﹃当世妙々奇談﹄
−翻刻と書誌1
山本和明
はじめに 弘化二年以降の成立と目される戯作に、何毛呉餉内なる人物の手になる﹃当世妙々奇談﹄上下二冊がある。その外題が示すように、 おおむね妙々奇談モノの噛矢とも言える周滑平﹃学者必読 妙々奇談﹄二冊︵文政十二年︶のスタイルを踏襲する。当時著名な文 人・戯作者たちのもとへ、それぞれの道の先達︵故人︶が訪れ、その俗物ぶりや未熟さを椰費するというそのスタイルは、化政期の 世相を反映したものと理解され︵中野三敏﹃江戸名物評判記案内﹄一九八五年目、多くの追随作を生んだ。本書もそうした追随作の 一つに数えられるものである。この﹃当世妙々奇談﹄の内容だが、﹁水量を評して望事中馬琴を面しる﹂﹁俳譜を論じて桃青翁鳳朗を 懲らす﹂﹁董太言言河岸に盛儀を訪ふ﹂︵以上、巻之上︶、﹁論文晃八丁堀に武清に遇ふ﹂﹁難語之考濱臣守部を嘲ける﹂﹁先哲穿話原念 全品蔓を説く﹂﹁地獄之奇談﹂︵以上、巻之下︶の七話より成っている。馬琴や橘守部、東条琴台といった当代の戯作者・俳書師・文 人などを、先人たちに理屈つぼく罵倒させていて痛快ですらある。その内容からは、文人・戯作者周辺を取り巻く当時の状況が伺わ れて興味深い。紙面の都合により本稿では、架蔵本より﹃当世妙々奇談﹄の翻刻を収載する。本書をめぐっての私見︵私感︶は別途、 稿を改めることにしたい︵相愛国文第十三号掲載予定︶。 ﹃当世妙々奇談﹄書誌 以下、底本とした、架蔵本の書誌を略記しておく。 ○体裁 中本 上下二冊 縦十八・二糎×横十二・○糎 二十『当世妙々奇談』 ○表紙 ○題簑 ○内題・署名 ○匡郭 ○紙数 ○挿絵 ○内容 の三話、巻之下 合計七話よりなる。 ○尾題 ○刊記 ○備考 ﹃国書総目録﹄ 二 浅葱色無地 原題籏。左肩子持ち枠︵十二・八糎×二・九糎Vに﹁才子/必読 当世妙々奇談 上︵下︶﹂ ﹁才子/必読 弘化奇話初篇巻之上︵下︶ 何毛呉館内著﹂ 単郭︵十四二二糎×九・八糎︶ 但し自叙は百獣無。 上巻 自叙二丁・本文二十三丁︵計墨付二十五丁︶ 下巻 本文二十一丁 ︵計墨付二十一丁︶ 最終話を除き一図ずつあり。全六図。 巻之上﹁水濤を評して羅貫中馬琴を罵しる﹂﹁写譜を論じて桃青翁鳳朗を懲らす﹂﹁董太史塩河岸に盛儀を訪ふ﹂ ﹁蒲田晃八丁堀に武清に遇ふ﹂﹁難語之斎忌臣守部を嘲ける﹂﹁先哲之話原信齋琴墓を説く﹂﹁地獄之奇談﹂の四話、 ﹁才子/必読 弘化奇話初篇巻之上︵下︶終﹂ ナシ。但し﹁地獄之奇談﹂冒頭に﹁弘化二年のことなりし﹂とあることから、それ以降の成立と推定される。 上巻序文頭に園地]と印有。上巻裏表紙見返しめくり部に口剛國と仕入印有。 等に従えば、国会・京大・京大頴原・京大谷村・慶応幸田・松宇・東京都立諸家・大阪女子大︵初編上存︶・栃木黒 崎などの図書館に所蔵が確認される。そのうち二点を披見したが、外題および内題に若干の相違をみることができた。 ◇京都大学文学部図書館頴原文庫蔵本︵請求番号 国文学頴原文庫見罐︶ ○秩題 ﹁才子必読妙々奇談 乾坤二冊﹂ ○所蔵者認定書名︵図書カードによる︶﹁才子必読当世奇話﹂ ○体裁 中本 乾坤二冊 縦十八・二糎×横十二・一群 混漉紙 ○表紙 薄香色地渋引
○題按 ○内題・署名 ○尾題 ○備考 左肩黄色地単辺﹁才子/必読 妙々奇談 乾︵坤ご とうようき わ ﹁才子/必読 当世奇話初篇巻之上︵下︶ 何毛呉寮内著﹂ とうよう き わ ﹁才子/必読 当世奇話初篇巻之上︵下︶終﹂ そのほか匡郭・紙数・挿絵・内容・刊記の有無は架蔵本に同じ。
山本和明
◇京都大学文学部図書館蔵本︵請求番号 国文学℃窃O︶ ○所蔵者認定書名︵図書カードによる︶﹁妙々奇談﹂ ○体裁 中本 一冊︵乾のみ存︶ 縦十七・九糎×横十二・○糎 楮紙 ○表紙 浅葱色地格子縞文様 ○題簸 左肩黄色地単辺﹁才子/必読 妙々奇談 乾﹂ とうよう き わ ○内題・署名 ﹁才子/必読 当世奇話初篇巻之上 何毛嚢飴興著﹂ とうようき わ ○尾題 ﹁才子/必読 当世奇話初篇巻之上終﹂ ○備考 そのほか匡郭・紙数・挿絵・内容は架蔵本に同じ。 底本に比して異なる点は、大きく言って二点にまとめられる。一つは、内題・尾題の﹁弘化奇話﹂と﹁当世奇話﹂の違い。もう一つ は題籏に記された書名が﹁才子/必読 当世妙々奇談 上︵下︶﹂と﹁才子/必読 妙々奇談 乾︵坤︶﹂と言うように異なっている 点である。このことは既に高木元氏も指摘される処だが︵﹃江戸読本の研究﹄ 鵬頁︶、版面からも﹁当世奇話﹂の﹁当世﹂の箇所で 字体は異なるし、明らかに入木された痕跡をみることができる。よって披見した京大本の二点は﹁弘化﹂を﹁黒印﹂とした改修後印 本として良いのではないだろうか。なぜ﹁改修﹂されたのか、その意味するところは考える必要があるけれども。 ともあれ、﹃当世妙々奇談﹄には興味深い記載が多く、幕末期の出版を巡る問題をも考えさせる資料的側面をも持ち合わせている ことを一言指摘した上で、以下、本文をご参照いただくことにしよう。 三『当世妙々奇談』 隻
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料﹁ 上巻本文冒頭 四 ︻翻刻本文︼ *今般の翻刻に際して、基本的には原本の本文を出来る だけ残すよう心掛けた。但し各話冒頭の標題は書き下し 文とした。 *その使用文字に誤りも多く、漢字は適宜判断を下して 通用の字体に改めた箇所もある。 *ルビについて、敢えて統一をはかることをせず現状の ままとした。 *各丁表裏ごとに﹂印を付し、[﹂15ウ]の如く丁付け を示しておいた。 *本文中、今日からみれば不穏当な表現もみられるが、 研究資料的価値を鑑み、そのままとさせていただいたこ とを附記しておく。 ︽上巻︾ 自叙 呉餉内藤睡隠几、有客称子墨客卿、来而閲几上購書、赫然而 怒日、古蒼頷造字、天雨着、強悪実、正為汝輩而契也、夫文 者貫道之器、経国大業、不朽盛事、凹豆為誘殿而設乎哉、[﹂山本和明
序0ーオ]此面所列、皆当世俊傑、籍不能褒揚、菅平為此、而 毒口誘訓、毫無傷揮、蒼縄砧壁、蹟犬吠尭、良有心也、宣非 歯舌之業事哉、答日、唯々否々、夫此書所列、実当世英傑、 然君請看、彼輩読之、将為何態、其上者、帳下戸冶、置殿誉 於度外、[﹂序0ーウ]其平貝、興奮全角口、急懐面争、不知 其此之愈大而其短雄蕊顕更為後編今案也、約諒直諌、禺拝善 言、由収量之、講殿之加撃、正宮山蝋石而所以下馴名行者也、 不其然乎、盈虚鐘一声、睡魔正去、座客不在、下聞戸外鰍々 之[﹂序02オ]声、蓋鳳朗己死、恐其即実、[﹂序02ウ] さほしひエセく 才子必読 弘化奇話初篇巻之上 中耳呉館内著 すいこ ひやう らくはんちうばきん のモ 水素を評して羅忙中馬琴を旨しる きよくていはきん しまち ザまみ やま て へんひ 曲亭馬琴さるとしより下町の墨染をやめずっと山の手の辺鄙 ひきこもり りっわう かんせい ちょさく へ歯応みつから笠翁の閑栖にたくらべ著作をもつはらとして みだり むめい ともがら まし ねんらいたんせい はっけんてん けっきょく 妄に無名の輩と交はらず年来丹精の八犬型も結局におよび せじやう ひょうばん さくしゃ でへ こしん しりへ 世上の評判ますくたかく作者の部では前に古人なく後に らいしゃ このおう かんこつ ほんや 来者なしと[﹂0ーオ]いふは此翁のことなりとて刊行の書難 なまもの識の高山など無にをそれ股しける穰に瞭皇図曜痘な あるひけんくはん かく しごくゑんはう きこ・うえなりしが二日玄関へ一人の導きたりて至極遠方よ ヒみ もの ちよつとめんだん こと り参りたる者なるが鳥渡面談いたしたき事あってわざく おたっね このたんあるじ っ たっ けんぺい あんない 御尋まうすなり藍蝋主人へ通達いたさるべしと権柄に案内を こふ とりつぎ ほんや げさく く 乞ものあり取次の者これはいつも書騨が戯作をたのみに来る わ ワ そのふうてい とたがひいとく横風なるものかなとおもひけるが其風躰 はなはだ コんにつほん いつ 甚あやしく[﹂0ーウ]何分日本人とはおもはれず何れしさ こと しゅじん とりつぎ いのある事ならんとかくと主人に取次けるにまつこなたへ しゃう あり しょさい ともな このかく 請じいれよと有ければやがて書斎へ伴ひ入ける麻田すなは こ せん しやうざ ぎだゆふ しゃみせん さを ち昂然と上座にとをり儀太夫の三味線ひきか樟をおさへて てんしゃういた せぎ 天井板をにらみつめたやうにぐっとそりかへり咳ばらひ三ツ きよくていばきん そっか われら 四ツしてさていふやう曲亭馬琴とは足下なるか吾儂は らくわんらう とうじん せっしゃ こでん こと かれこれごひやう 羅貫中と申漢人にて候が拙者水薬伝の事につき彼是御玉を か もり そのうちこもろえ なをまた むちよ 蒙り其中心得がたきことどもおほかり猶又[﹂02オ]貴著 はっけんでん すいこでん ほんやく べつだん の八犬伝もまうさば水溜伝の翻訳にて別段にあたらしい みやうあん せいめい にんず か ら 妙案といふでもなく姓名をとりかへ人数をへらし唐山のはな につぼん はなし し こと だったいくはんこつこもん で き しを日本の咄に猛たまでの重なるに奪胎換骨古今の出来だな こうまん かた でうおだんじ ど・高慢いたさる・が片はらいたくぞんじ︸二ヶ條御仁申た さんじやう ばきんしんちうおほい くさてこそ参上いたせしなりとありければ馬琴心中大におど へひぜひ ばっけんでん じまん すいこでん しゅこう そ っ ろき平生おのが八犬伝の自慢にて水当伝は趣向に粗悪がある あく ムまえ せなか ひやあせ など・さまく悪口せし覚もあれば背中[﹂02ウ]に冷汗を らくわんちう しつ る す ながし羅貫中と知たなら留守をつかうてとほすまじきものを 五『当世妙々奇談』 れい けさく きた もの さくりゃう せんひき 例の戯作をたのみに来りし者にやとおもひ作料の千疋にもな よくしん めいわく ひと かな ることかとの欲心よりとんだ迷惑な人にあひけるもの哉とお ろうじん もひわづらひけるがもとよりぬからぬ老人なればこれはく ゑんはう ごそくろう を をたつねくだ ようこそ遠方のところ御足労の御いとひもなく御尋下され げせつ み めんぼく うへ かたじけなとしだい 下拙が身にとりまして面目この上なく恭次第にそんずるさ たゴいま こと いさロか しやうちつかまっ て唯今おほせられましたる事ともは柳もつて承知仕ら[﹂ げせつはんせい ちょじゅつ きこうさま 03I]ざるところなりかつ下拙半世の著述みな貴公様の そうはく ねぶ きた 糟粕を舐りあちこちとつぎたしをしてこれまでこしらへ来り なかく すいこ いっしよ ひほう ましたるところなれば中々どをいたして水濤の一書を誹亡い あくこう ぎ げせつ おい たすの悪口をまうすのとの儀はけっして下拙に於てはないこ らくはんちう とでござるといひわけをすれば羅年中からくとうちわらひ そつか わ がとうじん につほん かなぼん よみ 足下は吾儂漢人なるをもって日本の仮名本などは翻しことは りやうけん さやう ふげん せいじん あるまいとの了簡にて左様な唱言をいはるれどたとひ正人 くんし ま ね で き ぶん ふで ろう ひと 君子の形状は出来ずともかりにも文[﹂03ウ]筆を弄して人 くはんてう こヒろ あざむ み に勧懲をさとすものがおのれが心を欺くとはあまり見さげ こん げんとうほうげん おんなすいこでん た魂じゃうなりわれかつて玄同放言や女水濤伝などよみしこ はっけんでん はしがき よみ とありまたは八犬伝の端書などを読ておぼえがありしばく すいこでん ひほう すで そっかすいニでん さんとう しゅこう はじめ 狂濤伝を誹直せらる已に足下水溜伝に三等の趣向をつけ初は じゅんりなかば まかいおはり ろうしん せつ きんせいだん しちじうくはい 循史半は魔界終は忠臣といふ説をとなへ金聖歎が七十回を ぜんぶ せつ はく こうぜん じほう らくはんちう もって全部とするの説を駁し公然と自放にしてたとへ羅貫中 六 いま かならず こと かき をして今にあらしむるとも必わが言にしたがはんなと書たる るぽえ ほどそっか ごと むがく そくりやうけん [﹂04オ]覚があるべしなる程足下の如き無学の俗了簡にて さんとう しゅこう で き む り は三等の趣向なども出来そうなことなれば無理とはおもはざ てまへ せつ ほういうもんじん れどもそれはそれで手前ひとりの説にして朋友門人などへ はなし かんふ すいひつ かき 話にするならよけれども上布の随筆などへ書ちらしあまつさ せんこみはつ いわゆるさくしマ いんび みいだ こうまん なに へ千古未発かの所謂作者の隠微を見出したとの高慢は何とも かのせいたん しちじうくはい だいだんゑん こ・うえぬことなり彼聖画が七十回をもつて大団円とするは しごく せっ せんざい ヒもわ が ち き ニと 至極もつともの説にて千載の下吾儂知己ともいふべき言なる そっか もししちしうくはい せんぶ に足下これにふくせす若七十回をもつ[﹂04ウ]て全部とせ すへいつとう すて さくしゃ ほんい む り ば末一等を捨るなりしかれば作者の本意にあらずとて無理に そうこう ほうろう こと つけ ちかまつもんさへもん つく 宋江が方騰をうつの事を付たがる近松門左衛門とやらが作り じゃうるりぼん ひはん わがしんい へんしゅつ たる浄瑠璃本の誹判ずるとはちがひ立志深意あって編述した すいこでん なかくそつか がんりき ぜひ おし る水濤伝を中々足下の眼力をもつて是非をいはんなど・は押 いま せいたん え ろん がつよい今こ・うみに歯石がわがこ・ろを得たるところを論 ぎょくきりんうしゆんぎ すいはく ゑいゆう つい ごよう ぜんに玉顧宝灯俊儀を水泊の英雄こんまうして遂に呉用が はかりごと あざむと ニうし しゅんしう しょほう 謀をもつ欺よびよせたるをこれ孔子の春秋の書法になら りん え ふで たつ いちげん さくヒや ひ麟を獲[﹂05オ]て筆を絶なりといふところ一言して作者 てんかみち ほうへん けんこうこ のいんびをひらきたりいはんや天下由なければ離婁の権江湖 さいしょ うん み にありといふ最初の論にひきつゴいて見ればなほさらなり いちぶ しゃうせつ つい りんけい ひ せいたん ばつぐん 一部の小説をとって遂に麟経に比したるは聖歎が抜群の
山 本 和 明 きりやう わが ちき そフか 気量にて吾儂知己といふべきものはこ・をもってなり足下が さんとう しゅこう にっぽんしん ぞくけん しばい さくしゃ きや ん 三等の趣向などはこれ日本人の俗見なり芝居の作者の狂言を かくやうにそれではあとのだんがないのなんのといふ言はこ はう お れ まんぐはん しょ の方のはたけにないことなりいかにも吾儂萬巻の書を[﹂ あんぽうていニく たいリやく むね をさ そのかみそう 05E]よんで安邦定国の大略を胸に緩むといへども昔時宋の まつりごと しやうしんかんじモ てう せいじんちうちょく や 政みだれ小人姦邪は朝にみち正人忠直は野にかくれて ゆうし ひんせき しひつ 有志のもの招斥せられいかんともすべきやうなく史筆またと こうせい あざむ おほ まんとり ふへい きにへっらひて後世を欺くことの多きにより満肚裏の不平を すいこ ごうけつ はっせい ひつほう フし 水濤の豪傑にたくして発剥したるものなりされば筆法夫子を ひそか とうし くんしん ひ し ち き せんさい まつ まなび窺に当時の君臣を美刺して知己を千載に侯ところなり いつし ぼうへん ぴ い ぐう しんめう あに 一字の褒疑なしといへども微意を寓するところ深妙なり豊 そっか はい まんいち 足下の輩のよく画一をうかごうところなら[﹂06オ]︹図版 そっか つね さいゆうき ひと ①︺[﹂06ウ﹂07オ]んや足下また常にいふ西遊記は人たり すいこでん ひと そのちう え じさく す水溜伝は人おほしともに其中を得ずとしかれば自作の はっけんガ ヒん りやうしよ うへ いづ りやうけん さいゆうき 八犬伝をもつて両書の上に出るとの了簡であらんが西遊記は とうか しゃれ らうし ぴ い ぐう じんじゃう ぼんがん 道家の洒落にて老子の微意を寓せしものなれば尋常の凡眼を よみう ごくうごじやうばつかい さんにん いちぶ もって読得べきにあらず悟空悟浄八戒の三人を一部のたても さんてん ししゅく はい きみやう くふう で き のにして三三の士力に配するなど奇妙に工夫の出来たるもの これまたそっかはい がんりき すいこ
にて是又足下輩の眼力のとゴかぬところなり水濤の
ひつひやくれいいち にんじゆ しやうてんせいしゅく はいい 一百零八を人数おほしとの・しるは上天星宿の配意をしら ρ 卿■ しやうせつ ぞくご ざるゆゑ[﹂07ウ]なりすべて小説をよむにたゴ俗語をおぽ た い い し ん い えたばかりでは大意がわからぬものじゃいつれも深意あって 七 図版①『当世妙々奇談』 そっか はっけんでん ぞくかん くんしよぼん なせしことにて足下の八犬伝のやうにもと俗間の軍書本にあ さとみ はっけんし おほうち じつさんし つい る里見の八犬士だの大内の十重士だのといふよりおもひ付た にんじゆ ふ し ん る人数でなければ不審におもふももっともなりよくまっかん み はっけんでん で き しゅこう がへて見よい・きになってみる八犬蓼もあまり出来た趣向で たいしょこう むすめ てがひ いぬ はいこう いちじゃう こと もあるまい大諸侯の女が手飼の犬と配合の一條より事おこる ひるい いなかりやうり などあまり群類のとりあはせにて田舎料理にもきいたことが いぬ そのみ けが とやま さんちう ないたとへ[﹂08オ]犬に其身は汚されずとも冨山の山中に いぬ くひ をつ やしなは おん て犬に食ものをもらって居たことなれば量る・恩はあるべし けいすい くはいたい み て いぬ こ まして経水とゴこほり懐画して見れば手もなく犬の子なり そっかせんねんゑんせきさっし あらは きつね びじん ばけ ひと 足下先年燕石雑志を著せしとき狐は美人に由れども人と かうく らくてん し ひい ろん 交合することはなしとて楽天の詩を引て論じられたるおほえ つく いぬ たね ゑいゆう があるべしいかに作りものがたりなればとて犬の胤が英雄と しゅつげん わがすいニ おもむき ひ 出現し我水錆の趣に比するなどはなさけなきことなり じんどうめニマく たまくぐそく め かなへ ほど 人道滅却のものがたりが偶愚俗の目に叶ばとてなに程の て が ら ついで 手柄かあるいらぬことながら序 [﹂08ウ]なれば申べし モつかゑんせニさっし あらは きたせいろをう ひひやう 足下燕石二三を著せしとき北静盧翁に誹評せられたるが へんとう で き にまぜ き しやうらん 返答の出来るところばかりを烹雑の記へかきいれ上欄へ せいろをう な そのよ ひ かのほん 静歴々の名をかきくわへて理念庇にて彼本もうれたるよしこ しょぎやう このほかきやうでん ぜっかう いま れらのこともあるまじき所業なり此外京伝と絶交して今の きぞうざん ぞんぐはい ぶ さ た ねんしょくはくはい 京山などへは存外の無沙汰をしながらせん年額画会をなす 八 くば じさん ぎょうざん とひ しまつ しせい ひつふ とて配りものを持参して京山を訪たる始末など市井の匹夫も そっか みやうせんじしゃう この なさゴるところなり足下また名詮自性といふことを好んでよ そっか じんざ いぬ く[﹂09オ]かきたがるが足下のなすところ仁義をはつれ犬 とうやう いぬ いぬ でん その いめ も同様なれば犬がすきで犬の伝をこしらへたるも目性の犬に るい みやうせんじしゃう さんく あくニう 類すればならんこれまた名詮自性にちかしと散々に悪口すれ ばきんいちごん へんとう いつ ゐ ども馬防二言の返答なくあやまり入て居たりけり はいかい うん とうせいをうほうろう こ 墨譜を論じて桃青書鳳朗を懲らす せきねんおほさか てうにんはなやなにがし こうゑん よ とうせい こ じ 昔年大坂の町人花屋某の後園にて世をさりたる桃青居士 こうしうあはづ きそでら れい い ゑんき 江州粟津の木曾寺に霊をたくして居たりけるがちかごろ遠忌 さるしんくけ はな にあたればとておもひがけなく去緒紳家[﹂09ウ]より花の もとだいめうじん とうせい 下大明神とあがめまつるべきよし御さしづありけるにぞ桃青 ニ じ まゆ けし 居士眉をしわめさてく怪からぬこともあるものかなわれ せいぜん くどく ぞうこう ふるいけ 生前なんの功徳あってかくのごとき贈号にあっかるにや古池 かはつ ほっく せんまんげん さら せいきやう に蛙ぐらいの発句を千萬言つらねたればとて更に世教に ひなき われせいぜんふうりう 稗益あるともおぼえずことさら我生前風流のこ・うえたがい こつじき たいせつ しゅじん ろく せかい よりあらぬ乞食のまねをして大切な主人の禄をすて世界をま しごはなはだ はんちう ごつきあるきしこと死後霞めんひなくそんじいまでも藩中 ほっくはいかい わが に発句俳譜などするものあれば[﹂10オ]また我まねをして ひと うち しぬ 人の家で死やうなめにあはねばよいとかげながらなげかはし
山本和明
おも じつ はいかい せじゃう く思ふほどのことにて実に俳譜ほど世上につまらぬものはな べっし わ が し ごひやくねん すへこじうねんらい はいかいし けれど別て我死後百年の末五十年来このかたの俳譜師ほどつ わがぞんじやう ころ よ なか まらぬものはない我存生の頃は世の中いまたひらけきらぬゆ がくもん とうじ を ゑ学問するにも当時のやうなことではないほねの折れたこと いまどき ひゃくばい りき い こと で今時の百倍力を入れてもせんさくのゆきとゴかぬ事だらけ あやま このせつ ぐがん ひと ひひやう で誤りがおほく此節にいたって具眼の人に批評せらる・と いちごん たくさん そのひ わかとう 一言も[﹂10ウ]ないこと沢山なれど其非を我党のものから たメ ふる あやま おきな 正して古ひ誤りを補ひてくれやうとはせずそのひがことを み め あやま きそく こしろ 見わくる眼がないからとんだ誤りを規則と心えなんでもおれ からす さぎ り ひ たすけ ひ い き がしおいたことは鳥が鷺でも理を非にまげて点るゆゑ贔屓の ひき もんもうなかま おやだま ひと 引たふしにて文盲中間の親玉のやうにご・ろある人にそしり わらはするこそつらきことなれしかるに逆ながれをくむやぼ はいかいし わがこのたび ぞうこう はな 俳譜師どもこのこ・ろをもわきまへず我此度の贈号などを鼻 そ を う とく にかけ祖翁の徳はゑらひものだなぞとの・ [﹂1ーオ]しりし ほこ やから はいかい ふうりう いなり か誇る族もありたとひ俳譜が風流のみちにもせよ稲荷どうや くらみ そうごう ご うに位をうけるをよろこぶべきすぢあるべきか贈号の御 さ た われ さいさんさいしごじたい あげ 沙汰ありとても我にかはりて再三再四御辞退申忍べきこそ ほんまう かみ ひれい き おろか 本望なるに神は非礼をうけずといふに気のつかぬこそ愚なる はな もとそうしゃう こう くたびれものなりまして花の下宗匠といふ号をもらひしとて ほこ ほうらう いふしれもの ゑんき か ご よろこび誇る鳳朗とも云自痴いつぞや遠忌のせつ駕籠にのつ ひやうぜん きた ニの ゑ ど ぐうきょ て納盃へ来りしことあり此ものいまは江戸に偶居すときけり もの しょこく はいかいし つた まつこの者をこらして諸国の俳軍師どもへ伝へ[﹂1ーウ]か おこ れい すげかさつだぶくろあんぎゃ てい たらせんとてきうにおもひ起し例の菅笠頭陀袋行脚の躰にて さっそく ゑ ど おもて ちゃく その ひ ほうらう たく とは 早速に江戸表へ着し其日すぐに鳳朗か宅を訪んとおもひしが きにち さだ たく いやくあさってはわが忌日にあたれば定めてかれが宅へ おほぜい あっま をる こんみやうにち 大勢かのともがより集りて居ことならんまつ今明日はそこら けんろ しょくばいかいし いへ たち こ・らを見物せんとて所々印譜師の家など立よりてみれども はな ひとり いたべい たけ いつれも咄せさうなのは一人もなくくろ板塀にみがき竹のし みこし まつ いつほん かこひ のびがへし見越の松が一本ありなどしてとかく囲ものかなに ふうそく に げんろく ぞうす かの風俗に似たれば元禄ころの様子と[﹂12オ]かわりはて はいかいし てい とうせいおほい かんしゃう この たる俳譜師の躰に桃青大に感傷しなみだをこぼして此みちの そのひ とうせい おとろへたるをなげきけるほどなく其日にもなりければ桃青 れいいち じねんどうほうらう たく み あん もんもう の霊飯ぐらの自然堂鳳朗が宅へいたり見るに案のごとく文盲 おほぜい あっま ばしゃうき かせん でやい大勢より集りてけふは芭蕉忌なりとてつまらぬ歌仙な し い ざしき とこ ま ししん もくぞう ど仕て居たり座鋪の床の間には自身の木像をすゑおきたりし さいぼひ もくぞう れい たく かばこれ幸のことなりとてかの木像へ霊を托ししばらく やうす かせん さか 様子をうかゴひみたりかくて歌仙もはてたりしかばあとは酒 じうぶん き もりとなりおのく十分に気げんと[﹂12ウ]なりけるが しゅじんほうらう こんにち じゅのう たくわ い つしみ ひやつひき 主人鳳朗は今日の受納の多寡をあんじ居たりあの包は百字置 もくろく さかだい にしゆ ぎんだま の目録は酒代とばかりあるが二朱やう銀玉やうあぶなきもの 九『当世妙々奇談』 図版② → 謎 ・
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f“ . , .﹂ 、ノ,、 ム ゼ9 ろう たちま とこ ま もくぞうこゑ なりなどさまぐこ急を労したるが忽ち床の間の木像声を じゅのうもつ さ さけ たい はつし受納物を左ほどあんじることなかれ酒の座くらゐは 一〇 じうぶん ほうらうおほい へいぜい 十分目らんといひければ鳳巨大におどろきしがこれは平生わ はいかい こヒろざ すで はな もと だいそうしゃう が俳譜のみちに志しふかく已に花の下の大宗匠とまでなり そをう とし かんしん ことば しことなれば祖翁も年ごろ感心あってけふはからずも言葉を かけ給ふなるべし[﹂13オ]︹図版②︺[﹂13ウ﹂14オ]と まんしん しやう はちいつ るニしとば ねんく 慢心を生じイヤこれは恥入たる御言葉なりしかし年々かやう どうゆう い つはい さけ を ん き に同友うちより一杯の酒のみかはし御忌をとひまするもみな あなたさま をとく ふうりう こへろ ゆたね 尊公様の御慶をしたひ風流のみちに心を委候へばなりといふ もくぞう わら ふうりうく くち ふうりう に木像あざ笑ってよく風流々々と口まめにいふことだが風流 こヒうえ ふうてい とはいかなるものと心得たるやらんわからぬ風躰をして ほうず こうふ てうにん いりたいこもち 坊主かそうかみになり豪富の町人ともへとり入塾間など・は だ ん くち ないしん たいこもち しゅしょく 段がちがふと口ではいへど内心はやつばり帯間にて酒食をむ ふうりう さぼりくらふを風流とはいは[﹂14ウ]れまじいはんやわが きにち はなしか しやうるり ひとり ために忌日をとふとて咄家か浄瑠璃のよせのごとく一人まい ぜに しゅのう いくらか銭をあつめあくまで受納にご・ろをくばりなどして なん ふうりう ふうぎ 何の風流とこ・うえたるや風儀のわるきことけいあんなどよ はなはだ くぼうせん しも ほか りも甚しわれら黄泉の下にあってことの外なげかはしくそ いったいはいかい しき はいかい こっけい んずるところなり一躰俳譜といふは史記に俳譜はなを滑稽の ごとしとあってすこしおかしき風をおびさればならぬものな そのほう しさい そくだんへいわ り其方などか・る子細もそんぜず俗談平話わかりさへすれば はいかい すこ ニつけい それが俳話なりといつ[﹂15オ]て少しも滑稽のみちをしら山本和明
こと じうしちこん つけあひ ずまじめの言を十七言にならふるばかり附合といへどもたわ こと ばか しん まな しん え 言をくりかへしくいひつゴくる要り真を学びて真を得んと ひとり はいかい れんが な するもの一人もなく仁心とも連寄ともなにとも名のつくべき いっしゆねごと か な やうなき一種寝言のごときものなりされば仮名つかひてふを いっさい はなどいふことは一切のけものにしてふりかへりもせずたと か な へは葵の仮名﹁あふひなるを﹁あをえにても﹁おうひにても くち その ﹁をほひにても﹁おふいにても口にとなへて其ものとしれさ ごんごどうだん へすればよしとおもふ言語同断のことどもなり[﹂15ウ]こ しばらく ごにち さくねん れらのことは姑をき後日ゆるりといひきかすへしさて昨年 わがひやくごじうくはい ゑんむ きそでら きた 吾百五十回の遠忌にあはんとてわざく木曾寺へ来りしは たいゑつ はな もとそうしゃう こう なにごと はいかい 大悦なれども花の下宗匠の号をもらひしは何事そそれ事象を ものなをぜん じゅかいつしゅく きやうかい まなふ者幻怪をならふがごとし樹下一宿の境界をしたひ うきよ ちり み そのみち くふうざんまい で き 浮世の塵をよそに見て其道の工夫三昧にならざれば出来ぬこ いやしく めうもん こエろ はいかい そうしゃう となり荷も名聞に心あってなんそや俳言の宗匠といはん そのほうきにん を か け れい もんもう かね 其方貴人の御高庇をたのみ例の文盲の金もちをおどさんとて はな もとそうしゃう なまへ 花の下宗匠など︾名前をもらひしこそあさましけれそれを はな そのほう しゃちう 鼻にかけたがる[﹂16オ]其方の社中とも・よくくばかな み はな るとだいめうじん ぞうこう そのほう やつばかりあると見へるまた花の下大明神の贈号も其方ども にんげん よう おんことはり まことの人間ならいか様にも申のべて御断まうすべきことな この かへっ ほう るに此みちのさかえだなどΣうれしがって却てこの方より ねがひ ワけ ムきしごく 願だてしてむりにわれへおくり付たること不届至極なりわれ こと せいぜん なんぞこの事をよろこぶべきやわれ生前このみちにふけり しゅじん いへ で ふ ちう ふ き ひと 主人の家を出て不忠不義の人となりしといまさらふかくなげ こうくはいせんばん なに ひと はいかい き後悔千万にぞんずるところなれば何どぞ人も白黒などせぬ せしやう よう みち やうにしてすこしは世上の用にもたつべき道を[﹂16ウ]ま みち なべかしとおもふところなりそのよろこばぬ道をもつて しやうくはん かたはら そのほう 賞翫せらる・こそ片腹いたきことなるかし其方どものやうに もくぞう きさみとこ ま わが木像を刻床の間へすへおきなどするをわがよろこぶべき りゃうけん てんか ひと との了間ならんがわれけっしてこれをよろこばず天下の人を もんもう ほんそん ぐがん ひと ひきひて文盲にする本尊よと具眼の人にみらる・がくるしく このひと はいかい ひと いへ しも また此人も俳画などしてやどなしになりはては人の家で死け い こ もくぞう ぐわぞう るよなどおもはるもつらければ以後わが木像や画像なとの さ たかならずむよう きにち あ そをう 沙汰必無用たるべしかつわが忌日により合われて祖翁[﹂ とな むよう はいかい 17I]と唱ふることもかならず無用なりわれはなはだ俳譜の ぞ もって ほか へんとう 祖になることをはっかしくおもふなりと以の外の返答なりけ ほうらう まんさ ひとく とうせい れば鳳朗はじめ満座の人々あきれはてたるばかりなり桃青の れい いふ そのほう はいかい 霊しばらくしてまた云やうなにも其方たちに俳譜をやめうと いふ かってしだい 云ではなしどのやうなたわけも勝手次第につくすがよけれど われ はいかい そし はな もと たゴ吾を俳譜の祖師ととなふることをやめかつ花の下 だいみやうじん ぞうこう そのほう ごじた い へんじゃう 大明神の贈号を其方どもより御辞退まうし返上におよぶやう 二『当世妙々奇談』 このいちし ざしやう にとりはからふべし此一事はひとへにたのむところなり坐上 ひとく このむねこニえ なをまたたいれいとくその の人々も此旨心得たま[﹂17ウ]はるべし尚又碓嶺得蕪其 ほか はいかいし セうおう れい 外の俳譜師どもへもったへ給はるべしとて蕉翁の霊はかの もくぞう 木像をたちさりけり とうたいししほがし せいき と 董太史塩河岸に盛儀を訪ふ 機刺郵蕊董郵奪の寒樹を鼠興し醸に雌.藍のほまれたかく ゑ ど いち めいか みつか かうしやう ゐ 江戸むき一の名家なりとて自ら高尚にして居たりけるある ひはいかいし オリ はんした 日俳譜師よりたのまれたる摺もの板塀などした・めたるがあ さいじ か な せいこん し まり細字の仮名にて精魂もつかれたるにやしばし筆をやすめ つくえ いねむり いくはん て机によりこ・うともなく[﹂18オ]居塞けるに衣冠たゴし じんぶつ とうさいく よび め き人物あって董挙々々と呼さますにぞはっとおどろき目をひ み いっかう み ひと らいてこれを見るに↓向これまで見しらぬ人なりされども ようぼう かんぱん き 容貌たゴものとおもわれずしるこやの看板たのみに来たもの み なに て ていねい とも見へざれば何さまあやまるにしかずと手をついて丁寧に かのいくはん ひと われ みん たいしとうきしゃう あいさつしたる彼衣冠の無いふやう我は明の太史董其昌なる なんじ へいぜい しょふう まな じ が汝が平生わが書風を学といってあらぬ字をかきちらし いしゃはいかいし あざむ 医者俳語源などを欺くことのつらにくさに[﹂18ウ]いさ、 しょほう いフたいなんし ししよう か書法をかたらんとてまいりたり一躰汝が師匠とたのみたる けいき せんねん ぶつろうじんべいあん 敬白にかたりきかせんとおもひたるが先年米苛老人米庵をい 一二 めうくきだん けいぎ わがしよふう がい ましめらる・とて妙々奇談にあるとをり敬儀が我書風を害す つ いで よた るよしを序にいわれけるゆへ又あとのこと・おもひそれぎり ょうしゃ ほと けいぎ しきょ ぞんねん むな 容赦いたしおきしか程なく敬儀も死去いたしわが存念も空し
しけが ひとあんしん
くなりしがしかしわが書風を汚すものなくなりまつ一安心と きんねんなんし しょ とうさい おもひしところ近年汝が書おこなわれ董斎など︾ことはり せい おか [﹂19オ]︹図版③︺[﹂19ウ﹂20オ]なしふわが姓を冒し きしゃう ひつい きよがうふそん 其事をまなび候とてわが筆意もしらず据傲不遜いふばかりな なんじ しょ もの たいていほうてう し汝まつわが書をいかなる物とおもふそや置賜法帖をみても オニ もんさい もの けっかうたいせい げんりう われ 少し文才ある者は結構膿勢にても源流はしることなり我もと うぐん もつ きしゅく ひやくけ とうくばんるい しゅ つ しんしゅしぜん 右軍を以て帰宿とし百家を陶冒し万類に出入し幸手自然に ゆうくわ ニのろ て ふで おこ きた たくザん しょ 融化して心にまかせ手にまかせ筆を起し来り漫然として書を もつ ふううんひどうしんきいつしゆっ そほう なすゆへを以て風雲飛動神気溢出し疎放なるがごとくにして そみ つ いんしやう い ち よろしき かな え なんじ 疎密句冠し位置[﹂20ウ] 宜に適ことを得たり汝が けいぎ ぞくひつ しやうがい きはん ぼんがん これら うん 敬儀の俗筆をもつて生涯の軌範とするの凡眼では此等の論は すこ ふで うこか わかるまじけれども少しは筆を和すこともわきまへたらんま れきだい しょか み たれ うぐん し っこ・うみに暦代の書家を見よ誰か右軍を師とせざらんしか けう わからは もんこ てうぜんゆうくはい へん れども流を分派をことにして門戸によらず超然融会し変じて いっか なんし けいぎ くはくくじムけいよう に 一家をなす汝が敬呈をまなぶがごとく群々字々形容の似たら ごと しょ ぼう んことをもとむるが如きは書をまなぶもの・法にあらずこれ なんし きんしつしょか となふ はこれ汝ひとりにもあらず近日書家と唱 [﹂2ーオ]もの山本和明
距かみなこの.癩あり公儀がわれをまなんで童鴬と,姦しわが しよ に ゐ もほう むがく 書に似せむとて意をきはめて模倣したれどもこれも無学にし 図版③ しようん し しょほう ひはく て書論をしらざるゆゑ死ぬまで書法をさとらずたゴわが飛白 したい そく たく ばんねんこっかく の字膿のまねをして俗をおどさんと工みしゅゑ晩年骨格なき しょ う そく まき しゅび いやな書風になり俗にいふあらめを蒔ちらしたやうに首尾ま し りめつれつ し かい しょしやくてん つたからぬ支離滅裂の字を書たりしかるに書騨薬店などの かんばん しごくそくしん め 看板をした・むるに至極俗人の目にかなふ[﹂2ーウ]ゆゑ いちしきよめい しょえん なかまいり じんぶつ わが 一時虚名をなして二型の仲間入もしたるよしか︾る人物が我 しょほう じとく とうだう な わが 書法を自得せしとて潟湖と名のることふかく我にくむところ なんじ そのもんと いで そのあくほう あいかわらず し り なるに汝また其門戸に出て其悪法をうけつぎ不相替支離 めつれつ し けんげ くだ ばいかい はんした てん 滅裂の字をした・め見解ますく下り俳書の雪下をかき天ふ しるこ かんばん こと げれつ らや汁粉やの看板までもした・め一事申べきやうもなき下劣 むかししやうしこうひデ いつくは らんてい りんしょ のいたり也昔章子厚日に一遇かならず蘭亭を臨書せしかば とうばせんせい わら もん いる つい かちん 東坂先生これを四って門より入ものは終に家珍にあらす[﹂ わうしけいめいか こ じりふ 22I]といはれたり王子敬名家の子なりといへども自立して あみう きうご ほっ こじん 二丁の牛後とならざらんことを欲すみな古人をまなぶものは かくのごとしなんじ しょふう け いぎ 如此汝もよくわが書風をまなばんとおもはゴまつ三儀がわ しょふう ふで が書風をまなびそこなひたることをしってかのしんのある筆 をと をもちごりぐ音のするやうなかきざまをなすべからずいか ひほく とうし ほど に飛白をまねんとて唐紙のやぶれる程こすりつけることわき かみゅひどこ むしくひじ ひつほう まへなきいたりなり髪結床の虫喰字とかいふ筆法ならんがこ え い じは つ ほう れはちやうちんやの永字八法よ[﹂22ウ]りもおとりたる =二『当世妙々奇談』 し か た め 仕方なりくれぐも眼のつけところをとりかへこれから しやうくがくもん しようん ぼやうちう そくき 少々学問でもして書論をよむやうにすべしかつ胸中の俗気を とうた ふうが みち はいかいし もんもう とも 陶面し風雅の道をこ︾うがけ俳譜師などの文盲を友となすべ つししん わがおしへ からず謹で我教にそむくことなかれとてあくまでやりこめ とうさい いつ へいふく られるにぞ董斎おそれ入て平伏しなんとこたへんやうもなく あな ふぜい かうべ もたげ とうたいし 穴へもいりたき風情にてさらに頭を卜えず董太史うちわらっ おもひ をとこ いろく たき てさてく思のほかよはき男なりまた種々いひきかせ度ごと もあれども今の[﹂23オ]ぶんていわがいふことはわかるま じうねん へ がくもん いた しやうく しょろん じければ十年も経て学問でも属し少々は書論のはしもよめる その やうになったらば其せつまたくいひきかすべしさればとい たち たちま かたち み か ひ ち や ニ って立さりつ忽ち形は見えすなりぬときに豊浜茶をくみ来た お で き り御にばなが出来ましたといふにおどろきさむればこれなん な ん か い ち む 南桐の↓夢なりける さいしひつとく こうくわき わ 才子必読 弘化奇話初篇巻之上将[﹂23ウ] ︽下巻︾ さいしひつとく 才子必読 こうくわきわ 弘化奇話初篇巻之下 たにふんてうはつてうぽり ぶせい あ 谷自信八丁堀に武清に遇ふ 何毛呉餉内著 一四 きたぶせい しょこうがた め し ゑのぐばこ けらい 北武清さる諸侯方よりの召捉にしたがひ絵具箱を家来にもた さうちやうたく いで もんぜん せんしたにぶんてう せ早朝宅を出たるにおもひもよらず門前にて先師谷文話に いであひ ひさ ゐ め 出合けるこれはく久しぶりにて御目にか・り候ものかな せんねんこえんかう のち おたく おたつねまう 先年御遠行なされし後はめったに御宅へも御尋申しあげす おぼしめし ほどしこくおそれ んてう 思召の程至極恐いり候とあい[﹂0ーオ]さっすれば文晃 ふへい かんしょく そっか はなし こんちやう 不平な顔色にて足下にいろく咄もあれば今朝わざくま で ゃうす はなはだ いりしところなにか出がけの様子にて画きのどくにぞんずる ちよつと なりしかしながらまたといふもめんどうなればこ・にて鳥渡 おたんじ ほか そっかきんねん おはい 御重まうすべし外のことでもござらぬが足下近年の画風大に そくれつ たねんこてんじゅ ぐはほふ うしな 俗画になり多年御伝授いたせし画法などどこへやらとり失ひ たけ ほてい やう か の け やつニ つまらぬ竹や布袋の様なものをした\め狩野家の奴のまねを たんゆう つねのぶ こと して探幽や常信のにせものをこしらえらる・事いかゴのこ・ むかしちんけいなんたいぶんしん カカき と けん づ ろえ[﹂0ーウ]やらん昔沈啓南戴文進が画し桃源の図をうつ すとて二日程筆をとりしが.靴にして筆をすてわれ転匪をうつ たい あくしうオ そま さんとしておもはず戴が悪臭気に染りたりとてなげきしこと たい くは ちん その づ あり戴が画は沈がきらふところなりされども其図のよきによ ほっ あくしうき そま ぎやう ってうつしとらんと欲せしかども悪臭気に染らんとて業を をへ こじん そっか 終ず古人まなぶところをかへさることかくのごとし足下 か の け ほてい さんすい ちか じ こ ぐは 狩野家の布袋や山水のまねをするによって近ごろ自己の画も 狩野家に似たるところあり[﹂02オ]俗気下風いはん方なし
山本和明
ひつきやうしやうこ あいて ぞくり かね 必立見商賃を対手にして俗利にはしり金もうけをせんとの よくしん たんゆう ギてのふうそく 欲心より探幽などのにせものをこしらへっひに其風俗にいり いれられて固有の法をとりうしなひたりとおぼゆ一躰画工と いふ都は畿窮よりみれば篤鼠榴や・くだり筆を慰撫を税して 工芸の踵蓬をのがる・ことあたはざるものなればよほどよく がちふうみん せんいち ひと み こ・うがけて雅致風韻を第一にせざれば人に見おとさる\も そっか はい う き ゑ し そくぶつ のなり足下の輩浮世画師をみくだして俗物との・しれど[﹂ けっこうせいみつ ゐ ちてきゐん かへっ くによしとよくにら 02E]も結構精密位置適聖なることは却て国芳豊国等の うたがはけ ひとく よく たうぐはか な そっか 歌川家の人々が幽してそのみつから唐画家と名のる足下の ともがら り し くんわうまきつら さんすい せいさい 輩はけっしてあたはず李幽幽王馬頭等が山水をみよ精細 がうぼう いつ はんけん し さうそつぞうじ なす わう 毫芒に入て半絹の筆も草率造次の為ところにあらず王治にい はじめ はつぼく もち てうようここう たっとび たって初て溌墨といふものを用ひそれより項容下愚を尚 そのへちけい くはんどう おほい ぐはふう へん へいたんかうゑん おもむき 其後荊冠関全がともがら大に画風を変じて平淡高遠の致を りせいぼんくはんとうげんら いた おぽむねこう なせり李成萢黄酒源等のときに至るまで大都巧[﹂03オ] ちせいみつ べいげんしゃうわうがふ で き 緻精密ならざるはなししかるに米落馬王治をまなんで出来ず げいけんちんこひつ もち しきたく ぐはみせいこう もとめ 草魚鎮枯筆を用ひて色沢なきをこのみしょり画意精工を求ざ うん こうらいそっか はい つえなき かく しう おほ るの論おこって後来足下の輩にいたるまで拙を蔵し醜を掩 いま たうぐは しやう もの うきよゑし ふのよりどころとなれり今の唐画と称する者の浮世画師にお ばんく そっか かんてい みつか とること辛々なり足下また鑑定をよくするとて自らほこるわ こと ぽか おも しん れこれを殊の外おかしく思ふなり画伝がひとつよめぬくらゐ かんてい べいぶつ げ むよ で画の鑑定もおしがつよい米苗の画史に[﹂03ウ]いふ馬を そうかんゐ うし み かんかう そっか かんてい みれば曹韓章とし牛を見れば心添とするがごとく足下の鑑定 なに しやうこ も こ うんじゅ べいげんしゃう 何の証拠かあらん模糊たる雲樹をみれば米昼時とこ・うえ おうしゅんけいちょく せんわ むま すごう らん 鷹隼灘渤をみれば宣和とおもひ馬をみれば子昴とおもひ蘭を せっそう じん コ せんしゅんきよ みれば雪窓とおもひ人物をみれば銭舜挙とおもふまでのこと しんみんこっかく ゑ こうげい にて神韻骨格なにものするをしらずそれ画は工芸のみちなれ せいうん しやうこう し だいし ゆゑみふくせいどじんぶつ ども世運の舛降を知る大事のものなるが故衣服制度人物 きようれきだい ぞうせい くは しん ぐはし 器用歴代の造制を悉しくしらざれば真[﹂04オ]の画師とい もちろんたうそう ぐはじん いま ぐはじん ここう ふべからず勿論唐薯の画人は今の画人のやうに糊口のために ひれつ りやうけん ひと いちにん おくひつふ するでなければ鄙劣な了簡の人は一人もなしまた各匹夫 むろく きかくしぜん じゃうひん ぶんが 無禄のものでなければ気格自然と上品にして文雅の風あまり いちじさいがく しゅんげん そっかはい ありことさら一時才学の俊彦おほければ足下輩あきめくらの ヒごと さうみ ゐくはんせいときうしつ き ぽ こうていしごく ゆきとピ 仕事と相違して衣冠制度宮室規模の考訂至極よく行届きたり そっか はいこれら こと むがく ゆゑ せんさく 足下の輩是等の事は無学なる故たとへわきまへても穿在する ゐ ニタう し ゑんまうめつ れつ ことあたはず意にまかせ心を師とし肉幻滅[﹂04ウ]裂や、 しゃみ にげみち てんしゃかん もすれば写意といふにかこつけて近道をこしらゆれど田舎漢 かんてい くは れきたい しさつ すらうけがはず鑑定をするにも画をかくにも歴代の史冊にあ きらかならずして出来べきやうなしと長々しく談しかけるに じ ほとしごく せんばんなに ぞ武清大にこまり入たんく御教示の程至極御尤千万何を申 へんとう せい もこ・は門前にて御返答もまうしかねるかつ大勢人立もつか 一五『当世妙々奇談』 町骨 . 9 噌 毒 くはいぶん ぞんじ なにとぞ がけ まつればはなはだ外聞わろく存候何卒今日は出掛のことゆゑ ようしゃ そんらい やう 御容赦下されまた明日にでも御尊来くだされ言様つかまつり 図版④ 一六 度とことは[﹂05オ]︹図版④︺[﹂05ウ﹂06オ]りをいふ てう うちわらひしつれい せんはい に文晃からくと打笑失礼なる申分かな先輩のわれくにむ で が け かつて出掛ゆゑまた明日こいのなんのといはれた口上なるか そっか ぐは き くはふうひれつ われ足下に画をたのみに来たるにあらず足下の画風鄙劣千万 せん わがでんじゅ ぐは なるゆゑ先年中より我伝授せし画法をいつくへなげすてしや しやうち たく ついで いろ う承知いたし度わざくまいりしところなり序なれば種々 たうそう ねが さいは 唐宋の画論を申のぶる願ふてもなき幸ひなるべきにきこふと ぶん なにごと はせず人立がして外聞わうしとは何事そやとてもそういふ りやうけん い ご 了簡では旧いふ[﹂06ウ]ことはもちひまじきが以後のこら たく か な い しめにもふすこしいひきかさん宅にては家内のものはかりで おほぜいひと なか はち つかは はり合がないこの大勢人どをりのする中で恥をか・せて遣す ぶせい いり さやう べしとあるに武清ますくこまり入イや左様なわけではござ そんニうさま なに しつれい はろん ほど らぬ尊公様にたいし何とて失礼を申いれんや御画論の程も ゆるく たく 寛々うけたまはり藩候へどもこのところではめいわくともか たく ひと うちりやうさんにんぶせい くも宅へとひらにあやまるにとをりの人の内両三人武清を しつ もの ひとり ぶせい おとこ 知たる者ありけるが一人がいふやう﹁武清さんはあの男に かり み へいこう 借でもある[﹂07オ]と見へてひどく閉口してみるがきのと ゑ へ た ししゃう くなことた一人﹁なアによくきけば画が下手だといって師匠 さまにしかられるところた一人﹁しかられるはずだこのごろ お はすぶつまらぬことをかくものヲあれをしからねへじゃア御