号
25
ページ
39-47
発行年
2020-03-31
兵庫県の旧制中学校数学教育史料について
― Historical Resources on Secondary Mathematics Education in Hyogo Prefecture ―
片 岡
啓
⚑.兵庫県の旧制中学校 数学教育史研究で、教科書や行政による公的な文書、 統計だけでなく、それが実際学校でどのように実施さ れ、または実施されなかったかを知ることは、欠くこと のできない作業である。「意図されたカリキュラム」と 「実施されたカリキュラム」の両面からのアプローチを 可能にするからである。ただ、実物史料は必ずしも集中 して保存されているわけではなく、各学校ごとの探索が 必要な場合も多い。 例えば、国の定めた教育課程は公的な文書に残ってい るが、学校がその通りに実施したかどうかは、その学校 自身の記録を見なければわからない。旧制の時代も上級 学校への進学競争は激しく、その影響が学校のカリキュ ラムに反映していることも考えられる。 また、各学校が使用した教科書についてはまとまった 資料がほとんどなく、文部省が明治40(1907)年と43 (1910)年に調査した報告が残っているだけである(文 部省、1908、1912)。旧制中学校は戦時の限られた期間 を除いて一貫して教科書検定制度をとっており、どのよ うな教科書を採択していたかは教育課程の実施の様子だ けでなく、教育内容やその変化を知る上で重要な情報で ある。 こうした関心のもと、「用器画」と呼ばれた図学の授 業の実態、及び主として戦時期の数学教育について知る ことを主な目的に、兵庫県内の旧制中学校について若干 の調査を行った。昭和20(1945)年の時点で兵庫県には 表⚑のような17の県立中学校が存在した(他に市立が⚒ 校)(兵庫県教育史編集委員会、1999)。これらの学校の 同窓会宛に資料の存在について問い合わせたところ、幸 運なことに設立の古い順に⚕校から回答を得た。表⚑に 記した⚑、⚒、⚓、⚕の四校と10の県立篠山鳳鳴高校で ある。同校が県立となったのは大正時代であるが、江戸 時代の藩校の名残りを汲む学校が明治⚕(1872)年の学 制の時期にすでに設立されており、実質的に県内では最 も古い中学校である。公立となるのが遅いのは同校自身 の希望とともに、明治前半は公立中学校の設立は各県⚑ 校の制約があったためである。 以下では、現在の校名で篠山鳳鳴、姫路西、神戸、豊 岡、洲本の順に調査内容を報告する。 ⚒.県立篠山鳳鳴高等学校 同校には「昭和25年篠山高等学校図書館新築にあたっ て、前身である鳳鳴義塾の創設者旧篠山藩青山氏から和 漢書⚑万冊が寄附され今日に及んでいる」青山文庫と呼 表⚑ 兵庫県の旧制中学校 1 㻢 㒆⤌ྜ❧ጲ㊰୰Ꮫᰯ 㻝 㻤 㻣 㻤 ᖺ䠄 ᫂㻝 㻝 ᖺ䠅 රᗜ┴❧ጲ㊰す㧗➼Ꮫᰯ 2 රᗜ┴⚄ᡞᑜᖖ୰Ꮫᰯ 㻝 㻤 㻥 㻢 ᖺ䠄 ᫂㻞 㻥 ᖺ䠅 රᗜ┴❧⚄ᡞ㧗➼Ꮫᰯ 3 රᗜ┴㇏ᒸᑜᖖ୰Ꮫᰯ 㻝 㻤 㻥 㻢 ᖺ䠄 ᫂㻞 㻥 ᖺ䠅 රᗜ┴❧㇏ᒸ㧗➼Ꮫᰯ 4 රᗜ⦩᯽ཎᑜᖖ୰Ꮵᰯ 㻝 㻤 㻥 㻣 ᖺ䠄 ᫂㻟 㻜 ᖺ䠅 රᗜ┴❧᯽ཎ㧗➼Ꮫᰯ 5 රᗜ┴Ὢᮏᑜᖖ୰Ꮫᰯ 㻝 㻤 㻥 㻣 ᖺ䠄 ᫂㻟 㻜 ᖺ䠅 රᗜ┴❧Ὢᮏ㧗➼Ꮫᰯ 6 රᗜ┴㱟㔝ᑜᖖ୰Ꮫᰯ 㻝 㻤 㻥 㻣 ᖺ䠄 ᫂㻟 㻜 ᖺ䠅 රᗜ┴❧㱟㔝㧗➼Ꮫᰯ 7 රᗜ┴❧ఀ୰Ꮫᰯ 㻝 㻥 㻜 㻞 ᖺ䠄 ᫂㻟 㻡 ᖺ䠅 රᗜ┴❧ఀ㧗➼Ꮫᰯ 8 රᗜ┴❧ᑠ㔝୰Ꮫᰯ 㻝 㻥 㻜 㻞 ᖺ䠄 ᫂㻟 㻡 ᖺ䠅 රᗜ┴❧ᑠ㔝㧗➼Ꮫᰯ 9 රᗜ┴❧➨⚄ᡞ୰Ꮫᰯ 㻝 㻥 㻜 㻤 ᖺ䠄 ᫂㻠 㻝 ᖺ䠅 රᗜ┴❧රᗜ㧗➼Ꮫᰯ 10 ⚾❧㬅㬆୰Ꮫᰯ䠈 㻝 㻥 㻞 㻜 ᖺ䠄 ṇ㻥 ᖺ䠅 ┴䛻⛣⟶ රᗜ┴❧⠛ᒣ㬅㬆㧗➼Ꮫᰯ 11 රᗜ┴❧➨୕⚄ᡞ୰Ꮫᰯ 㻝 㻥 㻞 㻝 䠄 ṇ㻝 㻜 ᖺ䠅 රᗜ┴❧㛗⏣㧗➼Ꮫᰯ 12 ᑽᓮᕷ❧ᑽᓮ୰Ꮫᰯ 㻝 㻥 㻞 㻟 ᖺ䠄 ṇ㻝 㻞 ᖺ䠅 䛾䛱┴❧ රᗜ┴❧ᑽᓮ㧗➼Ꮫᰯ 13 ᫂▼ᕷ❧᫂▼୰Ꮫᰯ 㻝 㻥 㻞 㻟 ᖺ䠄 ṇ㻝 㻞 ᖺ䠅 䛾䛱┴❧ රᗜ┴❧᫂▼㧗➼Ꮫᰯ 14 ຍྂᕝ୰Ꮫᰯ 㻝 㻥 㻞 㻠 ᖺ䠄 ṇ㻝 㻟 ᖺ䠅 රᗜ┴❧ຍྂᕝᮾ㧗➼Ꮫᰯ 15 රᗜ⦩❧㉥✑୰Ꮵᰯ 㻝 㻥 㻞 㻣 ᖺ䠄 㻞 ᖺ䠅 රᗜ┴❧㉥✑㧗➼Ꮫᰯ 16 රᗜ┴❧ⰱᒇ୰Ꮫᰯ 㻝 㻥 㻠 㻜 㻔 㻝 㻡 㻕 ᖺ රᗜ┴❧ⰱᒇ㧗➼Ꮫᰯ 17 රᗜ┴❧➨ᅄ⚄ᡞ୰Ꮫᰯ 㻝 㻥 㻠 㻝 㻔 㻝 㻢 㻕 ᖺ රᗜ┴❧ᫍ㝠㧗➼Ꮫᰯばれる多数の書籍が所蔵されている。江戸期以来の貴重 本も多く、すでに関係学会にも多数報告されているとい う。校舎⚑階にある空調付きの専用収納室で保管され、 昭和30(1955)年同校図書館作成の「青山文庫目録」が 発行されている。 調査の直接の趣旨からはやや離れるが、目録にある数 学関係書籍は以下のとおりである。 数学必携 ⚖冊 写本 代数学 ⚓冊 写本 方程式 ⚒冊 写本 数理精蘊表(二帙) 12冊 木版 平面幾何学答解 ⚓冊 木版 数理精蘊上(一帙) ⚔冊 木版 数理精蘊下(三帙) 24冊 木版 帙(ちつ):書物の損傷を防ぐために包む覆い 最も冊数の多い『数理精蘊(うん)』は、「清の康熙帝 が編纂せしめ、雍正元年(1723)に刊行されたものであ る。これがいつごろ我邦に入ったか、その正確な年代は わからない。巻⚑、⚒は「八線表上下」である。十秒毎 の⚗桁表である」(日本学士院日本科学史刊行会、1954、 p. 449-450)。 八線表とは三角関数表のことで、図⚑のように見開き で⚖種類の三角関数が⚗桁の精度で記されている。右上 端に角度「〇度」とあり、この見開きは⚐度10分までを 10秒きざみに60行書かれている。したがって、見開き⚖ ページで⚑度、90度までで540ページを要することにな る。 例えば図⚑の0°2′40′′の欄には「四八四八」という値 が見られるが(図⚒)、エクセルによれば sin 0°2′40′′は 0.000484814なので、表は小数点以下の⚗桁を表示して いることがわかる。 計算はいわゆるテーラー展開の第10項までを用いたと いうから驚きである。 sin θ = θ - 13!θ3+ 1 5!θ5- 17!θ7 という級数展開を Ac - Bc3+ Cc5- Dc7と見て b = c2 とし、Ac - Bbc + Cb2c - Db3c とすれば、(A -(B - (C - Db)b)b)c のような繰返し計算で求められる。こ れを第10項まで、一つ一つ計算しているのである(日本 学士院日本科学史刊行会、1954、p. 459)。 なお「八線」とは上の⚖種類に加え1 - sin x と1 - cos x も表にしてあることによる呼び名とのことである。 ⚑度を100等分する100分法のものもあるようだが本書は 60分法である。 また「目録」には掲載されていない、中条澄清(国立 国会図書館デジタルコレクションでは「大阪師範学校教 師」)訳『算学教授書第壱』(明治⚙(1876)年、中川藤 四郎)(図⚓左)や、田中矢徳『算術教科書上』(明治19 (1886)年、攻玉社)(同右)など明治初期の教科書も保 存されている。表紙のラベルに「兵庫県立鳳鳴中学校」 とあることから県立移管以降の整理であることがわか る。ただ、残念なことにこの時期以降の教育課程など、 学校の記録に関する文書は見つけることができなかっ た。 図⚑ 八線表 1 sin 1 tan cos 1
cos tan sin
図⚒ sin 0°2′40′′の値
2 ศ 40 ⛊
⚓.県立姫路西高等学校 県立中学校としては最初に設立され、中学校令(明治 19(1886)年)に基づく名称は「兵庫県尋常中学校」で あった。立派な同窓会室に旧制時代以来の史料が集めら れているが、実際の管理は同窓生教員のボランティアが 担っており、整理や記録、デジタル化の試みなどはなか な か 進 ま な い と の こ と で あ っ た。そ れ で も 昭 和 53 (1978)年の創立百周年を機に資料の収集が進み、120周 年までの記念誌などは DVD 化されて参照しやすくなっ ている。 数学教育史の観点から興味深い史料は、明治期の実物 ノートなどと、旧制期の教育課程や教科書に関する学校 の文書である。 明治20年代に中学校生活を過ごしたTさんの教科書や ノート類は27点保存されている。うち数学教育に関わる のは⚓点あり、一つは前項最後に記したものと同じ教科 書で田中矢徳『算術教科書上』である。他の二つは「幾 何画法 明治22年」、「算術稽古帳 明治24年」という表題 の、いずれも毛筆で書かれたノートである。 「幾何画法」という名称は、数学ではなく「図画」と いう教科(今日の「美術」)で教えられていた図学(初等、 中等教育では「用器画」と呼ばれた)である。用器画に は主として平面幾何画、投影図、透視図の三つの領域が あり、このノートはその平面幾何画の部分を扱っている (図⚔左)。黄金比を用いた正五角形の数学的な作図があ る一方、図案や模様につながる近似的な作図法も含まれ ている。ノートは「第一図 ABの直線を二個に等分す ること」で始まっており、当時限られた教科書であった 平瀬作五郎『用器画法解説巻一』の「第一図 定直線を 二個に等分すること」と内容的に一致している。平瀬の 教科書には『用器画法図式巻一』という図ばかりを集め た別の本が対応しており、図⚔右のようなおなじみの作 図法が掲載されているが、史料のノートにはこうした図 はない。単に保存上の問題か、コンパスなど道具の普及 に困難があったのか、よくわからない。 念のため他の図で比較しておくと、例えば終わり近く の「第九十三図」はノートと教科書それぞれ次のように なって一致している(図⚕)。「比例中項」(
ab )の作 図法である。 ノート:A及Bの二線を知って中率線を求めること 教科書:已知両直線間の中率線を需むる法 明治19(1886)年の中学校令で初めて教科「図画」の 内容が「自在画及用器画」と明記されたばかりの時期で あり、用具など十分揃わないことが予想される中、県内 唯一の公立尋常中学校で早くも厳密に用器画が実践され ていたことがわかる貴重な史料である。数学では菊池大 麓の『初等幾何学教科書』がようやく発行された頃であ る。 もう一つの実物ノートは「明治24年 初(?)学 算術稽 古帳 完」と題する11ページのもので、「一に一 二、二 に一 三…」のように加法の九九のような一覧から始ま る(図⚖左)。「加法句訣(くけつ)」とは今日使わない 用語だが、「秘伝」のような意味で、「口訣」というよく 似た言葉があるようだ。ともに保存されている田中矢徳 『算術教科書上』も「加法句訣」から始まる(図⚖右) ので、これをテキストとして学習したことがうかがえ る。ただ、教科書と比べるとノートの方が圧倒的に記述 した量が少なく、「24の13倍 67の11倍…」など計算の答 を書いていない部分も多い。また「右八十一句暗記せし め、並びに置き方と単加法を練習せしむ」などの文言も 図⚔ ノート「幾何画法」と平瀬作五郎『用器画法図式』 「第一図」 図⚕ ノート「幾何画法」と平瀬作五郎『用器画法解説巻一』の「第九十三図」➨༑୕ᅗ
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見られるので、低学年の生徒などに教える機会があっ て、その際に用いたのかもしれない。 一方、教育課程等を知ることのできる史料としては、 今日の学校要覧などに当たる「兵庫県尋常中学校一覧」 という冊子が残されている。図⚗上は明治20(1887)年、 創立間もないころの冊子で、下は教育課程表である。教 授要目が制定されるずっと前の時期であり、数学の⚑年 生に「幾何初歩」が入っていることが注目される。 教育課程とともに使用教科書一覧が掲載されているこ ともある。中学校一覧は明治期には表⚒のような⚙つの 年度(○は教育課程表のみ、◎は教科書一覧も)、さら に大正から昭和18(1943)年まで(昭和16年まで全て◎) 保存されている。使用教科書の変化などがわかる、「実 施されたカリキュラム」を確認するための大変貴重な史 料である。 同校で最も古い明治25(1892)年の「教科用書各級配 当表」1) を見ると、数学では広く使われた翻訳本の教科 書が用いられる一方、図画では(翻訳を元にしたものと はいえ)平瀬作五郎による『用器画法』(明治15年刊行) という日本語による著作が用いられていたことがわかる (図⚘)。数学の教授要目が定められる明治35(1902)年 以降は藤沢利喜太郎が幅広く採用され、幾何は意外にも 菊池大麓ではなく三守守が採用されいること、大正半ば 以降には使用教科書が多様化してくる様子などを知るこ ともできる。また、昭和⚖(1931)年の教授要目改訂で 代数や幾何を区別しないという方針が出されると、直ち に「総合数学」と銘打った教科書が登場し、これを採用 図⚖ ノート「算術稽古帳」と田中矢徳『算術教科書上』 の「加法句訣」 図⚗ 明治20年「中学校一覧」表紙と「学科課程表」 表⚒ 「中学校一覧」の保存状況(明治期) ྐᩱ 䕿 䖂 䕿 䖂 䖂 䖂 䖂 䖂 䖂 ᫂ 㻝㻥 㻞㻜 㻞㻝 㻞㻞 㻞㻟 㻞㻠 㻞㻡 㻞㻢 㻞㻣 㻞㻤 㻞㻥 㻟㻜 㻟㻝 㻟㻞 㻟㻟 㻟㻠 㻟㻡 㻟㻢 㻟㻣 㻟㻤 㻟㻥 㻠㻜 㻠㻝 㻠㻞 㻠㻟 㻠㻠 㻠㻡 すᬺ 㻝㻤㻤㻢 㻝㻤㻤㻣 㻝㻤㻤㻤 㻝㻤㻤㻥 㻝㻤㻥㻜 㻝㻤㻥㻝 㻝㻤㻥㻞 㻝㻤㻥㻟 㻝㻤㻥㻠 㻝㻤㻥㻡 㻝㻤㻥㻢 㻝㻤㻥㻣 㻝㻤㻥㻤 㻝㻤㻥㻥 㻝㻥㻜㻜 㻝㻥㻜㻝 㻝㻥㻜㻞 㻝㻥㻜㻟 㻝㻥㻜㻠 㻝㻥㻜㻡 㻝㻥㻜㻢 㻝㻥㻜㻣 㻝㻥㻜㻤 㻝㻥㻜㻥 㻝㻥㻝㻜 㻝㻥㻝㻝 㻝㻥㻝㻞 図⚘ 明治25年「教科書配当表」
した様子もわかる。一般にこの傾向は長く続かなかった といわれているが、姫路西では出版社は時々変化するも のの、昭和15(1940)年まで総合数学の教科書を採用し 続けている。 ⚔.県立神戸高等学校 県立としては後述の豊岡とともに「第⚒期」として明 治29(1896)年に創立され、神戸第二中学ができるまで は神戸中学校と呼ばれた。立派な同窓会館を持つ120年 を超える伝統校であり、史料は合宿などのできる一誠会 館と呼ばれる施設に収納されている。未整理なものも多 数あるが、同窓生教員の献身的な努力で整理、保存され ている。 「中学校一覧」は明治期⚘、大正期⚑、昭和に入って 13点が保存されており、教育課程を知ることができる が、残念なことに使用教科書は記されていない。ただ、 珍しく戦時期の教育課程表を見ることができる。昭和17 (1942)年に数学の教授要目が改訂され、それまでの代 数や幾何という科目名から「数学第一類」「同第二類」 という名称に再構成される。この教育課程はいわゆる学 年進行ではなく、一挙に全学年で実施されるが、教育課 程表には図⚙のようにその様子が示されている。図⚙の 左は昭和16年、右は17年のもので、右には一類、二類の 文字が見える。ただし教科書は18年以降の発行になるの で、実際にどのように運用されたかは定かではない。 また、⚒カ年のみ(昭和⚓(1928)年と、おそらくそ の前年)ではあるが「数学科教授細目」という分厚い冊 子が残されており、使用教科書と簡単な年間計画が各学 年の各科目ごとに記されている。当時の教授要目上は⚓ 年生から始まる「幾何」を⚒年生から実施していたり、 大正半ばから低調であると言われた⚕年生の立体幾何を (少なくとも細目上は)ていねいに扱っていたりしてい たことがわかる(図10)。 ⚕.県立豊岡高等学校 達徳(たっとく)会館という美しい木造の同窓会館を 有し、図書館書庫にも多数の史料を残している豊岡高校 は、神戸と同じ明治29(1896)年創立である。有名な城 崎温泉が近く、冬は厳しい気候の地域である。 学校には「豊岡中学校一覧」が創立から昭和18(1943) 年までほとんど全ての年度のものが残されており、明治 39(1906)年からは教科書一覧も掲載されている。戦時 期の珍しい教科書も数多く保存されており、旧制の時期 の数学教育史料としては⚕校の中で最も豊富である。 教科書一覧はほぼすべての年度について揃っており、 変遷を追うことができる。教科書は学校ごとの採択であ ることもあって比較的頻繁に変更していることや、明治 期に多数の学校が採用した菊池大麓や藤沢利喜太郎の教 科書を、大正半ばまで使用していたことがわかる。ま た、昭和⚖(1931)年の教授要目改訂の際、姫路西と同 様「総合数学」と銘打った教科書を直ちに採用している。 ただ、姫路西と異なって、すぐ翌年から「代数」と「幾 何」の教科書に戻していることは、「総合数学はあまり 定着しなった」という一般的な傾向を反映しているよう である。 筆者の関心の一つで、今回調査の目的であった用器画 の実施状況に関する史料も得ることができた。教科「図 画」で扱ったこの内容は、明治大正期美術教育界の様々 な事情により低迷を余儀なくされた時期があった。豊岡 の教科書配当表からは、図11のような実施状況がうかが える。〇印は教科書の配当がある学年である。例えば明 図⚙ (左)昭和16年,(右)昭和17年の教育課程 図10 おそらく昭和⚒年の⚕年生立体幾何
治39(1906)~41(1908)年には明治35(1902)年の教 授要目どおり⚒年生と⚔年生に配当があり、実施されて いたが、その後行われない時期が続くことなどがわか る。教育課程上は明治45(1912)年から⚓年生以上での 実施となっているが、それが定着するのは大正⚗(1918) 年からであった。 自在画といわれた今日の絵画の内容は一貫して実施さ れていたが、幾何学的内容を含む用器画の実施が不安定 であったのは、学校の考え方であるのか、教員の充足の 問題か、この史料だけから推し量ることは難しい。昭和 11(1936)年以降は記録がないのだが、数学教育界では ようやく用器画の扱いについて関心が高まり始めた時期 であり、具体的な実施状況を知る探索がさらに必要であ る。 同校には、一般に明治期以上に保存の少ない戦時期の 教科書がいくつも残されている。図12は昭和17(1942) 年の教授要目に基づいて発行された教科書『数学第一 類』『数学第二類』であり、神戸高校の教育課程の項で 紹介したものの実物である。 ⚒年生用の『数学⚒第二類』にはさまっていたある届 書から、持ち主のAさんは⚔年生、昭和20(1945)年で あることがわかっている。つまり、これらの教科書は発 行こそ昭和18年に行われたものの、各地の中学生に行き わたるのはそれより⚑年以上時間を要したということが 推察されるのである。教育課程は昭和18(1943)年にも 改訂され、さらに新しい教科書『中等数学第一類』『同 第二類』が19年以降に発行されたが、史料の中には見出 せなかった。 『第 一 類』等 の 前 に 使 用 さ れ た 教 科 書 は、昭 和 15 (1940)年に「五種選定」2) されたものである。それに 含まれる、Aさんの名が記された掛谷宗一著『中等教育 算術代数学』と同『幾何学』も残されていたので、入学 時からはこれらで学んだことも判明した。制度上Aさん は昭和21(1946)年春に⚔年生修了で卒業することもで きたし、同年⚕年生として在籍することもできたが、戦 後の教科書は確認できなかった。 ところで、豊岡高校は豊岡中学と豊岡高等女学校が戦 後合併して誕生したために、高等女学校時代の史料も多 数保存されている。図13は昭和18(1943)年入学のBさ んの名が記された二つの教科書で、『数学⚑』(中学校用 のように「第一類」などの区別がない)は昭和17年教授 要目、『中等数学二』は同18年要目に基づくもので、こ ちらは該当の学年に教科書が間に合って配布されたこと がわかる。それにしても⚑年生から⚒年生に上がるとき に教育課程が変わり、そのまま実施されるという大きな 変化に驚かされる。 Bさんには昭和22年使用の文部省著作『理科表』とい う教科書も残されており、その年旧制高等女学校⚕年生 で、翌年新制高等学校の第⚑期生として卒業されたとの ことである。教育課程だけを見ても激動の時代であった ことが想像される。 他に保存されている数学教科書の中で、終戦直後、昭 図11 「用器画」の実施状況 Ꮫᖺ 㻝 㻞 㻟 㻠 㻡 ᫂ 㻟 㻥 㻝 㻥 㻜 㻢 㻠 㻝 㻝 㻥 㻜 㻤 㻠 㻞 㻝 㻥 㻜 㻥 ṇ 㻟 㻝 㻥 㻝 㻠 㻠 㻝 㻥 㻝 㻡 䚽 䚽 㻡 㻝 㻥 㻝 㻢 㻢 㻝 㻥 㻝 㻣 㻣 㻝 㻥 㻝 㻤 㻡 㻝 㻥 㻟 㻜 㻢 㻝 㻥 㻟 㻝 㻝 㻜 㻝 㻥 㻟 㻡 㻝 㻝 㻝 㻥 㻟 㻢 グ㘓䛺䛧 䚽 䚽 䚽 䚽 䚽 䚽 䚽 図12 昭和17(1942)年教授要目に基づく『第一類』 『第二類』教科書 図13 (左)昭和17年教授要目に基づく『数学』, (右)昭和18年要目に基づく『中等数学』
和23(1948)年の新制高等学校発足に合わせて発行され た『数学解析編(⚑)』と『数学幾何編(⚒)』の実物(図 13)は貴重なものである。高等学校発足時は学習指導要 領が詳細に示されず3)、これらの教科書が事実上その内 容を定める役割を果たした。戦時中の『第一類』『第二 類』とのつながりもあって、重要な研究対象でもある。 また『数学幾何編(⚒)』はいわゆる解析幾何を内容と しており、一般にはあまり取り扱われなかったといわれ ているが、実際学んだあとを知ることができた。 ⚖.県立洲本高等学校 豊岡、神戸の翌年、明治30(1897)年創立である。淡 路島の中央部に位置し、北部の豊岡からバランスよく配 置されたことがうかがえる。普通教室よりやや広い資料 室があり、戦後統合した兵庫県立淡路高等女学校のもの も含めて多数の史料が保管されている。 教育課程や使用教科書のわかる「洲本中学校一覧」は 昭和17(1942)年度のもの⚑点だけであったが、昭和17 年度の数学教授要目に基づく唯一の教科書『数学第一 類』『同第二類』(豊岡高校の図12と同じ)の⚑~⚓年用 の実物、及び昭和16年洲本中学校入学の方の数学ノート 23点が保存されていた。『数学第一類』などは⚔、⚕年 生用も昭和19(1944)年に発行されているが、洲本に限 らず学校現場に残されているのを見ることはほとんどな い。単に卒業生などからの偶然の寄贈によるためか、教 科書自体が十分行きわたらなかったのか、実際のところ は不明である。 昭和16(1941)年入学のCさんの数学ノートは、⚑年 生⚓冊、⚒年生⚕冊、⚓年生⚔冊、⚔年生⚕冊、不明が ⚖冊である。⚒年生(昭和17年度)のあるノートには表 紙に「数二(幾何)」と記され、「数学第二類」を表して いることがわかる。ただ、教育課程の改訂は昭和17年で あるものの、新課程の教科書の発行は翌年になるため ノートの内容は旧課程の内容である。「第⚒編 直線図形 の性質 第⚔章図形の対称」と記されたページがあり、 これは旧課程最後の教科書の一つで、豊岡高校の項で触 れた「五種選定」に含まれる掛谷宗一『中等数学幾何学』 (昭和⚘(1933)年初版)の同名の章に対応している。 ⚓年生(昭和18年度)には新課程用教科書が用いられ、 ノートでもその内容を学んだことが確かめられる。「数 学第二類Ⅲ」と記された⚓年生のノートには「⚔頁 ⚓. 線路上の…」というサイクロイドの作図問題が登場する (図15)。直線上を滑らずに転がる円の周上及び円の内外 の点の軌跡である。 この内容は、確かに新しい教科書『数学⚓第二類』の 第⚔ページに対応しており(図16左)、ノートでは円周 上の点の軌跡である問(⚒)のサイクロイドだけでなく、 円の内外の点の軌跡である(⚓)(⚔)のいわゆるトロ コイド曲線もていねいに作図されている(図16右)。今 日の高等学校でもほとんど扱わない高度な内容である。 ただ、ノートには「第三学期」と書かれており、⚓年 生用の教科書のごく初めの内容を⚓学期に扱ったことに なる。教科書の配布があまり早くなかったことを表して いるのかもしれない。 ⚓年生の「第一類」でも同じように教科書の内容を学 習した様子がわかる。図17左は「数学⚓第一類」という 表題のノート、右は教科書『数学⚓第一類』の対応する 「近似式」の部分である。 ところが⚔年生(昭和19(1944)年度)の学習内容は やや微妙である。図18左は「理数科数学第一類 第四学 年一組…」という表題のノートの第⚒ページである。本 来ならば『数学⚔第一類』という教科書で学習するはず だが、その発行は昭和19年⚗月であり⚔月には間に合っ ていない。前述のとおりその実物も残されていない。 ノートに記された内容は東京高等師範附属中学校の著し た、やはり「五種選定」であった教科書『中等教育算術 代数下巻』(昭和10年)p. 21に一致している。つまり旧 課程の教科書を活用して授業していたのである。 なお、ノート表題の「理数科数学」とは昭和18(1943) 図14 昭和23年新制高等学校用『数学幾何編(⚒)』 図15 (左)ノート「数学第二類Ⅲ」表紙,(右)同, サイクロイドの問
年の中等学校令によって「国民科」「理数科」「体練科」 などに教科が統合再編され、数学が「理数科」に組み入 れられたための名称変更である。そうした通知は周知さ れていたものの、教科書の配布は間に合わなかったとい うことである。学年不明のノートにも「第一類」「第二 類」の表記があり、様々な学習内容を見ることができる が、必ずしも教科書には対応せず、上級学校入試を目的 にした参考書や問題集を用いたように見受けられる。残 念ながら使用された書籍は特定できていない。 戦時中とはいえ、新しい教科書の配布など教育課程の 改訂実施は様々な困難を伴ったことが推察できるととも に、そうした条件のもとでも学校では種々工夫した授業 が進められていたのである。勤労動員のために授業が行 われなかったかのように考えられがちだが、時間をやり くりし、教材を用意しながら懸命の教育活動が行われた と想像されるのである。 おわりに 今回、旧制中学校の図学教育及び数学教育を対象とし て兵庫県内で設立の古い⚕校の調査を実施した。国立国 会図書館デジタルコレクションなどで見られる旧制諸学 校の教育課程や使用教科書の史料はごく限られており、 「中学校一覧」などを保存している学校への実地調査は 欠かせない。生徒のノートなど実物史料は、その方法以 外ではほとんど閲覧することができない。教育史研究が 公的な文書や書物だけを対象としていては、実際の姿を とらえることは難しい。そのため実物史料の探索は大切 な研究方法であると考えるが、それ自体に時間がかかる だけでなく、史料の保存の難しさも大きな課題である。 保存場所一つとっても、学校によって空調付き専用室や 同窓会室、図書館など様々だが、段ボールに入ったまま の状態であることも多い。整理や保存は同窓会員や卒業 生教員によるボランティアが主で、デジタル化などを志 向しておられるものの、時間的にも予算的にも限られて いるのが現状である。 本小論のような紹介を通して、史料探索と収集、保存 の輪を広げることができれば幸いである。 図17 (左)ノート「数学⚓第一類」から,(右)教科書『数学⚓第一類』p. 43 図18 (左)ノート「理数科数学第一類四年」⚒頁,(右)『中等教育算術代数下巻』p. 21 図16 (左)教科書『数学⚓第二類』p. ⚔,(右)サイクロイドとトロコイドの作図
謝辞 今回の史料調査に際して、次の皆様に一方ならぬお世話に なりました。篠山鳳鳴高校小西事務長、同窓会山本様、姫路 西高校秋山雅史先生、神戸高校校史編纂室永田実様、豊岡高 校田中一範教頭、後藤図書館司書様、洲本高校喜田宗宏先生。 お忙しい中、閲覧の準備や史料の探索など多大なご協力をい ただいたことに心より感謝申し上げます。 注 1)表のタイトルの「假(仮)」は「予定」という程度の意味。 2)戦時下における紙の供給など物資のひっ迫を背景に、文 部省は昭和15(1940)年10月「昭和16年度中等学校等教 科書に関する件」によって各教科の教科書を五種に絞る ことを決定し、その一覧を発表した。 3)「新制高等学校の教科課程に関する件」(昭和22年⚔月⚗ 日、文部省学校教育局長)に、「新制度による高等学校 は、昭和23年度から実施される…現在の中等学校生徒 で、この新制高等学校の第一、二、三、学年に相当する 学年のものは、それぞれその相当する学年の教科を学ぶ ことになるので、ここに「学習指導要領」一般編第三章 の補遺として、その教科課程について概略を述べる」と して、時間数などを定めた。 参考・引用文献 国立国会図書館.「江戸の数学 第⚑部 和算の歴史 第⚕章西 洋 数 学 の 導 入」.https: //www. ndl. go. jp/math/s1/c8. html(2020.2.10確認) 日本学士院日本科学史刊行会(1954).『明治前日本数学史第 五巻』.岩波書店 兵庫県教育史編集委員会編(1999).『兵庫県教育史』.兵庫 県教育委員会 兵庫県立篠山鳳鳴高等学校.「青山文庫について」.https: //www2.hyogo‒c.ed.jp/weblog2/homei‒hs/(2020.2.10 確認) 文部省(1908).『中学校・高等女学校現在使用教科図書表』. 大日本図書 文部省(1912).『師範學校・中學校・高等女學校使用教科圖 書表.明治43年度現在』.國定教科書共同販賣所 本稿は第67回近畿数学教育学会例会(2020/2/16、神戸大 学附属小学校)において口頭発表した原稿に加筆したもので ある。 (かたおか けい・関西学院大学教授)