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中華民国期の救災思想と慈善教育(アジア・太平洋研究センター主催講演会)

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Academic year: 2021

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アジア・太平洋研究センター主催講演会

日 時:2019 年 12 月 13 日(金) 場 所:Q 棟 5 階  51,52 会議室 テーマ:中華民国期の救災思想と慈善教育 報告者:文 姚麗(西北政法大学文化与価値哲学研究院研究員)  本講演会は中国の「救災思想」すなわち被災者救済思想と慈善教育を専門とする文 姚麗氏をお招きし,中国教育史の研究者を主たる聴講者として,文氏に中国語でご講 演いただいた。その要旨の日本語訳は次の通りである。 一,厳しい自然災害及び自然災害が引き起こす凶作・飢饉は,民国期の被災者救済思 想の存在する現実的基盤であった。  中国は世界の中でも自然災害多発国家の一つであり,災害の種類が多岐にわたり, 発生地域は広く高い発生頻度を持ち,損害が極めて大きいこと,これが基本的国情で ある。民国期には中国で数多くの凶作・飢饉が発生し,その発生範囲は全国の県数の 半数以上に及び,被災者人数も全国総人口の半数以上に上った。重大な飢饉を招く災 害としては何といっても水害・干ばつがトップである。民国期の自然災害の程度は極 めて大きかった。時期的観点からみると集中的・爆発的発生傾向が見られ,同一種類 の災害又は多くの種類の災害が,ある一定の期間内に発生している。その強度・頻 度・地域分布はすべて明らかな増加傾向を示し,周期性・群発性という特徴を持って いる。また民国期の自然災害にはアンバランスな地域分布という基本構造が見られ

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る。黄河流域が第一位,長江流域がそれに次ぎ,西南,華南,東北地区がさらにそれ に次ぐ。水害・干ばつ・地震・バッタの被害及びその他の災害の発生回数は,大部分 の省で時間の経過とともに増加傾向を見せていた。元・明・清の時代と比較すると, 民国期の災害発生間隔はますます短くなっていった。民国期には自然災害と戦災・匪 賊騒乱が入り混じって相互に影響しあい,自然災害と複雑に錯綜して,人々の生活に 悲惨な影響を与えていた。 二,民国期の被災者救済思想は特殊な時代背景において形成された。  西洋の科学的考え方とマルクス主義の普及につれ,近代科学技術の影響のもと,凶 作飢饉対策によって民生保障を行うために,各政権・政府は実業経済振興・近代的商 工業の発展・近代的科学技術の応用・伝統的農業の近代的農業への転換等のさまざま な方面で経済を発展させ,これによって民国期の災害救助の経済的基盤が築かれた。 また民国期の西洋の宣教師は,広範囲で職業教育を開始し,「教育・養育の両輪教育」 を行い多くの職業教育人材を育成し,民国期の被災者救済思想の近代的転換のため に,人的資源と社会的基盤を提供した。同時に,西洋の宣教師は,新聞や雑誌を刊行 することで,西洋の被災者救済思想と先進的被災者救済方法・経験を伝え,災害情報 の伝達を推進し,科学的な被災者救済方式・措置の伝達と被災者救済方式の転換を促 進した。一方で買弁,紳商,商工業者,知識人グループなどの新興社会勢力は,直接 的に被災者救済の実務に従事し,科学的で社会化された欧米の被災者救済の理念,ひ いては社会福祉の理念を,民国期の被災者救済で実践し,民国期の被災者救済実践を 促進し,新たな被災者救済制度の形成を促進した。新興知識人階級は,民国期にすで に西洋の被災者救済思想の主たる伝達者の一つとなっており,民国期の被災者救済思 想の形成と近代化への転換を促進し,さらには民国期の被災者救済思想の実施と制度 化を促進した。 三,民国期の被災者救済思想は,中国伝統の被災者救済思想を受け継いだものである。  民国期の被災者救済思想は,「天人合一(天と人とは対立するものではなく一体の ものである)」という哲学思想を起源とする。「天人合一」思想が示すのは自然災害と 人類との関係である。これは中国古代の先賢が自然界と精神界について考える際の基 本的思想であり,自然災害と人類との関係について考えるにあたっての哲学的基礎で ある。中国伝統の被災者救済思想の根源は,「仁政」という考え方にある。伝統的な 被災者救済思想では,「仁政の心をもって仁政を行う」「国を愛するためには必ずまず

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民を愛すべし」「徹底して民のために」という考え方が強調されてきた。民国期の被 災者救済思想は,中国伝統の人民本位の被災者救済思想を受け継いでいるのである。 管子は「民を以て本と為す」という思想を持ち,民を豊かにして貧困から救うという 考え方を主張した。これが中国伝統の被災者救済思想の枠組みの根源である。民本 (人民本位)思想は民本主義を基礎とし,自然災害に対応するに当たり,人間の自発 的努力により飢饉の発生を防ぐということが強調されている。民本思想は,生産の発 展と飢饉救済を結び付けて総合的に考慮することで,被災者救済において現実の事象 とその根本原因について同時に効果を上げようとする。 四,民国期の被災者救済思想は中国伝統の被災者救済思想が発展したものである。  民国期の被災者救済思想は,中国伝統の被災者救済思想の中の災害予防・減災の考 え方が発展したものであると同時に,西洋科学思想の影響下で西洋近代科学技術が災 害予防・減災の考え方と結びつき更に発展したものである。民国期の被災者救済思想 は災害に備えて備蓄をするという中国伝統の考え方を受け継ぎ,特に中国共産党の各 根拠地においては被災者救済のための備蓄が大変重視された。民国期の被災者救済思 想は,救済金を支給するのではなく被災者を公共事業等に参加させて報酬を得られる ようにするという考え方を受け継ぐと同時に,近代的科学技術の普及を基礎としてそ れをさらに発展させて,多くの河川洪水防御工事が実施され,それらは減災・防災面 で重要な役割を果たした。被災者救済思想は,農業,商業,経済,実業にかかわる考 え方と密接に関係している。清末期の近代実業の発展に伴い,包世臣,陳熾等の被災 者救済思想は,その経済思想と直接の関連性を持っており,あるいは被災者救済思想 はその経済思想の重要な構成部分と言えるものでもあり,「経世致用」という思想が 表され,民生保障の問題が大変重視されている。 五,民国期には災害学の基本的理論体系が構築された。   1930 年代にはすでに中国の災害学理論体系が基本的に構築された。多くの学者が 災害の原因,災害の性質及び法則,災害の影響,災害対応体制等の側面から,詳細か つ系統的な論証を展開し,かつすでに一定の思考様式・研究方法が形成されていた。 従来の学者が災害に対して経験総括方式で研究を行っていたことと比較すると,民国 期の多くの学者の研究はすでに科学的論証の傾向がみられ,科学的な論理論証が重視 されていた。1920 ~ 30 年代の災害科学研究は長足の進歩を遂げ,多くの研究成果が 生まれ,天文,気象,地質,地震,水利等の科学研究分野で画期的進展があり,災害

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研究は,伝統的な観察・経験蓄積という手法から,科学的試験・対策・予防という近 代的手法へと転換を遂げた。自然科学の理論を用いて研究するということは,民国期 の災害研究とそれ以前の研究の重要な違いの一つである。西洋自然科学の知識と実験 技術・設備の導入は災害研究を理論的・実践的に支えることとなった。そして気象災 害,水害・干害,地震災害,バッタの害等の主要な災害の研究を通じ,中国の主要な 自然災害の原因・性質及び法則を説明するとともに,具体的な防災・減災・被災者救 済方法を提示し,一部の研究成果は直接災害救援・減災の実践に応用された。中でも 竺可楨の研究は,中国の歴史上最も代表的な自然災害研究である。 六,民国期の被災者救済思想は,科学化・社会化・多元化・国際化の方向に発展していった。  科学化・社会化・多元化・国際化を中心とした民国期の被災者救済思想は,民国期 における民生保障という価値志向を代表しており,民国期の被災者救済思想は本質的 には一種の民生保障思想である。民国期の被災者救済思想の本質的特徴は伝統と近代 の併存である。民国期の実業による被災者救済,多元化被災者救済,建設による防 災,防災は発生後の救済より更に重要だという考え方,科学的防災・被災者救済,責 任と権利が明確な被災者救済理念,植樹造林による被災者救済思想,及び農業を重視 する被災者救済思想等は,すべて民生保障を核心とする考え方である。民国期の被災 者救済思想は徐々に普遍的な科学的根拠を獲得し,その科学的基礎が基本的に確立さ れた。科学的防災・被災者救済の考え方は,建設による防災,防災は発生後の救援よ りも重要であることという考え方を受け継ぎ更に発展させたものである。科学的防 災・被災者救済思想の発生・発展は,近代の経済発展の必然的結果である。被災者救 済思想の科学化・多元化及び社会化は脈々と受け継がれ,被災者救済組織の設置,立 法措置,救済原則,機構設置と人事,救済手順と方法の確立等は,被災者救済思想の 社会化が具現化されたものである。民国期の被災者救済の主体は多方面が参画する方 式であった。政府,民間団体,中国在住の外国人などが,それぞれの力量に応じてさ まざまな形式で救助活動に参加し,救援の主体が単一であるという伝統を打破し, 官・商・民等の多方面の力が結集された多元的・社会的な被災者救済・備蓄体制が打 ち立てられた。民国期の被災者救済資金は多元的・国際的な募金方式をとっており, 政府により提供される資金は社会での募金活動の中で重要な先導・模範としての役割 を果たし,公的・私的組織または個人の寄付が奨励された。教会組織は国際募金のた めの主たる窓口であった。

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七,民国期の被災者救済思想は,近代的な減災・被災者救済体制の確立を促進し,制度の 上で従来の「飢饉への対応」から近代的な被災者救済・減災・防災への転換を実現した。  近代的な被災者救済・減災とは,実質的には災害に対する総合的対策である。政府 の責任・近代的政府が確立し構築されるのにつれて,民生の重視は政府にとって引き 受けるべき責任となった。そこで民衆に対して広く災害に対する保障を行い,被災者 救済・減災・防災の社会化・体系化・法制化を行うとともに,近代的な災害保障体系 が構築された。国民政府時期の被災者救済・減災・防災は一つの体系的事業であっ て,被災者救済・防災及び復興等の内容が含まれていた。被災者救済の近代的方式へ の転換の指標は,第一にその専門機構の出現であり,第二に近代的技術手段―たとえ ば情報・交通・メディア等の近代的通信手段を伴っていることである。民国期には専 門の被災者救済行政体系が形成された。また,専門の防疫機関が出現し,保健衛生防 疫体制が整備された。そして安定した経費が保障され,徐々に生活扶助に変えて教育 訓練を行う被災者救済制度が整備されていった。民国期の被災者救済の実務はすでに 法制化という特徴を示し,被災者救済防災に関する大量の政策法規が公布された。最 も典型的であったのは南京国民政府で,公布した被災者救済・防災の政策法規は 80 以上にのぼり,その中で近代的被災者救済における政府の責任が明確にされていた。 近代的な災害救助・防災の法律体系がこの時点ですでに形成されていたといえる。民 国期の被災者救済思想・法律・制度及び対策は脈々と受け継がれかつ相互に影響・促 進しあった。民国期の被災者救済の実践経験は被災者救済制度の形成に直接の影響を 与えた。被災者救済制度は実務経験の総括,または被災者救済の実務で発生した問題 に対する対応措置に由来するといえる。民国期の被災者救済制度とその実践は,被災 者救済思想の形成を促進した。たとえば被災者救済制度の法制化,被災者救済実施の 系統化等である。民国期の被災者救済思想・制度及び実践は弁証法的に統一され,相 互に影響しあい相互に作用しあった。 八,民国期の被災者救済思想の中国共産党辺区における実施が成功した。  民国期の学者の災害・被災者救済に関する研究は,多くの重視すべき研究成果を生 んだ。また南京国民政府はすでに近代的被災者救済・防災制度を確立しており,被災 者救済の実施面においても多くの貴重な経験を積み重ねていたが,被災者救済の実効 はあまりあがらなかった。その原因は,北京政府と南京国民政府の腐敗した政治で は,正確で科学的な被災者救済思想の徹底的実施は不可能であったことである。被災 者救済は本来それ自身が目的であるが,腐敗した統治階級はそれを「民を治める」た めの手段に変えたのである。被災者救済は本来,短時間内に広範な勢力の参画を動員

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することが必要であり,またそれが可能であるはずだが,制約ある政治体制の下では ただ従来の方式通りに業務を実施し,「民衆の激変を防ぐ」だけであった。国民政府 は,苦しむ大衆の立場に立ち,「一介の庶民」にとっての被災者救済の重要性を深く 理解することができなかった。庶民にとっては理想や思想がどれほど立派で整ってい るかということはどうでもよく,問題とするのは現実的に苦難を脱することであり, 「苦難に対する救助・救済がすべて」という極限的な理性・本質的状態にあったので ある。中国共産党は中国伝統の被災者救済思想の精華を受け継ぎ,国民政府と学術界 の被災者救済思想を昇華し,民生保障における政府の責任を明確化して,被災者救 済・飢饉救援に政治的に高い位置づけを与え,実際に基づいて正しく行動し,民衆に 依拠し,民衆を立ち上がらせ,生産を上げることによる自力復興・自力更生を核心と する一連の被災者救済政策を採ることで,災害に打ち勝ち,めざましい被災者救済効 果をあげた。同時に,中国共産党辺区政府は被災者救済の実践の中で,その他の制度 措置―たとえば経済発展,社会基盤整備等と系統的な調整を行って,それらを一つの 被災者救済・防災体系として整備した。ある意味において,中国共産党は被災者救済 のゆえに災害の中で成長し成熟してゆき,一方で国民政府は被災者救済のゆえに災害 の中で衰退し滅亡に至ったのである。 九,中国共産党は被災者救済思想の近代的モデルチェンジを成し遂げた。  中国共産党が指導する辺区政府と各根拠地は,民生保障を根本的問題とみなし,そ の被災者救済の政策と実践は真の「大同思想」と「民本思想」を示しており,すべて の被災者救済の実施措置には,実際に基づいて行動するという仕事のやり方と,問題 解決のための科学的理性が明確に表れていた。事実によって証明されたことは,思想 の成熟の指標は,「文字」や非現実的な「理論」ではなく,実際の行動により多く現 れるということである。「被災者救済は民の救済に等しく,民の救済は救国に等しい」 という言葉は,中国共産党が根拠地・辺区政府の時期にすでに民生保障の真の意義に ついて深く理解していたことを示している。正にその深い理解のゆえに,共産党は被 災者救済の実践に対し政治的に高い位置づけを与え,強力な政治体制を構築し,政府 の責任を忠実に履行し,民生保障を忠実に執行することができたのである。そのゆえ に,共産党は「小さな力も拒まず,各方面の長所を広く集める」という方針の下,従 来の被災者救済のための思想と知恵を吸収し,先進的技術を運用して科学的な被災者 救済・防災事業を行うことができたのである。そしてそのゆえに,共産党は敢えて効 果的に大衆を動かし,最短時間内にすべての資源と勢力を動員して被災者救済に参加 させ,限りある人力・物力・財力を最も救済を必要とする場所に投入し,自力更生,

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生産力向上による被災者支援,互助による救済を実施することができたのである。正 にこのような深い理解があったために,中国共産党は辺区政府の時期に被災者救済の 実施に成功したことによって,国民政府を事実上引き継いで被災者救済思想の近代的 モデルチェンジを成し遂げたのである。 十,西安市孤児教養院は民国期の被災者救済思想と慈善教育の典型である。  西安市孤児教養院は教育と養育を同時に行う,西北地区における大規模な慈善教育 機関の先駆けであり,当時の慈善事業の発展に積極的に貢献した。西安市孤児教養院 は独自の特色を有していた。慈善教育の理念は,「貧しく困難な状態にある孤児を収 容して養育し,適切な教育を行い,成人後に自立する能力を持てるようにする」とい う運営趣旨であった。孤児の知育・体育を重視するだけではなく,児童の道徳教育も 重視し,これを教員の責任とみなしていた。慈善教育の内容としては,西安市孤児教 養院は教育・養育双方の重視という原則のもとに家庭教育の役割も兼務し,更に普通 学校教育と社会実務教育を有機的に結合させていた。救済の対象については,「男尊 女卑」という時代的制約を打ち破り,男子児童の救済と同様に女子児童の救済も重視 していた。管理方式としては理事会方式を採用し,具体的な管理過程について管理規 則制度を制定し,規則に厳格に従って実施した。資金源としては,柔軟で多方面にわ たる資金調達ルートを持ち,従来からある寄付,農地収入,地代,政府からの補助金 等に加えて,たとえばチャリティー公演・バザー(演芸公演開催)などの新たな募金 方式を生み出した。張子宜が創設した西安市孤児教養院は,中国伝統の慈善事業の近 代的モデルチェンジであり,中国伝統の慈善活動の新たな領域を開拓し,従来の慈善 事業の枠組みを超えて近代的意義における社会公益事業としての性質をもつもので あった。 (文責:宮原 佳昭)

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