氏 名 西山 博通 博士の専攻分野の名称 博士(工学) 学 位 記 番 号 医工農博乙第11号 学 位 授 与 年 月 日 令和2年12月17日 学 位 授 与 の 要 件 学位規則第4条第2項該当 専 攻 名 工学専攻 エネルギー物質科学コース 物質化学分野
学 位 論 文 題 目 Distributions and chemical states of water inside electrolyte membrane of fuel cell during power generation analyzed by nonlinear Raman spectroscopy (発電中燃料電池の電解質膜内部における水分布と化学状態の非線形ラマン分光法による 解析) 論 文 審 査 委 員 主査 教 授 犬飼 潤治 教 授 宮武 健治 教 授 内田 誠 教 授 近藤 英一 准教授 佐藤 哲也 准教授 葛目 陽義 教 授 Donald A. Tryk スイス パウルシェラー研究所 電気化学研究室長 教授 Felix Buechi
学位論文内容の要旨
プロトン交換膜型燃料電池(PEMFC)は、高出力密度、低運転温度、短時間での起動・ 停止、メンテナンスの容易さなどの利点があり、魅力的なエネルギー変換システムである。 PEMFC のさらなる普及のためには、性能と耐久性および安定性の向上が不可欠である。こ れらの目的を達成するためには、膜電極接合体(MEA)の構成部品や運転条件を最適化す る必要があり、そのためには、セル運転中の反応分布を把握することが重要である。 様々な物理・化学的情報の中で、発電中の燃料電池のプロトン交換膜(PEM)内部の水 の分布とその化学状態は、プロトン伝導度を直接に規定するばかりでなく、PEM の劣化に も大きな影響を与える。とりわけ、燃料電池自動車運転中は発電量が瞬間的に変化するた め、発電中の過渡状態における膜内の水の分布を把握することが、安定した運転のために も重要である。これまでに、振動分光法、核磁気共鳴法、中性子散乱法、X 線散乱法などの様々な測定法を用いて、電解質膜内部の水の分布が測定されてきた。しかしながら、従来 の測定法では、時間分解能が低く、刻々と変化する電解質膜内部の水の分布の変化を測定 することは困難であった。 非線形ラマン分光法の一つであるコヒーレント反ストークスラマン散乱(CARS)分光法は、 時間分解能が高いことから、セル運転中の過渡状態における電解質膜内部の水の分布を測 定するための有望な手法と考えられている。また、O-H 延伸振動領域のピークデコンボリ ューションから PEM 内部の水の化学状態を明らかにすることができる。学位論文では、 CARS 分光法を用いてセル運転中の電解質膜内部の水の分布とその化学状態を測定し、セ ル運転中の過渡状態における電解質膜内部の水の分布とその化学状態の時間変化を議論し ている。 学位論文は全5 章からなる。 第1 章では、PEMFC の問題点と、電流密度、温度、CO2、酸素分圧、水の分布を測定す るための様々な手法についてまとめ、CARS 分光法を用いて発電中燃料電池内部の電解質 膜内水分布を高時間分解能で測定する意義を述べた。 第2 章では、高時間分解能で PEM 内部の水の分布を測定できる、CARS 分光システム開 発について説明した。CARS 過程で放出される光の強度は、第 1 励起光強度の 2 乗と第 2 励起光強度に比例するため高強度のシグナルが得られ、短時間でのデータ取得が可能とな り、1.0 s を切る高い時間分解能を実現した。非共鳴バックグラウンド除去に関しては、測 定されたスペクトルからCARS 信号のみを抽出するために、Kramers-Kronig 変換を応用 した位相回復計算を適用した。開発されたCARS 分光システムは、光学系と燃料電池評価
系から構成された。CARS 用 PEMFC は、カソード側エンドプレートに光学窓を設け、GDE
のカソード側には、PEM へのレーザー照射を可能にする直径 500 μmのピンホールを、 アノード側にはCARS 光を対物レンズに効率よく反射させるために、ピンホールと同じ大 きさのPt 箔反射層を配置した。 第3 章では、燃料電池運転中の定常状態における CARS 分光測定を、高い空間分解能(10 μmφ(面積)×1 μm(深さ))と時間分解能(1.0 s)で行った。膜内部の含水量は、スルホン酸 基あたりの水分子数(λ)を用いて評価した。種々加湿条件において取得されたスペクト ルのOH 伸縮振動と CF 伸縮振動のピーク面積比から、λ値を定量するための検量線を作 成し、発電中の電解質膜内部の水分布を同定した。PEM 内部の水の化学状態の深さプロ ファイルは、CARS スペクトルの O-H 延伸領域の波形分離によって取得した。3371 cm-1 に水和プロトンの Zundel イオンとしてのピークを導入することにより、ナフィオン膜中 のスルホン酸当たりの水和プロトンの数が、膜内部の電気的中性を満たした。発電時にお
ける水分布はカソードからアノードにかけて減少した。電流密度の増大に伴い、単位時間 当たりにカソードで生成される水の量が増大し、それに応じたλ値の増大が測定された。 電流密度の増加によるλ値の増加には、水素結合水の増加が大きく寄与していた。 第4章では、電流密度を 0.1 から 1.0 A cm-2 に変化させたときの、過渡状態における operando時間分解CARS 測定を 0.5 s の時間分解能で行った。カソード側膜表面では、λ 値のオーバーシュートを観察した。膜内部では、含水量の急激な上昇後、減少し定常状態 に達した。定常状態に到達するまでの時間は、カソード触媒層で発生した水が逆拡散によ って到達するのに応じ、アノード側に向かうにつれて遅れた。また、膜のアノード側表面 では、水の電気浸透抵抗によるλ値の緩やかな上昇が観察された。CARS スペクトルの O-H 延伸領域の波形分離により、セル運転中の過渡状態における電解質膜内部の水の化学状態 を解明した。電流密度の増加によるλ値の増加は、水素結合水の増加によるところが大き い。また、電流密度切り替え後5 s 後付近に測定されたλ値のオーバーシュートは、同士が 水素結合した水分子によるものであり、プロトン伝導度の上昇によるセル抵抗の減少も測 定された。λ値のオーバーシュートは、カソード触媒層中の酸素分圧の一時的な減少に起 因すると考察された。カソード触媒層中の酸素分圧の変化に対応したλ値とセル電圧の同 期的な変化が測定・解析された。
第 5 章では、研究の総括を行った。本 CARS 分光測定手法が、PEMFC の構造や MEA
の設計、新材料や操作プロトコルの開発に貢献することを議論し、提案した。 最後に、本学位論文に関する業績をリストにして示した。
論文審査結果の要旨
公聴会において、学位論文の内容の報告が行われた。その後、審査員による論文審査が 行われた。 本測定は、測定自体が影響を与える可能性が大きいことが、指摘された。レーザー照射 による温度上昇、それに伴う含水への影響はどのように考えているか。さらに、燃料電池 に構築したピンホールの影響について、説明を求められた。それに対し、測定時における レーザー照射条件を種々検討し、5分間の連続照射において含水量がほとんど変化しない 条件において測定を行っており、レーザーによる温度上昇を含めた含水量への影響は小さ いことを説明した。ピンホールの形状は、ラマン分光法を用いた以前の研究における構造 と同じであり、発電性能も膜内部の水分布に対しても、ピンホールは大きな影響を与えな いことが、複数研究機関から報告されていると回答した。 赤外やラマンなどの振動分光の結果では、プロトン種が関する水では、伸縮振動モード よりベンディング振動モードのほうが、感度が高いと報告されているが、今回の研究にお いてベンディング振動を考慮しなかった理由について、説明を求められた。それに対し、 今回の測定条件においは、水分子のベンディングモードの振動は測定されなかった。CARS 光発生には照射光に対して強度の閾値があり、ベンディングモード振動に対応する波長の 強度が閾値に達していなかったためであると、説明した。 OH 伸縮振動をガウス関数でフィッティングしたのはなぜか。ローレンツ関数や、関数と の組み合わせでフィッティングしてもよかったのではないかとの質問に対し、ラマンスペ クトルの形状は、気体分子の理想的な状態においてはローレンツ型となるが、測定試料が 固体かつ非晶質な場合、ガウス型の分布で、フィッティングできる。本研究で用いられた Nafion 膜の場合においても、これまでにガウス関数でフィッティングが行われている。本 研究においてもガウス関数によるフィッティングを採用した。フィッティングの結果、λ 値が、膜内部の電気的中性を満たした結果が、初めて得られ、ガウス関数におけるフィッ ティングは、妥当な結果を与えることが示された、と回答した。 本測定結果は、どのように燃料電池開発に寄与しうるかという、応用に関する質問が投 げかけられた。それに対し、λ値のオーバーシュートが、カソード触媒層中の酸素分圧低 下を示している場合、一時的に低酸素分圧状態での運転を強いられることになり、MEA の 劣化につながる。よって、オーバーシュートを抑制するような運転条件が好ましい。0.1 A cm-2から0.3、0.5、0.7、1.0 A cm-2へと電流密度を変化させた際、PEM のカソード側表面 におけるλの時間変化は電流密度に依存する。λの時間変化は、電流密度というステップ入力に対する応答だとみなすことができ、伝達関数を求めることで、他の入力(電流密度 変化)を与えた際におけるλの時間変化を予想できないかと考えていると回答した。
以上のような質疑応答の後、審査員による審査が行われた。学位論文は、高い内容を持 って執筆されていることと判断された。ただし、上記に示された質疑応答を、学位論文に 反映することが必要であると判断された。