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監査上の重要性概念に関する一試論

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監査上の重要性概念に関する一瞬暖

酒  居

工 序  アメリカ合衆国公認会計士協会による監査手続書画31号にはつぎのように述 べられている。  「独立監査人が監査報告をしている年度に被監査会社で会計原則適用上の変 更があり,その結果,被監査会社の財政状態とか経営成績の表示に重要な影響 が及んでいるという場合には,独立監査人は意見区分の中で,財務諸表には会 計原則適用上の変更があり,その影響はしかじかであると十分注記するか,あ るいは,会計原則変更の性質と変更によりもたらされている影響とを監査報告 の中で十分セこ記述するかすべきである。会計原則適用上の変更によって純利益 に影響が及ぶ場合セこは,税引利益にどれ程の影響が及ぶかについても開示すべ      きである」と。  被監査会社の経営陣が自社の財務事象を表現するために選択する代替的処理 原貝忍び手続が一般に認められた会計原則に適合するものであり,一度選択し た方法を毎年継続して適用している場合には,一般に認められた会計原則の要 請通りの会計処理であるから,そこに何ら問題の生じる余地がないのは勿論で あるといってよい。しかし,現実に被監査会社の経営陣は必ずしもこのように 独立監査人が期待する通りには事を運ぶものでないようである。上記監査手続 書第31号の文言は,そのような現実をふまえたうえで,独立監査人の採るべき 1) Committee on Auditing Procedure of the American lnstitute of Certified  Public Accountants, Consistency (Statement on Auditing Procedure No, 31) New  York: AICPA, 1961, p. 48. (cited by F. Neumann, “The Auditing Standard of  Consistency,” Journal of Accounting Research, 1968, p. 4.)

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 36 対処法を指示しているものと理解することができる。しかし,監査手続書第31 号の指示にもかかわらず依然として問題は残っている。  たとえば,1954年のアメリカ合衆国歳入規則によって,1953年12月31日以降 に購入された減価償却の対象となりうる財産・装置については加速減価償却法        を採用することができるようになった。これに対して,当時の有力企業(1954 年12月31日から1964年12月31日までの間ずっとニューヨーク証券取引所に上場 されており,1964年度のフォーチェン誌に掲載されていた企業)の過半数は加        き  速減価償却法へ減価償却法を変更したといわれている。この場合,加速減価償 却法の適用は1953年12月31日以降に購入された財産に限られるから,加速減価 償却法の採用という会計原則適用上の変更がなされたといっても,それによっ て初年度の減価償却費総額・純利益額に及んだ影響は恐らく全く小さなもので       の あったろうと見込まれている。それにもかかわらず,相当多くの会社は年次報 告の中で減価償却法に変更のあることを述べ,独立監査人より限定意見を付け     ら  られていた。また,年次報告の中で減価償却法に変更のあることを述べ,独立        6)監査人より限定意見を付けられなかった企業もこれと同数存在した。要する に,会計原則適用上の変更があれば,たとえ純利益に及ぶ影響が小さなもので あっても,会計原則変更の事実のみならず,その影響について開示するのが正 当であると感じている被監査会社の経営陣もあれば,会計原則変更の事実につ いて開示するのみでよいと考えている被監査会社の経営陣もある。独立監査人 の側についてみても,会計原則の変更により税引後の純利益に及ぶ影響が微小 なものであっても限定意見を付けるのが適当と考えるものもあれば,純利益に 及ぶ影響が1∼3%にもなるような会計原則の変更であれば限定意見を付ける のが適当であると考えるものもあった如くに,被監査会社・独立監査人の双方       り において多様な実務を採っていたものである。  ここに引用した上記の事柄はアメリカ合衆国公認会計士協会の監査手続書始 31号出現以前のものであるとはいえ,その根本的事情には何らの変化もない筈 である。いずれの道を採るべきか,採らざるべきかという会計選択のディレン  2)∼7) F.Neumann, op. cit., pp.4−6.

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       監査上の重要性概念に関する一試論  37 マは何も目新しい問題ではないからである。重要性概念の解釈如何によっては 会計原則適用上の変更についての開示自体さえもが不要と考えられるに至るか     お  もしれない。ここに,重要性概念による継続性原則形骸化の可能性が認識され るのである。これは確かに一般に認められた会計原則の核心に触れる重要な問 題ということができるであろう。  勿論重要性概念は監査上のほとんどすべての領域において作用する概念で あろうと考えられる。ただ本稿においては,重要性判断という問題領域の広さ に鑑み,財務諸表に対する読者の意思決定という観点からみた重要性判断のた めの着眼点に焦点を合わせて重要性概念を論じている。 五 重要性概念展開の経緯  アメリカ合衆国の会計学文献において重要性という概念が現われた初期の使 用例としてA・L・ディッキンソンによるつぎのような表現を認めることがで きる。  「公共会計士はすべての重要な事実が監査証明書に表示されていることを必  ず見なければならないが,それと同様に,重要な事実を表示しないでおこう  として収益高が適正な額以下に抑えられていないか,異常な費用項目・収益  項目の調整が怠られていないか,発起人あるいは有価証券売主の合法的な権       の  益が不当に害われていないかどうかを必ず見なければならない」  しかし,どうしてA・L・ディッキソソンはこのような規範を得,指示する にいたったのであろうか? 当時(1908年)においては未だ証券取引委員会 (以下略してSECという)の規則も,各州のブルー・スカイ・P一(不正証 券取引禁止法)も,重要な不真実表示について明確に取扱った会計専門職業の       ユの 倫理規則も存在してはいなかったのである。A・L・ディッキソソンによる上 8) /bid., p. 6. g) A. L. D1ckinson, Accounting Practice and Procedures, 1908. (cited by W. Holmes,  “Materiality−through the looking glass,” The Journal of Aecountancy, February  1972, p. 45,) !0)一一!4) W. Holmes, oP. cit., p. 46.

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 38 記規範についての表現が彼自身の発明に成るものであることを否定する材料は ない。しかし,A・L・ディッキンソンは,もと,イギリスの会計士であっ て,アメリカ合衆国へ移住して後8年後に上記引用文が記されている著作を公   ユ  淫したものであることを考えると,上記規範についての表現がイギリスの背景 に根ざしたものであったであろうことは十分ありうることとなるであろう。重 要性概念についての興味ある議論を展開しているアメリカ合衆国の開業会計士 W・ホームズはこの後者の見解を採っている。重要性という概念を含む上記の 規範的表現がA・L・ディッキンソソの発明に成るものであるのか,あるい は,イギリスの背景に根ざしたものであるのかについて即断することはできな い。しかし,W・ホームズが引用しているつぎのようなイギリスにおける会社 目論見書の開示基準に関した裁判所の判決,および,デイヴィ委員会による意 見に照らせば,W・ホームズの見解が当を得ているように思われる。すなわ ち,イギリスにおいてはニュー・ブランズウィック等商会対マジェリッジ事件 (New Brunswick, etc. Co. v. Muggeridze case)に関しての判決  「会社目論見書を発行する者は必ず真実性および綿密な正確性をもって何も  かも述べ,事実でないものを事実として述べるのを差控えるのみならず,目  論見書が株式取得の誘因として提出している特典・便宜の性質,意図あるい  は品質にいささかなりとも影響を及ぼす事実があれば,目論見書の発行者の        ラ  知る限りにおいて,そのような事実を省略してはならない」 (1860年)  に加え,ヴェネズエラ中央鉄道対キッシュ事件(Central Railway of Ven.  ezuela v. Kisch case)に関しての判決  「会社目論見書において重要な事実が誤表示されていない,あるいは隠蔽さ       13)  れていないのは許されるべきである」 (公判開始1867年) および,イギリス会社法の更新に関するデイヴィ委員会の意見   「慎重な投資家が目論見書の募集している株式とか社債に応募しようかどう  か決定する際,彼の判断に影響を及ぼすようなあらゆる契約とか事実とかは      ユの  重要である」(1895年) という文言に見られる如くに,重要性概念を包含した会社目論見書の開示基準

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       監査上の重要性概念に関する一試論  39 がすでに確立してしまっていたからである。  かくして,A・L・ディッキンソソによる上記規範的指示の根源はイギリス における会社目論見書の開示基準(=法律上の見解)にもとめることができる ようである。したがって,そこに含められている重要性概念も,もとは,法律    ユらう の子ども(=法律上の見解によって左右される1個の概念)であったと考えら れる。W・ホームズはイギリス的な背景を輸入したであろうと推察されるアメ        ユのリカ合衆国においてもそうであったろうと推論しているのであるが,彼はその 根拠を0・W・ホームズの『ザ・コモン・ロー』を引用しつつ,イギリスにお ける実務の反映と考えられるつぎのような慣習法がアメリカ合衆国においても 存在していたということにもとめている。  「詐欺的な表示が効果をもつためには詐欺的な表示は重要なものでなければ  ならないといわれる。しかし,詐欺的な表示に重要性があるかどうかわれわ  れはどのようにして決定するのか? それは,通常の経験に訴えて,事実は  表示されている通りであると信じておれば自然と契約の締結に進んだであろ  うかどうか,あるいは,事実は表示されている通りでないと信じておれぽ自  然と契約の締結を思いとどまったであろうかどうかを決定することによって          17)  でなければならない」 重要性概念は,もとは,法律の子どもであるとしても,A・L・ディッキンソ ンが前記規範的指示を表明するに際し,母国イギリスの法律を根拠にしつつ も,移住先アメリカ合衆国の慣習法を無視した筈はないであろう。ここに先ず, 重要性概念は如何なる国家においてであれ,その国家の少くとも過去,現在を 通じて法律の子どもであったと考える立場の成立する余地を認めることができ るであろう。  しかしながら,重要性概念は法律の子どもであるというこのイギリス的な背 景はたとえその通りであるとしても,それがアメリカ合衆国への移入後,全く 15) lbid., p. 49. 16) lbid., pp. 46一一一47. 17) lbid., p. 46,

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 40 何の発展も示さなかったかといえぽそうではない。SECの財務諸表規則S− Xに重要性概念についての定義が含められて以来,会計専門職業の内部に重要 性概念は会計の子ども (=会計専門職業の見解によって左右される1個の概        ラ 念)であるとの観念が新しく芽生え始めていくことになったからである。ここ に,重要性概念についての第2の立場の成立を認めることができるであろう。  以上の如く,重要性概念について相対立する2個の立場を一応識別しうるの であるが,以下検討する如く,これら2個の立場のいずれをとってみても,そ こに一定の限界とか不徹底のあることが知られるであろう。それ故,筆者はこ れら2個の立場に優る第3の立場としての「重要性概念はもともと会計の子ど もではな:いが,会計の子どもとして扱えるものなら会計の子どもとして扱うの がよい」を追加したいと考える。この第3の立場はSECのかつての主任会計 士C・G・ブ・ウによるつぎのような陳述に基礎づけられるものということが できるであろう。  「多分, “適度に情報を与える開示”とか“重要性”とか“意味深長”とい  つた用語は,丁度過去においてそうであったように,定義することのできな  い用語であり,その意味はおのおのの状況における判断に委ねられなければ  ならない用語である。しかしながら,これらの用語の解釈に用いることので  きる原則とか規準とかがあるのであれば,確かに,それらの原則とか規準を       ユ    展開し陳述するようわれわれは努力すべきである」  以下の諸節においては,上記第1の立場,第2の立場を批判的に検討し,少 くとも継続性原則に関しての会計制度(一般に認められた会計原則)の精神は 第3の立場に依るものであると考えられる所以を論じ,さらに,監査制度にお いてもこのような会計制度の精神が類推適用されるべきであることを示唆して いる。 18) lbid., p. 47. 19) C. G. Blough, “Challenges to the Accounting Profession in the United States,”  The Journal of Accountanay, December 1959, p. 38. (cited by W. Holmes, op. cit.,  P・44う

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監査上の重要性概念に関する一試論  41          皿 所謂「法律の子ども」論の検討  重要性概念についての定義がすでに19世紀末葉には明文化されるものになっ ていたことはデイヴィ委員会による定義にみられたように明らかなことであ る。W・ホームズは所謂「法律の子ども」論を展開している割には重要性概念 についてその後明文化された会計学的な定義を以下の如く掲げている。  SECの財務諸表規則(1964年)  「重要性という用語を何らかの主題に関して存在する情報提供の要求を限定  するため用いる場合に要求されている情報とは,平均的にして慎重な投資家  がSECに登録されている有価証券を購入する以前に適度に通知されている       ラ  べき事柄に限られる」  アメリカ会計学会(1957年)  「情報に通じた投資家がある項目について知っておれば彼の意思決定は影響  をうけたであろうと信ずべき理由があるなら,その項目には重要性があると       コ   考えられるべきである」  カナダ勅許会計士協会(1965年)  「会計誤謬による歪みによって,財務諸表について理解力ある読者の意思決  定に影響が及んでいる,あるいは,及ぶかもしれないという場合,その会計       22)  誤謬には重要性がある」  イギリス勅許会計士協会(1968年差  「会計上の事柄について非開示・虚偽表示・脱落があれば,考慮中の計算書  類か,あるいは,その他の陳述の意図が歪められることになるであろうとい       23)  う場合,そのような会計上の事柄には重要性がある」 本節では,このように重要性概念を定義し,それにもとつく重要性判断の基準 を確立しようとする試みに反対する論者の論拠を尋ね,その主張の問題点につ いて検討している。 20) SEC, Regulation S−X, Rule 1−02. 1964, 21)一23) W. Holmes, op cit., p. 47.

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42 1.重要性概念を定義することに反対する論者の論拠  先ず,上記重要性概念についての諸定義に共通して認められる特徴を検討し てみよう。上記の諸定義はいずれも,平均的にして慎重な投資家,情報に通じ た投資家,理解力のある投資家,あるいは,誰か不明という主語概念でもって 会計情報の受信者をモデル化しようとするものであることが知られるであろ う。会計情報の発信者としての企業の立場はともかく,少くとも,独立監査人 の立場からすれぽ,一般目的財務諸表の利用者がその財務諸表を公表している 企業についての意思決定を誤らないようにというのが関心事であるといってよ い。会計情報の受信者をモデル化しようとの上記諸定義の傾向は,このような 会計情報受信者の意思決定を情報伝達そのものの錯綜から保護することを意図 して発生したと考えることはできないであろうか?  ところで,特殊目的の報告の場合とは異り,一般目的財務諸表は習慣的に株        の 主・債権者・銀行家・その他の人々に配布されるものであり,その用途は多様 である。会計における数量的表現についての知識の程度も人の異るに応じて全 く多様である。さらに,一般目的財務諸表の利用者間で利害が相対立している ものとすれば,一般目的財務諸表は正しく何を報告すべきであるのか決定する のは益々困難になるということができるであろう。しかも,一般目的財務諸表 の第1の目的を何にもとめるかによって,一般目的財務諸表の報告内容および 開示を要する情報量が左右されることにもなるのである。このように,一般目 的財務諸表の報告内容および開示すべき情報量を如何なるものにするかという 重要性判断の問題を突詰めて考えるときには,おのおの相対立する利害関係を 有した会計情報受信者の品質の多様性を如何に考えるかという問題に逢着する ことが知られるであろう。社会的に創造された利害関係の産物としての現状の 諸形式を除去しうるものとすれば,少くとも理念的にはすべて同等である筈の 人間の聞から特定の品質をもった人間を選択し,その利害関係を特に保護しよ うとする観念には当初より意思が作用していな:ければならない。判断は真空の 24) C. G. Blough, op. cit., p・ 38,

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       監査上の重要性概念に関する一試論  43         おら  中ではなされえない。すべて同等である筈の人間に社会的に創造された種々特 殊な利害関係が付与されることによって,人間は同等でないと判断されるにい たる。悠意的なものであるや否やはいざ知らず,人問は必然的に人間について 選択しなければならないことになる。  それでは,たとえば,平均的にして慎重な投資家とはどのようにして識別可 能であろうか? そこには客観的な識別基準など何も存在する筈がないであろ う。平均的にして慎重な投資家とか情報に通じた投資家,あるいは,理解力の ある投資家といった主語概念は,すべて,より具体的に保護されるべき会計情 報の受信者を明文化することができなかったことに対しての代替的・抽象的モ デルに他ならないであろう。少くとも,独立監査人としては何らかのモデルで もって保護されるべき利害関係者像を念頭におかなければ事は一歩も前へ進ま ないことになるのである。  それにしても,このようにしてモデル化された平均的にして慎重な投資家と いう概念をその一例とする主語概念は,これまでア・プリオリに認められてき        ヨ う た伝統的な会計上の仮定であり,独立監査人自身および会計における数量的表 現について高度の知識をもつ少数の人々にとっては都合のよい概念である。し かしながら,会計専門職業内部のみで架空の利害関係者縁を想定し,それにも とづき重要性概念を定義したとしても,現実に事件が生じたとき,法律がその ような定義に従い,関係ある独立監査人の主張するところをその通り承認する かどうかは必ずしも明らかでない。この点について,W・ホームズはL・ロス の著作からつぎのように引用し,重要性概念を狭く解釈しようとする最近の傾 向を批判する第1の論拠にしている。  「たとえば,重要性の定義に関連して,裁判所は通常の知能ある人問が詐取  の陰謀にだまされることになったであろうかどうかを考慮するものではな 2s) C. G. Blough, ‘’Some Suggested Criteria For Determining ”Materiality”,” The  Journal ef Accountancy, April 1950, p. 353. 26) W. Monroe, “Materiality Decisions,” The Louisiana CPA, May 1968. (cited by  W.Holmes, op. ciちp.47.)

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 44  い。有価証券に関する諸法律は正に会計の事柄に鋭敏でない人々を保護しよ  うとして制定されたものであるからである。この故に,非常に大きな信糧  性あるものであっても,それに犠牲が伴う場合には被告のための楯にならな  27)  い」 W・ホームズは裁判所ばかりでなく,SEC,経済学者,経営者が具体的に重 要性について考えるところは独立監査人の考えるところと必ずしも一致してい        ないといういくつかの事例を示している。さらには恐らく,会計専門職業の内 部においてさえも,ある独立会計士なら不可とするところを可とする独立会計 士が現れる余地を見出すことができるであろう。同一の主題に関してさえこの ようであれば,まして,それぞれ環境も企業活動の性格も内部事情も異る別個 の企業間に大方の利害関係者が同意する重要性判断のための指針・基準を立案 し,これを遵守するよう企業経営者および独立監査人に要求することは確かに 困難なことでもあろう。W・ホームズの第1の主張はこのようなものである。  W・ホームズが重要性判断のための指針・基準の確立に反対する第2の論 拠,それは,彼が引用するL・ロスのつぎのような指摘の中に見出される。  「裁判所はこれまで伝統的に,慣習法においてであろうと有価証券諸法にお  いてであろうと,詐欺について明確な定義を下すことを拒絶してきた。オレ  ゴン州の裁判所は,rブルー・スカイ・ロー(不正証券取引禁止法)のもと  で詐欺とされるものについて厳格かつ固定的な規則を定めたところで,J・  R・ウォーリングフォードに見られるような一定の種類の紳士は,夜寝床に  横たわっている問も,法律の網をくぐる何らかの狡猜で影の多い方法を思い  つこうと努力して目覚めているであろう』と言っている。事件が生じた都        ラ  度,事件を処理する方が賢明である」 W・ホームズが自らの見解の妥当性を強調するため用いているこの第2の論拠 27) L. Loss, Securities Regugations, Little, Brown And Cornpany, 1961, p, 1438,  (cited by W. Holmes, op. cit., p. 47.) 28) W. Holmes, op. cit., p. 48. 29) L. Loss, oP. cit., p. 1436. 〈cited by W. Holmes, o?. eit., p. 48.)

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       監査上の重要性概念に関する一試論  45 は,形式一般のもつ弱点についてのものであると言ってよい。何らかの行為を 禁止する形式(法律,基準等)があれぽ,その形式に該当しないものは是とさ れるという形式主義についての考え方が形式の弱点の根源であると考えられ る。L・ロスの論攻では,形式があるからこそ脱法行為にも坑弁権が与えられ ると示唆されているのである。一面において,このような主張は真実を物語っ ているものと認めることができるであろう。一般目的財務諸表を独立会計士に よる監査という関門へ通過させるに当って,障害となりそうな形式(財務報告 上の数量的表現)を細分化し,種々の勘定中に小口分散させるようなことは大 いに可能なことでもあろう。つぎに示す会計研究公報からの引用文も,形式の このような弱い側面を認識したものと解釈することがでぎるであろう。  「当委員会の意見は重要にして意義のある項目にのみ適用されるものと当委  員会では予期している。当委員会としては,影響力がほとんどないか,ある  いは,全くない項目については便宜の示唆するままに処理してよいと考え  る。しかしながら,重要性のない項目を便宜的に処理するのは自由であると  いっても,累積すれば財務上の陳述に重要な効果をもつ項目群はそのような        ラ  処理から除外されるべきである」 この会計研究公報からの引用文は,何が重要であるかということについての判 断規準については語っていないとしても,形式の必要性を肯定するものであ り,形式否定のL・ロスおよびW・ホームズ等の立場とは正反対のものである が,引用文後段に見られるように形式の弱点を十分認識したうえでの見解であ ると認めることができる。  2。重要性概念を定義し重要性判断の基準を確立することに反対する論者の 主張にみられる問題点  たとえば,W・ホームズは重要性判断についての公式的な基準を確立する 必要は全くない,そのようなことをすれば問題は悪化するばかりであると主張 30) ATn.erican lnstitute of Certified Public AccounLLants, Accountin.v Research and  Termino/o.cry BuZletins, Final Edition, /961, p. 9. (cited by L. A. Bernstein, “The  concept of Materiality,” The Aecountioeg Review, January 1967, p. 88.)

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 46  お  するのであるが,形式否定の彼の立場にもいくつかの根本的な問題点が認めら れるであろう。その第1のものは,形式なくして好ましい行為を助長したり, 不都合な行為を抑制したりすることは全くできないであろうという形式の積極 的側面を彼が看過しているということである。形式の消極的側面についての彼 の主張は首肯しうるとしても,それは形式の独り歩きから生ずることであって 形式についての誤った解釈に起因しているものであるように考えられるのであ る。形式を悪用する者が居るからといって,それを力(法律)で抑えるのが唯 一の道でもないであろう。ましてや,そのような者を羨むことによってそのよ うな行為の伝播を助長する必要はない。この種の問題は,元来,人間一人一人 の行為的直観の問題であるといってよいであろう。自己の真に操作しうるもの は,他の人でなく,自己のみであることが知られるであろう。形式内容(=精 神)の良否は別として,形式から脱けるということ自体,すでに,1つの形式 である。果して形式を全く否定し去るということができるであろうか? 誤解 であると言わざるをえない。  W・ホームズにみられる主張についての第2の問題点は,形式内容(=精 神)についての是非判断は決して法律家だけに委せておいてよい問題ではない ということである。形式内容(=精神)についての是非判断はア・プリオリに 所与のものではなく,創造されるものと考えられるからである。確かに,事件 が生じたとき,それを最終的に解決する権限は法律の手に委ねられなければな らないであろう。しかし法律というものは,その法律の適用される地域におい て,そのとき,その市民が有している知識・自覚の程度の具体的な反映に他な らない。たとえ市民の多くが愚にもっかない考えに取附かれるにいたったとし ても,必ずしもすべての市民がそれに同調している訳でもないとしたなら,い ずれは,そのような状態を処理するに適した法律の制定・運用とならざるをえ ないことになるであろう。たとえば,会計専門職業において,会計に関係した 不祥事件が生じるのを未然に防止するための努力を怠り,事件が生じた都度, 事件を法律家に処理してもらえばよいかのように考えていたとするなら,会計 31)W.Holmes, oP. cit., PP.48−49.

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       監査上の重要性概念に関する一試論  47 の自由は一見放任されたものであるかのように見えることであろう。このよう な状態は企業にとっても独立監査入にとっても愉快なものに感じられるかもし れない。しかし,そのことに起因する不祥事件が発生したときにはどうなるで あろうか? 法律家は世間の自覚の程度を勘案しつつ最も妥当な処方箋を下す ことになるであろう。個々の独立会計±のためを思えば,W・ホームズの言に もかかわらず,会計専門職業は自己の持場において本分を果すことが必要であ る。会計の自由に対する自制行為こそ,その1つの現われと解することができ       お   るであろう。重要性概念は会計にとって養い子であるからといって決しておろ そかにしてよいことにはならないであろうと考えられる。 IV 所謂「会計の子ども」論の検討  アメリカ合衆国における会計学者の一人であるL・A・バァスティンは, 「会計士が類似の環境のもとでは重要性の問題に関し類似の結論に達すること        おう ができるよう明確な基準を確立すべきである」と勧告している。このような見 解の端緒は,同じく会計学者の一人であるS・M・ウルシーが1954年目報告し        う た調査研究にもとめられると言われているのであるが,これらの論者による主 張は裁判所ではなく会計専門職業自身が指針なり基準なりを定めるべきである という趣旨のものである意味において,「重要性概念は会計の子ども(会計専 門職業の見解によって左右される1個の概念)」論として特徴づけられるであ ろう。’L・A・バァスティンがこのような議論を展開する背景はつぎのような ものである。  「職業専門家が自己の領域において判断を下す際の自由の行使は重要な考慮 事項である。できることなら自由の行使は縮少されるべきでない。……しかし 32) lbid,, p. 49. 33) L. A. Bernstein, oP. cit., p. 93. 34) W. Holmes, op. cit., p. 45.   S. M. Woolsey, “Development of Criteria to Guide The Accountant in Judging  Materiality,” The Journag of Accountancy, February 1954, pp. 167−73.

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 48 ながら,会計士の仕事について世間が信用し理解しているということも,ま た,根本的に重要な事柄である。実際,世間の信用と理解とがなければ監査は 専門職業として貢献することはできないであろう。監査とは会計専門職業がそ の活動の自由のいくらかを断念してこそ正当化される“価値”である。それ       35)故,選択がなされなければならない」  会計専門職業がその構成員である独立会計±の判断行使に対し制約を課すの がよいか,あるいは,自由に任せておくのがよいか? L・A・バァスティン は,会計専門職業として放任の立場を採れば独立会計士には自らの判断行使       うに対する何らの制約も容認する気はないであろうと言う。その理由の主たるも のは,独立会計士は自分こそ事例を廻るすべての環境について直接得た知識を もっており,したがって,何が重要であり何が重要でないか決定する最上の立        場に居るとの信念をもっているということにもとめられている。しかし,この ような理由ぱL・A・バァスティンのみならず客観的な性格のものであると は認め難いところであろう。不可避的なことであるとはいえ,独立会計士とい えども単に自分自身の判断および誠実性の品質が申し分のないものであるとの        お   確信をもっているにすぎないと言われても致し方ないのである。独立会計士は 自らの関与している具体的状況に対し,他の同僚会計士なら適用するであろう 判断規準とは異った判断規準を適用しているのかもしれないし,財務諸表の読        きの 者が仮定している規準とは異った規準を適用しているのかもしれないのであ る。何らかの明瞭な基準が欠如している場合は勿論のこと,独立監査人による 監査を受けている企業の経営陣の見解が独立監査人に強力に作用する場合にお いては,このようなことはなおさらにありそうなことにな:るとし・A・バァ        の ステインは指摘している。このことから,「何が重要であり何が重要でないか ということを未定義の判断領域に任せておくことはできない。良好な判断とい うものは明瞭に形式で表わされた基準・限界線から指導を受けなければならな 3s) L. A. Bernstein, oP. czt・, pp., 92−93. 36)一一一40) lbid,, p. 92.

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       監査上の重要性概念に関する一試論  49 なう い」との主張が導かれることになる。  重要であるもの,重要でないものを区別する基準は何も目新しいものではな く,先例のあることについてはL・A・バァスティンも認めている。たとえ ば,SECの規則S−Xは,ある会社が他の会社の従属会社であるか否かを判 断する基準として,従属会社とは,その資産が連結資産の15%を超えるもの, あるいは,その売上高・収益が連結売上高・収益の15%を超えるもの,と定め          まの ているがようにである。SECの規則にみられるその他の要求には,以下にそ の一例を示しているように,数量的表現による限定が付けられている。これら の数量的表現で示された限定は,SECによる一方的な命令の構成要素である と言ってしまえばそれまでであるとはいえ,SECの立場において重要性を判 断するための公式基準であるとも解釈することができるであろう。 1.役員・取締役・株主が会社に支払わなければならない金額が会社の資産総  額の1%を超えるか,あるいは,2万ドルを超える場合には,その金額をさ        ラ  らに分析せよ。 2. 1つの費用項目が費用総額の5%を超える場合にぽ,その費用項目を別個      ぬ   に表示せよ。 3.固定資産の期中取得額が資産総額の5%を超える場合には,その期中取得       なの  額を分析せよ。 4. 1つの貸借対照表勘定が資産総額の5%を超えるか,あるいは,その貸借  対照表区分総額の10%を超える場合には,その貸借対照表勘定を別個に表示   ゑの  せよ。 5.おのおのの市場性ある有価証券が資産総額の15%を超える場合には,おの        り  おのの市場性ある有価証券について区分表示せよ。 41), 42) lbid., p. 93. 43)∼47) SEC, Regulation 3−X, Rule 5−04,1968・Schedule工,亙,丑[, V.(ci亡ed by  W. Reininga, “The Unknown Materiality Concept,” The Journal of Accountancy,  February 1968, p.32.)但し,44)についてはW・レイニンガによる上記論文の中で  示されているものの,筆者の見落しであるかもしれないが,原典の中に確認すること  はできなかった。

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 50 また,たとえば以下に示すように,SECによるもの以外の会計学文献におい ても,SECの規則同様,境界線をもって重要性あるものを識別しようとの考 えが示されているのを認めうるのである。 ① 貸借対照表区分総額の20%に相当する貸借対照表勘定,年度純利益の10%        を    か,あるいは,収益総額の1%に相当する損益計算書勘定       ラ ②100万ドルを超える勘定        ヨの ③売上総利益の2%を超える損益計算書勧定        ら  ④貸借対照表区分総額の5%を超える貸借対照表勘定 このような先例があるにもかかわらず,L・A・バァスティンは,会計専門職 業の立場からは,境界線に代え境界区域を設定するのがよいであろうと指摘し   ら う ているのである。それはどのような理由にもとつくものであろうか?  L・A・バァスティンが重要性判断の基準を確立しようと試みてこれらの 先例に敏わなかった理由,それは,会計専門職業の必要とする重要性判断の基 準はSECの規則に網羅されているものでなく,したがって,これを確立しよ うとするに際しては会計専門職業内部の協約をとりつけることのできるもので       らヨ  なければならなかったことが挙げられる。上記引用のSEC規則にみられる重 要性判断のための境界線について,その不備を指摘し,これを批判しうる者は ほとんど誰も居ないであろう。それはSECの規則が余人による批判の介入を 許さないような問題の取り上げ方をしているからに他ならない。これと同様な ことを個々の会計事務所の寄り合い所帯であり,したがって,統一的な権威の 薄弱な会計専門職業になしうる筈はない。さらに,重要性判断の基準は数量的 な表現が不可能な領域においても効果あるものでなければならないとの要請が  う   ある。重要性判断の基準として,境界線に代え境界区域を採ることの利点を 48), 49) W. Plumhoff, The Arthur Andersen Chronicle, V. 13. December 19s2, pp.  18−23. (cited by W. Reininga, oP. cit,, p. 32.) sO), s!) D. P. Hylton, “Some Comments on Materiality,” The Journal of Aecount−  ancy, September 1961, pp. 6!−64. (cited by W. Reininga, oP. cit., p, 32.) 52)一一56) L. A. Bernstein, oP. cit,, p. 93.

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       監査上の重要性概念に関する一試論  51 L・A・バァスティソはつぎのように述べている。  「境界区域には10%と10.1%とでは大して違わないとつねに指摘する人々の  議論を満足させるという便宜がある。鏡界区域は境界点ないし遮断点を概念  水準にヨリ精密に導き,数の遊戯から立ちのかせるものである。境界区域に        らの  は未だ判断行使の余地が十分残されている」 重要性判断の基準として会計専門職業内部で合意の得られそうな,したがっ て,拘束力をもつ境界区域を設定することができれば,それから離脱しようと する独立会社±には挙証責任が負わされることになり,財務諸表の利用者によ る会計専門職業および財務諸表への信頼は増すことになるであろうというのが し・A・バァスティンの主張の要旨である。  それでは,このような境界野里の範囲はどのようなものであるべきであろう か? L・A・バァスティンは,彼の経験的研究によれば,最近5ケ年問の税         引後平均純利益の10−15%という境界区域が妥当であろうと考えている。しか し,L・A・バァスティンにおいても,彼の提案している境界区域の範囲が完 全なものであるとか,すべての状況に等しく適合するであろうなどと考えてい るわけでばない。1G−15%という境界区域は多くの独立会計士が思考している ところを代表するものであるかもしれないが,損益計算書をまじめに利用して いる多くの人々が思考しているところと必ずしも一致するとは限らないという       の ことを認識しておかなければな:らないと言っている。最近5ケ年間の税引後平 均純利益の10−15%という境界区域はせいぜい大体の指針としかいえるもので はないが,それにもかかわらず,このような境界区域がなければ,重要性概念 は会計専門職業にとっても財務諸表の利用者にとっても有用なものではありえ       ヨさ  ないであろうとし・A・バァスティンは主張しているのである。  L・A・バァスティンの主張の背後にある以上のような論拠を考えれば,そ こに如何に問題点が内包されているとはいえ,彼の提案している10−15%とい う境界区域の現実不適合性を列挙し攻撃する者にこそ却って意地悪さが感じら 57) 乃id., pp,93−94. 2/ s8) lbid,, pp. 94−95.

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 52 れるほどである。たとえば,所謂パークリス事件(Escott, et al. v. BarChris Construction, et al. case)においては,会社の財務諸表が一株当り報告利益を 14%,流動比率を16%過大表示していたことが問題とされたということについ ては周知の通りである。この事件について裁判官は,流動比率の過大表示は転 換社債の購入者にとって重要性あるものであるが,一株当り報告利益の過大表       う   示には重要性がないと判決したのである。「重要性概念は法律の子ども」論に 立つW・ホームズは,パークリス事件に関してのこの判決とL・A・バァステ ィンの提案している境界区域10−15%とを対比することによって,L・A・バ ァスティソの提案している境界区域の無効を例証するいくつかの材料の1つに     う しているのである。  W・ホームズの主張もその通り,L・A・バァスティソの主張もその通り認 めたい気持ちになるであろう。それにしても,独立監査人による判断行使の自 由を結局は制約しようとのし・A・バァスティンの主張は,大きな目でみれ ば,彼の意識とは裏腹に意思決定の分散(判断行使の自由)に彼自身寄与して いるものであることが注目されるであろう。すなわち,L・A・バァスティソ は,会計専門職業の内部に対しては,その構成員である独立会計士に境界区域 という制約を課すことによって自由な会計を大幅に否定する一方,会計専門職 業自体としては,外部の利害関係者(裁判所)から独立した重要性についての 判断基準を形成しようとしているのである。これを換言すれば,彼の主張は判 断行使の自由の否定即肯定であることを如実に物語っているといえるであろ う。彼はこのことを判断行使の自由について否定するくだりでつぎのように示 唆していた。  「判断の自由の行使は,われわれの社会における重要な“価値”である。判  断の自由の行使は,なかんずく,個人の自由という大切な概念に結びついて  いる。さらに,経済学の領域においては,意思決定を分散させることによっ 59) J. W. Pattillo & J. D. Siebel, “Quantitative Measures of Materiality,” Financial  Executive, October 1973, p. 32. 60)W.Holmes, op. cit., PP.4卜48.

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       監査上の重要性概念に関する一試論  53 て,作られる誤謬の大きさおよび作られた誤謬が社会に及ぼす影響は抑えられ        ビ  るという意味において,意思決定の分散に多大の便宜が認められる」 V 監査の観点からみた重要性判断のための着眼点  アメリカ合衆国の財務会計基準審議会(以下,FASBと略称する)が1975 年3月21日に発行した討議メモ“重要性を決定するための規準”は,財務情報 の信頼性・有用性を増すために,財務会計・報告における重要性を決定するた めの規準を確立することを意図し公聴会用の資料として作成されたものであ る。この討議メモは,財務会計・報告の観点から重要性を扱ったものであり,        お   監査の観点からみた重要性を扱ったものではない。しかし,この討議メモは, 監査の観点から眺めてみても,独立監査人の立場において重要性の有無を判断 し決定するための着眼点を示すものであると理解することができるであろう。 以下に示すところは,このような考えから,FASBの示している財務会計・ 報告における重要性判断のための7要素,すなわち,環境的要素,企業関連的 要素,会計政策,不確実性,事柄をとりまく状況および事柄の特徴,現在的・ 潜在的な大きさおよび財務的影響,累積的な財務的影響を,監査の観点からみ た重要性判断のための7要素に引き直し,補充解釈しようとしたものである。  (イ)環境的要素  個々人についてもいえるように,企業は必ずしもそれ自 身の力のみによって存立しうるものと考えることはできない。入間社会の営み は,すべて何らかの意味において,他との商取引によって活かされているもの と考えられるであろう。その他との商取引に影響を及ぼすものとしては,全般 的な経済環境・個別的な経営環境・全般的・個別的な政治環境を識別すること ができるであろう。これらの諸環境は企業活動の制約要因ないし企業の外部的 な存立基盤であると解釈することができる。このように解釈するときには,企 業の経営環境を構成する一要素としての一般目的財務諸表の利用者も,企業に 61)LABemstein,0ヵ. c∼ちp.92. 62) FASB,、FASB D∬Cび∬ION!歴IMOR∠4M)σM an analysis of issues related  to Criteria for Determining Materiality, FASB, March 2!, 1975, p. 3. p, 55.

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 54 とっては,商取引によって企業に関与しようとする顧客の一種であるというこ とになるであろう。ただし,その正体,その知識の程度は明らかでない。むし ろ,正体の明らかでないのが環境といえるであろう。企業の経営者および独立 監査人が財務諸表における数量的表現上の重要性を判断し決定するに際して企 業の諸環境を考慮するというのは,このような正体の明らかでない顧客との商 取引を前にして,大胆になることと恐れることとの間で綱引きをすることに他 ならないであろう。  (ロ)企業関連的要素  この要素の中には,たとえば,企業の経営陣,企業 の収益性,流動性,麦払能力,事業の性質,所有権の権益,世間の心像が含ま       れている。これらの具体的要素から推論すれば,この企業関連的要素とは企業 内部にどれ程の存立基盤があるかを問題にしていると考えられるであろう。企 業自身の力と配慮とで企業存立のために,ある程度,操作可能な要素であると 考えることができる。企業の外部に企業の存立を支持する要素があり,企業の 内部に着実な力があれば,企業の存立に何の支障もないことはいうまでもな い。しかし,企業の内部に着実な力が存しないところに外部環境の支持を要求 しても無益というものであろう。その意味で,この企業関連的要素は企業存立 のための出発点であると解釈することができる。FASBのスタッフが面接し た監査人の多くは,企業が財務的困難に直面しているときには重要性判断が苛 いものになる,他の事情が等しければ,著しい変動のある情況においてよりも成 長率が安定している情況において苛いものになる傾向があると感じているとい  64) う。これらはすべて企業関連的要素を念頭においたうえでの判断ということが できるであろう。ただし,コスト・ベネフィットについての考慮,すなわち監査 をなすことによって得られる対価と監査をなすことによって失われる価値犠牲       の との比較考慮がこの企業関連的要素の中に含まれるかどうかは明らかでない。  ㈲ 企業の会計政策  FASBのスタッフが面接した幾人かの独立監査人 63) lbid., pp. 73一一76. 64) lbid., p. 74. 6Jr) lbid., p. 75.

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       監査上の重要性概念に関する一試論  55 は,一般に,財務諸表の監査において発見されたあからさまな誤謬に対しては 苛く臨むが,灰色の領域となる情況に対しては監査人の判断を企業経営者に押        う しつけない旨指摘したといわれている。この指摘は,いわば,監査人が被監査 会社の会計政策の適否については直接争うことなく,主として,被監査会社に みられる企業関連的要素に照らし,財務諸表の表示の適否に関する重要性判断 を形成していることを示唆するものといえるであろう。ここに示されているよ うな監査人の振舞いはどのように評価されるべきであろうか? 実際,被監査 企業の存立基盤が強固なものであるにもかかわらず,独立監査人が被監査企業 経営者の会計政策に問題があるとし,その作成している財務諸表に限定付監査 意見を付せばどのようなことになるであろうか? 如何に企業経営者の会計政 策が反映されている財務諸表の数量的表現は,その企業の経営成績・財政状態 についての期間比較のみならず,当該企業と他企業との比較を破壊するものに           なっていると主張したところで,その監査人の而後の監査契約以外に変化する ものは何もないであろう。このように考えれば,被監査企業の環境的要素以下 の諸要素一会計政策を除く一について十分考慮したうえで財務諸表の表示につ いての適否判断を下すという監査人の振舞いには合理性があると認められるで あろう。財務諸表の作成者および監査人は一般に財務諸表の比較線を促進する ため会計実務の継続的適用を強調しているから,監査人は会計の変更に対して        通常相対的に苛い態度で臨むということはあるかもしれない。しかし,少くと も,そのような理由付けに関する限りにおいては必ずしも本質的な事柄である とは考えられないであろう。  ω 不確実性  一般に,財務会計・報告の数量的表現に関連した不確実性 は多方面に認めうるところである。一例として,資産評価(=資産の換金可能 性)に関する不確実性,あるいは,それに影響を及ぼす将来事象の不確実性を 66) Jbid., p. 77. 67) L. A. Bernstein, oP. cit., p. 92. 6s) S. C. Van Arsdell, “Criteria for Determining Materiality,” The Journal of  Accountancy, October!975, pp.74−75.傍点は筆者による。

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 56       掲げうる。財務諸表の作成者および監査人は将来ある事象が生じる蓋然性,お よび,その潜在的な財務的効果は金額で如何ほどのものであり,いつの時点で 生じるものであるかということについての蓋然性を経験等により算定しようと するが,経験等の知識があれば有用であるという場合は必ずしも多くない。お のおのの事態を廻る環境は幾分一意的であるというのが通常であるからであ アの る。FASBのスタッフが面接した監査人の一人は,長;期の非通貨資産の価額 が衰微していることを示す明瞭かつ客観的な徴候があるのでなければ,たいて いの場合,適正表示のためには,その項目が実在するということおよびその金 額がいくらであるかということについての開示で事足りる;何故なら,財務諸 表の利用者はこのような項目についての数量的表現には不確実性が伴っている       ア  ことを知悉しているからであると示唆したという。不確実性に関しての重要性 判断にも,監査人の異るに従い多様性が認められるのは止むを得ないことであ ろう。ここに引用した一監査人の示唆は,重要性判断のための規準を確立する ことの不要性を指摘しつつ,財務会計・報告の信頼性・有用性を必要最低限の 水準において維持することを狙ったものであると認めることができるであろ う。ただし,このことは重要性概念の解釈に用いることのできる原則とか規準 の展開を否定するものではない。本節および次女で企業の存立基盤およびゴー イング・コンサーン(継続企業)の仮定について強調している如く,筆者は監 査上の重要性判断の中心をこの点にもとめているが,それは現実にも達成可能 なものであることを考慮してのことである。  ㈱ 事:柄をとりまく状況および事柄の特徴  この要素は事柄の形式よりも 事柄の内容を問うものであり,事柄が異常なものであるか,稀なものである か,企業経営者が故意に行ったことであるか,一時的な状態を反映するもので あるか,一時的な状態では済まないものであるか,企業に赤字転落の恐れある ものであるか,逆に赤字より黒字に転換するものであるかどうか,企業はいち 69) FASB, op. cit., p. 78. 70) lbid., pp. 78一一一79. 7!) lbid., p. 79,

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       監査上の重要性概念に関する一試論  57 かぼちかの取引に賭けなければならない状況にあるかどうか,契約上の合意       (たとえば貸付金約定書の契約)はどのようなものであるかが含まれている。 故に,この要素は企業の死活を賭けた取引そのものの性質・内容に関するもの であると解釈することができるであろう。財務諸表における数量的表現の中に 含まれているこのような大問題について判断するよう迫られたとき独立監査人 はどのように対処するであろうか? 企業に赤字転落の恐れあるとき,あるい は逆に,赤字より黒字に転換するか否か微妙なとき,あるいは,企業がいちか ばちかの取引に賭けなければならない状況にあるとき,重要性判断を苛いもの       アの にすべきであると感じている人が多いということはいえる。実際には,具体的       アのな状況如何によって処理はさまざまということにならざるをえないであろう。  (A)大きさおよび財務的影響力  監査上の重要性判断に用いることのでき るような規準を数量的に表現することの困難については予言するまでもない。 重要性判断のための規準を確立すべきであると主張する論者も,それに対する 批判論者もこの側面に注意を集中する傾向にあったことは前述の通りである。 しかしながら,開示してみても余りにとるに足らなくて無意味であるとか,開 示をすれば却って重要な資料があいまいになってしまうといった開示は,その       アの 読者を惑わせることになるというのも大いにありうることであるから,独立監 査人が重要性判断のための着眼点の1つとして事柄の大きさ,財務的影響につ いての数量的規準を設定しようかどうか考慮するというのも1つの自然な道で あることであろう。この場合,事柄の絶対的な大きさ・財務的影響について考 慮しようとする人は少く,事柄の相対的な大きさ・財務的影響を考慮する人が  アの 多いというのも,事柄が企業の自己存続力にどれほどの影響をもつものである か把握することに関心をもっているからに他ならないであろうと推量される。 ただ,筆者は前述の如く,数量的に表現された重要性判断のための規準を確立 72) 70id., pp, 76−83. 73), 74) leid., p. 83. 7s) M. Chetkovich, C‘Standards of Disclosure and Their Development,” The Journal  of A−ccozLntancy, Deceinber 1955, p. 50. 76) S. C. Van Arsdell, oP. cit., p. 75.

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 58 することが唯一の道でもなく,そこにはまた,W・ホームズが指摘したような 形式の弱点が伴うと考えるから,この要素に格別な意義を見出していない。開 示をすれば却って重要な資料があいまいになりはしないかどうかといった懸念 は適正表示という開示目的を知らないことにもとめられるものであろうと考え られるのである。この点については次節でさらに論究している。  (ト)累積的な財務的影響  本稿の皿において形式の弱点を論じ,その際示 唆していたように,個々的には企業の自己存続力に著しい影響を及ぼす事柄で はないとしても,それは意識的にか無意識的にか1個の大きな事柄が細分化さ れ小口分散されたものであるかもしれないことは注意を要する。そのような可 能性を全く否定し去ることはできないであろう。したがって,そのような可能 性ある場合には,個別の事柄を性質の異るに従い分類・収集し,そのように分 類・収集された額の相対的な大きさ・財務的影響は如何ほどのものであるかに 換算して,企業の自己存続力にどのような影響をもつものであるか考慮するこ とが必要となるであろう。 VI財務報告の適正表示に関する監査意見中に占める   重要性概念の位置づけ  SECのかつての主任会計士C・G・ブロウはつぎのように述べている。  「しばしぼ口にされる懸念の1つは,会計原則および個々の情況に対する会  計原則の適切さについて一般的な協約がないので,会社間比較が破壊される  というものである。……会計原則の適用をもっと統一すべきであると主張す  るため提出される最も重大な理由の1つは,実務において広範な振幅の余地  が大いにあれば,財務諸表は信頼できるものであるということについての信        77)  頼が破壊されるというものである」 この主張はC・G・ブロウの主張というよりむしろ,他の会計原則統一論者の 主張といえるものであるが,財務諸表の信頼性に関し議論を展開するための糸 77) C. G. Blough, “Challenges to the Accounting Profession in the United States,”  7”he Jozarnal of Accountancy, December 1959, p. 37,

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       監査上の重要性概念に関する一試論  59 口を提供していると考えられる。この主張を手掛りに,以下,会計原則の統一 化について若干論じている理由は,会計原則の統一化が①重要性判断のための 規準の設定→監査人による判断行使の自由の否定という一連の思考に通じるも のであり,②これを機械的に適用する場合には却って,財務諸表は半ば無条件 に信頼できるものであるとの誤解を読者に与えることによって,信頼の破壊と いう傷口をさらに大きなものにする可能性が認められるからである。  確かに会計原則および個々の情況に対する会計原則の適切さについて職業専 門家としての独立会計士問に一般的な協約がなければ,企業の財務諸表をもっ てする企業間比較は理念通りの形ではなされえないであろう。会計原則適用の 適切さについて大方の利害関係者が同意する協約が得られるものであるなら, それに過ぎるもののないであろうことはいうまでもない。現実には,そのよう な協約を見出すことが容易でないからこそ重要性判断のための規準を公式に確 立することができないでいるといえるであろう。しかし,一歩退いて振り返っ てみれば,企業間比較を理念通りの形ではなしえないということは,会計原則 の適用を完全統一に近い形にし,かつ強制的な方法により重要性判断のための 規準を公式に確立しえたとしても同様のことではないかと考えられる。何故な ら,企業の異るごとに,その経営組織・経営業務をその一例とする諸条件は異 っており,1つとして同じものの存在しないことは事実問題として止むをえな いことであろうからである。いわば,単なる財務諸表の数字.との比較であるな ら,会計原則を統一化してもしなくてもできることであるといいうるのであ る。これを再言すれば,会計原則の統一化→監査上の重要性判断のための規準 の確立という一連の系列における努力は,必ずしも,財務諸表における数量的 表現についての読者の信頼ということに直結するものではないということであ る。不運な場合には,会計原則の統一化によって却って財務諸表の数量的表現 に対する読者の信頼が決定的に害われるという事態を,少くとも観念上は想定 することができるのである。人間の思考の産物の中の1つである会計原則の統 一(→重要性判断のための規準の確立)という観念がこのように相対的な性格 のものであろうと考えられるのは,被監査会社の条件不同という現実があるこ

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 60 とにもとめられるといえるであろう。その意味で,会計原則を統一化したうえ での企業間比較ができなければ企業の財務諸表は信頼性を失うとの上記引用文 中にみられる見解はなお一層の検討を要するであろうと考えられるのである。  企業の財務諸表が本当に信頼性を失うのはどのような場合であろうか? い うまでもなく,企業の財務諸表は,企業は将来とも引き続いて継続するであろ うとの仮定にもとづき作成されている。しかし,財務報告の数量的表現に多大 の影響力をもつこの仮定も,矢張り,仮定としての宿命までもは如何とも逃れ ることはできない。もしこの仮定が現実に破れるときには,企業の財務諸表に みられる数量的表現が著しく崩壊するのは明らかなことである。企業継続中の 財務諸表のみならず,世間で流通している財・用役についての数量的表現自体 怪しげなものであるかもしれないが,現実に通用している限りにおいて,その 信頼性に疑問をさしはさむことは余計なことと考えてよいであろう。財務諸表 の適正表示についての解釈には以下に示すような諸説があるとしても,究極的 には,独立監査人が被監査会社の財務諸表にみられる数量的表現が前聞で通用 しているものであることを確認したというまでのことであるに他ならないであ ろうと筆者は考える。  適正表示についての解釈 1.:表示は一般に認められた会計原則に従ってい   る。それ故,表示は適正である。  解釈 2.:表示は一般に認められた会計原則に従っているし,表示は適正で   ある。  解釈 3.:表示は一般に認められた会計原則に従っているし,一般に認めら       アど    れた会計原則の適用は適正である。  このような意味での適正表示という観点からすれば,監査上の重要性判断 は,企業における財務報告の数量的表現の基礎的な仮定ゴーイング・コγサー ン(継続企業)が現実に崩壊する徴候がないかどうか見ることによって,財務諸 78) FASB, op. cit., p. 57. (cited by P. Rosenfield & L. Lorensen, ‘tlndependent  Auditors’ Responsibilities and the Audit Report,” Technical Research Report No.  1, New York, AICPA, September 1973, p・ 2.)

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       監査上の重要性概念に関する一試論  61 表に対する読者の必要最低限の信頼を維持することができるように思われる。  L・A・バァスティンの主張するような重要性判断のための規準を設定する ことの意義については理念的には首肯しうるところである。しかし,そのよう な数量的規準の一律・機械的適用によって財務諸表の利用者の意思決定が無条 件に保護されることになるかどうかは疑わしいといわざるをえないのである。 公式の数量的規準が確立済みであると仮に想定せよ。独立監査人としては,財 務諸表の利用者を保護するためには,このような数量的規準を無視して警報を 発することこそ正当であると考えられる場面は必ずあることであろう。むし ろ,このような場合の方が多いかもしれないとさえ考えられる。数量的規準を 設定すること自体,国民大方の協約が得られそうなものを抽出することは甚だ 困難であろうからである。ここに,現実にも達成可能な重要性判断のための形       ア   式がもとめられることになるであろう。筆者はこれを試みに以下の原則の形式 で示すことはできないかと考えたのである。  監査上の重要性判断のための原則:おのおのの勘定を企業の存立基盤に照ら  し考慮することによって……監査上の重要性判断は財務諸表に対する読者の  信頼を必要最低限の水準において維持することができる。 79) A. C. Littleton, “lnductive Reasoning in Accounting,” The New York Certified  Public Accountant, (Vol. XX, No. 8, August 1950), pp. 449−52.

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 (4)以上の如き現状に鑑み,これらの関係 を明らかにする目的を以て,私は雌雄において

うのも、それは現物を直接に示すことによってしか説明できないタイプの概念である上に、その現物というのが、

心臓核医学に心機能に関する標準はすべての機能検査の基礎となる重要な観

・ 継続企業の前提に関する事項について、重要な疑義を生じさせるような事象又は状況に関して重要な不確実性が認め

・ 継続企業の前提に関する事項について、重要な疑義を生じさせるような事象又は状況に関して重要な不確実性が認

 

さらに, 会計監査人が独立の立場を保持し, かつ, 適正な監査を実施してい るかを監視及び検証するとともに,