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技術と経済体制(2)
福田 敏 浩
1構成要素説 1 ゾムバルト・のばあい 2 リッチュルのばあい(以上前号) E動的規定論説 皿体制中立説 W結びにかえて 皿 動的規定因説 われわれは次にティンバーゲソの学説を取り上げることにしたい。 (1)周知のように,ヤン・ティンバーゲンは多彩な研究歴と輝かしい業績を 有する一級の経済学者であるが,そのかれについてスウェーデンの経済学者ハ ンセン(B.Hansen)は「まさにシュムペーターのような人物」と評した上で, 55) ティンバーゲンのパイオニア的な業績を次の六点に要約して指摘している。① 現代の経済動学に先鞭をつけたこと,②計量経済学の確立に与ったこと,③実 証的なマクP経済学の樹立に与ったこと,④経済予測の近代的技術の開発に多 大な貢献をなしたこと,⑤近代的な経済政策理論の確立に与ったこと,⑥後進 国における近代的な開発計画論に重要な貢献をなしたこと。以上によってだけ でもティソバーゲンの研究の多彩さのほどが窺われよう。そればかりではな い。われわれの考えによれば,ティソバーゲンは以上のほかに経済体制論の角 度からしてもいくつかの特筆すべき貢献をなしたといわねばならない。それは ss) B. Hansen, Jan Tinbergen: An Appraisal of his Contributions to Economics, in, W.Sellekaerts(ed.), In施rnα彦ional Trade and∬inance, E∬ays in HonozarげJan Tinbergen, London !974, p, 16.70 彦根論叢 第227号 次の二点に集約することができる。ひとつは「最適体制の理論」(theory of the optimum regime)であり,残りのひとつは「南面説」(convergence theory)であ る。まず前馬からみていくと,ティソバーゲンは,最適体制の問題を「制約条 ラ 件を考慮しつつ最大限の厚生に寄与する一組の諸制度を発見すること」と定式 化した。かくてかれは厚生経済学の手法(社会的厚生関数)をもって社会的厚生 を極大化しうる制度的条件の解明にあたり,次のような注目すべき結論に到達 している。すなわち,如上の意味での最適体制は,「公企業および微税国家」 57) と「私企業」とが並存した「混合経済」のほかにない,と。このようにティン パーゲンの最適体制論は,一言にしていうならば,厚生経済学の立場からする ヨ 混合経済体制の根拠づけと解することができるであろう。 次に収敏説についてであるが,ティγバーゲンは1961年にイギリスの東方研 究の専門誌“SQviet Studies”に“Do Communist and Free Economies a Converg− ing Pattern?”と銘打った一文を上梓し,この中で現実の観察を通して東の体制 (共産主義または社会主義)と西の体制(自由主義または資本主義)が互いに歩み寄り つつあるという結論を下した。このようなティソバーゲンの所説はすぐさま国 際的な反響を呼び,各国の学者や言論人や実際家の注目を集めるところとなっ た。以後60年代から70年代前半にかけてこのような収風説をめぐって賛否両論 白熱した論争が繰り広げられたことはわれわれの記憶に新しいところである。 ティソバーゲソ自身はこの論争の中心にあって自説をいっそう強固にすべく引 き続き論陣を張った。そしてその主張は“Die Rolle der Planungstechnik bei einer AnnEherung der Strukturen in Ost und West”という論文の形で公表 56) J. Tinbergen, Some Suggestions on a Modern Theory of the Optimum Regime, in, C. H. Feinstein (ed), Soctalism, CaPitalism and Economic Growth, Essays Presented to Maurice Dobb, Cambridge !967, p. 127 57) Tinbergen, Some Suggestions, op. cit., p. 128. 58) このようなティンバーゲソの最適経済体欄論については丸谷冷史氏に簡にして要を 得た紹介がある。次の文献を参照されたい。丸谷冷史,「ティンバーゲンー最適体 制の理論」,野尻武敏編著,『現代の経済体制思想』,新評論,1976年所収。
技術と経済体制 (2) 7! お された。この論文が出たのは1966年であったが,その意義は1961年の論文lt 一一 歩進める形で東西両体制の第3の体制への既望を促す原動力を明示したことに ある。結論を先取りしていえば,66年論文の表題にもあるとおり「計画技術」 (Pエanungstechnik)がその原動力とされたのである。 以下では如上の収骨説に視点を限定して,ティンバーゲンにおける技術と経 済体制の問題をみていくことにしたい。 (2)まず最初に,ティンバーゲンにおける経済体制(economic regime)とeま 何か,ということからみていくことにしよう。この問いに対するティンバーゲ ン自身の解答は次のごとくである。 まず含経済体制は漠然とした規定ではあるが「その経済の秩序あるいは制 度」と定義されている。ティンバーゲソによればこの概念には二つの事柄が含 まれている。すなわち,「ある手段もしくはある行為」と「組織」とがこれで 61) 6Z) ある。前者の行為(act・on)はさらに自然的行為と制度的行為とに二分される。 ここに自然的行為とは,自然的行為者たる生産単位や消費単位の行なう行為, つまりは生産,交換ならびに消費を意味する。これに対して制度的行為とは, 制度的行為者(たとえば国家,地方公共団体,社会保障機関,カルテルならびに労働組 合など)が行なう行為,すなわち政策手段,税支払い,独占価格設定などにほ かならない。以上の二種類のものを含む行為はまた経済過程(economic process) う とも呼ばれている。他方,組織(organisatiQn)については体系的な説明はみら れないが,ティンパーゲンはその具体例としてたとえば租税制度,消費財の配 59) この論文の内容は1965年に開かれた「ドイツ東欧学会」(Deutsche Gesellschaft fbr Osteuropakunde)の大会で口頭発表されたものである。 60) 工Tinbergen, The Theory of the Optimum Regirne, in his Selected pmpers, Amsterdamユg59,ヤソ・ティン・ミーゲンJ「最適体制の理論」,加藤寛古田精司監 訳,『最適体制の経済学』,東洋経済新報社,昭和51年所収,133ページ。 61) ティンバーゲソ,「最適体制の理論」,133ページ。 62) ティソバー.ゲン,「最:適体制の理論」,133−i34ペーージ。 63、 ティンバーゲソ,「最適体制の理論」,134ページ。
72 彦根論叢第227号 64) 分制度,市場制度,価格制度および賃金制度などを挙げている。これらの事例 からしてここに組織とは経済体制の質的制度的構成要素であることが知られる であろう。 (3)さて,われわれは次にティンバーゲソの収雷魚を問題にすることとしよ う。先にふれたように,かれが東西両体制の接近を正面切って唱えたのは1961 年の論文においてであった。この論文は,現実の観察を通して東西両体制が互 いに他からの影響を受けつつそれぞれ変化しつつあること,しかもその変化の 方向が相互接近の道をとりつつあることを指摘したものであった。ティンバー 65) ゲンが指摘した東西両体制の変化の態様は次のごとくである。 東の共産主義……①経営の専門化,②賃金の差別化の実施③貨幣,価格および費用 の重要性の承認,④費用要素としての利子の承認,⑤消費選択の自由化,生産目的として の消費の重視,⑥計画の数学的方法の承認とその導入,⑦国際貿易の意義の承認。 西の自由主義……①公共部門の拡大,②租税の役割の増大および公共部門の貯蓄の 割合の増大,③自由競争の制限,④反トラスト法による企業の自由の制限,⑤教育の機会 の拡大および義務教育の拡大,⑥不安定市場における市場勢力の規制および国際的な商品 協定の増大.⑦私的大企業および国家の経済政策における計画の意義の増大,⑧インフラ ストラクチュアへの公共投資の増大,⑨一定の価格・賃金統制の実施。 しかしながら,61年論文におけるティンバーゲンの筆致はきわめて慎重であ り,他方で東西両体制のあいだに横たわる懸隔はいぜんとして大きいと指摘す 66) ることをも忘れてはいないのである。また,61年の論文には東西両体制の相互 接近を推進する原動力にかんする論述もなかった。ところが先の1966年の論文 になると,この原動力にかんして明確な指摘がなされると同時匠東西両体制の 第3の体制への収敏がよりいっそう積極的に主張されるようになるのである。 本稿のテーマたる技術と経済体制の関連からして重要と思えるのはこの66年論 64) 」. Tinbergen, Economic Poliay: Principle and Design, 4th revised printing, Amsterdam 1967, p. 4, pp. 149−150. 65) J. Tinbergen, Do Communist and Free Economies Show a Converging Pattern ?, in, Sowiet Studies, Vol. )or, No. 4, April 1961, pp. 333−335 66) Tinbergen, Do Communist, op. cit., pp. 335−336.
技術と経済体制 (2) 73 文のほうである。なぜかならば,われわれのみるところ,この論文において技 術が経済体制の変動を規定するというティンバーゲンの見解がもっとも典型的 に示されているからである。そこで以下ではこの66年論文に視点を限定してわ れわれの解釈を述べていくことにしたい。 一 (4)われわれは,66年論文におけるティンバーゲンの主張のポイントは次の 一文に集約されている,と考える。すなわち,「東と西の社会政策および経済 政策の諸目標は一私見によれば一互いにますます接近しており,しかも考え られうる数多くの構造のうち最適構造はただひとつしか存在しないことからし て二つの構造は徐々にこの最適構造へ進んでいくであろう。このような収敏 は,社会的諸力のよりよき認識,したがってまた使用される計画技術によって ビアラ 推進される」というのがこれである。この引用文から明らかなようにティンバ ーゲンは,東西両体制は「社会智力のよりよき認識」(eine・bessere・Ke皿tnis der Sozialkrafte)ならびに「計画技術」(Planungstechnik)によってあるひとつの最: おう 適体制へと展開していく,と考えている。ここで問われねばならないのは以下 の二点である。まず第1はここにいう最適体制とは何かという問題である。こ れについてティソバーゲンは言明を避けているが,66年の論文のほか関連のい くつかの論著の解釈に立って判断すると,それは上述の厚生経済学的な意味で の最適体制であるといって間違いない。とすると,東西両体制がそれぞれ向い ゆく第3の最適体制とは私的部門と公的部門とから成る混合体制ということに なる。 間われるべき第2の点ぱ収劔促進の原動力の問題である。先の引用文では 「社会諸力のよりよき認識」と「計画技術」とが収敏化の原動力として挙げら れた。一見,漂動序説の印象を受ける。たしかに表面上はそのとおりなのであ 67) J Tinbergen, Die Ro1ユe der Planungstechniken bei einer Annaherung der Strukturen in Ost und West, in, E Boettcher(Hrsg.), Wirtschafts♪lanung im Ostblock, Begtnn eiアzer Liberalisierecng ?.,Stuttgart・Berlin・K61n・Mainz 1966, S.35. 68) ティγバーゲンにおいては構造(Struktur)と体制(Systemまたはreg2me)は同 義である。
74 彦根論叢 第227阿 るが,しかしながら論理の糸を注意深く手繰っていくと,これら二つの動因は 同一の平面上にないことが明らかとなる。すなわち,われわれの解釈によれ ば,前者よりも後者のほうがより決定的な原動力と考えられているのである。 これを具体的に説明すると次のごとくである。まずここに「社会二三のよりよ き認識」とは,社会的諸機構iの作用や人びと即詰の行動態様にかんする(教条 的あるいはイデオ・ギー的でない)合理的かつ科学的認識といったほどの意味であ る。ティンバーゲンによれば,このような認識態度はことに東西の経済学者の あいだで醸成されつつあり,このような傾向がいっそう進行するならば一し たがって脱ドグマ化や脱イデオロギー化が進行するならば一,東西の経済学者のあ いだにおける科学的かつ客観的な意見交換がいっそう活発となり,このことに よって東西両体制の第3の最適体制への収敏が推進される,という。ここで問 われねばならないのは,このような合理主義的態度を醸成するに至らしめる要 因は何か,である。この点にかんするティンバーゲソの論述を解釈すると,そ れは計画技術だといわねばならない。すなわち,東西の経済学者のあいだの意 見交換に道を拓いたのは東西における計画技術の類同化なのである。そして東 西双方における計画技術改善をめぐる努力こそが効率中心の合理的発想を普及 せしめるに至ったのである。以上よりして計画技術の類同化が体制収敏の決定 因であることが知られるであろう。そこで次にわれわれはこの計画技術の類同 化を問題にしなければならない。 (5>まず最初に計画技術の概念からみておくことにしよう。この点にかんす るティンバーゲンの論述をみると,かれはこの概念を広く捉えていることが分 かる。つまり,この計画技術には計画方法ばかりでなく計画管理組織も含めら れている。また,このばあいの「計画」は東の伝統的な指令的計画(imperative planning)のみならず西の指示的計画(indicative planning)をも含んでいる。 さて,ティンバーゲγの確定するところによれば,東の計画は伝統的にミク ロ経済志向および経験的方法(試行錯誤)をもって特微づけられるのに対し,西 69) Tinbergen, Die Rolle, a. a, O., S, 36.
技術と経済体制 (2) 75 の計画はマクロ経済志向ならびに科学的方法(とくに計量経済学的方法)をもつ アの て特徴づけられる。歴史的にみると,東の計画と西の計画とはしばらくのあい だそれぞれ没交渉のままで発展したが,50年代半ばごろから両者のあいだに交 流がみられるようになった。ティソバーゲンによると,その決定的な契機とな ったのは西側の「投入一産出分析の方法」と東側の「バランス化方法」との内 容的同一が東西で確認されたことと,いわゆるリニア・プμグラミソグに対す ア る東西双方の関心が一致をみたことであった,という。これ以後計画技術の分 野における東西の交流が活発となり,東では西の科学的(ことに計:量経済学的) 方法に注意が向けられ始め,一方,西でも東の諸経験に学ぼうとする気運が高 まりつつある。かくてティンバーゲンによれば,計画技術の面でのこのような 接近や類同化によって東西間で学問交流がいっそう推進されて科学的経済理論 の認識が普及し,このことを通して東西間で最適体制についての合意が形成さ れることになるだろう。これと同時に東と西のあいだの社会経済政策目標の差 ラ 異も狭まって「全国民の福祉」が東西共通の目標となるであろう。こうしてテ ィンパーゲンは,これらを通して東西両体制は第3の最適体制へ収敏しゆくで アき あろうと結論づけている。 〔6)上述のところを踏まえてわれわれのテーマの角度からティンバーゲン説 を特徴づけると次のように要約することができよう。 まず第1に,われわれの知るかぎり,ティソバーゲンには技術それ自体にか んする論述はない,ということを確認しておかねぽならない。もとよりティン バーゲンは技術について全く言及していないというのではない。ただ,問題と されているのは技術一般ではなく特定の具体的な技術である。たとえば,経済 との関連で生産技術や教育技術などが指摘されている。だが,これらの技術と 経済体制との関連は問われないままに終わっている。むしろ議論の中心に置か 70) Tinbergen, Die Rolle, a. a. O., S. 37. 71) Tinbergen, Die Rolle, a. a, O,, S. 39−42. 72) Tinbergen, Die Rolle, a. a. O., S. 47. 73) Tinbergen, Die Rolle, a a. O,, S. 47−48.
76 彦根論叢 第227号 れたのは先のとおり計画技術である。 第2に指摘すべきは,ティソバーゲンの経済学体系の中で技術はいかなる位 置を占めるか,である。言い換えると,技術は経済に対してどのような位置を 占めるか。技術は経済の内にあるのか,それともその外にあるのか。これにつ いてティンバーゲンは言明していないが,われわれの解釈によればティンバー ゲソは明らかに伝統的な合理理論の流れの中に身を置いていることからしても 技術を経済を取り巻く環境条件のひとつとみている,と考えられる。したがっ て,ワイペルト流にいうならば経済は理念的実在(ldealwirklichkeit)として捉 えられているのである。 かくて第3に,論理的に考えると,ティソバーゲソにあっては経済の外にあ る技術がそのときどきの経済体制の形状を規定する有力なファクターであると 同時に,経済体制を一定の方向へ変型せしめる原動力と考えられている,と結 論づけることができよう。この意味でティンバーゲソの学説は技術論的または 社会工学的色彩の濃いものであるといっても過言ではあるまい。 (7)ちなみに如上のところがら知られるように,ティンバーゲンは混合体制 禦i護の立場に立つ。この限りではリヅチュルと同様である。ただ,混合体制選 択の根拠づけの面では両者のあいだに違いがある。先に関養したようにリッチ ュルが哲学的原理的方向をとったのに刻し,ティンバーゲンは効率中心の経済 理論的な選択根拠を示したのである。このことに関連するが,一般にティンバ ーゲンを始めとする収敏論者たち一たとえばガルブレイス(JK. Galbraith)やワ ィルス(P.J. D. Wiles)ら一は,混合体制擁護の立場に立つとともに,経済体 制の把握にさいしてプラグマティックな立場をとるといわねぽならない。すな わち,収敏論者には経済体制ならびにその構成要素を合理的操作の対象とし て手段化しようとする態度がみられる。「市場と計画は互いに排除しあう組織 アの 化原理ではなく,これら二つは同時に使用可能な経済的道具である」というハ 74) G. N, Halm, Will Market Economies and Planned Economies Converge? in, E. Streissler (ed.), Roads to Freedom, Essays in ”onour of Friedrich A, won HaJ,ek, London 1969, p・ 76」
技術と経済体制 (2) 77 ルム(G.N. Halm)の発言がかれらの立場を的確に捉えているQ「用具論者」 (instrumentalist)と称されるゆえんである。
皿体制中立説
最後にわれわれは,ター一・ルハイムの学説を取り上げることとしよう。 (1)カールC.タールハイムは,現代ドイツ語圏の経済体制論を代表する論 者のひとりである。この方面でのかれの研究活動は多彩であり,理論と実証の 両面で数多くのすぐれた業績を残している。 タールハイムは戦前にはゴヅトルの線上に立って包括的な経済構造論を打ち 立てた論者として知られていたが,戦後は次第に実証的な経済の比較研究に研 究の関心を移していった。すなわち,かれは1951年にベルリン自由大学に設立 された東欧研究所(Osteuropa Institut)の主宰者のひとりとしてことに東欧経 済の実証的研究に取り組むかたわら,後進の育成にもあたってきたのである。 タールハイムの尽力もあってこの東欧研究所は現在では西側ドイツ語圏の東 方研究(Ostforschung)の中心の地位を占めるに至っている。そして東欧研究所 のター・一ルハイム・クライスからはクニルシュ(P.Knirsch),フヨルスター(W. F6rster),ヒョーマン(H.一H, H・hmann)といった著名な東方研究家が輩出して いる。 以下では,タールハイムが戦後の実証的研究の中で打ち立てた経済体制学説 を中心にしてその技術と経済体制の関連を明らかにしていくことにしたい。 (2)タールハイムの体制問題への接近方法は形態論(Morphologie)をもって 特徴づけられる。これはドイツ語圏では伝統的にとられてきた方法であり,ゾ ムバルトおよびリッチュルの学説もこの:方法に依拠していることは先にみたと 7s) K. W. Rothschild, Socialism, Planning, Economic Growth, Some Untidy Remarks on an Vntidy Subject, in, C. H, Feinstein (ed・), SDcialism・, Capitalism and Eco− Izol」ziC Gf.ozvth, Essays presented to Maurice Z)obb, Cambridgeユ967, p.162.ちな みに,ロートシルトは計画と市場は両立しえないとする自由主義者および保守的マル クス主義者を「原則論者」(fundamentalist)と呼んでいる(p.162)。78 彦根論叢 第227号 おりである。われわれはタールハイムの経済体制形態論の検討に先立って,ま ずかれがどのような意図をもって自説を展開したかという点を明らかにしてお かねばならない。 タールハイムが研究の対象としているのは現代における東西の諸経済体制で ある。かれは,これらの体制は東西を問わず例外なしに混合体制であるという 認識から出発し,これを有効かつ的確に把握しうるシェーマを追究する。ター ルハイムによれば,伝統的な(たとえばオィヶン流の)理念型的純粋モデルのシ ェーマ(自由市場経済一中央管理経済)をもってしては現代の混合諸体制を的確 マの に把握したり比較したりすることはできない,という。かくてタールハイムは, このような批判に立って現実適合的な形態論的装置の確立をめざしたのであ る。つまり,タールハイムの学説は,このようにもともと現実適合的な体制把 握を,したがってまた有効な体制比較を可能ならしめるような形態論的装置を 確立しようとするかれの意図に発している,といえるのである。 (3)さて,われわれは次にタール・・イムにおける経済体制(W・rtschaftssystem) の概念内容を明確化する作業に取りかかることにしよう。われわれのみるとこ ろではこの概念内容は必ずしも明確に規定されているとはいいがたいが,た だ,タールハイムはこの概念に対してオイケン(W.Eucken)の経済秩序(Wir− 77) tschafts・rdnung)と同じ内容を与えようとしていることは確かである。すなわ ち,タールハイムはオイケンに即しながら経済体:制を「そのときどきに実現さ アヨ れた諸形態の総体」と定義しているのである。ちなみに,オイケンによれば経 マ 済秩序は「具体的な実定的に与えられた事実」であった。つまり,経済秩序は 時と所でさまざまの形をとって存在する歴史的事実なのである。そしてオイケ ンは,このような歴史的カテゴリーとしての経済秩序をそのときどきの経済経 76)K.C. Thalheim, Systemtypische Merk皿ale vQn Wirtschaftsordnungen, in, H. Arndt (Hrsg.), Soxialzvissenschaftliche Untersuchu’ngen, Berlin 1969, S. 330. 77) Thalheim, Systemtypische Merkmale, a. a. O., S. 329. 78) Thalheim, Systemtypische Merkmale, a. a. O., S. 329. 79) W. Eucken, Die Grundlagen der Nationalokonomie, 8 Aufl., Berlin・Heidelberg . New York 1965, S. 238.
技術と経済体制 (2) 79 過(生産,分配,消費など)を規定する枠組み(Rahmen)と位置づけていた。タ ールハイムのばあいにもその論述の文脈からしてこのようなオイケンの考えを 受け継いでいると解釈しても間違いないと思われる。ついでにいうと,タール ハイムは経済体制のほか経済秩序(W・rtschaftsordnung)という概念をもしばし ば使用している。しかしながら,これらの概念の用語法を注意深く観察すると 両者の内容セこは開きがないことが知られる。そこで以下ではもっぱら経済体制 の概念をもってタールハイムの学説を検討することとしよう。 (4)さて,われわれの解釈によればタール・・イムの学説の柱をなす,いわゆ るキイ・ワ・・一一ドは「体制従属変数」(systemabhange Variablen)と「体制中立変数」 ラ (systemneutrale Variablen)の二つの概念である。ここに体制従属変数とは,一 口でいうと経済体制の構成要素にほかならない。具体的には後出の諸形態がこ れにあたる。かくて体制従属変数は,経済体制をいわぽ内在的に特徴づけるメ ルクマール(systemtypische Merkmale)ともなる。一方,これに対して体制中立 変数はこのようなメルクマールではない。したがってそれは経済体制の構成要 素でもない。むしろそれは経済体制の局外にあるファクターをさしている。言 い換えると,体制中立変数とは経済体制の違いを超えて世界各地に遍在してい るファクターなのである。ここで特筆すべきは,タールハイムがこのような体 制中立変数の代表例として技術(Technik)を挙げていることである。かれの言 さエ をもってすれば,技術は「どの経済体制においても使用されうる方法」なので ある。 ㈲ われわれはタールハイムセこおける技術の問題に立ち入るに先立って,か れのいう体制従属変数の細目について簡単に触れておくことにしたい。体制従 属変数すなわち経済体制の構成要素の種類とその数をタールハイムに即して示 すとするならぽ次のごとくである。 80) Thalheim, Systemtypische Merkrnale, a. a. O., S.332。 81)K,C. Thalheim, Bedeuten die Wirtschaftsreformen in den Ostblockltindern einen Systemwande正?, in, E. Boettcher(Hrsg.), WirtschaftsPla?zung im Ostblock, Beg−inn einer Liberalisierung 1,Stuttgart・Berlin ・ K61正i ・ Mainz!966, S.56. 82) Thalheim, Systemtypische Merkmale, a. a, O. S.332−338.
80 彦根論叢 第227号 ① 所有秩序……個人的所有,国家的所有など ②管理体制……市場価格機構詩旨心的中央計画など ③ 経済活動の目的……目的設定者,目.的設定の規定因 ④ 価格形成……自由市場的価格形成,行政的価格形成など ⑤ 競争および市場形態・…競争の機能,競争の範囲,競争の種類 ⑥ 経済生活のイニシアチブの担い手とその形態……活人,連含体,国家など ⑦ 所得分配の種類と形態……団体協約,国家による賃金制定など ⑧ 貨幣の機能……貨幣創造の条件など ⑨信用および銀行の機能……投資資金調達方式信用市場など ⑩ 対外経済関係の役割……対外経済関係の占める比重,対外収麦,対外経済関係 の管理方式など ところで上記10の体制従属変数は重要さの点ですべてが同列にあるのではな いということに注意しておかねばならない。タールハイムによれば,これらの うちで経済体制にとってもっとも重要な変数は所有秩序である。なぜか。ター ルハイムの言をもってすれば,「この点にr東』の体制とr西』の体制とのもつ う とも大きな,かつ決定的な差異が認められる」からである。この引用文から明 らかなように,タールハイムの所有秩序最重視の根拠は結局,現代における東 の体制と西の体制とを根本的に区別しうるメルクマールは何か,という問いに 還元されうるといえるであろう。したがって,このような根拠づけは原理的と いうよりはむしろ東西諸体制の比較からする現実的実証的なものであるといわ ねぽならない。さらにタールハイムは,所有秩序のほか管理体制(Lenkungssy一 きの stem)一つまり需給の調整体制一をも重要視している。その根拠は明示されて はいないが,ともあれ確かなことはタールハイムにあっては所有と管理(また は調整)が経済体制を根本的に細微づける基本的要素と考えられていることで ある。 ちなみに,ター・ルハイムは以上の体制従属変数のほか,経済体制の特徴づけ 83) Thalheim, Systerntypische Merkmale, a. a. O,, S. 332. 84) Thalheirn, Systemtypische Merkma工e, a・a・O. S.341.
技術と経済体制 (2) 81 にとって重要であるにしても本来社会秩序に属する社会的諸メルクマール(社 会保障,労働市場,労働制度ならびに経営制度)ならびに法秩序の領域に属する諸要 うラ 素にも眼を向けている。 (6>さて,議論がやや前後したが,われわれは次にタールハイムにおける技 術の問題をさらに一歩踏みこんで考えてみることにしたい。この点にかんして まず指摘しておかねぽならないことは,われわれの知るかぎりタールハイムに おいてもゾムバルトが試みたような技術そのものについての一般的・根本的な 省察が欠如していることである。このかぎりではリッチュルやティンバーゲン と同様なのであるが,しかしタールハイムは技術にかんして全く言及していな いというわけではむろんないのであって,具体的な技術形態についてはこれを 論著のそこかしこで指摘しているのである。タールハイムが挙示したこれらの ラ 技術形態の一端を拾い上げてみると,次のごとくである。原動機,蒸気機関, 電動機,交通技術,人造原料の生産技術,人造ゴム製法,原料の獲得方法,セ メントの製法,計画技術(投入一産出方法,リニア・プログラミング)oこれらの具 体例からして,タールハイムが念頭に置いている技術とは先にみたゾムバルト の意味での生産技術(または経済的技術)であると解しても不当ではあるまいと 思われる。 他方,タールハイムは技術と経済精神(または経済意向,Wirtschaftsgesinnung) との関連にも言及することを忘れていない。むろん,両者の関連について体 系的な説明があるというのではないのだが,たとえば伝統主義の支配した中世 の社会では技術的発明や技術革新に対する否定的態度がみられたことを指摘す るあたりはゾムバルトを彷彿とさせるものがある。ちなみに,経済精神という 用語自体,タールハイム自らが明言しているとおり,ゾムバルトに直接由来す 85) これらについては次の個所を参照。Thalheim, Systemtypische Merkmale, a. a. 0.,S.329,339−340. 86) Thalheim, Bedeuten, a. a.0., S.57−58, K. C. Thalheim, Aufriss einer volksw− irtschaftlichen Strukturanalyse, in, Zettschrift fur clie Gesamte Staatsxvi∬enschaft. Bd.99, Heft 3,1939, S.482−484.
82 彦根論叢 第227号 きマう るものである。 (7)先に触れたように技術は体制中立変数であり,タールハイムの表現を借 りるならばどの経済体制においても使用しうる方法であった。ここで注目すべ きことは,タールハイムはこのような技術観をもって一方でティンバーゲンの 収旧説を,他方でゾムバルトの所説を批判していることである。そこで次にこ れらの批判の骨子を紹介しておくことにしたい。 まず,ティンバーゲンの収敏説批判の内容からみておくことにしよう。ター ルハイムが論難するのはティンバーゲンの66年論文であるが,その批判の鉾先 は何よりもティンバーゲン説の技術論的な立論方法にさし向けられている,と いえる。タールハイムによれば,ティンバーゲンは計画技術の類同化をもって ただちに東西両経済体制の収敏を結論づけているが,しかしこのような論法に は決定的な難点がある,という。というのは計画技術は経済体制を特徴づける ものでも,これを構成するものでもなく,むしろ東西両体制のいずれにおいて も使用可能だからである。これについてタールハイムはティソバーゲンが注目 した投入一産出方法を取り上げて次のように述べている。「私見によれば,これ は自由市場経済においても,規制市場経済においても,また集権計画経済にお さの いても使用することができる」と。さらに,これと同じことは数学的ならびに の 計量:経済的な方法やリニア・プログラミングについても妥当する,という。以 上がティンバーゲンの収敏説に対するタールハイムの批判の主たる内容である が,これは要するにティンバーゲンには経済体制それ自体の収敏の証明がない ということに帰着する。さらにタールハイムは以上の批判のほか,東西両経済 体制のあいだの相違はスターリン時代に較べて狭まったにもかかわらず,むし ろ両体制のそれぞれは多様化の道をたどり始めており,たとえば単数型で「東 の の経済体制」とはいえないような状況が出現しつつある,という現実認識でも 87) Thalheim, Aufriss, a. a, O,S. 481. 88) Thalheirn, Bedeuten, a. a. O., S. 56, 89) Thalheim, Bedeuten, a. a. O., S. 57, 90) Thalheim, Bedeuten, a. a. O., S. 59,
技術と経済体制 (2) 83 ってティンバーゲンに反論を加えている。 ちなみに,ティソバーゲン流の技術論的な収敏説に対してはタールハイムのほかさまざ まの思想系譜に連なる数多くの論者から反論が加えられてきた。なかでも興味深いのは新 自由主義者とマルクス主義者の批判である。両者はいうまでもなく思想的には対立する が,しかし意外にも経済体制論の分野ではその基本的な立論方法の面で一致をみせている のである。たとえば,経済体制の類別にかんする基準一元論(新自由主義:需給の調整方 式,マルクス主義:生産手段の所有方式),経済体制の二分法(新自由主義:市場経済一 中央管理経済,マルクス主義;資本主義一社会主義)ならびに(資本主義または市場経 済の構成要素と社会主義または中央管理経済のそれとは両立しがたいとする)「体制非両 立論」 (Unvereinbarkeitslehre)などを共通点として挙げることがでぎるだろう。これら からして収赦説に対する両者の批判の論理もまた一致するところとなる。これをごく簡単 に示すならば次のごとくである。両者はともに収敏説における「経済体制」論の欠如を指 摘し,技術的諸要素の類同化は認めるにしても東西両経済体制の基本構成要素の面での差 異はいぜんとして大きいことを強調する。たとえば東のマルクス主義者,レオンティエフ (L.Leontiev)やマイスナー(H. Meissner)らは経済体制の基本構成要素として生産手 段の所有方式と階級関係とを挙げ,これらにかんしては東西間に歩み寄りはみられないこ 91) とを力説している。他方,ヘンゼル(KP. Hensel)やハルム(G. N. Halm)らの新自由 主義者は,経済体制の基本構成要素として需給の調整方式(市場と計画)を最重視し, その非両立を強調すると同時に東西間における調整方式の差異はいぜんとして大きいとし 92) ている。 9!) この点については次の文献を参照。L. Leontiev, Myth about “Rapprochement”of the Two Systems, in, 」. S. Prybyla (ed.), ComParative Economic Systems, N. Y. 1969, H. Meissner, Marxismus und Konvergenztheorie, in, ’1)Virtsehaftswissenschaft, Jg. 16, 5, 1968, H.H. H6hmann, G. Seidenstecher, Sowjetische Politische Okonomie und Konvergenztheorie, in, F6rster/Lorenz (Hrsg.), Beitrage 2ur Theorze und Praxis von IVirtschaftssystemen, Berlin 1970. 92) これらについては次の文献を参照。G. N. Halm, Will Market Economies and Planned Economies Converge ?, op. cit,, K. P. Hensel, StrukturgegensHtze oder Angleichungstendenzen der Wirtschafts−und Gesellschaftssysteme von Ost und West P, in,01∼DO, Bd.皿,1960/61,拙稿,「体制収敷説批判一K. P.ヘンゼルの 批判を中心に」,『社会科学論集』(大阪府立大学)第4・5合併号,昭和48年5月。
84 彦根論叢第227号 (8)次にタールハイムによるゾムバルト批判に移ることとしよう。ゾムバル トに対する批判は次の一文に集約されている。すなわち,「ゾムバルトの措定 した経済体制の第3の要素つまり技術をば経済秩序の基準としての意義に徴し て判断すると,それは明らかに基準たりえないと筆者には思われる。技術は体 制中立的なのである。先端技術の諸原則に従って建設される硫酸工場はソ連で 93) も合衆国でも同じように稼動するのである」と。技術の体制中立説の立場をと るタールハイムであってみれぽ当然の批判だといえよう。ただ,このような批 判の背後にはタールハイムのいわゆる比較経済体制論的な関心があることを忘 れてはならない。前述のようにタールハイムはもともと現代における東西の諸 経済体制のいわば横断分析(QuerschnittsanalyseNご関心を寄せているのであり, したがってわれわれはこのような文脈の中でゾムバルト批判を捉えておく必要 があると考える。つまり,如上のタールハイムによるゾムバルト批判は,技術 はもはや現代の東西諸体制の横断的比較にさいしての有効な基準となりえな い,というかれ独自の考えに発しているとみなければならない。
IV結びにかえて
(1)以上のところがらして構成要素説とは技術を経済体制の内生変数として 位置づけようとするものであり,これに対して動的規定注説ならびに体制中立 説は技術を外生変数とみようとするものであることが知られるであろう。学説 史的に振り返ってみると,数の上では外生変数説のほうが多いことが分かる。 経済と他の生活諸領域を区別し,後者を与件として考察の外に置き,もっぱら 純経済的なファクターだけを研究対象とするという方法論が経済学の主流をな してきたことを思えば当然の結果だといえるかもしれない。このような事情は ドイツ語圏でも同じである。たとえば,オイケンに代表されるドイツの新自由 主義の経済体制論は技術を経済体制の環境条件つまり与件群に含めるのがふつ の うである。 93) Thalheim, Systemtypische Merkmale, a. a O., S. 341. 94) オイケンは,経済体制を取り巻く環境条件たる与件群として,1.経済活動の目的と技術と経済体制 (2) 85 (2)既述のところがら明らかなように,本稿はもともと技術と経済体制の関 連にかんしてわれわれ自身の説を展開することを意図したものではなく,この テーマについてこれまでどのような議論が提出されてきたかを概観し,もって われわれ自身の説の構築への準備作業の一環とするという意図をもって展開さ れたものである。この意味で本稿は学説史的検討の域を一歩も出るものではな いQもとより,ここに取り上げたのはわれわれの眼を通しえた4名の論者の 説にすぎないのであってみれば,学説史的検討の名にも値しないのかもしれな い。それほど本稿はささやかな試みでしかないのである。この方面の研究を体 系的かつ:本格的に試みようとするならば,ドイツ語ee IC限ってみても少なくと もマルクス,ゴットルならびにシュムペーター(JA, Schumpeter)の各論説に 言及しないわけにはいかないであろう。これらについては他日を期すほかはな い。そして将来,こうした研究の結果いかんによっては構成要素説,動的規定 因説および体制中立説というわれわれの分類も修正を余儀なくされることにな るかもしれない。しかるに本稿におけるわれわれの三分類は暫定的なものであ るということを断っておかねばならない。 ところで,われわれが技術と経済体制との関連という問題領域に研究の歩を 進めようと思い立ったのは実は比較経済体制論的な関心からであった。すなわ ち,複数の経済体制の比較にさいして技術は有効な基準となりうるか,がこれ である。もとより,このようなわれわれの関心なり問題意識なりは,上述のタ ールハイムの所説によって触発されたことをここに告白しておかねばならない であろう。だが,われわれの問題意識はタールハイムのそれよりも広いといわ しての欲求,2.自然,3労働4,生産された財のストック,5,技術知識6.法的社会 的組織の六つのものを挙げている。第5の技術知識には生産技術と商業技術が含まれ ている。このようなオイケンの所説については拙稿,「オイケンー新自由主義の経 済秩序形態論」 (野尻武敏編著,『現代の経済体制思想』,新評論,1976年所収)を参 照。もとより,新自由主義老の中には非経済的ファクターを経済体制の構成要素に含 める論者もいることを忘れてはなるまい。たとえばヘンゼルがそうである。かれは倫 理的要素と法的要素を構成要素としている。くわしくは,拙稿,「経済体制の比較基 準」,『彦根論叢』,第2!9号,昭和58年3月を参照されたい。
86 彦根論叢 第227号 ねばならない。なぜかならば,タールハイムのばあいには上述のとおり体制比 較といっても,もっぱら現代における東西諸経済体制の比較,したがって歴史 横断的な比較が問題とされているが,これに対してわれわれのぼあいにはこの 横断的比較に加えていわば歴史縦断的な比較をも視野に入れているからであ る。このような歴史縦断的な比較の方法はドイツ歴史学派の発展段階論に典型 的にみられることは周知のごとくである。そこで先の論述でもって本稿の所期 の目的は一応達成されたと思われるので,最後にこのようなわれわれの本来の 関心から二,三の所見を述べて本稿の結びにかえることとしたい。 (3)われわれの理解によれば,本稿で取り上げた4名の論者はいずれも経済 体制の比較にも関心を示している。ただ,ゾムバルトが歴史縦断的な比較に関 心を寄せたのに対し,残りのりッチュル,ティンバーゲンならびにタールハイ ムは歴史横断的な比較に興味を示したということに違いはある。 まず,ゾムパルトについていうと,かれは上に示した形態論的装置をもって の自給経済,手工業,資本主義を比較し各体制の特徴を描写することを試みた。 ゾムバルトがこのような比較を試みたのは,リッチュルがいみじくも指摘して う いるように,なによりも資本主義の本質を把握したいがためであった。つま り,かれの本来の関心は近代以前の諸経済体制と近代に成立してくる資本主義 とを対照せしめることを通して資本主義の歴史的個性を把握することに向けら れていたのである。ゾムパルトがなぜ技術を重視したかは,このような文脈の 中で捉えられねばならないであろう。近代合理主義の精神によって生み出され た技術は,近代以前の諸時代の技術とは質的に異なる原理の上に成立している という考えがゾムバルトの中にある。われわれの考えによれば,別稿でも指摘 う しておいたように,近代の資本主義と近代以前の諸経済体制の比較にさいして は技術は有効な基準となりうるであろう。 95) W. Sombart, Die Ordnung des Wirtschaftslebens, Beriin !925, S. 20ff. 96) H. Ritschl, Wirtschaftsordnung, in, HandwOrterbzach der Soxialxuissenschaften, Bd.12,1965, S.ユ92. 97)拙稿,「経済体制の比較基準」,91ページ。
技術と経済体制 ② 87 次にリッチュルのぼあいにはその包括的な形態論的装置でもって「自由経 済」,「独占資本主義経済」ならびに「社会主義経済」の三つの経済体制が比較 ラ されている。これらはいずれも近代に成立した経済体制であることを考え合わ せると,リッユルの体制比較は,一部縦断的な比較の面を残しながらも結局は 歴史横断的なスタイルをとっているといわねばならない。そのさい特筆すべき ことは,既述のとおり体制比較における技術の役割について否定的な発言がな されていることである。リッチュルの見解を解釈すると,現代の東西諸経済体 制はいずれも同一の技術(とくに生産技術)を使用していることからしてこれは 比較の有効なメルクマールとなりえないのである。これは要するに,同一の近 代技術に照応して資本主義と社会主義が並存しているという現実認識からきて いる。これらにかんするかぎり,リッチュルの考えとタールハイムのそれとは 符合している。そのタールハイムの体制比較の方法については再三にわたって 指摘したとおりであり,ここに再説する必要はあるまい。ただ,かれによるゾ ムバルト批判についてはここに二.三のことを付言しておかねばならないであ ろう。 (4)まず確認しておかねばならないことは,ゾム・ミルNこは資本主義と社会 主義とが長期にわたって並存しうるという認識が欠如していることである。言 い換えると,ゾムバルトは社会主義を資本主義の次にくるより高次の体制と捉 えていたのである。このような把握の仕方はマルクスやシュムペーターと同様 であるが,しかしゾムパルトの社会主義はマルクスやシュムペー転置と違って ゲルマン民族精神を基調としたNationalsozialismusたる「ドイツ社会主義」 (Deutscher Sozialismus)であった。もとより,ここにいうドイツ・社会主義とは 当為(Sollen)としてのそれであり,ゾムバルトにとってはめざすべき最:適体制 なのであった。このように解釈すると,タールハイムによるゾムバルト批判は gs) H. Ritschl, Theoretische VolksTe;irtschaftslehre, Erster Band, Grundlagen und Ordnungen der Volkswirtschaft, Ttibingen 1947, S. 136ff. 99) この点については次の書を参照。W. Sombart, Deutscher Soxialismus, Berlin 1934, 難波田春夫訳『ドイツ社会主義』難波田春夫i著作集10,早稲田大学出版部,昭和57年 8月。
88 彦根論叢 第227号 正鵠を射ているとはいいがたくなる。なぜかならば,タールハイムは同一の近 代的技術の上に資本主義と社会主i義が並存しているという視角からゾムバルト を批判しているからである。ゾムパルトには資本主義と社会主義の同時代的並 存という考えはないのであり,したがって当然のことながらかれにこれら両体 制の横断的比較を期待することはとうていできないのである。ゾムバルトが活 躍した両大戦間の時代は,社会主義の建設がまだ直直期にあったことがかれを してこのような考えに至らしめた一因であったことは間違いない。 第2次大戦後の現代は,事実が証明しているように資本主義と社会主義の並 存の時代である。したがってわれわれの考えによれば,現代に視点を限定して 横断的な体制比較を行なうとすれぽ,技術(ことに生産技術)はタールハイムや ユ ラ リッチュルやペータース(H−R.Peters)が指摘するとおり有効な基準とはなり えないであろう。というのは,近代的技術はもはや東西両体制のあいだに質的 な差異をもたらす要因ではなくなっているからである。 (5)最後にティンバーゲンの体制比較のスタイルに一言しておかねばならな い。ティンバーゲソの収敏説を通して判断するかぎり,かれの体制比較のスタ イルもやはり歴史横断的と解される。いうまでもなくかれのばあいにも東西両 経済体制が問題になっているからである。しかしこのぼあい注意すべきは,リ ッチュルやタールハイムと違ってティンバーゲンにあっては体制比較といって も東西両体制の変動の内容とその方向が比較の対象とされていることである。 このような意味でティンバーゲンの体制比較のスタイルは,いうなれば動態的 な体制比較をもって特徴づけることができる。いうまでもないことだが,この ような比較のヌタイルは他の収敏論者たちにも共通してみられるものである。 (完) 一1984・4・9一 100) H.一R. Peters, Ordnungstheoretische Anstitze zur Typisierung unvollkommener Wirtschaftsordnungen, in, Hamburger Jahrbuch fdir Wirtschafts−und Gesellschoft− s/)olitik, 18 Fahr, 1973, S, 59.