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羅森の扇面詩について : 史料紹介

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(1)Title. 羅森の扇面詩について : 史料紹介. Author(s). 鳴海, 雅哉. Citation. 札幌国語研究, 14: 13-23. Issue Date. 2009. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2523. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 雁森の扇面詩について. ンターネットで公開されている。その説明によると、資料室に. −史料紹介−. あった。. ある写真は大正六 ︵一九一七︶年に損影されたもので、﹁安政. ﹁羅森詩扇﹂は、北海道大学北方資料室に写真が現存し、イ. 二〇〇六年二月、函館工業高等専門学校の中村和之教授に紹. はじめに. 介されて、松前町教育委員会文化教育グループ参事︵当時︶ 久. これは誤りで、正しくは安改元︵一八五四︶ 年となるはずであ. 六年松前勘解内に贈る﹂とある。安政六年は一人五九年だが、. る。これについては後述する。この写真版は、拡大すれば文字. 保泰氏のもとを訪れ、そこで二面の扇を見る機会があった。一 明︶ の漢詩が昏かれた扇であり、もう一面は、同じく通訳とし. が判読できるが、テキスト化はされていない。. 面は、ペリ1の里⋮船艦隊に通訳として同行した羅森 ︵生没年不. てペリーに同行した米国人宣教師ウィリアムス︵s.w.wi≡ams︶. などに教室を持つ、中日会話学院の鄭青紫学院長である。羅森. ︵1︶. ﹁羅森詩扇﹂の字を読み取り、訓読して発表したのが、横浜. は、羅森の詩が書かれた扇を﹁羅森詩扇L、羅森がウィリアム. ある。後述︶、﹁羅森文扇﹂には触れない。従って、﹁羅森文扇﹂. の業績を紹介する中で引用しているが ︵ただし、一部の誤りが. が香いた英文と、羅森の漠訳が書かれた扇である ︵なお本稿で スの英文を漢訳した扇は﹁羅森文扇﹂と呼ぶこととする︶。こ かけゆ. それに関わる資料を交えて、彼の残した扇に書かれた漢詩と漠. 究は、一部に留まっていると言える。ここでは、羅森の経歴と. 以上のように、松前町が保管している羅森の扇についての研. については、未だ世間に知られてはいない。. れは、ペリーが艦隊をひきいて松前に来た際、直接応対の任に 当たった松前勘解由に贈られた物で、ともに文末に勘解由の名 久保氏によると、松前町教育委員会はこれらの扇を保管して. が記されている。. はいるものの、特に調査研究がなされてはいないとのことで. 13.

(3) できるので、自身の補佐としての技量を期待したものと思われ. たのだろう。またウイリアムスと羅森とは英語と中国語で会話. る。このようにして、羅森は第二回ペリー来航に同行すること. 文を読むことによって、幕末に来日した一人の中国人の文学的. 羅森の足跡と羅森筆扇の由来. 素養の一端を見ていこうと思う。. 一. 一八五四年三月に、ペリーは開国を求める米国のフィルモア. となった。. 箱館の二港が開港されることとなった。条約締結後、米国東イ. ■1▲、. 羅森、字は尚喬は広東省南海県の人である。その足跡も詳細. ンド艦隊は、五月には早くも箱館に入港した。先述したように. して結ばれたのが﹁日米和親条約﹂ である。その結果、下田と. 彼は若いときにアヘン戦争に従軍したという。戦争が終結し. 箱鋸入港時、対米交渉の松前薄例窓口は、家老だった松前勘解. 大統領の親書の返事を求めて再び日本を訪れた。その圧力に屈. た後、香港に赴き、英米の宣教師たちに中国語を教えることと. は伝えられていないが、先行研究を基にして、簡単に羅森の生. なった。その繚で宣教師たちと知り合い、彼もまた英語を習得. 由である。彼は藩主名代としてペリー提督ら艦隊幹部に応対し、. 涯をたどってみよう。. することができた。米国人宣教師で、後にペリー艦隊の通訳と. わっている。乗組員が自由に行動できることを要求する米国側. ︵3︶. その模様を伝えるのに、﹁コンニャク問答﹂という言葉が伝. て、侃々碍々の交渉が行われたと伝えられている。. の折りに、米国側の通訳を担当したのが羅森であり、彼を介し. 艦隊乗組員の箱館上陸についての条件等の交渉に当たった。そ. ここで、ウィリアムスについても触れておこう。ウィリアム. なるウィリアムスと親交を持ち始めたのもこの頃である。 スは一人三三年に中国へ渡った。そこで出会った漂流民である. に対し、のらりくらりとその主張をかわし、制限を設けるべき. 日本人水夫から、日本語を学んだという。また、広州で印刷所 を開き、雑誌﹁中国叢報﹂編集の手助けをしていたことから、. であるとの主張を変えない断固とした勘解由の態度が、この言. やウィリアムスにとっては、筋の通った日本人として写ったの. わたって接することとなり、気心が通じたのかもしれず、羅森. ただし、そうした手強い交渉相手だったからこそ、複数回に. 交渉であったことだろう。. 葉で表現されている。少なくとも、羅森にとって容易ではない. 中国語に通ずるようになった。こうした経緯があって一八五三 第一回のペリー来航時に通訳として日本を訪れたウィリアム. 年の第一回ペリー来航の通訳として用いられたようである。 スは、自身の.日本語能力の不足を感じたのであろう。第二回の る。日本人水夫から教わった片言の日本語では十分な通訳がで. だろう。この交渉による交流があったからこそ、彼らが箱館を. 来日の際には、香港で交流のあった羅森に同行をもちかけてい. ならば漢字で日本人とコミュニケーションが図れるものと考え. きないのは当然である。ただし、日本では漢字が使われ、羅森. 14.

(4) て、前述の北大北方資料室の、安政大牢に贈られたという記録. 去るにあたり、勘解由に敬意を表して扇を贈ったのである。従っ は、誤りである。 こうして、羅森筆の扇が松前に残されることになった。. 二 ﹁羅森詩扇﹂ について では、羅森筆の扇には、どのような文章が苦かれているのだ ろうか。ここではまず、扇に善かれたとおりに文章を示し、そ の上で、適切な形に直して提示する︵/は改行部分︶。まずは﹁羅. しているため、ここでは原文は旧字体に、啓き下し文は新字体. 森詩扇﹂から見てみよう。扇の漢字は、さまざまな字体が混在. に統一する。︵写真1参照︶. 火船既向革西東/此日登程/弄色融歴貿暦山/情不悉造/ 鯨衝宜浪快如/奮鵠振高/風月明達照琉球/島雪白横/堆日. 着直海目無窄撃/輪飛出蒼/浜外一舵軽浮浩/蕩中勢若/騎 本峰身塩瀬/然於天地/唯輿知音訴己東/両国横洛/曾欣情 一類同解/冠稲穂儀/侃創羨英雄共謀/儒杯義和/懐奏鼓錦. 甲寅夏五月書一缶/大夫勘解由政. 成規歓/欒徳被永/無窮 廣東羅森 これは、七言古詩一首、五言絶句に近い破格の詩一首からなっ ている。以下旬ごとに改行して示そう。.

(5) 火船駿向卑西東 層山を歴覧すれば情は尽きず. 此の日 程に登らんとすれば 雰色融る. 火船放せて向かう 身の西東 せいとお. 前述の郡学院長が公開している資料では、七言古詩の二旬日. 贋東羅森. 此日登程帝色融. ﹁葬﹂を﹁雲﹂、t二句目﹁屠Lを﹁唐﹂、四句目﹁窄﹂を﹁窮﹂、. えつ. 歴覚唐山情不義. 遥かに巨海を看れば 日 窄まり無し. きわ. 邁看亘海自無智. 双輪 飛び出だす 蒼漠の外. 以下、簡単に語釈を示してから、一編を訳してみよう。﹁火船﹂ は蒸気船のこと。﹁卑﹂は古代の百卑のことで、現在の広東省・. 十二旬日﹁於﹂を﹁干﹂、五言詩の末文﹁成規﹂を﹁盛幌﹂と している。誤読であろう。. 撃輪飛出蒼漠外 一舵 軽く浮かぶ 浩蕩の中 快きこと智鶴の高風に振るうが如し. の. 一舵軽浮浩蕩中 勢いは鯨に騎りて巨浪を衝くが若く はや. 勢若騎鯨祷亘浪 月は明らかにして 遠く琉球島を照らし. 転させて前に進む。﹁蒼瞑﹂は青々とした海のこと。﹁浩蕩﹂は. 快如奮鶴振高風 月明速照琉球島. 雪は白くして 横ざまに日本峰に推し. 広西チワン族自治区の両地域をいう。﹁双輪﹂は蒸気船の両側 にある、推進器としての外輪のこと。蒸気船は機関で外輪を回. 雪白横唯口本峰. 身は覚ゆ 天地に秒然として. 水の広々としたさまをいう。﹁騎鯨﹂は鯨に乗ることで、大海. 寅﹂は一八五四年。﹁大夫﹂は広く官位のある者に対する尊称。. まごころ. 横浜に会し. に浮かび遊ぶことをいう。﹁砂然﹂はきわまりなく広いさま。﹁甲 両国横演台 両国. ﹁政﹂は、ここでは﹁政せられんことを﹂と訓読し、﹁ご批正. いるように揺れる。まるで鯨に乗って大波にぶつかるような. が尽きず、これから向かう先、日本に向かう海上を見やると、 視界は窮まることがない。外輪を持つ蒸気船は、青い大海へ と飛び出していくようで、梶を切れば、大海に軽々と浮いて. 乗船する日、出航する日の空は、雲一つない晴天である。船 上から中国の山々を自をこらして眺めれば、さまざまな感慨. 蒸気船が勢いよく私の住んでいた広東にやってきた。私が. を願う﹂という意味で解釈した。. 〓顆に同じ. とを。. Tエ. 薦大夫勘解由。政。 大夫勘解由の為にす。政せられんこ. 甲寅夏五月普。 甲寅夏五月蕃す。. きのえとら. なるを. 成規歓楽徳被永無窮 成な規う 歓楽・徳被の永く無窮. うかが. 和博奏鼓鐸 懐を和やかに㌦て鼓鐘を奏す. おもい. 共説停杯蓋 共に杯蓋を伝うるを説び. 侃創蓑英雄 剣を偲びては英雄を蓑む. 解冠稲穂儀 冠を解きては礼儀を称し. 欣情一類同 欣情. うずたか. 身覚砂然於天地. 唯だ知音と己が衷を訴うるのみなると. ぴようぜん. 唯輿知音訴己衷. 16.

(6) 航の速さについては、典故を用いて表現されている。七旬日﹁騎. 行く勇ましい様子を表す言葉である。また、人旬日﹁膏顎﹂は、. 勢いであり、ミサゴを駆って強風のなかを羽ばたくように速. 明の邸雲育の﹁懐玉駅にて周年の姪邦俊に別る﹂詩の﹁青雲 ひゆう 膏顎を看るがごとく、白髪 非熊に悦づ﹂に基づき、立身出世. に騎る﹂に基づく。天子の狩猟のお供をした越人が魚を捕りに. に積もっている。この天地に比べ、耗が身がいかに小さいか. した者が活発に職務に励んでいるさまを表す言葉である。これ. 鯨﹂は、¶文選﹄巻八、揚雄﹁羽猟賦﹂に﹁巨鱗に乗り、京魚. を感じ、ただ同乗の友人に、自分の気持ちを語るのである。. らの典故を用いて、蒸気船が勢いよく海上を進むさまが描かれ. い。船上から見上げれば、月は暗略と、遠く琉球島を照らし、. 米日両国の、横浜における会合では、双方が歓びを共にし. 日本列島を見れば、真っ白な雪が日本で一番高い峰、富士山. た。宴にあたっては、帽子をぬいでくつろぎ、互いに礼儀正. ている。. 次にB詩は、六旬の五言句と九字の句からなる。九字の旬の. ︵5︶. しさを称え合ったものだし、楓刀に目をやっては昔の英雄を. 末尾が﹁窮﹂で、他の句の韻︵第二・四句末は上平声第一東韻、. 羨んだものである。そして、喜んで杯を交わし、和やかに音 楽を聞いたのだ。この場にいた皆は、歓楽や徳化が、長く続. 第六句末は第二冬韻︶ と通ずる。また、平灰も六旬日までは律. である。当時の日本の知識人階級である武士が漢詩にも通じて. 二首の詩とも、典故が確認できる部分はあるが、描写は平易. を祝い、今後の両国の関係を祈る心情が詠じられている。. が和やかにくつろいでいるさまが措かれると同時に、条約締結. 横浜での日米両国の宴会の模様が詠じられ、会に参加した皆. かである。. 字を加えれば五言律詩となり、羅森が一字を脱したことは明ら. 詩の形式にのっとっている。このことから、九字の旬にあと一. くことを感じとったのである。 甲貫︵一八五四年︶ 夏五月に書く。大夫勘解由殿へ。ご批 正願う。 広東羅森 便宜上、先の詩をA、後の詩をBとする。A詩は全十二句の 七言古詩で、第一二丁四・六・八・十二句末は上平声第一東 灰は、古詩であるが第十一句六宇目の﹁天﹂が合わないのみで. 嶺、第十句末の﹁峰﹂のみが上平声第二冬韻だが通用する。平. には容易に群解できただろう。. さて、﹁羅森詩扇﹂に書かれた二首の詩だが、実は似たよう. いたことを考えると、扇に苦かれた羅森の詩は、松前勘解由ら. な詩が、羅森の著作である﹁日本日記﹂に書かれている。次章. は漢詩の形式を熟知した知識人であったと言えよう。 さてA諸には、香港から日本に向かう羅森の心情と、乗って. あり、それ以外の部分は近体詩の形式にのっとっている。羅森. いる蒸気船の様子が描かれている。特に羅森の乗る蒸気船の巡. 17.

(7) 歴覚螺峰情不蓋. 此日揚帆碧鏡中. 火船飛出卑之東. 双輪 浪を撥ぬること奔馬の如く. 遥かに蚊室を曙れば興は窮まり無し. 螺峰を歴覧すれば情は尽きず. 此の日 帆を揚ぐるは碧鏡の中. 火船飛びて出づ卑の東. ではそれらを参照しながら、羅森の詩作について考えたい。. 造暗蚊室興無窮. 三 ﹁日本日記﹂所載の漢詩について 一八五四年、ペリー艦隊に同行した羅森は、同年七月に広東. 讐斡撥浪如奔馬 漫道騎鯨沖巨浪. 一舵分流若秋虹. かじかんちん. 香港英草書院から刊行されていた﹁退避貰珍﹂という雑誌に寄. に戻った。彼は、この日本への旅を﹁日本日記﹂としてまとめ、 稿し、一八五四年一一月号から翌年の一月号にかけて連載され ︵6︶. 一舵 流れを分かつこと批虹の若し. 漫に通う 鯨に勝りて巨浪に沖ばん. みだり. と. 誇るを休めよ 鶴に跨りて長風に振る 琉球乍別雲方散. 暫く一身を天地の外に寄すれば. 日本 初めて臨んで雪は正に融く. 琉球 乍ち別れて雲は方に散じ. たちま. 日本初臨写正融. 、つと. 暫寄一身天地外. 知音 柳か与に離衷を訴えん. 条約を締結した後、下田からさらに箱館へ行き、下田へ戻り、. 以下、簡単に語釈を示そう。﹁碧鏡﹂は濃い青色の鏡。ここ. 書いて贈り、それに羅森が答えた詩である。. んで平山が、王維の﹁元二の安西に使いするを送る﹂詩を扇に. 安間純之進という人物が、羅森を訪ねて江戸から来、別れに臨. この詩は、ペリー一行が箱館に着いて数日後、平山謙二郎と. こすという。﹁耽虹﹂は光る虹。. 蚊の棲む所の意。蛭は竜の一棟で四足があり、よく大水を起. みずち. では海の青さをいう。﹁螺峰﹂は巻き貝のような山。﹁蚊重しは. ことがわかる。香港を出発してから、琉球に立ち寄り、横浜で. ﹁日本日記﹂には、羅森がペリーの艦隊に同行した際の、日 本の風俗や文化、日本人との交流の模様、これらに関わる羅森. 知音御輿訴離衷. 休誇跨鶴振長風. た。我が国には、大正四 ︵一九一五︶年、江戸旧事来訪会発行 ︵7︶. の雑誌﹁江戸﹂に原文が掲載されて伝わった。戦後、筑摩葦房 から﹃外国人の見た日本﹄が刊行され、その中にこの﹁日本日 記﹂ の訳文が収められている。中国では王暁秋編﹃早期日本好. と. の感慨が記されており、幕末史を考えるには重要な史料である. ;ヱ 記五種b中に収められている。. み. 琉球を経て、寧波・福州・屠門へ帰っていく。この記述はペリー ることなく行動していることもわかる。. 艦隊の動向とまったく同じであり、羅森がペリー一行から離れ さて、この紀行の中に、羅森は四首の詩を残しており、﹁羅 森詩扇﹂と酷似した詩二首が記されている。 まず、﹁羅森詩扇﹂A詩と似る詩を以下に引く。全十l一句の 七言古詩である。. 18. や.

(8) 出発の状況に始まり、航行の勢い良さを述べ、琉球と日本の. 二首の詩とも、骨格が変わらず、一部の言葉が変わっている. る以外は、内容はほぼ同じである。. だけで、大意はほとんど変わらない。これは、﹁日本日記﹂中. 模様、天地と自身を対比しての心情描写へと続く内容は、﹁羅 森詩扇﹂A詩とほぼ同じである。韻も同じで、平灰も形式どお. に﹁︵横浜において︶毎毎多人語予録扇。一月之間、従某所請、 ことごと 不下五百余柄 ︵毎毎に人の予に扇に録するを請うもの多し。一. 次に、B詩と似る詩を引く。こちらはB詩と違い、五言律詩. りである。. 南開横濱含 冠を解きては礼儀を称し. 廃廣一類同じ. 両国 横浜の全. 扇に書くための基本の詩があり、求められるとその字句を少し. く先々で羅森が、多くの日本人に揮宅を求められたことから、. 間に、其の扇に写す所、千余柄を下らず︶。﹂とあるように、行. 下田一月之間、所写其扇、不下千余柄奏。︵予 下田の一月の. 月の間、其の請う所に従えば、五百余柄を下らず︶。﹂や﹁予干. 塵虞一類同 剣を侃びては英雄を羨む. である。. 解冠栴檀義. 幾香の悦意に和し. 董駕談/耳而姑勿論再者/本艦即/婿揚帆別往今有/煩言陳. 以快/積憤親/各邦風景而檜識/見但恐/煩言郎嘆不堪馬/. 未卜何時而/再合以/得追随几席領承/敦益哉/聴高山流水. 素企高風殊深仰/慕依懲/之誠恒切肺相聞/也芸格/揚帆. 直して提示する。︵写真2参照︶. らも扇に書かれたとおりに文章を示し、その上で、適切な形に. さて次に、もう一面の扇、﹁羅森文扇﹂を見てみよう。こち. 四 ﹁羅森文扇﹂ について. 羅森の来日時における活動の一端を示しているのである。. 以上のように、﹁羅森詩扇﹂ の二首と酷似した詩の存在は、. 変えて書いていたのだろう。. 楓剣羨英雄 殻は陳ぶ 太古の風. 楽は奏す 巴人の調. 和幾番悦意 立約 成功を告ぐ. な・り. 穀陳太古風. 欒奏巴人調. 立約告成功. ﹁躍虞﹂はよろこびたのしむこと。﹁巴人﹂は巴州 ︵四川︶ と同義。﹁幾番﹂は幾度もの意。ただし第七句は意味がとおり. 地方の人のことで、転じて卑俗な者、田舎者をいう。﹁穀﹂は﹁肴﹂ にくい。 ﹁日本日記﹂では、A詩に似る詩として引いたものよりも先. /子如後車囲戎有/船至此/所願重駕以民胞/物輿之/慢壷. に書かれている詩である。ペリー一行が横浜に到着し、条約を が同じで、平灰も形式どおりとなっている。頸聯の描写が異な. 締結し、その後の祝宴の様子を措く中に記される。こちらも韻. 19.

(9) 写真2 羅森文扁. 心力以照條/釣行事/此則国家之幅而/遠近官/民之覿慕於. 三景衛廉士. 萎駕/徳者探/也 甲貢夏五月雷鳥/大夫勘解由政. 素企高風殊探、仰素・依懲之誠、恒切肺腑聞也。姦将揚帆. 未卜。何時而再曾以得追随凡庸、領承致益哉。取高山流水以. 快積憤、親各邦風景而相識見。但恐煩言郡頂不堪焉出駕談耳。. 再者、本艦即絡揚帆別往、今有煩言陳子。如後重囲、戎有. 而姑勿論。. 船至此、所願、萎駕以民胞物輿之懐重心力、以照條約行事。. 甲寅夏五月寮。薦大夫勘解由。政。. こいねが. 20. 此則園家之帽、而遠近官民之戴慕於欝駕徳者探也。. 三畏衛廉士 もと. 素より高風を企うこと殊に深く、仰某・依恋の誠、恒に. 肺腑の間に切なり。姦に将に帆を揚げんとして未だ卜さず。. んや。高山の流水を聴きて以て積憤を快くし、各邦の風景を. 何れの時か再会して以て凡席に追随し、教益を領承するを得. しの. を尽くし、以て条約に照らして事を行なわれんことを。此れ. 至るもの有れば、祈願す、台駕 民胞物与の懐いを以て心力. 言の子に陳ぶること有り。如し後に亜ぐ国、或いは船の此に. つ. 再者、本艦は即ち将に帆を揚げて別れ往かんとして、今煩. さちに. ずるに堪えざるを恐るるのみ。枯らく論ずること勿かれ。. しば. 観て識見を増さんとせり。但だ煩言郡頸にして台鴛の為に談 ・∼..

(10) 則ち国家の福にして、遠近の官民の台駕の徳を戴慕すること. ろうか。貴下との交流によって、すぐれた見識をうかがい、. 宴席を共にし、多くのことを敢えていただくことになるのだ. れの時はやってくる︶。貴下には、いつの時にか、再会して. ある。どうぞ、そのことについては論ずることの無きように。. 葉が、貴下のお心を騒がしたのではないかと恐れるばかりで. を増やそうとしたものだった。ただし、私のわずらわしい言. 鬱々とした気持ちが晴れた。この地方の風俗を見ては、識見. 深ければなり。. 三景衛廉士 ︵サミュエル・ウィリアムス︶. 甲寅夏五月書す。大夫勘解由の為にす。政せられんことを。. 以下、簡単に語釈を示してから、一編を訳す。﹁高風﹂はす ぐれた人柄。ここでは松前勘解由の人柄を指す。﹁依恋﹂は、. もしも、この後、我が国に次ぐ国、あるいは異国船のこの地. れるのだが、いま、敢えて貴下に申し上げたいことがある。. さらに付け加えれば、本艦はそろそろ出航して、日本と別. 山流水﹂は、音楽のたくみなことのたとえ。ここでは、信頼に. に来たるものがあれば、貴下におかれては、国際的な視野を. 離れたくないという気持ちのこと。﹁凡席﹂は座席のこと。﹁高 足る人間とのうち解けた交流のことを言う。春秋時代、伯牙が. もって心を尽くし、我らとの条約の通りに事を行ってもらい. たいと願う次第である。このようなことをお願いするのは、. じとった故事による。﹁積憤﹂は長く心に留まった思い。﹁煩言﹂. 両国家の幸福につながり、そして両国の多くの民が、貴下の. 高山や流水のことを思って琴をかなでると、鍾子期がそれを感 は、争う言葉やくだくだしい言葉のこと。ここでは交渉におけ. 徳を深く敬い慕っているからなのだ。. 一八五四年夏五月に書く。大夫勘解由殿へ。ご批正願う。. いうこと。﹁台駕﹂は高貴な人の乗り物を指すが、ここでは松. サミュエル・ウィリアムス. る意見の対立を指す。﹁郡瑛﹂は、些細である、粗雑であると. 訓が無いため、ここでは﹁さらに﹂と読んだ。﹁民胞物与﹂は、. すでに述べたとおり、これは通訳・ウィリアムスの英文の漢. 前勘解由のこと。﹁再者Lは、近代中国語の接続語で、適切な 人民はすべて我が同胞であり、物はすべて我が仲間である、の ︵9︺. 意。例えば、北宋の張載の ﹃西銘﹄ にも同義の言葉がある。. の英文は左の部分にあるが、実物を精査しても判読できないほ. 訳である。写真2に示した扇の右の部分になる。ウィリアムス. の内容は漢訳文によって知るほかはない。. ど、色あせている。従って、対訳のできない状態であり、英文. もともと貴下 ︵松前勘解由︶ のすぐれた人柄にはまことに に心の中では切実であった。さて、我々は近く出航すること. ﹁羅森文扇﹂に善かれた内容は、前段で松前藩側担当者の桧. 深く感じ入っていた。貴下を仰ぎ慕い、別れ難い心は、つね になるのだが、まだいつかは決めていない。︵しかし必ず別. 21.

(11) 前勘解由に対する感謝を述べ、後段で今後の外交についての願 望を述べている。特に、勘解由との交流を、﹁高山流水﹂ の故. トで公開している。. ︵2︶ 王暁秋﹁函館へはじめて来た中国人羅森とその著書﹃日. 期﹂ ︵﹁外交フォーラム﹂都市出版、二〇〇六年三月︶、. 日中交流の先駆者・羅森−中国における日本観転換の画. こだて﹂第五号、一九八七年五月︶、王敏﹁忘れられた. とを求めている。ウィリアムスの英文が、上記の故事を踏まえ. 王暁秋﹁幕末の日米条約交渉に立ち会った中国人羅森−. 本日記﹄ について﹂ ︵函館市史編さん室﹁地域史研究は. ているとは考えにくいから、羅森は英文の内容に応じて、巧み. 事を用いて、伯牙と鐘子期の関係になぞらえているし、﹁民胞. に中国の故事を援用して尊いたのであろう。羅森が中国古典の. 物与﹂という青葉を用いて、勘解由が柔軟な外交姿勢をとるこ. 教養をもつ知識人であったということが改めて確認できる。. ︵日本大学国際関係学部中国情報センター、﹁現代中国. Ⅲ年前の東アジア史における利他行為の一例として−﹂. おける羅森の位置についての説明がされている。羅森の. 事情﹂第二号、t一〇〇七年一月︶ には、日本近代史に. 現在知られる羅森筆の扇は、本稿に引いた二面のみである。. に詳しい。. 生涯や、外交史における存在についての説明は、そちら. おわりに. しかしこれらの詩は、日本の外交史上の重要なポイントに立ち. ︵6︶ 大正四 ︵一九一五︶年六月号から八月号にかけて連載. る﹁懐玉駅別周年姪邦俊﹂ である。. 凌漠。号は止山。ここで挙げた詩は ﹃北観集﹄巻一にあ. ︵5︶ 邸雲宥 ︵邸を丘に作るものもある︶ は、明の人。字は. ︵4︶ 未詳。仮に読んでおいたものである。. 七月︶. 来なかったら⋮﹄ ︵五接郭タワー株式会社、二〇〇二年. ︵3︶ 井上能孝﹃箱館英学見て歩き候−もし箱館に黒船が. 会った交渉の当事者同士の生々しい人間関係を詠じているとい う点で、価値があるだろう。 さらに措辞の面から言えば、中国の故事を織り交ぜた詩文が、 日中の共通した知識基盤となっていたことを確認できたという 点でも意義があろう。 注 ︵1︶ 郡民は、平成一九年七月l〓日に、横浜国立大学の公 シリーズの一環として、横浜市内の保土ヶ谷公会堂で﹁中. 開講座﹁中国の社会・文化と日本−過去・現在・未来﹂. の ﹁日本日記﹂には当たれなかった。本稿における﹁日. 本日記﹂引用はこれに依った。. された。毎月一回の出版だった。筆者は香港英華酋院版. の﹃助っ人﹄﹂と題して講演を行い、内容をインターネッ. 国人羅森の事跡−近代日中文化交流の先駆者・安政開国. 22.

(12) ︵7︶ 羅森の﹁日本日記﹂は﹃外国人の見た日本﹄第二巻︵岡 田章雄編、一九六一年七月、筑摩書房︶ に収められてい. る。この訳文中には、本稿で取り上げた漢詩を訓読文で ているところがある。. 引用しているが、所々字が違っていたり、訓読を省略し ︵8︶ 王暁秋点、史鵬校、湖南人民出版社、一九八三年三月。. 同胞にして、物は吾が与なり︶。﹂とある。. ︵9︶ 張載の ¶西銘﹄ に、﹁民吾同胞、物音与也 ︵民は吾が.

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