• 検索結果がありません。

丸山 豊治郎(まるやま とよじろう) 近代上越の政治家・思想家 上越市ホームページ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2018

シェア "丸山 豊治郎(まるやま とよじろう) 近代上越の政治家・思想家 上越市ホームページ"

Copied!
1
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

まるやま とよじろう

牛乳搾取業をはじめる

丸山豊治郎は、1868 年(慶応 4)1 月 27 日、武士村(現・清里

区武士)に与三左衛門の長男として生まれました。慶応義塾で学ん

だ後、旧高田城内で牛 15 頭を飼って牛乳搾取業「高栄社」を創業 しました。

政友会系の政治家として活躍する

1898 年(明治 31)、豊治郎は菅原村長となり政治家として出発し

ます。1907 年(明治 40)中頸城郡会議員を経て、1912 年(明治 45)

には政友会の公認を受けて衆議院議員に当選、その後三たび当選し

て中央政界で活躍しました。

高田日報を創刊する

1907 年(明治 40)の春、乳牛の飼育場などが高田町に設置され

る第十三師団の用地となり、豊治郎は多額の移転料を受け取りまし

た。

彼はこの資金をもとに石坂群治郎所有の印刷所を譲り受け、高田

町杉の森(現・上越市仲町三丁目)に社屋を構えて、政友会系の新

聞『上越日報』を発行しました。主幹には福岡日日新聞記者の武田

徳三郎を迎えています。

1907 年(明治 40)7 月 10 日の創刊号第1面は、武田による発刊

の辞と政友会総裁の西園寺公望の揮毫を配し、尾崎行雄や原敬など

有力者の祝辞を各ページに掲載しました。翌年 11 月 1 日、同紙は

第十三師団の高田町入城にあわせて『高田日報』と改題し、その後

も地元記事と文芸欄の充実を特色に発行部数を伸ばしました。

道路開鑿

かいさく

や簡易水道を敷設する

昭和初期、豊治郎は地元諸問題の解決に積極的に取り組みました。

新たな道路の開鑿に加えて、地元の武士では永年に及ぶ水争いの禍

根を断つ水利権の確立を図りました。また、1933 年(昭和 8)4 月

には良質な飲用水を利用できる簡易水道の敷設に着工し、同年 6

月に竣工式を行いました。その翌月、晩年を地元開発に尽した豊治

参照

関連したドキュメント

強者と弱者として階級化されるジェンダーと民族問題について論じた。明治20年代の日本はアジア

第四。政治上の民本主義。自己が自己を統治することは、すべての人の権利である

東京都公文書館所蔵「地方官会議々決書並筆記  

  明治 27 年(1894)4 月、地元の代議士が門司港を特別輸出入港(※)にするよう帝国議 会に建議している。翌年

野田は、1889 年(明治 22 年)に現代につながる近代的な地方自治体が出発していた。 1889 年(明治

第 2 期政権のガルシア大統領は、第 1

供することを任務とすべきであろ㌔そして,ウェイトの選択は,例えば政治

い政に育の 拶全 伏 たのご成皆枚申体枚見 だ各尽や様方し会方隆 い般力安に市上議市で てにい全は青げの青す おわたで、少ま開少。 年 年