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日本言語学会第 148 回大会(2014 年 6 月 8 日 於:法政大学)

シンポジウム 「過去のコミュニケーションを復元する─書き言葉と話し言葉をめぐる三都物語─」

過去のコミュニケーションを詮索する快楽 ──歴史語用論という箱眼鏡

滝浦真人(放送大学)

The pleasure of inquiring into communication of the past:

the panoramic perspective of historical pragmatics

TAKIURA, Masato (The Open University of Japan)

1. 比喩としての「書き言葉/話し言葉」

2. 言語における「近代」の成立──もう1つの補助線 3. 過去の何を詮索するか? ──歴史語用論と日本語

1. 比喩としての「書き言葉/話し言葉」

1.1 2つの「言文一致」

1.1.1 書かれた話し言葉

江戸においてすでに話し言葉は書かれていた(『三都物語』[=本シンポジウム(以下同)] 江戸:田中講演)。音を書き表せる文字があり、 話された言葉を読む 文化と需要があれば「言 文一致」(以下「言文一致①」)は可能。その極致の例として、『浮世風呂』における「ガ行 鼻濁音」の書き分け(1.1.3)。

1.1.2 いわゆる「言文一致」とは何のことか?

では、明治期のようないわゆる「言文一致」(以下「言文一致②」)とは何か? 以下で見 るように、 言葉を書く とは 音を書く ことではなく 意味を書く こと。つまり、「言文一致

②」とは、いかにして、話し言葉を書きながら音ではなく意味を書くことができるような書記 法(書き言葉)を確立するか?という問題だった。

学生のレポートに「てゆうか」という文字列を見つけた瞬間、つい「バカ!」と心のなかで つぶやいてしまう教師は、なぜそう言いたくなるのか? 一つの答えは、「書き言葉は音を書 き取ることではないことを知らない人間は『リテラシーが低い』から」。そう言ってもよいが、 だとすると「リテラシー」とは書き言葉の表音性についてではなく、書き言葉における 表音性 の例外 についての知識であることになる。「言文一致②」の幻想の裂け目。

助詞の「を」や四つ仮名や、表音性の例外に属するものは 昔の日本語 という痕跡を書いて いる。書き言葉はつねに過去の言葉を書く。過去のことを知っている、過去をリスペクトして いる、ということの証を立てるような営み。過去とは現在を根拠づけるものであり、それをリ スペクトしない人間は現在の制度を否定する危険分子、でなければ「バカ」(→「そんなこと じゃ社会人になれないよ」)。「言文一致②」はじつは「言」と「文」の不一致を前提として いる。「話し言葉」「書き言葉」は比喩であり、とりわけ書き言葉は制度である。

1.1.3 「言文一致①」の意味するもの

式亭三馬の『浮世風呂』における「ガ行鼻濁音」の 書き分け 。

(2)

常のにごりうちたる外に 白 圏しろきにごりをうちたるは、いなかのなまり詞にて、おまへがわしが などいふべきを、おまへか わしか といへるか き く け こ の濁音としり給へ

(「浮世風呂大意」岩波: 8)(「が」の濁点2つが 白ヌキ になっている表記だが、ここ では「か 」で代用。)

注で「白濁点を打ったのは、それぞれ、ga・gi・gu・ge・goの発音をあらわす」とあることに 注意。「ガ行鼻濁音の記録として知られ」(Wikipedia「浮世風呂」)といった紹介を見ると鼻 濁音表記のために「か 」を用いたように思えるがそうではないということ。当時江戸ではす でに語中ガ行は鼻濁音 [ŋ] であり、従って、 そうでない 発音は鼻音性のない [g](あるいは 入りわたり鼻音付の [ g]?)だったと考えられる。つまり式亭三馬の 書き分け は、鼻濁音が 普通だった江戸で鼻濁音を出せない東国方言の「田舎者」の話しぶりを書き記したもの。

まをす

を「もうす」 興立かうりふを「こうりう」 と書る類すべて婦女子の読易きを要とすれば音 訓ともに仮字つかひを正さず(「浮世風呂三編 仮字か な の例」岩波: 147)

や、「おとっつぁん」に相当すると思われる「山出し下女」の「っつぁ」の発音を「つさ」(「さ」 にマル点付)で表記するなど、 表音主義者式亭三馬 の面目躍如であることはたしかだが、音 を正確にというのは、書かれた意味から溢れてしまう話し手の属性をあらわにすることでもあ った。「書き言葉」として平準化されたら(=「言文一致②」)見えなくなる人びとの階層差 そのものとして音を捉えている。「言文一致①」は「書き言葉」を平準化しない。

1.2 日本語における「話し言葉」と「書き言葉」 1.2.1 ヨーロッパの言語からのモデル

「話し言葉」と「書き言葉」を捉えるための、Koch and Oesterreicher (1985) のモデル(高 田・椎名・小野寺編 2011: 13、『三都物語』高田も参

照)を掲げる。文字/音声というメディアの相違はもち ろん中心軸だが、しかしそこに「近い言葉/遠い言葉」 というもう1つの軸が組み合わされている。

1.2.2 現代日本語における話し言葉/書き言葉

日本語について考える際には、音声/文字というメディア的相違以外に、すくなくとも、和 語/漢語と結び付いた和文脈/漢文脈の軸、受け手をフォーカスする敬語や終助詞といった待 遇性の有/無の軸がかぶさってくることへの留意が必要(滝浦 2014)。漢語=書き言葉的/ 和語=話し言葉的との印象は強く、また、「待遇性」(=受け手に対する意識)が言語形式上 に表れると話し言葉的な印象が強くなる(敬語、終助詞のほか、間投詞、フィラーなども)。 【日本語における音声/文字、和文脈/漢文脈、待遇性有/無の関係】(滝浦 2014に加筆) 待遇性を帯びた和文脈中心の音声言語: より話し言葉的

| ↑ 待遇性を帯びた和漢両用の文字言語[手紙類]: 中間的 待遇性を帯びない和漢両用の音声言語[辞令等]: 中間的 | ↓ 待遇性を帯びない漢文脈中心の文字言語: より書き言葉的

文字 │

近い言葉───┼───遠い言葉 │

音声

(3)

1.2.3 「待遇性」問題の事例

「禁止」という言語行為は端的に相手のネガティブ・フェイス(=自己決定の自由)に対す る侵害であるため、侵害に対する補償を伴いやすい(Brown & Levinson 1987: 190ff.)。B&L でいえば、「非人称化・非人格化」「一般則化」「名詞化」などが典型。禁止表現における書 き言葉的無待遇はそこから自然に導ける。

禁止表現: 書き言葉的無待遇 e.g. 「⃝△禁止」「⃝△(し)ない」

問題点としては、「⃝△」の部分が熟していないと使いにくい(「?? ホームドアからの身乗 り出し禁止」)。「しない」の学校的ニュアンス(あるいは わたしの誓い 的ニュアンス?)。 発想の転換。禁止よりも相手が進んで回避してくれたら一番。そこから「肯定禁止」(妙な 言い方だが、禁止行為の 反対 の行為を奨励する禁止表現)が出てくる。

肯定禁止表現: 話し言葉的有待遇

e.g. (バス車内で)「ゴミは忘れずにお持ち帰りください」

(トイレで)「いつもきれいにお使いいただきありがとうございます」

否定/肯定(ないしは禁止/奨励)の差が待遇性の差を生み、それが書き言葉的/話し言葉的 の差として感取される(滝浦 2014)。

1.2.4 歴史語用論的問題としての待遇性

話し言葉における待遇性の問題は、端的に敬語において現れる。三人称的素材敬語(いわゆ る「尊敬語」「謙譲語」「丁重語」)と二人称的対者敬語(同じく「丁寧語」)の関係が軸で、 たとえば第三者待遇が聞き手に対してもつ意味(滝浦 2005: 158ff., 225ff.)や、素材敬語の 対者敬語化における(間)主観化の問題(金水 2011)など。

書き言葉における待遇性の問題は? たとえば候文の文体史(真下 1974)といったものが 目につく程度だが、単なる形式性か待遇性かという問題がありそう。

2. 言語における「近代」の成立 ──もう1つの補助線

2.1 近代の成立 と対人的な距離感の変化

2.1.1 ドイツにおける標準語の成立(『三都物語』ベルリン:高田発表)

1800年をまたいで標準文章語の平準化(口語化)が起こり、一般大衆はそれまで教養層に独 占されていた標準語を獲得した。それにより、標準語は広範囲にわたり日常語と混交すること となり、個人対個人という人間関係を重視し相手を指す2人称単数の呼称代名詞として親称形 du の使用が拡大した。標準語の平準化は、(相手との距離をとる)ネガティブポライトネス から(相手との距離を縮める)ポジティブポライトネスへの移行を示している。

2.1.2 近代英語の成立(『三都物語』ロンドン:椎名発表)

1700年を境に、宗教的コンテクストや北部方言を除いて、2人称単数代名詞は thou から複 数形由来の敬称形 you へと収斂する。つまり近代英語は対人的な距離感を大きくした。とは いえ、権力関係の縦軸と親疎関係の横軸を中心にした人間関係がなくならない以上、そうした 人間関係は違う形で言語化されることになる。多様な「呼びかけ語(vocatives)」の使用によ る対人距離の微細な調整があった。

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2.2 日本における「標準語」の成立 2.2.1 “作法”としての標準語

「標準語」の制定が単に言語だけの問題ではなかったこと(「国語調査委員会」と「作法教 授事項取調委員会」 滝浦 2013: ch.1-2)。 親しき仲にも礼儀あり がしきりに奨励される。

親密の間なりと 雖いへども粗略若くは侮蔑の語辞を用ふるは宜しからず

(『師範学校・中学校 作法教授要項』緒言[明治44(1911)年]) このとき持ち込まれた価値観だったことがわかる。そしてその礼儀の象徴が「あいさつ」だっ た。以下大正期の作法書から抜粋。

朝の挨拶の心得

日常の行儀上、禁條として戒むべきものを左に掲ぐ。

一、朝の挨拶(お早うございます。)をなさずして直ちに用事を言ふこと。 家族に対する心得

一、父母・祖父母・伯叔父母・兄弟・姉妹の間は、固より骨肉の愛情を以つて相交はるも のなれば、他人に対するが如く厳格なるを要せず、されど、慣れ親しむの余り、其の間 に於ける礼儀を忽にし、不作法に陥るが如きことあるべからず。

学生の心得

一、〔通学の〕途上にて、友人に遭ひたる時は、相当の挨拶を交換すべし。

一、親友・学友の間柄なりとも、余りぞんざいなる言葉或は軽蔑したる言語を用い、又異 名を呼ぶ等は無礼にして、己れの品格を墜すこと少なからず。

(甫守謹吾『国民作法要義』[大正5(1916)年]) これらの例は、現代の私たちが思い描く「あいさつ」が決して当時自明の慣習ではなかったこ と(「お早うございます。」まで指定!)を示している。また、作法としてのあいさつが、近 しい人間関係に大きな対人距離を持ち込んだ(→ 全般に大きな対人距離)ことの証でもある。 2.2.2 対人距離の変化?

標準語によって対人距離感が、ドイツ語では小さくなり、英語では大きくなった。この差は、 標準語の大衆化と標準語の匿名化(都市化・世界化?)の差。対人距離感を、英語は大きくし、 日本語も大きくした。違いは? ── 作法 の異質性。何が変化?──次節で。

3. 過去の何を詮索するか? ──歴史語用論と日本語

3.1 歴史語用論とは?

3.1.1 歴史語用論のアプローチ

┌(共時的)語用論的フィロロジー

歴史語用論 ┤ ┌ 形式―機能の通時的対応づけ └ 通時的語用論 ┤

└ 機能―形式の通時的対応づけ

(高田・椎名・小野寺編 2011: 21、Jacobs & Jucker 1995) 共時と通時、形式と機能の双方向が含まれる。これらをすべて合わせると、「現在」以外に ついて語用論の通時的、共時的なアプローチすべてが対象となる。アノテーション付のコーパ スは強力な武器となるだろうが、機能→形式の掘り起こしは難しい。

(5)

3.1.2 「形式から機能へ」アプローチ

日本語に関して、語法研究の蓄積は多く、文法化研究(主観化、間主観化)も進展(たとえ ば、青木 2007)。直近でも、金杉・岡・米倉(2013)など、比喩やポライトネスも含んだ様々 な領域における文法化・(間)主観化の研究成果がある。

本シンポジウムの対象は偶然にも近代(近世)となったが、日本語の近世はとくに 語用論的 性格を大いに獲得した時期として語用論的興味は非常に大きく、そのうえ、直接に比較可能な テクストの異本が複数ある資料の存在は大きなアドバンテージ。たとえば狂言台本(小林 2008) や、朝鮮通信使のための日本語会話テキスト『捷解新語』。後者は対話形式の口語で記され、 原刊本(1676)、改修本(1748)、重刊本(1781)と百年ほどの期間に3つの異本が存在す る。近年それらの対照本も刊行され(林 2006)より利用しやすい環境に。『捷解新語』の異 本を利用した研究成果としては、たとえば敬語における絶対敬語(序列敬語)の相対敬語(内 外敬語)化(永田 2001)、呼称における上下対称詞(=目上に対する役割呼称と同等・目下 に対する代名詞呼称)の確立(永田 2009)など。さらには、宣教師たちの観察、たとえばロ ドリゲス『大日本文典』における敬語についての鋭敏な語用論的観察も(滝浦 2005: Ⅰ-1)。

3.2 「機能から形式へ」アプローチ ──最も詮索らしきもの 3.2.1 『浮世風呂』における「あいさつ」

江戸市井の人びとはどのように「あいさつ」をしていただろう? たとえば「こんにちは」を 言っていたか? ではコーパスで「こんにちは」を検索すればよいか? コーパスに「あいさつ」 タグを付ければよいか? ところで、何をどう言うことが「あいさつ」だったのか…? 『浮世風呂』における「あいさつ」のアナログ的考察(滝浦 2013: ch.4)。あいさつ場面 ごとに交わされた言葉のペアを拾って語構成的なパターンがないか探り、2パターンを得た。

ペアの前半 ペアの後半

Ⅰ 感動詞等+呼称+トピック → 感動詞等+呼称+トピック Ⅱ 感動詞等+呼称+トピック → 応答詞+トピック

(六十ちかきばあさま)「ヲヤおばさんよく来なすつたの」

(こちらのばあさまも同年ぐらゐの人)「ほヽヲ姉さん今来なすつたか」

(三編 巻之下 199)

(大のひやうきんもの) とび八「ヤどうだむだ公、大分で へ ぶ早く来たの。イヤ甘次さん、し ばらくお目にぶらさがらねへの。コウ見ねへ如在せへねへ事をするぜ。」

(四編 巻之上 229)

(俳諧師と覚しき坊主) 鬼角「番頭まだ暑いの」 ばんとう「ハイお出なさりまし」

鬼角「ヤ飛八さんか。暑のお 障さゝはりもなくて」

とび「これは先生さん久しくお見かけ申ません。」 (四編 巻之上 233)

(三十四五のかみさま)「……ヤレ/\、内へ這入つたら 温あつたになつたぞ、(トふりむき) おかみさん此間は」

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(湯やのかみさまたかいところにゐて)「ハイお早うございます。一両日はけしからぬお 寒さでございます。」 (二編 巻之上 86) 3.2.2 過去と現在をつなぐもの

『浮世風呂』の会話で、呼称抜きの「おはようございます」類は湯屋の番頭や女将に用いら れるが(それでも応答詞「ハイ」は付いている)、客らは用いていない。現代日本語における は だかの 「こんにちは」は人びとのではなく商人のあいさつに似ている。すくなくとも、標準語 に取り込まれた作法としてのあいさつは相手に対する呼称を外した。つまり、 きちんと あい さつをしようとするとき、「日本語」は相手を呼ばなくなった(<─> 英語の「呼びかけ語」)。 他方、相手を呼ぶあいさつも消失していない。学校で教わることはなくとも、学生や生徒た ちは「あ、⃝△ちゃん、髪切ったんだ∼!」とあいさつをしている。この、

認知的気づきの表明+呼称による人間関係認識の表明+トピック(何か言う) というパターンは、江戸の人びとのあいさつに似ている。

詮索すればこんなことも知れるという快楽。「箱眼鏡」は、華はなく仕掛けもないが、意外 によく見える。今回のシンポジウムも、見ようとするから見えるものが見えてきたのでは?

【文献】

青木博史(2007)『日本語の構造変化と文法化』ひつじ書房

金杉高雄・岡智之・米倉よう子(2013)『認知歴史言語学』くろしお出版 金水敏(2011)「丁寧語の語源と発達」、高田・椎名・小野寺編(2011)所収 小林賢次(2008)『狂言台本とその言語事象の研究』ひつじ書房

高田博行・椎名美智・小野寺典子編(2011)『歴史語用論入門 ──過去のコミュニケーショ ンを復元する』大修館書店

滝浦真人(2005)『日本の敬語論 ──ポライトネス理論からの再検討』大修館書店

滝浦真人(2013)『日本語は親しさを伝えられるか』(そうだったんだ!日本語)岩波書店 滝浦真人(2014)「話し言葉と書き言葉の語用論 ──日本語の場合」、石黒圭・橋本行洋編

『話し言葉と書き言葉の接点』ひつじ書房

永田高志(2001)『第三者待遇表現史の研究』和泉書院

永田高志(2009)「『捷解新語』の対称詞」、近代語研究会編『日本近代語研究 5』ひつじ 書房

林義雄編(2006)『四本和文対照 捷解新語』専修大学出版局

真下三郎(1974)「日本書翰文体史 三 候文体」『甲南女子大学研究紀要』10

Brown, P. and Levinson, S. (1987) Politeness: Some universals in language usage. Cambridge: Cambridge University Press.

Jacobs, A. and Jucker, A. (1995) The historical perspective in pragmatics. In: Jucker (ed.) (1995). Jucker, A. (ed.) (1995) Historical pragmatics. Pragmatic developments in the history of English.

Amsterdam: John Benjamins.

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