218 人 工 知 能 32 巻 2 号(2017 年 3 月)
1.は じ め に
物理的側面から身体知を考えた場合,それはヒトの身 体と環境の間のダイナミクスから生まれるものであり, その研究にはヒトの運動およびその生成・制御の機序の 理解が必要である.ヒトはおよそ 400 本もの筋をバラン ス良く駆動し,日々の生活に必要な運動を生成している. しかし,どのように全身の運動を生成・制御しているか システム全体としてはいまだ解明されていない部分が多 い.それは,ヒトが膨大な数の要素を含み非常に複雑で あること,そして運動指令信号などの体内信号の直接的 な計測が困難であることが主な原因と考えられる.その ため,解剖学的知見および工学的手法に基づきヒトの運 動力学特性を表現するデジタルヒューマンモデルを構築 し,非侵襲的手法でさまざまな運動・生理学データを計 測し,両者を用いた解析からヒトの体内で生じているこ と(体性感覚情報)を推定する研究が進められている. 本稿では,著者らが開発しているヒトの神経・筋骨格シ ステムを含むデジタルヒューマン技術を中心に,ヒトの 運動解析,生成・制御の機序へのアプローチについて紹 介する.2.筋骨格モデルおよびその運動力学計算
ヒトの運動解析やシミュレーションを行うために, 筋骨格モデルの開発が行われている(図 1)[Delp 07, Murai 14].従来,骨格モデルは,ヒトの各骨を剛体リ ンクとして扱い,また筋腱ネットワークは骨格モデル上 に起点・終点・経由点をもつワイヤとしてモデル化され, 筋モデルは張力を生じることで骨格モデルを駆動し,腱・ 靭帯・軟骨モデルは幾何学的・力学的に骨格モデルを拘 束する.そして次に述べるように筋骨格モデルの運動力 学を解くことにより,計測されるヒトの運動・生理デー タから筋張力などの体性感覚情報の推定などが行われて きた. ヒトの運動の解析を行うために,さまざまな機器を用 いて運動計測を行う.手足の軌跡など幾何学的な面を計 測する手法として,光学式・機械式モーションキャプチャ が用いられる.光学式モーションキャプチャの場合,体 表に複数の目印となるマーカを装着し,その三次元位置 を複数台の特殊なカメラで追跡することで人体の部位の 軌跡を計測する.また機械式モーションキャプチャの場 合,角度センサなどを関節部に取り付け,関節角を計測 する.これらの計測により,ヒトの運動を表す時系列デー タ(運動データ)が得られる.また,この計測の際に同 時に筋電計(EMG)やフォースプレートを用いること がある.EMG を用いることで筋の活動度が,またフォー スプレートを用いることでヒトと環境との接触力を計測 することができる. 次に,骨格モデルの関節中心位置など運動学的特性 および質量など力学的特性に基づき運動力学計算を行う ことで筋張力を推定する [Murai 14].まずモデル上の マーカと計測されたマーカの位置が合致するよう逆運動 学を解くことで,骨格モデルの運動を計算する.そして 全身の各リンクの力学的特性および計測・計算された加神経・筋骨格システムを用いたヒトの運動の
理解
Understanding Human Behavior with Neuro-musculoskeletal System
村井 昭彦
産業技術総合研究所デジタルヒューマン研究グループAkihiko Murai Digital Human Research Group, National Institute of Advanced Industrial Science and Technology. [email protected], http://www.aist.go.jp/
Keywords:
digital human technology, kinematics and dynamics computation, somatosensory information estimation, neuro-musculoskeletal system.「身体知の発展」
219 神経・筋骨格システムを用いたヒトの運動の理解 速度から逆動力学を解くことで,運動を実現するのに必 要な各関節の関節トルクが計算できる.この関節トルク を分配することで各筋の筋張力を推定する.ここで,ヒ トは筋の数が骨格の自由度よりはるかに多く,冗長駆動 系(自由度数以上のアクチュエータを有する)になって いることから,筋張力推定は力学的拘束条件のみでは不 定問題となり,解が一意に定まらない.ここでは一般的 に 2 通りの解法が用いられている.一つは,計測され た EMG データを用いるものである.EMG データは筋 活動度を表し,筋張力と筋活動度の関係を表す筋モデル [Hill 38]を用いることで筋張力に変換される.EMG に より活動度が計測された筋はこの値を用いる.もう一つ は,数学的最適化問題として評価関数を設定することで, 一意の解を得るものである.従来神経生理学の分野で提 案されてきた,運動指令信号最小 [Kawato 89],Signal dependent noise [Harris 98]などの理論に基づき,筋張 力の線形和,もしくは二乗和を最小にするなどの評価関 数を設定し,最適化問題を解くことにより筋張力を推定 することができる.
3.ボリューメトリック皮膚・筋骨格モデル
従来の筋骨格モデルでは筋などの要素のボリューム がモデル化されていないため,筋間の干渉や詳細な筋の 走行変化の表現が困難である.そのため,運動力学計算 に重要なパラメータの一つである筋のモーメントアーム (筋と関節中心の距離)の推定が不正確になり得る.こ の問題点を解決するため,我々はヒトの解剖学的な形状 をもつボリューメトリック皮膚・筋骨格モデルを構築し ている(図 2)[Murai 16].ここでは製品設計からリハ ビリテーション,スポーツ工学まで幅広く利用されるモ デルを目指し,ライフサイエンス統合データベースセン タにより構築されたヒトの形状データ“BodyParts3D” [Mitsuhashi 09]をもとに開発を行う.このモデルは全 身の皮膚,骨格および 362 の筋が含まれる. 本モデルを用いた運動力学計算において,ボリューム をもつ皮膚および筋の変形計算を行う.ボリュームをも つ物体の変形計算にはしばしば有限要素法が用いられる が,全身の筋骨格モデルを用いた運動力学解析には計算 コストが高い.我々はコンピュータグラフィクスにおい て用いられるキャラクタのスキニングの手法 [Igarashi 05]を応用した Surface-based SSD を用いることで, 運動データから皮膚および筋の変形を実現している [Murai 16].図 3 に,計測された走行データに対して運 動学計算を行った皮膚・筋骨格モデルを示す.皮膚およ 図 3 走行データにおけるボリューメトリック皮膚・筋骨格モデルの変形 図 2 ボリューメトリック皮膚・筋骨格モデル 図 4 膝屈曲時の詳細なボリューメトリック筋の変形220 人 工 知 能 32 巻 2 号(2017 年 3 月) び筋の自然な変形が実現されているのがわかる.また, 図 4 に膝屈曲時のワイヤ筋モデルで推定される筋の走行 (点線)とボリューメトリック筋モデルで推定される筋 の走行(実線)を示す.この運動中の筋のモーメントアー ムは,ワイヤ筋の経由点が骨格に固定された筋骨格モデ ルでは 44.8%の誤差が生じ得るのに対し,ボリューメト リック皮膚・筋骨格モデルおよび Surface-based SSD で は誤差が 14.8%まで低減された.これにより正確な筋の モーメントアーム推定を実現し,体性感覚情報の推定精 度向上に寄与する.
4.神経・筋骨格システム
筋骨格モデルを用いた運動力学計算により,実際にヒ トの運動データおよびその際の筋活動が推定できる.そ してこれらの筋活動は,脳を含む中枢神経系からの運動 指令信号および,固有感覚受容器と反射弓からなる体性 反射システムにより生成・制御されている.ヒトの運動 生成・制御メカニズムの解明にはこれらの脳および神経 回路網の構造および機能の解明が必要不可欠であるが, 脳を中心とする中枢神経系の機能や生成される信号はい まだ解明されていない部分が多い.MacLean の三位一 体論 [MacLean 90] では,ヒトの脳は反射脳,情動脳, 理性能の階層構造をもち,運動生成・制御メカニズムも それと対応して反射行動,定型行動,理性行動の階層構 造に分けることができる.運動生成・制御メカニズムの 解明へのアプローチの一つとして,階層構造の下位であ る反射システムからモデル化,同定,検証を行い,次に 高次のメカニズムの解明を目指すという方法が考えられ る.また,ヒトの乳児期には原始反射という現象が観察 されている.これは中枢神経系からの運動指令信号を含 まない末梢神経系における体性感覚情報と筋活動の反射 システムのみから生じる運動であるが,足踏みや寝返り などさまざまな運動が実現されている.このことから, 中枢神経系を含まない体性反射システムのみからもある 程度の運動の実現が可能ではないかと考えられる. 著者らはこのアイディアに基づき,体性反射システ ムのモデル化,同定,検証を行っている [Murai 07, Murai 11].図 5 に著者らが開発する神経・筋骨格シス テムを示す.このシステムは,前述の筋骨格モデル,生 理学的筋モデル,固有感覚受容器モデル,そして神経筋 ネットワークモデルから構成される.生理学的筋モデル は,筋の長さ,その変化速度,最大筋張力の筋の状態に 基づき,筋張力と筋活動度の間を変換する [Hill 38].固 有感覚受容器モデルは,筋紡錘と Golgi 腱器官をモデル 化し,それぞれ筋の長さおよびその変化速度,筋張力に 応じた各固有感覚受容器の発火頻度(固有感覚情報)を 計算する [Prochazka 98, Proske 80].そして神経・筋ネッ トワークモデルは,解剖学において明らかにされている 筋と脊髄神経枝間の接続関係 [Pierrot-Deseilligny 05] を 数学的なニューラルネットワークモデルを用いて表現す る.このモデルは固有感覚情報を入力すると,対応す る筋活動度を該当する神経回路の潜時を考慮して出力す る.これらのモデルを並べ,神経・筋骨格システムとする. そして,実際にヒトの運動を計測し,前述の筋骨格モデ ルを用いて得られる固有感覚情報を用いて,神経筋ネッ トワークモデルを同定する.図 6 に,神経・筋ネットワー ク同定に用いられた運動および同定後のモデルにより生 成される筋活動度をもとに順動力学シミュレーションを 図 5 神経・筋骨格システム 図 7 つまずきシミュレーション(上段:Elevating,下段:Lowering) 図 6 歩行シミュレーション (上段:学習データ,下段:シミュレーション結果)221 神経・筋骨格システムを用いたヒトの運動の理解 行った結果を示す.シミュレーションにおいては,神経・ 筋ネットワークから出力される筋活動度により筋張力を 生成し,関節が駆動されている.シミュレーションにお いて参照軌道を与えていないにもかかわらず,一歩分で はあるが遊脚および支持脚の軌跡が実現されていること がわかる.また,図 7 に前述の順動力学シミュレーショ ンの最中に外乱を加えた結果を示す.上段では遊脚期 13%にて,下段では遊脚期 55%にて外乱を加えたもの である.上段では遊脚をもち上げようとする Elevating に相当する動き,下段では遊脚を着地させる Lowering に相当する動きが生成されている.ここで興味深いのは, 神経・筋ネットワークの同定には歩行運動のみが用いら れ,つまずきに関する運動は全く用いられていないにも かかわらず,同定されたシステムは複数のつまずきに対 する反応を一つのシステムから実現している点である. この結果より,歩行運動により同定された神経・筋骨格 システムは,つまずきにつながる外乱に対してヒトと同 様の反応が生成できることがわかる.これは,これから 世界が直面する超高齢化社会において,つまずきの理解 やその回避を実現し,安全で健康な社会の実現に寄与す る.
5.ま と め
本稿ではロボティクスの分野にて開発された技術を用 いたヒトの運動解析について紹介した.今後,計測機器 などの発達,また神経生理学や医学の新しい知見を取り 入れることで,これらの解析やシミュレーションの発展 が期待される.また,本稿で紹介した筋骨格モデルや神 経筋ネットワークモデルの技術や得られる知見が,今後 神経生理学や医学のみでなく,スポーツや介護など実用 的な分野において展開されると考えられる.この相互の ポジティブなフィードバックにより,デジタルヒューマ ン技術を駆使した安全で健康な社会の実現を目指してい きたいと考える. 謝 辞 本稿の一部は,著者が東京大学大学院情報理工学系研 究科知能機械情報学専攻在籍時に中村仁彦教授の指導の もとに,また Disney Research Pittsburgh 在籍時に山根 克博士とともに行われたものである.中村仁彦教授なら びに山根克博士に心より感謝いたします.◇ 参 考 文 献 ◇
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2017年 1 月 18 日 受理
著 者 紹 介
村井 昭彦(正会員)
2009年東京大学大学院情報理工学系博士課程修了. 博士(情報理工学).Disney Research Pittsburgh, Carnegie Mellon University の研究員を経て,2013 年より東京大学大学院の特任助教.2015 年より現 職の産業技術総合研究所デジタルヒューマン研究グ ループ研究員.神経・筋骨格系を中心とするデジタ ルヒューマンモデルの構築,ヒトの運動計測・解析・ 介入・変容のための技術やシステムの開発に関わる研究に従事.日本機 械学会三浦賞,JSPS 特別研究員,Disney Inventor Award,そのほか研 究奨励賞などを受賞.