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『南島雑話』の構成と成立背景に関する一考察: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

『南島雑話』の構成と成立背景に関する一考察

Author(s)

河津, 梨絵

Citation

史料編集室紀要(29): 1-28

Issue Date

2004-03-29

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/7772

Rights

沖縄県教育委員会

(2)

史料編集室紀要 第29号 (2004)

南 島雑話

』の構成 と成立背景 に関す る一考察

河津 梨絵

1

は じめ に い 『南 島雑話』 は 「南 島研究のバ イブル」 とも評 され、奄美研究の基本文献 として高い価 (2】 値 が認 め られてい る資料である。多 くの絵 を交え、当時の大島の人々の生活や動植物の様 子が活 き活 きと描 き出 されてお り、歴史学、民俗学 をは じめ様 々な分野 で広 く活用 されて いるが 、その構成 、成立背景 に関す る考察 は まだ充分 には行 われている とはいえない。 し か し、資料か らその内包す る情報 を充分 に引 き出 し、理解す るためには、資料の構成、成 立背景 を きちん と押 さえ、その資料的性格 を見極 めることが必要である。 (:H 本稿 で は、『南 島雑話』 の主 な写本 である鹿児 島大学 附属 図書館本 と奄美博物館本お よ び東京大学史料編纂所本 の構成 を比較検討 す ることによ り、①現在伝 わる 『南島雑話』 は ついに清書 に至 らなかった未完の草稿 に基づ く写本であるとい うこと、(参奄美博物館本 ・ 東京大学史料編纂所本 と鹿児 島大学 附属図書館本 の間に、内容 は重 なっている ものの多数 認め られ る相違 は、それぞれの写本が異 なる段階の草稿 に基づいているためである とい う (1) こ と、(∋永井亀彦 の研究 に よ り 『南 島雑話』 の著者が、嘉永 3年 (1850)か ら安政 2年 (1855) まで大 島に配流 されていた名越左源太 とい う人物 であることが明 らかにされてい るが、『南 島維話』 を構成す る各巻 の うち、「南 島難詰」 お よび 「南島発話附録」 の両巻 は、 文政12年 (1829)か ら13年 (1830) にかけて横 目として大島に滞在 していた伊藤助左衡 門 に よって著 された 『南 島雑録』 とい う資料 の一部である とい うこと、(む伊藤助左衛 門に よ る 『南 島雑録』成立の背景 に、奄美諸 島 を含 む鹿児 島藩領内の島々における特産物全般 を 対象 と した藩 による専売体制整備 の動 きがあ った とい うことを示す ことによ り、豊かな内 容 を持 ちつつ も構成的に混沌 と した部分 を持 つ 『南 島雑話』 とい う資料 の構成 を整理 し、

KAWAZURie:A StudyoftheStructureandBackgroundoftheNantozalsuwa・

(1)原口虎雄 「南島難語 解題

『日本庶民生活史料集成 第一巻』三一書房、1968年 .(3頁)

(

2

)

本稿では奄美大島を大島と略称する。

(3)本稿では名瀬市立奄美博物館を奄美博物館と略称する。 (4)永井亀彦 『高崎崩の志士 名越左源太翁』1934年.

(3)

史料編集室紀要 第29号 (2004) あわせ て資料 成立 の背景 を確 認 し、その資料 的性格 を押 さえる とともに、資 料成立 当時の 奄 美 が置 かれ てい た時代状 況 の読 み取 りを試みたい。 (.r:)) なお、 『南 島雑 話』 とい う資料 名 は総称 で あ り、それぞれの写本 は複数 の巻か ら構 成 さ れ てい る。両者 を区別す るため、本稿 では総称 は 『南 島雑話』 と二重鍵括弧 に入れ て示 し、 個 々の巻 の名称 は 「大嶋窺 覧

「南 島難話」 な どと一重鍵括弧 に入 れて示す こととす る。

2

『南 島雑 話 』 の 諸 写 本 につ い て 『南 島雑話』 の ま とまった写本 と しては、鹿児 島大学 附属 図書館本 、奄 美博物館本 、東 ・=l 京大学史料編纂所 本 の3組が知 られ てい る。最 も早 い時期 か ら利用 が認 め られる写本 は、 (7) 鹿児 島大学 附属図書館本 の底本 であ る大 島島庁本 であ るが、 この写本 は所在 が不 明であ る。 、バL 鹿児 島大学 附属 図書館本 は 「南 島発 話 -

「南 島発 話 二

「南 島雑話 三

「南 島難 Ll= 詰

「南 島難詰 五」 の

5

巻、東京大学史料編纂所本 は 「大幡窺覧

「大幡便 覧

「大幡漫筆 全

「南 島雑 記 全

「南 島難詰 自-至二

「南 島難詰 三

「南 島難 詰附 1.lll 録 全」 の7巻 、奄 美博物館 本 は 「大幡痛覚 大幡便 覧 大幡漫筆

「地理纂考 通 昭録 南 島雑記

「南 島発話

「南 島難詰 附録

「川辺 郡七 島記」 の

5

巻 で構成 されて a(‖E い る。 この うち奄 美博物館本 に関 して は、「南 島雑記」 が 『薩隅 日地理纂考 』 の トカ ラ列 (12) 島関係 の部分 お よび 『通昭録』 の奄美 関係 の部分 の抜粋 と合冊 されてい る点 、 さらに トカ ラ列 島関係 の 「川辺 郡七 島記」 を伴 ってい る とい う点 が注 目され る

『南 島雑話』 に相 当 (5)昭和8年に永井龍一が刊行 した謄写本は、「南島難詰」--五により構成 される鹿児島大学附属 図書館本 (当時は鹿児島高等農林学校所蔵)を底本 とし、『南島難詰』の書名で刊行 された。そ の後、昭和59年に国分直一 ・恵良宏により 「大嶋縞覚 大幡便覧 大嶋漫筆

「地理纂考 通昭 録 南島雑記

「南島難詰

「南島難詰附録 仝」からなる奄美博物館本 (当時は永井昌文 所蔵)を底本 とする校訂本が刊行 されたが、このときも 『南島雑話』の書名が採用 されている。 (6)恵良宏 「『南島雑話』諸本校合経過

『南島椎話 1』平凡社、1984年.(V-xiv頁)永井亀彦 『高 崎崩の志士 名越左源太翁』1934年.(46頁) (7)大島島庁本に関 しては、鹿児島大学附属図書館本に写 し込 まれている覚書 より、新約中三の依 頼で、明治22年 (1889)に木脇啓四郎が筆写 したものであることが知 られている。(原口虎雄 「南島難詰 解題

『日本庶民生活史料集成 第-巻』三一書房、1968年.(3-4頁) (8)永井亀彦 『高崎崩の志士 名越左源太翁』で 「鹿見島高等農林学校蔵本」、恵良宏

『南島維 話』諸本校合経過」で 「鹿児島大学農学部図書館所蔵本」 と紹介されている写本。 (9)恵良宏

『南島雑話』諸本校合経過」で 「島津家御手許本」 と紹介されている写本。 (10)永井亀彦 『高崎崩の志士 名越左源太翁』で 「鹿鬼島市今井書店蔵本」、恵良宏 「『南島雑話

諸本校合経過」で 「永井昌文氏保管本」 と紹介されている写本。 (ll)鹿児島県教育会 『薩隅日地理纂考』鹿児島県教育会、1929年.(初刊は1898年) (12)鹿児島県立図書館に写本が所蔵 されている。

(4)

_2-史料編集室紀要 第29号 (2004) す る部分 は東京大学史料編纂所本 と同内容 である。 鹿児 島大学附属図書館本 は、東京大学史料編纂所本お よび奄美博物館本 と内容は重 なっ てい るが 、多 くの相 違 点が認 め られ る。鹿児 島大 学 附属 図書館本 の底 本 は、明治22年

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)

に木脇啓 四郎 によ り筆写 され、大 島島庁 に保管 されていた大 島島庁本である。大 島島庁本 に関 しては、鹿児 島大学附属図書館本 「南 島難詰 五」巻末 にこの写本作成 の中 心 となった小 出満二 によ り 「本書 は大島々鹿の所蔵 に係 る幕末 に成れ る もの ならん も其著 者 を詳 にせず 元画 図、雑記、地図、続及拾遺の五冊 よ り成 りLが如 きも火災の為 めに原 完本 を失- りといふ今残 れ るハ多 く謄写 に して何 の部分が原本 なるか を判 じ稚 く且つ前後 錯雑 の箇所 も甚 だ少 か らざるに似 た り」 と記 されてい る

「大島代官記」 に よる と、明治 (1.i) 39年 (1906) 2月

5

日に大 島島庁 で火災が発生、学校 を含 む人家231戸が延焼 してお り、 大島島庁本 はこの火災 によ り被害 を受 けたのではないか と推察 され る。なお、山下欣一に (H)

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E

L

)

)

よ り明治35年 (1902)か ら40年 (1907)頃の成立 と推察 されている 『奄美大 島試料』 には 大島島庁所蔵の 「南 島雑記」が参考文献 と して挙 げ られているが、大正

5

年 (1916) に大 島島庁本か ら写 された鹿児 島大学附属図書館本 には 「南 島雑記」 とい う巻名が確認で きな い。 また、奄美博物館本 ・東京大学史料編纂所本 の 「南 島雑記」の巻収録項 に相当す る項 が鹿児 島大学附属 図書館本では 「南 島報話

-

」 と 「南 島難詰 二」の二巻 に分かれて収 録 されてお り、 しか も本文 と挿絵 とが別 々に収録 されてい る もの も見 られ る。 これ らより、 大 島島庁本 には火災後、再整理の手が加 え られていた もの と推察 され る。

3

『南 島維話』 の構成 前述 した ように 『南 島雑話』の主要 な写本 は鹿児 島大学 附属図書館本 と奄美博物館本、 東京大学史料編纂所本である。 ここではこれ らの写本 の構成 を検討 したい。鹿児 島大学附 属図書館本 は火災後、再整理 の手が加 え られた とみ られる大 島島庁本 を底本 としているた め混乱が認め られ るが、奄美博物館本 と東京大学史料編纂所本の構成 を理解 した うえで検 討す ることによ り構成が見 えて くるため、先 に奄美博物館本 と東京大学史料編纂所本 の検 討 を試みたい。 (13)福岡大学研究所編 「大島代官記

『道之島代官記集成』福岡大学研究所、1969年.(102頁) (14)山下欣- 「東恩納寛惇奄美大島明治四十三年八月採集ノー ト

『薩琉文化』 第43号、鹿児島短 期大学付属南 日本文化研究所、1993年.(3頁) (15)鹿児島県立図書館に写本が所蔵 されている。

(5)

-3-史料 編 集室 紀 要 第29号 (2004) (1)奄 美 博 物 館 本 ・東 京 大 学 史料 編纂 所 本 の構 成 奄美博物館本、東京大学史料編纂所本 は、巻数が異 な り、底本 に書 き込 まれていた加筆 修正箇所の処理の仕方が異 なることに由来す ると考 えられる文章の異同が見 られ、 また奄 美博物館本 には脱落箇所が十箇所 ほど確認 されるが、両者は同系統の写本である。それぞ れ分冊、合冊があるが、基本的に 「大幡鏑覧

「大嶋便覧

「大幡漫筆

「南島雑記

「南島 難

「南 島難詰 附録」の巻構成 となっている。 奄美博物館本 と東京大学史料編纂所本 は、 2組の編集段階 を異 にする草稿群 と1組の写 本 を基 に編集 された写本 と考え られる。後の

「4

「南 島難

「南 島難詰附録」の位置づ け」で詳述す るように、「南島難

「南島難詰附録」の巻は名越左源太の著作ではな く、 伊藤助左衛門による 『南 島雑録』の一部である。そのため、 ここでは 「大幡窺覧

「大幡 便覧

「大嶋漫筆

「南島雑記」の巻の構成 について検討 したい。 東京大学史料編纂所本の 「大幡痛

覚」

「大幡便覧

「大幡漫筆

「南 島雑記」の巻 に収録 されている項 は次 の ようになっている (見出 しが付 け られていないが、内容的に前後の 項か ら独立 してい る部分 には仮見 出 しを付 け、丸括弧 に入れて示 している)。 「大境痛覚

高頭 の手 嶋 中富納 米 の事 高配昔 の事 郷 士 高の事 排芸事 附 リ稲 再熱 の事 稲貯 の事 附 リ稲掛斤量 の事 麦作 の事 蕎麦 の事 案 の宇 山 畠の事 甘藷 の事 甘藷苗 の事 甘藷 畠の事 甘藷植 付 の事 甘藷掘 の事 甘藷 二度 生 の事 ムキ ダ子 の事 甘藷菟調 の事 「大噂漫筆

居 室倉廉 飲食 島民食物 ノ事 味 噌之事 味 噌漬 ノ事 醤油之事 酢之事 菓子之事 取肴 ノ事 焼 酎製法之事 造酒製法 之事 砂糖 製法 ノ事 「南島雑記」 地震 ノ事 鼠之事 チャチ玉之事 薪之事 鉢植薙戴之事 ヒンチャ之事 季候之事 嶋民食物之事 手拭之事 ヲナベ ノ事 笠之事 味 噌之事 味 噌漬 ノ事 醤油之事 酢之事 居 室倉摩屋敷構之事 井戸之事 白灰之事 ユ タ之事 焼酎製法之事 砂糖製法 ノ事 ウルワリ 九寓疋魚釣 ノ事 麦作之事 蕉鉄之事 (魚名一覧) (漁期 一覧) (イカ引 ノ事 ) 自力子 花 狗 之事 猫之事 賓徳佐和雄唐噺 婚姻之事 -4-「大特使覚」 衣服 養憲之事 芭蕉之事

(6)

史料 編 集室 紀 要 第29号 (2004) これ らの巻 に関 しては、 まず、全体 を通 して清書 にあたっての指示 などが写 し込 まれて い る ことか ら、原本 は清書本 ではな く革稿本 であ った こ とが分 か る。 しか し、「大幡窺 覧

「大幡便 覧

「大幡漫筆」の巻は、比較的書 き込みが少 な く、 また、「大幡稿覧」 は冒 頭の4項以外 は主 に農耕関係 、「大嶋便覧」 は衣服関係、「大幡漫筆」 は住、食関係 と、特 定の主題の もとに巻が まとめ られていることか ら、これ らの巻の原本は比較的編集が進 ん だ段 階の草稿 であ った と推察 される。 また、「大幡」で始 まる巻名 に統一 されていること か ら、 この3巻の原本 は同 じ編集段階の草稿であった と推察 される。 成立年 に関 しては、「南島雑記」の巻収録の 「鼠之事」の項は、「予昨年来テ此嶋 ヲ窺 フ ニ」 と記 され てい る こ とか ら、名越左 源太が大 島 に配流 され た翌年 にあた る嘉永4年 (1851)に執筆 された ことが分かる。同 じく 「猫之事」の項は 「一昨年 ノ夏此島二渡 ツテ 今年モ半二及ヘ リ」 とい う記述がみ られ ることか ら、嘉永5年 (1852)に執筆 されたこと が分 かる

「婚姻之事」の項 に関 しては、同項 に相 当す る内容 を持つ辛亥 (嘉永4年)3 H() 月成立の草稿本 『雑記下書』が現存 している

『雑記下書』 には 「清書 ノ時ハ嫁ニハ ロ疋 壱人可有之其外馬上不馴 ノ人へハロ引可有之ナ リ」 とい う書 き込みが見 られるが、 この一 文 は、「南 島雑記」の巻収録の 「婚姻之事」の項 に もその まま写 し込 まれている。 これ ら によ り、「南 島雑記」 の巻が嘉永4年 (1851)か ら5年 (1852)ごろに成立 した と考 える ことがで きる。 また、「南島雑記」の巻収録の 「焼酎製法之事」の項 には 「嘉永七年四月 ノ大 島商物帳亀 図 ノ横 折 二焼酎煎 ノ給 図 ア リ」 とい う書 き込みが見 られるが、「大幡漫 筆」 の巻収録の 「焼酎製法之事」の項 には絵が加 え られている。従 って、「大幡漫筆」の 巻 は嘉永7年 (1854) 4月以降に成立 した とい うことになる。 「焼酎製法之事」のほかに も編集の前後が うかがえる項が確認 される

「大嶋縞覧」の 巻の 「麦作の事」の項 は 「南島雑記」の巻収録の 「麦作之事」の項の文章 に 「麦突の図」 を加 えた ものである。 また、「大幡漫筆」の 「居室倉

摩」

「味噌之事

「味噌漬 ノ事

「酢之 事

「砂糖製法 ノ事」の項は、「南島雑記」の巻収録の同内容の項 に図を加え、文章 に も手 を加 えた もの となっている

「南島雑記」 の巻 に対応項が認め られない 「大幡便覧」の巻 に関 しては、その底本 と見 られる革稿本 『大幡便覧』が鹿児島県立図書館 に所蔵 されてい (】7) るっ なお、奄美博物館所蔵の名越左源太関係資料 中には衣の絵 があるが、 これは草稿本 『大幡便覧』 よ り前の段階の草稿 とみ られ興味深い。「大幡稀

「大嶋漫筆」の巻 に収録

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)

奄美博物館所蔵の 『雑記下書』と、鹿児島県立図書館所蔵の 『大幡便覧』には、「名越時敏 十三冊ノ内」と記された小紙片が貼 り付けられており、同様の冊子が13冊存在 していたことが 分かる。 (17)仮整理記号 ① (3)27

(7)

_5-史 料 編 集 室 紀 要 第29号 (2004) されているが 「南 島雑記」の巻に対応項がみあた らない項 も、現時点では確認 されていな いが、他 に も存在 していた と推察 される 「南 島雑記」 と同 じ編集段階の草稿群や、奄美博 物館所蔵の名越左 源太関係資料中に見 られるようなさまざまな覚書、スケ ッチなどを基に 編集 されていった ものであろう

「大境便覧

「大嶋漫筆

「南島雑記」の巻 に 「木 ノ部」 「草の部

「生類 ノ

「横折 ノ帳」 など、現在確認で きない他の巻への言及が見 られるこ とにも注 目 してお きたい。 以上 よ り、奄美博物館本 ・東京大学史料編纂所本の各巻が基づいている草稿の相互 関係、 構成 は次 の ように理解で きる。 「大幡痛覚」「大将漫筆」「大幡便覚」 (1854年以降成立) なお、編集段階 を異 にする草稿か らの写本が一組の写本 として伝 わってい ることなどか ら、奄美博物館本 ・東京大学史料編纂所本の底本 は、名越左源太の草稿類 を名題左源太以 外 の人物が整理、編集 した もの、あるいはそれに基づ く写本であったと考 え られる。

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2)

鹿児 島大学附属 図書館本の構成

次 に鹿児 島大学 附属図書館本の構成 を検討 してみたい。鹿児島大学附属図書館本 「南 島 難詰 四」の巻は東京大学史料編纂所本の 「南島難詰附録」 の巻、鹿児 島大学附属図書館 本 「南 島難詰 五」の巻 は東京大学史料編纂所本 「南島難詰 自-至二」の巻 に対応 して い る。 これ らに関 しては次項で考察す るため、本項では、「南 島発話

-

「南 島難話 二

「南 島発話 三」の巻の検討 を行 う。 まず 、収録項 に関 しては、鹿児島大学附属図書館本 には、①東京大学史料編纂所本の 「大嶋便覧」 と 「南 島難詰 三」の巻 に相 当す る項が欠けていること、(参 「南 島難詰

-

」 と 「南 島発話 二」、お よび 「南 島瓶詰 -」 と 「南 島難詰 三」の巻 に重複す る項 が見 られること、③東京大学史料編纂所本 「南島雑記」の巻 に相当する項が鹿児 島大学附 属図書館本では 「南 島難詰

-

」 と 「南島難詰 二」の2巻 に分けて収録 されていること、 ④ 「南 島難詰 三」の巻 には絵が多 く収録 されているが、それ らの絵 は奄美博物館本 ・東

(8)

_6-史 料 編 集 室 紀 要 第

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京大学史料編纂所本では特定の項 の挿絵 の形で収録 されている ものであ ること、⑤鹿児 島 大学 附属図書館本 のみ に確認 され る項があることを指摘す ることがで きる。 この うち(勤と(釘に関 しては、鹿児島大学附属図書館本の底本である大 島島庁本の火災 に よる被 害の反映 として理解 で きる

「南 島難詰 五」巻末 には、鹿児 島大学 附属 図書館本 作成の中心 となった小 出満二 によ り 「本書 は大島々藤の所蔵 に係 る幕末 に成 れる ものな ら ん も其著者 を詳 にせず 元画図、雑記、地図、続及拾遺の五冊 よ り成 りLが如 きも火災の 為め に原完本 を矢へ りといふ今残 れるハ多 く謄写 に して何の部分が原本 なるか を判 じ難 く 且つ前後錯雑の箇所 も甚 だ少か らざるに似 た り」 と記 されてお り、鹿児 島大学附属図書館 本が筆写 された大正

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の時点で大島島庁本が混乱 していたこ とが分 かる。明治 (】8) (I(J)

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か ら

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頃の成立 と推察 されている 『奄美大 島試料』 に大島島庁所蔵 の 「南 島雑記」が参考文献 として挙 げ られていることか ら、明治

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)

頃 までは大 島島庁 に奄美博物館本 ・東京大学史料編纂所本 と同名の巻が所蔵 されていた ことが分か る。 これ らよ り、大 島島庁本 は、本来 は奄美博物館本 ・東京大学史料編纂所本 と同 じ構成 だっ たが、火災 によ り一部が失 われ、 また綴 じが外 れるなど混乱 したため再整理 の手が加 え ら れ、それが上述の(封、④ に反映 されてい ると解釈す ることもで きる。 しか し、それだけで は、鹿児 島大学附属 図書館本 のみ に確認 され る項があることを理解す ることがで きない。 (丑に関 しては、「南 島難 詰 -」 と 「南 島発話 二」 の巻 お よび 「南 島難 詰 -」 と 「南 島難詰 三」の巻 に見 られる重複項 は内容が多少異 なっていることを指摘 す ることが で きる。 まず、「南島難詰 -」 と 「南 島雑話 三」 の巻収録の重複項 は 「山畠之事

「蕎 賓之事

「粟之事

「甘藷之事

「甘藷西之事

「甘藷 畠之事

「甘藷植付 之事

「甘藷堀之 事

「甘藷二度生之事

「ムキ タネ之事

「甘藷菱調 の事」であ る。 これ らの項 に関 しては、 「南 島難詰

-

」の巻収録の ものが、「南 島難詰 三」 の巻収録 の もの よ り一段 階前の編 集段 階の ものであるこ とを指摘 で きる。具体 的 には、「南 島難詰 -」 の巻収 録 の 「山畠 之事」 には絵 の挿入指示があるが、「南 島難話 三」 の巻収録の同項 は、 この指示 に従 っ た図が 加 え られ てい る。 また、「南 島難 詰 三」 の巻収録 の 同項 の本 文 は 「南 島難詰

-

」 の巻収録の同項 に加筆 された もの となっている

「粟之事」 に関 しては 「南 島雑話

-

」 の巻収録 の同項 には 「中之 島の粟の蒔様 に記すへ し」 と末尾 に記 されてお り、「南 島 難詰 三」の巻収録の同項 には中之島の事例が記 されている。甘藷関係 の項 目に関 して も 「南 島雑話 三」 の巻収録 の ものは、「南 島雑話

-

」 の巻収録 の もの に挿絵 が加 え られ (18)山下欣- 「東恩納寛惇奄美大島明治四十三年八月採集ノー ト

『薩琉文化』第43号、鹿児島短 期大学付属南日本文化研究所、1993年.(3頁) (19)鹿児島県立図書館に写本が所蔵 されている。

(9)

-7-史 料 編 集 室 紀 要 第29号 (2004) た ものである。 なお、「南 島難詰 三」の巻 と奄美博物館本 ・東京大学史料編纂所本 「大 嶋 窺覧」 の巻収録 の甘藷関係 の項 は同内容であ り、「南 島難詰 三」の巻 と 「大幡鏑覧」 の巻が基づ いてい る草稿 は同 じもの とみ られることも指摘 してお きたい。 次 に 「南 島難詰 -」 と 「南 島発 話 二」 の巻 に重複 す る 「排芸之事 」 に関 しては、 「南 島難詰 二」 の巻収録項 は、「南 島雑話

-

」 の巻収録項 に書 き込 まれてい る挿入部 分 が整理 され、「清書 には記すべ か らず」 と指定 された部分 が削除 された もの となってい る。つ ま り、「南 島難詰

-

」の巻収録の 「耕芸之事」 の項 は、「南 島難詰 二」 の巻収録 の同項 よ り一段階前 の草稿 に基づいていることが分 かる。 ところで、鹿児 島大学附属図書館本の諸所 には半丁分の空欄がみ られる。火災の被害 を うけ混乱 し再整理 を経 た大 島島庁本 を底本 に した写本ではあ るが、 この空欄がなん らかの 形 で原本の秩序 を反映 していると仮定 して内容 を検討す る と、鹿児 島大学 附属図書館本の 収録項 を次 の ようにグルー ピングす ることがで きる。 (見 出 しが付 け られていないが、内 容 的 に前後の項か ら独立 している部分 には仮見 出 しを付 け丸括弧 に入れて示 している。) 「南 島雑話

-」

(∋大幡締覧 年 中行事 (丑山畠之事 ・椎 之実之事 ・蕎賓之事 ・粟之事 ・牛房之事 ・甘藷之事 ・甘藷西之事 ・甘藷 畠之事 ・甘藷植 付 之事 ・甘藷堀之事 ・甘藷二度生之事 ・ムキ タネ之事 ・甘藷菱調 の 事 ・荒地打之事 ・食製之事 ・(大 島の雪隠ト (居 宅) ③ 時候 (彰狗之事 ・猫之事 ・賓徳佐和雄唐噺 ・婚姻 の事 (む (ウルワ リ)・九寓疋魚釣之事 ・賓作之事 ・蘇鉄 之事 ・(魚名一覧)・(漁期一覧)・イ カ引の事 「南 島雑話 二

(む (項 目案)・高頭 の事 ・島中首納米之事 ・高配常之事 ・郷士高之事 ・男女名之事 ・村 数之事 ・耕芸之事 附稲再熱之事 ・高上納之事 ・稲貯之事 附稲掛量之事 ・峯谷 山川 坂路之事 ・造 酒製法 ・鴇豆腐 ・罪巻 ・ベ ラ餅 ・蘇鉄餌 ・蘇鉄 ガ ン (∋地震之事 ・鼠之事 ・チャヂ玉之事 ・薪之事 ・鉢植蘇鉄之事 ・ヒンヂヤの事 ・島民食物 之事 ・手拭の事 ・オナベの事 ・笠之事 (参味噌之事 ・味 噌漬之事 ・醤油之事 ・酢之事 ・居室倉度屋敷揖之事 ・白灰之事 ・井戸之 事 ・ユ タ之事 。焼酎製法之事 ・砂糖製法之事 (9児童幼女慢遊 之部 ・食物 ・(漁期 一覧)・蔵物之事 ・抱居之事 ・落地生 の事 ・ヒルセ ン モ トの事 ・蕪之事

(10)

-8-史 料 編 集 室 紀 要 第29号 (2004) 「南 島経論 三」 ⑲唐噺の挿 図・(「賓徳佐和雄唐噺」の項の挿絵 )I(「婚姻の事」の項 の挿絵 )・(「九筒疋 魚釣之事」 の項 の挿絵 ) ⑪ (「稲貯之事」 の項の挿絵 )・稲貯 の事 附稲掛斤量乃事 ・麦作の事 ・(「山畠の事」の 項 の挿絵 )・蕎麦の事 ・粟の事 ・山畠の事 ・甘藷 の事 ・甘藷薗乃事 ・甘藷 畠の事 ・甘 藷植付 の事 ・甘藷堀の事 ・甘藷二度生の事 ・ムキ ダ子乃事 ・甘藷菱調の事 ・耕芸安 附 リ稲再熱乃事 これ らの項 目群 の うち、(l)j、(釘は鹿児 島大学附属 図書館本 のみに確認 され る。 (彰は奄美博物館本 ・東京大学史料編纂所本 「南 島雑記」の巻収録の もの よ り詳細 な内容 である。 これ に関 しては一部が 「南 島雑記」 の形 に編集 された、あるいは 「南 島雑記」 の 一部 に加筆 された と二通 りの解釈が可能である。 ② 、(むは比較 的早 い段階の草稿 に基づいている部分 と考 え られる。 (参に関 しては、前述 した ように 「山畠之事

「蕃秦之事

「粟之事

「甘藷之事

「甘藷甫 之事

「甘藷 畠之事

「甘藷植付之事

「甘藷堀之事

「甘藷二度生之事

「ムキ タネ之事

「甘藷養調 の事」 の項が東京大学史料編纂所本 「大幡窺覚」 の巻収録項が基づいている草 稿 よ り一段 階前 の草稿 に基づ いてい る と考 え られ る

「食製之事

「(大 島の雪隠

)

」「

(

居 宅)」 に関 しては奄美博物館本 ・東京大学史料編纂所本 「大幡漫筆」 の巻収録項 の一部 に 相 当す る内容 、「椎 之実之事」 は 「大幡漫筆」 の巻収録 の 「島民食物 ノ事」 の一部 に相 当 す る内容 であ り、編集段 階の前後が うかがえる。 これ らの項の間にある奄美博物館本 ・東 京大学史料編纂所本 にはみ られない 「荒地打之事

「牛房之事」の項 も含めて、② の項 目 群が基づ いてい る草稿 か ら 「大幡鏑覧

「大幡漫筆」 の巻が基づいてい る草稿 が編集 され ていった と考 え られ る。 ⑥ に関 しては、「高頭の事

「島中苗納米之事

「男女名之事

「村数之事」 の項 は、清書 の際 に記すべ き旨が記載 され本文が略 されてい る

「郷士高之事」 に関 しては奄美博物館 本 。東京大学史料編纂所本 「大幡鏑覚」 の巻収録項の記述の ほ うが詳 しい。「耕芸安 附 リ稲再熱乃事」 に関 しては、鹿児 島大学 附属 図書館本 に見 られ る挿 入部分 が整理 され、 「清書 には記すべ か らず」 と指示 された部分が削除 された ものが、奄美博物館本 ・東京大 学史料編纂所本 「大幡稿覧」の巻収録の 「耕芸事 附 リ稲再熱の事」 の項である。ほかに も鹿児 島大学 附属図書館本 「南 島雑話 二」 の巻の 「稲貯之事 附稲掛量之事」 には 「稲 掛斤量 の事 図記すへ し」 と図の挿入指示がみ られるが、鹿児 島大学附属図書館本 「南 島難 詰 三」 の巻お よび奄美博物館本 ・東京大学史朴編纂所本 「大幡錆覧」の巻収録 の同項 に

(11)

_9-史 料 編 集 室 紀 要 第29号 (2004) は図が添 え られてい る。 また、「造酒製法

「鴇豆腐

「罪巻

「ベ ラ餅

「蘇鉄餌

「蘇鉄 ガ ン」 に関 して も、奄 美博 物館本 。東京大 学 史料編纂所本 「大 幡漫筆 」 の巻 には 「菓子 之 事

「取肴 ノ事」 と して整理 され た ものが収 録 され てい るo これ らよ り⑥ の項 目群 に甲 し て は、鹿児 島大学 附属 図書館本 のみ に確認 され る 「高上納 之事

「峯谷 山川坂路之事 」 を 含 め、「大嶋 窺覧

「大幡漫筆」 の巻編集以前 に成立 したひ とまとま りの草稿 に基づ いてい る部分 と考 え られ る。 ④ 、⑤ 、(う、⑧ は奄美博物館本 ・東京大学史料編纂所本 「南 島雑記」 の巻 と本文 お よび 図 の挿 入指 示 の書 き込 みが 同 じであ り、奄 美 博物 館本 ・東 京大学史 料編纂 所本 「南 島雑 記」 の巻 が基づい てい る草稿 と同 じ草稿 に基づいてい る部分 であ る と考 え られる。 ただ し 挿絵 は 「南 島薙話 三」 の巻 に本文 と分離 した形 で収録 されている。本文 と挿絵 が別 々に、 しか も巻 を異 に して収録 されてい るこ とは前述 した ように火災後 の再整理 の結果で あ る と 解釈 され る. なお、(夢の 「味噌漬之事」 には奄美博物館本 。東京大学史料編纂所本 「南 島 雑記」 の巻 の同項 に記 されてい る 「醤油糟味

」 に関す る記述が確認 で きない。 また⑦ の 「チ ャヂ玉 之事

「鼠之事」 には図の挿 入指示 が見 られ るが、それ に従 って図が挿 入 され てい る写本 は確認 で きない。本文 は奄美博物館本 ・東京大学 史料編纂所本 「南 島雑記」 の 巻 と同 じで あ る。 ⑪ の部分 は、前述 した ように奄美博物館本 。東京大学史料編纂所本 「大幡 縞覧」 の巻が 基づ いてい る草稿 と同 じ草稿 に基づいてい る部分 と考 え られ る。 以上 、奄 美博物館本 ・東京大学史料編纂所本 と鹿児 島大学 附属 図書館本 の構成 を比 較検 討 した結 果、 これ らの写本 が基づ いてい る草稿 の相互 関係 、構成 は次 の ように整理 され る。 「南 島雑記」 (-鹿大本㊨ 冨X王X宣)⑲ ) 鹿 大本(勤 鹿大本① 「大幡痛

」 (-鹿大本⑫ ) 「大幡漫筆

「大幡便 覧

鹿大本(参 「南 島難 詰 自一重二」 (-鹿大本 「南 島難詰 五

)

r

南 島難語 三」・r南 島難詰 附 録」 (-鹿大本 「南 島難詰 四

)

ー 10

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-史 料 編 集室 紀 要 第29号 (2004)

4

「南 島発話

「南 島発話 附録」の位置づ け 次 に 「南 島難 詰」 の巻 (鹿児 島大学 附属 図書館本 で は 「南 島顛話 五

)

お よび 「南 島 雑話 附録」 の巻 (鹿児 島大学 附属 図書館 本 で は 「南 島難 詰 四」)につ いて検討 したい。 これ らの巻 の成立 に関す る手が か りは、「南 島難話」 の巻 冒頭近 くに見 られ る次 の記述 で あ る。 (東京大学史料編纂所本 よ り句 読点 を補 い引用) 南嶋雑録に載るものハ、見聞或ハ博記、鳥人の博を図す。然共、大島、三島中に取分贋島なれ ハ書 きもらす事多 し。故に積編に図し、叉拾遺付て書 き脱する事を拾ひ図画す。拾遺ハ さまて 珍敷事 もなけれ と、大嶋にてある事を記 し、後達而考出すを迫々書載るか故 に、見る人其考を 以見たまへか し。嶋の大概ハ、始編二冊、井全図にて事足ぬれとも、書 もらす ものハ緯編にて 皆済程の事也。尚残 りあるを拾遺図し置 といへとも、始編のヶ条にて共訳ハ書記あ り。始編ハ 画図一冊、雑記一冊、島全図一冊、績編一冊、又此拾遺一冊を添置 ものなり。 昭和 8年 (1933)に、鹿児 島大学附属 図書館本 (当時 は鹿児 島高等農林学校所蔵) を底 本 に 『南 島維話』 の謄写本 を刊行 した永井龍一 は、刊行 にあたって鹿児 島大学 附属 図書館 本作 成 の 中心 とな った小 出満二 に 『南 島雑 話』 の構成 に関 して質問 し、 「最初 は董 図一冊 雑記 一冊全 国一一冊 よ り成 り、縛一冊拾遺一冊 を添加せ る もの な りといふ。風俗逸事 な ど見 聞 に任せ て筆録せ る もの。及、文 政十一年 に成 れ りといふ詰役の報告 を合編 し、 尚天保年 (2り) 間 に至 りて追加補録せ る もの少 なか らず。」 とい う解答 を得 てい る。先 に引用 した 「南 島 難話」 の巻 (鹿児 島大学 附属 図書館本 で は 「南 島発 話 五

)

冒頭近 く、お よび、後述す る 「南 島難詰 附録」 の巻 (鹿児 島大学 附属 図書館 本 で は 「南 島難詰 町 」) 冒頭 の文 に基 づ く見解 であ る。鹿児 島大学 附属 図書館 本 「南 島難詰 五」巻末 には小 出満二 に よ り 「本 書 は大 島々塵 の所蔵 に係 る幕末 に成 れ る もの な らん も其著者 を詳 にせず 元 画 図、雑記、 地図、続及拾遺 の五冊 よ り成 りLが如 きも火災 の為 め に原完本 を失- りといふ今残 れ るハ 多 く謄写 に して何 の部分 が原本 なるか を判 じ難 く且 つ前後錯雑の箇所 も甚 だ少か らざるに 似 た り」 と記 されてい る。おそ ら く、小 出満二 もまた、「始編ハ 画 図-冊雑記 一 冊島全 図 一冊緯編一冊又此拾遺-一冊 を添置」 とい う記述 と大 島島庁本 の構成が対応 してい ない こと を疑 問 に思 い、大 島島庁 の関係者 に問い合 わせ 、火災 のため とい う解答 を得 たのだろ う。 昭和43年 (1968)刊行 の 『日本庶民生活史料集成 第-巻』 に収録 された 『南 島難詰』 の 「追記」 において、原 口虎雄 は、大 島島庁 の火災 によ り大 島島庁本 に 「欠損 」 が生 じた (20)永井龍一 「後記」永井龍一編 『南島薙話』1933年.(160丁) -il

(13)

l-史料編集室紀要 第

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)

とい う小 出満二 の見解 を疑問視 し、焼失 したの は一部で、 「名越氏 の草稿 を木脇氏 が謄駕 (主 に槍) し濃裁 も整 えつつあったが、 島臆 の事情 (新納氏 をやめ させ た政情) な どのた め に、例 に よって (列朝 制度 や国事軟掌史料や天保度 の藩療編纂事 業 も未完成 と摩滅 に終 ・.-il ってい る)未完 に終 り、その まま島臆 の一隅 に眠 っていたJ と推察 してい る。大 島島庁本 は未完成 に終 わった写本 であ り、不備 の部分 は筆写が完了 してい ない部分 である とす る見 解 であ る。 これは 「南 島難詰」 の巻 冒頭近 くの記述が 『南 島雑話』 全体の構成 を示 してい る との解釈 に基づ いてい る。 その後、昭和

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に、国分直一、恵 良宏 によ り、奄美博 物館本 (当時は永井 昌 (22) 文所 蔵) の写本 を底本 とす る校訂本が刊行 されたが、 これ には次 の見解が示 されてい る。 「南島雅語 仝」冒頭には、「始篇は画図-冊、雑記一冊、全図一冊、続篇一冊、叉此拾遺一 冊 を添置 ものなり」 とある

「始篇は画図一冊」 とある画図一冊 とは 「大嶋窺覧 ・大幡便覧 ・ 大幡漫筆」 を指す ものであろうか。次の雑記一冊は、「南島雑記」 を指す ものであろう。全図 については鹿大農学本では 「嶋全図」 とある

「続篇一冊」 とあるのは、鹿大農学本の第四巻 「南島維話附録」に当るものではなかろうか。「叉此の拾遺一冊を添置 ものな り」とあるから には、「南島雑話 仝」は 「南島雑話拾遺」 とよんでもよい性質のものとしてよいようにも思 われる.以上の中、全図一冊なるものが、独立のものなのか、他の諸篇とどのような関係をも つ ものなのか、「南島雑話 仝」冒頭の簡単な記載だけからでは、判断ができない。 これ は、 「南 島難

」 の巻 冒頭近 くに示 され る巻構成 を奄 美博物館本 の各巻 に対応 させ た理解 であ る

『南 島雑話』全体 の構成 を示す と解釈す る とい う点 で、先 に示 した小 出満 二 、原 口虎雄 の見解 と同 じ見解 であ る。 永井亀彦 が 『高崎崩の志士 名越左源太翁』 において、名越左 源太が 『南 島雑話』 の著 者 で あ る こ とを示 してか らは余 り注 目され な くな った ようであ るが、 それ以前 は、「南 島 発 話 附録」 の巻 冒頭文が、『南 島雑 話』 の著者 に関す る唯一 の手が か りと見 られ、 これ を (2`5) 記 した文政

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に横 目に任 じられ、翌文 政

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に大 島に赴 き、文政

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)

まで大 島 に滞在 していた人物 が 『南 島雑話』全体 の著者 と見 られ ていた ようであ る。笹森儀助 は、明治

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4)

刊行 の 『南鴨探験』 において、「該書ハ 文政十 一年、 鹿児 嶋藩大嶋見聞役 こテ、藩主 ノ特命 ヲ奉 シ、各村 二就 キ三年 間 ノ版 渉 ヲ経 テ取調 タル書 (21) ナ リ」 と 『南 島雑話』 について言及 してい る。昭和

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)

刊行 の茂野 幽考の 『大 島

(

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1)原口虎雄校訂 「南島難

『日本庶民生活史料集成 第-巻』三一書房

、1

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年.

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)

国分直一 ・恵良宏校注 『南島雑話

2

』平凡社

、1

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年.

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l戻)

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)

同文には 「見聞役」ともあるが、見聞役は横 目の別称

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)

東喜望校注 『南嶋探験

2

』平凡社

、1

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年.

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頁)

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史料編集室紀要 第29号 (2004) 121)) 紬 の歴史』 で は、『高崎崩 の志士 名越左源太翁』刊行後 に もかかわ らず、『南 島雑話』 を 「文政十二年 四 月 薩 藩大 島詰横 目 伊 藤助左 衛 門記」 と して引用 してい る。 しか し、 『南島雑話』全体 を文政期 に来島 した横 目が著 した とす る解釈 は 『南 島雑話』 の内容 その ものか ら否定 され る。大 山麟五郎 は昭和

4

7

年刊行 の 『大 島私考』校訂本 の解題 において、 (2()) 「彼 のあ とで は、文 政十二年 (一八二九)の大 島附役 、伊藤助左 ヱ門 (推定)の 「大 島見 聞録」があ った ら しいが、 これは藩の薬 園方の掛 り兼務 と して命ぜ られ た、公務上の報告 のための調査記録 で あ る。 これが嘉永 ・安政年 間の遠 島人名越左 派太編著 「南 島薙話」 の 原 本 となった もの で あ る。雑話 は、伊藤 の見 聞の記 録 に 『本 田先生 の著 され し 「大 島私 考」 に見得 た るを抜 書』 して入れ、 さらにその後 の追加補録 (最終補録者が名越左源太) (27) を加 えてなった もの と推定 されてい る。」 との認識 を示 してい る。 『南 島雑話』 に組 み込 まれてい る文政期 の報告書 の範 囲 を再検討 してみ よ う。 永 井亀彦 は、 永 井 龍 一 に よ り刊 行 され た謄写本 を用 い、 「南 島難 詰 二」 の巻収 録 の 「高頭 の事」 の項 の 「我 沈 身 と して其事 に預 か らねば委細 を知 るべ きにあ らず」、お よび 「地震 の事」 の項 の 「予 が住居せ Lは名瀬 間切小宿村 なるが」 とい う記述 か ら著者 を小宿 村 に配流 され てい た流 人 と推察、 これ を手がか りに調査 を進 め、『南 島雑話』 の著者 を名 (2ボ1 越左 源太 と特定 した。 しか し、永井亀彦 は 「南 島難詰 五」 の巻収録 の 「あ まん蟹」 の絵 の解説文 中に 「吾 か大熊 の仮屋床 下 には」 と記 され てい るこ とには注 目 していない。 「大 島代官記」 に よる と文政131年 (1830) 3月に大 島詰役 人が総交代 となった際 に名瀬 (2【)) (川) (il) (.与2) 間切 の大熊 村 にお か れ て い た移 仮崖 が伊 津 部村 に移 され た 。仮 屋 は、先 に寛政12年 (25)茂野曲者 『大島紬の研究』奄美特産商事、1965年. (26)『大島私考』の著者の本田親字を指 している。 (27)大山麟五郎

「大島私考」解題

『大島私考』鹿児島県立図書館奄美分館、1972年. (28)永井亀彦 『高崎崩の志士 名越左源太翁』1934年.(2頁) (29)近世期の大島は7間切13カ方に行政区分 されていた。名瀬間切 (名瀬方 ・龍郷方)、笠利間切 (笠利方 ・赤木名方)、古見間切 (蘭名方 ・古見方)、住用間切 (住用方)、東間切 (東方

渡 達方)、西間切 (実久方 ・西方)、屋喜内間切 (宇検方 ・大和浜方) (30)仮屋所在地である伊津部村の隣村で良港を有する大熊村に置かれていたことを考えると、「移 仮屋」は、代官をは じめとする詰役が交代 し、新詰役が赴任 してきた時、旧詰役が帰 りの船を 待つ間滞在する官舎で、喜界島における 「隠居か りや」 (弓削政己 「統治の方針 と機構の整 備

『喜界町誌』喜界町 2001 183頁参照)に相当するものと考えられる。(弓削政己氏の教 示による) (31)「大島代官記

『道之島代官記集成』福岡大学研究所、1969年.(65頁) (32)鹿児島藩において 「仮屋」 とは藩の外城、私領の軍事 ・行政を管轄する役所のことであるが、 奄美においては藩から各島に派遣 された代官、付役、横 自らの官舎を兼ねていたようである。 間切の役所 に関 しては、「喜界島史料 藩鹿よりの布達諭達綻規約等

」(

『大島喜界両島史料稚 集』改訂名瀬市誌編纂委員会 1996)80頁の文政13年の布達中に 「興人居宅、居役所之事候付、 間切受持中二而一度 ツツ延引替申付 (以下略)」 とあ り、与人の居宅が間切役所 を兼ねていた ことが確認 される。 -1

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3-史料編 集室紀 要 第

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(p!'H

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に笠利 間切 の赤 木名村 か ら名瀬 間切 の伊 津 郵相 に移 されて いたが 、移仮屋 は大熊 村 に置 か れ 、文 政

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)

に な って仮 屋所 在 地 の伊 津 部村 に移 され たので あ る

「南 島雑 話 」 の巻 の 「大風 船 を屋 の上 吹上 の 図」 に は 「ま さ し く伊 地 知 六郎 仮 屋 の墓 所 前 に (H) 落」 と解 説 がつ け られ てい るが、伊 地知六郎 は文 政

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月 に付 役 と して大 島 に (.I)I-)) 来 島 した人物 で あ る。 この絵 は伊 地知六郎 が大熊村 の移仮 屋 に滞在 してい た時期 、す なわ ち、新 語役 が来 島 した文 政

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) 3

月か ら伊 地知 ら旧詰役 が大熊港 を出港 した

7

月 までの 間 に起 こった出来事 の記録 とい うこ とにな る。先 の 「あ まん蟹」 の絵 も同様 で あ る。 I:l[[ また、 「名不 詳」 とされ る烏の蔭 には、 「文政十三寅 三 月笠利 間切 ヨリ家相新 七持 来飼 置 シ ニ帰 帆洋 中二 テ逆 風 二逢 ノ時海 中ニ ナゲスッ」 と解 説がつ け られ てい るが、 家相新 七 は伊 地知 六郎 と と もに来 島 した付役 で あ る。 こ こで触 れ られ て い る漂 流 に関 して は、「南 島難 詰 附録」 の巻 冒頭 に 「大熊 之湊 よ り出帆 二而候庭 臥蛇之肩 二而逢逆風 帆柱 切 捨柁 を傷 メ廃 荷無 仕 方朝 鮮 囲順 天 之湊 へ 漂着 い た し候得 共」 との記述 が み える

「大 島代 官 記」 に も記 録 が残 され て い る。 また、 「南 島難 詰 附録」 の巻 と 「南 島難

」 の巻 の 間 に は内容上 の 関 連 が多 く確 認 で きる。例 を挙 げ る と、「南 島薙 話」 の巻収 録 の 「婚 儀 之 図」 には 「婚儀 説 に委 く記 す」 と記 されて い るが、 これ に対 し 「南 島難詰 附録」 の巻 には 「婚 儀」 の項 が み られ 、 そ の末尾 に 「婚 具 衣類等 は図 に出す」 と記 され てい る。 また、 「南 島難 詰」 の巻収 録 の 「佐伯 深 山途 ニ テ古 石碑 ヲ掘 出ス図」 に も 「石碑 ノ文字別 こ記 ス」 と記 されてお り、 そ こに描 か れ てい る石碑 の表面 に刻 まれ た模様 の よ うな もの に相 当す る図が 「南 島雅 語 附 録」 の巻 に収 録 され てい る。 これ らよ り、 「南 島難

詰」

「南 島発 話 附録」 の両巻 は同 じ人物 に よって著 された もので、 「南 島難 話」 の巻 冒頭近 くの文章 は 「南 島難詰 附録」 の巻 を著 した人物 に よ り記 され た記 録 の構成 を示 して い る と解釈すべ きと考 え られ る。 そ して 「南 島発 話」 の巻 冒頭近 くの文 が 「南嶋雑 録 に載 る ものハ」 と書 き出 され てい る こ とか ら、文政期 に成立 した この記 録 は 「南 島雑 録 」 と題 され て い た こ とが分 か る。 東京 国立 博物 館 には 『南 島雑 録 植 物 部 抄 録』 と遷 され た写 本 が所 蔵 され てい る。 内容 は 「南 島雑話」 の巻 に収 録 され てい る植 物 画 の抜粋 で あ る。 これ に よ り 「南 島難

」 の巻 が 「南 島雑 録」 と遷 され る文献 の一部 で あ っ た こ とが裏付 け られ る

『南 島雑 録 植 物 部抄 録』 の見返 には 「農 書 編 纂掛 ヨリ借 用 ノ田 島雑 録 ノ中二就 キ植 物 ノ ミヲ抄録 /首謀参考用 二充 ツ 明治十八年 四 月二十 日 博 物 局 天

(

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福岡大学研究所編 「大島代官記

『遺之鳥代官記集成』福岡大学研究所

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国分直一 ・恵良宏校注 『南島椎話

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』 (平凡社

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では

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福岡大学研究所編 「大島代官記

『道之島代官記集成』福岡大学研究所

、1

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年.

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頁)

(

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)

図分直一一 ・恵良宏校注 『南島雑話

2

』 (平凡社

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)

では

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-1

(16)

1-史料 編 集 室 紀 要 第29号 (2004) 産課 差野」 と記 されている。 この時期の博物局は農商務省 に所属 してお り、天産課は動 (:与7

)

植鉱物 お よび地質鉱 山の部門を担当 していた

「農書編纂掛」 は明治16年 (1883)に農商 務省統計課 に農書編纂のために設置 された部局で、設置年度 には各府県に対 し民間残存の (:5占

)

古文書 旧記類調査指示 を出 している

『南島雑録』 は、その際に確認 された文献 と推察 さ れる。 先 に引用 した 「南 島難

」の巻冒頭近 くの文中の 「始編ハ画図一冊、雑記一冊、島全図 一冊、緯編 一冊 、又此拾遺一冊 を添置 もの な り」 とい う記述 か ら、「南 島難 詰」 の巻 は 「南 島雑録」 と題 された文献の 「拾遺」の巻 に相当す ると考 えられるが、前述 したように、 この巻 と天保13年 (1842)に記 された文章が冒頭 に付 されている 「南 島難詰附録」の巻 に は内容上の関連が多 く認め られる

.

「南島難詰」 と 「南島難詰附録」は一組の文献であ り、 両巻合 わせて 「拾遺」の巻 と考えることがで きる。 なお 「南 島発話」収録の絵 の解説文中の数箇所 に、「委本文 に記

「本文委記

「伝ハ本 文二出ス故略す

「悉 く本伝 に記之」 などの表現が現れる。一部 は 「南島難詰 附録」の巻 に対応す る記述が確認で きるが、大半は確認することがで きない。 ここにおける 「本文」 「本伝」 は二通 りに解釈で きる。一つは 「本文

「本伝」 は 「南 島難詰附録」 の巻 を指 し てお り、対応す る記述が確認で きない ものは、その部分が筆写の過程で脱落 したため とい う解釈、 もう一つは、「本文

「本伝」 は 「南 島難詰附録」の巻ではな く、「南 島難話」の 巻冒頭 に示 されている 「始編

「頼編」の巻 を示 しているとす る解釈である。 これに関 し ては、後者の解釈のほ うが適切 と考 え られ る

「南 島難語」 の巻が 「拾遺」であるのな ら ば、それ に対 して 「始編

「頼編」 の巻 は 「本編」である

「本文

「本伝」 は本編的な位 置付 けの 「始編

「積編」 を指 してお り、「南島難詰附録」 に多少、関連記述が確認で きる のは、「南 島雑話附録」 に も同様の内容が収録 されているとい うことだろう。毛魚 (シ ヨ ク)、兎 (ヲサギ)の説明、お よび名瀬間切 の幽霊の歌の話 に関 しては 「南 島難詰附録」 に関連記述が確認で きる。幽霊の歌の話 に関 しては、「南島雑話」の巻 に、名瀬間切で凶 年 に姉弟が餓死 し、今で も、アダン、イチ ゴの実が熟す ころになると子供の歌 う声がす る とい う話が紹介 され、「本俸 には大暑 を書記 ける故宴二図を出す」 と記 されている。一方 で、「南 島難詰附録」 の巻 には、同 じ名瀬間切で凶年 に野山の実 をとりつ くし食料が尽 き、 アダンの木 に数十人が紘死 したことがあ り、毎年その時期 になると歌が聞こえるとい う話 が紹介 され、同種の話がた くさんあると記 されている。 これは 「南島難詰」の巻 に挙 げ ら (37)東京国立博物館編 『東京国立博物館百年史』第一法規 出版、1973年.(222頁) (38)明治文献資料刊行会編 『明治前期 産業発達史資料 第4集 (2)一明治十六年農商務卿報告 (第≡回)-』明治文献資料刊行会、1964年. (405頁) -1「一一

(17)

史 料 編 集 室 紀 要 第

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れてい る話の 「大暑」 とす るには適 当ではない。 天保

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に記 された 「南 島難詰附録」 冒頭文 には、大 島滞在 中 に作成 した記録 を藩 に提 出す るに至 った経緯が述べ られ、「図画」 に関 しては 「御薬 園方」 で写 しが作 ら れ原本 は返却 された旨が記 されてい る。 (東京大学史料編纂所本 「南 島難詰附録」の巻 よ り句読点 を補い引用。) 大 島詰見 聞役被 仰付罷 下候節 、御薬 園こ被掛置候次第、且上帆之上御用 品差 上候始終、 左 之通。 文 政十一年子 八 月甘 三 日、大 島詰横 目被 仰付 、翌丑春乗船 二差掛 、菱刈杢 之介殿 β坂元平左 衛 門御 取次 を以、話 中御薬 園方へ被掛置候 間、草木砂石魚鳥等 二至近、心掛探探方鑑定之上、 奇 品異草之類 は則早船 β為差登候様可取計 、御寄附 を以被 仰渡、猶又委細 之儀ハ、御薬 園奉 行 勤村 田伊左 衛 門 β可相達致承知 、彼是御用筋等被 申渡、同二 月廿開 口前之演 β致乗船、山川 廻船 、彼湊 二而順風 を見合せ 、同三月初旬 出帆之虎 、大 島二八里計 を見掛候庭 、送風 二面酉之 方 二被吹流数 日致漂流 、 自然 と天草地へ流着候虞 、御船喜界 島下 り牛深湊へ 汐掛 二而 、本船殊 之外相損候 間、右御船 よ り便船 を以、同四月十五 日大 島東 間切伊須湊-致着。昔 日β段 々書記 居候鹿 、依物 書面迫 二両ハ不相分、何之筋不致写生候 雨 はいろ合紋柄 な ど分兼候故 、異不興 二 不砲 、見虚 聞虚其侭 、 自分考 ヲ不 、言語不相分儀 は時 ミ相礼認置、詰中庭 ミ致廻勤 、漸物数 三拾 六品取集 、翌寅七 月十 日大熊之湊 よ り出帆二而候慮 、臥蛇之肩 二而逢逆風 、帆柱切拾 、柁 を傷 メ、廃荷 無仕方、朝鮮固順 天之湊へ漂着 いた し候得 共、三拾六品は無意持 登 り、則帰着之 上差上候庭 、惣別御用 二相成 、書付 図画迫 も差 出候様 、坂元平左衛 門β御薬 園奉行 内 田市郎 太 を以度 モ御 沙 汰有 之候得共、亀抹 -認方、其上塩濡相成候 間追而書改可差上 、頻 こ御 願 中上候 得 共、又 ミ向井十郎太夫 b用人 を以、其段 御 前 申出二相 成候庭 、是非其侭 二而不吉候 間只今差 出候様 、寅九月十八 日 御 沙汰之段致承知、 不得止其侃 二而差 出、被遊 御 覧、話 中懸心頭致精勤候段 蒙 上意、二階堂右八郎御取次 を以、 御 内 々二而八 丈嶋一反拝領被 仰付 、図画之儀ハ御薬 園方へ為写置本書ハ相下 ケ候様 、向井十 郎 太夫 β被相 下 ケ候 由二而、内田市郎太 β本書相請取候。後年為見合相認 、附録 二相記、子孫 永 々相侍置者也。宜深思之。 天保十三 卯 三 月朔 日 ここで言及 されている 「図画J は、絵 を中心 に構成 されている 「南 島雑話」の巻 を指 し ている と考 え られ る。「附録」 は 「南 島薙 話附録」の巻 を指 している とも、あるいは 「南 島難話」 と 「南 島発話 附録」 の両巻 を指 し、その うち 「南 島難詰」 の部分 をと くに 「図

」 と言及 してい るとも解釈可能である。 どち らの解釈 を採 るにせ よ、 この両巻 は文政末 に記 され、藩 に提 出 され、天保

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頃 に著者の もとに返 された文献 である とい う こと、そ して、返却 されたことを契機 と して後年の覚 えのためにその来歴 に関す る文章が 記 された とい うこ と、現在確認 され る写本では、その文章が 「南島難話附録」の巻の冒頭 -1

(18)

6-史 料 編 集 室 紀 要 第

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に置かれてい るとい うことを確認 してお きたい。 「南 島難詰附録」 の巻の冒頭文 による と、 この文章の著者 は、文政

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日に大 島話の横 目に任 じられた。「御薬 園方」掛 として、「草木砂石魚鳥等 二至近心掛探採 方鑑定之上奇品異草之類 は則早船β為差登候様可取計」 と命 じられ、文政

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)2

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日に前之浜 (鹿児 島城下の港) よ り大島- 出帆。途 中漂流 し

、4

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日にようや く大 島東 間切 の伊須湊 (大 島北部の港) に到着。到着 してす ぐに調査 を開始 し、文章 だけでは 分 か りに くい ものは写生 なども加 えて見聞 きす るままに記録 し、「三拾六品」 を収集 して、 文政

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()日に大熊湊 よ り鹿児 島に向けて出帆。朝鮮漂着 を経 て ようや く帰 りつ き、 なん とか持 ち帰 った 「三拾六品」 を藩 に提出 した ところ記録類 も提 出す るように 達 を受 け、文政

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日に提 出 した とい う。

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「大島代官記」 に よると文政

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に大島に派遣 されたのは、代官 の武輿次郎、 付役 の野元八郎次、家相新七、坂元彦八、種子 田源左衛 門、伊地知六郎 お よび役職が記 さ れてい ない伊藤助左 衛 門、新納小石衛 門である。来島に関 しては、「武殿並六 人乗船四月 西 間切へ 入着、陸地 ヨリ仮屋元着」、 また伊藤助左衛 門 に関 しては 「右伊藤殿乗船、三月 中旬東 間切へ御着」 とあ り、伊藤助左衛 門 とほかの

7

名 とは別の船で来島 したことが分か る。野元八郎次 は笠利仮屋、家村新七 は瀬名仮屋 、坂元彦八 は東仮屋 、種子 田源左衛 門は 西仮屋、伊地知六郎 は屋喜内仮屋、伊藤助左衛 門は外仮屋、新約小右衛 門は内仮屋が充て られてい る。仮屋の名称 には外仮屋、内仮屋以外 は間切名が冠 されているが、 これは、各 (=)

)

仮屋 の維持 管理 を担 当 してい る間切 を示 してい る とい う

「大 島代 官記」 には文政

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に付役が

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人減員 とな り、焼 内仮屋 を外横 目仮屋、西仮屋 を内横 目仮屋 として使 うようになったことが記 され、以後 は外仮屋、内仮屋の使用が確認で きな くなる。従来、 付役 の仮屋 として使 われていた焼内仮屋 と西仮屋が、付役減員 に伴 い横 目の仮屋 として転 用 されたため、外仮屋 、内仮屋が不要 とな り使用 されな くなった と考 え られ る。つ ま り、 かつては外仮屋、内仮屋が横 目に充て られる仮屋 だったのである。名称 か ら考 えて外仮屋 は外横 目の仮屋、内仮屋 は内横 目の仮屋 と考 え られるため、外仮屋が充て られた伊藤助左 衛 門は外横 目であ った と考 え られ る。伊 藤助左 衛 門の大 島到 着時期 に関 して 「大 島代官

」 は、「右伊藤殿乗船、三月中旬東 間切へ御着」 と3月中旬 とす る。一方、「南島維話附 録」 の巻 冒頭 には 「同四月十五 日大 島東 間切伊須湊へ致着」 とあ り一月ずれ ている。 しか し、 4月に伊藤 と別 の船でや って きた代官式典次郎以下の7名 の乗船 した船 は、「大島代

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福 岡大学研究所編 「大島代官記

『遺之 島代官記集成』福 岡大学研 究所

、1

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年.

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頁)

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都成柏義著 ・永井 龍一校訂 『奄美史談

』1

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年 .

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丁) 11

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7-史料編集室紀要 第29号 (2004) 官記 」 に よる と西 間切 に着船 してい る

「南 島難 詰 附録」 の巻 冒頭文が これ らの出来事 か ら 10年余 り経 た時点 の執筆 で あ る こ とを考慮 すれば、大 島到着 の時期 に関 しては 「南 島 難詰 附録」 の巻 冒頭文 の著者 の記憶違 いであると考 える ことは十分 可能で はなか ろ うか。 「南 島難

「南 島難詰 附録」 の巻 を含 む 『南 島雑録』 の著 者 を伊 藤助左 衛 門 とみ てほぼ 間違 いない と考 え られ る。 なお、現 時点 で確 認 で きた 「南 島雑 話 附録」 の巻 に相 当す る内容 を持 つ写本 は全 て、 「琉 球征 伐之記」 の項 に 「右 はおのか聾 々一之巻- 鴛置 し故宴 に署 ス」、続 く 「平 家大嶋 落居 記」 に も 「右 同断 にて蒙 に暮 す」 と記 され本文が略 され てい る

「おのか聾 々」 は名 越左 源太 に よ り筆写 され編集 され た 『遠農 が草 々』 を指 す と考 え られ る

『高崎崩 の志士 名越左源太翁』 において紹介 されてい る文献 であ る。 17巻構成 で、序文 に 「嘉永三年庚 成 歳初秋 名越時行」 と記 されてお り、第 1巻 には 「異本平 家大 島落去記」 を参考 に して (H) 朱が入れ られた 「大 島間切 之主頭走軍記」が収録 されてい る とい う。 この こ とか ら、現在 確認 される 「南 島難 詰 附録」 の巻 に相 当す る内容 を持 つ写本 が、名越左派太 によ り筆写 さ れ た写本 に基づ いてい る こ とが分 か る。

5

文 政 期 の 大 島 調 査 と 『南 島雑 録

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名題左派太 に よる 『南 島雑話』 の成立 に関 しては

、「

『南 島雑話』解説」 において国分直 - が 、「大 島代 官記」 中 にみ られ る 「嶋 中給 囲音調 方名越左 源大殿 江被仰付 、御代 官井見 聞役貴鴫殿御 両人井名越殿御 列立鴨 中廻嶋こ付、槍 園書調 方 二付村 々原 々山海無洩 日和見 (lH 分被 成候、給蘭書調 方二付而ハ左 源大殿 配所小宿村 二而口調 万有 之候」 とい う記事 を紹介 し、嘉永期 に行 われていた大 島絵 図作成 と名越左 源太 の 『南 島雑話』執筆 との関係 を考察 していた。その後 、 「幕末外 交 と 「南 島稚話」の成立」 にお いて黒 田安雄 は、「扮陽文書」 に拠 り、 この 名 越 左 源 太 が 関 与 して い た絵 図作 成 が 、 天 保15年 (1844)、 弘 化

3

年 (1846)の フラ ンス船 、 イギ リス船 の琉球来航事件 を背景 と して、嘉永4年 (1851) に大 島 に派遣 された扮 陽次郎右衛 門一行 の任務 であった こ とを示 し、彼 らの大 島派遣 を 「外圧 の深刻化 に対処 して、琉球 ・道之 島 と本土 「御 国元」 との物資交流 ・輸送 ルー トを確保す (41)永井亀彦 『高崎崩の志士 名越左源太翁』1934年.(7-8頁) (42)国分直

-「

『南島雑話』解説

『南島稚話2』平凡社、1984年.(236-237頁) (43)福岡大学研究所編 「大島代官記

『遺之島代官記集成』福岡大学研究所、1969年.(78頁) _1

(20)

8-史料編集室紀要 第29号 (2004) 1T〔 る と同時 に、大 島 を本琉球へ の橋頭壁 と しよ うとす る ものであ った .」 と位 置づ け、 この (lrl) 動 きが 島津斉彬 の描 く積極 的 な貿易外 交政策 と深 く結 びついていた と論 じて い る。名越左 源太 が 関 わ った大 島絵 図作成 の ための大 島調査 の経緯 に関 して は、黒 田安 雄 が提 示 した 「扮 陽文書」 に加 え、扮陽次郎右衛 門 とともに大 島に渡 った税所七郎右衛 門 に関す る 『税 (1() (】7) 所家年譜』 を用 い、筆者 も若干考察 を試 みた。 ここで は 『南 島雑話』 に組み込 まれ、 その 一部 が伝 わ ってい る、文政末 に伊藤助左衛 門 に よ り著 された 『南 島雑 録』 の成立背景 につ いて考 察 を試 み たい。 鹿児 島藩 は文 政末 よ り財政改革 に取 り組み始 め るが、財 政再建の柱 として奄美 の砂糖 が 位置付 け られ てお り、文政13年 (1830) 3月、大 島、徳之 島、喜界 島 に派遣 された代 官 に よ り、 「砂糖 惣御 買 入」 が布達 され、上納米 の未進分 を と りあ えず差 し止 め た うえで、一 (1t;) 切 の砂糖取 引が禁止 され、砂糖密売取締 も強化 された。大 島 には宮之原源之丞 らが派遣 さ れ、伊藤助左衛 門 を含 む代官武輿次郎 らは任期途 中の文政13年 (1830) 3月 に交代 となっ (1()) た。喜界 島 には、 3月17日に肥後八之進 らが来 島、 9月 4日に代官肥 後八之進、御徒 目付 (Lr:)0) 長崎新 之助 、横 目岩切彦 兵衛 の連名で42ヵ条 の達が 出 されている。 この達 は、大 き く分 けて、①砂糖惣買入関係

3

ヵ条 、② 延上納関係

5

ヵ条 、① と(参の両 方 に関わ る もの2ヵ条 、③ 勧農 関係2ヵ条、④ 不正禁止7ヵ条 、⑤経 費削減23ヵ条 か ら構 成 されてい る。半分 以上 の23ヵ条 を占めてい る経費削減 関係 の条文 は、役 人 (薩摩役 人、 島役 人の両 方)対 象 の ものが9ヵ条、公用 の雇用 人 に対 す る賃金規制 が4ヵ条、寺社対象 の ものが

6

ヵ条、冠婚葬祭 関係 の もの

1

ヵ条、そ して年 中行事 関係 の もの

3

ヵ条 に大 別 さ れ る。興味深 く思 われ るのは次 に示す年 中行事 関係 の規制 である。 一 七月、八月、水口折目、節折目、十五夜折 目、是追-折 目こ付三石武斗宛相渡来候得共、 過酋二相見得候間、此以後ハ壱酎ツツ相沸、夫こテ相済候様可取計候 但間切中β鶏、玉子、肴、野菜類、過分割合為差出来由候得共以来差止候、右壱石こ而随 分相調事候こ付、成丈省略ヲ以余計之物入無之様可取計候 (44)黒田安雄 「幕末外交 と 「南島雑話」の成立

『鎖国日本 と国際交流 下巻』吉川弘文館、1988 年 .(487-488頁) (45)黒田安雄 「幕末外交 と 「南島雑話」の成立

『鎖国日本 と国際交流 下巻』吉川弘文館、1988 年 .(485頁) (46)塩滴郁夫編 『税所家年譜』鹿児島県史料拾遺刊行会、1995年. (47)河津梨絵 「嘉永期の大島調査 と 『南島雑話

『鹿児島の湊 と薩南諸島』吉川弘文館、2002年. (48)福岡大学研究所編 「大島代官記

『道之島代官記集成』福岡大学研究所、1969年.(65頁) (49)福岡大学研究所編 「喜界島代官記

『道之島代官記集成』福岡大学研究所、1969年.(170頁) (50)改訂名瀬市誌編纂委員会編 「喜界島史料 藩磨きの布達諭達提規約等

『大島喜界両島史料雑 纂』改訂名瀬市誌編纂委員会、1996年.(77-82頁) _1

参照

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