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《論文》近世における『平家物語』の教材性 ―素読・書写のためのテキストとしての様相―

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Academic year: 2021

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(1)横浜国大国語教育研究No.43(2018). 《論文》. 近世における『平家物語』の教材性 ―素読・書写のためのテキストとしての様相― 菊野 雅之. 1. はじめに. 内に登場する書状文を取り込んだ古状揃と呼ば. 近代における国語科という枠組みの形成に関. れる往来物群である。. する研究が進捗することに平行して(甲斐雄一. 石川松太郎(1993)は,近代教育との関連を見. 郎,2008.小笠原拓,2004),制度形成や古典教. 通しながら往来物を次のように定義する。. 科書,文学史の問題について言及する成果が積み. 往来物というのは,もともと往返一対の手. 重ねられてきた(八木雄一郎,2015.都築則幸,. 紙模範文・模範型をいくつも集めて手本の形. 2013)。また,軍記研究では,大津雄一(2013). に仕立てたもので,平安時代の後期,十一世. によって『平家物語』の叙事詩論の歴史的展開に. 紀の後半に成立した。そののち中世を通して. ついて整理がなされ,近代における『平家物語』. 次第に普及していくなかで,手紙文体によら. 享受史の全貌が明らかにされた。本稿では,近代. ない記事文体でも,手本なら「往来物」と名. のはじまりからさらに時間を遡り,近世における. のりもし,呼ばれるようにもなった。降って. 『平家物語』教材論を試みる。今回は,特に『平. 近世になると,産業の発達により庶民層の間. 家物語』がどのように教材化されていたのか,と. で文字の読み書きへの要望が広範に興り,家. いうところに焦点をしぼるわけだが, 『平家物語』. 庭や寺子屋での学習に役立つさまざまの初歩. 一つをとっても,近世と近代では教材としての評. 教材・初歩教科書が作られ流布するようにな. 価の基準は異なるし,近代も言文一致運動の前後. った。そして,これらの教材・教科書すべて. でその位置付けは異なる。それらの差異を明らか. が往来物の範疇に組み入れられ,近代直前に. にすることは,現代に続く我々の古典教材へのま. は,国民の教育意識のうちに往来物=教科書. なざしの起源や特徴をより俯瞰的に把握するこ. の図式が成りたち,近代初等の教科書に深く. とにつながっていく。. 広い影響を遺しているのである。. 本稿では,まず『平家物語』の往来文を扱った. 1142 年以前の写本と考えられている『明衡往. 往来物,特に古状揃と呼ばれる往来物が素読・書. 来』(伝藤原明衡作『雲州消息』とも)が最古の. 写という教育活動にどのように利用されていた. 往来物とされているが,『平家物語』関連の最初. のかを確認する。古状揃は,その教材性が意識さ. の往来物は,1582 年の写本『義経腰越状』と考え. れるにつれて,その書式・内容を充実させていく. られる。近い時期のものとしては,1601 年に尊重. こととなるが,その変化についても併せて注目し. 親王筆本を重写した『腰越申状』がある。刊本で. ていく。また『平家物語』自体,具体的には当時. は,1600 年にイエズス会によって刊行されたキリ. の流布本(版本)を読むこと自体に寄せられた教. シタン版『和漢朗詠集』がある(「腰越状」,「熊. 育的効果についても述べ,近世における『平家物. 谷状」,「(経盛)返状」を所収)。. 語』の教材性を把握することを目指した。. キリシタン版『和漢朗詠集』は,外国人宣教師 のテキスト,またはセミナリオ(イエズス会の初. 2. 素読・手習いの初期教材としての古状揃. 等教育機関)やコレジオ(イエズス会の高等教育. 『平家物語』が最初に教材として使用された例. 機関)の日本人学習者のためのテキストとして作. はおそらく,往来物であったと考えられ,特にそ. 成されたと推察され,『平家物語』の教材史上,. のはじまりとしてキリシタン版『和漢朗詠集』が. 価値の高い史料と言える。外国人宣教師が日本の. 注目されるが(菊野雅之,2011),『平家物語』. 価値観を学習する一方で,日本人学習者には,書. の近世における教材性について整理する余地は. 状の文体や形式の学習をすることが期待されて. まだ残っている。注目すべきなのは,『平家物語』. いたようである。ただ,これはイエズス会が軍記 11.

(2) 横浜国大国語教育研究No.43(2018). 往来の教材性を発見したというよりも,1600 年前. し,其頃の様是にて可察へ,我等本家ニを. 後には,すでに軍記往来の教材性が定着しつつあ. だまき上下,開運録,由井根源記,集義和書,. り,それをイエズス会も積極的に取り入れたと解. 軍法極秘伝書,信長記,四書極有之といふ所. 1. する方が自然と言えるだろう 。もちろん外国人. ニて其位の事也. 宣教師たちも同様にその習得が求められていた. 中条はこの村の蔵書の少なさを嘆いているわ. はずである。. けだが,そのわずかな蔵書の中に古状揃が確認で. その後,古状揃と言われる群が散見されるよう. きる。これは古状揃が教材として定着していたと. 2. になる 。古状揃の最初期ものとしては,1625 年. いうことと同時に,村落においても手に入れるこ. 写本の『古状揃』があるが,これは近世中期以降. とがそれほど困難なものではなかったであろう. に広がった古状揃群とは形式が異なっている。近. ことを推察させる。中条は 22 歳の時に,四書の. 世において流通した古状揃の初期のものとして. 素読を医者を師として再開するのだが,その時の. は,『新板古状揃』(1649)が挙げられ,「今川. 状況を次の様に述べている(148 条)。. 状」「初登山手習教訓書」「義経含状」「弁慶状」. 一旦ハ医者か出家かと嘲り候も,追々我も. 「熊谷状」「経盛返状」「大坂状」「同返状」「腰. 〱と入門す,第一に我等,次に奥三郎来ッ. 越状」という軍記往来を中心に構成されている。. て古状揃をよむ,夫ヨリ庭訓等と其類例の人. この『新板古状揃』について,石川松太郎(1970. 別日に増進し,(中略)先最初ハ自分共の分. :131)は,「この往来は,近世から明治の初年. ニハ古状・式目・庭訓等も過候抔と申候者が,. にかけて,おびただしく流布した古状揃群の始祖. 後にハ四書・古文等と募り,稽古ノ夜も短し. となり原型となったもの」で「教科書の歴史全般. と嘆息して,(以下略). のうえで,重要な地位」を占めていたとする。古. 注目すべきは素読の最初の段階のテキストが. 状揃に収められている書状のうち,『平家物語』. 古状揃であるという点であり,古状揃が素読の教. に直接関わる書状は,「熊谷状」「経盛返状」「腰. 材として定着していることがわかる。また,近世. 越状」である。「熊谷状」は「敦盛最期」の後日. の民衆の教育状況を論じた利根啓三郎(1984)に. 譚に関わる書状で,敦盛の父である経盛宛の熊谷. も,古状揃から庭訓往来へ,そして四書五経とい. 直実の書状である。「経盛返状」はそれに対する. ういわば定式化した学習過程を踏んだ農民師匠. 経盛からの返事,「腰越状」は義経が頼朝に自ら. についての指摘がある4。こういった学習の形は,. の潔白を訴えた書状である。. 明治の初期まで継続していたと考えられる。明治. 鈴木俊幸(2007:136-144)は,埴科群森村の. 3年創立の伊勢の興譲堂という藩校では,初級に. 名主であった中条唯七郎が遺した『見聞集録』を. 続く二級の教材として,商売往来,消息往来,風. 取り上げ,村落における教材のレパートリーを明. 月往来,庭訓往来,今川状,腰越状,義経含状,. らかにしている。中条自身が四〇年間書き続けた. 弁慶状,熊谷状,経盛返状,曽我状を挙げている. 日記を,1847(弘化4)年にまとめたものが『見. 5. 3. 。これは,藩校が多くの子弟(農民の子弟など. 聞集録』である 。その中で,鈴木は当時の教材. も含む)に対して教育活動を行うようになり,藩. の広がりを示す例として,148 条「近来素読流行. 校においても寺子屋が従来扱ってきた教材も取. の事」の次の部分を挙げている(以降,引用中の. り込むようになったための現象であるが,今川状. 傍線は稿者による。)。. から曾我状にかける並びは明らかに古状揃の並. 又廿一歳の七月, 存付師へ縋ッて朗詠集を読,. びであって,明治3年時点においても,古状揃が. 其頃当村に朗詠上下揃って全備せしハ決して. 初学者の教材であったことが確認される。. なし,只先生の所に講釈付の分有之耳,我等 本家に上巻あり,坂入笠井九五郎ニかな付の. 3. 古状揃における学習上の工夫. 下巻ある耳,何書によらず,只ある物ニハ古. 古状揃は,近世から明治初期にかけて様々のパ. 状揃,庭訓,式目,実語教,童子教耳也,よ. ターンを派生させていった6。当初,軍記往来に. ミ本の軍書等ニも,坊太郎,しが団七,其外. 限らず往来物全般において,返り点や注釈などは. 珍敷大部といひは慶安太平記の外何ニてもな. ほどこされず,初学者が独学でそれを読みこなす 12.

(3) 横浜国大国語教育研究No.43(2018). には難度が高かった。それが徐々に教科書として. あった十返舎の挿絵に,栄寿堂が「雀躍」したの. の性格を帯びる中で,学習者の状況に対応した往. は当然のことであった。当初は,訓点もルビも挿. 来物が見られるようになってくる。養真子作・序. 絵もなかった往来物に,徐々に学習者の理解を助. (1670)『武家往来』について,小泉吉永は次の. けるための配慮や興味を喚起するための挿絵と. 7. いった工夫が凝らされるようになっていく8。. ように説明する 。 上・中巻は『源平盛衰記』,下巻は『太平記』. 増田春好注・西村中和画(1809)『<文化新刻>. から,詔勅・願書・表奏・檄文・牒状などを. 古状揃童子訓』は,「各古状の本文を数段に分け. 抜粋(上巻二三状,中巻一七状,下巻一六状,. て大字・七行・無訓で記し,段毎に平易な割注を. 計五六状)した広い意味での『古状揃』であ. 施」し,「頭書に本文の書き下し文を掲げたり,. る。序文によれば,これらの書は文章を学ぶ. 古状と古状の間に見開きの教訓的な挿絵を置い. ための一助となるだけではなく,「古之軍容. て視覚に訴えるなど『童子訓』にふさわしい童蒙. ・兵政」において,その「梗概」を知るに近. 用注釈書」9である。教材としての配慮が行き届. からんものとする。本文を大字・六行・ほと. いており,初学者教材としての性格がいよいよ強. んど付訓で記すように,平安末から鎌倉・室. 化されていく。. 町初期にかけての格好の軍記物ダイジエスト. その決定版と言えるものが,高井蘭山注・序. という読み物的要素も濃い。. (1832)『児読古状揃証註』である。これは,当. 『源平盛衰記』と『太平記』に収められた書状. 時流行していた『経典余師』の形式にならって改. を収めたものだが,その教材価値には文章の学習. 訂され,往来自体内容はこれまでの古状揃と同じ. だけではなく,「古の軍容・兵政」の「梗概」を. だが,各書状を大字・八行・無訓で示し,段ごと. 学習することも期待されている点には注意した. に割注を挿入し,さらに上段の頭書に総振り仮名. い。手習や素読の過程を通してそれぞれの書状の. の書き下し文を配置している。「類書中最も普及. 歴史的背景について学ぶということも想定され. し,後続の『古状揃』注釈書に決定的な影響を与. ているわけである。古状揃群は学習効果を高める. えた」10往来物である。この『児読』の後には,. ためにその書式を更新していく。十返舎一九編. さらに修正を加えた蔀部風注・序(1841)『〈頭. (1804)『花墨新古状揃萬年蔵』の見返しには次. 書訓読〉古状揃精注鈔』などが続いている。. のようにある。. 古状揃は素読と手習いの手本として,その書式. 十返舎主人生著述を好み其いとまに諸事を熟. の最適化をくり返し,定番の教材として時代に定. 覧してそれこれを注書し蔵せるもの数巻あり. 着していった。. 予一日閑談のため机下に跪て蔵書を観るに此 一本あり古へより勇士の遺文を集めて古状揃. 4. 通俗歴史・伝奇小説としての『平家物語』. と題し童子素読の入門とする事都鄙に渉りて. 『平家物語』の往来部分に留まらず,『平家物. 普く諳んず今これを板本として夫に嗣んとを. 語』自体(ここでは当時流通していた流布本とい. 乞ふ主人速にゆるして再訂し上に其故を解し. うことになろう)も,文字の読み書き教材となっ. 且絵をもつて曉しめんと斯なして賜はると雀. ていたことも併せて確認しておきたい。. 躍し直に剞劂に命じ頓に刻本とし萬世に利あ. 大江玄圃の『間合早学問』(1766 序)には「学 問捷径」という章の中で次のようにある11。. らしめんとを 古状揃は「古へより勇士の遺文」を収め,「童. 世に学問といへば。広大高明なることにて今. 子素読の入門」書であり,それは,広く都でも田. 日の凡夫の。かりにもうかゞふへきにあらず. 舎でも「普く諳ん」ぜられていた。それを十返舎. を思ひて。少しも立よらぬは。其ちかき道を. の蔵書から見つけ出した栄寿堂は,それを復刻し. しらざるゆゑなるべし。かりにも学問に志あ. 売り出すことを提案した。十返舎は教材としての. らば。まづ仮名がきの軍書。或は通俗三国志. 性格をふまえて再訂し,挿絵も書き入れた作りに. などの類。ひたすらよむべし。通俗ものゝ類. したという。実際の売れ行きは不明だが,すでに. を。おほく読ゆけば。文字も余程覚るなり。. 『東海道中膝栗毛』によって人気作家になりつつ. それより蒙求史記の類をよむへし。蒙求史記 13.

(4) 横浜国大国語教育研究No.43(2018). の類あらかた読おはらば。四書五経をよむべ. いった平家物語の把握は,明治期においてもおお. し。かくのことくつとむれは。大かたよめる. むね同様の形で継続された。 例えば,関根正直. ものなり。. (1890:2)は,『小説史稿』において,小説と. また,「文章捷径」の章には次のようにもある。. は「巷談。」「巷談を本として。一部の趣向を構. 文を作らんとおもはゞ。故事談。江談抄。著. へしもの。」 「史伝の事跡を。敷衍潤色せしもの。」. 聞集。平家物語などの。仮名文の内にて。何. 「作者の肚裏より出でゝ所謂空中に楼閣を構へ. 成とも其一段を書写し。これに文字をすゑて。. しもの。」と定義し,小説のはじまりが「夢野の. 漢文となすなり。或は又短き説話などに。ひ. 鹿の物語」と「浦島子の物語」であるとする14。. たすら文字をすゑ習ふべし。此類を紀事とい. その上で,平家物語については次のように「演義. ふ。文を作るの捷径なり。紀事数種作り終ら. の史類」と位置付けている(p.27)。. ば。序。記。論等の文章。心にまかせて作る. 斯くて平家物語源平盛衰記等。演義の史類に. はじめなかおはり べし。すべて文章に頭 腹 尾 のくば. は。右の巷談街説を。事実に混じて。記載し. りあはせあり。(以下略). なるか。是は演義の史類に似たれど。猶全く. たるものならん。又判官物語抔も此時代の作. 軍記(軍書)が学習階梯の最初に設定される場. 小説なり。. 面があった。「おほく読みゆけば。文字も余程覚. 『判官物語』を「全くの小説」と位置付けてい. ゆる」(『間合早学問』)ことが期待され,平家. るのに対し,平家物語は,「演義の史類」とされ,. 物語を書写することが,「文を作るの捷径」とさ. 小説と区別されている15。坪内逍遙(1893:126). れていた。. は「野史のたぐひ」と言い切っている。. また,小川顕道(1814)『塵塚談』には,次の. 国文にて成れる叙事の詩歌の意匠の統一を具. ようにある。. へて長編なるものは按ふに叙事の浄瑠璃を首. 是等の説を以て思ふに,平家物語は跡方もな. とすべしそれよりも前に『平家物語』あれど. き事を俗のおもしろく思ふ様に,あはれに作. 彼れは華文にて綴りたる野史のたぐひなり律. り置しもの也。故に事実を失ひ,信用する足. 語の意義をいたく押し広めざる限は彼の文を. らざる事明らけし。閲人これを覚えずして,. 詩歌とはいひがたし. 実録と思ふ事誤りなり。されども今の浄瑠璃. なお,坪内逍遥は絵入文庫刊行会(1926)『絵. 本とは雲泥の違ひ,教訓ともなるべき事多し。. 入文庫』第十六巻にも収められた『平家物語図絵』. 近世の浄瑠璃本は言葉いやしく,無禮不義淫. に対して序を載せ,この図絵を「一つの通俗歴史」. 愛の事のみ多くして,人をそこなふ事なり。. であると位置付けている。. 後世に胎り今の世をけがす事嘆かわしき事い. 本書は特に当時の家庭用に供せんとの目的を. ふばかりなし。. 以て,支那小説の翻訳家として一代に名あり. 『平家物語』は俗なもので,歴史的事実として. し高井蘭山が,其の雅健の筆を揮って,『平. は誤りがあることが指摘されている。もっとも,. 家物語』を小説体に敷衍したるもの。浮世絵. 浄瑠璃本が「無禮不義婬愛」のことばかりを描く. の名家有阪北馬の密畫を挿めり。 平家の起源,. 12. のに比べ,「教訓」となることが多いという 。. 清盛の栄華に筆を起して,平家滅亡に至るま. 小宮山楓軒の『楓軒偶記』(1810)には,「源頼. での事跡,さながら絵巻物の如く展覧せらる。. 政の鵺を射て高名ありしこと,平家物語に載せ,. これまた一の通俗歴史たり。」. 今の世までも人口に膾炙し,三才の児童もよく是. この「通俗歴史」である『平家物語』が古典文. を知れり。(中略)平家の如きは実に伝奇小説,. 学としての価値(古典教材としての価値でもあ. 其信じがたきこと勿論なり。」などとある。当時. る)を得るためには,明治 23 年の古典文学全集. の浄瑠璃などの浮ついた叙述に比べて,その物語. (落合直文・小中村義象・萩野由之編『日本文学. 性,教訓性は読み物としての価値を高めていた. 全書』博文館)や日本における最初の文学史(三. が,史実性については心許なく「伝奇小説」とし. 上参次・高津鍬三郎『日本文学史』金港堂)の発. 13. ての位置付けが妥当なものとされていた 。こう. 刊を皮切りとした古典文学復興,平家物語叙事詩 14.

(5) 横浜国大国語教育研究No.43(2018). 論の形成といった幾重かのプロセスを経てカノ. 往来』を読み,さらに四書五経を学んだ。. ン化される必要があった。. 5文部省編(1890)『日本教育史資料』 6小泉吉永主催「往来物倶楽部. 五. おわりに. 往来物データベ. ース 往来物解題・全文検索」にて,「古状揃」. 近世において,文字の読み書き,文章の構成を. を含む往来物を検索すると,その数は二二種類. 学ぶための教材としてその一部である往来部分. である。. を中心に『平家物語』は活用されていた。また,. 7小泉吉永主催「往来物倶楽部. 往来物データベ. 併行して通俗歴史書として,その中に教訓性を汲. ース. み取られつつも娯楽として楽しまれてもいた。い. の項(2016 年 11 月 22 日閲覧)。. わば読み書きといった基礎的なリテラシーを培. 往来物解題・全文検索」の「武家往来」. 8この古状揃の変容については,石川松太郎. う教材として利用されていたのである。. (1970)は,次のように指摘している。. 一方,明治期に時代が移ると,往来物教材は急. ただ,江戸中期,享保ごろから,寺子屋の. 速にその姿を消していき,教材としての『平家物. 普及にともなって,庶民もまた,歴史科往来. 語』は,近代文語文(普通文)の模範として新た. の学習に参加してくるようになり,やがては,. に近代中等教科書に採用されることとなる。『平. その主体を占めてくるようになってくると,. 家物語』を学ぶことの意義は,近世から明治期に. 事態は変転する。それは,後述の他類型の進. 引き続き,リテラシー獲得のためという実際的な. 出にもあらわれているが,古状型そのものも,. 要請の中に位置付いていた。近代文語文の形成・. 変質を余儀なくされている。まず,武士の勢. 普及が求められていた明治期中期までは,近代文. 力争いがからんだものとはいえ,古代末期か. 語文(普通文)に対する文範性が認められ,近世. ら中世にかけての院政や寺院に関する古状・. 以前の作品を読むことに実際的な教育的価値が. 擬古状は遠慮会釈もなく割愛され,草紙や講. 存在していた。新たに「国民性の涵養」という言. 談や稗史によって庶民に人気のたかかった菅. 葉によって,古文教材の教育的価値を論じること. 原道真・源義経・武蔵坊弁慶,さらには上杉. となるのは,言文一致運動によって,古文の文範. 謙信・武田信玄・豊臣秀吉といった,戦国武. 性が大きく揺らぎ始めたころからであった。. 将にかかわるものがクローズ・アップされる ようになった。(中略)さらに,同じ中世こ. 注. のかたの古状・擬古状を学習させるにしても,. 1キリシタン版『和漢朗詠集』については,菊野. 総ふりがなつきとしたり,平易な注解を加え. 雅之(2011)においても言及した。. たり,また,巻首・頭書・巻末に,日常生活. 2古状揃の形成過程については,山田忠雄(1982). に要用のさまざまな記事を用意したりして,. が詳しい。. 庶民教育にふさわしい教科書とするように努. 3鈴木は,1845(弘化 2)年とするが,柄木田文. 力しているあとも,見おとすわけにはいかな. 明(2010:163)は,1847(弘化 4)年とする。. い。. 本稿では柄木田に依る。なお,柄木田(1992). 9小泉吉永主催「往来物倶楽部. も参照した。. ース. 4利根は次のように述べる。. 往来物データベ. 往来物解題・全文検索」の「<文化新刻>. 古状揃童子訓」の項による(2016 年 11 月 22 日. 武州埼玉郡篠津村において,嘉永 5 年(1852). 閲覧)。. から明治 5 年(1872)まで寺子屋を開業して. 10小泉吉永主催「往来物倶楽部 往来物データベ. いた農民師匠大野雅山は,大野政右衛門の三. ース. 男であった。親からの家督相続という恩恵も. 証註」の項による(2016 年 11 月 22 日閲覧)。. なく,土地所持高は皆無であった。しかし芸. 11『少年必読日本文庫』第 4 編も参考にした。底. 業を飯の種とするため,11 歳で黒浜村宝蔵院. 本のルビは,読みやすさを優先し省略した。な. へ登山して,いろはより古状揃を学び,15 歳. お,「学問捷径」についての指摘は,長友千代. で川嶋村生沢竹次郎金斉の塾に転じて『庭訓. 往来物解題・全文検索」の「児読古状揃. 治(1982)を参照した。 15.

(6) 横浜国大国語教育研究No.43(2018). 12長友千代治(1982)は,「江戸時代における軍書. ・小宮山楓軒(1810)『楓軒偶記』(高木市之助. とは『太平記』であるといっても過言ではない」. 他編著『国語国文学研究史大成』第 9 巻,三省. とも述べているが,それは『太平記』が他の軍. 堂,p.470). 記に比べ,より「鑑戒的,勧善懲悪的精神」(長. ・十返舎一九撰(1804)『花墨新古状揃萬年蔵』. 友)を豊富に抱え込んでいることも大きな理由. (石川松太郎監修『往来物大系』第 44 巻,大. だろう。例えば,藤井譲治(1995)は,酒井忠. 空社). 直(1634-1682)の『御自分日記』を取り上げ,. ・中条唯七郎(1847)『見聞集録』(柄木田文明. そこでの講書として扱われたものは,漢籍より. 「<史料紹介>中条唯七郎『見聞集録』」『成蹊. 和書の方が圧倒的に多く,中でも軍記(特に『太. 論叢』第 33 号,11-52). 平記』や『信長記』)が多かったことを指摘し ている。. 引用文献. 13越智正勝(1775 序)『平家物語私解』の跋文 には,「若夫平家物語者 終筆於西方往生 淵以糺正人心. 起端於盛者必衰. 文章妖艶以観娯衆情. ・大津雄一(2013)『『平家物語』の再誕 創ら. 而. れた国民叙事詩』NHK出版. 意旨深. ・石川松太郎(1970)『日本教科書大系 往来編』. 所謂感動人心以勧善懲悪者也」. 第 11 巻,講談社. と記されている。平家物語とは,民衆を楽しま. ・石川松太郎(1993)「発刊にあたり」『往来物. せ,人心を糺す勧善懲悪の物語である。また,. 大系』第 43 巻,大空社. 高井蘭山著・蹄齊北馬画(前編 1829,後編 1849). ・小笠原拓(2004)『近代日本における「国語科」. 『平家物語図会』の自序には「人物之善悪是非。. の成立過程―「国語科」という枠組みの発見と. 将士之智愚剛臆。烈夫之義。貞女之操。燦乎明. その意義』学文社. 干此。今為児女子誌平家物語図会十二册。読人. ・甲斐雄一郎(2009)『国語科の成立』東洋館出. 冀弃怪異説。採真面目。有温故之一助云。」と. 版社. あり,また,「此度高井某が思ひ起して,今様. ・柄木田文明(1992)「中条唯七郎と見聞集録―. には堪能なる絵匠の北馬と云へるに,心たまし. 近世後期在村知識人の思想」『成蹊論叢』第 31. ひ入りたらむ如く畫きなさせ,誰にもよくその. 号,34-60. 事のこゝろを知り得て,世の人の盛おとろへ,. ・柄木田文明(2010)「近世後期在村知識人の思. 物の哀れを目のあたり見るが如く,目を慰る絵. 想と行動―信州埴科群中条唯七郎の場合」若尾. 草紙と綴り改めしは,めでたしと云ふべし。」. 政希・菊池勇夫編『覚醒する地域意識』吉川弘. ともある。. 文館. 14関根正直と坪内逍遥については,高木市之助・. ・菊野雅之(2011)「教材『平家物語』のはじま. 小沢正夫・渥美かをる・金田一春彦(1959:19). り」―キリシタン版『和漢朗詠集』と『古状揃』. や大津雄一(2013:62-64)を参考にした。. ―」『学術研究―国語・国文学編―』第 59 号. 15小宮山楓軒が平家物語を「伝奇小説」としたの. ・小泉吉永主催「往来物倶楽部 往来物データベ. は,その史実性への疑いに視点を置いているか. ース 往来物解題・全文検索」. らである。また,関根正直が,平家物語を小説. http://cgi2.bekkoame.ne.jp/cgi-bin/user/. と区別し,「演義の史類」としたのは,反対に,. u109732/blocker/sgate.cgi(2016 年 11 月 24. 歴史的事実を踏まえた上で構成されているから. 日確認). である。. ・鈴木俊幸(2007)『江戸の読書熱 自学する読 者と書籍流通』平凡社. 史料. ・関根正直(1890)『小説史稿』金港堂. ・大江玄圃(1766)『間合早学問』(早稲田大学. ・高木市之助・小沢正夫・渥美かをる・金田一春. 図書館蔵本による。). 彦(1959)「解説」高木市之助・小沢正夫・渥. ・小川顕道(1814)『塵塚談』(高木市之助他編. 美かをる・金田一春彦校注『日本古典文学大系. 著『国語国文学研究史大成』第九巻,p.474). 平家物語』岩波書店,3-66 16.

(7) 横浜国大国語教育研究No.43(2018). ・都築則幸(2013)「旧制中学校における国文学 史教育の変遷. 7小泉吉永主催「往来物倶楽部. 明治末期から昭和前期を中心. 往来物データベース. 往. 来物解題・全文検索」の「武家往来」の項(二〇一六年十. に」『国語科教育』第 74 号,93-86. 一月二二日閲覧). ・坪内逍遥(1893)「美辞論稿」『早稲田文学』. 8この古状揃の変容については,石川(一九七〇)は,次. 坪内雄蔵『逍遥選集』第 11 巻,春陽堂,11-56. のように指摘している。. ・利根啓三郎(1984)「民衆の教育需要の増大と. ただ,江戸中期,享保ごろから,寺子屋の普及に. 寺小屋」「講座日本教育史」編集委員会編『講. ともなって,庶民もまた,歴史科往来の学習に参加. 座日本教育史』第 2 巻,第一法規出版. してくるようになり,やがては,その主体を占めて. ・長友千代治(1982)『近世貸本屋の研究』東京堂出. くるようになってくると,事態は変転する。それは,. 版. 後述の他類型の進出にもあらわれているが,古状型. ・藤井謙治(1995)「近世前期の大名と待講」横. そのものも,変質を余儀なくされている。まず,武. 山俊夫編『貝原益軒 天地和楽の文明学』平凡. 士の勢力争いがからんだものとはいえ,古代末期か. 社. ら中世にかけての院政や寺院に関する古状・擬古状. ・八木雄一郎(2015)「1960(昭和 35)年高等学校. は遠慮会釈もなく割愛され,草紙や講談や稗史によ. 学習指導要領における「古典としての古文」の. って庶民に人気のたかかった菅原道真・源義経・武. 成立過程:古「典」教育における古「文」の位. 蔵坊弁慶,さらには上杉謙信・武田信玄・豊臣秀吉. 置」『日本語と日本文学』第 58 号,29-40. といった,戦国武将にかかわるものがクローズ・ア ップされるようになった。(中略)さらに,同じ中. ・山田忠雄(1986)『国語史学の為に 往来物』. 世このかたの古状・擬古状を学習させるにしても,. 笠間書院. 総ふりがなつきとしたり,平易な注解を加えたり, また,巻首・頭書・巻末に,日常生活に要用のさま. 〔 付記〕 本研究は JSPS 科研費 JP15K04470 ,. ざまな記事を用意したりして,庶民教育にふさわし. JP17K04729 の助成を受けたものである。. い教科書とするように努力しているあとも,見おと すわけにはいかない。 9小泉吉永主催「往来物倶楽部. 1キリシタン版『和漢朗詠集』については,菊野雅之(二. 〇一一)に詳しい。. 往. による(二〇一六年十一月二二日閲覧)。. 2古状揃の形成過程については,山田忠雄(一九八二)が. 10 小泉吉永主催「往来物倶楽部. 詳しい。. 往来物データベース. 往来物解題・全文検索」の「児読古状揃証註」の項による. 3鈴木は,一八四五(弘化二)年とするが,柄木田文明(二. (二〇一六年十一月二二日閲覧)。. 〇一〇:一六三)は,一八四七(弘化四)年とする。本稿. 11『少年必読日本文庫』第四編も参考にした。底本のル. では柄木田に依る。なお,柄木田(一九九二)も参照した。. ビは,読みやすさを優先し省略した。なお,「学問捷径」. 4利根は次のように述べる。. についての指摘は,長友千代治(一九八二)を参照した。. 武州埼玉郡篠津村において,嘉永五年(一八五二). 12長友千代治(一九八二)は,「江戸時代における軍書と. から明治五年(一八七二)まで寺子屋を開業してい. は『太平記』であるといっても過言ではない」とも述べて. た農民師匠大野雅山は,大野政右衛門の三男であっ. いるが,それは『太平記』が他の軍記に比べ,より「鑑戒. た。親からの家督相続という恩恵もなく,土地所持. 的,勧善懲悪的精神」(長友)を豊富に抱え込んでいるこ. 高は皆無であった。しかし芸業を飯の種とするた. とも大きな理由だろう。例えば,藤井譲治(一九九五)は,. め,一一歳で黒浜村宝蔵院へ登山して,いろはより. 酒井忠直(一六三〇―一六八二)の『御自分日記』を取り. 古状揃を学び,一五歳で川嶋村生沢竹次郎金斉の塾. 上げ,そこでの講書として扱われたものは,漢籍より和書. に転じて『庭訓往来』を読み,さらに四書五経を学. の方が圧倒的に多く,中でも軍記(特に『太平記』や『信. んだ。. 長記』)が多かったことを指摘している。. 5文部省編(一八九〇)『日本教育史資料』 6 小小泉吉永主催「往来物倶楽部. 往来物データベース. 来物解題・全文検索」の「<文化新刻>古状揃童子訓」の項. 13越智正勝(一七七五序)『平家物語私解』の跋文には,. 往来物データベース. 「若夫平家物語者. 往来物解題・全文検索」にて,「古状揃」を含む往来物を. 文章妖艶以観娯衆情. 検索すると,その数は二二種類である。. 17. 起端於盛者必衰. 而終筆於西方往生. 意旨深淵以糺正人心. 所謂感動人.

(8) 横浜国大国語教育研究No.43(2018). 心以勧善懲悪者也」と記されている。平家物語とは,民衆 を楽しませ,人心を糺す勧善懲悪の物語である。また,高 井蘭山著・蹄齊北馬画(前編一八二九,後編一八四九) 『平 家物語図会』の自序には「人物之善悪是非。将士之智愚剛 臆。烈夫之義。貞女之操。燦乎明干此。今為児女子誌平家 物語図会十二册。読人冀弃怪異説。採真面目。有温故之一 助云。」とあり,また,「此度高井某が思ひ起して,今様 には堪能なる絵匠の北馬と云へるに,心たましひ入りたら む如く畫きなさせ,誰にもよくその事のこゝろを知り得 て,世の人の盛おとろへ,物の哀れを目のあたり見るが如 く,目を慰る絵草紙と綴り改めしは,めでたしと云ふべ し。」ともある。 14関根正直と坪内逍遥については,高木市之助・小沢正. 夫・渥美かをる・金田一春彦(一九五九:十九)や大津雄 一(二〇一三:六二―六四)を参考にした。 15小宮山楓軒が平家物語を「伝奇小説」としたのは,そ. の史実性への疑いに視点を置いているからである。また, 関根正直が,平家物語を小説と区別し,「演義の史類」と したのは,反対に,歴史的事実を踏まえた上で構成されて いるからである。. (北海道教育大学). 18.

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