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内村鑑三はベンジャミン・キッドをどう読んだか : 社会進化論の影響の一断面

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はじめに  おおよそ1990年代以降の日本の宗教研究にお いては,「宗教とは何か」を素朴に問うような かたちでの本質論的な宗教研究は成り立たなく なっている。代わって論じられているのは, 「宗教はどのようなものとされてきたのか」と いう概念の系譜学である。直接こうしたテーマ を扱わない場合でも,前提的な問題意識として 宗教概念の歴史性,宗教概念が歴史的な構築物 であるという,当たり前といえばしごく当たり 前の事柄を無視することができなくなってい る。この変化は,宗教研究という分野に遅れて やってきた言語論的転回といえ,もっぱら英語 圏における動向に影響されたものでもあるが, きわめて刺激的かつ生産的な問題領域として, 数多くの研究が積み重ねられてきた1)  こうした研究姿勢は,宗教という概念をひと つの言説として扱うものであり,そうである以 上,宗教言説が構築される過程を明らかにしよ うとするものとなる。そして,宗教言説の構築 過程は,宗教以外のさまざまな,それ自体も歴 史的な系譜を有する諸概念との連関の過程でも ある。したがって,宗教概念の研究は,宗教概 念・言説の系譜という糸と,他の諸概念・言説 の系譜の糸とが縒り合わさった束を解きほぐし てゆくような作業となる。  本稿は,そうした作業の一環として,宗教と 社会進化論との関連を示そうとするものであ *立命館大学産業社会学部准教授

内村鑑三はベンジャミン・キッドをどう読んだか

─社会進化論の影響の一断面─

住家 正芳

*  「2つの J」,すなわち Jesusと Japanへの忠誠を誓った内村鑑三が,第一高等中学校での「不敬事件」 のように,そうした Jesusへの忠誠(宗教)と Japanへの忠誠(愛国心)との深い溝に悩まされたこ とはよく知られている。本稿は,宗教と愛国心との葛藤の解決を内村がどのようなものに見出してい たのかを検討することによって,19世紀末以降世界的に流行した社会進化論が宗教のとらえ方にも大 きな影響を及ぼしていたことを跡づけようとするものである。1861年生まれの内村が生きた時代は, ダーウィンの進化論や,スペンサーに由来する社会進化論が世界的に大きな影響力を持った時代であ った。当時名を馳せた社会進化論者の一人にベンジャミン・キッドがおり,内村はこのキッドの著作 に大きな感銘を受けていた。そこで本稿は,内村がキッドの著作のどういうところに宗教,進化論, 愛国心という課題の解決ないしは解決の糸口を見出していたのかを検討する。 キーワード:内村鑑三,ベンジャミン・キッド,社会進化論,宗教概念

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る。そして,その具体的な対象として内村鑑三 に対するベンジャミン・キッドの影響を明らか にする。 1 内村鑑三の課題 1‐1 「2つの J」  内村鑑三(1861(文久1)~1930(昭和5) 年)が「2つの J」,すなわち Jesusと Japanへ の忠誠を誓ったことはよく知られている。そし て,1891年に起きた第一高等中学校での「不敬 事件」に象徴されるように,このような宗教と 愛国心2)との両立は現実的にも内面的にも内村 に大きな課題を突きつけることとなった。  では,どういう課題を内村は突きつけられた のか。帝国大学の哲学教授であった井上哲次郎 による内村への批判にその一例を見ることがで きる。井上哲次郎は,内村の「不敬事件」を題 材として「耶蘇教徒は多く外国宣教師の庇蔭を 得て生長せしものゆゑ,甚だ愛国の精神に乏し きなり」と批判し,キリスト教徒は愛国心に欠 け,「国の統合一致を破らんとす」る存在であ ると攻撃した3)。外国からもたらされたもので あるキリスト教と愛国心すなわち国家への忠 誠,さらには天皇への忠誠とは相容れるもので はなく,国家の統合の障害となる,というのが 井上哲次郎のキリスト教批判の要点であった。  これに対して内村は「文学博士井上哲次郎君 に呈する公開状」(1893(明治26)年3月15日 『教育時論』掲載,全集2巻所収)4)で反駁を試 みている。まず,「不敬事件」に関する井上哲 次郎の記述は,内村からすればキリスト教批判 に偏向した報道記事ばかりをもとにしたもので あったため,事実誤認を指摘し,勅語に対して 敬礼しなかったわけではないとする。そして, 勅語に対して敬礼するか否かではなく,勅語の 内容を実行するかどうかが問題である。だが, 現実に勅語が発布されてよりこのかた,日本の 教育や道徳に何の進歩もないではないかと論じ る(全集2巻129頁)。  また,井上哲次郎がキリスト教徒は外国人宣 教師の影響のもとにあると難じたのに対して は,帝国大学に職を得ている井上哲次郎は「政 府の庇蔭を得て生長せしもの故甚だ平民的思想 に乏しきなり」(全集2巻130頁)として,その 視野の狭さなどを批判する。さらに,井上哲次 郎がハーバート・スペンサーに依拠しているこ とに対して,スペンサーはその著作の中で独裁 政治・君主政体をこっぴどく批判しているが, 尊皇愛国を掲げるあなたのような方がそうした スペンサーをあがめ奉ってよろしいのかと揶揄 する(全集2巻131-3頁)。  だが,こうした内村の反駁は揚げ足取りにと どまるものである。井上哲次郎の批判はもちろ ん一方的なものであるが,日本という一つの国 家への忠誠とキリスト教信仰とは両立し得るの かという問題をつきつけるものともなってい る。井上哲次郎に対する,この時点での内村の 反駁は,そうした問題について答えるものとは なっていない。宗教と愛国心との葛藤に対する 明確な答えを,この段階での内村は提示できて いなかったといえる。 1‐2 愛国,科学,信仰  ところで,内村にとっての課題は「2つの J」 だけではなかった。晩年になってから札幌でキ リスト教に入信した頃を回顧して以下のように 述べている。 余は四十年前に,札幌に於て二三の大問題を提供

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された。そして其解決を得んとして今日に至つ た。其第一は,如何なる基督教が人類を救ふに足 る乎,其第二は,基督教と進化論との関係如何, 其 第 三 は,日 本 国 の 天 職 如 何 等 で あ る。(1923 (大正12)年11月2日付け日記,全集34巻240頁)  どのようなキリスト教が人類を救い得るの か,キリスト教と進化論をどのように両立させ 得るか,日本国の為すべき使命は何か,を内村 は考え続けてきたということである。そして, こうした問題の構成要素となっていたのが,先 の「2つの J」に含まれる宗教と愛国心に加え て,進化論であったということになる。内村の 生涯にわたる課題は,宗教,愛国心,進化論だ ったのであり,さらにそれぞれをいかにして両 立させるかを軸として思索を展開させたととら えることができる。  ここで進化論が出てくるのはやや唐突に感じ られるかもしれないが,そもそも内村は札幌農 学校の卒業時に「漁業モ亦学術の一ナリ」とい う演説を行い,開拓使で漁業を担当し,さらに 農商務省農務局水産課で日本産魚類目録の作成 に従事した人物である。20代の半ばまでは,こ うした理系官吏としての人生をそのまま歩む か,伝道者としての道に踏み出すか迷い続けて いたのである。  やはり晩年の回顧だが,内村は「余の特愛の 科学は生物学であつた,余は当分の間は余の天 職は之に在ると信じた,(中略)東洋第一の魚 類学者たらんことは青年時代に於ける余の唯一 の野心であつた」(「科学と考古学と神学入門」 『読書余録』1909(明治42)年10月,全集16巻 511頁)と述べている。  また,内村は札幌農学校卒業後の1882年1月 8日,札幌 YMCAの発会式で「帆立貝とキリス ト教との関係について」と題する講演を行って おり,地質学と創世記とを調和させようとした という。そしてこの当時,「「進化」とか「生存 競争」とか「適者生存」とかいう語句はわれわ れ仲間の口にものぼっていた」と,進化論が一 世を風靡しつつあったことを内村自身が証言し てくれている(How I Became a Christian,

1895(明治28)年,全集3巻  57頁)5)。さら に,この講演の少し後の日付のある太田(新渡 戸)稲造・宮部金吾へ宛てた手紙には「I am now very much interested in evolution.」と書 かれている(1882(明治15)年1月20日付太田 稲造・宮部金吾宛書簡,全集36巻29頁)。  1861年生まれの内村が生きた時代は,チャー ルズ・ダーウィンの進化論が世界的な反響を呼 び起こしていた時代であり,先に見た井上哲次 郎がスペンサーを用いていたように,スペンサ ーの思想やそれに由来する社会進化論が人文・ 社会・自然領域全般にわたる「科学」の最先端 として世界的に大きな影響力を持った時代であ った。  こうした中で内村は,進化論とキリスト教 (科学と宗教),キリスト教と日本(宗教と愛国 心)との葛藤をいかにして解消し,それぞれを 融合させてゆくかを自らの課題としたわけであ る。そして,その模索の中で内村自身がある著 作にこうした課題の答えを見出している。それ が,イギリスの社会進化論者ベンジャミン・キ ッドの著作であった。  内村がキッドの著作に感銘を受けていたこと は,すでにこれまでに指摘されている6)。だが, キッドの著作の内容を踏まえて内村の著作への 影響を具体的に指摘することは行われていな い。そこで本稿では,キッドの著作から内村の 著作への影響関係を検討する。そして,内村が

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キッドの著作のどういうところに宗教,進化 論,愛国心という課題の解決ないしは解決の糸 口を見出していたのかを検討することで,19世 紀末以降世界的に流行した社会進化論の影響の 大きさの一端を明らかにすることとしたい7) 2 内村鑑三が読んだ「社会学」 2‐1 ベンジャミン・キッド  ベ ン ジ ャ ミ ン・キ ッ ド(Benjamin Kidd 1858-1916)を知る人は,現在ではほとんどい ないであろう。だが,19世紀の終わりから20世 紀初めのイギリスでは,社会学者としてかなり 知られた存在だった。  キッドは1858年,警官の長男としてアイルラ ンドのプロテスタント家庭に生まれた。幼い頃 から自然に興味を持ち,下級官吏として生活し ながら生物学に関する論文を書いていた。30歳 頃から生物学以外にも歴史,政治,経済,哲学, 宗教などの分野を渉猟して書き上げたのが『社 会進化論』SocialEvolutionであり,1893年に脱 稿し翌年1894年にロンドンで出版された。  この『社会進化論』は英米で一般受けして大 ヒットしただけでなく,日本語や中国語などに も翻訳されて世界的なベストセラーとなり,キ ッドは文明批評家としての名声を得ることとな った8)。だが,キッドの名声は『社会進化論』 が最初で最後となる。その後,『社会進化論』 でも触れていた資源帝国主義的な見解をまとめ た『熱帯の支配』TheControloftheTropicsを 1898年にニューヨークで出版して米西戦争の時 流に乗るが,1902年に出した『西洋文明の原 理』PrinciplesofWestern Civilizationは専門家 からさんざんに批判されて一般受けもしなかっ た。1903年にはイギリス社会学会の創設メンバ ーとなり,政治活動にも関与する。1911年頃か ら新たな著作の準備にかかるが,それが『力の 科学』TheScienceofPowerとして出版されたの は1916年にキッドが死去した後,1918年になっ てからであった9)  キッドの死から7年後,晩年に近い内村は, 1923年3月26日の日記に以下のように書きつけ ている。 頭脳は昨日来読続けし『英百』に於けるベンジヤ ミン・キツドのペンに成れる「社会学」の長論文 に占領せられた。若し社会学とはキツドが唱ふる が如き者ならば余も社会学者たる事を拒まない。 然しキツドの如き社会学者は滅多にない。夫故に 社会学は嫌になつて仕舞ふのである。(1923(大 正12)年3月26日付け日記,全集34巻160頁)

 『英百』とは,Encyclopedia Britannicaのこと

で,1910年から1911年にかけて出版された第11 版にキッドが執筆した「社会学」の項目が掲載 されている。内村が,もし社会学がキッドの言 うようなものなら自分も社会学者になるが,キ ッドのような社会学者は滅多にいないと言うよ うに,キッドの社会学理解はかなり独特のもの である。以下,まずこのキッドによる「社会 学」の解説を見てみよう。 2‐2 キッド「社会学」  「社会学」論文10)の冒頭で社会学を定義し て,キッドは次のように述べる。 もっとも包括的な意味では人間社会の科学と定義 できるであろう。生物学を生命の科学ととらえて もよいであろうのと同じである。(p.322)

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 いきなり生物学とのアナロジーで社会学が語 られており,現在の社会学イメージからすると 突飛な感がある。だが,この冒頭の一節には, 「社 会」を そ れ 自 体 独 立 し た「社 会 有 機 体」 socialorganismとして,一つの生物のようにと らえるキッドの見方がよく表れているとも言え る。また,持って回った書き方で分かったよう で分からない言い回しになっている点にも,キ ッドの文体の特徴がよく表れている。  この後,コントによって「社会学」の語が用 いられるようになって以後の経緯や,社会学の 学 問 上 の 位 置 づ け が ま と め ら れ て い る 点 は (pp.322-3),現在の社会学イメージからして も違和感が無い。だが,論文の内容の大半が進 化論と社会学の関係に割かれており,ダーウィ ンやアルフレッド・ラッセル・ウォレスなど, 生物・博物学者の解説に紙数が費やされてい る。そして,進化論的見解を社会に適用した重 要な人物としてスペンサーが紹介されているな ど,現在の社会学イメージからは,かなりかけ 離れた社会学史となっている。  この論文でのキッドの基本的な主張は,進化 論を社会にも適用すべきであり,社会学とはそ のような学問であるべきであるということであ る。したがって社会学とは,進化の過程にある 人間社会の基礎となる原理を解明するものであ るとされる(p.323)。  キッドは,こうした社会の科学の源を古代ギ リシャのプラトンやアリストテレスにさかのぼ るが,近代的な社会論の発展はルネサンスと宗 教改革から始まるとする。その流れの中でスペ ンサーが登場し,「社会有機体」socialorganism の語を用い,その社会有機体の生命の原理とし て,進化論を社会に適用した人物として紹介さ れる(p.326)。  しかし,キッドはスペンサーに批判的であ る。一般に,キッドはスペンサーの系譜をひく 人物とされるが11),キッド自身はスペンサーを 批判し乗り越えたつもりでいた。キッドのスペ ンサー批判の要点は,社会を有機体としてとら える点に関するものである。とはいえ,キッド は社会を一つの有機体,すなわち生物としてと らえることを批判したのではない。キッドは, スペンサーが社会有機体という概念をもたらし たことを評価しつつも,有機体としての社会の 把握がスペンサーでは不徹底であることを批判 した。  特にキッドが批判したのは,スペンサーが社 会有機体としての共同活動は社会有機体の構成 要素である各部分の活動に従属させられる,と した点である。スペンサーは全体としての社会 を一つの有機体として把握したが,その有機体 としての社会を構成する諸要素もまた,それぞ れの利益関心に突き動かされて活動しており, 全体としての社会にとって不利益となることす らも引き起こすと考えていた。全体のためにそ の構成要素である下位集団や個人が自らの利益 を犠牲にする,あるいはすべきであるとは考え ていなかったのである。  スペンサーは基本的に自由放任主義者であ り,そのため貧民救済のような社会福祉にも反 対した人物であるが,最適者が生き残るために は自由な生存競争が不可欠であると考えてい た12)。そのため,国家の利益のために個人の利 益を制限して個々人の自由な競争を阻害するこ とには否定的であった。全体のために個人や下 位集団を犠牲にする考えを,スペンサーは持ち 合わせていなかったのである。  こうしたスペンサーに対してキッドは,スペ ンサーの「社会有機体」の概念は政治的国家

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politicalstateの範囲に制限されたものであると して,これをもっと広げるべきであるとする。 キッドは,進化の過程にある社会は,社会自身 の利益関心と心理や意識,法則を持つとしてお り(p.326),社会を生物とのアナロジーで,よ り分かりやすくとらえようとしたと言える。  キッドは次のように主張する。 自然淘汰の原理が社会にも作用し,社会を構成す る諸要素からより高い能率を生みだすよう促すの であるなら,自然淘汰の原理は下位集団の利益関 心を社会全体のより高い能率に従属させるはずで ある。(p.326)  ここに出てくる「能率」や「社会的能率」 socialefficiencyはキッドが多用する基本概念 であり,後で見る『社会進化論』においても用 いられている。これは,自然淘汰による競争を 生き抜くためには,生物個体であれ集団・社会 であれ,その競争を闘う主体には,より能率よ く効果的な運営のもとでの闘争の遂行が求めら れる,という考えである。自然淘汰による競争 を生き残るためには高度の能率が必要であり, 逆に自然淘汰による自由な競争によってこそ, より高度の能率の獲得が実現する,とキッドは 考えた。キッドは,上位集団としての「社会」 の利益である社会的能率の向上のために個人や 下位集団の身勝手な利益関心が犠牲になるのは 当然としたのである。  こうしたキッドの主張からは,では「個」と しての個人を「全体」としての社会に従属させ るのは何か,もしくは「個」を「全体」に従属 させるためには何が必要なのかが疑問となる。  先に触れたようにキッドは,社会の科学の源 を古代ギリシャにさかのぼるが,ギリシャ人に とっての「社会」は「国家」stateに限定された ものであり,その点ではローマ人も同じであっ たとする(p.323)。そして,そのような社会構 造および社会論に根底的な変化をもたらしたの が西欧におけるキリスト教の拡大であったとす る。  キッドは,ギリシャのような古代文明と近代 文明を区別するのは個人を有機体としての社会 に従属させる原理の有無であるとするが,キリ スト教こそがそうした原理の伝達者であったと いう。「汝の隣人を汝自身の如く愛せよ」と命 じるキリスト教の拡大によって,義務と責任の 観念が広まったことが,有機体としての社会に 個人を従属させる原理を西欧社会にもたらした というのである。したがって,キリスト教が文 明の発展にもたらした影響は計り知れないとす る。また,「汝の隣人を汝自身の如く愛せよ」 というキリスト教にとっての「隣人」の範囲 は,家族やグループ,国家,国民,民族,人種 など社会のいかなる集団をも超えたものであ り,こうしたキリスト教の教義こそが社会に進 化をもたらすもっとも大きな力であるとする (p.329)。  しかし,この「社会学」論文では,宗教(す なわちキリスト教)がなぜ社会進化の大きな力 となるのかは説明されていない。この点につい ては,キッドの処女作にして出世作である『社 会進化論』に記述されており,内村はこの『社 会進化論』にも大きく影響されていた。 3 内村鑑三が読んだ『社会進化論』 3‐1 キッドの著作との出会い  先に紹介した1923年3月26日の日記は,キッ ドによる大英百科事典「社会学」を読んだこと

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を書いたすぐ後,以下のように続く。 キリストの福音を社会進歩の最大原理と見たキツ ドは実に達観者である。今より三十年前彼の名著 『社会進化論』を読んだ事が余が聖書研究に一生 を委ぬる事を非常に助けたのである。ベンジヤミ ン・キツドは余を深刻に感化した学者の一人であ る。今日に至り再び彼の文を読んで旧き先生に接 するの感がある。(全集34巻160頁)  「今より三十年前」とは,1893年ということ になるが,この頃,内村は大阪の泰西学館で教 師をしていた。それ以前,1891年1月の「不敬 事件」で職を追われ,妻も病で失って心身とも にきわめて落ち込んだ後,1892年9月になって 得たのが,泰西学館での教師の仕事であった。 内村はこの泰西学館で1893年4月まで働く。  後年の回想では,この大阪在住中に生物学者 ジョン・T・ギュリックからキッドの『西洋文 明の原理』を奨められたとしているが(1925 (大正14)年8月9日付け日記,全集34巻470 頁),『西洋文明の原理』が出版されたのは1902 年になってからである。また武富保は,これは 『社会進化論』の間違いであろうとしている が13),『社会進化論』の出版も泰西学館を辞め た後の1894年である。あるいは,泰西学館を辞 めた後にギュリックから『社会進化論』を紹介 されたのかもしれない。  厳密にいつ内村がキッドの『社会進化論』を 読んだのかは不明だが,1895年10月18日付けの 新渡戸稲造宛英文書簡にキッドを読んだことが 書かれているので,出版後,比較的早い時期に 内村が『社会進化論』を読んでいたことは間違 いない。この書簡には,その読後感が興奮気味 に綴られている。 そうそう,ベンジャミン・キッドの本を読んで, すごく面白かったことを言わなくては。僕が知る 限り,彼の本はキリスト教国─特に英国─の 強さと安定性を,僕が見た中ではもっとも哲学的 に説明したものだ。我々自身の国家の将来の方針 にとってなんと示唆的であることだろう。彼の本 やそのほかの感銘が,これまで抱いていた古い信 仰(すなわちキリスト教への信仰)にますます僕 を駆り立てる。結局のところ,変わることのない 古くさいキリスト教の聖書のうちに,人間の魂の 救いだけではなく国々の救いもまたあるのだと僕 は思う。それほど不可欠であるにもかかわらず, 聖職者になることを恥じねばならないのだろう か。政治学,経済学,科学,それらはなんと貧弱 なことか。人間というのは結局のところ迷信深い もので,そして迷信のようなものだけが人間を救 うことができるのだ。(1895(明治28)年10月18 日付け新渡戸稲造宛英文書簡,全集36巻425頁, 拙訳)  後で見るように,1895年10月のこの新渡戸宛 書簡以降の時期における内村の著作にはキッド の影響をはっきりとうかがうことができる。そ のことからも,内村はキッドの『社会進化論』 をひどく興奮しながら読んだと思われる。いわ ば,内村はキッドに「はまった」わけである。 3‐2 キッド『社会進化論』 3‐2‐1 進化の普遍性と理性  では,キッドの『社会進化論』14)にはどうい ったことが書かれていたのだろうか。  まず,進化の観点から社会をとらえるべきで ある,という基本的な発想は「社会学」論文と 同じである。むしろ「社会学」論文はキッドの 主著である『社会進化論』と1902年の『西洋社

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会の原理』の要約となっていると言うべきであ ろう。  『社会進化論』において,キッドはまず何よ りも進化の必然性,普遍性を強調して,「進歩 progressはまったく逃れようのない必然的なも のであり,生物の始まり以来それを免れること のできたものはない」(p.37)と述べる。なお, キッドは,進化 evolution,進歩 progress,発展 developmentといった用語を厳密な定義や区別 なしに使用しており,文意からは基本的にどれ も「進化」のことを指していると解釈してよい と思われることが多い。こうした書き方にもキ ッドの特徴が表れている。キッドの書き方は, 自らの主張を具体的な根拠や事例で立証すると いう書き方からはほど遠いもので,自らの主張 を言い換えながら何度も繰り返し書き連ね続け て,いつのまにかそれが事実であるかのように 扱うという,いわば雰囲気で押し切る型のもの である。  進化についても同一の内容がさまざまに言い 換えられるが,基本的にキッドにとっての進化 は競争を意味するもの,あるいは競争と不可分 のものである。そして,生命体はその競争での 勝利・生き残りに自らのすべての資源を投入す べき存在として理解されている。 我々が自らの周りに見るこの整然とした美しい世 界は,現在もそしてこれまでもずっと,その世界 に住むあらゆる生物の絶え間ない競争─異なる 種の間だけではなく同じ種の者同士の競争でもあ る─の舞台であった。我々の足下に生える緑の 草地の草は互いに無言の競争を戦っているのであ り,その競争は放っておけば弱い者が絶滅するま で進むのである。こうした植物の部分,組織,あ るいは特質は感嘆すべき美しさと完璧さを持つも のだが,それらはすべてこの闘争における役割と 意味を持つものであって,その闘争を勝ち残るた めに獲得されたものなのである。(p.38)  ここには,部分は全体の生存のために資すべ きもの,というキッドの考えがよく表れてい る。キッドにとって,こうした競争こそが生物 を進化させるのであり,そうした競争をしなく ても生き残り,子孫を残すことができるように なると,生物は世代を追って退化してゆくと考 えられた(p.39)。競争による淘汰が止まると, 進化もまた止まるのである(p.40)。 生命の法則はその起源以来,変わることがない。 すなわち,絶え間ない不可避の闘争と競争,絶え 間なく逃れようのない淘汰と排除,途絶えること なく必然的な進歩 progressである。(p.41)  自然環境が生命をふるいにかけ,その自然環 境に最適化したものを残すという意味での自然 淘汰と,生物個体や群れ,生物種の間における 競争・闘争は意味が異なり,区別されるべきも のであるが,キッドは同じものとして扱ってい る。また,生物個体の間の競争と,何らかの集 合・集団としての生物の間の競争も,本来は安 易に同レベルで扱われるべきものではない。し かし,キッドは生物個体と集団とを混同してい る。  そして,こうした競争状態における個々の生 物主体の振る舞いは,自己の利害を優先し,自 身の利益を最大化することを目的とした「理性 的」rationalな行為であると,キッドはみなす。 キッドは理性・合理性を功利性として理解して おり,「理性的」rationalの語をもっぱら「功利 的」という意味で用いている。

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 そのため,生物の一種である人間について も,当然,功利主義的な人間観を基礎とするこ ととなる。さらに,人間が他の生物に比べて理 性の発達した動物である分,個々の人間はより 理性的すなわち功利的に振る舞うということに なる。そして,人間のように自分の属する集団 の利害とは別に自分自身の個人としての利害を 考える能力を備えた生物の場合,理性的=功利 的に計算すれば,集団の将来的な進化や利害よ りも,目の前の自分自身の幸福のほうが重要な こともある。その場合,理性のみに従うと,個 人は集団の利益よりも自分自身の利益を優先さ せることとなる。そして,集団を構成する皆が そうすると,結果として集団の利益は損なわ れ,進化は停止して,最終的には滅亡すること となってしまう(pp.66-7)。キッドに言わせ ると,優れた文明を誇ったギリシャやローマが 滅びたのは,知性面ばかりが発達して個々人の 理性=功利性が行き過ぎたからだ,ということ になる。  では,滅亡を避けるためにはどうすべきか。 キッドのこうした書き方からは,答えがあらか じめ用意されているのは明らかである。個人は 放っておくと好き勝手に振る舞って全体の利害 を損なってしまうのだから,そうした個人の功 利性を抑制する要素が必要だ,という話の運び となる。それこそがキッドにとっての「宗教」 あるいは「宗教の機能」であった。 3‐2‐2 進化と宗教  進化と宗教について,キッド自身が以下のよ うに問題を設定している。 本当に重要な問題は,信仰が理性に根拠を持つか どうかではなく,社会の進化において果たすべき 機能が宗教制度にあるかどうかである。(p.22)  ここには,宗教を機能としてとらえる観点が 見られるが,この問題にまっとうに答えようと するのであれば,「社会の進化」に「宗教制度」 が何らかの「機能」を果たしていることを具体 的に示して見せなくてはならない。しかし,キ ッドの記述にそのような証明は見られず,「宗 教制度 religioussystemによって個人の資質は 深く影響され,歴史の過程や社会発展のすべて の特性も完全に影響を受けている」(pp.20-1) と,証明抜きで,人間の歴史,社会にとっての 宗教の本質性が当然の前提とされている。  そして,進化論的な見解からも宗教は基礎づ けられるとする。 信仰が社会発展の一要素であるとすれば,ダーウ ィンに始まる科学革命のもっとも注目すべき結論 として,信仰は神学者が夢にも思わなかったほど の広く深い,そして永遠の根拠を持つものとしな くてはならない。(p.23)  ifとされた「信仰が社会発展の一要素である とすれば」という点について,結局のところキ ッドは何ら具体的な根拠を与えずに,同じ内容 の言い換えをたたみかけ,それによって既成事 実化できたかのように論を進める。また,「宗 教」religionと「信仰」faithという用語が併用さ れるが,特に意識的な区別はもうけられていな い。  なお,この記述で注目されるのは,「宗教」な いしは「キリスト教」を「神学」すなわち「教 会」の枠を越えたものとして理解している点で ある。この点は,無教会を標榜してキリスト教 信仰が教会組織の枠にはめられることを嫌った

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内村に通じる点である。  さて,キッドは「宗教現象は確かに,人類の 社会発展の特徴として我々が見出したもっとも 永続的で独特の特徴である」(p.23)として,宗 教の有無が他の生物と人間(人間社会)の最大 の相違点であるとする。続けてキッドはここで もたたみかける。「この問題に対して近代進化 論の立場から公平な知性で取り組む人であれ ば,進化の過程にとってプラスとなるような重 大な機能を信仰が有することを一瞬でも疑うよ うな人はいないであろう」(p.23)。  では,宗教がキッドの言うように人間社会に とって本質的なものであるとして,それはどの ような機能を果たしているというのか。キッド は以下のように説明する。 社会の進化において超理性的な制約 ultra-rational sanctionを個人の社会的行為に与えないものは, いかなる種類の信仰であれ,宗教としての機能を 果たし得るものではない。(pp.108-9)  持って回った言い回しだが,要するに「宗教 とは個人の社会的行為における理性の働きを抑 制するもの」ということであり,キッドの言う 「理性」とは,もっぱら功利性のことであるた め,「宗教とは個人の功利的振る舞いを抑制す るもの」ということになる。さらに以下のよう に説明される。 宗教とは,個人の利害と社会有機体の利害とが対 立するとき,個人の行為の多くに対して超理性的 な制約を与えるものであり,そのことによって 人々が集団として進化するため全体としての利益 にかなうよう,個人の利害を社会有機体の利害に 従わせる信仰のことである。(p.111)  キッドにとっての宗教は,個々人の功利主義 的な振る舞いを抑制し,全体の利益に部分・個 を服属させるものなのであり,逆に,このよう な宗教がなければ,その集団は滅び去るしかな いとされる。だから,集団の生き残りのために は,是非ともそうした宗教が確立されねばなら ないということになる。  ところで,このようなキッドの論では,生存 競争を生き残るべき単位であり主体となる集団 は,スペンサーの用語を借りた「社会有機体」 ということになる。では,この競争の主体であ る社会有機体とは具体的にはどのような集団と して把握されるのだろうか。個人が自らの利害 を押しやってでも奉仕すべき「全体」とは何な のか。  この点についてキッドは,進化する社会有機 体を,人種や国家ではなく,「文明」civilizaition であるとする。そして,キッドの属する「文 明」を何らかの地域に関連づけるなら「ヨーロ ッパ文明」とでも呼ぶほかないが,これは正確 でも完全でもなく,「西洋文明」と呼ぶほうが よいとする。 我々が属する文明制度 system ofcivilizaitonは世 界人類の中ではっきりと区分された場所を有する ものであるが,それはけっして人種あるいは国 家・民族 racialornationalとしての明確な境界を 持つものではない。それはチュートン文明やケル ト文明,ラテン文明といったものではない。また それは,ドイツ文明でもなければフランス文明, イタリア文明,アングロ・サクソン文明でもな い。我々がそれを何らかの地域に関連づける権利 を有する限りにおいて,それはヨーロッパ文明と いうことになろうが,この定義も不正確ではない にしても完全とは言えない。我々が属する社会制

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度 socialsystem を言い表すのにもっとも適切な 表現は一般に用いられているものであろう,すな わち「西洋文明」Western Civilizaitonである。 (p.130)  やはり,分かったようで分からない話の持っ て行き方だが,こうした「西洋文明」に対する 宗教の機能は以下のように説明される。 我々の文明は有機的に発達 growthする単一のも のとしてとらえられるべきものであり,(中略) その発展過程が引き起こす生存競争は,平等を基 礎としてすべての人々を巻き込み,より高いレベ ルの能率 efficiencyを引き出すのであり,この発 展の背後に存在し続ける原動力は,我々の文明が 身につけるようになった豊かな利他的感情であ る。そして,この豊かな利他的感情は,我々の文 明と結びついた宗教制度 religioussystemがそれ 特有のものとして生み出し続けてきたものである (後略)。(p.261)  ここに,集団にとっての宗教の重要性,そし てそうした宗教を広めることの必要性が結論さ れることとなる。もちろん,この「我々の文明 と結びついた宗教制度」がキリスト教のことで あるのは言うまでもないが,カトリックは除外 され(p.319),実質的にプロテスタントのこと となっている。この点で,「西洋文明」にカト リック圏も含めているはずのキッドの論は齟齬 をきたしている。ただ,こまかく見るとこうし た齟齬はキッドの著作の至るところに存在す る。 4 内村鑑三におけるキッドの影響 4‐1 「西洋文明の心髄」  以上のようなキッドの考え方に内村が影響さ れていることが読み取れるのは,まず,1896年 7月と11月の「西洋文明の心髄」である(「西洋 文明の心髄」1896(明治29)年7月・11月,全 集3巻所収)。ここでは,キッドと同様,ギリ シャ文明は「智的文明」であるとされる。そし て,この智的文明は個人の修養を促すものでは あるが,同時に欲心を高め廉恥心を鈍くし,自 己の利害関心を優先させて他者や公衆,社会や 国家への配慮を忘れさせるものであるとされ る。  これは,ギリシャ文明は知的であるがゆえ に,その個人は功利的であって国家と社会への 配慮に欠け,自己の利害を全体の利害よりも優 先させたために崩壊したというキッドの論と同 じである。そして,キッドが文明発展の原動力 を宗教に見出したのと同じく,内村は「無究の 発達力は智性に存せずして霊性に在り」(全集 3巻216頁)と断言する。  また,内村は文明 civilizationの語を「市民各 其責任を重んじ義務を全ふするの状態を示せし 語なり」(全集3巻218頁)と説明し,そうした 文明の民とは次のようなものであると解説す る。 共同一致に堪ゆる民を言ふなり,故に文明の民と は和合の民と称するを得べし,文明(Civilization) とは共同(Association)と同意義なり,即ち之を 近世社会学の語を以て言へば文明は完全なる社界 組織なり,個性を有する人類が相依て以て作りし 兄弟的団結を言ふなり。(全集3巻218頁)

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 ここで言う「社界組織」とは,キッドがスペ ン サ ー を 引 用 し て 言 う 社 会 有 機 体 social organism のことであると考えられる。その社 界組織の完全なるものとしての文明とその担い 手たる「文明の民」を,「共同一致」「和合」「兄 弟的団結」という言葉の連呼で形容する内村の 文明・社会理解は,キッド以上にキッド的な社 会有機体理解を展開させているとも言える。  そして,宗教の役割として内村は以下のよう に述べる。 宗教の人世を利するは功力ある社界の組成を助く るにあり,個性を有する人類の団合和親を促すに あり,慾心を排除し,名誉心を刪減し,献身奉公 の念を起すにあり,慾は破壊的なり(後略)。(全 集3巻219頁)  「献身奉公の念」を個人に植え付けることで 人類という全体の「団合和親」を実現する,と いう発想は,個人に義務の観念と利他心を持た せることで全体へ奉仕させようというキッドの 論と,個と全体の関係,そしてその両者の媒介 という構造としては同じものである。もっと も,全体を「人類」へと広げるか「西洋文明」 のみを想定するかという内村とキッドの違い は,それを敷衍すれば本質的な違いに至る可能 性が想定される。また,内村はキッドのように 「競争」を絶対視していたわけではない。上記 の宗教理解に続けて内村は,「真正の進歩は競 争より来らず」(全集3巻219頁)としており, 安易な「弱肉強食」的な世界観は内村には見ら れない。だが,ここで内村が個と全体の媒介と して宗教の役割を見出していたことは確かであ ろう。  さらに続けて内村は,文明の進歩のために は,「民衆を利せんとするの公義心」と「真理を 歓迎するの公共心」が必要であるとする(全集 3巻219頁)。「民衆を利せんとするの公義心」 が宗教心もしくは宗教が人々に涵養すべき精神 であり,「真理を歓迎するの公共心」は科学の ことであると解することができる。ここでの内 村は,こうした「公義心」と「公共心」の両立 として宗教と科学,そしてその科学の代名詞で もあった進化論との接合をとらえていたと言え よう。  そして,内村にとって,このような形での科 学との両立を果たす宗教にもっともふさわし く,その実績も有するのがキリスト教であっ た。内村によると,科学によって迷信と看破さ れるような宗教を有する民は「進歩発達の民」 ではない。しかし,科学の展開によってもキリ スト教は破棄されず維持されつづけてきた。欧 米社会の生命力はキリスト教にこそあるのであ り,「能く新科学の光輝に耐え,是を吸収同化 して益々社界の生命力を強ふせしめし者は余輩 は基督教を除て他に宗教あるを見ず」,「而も基 督教徒は常に最も開導し易き民なり」(全集3 巻221頁)ということになる。  だが,内村の見るところ日本人はそうした 「開導し易き民」ではなかった。「不動に参し呑 竜15)に詣する公衆に対し進化を説き啓発を論 ずる事は殆んど絶望的事業なり」(全集3巻221 頁)と内村は嘆く。しかし,だからこそ,こう した人々=日本人にキリスト教を教え広めるこ とこそ,内村自身に課せられた日本人のための 急務ということにもなる。 4‐2 「世界の日本」  さらに,以上の「西洋文明の心髄」と同時期 の「世界の日本」にもキッド『社会進化論』の

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影響を見ることができる(「世界の日本」1896 (明治29)年9月10日,全集3巻所収)。  内村は,鼻が体の一部であって体が鼻に属す わけではない,というたとえを持ち出し,その ことと同様に,「日本は世界の日本にして世界 は日本の属にあらざる」(全集3巻261頁)ので あって,自国を世界の中心と考え,世界は自国 のために存在するかのようにみなして武勇に訴 えようとする類の「愛国論」は,そのことを忘 れた妄想であるとする。  内村はこうした「愛国」とは異なった「国家 主義」の立場を自分は取るとする。体を健康に 保とうとするのは,鼻をよくしようとするのと 結局のところ目的が同じであるように,日本が 世界の一部である以上,世界主義者であること と国家主義者であることは同じことであるとい うのである。 余輩は世界主義を取る者なり,日本を世界の一部 分として見ればなり,余輩は国家論者なり,日本 の利益発達を正当自然の観察点より攻究せんと欲 する者なればなり。(全集3巻262頁)  鼻としての日本をよくしようとするのと,体 としての世界をよりよくすることは何ら矛盾し ないというわけである。内村は,「善き大なる 国家」とは,「最も多く人類進歩の為めに尽し, 世界の改造を助け,大真理と大思想と大事業と を最も多く全世界に寄附せし者」であるとする (全集3巻262頁)。内村はキッドにおける個人 と文明との関係を,一国家と全世界との関係に 置き直して理解しているのである。  そして,そうした中での個人についての理解 もまたキッド的である。内村は,「善き市民」 というものは「自己あるを忘れ,国家あるを知 て自己あるを知らざる献身奉公の士」であると する(全集3巻262頁)。「西洋文明の心髄」に おいて,宗教によって「献身奉公の念」を涵養 された者こそが「文明の民」であるとされたの と同様である。  個人と国家,普遍志向のキリスト教徒である ことと日本への愛国主義,という葛藤を,世界 主義(普遍)の一部としての日本,という大き な枠の中に位置づけ直すことによって,内村は より大きな全体への「愛国」を見出し,この葛 藤を乗り越える糸口を見出していたといえよ う。 結び  国家やある一定の地域社会など何らかの人間 集団を一つの生命体としてとらえ,そうした生 命体の生存競争として現実をとらえる社会進化 論の発想からは,全体としての社会の進化や生 き残りが大きな課題となる。  スペンサーにおいては,自由な競争を徹底さ せることが優先されたため,集団の中での個 人,すなわち全体の中での個の自由が抑圧され ることは否定された。それに対してキッドは, 全体の生き残りのために個人が犠牲となること は当然であるとした。そしてそのキッドにとっ て「西洋文明」であった全体は,内村において は「日本」さらには「世界の中の日本」と読み 換えられていった。  こうした全体に対して個をどのように媒介す るかについては,キッドの場合,個と全体を宗 教でつなぐ,すなわち「西洋文明」とのつなが りが自明とされたキリスト教を持ち出せば済ん だ。だが,内村の場合,事はそう簡単ではなか った。個と全体を宗教でつなぐのはよいとし

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て,内村にとってその宗教にあてがうべきキリ スト教は,内村にとっての全体である日本とは 齟齬をきたすもの,あるいは齟齬をきたすもの として非難攻撃されるものであった。そのた め,内村は全体としての日本をさらなる全体で ある世界の中に位置づけ直す作業を必要とし た。  内村は,キッドにおける社会有機体にとって の宗教の機能,すなわち西洋文明にとってのキ リスト教の役割に,世界の中の日本に対してキ リスト教が果たすべき役割,さらにはそのため に自らが果たすべき使命を見出していたといえ る。そしてそこに,Jesusと Japan,キリスト教 信仰としての宗教と日本への愛国心とをつなぐ ものを見ていたととらえることができる16)。し かもキッドの論は,宗教と愛国心とともに,内 村にとってのもうひとつの課題であった,科学 としての進化論との調和的な関係をも示唆して くれるものであった。  このように内村が「はまった」キッドの広範 な読者の中には,夏目漱石もいた。ただし,内 村と違って漱石はキッドに対して冷淡である。 漱石にまとまったキッド論があるわけではない が,蔵書に収められていた『社会進化論』や 『西洋文明の原理』の余白には痛烈な言葉が書 き込まれている。たとえば,『社会進化論』へ の書き込みでは,キッドの論述の進め方につい て「愚論」17)であるとし,言い換えをたたみか けるだけで論証に乏しい書き方については, 「此位ナ議論デハ証拠ニナランデハアリマセン カ」18)と憤慨している。キッドが進化における 宗教制度の機能を主張している部分について も,「Poorsouls!」19)と,漱石は書きつけてい る。  このような違いに漱石と内村のパーソナリテ ィや知性のあり方の相違を見ることもできるか もしれない。また,内村はキッドの文章に自ら の思いや悩みを投影しすぎていたのかもしれな い。だが,こうしたキッドに対する距離感の差 は,内村が置かれた状況の厳しさや抱えざるを 得なかった葛藤の深さを際だたせているとも言 えよう。  宗教=キリスト教の重要性,必要性とは何 か,という問題を抱えていた内村にとっては, キッドの論理的というよりは扇情的な文章が, 先に見た新渡戸宛書簡の「結局のところ,変わ ることのない古くさいキリスト教の聖書のうち に,人間の魂の救いだけではなく国々の救いも またあるのだと僕は思う」(全集36巻425頁,拙 訳)という興奮を呼び起こすものとなった。そ して,この興奮の中で,キッドにおける「西洋 文明」にとってのキリスト教の重要性が,内村 にとっては,「国々」にとってのキリスト教の 重要性,さらには自らが忠誠を誓った日本にと ってのキリスト教の必要性へと読み換えられて ゆく。そうした必要性が切迫したものとして内 村に感じられたからこそ,同時代日本とのズレ もまた顕著となり,やはり新渡戸宛書簡にある ように,「それほど不可欠であるにもかかわら ず,聖職者になることを恥じねばならないのだ ろうか」(全集36巻425頁,拙訳)と,こぼすこ とにもなったと言えよう。 付記  本稿は,科学研究費補助金・若手研究(B)「社会 進化論の影響を軸とした,近代中国と日本における ナショナリズムと宗教の比較研究」研究課題番号: 23720031(代表者:住家正芳)による成果の一部で ある。  また,本稿は国際政治学会2012年度研究大会での 発表をもとにしたものであり,分科会主催者である

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宮崎悠氏(北海道大学)やコメンテーターの西谷修 氏(東京外国語大学)をはじめとする方々から有益 なご意見をいただいた。記して謝したい。 1) 日本における代表的な研究として,深澤英隆 「『宗教』概念と『宗教言説』の現在」(島薗進・ 鶴岡賀雄編『〈宗教〉再考』ぺりかん社,2004 年),同『啓蒙と霊性』岩波書店,2006年があ る。磯前順一『近代日本の宗教言説とその系 譜』岩波書店,2003年や,藤原聖子『「聖」概念 と近代』大正大学出版会,2005年も基本的な参 照文献となっている。その他にも数多くの著作 があるが,それらを手際よくまとめた最近のも のとしては,星野靖二『近代日本の宗教概念』 有志舎,2012年がある。なお,「宗教とは何か」 と「宗教はどのようなものとされてきたのか」 といった言い回しの対比による学的変遷の解説 は多くの人によってなされているものであり, 星野 i頁にもあり,参考にした。 2) 内村の Japanへの忠誠は,ナショナリズムの 多様な諸形態のうちのひとつのあり方を示すも のであると考えられる。よって,内村の Japan への忠誠をナショナリズムのひとつとして論じ ることは可能であろうし,そのように表現した 論考もある。たとえば,渋谷浩『近代思想史に おける内村鑑三』新地書房,1988年,188頁。だ が,ナショナリズムという表現を内村の思想に 冠することは,ナショナリズムが多様である 分,語弊を含むおそれがあるため,本稿では内 村の Japanへの忠誠を,「愛国」「愛国心」とし て表現しておく。 3) 井上哲次郎『教育ト宗教ノ衝突』敬業社, 1893年,14頁。 4) 内村鑑三『内村鑑三全集』岩波書店,1980-1984年からの引用については,初出時に表題を 掲げ,本文中に巻数と引用頁を示す。なお,内 村の生涯については,鈴木範久『内村鑑三の人 と思想』岩波書店,2012年を参照。 5) 引用は,山本泰次郎・内村美代子訳「余はい かにしてキリスト教徒となりしか」『内村鑑三 集 近代日本思想体系6』筑摩書房,1975年, 47頁。なお,この講演の日付は引用した太田稲 造・宮部金吾宛書簡では1月8日となっており, 1895年に出版された How IBecamea Christian で1881年11月12日とされているのは内村の記憶 違い。鈴木範久『内村鑑三日録 1861-1888  青春の旅』教文館,1998年,114頁,118頁参照。 6) 武富保『内村鑑三と進化論』キリスト教図書 出版社,2004年。なお,本稿は同書から多くを 得ており,同書にキッドの原文との対照を補っ たものとして位置づけられる。 7) ただし,社会進化論という用語には,指示す る内容のあいまいさや自由放任主義者に対する 悪口めいたレッテルであったなどの問題点が指 摘されている。ピーター・J・ボウラー『進化 思想の歴史 下』朝日新聞社,1987年,457頁参 照。たしかに,以下でもふれるように,同じく 「社会進化論者」とされるスペンサーとキッド の間にも違いがある。だが,重要なのはレッテ ルの放棄ではなく,レッテルの内実の検討であ ろう。19世紀末,ダーウィンよりもむしろスペ ンサーの「適者生存」survivalofthe fittestとい う言葉が発火点となって,生命を持つひとつの 有機体として社会をとらえ,その社会に生物進 化の法則を適用することが可能であることを前 提とした一群の思想が流行したことを指して社 会進化論の語を用い,研究領域を設定すること は有意義であると考えられる。 8) キッドの『社会進化論』の影響力について富 山太佳夫は以下のように述べている。「アメリ カは別として,すでにイギリス国内では影響力 の小さくなっていたスペンサーの社会進化論に かわって,一般の人々に社会の進化を説くのに 決定的な役割を果たしたのはこの本だと述べて も,決して過言にはならないだろう。」富山太 佳夫『ダーウィンの世紀』青土社,1995年,218 頁。 9) キッドについての包括的な研究としては, D.P.Crook,Benjamin Kidd:Portraitofa Social Darwinist,Cambridge:Cambridge University Press,1984がある。キッドの経歴と著作の概要 について知るには,宮本盛太郎・関静雄『夏目 漱石』ミネルヴァ書房,2000年,144-194頁が有

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用である。

10) Benjamin Kidd, “Sociology,” Encyclopedia Britannica 11th ed.,New York:The Encyclopedia BritannicaCompany,1910-1911.以下,キッド の著作からの引用は本文中にページ数のみを示 す。 11) たとえば,『ブリタニカ国際大百科事典 小 項目事典2』テイビーエス・ブリタニカ,1973 年,274頁掲載のベンジャミン・キッドの項目。 12) ただし,これは必ずしも「弱者」の切り捨て を意味するわけではない。自由であるからこそ 個人は努力してみずからを変化させ,外部環境 の変化に適応した「適者」になり得るというの がスペンサーの基本的な考えであった。だから こそスペンサーは,国家は外交のみに役割を限 定すべきであり,福祉や教育,貧民救済といっ た内政には介入すべきではないとした。ボウラ ー前掲書,463頁参照。 13) 武富,38頁。 14) 使用した版は,Benjamin Kidd,SocialEvolution, New York: Macmillan,1898.(University of California収蔵本をオンライン PDF化したもの を利用。HathiTrustDigitalLibrary,2012年6 月28日取得, http:// catalog.hathitrust.org/ Record/007700274)以下の引用は,この版のペ ージ数を示す。なお,同書には角田柳作訳『社 会之進化』開拓社,1899年と佐野学『社会進化 論』而立社,1925年の2種類の邦訳があるが, 引用はすべて拙訳。 15) 呑竜とは,内村が幼少期を過ごした群馬県に ある安産・育児の願掛け寺である大光院のこ と。 16) ただし,これが内村にとっての最終的な答え であったわけではない。先に引いた「余は四十 年前に,札幌に於て二三の大問題を提供され た」という回顧のすぐ後で内村自身が「斯かる 大問題を提供されて未だ完全なる回答を得ず」 (全集34巻240頁)と述べている。実際,内村の 思想はキッドの影響を受けた後も変転を続けて ゆく。 17) 夏目金之助『漱石全集 第二十七巻』岩波書 店,1997年,168頁。夏目漱石によるキッドの 著作への書き込みについては,宮本盛太郎・関 静 雄 前 掲 書,218-219頁 お よ び,佐 々 木 英 昭 「Poorsouls! 漱石の宗教批判」(『漱石全集  第二十三巻 月報24』岩波書店,1996年)を参 照。 18) 同,171頁。 19) 同,167頁。

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Abstract:In thisarticle,Iexamine the influence ofthe worksofBenjamin Kidd on Kanzo Uchimura’sunderstanding ofstate,religion and evolution.By comparing Kidd’sand Uchimura’s ideason religion,Iargue thatsocialevolutionism (orsocialDarwinism)influenced early modern Japanese ideason religion.According to Uchimurahimself,the harmonization ofChristian belief, patriotism,and evolutionary thoughtwashislifelong project.Hisdevotion to Jesusand Japan are widely known as“the two Js,”butthe dilemmabetween beliefand patriotism notonly caused him intellectualdistressbutalso actualproblemsin the form ofan incidentthatoccurred atthe First High School.Through hislife,Uchimurasoughtaway to resolve thisdilemma,and found clues on how to accomplish thisin the worksofBenjamin Kidd.Today,Benjamin Kidd isvirtually unknown,butin the late 19th century he wasawell-known sociologistand received attention at the beginning ofthe 20th century asthe authorofthe internationalbest-sellerSocialEvolution.

Uchimurawasprofoundly impressed by SocialEvolution aswellasan article on sociology found in the 11th edition ofthe Encyclopedia Britannica also penned by Kidd.In these writings,Kidd showed thatreligion had played asignificantrole in the course ofhuman evolution and Western civilization. Uchimura recognized the harmony between religion, patriotism, and evolution expressed in these worksand developed hisown thoughtbased on these ideas.Uchimura’s reception ofKidd’sworksshowsone aspectofthe impactofsocialevolutionism on early modern EastAsia,and isausefulcase forthe investigation ofthe genealogy ofreligiousideasand the developmentofthe conceptofreligion in modern Japan.

Keywords:Kanzo Uchimura,Benjamin Kidd,SocialEvolutionism,SocialDarwinism,Genealogy of Religion.

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参照

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