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構造主義からの小学校社会科歴史学習の設計 : 「石見銀山から江戸幕府をみる : 江戸システムの確立」の授業設計

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(1)

『社

第22

号 2010

(pp.101-110)

構造主義からの小学校社会科歴史学習の設計

「石見銀山か

ら江戸幕府をみ

る∼江戸シス

テムの確立」の授業設計−

Designing a Social Studies History Lesson of Elementary School based on the Structuralism:

Lesson Planning of

“℡quiring for a System of Edo through a Silver Mine in

IwamF

I。問題の所在と研究の目的 現代社会の風評・思想・批判を受けて,歴史的 事象に関する教科書記述は,教科書改訂の度に改 変を余儀なくされている。そうした現状を前にし て,私たち現場教員は絶えず匚この歴史認識でよ いのか」匚決まった視点からの価値観・思想を注 入しているのではないか」という危惧にとらわれ ている。 歴史認識はしばしば匚現在の意味を知るために 過去に問いかける」という言い方がされる。した がって過去は現在に意味を送り込むかぎりで明る みに出される。その光は現在から発しているので あって,現在の社会認識の変容によって歴史認識 も変容せざるを得ない状況に陥る。 こうした歴史学習の問題点を受けて多くの小学 校歴史学習についての分析や問題の提示,改善の 方略がなされてきた。その多くは,さまざまな視 点から歴史的事象を捉えさせ,歴史の客観化をは かろうとするものである。しかし,匚歴史上の人 物になったつもり」でとらえた歴史認識もその視 座は,やはり現在の社会構造にあり,その結果, 歴史認識は,合理性を持だない主観的なものに陥 ることが多い。 社会の形成者たる市民的資質の育成に必要な歴 史認識とは,主観的に歴史をとらえる歴史学習で はなく,むしろ主観から離れ,歴史的事象の背後 にある厂集合的思考」つまり〈構造〉を抽出すべ きものではないだろうか。過去の〈構造〉を認識 することではじめて,自分の置かれている現在の 〈構造〉を相対化し,その価値観の是非を問い直 す以上のような課題に立ちことができるのではないだ,本研究では匚ろうか。 江戸シ 紙 田 路 子 (大田市立仁摩小学校)

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H。構造の抽出と変革 構造主義にとっての〈構造〉とは,顕在的な現 象としで何か可能であるかを規定する,必ずしも 意識されているわけではない,潜在的な規定条件 としての関係性を意味する。近年では,静的な構 造のみによって対象を説明することに対する批判 から,構造の生成過程や変動の可能性に注目する 視点が導入されている。 本研究の目的はこの構造の抽出と変動に視点を 置いた授業を設計することである。 1.〈構造〉の抽出 射影幾何学では,視点が移動すると,図形は別 な形に変化する。そのときでも変化しない性質 (射影変換に関一群に共通する匚して不変な性質)を骨組み]のようなものという意,その図形の 味で〈構造〉と呼ぶ1)。〈構造〉はそれらの図形 の匚本質」のようなものではあるが,目には見え ないOその意味で抽象的なものである。 同じ出来事を経験しても,一人ひとりが別々の 視点を持ち,記述をする。その意味でひとつの歴 史的事象からは〈構造〉は抽出できない。しかし, それらを比較・分類したときに,視点が変化して も変化しない法則が現れる。それが〈構造〉であ る。 客観的な歴史的事象があって,その事象から 匚自ずと」事象を事象ならしめている匚歴史の動 力」が抽出される方法論を示三氏である。溝口氏は歴史的叙述を,した歴史家が事実記録,溝口 −101 −

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の確かな「 ̄光景」の記述と,事実記録なしの匚動 力]といういわば見えざる歴史の叙述に分け,そ の客観実証性の違いを言及している。2)この事実 記録なしの「 ̄動力」こそが〈構造〉である。 これまでの歴史学習は歴史的事象,すなわち 匚光景」を時系列ごとに並べる学習,もしくは自己 の立てた仮説(この仮説の基盤こそが,現代社会 の〈構造〉である)に都合のよい資料を集め,歴 史的事象を説明しようとする学習にはなってはい ないだろうか。 本研究では個々の歴史的事象をマトリクスにし たがって分類し,比較・分析することで「 ̄江戸シ ステム」の〈構造〉の抽出を行う授業設計を提案 する。 2。〈構造〉の変革 アナール学派の歴史学者のド・セルドーは,エ リート文化のヘゲモニーに服従せざるをえない民 衆たちが,支配文化のただなかで行うブリコラー ジュというやり方にこそ,民衆的なるものと特徴 づける独自性が現れているという。ブリコラージュ とは,隕られた持ち合わせの雑多な材料と道具を 関に合わせで使って,目下の状況で必要なものを つくることを指している。 ド・セルドーは厂支配 文化のエコノミーのただなかで,そのエコノミー を相手に『ブリコラージュ』をおこない,その法 則を,自分たちの利益にかない,自分たちの規則 に従う法則に変えるべく,こまごまとした無数の 変化をくわえている」と述べている。3) 個々の社会的事象は,固定化された一義的な部 分ではなく,多義性を持つ。そのときどきの状況 によってひとつの構造をなしたり,別の構造を構 成したりする有機的な存在である。つまり,個々 の社会的事象の意味するものの変換を行い,組み 替えを行うことで,元の姿とは全く異なる構造や 法則を作り出すことができる。この変換は支配一 被支配関係を逆転させる可能性を持つ。 幕藩体制の強化のために成立した通貨制度は, 商業資本を発達させ,何もかも通貨を媒体としな ければ成立しない社会を作り出した。この結果, 武家は町人に代表される資本家の実質的な支配下 に組み込まれていく。 本研究では,この過程を授業設計に組み込む。 Ⅲ 江戸システムの抽出と変革 1.匚江戸システム」についての考察 ヨーロッパが植民地支配と産業革命によって近 代経済システムを作りあげていた時に,日本はまっ たく別のアプローチによって,もう一つの近代経 済システムを育てていた。これを江戸システムと 呼ぶ事がある。江戸システムをそれ以前の社会シ ステムと比べたとき最も重要な相違は,市場の役 割が格段に大きくなって,社会の各層の日常生活 に浸透していったことである。幕藩体制そのもの が,一定の市場経済の展開を前提としていた,と 鬼頭氏は指摘する。その理由として次の点があげ られる。 ① 年貢は米納年貢が原則であり,この米納年貢 は,販売する市場の存在を前提としてはじめ て可能なシステムであった。 ② 村落と都市に分住する諸社会集団の間で,恒 常的な商品と貨幣の交換が必要とされた。 ③ 江戸は巨大な武士人口を抱えて,その需要を 満たす必要から巨大な消費市場だった。 ④ 江戸に対して,大阪,京都,奈良などの畿内 諸都市は,伝統的な高度な生産技術と全国の 物資を集散する中央市場の機能を備えていた。 全国に流通する貨幣の発行は幕府におさえら れていたので,諸藩は正貨を獲得するために 領国外の市場,特に大阪の米市場で年貢米を 販売しなければならなかった。4)【図2】

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102− 貨幣 ⇒ 米  → 農産物・手工業品-__・. サービス 【図2 江戸前期の地域間経済循環構造】5)

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生産と消費の間の懸隔を埋め,効率的な生産と 消費を促すのが市場の役割である。市場の発達は, 2つの側面で重要である。 ひとつは市場の存在が農民の生産目的に,匚販 売」という要素を持ち込んだことである。これに より効率的な生産が要求されるようになり,土地 の有効な利用が進み,農業生産力が向上した。副 次的にその土地の風土に適応した商品作物が生産 されるようになったのはその一例であろう。その 結果,停滞的な荘園制下の経済が変質し,成長が 始まる。 第2は,市場経済化は封建領主の支配領域を超 えるモノ・ヒト・情報の交流を促して,地域統合 を推進する役割を示したことである。遠隔地間の 取引が為替によっておこなわれたこと,年貢物や 商品の輸送,保管に携わる業者,高利業をおこな う金融業者が活躍し,港湾都市が全国的に成長す るのもこの時代である。 このような江戸システムは,歴史的事象をミク ロにとらえ,比較・分析することで明らかになる。 2。厂江戸システム」の抽出 小学校段階では,観察・見学して事象を記録す る学習をよく行っている。「なぜ」と問いながら, 直接経験によるミクロな情報収集を行い,それを 比較・分類し,話し合いを通して〈構造〉を抽出 することができる。またミクロな情報は常に多義 性を帯びている。 〈構造〉の抽出を行うためには ミクロな情報は不可欠である。本研究では,江戸 システムの〈構造〉抽出の題材として,「石見銀 山」を取り入れた。 その理由として次の点があげられる。 ① 石見銀山の匚採掘」匚製錬」厂開発・経営」 匚運輸」の移り変わりは,市場経済へと移行 していく江戸システムの特徴の一端を表して いる ② 大久保間歩や石鏃地区,仙の山などの史跡は, 比較的当時のままの姿で保存してあり,当時 の人々の日常生活を生き生きと伝えている。 子どもたちが興味・関心を持って学習に取り 組むことができる。 石見銀山の史跡や資料に触れることを通して, 匚どうやって銀を掘っていたのだろう」匚銀をどう やって鉱石から取り出していたのか」匚精錬され た銀はどこへ運ばれどうなったのだろうか」と子 どもは様々な疑問を抱くであろう。調べ学習を通 して獲得されるであろう情報を比較・分類し厂石 見銀山」を分析したものが【資料1】である。横 軸は時間の流れを,縦軸は匚採掘」「 ̄製錬」匚開発・ 経営」匚運輸」という厂石見銀山」の要素を配置 したマトリクスを作成した。 その結果「 ̄江戸時代には安定的な銀の供給を維 持するために,採掘・製錬の技術,効率的な鉱山 経営・運上のシステム,輸送経路の整備等が発展 した」という〈構造〉が抽出される。幕府は,銀 を安定的に確保するため,銀山を直轄地とし,積 極的に銀山の経営に乗り出したと思われる。この 時代から本格的に国内で貨幣を鋳造され,貨幣制 度が整えられた。(大判,小判,一分判の金貨, 丁銀,豆板銀)貨幣を用いることで,空間,時間, 条件,価値観を超えたより広い範囲での物々交換 が可能となり,市場のネットワークが広がった。 その結果匚貨幣があればなんでも手に入れる」こ とができるようになり,貨幣は匚必要な商品を手 にいれるための手段」としてではなく,人々の直 接の欲望の対象に変化した。そして,より多く貨 幣を獲得することを目的に各地域に特化した手工 業や作物栽培が行われるようになった結果,生産 性が高まっていった。また年貢物や商品の輸送, 保管に携わる業者,高利業をおこなう金融業者が 次第に力を持ち,実質的に武士を支配するように なった。 石見銀山の〈構造〉の抽出からこのような江戸 時代の社会を垣間見ることができる。 3。「江戸システム」の変革 「参勤交代」「三貨制度」「天下普請」は江戸幕 府の大名統制の政策であった。 「天下普請」は天下人が城郭や都市の建設,寺 社経営,治水などの土木・建築工事を大名に命じ たものである。織田信長や豊臣秀吉の時代からみ られる最も有効るようになったもので大名をコンな方法のひとつであった。工事に際トロールす

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大名たちは巨 額の財政支出を 強いられたため, 強大化か阻止さ れる。 参勤交代も含めた 江戸在府に必要な経 費は,大名の実収入 の50%∼60%を 占め,その費用は各 大名にとって大きな 負担となった 通貨発行権を 幕府が独占し,幕 府鋳造貨幣の全 国通用に力を注 いだOその目的は 幕府による経済 の統制であるO 天 下 普 請 参 勤交 代 三 貨 制 度 ・市場原理に支配される形 での技術や資材の広範 囲での取引が行われた。 ・物流網が発達した。 ・資柿凋全や労働力の集積 などの直接需要が発生 した。 ・江戸での贈肘拡大し, 貨幣は町人層に吸収され ていった。 ・参勤交代の躓召をはすべ て貨幣で支払われるので, 米取引を行う商人が大き な力を持つようになった。 貨幣を用いて,空間, 時間,条件,価値観を 超えたより広い範囲で の物々交換が可能とな り,市場のネットワー クが広がったO 構造(フ)抽出 心に 据強化が進めえた幕藩体制のられた。 経済システムが町人 中心の貨幣経済かわられてとっ

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勤交代も含めた江戸在府に必要な経費は,大名の 実収入の50%∼60%を占め,その費用は各大名に とって大きな負担となった。これらの財政支出の ほとんどが貨幣で支払うものだった。参勤交代関 係の義務的経費は大名財政の硬直化や慢性的な赤 字体質の最大の原因になっていた。その反面,大 名が苦しくなる分だけ,江戸での消費は拡大し, 貨幣は町人層に吸収されていった‰ 関ヶ原で戦勝をおさめた翌年,徳川氏は慶長6 年(1601年)全国を対象として貨幣制度(匚三貨 制度⊃を定めた。それまで国内各地で流通して いた貨幣を廃止して,すべて徳川氏鋳造の金銀貨 幣に置き換えること,つまり厂通貨統合」を行っ た。徳川氏が通貨発行権を独占し,幕府鋳造貨幣 の全国通用に力を注いだのである。その目的は幕 府による経済の統制である。その結果,より広い 範囲での物々交換が可能となり,市場のネットワー クが全国に広がった。 このように,幕府が権力を独占するためにつくっ たシステムは,町人が主人公の経済システムに組 み込まれていく。そこでは信用取引と投機,金銀 銅の変動相場,都市の商業資本によるプランテー ション農業の経営などが高度に,しかも広範に繰 り広げられた7により,構造の)。個々の社会的事象の意味の変換変化が起こったのである。【図3】 IV.小学校第6学年「T石見銀山から江戸幕府を見 る一江戸システムの確立」の授業設計 〈構造〉の抽出・変革の方法に即して,単元を以 下のように構成する。 〈第1次〉 石見銀山の秘密をさぐろう① 厂石見銀山ではどのようにして大量の銀を産出し ていたのだろう」 石見銀山は一昨年厂世界文化遺産」に登録され, 子どもたちの関心も高い。石見銀山の文化価値と しては,匚16世紀後半から17世紀初頭にかけて世 界の3分の1の銀を産出した」厂日本でのシルバー ラッシュが銀の国際的な相場に影響を与えた」こ とがあげられる。その石見銀山の中でも多くの銀 を産出しだのが匚大久保間歩」と匚釜屋間歩]で ある。匚大久保聞歩」は横合(鉱脈のはしってい ― 105

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る方向をあらかじめ調査し,その走る方向に直角 に坑道を掘る)で掘られた間歩である。鉱脈にそっ て掘られた人ひとりようやく入る大きさの坑道や, 坑道にたまった水,光がなければ一寸先も見えな い闇の世界,夏でも11度の気温などを体感するこ とを通して,匚どのようにして銀を掘ったのだろ う」匚あんな狭いところで長い時間銀を掘る仕事 は大変だ」「 ̄なぜそこまでして銀を掘るのか」匚掘っ た銀はどうしたのだろう」など様々な疑問や感想 を持つであろう。その感想をもとに石見銀山につ いて課題を設定し,調査する計画を立てる。 〈第2次〉石見銀山の秘密をさぐろう② 「江戸時代には安定的な銀の供給を維持するため に,採掘・製錬の技術,効率的な鉱山経営・運上 のシステム石見銀山について見学,輸送経路の整備等が発展・体験活動かしたら考えた疑」 問についてテーマ別に調べ,年代ごとに表にまと める。それぞれの情報を比較・分類・分析するこ とによって,匚江戸時代には安定的な銀の供給を 維持するために,採掘・製錬の技術,効率的な鉱 山経営・運上のシステム,輸送経路の整備等が発 展した。」という〈構造〉を共通理解する。 〈第3次〉なぜ銀は必要とされたのか一銀の秘密 をさぐろう 「貨幣制度を整え,正貨を安定的に流通させるた め江戸幕府は銀の供給を必要とした」 戦国大名である大内氏,毛利氏,尼子氏は銀と 外国と様々な物資や火薬の原料である硝石を交換 することで,戦備の充実を図った(南蛮貿易)。 そのため,銀山に近い温泉津に銀を積み出す港が 整えられた。しかし,江戸時代になると貨幣制度 が整い,銀は京都で鋳造された後,正貨として流 通することになった。より安全な銀の輸送のため に大森一尾道間の街道が整い,尾道から瀬戸内を 通って大阪にいたる銀の輸送経路が確立した。こ の銀の使い方の変化を銀の輸送経路の変化を通し て考察する。 〈第4次〉なぜ江戸幕府は貨幣を必要としたのか一 貨幣の秘密をさぐろう 「幕府の政策により江戸は多くの武士人口を抱え る大消費都市となった。江戸に住む人々の消費を 満たすため商品購入の手段としての貨幣と市場は 不可欠だった」 参勤交代制度により江戸が巨大な武士人口を抱 える都市になったこと,武士の収入は年貢米であ り貨幣に換金する必要があったことをおさえる。 結果的にこれらの幕府の政策が江戸での日常の消 費物資の大需要を生み出し,これらの需要を満た すために中央市場としての大阪が大きな役割を果 たしたこと,商品購入の手段としての貨幣需要が 恒常的なものになったことを確認する。 〈第5次〉貨幣の流通は何をもたらしたのか一石 銀地区の発掘品から考えよう 「貨幣が安定的に流通することで,広範囲での商 品交換が可能となり,流通ネットワークが広がっ たOその結果,農村では農業生産力が向上し,都 市では商人が活躍した」 石銀地区では,瀬戸,伊万里,唐津,備前,信 楽,美濃などいろいろな地方の陶磁器が発掘され ている。それらがどこからどのように運ばれてき たのかを考えることを通して,大阪市場を中継点 とした効率的な流通ネットワークが構築されたこ とを確認する。また流通ネットワークが整えられ たことで,より広い範囲での売買が可能になりそ の結果,農民や職人が貨幣を得るためにより売れ るよいものを作ろうとするようになったこと,都 市において問屋や運送業を担う商人が活躍したこ とを知り,貨幣経済のメカニズムについて理解を 深める。 〈第6次〉市場経済は万能か一石見銀山の盛衰か ら考える 石見銀の産出量の変化,石見銀山の人口の変化 をグラフで読み取ることを通して銀の産出量の減 少に伴い,人口が減少し,廃れていった石見銀山 の姿をとらえる。その衰退の原因を考え,話し合 うことで市場経済社会についての見直しを行う。

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○単 元 の主 な流 れ 次 授 業 刺 激 予想 され る発言 と獲 得す る知 識 発 問 資 料 1 石 見 銀 山 の 秘 密 を さ ぐ ろ う ① ○一昨 年石 見銀 山は 世界 文化 遺産 に登 録 されま した。 石 見銀 山 の価 値 は何 でし ょ う。 ○石見 銀山 で最 も多く 銀 が産 出さ れ九 大久保 間 歩見 学し てみま しょ つ。 ・ 大 久保 間歩 を 見学 し て ど んなこ とを 考え ま し た かo 感 想 を 発表 し ま し よう。 ○ 石 見銀 山で は どの よ う に銀 を 産出 した の かo それ ぞれ のテ ー マ別 に 調べて みま しょ う。 ・大 久保 間歩 の 見 学 【 学習 資料 】 ①「石見 銀山 歴 史 ノート 」 ②「石見銀 山 戦 国 時 代 の 遺 跡 を 歩 い て み よ う」 ③ 「石見銀 山 一 銀 が で き る ま で 」 ④ 「石 見銀 山 一 鉱 山 の 技 術 と 科学 」 ⑤ 「石 見銀 山遺 跡 ノート 」 ・16 世 紀後 半か ら17 世紀初 頭に かけ て世 界 の3分 の1 の銀 を 産出し た 銀山O ・ 日本 でのシ ル バーラ ッシ ュが銀 の国際的 な相場 に 影響を 与 えたO ・ 人 の力 だ け であ んな に大 きな 間 歩が 掘れ るな ん てすごいo ど うやっ て掘っ た のだろ う。 ・ あんな に 暗くて 狭い とこ ろで一 日 中銀を 掘るな ん て大変 だO ・ 間歩 の 中は水 が たまっ て 寒いo 銀 を ほる 大は 体を こ わさ なかっ た の だろ うか。 ・ 掘った 銀鉱 石を ど のよ うにして 銀に した のだろ うか ・銀鉱 石を 見つ けるた め にど のよ うに 間歩を 掘った のだ ろ うか。(採 掘 の工夫 ) ・銀鉱 石 か らど のよ うに銀を 取り 出し た のだ ろ うか。 (製 錬 の工夫 ) ・ 見つ けた 銀は ど うなっ てい た の かo 働い てい る大 は どのく らい 給 料 がも らえた のだろ う か。誰 が給料 をは らっ てい た のだ ろ うか。(経営 シ ステ ム) ・銀 は どこ に 運ばれ た のだろ うかo(銀 の輸 送) 2 石 見 銀 山 の 秘 密 を さ ぐ ろ う ② ○ 調べ たこ とを グル ープ 別 に発表 し まし よ う。 ○採 掘 ,製 錬 の技 術や 経 営 シ ステ ムは そ れぞ れ どの よ うに変 わっ て き た でし よ うか。 ○江 戸時 代 は どの よ うに 銀を 産 出し た と言 え る でし よ うか。 ・各 グル ープ で 作成 した ポス ター や新 聞 (グループ別に発表するo【資料1を参照】) 【採掘】 ・次第に地表に近い部分にある銀鉱石が掘り出されなくなっていった。そのた め,山の内部から効率的に銷昿石を量産するための採掘技術が進ん詆 【製錬】 ・銀鉱石から純変の高い銀を取り出すための技術が進ん詆( 灰吹法の導入) 【経営システム】 ・銀山では山師による独立的な経営が進められていた。 しかし時代ともに 積 極均に鉱山開発を行い,効率的に 軍卜金を徴収するために 扁磴 が銀山経営 に介入する政治システムが整ってき 旭 ○江戸時代には安定的な銀の供給を維持するために,採掘・製錬の技術,効率的 な鉱山経営・運卜のシステム,輸送経路の 整備等が発展した。 3 な ぜ 銀 は 必 要 と さ れ た の か ○なぜ , 戦 国大名 や 江 戸 幕府 は銀 を 必 要 とし た のだ ろ うかo O 銀は どこ を 通っ て どこ に運ば れた のだ ろ うか ○江 戸 時代 と 戦国 時代 で は 銀 の使い 方 に ど のよ うな変 化 があ る だろ う かo O なぜ 銀を 運ぶ 輸送 経路 が変 わっ た のだろ う。 ○江 戸幕 府 はなぜ 銀 を必 要 とし た のだ ろ うか。 まと めて みよ う。 資 料1 「大 森 と鞆 ヶ 浦 ,沖泊 を結 ぶ 銀山 街道」 資料 2 「大森 ∼尾 道, 瀬 戸内を 結 ぶ 銀の道」 資料 3 「三 貨制度」 ・戦国大名は戦争に必要な武器や弾薬を買うために必要だったのではないかo ・銀を所有することで,生活に必要なものを買ったり,ぜいたくをしたりした のではないぬ ・戦国大名である大内氏,毛利氏,尼子氏は銀 と外国と様々な物資や火薬の原 料である硝石を交換することで,戦備の充実を図った( 南蛮貿易)。そのため, 銀山に近い温泉津に銀を積み出す港が整えられた。 ・江戸時代になると大森 一尾道間の街道が整い,尾道から瀬戸内を通って大阪 にいたる銀の輸送経跏 娜寉立した。 ・江戸時代になると貨幣制度が整い,銀は京一旦大阪に運ばれた後,京都で鋳 造され,正貨として流通することになった。 圧 貨制の成立) ・江戸觴府は銀を外国に売るより,国内で貨 幣にするために使っ≒ ・銀を運ぶ場所が変わったからo( 毛利 氏のときは主に博多に運び,江戸時代は 大阪に運ばれ≒) ・海路より陸路のほうが安全だっ≒ 胆 がなくなり平和になったため) ○貨幣制度を整え,正貨を安定的に流通させるため江戸幕部 ま銀の供給を必要と した。

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次 授 業  刺 激 予 想され る発 言 と獲得す る 知識 発 問 資 料 4 な ぜ 江 戸 幕 府 は 貨 幣 を 必 要 と し た の か ○ 江戸 幕府 は なぜ 貨 幣を 必 要とし た のだろ うo ・ 江戸 幕府 の政策 か ら 考 えて み よ う。 江 戸幕 府 の政 策 には ど のよ うな もの があっ たか。 ・ 江戸 の人 口は100 万人 を超 え た とい われ るo なぜ そ のよ うに巨 大な 人 口を 抱え るこ とにな っ た のか。 ○巨 大都 市江 戸 には 何 か 必要 になっ た か。 ・ 生活 物 資を どの よ うに して 調達し た のか。 ・ 都 市整 備 は どの よ うに 行 われ たか。 ・ 大名 や 武 士 は生 活必 需 品や 資 材 を購 入 する の に 必 要な 貨 幣を ど のよ 引 こし て 手 に入 れた の か。 ○ 江戸 幕府 が 貨幣 を必 要 とし た理 由 をま と めて みよ う。 資料 4 「参 勤交代」 資料 5 「天 下普 請」 資料 6 「大 名 の収入」 資料 7 「江 戸 の人 口 と面 積」 資料 8 「大 阪 市場 の 賑 わい」 資 料 9 「 菱垣 廻船」 資 料10 「 茅場 町の倉 庫群」 資 料 n 「い ろい ろ な 店 が並 ぶ,江 戸 日本 橋の様 子」 資料12 「 堂 島 の 米 市 場」 ・多くの武士を養うために必要だったのではないか。 ・お喊を直したり町を整 えたりするために必要だったのではない か。 ・生活に必要なものを買うために必 要だったのではない か。 ・参勤交代の制度が確立し,諸大名やその家臣たちは,1 年交替で江戸に住む ことを余儀なくされた。 ・江戸城の改築や水路などの建設工事を各大名が負担した。 ・石高(二辷地のイ面値を玄米収穫量で示したもの)に応じて年貢米絹 徴収され, それが幕府や 審の財政になっ≒ │・幕府の力を絶対的なものにするための政策がとられた ・諸大名やその家巨たちのほかに 幕府直属の武士である旗本,御家人も江戸 に住んだ そのため江戸は巨大な人口を抱えることになった。 ・生活物汪 ・都市整 胤 ・大阪には全国各地から,様々な農産物,手工業品が集まり,「天下の台所」と 言 われた。 ・大阪から江戸にこれらの物資が運ばれ,売買がされブこ。 ・これらの商品の売買には貨幣が必要だった ・都市の整備は,各藩の大名が負担した。 ・普請に必要な資材は購入しなければならなかった。 そのため大量の貨幣を必 要とした。 ・全国に流通する貨 幣の発行ぱ屏府におさえられていたので,諸藩は年貢米を 販売し,貨幣を獲得しなければならなかった。 ・武士も年貢米を貨 騁と交換して生活費用にした。 ○幕 府の政策により江戸は多くの武士人口を抱える大消費都 市となった。江戸に 住む人々 の消費を満たすため商品購入の手段として の貨幣流通と市場が活性 化した。そのため江戸幕㈲ ま貨幣を必要とした。 5 貨 幣 の 流 通 は 何 を も た ら し た の か ○ 商品を 買 うた めに貨 幣 が必 要だっ た のは, 江 戸だ けだっ た のだろ う かo ・ 石 見銀 山 の近く にで き た都 市であ る 石銀 地 区 の発 掘 品 であ る。 こ れ ら は瀬 戸 ,伊 万 里, 唐 津 ,備 前 ,信 楽 ,美 濃 の陶磁 器 であ る。 こ れ らは石 見 銀 山に ど のよ うにし て 運ば れ た のだ ろ うか。 資 料13 「 石銀 地区 で 発 掘 された 陶 磁 器」 資料14 「東 廻り航 路 と西 回り航 路」 資料15 「温 泉津 港と 諸物 資の 供給」 ・江戸だけではなく他の地域でも,生活に必要なものを買 うために貨 ㈲ま必 要だったのではない 瓲 ・菱 垣廻 絽や 贈 回狐 北前船に全国各地のいろいろな商品が積み込まれ,各地 で売買されていた。 それらの商品を売買するには貨幣が必要詆 だとしたら 地域にも貨幣が入ってきたと思う。 ・その地域にはない もの(他の地 域の生産物)を買 うために貨幣力陂 われたの ではないぬ ・それぞれの地域から,中継地に集 められ船に積み込まれた商品が沖泊に運ば れた。 ・温泉津の沖怕には大きな港があり,廻船が入港していた。 ・ここからいろいろな物資が入り,大森 に運ばれ≒ ・商人が商品を集めて輸送し売買するので,生産者同士が商品を直 妾交換する ことはできないo ・商品のやりとりには貨幣が必要になる。 −108 −

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○ 江 戸 時 代 日本 各 地 は ど の よ う に 商 品 を 売 買 し て い た と い え る だ ろ う か 。 ○ こ の よ う な 商 品 と 貨 幣 の 流 れ が で き た 結 果 , 農 村 や 都 市 に ど ん な 変 化 が あ ら わ れ た だ ろ う か ○ 貨 幣 の 流 通 は 社 会 に ど の よ う な 変 化 を も た ら し た だ ろ うか 。 資 料16「 広 が る 取 引」 資 料17 「各 地 の 特 産 品」 資 料18 「力 を 持 つ 商 人」 ・東回 り航 路, 西回 り航略 が開通 し, 日本 各 地の 様々 な農 産物, 手 工業 品を 売買 す る商人 が活 躍し ,全 国的 な 商品 の流 通が活 発 になっ た。 ・ 農杜 では 農民 は より多 く の貨幣 を得 るた め に そ の 土地 にあっ た農 作 物・ 加工 品 の生産 を工 夫し た。 そ のた め生産 力 が向上 し た。 ・ 市 場の拡 大に よっ て 商品 と商品 を媒 介す る 問屋やf中買人 (商 人) が力 を握 り, 港町 や城 下町 , 中継 地 な ど都 市が発 達し た。 ○ 貨 幣が 安 定的 に 迪誦 することで, 広範 囲で の 商品 交 換が 可 能となり,流 涌ネ ットワ ークが 広 がった。 そ の 結 果, 農 村で は 農 業生 産 力が 向 上し, 都 市で は 商人が 活躍した。 ○ 貨 幣fこよって 広 い 範囲 で 商品 の やり取りが できるように なった 結 果, 貨 幣を 持てば 何 でも手1こ入るようにな った。 そ のた め 貨 幣を 持 つ商 人 が 武 士より力を持 つようになった。 6 市 場 経 済 は 万 能 か ○ 石 見 銀 山 の 人 口 の 推 移 を 見 て 気 づ い た こ と を 発 表 し よ う 。 ・ 銀 の 産 出 量 の 変 化 を 見 て 気 づ い た こ と を 発 表 し よ うo O 銀 山 で 働 く 人 が 大 森 を 出 て 行 っ た と 考 え ら れ る が 出 て 行 っ た の は そ の よ う な 人 だ け だ ろ う か。 ○ そ の 結 果 大 森 は ど う な っ た の だ ろ う か 。 ○ こ の こ と に つ い て ど う 思 う か 。 意 見 を 述 べ よ う ○ 産 業 の 空 洞 化 の 問 題 は , 現 代 で も 炭 鉱 を 閉 鎖 し た 夕 張 市 の 問 題 や 中 間 山 地 の 過 疎 の 問 題 と し て あ ら わ れ て い るo 現 代 に 生 き る 私 だ ち は , こ の よ う な 問 題 に 対 し て ど の よ う に 対 応 し て い く べ き だ ろ う か 。 意 見 を 述 べ よ う。 資 料19 「石 見 銀 山 領 の 人 口 の 推 移」 資 料20 「石 見 銀 山 の 銀 の 産 出 量 の 変 化」 ・石 見 銀山領 の人 口 は慶長 を境 に年 々減 少し てい る。 ・な ぜ, だ んだん 大 囗力殲 って きた の だろ う。 ・銀 の産 出 量も年 々減 ってい る。 ・銀 が とれな くなっ た か ら,銀 の産 出 にか かわ る人 の仕 忝がな く なっな ぞ の ため, 貨幣 を 得る こ とがで きな くな り, 人々 は大 森 から出 て行 った。 ・銀 昿山で慟 く大 を相 手に 商売 をして い た大 た ちも出 て行 った。 ・銀 山に 必 要な物資 を運 ぶ 大た ち。 ・港で備物 を 降ろし た りして 働 く大 たち。 ・ 住む 大が いな くな って 廃れ た。 ・ 昔 のよ うな賑 わい は なくな っ≒ ・ さび しい 町 になっ た。 【 ①現状 の 肯定 】 ・ 鉋 毀 く なっ た のだ から廃 れて も仕 方 がないo 世の 中の しく みはそ うい う もの。 に 現状 の 社会 シ ステ ムの 中で の変 革を 目指 ず 】 ・銀 山 ばか りに頼 る ので はな く, 銀が なく なっ た とき のこ とを考 え て,別 の 農 産物 を 作った り, 手工 業 品を 開発し た りす れば よかっ た。 【③ 現状 の社 会シ ステ ムそ の 自体 の問 題 化】 ・貨 幣 を多く 得 るた めに 売れ るも のだ け生 産し て,広い 範 囲で 取引 す るとい う シ ステ ム 自体お かしい。 本 当に 生活 に必 要な も のだけ,手 に入 れ るこ とが で き るよ うな システ ム を作 るべ き。 燵賊 を捨 てる のは よく ないO ① 地域 が廃 れてい か ない た めには ,地 域 住民 が,新 しい 産業 を 興し たり, 売れ る農 産 物を 作っ たり する 努力 が必 要で あるo 努力 を しな い 地域は 競 争 で 負けて 廃 れてい くo それ は 仕方 がない 。 ② 産 業を 興し た り,新 しい 農 作物 を栽 培し た りする の にはお 金 や時間 ,技 術力泌 晏 にな る ので地 域 住民 だけで は 難しい 。 政府 や民 間団 体 の支援 が必 要に なる ので はない 氈 ③ そ もそ も「売 れる もの を作っ て生 活 をし なけれ ば なら ない。」とい う現 在 の 社会 システ ム 自体お か しい。牛 活 に必 要な もの があ れば よい のだ か ら言 地 域で 作っ た もの を食 べる 」よ うにもっ と狭 い範 囲で 物 のや り取 りがで き るよ うな 循環 シ ステ ムを 作 ればよい の では ない 瓲 「地 産池 消」や「スロ ーフ ード」 「ス ロ ーライ フ」 の運 動 はそ のあ らわれ とい え る。

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概念を獲得し知識を蓄積していくと言われている。 よって彼らが歴史を理解する源になるのは彼らの 経験であるO自分の経験と過去の人々の経験を比 べ匚なぜだろう」と疑問を抱いたときにこそ,彼 らの歴史学習は始まる。現在の自分の経験と比較 しやすいのは庶民の生活であろう。時代の著名人 ばかりを取り上げるのが歴史学習ではない。庶民 の生活をよりミクロな視点でとらえ,分析するこ とにより,その時代の〈構造〉をよりリアルに理 解することができるのである。 第2点は,歴史学習に経済的な視点を取り入れ たことである。貨幣は一般的な交換の媒体である ことに加えて,最大の「 ̄流動性」を持つ価値の保 蔵手段である。貨幣は,商品世界にあるすべての 商品との直接的な交換可能性を与えられている。 そのため,貨幣経済が浸透すると,人は貨幣が代 替する商品ではなく,貨幣そのものを求めて行動 するようになる。現代ではさらに,貨幣をめぐっ て厂株取引」や厂先物取引」匚証券取引」などさ まざまな形態の金融取引が発達している。匚貨幣」 が匚貨幣」を増殖するマネーゲームが世界を舞台 に繰り広げられることになったのである。歴史学 習において,匚貨幣とは何か」を認識することは, 金融問題についての理解を促すことになる。 第3点は,構造の変革の視点を取り入れたこと である。個々の社会的事象の意味するものの変換 を行い,組み替えを行うことで,元の姿とは全く 異なる構造や法則を作り出すことができることを, 授業設計において示した。歴史はただ与えられた, 変更不可能なストーリーではなく,その時代時代 を生きる人々の集合的思考によって変革されるも のである。歴史に対するこのような考え方は現実 社会に対して積極的に働きかけていく子どもを育 てていくであろう。今後はこの匚変革のブリコラー ジュ」の視点を匚合理的意思決定」の場面にも取 り入れる授業設計を行いたい。 【注】 【引用文献】 1.橋爪大三郎『はじめての構造主義』講談社現代新 書, 1988, ppl68-169 2.溝『叙述口雄三のス「歴タイル史叙述のと歴史教図と客育 教授性(渡」と教雅子編書の -国際比較』)三元社,2003,p.261 溝口氏は匚見えざる歴史の叙述」について以下の ように述べている。「これは蜘蛛から糸がでてくるよ うに,事実の中から出ている見えない意図で織り成 された,事実から出たフィクションであって,小説 家のフィクションのように作者の想像力や登場人物 の感性から生み出された創作のフィクションではな い。(中略)それは,歴史家の一切の叙述意図を受け 付けない。歴史家の意図を超えてそこに厳然として 存在しているフィクショナルな世界である。」 3.小田 亮『レヴィ=ストロース入門』ちくま新書, 2000,前掲書, p.151 4.鬼頭 宏『文明としての江戸システム』講談社, 2002, pp.205-206 5,鬼頭 宏,前掲書, p.209 6.鈴木浩三『江戸の経済システム』日本経済新聞社 1995 p.46 7.鈴木浩三,前掲書, p. 1 【参考文献】 1.『週刊日本の街道88 石見銀山街道』講談社, 2004 2.銀の道振興協議会『石見銀山 歴史ノート』1999 3.仲野義文『石見銀山∼鉱山の技術と科学∼』大田 市外2町広域行政組合,2000 4.大田市外2町広域行政組合『石見銀山∼戦国時代 の遺跡を歩いて見よう』1999 5.銀の道振興協議会『石見銀山∼銀ができるまで』 1998 6.仲野義文『石見銀山∼野外手帳∼』大田市外2町 広域行政組合,2002 7.多田房明『銀山街道ガイドブック』大田市外2町 広域行政組合,2002 8.石見石見山資料館』2007編集『石見銀山学習資料一私たち 9.仲野義文『石見銀山遺跡ノート』大田市外2町広 域行政組合2002 10.山陰道』1998中央新報社『輝き再び石見銀山 世界遺産へ 11.林 書,玲子 1996・大石慎三郎『流通列島の誕生』講談社 12.林 玲子緡『日本の近世5 商人の活動』中央公 論社, 1992 13.丸山擁成編『日本の近世6 情報と交通』中央公 論社, 1992 14.岩井克人『貨幣論』筑摩書房, 1993 15.仲正昌樹『お金に正しさはあるのか』ちくま新書, 2004 16.森 堂,元孝 2007『貨幣の社会学 経済社会学への招待』 17.江面龍雄厂鉱山経営の実態一石見銀山の場合」『歴 史公論7』, 1976 18.小葉田 淳厂江戸時代の鉱山業」『歴史公論7』, 1976 110 −

参照

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