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最終回 はるかなる天竺 「特技懇」誌のページ(特許庁技術懇話会 会員サイト)

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tokugikon

2013.8.20. no.270

櫻 井 孝

 インドと聞いて何を思い浮かべるかは、人それぞれだろ う。自分はインドに赴任する前、インドと聞いて思い浮かべ たのは「レインボーマン」である。若い人はおそらく知らな いだろうが、昭和47 年にテレビ放映された特撮ヒーローも のである。原作者は、月光仮面と同じ川内康範。当時自分 は高校2年だったことになるが、「インドの山奥で修行して」 という歌詞で始まるインパクトのある主題歌は、今でも歌え る。インドに赴任してくれと上司部長から言い渡されたとき、 そうか、どんな修行が待っているんだろう、と思ったものだ。  さらに頭に浮かんだのは「天竺」という言葉である。実は、 自分の曾祖父は寺の坊主だった。三蔵法師は天竺まで艱難 辛苦に耐えてありがたい教典を入手しに赴いたわけだが、 自分も坊さんの末裔として、インドで修行を積んで何かあ りがたい教典でも持ち帰られたらとも思った。

 インドとわが国のつながりはけっこう深い。

 インドで仏教が生まれたことは有名だ。わが国がインド から輸入したもので今に至るまで一番の恩恵にあずかって いるのは、今や日本の国民食のひとつになったカレーと、 まさにこの仏教の教えではないだろうか。しかし、現在の インドにおける仏教徒の数は、全人口の1%弱に過ぎない と言われる。母数が大きいから1%と言っても大勢だが、そ れでも1 千万人を切るというのは、仏教の生まれた国にし ては寂しい数だ。自分がインド在勤 3 年の間に出会った人 ではっきり仏教徒と名乗ったのは、記憶する限り1人だけだ。 アジャンタ・エローラの遺跡を訪れるためにオーランガバー ドに行った際、そこのホテルの従業員で仏教徒だと名乗る 青年に会った。その青年に、自分の曾祖父は仏教僧だった んだと話したら、手を合わせて拝まれてしまった。アジャ ンタ石窟群は仏教窟だし、エローラ石窟群の一部にも仏教 窟があるから、その近隣にはいまでも仏教徒がいるのだろ うかと思ったが、関係は不明である。

 現在のインドでは、かように仏教はマイナーな存在になっ てしまったようにも見えるのだが、自分の見るところ、イ ンドは仏教を生んだ国ということに一種の誇りのようなも のを持っているように思える。例えば、インドの国章に採 用されているのは、アショカ王がサルナートに建立した柱 のてっぺんに置かれていた獅子像である。アショカ王は紀 元前 3 世紀に、マウリヤ朝の王としてインド亜大陸をほぼ 統一した偉大なる者として知られるが、また敬虔な仏教徒

として仏教を庇護したことでも有名である。サルナートは 釈迦が悟りを開いた後に初めて説法をしたという仏教の聖 地であり、そこに建立した柱として特別な意味を持つ。こ の獅子柱頭像の台座部分に彫られた宝輪(チャクラ)はイン ドの国旗の中央にも描かれている(本連載の第18 話参照)。 このように、国章や国旗に仏教に深く関係するものを採用 しているところに、現代のインドにおいても仏教とのつな がりを保っているように感じるのである。1947 年のインド の独立に際し、この獅子柱頭像が独立記念切手 3 種のうち の1 枚に取り上げられたが(図 1 参照)、そのほかにも、イ ンドの官公庁が使用する公用切手のデザインには、独立以 来この国章の図柄が使われている。

 さて、第二次大戦中は、インドは英領の国として連合国 側に立って戦った。しかし、戦前からインド国内には英国 からの独立を目指す動きがあり、大戦が勃発すると、急進 派のチャンドラ・ボースはインドを脱出して陸路ドイツに 渡り、英国と戦おうとする。ボースは日本が参戦すると、 ドイツと日本の潜水艦を乗り継いで海路日本に来訪し、イ ンド独立連盟の総裁に就任する。その後、シンガポールに おいて自由インド政府の樹立を宣言し(図 2)、日本軍の捕 虜となったインド軍人などを組織したインド国民軍(AZAD HIND)を率いて、日本軍とともにインドの東部にあるイン パールへの攻撃に参加する。結局このインパール作戦は失 敗に終わるのだが、ボースは終戦直後、座乗した日本軍の 航空機の事故により台湾にて落命したと伝えられており、 その遺骨は東京都杉並区内の寺に葬られている。

はるかなる天竺

連載

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【図1】国章とされているアショ カ王の獅子柱頭像。独立記念 切 手3種 の1枚。1947年12月 15日発行(ギボンズ#301)

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 第二次大戦の後、インドはようやく念願の独立を果たす。 この独立に関し、インドにおいては、日本は第二次大戦に おいてインド人とともにインド独立のために英国と戦った 国、として評価されていると聞いた。それがどれだけ当を 得ているのかはわからないが、自分がインドに赴任した際 に聞いたのは、だからインド人は日本人に対して悪い感情 は持っていないんだ、ということであった。インドにおけ るチャンドラ・ボースの人気は絶大なものがあるそうで、チャ ンドラ・ボースは台湾では死んでいない、その後も生き続 けたと信じている人はたくさんいたと聞いている。  第二次大戦後の極東国際軍事裁判において、インド人・ パール判事が被告人全員無罪を主張し、日本人の心に強く 印象を与えた話は有名だが、戦後、インドは随分と日本に 好意的に接してくれている。

 まず思い出されるのは、インド象のインディラの来日で ある。第二次大戦中に上野動物園の象は殺処分されてし まったが、戦後、東京で象を見たいという日本の子供達の 声がわきあがる。これが当時のインドのネルー首相の耳に 届き、1949 年 9 月、インドからメスのインド象 1 頭が上野 動物園に寄贈された。名前は、ネルー首相が自身の一人娘 の名前をとって、インディラと名付けた。象のインディラ は上野動物園の人気者となり、日本の子供たちを大いに楽 しませた。1983 年に亡くなるまで 30 年余にわたり、日印 友好のシンボル的な存在として活躍している。

 なお、ネルー首相の娘インディラ(インディラ・ガンジー) は、父の跡を継いで政治家になり、2 度にわたってインド の首相を務めている(図4)。不幸なことに、彼女は1984 年 に自身の警護官の手にかかり暗殺された。

 全くの余談にはなるが、インディラには二人の息子がいた ものの、彼らも短命に終わる。当初後継者と目された次男の サンジャイは、政界入りしたが、1980 年に自身の操縦する 軽飛行機の事故で落命する。長男のラジブは航空会社のパ イロットとなり、イタリア人のソニアと結婚するなど、イン ド政界とは距離を置いて暮らしていたが、サンジャイの死に よって政界入りし、母インディラの暗殺後に跡を継ぐように 首相の座に着いた。しかし、ラジブもまた1991年の総選挙 での遊説の最中に自爆テロの標的とされ、暗殺される。この ラジブの暗殺事件は、自分がインドに在勤している最中に起 こったもので、そのときの衝撃は今でも忘れることができな い。インド全土に戒厳令が布かれて交通手段が麻痺するな ど生活に大きな影響が出たが、新聞各紙が数日に亘ってラジ ブの爆殺された凄惨な遺体の写真を1面カラーで掲載したの には閉口した。しばらくは夢見が悪かったことを覚えている。  話を元に戻して、カバディ、セパタクローなどアジアに 固有のスポーツ競技を採用していることで知られるアジア 競技大会は、第二次大戦後にスタートした。その第1回は、 1951年3月にインドのニューデリーで開催されている(図5)。 第1回大会の参加国数は11、競技数はわずかに6 種であっ

たが、そこには日本も参加していた。

 一方、日本がサンフランシスコ講和条約に署名したのは、 それより後の1951 年 9月8日。それが発効したのは、翌年 の 4 月28日のことだ。つまり、インドで第 1回アジア競技 大会が開催されたときには、日本はまだ主権を回復してい なかったのである。そんな日本がアジア競技大会に参加で きたのは、主催国であったインドの好意的な配慮があった からだと聞いた。日本はその第1回アジア競技大会において、 金メダル 24 個を含め、参加国中一番多い 59 個のメダルを 獲得する。戦後からの立ち直りを目指す日本国民には、大 いに力づけられる国際大会であったろうと思う。

 昭和30年代にインドに留学した人の話を聞いたことがあ るが、その人の目にはインドは素晴らしい先進国と映った そうだ。インド航空も当時は世界屈指の航空会社と羨望の まなざしで見られていた。都市で下水道が完備されている ことも驚きだったという。戦後からしばらくの間は、イン ドは日本の兄貴分のような存在だったように思えてならな い。それがいつの間にか弟の方が発展を遂げてしまったと いうところだろうか。ただ、それでインドは気分を悪くす るでもなく、真摯に日本に学びたいと言っている。  結局自分はインドで修行することも、またインドからあ りがたい教典を持ち帰ることもなかった。でも、インドと いう国の奥深さ、またインド人の心の奥底に流れる日本人 への好意的な感情は身をもって体験することができた。偉 大なるインドとわが国の関係がこれからさらに一層緊密な ものになっていけるよう、心から祈っている。

(これまで5年間にわたりお付き合いいただきましたが、今回にて 本連載は終了させていただきます。これまでのご厚情に心から感 謝申し上げます。)

【図3】インド象。野生動物記念切手5 種のうちの1枚。1963年10月7日発行 (ギボンズ#474)

【図5】第1回アジア競技大会 開催記念切手2種のうちの1 枚。背景の地図を見ると、 日本は端の方にかろうじて 描かれているが、かなり形 が不正確。残念! 1951年3 月4日発行(ギボンズ#335) 【図4】インディラ・ガンジー首相。暗殺

参照

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