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中国・青島市における里院建築地区の形成・変容・再生に関する研究 : 大鮑島地区を事例として

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(1)

著者

高 峰

雑誌名

KGPS review : Kwansei Gakuin policy studies

review

27

ページ

25-38

発行年

2020-03-31

(2)

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中国・青島市における里院建築地区の

形成・変容・再生に関する研究

-大鮑島地区を事例として-

高 峰

 【要旨】 かつてドイツの租借地であった青島には「里院」と呼ばれる独特な住宅建築が形成された。現在、青 島市政府が主体となり、100 年以上の歴史を有する里院建築地区をすぐれた歴史的遺産として保存再生 するプロジェクトが進行中である。しかしその進め方は必ずしも順調とはいえない面もあり、プロジェ クト期間、予算面、住民への対応など様々な問題も存在している。本研究は、里院建築地区の形成・変 容・再生に関する歴史、現状、問題点等を明らかにし、よりよい保存再生のための方策を検討すること を目的とする。 キーワード:中国、青島、大鮑島地区、里院、歴史的建造物、保存・再生、華洋折衷

1. 序章

近代中国では、多くの主要な都市が租界や租借地の歴史を経験した。租界も、租借地 も、侵略国は自国の経済発展と次の段階の軍事目的のために、占領された区域(都市)に 対して都市計画や開発を行ってきた。このようなやり方によって、侵略国による住民管理 もおこないやすくなった。この時代に、西洋文化の受容によって、多くの華洋折衷的な建 築スタイルが生み出された。「華洋折衷」というのは、「中国の伝統的な様式と外国の様 式が融合された」という意味である。このような建築は中国の植民地時代の遺産である。 ドイツの租借地であった青島では、中国人の居住地区において、「里院」と呼ばれる独特 な住宅建築が形成された。 中国では著名人の旧居のような古建築は大切にされてきた一方、庶民の建築はあまり保 護、保存されて来なかった。本研究では、中国山東省青島市における里院建築地区と して、大鮑島地区の中山路より東側の地区を対象とする。里院建築は、ドイツの租借 地として都市が建設された青島において、中国人居住区の住宅建築として形成された。 「里」は「街区」を、「院」は「庭」を意味し、西洋的なファサードを持つ街区単位の  関西学院大学大学院総合政策研究科博士課程前期課題([email protected]

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26 建築形式と中国の伝統的な四合院建築1 が融合された華洋折衷的な建築とされ、 青島の植民地時代を象徴する建築の一つ である。既往研究によれば、里院の機能 は「店舗併用住宅」や「卸売り店舗」な どが一般的であった。里院はほとんど街 路に沿って建てられていて、その外部の 輪郭は都市のブロックの形で決定されて おり、一般的には長方形である。建物で 取り囲まれた内部には大きな庭が形成さ 図 1. 青島市大鮑島地区の里院建築群 れており、多くは 2 階建てであるが、2 階以上のものもある。(図 1) 青島における里院建築の数は、最盛期には 700 以上あったとされるが、2000 年代初期 の再開発などで急速に減少し、『青島歴史文化名城保護計画(2011-2020)』によると、 その数は 319 に減っているとされる2。多数の里院建築地区が取り壊され、新たな住宅地 が建設された。これはいずれも高度経済成長期の都市にとって避けられない段階である。 現在では、歴史地区と現代都市の関係をいかに正確にバランスさせるかが、都市計画上重 要な課題となっている。 このような観点からすれば、青島市政府は当初はこのような都市計画的対応をするこ とができなかった。しかし 2006 年以降、植民地時代の都市の歴史を残すべく、青島市政 府が主体となり、100 年以上の歴史を有する里院建築地区をすぐれた歴史的遺産として当 初の姿に基づいて保存再生させるプロジェクトが進行中である。ただ、その進め方は必ず しも順調とはいえない面もあり、プロジェクト期間、予算面、住民への対応など様々な問 題も存在している。 このような背景のなかで、本研究は、青島における里院建築地区の形成・変容・再生 に関する歴史、現状、問題点等を明らかにし、よりよい保存再生のための方策を検討、提 案することを目的とする。

2. 大鮑島地区の形成と発展

青島は中国の東部の港町である。1897 年に、膠州湾は 99 年間の租借地とされた。膠州 湾租借地はドイツ帝国が中国北部の山東半島南海岸に所有していた租借地である。この時 点から、青島はドイツ占領時代(1914 年以前)、第 1 回日本占領時代(1914-22)、北洋 1 中国の伝統的な建築様式。 2 『青島歴史文化名城保護計画(2011-2020)』附件 3 伝統風貌建築一覧表で確認した数。 郭婧、王昀、陸翔准(2014)「青島里院建築空間構成の研究」(《青岛里院建筑空间构成的研究》) 2014 年北京建築大学修士論文 p.8-20 によれば、その数は 100 未満ともされたが、この数は誤った数だ と考えられる。

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27 政府時代(1922-37)、第 2 回日本占領時 代(1938-45)、中華民国時代(1945-49) という時代区分による変遷を経歴している。 中国人に対応するために、ドイツ植民地 政府は、当時の都市計画を補完する新しい 建築形態を考案した。「華人区」をより効 率的に確立するために、ドイツ植民地政府 は 2 段階で計画を実施した3。1898 年 10 月 11 日に発行された「臨時建設監督法規4」 の第 4 章は、主に「華人区」大鮑島区を対 象としている。建築は商住混合の形式が一 般的であった。ほとんどが 2 階建てまたは 図2. 1901 年の青島と大鮑島地区の地図 3 階建ての集合住宅で、一般に、1 階が商店に使用され、2 階や 3 階に住宅があった。こ れらの住居では、公共的な設備のレベルは低いものであった。ほとんどが、水道を中庭で 共有する形式を採用しており、複数の住戸または全戸がトイレを共有していた。1901 年 の建設計画では、大鮑島地区のほぼ全域に新しい街区が大規模に計画されており、中国人 商人を収容するために市街地が計画されていた。1901 年 10 月までに、この地区の古い建 物は完全に撤去され、11 個の街区ブロックが完成し、残りの 5 個は半分ほどまで整備さ れた(図 2)。将来の拡張性の観点から考えると、華人区にはまだ建設に十分な土地があ った。最終的に華人区の範囲は、欧人区に向かって霍恩洛厄路(現在の徳県路)まで延び た5。この時点から、大鮑島地区の範囲が決定された。

3. 大鮑島地区における里院建築の空間的特質とその変容

本章では、青島市城市建設档案館で収集した大鮑島地区の 84 件の里院の建築確認申請 書類および図面資料に基づき、里院建築の空間上、施工上の諸特性について分析するとと もに、現地でのフィールドサーベイによって得られたデータから、里院建築の空間変容に ついて明らかにする。なお、本研究で分析した建築確認申請書類には、新築時のものだけ ではなく、増築や改築時の申請書も多数含まれている。 3 既存の村の撤去と華人労働者居住区の建設 トルステン·ワーナー(Torsten Warner)(2009)『近代青島の都市計画と建設』(《近代青岛的城市规 划与建设》) p.116 4 この「臨時建設監督法規」は簡約の形式で青島のドイツ賃貸期間の有効性を保証した。しかし、シュ ラメイヤーは当時すでに要求を提出しており、内容が更に広範囲で、更に詳細な建築条例を改正する必 要がある。この建築条例は 1906 年に完成した。二番目の詳細な建築条例は、建設当局が参考文書と規約 として建設監督の承認手続きに使用し、それに応じて修正した。 5 トルステン·ワーナー(Torsten Warner)(2009)『近代青島の都市計画と建設』(《近代青岛的城市规 划与建设》) p.124

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3.1 青島市城市建設档案館資料の分析

里院建設・改築時の確認申請書類から里院の住所や施主、設計士、工事年代、建築材料、 用途、敷地面積、延床面積等のデータを整理した。分析項目は、敷地面積、工事年代、施 主の出身地、施主の職業、建築材料、工事種別、建築階数、工事部分の建築用途であり、 それぞれ、ドイツ占領時代(1914 年以前)、第 1 回日本占領時代(1914-22)、北洋政府 時代(1923-37)、第 2 回日本占領時代(1938-45)、中華民国時代(1945-49)という時 代区分による変遷についても分析した。(図 3) 図3.青島城市建設档案館の建築確認申請資料による里院の工事年代

3.2 里院建築の類型

ここでは、申請書類に添付された図面資料と、現地調査において撮影したドローンによ る上空からの写真を分析し、平面形式からの類型を試みる。平面形式から見ると、どの里 院も基本的には中庭を囲むプランであるが、建物全体の階数が揃い、建物全体が連続した 構成になって敷地を囲む形式と、中国に伝統的な四合院建築の形式に基づき、建物の棟が 分かれて中庭を囲む形式に大きく分類することができる。本研究では、前者を「集合住宅 型」、後者を「四合院型」と呼ぶことにする。 集合住宅型の平面形態には三角形や長方形、多角形があるが、平面形式の型としては口 の字型、日の字型、一字型、二字型、L 型、C 型、E 型、F+C 型に分類できる。(図4) 口の字型、日の字型は中庭をすべて建築で囲う形式である。一字型や二字型、L 型、C 型、E 型、F+C 型は中庭をすべて建築で囲むのではなく、建築と壁を併用して中庭を囲 む。 四合院型では中庭が一つの一進式と中庭が二つの二進式がある。四合院型は、中国北部 の伝統的な四合院建築の外観を西洋風にし、里院としたものと考えられる。(図 5)

3.3 里院建築の空間変容

2018 年 8 月、9 月、12 月、2019 年 3 月、4 月、9 月に青島市において実施した調査にお いて、大鮑島地区の里院建築について、建設時からの増改築の状況を実地調査したほか、 里院の住人や管理者等へのヒアリングを行った。現地調査においては、2014 年から青島 市政府が主導している大鮑島地区の再生プロジェクトの影響で、里院の住民を移転させ、 建物を閉鎖する、市政府による里院建築の収用が進んでおり、建物内部への立ち入り調査 が困難となっている現状がある。幸い、青島市の協力を得て、一部の里院について建物内

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図5.里院建築の各類型の分布図

の調査を実施することができ、最終的に 26 棟の里院建築の調査を行った。ここでは、建 築確認申請書および現地調査データに基づき、里院建築の空間変容とその特徴について明 らかにした。(図 6)

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3.4 まとめ

本章では、まず、青島市城市建設档案館に保管されている、里院建築の建築確認申請書 類および添付の図面資料に基づいた分析をおこなった。また、現地調査においては、里院 建築一棟ごとに上空からのドローンによる空撮をおこない、一部の里院については内部空 間の調査も実施し、これらのデータに基づき里院建築の平面形式による類型化をおこなっ た。さらに、確認申請時点と現状の平面形態とを比較することで、里院建築の空間変容に ついて明らかにした。 平面形式から見ると、多くの里院建築は、敷地を建物および壁で取り囲み、さらに街区 ブロックの外周に建物が連続的なファサードを形成するという、西欧的な都市型集合住宅 の形式に基づいているといえる。そして下階部分は商業空間として利用され、2 階以上の 部分が住居に使用されていた。 しかし、内部の構成には中国的な特徴も見られ、西欧の集合住宅よりも中国人にとって は使いやすくなっていた。大鮑島地区の里院建築は、敷地面積が 800 ㎡以下のものが約 2/3 を占め、一般的に比較的規模が小さく、当初は中庭には壁がなく、互いに隔てられて いなかった。中国人の生活スタイルに適応させるために、中庭に面して連続した木造の廊 下を作り、中庭に繋がる屋外の階段と連結していた。これにより、2 階以上に住んでいる 人も、中国の伝統的な四合院住宅のように、中庭の空間を享受することができたのである。 時代の変遷とともに、都市の発展と人口増加に対応するために、里院建築にも様々な改 変が加えられていった。一般的に、里院建築の中庭に狭い部屋を増築することが数多く行 われ、廊下部分を一部占有し、厨房や物置を増築する例も多く見られる。建物内部も、当 初の部屋が細分化され、その多くは 1K 程度の部屋で、複数の個室やリビングがある住戸 は少ししかなかった。そのため、多くの住戸では、部屋の上部に新たな床を設け、ロフト 的な空間を増設するという改変が行われたのである。

4. 大鮑島里院建築地区の街区構成

本章では、大鮑島地区の街区空間の構成に焦点を当て、ドイツ占領時代以降の大鮑島 地区の街区空間の形成と発展、変容の過程を、青島市城市建設档案館で収集した地図資料 等から明らかにした。時代によって街区や敷地の形状や規模がどのように変化してきたか を分析することにより、大鮑島地区の発展プロセス、里院建築の規模や集合形態などの特 質を明らかにすることができると考えられる。 ドイツ占領時代(1898-1914)初期にはすでに大鮑島地区の街路体系と各街区のブロッ クは、ほぼ現在と変わらない規模で計画されており、開発が進んでいた。本研究で対象と した中山路より東側の地区では、開発が完了したブロックはすでに 22 ヵ所あった。この うち、ブロック全域がすでに開発されていたのは 11 ヵ所で、ブロックの半分以上が開発 されていたのは 5 ヵ所、ブロックの開発が半分以下にとどまっていたのは 6 ヵ所であった。

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33 ドイツ占領時代末期の 1913 年にはほぼ全域の街区ブロックが建て詰まっており、大鮑 島地区は急速に発展した。1901 年との比較では、街区構成上も若干の変化があった。そ の一つは山東路(中山路)の北端が 1901 時点で直線であったものが、北東方向に屈曲し たことであり、そのためにブロック 16は元の正方形に近い形が台形へと変化した。また、 南東部の地区も 1901 年の地図に描かれた計画から変更があり、芝罘路の延長と黄島路の 建設により、ブロック 37 やブロック 38、ブロック 39 に分かれた。 北洋政府時代の 1931 年に作成の地図と 1913 年の地図との対比からは、大鮑島地区がさ らに東側に拡張した。また 1913 年からの大きな変化は、街区ブロック内での多くの敷地 の合筆や分筆である。この理由は、北洋政府時代に大鮑島地区に、多くの中国人商人が大 鮑島地区に転入し、それにより発展がピークに達したためと考えられる。 その後の日本占領期(1938-45)や中華民国期(1945-49)は日中戦争、国共内戦等の影 響によると考えられるが、街区構成に大きな変化はない。 その後 70 年が経過し、戦後および近年の都市開発を経た大鮑島地区の街区構成は大き く変化した。中華人民共和国建国後、膠州路の拡幅工事が行われた。拡幅工事によって、 膠州路の幅員は 18m から 30m に拡幅され、膠州路沿いの街区は、北側のブロックが一部 切り取られ、ブロックの面積が縮小した。また大鮑島地区の各街区ブロックの外周に歩道 が整備された。

5. 保存再生事業の現状と問題点

本章では、青島市の里院建築および里院建築地区の再生を考えていくにあたって、里 院建築の保存、再生に関する現状を明らかにする。まずは青島市における歴史地区の保存 についての制度的側面を明らかにし、次に大鮑島地区の保存再生に関する枠組みや、行政、 民間による保存再生の計画案および具体的な再生事例について、文献、現地での収集資料 やヒアリング調査などに基づき明らかにする。そして、それらの保存再生事業の問題点に ついて考察する。

5.1 保存再生事業の現状と問題点

現在青島市政府が主導している大鮑島地区の再生プロジェクトは、住民がすべて転居す るという方法で行われている。里院の保存再生の目的は、文化に加えて、商業や観光など の要素が加わった歴史的市街地を整備することである。里院建築の大部分はすでに市政府 による収用が進み、住民がほとんど残っていない状況であるが、残った数少ない住民にヒ アリングを実施することができた。里院の収用方法や、生活の現状、里院建築の歴史や現 状などについて聞き取りをおこなった。既往研究や計画案、また住民へのヒアリング内容 (図 7)などから、再生プロジェクトについて検討した結果、プロジェクトの現状には以 6 ブロック番号は図5中の番号。以下同様。

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34 下のような問題点があると考えられる。具体的には、①プロジェクト期間と建築の劣化に 関する問題、②再生プロジェクトの経済的負担に関する問題、③住民とコミュニティの居 住に関する問題、④再生後の町なみと景観に関する問題、などである。 図7. 濰県路 81 号(即墨路 51 号)でのヒアリング内容の一例

6. 再生にむけた提言

前章での検討、考察に基づいて、青島の大鮑島地区の再生プロジェクトには、さまざ まな問題を指摘できることが明らかになった。本章では、これらの問題に対する解決策に ついて検討し、いくつかの提言を行う。

6.1 プロジェクト期間と建築の劣化に関する問題

プロジェクト期間の問題に関しては、現在行われているような、広大な歴史保存地区 をひとまとめにした一つの計画案だけでプロジェクトを実施するのではなく、性格の異な る地区や建築種別を分類し、それらの種別ごとに計画・設計案を個別に策定し、その具体 的計画案に基づいた、地区や建築種別ごとの安定した長期の再生プロジェクトのタイムラ インを策定すべきではないかと考える。 同時に、段階的に再生プロジェクトを行いながら、不適切な使用や歴史的建造物の損 傷を避けるために、まだ工事されていない他の歴史街区の定期的なメンテナンスと管理を

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35 行う必要がある。しかし、上記のような段階的な計画案を策定することで、もし再生プロ ジェクトが住民の移転をともなうような場合でも、工事期間に合わせた移転プロセスが可 能となり、5 章で指摘したような、長期にわたって建物が無人のまま放置され、損傷や劣 化が進行するという事態を防ぐことができるようになる。

6.2 再生費用の負担に関する問題

再生のコストに関しては、プロジェクト期間と関連した 1 つのポイントは、再生計画を 安定した長期の計画として策定できれば、その中で段階に応じてプロジェクトの実施内容 を精査し、集約できる可能性があり、単位期間あたりの支出が必然的に削減され、それに よって再生費用に対する市政府の負担を軽減できる可能性があるということである。 また、公的開発における民間資本の導入である PPP モデルを導入することにより、市 政府の経済的圧力を抑えることができると考えられる。

6.3 住民・コミュニティ不在という問題

住民・コミュニティの問題については、地区計画と建築計画を別々に考えることが適 切ではないかと考える。 中国における先行事例からは、地区計画の観点からは、北京市の南鑼鼓巷(みなみら ここう)街区7の再生方法が参考になると考える。南鑼鼓巷街区は、東西方向の街路(胡 同:フートン)が南北に 8 つ平行に並ぶ構成をとり、「魚の骨」と形容される空間構成で ある。胡同と四合院の形態は、元時代に建設された大都の格子状街区パターンにおける都 市建築の具現化である。800 年以上の歴史の中で、元大都の里坊の構造で、南鑼鼓巷街区 が唯一、元大都里坊の歴史的遺物を完全に保存している場所とされている。 この歴史文化街区の空間と雰囲気をよりよく保存するために、北京市政府は、南鑼鼓 巷街区の再生プロジェクトを、2006 年から開始した。初期の計画では、通り沿いの一部 の住宅を取得して店舗に変更するアイデアが採用され、多くの店舗が導入された。 近年、商業化が南鑼鼓巷街区の歴史的および文化的建造物に悪影響を及ぼしているこ とが明らかになった。南鑼鼓巷の 1 日の平均訪問客は 30,000 人を超え、週末の訪問客数 は 50,000 人を超え、休日の訪問客数は 100,000 人を超えている。そのため、団体ツアーの 受付が一時的に停止され、住宅機能の回復を促すために、235 の店舗を 154 に削減し、同 時に再生プロジェクトを行った。また車両の駐車も禁止した。 7 南鑼鼓巷は、北京の中心軸の東側の交差点に位置する胡同で、北の鼓楼東大街から南の平安大街まで、 幅 8 メートル、長さ 787 メートルであり、元大都で同期に建成された。北京で最も古い地区の 1 つで、 740 年以上の歴史がある。また、計画されている 25 の旧市街保護区の 1 つである。北京で最も古い地区 の 1 つであり、唯一な元王朝胡同院落肌理を完全に保護され、最大の規模、最高級、そして豊かな資源 を備えたチェスボード式の伝統的な住宅地である。また、最も古い北京スタイルの街である。周囲の胡 同に様々な大邸宅や屋敷があり、文化感が奥深い。南鑼鼓巷および周辺地域は元「元大都」のセンター

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36 図8. 北京の南鑼鼓巷街区 図9. 南鑼鼓巷街区の景観 同様に保存が必要とされる歴史文化街区である大鮑島地区は、現在、再生前の南鑼鼓 巷街区とほぼ同じ状況に直面しているが、南鑼鼓巷街区にはない利点もある。つまり、里 院建築自体は店舗併用型の集合住宅という建物タイプであるため、商業化が住居部分の機 能に悪影響を与えることはあまり心配する必要はないと考えられる。ビジネスと住居の組 み合わせはもともと里院建築地区の特徴であり雰囲気であるといえる。 建築計画に関しては、既存の里院建築を詳細に分類した後、種類に応じてさまざまな 方法で再生する必要があると考える。以下のような 4 つのタイプが考えられる。 ①大鮑島地区にはいくつかの著名人の旧居がある(孟氏家族に属する「海泊路35号、37 号、高密路28号」など)。このような里院建築に対しては、中国の私有庭園の再生方法 が参考になると考える。一例は個園8の例である。 個園は典型的な中国の私有住宅庭園であり、再生された個園は、庭園の美しさを復元す るだけでなく、その創始者である黄至筠とその家族の生活を写真などで展示している。 「海泊路 35 号、37 号、高密路 28 号」の場合では、当時の孟氏家族の姿を復元すること や、かつての茶楼機能を復元することが可能性として考えられる。 ②大鮑島地区には、著名人の旧居ではなく特別な歴史的意義を持つ里院がいくつかある (「黄島路26号平康東里」と周辺地区)。このタイプは、青島の歴史的変化を示す展示 空間に再生することができると考えられる、いくつかの異なる時代の里院地区に住む人々 の情景や活動を展示することができる。「黄島路26号平康東里」とその周辺のいくつか の里院は、中国独立以前、有名な娯楽提供の場所であり、平康東里は有名な妓楼であった。 変化を被りながら百年以上にわたって保存されてきたこの地区は、歴史的建築が実在する 映画のセットのようだともいえ、歴史的建築物を保存し、同時に歴史と文化を展示するた めの適切なアクティビティを追加するような再生方法が考えられる。 である。明清朝時期にはさらに富貴の所であり、その辺に多くの高官が住んでおり、王府の宮殿も無数 である。清王朝の崩壊後、南鑼鼓巷の繁栄もどんどん終わってきた。 8 個園は、江蘇省揚州市広陵区にある清朝の揚州塩商屋敷の私有庭園で、積み重ねられた石の芸術で有 名である。

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37 ③その他の里院建築については、住宅機能を存続させることを提案する。全体的な計画お よび元の建物の歴史的外観と構造を変更しないことを前提として、現代の生活に適合する よう生活インフラや居住環境を向上させた集合住宅として再生することが、里院建築地区 の居住区としての歴史的性格を存続させることになると考える。再生にあたっては、政府 と連携した民間企業が設計を担当し、住民の提案を最大限考慮し、慎重な議論を繰り返し た上で最終的な再生計画案に反映するべきだと考える。 ④里院建築以外の部分については、公共的機能(レストラン、公衆トイレ、コンビニな ど)を導入する。

6.4 再生後の町なみ・景観に関する問題

再生後の町なみ、景観に関する問題については、「6.1 プロジェクト期間と建築の劣化 に関する問題」で述べたように、建築の特性に応じた種別に分類した上で、各種別にふさ わしい歴史的建築要素の再生方法を検討することが、里院建築地区の歴史的街区にふさわ しい景観と雰囲気を復元することにも適した方法であると考える。 それをふまえた上で、さらに、近代都市に求められる緑化空間などのアメニティと歴史 文化街区を共存させる方法も検討する必要がある。例えば、かつて大鮑島地区の建設当初 においては、道路の緑化などは基本的に考慮されていなかったが、このようなアプローチ は近代的な都市の緑化要件においては適用できなくなった。したがって、中国建国後に建 設された鉄筋コンクリート造のアパートや、1990 年代以降に建てられ現在は閉鎖されて いるショッピングセンターなど、里院建築以外の建物を解体し、その場所に都市緑地を整 備することを検討してはどうかと考える。歴史的街区の中にポケットパーク的にアメニテ ィを提供することができると考える。

6.5 まとめ

中国ではこれまで、歴史文化街区の再生と開発は、歴史的環境の保存を主たる目的とし たものではなく、過去のほとんどのプロジェクトが、主として商業的価値を創造すること を目的として実施されてきたといえる。それは、歴史的建築物の保存という意味では、オ ーセンティシティ(歴史的正統性)などの観点でさまざまな問題をはらむものである。ま た、住民やコミュニティとともに継承していくべきまちの生活文化を衰退させることにも つながる再生方法である。 しかし、再生後の経済的価値を考慮せず、単に歴史文化街区を保護、保存するだけでは、 中国政府の要件を満たすこともできない。したがって、ここでの提案の核となるコンセプ トは、里院建築の歴史的特徴を破壊せず正しく保存することを前提とし、青島と里院建築 地区の歴史と文化を継承することを主たる目的としながら、少量の商業的価値を適切に追 加することである。

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建設関係 (32)

計画 設計 建築 稼働 チューニング 改修..

計画 設計 建築 稼働 チューニング 改修..

建築物の解体工事 床面積の合計 80m 2 以上 建築物の新築・増築工事 床面積の合計 500m 2 以上 建築物の修繕・模様替(リフォーム等) 請負金額