1.活動における意欲を促す
高齢者になると,身体的な衰えや認知機能の低下など に伴い,活動意欲も低下することが多い.仕事や趣味な どの活動をしなくなると,身体・認知機能もさらに低下 するという悪循環が起きる.そこで著者らは,高齢者が, 命のある限り,仕事に準じた作業や趣味活動を各自の ペースで意欲的に継続できるための工学的な支援を目指 す. “意欲をもたらす活動”を正解と定義するとき,高齢 者のデータから正解を得る AI の実現には,分析的アプ ローチと実験的アプローチが考えられる.本稿では,分 析的アプローチとして,高い正解率を得ている専門家が, 各高齢者に活動を選択する過程を分析し,AI の導入を 検討する.実験的アプローチとして,演奏経験のない高 齢者に意欲をもたらす,ピアノの模範演奏の提示方法を 検証し,対象者の多様性に対応する AI を使った支援の 在り方を検討する. 高齢者が通所するデイケアでは,日常生活に必要なケ ア(入浴,排せつ,食事など)のほかに,リハビリテー ションとして作業プログラム(occupational therapy program)が受けられる.作業の種類は多く,代表的な ものには,園芸 [増谷 11, 和久 12],ぬり絵 [Hattori 11, 堀川 12, 上島 04],工芸 [土屋 12] などがある.重度認知 症者デイケア施設 X では,作業の内容ややり方を個々の 利用者に合わせてアレンジする.このアレンジを,本研 究では「個人化(personalization)」と呼ぶ.個人化し た作業の提供を通して,認知症の症状の進行を遅らせる ことや,残存能力をできるだけ維持することを目指して いる.Kolanowski ら [Kolanowski 11] は,個々の認知 症者に合わせた作業や活動を提供することは,認知症の 行動・心理症状の緩和にも有用であることを示した. 実際に,施設 X の利用者らは,作業を「やらされてい る」ものではなく,自分に課せられた「仕事」,「お手伝 い」として認識し,自尊心をもって取り組んでいる.達 成感を得ている言動が多々見受けられ,達成感の積み重 ねが通所意欲の持続にもつながっていると考えられる. 本稿の 2 章では,施設 X で,一人のベテランの介護ス タッフが,各利用者に対し,作業プログラムを個人化す る過程を紹介する. ピアノの演奏も,練習により達成感が得られる活動 の一つといえる.初心者であっても,既知のメロディを 弾く場合には,正しい音を打鍵しているかどうかの判断 が自分でできる.そのため,練習とともに上達したこと がわかり,納得のいく演奏になれば,達成感も得られる であろう.しかし,高齢者の介護施設で,演奏経験のな い利用者が鍵盤楽器を練習する場面に遭遇したことがな い.鍵盤楽器を演奏するということは,楽譜を読んで演 奏すべき音を確認し,鍵盤上で該当する鍵を探して,適 切な指で押すという一連の作業の連続である.健常の若 者であっても,初心者には敷居が高い楽器であり,意欲 をもって継続的に取り組むことは難しい.認知症高齢者 であれば,認知機能の低下により,音符,指番号,鍵の 各位置を覚えて,適切なタイミングで指を動かすことは, さらに困難になる.高齢者に意欲をもたらす活動方法と
内容の個人化
Personalization of Method/Contents of Activities for Elderly People to
Engage Willingly
大島 千佳
佐賀大学大学院工学系研究科Chika Oshima Graduate School of Science and Engineering, Saga University.
[email protected], http://www.fu.is.saga-u.ac.jp/~chika-o/
町島 希美絵
(同 上)Kimie Machishima [email protected]
中山 功一
(同 上)Koichi Nakayama [email protected], http://www.fu.is.saga-u.ac.jp/~knakayama/
Keywords:
dementia, occupational therapy, coloring of pictures, piano, model performance. 「超高齢化社会と AI ─社会生活支援編─」しかし,もし適切な支援方法が明らかになれば,演奏 経験のない認知症高齢者でも,鍵盤楽器の演奏にチャレ ンジしてみようという意欲がわくかもしれない.そして 継続的な練習により少しでも上達すれば,達成感を得ら れるであろう.若い頃に親しんだメロディを演奏すれば, 回想法の効果[原沢 13]が伴い,音楽による認知症の行動・ 心理症状の緩和 [Garland 07, Vink 13] も期待できる. そこで著者らは,高齢者に,楽譜を一切使わずに,ピ アノの模範演奏の映像を見ながら練習する方法にチャレ ンジしてもらってきた.3 章では,これまでの実験結果 を示し,高齢者の意欲を促す支援に向けて,敷居を低く することと,多様性に応じた活動の個人化について議論 する.
2. 重度認知症者デイケア施設での作業の個人化
過程
一人のベテランの介護スタッフが,施設利用者の特性 や残存能力を踏まえて,達成感を得られる適切な作業を 選択するまでの過程を,振返りのシートや利用者との会 話,そしてインタビューをもとに分析した [町島 16b]. 3・1 方 法 本研究を行うにあたって,調査協力施設の了承を得た あと,利用者および家族に,研究の主旨とプライバシー の保護について説明し,同意書による承諾を得た.調査 への同意を得た後でも,施設や利用者および家族の判断 で調査を中止,または得られたデータを破棄できること を説明した. 施設 X は,千葉県にある病院に併設された,重度認知 症者デイケア施設であり,利用の決定の前に,認知症専 門医による診断が必要である. 本調査の対象者は,社会福祉士,介護福祉士,認知症 ケア専門士の資格を有する,施設 X に 14 年勤務するベ テランの女性スタッフ 1 名であった.9 名の利用者が研 究の協力に同意した.スタッフは,利用者が施設 X の初 回,2 回目の利用時における,作業中の対話を IC レコー ダで録音し,作業終了後には,著者らが作成した「記録 シート」に作業の様子を記述した.著者らは,全利用者 の収録後にスタッフにインタビューした. 3・2 適切な作業選択までの過程 § 1 スタッフが観察・判断していること 施設 X では,全利用者は最初の施設利用時に,色塗り の作業を行う.利用者は,色が塗られている見本を見な がら,下絵に色を塗っていく.スタッフはその様子から, 事前に把握している裸眼・矯正の情報を踏まえたうえで, 視野範囲,色,文字,線の見え方を判断していた.利用 者と会話をしながら,通常の音量での聞こえを判断し, さらに,会話の内容の理解,視線の合わせ方,指で指示 した場所に対する理解について把握していた.また,色 の塗り方(下絵の枠からはみ出していないか,色の塗り 忘れはないかなど),道具の使い方から,振戦の有無や 筆圧・握力の程度を確認していた.これらの観察結果か ら総合して,認知機能の状態や作業能力などを判断して いた. また,スタッフは,利用者に付き添い,利用者の様子 (手が止まる,息をつく,途中で眠るなど)や発言(「で きない」,「嫌だ」など)から,疲労感(作業に集中でき る時間)や色塗りへの抵抗感を判断していた. § 2 達成感を得られる作業選択までの試行錯誤 スタッフが,利用者 A が達成感を得られる適切な作業 を選択するまでの過程を示す.利用者 A は 60 代の男性 で,HDS-R(長谷川式簡易知能評価スケール)は 10 点, FAST(アルツハイマー型認知症重症度アセスメントツー ル)は 6-e,CDR(臨床認知症評価尺度)は 3 点で無関心, 意欲低下,徘徊,介護抵抗,夜間せん妄などの行動・心 理症状が認められた.自宅では,ほとんど発語がなく単 語のみで,目的や場に即した会話が成立しないことが多 く,また,表情が乏しく,反応もまちまちであった.家 族は,会話や表情から本人の意思をくみ取れない状況で あった. まず,利用者 A は色塗りの作業を行った.スタッフは, 利用者 A の色塗りに,色の抜け落ちや塗り残しを確認し, 空間認知障害を疑った.色塗りの間,利用者 A は笑顔が なく,口数が少なかった.スタッフはその表情から,色 塗りでは達成感を得られないと判断した. 次にスタッフは,利用者 A の手先の巧緻性や空間認知 障害を確実に判断するために,「ハンガーモップ」の作 業を選択した.ハンガーモップとは,ワイヤでできたハ ンガーの底辺に,短く切ったひも状のストッキングを染 色して輪ゴム状にしたものをくくり付ける作業である. 利用者 A は,ひもとモップの位置関係が捉えられない様 子で,口数も少なかった. 次にスタッフは,道具の一つとして,ハサミが使える かどうかの確認をするために,「メモ用紙づくり」の作 業を選択した.メモ用紙づくりとは,紙を所定の大きさ にハサミで切って,まとめる作業である.利用者 A は, ハサミと紙の位置関係や距離感をつかむことが難しいよ うだった.そこでスタッフは,切断位置がわかるように, マジックペンで線を引いた.このような補助により,利 用者 A は紙を切れた.しかし,一人で紙をもってハサミ で切ることは安全面も考慮して難しいと判断した. スタッフはこれらの作業を通じて,利用者 A に,空間 認知障害や理解力・判断力の低下を認め,巧緻性を必要 とする作業や,ハサミのような物品の使用が困難である ことを確認した.スタッフは,利用者 A が達成感を得る には,「目で見て認識しやすい」,「複数の道具を使用し ないで済む」,「作業物品に触れるという感覚を生かせる」 という条件に合った作業を提供すべきだと考えた.最終的にスタッフは,「紙玉仕分け」や「毛糸巻き」 の作業を選択し,利用者 A に提供した.紙玉仕分けとは, 親指大ぐらいの,色とりどりの紙玉の中から,指定され た色の紙玉を摘んで,一色ずつ,所定の容器に入れる作 業である.毛糸巻きとは,毛糸を円柱型の芯に巻き付け る作業である.利用者 A は,これらの作業が最後までで きたときに,日頃は見られない笑顔で,「やったー」と いう歓喜の声を出した.また,ほかの利用者やスタッフ に自ら話しかける姿があり,精神的に高揚していると考 えられた.ここから,スタッフは利用者 A が達成感を得 たと判断した. スタッフの試行錯誤の過程を図 1 に示す.多くの場合, 利用者の作業内容は一人のスタッフが決定するのではな く,毎日行われるスタッフミーティングにより,決定さ れる.利用者の作業中,担当のスタッフは利用者に対し て適切な会話で意図的にコミュニケーションをとりなが ら,利用者の能力を見いだしていく.スタッフミーティ ングで,各利用者の担当スタッフは,作業の様子を振り 返り報告する.利用者の特性,残存能力,作業能力を, スタッフ間で共有する.その日に提供した作業が適して いないと判断した場合には,利用者が意欲的に取り組み, 達成感を得られる作業プログラムになるように,スタッ フ全員で,作業の選択・アレンジを検討する.失敗を繰 り返しながら,利用者が達成感を得られる作業の提供を 実現していた. § 3 作業の個人化 スタッフは,色塗り,ハンガーモップ,メモ用紙づくり, 紙玉仕分けなど,さまざまな作業から各利用者に適切な 作業を個別に選択するだけでなく,各作業をアレンジす ることがあった. 色塗りは,毎月スタッフが,絵の複雑さや構図を熟考 したうえで 2 種類の見本を作成し,認知機能に合わせて 選択して提供していた.利用者の筆圧が弱い場合には, 色鉛筆から筆に変更する.利用者が色を選べない場合に は,スタッフが手を貸す.このように,見本を使用し, スタッフの支援方法を自在にできるようにすることで, 各利用者の残存機能や作業能力に応じた作業にアレンジ できる. 紙玉仕分けの作業は,視力障害者や視覚での認識がで きない認知症者に対しては,色の区別なく,ペットボト ルに紙玉を入れる作業にアレンジしていた.ペットボト ルの口から指を入れれば,利用者本人にも,作業の完了 が認識できるため,達成感を得やすい.ペットボトルの 大きさを調整すれば,長くは集中できない利用者でも, 作業を完了させることができる. 「洗濯もの畳み」の作業も,利用者の残存能力に合わ せて,衣類を畳む作業から,はちまきを巻く作業にアレ ンジできる.折り畳む回数は調整する. § 4 作業による利用者への効果 図 2 に示すように,スタッフは作業中の利用者らとの 会話を通して,利用者間のなじみの関係をつくっていた. 作業中には,塗り方の工夫を利用者に教えることで,色 塗りの奥深さを伝えていた.作業中の利用者間,利用者 とスタッフ間のコミュニケーションと,作業の個人化に より,利用者には「仲間意識」,「役割意識」,「達成感」,「満 足感」がもたらされていると推測する. 現に,施設 X では,ほとんどの利用者の通所意欲が持 続し,スタッフらは利用者が通所を重ねることで行動・ 心理症状が緩和し,精神面が安定し,コミュニケーショ ンがとりやすくなっていることを実感している.施設が 安心できる場所になっているといえるであろう. 3・3 今後の展開:作業選択の「知」の活用 施設 X では,スタッフミーティングで各利用者の特性 や状態を共有し,意見を出し合うことで,作業の個人化 が促進されていた. しかし,施設 X のように各利用者に作業を選択してい る施設はほとんどないという.多くの場合,一律に同じ 作業を利用者全員に提供している.介護スタッフの人員 が少ないことが理由の一つにあげられるが,たとえ人員 に余裕があっても,作業を個人化する「知」は一朝一夕 で育まれるものではない. 施設 X では,ベテランのスタッフが,日々若手のスタッ フの前で,利用者への接し方を自ら示し,共にミーティ 図 1 作業決定までの試行錯誤 図 2 スタッフの介入による利用者への効果
ングで意見を出し合う.若手スタッフは,ベテランスタッ フが利用者の様子からどのように判断しているかという 事例を体感している.この積み重ねにより,若手スタッ フは利用者が安心して過ごせる環境をつくるベテラン スタッフへと育っていく.このような,「認知的徒弟制 (cognitive apprenticeship)[Collins 06]」で育まれる知 を,個人化を望む,ほかの介護施設でも育むきっかけを もたらすことはできるのであろうか. 町島 [町島 16a] は,ベテランスタッフが,利用者の作 業を通じて,見ていること,把握していること(3・2 節)を, 「観察ポイント(項目)」として体系的にまとめた.大枠 として,十数種類に限定した各種作業から,各項目での 観察結果をもとに,作業の選択肢を 2 ~ 3 種類まで絞り 込むことを目標にした.まずはフローチャートの形式で の絞り込みを試行した.いくつかの例では,適切と思わ れる作業にたどり着いた.しかし,多くの場合,ベテラ ンスタッフらの意向とは合致しなかった. 次に項目を詳細にして増やすことを試みた.しかし, 各作業において,すべての項目を評価することは,スタッ フの負担を増大させる.また,すべての項目が常に必要 ともいえないという結論に至った.さらに,経験の浅い スタッフは,各項目から利用者の状態をどう判断すべき かという見識が浅いため,十分に観察できないという課 題もあがった. ベテランスタッフであっても,達成感を得られる作業 にたどり着くまで,試行錯誤している.ベテランスタッ フの知は,観察ポイントとして並べられたもの以上であ る.そのときどき,利用者によって,観察ポイントの重 点を変えられるような知も備わっていると考えられる. 今後は,ベテランスタッフの表面的に見えている手法を そのまま模倣する AI ではなく,利用者の言動や作業の 出来具合をセンサで数値化し,ベテランスタッフの判断 を正解として,学習する AI を検討することで,経験の 浅いスタッフへの支援を行っていく.
3.意欲を引き出す模範演奏の提示方法
認知機能が低下すると,ピアノ演奏において,音符を 覚えたり,指番号に応じて適切な指を動かすことが難し い.そこでこれまで著者らは,実験参加者に,模範演奏 の映像を見ながら,シャドーウィングのように,模範演 奏と一緒に練習をしてもらう実験を行ってきた [Oshima 15, Oshima 16].模範演奏と一緒に練習する方法でも, 達成感を得られるかどうかという課題と,わかりやすく, 意欲を引き出す模範演奏の提示方法を検討した. 3・1 認知機能が低下した高齢者による模範演奏の映像を 使ったピアノの練習 § 1 実験方法 参加者は,頭部外傷による高次脳機能障害と診断され, 認知機能に障害のある 70 代の女性であった.ピアノの 演奏経験は全くないが,美空ひばりの歌を歌うことが好 きである. 参加者本人に研究の主旨とプライバシーの保護につい て説明し,署名による同意のうえで実施された. 課題曲は,美空ひばりの「川の流れのように」のさび の部分を使った.著者が美空ひばりが歌うビデオをもと に,ソ(音名ト)から始まるメロディを楽譜に書き起こ した.さびの部分は,鍵盤の中心のドをはさんで,下の ソから 1 オクターブ上のソの八つの白鍵で弾くことが可 能である.両手でメロディを演奏することで,指くぐり や指をかぶせる動作をせずに,決まった指が各鍵を担当 できる. 図 3 に示すように,目の前のディスプレイに模範演奏 のビデオが映し出され,使用する各鍵と,その各鍵を担 当する指に同じ色のシールを貼った.参加者が楽譜を見 ることはない.課題曲を,最初から最後まで通して演奏 する練習のほかに,部分的に区切って練習した.なお, 本人の体力的な負担を考慮し,課題曲の前半,8 小節間 のみを練習した.1 回につき 20 分間ほどのレッスンで あった. 3回のレッスンのうち,2 回目のレッスンでは,ビデ オの中の奏者が,次に弾くべき鍵(指)のシールの色を 言葉で教えた. § 2 結果と考察 3回の各レッスン日における,参加者が打鍵した数は, 模範演奏の奏者が打鍵した数の,80%以上にのぼった. ここから,参加者が意欲的に練習していたことがわかる. 演奏誤りの数も,1 回目に比較して,3 回目のレッス ンでは少なくなった.参加者の演奏が上達していた. また,2 回目のレッスンの後には,参加者が自ら「ちょ, ちょっとね(できた)」と発言し,笑顔を見せた.実験 終了後も,自発的に数回,練習した.ここから,多少な りとも達成感を得ていたといえる. 2回目のレッスンでは,音高の誤り(打鍵のミス)が 大幅に減ったものの,指使いの誤りの数は,1 回目のレッ スンの結果の 2 倍以上に増えた.2 回目のレッスンでは, 図 3 シールを使って模範演奏を見ながら練習する方法ビデオの中の模範演奏の奏者が,次に弾くべき鍵のシー ルの色を言葉で教えていた.このことが,音高の誤りを 減らすことに効果があったともいえるが,参加者が人差 し指のみで,ほとんど打鍵してしまう結果にもつながっ た. 認知機能に障害がある高齢者が,打鍵の順序を覚える ことは,かなり難しい.指 1 本で打鍵する方法では,各 鍵の位置や打鍵の順番を目で覚える必要がある.しかし 複数の指を適切に使用して,無理のない指の動きを行え ば,「身体の動き」として,打鍵の順番を覚えやすいので はないかと考える.よって,指 1 本ではなく,正しい指 使いを促す模範演奏の提示方法を検討することにした. 3・2 模範演奏の手に自分の手を重ねて練習する方法 § 1 ハーフミラーを使った提示方法 図 4 に示すように,下向きのディスプレイと電子ピ アノの間にハーフミラーを置いた.図 5 のように,奏 者は模範演奏を見ることができる.模範演奏の映像は, 著者が演奏して作成した MIDI(Musical Instrument Digital Interface)データに合わせて,模範演奏の指が 上下に動く CG(Computer Graphics)を作成した.模 範演奏の手は指の動きに合わせて,光や影といった表面 の色を調整することで,どの指が次に動くか予想しやす くした.CG の鍵は,次に押すべき鍵が,白色から黄色 に変化し,打鍵のタイミングで,赤色に変化するように 作成した. § 2 関連研究 これまで,健常のピアノ初心者の学習支援を目的と したシステムは,数多く開発されてきた.Takegawa ら [Takegawa 12]は,鍵盤上部に設置したプロジェクタか ら,次に弾くべき鍵盤の色を変えたり,指番号を表示し, 鍵盤の前方には,該当する鍵盤と線で結ばれた楽譜を 表示する学習支援システムを構築した.“The AR Piano Tutor [Barakonyi 05]”も,奏者が次に弾くべき鍵を Augmented Realityの技術により色のついた四角の マークで示す.[Huang 11] は,Augmented Reality の技 術により,鍵盤上にリアルタイムにバーチャルな指に見 立てた円柱を表示するシステムを開発した.“Piano Tutor
for iPad [SmileyApps]”や“Piano Marvel [PianoMarvel]” は,演奏位置追従機能により,次に演奏すべき鍵の位置 や,演奏誤りを,ディスプレイ上にポップアップウィン ドウで示す.しかし,高齢の初心者がディスプレイ上の 小さい画面を見ながら,正しい鍵の位置を探したり,指 番号を表示されて,該当する指を動かすことは難しい. 意欲を促す方法ではないと考える.
“Family Ensemble [Oshima 07]”は,初心者の子供 とその親が簡単に連弾できるように支援するシステム である.システムは親のパートのみを支援し,親は指
1本でも,正しい音高で子供と連弾できる.これによ
り,間接的に子供の練習意欲を促進することを目的とし ており,親の演奏が上達することは目的ではない.“The Phantom of the Piano [大島 06]”は,奏者が演奏を停 止すると,その停止位置の直前の演奏誤りの有無により, 適切な模範演奏のビデオをディスプレイや鍵盤上に提示 するシステムである.しかし,奏者が弾くピアノの上に 模範演奏の映像を提示すると,模範演奏の奏者が鍵を打 つタイミング(指の上下の動き)がわかりにくいという 問題があった. § 3 実験方法 参加者は,60 ~ 80 代の健常な高齢者 10 名であった. ピアノの演奏経験がある人はいなかった.課題曲は 3・1 節の実験と同様に,最初から最後まで通して演奏する練 習のほかに,部分的に区切って練習した.全部で 10 分 間程度のレッスンであった. § 4 結果と考察 10名中 6 名の参加者が,練習の最後の演奏のみならず 1回目の演奏でも,ほとんど正しく演奏できた.しかし そのうちの 2 名は,指使いの誤りが多かった.一人は親 指を使わない傾向があり,もう一人は小指を使わない傾 向があった. 一方で,練習後の模範演奏を見ない状態では,一人も 演奏することができなかった. そのほかの 4 名の参加者の中には,振戦があり,打鍵 することが難しい参加者がいた.また,模範演奏の打鍵 よりも,1 音以上遅れて打鍵するために,次々と遅れてし まった参加者もいた.模範演奏がもっとゆっくり演奏し ていれば,もう少し正しい打鍵ができたのかもしれない. 各参加者からの,実験後の感想の一部を下記に示す. 図 4 ハーフミラーの上から模範演奏を見る方法 図 5 CG で作成した模範演奏への手の重ね方
たった 10 分間の練習であったが,自分自身の演奏につ いて,客観的に振り返っている参加者がいた. ● 私の演奏は「音楽」にならなかった. ● 親指は短いので,鍵のどこを押したらいいのかなと 思った. ● 薬指で打鍵することは少し難しかった. ● 模範演奏を聴きながら弾いたので,自分の打鍵が間 違っているかどうかを判断することができた. ● 模範演奏の指使いどおりに弾くことは難しかった. ● もし,練習中に「上手だよ」というお褒めの言葉が あれば,もっとがんばれたのに. ● 練習しているうちに,次にどの鍵を押すか予想でき るようになった. ● 最初は指がほとんど動かなかったが,最後には思い どおり動くようになった. ● 鍵盤が赤や黄色に変換するのが良く見えなかった. 色が明るすぎると思う. 3・3 低い敷居と意欲 参加者の中には,自分の演奏を振り返ることができた 参加者がいた.参加者が CG の模範演奏の手に自分の手 を重ねながら,練習する方法は,楽譜を見て演奏するよ りは,容易であったに違いない.図 6 に,正しい鍵を適 切な指で押すことに対する認知的な負担と,演奏を自分 自身で振り返ることに対する認知的な負担の関係のモデ ル図を示す.横軸は練習量を示す.最初は,正しい鍵を 適切な指で押すことに高い負担がかかっている.そのた め,「ほとんど弾けない」といった難しさは認識できた としても,「弾けないのは,自分がどのような状態であ るためか」といった振返りをする余裕はほとんどないと 考えられる.ところが,提案した模範演奏を提示する方 法により,正しい鍵を適切な指で押すことの負担が減る ため,振り返る余裕が生まれた(右方向の矢印)と考え られる. [Oshima 07]は,正しい音高の再現(演奏)をコンピュー タが支援することで,初心者のみならず,熟達者も音楽 的な演奏表現に注目できるようになることを示した.実 験で音楽的な演奏表現に言及したのは,「私の演奏は「音 楽」にならなかった」と述べた一人だった.ほかの参加 者は,まだ,正しい鍵を押すことや指使いに言及してい た.しかし,正しい鍵を適切な指使いで押すことが,通 常よりも容易になり,自分の演奏を振り返る余裕が生ま れたことは,ピアノを弾く意欲をもたらすと考える. 3・4 多様性に対応する個人化技術 模範演奏を提示する支援方法で,鍵盤楽器を演奏する 敷居が低くなった.本研究では,支援なしで演奏できる ようになることを目指す必要はない.図 7 に示すように, 高齢者によって,目標や支援される内容が異なることは, 何ら問題ないと著者らは考えている.練習時間,模範演 奏の速さ,手の巧緻性に合わせた指使いの指示,課題曲 の選定,そして,やる気を促す仕掛け(参加者の一人が 「練習中に褒め言葉があれば,もっとがんばれた」と言っ ている)など,個人化できる要素はいろいろある. 教育の分野で使われる「個人化(Personalization[Bray 13])」は,学習のゴールや内容,学び方や進度が,学習 者により多様であることを奨励した理論である.一方で 「個別化(Individualization)」は,学習のプロセスは異 なっていても,ゴールは皆一様であることを示す. つまり,一般化された高齢者のデータから,一律に正 解と推定される支援内容を提示する AI ではなく,各高 齢者の作業や活動中のインタラクションを通じて,支援 内容とゴールの両方の正解を常に推定し続ける AI の検 討が必要である.
4.お わ り に
認知症者に限らず,高齢者の特性は多様である.認知 機能,記憶力,視力,手の巧緻性などが低下や,構成失行, 観念失行,そして振戦の症状があることもある.2章では, 介護施設を利用する重度認知症者が,これらの特性や作 業能力に合わせた作業を提供されることで,達成感を得 られることを示した.高齢者が趣味や生活に意欲的に取 り組めるには,各高齢者に合わせて取り組む対象を個人 化して,達成感や満足感を得られやすいものにすること, そして,複数の仲間とともに作業をしている実感や,他 者へ貢献しているという役割意識をもたらす環境に整え ることも重要である. 我々の研究では,個人化をベースに,認知症者も含む 図 6 演奏と振返りとの認知的な負担の関係 図 7 個々の高齢者に合わせて支援内容もゴールも異なる システムを目指す[Oshima 07] Oshima, C., Nishimoto, K. and Hagita, N.: A piano duo support system for parents to lead children to practice musical performance, ACM Trans. on Multimedia Computing
Communications and Applications, Vol. 3, Issue 2, No. 9(2007) [Oshima 15] Oshima, C., Machishima, K. and Nakayama, K.: Toward a piano lesson system that give people with reduced cognitive functioning a sense of accomplishment, HCII2015, LNCS, 9177, pp. 649-659, Springer(2015)
[Oshima 16] Oshima, C., Machishima, K., Yamaguchi, K. and Nakayama, K.: A piano lesson method where user plays the piano laying his or her hands on the image of a model performer’s hands, HCII2016(in printing)
[PianoMarvel] PianoMarvel: http://www.pianomarvel.com/ [SmileyApps] SmileyApps: Piano Tutor in iPad: http://www.
smileyapps.com/
[Takegawa 12] Takegawa, Y., Terada, T. and Tsukamoto, M.: A piano learning support system considering rhythm, Proc. Int.
Computer Music Conference, pp.325-332(2012)
[土屋 12] 土屋景子,金山祐里,井上桂子ほか:だるま作りが認知 症高齢者の QOL に及ぼす影響,作業療法おかやま, Vol. 22, pp. 20-25(2012) [上島 04] 上島 健,安藤啓司:介護老人保健施設入所者における 継続的な「ぬり絵」活動と作品の変化,作業療法, Vol. 23, pp. 530-538(2004)
[Vink 13] Vink, A. C., Zuidersma, M., Boersma, F., de Jonge, P., Zuidema, S. U. and Slaets, J. P. J.: The effect of music therapy compared with general recreational activities in reducing agitation in peo-ple with dementia: A randomised controlled trial, Int. J. Geriatric Psychiatry, Vol. 28, No. 10, pp. 1031-1038 (2013) [和久 12] 和久美恵,野垣 宏,児玉理恵:認知症高齢者の周辺症状 軽減と QOL 向上における作業療法の効果,日本認知症ケア学 会誌,Vol. 11, No. 3, pp. 648-664(2012) 2016年 3 月 1 日 受理 多様な高齢者が,趣味などの活動や仕事のような作業を, 意欲をもって継続的に行える環境を,AI の手法により 支援したいと考える.対象者が高齢者であるため,支援 方法や内容は,本人が「できる」と信じられるような, 直感的でシンプルなものであるべきだと考える. 謝 辞 2章の研究は,社会医療法人社団さつき会袖ケ浦さつ き台病院との共同研究である.本研究は JSPS 科研費 15H02883の助成を受けたものである.
◇ 参 考 文 献 ◇
[Barakonyi 05] Barakonyi, I. and Schmalstieg, D.: Augmented reality agents in the development pipeline of computer entertainment, Proc. 4th Int. Conf. on Entertainment
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[Kolanowski 11] Kolanowski, A., Litaker, M., Buettner, L., Moeller, J. and Costa, P. T., Jr.: A randomized clinical trial of theory-based activities for the behavioral symptoms of dementia in nursing home residents, J. American Geriatrics
Society, Vol. 59, No. 6, pp. 1032-1041(2011)
[町島 16a] 町島希美絵,石井弓子,大島千佳,阿部ひとみ,細井 尚人,中山功一:作業を個人化して提供するための手引きの体 系化,重度認知症デイケア施設の事例をもとに,第 17 回日本認 知症ケア学会大会(2016)(発表予定) [町島 16b] 町島希美絵,石井弓子,大島千佳,細井尚人,中山功一: 重度認知症患者デイケアにおける利用者の「できる」作業決定 までの過程,日本認知症ケア学会誌, Vol. 15, No. 2(2016)(印 刷中) [増谷 11] 増谷順子:認知症高齢者の行動変化をもたらす園芸活 動プログラムの開発,日本老年看護学会誌, Vol. 15, No. 1, pp. 54-63(2011) [大島 06] 大島千佳,樋川直人,西本一志,井ノ上直己:演奏学習 支援における手本の表示方法に関する一考察,情処学研報,Vol. 2006, No. 72, pp.71-78(2006) 大島 千佳 2004年北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科 博士後期課程修了修了.博士(知識科学).株式会 社 ATR,独立行政法人 NICT の研究員,JSPS 特別 研究員(RPD)を経て,佐賀大学客員研究員.認知 症の行動・心理症状を緩和する音の提示に関する研 究を行う.ACM Multimedia 2004,ICOST 2011, Global Health 2012にて受賞.山下記念研究賞受賞. 情報処理学会会員. 町島 希美絵 2013年佐賀大学大学院医学系研究科博士前期課程修 了.修士(医科学).看護師.現在,同工学系研究 科博士後期課程在学.認知症者が達成感を得て,症 状が緩和する趣味活動の研究を行う.日本高次脳機 能障害学会,日本老年医学会,認知症ケア学会各会 員. 中山 功一(正会員) 2005年京都大学大学院情報学研究科博士後期課程 修了.京都大学博士(情報学).株式会社 ATR,独 立行政法人 NICT の研究員を経て,現在,佐賀大学 大学院工学系研究科准教授.機械学習手法やプロソ ディ変換技術などを用いて,個人に最適化される知 的情報システムに関する研究を行う.情報処理学会, 進化計算学会,ヒューマンインタフェース学会など の各会員.