Title
屋良朝苗の教材化−沖縄県版・社会科副読本『ひらけゆ
く沖縄県(4年)』への収録をめぐって−
Author(s)
嘉納, 英明
Citation
沖縄大学地域研究所所報(26): 63-67
Issue Date
2002-02-28
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/9841
Rights
沖縄大学地域研究所
屋 良 朝 苗 の 教 材 化
- 沖縄県版 ・社会科副読本 Fひ らけゆく沖縄県 (4年)Jへの収録をめ ぐって 一嘉 納 英
明
1.は じめに 県版の副読本 『ひ らけゆ く沖縄県(
4
年)A (沖縄時事出版社)の大幅改訂の話が舞 い込んだのは、平成12年度が始 まって間 もない頃である。 中頭地 区小学校社会科研 究会の会員の中か ら2名の副読本編集委員が求め られ、その1人 として副読本編集 に 関わることになった。 当時、 4年生担任であるか ら、 というのが主な理 由である。新 副読本 に対する出版社か らの要望は、①内容の大幅な刷新 を図ること、②新教育課程 移行期 においても十分に対応できる内容である こと、以上の2点であった。 これ らの 課題を抱えなが ら、副読本編集作業は始 まった。編集 ・執筆委員は、県小学校社会科 教育研究会の役員及び中頭 ・那覇 ・島尻地区選出の会員の計10名であった。 2.副読本の内容構成 県版副読本は、通常2学期以降、活用 されるものである。 1学期か ら2学期の初め 頃までは、各市町村版の副読本が主に活用 され るため、県版は、それ らと重複 しない 内容であることが当然求め られる。編集会議 当初か ら議論 されたのは、前述 した2つ の課題 に関連 した ものであ り、特に、 「旧版副読本のよ うな文章 中心の内容構成では、 子 どもの興味 ・関心 を十分引き出す ことにはな らないのではないか」 という意見が大 勢であった。議論 を通 して確認された点は、(彰子 どもが興味をもって問題解決的に学 習するスタイルに編集 した方がよいこと、②写真やイ ラス ト.資料 を効果的に活用 し、 ビジュアル化 を図ること。そのために全ページオールカラーにすべきこと、③先人 ・ 偉人については、 これまで取 り上げ られなかった先人 ・偉人を教材研究 し、編集委員 が新たに提案すること、以上の3点である。(丑∼③ までの確認事項 によ り新県版副読 本は、全ページ書き下 ろしの全面改訂 となったのである。 その後数回にわたる活発な議論の末確認 された点は、新学習指導要額では、伝統的 な工業な ど地場産業の盛んな地域 と、地形か ら見て特色ある地域 を含めて、 3つ程度 取 り上げ ることになっているため、新県版では、 「県内の特色ある地域」 として、塩 づ くりで有名な粟国村,紅 いもの読谷村,みかん狩 りの本部町の3地域 を収録するこ とになった。 「地域の発展 に尽 くした先人」 の具体例の収録をめ ぐっては、儀間真常、 玉城朝薫、屋良朝苗、志善屋孝信等の先人が挙げ られた。新学習指導要衝では、先人の具体的事例 として、地域 の開発 ・教育 ・文化 ・産業な どの発展に尽 くした人の中か ら、 1つの事例を取 り上げるようになっていることか ら、学習者の選択の幅 も考慮 し 3名に絞 り込んだ。 3人 とは、儀問責常、玉城朝薫、屋良朝苗のことである。 3.先人収録の際の議論 儀間真常は、沖縄の産業の恩人 として知 られ、 これ までの県版及び各市町村版の副 読本にも収録 され、学校の授業で も頻繁に取 り上げ られている人物である。そのため, 新県版副読本で も収録すべきだ という声が強 く、異論はなかった。玉城朝兼 と屋良朝 苗の新県版への収録は、初めての試みである。玉城朝薫は, 「組踊」 の提唱者 として 知 られた人物であ り、沖縄 の文化 を創出 した1人である。屋良朝苗は、復帰運動の指 導者 として知 られ、復帰後初の県知事の要職 を勤めた人物である。儀間真常を除いた 2人の先人の収録 については、様 々な意見が交わされ、先人収録の難 しさが露呈 した。 まず、玉城朝薫の提唱 した 「組踊」 の時代背景を、 4年生の子 どもに理解 させるた めの記述のあ り方が検討課題 とされた。屋良朝苗 については、 「教育の発展 に尽 くし た人」 (新学習指導要領) の観点か らとらえることはできないのではないか、む しろ、 復帰運動の指導者 という大衆運動家 ・政治家のイメージが強いのではないか、 という 意見であった。 【儀間 真常 (1557-1644)】 野国総官が中国か らもちかえったサ ツマ イモ を沖純 中にひろめ、木綿織 りや砂糖 の製法 を伝 えるなど、産業の発展 に大 きな功績 を残 したo 【玉城 朝薫 (1684-1734)】 能や狂言、歌舞伎 などの様式や内容 にふ れ、 これ らを参考 に して 「組踊」 を創作 したo 4.屋良朝首の業紙 と副読本への収録 確かに,屋良は、祖国復帰運動の指導 者 として知 られ、公選主席、その後 に続 く復帰後初の県知事の要職 に就 いた人物 である。 この間の軌跡を概観すれば、屋 良は間違 いな く政治家の道 を歩んだ人物 である。 しか し,近年に至るまでの屋良 に関す る印刷出版物 をひ も解 けば (注 1)、 屋 良 朝酋 1902 (明治35)年、読谷 村 に生 まれる。県立二中 (硯在の県立 那覇高校 )志喜屋孝信校 長の もとで教 諭。戦後 、知念高校長か ら、群 島政府 文教部長、沖縄教職員会長 を歴任 。の ち初の公選 による行政主席 、復帰後 も 県知事の要職 に就いた。
屋良の戦後初期における教育業績は、 「戦災校舎復興運動 (注2)」や 「教育四法の成 立 (注3)」等の沖縄の教育再建運動において も看過できない足跡を残 している。つ まり、筆者の理解する屋良朝苗は (戦後か ら1950年代の間に限定 して言えば),異民 族支配下の沖縄における教育再建運動の先駆者であ り,教育運動を通 して沖縄の復興 ・ 再建を考えた人物であると考えている。以上のことを考慮すれば、屋良は、時代の要 請に応 じて、その時々に教育者、復帰運動の指導者,政治家の顔をもったユニークな 人物であるといえる。その観点か ら、屋良を描写 し新県版 に収録することは、戦後の 沖縄の変遷を知る上でも重要ではないか と考えた。 編集会議では 「人物編」 に関わる議論は白熱 し、上記の屋良の業績をめ ぐる評価 に ついても様々な意見が飛び交い、 「現代の人物」 を、 「先人」 として取 り上げることに ついて、編集委員の間の共通理解を得るためには時間を要 した。結局、屋良に関する 記述内容は、(む戦前の屋良の教育実践活動 (手作 りの教材開発)、(診戦災校舎復興運 動、③祖国復帰運動、以上の点について執筆することになった。屋良の執筆は、 もち ろん私である。 5.新県版副読本の 「屋良朝苗」の内容上の諸特徴 新県版副読本は、全72ページの内容量である。 旧版のほぼ 2/ 3の分量 となって いる。そのうち、屋良朝苗の記述は8ページ分であ り,他の人物 と同じ内容量である。 小学生には難解 と思われる詩句にはル ビを付 し、簡潔な説明を欄外に設けた。また、 鮮明ではない写真資料は、発行所にイ ラス ト画にして描き直 して頂いた。前述 したよ うに、屋良の記述内容は、主に3つに区分される。以下、区分毎に内容上の特徴 を記 しておきたい。 【戦前の屋良の教育実践活動】 広島高等師範学校を卒業 した屋良朝苗は、帰郷 し、卒業生の記念アルバムの制作や 映写会の上映を試みる等のユニークな活動を展開 した。県立第二中学校 (現在の那覇 高校)の時代には、手作 りで道具をそろえたことや、また、台湾での学校では、理科 の道具や机などを制作 し 「展覧会」 を開催 した。子 どもの学習課題 として想定 したの は、 「屋良先生は、学校の先生になって. どんな ことをしたのだろう」であ り、 これ を冒頭に付 した。 【戦災校舎復興運動】 戦争で失った校舎を整えることが大切だと考えた朝苗は、全国募金運動を展開 した。 これを全国行脚 という。朝苗たちの全国募金運動は、多 くの人々の心をとらえ、た く さんの募金が集まったが、アメリカ民政府による介入で、集まった募金は、子 どもた
ちのための楽器や図書等の購入に充てられた(i愛の教具J)。子どもの学習課題とし て想定したのは、「朝苗は、なぜ、ぽ金運動をはじめたのでしょうかJであり、これ を官頭に付した。 【祖国復帰運動】 アメリカによる沖縄支配を止めさせ、日本本土に復帰することは沖縄の人たちの共 通の願いである。それは、沖縄にあるアメリカ軍の基地をなくし、平和な沖縄をつく ることを意味するものであった。当時の沖縄は、アメリカ兵による様々な事件が起こ り、軍用機が学校に墜落することもあった。沖縄を支配していたアメリカ民政府と朝 苗らは激しくぶつかり合いながらも、復帰運動は盛り上がり、 1972年5月15日、沖 縄は日本本土に復帰した。朝苗は、復帰後初の県知事になるが、アメリカ軍の基地は そのまま残された。子どもの学習課題として想定したのは、「朝苗は、なぜ、ふっき 運動をすすめたのでしょうかJであり、これを冒頭に付した。 新県版副読本「屋良朝苗J
6.おわ リに 編集会議の中で屋良朝苗の収録 をめ ぐり、 「先人」 の取扱 いについて 自由聞達な意 見の交換が行われた ことは、有益であった。新県版への執筆が終わった今 も、正直言 っ て 「現代の先人」の取 り上げ方は難 しく、私の屋良朝苗理解 も不十分である。小学生 向けの短編 「屋良朝苗」 を書き下ろ したつ もりであ り、 この副読本 を活用 しての授業 実践 もこれか らである。 【注】 1)例えば、屋良朝苗編著 『沖縄教職員会16年』労働旬報社、1968年。屋良朝苗著 『沖縄はだまっていられない』エール出版社、1969年。書屋武具栄著 『 屋良朝苗伝-沖縄の生んだ偉大な教育者』琉球文教図書株式会社、1970年。屋良朝苗著 『屋良 朝苗回顧録』朝 日新聞社、1977年。福地暁昭著 『教育戦後史開封-沖縄 の教育運 動 を徹底検証する-』 閣文社、1995年、書屋武具栄著 『戦後の沖縄 を創 った人一 屋良朝苗伝』 同時代社、1997年。 2) 「沖縄の戦後復興は、教育の復興か らお こすべきだ」 と主張 した屋良朝苗は、書 屋武真栄 らと共 に、沖縄戦 によ り壊滅 した校舎の復興運動 を全国的 に展開 した (1 953年)。 この全国募金運動は 「全国行脚」 とも呼ばれた。集め られた資金は、沖 縄の子 どもたちの教材 ・教具に換え られ,それ らを称 して 「愛の教具」 と言われた。 3)1958年 に成立 した教育四法 (教育基本法、学校教育法、教育委員会法、社会教 育法)は、民立法 としての性格 を有 し、その成立に大きく働 きかけた運動体のひ と つが,沖縄教職員会である。 この教育基本法の中で番われた 「日本国民 としての教 育」は、その後の教育運動の指標 となった。