カフカとカフカの「十一人の息子」
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(2) カフカとカフカの「十 一人の息子」. ゴ5δ. りの十 三 篇 は, 自作注解 的作 品「十 一 人 の 息子」 と この注解 の対 象 で あ る十 篇 ,こ の 短篇集 には収 め られ て いない 自作「狩人 グ ラックス」 の注解「家父 の心 配 」, そ して ,著 名作家 の人物評的 な注解「鉱 山 に来 た人 たち」か ら構 成 されて い ることにな る。いか に も意 図的 で 整然 と した構成 の よ うに見 え. ,. われわれ は こ うした枠組 みを意識 させ られ なが ら,と くに 自作 を語 るカフカ の, 自画像 にで も向 い合 うこ とが 出来 そ うな のだが,そ れ は ちが う。つ ま り. ,. 三 篇 の注解 ス ケ ッチ と十 篇 の短篇 の配列 と組 み合 わせ に して も,区 別 が つ く よ うにで はな くつ かないよ うに,慎 重 な注 意 が払われてお り,ま た, 自作注 解 とい うが,そ れ は,は ぐらか され たわれわれが,不 安定 な納得 を 自分 自身 に押 しつ け るよ りほか はない,そ んな位 置 にわ れわれを放 置す る注解 で あ る。 一 読 してただちに理解 と同意 を表 明 して も らえ るよ うな注解 で はあ りた くな い とい う顔付 きの,注 解 で あ る。 核 心 らしい ものの発 見 に昂然 と肩 をそびやか して見せ るか,注 解 と作 品を やむ な く暴力的 に結合 させてみ てなにか うしろめた い気持 で あた りを見廻 わ すか,い づ れ にせ よ,こ うしたわれわれ の姿勢 は,注 解 に直面 した ときわれ われ の 内部 に生 れ る空 虚 で空 白 な場所 を,わ れわれがす っか り塗 りつ ぶ す こ とが 出来 ないで い る有様 を示 して い るのだ。 パ ス レー は,「十一人 の息子」 のばあい, カフカが書 き残 した八 つ 折版 ノ ー ト第六 冊 の末 尾 の,十 二の作 品 の 標 題が 縦 にな らべ て記 されて い る個所 を. ,. 3). 複写 で 示 し,そ の十 二 番 目が「十 一 人 の息子」 で あ るところか ら, ノー トの この個所 は,十 一 篇 の作 品を,な らべ られ た順 に十 一 人 の 息子 にあて はめて 4). 注解 ふ うな記述 を試 み るための メモで あ ると,判 断 した。 また 息子 とい う比 喩 につ いて パ ス レー は,カ フカが デ ィケ ンズの作品 の なかで と くに愛読 した 「 デ ヴ ィ ッ ド・ コ ッパ ー フ ィール ド」 の序文 に,作 者 が この小 説 の こ とを 自. 3)Sy S.22な お,マ ックス・ ブ ロー ト編集の全集版では き,註 と して取上げ られている。. ,. この個所 は本文 か らは省. 4)八 番 目の息子 として注解 される「石炭桶に騎乗する者」 Der に予定を変更 して単独 で発表 された。. Kubelreiterは の ち.
(3) 本 野 亨 一. ゴ5/. 分 の「 かわ いい子供」 と書 いたの が念 頭 に あ って,あ ると き親 友 の マ ックス. 0ブ ロー トに も,「 十 一 人 の息子 はそ っ くりその ままぼ くが いま 書 いて い る 5). 十 一 篇 の物語 だ」 な どと語 った こ とをあ げ,作 者 と作 品す なわ ち父親 と息子 とい うの は,カ フカの身辺 的 な比 喩 だ と して い る。 注解 と云 って も,け っ して説得 的 な明快 な もので はない, とパ ス レー は云 う,作 品 の形 式 ,素 材 あ るいはモテ ィー フに げんみ つ に照応 させ て あ るとは か ぎ らず,カ フカが それぞれ の作 品か ら感受 した「 全体 の 印象」を反 映 させ るに とどめてい る,と 。だか らパ ス レー も, 自分 が感 受 した注解 の「 全 体 の 印象」を 簡潔 にス ケ ッチす るとい う地帯 に とどま り,カ フカの このよ うな意 図秘匿 のたの しみ の,意 味 と基 盤 を問 う こ とは べ つ な機 会 にゆ ず って, ここ で はあえて 触 れ ることは して い ない。 しか しこのパ ス レーの試 みは刺戟的 で あ って, 自作 にたいす るカフカ 自身 の「 全 体 の 印象」 の,意 図秘匿的 な記述 の 肉体化 され た もの と しての 息子 たちに,パ ス レーに な らって もうい ち ど接 近 し,「 全 体 の 印象」の落差をわれわれ に測定 させ ず にはおかなβ 。 7). 「 十 一 人 の 息子」 は,「 私 には十 一 人 の 息子 が あ る」,と 書 きは じめ られ. ,. 父親 は「 一 番 目の 息子 は ……」,「 二 番 目の 息子 は ……」, と数 え上 げて い き. ,. 「 これが私 の十 一 人 の 息子 で あ る。」 とむす んだ。. 5)Max BrOd,Uber Franz Kafka(Fmnkfurt/1966)S.122た. だ しブ ロー トは こ の作品に, 家父であ り家庭を築き上げる者であ りたいとい う, カフカの願 いがこめ. られている, と考え る。 現実の父 には対抗 出来 ぬ, せめて「書 くこと」か ら生れた 息子たちの父親であ りたい, とい うふ うに。短篇集「 村 の医者」は「 わた しの父 に」 捧げ られている。. 6)Hartmut Binder,Kafka Kommentar zu samtlichen Erzahlungen(Munchen. 1975)(Abk.Binder)S.223f.参 照。 ビンダーは,パ ス レーの発想は当然あ りうる こととして承認するのだが, ノー トの 配列順 に息子を注解者に見立てるパ ス レーの 方法には賛意を表 しがたい, とする。 そのよ うな照応関係を前提 とするのは,性 急 である,む しろ, 結論的には, ポ リツァー も云 うとおり,カ フカはこの短篇で,十 一 回自分 の作家像を描きかえてみせたのではないか,と ビンダーは云 う。 7),,Elf Sё. hnd`ES.172-178。.
(4) ゴ58. カフカとカフカの「十 一人の息子」. 1.. 8). 「夢」. 「 ヨーゼ フ・ Kが 夢 を見 た」, とい う書 き出 しだが, これ は長 編草稿「審 判」 の別稿 の ひとつで あ り, ヨーゼ フ・ Kの 死 の 幻想 で あ る。墓地であ り. ,. 遠 くに土 まん じゅうが ひ とつ見 え る。そ こへ 招 かれ るよ うに して,か れ は こ の死 に 向 って進む ,い や,い くら急 いで も急 ぎ切れ な い思 いで あ り,そ の と きとつ ぜ んす ぐそばに 同 じ型 の土 まん じゅうが あ るの に気 が つ くと,草 叢 を 分 け そ こへ 飛 び こんで い って しま う。土 まん じ ゅうのかた わ らには二人 の 男 と一人 の芸 術家が いて, ヨーゼ フ・ Kの 埋葬 のための 儀礼 が と りお こなわれ. Kは す べ て を受 容 し, 自分 の一 本 の指 で墓穴 を掘 ろ うと しさえす るのだが. ,. ,. かれを呑 み こむ穴 はすで に 用意 されて いた らし く,「 急斜面 の大 きな穴がぽ っか り口を ひ らき,ゆ るやかな土 の流れを背中 に受 けて 旋 回 しなが ら,か れ は沈下 して行 った」。 ひ じょうに 目立 た ぬ人 間だが,真 面 目か つ 賢 明 で あ り,ほ かの息子 た ち と 同 じよ うに愛 して い るのだが,そ れ ほ ど高 くは評価 して はいない,と 第 一 の 息子「 夢」 につ いて 父親 は云 う。 それ は この 息子 の物 の考 え方 が単純す ぎる か らだ,と 父親 は評価 した,つ ま り,「 右 もむかな い, 左 もむか な い, 遠方 を見 る こ ともしな い, 自分 の狭 い頭 のなかを, しょっち ょう ぐる ぐる走 りま わ って い る,と 云 うよ りも,身 体 を ぐる ぐるまわ して い る,と 云 ったほ うが よい」。 カ フカは注解 を,旋 回 しぐる ぐるまわ る姿態 とい う一 点 に しぼ ってい る。 死 にむか っての夢 の 疾走 のはて に,墓 穴を沈下 してい くヨーゼ フ. OKは ,墓. 穴 の周壁 に背 中を こす りつ け るよ うに して旋 回 し,お そ らく次第 に速度 を早 め,沈 下 してい く。 それ は周壁 の あち こちに身 体 をぶ つ けなが らの,ぶ ざま な転落 で はない,何 もの に触 れ る こ ともな い ま っさか さまの墜 落 で もな い. ,. 深 み に呑 み こ まれ続 けて い く無 限 の旋 回 によ る下 降 ・沈下 で あ る。 この 目覚.
(5) 本. ゴ59. 野 亨 一. めの直前 の旋 回は美 しい旋 回 で す らあ る。 ヨーゼ フ. OKは うっと りして い る. うち に 目が醒 めたのだか ら。 しか し父親 は注解す る,い い人 間な のだが 量見 が狭 い,一 本調子 だ,量 見 が狭 い と云 って もいつ も同 じ貧弱 な トラ ックを ぐ る ぐる廻 って い るとい うのな らまだ話 はわか るのだが ,一 点 に静止 して身体 だけ ぐる ぐる回転 させて,疾 走 のつ も りで い る らしいのだ,と 。 旋 回す る, ぐる ぐるまわ る drehenと ぃ う語 が,テ キ ス トか ら注解 に もす べ りこ ませて あ ることを指摘 したのはパ ス レー だが,こ の種 の す べ りこ ませ のい くつ かの例を列 挙 しただけで あ り, かれ はむ しろ,「 かれ の考 え方 は単 純 だ と思 う,右 もむかな い,左 もむかな い……」 とい う注解 に,ヨ ーゼ フ・. Kの 死へ の無心 の疾走 のパ ラフ レーズ を見 て取 ってい る。 10) 2。. 「掟 の 門」. 「 審判」 の第九章「大 聖堂」 に も組み こ まれ てい る寓話 ,い わゆ る門番伝 説 で あ る。 掟 の 門 の前 に突立 ってい る門 番 と,掟 の真 理 を もとめ遠 くて 長 い旅 のおわ りに ここまでた ど りつ いた らしい「 田舎か ら来 た 男」 との対応 で ある。男 は 入 らせて は も らえな い 。 その ままの位 置 で 答 えのな い 問 い を くりかえ し続 け 歳月を重 ねた男 に,や がて 死 が近 づ いた とき,門 内か ら男が求 め るものの 光 らしい もの が き らめ く。男 は も う意識不 明 で あ る。お前一人 のための 門だ っ たのだか ら,こ れ で も うわ しの用 はな くな った,門 を しめ る,と 門番 は云 っ た。 大 聖堂 の僧 侶 は,掟 の裁 きにつ いて ヨーゼ フ・ Kに 説示す るとき,こ の短 か い伝 説を中心 に据 え,伝 説 にたいす るとお い昔 か らの さま ざまな煩瑣 な解 釈 で 囲 んだ。 これ は注解 に埋没 した伝説 で もあ る。 カフカは,「 伝 説」 と自 らも呼 んだ この 簡潔 で圧縮 され た形 式 の「 むか しの話」 を愛 し尊 重 したが. 9) Sy S.26 10),,VOr dem Gesetz“. ES.1581.. ,.
(6) カフカとカフカの「十 一人 の息子」. ゴδθ. この種 の ものは経験 と訓練を重ねるのでなければ容易 に書 けるものではない. ,. と考えていた。 「 ア レゴ リー (寓 話, 伝説)以 外 の何 もので もな く, 語 るべ きすべてを語 り,深 かみにはまりこまず,深 かみに引きいれ ることもしない このア レゴ リーなるもの全体 の,乾 燥 した構築など私 の手 にあまることなの です」,と も云 う。そのカフカが,「 掟 の門」 を読みかえ してみて,「 満足 と 幸福 の感情」を味 ったと日記に書 き,ま た,フ ェリーツェに「審判」を読 ん で聞かせて いたときは相手 もたい して反応 ・ 共感 はなか ったのが,「 F]番 の 物語」 になるとにわかに関心を示 しかの女 の把握 も正確で あった,と も書 い 11). て い る。. 二 番 目の 息子「 掟 の 門」 はハ ンサ ムで す らりと して 均斉 が とれて いて ,フ ェ ンシングで 型 が きま った ときな ど,ま るで も ううっと りさせ られ る,と 父 親 は告 白す る,そ して旅行ず きで 見 聞 もひろ く世慣れ て い る, しか しこの子 供 は さ らに,誰 もが認 め ることだが,ひ とには真似の出来 ない ものを持 って い る。 それ はダイ ビング の技術 だ。 出来 そ うに見 え るので 真似を しよ うとす る者 は,「 跳躍台 の端 まで 行 く勇気 と興味 は持 ち合 わせて い る, しか し, い ざ飛 び こむ とな ると,そ こでへ たへ た と坐 りこんで しまい,あ や まるよ うに 腕 を差 し上 げ るのだ」。 これ は,「 ア レゴ リー」を書 くとい う容 易 に修得 しが た い技能 にたいす る頌詞 で あろ う。 しか しここには旅 Reiseと い う語 が テ キ ス トか らす べ り こ ませて あ って,ダ イバ ーは「 田舎 か ら来 た 男」 の経験 も. ,. 分担 させ られ て い ることにな る。 だが しか し,「 わた しの この 子供 にたいす る関係 には暗 い影 がな い とは云 えな いのだ」。 これ はおそ らく 「 門番」 の影 で もあろ う。かれ は冷徹 な人 物 で あ った,た だ この 冷徹 さは さま ざまな伝統 的解 釈 に埋没 して い るので,簡 単 に定 義 は出来 ないが,い づ れ にせ よ,ハ ンサ ムでつ き合 いのいいす ぐれ た ダ イバ ー が落 とす暗 い影 とはなにか。 それ は,父 親 の証言 によれ ば,こ の子 供 には左 の 眼が右 の 眼 よ りもす こ し小 さ く,ま ばた きをす る回数 が多 い,と 11) Binder s.183f..
(7) 本. 野 亨 一. ゴδゴ. い うち ょっと した 肉体 的欠 陥が あ り,そ れ 自身 は問題 とす るに足 りな いの だ が,「 この欠 陥 に どことな く似 つ かわ しいあれ の精神 の不安定 さ」 が 父親 を 悲 しませて い るのだ 。 しか し父親 はい っぽ うで は この欠 陥 に血 のつ なが りを 感 じ取 って いて,だ か らこそ ほん と うの 息子 で もあ るのだ,と 云 う。 この 息 子 は「 門番」 で あ り同時 に「 田舎 か ら来 た男」 で もあ る らしい 。 12) 3。. 「皇帝 の使者」. 古 い支那 に題 材 を もとめたい くつ かの 断章 の ひとつ ,「 万里 の長城 が きず かれ た とき」 の なかか ら二 個所 ,そ れぞれ「 皇帝 の使者」,「 古 い記録」 と題 して, この短 篇集「村 の 医者」 に収 め,発 表 された 。 父親 は, この息子 「皇帝 の使者」 も二 番 目と同 じよ うにハ ンサ ムだ,と 語 りは じめ るが,た しか に,夢 の 中 での 日常 を 自分 の愛す る伝 説 ・伝承 の形 式 を用 いて描 き切 った,と い う充実 感 の あ る短 篇 で あ る。だがす ぐ続 けて父親 は, これ は 自分 の気 に入 らぬ柔 しさ,歌 い手 の美 しさだ と云 い,弓 のよ うに 孤 を描 く唇 , 夢 み るよ うな瞳か らは じめて,「 効果的 で あ るためには なにか 畠 の 背景 の よ うな ものを 必要 とす る頭 」, と美 しさの細部 を列 挙 して い くの だが,背 景 の よ うな もの とは,パ ス レー も指摘す るよ うに,母 体 で あ る 「万 里 の長城 が きずかれ た と き」 が念 頭 に あ っての記 述 で あろ う。支那 の壁 の構 築 とい う大工事 の無 限,広 大 な 国土 で 秦 の始皇帝 と人民 たちをへ だて る距 離 の無 限。 「 皇帝 の使者」 は公表 され , 皇帝 の親書 をたづ さえた使 者 の無 限 の 疾走 は,母 体 の無限か らは切 り離 された場所 で行 われてい る。 背景 の 畠 は外 され た ままで あ る。歌手 は無 限 の歌 を歌 ってはい るのだろ うが。 父親 の列挙 は続 く。今度 は息子 の胸部 と,四 肢 につ いてで あ る。 そ して 注 解 の視点 は,次 第 に使 者 の 肉体 に重 な り合 ってい く。臨終 の皇帝か ら親書 を 拝受 した使 者 は,勇 躍壮途 につ い た,「 た くま しく, 疲れ を知 らぬ男 ,あ る ときは一方 の腕 を,ま た あ ると きは もう一方 の腕 を,突 出 しなが ら,人 び と 12) ,,Eine kaiserliche BOtschaft“. ES.169f..
(8) ゴ62. カフカとカフカの「十一人 の息子」. のあ いだを 縫 うてい く, じゃまな ものには 自分 の胸 を示す ,そ こには太 陽 の しる しが あ るのだ ……」。 だが,父 親 の注解 は こ うだ,「 突拍子 もな く盛 り上 った胸 ,簡 単 に振 り上 げ るのだが またお そろ し く簡単 に垂れて しま う手 ,な にひ とつ 運 ぶ力がな い ものだか ら,は にかんで い るよ うな脚 ……」。 使者 は しか しま るで夢 のなかで のよ うに,官 廷 ,階 段,中 庭 ,そ して また へ るこ 宮 廷 とい う無 限 を馳 け抜 けね ばな らぬ 。数千年 を経 て も宮廷 のそ と 出 とです ら不可能 だ とい う到達 目標 を与え られ て ,で あ る。「 しか し君 は, 黄 昏 の ころ にな ると,窓 辺 にたた ず み,親 書 の夢 を見 るのだ」。 他界 か らの使 者 を家族 の一員 にかかえた父親 はやや 当惑 の表情 を浮. べて. ,. さい ごに こ う述懐 ・注解 して い る,「 あれ はまた, われわれ の この時代 には の一 員 で はあ るのだ 縁 のない人 間 だ とい う気持 を抱 いて い る,た しか に家族 のほか に,も っとべつ なあれ には もう永久 に失 われ て しま ったあ る家 が. ,そ. べ ことが 族 の一 員 で もあ る,そ んな顔付 きを して す て に興味 を失 って しま う よ くあ って , こんな と きは どんな に して も気 を 引 き立 て る ことは 出来 な い」。 13) 4。. 「隣 り村」. ご く短 か いアフ ォ リス ムふ うな もので,表 題 は さい しょは「馬 を 走 らせ る Die kurze Zeitと あ らた め られ てい 者 」Ein Reiter,次 に「 短か い時間」 ズ ムで あ る。 つ ま り,隣 り村 に馬 を走 らせ る時 間 につ いて ,と い うア フ ォ リ る。 カフカは フ ェ リー ツ ェあて の手紙 で, 自分 の「 書 くこと」 と関連 して しさに いは人 間関係 のわ 「 時 間 は短 か く,力 量 は乏 しいのです」,あ る I)わ いた 。 これ は「 関連 して ,「 道 は長 い,力 は乏 しい」,な どと,対 句 ふ うに書 か い ものだか ら全文 光陰矢 の ごと し」 とい う格言 の思想で もあ るだろ う。短 ,. を のせて お く。. ば 「私の祖父はよくこんなことを話して聞かせて くれた,『人生はおどろく 13),,Das nachste Dorf“ ES.168f.. 14) Binder s.213.
(9) 本. 野 亨 一. ゴ63. か り短か い ものだ 。今ふ りかえ ってみ ると,人 生 はあ っとい う間に過 ぎて し ま った, とわ しは思 う,だ か ら,例 え ば今 の若 い人 が,隣 り村 へ 馬 で 出か け よ うと決心 し,一 ― 不慮 の事 故が起 ったばあいは と もか く―一 普 通 の,何 事 もな く推移 して い く人生 の時 間程度 の もので は,馬 を走 らせ て み て もまるで 目的地 には行 きつ かぬので はないか と不 安 を抱 いて い る様子 もな いのは,わ しには不可解 だ と云 って いいの だ。 』」 この祖父 は,「 光 陰矢 の ご と し」 とい う考 え の持 ち主 の よ うだが,「 だか ら 例 え ば ……」以下 はその思想 の例証 と してただ ちに この思想 を バ ック・ ア ッ プす るもので はない 。一見 不整合 で あ って,こ こに は カフカ独特 の逆 説 の転 移 が あ ると思 う。後半 の 例証 だけにつ いて云 え ば,空 間的 にす ぐそばに あ る ものは 同時 に無 限 に遠 くにあ るとい う逆 説,時 間 と しての一 瞬 は同時 に無限 だ とい う逆説 に身を置 いて 不安 を感 じた経 験 の ない人 間な ど,相 手 にす るに 足 りな い,と 祖父 は云 って い る。非 日常的 な時 間 と空 間 の感受 につ いて述懐 して い る。 「 光陰矢 の ご と し」 とい う格言 は時 間 の比 喩 だが, 矢 のよ うに疾 駆す る時間 には,空 間的 に馬 を 疾走 させてみて も追尾 出来 るもので はない. ,. と祖父 はべ つ な次 元を持 ち出 して い るよ うに見 え る。 これが,主 題 と例証 の 整合 だ とは云 いが たいが,カ フカ的 な 中間地帯 の風景で はあ る,と 思 う。 注解 者 の父 は,こ の 四番 目の 息子「 隣 り村」 は,兄 弟 のなかで は もっとも つ きあいや す い人物 か も しれぬ,と 云 う。誰 とで も共通 の地盤 に立 ち. 誰 にで. も理 解 されや す く, もて はや されてい る。 だか ら軽やかで 屈託 がない 。かれ の発言 には あ とで 何度 も くりかえ してみ た くな るよ うな発言 もあ る。 だが. ,. それ は度 を過 した軽やか さで あ って, これがかれの命取 りにな るので はあ る ま いか。 「 あ ざやか に飛 び立 ち, つ ばめの よ うに大気 をか す めてい くが , ゃ がて荒 涼 た る塵埃 のなか に,い た ま しい生 涯を終 え る人 に似 て い る,あ れ は 無 を思 わせ る人 物 だ。」 ア フ ォ リズ ムふ うに圧 縮 して書 くとき,い や ,ほ か に方法 が な い と き,か な らず あの比 喩 と逆 説を くぐりぬ けねばな らぬ,と カ フヵは 困惑 の表情 を 浮 べ て い る。 ア フ ォ リズ ムふ うな もの は これ一 篇 だけで あ る 。.
(10) Iδ イ. カフカとカフカの「 十一人 の息子」 15) 5。. 「古 い記録」. の二 あた り 「 皇帝 の使者」 は母体「万里 の長城 が きずかれた とき」 の三分 か ら抽 出 されて い るが,「 古 い記 録」 は, 断稿 ノー トに書 きつ け られ た位 置 か ら云 え ば,ぜ んぜん べ つ な短か い記述 をは さんで ,母 体 か らす こ し離 れ 記 されて い る。古記録 の一 節 とい う形式 だが,国 土 の無 限 とい う文 脈. て. で はな. で く,主 題 は北方 の運 牧 民族 へ 首 都 へ の侵入 と これ に対応す る皇帝 と民 衆 あ の る。 この首 都 の民 衆 ,商 売人 や職人 は,侵 入 した遊牧民 の無法 な行動 真只 ニ にあ るのだ 。 中 にいて,皇 帝 とも侵 入者 とも, コ ミュ ケ ー シ ョン絶無 の状 態 るで こが らす 古 記録 の筆者 は云 う 。 遊牧 民 た ちは話 し言葉 を持 たぬ , ま Dohleの よ うに して意志を通 じ合 う,わ れわれ の風 習 にはい っさい理 解 を示 で さず無 関心で あ る,だ か ら身 ぶ り言葉 ,そ してむ ろん書 き言葉 に も無 縁 あ の意 とえ こち らが あ ごを外 ず し,両 手 の骨 を脱 日 させ て見 せて も,そ る. ,た. に を しか めて見 せ た り 味 を問 う ことは しな いで あろ う。だ か らかれ らは妙 顔 い つ で だか らそ す る ことが あ るが ,意 志表示 で もな く,お ど し け もな ,習 慣 う して い るまで の ことなのだ。 これ にた い して 最高権 力者 で あ る皇帝 とそ の軍 隊 は,理 由 は不 明だが,王 して い る らしい 。だ か らこの 官 に と じこ もった まま,い っさいの行動を拒否 動 乱 のなか にあ って も,王 宮 は静寂 に. 活. つつ まれ て い る。. い 日常生 侵 入者 たちに して も,遠 い北方 の荒 野 の,た くま しくあ らあ らし の 習慣 を,持 ち こむ ことが 出来 れ ば,そ して,壮 麗 な都会を馬小屋 のよ う. に不潔 に して抵抗 がなけれ ば,満 足 な ので あ る。 ほかに,暴 力 もふ くめ て. ,. る市 言語 的非言 語的 コ ミュニ ケ ー シ ョンはい っさい不要 なのだ。供手傍観す 「・……祖国 の 防衛 はわれわれ職人 民 たちは,「 祖国 の 防衛 」 につ いて考 え る。 と商売人 にゆだね られ て い るのだが,そ んな仕事 には不 慣 れ で あ る,そ んな の で 能 力が あ ると誇 りに思 った ことな どは一 度 もな い 。 それ は誤解 あ り,こ 15) ,,Ein altes Blatt“. ES.155--158.
(11) 本. ゴ65. 野 亨 一. 誤 解 のた めにわれわれ はほろびて い く」。 皇帝か らも侵入者 か らも しめ 出 されて,動 乱 の町 の奇妙 な静 寂 さのなか に 住 む市民 たちの表情 を,父 親 はスケ ッチす る。五 番 目の 息子「 古 い記 録」 の 注解 で あ る。た いへ ん 善良 で控 え 目で,「 ど こにい るのかわか らぬ よ うな男 だ か ら, 眼 の前 にいて も こち らは全然 ひと りぽ っちみたいな気持 にな る」, し か しかれを 認 めて くれ る人 もい るには い る。なぜ認めて くれ るのか, 自分 に はよ くわか らな い 。 そ して 父親 は,純 真 ,純 潔 ,無 垢 ,無 邪気 ,罪 が な い. ,. そん な言 葉 を あて はめてみ る。 そ うした特質 な ら,「 世 間 で さまざまな要 素 が荒 れ狂 ってい るなかを,誰 よ りもやすやす と切 り抜 けて い けるの か も知れ ぬ」, と結論 らしい もの を 出 してみて 納得す るのだが, しか し少 々度 が過 ぎ た純真 さだ と訂正 を 加 え,面 とむか って あれ の こ とを 賞 め られ た りす ると. ,. シ ラけた気持 にな ると告 白 した 。 これが, コ ミュニ ケ ー シ ョン絶無 の市民が漂 わせ る奇妙 な静寂 さのパ ラフ レーズ で あ る。. 6.. 16). 「 ジ ャ ッヵル とア ラ ビア人」. 砂漠 のオア シスに露 営す る旅人 たちを取 り囲ん で,宿 敵 ア ラ ビヤ人 の 殺害 を懇 願す るジャッカルの群 ,動 物 の屍 肉を常食 とす るこの狡猾 で 不潔 なけだ ものた ち の,生 態描写 にカ フカは執心す る。 だか ら父親 の六 番 目の 息子 「 ジ ャッカル とア ラ ビア人 」注解 は, ジ ャッカル の生態 の云 い換 えか らは じまる。 「 わ た しの六 番 目の 息子 は,す くな くとも初対面 の人 には,い ちばん思慮 のふか い人 間 に見 え る。 いつ も うなだれ て い るのだが,す こぶ る能 弁 で あ る。 だか らつ き合 いに くい人物 なのだ 。負 けてい るときは,ど うに もな らぬ悲 し み に とざされ ,優 位 を 占め ると,能 弁 によ って優 位 を保 持 しよ うと試み る。」 ジ ャッカル たちを代表 して,一 頭 の老 ジ ャッカル が まづ 遠慮 が ちな 自己紹 介 か らは じめ,そ れが愁 訴 とな り,次 第 に高揚 して来 て積年 の 憎悪 の告 白 と 16),,Schakale und Araber“ ES。 160-165.
(12) ゴδδ. カフカとカフカの「十一人 の息子」. な り,怨 念 に燃 え一歩 もあ とへ 引け ぬ ア ラ ビヤ人殺害 の懇請 と化 し, この能 弁 の あ いだ,パ ス レー も指摘す るよ うに,か れ らは「 一 頭残 らず頭 を 前脚 の あ いだに埋 め く, しき りに爪 で 頭 を こす るのだ」。 これ は, うなだれ る者 た ち の集 団 で もあろ う。 旅人 た ちの 隊商 の 先達 を つ とめ る一人 のア ラ ビヤ人 は,ま た何 時 ものお芝 居 か と, したいだけ の ことを させ てお き,さ い ごに旅人 た ちにむか い,か れ らの正 体 をお 目にか け ると云 い,一 頭 の らくだ の屍体を ほ うり出 した。す べ てをわ すれ, ジ ャッカルた ちは屍体 の上 に折 り重 な りむ さぼ り くらい,放 心 の 陶酔 がかれ らを支配 し,振 りお ろす ア ラ ビヤ人 の鞭 に も感受 力を失 って し ま って い る。父親 は続 けて この放 心 の 陶酔 を注解 す る。 「 しか し,一 種 の忘我 的な情 熱を抱 いて い る ことは否定 出来 な い,真 昼 間. ,. ま るで夢 を見 る人 の よ うに,思 索 を重 ね願 い続 け るのだ 。病気 で もな いの に 一 一 それ ど ころか ,あ れは じつ に健 康 で あ る一一 た びた びよろめ く, ことに 夕方 がはなはだ しい, しか し人 の手 を借 りた りは しな い 。 あれ は倒れ た りは しな いのだ。」 しか しジ ャッカル た ちのア ラ ビヤ人 にたいす る怨念 とはなにか。 それ は. ,. その存在 のす べ て が 砂漠 を けが らわ しく不 潔 な砂地 と化 して しま ったア ラ ビ ヤ人 にたいす る怨念 で あ る。かれ らを一 掃 し, 自分 たちだけで心 い くまで腐 肉を くらい骨 をすす る清潔 で 純粋 な世界を取 り戻 したい とい う願望 で あ る。 自 らの不潔 な存在 をの さば らせ る ことによ って ア ラ ビヤ人 の不潔 さを一 掃 し 純粋 ・清 潔 を保持す るとい う逆説 の成就 で あ る。公表 され た父親 の注解 は こ の悲 願 には触 れ な い 。 しか し ミレナ にあて た私信 で カフカは書 く,「 私 は不 潔 で す。 ミレナ,際 限 な く不潔 なの で す。 だか らこそ清潔 ,純 粋 とが な り立 ててい る。地獄 の底 におち こん だ 者 くらい純粋 ,清 潔 に唄 うものはいないの 17). で す。」 ひそか に趣 向を凝 ら してたの しむ。 ホ ンネ の注解 は公 表 され た作品で は場 17) Binder s.203.
(13) 本. ゴδ7. 野 亨 一. ちが いで もあ るだろ う。. 7.. 18). 「立 見席 の男」. 父親 は七 番 目の 息子「 立見席 の男」 にたい して,も しかす るとほかの 息子 た ちの 誰 よ りもわた しに近 い,と 云 って もいい,と 云 う。一一 カフカはサー カス風景を愛 して いた。多 ぜ いの観 衆 とさま ざまなけだ もの た ちの心 の通 い合 い か ら生れ るたの しみを 愛 していた 。 これ はカフカのサー カス 幻想 で あ る。立見 席か らは るか に舞台 を見 おろす 若 い常連 の一 人 が,幻 想 で あ り真実 で あ るもの と,現 実 で あ り真実 ではない もの とのあいだに立 ち す くみ,「立見席 の手す りに顔 を伏せ , 最 後 の行進 曲 の なか に, ふか く夢見 る人 のよ うに身を沈め てい き,わ れ に もあ らず さめ ざめ と泣 くので あ る。」 幻想 で あ り真実 で あ るもの 。 病 身 の女 曲馬 師 の,「 はて しない灰 色 い ろの 未来 に 向 って」 の,舞 台 の上 での,無 限 の旋 回。なぜ な ら,監 督 の鞭 は非情 で あ り,観 客 は疲労 とは無 縁 で あ り,拍 手 を送 るお びただ しい手 は「 蒸気 ハ ンマー」 で あ るか らだ。青年 は舞台 に 向 って まっ し ぐらに突進 して い き,や めろ. !. と絶 叫 したい と思 う。. 現実 で あ り真実 で はない もの 。美 しい女 曲馬師 は監 督 に とっては最愛 の孫 で あ り,女 王 で あ り,だ か らかれ は うや うや し く仕 え る従 僕 で あ り,か の女 のお どろ くべ き技術 にたいす る讃嘆者 で あ り, この技術 の育成 ・保持者 で あ る。監督 の配慮 と観 客 の 共感 に支 え られ つつ まれ て,舞 台 の上 には一 輪 の美 しい花 が ひ らいたかのよ うだ。 いづ れ にせ よ青年 は,そ うした観 衆 の一 員 で あ るよ りほか はない。一一 父親 は注解 を続 けるが,ま づ 涙 にぬ れ た息子 の立 ちす くみ について 一一 世 間 はかれを 評価す る ことは 出来 な いでい る。一種独特 のか れの機智. WitZを. 理 解 しない。 この ウイ ッ ト,ユ ーモア,傍 観 的観察をた の しむ態度 を,わ た しは過大 に評価す るつ も りはな い 。 と り立 てて ど うとい うほ どの人 間 で もな 18),,Auf der Galerie“. ES。. 154f。.
(14) r68. カフカとカフカの「十 一人 の息子」. いのだ し,理 解 で きな い とい うあや まちだけな ら,世 間を とがめ立 て す るに はお よばぬ,と 思 う。 カフカは,幻 想 に身を任 ね る青年 の,サ ー カ スの観 衆 か らの孤 立を,注 解 で は「 一 種独特 の機智」 とお き換 えた。世 間 で は通用 し な いだ ろ うが,そ れ な らそれで よろ しい。 しか し,と 父親 は云 う,世 間 は ともか く,家 族 の一 員 と して は,い て も ら わ な くて はな らぬ 息子 なのだ。 つ ま り,「 あれ は, お ちつ きのな い雰 囲気 を もち こんで くるが,同 時 に,伝 統 にたいす る尊敬 を教 え て くれ もす る,そ し て この二 つ の ものを,す くな くとも私 の感 じで は,非 の打 ち ど ころのない全 体 と して まとめ上 げて い るのだ」一一 これが,幻 想 と現実 の あ いだ とい う青 年 の位 置 の,パ ラフ レーズ なの で あろ う。 ただ し,と 父親 は但 し書 を つ け る,父 親 の注解 は どの息子 のばあい もだ い たい但 し書 の継続 で あ る,こ の全 体 な るもので は (テ キ ス トで云 えば,立 ち す くみ の すす り泣 きで は),何 を は じめ るとい うわ け に もいかぬ,「 未来 とい う車輪 を動 かす ことはないで あろ う」。 しか し,と また父親 は また但 し書 を入 れ て,「 こ うしたあれ の 素質」 は. ,. は げま しを与 え希 望 を抱 かせ るものだ,子 孫 を絶や さぬ よ うに して ほ しい と 思 うのだが,娘 な どには 目も くれず,ほ っつ きまわ って い る。 こま った もの だ。独 身 で とおす つ も りなのか。. 8.. 19). 「石炭桶 に騎乗す る者」. 1916-17年 ,第 一 次世界大戦 の とき,石 炭 が い ち じる し く不足 しは じめた ころ,執 筆 され た もの と推定 され る。発表 に 当 って,カ フカは エ ピロー グの 部分を削除 した。 パ ス レーの注解 の全 文 をのせ てみ る,「 この物語 は, 1916年 冬 か ら17年 に 19),,Der Kubelreiter`` F.. Kafka Beschreibung eines Kampfeso New York/. (Frankfurt/M。 1946)S. 120--123 20) Binder se 201.
(15) 本 野 亨 一. ゴ69. か けての,石 炭不足 の体験 か ら直接生れ た もので あ るか ら,八 番 目の 息子 は. 『 親 に苦労をかけた子供』 と呼 ばれている。また,こ の子供は ひじょうな寒 さを思い起 させ る,『 時が経 つ につれて状況はたいへ んよ くなった, しか し むか しは,こ の息子 のことを考えただけで,ぶ るぶるふ るえて くることもあ った』。 次 のセンテンスでは,息 子は,疾 駆す る石炭桶の特長を身につ けさせ られている,『 硬 い頭 の骨』,『 小柄 でスポーツマンらしい肉体一一 ただ し両 脚 は青年 に してはかな り貧弱で ある。 』」 「 ぼ く」は石炭を もとめ,凍 りついた冬 の街 に,石 炭桶 にまたが り幻想的 な飛翔を試み るのだが, 目指す石炭小売商夫婦 には,鼻 もひっかけ られず追 い払われて しまう。 「 ぼ く」は悪態をつ き,「 そ してぼ くは氷雪 に覆われ た山 岳地帯 に上昇 してい き, 再会 の望 みを絶 って, 行方を くらまして しまう」。 あとに続 く削除されたエ ピロー グの部分はこうだ 。「 ここのほ うが冬の地上 よ りも暖か いのか ?そ びえ立つ真 白な連 山に取 り囲まれ,た だ一点 くろ ぐろ としているのはぼ くの石炭桶だ。今 までは高 いところにいたが,こ れか らは 低 い ところだ,連 山を眺めていて頸 の骨が脱日 して しまった。白 く凍結 した 氷 の表面 には,コ ースか ら姿を消 したアイス・スケーターが残 した線条の痕 が, きざみ こまれている。 うづ高 く積 もりいささかも沈み こむ ことのない雪 の上で,ぼ くは小 さな北 極犬 の足跡をたどる。ぼ くの空 中騎行 は もはや意味 を失 い,ぼ くは降 りて石炭桶をかついでいる」。 父親 の注解 の後半 は,行 方を くらまして しまった息子 にたいす る追憶 の唄 のよ うに も聞える。 エ ピロー グの削除がカフカの念頭 にあるようだ。 自分だ けの道を あれは進んでい く,わ しとのつ なが りは全部断ち切 って しまった… …わ しはあれを呼 びかえ し,ほ ん とうはどんな気持ちなのか,ど うして父親 か らそんなに顔 をそむけるのか,な にを心のなかでた くらんでいるのか,た づねてみたい気持 もた びたび起 るのだが,い まではあんなに遠 くのほ うへ行 って しまった し,も うず いぶん年月を経 っている,あ るがままに してお くよ 21) Sy Se 25.
(16) ゴ7θ. カフカとカフカの「十一人の息子」. りほかはなか ろ う,「 わた しの息子 の うちで ひげも じゃなのは, あれ ひと り だ と聞 いてい るが,あ んなに小柄 で は,も ちろん,ひ げな どとって つ けた よ うな感 じであ る」。 雪原 で,か らっぽ の石炭桶を か つ いで長 い歩行 を続 けて い る うち に,か れ は ひ げ も じゃにな った とい う消息 を,父 親 は ど こか らか入手 した のか も しれ な い。. 22) 9。. 「村 の医者」. 短篇集のタイ トルに用い られた作品である。 この作品についての 日記の記 述,「『村の医者』のような仕事なら一時的な満足感を味うことはできる,た だ し,こ うした作 品が これか らさきも成功す るとい う (き わ めてお りそ うに もな い)こ とを 前提 と してで はあ るが。 しか し幸福 は,世 界 を純 粋 な もの真 実 な もの不 変 な もの に 高 めて い くことが 出来 るばあ いに限 って , 生れ て く る」。 ヤ ノーホ との対話 で も この作 品 に関連 して ,作 家 は もの ごとを,真 理. ,. 純粋 ,持 続 の 領域 に高 めず にはす まされ ぬ とか,作 家 は幸福 を求 め る者 だ と か ,同 じ文脈 での発言 が あ る。 これ らの発言や 記述 には重 い充実 感が あ り. ,. それが タイ トル と しての選択 を支 え て い るよ うで あ り,短 篇集 で は二 番 目に 配列 されてい る。 この作品は短篇集 で は い ちばん長 くまた 段落 がな い 。時 間 の推移 も,場 所 の転 換 も, 自然現 象 の変化 も人物 や生物 たちの集散 も, 日常的な整合性 を失 い,医 者 の思考 と行動 は,夢 に住む よ うに して それ らのあ いだを くぐりぬ け て いかねばな らず,段 落 で制 禦す る ことを 作者 は放 棄 して しま ったのか も し れ な い。 あ る村 の 医者 は夜 中 にたた き起 され た らし く,吹 雪 のなかを二 頭立 ての馬 車 を飛 ば して,十 マ イル離れ た 隣 り村 へ ,診 察 に 出か けね ばな らぬ 。二 頭 の 22) ,,Ein Landarzt“ ES.146‐-153 23) Binder s。 210.
(17) 本 野 亨 一. ゴ7ゴ. 馬 と馬具 の世話 をす る馬丁 は,ど こか らか とつ ぜん 出現 した 医者 の 関知 しな い存在 で あ った。 隣 り村 は十 マ イル 離れ て い る筈 で あ ったが, この疾駆 は 瞬 時 の 停止 に ひと しく,隣 りの家がす なわ ち隣 り村 で あ り,だ が ここは月 明 の 夜が支配 して いた 。薄暗 い農家で,一 人 の青年 を診 察す る医者 は患者の父. ,. 母 ,妹 とい う,焦 慮 と安堵 と信 頼 と不信 に充 ちた群像 の一 員 に組 み こ まれ制 圧 され ,さ い し ょたい した こ とはない と診 断 した直後 に,今 度 は青年 のわ き 腹 をえ ぐり取 るよ うな,絶 望 的 で無残 な傷 □が 発見 され る。 この傷 回の細叙 に作者 は異様 な執心 を示 して い るよ うだ。やが て群像 には,青 年 のわ き腹 を 中心 に窓か ら首 を突 込んで来 て なにや ら音信 を伝 え るよ うに い なな く二 頭 の 馬 ,村 の長老 た ちが加 わ ると,無 能 な医 者 は裸体 の刑 に処 せ られ,患 者 のそ ばに横 たえ られ, これ に村 の 小学生 の合 唱隊が加 わ って,医 師無能 の 唄 を歌 い,医 者 は比 喩 で患 者 をなだめお ちつ かせ ,ふ たた び吹雪 と化 した戸外 で 裸 体 の まま,馬 車 に飛 び乗 る。かれを家路 へ とせ き立 て るのは,家 に一 人 で残 して来 た 召使 い が あ の馬丁 の 肉慾 の犠牲 とな り暴行を受 け るにちが い な い と い う想念 だ。だが,帰 路 は往路 とは反 対 に,無 限 の距 離 と化 して い る らしい 。 だ まされ た,た た き起 され な どは していなか ったのだ,こ の勘 ちが いは も う 取 かえ しが つ かない, とかれ は思 う。 作 者 はたん に夢 の放心 の言葉 で語 って い るの とはちが い,重 く充実 した視 線 は,か れの顔 を のぞ き こむわれわれの視線 を どこかで外 して ,な にか べ つ な もの に注がれ てい るよ うだ。 こ うしたかれ の夢 の感受 には吸 引力があ って. ,. 多 くの重 厚 な「 象徴的」解 釈が と くに この作 品 に は雲集 してい る。 父親 の注解 の全 文 を掲 げて み よ う。「 わ た しの九 番 目の 息子 は, たいへ ん じょうし ゃで, ご婦人む きの甘 い 眼付 きを して い る。 ときには この わた しで さえ誘惑 さされ そ うにな る くらい なのだが ,こ うした この世 の もの な らぬ 輝 きをぬ ぐい取 るには,濡 れ た海綿 が ひとつ あれ ば結構 間 に合 う,と い う こと もわ しにはよ くわか ってい る。 しか しこの青年 の特徴 は,誘 惑 な どぜんぜん 念頭 には な い こ とで あ る,一 生 涯長椅子 に寝 ころが って ,意 味 もな く天丼 に 眼を走 らせてお れ ば,そ れで 満足 で あろ うし,も し眼を まぶたの下 に静か に.
(18) ゴ72. カフカとカフカの「 十一人 の息子」. 休 ませ てお くことが 出来 れ ば,い っそ うご きげんな ので あろ う。 こ うしたお 気 に入 りの状態 で あれ ば,あ れ は乗気 にな ってかな りうま く話 す ,簡 潔 に. ,. 眼 に見 え るよ うに,話 す , しか し話 の 範囲 は限 られ て い る,限 られ てい る以 上 やむをえぬ こ とで あ るが,話 がそ の 範囲 を越 えた ばあい,内 容 は まった く か らっぽ にな って しま う。 あれ の,眠 りが ぎっ しりつ ま った視線 が ,そ の こ とに気 が つ いて くれ そ うだ,と い う望 みで もあれ ば,合 図 を してや め させ る のだが 。」 パ ス レー は, 長 椅子 の上で の 息子 の 寝 そ べ りの記述 には, 夢 を 「書 くこ と」 にたいす る作 者 自身 の批判 的態度 が うかがわれ ,ま た,二 頭 の馬 の形 容 詞 と して用 い られ て い る, この世 の もので な い uberirdischを カフカは注 解 に もす べ りこませ て ,そ んな ものは濡れ た海綿 で い っぺ ん に拭 き取れ る. ,. と父親 に云 わせ た,と 指 摘す る。 ともに「 象徴」 や 「 比 喩」 と して 簡単 に受 け取 られ て しま う ことにたいす るカフ カの態度 保留 なのだが ,さ らに云 え ば. ,. この父親 フ ラ ンツは 同時 に現実 の父 ヘ ル マ ンで もあ る らし く,と くに 自信作 を取 り上 げ,自 分 の「書 くこと」 にた いす る父親 お きま りの冷笑 をあびせ か け させ 自信作 を一蹴 させ てい るよ うに も見 え る。 25) 10。. 「新 らしい弁護士」. マ ケ ドニ アのア レキサ ンダ ー大 王 の愛馬 ブツ ェフ ァール スが,弁 護士会 の 承認 を得 て ,新 らた に弁護 士 を開業 した,と 云 うので あ る。 カフカは,ア レキサ ンダー大 王 の世界制 覇 とい う行動 に関心 を抱 き,絵 画 や彫刻 で その風貌 に親 しん で来 たが,歴 史書 で はな いが 中世 の ア レキサ ンダ ー伝説 を中心 に,大 王 の業績 をパ ラフ レーズ した本 を読 み, この本 には愛馬 ブッ ェフ ァール スの ことも興味 ぶか く記 されて いた,と い う ことだ 。同時 に カフカは,ナ ポ レオ ンの語録 に も親 しん で いた 。 この コル シカの人 も,ア レ. 24) Sy S.25 25),,Der neue Advokat``ES.145f..
(19) 本 野 亨 一. ″3. キサ ンダー大王 と同様 に,世 界制 覇 を 目指 した人 だ,か れの語 録 には 自 らを ア レキサ ンダ ー大王 に比 較 した個所 もあ って,ナ ポ レオ ンは,や は リイ ン ド の 門を 目指 して いた,と 云 う。二 人 の偉人 はカフカの まとま った作 品 の主題 には な らなか ったが,と くに世界制覇 とい う,す べ てを完全 ・完壁 にわが手 にお さめよ うと試 みた人 物 とい う視点か ら,カ フカの手 紙 や 日記 ,あ るいは ア フ ォ リス ム に,比 喩 と して姿を あ らわす 。 とおい伝説 ,光 栄 あ る「昔 の話」 か ら現代 に変身 した「 新 らしい弁護士」 ブツ ェフ ァール ス博士 は,い づ れ にせ よア レキサ ンダ ー大 王 ぬ きなの で あ る か ら,招 かれ ざる客 で あ ろ う。 現代 で は,「 もはや 何人 とい え ども,イ ン ド に 向 って進 撃す ることは 出来 な い 。 あ の 当時 で す らイ ン ドの門 は到達 しがた い ものでは あ ったが,そ の方 向は大王 の剣 によ って示 されて いたのだ 。 こん に ちその門 は,ま った くべ つ な ところ,さ らに遠 く,さ らに高 い彼方 に運 び 去 られ てい る,方 向を示す 者 もい ない,剣 を手 にす る人 間 は多 いが,い たず らにそれを 振 りまわす にす ぎず,そ の剣 に追従 しよ うとすれ ば,眼 が ちか ち か す るだけの話 で あ る。」 だか ら,騎 乗す る人 の 股 で 腹部 を しめつ け られ る こ ともな く,ア レキサ ン ダ ーの 闘 いの騒擾か らもほ うり出 され た博士 に とって は,静 か に古書 を ひも と くのが最善 の策 とい う こ とにな る。 注解 で父親 は この十番 目の息子 を ,弁 護士 ,と 云 うよ りむ しろ三百代言ふ うな印象を与 え る人 間 に仕立 てて,そ の容姿 や服 装 は ど う見 て も偽善者的 な 印象を与 え る人 物 だ,と 云 う。 しか し,「 とにか くあれの話 し振 りを,聞 い てや って ほ しい」 と一転 して ,偽 善者 的な印象を ぬ ぐい去 って余 りあ る弁舌 の さわやか さに言及す るのだが,こ の弁舌賛美 のなか に,ア レキサ ンダ ーの 世界制 覇 の云 い かえ ,ブ ッェフ ァールスに またが った雄姿 が,姿 を現 わ して くるよ うだ。「世界 の全 体 との,ま った く自明 の こ とで あ り,よ ろ こびに あふ れ た,お どろ くべ き調和 。一 致 ,こ の調和 ・一 致 の感情 が,あ れの頚 を まっ. 26)Binder s.204-207.
(20) ゴアイ. カフカとカフカの「十 一人 の息子」. す ぐに,そ して身体 を しゃん とさせず にはおか な い」。. 作. 頚 を ま っす ぐに し身体 を しゃん とさせ る身振 り,つ ま り頭 を高 く挙 げる動 につ いて は,例 え ばフ ェ リー ツ ェあての手紙で ,「 あなた は活動的な方 で ,. 頭 の 回転 が早 く, どん な ことに も気 が つ く,お 宅 でお 目にかか った とき (な こ にか話 す ときに,頭 を高 くあ げてお られ た !)」 , あ るいは 日記 で ,「 話 が ことを んが らか ったあ とで ,自 由 に頭 を あ げる動作 は,解 決策 が見 つ か った ン ー 意 味 して い る。」 とカフカは書 いた 。 これ は, と りわ け ア レキサ ダ 大 王 にふ さわ しい身振 りで もあろ う。 29). 11。. 者. 「兄弟殺 し」. ス 殺害 者 は シュマールで あ り,犠 牲 者 はヴ ェー ゼで あ る,パ ラ はその 目撃 で あ り,ヴ ェー ゼ夫人 は現場 に馳 けつ け,夫 の 死体 に取 りすが った。警官. が シュマール を 引 き立 ててい く。 ゼの 勤務す る場所 と 月明 の夜 ,九 時 ごろの 出来事 で あ り,こ の 町 で ヴ ェー シュマール に襲 住居 とは それ ほ ど離 れ て は い な い 。 その途 中 の町角 でかれ は パ の三 われ た。兇器 は短刀 で あ る。パ ラスのア ー トはや は りその近 くの建物 べ 階 にあ り,か れ は 自室 の窓か らす てを 目撃 した。 べ 経 過 は終始 ,鮮 明な画面 で細部 に至 るまです ての輪廓 はあ ざやか だが ,. 無 声 映画 の 静寂 さにつつ まれ た平面 で の推移 な ので ,殺 害 者. の心理 を画面 に. て つ 問 うわ け にはいか ぬ 。 わずか に耳 にす るのは,「 君 が屍体 とな っ 放 無言 の 問 い とは い った い何 なのか ?」 とい う殺害 者 の ヴ ェー ゼの屍体 にむか って の 問 いで あ った。 父親 はまず この 息子 はおそ らくい ちばん弱 い人 間 だ ろ う,と 云 う。 しか し この弱 さ (あ るいは,無 力 ,非 力 )は 見 せ か けで もあ って ,と きには決然 た. 27) ES.177 28) Binder s.225 29),,Ein Brudermord“. ES.178-181.
(21) 本 野 亨 一. ゴ/5. る強力 な態 度 を とる力 も持 ち合せてい ると云 い,ま た しか し但 し書 を加 えて, この弱 さ (無 力 ,非 力 )は いづ れ にせ よ基 本 的な ものだ,と 断言 して い る。 カ フカは ミレナにあてて,こ うした「 基本 的」 な弱 さ (無 力 ,非 力 )を 告 白 して い る―一 何 ひとつ 私 には恵 み与え られ て はいない,す べ てを手 に入 れ ね ばな らぬ,現 在 と未来 ,の みな らず過去 も, しか しこれ は どんな人 間 で も おそ らくたず さえて い る筈 の ものだが,こ れ も手 に入 れね ばな らぬ,こ れが も しか す るともっと もむ づ か しい仕 事 なのか も しれ ない,地 球 が右 回転 して い るのな らば一― ほん とにそ うなのか ど うか私 にはわか らな い が一一 私 は過 去 を取 りもどす ため左 回転 す る必要 が あ る,「 しか し私 は, こ うして す べ て の債務 を果 たす ための力 を,い っさい持 ち合 わせてはい ません,世 界 を 背負 って運 ぶ ことな ど出来 るわ けはな いので す …1:lJ 父親 は さ らに,弱 さ (無 力 ,非 力 )と い うが,そ れ は恥 じね ばな らぬ弱 さ で はな く, この われわれ の地上 においての み弱 さと して姿 をあ らわす何 もの か だ と云 う。そ して比 喩 によ って この観察 の結果 を 補強す る。「 例 え ば, 飛 行 準備 に して も, ぐら ぐら揺れ る こと,不 安定 で あ る こと,ば たばたす る こ と,な ので あ るか ら弱 さで はないだろ うか ?」 この種 の,地 上 的な弱 さで は な い弱 さ,非 力 で あ り無 力 で あ る状態 を息子 は じめす ,と 云 う。 ぐら ぐらして 不安定で あ る こ とは,弱 さのあ らわれ のよ うに見 え るが,や がて は高 く飛翔す るための準 備 運動で あれ ば,た んな る弱 さとは異質 な もの だ。か つて カ フカは, 不安定 な 自己の存在 にたい し,「 しっか りした陸地 で 起 る船酔 いの一 種」 だ と診 断 を下 し, これを肯定 したが,か くべ つ その状態 か らの治癒 を切望 な どは して い ない。不安定 な状態か ら安 定 した状態 へ の復 帰 を努 力 目標 な どには していない 。 ぐら ぐらして ゆれ る こ とが飛行 準備 を意 味す るな らば, この「船酔 いの一 種」 は地上 的 で はな い何 を意 味 してい るの. 30)Binder s.225弱 さ. (無 力,非 力)SChWaCheは ヵフヵが 自ら性格を規定す るば. あいの主要概念だ,と ビンダーは云 う。. 31)こ. の船酔いの ことは,「 カフカの「 不安定 な』闘 いにつ いて」 (甲 南女子大学 ー ロ ッパ文学研究 第 2号 )p.103-106に 書 いた。. ヨ.
(22) ゴ76. カフカとカ フカの「十一人の息子」. か,そ の解答は保留 されたままであったが,い づれ にせよかれは,治 癒すれ ば健康ではな くなる 病者 とい う 逆説的 な 位置で しか 生息で きないよ うだ。 に を の 「 弱 さ」 (無 力,非 力)も ,「 船酔 いの一種」 も, そ うした逆説 海底 碇 おろしているように思 う。 父親 の この息子 にたいす る注解 は,作 品 となん らかの形 で短絡 させ られ る ことを,拒 否 しているように見える。ただ注解は これで終 りだか ら,「 弱 さ」 を主題 に して十一篇全体を しめ くくるつ もりの姿勢 はあるよ うだ。 さいごに この息子 との短か い対話が ある,い ままでの息子 たちとのあいだではなか っ た ことだ,「 わた しの信頼 出来 るさいごの人間」などと父親 は云 う。ただ し この対話 は,表 情 の応酬 にす ぎず,だ か ら,息 子 の発言 の記録 として証拠 に ,. 残すわけにはいかないが。 「 あれは ときどきわた しの顔を見 つ める,『 お父 さん, ぼ くがお父 さんを お連れ します よ』,そ う云 いたそ うなのだ。そ こでわた しは考える,『 お前 は どうや ら信頼 出来 るさいごの人間 らしいな』。 す るとあれの視線 がまた こん な ことを云 っているようだ ,『 それ じゃす くな くともそのさい ごの人間 に ,. ぼ くはな りたい。 』」. 1917年 マル テ ィ ン・ ブーバ ーに云 われ て ,カ フカはブー バ ーの主 宰す る雑 ル 誌「 ユ ダヤ人」 に,の ちに「村 の 医者 」 に収 めた作 品 で あ る「 ジ ャッカ と この年 の 5月 カフカ ア ラ ビア人」 「 あ る学士 院へ の報告」 の二 篇 をのせ た。 ユ は ブー バ ーに あてて お礼 の手紙 を書 く,「 と うと う私 の もの が 「 ダヤ人」 に掲載 され る ことにな りま した,思 って も見 なか った ことで す。あ の作品 は ど うか比 喩 とは呼 ばな いでいただ きた い,ほ ん と うは比 喩 な どで はない ので す ,二 篇 まとめて題 を つ ける必要 がおあ りで した ら,『 二 つの 動物物語』 が い ちばん いいので はあ ります ま いか 。」 32) Binder s。 203.
(23) 本. 野 亨 一. ゴ/7. カ フカは この二 篇 が,動 物 を登 場 させ た比 喩 (寓 話 )と して,編 集者か ら もまた読者か らも受取 られ ることに,ひ じょうに否定 的 な態度 を示 してい る。 寓意を「解 釈」 す る方 向に読 者 の心 を動か す よ うな こ とが あ ってはた ま らな い,と かれ は考 えて い る。「 二 つ の寓話」 とで もタイ トル を つ け られ て,読 者 か ら,背 後 に あ る信念 ,思 想 ,主 張 ,感 想 ,あ るいは実生活 の体験 の た ぐ い を,動 物 に変身 して吐 露 してい るので はないか と,さ ぐりを入 れ られ るの は,読 者 の見 当 ちが いの徒労 だ,と かれ は考 えて い る。 しか し例え ば ジ ャ 「 ッカル とア ラ ビア人」を読 めば,な にか埋 め切れ な い空 白 の場 所 がわれわれ の 内部 に生 れて来 て ,埋 め切れ ない こ とに焦燥 を覚 え, ここには何かが あ る と,わ れわれ はつ ぶやか ぬ わ けにはいか な いで あろ う。 カ フカ 自身 も,比 喩 で も何 で もな い と云 い なが ら,た の しませ る動 物物語 に,場 ちが い な寓意 の 重荷 を 負わ せ ていた だぃて は こまると確言 してい るわ けで はない。私記 ・私 信 で あ り生活短 信 で あ る以 外 の何 もので もな い筈 の作品を と らえて,カ フヵ は一途 に, ここに寓意 はない と云 い張 って い るだけで あ る。 動物物語」 と 「 は云 わ ば苦 しま ぎれ の名前 のつ け替 えにす ぎぬ 。「 私」 のほか 誰 もい ない 場 所 で, ここに「私」 はい ない と,カ フヵは主 張 し続 けてい るのだ。 1917年 10月. ,雑 誌「 ユ ダャ人」 に掲載 され た「 ジ ャッカル とア ラ ビヤ人」. を前 に して,カ フヵは八 つ 折版 ノー ト第 三 冊 に書 く。 これ は ブーバ ー あての 私信 で はない, メモ 0私 記 で あ る。「 何時 もの ことだが, うぬぼれ と 自慰 の 噴 出 の あ とで,よ うゃ くひと息 つ く。『 ユ ダヤ人 』 で物語 を 読 んでい るとき の狂燥状態 。籠 の なかの リスの よ うだ。動 きまわ る ことが 出来 て うれ し くて た ま らぬ こと,籠 の狭 さに絶望す る こと,我 慢 を続 けて頭 がおか しくな る こ と,籠 の外 の おだやか さを 前 に してみ じめな思 い を抱 く こと。 これ らす べ て が同時 に,ま た交互 に起 って来 て 汚物 に まみれ た最後 まで続 く。」 活字 にな った ものを 読みかえす ことは,読 者 を意 識す る ことで もあ るのだ が,い くらか ま しな もの が公 表 で きた とい う意識 には,耐 えがたい,と ヵ フ 33) Binder s。 203.
(24) ゴ/8. カフカとカフカの「十一人 の息子」. こ で 力は考 え て い る。 い った い 公表 に値 す る何が書 けた とい うのか 。 まあ れ のな よ しとい う安堵 の カケ ラで もあ るのな ら,そ れ は「 書 くこと」 とい う籠 の生 は ,「 書 く こ かで ぴ ょん ぴ ょん飛 び跳 ね てい る リスで はな いのか ?自 分 スの 曲芸 をお と」 に しか な いだが,作 品 の 公表 とい う場面 に登場 して も, リ いにが にが しさが,身 目にか け るよ りほか はな いのか と,た だ もう耐 えがた この醜悪 な 自分 の生 を 体 い っぱ いにひろが って くるばか りで あ る。 しか も, この生 は 記述す るばあ い,愛 す るけだ ものた ち の生態 の 背後 に身 をか くし, さま り返 ってい るつ 比 喩 や寓話 でなけれ ば と うてい書 き切れ な いな どと,お に値す る何 もの も ひそ も りな のか 。あれ は比 喩 や寓話 で はな い,つ かみ 出す んで は いない。 とにか くまづ 「 動物物語 」 な のだ。一一 一枚 の 自 て そ して カフカは「十 一人 の 息子」 で は,十 一 の短 篇 を使 っ ,十 画像 の描 いてみせ た。ただ し これ は公表. され る自画像 で あ るか ら, 自分 の生. とにお いてお く必要 はな と「書 くこと」 につ いての思索 は,材 料 と して手 も ことはな いのだ。 自画 ぃ 。 ぃや ,そ れ らは,私 信 ,私 記 で しか姿 を あ らわす ぬ メ シが まづ くな るよ うな作 像 の公表 は素知 らぬ顔付 きで行 われね ばな ら , ぬ 。 これ は作者 の 秘匿 のたの し て 者 の顔付 きとはい っさい無 縁 で な く はな ら いほ どいいのだが,気 のつい た み で あ り,読 者 には察知 されなけれ ば されな を試 み るのが よいで あろ う。 しか しべ 読者 は,や は りた の しみ として,読 解 いを 冷笑す るつ もりもな い 。 つ に読解 を懇請 して い るわ けで はな い 。見 当 ちが あ るいは生 きる ことが の ヵフカは1905年 ごろに書 いた 断章 に,「 た しみ, 不可能 で あ るとい う証 明」 と題 を. つ けた。「十 一人 の 息子」 はカフ カに とっ. で るとい う証 明」 なのか も て「 た の しみ,あ るいは注解 す る ことが不可能 あ しれ な い 。.
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