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中世荘園経済の経営学

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Academic year: 2021

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(1)Title. 中世荘園経済の経営学. Author(s). 石沢, 澈. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 19(1): 1-14. Issue Date. 1968-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4337. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第 19 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 昭和4 3年9月. 中世 荘園経 済 の 経 営学. 沢. 石. 瀬. 北海道教育大学旭川分校史学研究室. Toru ぁHIZよいY′ \: M[anagement 。f M[anor‐Economy i n Middl e Ages. 次. 目 工. 序. 論. 研究法についての問題の提起 1 . 方法論の反省の時期 2 , 経済学説及び経済法則の歴史性 3 , 経済実験室としての経済史, の研 究方法ナ ころの自覚 4, 歴史学は, 自己認識の学問 本 論 工 日本中世荘園経済の特質 1 . 経済分析の対象の時期 2 , 荘園経済成立の根本的要因. 3 , 荘園領主と荘園経営担当者の経営. 経済 虹 荘園経営上の諸問題. L 対外的経営上の諸問題 2 . 対内的経営上の諸問題 皿 荘園経営上の主体の在り方. 1. 序. W 荘園経営の理想像 V 荘園経営上の経済倫理 1 , 荘園領主と在地領主・荘民らとの. 精神的結合. 2 . 質素・倹約を旨とす 3 . 経営者としての倫理 \ q 経済機能別にみた荘園経済の特色 1 . 自主的な荘園経営. 2 . 農業本位の自給自足の経営 3 . 4 , 5 . 6 , 7 , 8,. 手工業品の製作 漁業について 商業について 間丸について 銭の流通; こついて 交通機関について. 9,. 結. び. 論. 研究法についての問題の提起 1, 方法論反省の時期 明治32・3年の頃から,,内田銀蔵博士や横井時冬博士らによっ て, 日本経膏史の科学的研究の道 が開かれてから, すでに数十年を へた, そのおかげで, 今日, 経費史研究は隆盛をきわ め て い る が, 我々はこれらの先人の業績には深く感謝しつつも, その研究法については, 一つの反省の時期 に きて い る の で は な い か と 思 う.. これまでの経済史研究は, 多くの研究者の多大の努力にもかかわら ず, その研究が経済事実の詳 細な歴史的記述にのみとどまるかために,-経済学からは無用視されている, アメリカの経済史学で l は, 「ア メ リ カ も, 同 じ よ う な 事 態 に 直 面 し て い る と み え て, Davi s Hughes and Mc Dougal - 1 -.

(3) . ) の著書の中で, 経済史研究が, 経済学研究の学生や 研究者に興味をも たれなくなってき 経済史」1 Co- たことを自 覚し, 経済学の 一分野としての経済史研究を, 如何にもして, 経済学研究の中核 ( ) たらしめんとして, 従来の叙述 の方法とは全く異っ た問題解決史的方法をも って, 経済の諸問 re 題が, 如何に歴史的考察を必要とするものであるかを自覚せしめんと 苦心しているが, 我々も, こ 済 史を取扱っ れ を 読 ん で 教 示 さ れ る も の が あ る, こ の 書 で は, ナ ポ レ オ ン 戦 争 以 後 の, ア メ リ カ 経 て 問題 考 に て い る が, た と え ば, ア メ リ カ 経 済 の 成 長 と 人 口 増 加 と の 関 係 な ど の, 歴 史 的 察 よ っ ,. を解決してゆくというような 方法がとられている, 正直のところ, 我々は, 従来の実証主義的歴史 記述の方法のみ に止るのでは, 経済学 研究者には何らの関心を与えるも のではない ことを告白せざ る を え な い. 19世 紀 末 よ り20世 紀 初 め の, ロ ッ シ ャ ー や シ ュ モ ラ ー に よ る ドイ ツ 歴 史学 派 経 済 学 が, 経 済 史 研 究 で は, 多 く の 業 績 を 残 し た に も か か わ ら ず, カ ー ル ・ メ ン ガ ー や マ ッ ク ス ・ ウ ェー バ ー の 批 判 を. 豪っ て, 没落せざるをえなかっ た. 新歴史学派経済学の代表者シュモラ ーは, 経済事実の詳細な歴 ている 史的研究からして, 一 切の経済法則の成立を否定した, このことは, 我々実証 史学に従事し , も の に は, よく 理 解 で き る こ と で あ る. し か し, カ ー ル ・ メ ン ガ ー が 批 判 し た よ う に, 経 済 現 象 の. 中に何らかの経済法則を発 見しようとしないことは, まさしく経済科学の 成立を否定することであ る, 抽象化の方法によっ て, 何らかの経済法則を発見せんとの努 力なしでは, 経済学は 成 立 し な い. そ れ を 否 定 し た こ と は, 歴 史学 派 経 済 学 の 失 敗 で あ っ た. 当 時 カ ー ル ・ メ ソ ガ ー, そ の 他 に よ. って, 限界数用理論が樹立され, 近代経済学が 始ま っ たのであっ た. 他方, 当時の歴史学派経済学の 一派 ともみられるべ きマルクスが, 経済 史についての歴史的認識 ion と, 経 済 法 則 と を 化 合 (amalgamat. す る こ と に よ っ て, マ ル ク ス 経 済 学 を 構 成 し た. 今 日,. そのマルクス経済学が, 日本の経済学界にかなりの有力な勢 力を形 成して, 力を発揮して いろ. ま た, マルクスの経済 史観は, 経済学のみでなく, 歴史学にも影響して, 石母田正, 藤間正大 松本 新八郎, 遠藤元男, 永原慶 二らの歴史研究では. 皆マルクス史観の, 原始共産共同体から古代奴隷 制, そ し て 中 世 封 建 制 の 農 奴 制 へ と 発 展 し て い る と い う シ ェー マ を も っ て, 日 本 史 の 解 釈 に 努 力 し. ている, そこには奴隷制や農奴制の用語の明確な定義がないし, また, 奴隷制か 農奴制かが、 古代 社会制度か中世封建制度かを決定づけるもののように, 簡単に割切っているなど は, 非科学的であ る, 中世封建制度と共闘経済社会とは, 必ずしも簡単に は結びつかな いことが, ヨーロ ッ パ史学で ionが に は, 封 建 制 度 と 荘 園 経 i tut も論ぜられてい る のであ る. Robert s. Hoyt の Feudallnst 済 と が, 必 ず し も 一 致 し て い な い こ と が の べ ら れ て い る.. : かつまた, 中世経済社会の 経済法則の探求ということが, 経済史学の任務であるとすれば, 中田 研究は 丁度 経済社会が奴隷制か農奴制か, 農奴制ならば, それは何時頃から 始ま っ たかという , , す ぎないので 一部面のみの研究に 経塔社会の なもので 今日の経済社会の 労働運動史の研究のよう , あ っ て, 主 要 命 題 で は な い の で あ る.. また, マルクスの経済発展段階説と異っ た, 他の経済社会 発展段階説が, 歴史学派経済学者リス. ト, ロ ッ シヤ ー, ヒ ル デ ブラ ン ドや, 社 会 学 者 ら の 研 究 に よ っ て 発 表 さ れ, す で に 早く に 内 田 銀 蔵. 博士なども経済発展 段階説を五つにまとめて発表されているのであ るが, マルク ス学説に劣らず 参 3 } それにもかかわらず それらのものが 批判的に取扱われずに,歴史家がマル 考 に な る も の が あ る, , クス説 のみの証 明に 力を ・尽 し て い る と い う こ と は, よ く い わ れ る ミ 馬 鹿 の 一 つ 覚 え ミ と い う ほ か は. ない, 経済構造の発展とか, 流通手段の発達とか, 交換経済の範囲の拡大の度合とかによる経済発 展段階説も参考とすべきも のがある. このようなことを考えあわせて, 我々は, 実証主義的経済史 - 2 -.

(4) . 中世荘園経済の経営学 研究の成果をふまえて, 先入見にとらわれることなく, それぞれの時代の経済法則なり, 経済理論 なりの把握, 即ち, 各時代の経済の運動法則の発見につとめ, そのことに協力すべきではないかと 思う, それも経済史家の任務の 一つであると思う. 2, 経済学説及び経済法則の歴史性 ) にて 各時代の それぞれ の 経済 イギリスの経済学史の大家 W.Stark は, 「経済学説史」4 , , 学説は, その時代の反映であり, その時代の経済社会の産物であることを明解に説明している, 経 済法則に, 超時代的といわれるものが全然ないわけではないが, しかし, 各時代の経済学説は, そ れぞれの時代の産物であり, その時代の経済法則を語るものであることを明らかにしている, わが日本の 経済史をみても, 古代律令制時代には, 律令制時代の経済法則が あり, 中世荘園制時 t Bconomy) の経 代には, 荘園制経済の経済法則があり, 近代経済社会には, 市場経済 (Ma rke 5 ) ヨ ーロ パ の l iam Kapp and Lore L. Kapp は l 済法則がある, K. Wi ッ , 経 済 思 想 史 の 中 で, 中世の経済思想と近代の資本主義時代の経済 思想との差異をのべて, 中世封建経塔は, 広い意味の 1 anned Bconolny) で あ る, 従 っ て, 中 世 思想家の主要な経済上の ト 荘園領主中心の計画経済 (P. ピッ クスは, 正当な価格, 正当な賃金, . 貨幣理論, 高利子禁止論の四つであっ た. これらの問題を 取扱う経済学は, 応用倫理学体系の一部であると考えられていた, L か る に, ア ダ ム ・ ス ミ ス 以 来 の, 経 済 学 は, 自 由 な 市 場 経済 の 成 立 に よ り, 市 場 に て 需 要 と 供. t Economy) に お け る 経 済 の 運 動 法 則 を 発 rke 給の関係によって価格が形成される市場 経済 (Ma 見せ ん と し たも の で あ っ て, マ ル ク ス の 労 働 価 値 説 に し て も が, 同 じ く 自 由 な 市 場 経済 の 中 で の 経. 済法則である. 自由な全国的市場の形成されていない中世社会には考えられない経済 の運動法則で ある, それ故に, 各時代の経済の運動法則が, 特徴的に把握されねばならない理由がある. 3 , 経済実験室としての経済史の, 研究方法たるの自覚 lは l Davi s Hughes and Mc Douga , 「アメリカ経済史」 の序文に, 過去の歴史は, 社会科学 室である の実験室である. 特に経済科学の実験 , それぞれの時代をみると, ある一定の 条 件 の 下 に, 経済 は 発 展 し, 変 質 し, 行 詰 り な ど し て, あ る 結 果 を 示 し て い る, そ れ は, 我 々 研 究 者 に, そ れ ぞ れ の 時 代 の 経済 的 実 験 に よ る, あ る 経 済 法 則 の あ る こ と を 教 示 し て く れ る, と の べ て い る. 日. 本経済史などは, 歴史も長く, 歴史的研究も行届いてきたので, 多くの実験室の成果を示してく れ ている, そこか ら 科学的認識によって, 経済の運動法則を把握するか否かは, 研究者の能力の問 題 で あ る,. 4, 歴史学は, 自己認識の学問 ) 人間 学の一 つとして f-conc l i 歴 史学 は, 自 己 認 識 ( se ousness) の 学 問 で あ る と い わ れ る, 6 ,. 我々は過去を知ることによっ て, よりよく現在を知るのである. 経済史の研究においても, 過去の 時代の経済状態や, 経済の運動法則を知ることによっ て, 同時に, 現在の経済状態や経済法則の特 色 を, よ り よく 知 る こ と で あ る,. 現代の経済社会の歴史的解明には, 一般に考えられているように, 過去からの歴史的推移を解明 するという方法 「過去からの推移」 (多くの経済 史の研究は, この立場をとっ ているが), それの みではなくて, 過去の時代の経狩の特質と法則の把握ということが, 同時に, 今日の時代の経済の 特質と法則の, より深い認識を与えてくれるものがある. 過去の時代の特質を明確にすることが, 同時に, 現在をよりよく知る所以である, (柴謙太郎氏の 「中世の経済」 は, 「過去からの推移」 と し て の, 現 在 の 理 解 を の べ ら れ て い る. ). - 3 -.

(5) . 石. 本. 1. 樺. 級. 論. 日本中世荘園経済の 特質. 1 , 経済分析の対象の時期 日本の荘園経済の歴史は, 長期にわたっているので, そのいずれの時期を研究分析の対象とす る かを予め規定し ておかねばなら ない. 安田元久氏の日本荘園史概説にも いうように, 荘園経済とい な 時 代 的 に, 異 っ た 様 い こ は っ て も, 長 い 歴 史 を も っ て い る, 長 い 歴 史 を も っ て い る と う と , か り 相 を 呈 し て い る と い う こ と で あ っ て, その 初 期 と 後 期 で は, 同 じ 経 済 法 則 が 作 用 し て い る と は い え なし) .. ここでは平安中期より鎌倉初期の, 寄進地型荘園の, 不輪不入権をも った荘園経済最盛の時 代の 経済法則を明らかに しようとするも のである. (中世後期の経済は, 別の経済範囲で把握する) こ の時代は, は ゞ永原慶二氏の 「荘園領主経済の構造」 などでいう, 荘園制の体制的展開期を, 11世 紀後半より13世紀末までとする, 院政期より鎌 倉期とする時期にあたる. 西岡虎之助氏の荘園 史の 時代区分も, ほゞ同じである, 一般的にいっ て, 荘園制経済の最盛 期を研究の対象とするも のであ る,. 2. 荘園経済成立の根本的要因 ion とし て 生 izat central 根本的要因を, 一 言でいえば, 律令体制の計画経済の行詰りによる De じたものであ る, Robert s. Hoyt の Feudal lnstitutions: Cause or. f DeCen- Consequence o. i i ral on に 似 た 傾 向 が み zat i i l t zat on に の べ て い る よ う に, そ こ に は 中 世 ヨ ー ロ ッ パ の Decent ra. られる, 荘園経済体制の成立は, 律令体制の計画経済の崩壊過程の中で, それに対応して成立した 経済構造である. 律令制の計画経済の本質が崩れて, 変質してゆくにつれて, 自 然にそれに対応し て, 荘園経済が成立して いっ たものである, だから, 土地所有の領主は, 律令政府の秩序 にたよる よりも, 律令政府の権威をおびた中央権力 者や大寺・大社の力に依存し たのである, しかし, その 権威も有 効でなくなっ てくると, 騎馬の武家 の棟梁に依存するようになり, 自らも騎士として領主 権を守ることにつとめ, 大寺・大社は僧兵や神人をもっ て, 荘園の領主権を守る必要があっ た, i ion の結果, 荘園経済という自 足経済に陥り, 律令国家 ー郷 戸という zat 律令体制の Decentral 社会体制が、 変質推移して, 荘園領主一名主という関係となっ た, (永原慶 .氏は, これが 中世荘 園の主な姿であるという, ) 武士団の発生も, 律令制の国家の兵制が崩壊 して, 健児制となり, 平 安時 代以来の健児制の遣制が武 士団成立の根本へとうけつがれて いる‘ (新見吉治博士は, 武士階 級の発生について, 「武家政治の研究」 の中で, 平安時代の地 方の健児制からきていることを説明 し て い る, 戦 術々こ潰 れ て い る 者, そ し て, 専 問 的 に 弓 馬 の 道 に 携 り う る 者, そ れ に は, 耕 作 を 他 人. に委せて, 自らは戦 士となりうる財力と機会を有する大名 たちであっ た, 彼らは喜んで宮r戦こ出入 し, 警固にあたり, 官職を購い, 皇族や権門の従者となっ て, 庄官の地位をえんとした. これらの 禁衛の兵士は, 帰国の後も, 武具を帯して, その態度も不遜で, 国術の命に従わぬものも生じ た,) 手工業者の座の結成の如きも, 律令官制の高級技術の工人階級の系統が, 座を結成して, 荘園領主 たる梅門勢家の保護によって生命を存続するようになっ たものと考えられる. かくの如く考えきたろと, 律令体制の経済社会を, 単に総体奴隷としてのみとらえる, 即ち, 総 体奴隷としての班田農民がどのようにして, 荘園内の荘民, 農奴となっ たか, その質的変化 は 何 か, それは何時頃から始ま っ たかなどいう研究のみでは, 荘園経済の特質は把握できない, 律令体 - 4 -.

(6) . 中世荘園経済の経営学 i i t D t l 制の政治的, 女化的, 経済的特色につ いての広い把握と, その分解 ecen ra za on から対応し て生じた荘園経済の特質として把握さるべ きである, 特に, 律令制の計画経済の行詰り と 破 綻 か ら, 荘園経済は対応して生じ たものであるということである, しかも, 律令体制では, 中央はとも. か く と し て, 広 く 社会 が, ア ダ ム ・ ス ミ ス が と く よ う な, 社 会 の 分業 が ま だ 進 ん で い な か っ た 時 代. である, 社会 の分業が進んでいなかっ たので, 中央集権 的計画経済の権力が力を失っ てきて, 社会 が分散した. 分業が進んでいない社会が 分解して, そこに成立した荘園経済は, いよ いよ 自然 経 済, 自給自足の経済の状態に陥っ た, その分解した社会の統一と再 建の方向への努力が, 鎌倉幕府 の 成 立 で あ る,. 3, 荘園領主と荘園経営担当 者の経営経済 荘園経済の特色は, 荘園領主と荘園経営 担当者の経営経済である, 筆者は, この時代の荘園経済 の運動法則を, 荘園領主と荘園経営担 当者の経営 として把握する. 庄園そのも のの最初の発生をみ ても, 貴族や寺社が, 庄園領主としての, 企業 的な経営による開墾から姶っている. 庄園は, 本質 的に庄園領主の経営を基本としてい る, 永原慶二氏は, 「荘園領主 経済の構造」 で, 「荘園領主が 」 全体として, 家産経済体制を計画的につくりあげようとしていた方向は認められるところである.. l l i am げ た Wi との べ て い る, 彼 は こ こ に 家 産 経 済 体 制 と い う 言 葉 を 用 い て い る, ま た, 先 に あ る 両 者 て い d と い P1 anne economy) っ Kapp and Lore Kapp は, 中世封 建経済を計画経済 ( ,. kono- 経済」 oi ともに, 荘園経済をあらわすには, やや適切性を欠くも のがある, ギリシ ャ語の 「. s の 解 説 に よ る と, そ の 本 来 の 意 味 st e の ldea of the Great Economi mos と は, George Soul (家 政) か ら, 広 く は 都 市 国 家 の 経 経済 は, house-holding management の 意 味 で あ っ て, 家 産 い る management の 意 味 営 を も 含 め る も の で あ る と 説 明 し て い る, 筆 者 は, こ こ に の べ ら れ て. を生かして, 今日よく使われ ている経営という言葉がよいと思われ るので, 従っ て, 中世の荘園経 済は, 荘園領主 とその轟丞富担当者の経営 経済の時代であっ たと考える, 当時の経済の運動 法則を, 経営学として, 勝義に把握 する理由は, 荘園経済 の本質が, 社会の分 業が発達せず, 全国 的市場経済が 成立せず, 律令制の計画経済が行詰り, 分解した 経済 社会 の 中 当時 で, 荘園領主や荘園経営担当者が, 如何にして荘園を維持し, 経営してゆくかということが, 法則であ の経済界の, 最大 の経済的関心 事であり, かつ 経済行為であり, それが 当時の経済の運動 済は, 荘園領主とその経営担 当者の経営を中心にして, 鎌倉幕府 っ たと考えるからである, 荘園経 いたのであ 成立の頃は, その上に形骸的な律令政 府と, 治安維持を主命 とする鎌倉幕府が成立して ′. る,. 虹. 荘園経営上の諸問題. 1. 対外的経営 上の諸問題 対外的 今日 の経済学界や経済界では, 会社の経営学 ということが大変に問題になっ てきている,, 如何にこ には, 国際自由 化による国際市場で戦う企業体の経営や, 資本取引の自由化に直面して, 経 荘園 営上で れに対処し, 経営してゆくかなど は, 会社企業体の対外的な経営上の問題である. 如何 は, 対外的には, 政治権力 の変動期に際会して, 荘園経営担 当者は, 時勢の推移を洞察 して, 威をき にうまく パトロンをつかむかが, 自己 の荘園の存立にかかわる重大事であっ た. 律令制の権 大きな経 棟梁にたよるかが 武家の からは , る大寺, 大社, 貴権にたよるか, 或はそれが形骸化して の歴史の研究や, 杉山博氏の備中 荘の荘園 の若狭国太良 網野善彦氏 営上の問 題であっ た, 実際に, 消長がみら 国新見荘 の研究でも, 政治権力の変動によって, 荘園の経営者の勢力に, 色々の変化や - 5 -.

(7) . ) 濁河‘の争い 承久変後の れるのであ る. 当時の政治状勢は, 院政時代から, 平氏の六波羅政権, 7 , 8 荘園の収奪), 幕府政治による守護地頭の楠任という政治的動揺期の中で, 荘園経営担当者の荘園 の維持は, 仲々困難であっ た, 当時の荘園経営維持の苦心としては, 在地領主は, たのみとなる領 家に, 荘園を寄進して, 荘務権を留保することがよく行われた. 他方, 寄進をうけた領家は, 自分 の力では守りきれないとしたならば, より有力な本所 (本家) を, 宮家か大寺社か摂関家に仰ぐと いうこともよく行われた方法であっ た. しかし, そのような律令制の形骸的権威ではたのみになら ぬ, 武力が世を左右する時代の変り目には, たとえ本所・領家などが, その荘官の武家の御家人化 するのを嫌 ったとしても, 時勢をよくみた在地領主の荘官は, 荘官でありながら, 同時に鎌倉の御 家人となるような分別が行われた, 伊勢神宮の御 厨であっ た近江国甲賀の柏木御厨の荘官である山 中氏は, 荘官の身で, かなり早い時期に頼朝の御家人・地頭となっ た, そして, 鈴鹿峠の警備の任 にあたった, その後, 給人松原らの年貢抑留・対得のために, 神宮に年貢が少しも送れないなどと 報告している, また, 中央の律令政治権力に依存できない辺境地の在地領主や荘園経営者が, 自衛 の武力をもつ必要も生じた, このようなことが, 荘園経営者の重大な洞察の必要なとこ ろ で あ っ た,. 2, 対内的経営上の諸問題 対内的な会社経営上の問題と ・しては, 労務管理や労働対策, 技術の刷新による生産工程の改善な どがある, 今日, 経営のことが重要となっ てきたのは, 資本の大なるをもっ て必ずしも有利な条件 の会社とはいえず, 経営陣の有能をも って, その会社企業体の力と考えるようになっ た か ら で あ る, 中世の荘園経済でも, ただ荘園の大なるが, 有利とはかぎらなかっ た, 荘園内の経営上の問題としては, 当時の言葉によれば, 「勧農の務」 があっ た. 荘園領主は水利 権や農具を所有していたので, これを用いて労務管理をやっ た, 不輸不入権をもっ た荘園の, 荘園 領主とその経営担当者は, 年貢を徴収するほかに, 荘内の秩序を保ち, 荘民の民事・刑事の裁判を 行うなどの権利をもっ ていた, このような支配権を, 進止, 進退, 領地, 領掌, 知行 など と い っ た, これらの事務を代理して実行する機関を, 荘司また荘官といっ た. 荘司には上司, 中司, 下司 ) 在地的な荘司が武士化して 荘園経営の実権を握るようにな た鎌倉時代には などがあっ た, 9 っ , , 村に住む有力な名主たちが, 荘園領主から荘官に任命されて荘務を運営していた, 農村で指導的地 位を占めていた, 農村の中核をなしていたものは, これらの土豪的な名主級であっ た, 荘園経済の経営の根本方針は, 自給自足を原則とするものであっ て, その方針に従っ て, 方策を 講ぜねばならなかっ た, 各種の農産物の自給生産から, 手工業品の生産にいたるまで自給自足が原 則であっ た, あらゆるものの自家生産をたかめるのみでなく, 他からの賭人や移入を抑止する方法 を講ぜねばならなかっ た. このように, 自給自足を原則とするので, 原田伴彦氏が 「中世の商業」 でいう ように, 「荘園の現地においては, 依然として, 現物自然経済が支配的であり, 幕府に属す る地頭=武士の支配領域に商品流通はほとんど展開しなかっ た」 といわれる通りである. だから, 中世社会の特色の 一つは, 武士が自給自足的な農村に住んで, 農業経営に当っ ていたことが, 武士 ) が城下町に住んで消費者階級となっ た近世社会と違っ たところであった. (豊田武編産業史 P .65 自給自足の荘園経営 は, 自主的・主体的な経営であっ た, 政府にたよることのできない荘園毒霊富 では, 警備までも自主的にやる必要があっ た, 大寺・大社では, 僧兵や神人などをもっ て, 自主的 に, 自衛兵力をも っ て自衛した. 朝廷と公家とは, 武力をもたない律令政府の形骸であったか, 幕 府の成立後は, これと連絡して, 京と周辺の経済秩序を守ることにつとめ, 幕府は専らに全国の理 政 ,安民, つまり治安継持, 軍事警察の任に当っ た, 多くの訴訟の解決に当っ たが, それも荘園領主 - 6 -.

(8) . 中世荘園 経済の経営学 対して, 幕府は営 農に干与する権限は 問の争いを防ぐ のか主 であっ た. 不輪不 入植をも っ た荘園に た なく, 専らに, 全国の 治安維持を主たる 任務とし たのは 当然であっ , 競争の市場の形成された, ま 自由 中世荘園 経営と現代の経営 との相違点は, 現代の 経済体が, 会社を 経営して ゆくかということである た, 社会 的に完全 な分業の 進んだ 経済社会の中で, 如何に あり, しかも, 民事, 刑事権までもっ た荘 が, 中世 荘園経営 では, 社会 的分業 のない時 代の経営で 生活の すべてについての経営であった, 不 園経営 であるから, 問題は 経済面のみに止まらず, 社会 ) や荘園内の静論, 治安ま でも担当し た, 輸不人権をもっ た荘園 経営者は, 裁判 (司法権の行使 m. 荘園経営上の主体の 在り方. 経営の組織も, その 経営権の 主体の在り それぞれの荘園 の歴史的成立の由来が異ってい たので, 経営の組織化が 必要 で あ っ た の は 当 然 で あ る. 方も異っ ていた, 荘園経営 では, 大きな荘園ほど, ) -名主という組織化 であっ た, 荘 園 経 営 その 代表的なのが, 本所 (本家) -領家-荘司 (荘官 序を保つという荘務ま でもっ ていたので が, 租税徴収のみでなく, 民事・刑 事の裁判や, 荘内の秩 上司, 中司, 下司の組織をも ち, そ の 外 あるから, どうし ても組織化が必要であり, 荘富にも, 租税の検田のための田所もしく は 検 田 使 な に, 荘内の秩序維持の専門 役人としての検非違使 や, な荘園支配の組織は, 本所 (本家) -領家- ど, その他の専門の荘富をもっ たものもある, 代表的 た固定した階層をなし てい 階層制をなしていたが, 各階級 は, ある義務 と権 利を負う 荘官一名主と1 吉治博士は, ところによって一様 で は な い たと考えられ る, 本家と領家の関係については, 新見 その預所 (領家) をし て, 庄園を 管理せしめる が, 概ね 次の ようにいえるという, 庄園の本家が, め 労役を課せしめる等々の場合には, 本 場合, 即ち, 年貢を徴発せしめ, 必要な庄官を任 命せし , 」 とよんだ, しかし, 本家が 年貢中の 一 定の額を 家は 「下地の 知行」 を有するもの, 「下地の進止 一 る場合は, 本家は 「所当の知行」 を 有 し, えて満 足し, 管理の 事一切を領家の自由裁量に 任す 矢野庄の如きは, 本家職と領家職 とか, 仁 「下地の知行」 は領家の手に存ずるものである. 播磨国 7年) に, 権利を二分した 場合の例 である, 16 安二年 (1 主体があっ たかということである, 清水三 これら の縦に つながる経営組織の中で, 何処 に経営の 頃から, すでに荘園領主には経営 権は なく, 名主に 男氏は 「日本中世の村落」 で, 平安時代の始め くて, 実質的な経営権がそこに あった, だか あったと主張している, 制度的な名主の経営権ではな べ き だ と し て い る, し か し, 先 に も い っ た よ う に, そ ら, 荘 園 経済 と い う よ り も, 名 主 経 済 と い う る荘園. 主体の 在り方が 異っ ていたのであるから, あ れぞれの荘園 の成 立の歴史的由来に よっ て, 権のあるもの, たとえば本家が下 地進止権を は, 開発領主的意味の 場合は, 比較的上層に 経営の実 的に下層の領主或は名主に実権がある場合もあ もつものや, 在地領主の寄進による荘園では, 比較 り, 一 様 に は い え な い.. 担当者の出 現するときには, 彼の手に 経 しかし, 一般的な言 い方をすれば, 実力 ある領主や経営 るといえよう. 今日の会社では, 大企業ほど, 資本 営権は握られ るように なった場合が多くみられ ン重役陣などが 経営権を握っているものが 多くな 家が経営権を握っ ているとは いえず, サラリーマ い る と い う, の 会 社 で は, 経 営 担 当 者 の ス カ ウ トが 行 な わ れ て っ て き た, ア メ リ カ で は, 一 般 的 傾 向 と し て み と め ら れ て い る と こ ろ で ま た 荘 園 経 営 に つ い て の, 今 日 の 研 究 の 成 果. 層領主層が経営 の実権を握っ ていた. 永原 は, 畿内とその周辺においては, 本所, 領家のような上 の性格について」 をみれば, 本所, 領家ら 一 慶二氏の 「日本封建制成立過程の研究」 第 部 「荘園制 本所, 領家らの手に荘務権が握られていたか の 経営者として執行 権が如何にあっ たか, 意外にも, - 7 -.

(9) . 石. 津. 徹. がわかる. 宇佐神宮領はr 畿内とその周辺には入らないが, 本家宇佐氏の支配権が強く 郷司の支 , 配権の弱わかっ たことを工藤敬一氏は研究報告している, したが っ て, 本所, 領家に近い荘 園は , それらの領主の支配権が強かっ たと言い改めた方がよいかもしれない. しかるに, 辺境地帯の荘園, または, 本所, 領家の居住地から遠隔の地にある荘園では 在地領 , 主ともいうべき荘官層が経営権 (下地の知行) をもち, 本所, 領家はき まっ た年貢を収納するだけ というものが多い, (得分権といっ た. ) 寄進地型荘園の流行の頃, i2世紀末の頃からは 辺境地 , 域の在地領主の 手に, 経営権のあ ったこと, 強化されたこと, 比較的早く握られていたことが知ら れる, 一般 的な言い方をすれば, 中央居住の荘園領主は, 勘農のこと (経営) には, タッ チせず , 経営を在地領主 (荘官) にまかせていたので, また在地の大名主が荘官に任命された場合が多いの で, 経営権は中央荘園領主よりも, 在地領主の手にきしたと恩われる, しかるに, 鎌倉中期頃から, 地頭はじめ, 在地領主は僅かの直轄地を残して, 他を農民にわけあ たえ, その経営を委託するようになっ た, このような事情 によっ て, 地頭や在地領主による 大規模 な名田経営は解体しはじめ, その中から, 中小名主層が続出した, 中小名主は, 耕地に対する熱意 を強め, 農業の集約化につとめた, このように, 地主的名主の進出によっ て, 実質的には, 荘園内 の名田とか名主というものが, 経済的, 政治的活動の主体をなすよ うになり, 大名, 小名が成立し てくるのであるが, ここでは研究の対象外になる ので詳論を省くが, 経済の運動法則として 一般 , 的にいえることは, 在地的経営に直結している秀還富者に, 経営の主体が移動してゆく という経済法 則を見出すことができる. (荘園の経営権の所在の経緯についての研究では, 新見吉治氏 の 「名主 の研究」, 西岡虎之助氏の 「中世荘園における本家, 領家の支配組織 (下巻一), 永原慶二氏 の 「日本封建制成立過程の研究」 (第一部), 綱野善彦氏の 「中世荘園の様相」, 杉山博氏の 「庄園 解体過程の研究」 の中の 「新見庄の伝領と支配」 などの研究がある, ) W. 荘園経営の理想像. 宇津保物語には, 荘園領主の理想像, 紀伊国神南備種松家のことが 語られている, この荘 園領主 は, 上古の氏上家で, そこには自給経済生活の理想が描かれている, あらゆるものが自給自足で生 産されている, ただ高級品や舶来品などの小量のもの が交換経済によっ て入手され, また, 高級品 については, 都の職人を呼びよせ, 荘内に住まわ せて作らせている. 経営の組織としては, 主人種 松 (領主) の下に, 政所 (家政事務所) があっ て, そこに経営の担当者の家司が3 0人ばかりあり, その家司の統制の下には, 諸生産所の主任たる頚 (あづかり) または別当が ioo 人 ほ ど も あ り, こ れらのものがあつまっ て荘園経営の方針を相談して定め, その家司, 頚の下には, 農工業的技術者 や労働者 (男・女) 6・700人ばかりがある. 注 (宇津保物語は, 冷泉・円副 7~984仝 Fの頃の成立である, 神南備家の自給自足の経済 ー天皇の96 の 理 想 と し 語 る と こ ろ を ま と め て み る と, 第 一 次 的 生 産 経 済 面 と し て は, 門 田20町, 家 園 駆けの 耕. 営, これと関連のある厭屋, 牛屋の経営があり, それに補助的生産経済面としては, 炭焼, 木樵及 び鵜飼, 鷹飼, 綱鞠などの原始産業がある, 第2次生産経済では, 厨屋, 大炊, 炊屋, 酒殿によっ て食生活の確保があり, また作物所及び鋳物師所, 鍛 台屋などの工業の面があっ て住生活が確保き れ, さらに, 織物所, 染殿, 鋳物所, 張物所, 縫物所, 糸所, それに.養蚕所があって, 衣生活が確 保されていた, 衣食住ともに, 日常生活の完全な自給自足経済をし, 「ゆたかに飽き満ち」 たる生 活をしていた, 加工品の原料の, 金銀銅鉄などは交換経済にたよっ たであろうし, また, 綾錦, 唐 絹, 新羅絹などの高級品, 船来品は, 自家生産よりも, 交換経済による完成品の購入品であっ たら - 8 -.

(10) . 中世荘園経済の経営学 し い, 西 岡 虎 之 助 氏 の ま と め に よ る. ). 新猿薬記 ( 989一1 066年藤原明後 ず著) には, 出羽権介田中豊益のことが記されている. この人物 は, そ の 名 前 か ら し て も, 架 空 の 人 物 であ る う と い つれているが, 当時の理想的な農業経営者の姿 と し て 描 か れ て い る, そ れ に よ る と 「三 の 君 の 夫, 出 羽 権 介 田 中 豊 益 は, 偏 に 農 耕 を 業 と な し, 更. に他の計なく, 数町の戸主 (ヘヌシ), 大名由増なり」 (原漢文) とあり, その農業経営と富裕と を説明していうには, 「兼て水早の年を想い, 鋤・鍬を調え, 晴に膜迫の地 を 度 り, 馬把 (マグ ワ), 型 (カラスキ) を繕う, 或は堰塞 (イセ. キ), 堤防 (ツッミ), 溝渠 (ホリミゾ), 畔畷 (ア ゼ ナ ワ テ) の 功 に お い て, 田 夫 農 人 を 育 て, 或 は 種 蒔, 苗 代, 耕 作, 播 種 の常 !に 於 い て, 五月. 男女 (サオトメ) を労(ネギラ)うの上手也」 (原漢文) とし, また 「地子宮物租穀, 租米, 調庸 (中略) 出挙班給等の間, いまだ束把合勺の未進も致さず」 とのべて, この時代の大名田塔の勧農 に精を出している姿を描いている, 池溝・用水の修理や施設, 農具の準備や営農の指導, 労務管理 など, 農業経営全般についての 指導と育成のことが描かれている, 平安時代には, 在地領主や有力農民 (田端とか名主という) によっ て, 農業は経営され, 直接農 耕民は, これらの有力者の指導と保護によって農耕していた, 普通これらの指導と保護を, 勧農と よんでいるが, この状態は鎌倉初期にもつづいた, 沙石集などに出ている地頭と農民の 関 係 な ど も, ある種の理想像であっ たのであろう, 中世の荘園領主や経営者は, 年貢徴収のみでなく, 民事 ・刑事の裁判から, 農業生産の勧農の事や, 荘園の存立にかかわる対外的関係のことまでも, 経営 と し て 考 え ね ば な ら な か っ た, こ の よ う な広 汎 な 経営 と い う こ と で は, 戦 国 大 名 の 武 田 信 玄 と か,. 長曽我部元親とか, 北条早雲とかの戦国武将4ま , 家訓をつく っ て, 領国の経営にあたっ たが, ある 意味では経営の極致ともいえよう. (注, 戦国大名の経営 :戦国大名は, 領内の経営にあたり, 家訓を定め, 領主自身のみでなく, 領 民もともに守っ てゆくべき政治方針, 経営方針とした, 農業経営では, 貢租の額を増加させるため に, 農業の進歩につとめ, 河川堤防の安定や用水路の整備をはかり, 耕地の開発を積極的におこな った. 朝倉氏は十郷用水を開き, 武田信玄は釜無, 笛吹二 川の治水につとめ, 今日でも信玄堤とよ ばれて感謝されている, このような大規模な, また技術の高い用水・土木工事は, 戦国大名になっ て は じ め て 可 能 に な っ た,. 北条氏が新田の開発に努めたのも, 有名である, 北条氏は新田開墾者に課役を 免除したり, 夫 食, 褒美を与えたり, 開発を怠るものを厳科に処するとまで厳達して開発につとめた. 武蔵入間郡 大井郷では, その郷の四人衆といわれる四人の百姓が, 山野を開発した功績によっ て名主職に補任 さ れ て い る, こ れ は, 戦 国 大 名 の 勧 農 が, 在 地 の 武 士, ま た は, 名 主 に よ っ て 進 め ら れ て い た こ と. を物語るものである, ) V. 荘園経営上 の経済倫理. 1 . 荘園領主と在地領主・荘民らとの精神的結合 荘園預主と在地領主・荘民らとの精神的つながりは, 荘園領主の氏神を荘内に勧請して, 荘園領 主を氏ノ上とし, 自らはその氏子となり, また在地領主 (寄進者) は, 荘園領主の姓を冒す, つま り 冒 姓 の こ と も 多 か っ た, こ の よ う に し て 勧 請 さ れ た 氏 神 は, 今 日 に い た る ま で も 村 の 鎮 守 と し , て 祭ら れ て い る. 氏 神 の 祭 り を 中 心 に し て, 同 じ 氏 族 の も の と い う 連 帯 感 を も っ て 結 ば れ て い た ,. 近江国甲賀郡の岩室荘に頓宮村があるが, 頓宮氏の祖先は, 昔, 平安時代の斉王の伊勢参道の垂水 頓宮牧の役人であったか, 後に, これを藤原氏に寄進して, 自らも藤原の姓を名のり, 春日明神を - 9 -.

(11) . 石. 津. 徹. 荘内に勧請した. 頓宮氏は南北朝 時代に, 太平記に 頓宮弥九郎の名が出てくる, 旧 伊勢 街道 の 方 は, 袖荘と いっ て, 古く延暦寺領であっ たので, 日吉神社を勧請して祭っ ている, 宇佐 神 宮 領 で は, 神 宮 の 祭 神 を 中 心 に 結 合 さ れ て い た の で, 「人 倫 ノ 服 仕 セ シ ム ル 能 ハ ザ ル トコ ロ」 で あ っ て, l o ) た だ 神 の み が 服他;せ し む る も の で あ る と さ れ た と い う,. しかし, 律令政府に よる秩序維持に たよることがで きなくなっ た社会では, 荘園の維持と 存立と いう一生懸命の 土地の確保と維持のためには, 主従関係に よる縦の結合の協力が必要であった, 在 地領主たる主人や主家は, 平素から家人や郎等, 郎従に恩愛を施した, この恩誼に対して, 家人ら は主人や主家に対して, 恩誼に忠義や忠節をもってこたえた. このような主 従関係の封建倫理によ る団結なしでは, 一生懸命の荘園を 保持することが できなかっ た, 八幡太郎義 家には, 多くの荘園 が寄進されて, 天下に絶したと いわれるが, 義家の郎等が頼光の孫の国房に辱しめられたときに, 義家は仏事の席をけ って, 同族の国房と美濃で戦った, また, 藤原実清と清原則清とが, 河内国の 所領争いをしたと きに, 義家と義綱の兄弟 は, それぞれから援をもとめられて, 義家と義綱とは兄 弟でありながら 戦っ た, 義家は, 郎等らの所領争いには, たとえ肉親の親戚や兄弟とでも戦って郎 等らをまもっ た, このように, 一生懸命の土 地を守るためには, 強い主 従の団結が必要であった, 頁永式目には, 人民の福祉は, 所詮は, 従者は主に忠を尽 し, 子は親に孝あり, 妻は夫に従い, 人 の 心 の ま が れ る を ば す て, 直 き を ば 賞 す る に よ っ て 進 め ら れ る と の べ て い る,. i on) を よ -つは, 人間関係 (human relat 現代の企業体の 経営者として, 最も重要な経営 論の-. く す る と い う こ と で あ る. 人 間 は 機 械 で は な い, 金 を だ し さ え す れ ば よ い と い う も の で は な い, 封. 建社会では, 封建社会の主従関係の倫理, 人間関係があ ったが, 今日の経済体ではその巨大 な企業 体を働かせ てゆくのに は, 働く人たちが 気持よく, 協力して働け るよう な人間関係の樹立というこ と が 重 要 で あ る,. 2. 質素・倹約の倫理 第二には, 荘園経済は自給自足を 建前とする経済であり, 社会的分業 の進んでいない経済社会で あるからして, 自給自足の自家 生産品をもっ て満足する ことがフぐ切な心がけ であり, それには必然 に質素倹約を旨とし, ぜいたく品の流行や欲求を抑える必 要があっ た. その乙とが, 当代のすぐれ た経営者であっ た北条執権者たちによって指導され, また, 貞永式目などにも示すと こ ろ と な っ た, 栂尾の清僧, 明恵上人に, 無欲たれとの数を学んだ 泰時は, 飢難の時には税を免じ, 自己の荘 園の証文を破 っ たといわれ, また, つねに徹 底した倹約と質素の範を示した, 時頼なども, 質素倹 約の範を示した, それは自給自足の経済であったからである, 3. 経営者としての倫理 第三には, 経営者としての倫理である, 現代にお いても, 経営者倫理として, 経営学の 大家 ドラ P世 荘 園 の 経 営 者 と 1 1 ) よ と 求 め て い る が, 1 ‐ ッ カ ー は, バ イ ブ ル の 教 を も っ て, 経 営 者 の 心 得 と せ ,. しての倫 理は, 同じく重大であっ た. 荘園経営者は, 荘民を信服 せしめるだけの 人格と識見や 指導 力をもち, 勧農についての知識と技術をみがく必 要があっ た, そのような指導と保護なしでは荘園 は荒廃するのみである. 歴史家は, とかく, 争議や訴訟事件などの史料のみ を取扱うために, 荘園 内はいつも 領主 (経営者) と荘民は対立し, 領主は搾取ばかり していたようにみる嫌いが あるが, n三瀦な荘園経営 では, 経営者と荘民との信頼関係なしでは, 成立しなかっ た, 将軍と地頭との間に は, 封建的信頼関係が あっ たが, それ以上に, 地頭とその領民 (荘民) との間には, 封建的ではあ るが, 信頼関係があっ た. 地蔵菩薩霊験記 (中) には, 「上総守藤原 ノ時重 当国ヲ被 拝任時, 国 ノ政ヲ改メ, 前代ノ暴虐 o- -l.

(12) . 中世 荘園経済の経営学 当 国ノ、不 及 云, 隣 国 ノ 民 モ, 此 民 タ ラ ソ コ ノ 事 悉 ク 変 ジ テ, 仁 厚 ヲ以 、テ ー 国 ヲ 愛 シ 申 サ レ ケ レ バ, トラ 慕 ヒ, 商 買 モ 彼 ノ 市 二 立 マ ク ゾ 思 イ ケ ル, 政 治 三 十 年 ノ 間, 如 是 ナ レ バ, 人 皆, 末 世 ノ 奇 状 ト ゾ 申 シ 合 ヘ リ」. また沙石集などをみても, 地頭などの 農民に対する思いやりか のべられている, 地頭は農民に対 し, そ の 労 苦 の ほ ど を 推 察 し て, 「初 め 田 が へ す よ り 苦 し み 営 む 口 に 入 る ま で の わ づ ら ひ い く ば く. ぞや」 と語り, さらには, 「緋鋤にあらざ るを食とし, 蚕にあらざるを衣とすといひて, 牛馬人の 力を入たるもの 用ひず, 絹の類をき」 ない, というような思いやりのある考えや生活態度が, 当時 の政治的 支配層や消費生活層の間にみられるのは, 地頭対農民の間に, 強い温情の 気持が働いてい たものといえ よう, (西岡虎之肋・ 民衆生活史の 研究 P, 2 48) 今日の企業体が, 多くの人を組織化 して, これをよく働かしめるためには, 彼らが経営者ヤこ信服 して働くようにする ことが, 経営上の重大事である. そこに経営者としての人格や識見が重要とな よく 当代の道理のあると ころを ってくる, 泰時や時頼らは, 自ら質素倹約を旨としたのみでなく, 求 め た こ と は, 人 々 を 信 服 せ し め た 理 由 で あ る と 思 わ れ る, ドラ ッ カ ー の い う よ う に, 今 日 で も,. 経営者としての人格性が求められるのは同じである, その点, 戦国大名が家訓を制し, 自らもそれ を実施せんとし たのは, 経営者として, 当然の仕方である, 家康の 経営学は, その意味では学ぶべ きものがあるであろう, = 経済機能 別にみた荘園経済の特 色 \ 当時の社会は, 田, 商・土・工というおぼろげな程度の区別 (正法眼蔵随聞記) にとどまっ た, 分業の進んでいない, 農業を主体とした, 自給自足の 経済社会であっ た, それが室町時代となり,. 士 ・ 農 ・ 工 ・ 質 と い う 差 別 の 社 会 へ 進 み, 近 世 に な っ て, 土 ・ 農 ・ 工 ・ 商 と 峻 別さ れ る よ う に な っ. た, (慶長見聞集五), それ故に, 社会分業の進んだ今日の 経済感覚をもって, 農・工・商・ 貿易 ・貨幣・交通などと 経済機能別に 叙述することは, 読者に反って誤解を与え るものがある. このこ とを充分に 考慮して叙述されね ばならぬ, 1 , 自主的な荘園経営 中央集権 的な計画経済の律令時代は, 社会分業の進んだ時代ではなかっ た, その律令政府の計画 経済が崩壊して, それぞれの荘園が自主的な, 自給自足を 建前とする農業 本位の経営を行 なっ た, このように, 荘園経済は荘園経営者の自主的経営であるから, 幕府はその経営に 介入するもの では なく, 幕府の任務は治安警察にあっ た, 幕府の本来の任務が このよう なものであると いうことを忘 れて, これまで, 歴史家は, 幕府の農業政策はどうであっ たかなどと問うた場合もある, 内田 銀蔵 博士は, 日本経済史概 要に, 鎌倉及び足利時代において, 幕府は全く農業について冷淡であっ た, それを自然の 成行に放任して 顧みなかっ たとのべている. 他方, かなりの歴史家は, 幕府の新田開 済は, 元来, 荘園領 発や農業政策の例をあげて, 大いに努力し ,たとする人もある, しかし, 荘園経 主自身の, 自主的な経営によるものであっ て, 荘園の開発や経営につ いて, 幕府の干渉 しうるもの ではなく, 幕府は治 安維持 (測世安民といった) の任に当るを主 としたものであり, 幕府はその限 業 界 を 守 る こ と を 旨 と し た の で あ る か ら, そ の 意 味 で は, 内 田 博 士 の い わ れ る よ う に, 幕 府 は 農 に. る, この時代に農業は発 ついては 成行きに任せて顧みなかっ たといっ た方が真実に近い言い方であ‘ る 展 し た か ど う か と い う こ と に つ い て は, 豊 田 武 氏 も 大 勢 か ら い う と 停 滞 的 で あ っ た と い っ て い , 1 2 (豊田武編集 産業史 P, 302) ). 2. 農業本位の自給自足の経営 - 11 -.

(13) . 石. 津. 級. 荘園経済は, 農業本位の自給自足を建前とする経営である. 手工業的なものをも自家生産するよ うな意味での農業本位であり, 交換経済に依存するものは僅かであっ た. 中世荘園経済こそは, 自 足経済の典型であるといわれる, 自足経済の徹底していたことは, 貴族の日常必需品が, すべて難 公事として名主に課せられ, 生産物の形態で納めさせていた, 名主の農業経営の中で, 多様な瀦菜 類が雑公事として採用されていた, 機内荘園では, 一般的に, 瓜, 茄子などが作られ, 薯 海 萄薬 な ど も 荘 園 の 公 事 と し て 納 め ら れ る よ う に な っ て い た こ と に よ っ て も, 自 足 経 済 の 様 子 が 知 ら れ. る, 荘民は割充てられた田地を耕作して, 代償として, 荘園所有者に年貢 (本税・地子) および公 事 (雑税・調), 夫役 (橋) を, 定期, 臨時に, 年々負担して納めた, その負担の一つとして, 荘 園所有者の直轄領の佃を, 義務耕作する場合もあっ た, 3, 手工業品の製作 荘園経済は自給自足の経営であり, それを建前としていたので, 豊田武氏のい うように, 荘園内 では, 農業と手工業とは 緊密に結合していた. 農民は自家消費E 日の手工業品を自 ら製し, 製品の- 部を, 領主への貢納とした, 一方, 有力な在地領主の中には, 多くの直営地を, 自己の下人や名子 に耕作させると共に, 邸内には作業所を設けて, 日常の生活に必要な加工食料品の類や, 農具, 武 具, 武器の一部を, 手工業技術の堪能な下人をして製作させた, さらに, 高級な手工業品の製作に ついては, 都から, その専門の手工業者を招いて, 荘内に住まわせて製作させたりした. 大きな本 所・領家の荘園領主の下には, 直属する下級役人のような地位の手工業者もいた, 高級手工業者の系譜としては, 律令体制以来の, 官営工業の伝統をつぐもの, また, 准官営工業 と も い う べ き寺 司 の 所 属 の 手 工 業 者 な ど が あ っ た が, こ れ ら の も の は, 座 を つ く っ て か,. ま た は 座. をつくらなくても, 本所, 領家の保護の下に, 高級工芸品の製作と販売を行っていた, 要するに, 専 門的な手工業者は, 古代以来の技術を伝える官営工房か, 社寺付属の工房に隷 属し, その需要に 応じるかたわら, その余暇を, 一般の注文と市場の生産にあてていた, 4,. 漁業について. 平安後期から鎌倉初期にかけて, 皇室, 貴族, 寺社等の諸ヰ ; 窪門が, それぞれの家の経済 体系を確 立してゆく 過程で, 漁業も, また, その体系内に一定の位置を与え られてゆく, 海産物を貢進する 供御人, 供祭人などを寄人として 組織しつつ, 御厨を設定するという方法によっ たり, または, そ の所有する荘園, 公領内に, 浦, 浜, 津などの地域を定め, 生産者を招きよせて開発することによ っ て, 荘園内の漁業の位置づけが行なわれた, 5,. 商業について. 荘園経済は, 自給自足経営を原則としたので, 現物自然経済が支配的であり, 幕府に属する地頭 =武士の支配領域には, 商品流通はほとんど展開しなかっ たとさえいわれる, しかし, 完全な自給 自 足 の 生 活 の み に 閉 ざ さ れ て い る わ け に は ゆ か な い. し た が っ て, 商 行 為 も, 荘 官 の 一 族 や, そ の. 下人などによ って行なわれた, 市庭商人が荘園領主と深い関係にあっ たことも明らかに さ れ て い . 市立については, 文治元年, 葛西三郎清重は, 奥州の所務に預っ た時に, 所領内に市 立を行なっ て, 頼朝よりほめられている, 市立は地方開発に役立つからである. 在地領主や土豪らは, 市に下 人を派遣して, 市場商人から種々の必要品を購入させ, また, 自家生産物や貢納の剰余などを うら せた. 定期市なども, 次第に普及してきたが, 一般農民の手許に残される余剰生産物が少なかっ た ので, 市場の利用者が荘官か有力名主に限られていたといわれる. 東関紀行には, 市の盛んな様子が記されているが, 律令時代には, 市は都の東西や, 地方の国府 - 12 -.

(14) . 中世荘園経済の経営学 や津に, 政府の監督の下に設けられていたのであった, しかるに, 律令社会の解体と共に, 市は有 力な社寺や地方豪族により保護され, 管理されるように なっ た. この頃は, 遍歴の行商人が, 織物や工芸品などの 著移品を, 千業横 (セソダビッ) に仕入れて, 土豪の邸を訪れた, 室町時代の叉正草子をみても 常陸の豪農・叉正の屋敷を訪れた商人は, 女房 の装束, いちいちの手具足を携えての京下りの商人であっ たと記している. 室町時代でも, 地方経 済は, 自給経済であっ て, 行商人の持ち来 るものも, 全く害惨品, 即ち, なくてもすむ も の で あ っ た. 自給自足を原則とする荘園経済では, これらの著惨品の流行は, 荘園経済を破る も の で あ る の で, 当 然, 経 済 倫 理 と し て は, 倹 約 ・ 質 素 と い う こ と が 重 大 な こ と で あ り, 従 っ て, 心 あ る. 為政者, 泰時, 時頼らの北条執権が, 自ら倹約と質素の範を示したのは当然である. 当時の商工業 が, ぜいたく品の製造と販売であっ て, 農民一般の必需品の生産と販売ではなかっ たからである. ラ丘世封建制下の経済では, 制度的には, 封建制の完成であるが, 商業革命ともいうべき商品経済 の発達があり, そこに中世の自給自足の経済と異っ たものがあった, つまり, 城下町に武士階級は 住 居 し て, 消 費 階級 化 し た の で あ る か ら, 商 工 人 の 供 給 な し で は, 生 活 は で き な か っ た. し か し,. 農村社会は, できるだけ自給自 足の経済たらしめんとの方針で, 商人の農村に入るのを禁じた, そ ‐世 の 完 全 に ぜ い た く 品 の 売 買 の よ う な も の で は な く て, 城 下 町 の 消 ー れ 故 に, 近 世 社 会 の 商 業 は, [ キ. 費階級の必需品とぜいたく品とを扱 っ た, そのぜいたく品の流行することは, 支配階級を危くする ものであり, 農村へ浸透することも恐れられ た. その ような流行が封 建制を危くするものであると の自覚からして, 近世には 経済論が発達したのであるが, それに比すれば, 中世荘園経済では, 商 品流通は, 地方には比較的流行せず, 自給自足経済が大勢であったから, 経済論は趣;ず, ただ質 素・倹約がいわれたのみであっ た, 6.. 間 丸につ いて. 年貢の輸送を主とした間丸の職の如きも, 荘官の一族の職権であり, 荘官の役職の 一部 で あ っ た. 豊田武氏も間丸は, 間職が譲与の対象物であり, 間は得分の徴収権をもっ た一種の荘官職と考 え ら れ て い た と の べ て い る. こ の よ う に, 荘 園 の 収 獲 物 輸 送 に 端 を 発 し た 間 丸 も, 後 に は, 荘 園 領 主 か ら 独 立 し て 営 業 す る よ う に な り, 数 的 に も 増 加 し て い っ た, 7, 銭 の 流 通 の こ と. 銭の流通は, 荘園経済の自給自 足の原則を破るものとして, しばしばその流通の停止 を命ぜられ た, 百錬抄の治承三年六月 の条には, 「天下に銭の病と称する 奇病が流行している」 として, 必配 さ れ て い る. ま た 九 条 兼 実 は, 玉 葉 に, 朝 廷 で は 貨 幣 の 使 用 が 物 価 の 動 揺 の も と と な っ て い る と し て, そ の 流 通 を 禁 ず る 方 針 を と っ た こ と を 記 し, か つ, 兼 実 は い う に, 「凡 そ, 我 が 朝 の 衰 微 た だ こ の こ と に あ り」 と の べ て い る, 銭 の 流 通 の 反 対 さ れ た 理 由 を ま と め て み る と, 貨 幣 の 流 通 は 本 色 怠 しめる の 備 え を 怠 ら し め る, 即 ち, 銭 の 流 通 ,は 必 ず し も 生 産 と は つ な が ろ ず, む し ろ, 生 産 を ら. ものがあ ること, また, 銭の使用の流行は, 物価の高低の変動 (物価騰貴) を生ずるので, 自給自 足の経済 を破るものがあると考えられた, 以上の理由によっ て, 朝廷も幕府も, しばしば, 銭の流通の禁止令を出したが, 実際は停止でき な か っ た, 自 給 自 足 を 建 前 と す る 荘 園 経 済 で は, 当 然 の 禁 令 で あ っ た が, ま も ら れ な か っ た,. 8, 交通機関につ いて律令制下では, 国家の交通機関として, 駅逓の制を全国的計画をもって行 なわれたが, 事実上は, 政府要人のための交通機関であっ て, 一般人の利用は少なかっ た, しかる に, 荘園経済の時代に は, 荘園の年貢を, 本所・領家などへ輸送す るための 交通機関 として 発 達 し, 間 丸 な ど も, そ の た め に 生 じ た.. - 13 -.

(15) . 石 9,. 揮. 徹. この 節の 結 び. 荘園経済時代の経済の諸機能, 農・工・商・貨幣・交通などのそれを, 現代の 社会分業 の 進 ん だ, 自由な市場経済 時代の意識をもっ て, 機能別に叙述することは, 読者に, 大きな錯覚や誤解を 犯させる危 険があることがわかっ たと思う, それ故に, それらのすべての経済活動が, 荘園の経営 という基本的な経済活動の, 運動法則から理解されねば な )な い と い う こ と を 知 る 必 要 が あ る, 注 1 ) Davis Hughes and Mcdougall:A merican Economic Histoly. ion. 2) Robelt s. Hoyt:Feudallnstition:cause or consequence of Decentralizat. 3 ) 経済発展段階説: リストの説, 国民経済の発展段階を中心に, 狩猟→牧畜→農業→農工→農工商段階へと発展すると, ロッシヤーの説, 経済構造よりして, 自然支配→労働支配→資本支配へと発展, ヒルデブラン ドの説, 流通手段を中心に, 自然経済→貨幣経済→信用経済へと発展. ビュッヒャーの説, 財貨が消費者の手にとどく距離を 視点として, 家族経済→都市経済→国民経済へ, lat i i I DeveLopment ts Re on to SOC o cs--ln i 4) W.Stark:The History of Economi , iam Kapp and Lore L. Kapp: History of Economic Thought l l 5) K. Wi ,. 6) Butterfieid:History and Human Relation. 7) 六波羅時代:平氏が全国三十三カ国にわたって散布された荘園の領主となり, 清盛が太政大臣となって人臣 の位をきわめたが, その反面には, その犠牲となった多くの貴族・院・党などの沈論があった。 平氏の荘園と 化する過程で, 荘園領主や在地領主の間には, 大きな変動があった。 松本新八郎の 「中世社会の研究」 参照, 8) 承久の乱後, 幕府は京方 (敗軍の公卿, 将士) 三千余カ所の庄公を没収して, 領家・地頭を改補した, した がって, 武家非口入の権門家鎖は, いよいよ減少し, 守護地頭の制度は次第に全国にゆきわたり, 御家人が社 会の中堅となっていった, ) 荘官には, 上・中・下とあったが, 預所である中司を欠く場合もあり, 最も普通には, 下司だけを荘司とい 9 った. だから, 荘司とは, 下司を代表する用語であった, かかる在地の荘司は, はじめは文官的性格のもので あったが, 平安時代の中期頃よりは, 地方の秩序がみだれてからは, 次第に武官的性格を帯びていった, lo) 工藤敬一氏の研究発表がある.. ”). i Pe t ce of Management er F. Druckeた The Pract .. 2 ) 12) 豊田武編産業史 (p,30 平安中期の震名類衆抄と室町初期の拾芥抄とを比較して, 全国の耕地は86万2千町歩から, 9 4万6千 町 歩 に, 400年間 に8万4千町歩増加せるのみである. 中世の耕地の発展は, 過少に評価はできないとしても, 中 世と他の時代とを, 全歴史的立場からみるときには, 停滞的とみとめられるというのだ,. - 14 -.

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