこう。信夫は、この報告書で「開戦に関する条約」 と「不戦条約」の二つを取り上げる。東京裁判の検察側が何よりも重視したのは、侵略戦争の計画、準備、開始、遂行、 共同謀議を国際法上の犯罪とする「平和に対する罪」の訴因であったから、これに直接対応したテーマ設定ということに な る が、 信 夫 は 両 条 約 の 性 質 や 成 立 過 程 等 を 広 い 視 野 か ら 実 証 的 に 検 討 し、 さ ら に 日 本 の 戦 争( 日 中 戦 争、 太 平 洋 戦 争 ) との関連性についてもバランスのとれた分析を加えている。とりわけ注目されるのは、信夫が「現在のこの戦争犯罪人の 裁 判 」 、 す な わ ち 東 京 裁 判 に 有 利 か 不 利 か と い う 観 点 を あ え て 顧 慮 せ ず に 議 論 し て い る 点 で あ り、 そ れ ゆ え 彼 の 分 析 は 現 実政治の要請から生じる偏りから自由なものになっている。   ま ず、 一 九 〇 七 年 の ハ ー グ 平 和 会 議 で 調 印 さ れ た「 開 戦 に 関 す る 条 約 」 ( ハ ー グ 第 三 条 約 ) に 対 し て は、 信 夫 は 不 意 打 ち抑止の実効性を疑い、その存在意義にも否定的である。しかし条約自体は現実に有効だとして、信夫は、日本がハーグ 第 三 条 約 に 違 反 し た か ど う か を 吟 味 す る。 そ の 結 果、 一 九 四 一 年 一 二 月 七 日( ア メ リ カ 東 部 時 間 ) 、 日 米 交 渉 打 ち 切 り の 対米通告を真珠湾攻撃後まで遅延させるという失態を演じ、しかも、その通告に宣戦布告や開戦宣言の文言がなかったこ とをふまえて、信夫は「我が開戦手続は……技術的には本条約の違反を構成した」と判断するのである。   次の検討対象は、一九二八年調印の「不戦条約」である。信夫は一貫して、この条約には世界の平和主義者たちがもて は や す ほ ど の「 効 能 は な い 」 と 否 定 的 で あ っ た。 「 戦 争 の 絶 対 廃 止 」 な ど は 到 底 無 理 な 話 だ か ら で あ り、 ま た「 大 概 の 戦 争」は自衛権を大義に行なわれるからである。特に自衛権の濫用を防ぐ制度が確立しない限り、不戦条約の類がいくつあ ろ う が、 「 何 の 役 に も 立 つ も の で な い と い ふ の が 私 の 固 い 信 念 」 だ と も 述 べ て い る。 と は い え 日 本 は 当 事 国 で あ る 以 上、

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不戦条約の規範と精神を当然に尊重する国際的義務があると信夫は指摘する。それでは「我国の行動がこの責務」を果た したのであろうか。   これはハーグ第三条約よりもはるかに重大な問題であった。ニュルンベルクと東京の両裁判で追及された「平和に対す る罪」は、事後法批判を退ける法的根拠の中核に不戦条約を置いたからである。しかも不戦条約は、もともと一九二〇年 代のアメリカ共和党支配を象徴する成果であったが、第二次大戦中の一九四四年末、アメリカ陸軍省部内の政策決定過程 において、共和党長老政治家のヘンリー・スティムソン陸軍長官とその側近の手で、侵略戦争を「犯罪化」した国際条約 として再定義されていた 。   しかし本来の不戦条約は「国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争」=「政策的打算」に基づく戦争、すなわち「侵略戦争」を 「 違 法 化 」 ─ ─「 犯 罪 化 」 で は な い ─ ─ す る 一 方 で、 「 自 衛 戦 争 」 に つ い て は 条 約 の 適 用 範 囲 外 と し た。 だ か ら 国 際 法 上 の「侵略」概念と「自衛」概念に関する検討が求められるが、信夫は特に第一次世界大戦後に「流行語」のようになった 侵略の概念がなぜ定義しにくいのかを明快に説明している。また自衛権については、その濫用事例が多く取り上げられ、 「国家の名誉」との連動実態にも目配りされる。   ところで、日米交渉中の一九四一年一一月二六日、アメリカの国務長官コーデル・ハルは、日本側の暫定的解決案であ る「 乙 案 」 を 拒 否 し、 ア メ リ カ 側 の 強 硬 な 提 案( い わ ゆ る ハ ル・ ノ ー ト ) を 野 村 吉 三 郎 と 来 栖 三 郎 の 両 大 使 に 手 交 し た。 このハル・ノートの性格をめぐっては、同時代から日本側に二つの解釈があった。   第一に、ハル・ノートはアメリカ側の最後通牒であり、事実上、交渉妥結の可能性を消滅させたという見方である。こ れが当時の日本の多数意見であった。その代表的論者である東郷茂徳外相(東條英機内閣)は、ハル・ノートの峻厳さに 衝 撃 を 受 け、 日 米 戦 争 回 避 の 望 み を 捨 て た。 ハ ル・ ノ ー ト が「 日 本 に 全 面 的 屈 服 を 強 要 」 し、 「 極 東 に 於 け る 大 国 た る 地 位 を 棄 て よ 」 と 迫 る「 挑 戦 状 」 「 最 後 通 牒 」 に 等 し い と 見 な し た か ら で あ る。 こ う し て 穏 健 派 の 東 郷 も「 も は や 立 上 る 外

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な い 」 と 開 戦 を 覚 悟 す る に い た っ た 。 こ の 点、 ア メ リ カ 外 交 官 ジ ョ ン・ エ マ ー ソ ン も、 ハ ル・ ノ ー ト は 日 本 に「 不 可 能 なことを実行せよと要求していた」と回想している 。   第二に、ハル ・ ノートは最後通牒ではないとの見方もあった。たとえば、外務省を退官した吉田茂元駐英大使は、ハル ・ ノートに「テンタティヴ(試案) 」と書かれている点に注目し、 「実際の腹の中はともかく外交文書の上では決して最後通 牒ではなかったはず」だと解釈した 。   そして信夫もまた、吉田と同様、ハル・ノートを最後通牒ではなく「中間通牒」であるととらえた。したがって日本側 にその気さえあれば、交渉の余地はまだあったということになる。信夫は、アメリカの経済封鎖のために日本はやむなく 自 衛 戦 争 に 打 っ て 出 た と い う 論 法 の よ う に、 「 国 家 の 自 衛 権 に て 大 東 亜 戦 争 を 弁 護 す る こ と は 無 理 」 で あ る と 断 じ た。 さ ら に 大 東 亜 共 栄 圏 で 地 域 主 義 的 覇 権 を 確 立 し よ う と す る 戦 争 も、 「 国 家 ノ 政 策 ノ 手 段 ト シ テ ノ 戦 争 」 = 侵 略 戦 争 に 相 当 す る。信夫によれば、日本が不戦条約に「違反の過失を演じたこと」については「弁護の言葉がない」のである。   と は い え、 信 夫 が 連 合 国 の 戦 犯 処 罰 政 策 に 対 し て 無 批 判 だ っ た わ け で は な い。 信 夫 は 言 う。 あ く ま で も 不 戦 条 約 違 反 は「 現 行 国 際 法 上 …… 犯 罪 」 で は な く し て「 国 際 信 義 に 悖 る 」 「 背 信 行 為 」 な の で あ り、 そ れ ゆ え 日 本 は「 国 際 輿 論 の 法 廷」で「無形的制裁を当然受けなければならぬ」と。つまり日本を裁くべきは「勝者の法廷」ではないというのである。   それでは以下、本稿の校訂方針を示したうえで、信夫の議論を全文紹介しよう。     《凡   例》   一、旧字体は原則的に新字体に改め、旧仮名遣については変更せずに用いた。   一、本稿のルビは、すべて筆者が付したものである。   一、本稿のブラケット[   ]は、すべて筆者による脚註である。補足・訂正事項・片仮名表記の原語等を付した。

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  一、 原 典 で は 平 仮 名 の 促 音 や 拗 音 の 大 半 が 捨 仮 名 で あ る が、 一 部、 同 じ 大 き さ の 文 字 に な っ て い た り、 判 別 が 難 し か っ た り す る 場 合 があるため、本稿は、すべて捨仮名に統一した。他方、原典の片仮名はすべて同じ大きさであるため、そのままとした。   一、原典の「くの字点」 (反復の踊り字)については、 「いろいろ」 「そもそも」などと修正した。   一、 原 典 に は 括 弧( す べ て 二 重 括 弧『   』 ) が 欠 け て い た り、 逆 に 余 分 な 括 弧 が つ い て い た り す る こ と が あ る の で、 補 足 や 削 除 の 調 整 を加えた。     《原   典》    内外法政研究会   研究資料第一〇五号    信夫淳平氏   交戦権拘束の諸条約(特に開戦手続条約と不戦条約)   お話を致しまする順序として、いはゆる交戦権を拘束してをる条約をずっと挙げまして、その中で今日は主として開戦 に関する条約と不戦条約、これはこの程神川[彦松]先生よりの御下命がありました問題でありますので、それについて その性質──これは今更論ずる時期でもありませんが、この際のことであるから繰返してそれを明かにし、次には大東亜 戦 争 と こ の 二 つ の 条 約 の 関 係 を 述 べ[、 ] そ れ か ら そ の 次 に 条 約 違 反 の 制 裁 に 関 し て 愚 見 を 述 べ る。 大 体 そ の 四 段 に 分 っ てお話を致しまして皆様方のお教へを仰ぎたいと存じます。私の申上げますことが現在のこの戦争犯罪人の裁判の上にお いて日本側にとって利益になるかどうか私には分りません。私は今日は全然その点を眼中におきませず、たヾ私が解釈上 是なりと信ずる所を率直に、利害得失には関係なく申上げる積りであります。   一体戦争は一つの犯罪(クライム)を構成するものであるかどうかといふ点については将来はいざ知らず、愚見では、 少くも今日までの国際法においては、犯罪としてをるのではなく、適法な行為であると考へる。尤も欧洲第一次大戦以来

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の 過 去 二、 三 十 年 間 に お い て、 一 切 の 戦 争、 或 は 或 る 種 類 の 戦 争 を 犯 罪 と 論 ず る 議 論 は か な り 聞 え ま し た。 ま た 左 様 に 謳った条約もないではありません。例へば一九二三年の第四回国際連盟総会で立案されました相互援助条約[案]の第一 条には『締約国[ハ]侵略戦争ガ国際法ノ罪悪ナルコトヲ厳粛ニ宣言スル』と謳ってあります。またその翌年の一九二四 年 十 月 に ジ ュ ネ ー ヴ で 調 印 さ れ た 国 際 紛 争 平 和 的 処 理 に 関 す る 議 定 書 と い ふ の が あ り ま す が、 そ の 前 文 に『 侵 略 戦 争 ハ ……国際的罪悪ヲ構成スルモノナルコトヲ確認シ』と声明されてをります。それなどはその例であります。しかし単なる 議論や、一二の条約上の声明ぐらゐでは、未だ以て国際法上の法則となるものではないと思ひます。つまり国際法上の一 つ の 定 則 と な る に は、 或 る 議 論 な り 二 三 の 実 例 な り を 世 界 の 有 力 な る 国 際 法 学 者 が エ ン ド ル ス[ endorse ] し て、 国 際 法 学 界 の 輿 論 が こ れ を サ ツ ポ ー ト[ support ] す る、 殊 に 万 国 国 際 法 学 会 あ た り で こ れ を ア ツ フ ァ ー ム[ affirm ] ( 肯 定 ) す る所の決議でもするに至って、こヽに国際法上の定則となって受取られるわけであります。とにかく今日においては、戦 争 を 犯 罪 と 見 る 議 論 は、 ま だ 国 際 法 上 の 定 則 と し て 世 界 の 大 多 数 の 学 憲 に よ っ て サ ツ ポ ー ト さ れ て を る と は 思 ひ ま せ ん。 従って独立主権国は他国と交際する所のいはゆる外交権を有してをると同様に、他国に向って開戦をする交戦権を持って をるのであります。開戦の目的は、その戦争の種類、性質によって必ずしも一様ではありません。いはゆる侵略戦にあり ましては概して相手国の領土なり又は他に目指す所のものを略取するのが目的でありますし、また自衛戦においては、相 手の侵略を反撃してその欲望を挫くといふことが目的であります。また侵略でも自衛でもなくして、双方共に是なりと信 ずる主張を固く執って相降らず、その結果として遂に干戈に訴へるといふものもあります。さういふ戦争においては、そ の目的は要するに相手の意思及び態度を変更せしむる簡単に申せば相手を改心せしむるにあるのでありますが、それらの 種々の種類の目的を達する為の手段として、武力の行使には無制限といふことは許されてをらない。いはゆる交戦の法規 慣例の許す範囲内において行使することが適法とされてをるのでありまして、現行のいろいろの条約の上で種々の制限が 設けられてあります。制限を設けたこの種類の条約は主として二十世紀以後の特産品でありますが、その以前でも絶無で

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はありません。例へば古い修好通商条約などには、劈頭第一に『両締約国間ニハ永遠不変ノ平和親睦アルベシ』など謳っ て あ り ま す。 こ の 文 句 は 少 く と も モ ー ラ リ ー[ morally ] に は 不 開 戦 と い ふ こ と を 約 束 し た も の で あ り ま す。 け れ ど も 実 際においては、永遠どころではなく、二十年と平和親睦が続けば寧ろ例外の方であります。畢竟これは条約文の上におけ る飾り言葉、一つの枕言葉に過ぎないのであります。   二十世紀になりましては、交戦権の行使を拘束する国際条約は少からず出て参りました。実際の効力如何は別の問題と して、形式的には現に効力を持ってをるものもあります。その内容の重要性の多寡大小は別として、さういふ目的を持っ た条約や議定書の類は今日ざっと八つある。 まだあるかも知れませんが、私の承知してをる所では少なくも八つあります。 それを年代順に挙げますと、第一は一九〇七年の第二回ハーグ平和会議において改正の加へられましたる国際紛争平和的 処理条約、つまり国際紛争を出来るだけ周旋なり調停なり仲裁裁判なり、又は国際審査会なりの何れかによって決めるべ きことを決定した条約であります。   第二には、これも同じくその時のハーグ会議で決めました契約上の債務回収の為にする兵力使用制限に関する条約、こ の内容はあまり 諄 く ど いから申上げないことに致しますが、つまり南米諸国などがとかく英米に向って公債の義務を果さない 場合に、いきなりイギリスなり、フランスなり、ドイツなりが軍艦を差向けて威嚇的な態度を執ることをさせないやうに するといふのでありまして、有名なドラゴ・ドクトリン といふものが起って来たその結果の条約であります。   第三は後に稍々詳しく論じて見たいと思ふ一九〇七年ハーグ議定の開戦に関する条約であります。   第 四 は 一 九 一 三 年 に 出 来 ま し た ブ リ ア ン の 平 和 条 約( ピ ー ス・ ト リ ー チ ー[ peace treaty ] ) 、 正 確 に 申 し ま す と 平 和 促 進条約、これは活きてをるやうな、死んだやうな、極めて曖昧になってをりますが、形だけは活きてをります。死んでを る と い ふ の は、 つ ま り こ の 条 約 の 規 定 と し て、 各 国 が 選 定 す る 委 員 が あ り ま す が、 そ の 委 員 は、 そ の 後 概 ね 死 亡 し て し まったが、関係各国共その後継者を任命しないといふわけで、自然に委員会が立消えになってしまった。しかし形だけは

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活きてをりまして、現にアメリカとポルトガル、アメリカとデンマーク、アメリカとスエーデン、このアメリカ対三国の 間には、私の記憶に間違ひがなければ、有効に存在してをる筈であります。   第五には、国際連盟規約の第十一条以下に開戦に関するモラトリアムの規定が種々あること御承知の通りであります。   第六には、前にちょっと申上げました一九二四年ジュネーヴで調印された国際紛争平和的処理に関する議定書といふの があります。いま一つは同じやうなものでありますが、一九二八年九月国際連盟総会で採択せられた国際紛争平和的処理 に関する一般議定書といふのがあります。   第七には、いはゆるロカルノ条約、これは殆ど死文同様のものであります。   第八番目がケロツグ・ブリアンの不戦条約であります。これだけが今日交戦国を拘束する所の、影の薄い、厚いは別と して、とにかく効力を持ってをる所の条約の例であります。   その中今日申上げたいと思ひますのは、先づ以て右の第三に挙げました開戦に関する条約 であります。 これは一九〇七 年の第二回ハーグ平和会議で出来たのであります。標題はコンヴアンシヨン ・ リラチーヴ ・ ア ・ ルーヴエルチユール ・ デ ・ ゾスチリチー[ Convention relative à l'ouverture des hostilités ]で、つまり開戦ではなく、敵対行為の開始に関する条 約 と、 正 し く 訳 す る な ら ば、 さ う 訳 さ な け れ ば な ら な い。 け れ ど も 此 処 で 申 す ゾ ス チ リ チ ー[ hostilités ] は、 戦 争 と い ふまでに至らない武力行動の意味における敵対行為ではなく、実質的には戦争のことを意味してをるのでありますから、 標題としては誤訳ではありますが、実質的には差支へはないわけであります。開戦に関する条約の眼目は、開戦には先づ 以て理由を付したる開戦の宣言か、或は条件附きの最後通牒──これは言ふことを聴かなければ自由行動を執るぞといふ コ ー リ フ イ ケ ー シ ヨ ン[ qualification ] を 付 し た 条 件 附 き の 開 戦 宣 言 を 含 ん で を る 最 後 通 牒 を 以 て す る 明 瞭 な る 通 告 を な すべしといふのが第一条の規定であります。この条約の出来る以前においては、開戦には必ずしも最後通牒なり、または 宣戦といふ手続は要しなかったものであります。でありますから、明治三十七年の日露戦役の発端において、我が艦隊は

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宣 戦 に 先 立 つ 数 日 前 に ロ シ ヤ の 商 船 を 拿 捕 し、 又 仁 川 沖 で ロ シ ヤ の 艦 隊 を 撃 破 し、 更 に 又 旅 順 の 海 上 攻 撃 を も 行 っ て を る。これは従来の学説及び慣例に照して少しも問題にする余地のない適法な行為であります。殊に宣戦不要論はイギリス の国際法学者が多く唱へてをる所でありまして、従って当時イギリスの国際法学者は殆ど全部日本の行動を適法と見たの であります。然るに日露戦役中においても、またその後においても、日本の行動には何等違法の点はないとしても、将来 は不意討といふことはやめにしやうぢやないか、開戦には一定の手続を履ましめる制例を立つることが望ましいといふ意 見が出て参りました。殊に開戦の手続が定まってゐないと、交戦状態の成立は最初の敵対行為を以て起算点とするのであ りますが、その最初の敵対行為といふのは何であるか、何時の且如何なる行動を以て最初の敵対行動と認めるかといふに 就ていろいろ議論の起る余地のある。現に日露開戦の場合においても、その議論が盛んにあったのであります。   そこで右様の見地からして、日露戦役の終りました翌年、即ち一九〇六年に、ゲントで開かれました万国国際法学会の 総会で、開戦は予め宣戦か又は条件付きの最後通牒を発した上のことにしやうといふ決議が出来ました。その決議をその 儘踏襲して出来上がったものが一九〇七年の第二回ハーグの平和会議における開戦の手続に関する条約であります。   然るにこの条約の実際上の効果如何といふことになると、実は甚だ疑はしいのであります。先づ以てこの条約の大眼目 は、宣戦または最後通牒を以てして、それに依り不意討はやめようといふのでありますが、この規定の下で果して不意討 が喰い止まるものかどうかは甚だ疑はしいのである。といふのは、宣戦なり最後通牒なりの通告と、実際の敵対行動の開 始との間には一定の期間の規定がない。ハーグの平和会議におけるこの条約の討議の際、宣戦と敵対行動の開始との間に 少 く と も 二 十 四 時 間 の 間 隔 を 設 く べ し と い ふ 説 が 慥 たし か オ ラ ン ダ の 代 表 か ら 出 た の で あ り ま す。 と こ ろ が フ ラ ン ス の 代 表 は、今日の戦争では軍機の実際がさういふことを許さないといって反対しまして、遂に間隔を設けるといふ規定は出来な かったのであります。でありますから現在の規定の下においては、開戦の宣言をなすと殆ど同時に、また最後通牒におい て要求する所の回答の期間を極めて短時間に限って相手国が未だ応戦する準備をなすの 遑 い と ま なき間に、突然敵対行動を開始

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することの出来る余地は 綽 し ゃ く 々 し ゃ く として存してをるわけであります。現にこの条約が出来ましてから、さういふやり方をやっ た交戦国は沢山あります。一々例を挙げることは控へますが、殆ど同時に敵対行為を始めてをる国があるのであります。   次には、この条約の規定する所に従はないで、即ち宣戦なり、または最後通牒の通告をしないで始めたる戦争は、その 理由において違法の戦争であるかと申しますと、若しさうであるならば、開戦に伴ふ所の国際法上のいろいろな義務や実 際上の不便を避けんが為に、戦争といふ名を避けて実を行ふといふ途はいくらもある。宣戦といふ形式を履まざることに よってその目的を達することは極めて容易でありまして、いはゆるド ・ ファクト ・ ウァー[ de facto war (事実上の戦争) ] をやるといふ例は珍しくないのであります。且つまた宣戦といふ手続を履まないで開戦することを違法であると論じて見 た所で、またさういふ戦争には戦争といふ性質を認めないと論じた所で、戦争は遠慮なく進行して行くのであります。手 続 が 履 ん で な い か ら 違 法 で あ る と い っ て 差 止 め る こ と が 出 来 る 位 な ら ば、 国 際 法 は 戦 争 そ の も の を も 差 止 め る こ と は 極 めて容易な筈であり、従って特に宣戦の手続を要求するといふことにも及ばないことになりはしないかと思ふ。のみなら ず、この条約の実際的効能を疑はしむる一層重大なる理由は他にもある。開戦の決心をした国でこの条約の要求する所の 手続を守ってをったのでは、戦機を逸してしまひ、為めに戦略上甚だしく不利な立場に立つといふ懸念であります。殊に 空軍至上主義の現代においては、開戦は空襲を以て火蓋が切られるのが定石であります。空襲は先んじて敵を制すればこ そ効能があるのであります。であるから、開戦の危機がいよいよ迫って来たならば、先づ宣戦や最後通牒の発送といふこ との手続のすむのを待ってをったのでは、忽ち敵に機先を制され、開戦の発端において大なる不利を招くことは申すまで もない。だからいきなり敵の領域内に驀進して行って、最迅速に敵の空軍基地に爆撃を加へ、敵からの空襲に対して予め 止めを刺すといふ策に出ることは、何れの国でも苟くも空軍を持つ限りは当然執る順序でありませう。開戦の方式などに 拘泥してをったのでは重大な戦機を失ひますから、到底実行の望まれない規定であります。つまりこれは空軍の活躍のま だ見られなかった昔の平面的の作戦時代に処すべき規定であって、その時代においては相当の理由がありましたらうけれ

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ども、今日においては多くは望み得ざる寧ろ時代錯誤の規定でありませう。若し世の中に時勢の変遷といふことを理由と して効力の不存続を要求する条約がありとしたならば、この条約などはその劈頭第一に載るべき条約であるまいかと思ひ ます。尚ほこの条約と大東亜戦争との関係は後に申上げます。   次 に は ケ ロ ツ グ・ ブ リ ア ン の 不 戦 条 約 で あ り ま す が、 こ れ は そ の イ ン ポ ー タ ン ス[ importance ] の 上 に お い て は 只 今 ま で に 挙 げ ま し た る 他 の 七 つ の 条 約 の 遥 か に 上 に 位 す る も の で あ り ま し て、 重 要 性 か ら い へ ば 恐 ら く 第 一 で あ り ま せ う。 こ の 条 約 は 条 文 僅 か に 三 ヶ 条 に 過 ぎ な い 至 極 簡 単 な も の で あ り ま し て、 そ の 大 眼 目 と す る 所 は、 第 一 に、 締 約 国 は 国 際 紛 争 の 解 決 の 為 の 戦 争 に 訴 ふ る こ と を 非 と し ─ ─ こ の『 非 と し 』 は コ ン デ イ ム[ condemn ( 非 難 す る ) ] で あ り ま す ─ ─ 且 つ そ の 相 互 の 関 係 に お い て 国 家 の 政 策 の 具 と し て の 戦 争 を 抛 棄 す る、 ナ シ ヨ ナ ル・ ポ リ シ ー の イ ン ス ト ル ー メ ン ト [ instrument ] と し て の 戦 争 を リ ナ ウ ン ス[ renounce ] す る、 こ れ を 厳 粛 に 宣 言 す る と い ふ の が 主 眼 で あ り ま す。 『 戦 争 に訴ふることを非とし』のコンデイムといふ言葉にはいろいろな意味がございませう。この点高柳[賢三]先生などに特 別 に お 教 へ を 仰 ぎ た い と 思 ひ ま す。 コ ン デ イ ム は セ ン チ ュ リ ー 字 彙 に は、 一 は 犯 罪、 且 つ 処 罰 を 宣 告 す る 所 の 司 法 的 行 為、 二 に は 強 き 叱 責、 非 難、 糾 弾 と 解 説 し て あ る。 又 ブ ー ヴ ィ ア ー[ John Bouvier ] 判 事 編 纂 の 法 律 辞 書 に は ─ ─ こ れ は私が常に座右に置いてをる法律辞書の一つでありますが──それにはコンデイムを先づ『国際法においては公海におい て拿捕したる船を当該管轄当局において適法の捕獲物とする権利』これは普通に海上捕獲において称する所のコンデイム ネ ー シ ヨ ン[ condemnation ] で あ り ま す。 次 に『 民 法 に お い て は、 或 人 に 或 事 を 為 す べ し、 或 物 を 与 ふ べ し、 或 物 を 支 払 ふ べ し と 命 じ、 ま た 或 申 立 を 理 由 な し と 断 じ 又 は 判 決 す る。 然 れ ど も 民 事、 刑 事 と も に コ ン ビ ク シ ョ ン[ conviction ] の語を用ひるのを一層普通とす』とある、然らばこヽでいふ戦争に訴ふることをコンデムするといふのは、戦争を犯罪即 ちクライムと見ると解すべきであるかといふに、元来クライムとは、法律が禁ずるか、または命ずる所に違反してこれを 行ひ、または行はずといふ行為であります。簡単に申すと法律の禁ずる所であり、法律に背いた違反行為であります。然

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るに戦争は、不戦条約の調印当時において、未だ曽て国際法がこれを禁じてをったのではない。たとへ新たに一つの条約 を作ってこれを犯罪と称することにした所で、前に申した如く、その条約が世界の有力なる且つ多数の国際法学者が裏書 き し て、 権 威 あ る 学 説 が こ れ を 支 持 す る や う に な る ま で は、 新 規 の 一 条 約 で あ る 以 外 に、 未 だ 以 て 国 際 法 上 の 新 原 則 と し て は 受 取 ら れ な い や う に 思 ひ ま す。 第 一 次 大 戦 後 の パ リ ー 会 議 の 予 備 会 議 に お き ま し て、 カ イ ゼ ル・ ウ イ ル ヘ ル ム 二 世[ Wilhelm II ] を 国 際 道 義 に 反 し、 条 約 の 神 聖 を 汚 し た り と い ふ 点 で 訴 追 す る こ と に な り、 そ れ を 立 案 す る に 当 り、 これをクライムとして取扱ふかどうかといふことはいろいろ議論がありましたが、結局クライムとしないで、オツフエン ス[ offence ] と い ふ 字 を 使 ひ、 そ れ に『 重 大 な る 』 と い ふ 形 容 詞 を つ け る こ と に し て 鳬 け り が つ い た の で あ り ま す。 外 務 省 の官訳文には、このオツフエンスが犯行となってをります。犯行といふよりは非行といふ位の所が適当ぢやないかと思ひ ま す 。 不 戦 条 約 の コ ン デ ム と い ふ の も 寧 ろ 咎 き ゅ う 責 せ き と い ふ 意 義 に と り ま し て、 戦 争 に 訴 へ る こ と を 非 行 と す る と い ふ 位 に 解 するのが妥当ではあるまいか。国際法上よしんば戦争は適法なことであっても、国際政治上の見地から見てこれを非行と 認める、さうしてそれを国際紛争の解決手段にしないといふことを互ひに約束する。これがこの条文の意義ではあるまい か、さういふ風に取りたいと思ひます。世の中では犯罪とならず適法なことでも、実行しないといふことを約束すること は沢山あります。またその約束に背いたからとて、約束違反の背信行為といふことは無論成立ちますけれども、敢て犯罪 を構成するに至らないものはその例少からずあります。社会の罪悪となるべき行為、例へば人を殺すとか、財を盗むとい ふ行為で、さうして法律がこれを禁じてをるのを犯したならば、それは犯罪を構成することは勿論でありますが、従来適 法であったものを、都合によってしないことにしようといって、さうしてたまたまその約束を破ったからとて、その破っ た行為そのものは犯罪とはならない。われわれが煙草を吸はんことにしようと約束した。ところが相手が約に背いて煙草 を喫んだ。これは約束違反の背信行為では無論ありますけれども、そのことが犯罪を以て論ずることの出来ないのと同じ 理屈であります。不戦条約の下における戦争といふことの性質も、この理由に照して考へられるものであります。

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  次には、この条約において抛棄といふことを厳粛に宣言したる『国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争』の文句である。この 文 句 の 中 で 第 一 に 問 題 と な る の は『 国 家 ノ 』 と い ふ 字 で あ り ま す。 ナ シ ョ ナ ル・ ポ リ シ ー の ナ シ ョ ナ ル、 こ の 言 葉 に 重 き を お い て を る 解 釈 も あ る。 不 戦 条 約 の 生 み の 母 と 言 は れ ま し た る コ ロ ン ビ ヤ 大 学 の シ ヨ ツ ト ウ エ ル[ James Thomson Shotwell ] は 特 に こ の『 国 家 』 と い ふ 言 葉 に 重 き を お い て、 か う い ふ 風 に 説 い て を り ま す。 『 国 家 の 政 策 の 手 段 と し て の 戦争を抛棄するといふ字句の中、その最も重要なるは国家の語である。戦争は総てこれを抛棄するといふのではない。い や 政 策 の 手 段 と し て の 戦 争 で も、 必 ず し も 抛 棄 せ よ と は 言 は な い。 た ヾ 抛 棄 す べ き は、 ブ リ ア ン[ Aristide Briand ] 氏 の言へる如く、国家の目的の自意的 (スポンテニアス [ spontaneous ] 、スポンタネ) の主張に係る戦争のみである。従っ て国際連盟規約またはロカルノ協定による平和保障国の連合行動の如きはこれに触れない。なぜならば違反国に対する武 力の共同的使用の如きは、各国の国家の政策の手段としてヾはなく、国際団の手段としてヾある。これについては本条約 を 通 じ 一 言 半 句 も 妨 げ る 所 が な い の で あ る 』 と 述 べ て ゐ る。 ( Shotwell, The Pact of Paris, p.11 ) 。 こ の 中 に 挙 げ て あ り ます 『ブリアン氏の言へる如く』 といふのは、この条約案がアメリカとフランスの両国政府間に交渉中の折、フランス [駐 米]大使のクラウデル[ポール・クローデル、 Paul Louis Charles Claudel ]が一九二八年三月二十六日附で米国の国務 長 官 ケ ロ ツ グ[ Frank Billings Kellogg ] に 宛 て ま し た る 手 紙 の 中 に『 国 家 の 政 策 と し て の 戦 争、 別 語 に て 言 へ ば、 締 約 国自身の自意的(スポンタネ)且つ独立的の政策を実行する手段としての戦争』といふ文句である。これを指したのであ ります。そのいはゆる『自意的且つ独立的の政策を実行する手段としての戦争』とは、然らば具体的にどんなものを指す のかといふと、それは何も書いてありません。 この字句から推して、丁度その反対の言葉になります 『自意的』 に対する 『他 意的』且つ『独立的』に対する『共同的』の政策を実行する手段としての戦争、例へば国際連盟規約第十六条による所の 共同制裁以外の戦争は悉くこれ国家の政策の手段としての戦争として、この条約の禁ずる所のものといふ風に解したであ らうと思ひます。即ち国家といふのは『国際的』といふのに対する『各国家個々の』といふ意味の積りであったやうであ

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ります。つまり各国が連合して行ふ武力的制裁[集団安全保障による制裁戦争]にあらざる所の各国独自のといふのが、 この条約の立案者の意味らしく思はれるのであります。   次 に『 政 策 の 手 段 と し て の 戦 争 』 、 こ れ は 右 の フ ラ ン ス 大 使 の 述 べ た 所 以 外 に、 米 国 の 外 交 評 論 家 の 間 に は 当 時 い ろ い ろ の 解 釈 が 出 ま し た。 そ の 中 に あ っ て ハ ウ ラ ン ド[ Charles P. Howland ] は か う い ふ 風 に 定 義 し て を り ま す。 『 政 策 ま た は利益または権利の主張または尊重若くは擁護に関する総ての戦争』 、これはハウランドが Survey of American Foreign Relations に 書 い た の で あ り ま す が、 聊 か や ヽ こ し い 定 義 で あ り ま す。 そ れ よ り も 一 番 よ い と 思 は る ヽ の は、 少 く と も 比 較 的 よ い と 思 ふ の は、 ア メ リ カ の 国 際 法 学 者 の フ エ ン ウ ヰ ツ ク[ Charles G. Fenwick ] が『 国 家 の 政 策 の 具 と し て の 戦 争 は、 国 家 の ク レ イ ム ス[ claims ] に 従 っ て、 ま た は 国 家 の イ ン テ レ ス ツ[ interests ] の 増 進 の 為 に す る 戦 争 と 定 義 す べきである。但しかヽる要求及び利益にして各主権国の固有する自衛権に基く性質を有せざる場合とす』と云へる定義で あ る。 こ れ は フ エ ン ウ ヰ ツ ク が ア メ リ カ ン・ ジ ヤ ー ナ ル・ オ ヴ・ イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル・ ロ ー の 一 九 二 八 年・ 第 二 十 二 巻 に掲げてある定義であります。これは比較的簡にして要を得たものかと思ふ。要するに 『政策の手段としての戦争』 とは、 自衛権の要求に発するにあらずして、専ら政策的打算からして行ふ所の戦争と解して然るべきかと思ひます。   そこで問題となるのは、不戦条約と侵略戦なるものとの関係である。世間普通に言ふ所の侵略戦といふものが不戦条約 によって否認せらるべきことは無論でありませうが、しかも一体侵略戦とは何であるか、侵略とは如何なる行動を意味す るものであるかと問へば、これに対する明瞭の答は頗る難 か ママ しい。侵略なり侵略国なりの言葉は、第一次大戦以前の国際 条約には勿論のこと、国際法関係の著書論文の上にもあまり見えなかった言葉であります。皆無ではありません。国際条 約の上においてこの言葉の見えたのは、例へば第一回の日英同盟条約の第一条に 『全然侵略的趨向に制せられることなき』 といふ語があります。また明治三十八年の第二回、明治四十四年の第三回の日英同盟条約の何れも第二条には『一国若し くは数国の侵略的行動』の語がある。けれどもその侵略とは極めて広い意味で、つまり不法の武力行動といふ意味であっ

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た。国際連盟規約の第十条にある『外部の侵略』の『侵略』も、やはり同じやうな意味だらうと思ひます。 然るに第一次大戦以後になり、侵略といふ言葉は国際問題の上において一つの流行語となりました。しかしその確たる 意義は甚だ不明瞭である。第一次大戦以来十数年間における国際政治の中心問題は、いはゆる安全保障と連合制裁、この 二つでありましたが、この問題はいつも侵略国とは何であるかと云ふ議論となって不得要領に終ってをる。侵略国とは一 体何であるか、誰が誰を侵略国と決めるかといふことになると、問題はいつも循環論理──サーキユレーチング・ロジツ ク[ circulating logic ] に な っ て し ま っ て、 そ の 難 関 を 突 破 す る こ と が 出 来 な い。 国 際 法 は 開 戦 を 相 手 国 か ら 現 に 攻 撃 を 受 け た 上 の 受 身 の 場 合 に 限 る も の と は し て を り ま せ ん。 若 し そ う い ふ 風 に 決 め れ ば、 問 題 は 洵 に 簡 単 に な り、 侵 略 国 の 定 義 の 難 題 は 忽 ち 解 決 す る。 な ぜ な ら ば、 先 に 手 を 出 し た 方 が 侵 略 国 と い ふ こ と に 定 ま る か ら で あ る。 け れ ど も、 問 題 は な か な か さ う 簡 単 に は 片 付 か な い。 侵 略 を 行 ふ に は、 先 づ 相 手 を し て 手 を 出 さ し む る 方 法 も あ る。 ビ ス マ ル ク[ Otto Eduard Leopold Fürst von Bismarck ]などはそれが得意でありました。ビスマルクは、私は必ずしも侵略のみを信条と した政治家とは思ひませんが、しかし決して侵略が不得意ではなかった。彼は他国と開戦する場合には、六十六年のオー ストリーとの戦争[普墺戦争]でも、七十年のフランスとのそれ[普仏戦争]でも、いつも相手をして先づ手を出さしめ る、さうしてプロシヤは已むを得ず応戦したといふ風に局面を導いて行くことが大得意であった。本当に侵略に志す老巧 な政治家は、自ら先づ手を出して進んで侵略国といふ不名誉な名を負ふやうな拙なことはしますまい。であるから、どっ ちが先に手を出したかといふことで、侵略国の何れなのかを決めることは出来ないのである。   イ ギ リ ス の 初 代 の 労 働 党 内 閣 の 総 理 の ラ ム ゼ ー・ マ ク ド ナ ル ド[ James Ramsay MacDonald ] は、 国 際 連 盟 の 軍 縮 諮 問委員会におきまして『侵略の責任の帰着を判定するの能のある者は戦後五十年を経て筆を執る歴史家であって、開戦の 際における政治家にあらず』と云ひましたが、これは至言であると思ひます。   一九二三年の第四回国際連盟総会において立案したる相互援助条約の案には、前にもちょっと申しましたやうに、劈頭

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第一に『締約国は侵略戦争が国際的罪悪なることを厳粛に宣言し、各自これを犯さざることを約す』と規定し、またその 第一条第二項において『紛争の当事国にして理事会の全会一致の勧告、国際司法裁判所の判決、または仲裁裁判を受諾せ る国が之を受諾せざる締約国に対して為せる戦争は侵略戦争と看做さるヽことなし』と声明した。けれども、これ等の規 定や声明では、未だ以て侵略国の性質を明かにするのには足らないと思ひます。現に同じ一九二三年の連盟の軍縮常設諮 問 会 の 決 議 の 中 に は、 『 何 を 以 て 侵 略 行 為 と な す か に つ い て は、 満 足 的 な 定 義 は 到 底 立 つ る こ と を 得 な い。 仮 に 定 義 を 立 て得たとしても、何を以て侵略行為が発生したかを決することの困難は、依然として存在する。近代戦争の情勢において は、仮令理論の上においても侵略行為の何なるかを決定するは不可能である。動員も国境侵入も、これを決定するの標準 となすに足らない。真の侵略は何等有形的の行動には存在しないで、一国の他国に対する政治的政策の上にこれを求むる の外ない』とあります。これが蓋し適切なる見解でありませう。   その後の国際連盟総会や連盟主催の軍縮会議において、侵略問題は何度蒸し返へされたか知れませんが、煩雑であるか ら繰返して紹介することはやめますが、要するに大体帰着した所は、国際義務──インターナシヨナル・オブリゲーシヨ ン[ International obligation ] 、 殊 に 条 約 上 の 義 務 の 無 視 と い ふ こ と を 侵 略 の 要 件 と し た も の で あ り ま す。 即 ち 締 約 国 は 或る条件の許す範囲内において行ふ以外に、凡そ開戦するを得ざることを相約したるに拘らず、これに違反して干戈に訴 ふることあらば、それをば侵略国と称するのである。侵略の定義もこヽまで来ると大分進化して来たのでありますが、し かし侵略といふ言葉をかやうに定義するに至りましても、問題は未だ以て解決されたことにはなりません。つまり条約の 解釈権は当事国双方にありますから、一方が条約違反と論じて見た所で、他方が違反にあらずと反駁することは自由であ り ま す。 ま た 第 三 国 の 批 判 も、 必 ず し も 侵 略 国 と 指 定 さ れ た 方 を 同 様 に 侵 略 国 と 判 断 す る に 一 致 す る と は 限 り ま す ま い。 従って或る国が本当に国際義務違反であるか否やは、時には議論の起る余地があり、それだけ侵略国の的確の判断は、実 際において難かしい場合がありませう。一体或る国が侵略国であるといふことは誰がこれを決定するのであるか。各国の

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利害の必ずしも一致するとは限らない所のかういふ重大なる問題をば、多数決によって決めるといふことに、各国が常に 同意するとは思はれない。こヽに難関がありまして、この難関にぶつかって、この問題は常に一歩も進み得ないのであり ます。国際紛争を仲裁裁判なり、国際委員会なりに付議し、その決定に服することを拒んだ国を侵略国と看做すといふが 如き、洵に議論は簡単でありますけれども、開戦を賭してまで相争ふといふ程の重大なる政治的紛争を仲裁裁判に付議す ることに同意する国とては、少くとも今日までは大概の国にはありません。義務的仲裁裁判は理想としては結構でありま すが、事実世界の総ての国々をこれに網羅することは難かしい。従って仲裁裁判に服するや否やを以て侵略国と否とに分 つことは、その前提において不可能若くは非常な困難であると思ひます。若しそれを分つことが出来るとすれば、侵略国 がどちらであるかは容易に判断することが出来ませう。しかしそれは寧ろ例外でありまして、多くの場合においては、当 事国のどちらを侵略国と判断してよいか、またどういふ意味合ひにおいて侵略国であると論断するかは、いよいよ究めて いよいよ惑はざるを得ません。   この不戦条約の交渉中においてもフランス政府から出た当時の原案では、その抛棄せんとする戦争を『国家の政策の具 と し て の 戦 争 』 と し て あ り ま し た。 と こ ろ が、 そ の 後 フ ラ ン ス か ら 第 二 回 目 に 出 ま し た る 原 案 で は、 フ ラ ン ス 自 ら そ れ を『侵略戦争』と修正して来ました。ところがアメリカの方では、この修正には同意しない。ワシントンのフランス大使 に宛てましたる一九二八年一月十一日附の返簡の中に『フランス政府が戦争の抛棄に関する多辺的の一条約を米国政府と 共 同 に 確 認 す る と い ふ こ と に 同 意 を 表 せ ら れ た る 所 の ブ リ ア ン 氏 の 一 九 二 八 年 一 月 五 日 附 の 回 答 は、 一 見 す る 所[、 ] 該 条約を侵略戦争のみに限らんとするもののやうである。然るにフランス政府が去る六月中、自分に提案せられたる条約案 には、何等かヽる条件も制限もないものである。自分はフランス政府が如何なる理由を以て当初の案をかく修正せられた るやは知らないけれども、切に 冀 こ い ねが ふ所は、この点に重きをおかれないで、ブリアン氏の最初の原案通り、国家の政策の具 としての一切の戦争を無条件に抛棄するの方式を他の列強政府との商議の基礎案とせられんこと、これが自分の望みであ

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る』と記し、それから続いての返簡の中には『本条約の中に侵略国の定義や、開戦を正当視せしむる除外例なり条件なり を 掲 ぐ る に お い て は、 条 約 の 効 力 は 頗 る 弱 め ら れ、 平 和 の 保 障 と し て の 積 極 的 価 値 は 事 実 皆 無 と な る に 至 る こ と を 惧 る 』 といひ、更に彼は、同年三月十五日、ニユーヨークの国際関係研究会においてなした演説中において、一層詳に『フラン スは後に至り侵略戦争のみを抛棄せんとする案を提議した。不戦条約の範囲をかく侵略戦争のみに限らんとすることに対 する自分の異議の理由は外でもない、第一は世界平和の保障が何等かの条件付となるといふことに対する自分の不賛成そ のものである。第二は侵略国なり、侵略戦争なる言葉には一つも満足すべき定義の存在することがないのにある。自分は 濫 用 の 弊 を 伴 ふ の 虞 れ の 無 い 一 つ の 定 義 を 如 何 に し て 立 て 得 る か に 惑 ひ な き を 得 な い。 凡 そ 定 義 な る も の は 抜 道 の あ る も の で、 こ れ は イ ギ リ ス 政 府 が 最 近 国 際 連 盟 の 軍 縮 準 備 委 員 会 に 提 出 し た る 覚 書 の 中 で、 英 国 外 相 チ エ ム バ ー レ ン[ Sir Joseph Austen Chamberlain ] が『 自 分 は 侵 略 国 な る も の を 定 義 せ ん と す る 企 て に は 依 然 反 対 す る、 な ぜ な ら ば、 そ れ は 浄 者( イ ン ノ ー セ ン ト[ innoc ent ] ) に と っ て は 一 つ の ト ラ ツ プ[ trap ] と な り、 兇 者( ギ ル チ ー[ guilty ] ) に と っ て は一つの道標(サインポスト)となるものであると信ずるからであるといふ言葉を裏書きしたものであるが、自分はこの 点において英国外相と所感を同じうする』と論断した。要するにケロツグの見る所では、侵略国の定義は頗る難かしく、 たまたまこれを立つれば、開戦を企てるものに抜道を与へるに過ぎないで、濫用弊が生じて、不戦の精神を没却するに至 るものであるといふ論で、即ち侵略戦争なるものの確たる定義は立て難いといふにあったのであります。   そ ん な わ け で、 侵 略 戦 争 の 何 た る か を 的 確 に 定 義 す る こ と の 難 き こ と は 米 国 政 府 の 当 年 の 責 任 者 も 夙 に 認 め た 所 で あ り、又実際それに相違ないのである。今日米国の人々は頻りに日本を侵略国と言ってをりますけれども、彼等が如何なる 定義に基いて日本を侵略国と断ずるかといふことについては、確たる見解はないやうに見えます。私の考へでは、或る戦 争が果して侵略戦争と称すべきものなりや否やは、先づ定義を立てヽ、それから主観的に判断することは到底困難であり ま し て、従 っ て 各パ ー テ イ キ ユラ ー・ ケ ース[ particular case ] 毎 につ い て 客観 的 の 事 実 に基 い て、 それ を 綜 合 して 判 断

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するより外ないのであります。別の言葉を以て申しますと、或る国の行動が侵略であるかどうかは、先づ侵略の定義を立 て ヽ、 そ れ か ら デ ダ ク チ イ ヴ リ ー[ deductively ( 演 繹 的 ) ] に 見 解 を 下 す よ り も、 如 何 な る 事 実 に 照 し て 侵 略 で あ る と 看 做 す べ き か と い ふ 風 に イ ン ダ ク チ イ ヴ リ ー[ inductively ( 帰 納 的 ) ] に 論 証 す る の が、 取 る べ き 方 法 で あ る ま い か と 思 ひ ます。   具体的に一二の例を挙ぐれば、第一次大戦に於て 独 ド イ ツ 乙 は侵略戦の主動者と云はれた。その以前にありては、英国の南阿 の役[ボーア戦争、南ア戦争]も、世界の輿論は之を侵略戦と見るに於て殆ど一致した。別に侵略の定義に当てはめて 爾 しか く論断したのではなく、たヾ客観的事実を綜合して爾く批判したのである。不戦条約案が米英両国政府間の交渉に移り、 しかも英国政府の態度が煮切れざるや、同案の熱心なる賛成者たりし労働党のラムセー・マクドナルドが下院に於て之に 関し質問を為すや、外相チエムバーレンは、本政府の対米回答の遅延は案文の技術的研究と海外領土諸政府との相談に手 間取るがためで、対米交渉は近く円満に纏るべしと答弁したが、その答弁中に於て彼が『英国は未だ曽て侵略戦争を行っ たことがない』と述べるや、労働党側から『南阿の役はどうか』との鋭き弥次が出た。すると彼は『自分は古い歴史や十 字軍などの昔を語るを好まない』と逃げ、満場の失笑を買ふたものである。彼の先人ヂヨセフ・チエムバーレンの主動の 下に行はれたる南阿の役は、英国の国内に於ても誰いふとなく侵略戦争と周認されたものである。   更に支那事変に関しては、昭和十五年七月廿四日の貴族院に於て当時の首相米内[光政]大将は支那事変の目的は八紘 一宇の大理想を実現せしむるにありと説明し、又支那事変の事実的延長である大東亜戦争に関しては、開戦直後の貴衆両 院に於て、東條[英機]首相は、帝国の企図する所は大東亜共栄圏の建設に在りと声言した。八紘とは、つまり東西南北 の四方と 乾 け ん 坤 こ ん 艮 ご ん 巽 そん の四隅を併称したもので、即ち八紘一宇は世界統一の意義に外ならない。大東亜共栄圏は以前の日満支 ブロツクを拡大せしめ、南方地域を之に加へて自給自足の一大円圏を東亜に建設するの意と解すべく、趣旨は元来平和的 のものと称するにもせよ、その目的を達成するに必要なる順序手段としては、八紘一宇のそれと同じく、先づ大東亜地域

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に多年米英が扶植し来れる勢力を武力を以て駆逐し、武力を以て我が勢力の下に収むるのでなければ不可能であらう。斯 くして我国は、右の目的と手段とを以て支那事変に臨み、又大東亜戦争に驀進した。それを米英は、それが則ち日本の侵 略であると、事実を直視し、事実に即して帰納的に論ずるであらう。先づ定義を立て、之に照して攻め来るのならば、言 葉尻を捉へて簡単の反撃をするのは比較的容易ならんも、事実を挙げ然る上之をば侵略行動と認むと論じ来るに対し、我 国がイヤ然らずと弁明するには、理由を如何に組立て、如何なる言葉を以て為すべきか。これが今日目前に逢着せる焦眉 の一問題であると思ひます。   次に不戦条約を論ずるに当って研究して見たい点は、いはゆる自衛権であります。国家の自衛権の性質範囲は、国際法 学者の間において、実は未だに確乎たる定解に達してをらない一つの迷 津 しん であります。その迷津である所以は、第一は国 家の自衛権と称するその権利の性質は何であるか。第二には自衛権は、仮に相手国が現実の危害を未だ我が方に加へざる も、 早 晩 加 ふ る も の と 見 越 し、 先 ん じ て 相 手 国 に 攻 撃 を 加 へ る こ と も 自 衛 権 と し て 認 め ら る べ き も の で あ る か。 第 三 に は、自衛権として防衛すべき所の、危害を受くる客体は、専ら一国の領土とか在外の国家機関(例へば使臣館とか、兵営 とかの如き)に限らるべきか、或は在外臣民の身体なり財産なり、または在外設定の諸般の権益にも当然及ぶべきもので あ る か、 等 の 問 題 で あ り ま す。 こ れ ら の 諸 問 題 を 今 一 々 申 上 げ る こ と は 余 り に 煩 雑 で あ り ま す か ら、 省 く こ と に 致 し、 たヾ右の第一に就てホンの一言申述ぶることに止めます。   自衛権の性質といふのは外でもありませぬ、元来権利なるものは義務がこれに対応するのが普通である。総ての場合で はありますまいが、多くの場合にはさうである。であるから、義務の対応しない権利は、権利といふよりは寧ろ本能であ る と い ふ の が 適 当 で あ る と 思 ひ ま す。 国 家 の 基 本 権 と 称 せ ら れ る 所 の 自 存 権、 即 ち ラ イ ト・ オ ヴ・ プ レ ザ ヴ エ ー シ ヨ ン [ right of preservation ] といふものも、国家の自存の本能となすのが妥当であると思ひますが、仮に自存の権利といふも のがあるとしても、その権利に対応する所の義務はない。国家が自存権を失って滅びたからとて、それを滅ぼしめたる国

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にも他の諸国にも、義務懈怠の責任はありません。そは恰も個人の基本権とも言ふべき自存の本能を失って死滅するも、 これに対し何人も義務懈怠の責任を負はないのと同じであります。自衛権もまた同様に論じ得らるべきでありませう。自 衛権は自衛の本能であるが、仮に自衛の権利としましても、国家が之を行使するに方り、相手国はこれに服従しなければ ならんといふ対応的の義務はなく、反対に相手にも自衛の本能に訴へてこれを反撃する権能を持ってをります。権利は義 務の対応を必ず要するものであらば、それは許されぬ理でありますが、自衛は元々国家の本能でありますから、相手もま た固有の本能としてこれを反撃することを得るのであります。故に自衛権は自衛の本能、またはその本能に発する自衛行 為といふのが適当であると思ひますが、俗称に従って暫くは自衛権の言葉を用ひますが、意義は右のやうに御了解を願ひ たい。   不戦条約はその適用の範囲から自衛権による所の戦争を除外してをります。この条約の調印に先立ちましてケロツグか らブリアンに送りましたる案文は、自衛権をも除外したい所の絶対無条件と解釈せらるべきものであった。然るにフラン ス政府は、本条約は適法の自衛権の行使並に国際連盟規約、ロカルノ協定、その他他国との同盟条約による義務の履行を 妨げないものと解釈すべきことを主張し、ケロツグは之を容れ、その諒解の下に案文の確定となったものであります。そ こでケロツグは同一九二八年四月廿八日の国際法協会の演説中において、当時関係国との間に交渉中でありました本条約 の意義を説明致しましたる中に、国家自衛権のことに論及し、   『米国案には自衛権を何等制限しまたは毀損するが如きものは一つもない。 自衛権は何れの主権国にも□ [1字不明] 者( イ ン ヘレ ン ト[ inherent ( 固 有 ) ] )の も の で、 何 れ の 条 約に も 含 蓄 せ ら れ て をる。 何 れ の 国 も、 そ の 領土 が 侵 略 又は攻撃を受ける場合にこれを防衛することは、如何なる時に於ても将た条約の規定が如何にあらうとも自由で、且 つ事態が果して自衛戦に訴へるべきかも、その国自身のみが決定すべきである。かヽる当然の権利を 故 こ と さら条約の上 に明記するが如きは、恰かも侵略の何たるかを定義しやうとするのと同じ困難に逢着するを免かれない』

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  と 述 べ た。 イ ギ リ ス の 外 相 チ エ ム バ ー レ ン も 同 年 七 月 十 八 日 付 の 対 米 公 文 書 に 於 て、 『 予 は ケ ロ ツ グ 氏 の 四 月 廿 八 日 の 演説に於て表白したる意見、即ち本条約案は自衛権を何等制限し又は毀損するものに非ざること、及び事態がその目的に 向って開戦を必要とするや否やを決するはその国自身のみの権能に属す、と云へる見解に全然同意を表す』と述べ、即ち 自衛権に基く戦争は当然不戦条約の適用範囲以外なること及びそれが果して自衛権に基く戦争なるや否やは、その開戦国 が己れ自身の判断にて任意に決定するものなること、別語にて云へば、自衛権は国家主権の当然の権利で、且自衛権の何 たるかを決定するのも亦国家主権の権利に属す、との見解に裏書きしたものである。これらの見解には一応の理あるを認 む べ き で あ る が、 し か も 条 約 の 規 定 如 何 に 拘 ら ず の 一 句 を 強 調 す れ ば、 恰 も 第 一 次 大 戦 の 発 端 に 於 て 独 ド イ ツ 逸 宰 相 ベ ー ト マ ン・ ホ ル ウ エ ツ ヒ[ ベ ー ト マ ン・ ホ ル ヴ ェ ー ク、 Theobald von Bethmann Hollweg ] が『 必 要 は 法 を 知 ら ず 』 と 云 へ る と択ぶなく、厳たる国際条約も自衛権の名に於て一片の反古紙と化せしむるに理あるを認むることにならう。必要の前に は破るも妨げざる条約、履行せざるも可なる条約上の義務の如きは、初めより之を結ばず、これを負はざるの勝れるに若 かずで、必要が自衛たると否とを問はず違反が恕せらるヽやうでは、条約の神聖は如何にして保たるべきか。しかも自衛 の必要は之を恕するのであるから、何れの締約国もこの権利を利用するに躊躇する筈なく随って条約上の義務の価値は事 実に於て零に均しい訳である。即ちたとひ不戦条約ありと雖も、名を自衛権にかりて大概の戦争は之を行ふを得るの予定 が綽々として存するのであります。   由来国家の自衛権なるものを最も広義に解するのは英米両国である。自衛権は前にも一寸申述べた如く、仮に相手国が 現実の危害を我方に加へざるも、早晩加ふるに至るべきものと想定し、機先的に相手国に攻撃を加ふることは、適法の自 衛行為として認めらるべきであるか。之を然りと肯定し且実行したる有名の事例は、一八〇七年に英国がデンマルクに加 へ た る 攻 撃 で あ り ま す。 当 時 英 国 と 交 戦 中 の 仏 帝 ナ ポ レ オ ン[ Napoleon Buonaparte ] は、 海 を 渡 っ て 英 国 に 侵 入 せ ん と欲したが、麾下の海軍力の不足に焦慮し、 丁 デ ン マ ー ク 抹 の艦隊を己れの傘下に収め、之に自国の艦隊を加へ、それを掲げて雌雄

参照

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国連海洋法条約に規定される排他的経済水域(以降、EEZ

脚注 [1] 一橋大学イノベーション研究センター(編) “イノベーション・マネジメント入門”, 日本経済新聞出版社 [2] Henry Chesbrough

(1999) Blown to Bits: How the New Economics of Information Transforms Strategy, Harvard Business School Press. 藤本隆宏

4.pp. 3) Alliance for Biking & Walking: BICYCLING AND WALKING IN THE UNITED STATES 2010 BENCHMARKING REPORT, 2010. 4) SUSTRANS:Economic Appraisal of local walking and