会長講演
対話で創 る看護 一 ともに成長 しつづ けるために 一
村
正
枝
*Nursing in Dialogue― to continue growing up together一
Masae Tamura*
I.
は じ め に 第13回学術集会は、看護学が実践科学である ことをあ らためて認識 し、質の高い看護 を提供 す るために、学生、看護者、看護教師が、看護 実践か ら対話 を通 して学 びつつ、看護 を創 って い くことを意識 して「対話で創 る看護 ―ともに 成長 しつづけるために一」 をメイ ンテーマ とし て開催 します。 看護基礎教育の事業生の実践能力が年 々低下 していることが指摘 されている。看護実践能力 の低下はどの基礎教育課程 にも共通 していると い うことで、 これは大変頭の痛い問題である。 看護はいつの時代 に も社会の変化や対象者 (ク ライエ ン ト)お
よびその家族のニーズに応 えて あ り方や役割 を変 えて きた。平成14年3月 に出 された「看護学教育の在 り方 に関す る検討会」 の報告書1)は看護基礎教育の課題 として実践能 力育成の必要性 と看護職 としての社会的責任、 並 びに国民の要望 に対応 した看護の質の向上 を 強調 している。 社会の変化 に伴 う看護の役割の拡大、な らび に看護学や保健 ・医学等関連諸科学のめざまし い進歩や発展 は、看護 に必要 とされる知識の量 を膨 らませ、今後 もます ます増加 させ るであろ うと考 えられる。 これ らの莫大 な知識 を限 られ た時間の中で修得することは きわめて困難であ り、教育内容の整理だけでは到底追い付かない。 次の時代 に活躍す る看護者 をどの ように育て てい くか、 これは看護教師だけではな く、看護 実践現場の方 々の共通課題で もある。何 をどの ように学ぶ ことが看護 を学ぶ ことになるのであ ろうか。莫大 な知識習得 に追われるのではな く、 自ら学 びつづけていける看護者の育成 を目指 し たい と思 う。それには看護実践の体験か らの豊 かな学 びを看護基礎教育の中心 に据 えることが 重要 となる。 ここでは、看護基礎教育 において、実践能力 育成の重要 な方法である臨地実習 を中心 に、問 題点 をふ まえなが ら今後の課題 を考 えてみ た Vヽ。 工.看
護学教育 における臨地実習の現状 と課題1.臨
地実習の変遷 と求め られる看護実践能力 戦後初 (昭和22年)の
看護教育 カリキュラム は学科 を1,115時間以上 とし、その中で看護 は、 内科学お よび看護法、外科学お よび看護法な ど その名が示す ように臨床医学体系 に基づいて設 定 されていた。 また臨床実習 として128過 (1 年52週とす る とほぼ2年
半)を
病棟 と外来に勤 4長野県看護大学務す るもの とされていた。病棟、外来 を くまな く回 りなが ら現場 の看護法 を学ぶ とい うこ と で、卒業後は一人前の看護者 として働ける完結 型の教育であった
cそ
の後、看護学の体系化 を 目指 し、 カリキュラム改正が3度
お こなわれて いる。 この間、看護学の内容 も医学モデルを脱 皮 し、 さらに社会のニーズに対応 して、7つ
の 看護専 門領域が特定 されたc実
習場所が病院以 タトに も広げ られたことか ら臨地実習 と名称 も変 更 され、それぞれの看護理論 にもとづいて実,完 するもの と位置付 け られるようになった。 しか し、改正の度に、実習時間の カリキュラムに占 め る割合 は減少 し、昭和42年 (1967年)に
は 1,770時間 (52.4ο/ο)で
あ った ものが平成元年 (1989年)の
改正では1,035時間 (35.8ο/ο)と
な って現在 に至 っている。臨地実習の時間数の減 少が看護実践能力の低下の一因であることには 違いない。 池 田 ら2)は学生の 自己評価 をもとに看護基礎 技術修得度について1980年か ら1996年にわた り 継続的に調査 している。調査の結果、 日常生活 援助技術、看護の基本技術 の修得度評価 は、 カ リキュラム改正毎 に低下がみ られたが、1996年 には少 し高 くなっている。診療援助技術 の修得 度は、1980年度以降、有意に低下が見 られてい るが、一方、看護過程の展 開技術 については、 自己評価が他の技術分野 に比べて全体的に低 い が、実習時間の減少や受け持 ち息者数の減少 に かかわ らず、修得度の評価 は有意に上昇 した と 報告 されている。実習時間は削減 したが、看護 過程の展開に関 しては技術4多得 を重視 し、演習 を加 えるなどの工夫が効 を奏 した と考察 されて いる。技術項 目ごとに修得方法が異 なるもの と 考え られ、単 に時間数だけの問題ではない と推 測 される。2.臨
地実習で育む看護実践能力 看護基礎教育 における看護実践能力の種類 と 内容、能力の程度については、看護教育全体で、 未だ、十分なコンセンサスが得 られているわけで はない。看護学教育の在 り方 に関す る検討会3: では、看護実践能力 を「看護ケア基盤形成の方 法」 と「看護基本技術」 の2つに分 けているc 「看護ケア基盤形成の方法」 としては、看護の展 開方法、療養生活支援 の方法、人間尊重・擁護 の方法、援助 的人間関係形成の方法、健康 に関 す る学習支援の方法、健康管理支援の方法、チ ームヮークの基本 とマネジメントの方法、成長発 達各期の支援の方法がある。 また、「看護基本技 術」 としては、環境調整技術 、食事援助技術 、 排泄援助技術、活動・休息援助技術、清潔・衣 生活援助技術、呼吸 。循環 を整 える技術、創傷 管理技術 、与薬技 術 、救 命救急処置技 術 、症 状・生体機能管理技術、感染予防の技術、安全 管理技術、安楽確保 の技術があ り、 これ らは従 来か ら看護の基本技術 として認められているもの である。看護者 に最低 限必要 とされる技術項 目 として、幅広い技術の修得が求められていること が分かる。3.臨
地実習をめぐる現状について1)臨
地実習の場 の変化 臨地実習が展開 される場 は、多様で、複雑 な 人間関係の上 に成 り立 っている。すなわち医師、 看護者 (臨床指導者)、 その他 の医療従事者、 そ して もちろん息者 とその家族 も含 まれる。 こ の場の中で学生 と看護教師以外は、看護教育 を 第一義的な目的 とは していない。医師や看護師、 その他の医療従事者 にとって臨床の場 は、患者 を治療・ケアす る場であ り、専門職 としてのキ ャリアを発展 させ る場で もある。患者 に とって は生活の場であ り、心 身の回復のために最良の 治療やケアを受 け、安全・安楽が保証 されるベ き場であるといえる。大半の学生 にとってこの ような大人の人間関係 の中に身を置 くこ とは、 今 までの人生 の中で全 く初めての体験 であ り、自分の居場所が必ず しも保証 されていない不安 定な立場 に立たされることを意味す る。 臨地実習では学生は対象者の生活 している場 に赴いて看護ケアを提供する
cケ
アの対象者は 段 々 と病 院や施設か ら地域 にシラ トしてぃるc また、実習の場の 1つ である病院では、入院息 者の重症化、在院期間の短縮化 によ り、学生の 実習 目標 に見合 う患者の選択が困難になって き ている。 これに加 えて、患者の権利意識の高 ま りや意思の尊重 を反映 して、学生が息者 を受け 持 ち、ケアすることが必ず しも受け入れ られな い場合が出て きている。患者の権利や意思 を尊 重 し、息者 に納得 して実習に協力 して もらえる ようにするために、臨地実習においては息者の 同意 を得、それを記録 として残す ような封応が 求め られて きているのである。2)学
生 自身の問題 一方、学生の方 も高学歴化や少子化の影響か ら、生活体験 に乏 しく、 さらにコ ミュニケーシ ョンを苦手 として、人 とのかかわ りを避 けた り する者が増 えて きている。 また、 自我の発達が 未成熟で、 自己の問題 に取 り組むことが困難な 学生 もいる。 大学の学生相談室か らみた学生の状況1)と し て、表面的には進路や学習に関す る相談 に来談 した学生の うち、学生生活の行 き詰 ま りを自己 の問題 として直面で きない状態にある者がいる ことが報告 されている。 また来談 しない学生 に ついては、問題 を認識 していないか、あるいは 認識 していて も悩み を棚上げに しているのでは ないか としている。つ ま り学生生活の行 き詰 ま りを自己の心理的な問題 として認識で きない学 生や問題に直面 しようとしない学生が増加 して いるわけで、 これ らはケア提供者 として学ぶに は十分に成熟 しているとは言い難い学生たちが 増 えつつある とい うことである。実習における ス トレスについては、多 くの報告がある。特 に 患者の状態の変化が予想 される急性期の実習ほ どス トレスが大 きく、ス トレスを受身的に受け るだけで、その対応策 を考 えて乗 り越 えようと は しない、何かつ まず くことがあると、す ぐに 自分 に能力がない として しまう傾向にある。 こ の ような現代学生 を対象 として看護教育は行わ れているc3)実
習指導体制 平成元年のカリキュラム改正では、実習調整 者 の存在が必要不可欠であ る こ とが指摘 され て、看護教員数が増員 された施設 もあるとされ ているが、看護実践の学習 に重要 な方法である 臨地実習にもかかわ らず、その指導 については、 多 くの教育施設が臨地の指導者 に委譲すること を余儀 な くされている。臨床 は常 に流動的であ り、勤務者の欠勤や重症者が出るとい う変化 に、 臨床指導者が対応す ることを優先 させ ることに なる と、学生 は臨床の場 に放置 されることにな る。1つの看護技術 を修得す るに も、学生には もちろんケアを受 ける息者 にとって も、指導者 の存在が重要 な意味 を持つ。実習指導者が存在 しなければ実践能力修得 にも大 きな影響がある と考 え られる。 以上の状況 をふ まえつつ、社会の変化 に対応 し、看護 について生涯学びつづけることので き る看護者 を育てるために、学びを中心 に据 えた 教育 について検討 したい。4.学
び とは 学 び とは、学 ぶ とい う動 詞 を名詞化 した Learningの翻訳である。「学習」 という静的で 受動的なイメージではな く、「学び」では学ぶ 側の 目的的で能動的な面、共同体的で社会的な 面が強調 される5)。 また、 フランスの哲学者ル ーブルは、教育されたことから脱 して別人にな ることが学ぶことの真の意味であ り、知識が増 えるとか、教養が深 まる とい うことではな く 「別人」 になるということは、 自己に変化が起 こるということで、いかなる東縛からも自由に 日本看護学教 育学 会誌 J.Jpn,Acad.Nurs.Ed.Vol.13,No.1,」ulyⅢ2003 47表
1
学 び (Lcarning)の 重要性 教 える一教わる 教師中心 一斉指導 点数評価 (偏差値教育) 「苦 しみを味わう」 <知る>
学ぶ ―探求す る 生徒 中心 個別学習、個別化教育 点 数 評 価 不 適 (論文 口 述重視) 「喜 び」と「楽 しさ」を生 み出す <分か る>
鈴木正幸「現代における感性の意義」7) な り、 自らの考え方や 自分 らしさを見出すこと である6)と してぃる。 鈴木は学びの特徴を「知る」から「分かる」ヘ の教育7)でぁると述べている (表1参
照)。 教え る一教わるという教師の中心の活動は、一方的 に知識の伝達をすることになるが、一方、学習者 中心の学ぶ ―探求する活動では、一人ひとりが 考え、判断する活動が大切にされる。知識をどの ように使い、問題解決に持ってい くかが「分か る」ことにつながる。取 り組むことや分かること に喜びや楽 しさを見出すことになり、ますます学 ぶことへの動機づけが高まる。学習者自身がどの ように学ぶのか、その学び方が分かれ,ふ 一時期 にたくさんの知識を詰め込まなくても、個々の状 況に応 じて知識を修得 し活用することが可能に なるのではないだろうか。 汁話 という言葉は、流行語のようにいろいろ なところで使われている。対話について中島3) の考えを以下に示す。 ①各個人が自分固有の実感・体験 。信条 。価 値観に基づいて何事かを語ること ②言葉を介 して成立する ③向かい合わせの関係で対話は成立する、友 達 とい うような隣 り合わせの関係ではな く、 自己を持った他者 として出会うことが 重要である④基本的な信頼や対話への期待がないところ
で は対話 は成立 しない ⑤社会通念や常識 に納 まることを避け、常 に 新 しい了解 に向か う この ように対話 は「知 を探求す る方法」 とし て位置付 け られてお り、従来の 日本的な「察 し 合い」「優 しさ」「思いや り」 は真実の追究 を中 断 させて しまうことか ら、む しろ対話 を妨 げる もの とされている。 学びの実践 として佐藤 は3つの対話')をあげ ている。すなわち封象 との対話、自己 との対話、 他者 との対話である。 姑象 との対話 は、対象 を認識 し、言語化 し、 表現す る とい う従来 の学習活動 に対応 してい る。学生 は授業 を聞 き、本 を読み、看護学であ れば看護 とは何か、何が看護 になるのかに取 り 組 んでいるといえる。 自己 との姑話 は、 自分 自 身 と反省的に封峙 して 自分の実践や 自己を見つ める活動である。 また、他者 との対話 は、教師 や学ぶ仲 間 との対話 を通 して学びが育 まれてい くもので、学びは社会的な生成物 とする考 え方 か ら、教師や同 じ学ぶ仲 間を学びの共同体 と呼 んでいる。 この三者 はお互いに影響 し合 う関係 にあ り、学びをゆたかに してい くことになる。5.体
験 からの学び 前述の学びにあるように「知 る」か ら「分か る」 になるためには、体験す ることが重要であ る と鈴木0は
述べている。 しか し、体験その も のだけでは何 かを学ぶ ことはで きない。重要な のは体験 を自分の中で咀疇 し、振 り返 ることだ と述べ ている。 Atokinsら山は反省的実践のプロセスについて、 次のようにモデル化 している (表2参
照)。 第1段階 不快 な感情や疑間の認識、 第2段
階 感情や思考の分析、 第3段
階 新 しい見方 (見通 し)に
到 る そのためには、自己への気付 き、記述・描写、 批判的分析、統合、評価 とい うスキルを磨 く必 要があるとしている。 まず、実践の中で感 じた 48 日本看護学教育学会誌 」Jpn,Acad,Nurs Ed Vol13,No2,Dec,2003<プロセ ス
>
不快 な感情や疑間の認識 ↓ 感情や思考の分析 ↓ ↓ 新 しい見方 (見通 し) 自己へ の気付 き 記述・描写 ↓ 批判 的分析 ↓ 統合 評価 <スキル>
↑ ↑ ↑ 表2
振 り返 りの プロセス とスキルAtokins,S &Murphy,K “Renection
A revie、v of the literature"ユ 1'
こと、疑間に気付 くことが必要である。そ して それをその ままに しないでそれに向 き合 う。そ のためにはその場面 を記述・描写す ることが必 要 になる。そ して何故その ように感 じたのか、 思 ったのか と分析 してい き、その時にどの よう な行為や行動 をとったのか、それに影響 した要 因は何かについて検討 した り、 また、他の選択 肢 について も検討す る。 この ようなプロセスを 通 ることによって新 しい見方が開かれることに なるとしている。
6.看
護実践 における学び をどのよ うに育むか1)看
護基礎教育 と継続教育の連携 看護基礎教育 における臨地実習は看護実践能 力 を育成するのに欠 くことのできない重要な場で あることは言 うまでもない。かつての看護者の養 成は、卒業後す ぐに実務に就けることを想定 して 行われていたため、看護教育の中の大部分 を臨 床実習に費や していたと考えられる。看護教育は 看護者の生涯を通 しての教育であることを考える と、別の見方ができるのではないだろうか。ちな みにベナーの臨床技能修得モデ,レlみ における第 1 段 階の初心者は看護学生である。 この上 に継続 教育によって、新人、一人前、中堅、達人へ と 臨床での経験 を積 むことによって階段 を上がって い くわけで、看護基礎教育 と継続教育 をつなが りあ る もの として とらえる必要がある と考 える。 看 護実P完の場 は、看護者や看護教 師が ケア を した り、実践 を学ぶ場 であ り、 同時 に学生が実 践 を学ぶ臨地実習 の場 であ る こ とか ら、臨床 と 看 護教 育機 関 とが連携 して看護者 の育成 につ い て協 力 してい くこ とが必要 であ る。初′ふ者 はそ の状 況 に直面 した経験 が ないので、実践 を導 く 原則 が必 要 であ る。 しか し原則論 に則 った行動 は限定 され、柔軟性 に乏 しい とい う特徴 を示 し てお り、実践での指導が欠かせ ないことが指摘 されている。2)息
者の体験 に向 き合 うこと (患者の語 りに 耳 を傾 けること) 看護学の臨地実習の 目的はい くつかあるが、 まず は看護 を「知 る」か ら「分か る」 になる第 一歩であると思 う。看護 を看護実践の場で じか に身体全体で感 じることか ら学生は、看護 につ いて考えは じめる。そのためには、 まず患者の 体験 に向 き合 うことか ら始めることが重要であ る。ベナーは、健康や病気 は人の体験であると し、看護は人の生 き抜 く病気体験 に橋渡 しをす ることがで きる10と述べている。つ ま り看護者 は病気 とい う現実 に当事者的な仕方でな じんで お り、だか らこそ病気の受け入れ方 と理解の仕 方 を息者に伝 えることがで きる としてお り、 こ のことか ら医学的情報提供 も看護者が行 うこと で通常行われているもの とは違 った形 になるは ずだ と指摘 している。 ベナーはリハビリに関する脳神経科医サックス の体験 を引用 している。足のけがで2週
間ギプス 固定 された状態か ら歩行ができるようになるまで の体験が描かれているが、「こっそ りのぞいたカ ルテには順調な回復 とのみ書かれていた。回復は なだらかな坂 を登 るようなものと考えるべ きでは ない。急 な階段 を上がってい くようなものだ。下 段 にいるときには、次の段 について想像すること はで きない し、 とうてい上にはあがれそうもない 気がする。希望 さえ持つことができない。・・―・だ 日本看護学教育学 会誌 」Jpn.Acad,Nurs,Ed,Vol13,No2,Dec,2003 49か ら回復の階段 を一段上がるのは奇跡のようなも のだ。それも、他人か ら促 されなければ決 して実 現 しなかったろう」
nと
ぁるc病
気 を持つことが 生活にどのように影響 を及ぼしているかに迫るこ とが大切で、息者 と対話することから援助の方向 性がみえて くるのではないかと考えられる。その ためには、学生はまず自分の知覚や経験、持てる 力 を総動員 して息者やその場面 に向 き合 うこと が必要であるcそ
して関心 をもって息者の体験 を 受けとめることができるようになることが重要で ある。3)反
省的振 り返 り(レフレクション)を
育てる 臨地実習では看護の実践 とその体験か ら学ぶ 振 り返 りが重要である。振 り返 るためには、先 立つ実践が必要で、例 えば看護過程の実践では、 まず患者の情報 を集めて、看護問題 を明 らかに する。看護問題 を解決す るための看護活動 を考 えて意図的に実践 し、その結果である患者の状 態や反応 をもとに実践 を振 り返 る。特 に評価で は、 自分の行 った看護行為 と結果の分析が大切 である。息者の反応 を十分 に捉 え られない、あ るいは患者の変化が少 ない と自分の実践 に意味 が見出せ ない学生が少なか らずいる。 ここに感 受性や思考の柔軟性が影響 しているように思わ れる。体験か ら何 を学び取 るか、体験 にどの よ うな意味づけをす るか とい う問題では、学生の 感受性が重要であると思 う。 この実践 を振 り返 る中か らどの ような意味づ けをす るか、 このプ ロセスに教師や同 じ実習 グループの学生 との対 話が重要 になる。 自分の気付 けなかった事柄 に ついて新たな視点 を学び、 さらに新たな探求に 進むことがで きるようになると考えられる。 体験 を通 して得 られるものが感性的認識 に留 まっているのでは意味がない。感性 を理性 に導 いてい く方策 として言葉 によ り体験 に論理 を与 えることが重要 であ る と内田は述べ ている15)Э 看護では、看護場面の再構成、プロセス レコー ド、「反省、感想」 の記録 な どを通 して反省的 振 り返 りを従 来 も大切 に して きたcど
う した ら 体験 を経験 に まで高 め る こ とが で きるで あ ろ う かcこ
の振 り返 り、吟味す る こ とを通 して体験 の意味 をはっ き りと理解 す る こ とが で きる よう になるような援助が重要 であ る と思 われ るc4)看
護実践 能力 を育 成 す る 看 護実践 を支 え る技 術 項 目 と して提 案 されて い る もの は、従 来の狭 義 の看護基礎技術 に比べ て大変幅広 い。 これ らの技術 項 目の修得 には講 義 、演 習 な ど臨床 実 習 に出 る前 の学 内での準備 に もっ と重点 をお く必要が あ るので はないだろ うか。技術 を修得 す る演 習 にお いて学 生 の意欲 は非常 に高 い。 その技術 も実践 で使 えなければ 意 味が ない。技術 は使 われ る状 況か ら切 り離 し て は意味が ないのであ る。 基礎 教育終 了時 に学生が修得 してい るこ とを 期待 され る技術項 目につ いて、教育機 関が期待 す る もの と臨床 側 が期待 す る もの につ いて調 べ た ところ、 期待 項 目数 にお い て学校 側 の方が 、 臨床 側 よ りも多 か った とい う結 果mが
ぁ る。技 術 の難易 度、遭遇 す る機 会 の多 少、 同 じ技術 で も患 者 の状 態 に よる難 易 度 な どが影 響 して く る。学 内でで きる と考 え られ てい る もの も、 臨 床の複雑 な状況で使 えるか とい うとか必ず しも そ うでないことをこれは示 していると考える。 ある大学院生は、緩和 ケア病棟で研修 をした 時、清拭 は息者 にとって気持 ちの よい心待 ちに しているケアであったが、看護者に とってそれ は業務 となっていて、早 く清拭 を終 えて息者の 話 を聞 くように しようとされていることに気付 いている。 この場合、清拭 とい う技術 を清潔に す る方法 とのみ限定 して しまい、清拭が患者に とって どんな意味 を持つかが忘れ られているよ うに思 う。それぞれの技術 を どのような状況に どの ような目的で使お うとす るか、実施する人 の考え方、取 り組み方で意味が異なって くると 考 えられる。 実践能力の育成については基礎教育、継続教 50 日本看 護学教育学会誌 」.Jpn,Acad Nurs,Ed,Vol13,No2,DecⅢ 2003育の連携が非常に重要であると考える。 本学会の シンポジウムでは看護技術教育 一実 践 と看護教育の接点 を探 る 一とい うテーマで、 臨床の方 々と教育の方 々を交 えて対話 (意見交 換
)が
で きれば幸いである。5)看
護を学ぶ共同体 (コミュニティ)を
育てる 看護実践の場は、学生や臨床看護師、教師の 学びが生起する場であるc臨
床実習では、 カン ファレンスなどを通 して学生 はお互いの体験 を 語 り合 って、体験 に意味づけを し、新 らたな知 識 を得て、次の看護実践 を導 き出 してい く。同 じ実習 を している学生同士の見方、考 え方は、 教師の指摘 よ りも受け入れ られやすい ものであ る。教師は学生の体験 に共感的に耳を傾け、豊 か な学 び を促進す る ように援助す る必要 があ る。 臨床看護 師 もそれぞれの看護 の体験 か らそれ ぞ れの学 びを意味づ け して経験 と して積 んで成 長 して い くと考 え られ る。 その ため には看護学 生のうちから体験か ら学ぶことを修得 してお く 必要があるのではないだろうか。学生が学ぶよ うに臨床看護師も患者を中心にして体験 を語 り 合 うことでその意味を見出 し、新たな看護実践 につなげることがで きるのではないだろうか。 忙 しく立ち働 く看護師をみている学生は、卒業 した ら患者 とゆっ くり話 している暇がないか ら、学生のうちに実習で患者 とゆっくり話 し、 かかわっていこうとする。一方、学生の新鮮な 気づ きにも是非耳を傾けてほ しい。学生 と看護 師の対話によって看護をより豊かなものに して いきたいと思 う。教師は学生を援助 しなが ら、 学生の反応をもとにどのような援助が学びを促 進 したかを学ぶ。この学ぶ姿勢が教師を成長さ せることになるに違いない。看護者、学生、教 員がそれぞれに体験 を語 り学び合 うような臨床 の場であれば、人間関係のス トレスも少ないの ではないだろうか。ケアされたと感 じることが、 ケアのできる学生を育ててい くのではないかと 考 える。6)学
生 の学 びの プロセス を蓄積 す る 臨床実習か ら学生が どの よ うな学 び を得 てい るのか につ いて、学生 の感想 を ま とめた報告 は 多 くみ られ る。 しか し学生 の学 びはプロセスで ある。学生の学びが どのように起って進んでい くのかを経時的に追い、 どのような教師の働 き かけが学びを促進することになるのかという臨 床実践指導の経験的知識を蓄積 してい く必要が あると考えるc Ⅲ。お わ り に 情報 に溢 れ る21世 紀、 この時代 に生 きる看護 者 が情報 に押 し流 され るこ とな く、 ひ と りひ と りが地 に足 をつ けて看護 の体験 か ら学 び、学生、 看護者、看護教師が看護について語 り合 うこと で、看護 を創 ってい くことが、質の高い看護に つ ながってい くと確信する。 また、看護の現場 を活性化す るためにも学 びを中心 に据えて教育 を進めてい くことが重要であると考 える。 引 用 文 献1)看
護 学教 育 の在 り方 に関す る検討会報告 : 大学 にお ける看護実践 能力 の育成 の充実 に 向 けて,pp l-18,2002
2)池
田敏子他 :看護教 育 カ リキ ュラム別 の基 礎 教育技術修得 度の変遷-17年
間の学生 自 己評価 の分析,日本看護学教育学会誌8(1),51-62,1998
3)前
掲 書1),pp.1-18
4)高
野 明,下山晴彦 :学生 相 談 室 か ら見 た学 生,IDE No.438,pp 20-25,2002
5)佐
藤 学 :学び の 対 話 的 実 践 へ,佐
伯 砕 他 編 :「学 びへ の誘 い」p.50,東
京大学 出版 会,19956)ル
ーブル,0./石
堂常世他訳 :学 ぶ とは何 か,p.5,動 車書房,19907)鈴
木正幸 :現代における感性の意義 ―「感育」の提唱,現代のエスプリ
,365:53-65,至
文 どと,19978)中
島義道 :(対話)の
ない社会 ―思 いや り と優 しさが圧殺す る もの,pp.132-134,
PHP研
究所9)前
宇日J書5), pp.72-91
10)前
掲書7),365:53-65
11)Atokins,Sue&Murphy,Kathy:Renec‐
tion:A re宙ew of the hterature,」 ournal
of Adwanced Nursing,181188-1192,1993