「アイルランドを読む」(1)
1.Home life in Ireland
アイルランド人は世界有数の謎のひとつである。アイルランド人とは何者なのかについて、またアイ ルランド人のアイルランド人らしさとは何からくるのかについて、合意に達することは到底できないよ うだ。アイルランド人とはケルト民族だとする者もいる。カトリック教徒だとする者もいる。*¹喜劇的 な人間だとする者もいれば、*²鬱々とした人間だとする者もいる。またある者は、喜劇的でもあり陰気 でもあるのだと言う。気前の良い奴だと言われる一方で、ケチ根性と迷信に凝り固まっているとも言わ れる。アイルランド人の擁護にまわる者は「ヨーロッパ中の住民の中で犯罪を犯す傾向が最も小さい」 と主張し、これを裏付ける公式統計もある。キップリング派の批評家は、アイルランドの殺人、家畜の 傷害事件、女性の失踪の多さを声高に叫び、そしてこの主張を裏付ける公式統計、それも非常に公式な 統計も、また確かに存在する。各国の宣教師はアイルランド人は熱心なカトリック信者だと断言する。 世界中の道化者は、アイルランド人は教会よりミュージックホールにいることの方が多いものだと大声 で叫ぶ。*³
実のところ、「本当のアイルランド人」だの「典型的なアイルランド人」だのという言い回しは浅薄 な人々が好むものであり、これらについて今まで散々語られてきた内容も、この二つの言い回しに言及 すること自体も、まったくもって無意味である。「本当のアイルランド人」とは本質的にはケルト民族 でもカトリック教徒でもない。幸か不幸かアイルランドンに、もしくはアイルランド人の両親のもとに 生まれ、世界中のどの国よりアイルランドに対する強い関心を持っている人間にすぎないのだ。
・ Robert Lynd : 1879-1949 。英国の随筆家、ジャーナリスト、批評家。北アイルランド生まれ。
*¹ Stage Irishman (舞台上のアイルランド人): 19 cの演劇で多用される、酒飲みでだらしなくて馬鹿なアイ ルランド人像
*² 中尾さん的に良く言えば「叙情的」、中谷さん的に悪く言えば「理性より感情に流されやすい」
*³ 教会によく行く人は教会にいるアイルランド人をよく見かけるし、ミュージックホールによく行く人は、酔ってい るアイルランド人や劇中のアイルランド人をよく目にする→アイルランド人像は他人を映す鏡にもなっている
2. St Patrick’s Day Broadcast
(独立運動の頃に)我々アイルランド人が夢見ていたあのアイルランドは、物質的な豊かさなど正し い生活の指標程度
にしか重んじない人々の故郷であり、つましい快適さで満足し、余暇は精神的なことに費やす人々の故 郷だった。田舎に
は居心地の良い農家があり明るく穏やかで、田畑や農村は、働く人々のざわめきや遊びまわる元気な子 供たち、*¹若者
の競技大会、そして美しい娘たちの笑い声にあふれ喜びに満ちており、そして平炉の前は古き良き知恵 を持つ老人たちが
集う場である、そういう国であるはずだった。
・ Eamon de Valera : 1882-1975 。スペイン人の父とアイルランド人の母を持ちアメリカ国籍。 1910 年代から アイルランドの
反英独立運動に参加。 1916 年シンフェイン党党首、 32 年アイルランド自由国首相、 37 年独立と共に初代首相。
・アイルランドの人口は 300 ~ 400 万人だが、じゃがいも飢饉などで国外に流出したアイルランド系子孫の人口は 3000 ~ 4000 万人になるといわれる。3月 17 日は聖パトリックの日(国民の祝日)であり、アイルランド人 のアイデンティティを誇りとするために世界各国のアイルランド系市民が緑の服を身につけてパレードを行う。 ニューヨークのパレードなどが有名。
・子供が健康に育ち、老人の知恵を重んじる伝統的な社会の価値観を前面に押し出したラジオ演説。独立の頃の希望に 満ちた「本来のアイルランド」に民衆の心を戻そうとしている。
・そのような伝統的で素晴らしい社会を壊すものはアイルランドの外(おもにイギリス)からやってくるとして、教会 主導で輸入品の検閲(本や映画など)行われた時期でもある。伝統的である一方閉鎖的な時代だった。
*¹ゲーリックゲーム:アイルランド伝統のサッカーのようなもの。ゲール語がルールに使われる。健康な若者を育てる と同時に国民の結びつきを強める意図で復興された。
3. Watt
クロッカスとカラマツは毎年ほかの樹々より1週間はやく新緑が芽吹き、牧草は母羊が食べなかった 胎盤の血で赤く染ま
り、そして夏の日々は長く、新しい牧草が刈り取られ、朝はモリバト、午後はカッコウ、夕方はウズラ クイナが鳴き、ジャムの
中には蜂が入り、生い茂るエニシダが匂い、リンゴが落ち、子供が落ち葉を踏みしめ、カラマツが他の 樹々より1週間早く
茶色くなり、クリが落ち、風がうなり、波は埠頭に砕け、暖炉にこの冬初めての火が入り、道に蹄が響 き、結核持ちの郵便
夫は「ピカルディーに薔薇は咲く」を鼻歌で歌い、家庭用オイルランプに火がともり、そして当然雪が 降り、もちろんみぞれ雨
も降り、滑らないように注意して、雪は溶けていき、4年に1度は2月に雪解け水で川が氾濫し、4月 にはやむことなく雨が
降り続け、そしてクロッカスが芽吹き、あらゆるいまいましい生活がまたぞろ始まる。
・ Samuel Beckett :アイルランド出身の劇作家。フランスで活動。
・アイルランドはずっと同じサイクルを巡っている。自然が多いが、現実の自然は一般的にイメージされるほど綺麗な ものではなく、終わりのない生活に気が滅入る。
・ Roses are blooming in Picardy:ピカルディーは第一次世界大戦中、ソンムの戦いが行われた場所。この郵便夫の ように一次大戦に出征し、塹壕の中で結核を患ったアイルランド人は多い。未だに一次大戦の戦場の流行歌を歌って いることから、おそらくこうした人々の中で戦争経験が占めるところは大きい。
4.The Irish Countryman
アイルランドの中でも特にケルト文化圏に属する南アイルランドは、多くの人々にとって常に魅力的 であり続けてきた。諸
都市、特にダブリンは、会話の技術の最後の砦であり、田舎と同様に魅力的だ。しかし、ここで取り上 げるのは田園地域
である。
おそらく、ほとんどの人はアイルランドの地方を少なくとも*¹4つは知っていることと思う。カエサ ルのように我々のガリアを分
割してみよう。しかしここで行う分割は地理的ではなく精神的なものである。
最初のアイルランドはおそらく過去と通ずる神秘的な国だ。「*²ケルトの薄明」が残る土地、*³シング やイェーツやスティーブ
ンズが描き出した国であり、連綿と続く伝統、かつて栄えたケルト文明の遺物の中心地である。文学作 品を読めば、この
地はアイルランド西部の不毛な原野や険しい山脈のただ中に位置し、コネマラ地方には白い小屋が見ら れ、ケリーやウェ
ストコークの霧深い岬がある。アラン諸島やブラスケット諸島もここに属する。サーガ(英雄叙事詩) や英雄譚の名残をい
まだに聞くことができ、つい昨日まで吟遊詩人が盲目のラファティーの陽気な歌を歌っていたようなと ころだ。老人たちは泥
炭で火をおこした暖炉の周りに集まっていまだにバンシーや妖精の長い話を語っている。つい先日、ダ ニエル・コーカリー言
うところの隠されたマンスターでは教養の低い教師やぶらぶらしている生徒がオイディウスやホラティ ウスをくちずさんでいた。
そして泣き叫ぶ女たちの只中を、死ぬ危険があるにもかかわらず海へ乗り出していく人々がやはりまだ いる。泣き叫ぶ彼
女らの言葉は、我々自身の言語からは遠い昔に失われてしまった、遥か過去の世界の単純な詩のように 響く。
2つ目のアイルランドは、愛国者が嫌っている、赤ら顔のイメージである。陽気で楽天的なアイルラ ンドだ。悪くいえばこ
れは「舞台上のアイルランド人」の国柄であり、この愚かな人物像には当然のことながらアイルランド 国民が誇りをかけて
憤慨する。しかし良く言えば、*⁴グレゴリー夫人やジョージ・バーミンガム、そしてアイルランド国 民劇場のアビー座のような
人々が示したように、アイルランドは独自の世界である。こうしたアイルランドにおいては、無邪気な 自慢や、競馬場の興
奮、定期市の喧騒、法廷でひらめく機転、そして歯切れのよい熱弁が振るわれる政治活動といったもの
たちによって、ア
イルランド人が話し好きで活発で機知に富んでいることが明らかになる。愉快で聡明、空想的で勇まし いのだ。
3つ目のアイルランドは深刻な状況である。厳格な土地だとすら言えるかもしれない。やせた土壌の 小さな町や小さな
農場における、生真面目で勤勉な国柄だ。厳しい現実と向き合っているこのアイルランドは、怒りや口 論で興奮しやすい
のだが、これによって根深い憎しみや激しい愛国心を解放しているのである。アイルランドの独立戦争 やシンフェイン党の
活動、 *⁵20 年代の抗争における内輪揉めの争いについては誰しも知るところであり、そしてもしアイ ルランドの歴史につい
て多少なりとも知っているのなら、静かだった状況がこうして荒々しい激動を迎えたことは、700年以 上続いた苦難の歴
史に大きな句読点であるとみなせるだろう。これが苦しい経済状況と政治不安を抱えるアイルランドの 姿である。この困
難の多くはイングランドのせいだといえるが、しかし全てをイングランドのせいにすることもできない。 他の国々と同様、アイル
ランド人の手に戻ったアイルランドとて内紛は免れなかったのだから。
4つ目のアイルランドは、特にカトリック教徒の方はもうおわかりだろう。信心深いアイルランド、 聖人と神学者の国だ。信
仰心が篤く、言葉や行いは、我々のほとんどが忘れ去ってしまった宗教的な熱情を帯びている。聖なる 泉や聖地巡礼の
国、そして道端にも聖堂がある国である。すべての小さな村々に高くそびえた教会は礼拝者でいっぱい であり、黒衣に身
を包んだ司祭は親しげで親切な人柄だ。我々の多くにとって、おそらく矛盾はここにある。自由を強烈 に愛することと、キリ
スト教の信条という権威主義の最たるものに深く身を捧げることが同時に行われているのである。
・分類のまとめ
①過去のケルト文化とのつながりが残っており神秘的。
②陽気で活気に満ち、議論が活発。
③真面目で勤勉。経済的・政治的困難。
④信心深いカトリック教徒
*¹ アルスター( Ulster 、北東部)、コノート( Connacht 、北西部)、マンスター( Munster 、南西部)、レ ンスター( Leinster 、南東部)
*² イェーツ著 『 Celtic-twilight(ケルトの薄明)』 理性によって啓蒙された西欧世界⇔妖精などのいるケルト文 明
*³ シング( J.M.Synge 、 1871-1909 ):劇作家・詩人・小説家。プロテスタント。アイルランド文芸復興運動 に貢献。
イェーツ( W.B.Yeats 、 1865-1939 ):ダブリン生まれの詩人・劇作家。アイルランド文芸劇場を設立するな どアイルランド文芸復興を促した。ノーベル文学賞受賞。
スティーブンズ( James Stephens、 1882-1950 ):小説家・詩人・革命家。フィニアン運動の指導者。
*⁴ グレゴリー夫人( Lady Gregory 、 1852-1932 ):劇作家・詩人。アイルランドのフォークロア収集を行う。 アビー座:イェーツの働きで 1904 年に設立されたアイルランド初の国立劇場。民衆生活や伝説を題材にした劇が
上演された。
*⁵Troubles:主として 1920 年代の IRA (アイルランド共和国軍。北アイルランドの英国からの分離独立を目指 すカトリック系の反英地下組織)とアイルランド自由国軍の抗争を指す。