バルハットの本生図像について(その二)
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(2) . 第1 4巻. 第 1 号. 北海道学芸大学紀要 (第一部A). 昭和38年7月. バ ル ハ ッ ト の 本 生 図 像 に つ い て (そのニ) 江. 口. 正. 雄. 北海道学芸大学釧路分校国語国文教室. ~1asaO EGt f 丁CHI; The lmages o. Jatakasin Bharhut (Par t2 ). 六. 牙・ 白. 象. 本. 生. パ ル ハ ッ ト欄 楯 柱 円 型 浮彫 題 銘は 刻 記 さ れ て いる そ れ に 拠 る と Chadamt i ya‐Jataka と あ . . )即 ちJat C h d d り,註 4 k 5 1 t t ‐絹 aka No a a a n a a に相違な い . .. 牙 白. 菓 嵩 像. . 既に極めて著名な説話であり, 且叉多くの作例を東亜 各地に於 いて見ることが出来るため, また従って之等に関す る調査研究も. 通称五百五十と ・ぅ数多くの本生説話中際立って十分に為されて いる。. 註) 小野玄妙; 仏教美術講話では chhadan t i J とあるも恐らくこれはミ - ya スプリントであろう. 敢えて誤りと指摘するにも当らないが.. 試みにその二三を挙げてみよう. バルハット浮彫については. A, Cunningham; The stnpa of Bharhut at e XXV1 . p .61 . P1 ,6 ア マ ラ ヴ ア テ イ ー 彫刻 A. Foucher; The Beg inni f d d A i t rt s ng o Bu h , ア ジ ヤソ タ ー壁 画 J i伍ths; The Paintingsi t Cave Templ n the Buddhi a 37, Fi s esof Aiant 73) . Gr g ,(p . .. 小野玄妙; 仏教美術講話, 解説. 逸 見 梅 栄; 印 度 古 代 美 術. p ] at e 24 .207, P1 , 、. 内藤藤一郎; 日 に仏 教 絵 画 史 ・ 飛 鳥 篇. p,31~48. 等その主なるものである. いま是等を参照しつつ凡そ以下の様にまとめてみよう, この説話の典拠をミ 英訳経典のうちより求めると次に並記するように甚だ多 い.. 六度集経巻四, 28 . 大荘厳論経巻十1& 1 , 69 .. 失訳雑讐輪経巻上. 9 . 雑宝蔵経巻二 (六牙白象縁). 大智度論巻十二巻九十三 塵詞僧紙律巻二 (大正蔵経第二十二巻 p,204) 説一切有部薬事巻十五 (大正蔵経第二十四巻 p,71) 大方向十輪経巻四.. - 55 -.
(3) . 江. ロ. 正. 雄. 大乗大集地蔵十輪経巻四.. 宝積経巻八. 大唐西域記巻七,. 等 が あ る,. 南伝では 短ヒaka. No. 5 14. は勿論の こ と,. Kalpadrun d5nakathパ t ’a‐vadanam 副a や Ja aka-Ni. f ~ l rs Ed (Fausb . p.45)に も 記 さ れ る. い ま こ れ ら 一 々 を 対 比 す る 余 裕 は 持 たな い が, , .1 , Vol. 説話の本筋は異らな いにしても多くの脚色が夫たに作されているので細事は甚だ多岐に渉り, そ. の異同の指摘も容易ではな い, 唯, しかしこの異同ある内容と数多い経律典拠とを対比せしめ仔 細に検討するな らば本生説話発達の経路を辿ることができるわけで重大な意義がある. 然し乍ら 本題の研究目標からは逸れて了うためこの点につ いては他日稿を 改めて論究することとする. 一体, 象に関する本生説話は その数が多い.. iataka の中から抽出してみると 象を取り扱った説話は六牙白象本 生を筆頭に凡そ十二の説話 ,. が あ る,. その中, 最も人口に脂炎し, 且時代を逐い, 地方に伝えられ, 美術に表現せられたものを求む ればフ 牙白象本生位多くの人々に親しま れ, また永い時代を愛されて来たものは外にはない. 図像に表現された作例の方からみても以下その 遺蹟 を挙げることで納得がいこう.. サンチ ー塔門の彫刻 ア マ ラ ヴア テ イ ー 欄 楯 円 型 浮 彫 ア ジ ャ ン タ - No . 10. 窟壁画. No .17 窟 壁 画 ガン ダ ー ラ フ リ ← ズ 浮 彫. 亀紘キジル壁画 ボロ ブ ドゥル第二廻廊浮彫 等 こ れ で あ る.. 前 にふれたように説話は夫々の典拠に より枝葉があり, 脚色が施されているため同一でないが. 説話の あらすじは斯うである.. よく繁茂した森の中, 美しい蓮池の畔, 大尼約律樹の下に六 牙を持つ白象王が多くの象群をつ れて棲んでいた. 或日, 美しく咲き綻ん だ沙羅の ,樹の下で, 遊び戯れて鼻でその枝を打ったとこ ろ, 風上にいた小夫人の頭には枯枝が落ち, 風下にいた大夫人の頭上には美しい花が散りおちて 愈々美しく見えた, これを根にもった小夫人は, かてて加えて白象王が一茎の蓮花をとって大夫 人に与えたのをみて嫉妬の心にかき 立てられた小夫人は必ず再生して この怨みを 報ぜんと誓って 悶死した. 誓いの通り小夫人は, 人間界に再生し王妃となっ た. 王妃は王に森の中の白象主の六牙を請う た. これは宿怨を報ぜんが為である. 頑健で醜悪な猟師は慾の ために苦辛して白象王の場所に来り, 象王が正法の帰依者なることを 奇貨として, 聖者の標識たる袈裟を被て象王に近 づき毒箭で射た. 敬 度な象王は毒箭に廃れフ 牙 を 切 り と る}こ任 せ た.. 猟師は帰城して六牙を献上した. しかし王妃はその六牙を見るや, にわかに血を 吐いて死んで しまう. 悪業の帰結はかくも恐ろしいものであると因果応報の理と女性の妬心の劇しきを訓した もので当時の人々に親しまれ た説話であり, また従って絵画彫刻の好題材とされたものである, 56 一.
(4) . バルハットの水生図像について (そのニ). 言うまでもなく象王は釈尊, 猟師は提婆達多, 王妃はある悪徳比丘尼であ る。 勾律樹の下の象の一群, 大夫人の頭に美しい姿羅の 花が散り落 ち た と こ 構図は円型の中に尼ゴ ろ. フ 牙を猟師に鋸で切らしている. 象王猟師が傍らに弓箭を置いて及び腰で牙を切りとってい るところは最も動的な表現で巧みである. 総じて二契の簡単な図で画き, 説話の推移は恐らく説 明者の補足があって理解せしめられたものであろう. もっとも余りにも脂炎している物語りであ. ったから或いは観者はいきなり図像に接しただけで理解したかも知れないが, 兎に角全 体として は説明的要素が欠けていて舌足らずの本生図像である. これを他の作例についてみると, かなりの相違がある, 即ち, サソチ←では南, 北, 西の各門 に図せられているが南門のものは就中美しく且構図は巧みであるし, アマラ ヴアテイーの浮彫は 同 じ い円 型 の ス ペ ース の 中 に三 景 乃 至 四 景 に 物 語 り の 全 体 を 防御 せ し め, ま た ア ジ ャン タ ‐ No ,. 1 0窟の壁画は30駅に及ぶ間に最も詳細に渉って画いているが, これらを併せ考えると唯単にその. 図像に対する信者の理解度に応じて作ったものとは言い切れないし, 他の種々な要因があったに. 相違な い,. 他の図像の場合にも説明に及んだが, 奉献者の財産, 地位, 権力等がいろいろの貌で影響 し作 用して現図として製作されたと見るべきであろう. 皮. 衣. 者. 本. 生. 図. 像. 欄 楯 笠 石 の 浮 彫 で あ る が 二 面 が あ る. (こ こで は 仮 に A, B と す る) 記 銘 は 無 い が, Jataka の No taka な る こ と は 先賢 の 指 摘 さ れ る と こ ろ で 異 論 は な い. aka Ja .324. Cammasat 干鍔博士の論著の中に Cammataka とあり 典拠として摩詞憎紙棟巻三が挙げられておるが冠). , hu 本生経類の思想史的研究, 附篇, Bha t 彫 刻. p.5, r これは脱字であろう. また憎紙律巻三には当該説話がないし同時に頁も指示せられているので. 巻 二 の ミ ス プ リ ン ト に 違 いな い,. 皮衣 者本生 図 像. 僧眠律巻二 (大正蔵経第二十二巻 p.242) に よ る と, 圭還時道由咳野経放牧処, 見 過去世時有二婆羅門, 往南天竺, 学外道経諭, 学己還其本国, 当ま ‘愚直信, 語後半言, 看是抵羊四脚之獣而 二抵羊当道共闘, 羊相触法, 将前而更却, 時ぞE前行者寺 ま門, 汝莫軽信言 用議譲, 知我婆羅門特戒多聞, 数数為我却行闇路, 後伴答言, 婆羅 胃羊有識, 此非 相重開路相避, 羊闘之法, 将前而更却, 在前行者不信其語, 為羊所触即時絶倒, 傷破両膝悶絶蹄 地, 衣服傘蓋裂壊蕩尽, 彼時有天而説 陽言, 衣服裂壊尽. 湖畔地 体傷!. 此患嬢所オ ; 罷. ≠ 折由愚信故 -5 7-.
(5) . 江. ロ. 正. 雄. Jataka の説話内容は大同小異 である.. 即ち, 往昔, ベナ レスの町に一人の皮衣を着た婆羅門が居り, 市中を行乞しての途次, 侭々二頭 の牡 羊が角つき合って格闘しているところに通りかかった.. 一頭の羊が次の角突き 合せのため頭を垂れて後ろに退くのを見た 卿ま 羊さえ 己れに敬意 を表 し. 低頭しているものと得意 になった, そこに通りあわせた賢明な一商人は外見のみ信じたところで. 何にもならな いと諭えたが, 間一髪, 疾風の如く突進して来た羊に, 今しも羊を称えていた婆羅 門の腰のあたり, 一発グワソと角づきを喰らわせた. 腰くだけ, 一却梨の荷はとび散り, 婆羅門の全ての粥は失なわれぬ, 腕さし伸べてひた嘆き と 陽 に も 類 わ れ る. に嘆けどせんなく, ついに 突進 と一途の羊に行者はつき殺され果てぬ 成程両者を対比してみると J鴎aka に載せられる説話は単純でむしろ本生話の性格をさえ失っ て い る 感 が あ る.. 言 うな ら ば 短t aka を祖先型として之を発展せしめたもの が僧紙律の説話であろう.. 確かに僧砥律の説話は一読以って了解せられるところであるが, 院衣者の話より転じて過去世 に於ける讐壕を本生説話の型 式に充当 して現世に於いて, 軽信を為す擬人も実は過去世に於いて. も同じ い性格を持っていて, 因果律によって現世に於 いても改められていないということを強調 く しているもので, その引証として二抵羊の説話が続けられている. 理諭白 ブに更に展開させたもの. と見るべきではあるが, むしろこれは失敗であったろう. 図像についてみると, 笠石に A.B 二連の表現は笠石浮彫としては他 に例をみない. 石柱に四 段の角形スペ←ス を占めた比豆梨不那奇本生図が特例であるこ とは前稿に於いて説明したが, 笠. 石浮彫はスペースが他 に比して狭少である. その狭少を承知の上で 図像 を施した理由は他に十分. 考慮さるべきである. 笠石浮彫の場合一シ←ソに限定される可能性が多いが, =即ち一契図, か かる連続場面に於いても一画一契をとっている.. 即ち左図では一却梨の荷を担った皮衣の婆雛門が羊の態 を見て得意然となっている, 傍らには. 危難を避けよと商人が注意を喚起している部分を表 現している. 図. 右図では偶女のとおり婆羅門は羊の角突きに遭って顛倒している有様を描く, =即ち一面一契. つまり二面二契であるが, 他の笠石浮彫に画かれた本生説話と皮衣者本生説話の両者の園像の 彫刻されねばな らない比重というものを考えた場合, さして皮衣者本生説が二面を要するほ ど重. 大であるとは思えな い. 結局, 製作依頼者による指定とか好 悪とか寄進の財力に左右されただけ の も の で はな か ろ う か.. 仙 人 鹿 本 生 図 像 ラで, 記銘には lsimiga-Jataka (C.] 欄楯笠石に施された洋間 .15) と ある. 逸 見 博 士 が仙 人 鹿 註 ) こ博士は Ni ‐ 当でなかろうか, 干海 るが 仙鹿と訳すことの方がむしろ妥 本生として紹介されてい ) grodhamiga 鹿王本 生とされている 注 話 ) 逸見; 印度古代美術, 解説 p.209. … 1 言 ) 千鱒:本生紐類の思想史的研究, 附篇 J … .245索引.. Jataka では No ga j欲aka がそれで, この故に説話題名を変えられたのか ,12, Nigrodha mi. も知れな い.. - 58 一.
(6) . パルハットの本生図像について (その二) aka で ある の と, 記銘によるとの差異で, 本来いずれでも差支えあ 主 に 依 拠 す る と こ ろ が Jat る ま い.. 英訳経典には ¥ 、多く紹介されていて以下の如く典. 仙 人 鹿本. 拠 を 求 め る こ と が 出 来 る,. 出= 湿経巻十四 (逸). 生国像. 六度集経巻三 (逸) 西域記巻七 (逸)′ 六度集経巻十八 (千) フ. 度集経巻五十七 (千). 大荘厳論経巻十四, 70 , 堪讐1 道略集安 稔経, 20 ,. ) 仏水行経巻][(千) (大正蔵経第四巻 1 .89) J 大正蔵経第十五巻 度論巻十六 大挙 ( p ~ .178) 塵詞憎元 紙律巻一 (千) (大正蔵第二十二巻 p,230) 等 が あ る.. 1 言 ) (逸) (千) とあるは … ;典拠の紹介に於いて新しく (逸) は逸見梅栄博士により, (千) は千鍔竜祥博士に 依 る も の で あ る.. 野. 鶏. 本 生. 図. 像. ず da l i iと 鶏 a o主犯 aka と あ り, Bi 銘文には Bidala , Kukuta は 野 難 で あ る か ら 『ぞ , Kukuta i5t. と訳すべきか, 逸見; 印 度美術 史には 餅網【生・鶏本生」 と して いる の が そ れ で 訳 名 と しては多少 ぎこちないが, それでもよろしかろう. 説話の主人公は野難であるから表記の如く,. の本生. 」たが飽 ば で説話内容に伽処した に 拙題を着け. 雌 謝. 羅灘灘鰯鱈圏慶臓圃. F d この 本 生説 話 は西 伝 し て イ ソ ッ プ物語 中 の -, Dog , Cock and Fox, ま た ox an Cock と し. て古くから著名な説話であることは, いま舷に説くまでもない. 往昔, 第 尊 が前世に於いて菩薩の行 を修していた時, 野難の身を亨けて大叢林の中に栖み, 慈 心を行じていた. 同じ叢林中に棲む猫は性極めて凶 悪絞婚で野難の群れを一々喰いつく し, つい に残すは彼の野難一羽となって了つ た. やっとのことで最後の一羽を樹上に見つけ た猫は害心を抱きつつ も甘言を以って, 野難を誘惑 し己が妻となる べく, しきりに鑑悪勧説したが野難は猫の巧 言令色を見破り, 彼の下心を察して. よ く そ の 要 求 に 応 ず る こ とな く,. つ い に その 寿 を 全 う し た と い う 物 語 で, イ ソ ッ プ 物 語 の そ れ は.
(7) . 江. ロ. 正. 雄. 確 か に 同 巧 異 曲 で あ り, ま た こ こ に 淵 源 を 発 し て いる と 見 て よ い. A, Cunningham. I Iに紹介せられ 氏の The stnpa of Bharhat に 於 い て も p.77. P1ate XL VI. て い る と こ ろ で あ る.. 笠石に浮彫されていて図柄 は一契の簡単な描写である. すなわち, 樹上にある野難とそれを見 ! 声 上げている猫の図で, 左上樹上にいるの が野難, 右下方に購鋸するのが野考 iである. 癌の表現は. 極めて巧みで, 会話たけなわなる一景を描出する。 全体の構図も巧みであるが, ただ, 右上方の 図案化されたマヒ実 は繁瑳 まであり, 謂わば蛇足とも見られるべきであるが, 総じて印度彫刻に於け る満節の特質を遺憾なく備えているものと言ってよかろう. 善. 生. 本. 生. 図. 像. 支誠訳秀 肇讐除経巻四 (後襖月 支?朝勺支婁迦識訳, 大正蔵経第三巻本縁部 p.499. 4) に 昔 有賢 者 奉法精進, 得病奄亡, 妻子1蹄恋無跡有‘ に , 火葬収骨埋去既詑, 廃亡経道, 香燈不設, 家財隣富月. . 説話の原型は, 確かにこの点を強調していて, 仏教の諦観を教え, 信仰確立のよすがとするに む ′工好箇なものである. ただ鷲 ミし, 当時受容されたこの説話も説話のもつ 内容から推進すると, 生 死の問題はこの単調な主張だけでは漸がて民衆には納得させるだけの 教化力に不足が 生ずるとの 予想が生まれる. 大乗仏教の興起とともに, さらに説話には多少の潤色が加えられて行くものと見られる. 北伝. 稔経や衆経撰難” 徐につ いて 襖訳経典について照合してみれば明瞭であ る. 即ち前記の支譲訳雑讐1. みても容易に首肯し得るところである. ただこの際その潤色の度合いが問題となる. 即ちここで はその潤色の度合いは多くなく従って 漢訳経の成立期に於いては 比較的早期のものと判断される し, その内容と説話の原型とを比較研究することによって, 更に別の問題点が想定される, 印度古代期… バルハット期に於いて教化力をもった該説話はそのまま素直に北伝せず, 大乗興. 隆期に於し・ては, やや脚色の手が加わりより説話として洗練されはしたが夫山路を経過して流伝 噴い消滅して行ったもの と 思 料 せ ら れ しつつ ある間に それは発展せず却って中国本土に入るにi る。 図像の欠除等が逆 に その裏付けの証明となるであろう. 理由としては説話内容が中国の民衆に納得されるにしても説話のもつ説得力に稀薄であっ た 為 と, 説話のもつ単純性から来る飽満さが却って説話信仰 (本生信仰) を崩壊する要因となったも の で あ ろ う,. 図に就いてみると, 魔死した牛とその死牛 に草をみ ず かう童子, 童子の背後 に彼の父 を描き出 - 60 一.
(8) . バルハットの本生図像について (その二). している. 表現としては女廿何にも樺拙であるが細部についてみると, 童子の草飼う姿と童子 に訓 えられている父の姿態はとも によく, その彫刻も他のものと比すると細 かいながら巧みである. 物語りとしては単純であるから構図も容易で一契の型式を踏みまとまりをよくしている, と云う べ き で あ る,. ヤ ヴ・マ ッ ヂ ャ 力 本 生 図 像 欄 楯 柱 円 型 浮 彫, 銘 文 に はYavama ihaki akaで は No ya-痛ヒakaと あ る. 典 拠 を 求 む れ ばJat .546 ‐ l の MaL氏」mmagga (Ma ・ osadha賢 者本 生) が こ れ で, i英訳 で は 仏 説 菩. 薩本行経巻下 (失訳. 大正蔵第三巻本縁部上. p .119 , 中段) にはわず か摩休沙陀太子時, 以薬除衆生病, 復入大海得摩尼 珠, 復除衆生貧困,. dha 賢者を摩休沙 とのみ紹介さ れてい て説話を載せていない. Mahosa 陀太子とし慈悲行を積功したとのみである. 小乗に属するが根本説一切有部毘奈耶雑事巻二十七, 三蔵法師義浄泰. 制訳, 第六門第四子摂頒之余明大薬事, 同じく巻二十八, 第フ 門第四子 摂頒之余大薬には非常に詳細に渉って説話が展開している, 説話の題名ヤグマッヂヤカに就いては逸見博士は以下の如く説かれている.. ヤグマッ ヂヤカとは都市の城門外に接し, 製造販 売交易等の実業に従事する者が形成する部落. 乃至商市の義ならんと.. 237 図解説, 毘奈耶雑事巻二十七には主於- - 逸見梅栄; 印度古代美術 p 205. No 炭日出城遊観, . . …順に是某甲大臣所有…於此国中有一都処名E I満財 (弥 票落 居人並皆存問, 此等是謎所管封邑, 答…. 締羅城) 城内有人名ー ヨ円満, 当生一子号為大薬, 成立之後与王共理, 臨機制断無道不伏, 王権快 楽垂摸安神, 時王令使往満財城, 訪問円満為無とあり, 成程, 博士の説かれるところは首肯せし めら れ る も の が あ る.. 前掲書; 満財城を弥締羅城とする。 大正蔵. 前掲書 p. 335.. ただこの場合, 商売の市なることは明らかとなるが必ずしも城門外の商場を指してはいない. 古代印度に於ける城市の 日革を調べてみなければならないこと勿論である,. 博士の想定はこの点から導き出されたものであろう. 私はこの点については資料の持ち合せが ないため差控えなければならないが, 西域準アジヤ高原地帯及び夫山両路に発達したオア シス国 家群のあり方を勘考した場合, --たとえば是は飛躍した例証であるけれども中国諸都邑にあっ て城外特に正門外に商市の発達したことは大方の 日革で明らかであるところから類推が許さ れ て も よ い で あ ろ う,. 斬る商市が発達していた. 説話はここから始まる. 満財城 (弥締羅市) の四城門の外郊にはj ル 東門外の商市の豪商の予 マホーサダ (菩薩本行経では太子と表現するが, 太子は必ずしも王子. とか皇太子を意味しないことは他の漢訳に多く見ることが出来る) は極めて聡明であったので, その噂をきき知った国王は特に略して近侍させることとした,. 王の寵愛をうけるにつれ他の四人の輔相はその地位が奪われはしまいかと気が気でない. そこ で悪計を企み, 王の珍重する宝物を盗み出し, 他の品とともにマホーサダ (大薬) の家に届けさ せ, さて日を更えて王に陳白して大薬追捕の兵を差し向ける. 大薬は巧みに追捕の手をのがれ身を潜めると, 今度は四人の輔相は夫々大薬の美しい妻アマラ 1「 6.
(9) . 江. 口. 正. 雄. ト (不 死) に 目 を つ け何 と か し て も の に し よ う と 互 に 秘 し て 恋 文 を 送 り 気 を 惹 い て み る, ア マ ラ. ーからの返書を得た 輔相は夫々 勇躍してその家に出かけたが, と どのつまりは何れも頭を丸坊主 に 剃 ら れ,. 龍 の 中 に 閉 じ こ め ら れ て し ま う と い う とん だ 醜 態 を 演 ず る. 鯨 て ア マラ ← は そ の 四 つ. の龍と一緒に先に夫 を陥れんとして届けられた 王の宝物を王の前 に運 びその間の弓キ階を逐一 説 明 して美事に夫の無罪を証した.. に多く他にそ の例をみないが, そ at a547 説話中に非1潜む こ の 説 話 と 同 じ 係 類 に 属 す る も の は 短t. の何れもが賢者本生といい, 同巧異曲である. この点か ら類推して ゆくとその説話の祖先型は一 に発し, 時と場所とによってかく多岐に増えたものと考えられる. 即 ち,. iha No. 110. Sabbasamharaakpai. 賢者本生.. No ‐ adrabbapahha 賢者本生. .111. G. 賢者本生. 賢者本生.. No, 112. A maradevipanl la No. 170. Kakantaka. No. 1 1 i i l 92 {5 akanni 賢者本生, r .S. No apanha 賢 者 本 生, .350 , Devat No i iopanaka 賢者本生. .364 . Kha. No. 452 ipanha (Mahosadha) 賢 者 本 生. . Bhnr. No .471. Mendaka 賢者本生. i in No r landa 賢者本生. .500 .S No. 5 08. Panca-pandita. 賢者本生.. No ] 7. Dakarakkhasa 賢者本生. .5 .. 等が同じ系列のものとして考えられる.. ta iha toka . Katha- な お, こ の 外 に し つ こ く 言 い 寄 る 男 を 煽 し て 龍 に 閉 ぢ こ め た と い う 物 語 はVr 紹 ) に も 見 え て い る と 云 う が筆 者 は い ま だ 覧 て い な い の で, 言 及 を は ば か り 介 に と ど i t sar sagara註 め て 置 く.. )に も 見 え る tu註 マ ホ サ ダ ー (大 薬) と ア マ ラ ←(不 死)と の 出 会 い に つ い て の 物 語 は Mah5vas , ’ l hョsar i 註) Kat t s麺gara s ,2 vo , Towneys Tr .. i l ‐一97 s s1882 註) Mahavastu,Ed by Senart ,Par . ,3ro. 図 像 に つ い て み る と,. 1 賢一 契 の 構 図 で, 上 部 中 央 に nち クラ イ マ ッ ク ス の 場~ 説 話 の最 後 の 部 分F. 官相が 坐すは王, 右方円らな乳房をあらわす女性はアマラー, 下方魚鰹の如き三箇の龍には夫々輯 押し込められた態で, 龍の口に丸坊主の顔を正面に描き出している, アマラ←の姿勢はいま前後の事情を主に具陳しているところで, 比較的大きく画かれているの. は物語の性質から致し方もあるまいが, 本図が特 に他の図像と異っている点は主人公大薬即ち菩 薩の表現 がないことである. もっとも大楽が追捕の手を逃れて潜匿している間のことであるから 構図の上に容れる訳にもいかない. この点に関して仏身の表現を見ないのは無仏像期の証拠 であ るとか, 直接菩薩の相好を敢えて描出さなかつたものであるとかの意見は成り立たない. 斯うし. -契の た考察のなされる虞れはあるが, 而し当時の造像者にあっては極く自然に説話ととり組み- ばよい べきでは 言うまでもなく他の図像を併せ考えれ 構図をとったものでオ 需摩臆説はなす ない. の で あ る.. …- 62 ‐.
(10) . バルハットの本生図像について (その二). 鹿. の. 仔. 本. 生. 図. 像. 欄楯笠石浮彫, 記銘はない。 本図像はカニンガム氏では紹介されていないが, 逸見; 印度古代 美術にあっては図版 No,246 に 載 せ ら れ て い る. (p,131) 千鰐 博 士 は そ の 著 の う ち で Jataka No taka としてあるが直接同図 像についての論述はない. 従って逸見学説と gahotaka J5 ,372 Mi. して本図像を見るべきか,. 説 話 と して は Jat aka No. 372, Migapotaka 帝釈天本生話とするのが至当である. 類似の説話 N k は J3ta a o. 410. Somadatta 帝釈天本生がある.. 鱒熟 さ 刻 圃璽醜詳薦 鰹 議 盤 圏. 漢言 尺疎めると ’生経巻二 ’ 弟子過命経 ’及び. 経宅塾異相 券 四 十 七 に 類 似 の も の を 昇 ,出 す‐. きだと覚したので仙人は謙然とその非を悟った, と云う仏教の要諦たる生死 観を素朴な物語とし て い る,. 弟子過命経では, 説話は以下の様に展開する. 仏或るとき舎f 紡紙樹給孤独園に遊びたまい しとき,. 大比丘衆千二百五十人と一緒であった。 その. とき異比丘の弟子あり志性温雅, 功徳殊異, 意行仁賢, 至誠安隠, 恭順良謹まことに得難い弟子 であったが不幸にして 短命であった. 説話はここから始まり, 寿命の薄少なことについて比丘, 比丘尼, 清信士, 清信女等がその不幸に嘆き悲しんだカキ世尊は本生i説話を以って説教し給うた, 即 ち,. 雲母終 独仏世尊, 前世宿命, 亦復如是, 乃去往古久遠世時, 有異閑居, 一象生子, 堕地未久, ラ 亡, 去彼不遠, 仙人所処, 有上威神功徳具足, 志懐大哀, 遥見象子, 共母命終縄能挙足, 東西遊. 伴, 不能自活, 即時扶将, 諸所日 二額, 飲之以水, 採果飼之, 彼時象子, 仁和賢善, 功徳殊妙, 楽 千義理, 翼得安隠, 無有憂患, 除諸衆悩, 於時仙人, 臥起同処, 身形転長,衣毛鮮訳, 則以 、水凝,. 供養仙人, 其好果顔, 然後目食, 往反感恋, 奉侍不潔, 彼時仙人, 感哀象子, 観共徳行, 愛之衣 ロ 子, 視之無厭, 敬之無極.. ぞ 時夫帝彩り報時発念, 今此仙人’忘在象子, さ 丁別令愁感時, 夫帝釈, 示現試之, き念無厭, 今我寧百 化使象子忽然死地而血流離, 仙人見之, 象子死 亡, 憂愁回言, 沸泣横流, 不能目解, 余仙人闇, i 来諌暁之, 不能除憂, 不復食飲, 時天帝釈, 目以其身, 住在虚空, 即為仙人, 而言附属E . 仁者以棄家. 至此無巻属. 諸仙人之法. 憂死非善哉. 仮便悲沸泣. 能令死者生. 皆当衆欄泣 己習共頓止. 仮晴男不活 ‘傷 而与象コ ま. 則有慾恩情. 不得不整 ≦憂 - 63 一.
(11) . 江. 死人奥於死. 其有味奥者. 明智不懐憂. 仙人慧何暁. 口. 正. 雄 ミ. ミ帝釈, 令共仙人, 懐憂悩己, 即令象子使活如故, 於時仙人見象子活, 尋大踊躍, 不能目勝, チラ く復慾憂, 時天市釈, 即尋為仙人, 面説渇f ョ. 以抜卿憂悩 心所懐愁感 於今仁無患. 而除子憂感. 令人肉 佳愁悩. 及一切親属. 如卿今日歓 . 見象子起放. 吾感傷脚故. 欲除諸憂惑. 故興此因縁. 増益於塵労. 明者暁了斯. 恩愛生苦患. 則祭共内外. 無得興変化. 舎諸比丘, 欲知爾時仙人者則今此和上 是, 時象子者死弟子是 也, 夫帝釈者則我身也,繭時相遇, 亦如此, 仏説如是, 草不歓喜. (大正蔵. 第三巻本縁部, 生経巻第三, 仏 説弟子過命経第二十九. p .93). こ こ で注意さ れるこ とは ジヤ←タカ に於 いて は仔 鹿 で あるもの が子 象 となっ て い る こ と で あ. 人間の動物に対する愛情は由来本能的なものであるが, そのうちでも人間に馴れ親しんだもの. 家畜的動物 に対しては感情の起伏 は大きいものである. 然もその馴らされた家畜が大きいだ に篤い情愛が龍もるもので, やや自然的動物たる鹿と純然たる家畜の象とではその対比差は極. て大きい, 説話にとり容れられた動物 は当初は鹿であったであろう. だがより説話を洗練化す ば鹿よりもより身近かに親しみの深い象を持ち来った方が効果的であることに違いない.. 孫案者乃至脚色家はこの点に注意を払って動物を置き換 えたものに相違ない. この方がより望. しいと判断されたのであろう. 説話の発展という段階からみても, 極めて自然だと言 えよう. 一契の構図で, 仙人の奄居の前に横たわれる仔鹿の死骸を ひき起さんとしている仙人と, 死者 対して徒らに嘆き悲しむことの益なきを諭している天帝釈を配して如何にも両者間に交わ し て. ・る会話もききとれる力 如 く で あ る. 構 図 と し て は他 に 致 し 方 も な い モ チ ← フ で あ る. なお, 逸見梅栄博士の解説では鹿の仔本生は鹿子本生とされている. 何れでもよかろうが, こ では鹿の仔本生とする, 大綱線本生図像. その一. 欄楯石柱円型浮彫. 題名は彫られてないが奉献名と覚しきものが刻まれている. 奉献名らしいと云い解明されてい ないのは残念である 認) 註) 逸見梅栄; 印度古代美術解説には唯奉献名とのみ記し, 同じく 干淳竜祥; 本生経類の研究附篇にも奉献名があるとだけ断っている, Cunninghan I I ・; stuPa of Bharhut g .PL XXXI .4 にも亦しかり, . Fi. 記銘の古代 ブラフミー文字はかなり明瞭に鑑識し得ると思われるので解読は決して至難で は な 訳 で あ る.. 何れかの機会に触れてみたい が薮では事情を紹介するだけとする. -6 4-.
(12) . バルハットの本生図像について (その二). この猿王の説話も当時かなり流布されて いたもののようで, 図像例として同期 Sanci の西 To- i ヒ -Jataka を は じ ahakap aka では No rana 石 柱 に も 彫 刻 さ れ て い る し. 文 献 と し て はJa .407 M‐ 註 ) taka No ー takam5 め Ja a で は No. 27,註) Cariy5pi .27 が あ る. i t 註)Ed ed by Kern.(H. 〇,s),1914,. 註) P誠一TextsoCiety’s Edition. 漢訳経典中に求むると, ) 六度集経巻六, 五六註 話 摩詞憎蔵律巻十九註 ). ) E宝蔵経巻二, 十二, 善悪楯“侯縁.註 i 奈 ) 説一切有部薬事巻十五註 等かなり多くその典拠を見出し得る.. 1 謙 ) 大正蔵経第三巻本緑部上, p … .32 , 精進無極章第四, 56 註) 大正蔵経第二十二巻律部一, p ,384 , 註) 大正蔵経第四巻本縁部下, p .454 .2~12 , 註) 大正蔵経第二十四巻律部三, p .72 .. 凝滞きの大群を率いて河辺の大尼 拘律樹林に栖み, 往昔,菩薩は稲糠王として生を亨けていた時,参 芳香にして人間裟婆の世界では到底味わうことのできない珍味の果実を食としていた. ところが 或る時, その珍果の一形が河におちて, 遥か下流へと流れて行き, ついに国王が拾い上げた. 世. にも珍らしい果実, しかもすばらしく美味であったから王は早速,.河の上流にその果樹があるに 違いないと軍兵を率いて探し索めつつ 河を遡ってやって来た. 見ると多数の爾糠がその美味しい. 果実を 貧り喰べている, しめた とばかり軍兵に命じ一群を とり囲ませた, スワー大事, これを目 ざとく見つけた稲糠の王は橋を架して手下の もの どもを対岸に逃れさせ. ようと, 長い簾を足に結 びつけ対岸の樹までジャン プしたが残念ながら簾はわずかに短く, 両手 を の ば し て や っ と そ の 樹 に つ か ま る こ と が で き た.. 危つかしい橋であるが, 橋にはちがいない, 棚橋の大群は欄椴王の身を以って架けた橋を伝わ って全 員逃れることができた. しかし踊候王は苦痛甚だしく遂に失心してしまう. 侯王をその上に これを審さに見ていた 国王は感服して, にわかに天幕の布を拡げ墜ちてくる翻ろ うけと どめて墜死から救った,. この物語りの眼日は自己犠牲の 菩薩行を強調するところにあるのであるから, それだけにいく らもこの物語りを骨た子として脚色を加えることができる. むべなるかな漢訳のそれは大同小異 乍. らそメも相応に脚色が加えられ補筆がなされている. 尺経典のうちから脚色のほ どを 瞥見してみるの も よ いまこの説話の終末の部分 だけでも之を換言 か ろ う.. 大. 綱. 獲. 本. 生. 第. 24 l 9で Jat ’5kapi がこれに該当する, 逸見; 印度古代美術資料ではNo aka では No . . 516 の Ma Bharhut 欄楯 笠石の浮彫で記銘は無い.. 大綱腹本生説話 (第二) の典拠は Jataka の外に J欲akanlala24. をこも あ り, ま た 漢 訳 で は 摩 IP 3) 詞僧砥律, 巻十八, (仙人欄喉本生経中応説) (大正蔵; ×XI .37 , 説一切有部破憎事 巻十. ) 及び六度集経巻五 (四十七) (大正蔵m本縁部上」 p.27) に 記 五, (大正蔵; ×XIV. p .176 載がある. - 65 -.
(13) . 江 フ. ロ. 正. 雄. 度集経に就いて該説話を求めてみると凡そ以下の章の 如くである.. 7 ) 昔者菩薩, 身為禰糠. 力幹妙輩. 明哲除人. 常懐普慈趣済衆 生. 処在深山 登樹採果 (4 . . 観山谷中有窮陥人, 不能目出. 数日哀号. 呼天乞活. 翻ろ 侯聞哀. 槍為流涙日, 吾誓求仏唯為斯類 耳. 今不出此人共必窮死. 吾当尋岸下谷負出之也, 遂入幽谷便人負己, 掌草上山置之平地 示共 , 大 ヨ. 在爾所之。 別去之後懐無為悪也. 出人疲極就開臥息. 人日 処 径路1 . 谷飢錘, 今出亦然, 将何異哉, 心念当殺踊ろ 侯呪 文之. 以済吾命不亦可乎. 以石椎首. 血流丹地, 線臥驚起, 肢倒縁樹. 心無患意. 慈哀感傷悲其懐 悪, 目念E I . 吾勢所不能度者, 願其来世常逢諸仏, 信受道教行之得度. 1鱈仕莫有念悪如斯人也. 仏告諸比丘,禰糠者吾身是也.谷中人者調達是, 菩薩諸忍度無極行忍辱如是.. とあって菩薩行六波羅密の一, 忍辱の徳目を強調した説話となして いる. J記aka では, 山中に於いて途に迷 った男が足を踏み外して断崖から顛落 し 谷底に絶望してい , たが, たまたま一補族がこ れを見つけ身の危険をも省りみず, その男を背負い救い出 した 然し . その男はこの 生命の大恩人たる撒き 侯に投石 して殺害せん とした. 甚だしき忘恩者の物語りとして い る,. そもそも六度集経は, 呉廉憎会の訳経で, 多くの本生説話を六度の菩薩 行に配して分類 し編集 したものである. 康僧会が訳経に当って原本に忠実になしたものであるか, はたまた訳者はまた 編集者とも兼ねて康 僧会の見解によって更に他にj 掌伝された 説話を随時附加えたものであるか,. 今にわかに決定し難いが, 己に先賢も指摘せ る如く, 経中さらに 「何々経」 てふ題名を附するも の が あ る か と 思 え ば, 別 に 例 の 如 是 我 聞 で始 ま る も の も あ る こ と に よ っ て 諒 知 でき る .. 聞如是, 巻一, 布施無極章第一 経, 波耶王経, 巻二, 布施無極章 波羅捺国王経, 巻二. 薩和檀王経, 巻二. 須大挙経, 巻二.. 聞如是並に経名附. 布施度無極経, 巻三 仏説四姓経, 巻四.. 太子墓魂経, 巻四, 弥蘭経, 巻四.. 〕頁生 聖 王 経, 巻匹1 .. 昔明王経, 巻四. 経, 雀王経, 巻五 之裸国経, 巻五. ;飢畢罪経, 巻五 六年寄 . 釈家畢罪経, 巻五, 仏以三事笑経, 巻六. 小児闇法即解経, 巻六. 殺身済賢人経, 巻六. 調達教人為悪経, 巻六,. 一 G6 ‐.
(14) . バルハットの本生図像について (その二). 殺竜済一国経, 巻六. 弥勤為女人身経, 巻六.. 女人求願経, 巻六. 然燈授決経, 巻六. 聞如是, 明度無極章第フ, ( ) 巻八. 83 経, 遮羅国王経, 巻八. 菩薩以明難鬼妻経, 巻八。 儒童受決経, 巻八.. 聞如是並に経名附. 摩調王経, 巻八. 阿難念弥経, 巻八.. 鏡面王経, 巻八. 経, 察微王経, 巻八. 閲如是並に経名附. 焚摩王経, 巻八. なお興深いことには禅定無極章, 巻第七にはこの章に属すべきもの九章あるが, 夫々の章の冒頭 もま. 1 ) 74 . 禅定無極者云何 ( ) 7 2 . 昔者比丘 (5. 3 76) . 菩薩志道 ( 4 ) 77 . 太子出遊 ( ) 8 7 5 太子初生 ( .. ) 79 6 , 太子末得道 時 ( 80) 7 . 仏行得小経 (. ) 8 81 台目説 ( . 衆ネ 82) 9 , 昔有両 菩薩 (. ま著しく異にするものがある. 而もこの特異な章を とあり, 聞如是乃至昔者で始まる大方の草とも 仔細に検すると所謂本生説話ではなく他のジャンルに属するものである, これらは六度集経成立. に関して多くの疑義乃至諸見解の生ずる所以でもある.. は他 経 に み る本 生 説 話 に あ っ て は Bharhut の彫刻に見得る図像とこ ま た さ ら に 興 を 添 え る 点む ま合. 致 し な い も の が か な り あ る の に 比 し て, こ の 経 の も の は Bharhut のそれとよく一致するものが多 い こ と で あ る,. 学者に依るとなおこの六度集経の伝統と 道行般若の伝統とは 相等しい系統のものであるとも論. ぜ ら れ て いる が, こ の 点 に つ い ては 燕 では 論 及 し な い こ と とす る,. Bha t の現図浮彫は笠石に彫 られたものであるが, スペ←スの割合に比して, 二契乃至三契 rhu 点の叙景であるし, 破損の度も多いし図柄も巧みでない. 説話をよくこなし洗練されたモチーフ を持つものとは云い難い.. 同じい題材のもの が, 北伝して亀燕キジルの壁画と蛾遵千仏洞の壁画にも存することは該説話. の東伝を証するのみならず, その図像の東伝をも意味するところから高く大きく評価せねばなら な い こ と にな る, -6 7-.
(15) . 江. 牛. 王. 口. 本. 正. 生. 雄. 図. 像. 牛王 (生 説 話 は 稀 ら し い こ と に は こ れ を Jataka の 中 に 見 る こ とをまでき な い が, 根 本 説 一 切 有 部毘奈耶破情事 却一〇に他の説話と混入して記載されているのは有難い. 北伝漢訳中にも之の外. には見当らない. 従って牛王本生説話の典拠は破憎事のみ で, そ れだけに貴重である. いまその個処を摘妙してみると,. …昔於一村有一長者, 在此而住, 有一大牛衆相具足, 時彼長者,. 延請沙門及婆羅門無依無情貧婆商客, 普設供養, 行捨施巳遂便解 放, 具相大牛随所遊行, 更無拘繋, 是時大牛既蒙釈放, 随意遊行 迫賃水草, 時行腰沢陥深泥内, 目出無由, 是時長者日将唾暮, 方 1 見人伝遂尋寛之, 到其牛所, 長者念E , 泥深牛大我独無堪, 待至. 侯路来逼我時, 我以符縄振 1 明朝詳来済抜, 牛遂告E , 可以縄総繋我角上置方轡前面任暁方来, 如有; 角驚怖, 其人遂即以縄繋角長, 作共総置地而去, 厩届冥宵, 野糠便至, 遥観其牛作斯言日, 謎於. 侯闇是語遂与言日, 我之美繕何 i 己溺目出無由, 非是鎚心盗他 蓮翻ち 此 処愉戒穂根, 牛便報E , 我被れ 侯日, 爾宜遠我莫見相陵, 勿使汝身遭羅苦毒, 続難聞告不歯其 忽目来, 遂近其牛欲為屠害, 牛告ぢ ョ. 言, 遂就牛辺欲為 損型, 時勃利沙婆, 見不用言, 説伽他E 我非愉納根 亦非盗蓮者 必若情存食. 上脊麻従劉. 海洋1 , 今正是時, 応従脊後次第而食, 郷上牛脊下口欲鴻,牛角振総福著瓶項, 遂便擬索空裏懸身, 千時大牛説伽他日. 汝是美少年. 戯者空中舞. 隅伎於村田 野田無施主 二日 是時野糠亦以妨廿他而答4 亦非美少年 我非作舞者 帝釈承梯下. 吾当往焚天. コ. 叉復牛王, 更説類f 実非天帝釈 投梯往粍天 縄総急勤項 性命此時窮 く鍔, 勿生異念, 昔時牛 王者, 即我身是, 往日野腹則 i天授, 是往 昔不用我言己遭其苦, 今不 汝諸赴 聴吾説現受女噂折大狭… (大正蔵;×XIV 律 部 三, p,151~152). 昔, 或る村の長者の家に一頭の立派な牛が飼われていたが, 或る日, 解放されて気ままに水草 をもとめ歩 いて いる裡, 深い泥沼におちこみ自力では どうしても伺い上れな い. 飼主の長者は夕. 暮漸く牛を尋ね当てたものの独りでは牛 を曳き」 二げるこ とが出来ない. 結局, 牛の言うがままに 角に縄を巻つけ仕掛け明くる朝まで放置することとした.. 夜になると案の定, 狼がやって来た. 「蓮根を盗み とっている奴は誰だ/」 「私はこの泥沼におちこんだだけのもの, 私をとって食べたければ勝手に私の背中に上って喰. べたらいいだろう,」 牛は期する処があるので些かも恐れずに言う,. 狼は忽ち牛の背にと びのり咳みつ かんとすると, 牛は角を振るい用意して置いた縄を巧みに楓 - 68 一.
(16) . バルハットの本生図像について (その二). く. 縄は狼の項に巧くひっかかり宙に吊り上げて了つた, 「美 しし・狼 君 よ, 空 中 で上 手 に 舞 っ た とこ ろ で,. 泥 沼 の 中 では 見 物 す る も の と て な い よ」. 「いいや僕は宙で舞っているのじやないサ, 帝釈天が梯子を投げてくれたので, これはきっと. 純夫に伴れて行って下さるに相違ない」. 「大馬鹿者とはお前のことサ, 天帝釈が何で梯子を投げ下ろしてく れたものか, 縄のワナにか かっ て す ぐに も 生 命 の つ き る も の を …」. この牛王 (勃利沙婆) とは仏であり狼は提婆達多であったという. パルハット欄楯柱の円型浮彫で, 説話のクライマックスたる牛玉と狼との問答の場=二契点=. で表現している. 牛の上方は全て 蓮で花と茎を多く画き蓮沼を示す, 牛は印度牛の特徴を コ ブに 現わしていて左方の狼との問答の体よろしくしてある, 下方の狼は 精索にかからぬ前 の 姿 で あ. り, その上方に逆に狼を表現するのは, 仕掛けの索に引つ掛った後の帝釈天の梯子云云の問答を なす場面の表現と見倣してよいだろう. 右側に棒状のものが浮彫せられて いるが, これについては, 恐らく岸上の樹 (叉は棒, 図の右 端) より縄の民を吊して牛の角上に着け, 牛が角を振って狼の項にかければこれを 吊り上げ得る )も あ る 様 に し た も の で あ ろ う との 見 解註 ,. 11 第二五〇図解説 註) 逸見; 印度古代美術 p .2. (以下次章). - 69 -.
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