文 ム冊 一署口
1930年代におけるI C I社の
労務管理政策とベドウ・システムの導入
一「経営主導型内部労働市場」の形成と基幹労働力の育成一
杉 崎京太
1 はじめに 本稿の課題は,1930年代におけるI C I社の労務管理システムについて考 察することにある。すでにわれわれは旧稿において,I C I社における労務 管理システムを「経営主導型内部労働市場」形成として位置づけ,若干の考 (1) 察を行ってきた。しかし,資料的な制約もあって,必ずしも細部にわたって 十分な検討が行いえたわけではなかった。本稿ではI C I社のご厚意により 得られたいくつかの資料をもとに,旧稿を補いつつ,その労務管理の特質に ついて考究したい。 まず,簡単にI C I社の「内部労働市場」とりわけ長期雇用の実態につい て瞥見しておこう。これまで「日本的経営」の三種の神器としてもてはやさ れてきた終身雇用,年功序列,企業内組合のうち,少なくとも前二者に関す る限り,日本にのみ独特のものではなかったことは,今日ではかなり明らか にされてきつつあるといってよい。われわれも,すでに「経営主導型」と 「労働組合規制型」の類型化を通じて,イギリス重化学工業内部における 「内部労働市場」形成について言及してきた望)ここでは最初にI C I社にお ける長期にわたる継続的雇用についてふれたうえで,本論へと進むことにし よう。I C I Magazine誌による長期勤続者表彰(Long Service Awards)者の 数が表1から明らかとなる。従業員数約43,000人(1939年)中の400∼500名 が勤続25年表彰を毎年受けていたことになる。I C Iの前身たる諸会社の第 一次大戦前の就業者数がわからないので,この数を評価することは難しい。 ただ少なくとも次の点は明らかであるといってよい。つまり既に大戦前に就 業した労働者層が継続的に雇用されていたという点である。一つの例として, 30年勤続者へのインタビューを挙げておこう。ジェイムズ・スチュワート (James Stewart)氏の場合は,30年前ネイラー・ブラザーズ社(Naylor Bro− thers)に入社した時は,工場には7人しかいなかった。それが今では工場 は200人の規模となり,スチュワート氏は15年間にわたり職長をつとめ,包 (3) 装作業部門で30人の男女労働者のチームを指揮しているというものである。 I C I社成立にいたるまでの度重なる買収・合併の中で,このように中核的 労働者層が温存されてきたことは十分に注目に値するといってよい。 このようにその数は限られていたとはいえ,基幹的,中核的労働者層につ いてみる限り,その長期的・継続的勤務はすでに第一次大戦の前から形成さ れていたことが窺いうるのである。本稿の目的は,かかる経緯の上に立って, より系続的・総合的な政策が確立された1930年代の同社の労務管理の実態に ついて見ていくことにある。その際,紙幅の関係から旧稿との重複をなるべ くさけ,数量的な検討をつうじて基幹労働力育成の実態を明らかにすること と,ベドウ・システム導入をめぐる問題に重点をおきたい。なお,旧稿発表 (4) 後,フィッッジェラルド教授の新著が発刊された。同書の功績と問題点は他 (5)の場所で検討したのでここでは行わない。本稿が,聯なりともその空隙を埋 めようとする意図をもつものであることはあらためていうまでもない。
2 1C I社の労務管理政策の構造
(1)組織
I C Iが産業別の交渉機構とは別個に,独自の企業内労使協議機構を形成 していたことは,すでに旧稿でもふれた通りである。工場評議会制度(Wor一ks Councn)がそれであり,工場評議会,製品部門別のグループ評議会,中 央評議会の三層構造によって構成された評議会により,福利厚生等労使間の 共通の問題が協議され,実施に移された。この協議機関が全従業員の参加を 通じて構成されたのに対し,労働組合に対してはICI本社労務部と関連労働 組合との問で,中央労働諮問会議(Central Labour Advisory Council)を設 置し,両者の提言・要求についての話し合いが行われた。表2は同諮問会議 における要求・提言の発議と企業側対応の結果が示されている。実際には2 割前後は経営者側によって拒絶回答をうけたことからみても明らかなように, I C I労使が単純に協調的関係にあったわけではない。一方,組合側のその 後のリアクションについては明らかではないが,問題の発生が限られていた ことからみても,組合側の交渉力もかなり限定されたものであったことが窺 、 (6) いっるにちがいない。1930年代初頭の時期に,I C I社内部の労働組合の組 織率は4割前後と推定され,組織力も低下していたのである。これは,I C I合同後の設備統合による合理化により人員整理が進む一方で,次にのべる 重層的福利厚生施設の展開と内部賃金構造の形成が組合対策としても効果を もったことの現れであったといってよいであろう。このことを次にみてみよ う。 (2)重層的福利厚生施設の展開 I C I社の福利厚生施設の特徴は,経営主導により多面的・重層的に展開 された点にある。その多くは,部分的には,I C I社の前身であるブラナー モンド社やノーベル・インダストリーズ社において実施されていたものでは あったが,I C I成立とともに,本社の中央労務部(Central Labour Depart− ment)によって統括されることになった。その意昧で,フィッツジェラル ド教授も言うような経営者の個人的温情主義から系統的労務管理の一環とし (7)ての企業内福利厚生施設の展開が見られることになるのである。その際,わ れわれが特に強調したい点は,まず第一に,このような系統的施策が,単な る労働組合対策としてだけではなく,人材蓄積を目的とした長期的継続雇用 による基幹労働力の形成を軸とする「内部労働市場」形成戦略の一環として
行われたという点である。第二には,かかる「内部労働市場」形成は,外に 対しては,一般的な産業水準からの賃金・付加給付によるテイク・オフ(離 陸)を通じて,内においては,選別を通じて行われたのであり,福利厚生施 設はその“囲い込み”のための枠組み,即ち退出障壁としての機能を帯びて いたという点である。第三としては,かかる福利厚生施設はその意味で,ま ぎれもなく近代的・系統的労務管理の一環であり, “日本的経営”について 言及される際強調されるような家父長的経営の下での主従の恩誼に基づく施 策とは一線を画していたといわざるをえない。むしろ,ここではモラール・ アップや合意形成による経営共同体の形成が主眼となっていたのである。そ の中に,終身的雇用・年功序列・企業内組合のように“日本的経営”の三種 の神器と一時期称えられた諸特徴が,かかる体系的労務管理による「内部労 働市場」形成戦略を通じて,部分的にせよ達成されていたという点こそ重要 なのである。旧稿では必ずしも明示しえなかった点を含めて,これらの論点 を実証的に補足しておくことにしよう。 1931年のI C I社の労務政策文書や1954年の広報資料から見る限り,一連 の施策はそれまでの前身各社で行われていたものの寄せ集めであり,その意 味では資料から直ちに系統的戦略が表れるわけではない。しかし,職員年金 ・職長年金制度(Staff Pension,Foremen’s and Forewomen’s Pension)と 職員待遇の定傭登用制度(Staff Grade System)を軸に,長期的継続勤務者 重視の福利厚生施設の展開がなされるのを見る時,そこに基本的方向を読み (8)とることは十分に可能である。 表3は同社の福利厚生施設を定傭(職員待遇)登用制にみられる長期勤続 重視・労働者定着化戦略の視点から整理しなおしたものである。 定傭登用制は,5年以上連続勤務をした労働者について日給労働者から週 給制職員待遇へ登用するというもので,疾病・傷害による欠勤を1年につき 6カ月まで有給化,バンク・ホリデイの有給化,解職に際しての一カ月事前 通告の特典を含んでいた。この登用は,勤続年数と勤務評定により,本社労 務部が決定した。登用の際の基準としては,「①熱心さ,②協調性,③技術
の練達度,④作業方法,原料使用における経済的合理性,⑤作業場の整理整 頓,⑥時問厳守の度合,⑦勤続年数」があげられ,職務評価に主観的な忠誠 心への評価が加重されたものとなっていた伊)このような忠誠度に応じた選別 は,長期雇用重視と並ぶ車の両輪であったといっても過言ではなく,経営主 導による福利厚生施設の多くにはこうした選別的要素が色濃く滲み出ていた といってよい。その意味からも,福利厚生施設は,それ自体が人事考課と密 接に結びついたものとして展開されたのであり,すぐれて体系的労務管理の 一環として機能したのである。 またこのことは,労働者の自主的共済組織を積極的に包摂する政策により さらに補強されたことはいうまでもない。表4にみられるようにI C I労働 者共済組合は1930年代後半には全従業員をほぼ組織する包括的組合に成長し たが,これはI C I合同以前に存在した工場内医療基金・慈善基金や,有志 による疾病クラブといった労働者の自主的相互扶助組織と,アルカリ・グルー プ内でのUnited Alkali社から受け継いだ経営直轄の包括的基金とを合体 したものであり,何度かの改訂をへて,本社年金部によって管理されるにい (10)たったのである。 しかし,この場合は,疾病及び死亡に対しての給付は準 則主義であり,選別的要素は含まれていない。こうした拠出主義に基づく会 員組織と準則的給付は,表5の労働者自主拠出年金基金にも共通していた。 しかし同基金の場合は,職長年金を一般労働者に拡大するという労務部の方 針に沿ったものであり,権限は中央評議会にありながらも,基金の財政基盤 の弱さから経営側に大きく依存せざるをえなかったのである。 このように,I C I社の福利厚生施設は,ほぼ全従業員を対象とした包括 的共済から,年功と忠誠度に応じた選別的恩賜金に至るまで重層的に形成さ れ,整備されていったところにその大きな特徴があった。従来,日本の研究 ではこのような企業内福利厚生施設を,家父長的温情主義,家族経営主義の 一環として把え,そのイデオロギーを「主従の恩誼」として把えることが多 かった(11)が同様の,あるいはそれ以上に整備された福利厚生施設を展開 したI C I社の場合は,むしろ体系的管理の一環として行われていったと考
えられる。まず第一に,それは労働者にとって,外部に対して差別化された 好条件である一方で,拠出金の還元を得るための退出障壁としても機能した のである。退出は,職を失うと同時に,拠出金の権利,つまり不時の貯えと 老後の生活資金を失うことを意昧したし,一方中途退職の場合に与えられる 年金や慰労金は,表6にみられるように,限られており,功績に応じて選別 された。第二に,経営側としては,このような退出障壁によって,より良質 で忠誠度の高い労働力を定着させることが可能となる。産業別組合との協約 のもとで同一労働同一賃金の原則に依る限り,個人への人事考課を賃金面か ら差別化することは困難であるが,経営直轄の自由裁量による福利厚生施設 においては,そうした協約に拘束されずに裁量権を行使することが可能にな るからである。そのことは,職長や上級労働者を中心に刺激を与え,モラー ル・アップをもたらす効果ももたらしたと考えられよう。表7の社内預金の 動向にみるように,年金預金額は横這いながらも預金者数と預金総額は増加 しており,基幹労働力における定着の方向があらわれていたといってよい。 しかし,当然のことながら,このような退出障壁として福利厚生施設の充実 を図るだけでは,体系的労務管理の軸心を欠いているといわなければならな い。「内部労働市場」を整備することではじめて,労働力を経営共同体内部 に包摂することが可能となるのであり,職務管理をより緻密化することで, 効率は向上するからである。次にこのことを「内部賃金構造」の形成とベド ウ・システムの導入という点からみてみよう。 (3)「内部賃金構造」の形成とベドウ・システムの導入 I C I社内部における労働力の構成については,旧稿でふれたような標準 的化学工場の事例の域をこえる分析を本稿では行えなかった。ここでは,基 本的に三グループを上げておこう。すなわち機械・電気系統の保全・整備に あたる熟練職工グループ,プラントで作業を行う装置工グループ,一般労働 者グループがそれである。装置工グループは三交替で勤務し,出来高賃率を 基本とした。これに対して一般労働者グループは時間当たり賃率を基本とし た。雇用形態としては,工場毎の直接雇用の他に,請負労働者の雇入れも存
在した。表8はアーディア(Ardeer)工場において,請負企業が工場にチー ムを派遣した際の賃率を示したものである。職種は,機械・電気関係の熟練 職を除いて多岐にわたっていた。直接雇用の労働者の中には,同一労働同一 賃金の原則にたち,流動性の高い熟練職工と,企業内定着指向をもつ装置工, 不熟練のため流動性の高い一般労働者の三グループが存在したが,請負企業 から派遣された職工・労働者は,すでに1930年代においては,こうした労働 力構成の縁辺を埋めるものでしかなかったと考えてよいであろう。しかし, 地域の標準賃率に対して,割増賃率による支払いを行っていた点から見ても, その重要性は依然として高いものがあったと考えられる。その背景には,ビ リンガム肥料工場の増強をはじめ,1930年代中葉以後のI C I社の雇用の拡 大があったことがあげられよう。合同当時の合理化により,20年代末には一 時27,000人まで減少した従業員数は,この時期に45,000人に達したのである。 さて,I C I社が合同当初から良質の労働力の定着を図ってきたことは, 福利厚生施設の展開の中でふれた通りである。賃金政策においても,基幹労 働力に対して,社外に比しての高賃金による差別化,社内における年功ボー ナスの導入による個別化を通じて具体化されていった。表9は同社における ボーナス支給対象者が1931年時点で1万2千人弱というのは少なすぎるとも いえるが,再編間もない新規事業グループの労働者について適用されていな い点や,職長以上が除外されたと考えれば納得がいくであろう。10%機械関 連ボーナスと機械工等級別ボーナスは,熟練機械工を対象とするものであっ たが,とりわけ機械工の等級別ボーナスは,先にふれた定傭(職員待遇)登 用制と相挨って,同一労働同一賃金の原則にもとづく職能給原則に背馳し, 企業内の賃金体系を構築するものであったことを,労務部文書は指摘してい (12) る。 しかし,同文書はその一方で,労務部内の意見として,年功ボーナス よりも,人事考課に応じたボーナス支給の功用とその必要性を指摘しており, 同社が単純に年功に応じた賃金体系を指向していたわけではなく,能力給的 要素を加昧しようとしていたことを見る必要があるのである。 さて,ベドウ・システムの検討に歩をすすめよう。科学的管理法としての
ベドウの実態は神秘的な謎につつまれているといってもよい。論者によって はベドウ・システムがイギリスで実際に導入されたかについて疑問視する声 もあり,リトラーの著作についてもベドウ・システムに関する限り,実態の (13)曖昧さを指摘する人もいないわけではない。 本稿もその意味では多分に未 解明の点を残さざるをえないのだが,まず,少なくとも,I C I社において ベドウ・システムの導入が試みられ,部分的にせよ導入されたことが事実で あることは確認されたといってよい。 ベドウ・システムそのものについては,全ゆる人間の労働を点数に還元し ようとする壮大な試みであったといってもよいであろう。すなわち,平均労 働者の正常な速度による1分間の作業量と必要休憩量を1単位労働(unit of work)ニ1ベドウ単位=1Bで表し,全ての作業量をこの点数を通じて測 定しようというものである。I C I文書は次のように述べている。「ポイン ト評価(point rating)の名の下に,ベドウは相異なる職務率を確定したが, それはどの職務も一日を通じて最小限の職務率(job rate)を遂行すること が必要とされる質にのっとって行われたのである。彼は,職務率に対応する 最小限必要労働生産量(minimum requirement of work output)を仮定し, それを一時問当たり60Bと名づけた。ここでの“B”とは,ベドウの開発し (14)た労働単位unit of workである。 」つまり,平均労働者は標準速度にお いて1時問に最低限度60Bの作業量をするものとみなされたうえで,この平 均作業量を上回る度合で割増し賃金の支払いも行おうというのであった。実 際の評価は次のような方法で行われた。 まず第一段階は作業測定と“B”への換算である。これは作業分析による 要素動作(elements of work)への分解→要素動作の時問測定→“B”への 換算として行われたが,実際はベドウの技師たちによって行われたブラック ・ボックス内作業であり,具体的な算定方法は明らかではない。しかし一度, 要素動作あたりの“B”が算定されれば,作業毎に要素動作毎の“B”が積 算され,賃金算定の基準となったのである。例えば,ある要素動作が平均1. 2秒であれば,150%のリラックス・タイムを加算し,60で除することにより
“B”が算出されるQ(1.2+1.8)÷60=0.05B’sJ15) 60Bは1時間あたりの標準作業量である。作業を構成する要素動作の“B” が積算され,2.54となったとする。この作業を9時問行い,262単位の生産 を行った際の賃金の算出方法は以下のようなものとなる。 生産量:2.54B×262=665B’s 待ち時間55分の加算: (作業者が無過失の場合) 55B’s 合計: 665B+55B=720B’s 1日の必要作業量: 60B×9=540B’s 割増し量: 720B−540B=180B 割増し賃金:(ベドウ・システムでは直接作業については75%プレミア ム,間接作業に25%プレミアムを算定したが,I C I社では直接作業 に対して100%のプレミアムを算定した。)
180 75 (16)
一×一一×職務賃率=プレミアム・ボーナス 60 100 以上みたようなベドウ・システムによる賃金決定には,いくつかの不明な 点が存在すると考えられる。まず第一に,作業をどのようにして要素動作に 分解しうるのか,また要素動作あたりの仕事率をいかにして算出しうるのか, “B”に換算できうるものなのかが明らかではない。第二に,各作業毎に積 算された“B”は,それによって標準作業量に対する比率が表されるだけで ある。それは割増し比率を計算する基準とはなったが,貨幣賃金に換算する には原価計算から乖離した抽象的基準でしかなかったようであり,結局,賃 金への換算レートは交渉による力関係の下で,変動せざるをえなかったと考 えられるのである。 しかし,いかにブラック・ボックス内の“B”であろうとも,一度決まれ ばそれが一人歩きをするのも世の常であった。実際の算定方法については曖 昧な文書も,導入の意義についてはコスト削減効果のあることを明言してい た。「労働者は時間給からベドウ・システムに移行することで,時間給の際の職務率が40Bと評価されれば,ベドウ・ボーナスを得るためには50%作業 量を増加させなければならない。これこそ,ベドウ・システムの導入が単位 生産量あたりの直接労働コストの削減と結びつく根本的な理由なのである!17㍉ また,工程管理・工場・事業部管理についても“B”による一元的管理が可 能だとする意見も存在した。例えば,あるI C Iマネージャーは,雑誌誌上 で,次のように述べていた。工場毎に, “B”の点数と費用総額から1000B ごとのコストを算出することができる。また“B”の総計は生産量の増減の 指標となるので,工場問,部門間に“B”の点数を比較することで,労働効 (18) 率を一目瞭然に表すことができるというものである。 しかし,こうした華々しい談論とは別に,導入には多くの困難が伴ったよ うである。1944年文書は,この時点でベドウ・システムが導入されていた事 業部として,爆薬・石灰・皮革・染料・塗料(ペイント)・金属の各グルー プをあげている。しかし保全部門では合同機械工組合A E Uの厳しい反対に 会い,導入を撤回していた。ベドウ・システムの問題点が,作業の質の評価 (measurement of quality of work)にあることを文書は認めている。ボイ ラー操業のように作業の質の評価の容易なものとそうでないものがあること を認めたうえで,「委員会は,化学工業における職務の中で,質的なインセ ンティブ方式を適用するのにふさわしい分野は比較的限定されていると考え る。しかし,このような場合,効率的な生産の評価基準が量よりも質にある ために,ベドウ・システムのような量的インセンティブ方式を取ることが適 切でない領域において,高度な実績に対する報酬を可能にする唯一の道は何 らかの個別的人事考課制(individual merit payment)によるしかない。し たがって委員会は,I C I全体についても個別的能力評価制度の導入を提唱 したい。」さらに,「a)ベドウ・システムの成果,b)他のインセンティブ 方式(人事考課等)導入の成果,c)ベドウ・システム,質的インセンティ (19)ブ方式,人事考課方式導入の実行可能性」の三点を列挙しているのである。 つまり,ベドウ・システムを量的インセンティブ方式と把えたうえで,算出 の基礎となる作業評価が比較的単純で,出来高の量の大小で測ることが可能
な加工処理工程の装置工と,質が問題とならざるをえない加工組立作業とで は同列に扱えないことを指摘しているといってよいであろう。このように, ベドウ・システムは確かに導入が試みられはしたが,それ自体に問題を抱え, I C I内部でもその再評価に迫られていたのが第二次大戦期の頃の実情であっ たようである。 それでは,労務管理方式の一環としてベドウ・システムの導入はどのよう な意義とまたどのような限界をもったのであろうか。「最良の労働力を引き つけ,彼らを会社に定着させるために(to attract the best type of labour (20) and to induce men to stay with the firm) 」と明記された方法が,先に 述べた長期勤続ボーナス(Long Service Bonus)であったが,良質で忠誠度 の高い労働力の定着政策において,産業における全国的な賃金水準から隔絶 された「内部賃金構造」の形成は,一つの有力な方途であったことはいうま でもない。しかし,化学工業のように,装置への依存度が大きく,個々の労 働の熟練度に対する要請が相対的に低い場合には,労働力の流動性が高いだ けでなく,年功が必ずしも作業能力の増大を意味しないという問題を抱えて いたといってよい。つまり,流動性の高さに任せていては良質の労働力を維 持できないし,30年代のI C I社の事業拡張にも対応できない。他方で,定 着のみを求めて能力と無関係に勤続ボーナスを乱発すれば,コストがかかり 生産性向上の目的とも符合しなくなる。福利厚生施設という退出障壁を幾重 に築くことによっても解決しえなかったこの問題を解くうえでの重要な手段 が,ベドウ・システムによる出来高ボーナスの導入と,それを考課の基礎に おく定傭(職員待遇)登用制であった。しかし後者も,職長レベルの基幹労 働力に限定すれば,忠誠度の高い層とモラールの低い層との分離が生じ,そ の枠を広げればインセンティブ効果は薄れ,むしろ権利となって,場合によっ てはアブセンティズムの手段となるといった問題を内包していた。また何よ りも,「内部労働市場」の軸となるべきベドウ・システムにおいても,その 神秘の“B”の奥には,本質的に労働の質を評価することの困難さという蹟 きの石が用意されていたのである。
かくして,ベドウ・システム導入は生産性の向上と労働市場の「内部化」 の軸心としてその意味をもったと考えられるが,量的還元の手法が結局従来 のボーナス刺激給のシステムと変わるところがなかった点で,労務管理の手 段としても自ずと限界をもっていたといってよい。即ち,“B”への還元が ベールに包まれていたことや,一度“B”の単位で統一された後は,それ自 体が管理・統制の手段となってしまったため,実際の作業形態を分析し,改 編・改良する挺子にはなりえなかったのではないかと考えられるのである。 実際にI C I社内部でも,導入された分野が,計量の比較的容易な加工処理 工程の分野に限られていたことがそのことを示していたといえよう。おそら くベドウ・システムが普及しなかった理由,そしてそれがイギリス製造業に 対して大きなインパクトを持ち得なかった理由の一端もそこにあったにちが いあるまい。 (4)小括 I C I社が系統的に「内部労働市場」化を図っていたことは,もはや繰り 返すまでもあるまい。工場の統廃合に際しては企業内の配置転換・異動を行 ない,そのための待ち期間のための慰労金支給を行ってもいた。また,長期 勤続による定着化対象を,基幹労働力からより広汎な階層へ拡大する努力も 続けられていた。しかし,表10の提案運動における件数が,従業員数比で1 割前後を推移せざるをえなかったことにも見られるように,労働者を掌握す る度合は必ずしも改善されてはいかなかったのである。
3.まとめにかえて
I C I社における「内部労働市場」は,重層的な福利厚生施設,外部市場 に対して差別化された「内部賃金構造」,個別化された,能力・出来高に応 じた賃金によって構成されていた。まさに「経営主導型内部労働市場」が形 成されていたといってよいであろう。事実,「内部化」はこうした雇用・賃 金体系にとどまらず,労使関係にも部分的にせよ及んでいった。団体交渉の 「企業内」化,つまり雇主団体内の横並びから外れた独自協約の締結がそれである。 さて,冒頭の問題提起に戻るならば,「日本的経営」の“三種の神器”は, それ自体としては日本独自のものではなかったことが,この事例からも明ら かであろう。I C I社においては,ウェットな“主従の恩誼”によらず,労 務政策の一環として,乾いた経営共同体の構築が進められようとした。しか し,労働者の心情を掌握する度合において,両者の間には決定的な開きがあっ たこともまた事実であった。おそらくそこにこそ重要な問題が隠されていた といってよいのであろう。 〔注〕 (1) 拙稿,「研究ノート 戦問期におけるI C I企業内労使関係の再編成一“経営主導 型”「内部労働市場」形成とビドー・システム導入をめぐって」(1)(2)『白鴎大学論 集』第1巻1号(1987年2月),第2巻1号(1987年10月)。 (2) 同,「戦間期イギリス鉄鋼業における『内部労働市場』再編成一製鋼部門を中心と して一」『白鴎大学論集』第3巻1号(1989年3月),「『内部労働市場』と労使関係 一イギリス鉄鋼業の事例を中心に一」『白鴎大学論集』第4巻1号(1990年3月), 「1930年代のイギリス鉄鋼業における重層的協約体制の再編成一スチュワーッ・アン ド・ロイズ社のコルビー新工場における複数組合との新協約体制構築の事例より一」 『白鴎大学論集』第5巻2号(1991年2月),「第一次大戦前のイギリス鉄鋼業におけ る『内部労働市場』の構造一『組合規制型内部労働市場』の形成をめぐって一」第6 巻2号(1992年2月)。 (3)1CIMα9α魏,Sept.,1931,P.233. (4)R・bertFitzgerald,B醐訥鋤鮒妬α%α脚θ銘渉&鰯%s㈱腕伽1846−1939 (Croom Helm,1988). (5) 拙稿,書評『経営史学』 (近刊)。 (6)但し,ベドウ・システムの導入に関しては,合同機械工組合の要求により,その導 入を撤回する事態も生じていた。 (7) Fitzgerald,oウ6砿,p.19 (8) ICI,An Outline of閣its Labour Policy,April,1932;1.C.1.漉卿o名脇4働解伽Lαわ伽γ R・厩伽3(1.C.1.,1954). (9)∫αMα9α∼伽June1928,PP.511−512. (10) 1CI Mα8α∼伽(ちOct., 1929,p.356;Dec., 1929,pp.574−575. (11) 兵藤劇『日本における労使関係の展開』(東京大学出版会,1971年)第二章は,第 一次大戦前の日本における労使関係の危機と企業内福利施設の展開のプロセスが分析
されている代表的研究であり,日本における「主従の情誼」に立脚した家族主義的経 営の形成が仔細に研究されている。I C I社の場合においても,一時はモンド卿の恩 恵的側面が強調された時期はあったが,それはすぐ影をひそめ,系統的管理による経 営共同体的色彩が強くなったように思える。 (12) ICI Labour Pol孟cy,Report by Central Labour Departments,B.Nov.,1931,by R. Lloy(l Roberts, p.2 (13) C.R.Littler,Tん8Dθ”θ」吻甜渉(ゾ地6Lの%y P猶ooε3ε伽C砂猛ακs渉Sα馳漉3 (Heinemann Educational Books Lt(1.,1982). (14)ICI,Wages Structure Committee,Report No.2−Wages in Relation to Labour Utilization (1944)。 (15)弼4.,PP.11−12. (16)弼4。,PP.12−13. (17)伽4。,P.17. (18) P。K.Standring,‘The Bedaux System’伽4%sψ穿1π%s伽碗ε4,June1934,pp.31−32。 (19)ICI,Wages Structure Committee,Peport No.2,p。20。 (20) ICI, Labour Policy,by R.Lloyd Roberts,p.2
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