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唱歌「箱根八里」の歌詞と漢詩文

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(1)Title. 唱歌「箱根八里」の歌詞と漢詩文. Author(s). 後藤, 秋正. Citation. 札幌国語研究, 10: 73-81. Issue Date. 2005. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2725. Rights. 本文ファイルはNIIから提供されたものである。. Hokkaido University of Education.

(2) 一夫. 後. 藤. 関に当るや万夫も開くなし. 人里の岩ね踏み鳴す. 天下に放する剛殻の武士 大刀腰に足駄がけ. 萄の桟道数をらず. 斯くこそありしか往時の武士 ﹁今の箱根﹂ 箱根の山は天下の阻 ︵繰り返し︶. 人里の岩ね踏み破る. 山野に狩する剛毅の健児 猟銃肩に草鞋がけ. 斯くこそあるなり当時の健児. 一読して漢文訓読調の歌詞であることは明瞭である。また、. に撃え﹂と﹁後にささ︵支︶. ふ﹂が村になっているばかりで. ほか、部分を取り上げてみても、﹁万丈の山﹂と﹁千切の谷﹂、﹁前 しりへ. 全体が﹁昔の箱根﹂と﹁今の箱根﹂とで大きな対をなしている. 唱歌﹁箱根人里﹂の歌詞と漢詩文. ■. の手になったもの. 唱歌﹁箱根人里﹂の歌詞は、東京音楽学校︵現東京芸術大学︶. 教授であった鳥居恍︵一八五三∼一九一七︶. である。歌詞が先にできていて、懸賞に応募して入選した滝廉 太郎︵一人七九∼一九〇三︶ の曲とともに、明治三十四年︵一. 九〇こ、東京音楽学校編﹃中学唱歌﹄に発表された。歌詞は﹁昔 の箱根﹂と﹁今の箱根﹂の二牽からなっている︵引用に際して は新字体に改めた ︶ 。. ﹁昔の箱根﹂. 画谷関も物ならず. ︵1︶. 前に奪え後にささふ 羊腸の小径は苔滑か. 霧は谷をとざす. 千何の谷. 箱根の山は天下の陰 万丈の山. 雲は山をめぐり. 昼猶聞き杉の並木. −73−.

(3) なく、国語を担当していたこととも関わると思われる。. に、周到な工夫がなされている。これは鳥居が音楽通論だけで. をめぐり、霧は谷をとざす﹂と、対句で承ける、といったよう. というように隔句対に構成され、これらをふたたび、﹁雲は山. なく、﹁万丈の山﹂が﹁前に奪え﹂、﹁千切の谷﹂が﹁後にささふ﹂. 大行の山の道はその険阻を以て周ぺ知られていた。⋮⋮. 猶自平於掌. 若比世路難. 羊腸不可上. 馬蹄凍且滑. 猶自カラ掌ヨリ平ラカナリ. 若シ世路ノ難キこ比スレバ. 羊腸上ルベカラザルモ. 馬蹄凍リテ且ツ滑ラカナリ. HP新書一二〇、二〇〇〇・八初版︶の第十一席﹁自製天の影﹂. わが人生行路のさがしきに比べればあたかも掌の上を往く. そこから転じて、けれども、しかく険しき山路といえども、. 白氏の詩は、そうした大行路の難きを︳ず措叙しながら、. が取り上げている。まず﹁芭蕉と相通ずる詩情﹂の項において、. がごとくに平らかである、と人生論的に展開していくので. ︵P. ﹃自氏文集﹄巻一に載せる﹁東林寺白蓮﹂詩を読んで、芭蕉の. ある。. さてこの歌詞について、林望﹃日本語へそまがり講義﹄. ﹁名月や池をめぐりて夜もすがら﹂を想起したことを述べ、﹁遥. さて、ここで思いあわされるものはなにか。. と、氏はここまで述べてきて、前に引いた﹁箱根人里﹂の第一. かな時空を隔てて、東西の両詩傑が、期せずして、深更に﹃池 をめぐりて﹄詠革を案じているのは、いかにも興味深いと思う. 章を引き、次のように言うJ. である。こ. のである。﹂と結んでいる。続いて﹁F箱根人里﹄から昭和の流. 御存知、瀧廉太郎作曲の名歌曲r箱根人里﹄. の詩の作者、鳥居恍は明治の東京音楽学校数授だった人で、. 行歌まで﹂の項では、次のように言っている。やや長くなるが 引用してみよう︵自居易の詩の原文は引用されていないのでr自. 作曲に当たった瀧廉太郎は当時同校の生徒であった。. 以て、かなりの確度で安当に推定されるかと思われる。就. であろうことは、その情景の相似、文辞の共通なることを. そうして、この詩の背後にはたぶん上記の白詩があった. 氏長慶集﹂から補った。また、書き下し文は林氏に従ったがル ビは省略した︶。. では次に、同巻﹁初入大行路﹂という詩を読んでみる。 天冷日不光. 大行ノ峯蒼濁タリ. 天冷ヤヤカニシテ日光ラズ. 注意したいのである。自民の影は、かくして遠く明治の御. に自詩があたかも﹁裏打ち﹂のように透けて見えることに. あって、この詩の根幹をなすところかと見られるが、そこ. 中に、この曲の中間部﹁⋮⋮﹂は、一、二番共通の歌詞で. 太行峯蒼弄. 嘗テ開ク此ノ中ノ険シキコトヲ. 世にまで及んでいることが分かる。. 初メテ太行路こ入ル. 嘗開此中険. 今我方二濁り往ク. ︵2︶. 今我方猫往. ー74−.

(4) 自居易﹁初入太行路﹂を読んで、﹁箱根八里﹂が﹁思いあわ される﹂かどうかは主観︵あるいは、個人的な体験︶に属する. てみたい。 ﹁天下の険﹂の語は唐詩に二例しか見えない。まず、杜甫﹁諸. 将五首﹂︵其の五︶︵﹃全唐詩﹄巻二三〇︶の末聯の例。 ことなので、ここでは触れないことにする。しかし、﹁箱根八里﹂. の冒頭には、. 崩城毀壁至今在 崩城 毀壁 今に至るも在り. 君不見函谷関 君見ずや函谷関の. 巻一九九︶. のほか、例えば琴参﹁函谷関歌、送劉評示使関西﹂︵﹃全唐詩﹄. 崗と冠雲山という二つの山が際立っているので二晴と言う。こ. 以てす。 と言う。﹁二匝は、河南省と駅西省の境に横たわる晴山。青. 左拠函谷・二晴之阻、表以大草・終南之山。 左は函谷二一晴の阻に拠り、表するに太華・終南の山を. ︵﹃文選﹄巻一︶には、長安周辺の地勢について、. 関・函谷︶の語には多くの用例がある。すでに、班固﹁西都賦﹂. 西萄地形天下険 西萄の地形は天下の険なり の背後に、﹁初入大行路﹂があったことが、﹁その情景の相似、 すべからよ 安危須使出群材 安危 須く放るべし出群の材 文辞の共通なることを以て、かなりの確度で安当に推定される﹂ 白居易﹁夜入畢唐峡﹂︵F仝唐詩﹄巻四四一︶の冒頭には次の かどうかについては、なお検討を要するであろう。以下、この ように言う。 こ と に つ い て若干の考察を試みよう と 思 う 。 畢唐天下険 畢唐は天下の険なり まこと 二 夜上信難哉 夜上ること信に難きかな 林氏は、﹁箱根人里﹂の背後に、﹁初入大行路﹂があることに 杜甫の詩では、国の西方にある萄の地が、天下に名だたる険 ついで、まず﹁情景の相似﹂を根拠として挙げる。しかし、こ 要の地であることを言い、白居易の詩では、長江の三峡︵一般 には畢唐峡、巫峡、西陵峡を指す︶のうちでも、両岸に断崖が れは自居易の詩ばかりでなく、のちに引く、萄の桟道の険阻な 切り立っている笹唐峡が最難関であることを言う。﹁函谷関﹂︵函 ︵3︶ さまを詠ずる詩篇を見れば、白屠易の詩に措かれる情景だけが 相似しているとは言えないことが理解されよう。また、﹁文辞 の共通﹂している点も根拠として挙げている。文辞がどういう 意味かはっきりしないが、両者で語嚢が類似するのは以下の通 りである︵林氏は一番のみしか引かないが、二番も村象とした︶。. 此の中の険1天下の険 羊腸上るべからず1羊腸の小径 凍りて且つ滑らか1苔滑らか. 範囲を広げて対照しても、類似する歌詞が見られるのはこの 三 箇 所 に 過 ぎない。 それでは、﹁箱根人里﹂の歌詞は、どのような漢詩文の語嚢 を踏まえているのだろうか。以下、唐詩を中心として用例を拾っ. −75−.

(5) 空谷千年長不改. 空谷. 樹根芋蔓速古道 樹根 草蔓 とこし−え. にも 、. 長に改まらざるを. 古道を遮り 千年. と詠じられる。また、李白﹁奔亡道中五首﹂︵其の四︶︵﹃仝唐詩﹄ 巻一八一︶. 老境. 巌翠. 万丈. 秋天に倍る. 雲を凌ぎて出づること過戯として. 徴省青傷県の西︶の高さを強調する。. 巌翠凌書出過然. 老境万丈借秋天. ﹁千切の谷﹂は、﹃文選﹄には一例が見える。司馬彪﹁贈山蒔﹂. と言う。ただし、﹁万丈の山﹂と﹁千切の谷﹂を村句に構成し. 函谷如玉関 函谷は玉関の如し ︵ ﹃ 文 選 ﹄ 巻 二 四 ︶ にじ 幾時可生還 幾時か生きて還る可し 上凌青雲寛 上は青雲の寛を凌ぎ という句がある。﹁玉関﹂は、玉門関。敦燈の西北にあった。﹁万 下臨千切谷 下は千切の谷に臨む 丈の山﹂の﹁万丈﹂の語は、早くは孫縛﹁遊天台山賊﹂︵﹃文選﹄. た例は﹃文選﹄には見えず、唐詩には次のようなやや類似する. 馬危千切谷. 舟は険し万重の湾. 馬は危うし千切の谷. の例を引こう。. 舟険万重湾. 葉山. 深きこと万丈 はる 透かなること千重. た、李白﹁古風六十首﹂︵其の十大︶には、次のような対句が. ﹁鬼門関﹂は、広西省北流県の東南にあった交通の要衝。ま. 七︶. 対句が見えている。まず、沈俺期﹁入鬼門関﹂︵﹃仝唐詩﹄巻九. 巻一一︶ に、. 跨窄隆之懸橙 窄隆の懸橙に跨り 臨万丈之絶冥 万丈の絶冥に臨む には、. と見えている。﹁絶冥﹂は、深い谷。また郭瑛﹁江賦﹂︵﹃文選﹄ 巻一二︶. 絶岸万丈 絶岸 万丈 かすみ まだら 壁立赫敦 壁立して赫のごとく餃なり. る。. 古木千尋雪. 古木. 万丈の雲. 千尋の雪. ︵﹃仝唐詩﹄巻七二二︶の例も同様であ. 寒山 李洞﹁終南山二十儲﹂. 寒山万丈裏. 丈﹂を対にする。. 鄭谷﹁終南白鶴観﹂ ︵r仝唐詩﹄巻六七四︶は、﹁千尋﹂と﹁万. 菜山邁千重. と見えている。﹁万丈﹂の語は唐詩においては、港布、蔓、淵 見、 える。 梯子、炎などの形容に用いられ、山岳の形容に用いられること 呉水深万丈 呉水 は比較的少ないようである。自居易﹁寄微之三首﹂︵其の一︶︵蛋 唐詩﹄巻四三三︶は、その少ない例である。. 有山万丈高 山有り万丈高く ひろ 有水千里閥 水有り千里閲し これは、元積のいる通州︵四川省達県︶と自分のいる江州︵江. 西省九江市︶が遠ぐ隔たっていることを比喩的に述べたもので ある。郭襲﹁九華山﹂︵﹃仝唐詩﹄巻五六六︶は、九華山︵安. −76−.

(6) 万 丈 水 声折. 万丈. 水声折れ. また、唐詩には、以下のような用例もある。許渾﹁農自竹径至. と見えるほか、﹁苺苔滑らか﹂のように用いられる例が多い。. 苔滑仰晴渉. の例は次の通り。. たの. 求﹁山東蘭若遇静公夜帰﹂︵﹃全唐詩﹄巻七二四︶. という句が見えている。. 噴呼戯. 危ういかな高いかな 噴呼戯危乎高哉. 萄道の難きは青天に上るよりも. 難し. 西のかた太白に当たりて鳥道有. 以て蛾眉の巌を横絶す可し. り. 可以横絶蛾眉巌. 地崩れ山捲けて壮士死す. 相い釣達. 回日の高標有り. 石桟. 地崩山推壮士死. 上には六竜. す. 然る後 天梯 上有六竜回日之高標. 然後天梯石桟相鈎連. 西当太白有鳥道. 羊腸より. 萄道之難難於上青天. ムi町▲町・あ. 起されよう。長篇なので部分的に引用する。. ては、当然ながら、李白﹁萄遭難﹂︵﹃仝唐詩﹄巻〓ハ二︶が想. さて、﹁一夫関に当るや万夫も開くなし﹂ の句の出典につい. の冒頭には、. ﹁晴渉﹂は、渉草と同じく、薬草の一種であろう。また、唐. 苔滑らかにして晴渉を仰む. くも 藤陰迷晩竹 藤陰りて晩竹に迷い. 樹影停まる. 北のかた太行の山に上らんとす. 千尋. 赦しいかな何ぞ親裁たる. 千 尋 樹 影停 北上大行山 坂は詰屈として. 竜輿寺崇隠上人院﹂︵﹃全唐詩﹄巻五三七︶. 艶哉何親裁 羊腸 之が為に捲かれんとす. ﹁羊腸﹂の語は、曹操﹁苦寒行﹂︵﹃文選﹄巻二七︶に、. 羊腸坂詰屈 車輪. 松門一径微 松門一径微かに. くだ. 車輪為之推. と詠じられるのが早い例である。この語は、自居易﹁初入大行. 苔滑往来稀. 五. 苔滑らかにして往来稀なり. 路﹂もそうであったが、他の唐詩においても﹁大行﹂の語とと. わた. もに詠じられることが多い。李白﹁憶旧遊寄誰郡元参軍﹂︵﹃全 唐詩﹄巻一七二︶ に は 、 次 の よ う な 句 が あ る 。. 月相呼度太府 五月 相い呼んで大行を度る 推輪不道羊腸苦 輪を捲いて遣わず羊腸の苦しみ 杜牧﹁題青雲館﹂︵r全唐詩﹄巻五二五︶には、﹁羊腸﹂の語. が﹁千切﹂の語とともに見えている。青雲館は、駅西省丹鳳県 の 西 北 、 商 洛鎮にあった。 み で ち わ だかま 則蜂千切劇羊腸 別のごとく幡ること千切 けわ も劇し 天府 由来 百 二 強 天 府 由 来 百二強. こ こ で は 、 秦嶺山脈の険しさを言っ て い る 。 ﹁苔滑らか﹂は、謝霊運﹁石門新営所住四面高山週渓石瀬條 に、. 苔滑らかにして誰か 能 く 歩 ま ん と 葛弱くして豊に椚る 可 け ん や. 竹茂林﹂︵﹃文選 ﹄ 巻 三 〇 ︶. 苔滑誰能歩 葛弱豊可椚. −77−.

(7) 下には衝波. 逆折の回川有り. 連峰. 下有衝披適所之回川 連峰去天不盈尺. 枯松. 倒に桂って絶壁に僚る. 枯松倒桂俺絶壁. 天を去ること尺に盈たず さかしまかか. 飛瑞漫流争喧聴 飛満 港流 争って喧准. うとど. 崖を称ち石を転ばして万墾雷ろ. 其の険なるや此の如し. 嵯爾遠道の人れぞ来. く. 称崖転石万重電 其険也如此 嵯育遠道之人胡為乎来哉 れるや 噂喋として雀見たり. だったであろうことは容易に想像できる。﹁萄道難﹂は、宋の に、. 黄堅︵生没年未詳︶の編で、元の林禎が制定したとされる﹃古 文真宝前集﹄. 庭山高哉、幾千切今。根盤幾百里、敏然吃立手長江。 わだかま 産山高いかな、幾千切ぞ。根は盤る幾百里、寂然上し て長江に吃立す。. という一文から始まる、欧陽條﹁産山高﹂などとともに収録さ. れている。﹁古文真宝﹂は、わが国にも室町時代には伝来し、. 多くの注釈書が作られて広く読まれた書物である。当然、鳥居 も読んでいたであろう。. ちなみに、﹁桟道﹂の語は、郡陽の﹁上書呉王﹂︵﹃文選﹄巻. 三九︶に見え、漠の高祖・劉邦が張良の勧めに従って、通過し. 剣閣 一夫 関に当れば. たあとの桟道を焼き払ったことについて、. 剣閣悍嵯而雀蒐. 一夫当関 万夫も開く美し. 守る所. 多く見られる。まず、張文踪の﹁寄道難﹂︵﹃仝唐詩﹄巻三九︶. と述べている。唐詩においても萄の桟道の険しさを詠ずる例は. 高皇帝焼桟道、潅章耶、兵不留行。 そそ 高皇帝 桟道を焼き、華耶に潅ぎ、兵は行を留めず。. 万夫莫開 所守戎匪親. 化tて狼と財とに為らん. 或いは親に匪ずんば. 化為狼与財. 錦城錐云楽. 梁山. 雲端を阻む. 地の険なるを鎮め. の全篇を引こう。この作品にも、﹁箱根八里﹂と情景が相似し 梁山鎮地険. 積石. 下に蓼廓たり. 錦城は楽しと云うと雄も 早く家に還るに如かず. 積石阻雲端. 深谷. 上に鬱盤たり. 不如早達家. 深谷下蓼廓. 層巌. 絶嶺に架かり. ているところがある。. 層巌上鬱盤. 飛梁. 萄道の難きは青天に上るよりも. 飛梁架絶嶺. 萄道之難難於上青天. 難し そ ば だ 身を側てて西望し長く杏嵯す 関に当れば、万夫も開く美し﹂の句を、歌詞にその. 側身西望長苔嵯. ﹁一夫. まま取り入れていること、第二章に﹁萄の桟道﹂とあることか ら町鳥居が作訂をする際に念頭にあったのは、この﹁萄遭難﹂. −78−.

(8) 桟道. 紅寛侵桟道 紅寛 桟道を侵し ま川し 風雨雑江声 風雨 江声を雑う. 危轡に接す. 桟道接危轡 轡を携りて独り長息し. さてここで再度、林氏が、﹁箱根八里﹂には、﹁白詩があたか. 三. 人を愁えしむる処を過ぎ尽くせば. 撹轡独長息 こ. 過尽愁人処. はじ. 備に紫折し. 煙花は是れ錦城ならん. 方めて斯の路の難きを知る. 千崖 何ぞ盤紆たる. 煙花是錦城. 方知斯路難 ついで、琴参の詩を見よう。彼の詩には二例がある。﹁酬成 千崖信螢折 一径. 少ヂ賂谷行見呈﹂ ︵F全唐詩﹄巻一九八︶ には、 一径何盤紆. も﹃裏打ち﹄のように透けて見えることに注意したい﹂と述べ 層妹滑征輪. 密竹. 層凍 昏旦を迷わせ. 隼旗を擬ぐ. 征輪を滑らせ. るや万夫も開くなし﹂もこの歌詞の重要な構成部分ということ. この歌詞の﹁根幹をなすところ﹂だとすれば、﹁一夫. ていたことに戻ろう。. 密竹擬隼旗 深林 空虚を凌ぐ. 関に当. 林氏が言っているように、﹁箱根人里﹂の繰り返しの部分が. 深林迷昏旦 桟道. さまた. 桟道凌空虚. ︵r文選﹄. になるだろう。この部分が李白﹁萄道難﹂の句を踏襲した虻の. なく、典拠がある。例えば陳琳﹁為曹洪与魂文帝書﹂. と言う。詩題の ﹁酪谷﹂は、駅西省周至県の西南、秦嶺山脈中 でも次のように. であることは既に見たが、李白の句も彼の独創になるわけでは. ︵同︶. にある渓谷。騎谷道は萄に通じていた。また、﹁与儲干庶子白 樺州成都少ヂ自褒城同行至利州道中作﹂. 言っている。﹁褒城﹂は、駅西省漠中市の西北、﹁利州﹂は、四 巻四一︶ には、次のように言う。. 湊中地形、実有険固。四岳三塗、曹不及也。彼有精甲数. 万、臨高守要。一人揮戟、万夫不得進。. 川 省 広 元 県 の地。 桟道. 迅喘を篭め. 桟道篭迅瑞. ある。. 精甲数万有りて、高きに臨んで要を守る。. 戟を揮えば、万夫も進むを得ず。. 惟萄之門、作圃作鎮。是日剣閣、壁立千切。窮地之険、. 張華﹁剣閣銘﹂︵﹃文選﹄巻五大︶にもこれを踏まえた表現が. 一人. 漠中の地形は、実に険固なる有り。四岳・三塗も、皆及. 行人貫層崖. の頚聯と尾. ばざるなり。彼. 巌傾劣通馬. ﹁送人造萄﹂︵﹃全唐詩﹄巻五五五︶. 行人 層崖を貫く わず 巌傾きて劣かに馬を通じ せま 石窄くして辛を容れ難し. 石窄難客車 最後に、馬戴. 聯を引いておこう。この詩は末句からも分かるように、明らか に 李 白 ﹁ 萄 道難﹂を意識している。. −79−.

(9) 極路之唆。. 一人荷戟、万夫超過。. な. 千切なり。地の険を窮め、路の唆を極む。⋮⋮一人. 惟れ萄の門、固めを作し鎮めを作す。是れを剣閣と日い、 壁立. 代における自居易の影響がどれほどのものであったか、事の当. 否は別にして、あまりにも慎重さを欠いた発言と言わざるを得. ない。. ﹁趣起﹂は、なかなか前進できないさま。. も、これらの存在はすべて承知した上で、しかも敢えて触れな. り、文中には一切の李白﹁萄道難﹂に関する言及はないにして. もっとも、書名に﹁へそまがり講義﹂と銘打たれているとお. このような先行例があるとはいっても、決して李白の句の重. かったというのであれば、拙文を草する必要は全くなかったこ. 戟を荷えば、万夫も趨起す。. みが減ずることはない。そして、鳥居は漢詩文に典拠をもつ言. や唐詩においては見られない。. は﹁瞼しに作っている。﹁天下. ︵中等学校教科書. とになる。. ﹁険﹂を、﹃音楽2. ︹注︺ ︵1︶. 株式会社、一九四四二︶ の用例は、r文選﹄. この語は唐詩においては﹁瞼峻﹂という熟語で用いられる. の瞼﹂. 中等学校男子用﹄. 葉を巧みに鎮める中で、この句を箱根山の険しさを象徴するも のとして歌詞に取り入れたのである。箱根山が函谷関や萄の桟 道よりも険しいと誇張して表現すればするほど、その険しさを ものともせずに往来する﹁武士﹂や﹁壮士﹂の﹁剛毅﹂さが強 調されることになる。. 四. のよう透けて見える﹂とする見方は、単なる感想、または印象. には白居易﹁初入大行路﹂が背後にあり、これが﹁﹃裏打ち﹄. 張祀﹁禅智寺﹂︵﹃全唐詩一巻五一〇︶. ︵剣門. 南﹂︵﹃仝唐詩﹄巻二〇一︶. ことが多い。その他の例としては、琴参﹁送郭僕射節制剣. を述べたに過ぎないとしても、博識な氏にしてはあまりにも視. 臨虚勢若呑﹂. 以上に述べてきたことから考えるならば、林氏の、﹁箱根八里﹂. 野の狭い指摘であると言わざるを得ない。したがって、﹁この. 若し︶. 空を踏みて行く︶とあり、. に、﹁宝殿依山瞼、. 山瞼に依り、虚に臨みて勢い呑むが. と言う。禅智寺は揚州城の東北にあった。. ︵宝殿. 瞼に乗じて過ぎ、間道. に、﹁剣門乗瞼過、閣道踏空行﹂. 詩の背後にはたぶん上記の自詩があったであろうことは、⋮⋮. ︵2︶﹁濁﹂となっているのは﹁葬﹂の誤植。. ︵現. かなりの確度で妥当に推定されるかと思われる。﹂という指摘. た函谷蘭については、松浦友久﹃唐詩の旅−黄河篇﹄. ︵3︶函谷関については諸書に記述があるが、唐詩に詠じられ. 前凝として、﹁自氏の影は、かくして遠く明治の御世にまで及. 代教養文庫一〇一九、・一九八〇︶が参考になる。. は、そのまま肯定することはできない。ましてや、このことを んでいることが分かる。﹂とまで主張するに至っては、明治時. −80−.

(10) ︹付記こ鳥居の生没年や経歴、﹁箱根人里﹂の歌詞については、. みいつ. 畏き御陵威は. 四方にしきて. みもくが 海の面陸の面 富は増して インターネットに掲載されている、﹁まぼろしチャンネル く一まぐま ︵http︰\\www.mabOrOShTcFcOm\edu\e已こ∽.htm︶を参考見 に 渡す隅々 拓けゆくよ. 関に当るや⋮⋮﹂が、李白﹁萄遭難﹂に基づいていることは、同. した。歌詞は、箱根芦ノ湖畔にある県立恩賜公園の駐車場脇 にある﹁箱根人里﹂の歌碑に基づいている。また、鳥居の歌 詞﹁一夫 かわぶっち清子︶にも指摘. じく﹁よどこんプラザ︵http︰\\www.yOdOkOn.jp\p−aza\∽00.htmニ. の付録、﹁箱根人里﹂語録︵By. がある。 ︹付記二︺鳥居悦は、北海道教育大学札幌校の前身である北海 道 師 範 学 校の﹁第一校歌﹂も作詞 し て い る 。 北海道教育大学札幌分校﹃百年記念誌﹄︵一九八七︶に、﹁︹明. 治︺四〇年四月本校教諭阪直次の起草したものを東京音楽学 校教授鳥居恍に添削、作曲を依嘱したところ、同教授が調査、 検討した結果新たに作詩し、同校教授島崎赤太郎が曲を選定 し、四二年一月九日公にしたものである。﹂と説明されている。 ﹃北師﹄ 二二号︵北師同窓会、一九九一︶から、四番までの. あたり暗く. う ち 、 一 二一番を引いておく。 一、狭霧はとざして. 深きみ山. 空に昇り. すみしところ. ひろき荒野. から松そびゆる 熊笹茂れる むかしえみし. 往古は蝦夷の. あさひこ. 二、かがよふ朝日子. ー81−.

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