Author(s)
山門, 健一
Citation
沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(7): 109-131
Issue Date
1990-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/5741
沖縄大学紀要第7号(1990年)
アジアとの経済交流について
山門健
はじめに いまアジアは大きく変わろうとしている。アジアNIES(新興工業経済群) の躍進、それに続いてASEAN諸国(東南アジア諸国連合)の経済も活気が でてきていろ。韓国、台湾などアジアNIESの1986-88年の3年間の実質 経済成長率は二ケタ台を維持、またタイ、マレーシアなどのASEAN諸国も 87年以降、成長が加速してきた。78年から都小平体制の下で経済改革・開放 路線に踏み切った中国もアジアNIESの発展に刺激されたものであろう。 アジアNIESやASEAN諸国など西太平洋地域の経済成長を支えてきた のは、アメリカ経済だった。輸出志向の工業化をすすめるこれらの国々は、対 米輸出を大幅に伸ばすことで高度経済成長が続けられた。しかし日本やアジア NIESなどの対米貿易黒字は貿易摩擦を引き起こし、日本は内需主導型経済、 アメリカやアジアNIESなどからの輸入を大幅に増やす方向に転換を図っだ。 またアジアNIESも、為替レートの調整、輸出市場の多角化、市場開放、構 造調整等をすすめ、対米黒字の縮小につとめざるをえなくなり、日本はまたア メリカに替わって、アブソーバーとしての役割が期待されるようになった。 日本についてみろと、85年のプラザ合意後の為替レート調整によって、この 間貿易環境は大きく変化し、日本の製品輸入が進み、また対外直接投資が加速 された。輸入の内容をみろと、87年の消費財中心から、88年になると消費財 輸入が高い伸びを続けるなかで、資本財輸入が増大した。流通業による消費財 の輸入あるいは開発輸入が進む一方、製造業による自社の海外生産拠点からの 完成品の輸入、外国企業の製品輸入が増えてきた。 沖縄についてみろと、こうした貿易環境の変化する中で、たとえば沖縄自由 貿易地域の活用の途が開かれてきたということができる。1958年に開設された 沖縄の自由貿易地域は、本土復帰後も沖縄振興開発特別措置法の中に残された -109-ものの、輸出主導型の当時の日本経済のもとでは活用の途はなかった。その後
経済大国日本が輸出主導型経済の是正、国内市場の開放を迫られるようになり、
またアジアNIESやASEAN諸国の経済発展、中国の経済開放政策という なかで、アジアの物流基地としての沖縄自由貿易地域の可能性がでてきたとい えろ。 本稿は、こうした貿易環境の変化(とくに台湾、中国との)を調べ、その中 での沖縄の可能性をさぐることが目的で、主に関係者からの聞き取りや文献、 新聞記事などを中心にまとめてみた。 I沖縄の貿易の現状 日本復帰とともに、それまで輸出入の大部分を占めていた日本との取引が移 出入扱いとなったため、復帰を境に沖縄の貿易は大きく様変わりをする。このため貿易量は縮小するが、復帰後はCTSが建設され、原油輸入が新しく加わ
ることになった。最近の輸出入の推移を見てみよう。 輸入 (表1)輸出入額の推移(単位:百万円) 輸入額は、表1に見ろとおり、 円高、原油安のなかで傾向的に減 少してきており、その結果入超額 は著しく縮小してきていろ。沖 縄の輸出もこのところやや増え る気配も見られ、日本全体が輸 入増加、輸出減少に向っている のに対し、沖縄は逆に輸入減少、 輸出増加という形となっていろ。 また沖縄地区税関の89年の貿 易概況で、輸入をみろと、大半 を占める原粗油は前年に比べ数 量は落ちたものの、原油価格 の_上昇により金額では1004億 (資料・沖縄地区税関「管内貿易概況」) -110- 年別 輸出 輸入 入超額 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 0856709809 7086106385 6536369264 99,,999,99 7023688535 2 11214棚Ⅲ川棚剛、皿川棚柵
,,,,,,9,9‘別冊刈躯皿咄〃別弱、
6754542111 8368611062 3386175343 5266815894 ,,,,,99P9P 4618488916 2872090242 6654532111沖縄大学紀要第7号(1990年) (単位:百万円)
(表2)1989年主要商品別地域(国)別輸入額
(資科・沖縄地区税関「管内貿易概況」1990.1.30) 1700万円、前年比16.2%上昇した。原粗油についで大きいのは食料品で285 億円(対前年比17.8%増)。原粗油と食料品で全体の四分の三を占めていろ。 -111- 目 ロ ロロ 合計 価額 米国 価額 EC 価額 オースト フリア ● 言彩ジド 価額 東南 アジア 価額 台湾 価額 中近東 価額 共産圏 中国 価額 価額 合計 171,69317,619 9,577 8,037 37,54912,21284,597 12,75911,700 原粗油 100,476 10,749 83,281 6,“6 6,446 石油製品 6415 62 409 4,124 106 1,204 115 115 石炭 1,020 1,020 1,020 食料品 |肉類・同調整品 |魚介類・同調整品 I穀物類・同調整品 |果実およ ぴ野菜 |コーヒー・ココア・茶等 2a256 13b422 2$363 3382 4731 2bO26 8,917 3,643 2 337 2,051 1,652 4,684 3,952 261 68 95 6,563 5,147 456 307 5 5,429 253 1,804 509 2,529 107 3,673 253 1,525 85 1,650 97 2,604 269 15 1,968 51 145 2,604 269 15 1,968 51 145 飲料 |アルコール飲料 4,634 3,388 666 448 2,754 2,752 7 7 776 20 99 3 3 271 271 たばと 2b505 2,487 16 木 。 I0600000 丸製 材 太 材 5,863 2,473 3,391 130 130 11 11 5,446 2,473 2,973 1,060 4 1,056 1 1 1 1 石砂 1,243 1,152 1,099 91 91 鉄鋼 1,297 118 0 564 450 615 455 非鉄金属 937 87 849 2 2 器一器気器 機 械 機 機機 般気 機 用 送 二電輸 4,501 1,551 1,082 1,867 2,258 853 731 674 732 112 0 620 75 67 7 1,142 413 345 384 1,066 373 310 383 53 53 231 52 6 173 231 52 6 173 家具 1,227 138 8 1,040 800 40 40 衣類 1,531 208 208 1 1,064 840 43 43食料品のうち肉類・同調整品は134億2200万円で、08%増。鶏肉がやや減 少したものの、牛肉、豚肉、豚肉缶詰が増加した。その他は石油製品、穀物・ 同調整品、アルコール飲料などが着実に増加、木材、機械類・輸送用機器、魚 介類・同調整品は減少した。 地域(国)別を見ろと、EC(95億77百万円36%増)からはデンマーク、 アイルランド等の肉類・同調整品、イギリス、フランスのアルコール飲料等が 増えた。オーストラリア、ニュー・ジーランド(80億37百万円03%増)か らの肉類・同調整品もやや増加。東南アジア(375億49百万円143%増)は、 インドネシア、マレーシアの原油の大幅増、また中近東(846億97百万円11.6 %増)イラン、サウデイアラビア等の粗原油の増。注目の中国(127億59百万 円122.8%増)からの輸入は原粗油の増加のほか、穀物および同調整品、鉄鋼 等が大幅となっている。またアメリカは、肉類・同調整品が大幅に伸びたもの の、輸送用機器、鉄鋼等が大幅に落ち込んで対前年比減となった。 輸出 軽油、重油などの石油製品が358億800万円(対前年比433.4%増)で、輸 出全体の約八割を占めている。その他に中古船舶などの輸送用機器が21億3000 万円、洋上輸出のマグロを中心とした魚介類も22億1100万円(対前年比208.3 %増)と増えた。 マクロの洋上輸出 グアム島を基地にしたマグロ漁業は、グアムから新鮮なマグロを大阪、東京 に送る万が航空運賃が安いということで、これまで沖縄県船籍の48隻をはじめ 日本の漁船が約百隻操業していた。農水省令で20トン未満漁船による国外陸揚 げが禁止されていたが、水産庁は黙認してきた。ところが89年10月から、こ れを試験操業という形で認めることになり、その際、グアムからの航空輸送能 力との兼ね合いから、水産庁は許可枠を80隻とし、沖縄への割り当ては37隻と いうことになった硫球新報89年10月4日)。 これらの漁船が獲ったマグロは沖縄地区税関で通関手続きが行われるため、 「沖縄からの輸出」のように見えるが、この中にはもちろん宮崎の漁船のものも 含まれている。また年統計では、マグロの洋上輸出は前年よりも増えているが、 -112-
沖縄大学紀要第7号(1990年)
許可船が80隻に減らされたということが影響しているのだろうか、89年10月か
ら輸出額は落ちてきていろ。 石油製品の輸出石油製品の輸出とは、受託精製であるが、このところ東南アジア向け受託精
製が急増している。経済成長が著しいシンガポール、台湾、韓国では精製施設 が足りないため、沖縄に精製を委託しているのである。通産省資源エネルギー庁は86年11月に条件つきで受託精製を解禁し、行政
指導を緩和したことから、沖縄の本格的な受託精製がはじまったが、背景にア
ジアNIES、ASEAN諸国の経済成長に伴う石油製品への旺盛な需要があ る。87年当時、たとえば南西石油が中国に受託精製の打診に行った際、シンガポールより手数料が高いと断られたが、そのシンガポールが余裕がなくなり、
沖縄に精製を委託するようになった。89年には中国も精製を委託するようにな
ったという。(表3)南西石油の受託精製の実績
精製量操業率 (資料。南西石油) 県内石油精製業にとって、受託手数料よりも、受託精製に伴う操業率の上昇 が大きな魅力となっていろ。受託手数料は石油製品の国際市況の逼迫につれて 上昇してきているし、また円高基調のなかで、円ベースの手取りが増えている と言うこともあるが、それよりも30~50%と言う低操業率の下で固定費の上 昇に悩まされろということが解消したことが非常に大きい。89年は操業率が 83%になっているが、定期点検のための操業停止をのぞくとフル操業の状態で ある。出光興産系の沖縄石油精製も89年度下期の受託精製量は韓国向けを中心 に105万Mとなる見通しである。 -113- 受託先 精製量 操業率 87 88 89 韓国、香港、シンガポール 韓国、香港、シンガポール 韓国、香港、シンガポール マレーシア、中国、台湾 30万A08 34万lM 97万lc8 56% 62% 84%東南アジアの石油製品の需要は急増しており、主要7カ国を対象にした日本 エネルギー研究所の見通しでも、2000年には88年の1.6倍に達する。このた め精製能力の引き上げが間に合わず、余力のある日本の精製設備に頼らざるを 得ないという状況となっていろ。しかし距離が近いという立地条件がすぐれた 沖縄の精製設備もフル操業の状態にあるため、今後は本土への委託が進むとみ られていろ。 これまで低操業率に悩まされ、シイタケ裁培など多角経営で苦境を乗り切ろ うとしてきたが、アジアNIES〔注1〕、ASEAN諸国あるいは中国の経 済成長に支えられて、いまや沖縄の石油精製業は、創業以来はじめてフル操業 が実現し、沖縄の「輸出」産業となっているのである。 セメントの輸出 同じようにアジアNIES、ASEAN諸国の経済成長を背景に、輸出がす すんでいるのはセメントである。東南アジア諸国の旺盛な建設投資にともない、 琉球セメントの輸出が増え始めた。一昨年グアム向けに約1万トンを初めて輸 出した。昨年は約3万トン、今年はさらに増える見込みだという。香港へは昨 年6月に約5千トンを輸出し、今年3月までに合計7,8万トン輸出する計画だ という。またタイからも引き合いがあるという。 琉球セメントの年間生産能力は約65万トン。長い間能力以下の操業を続けて いたが、昨年途中からはフル操業の状態となっている。セメントは世界的な建 設ブームのなかで需給が逼迫しており、韓国では大規模なセメントエ場を建設 中だという。しかし海外でのセメント需要はまだしばらくは見込めるとして、 琉球セメントは新たな輸出先の開拓などに力を入れていろ。今年の同社の輸出 は、同社全体の販売量の二割以上、13万トンに達するという。 台湾や韓国が自国の需要に対応するのに精一杯で輸出する余力がないこと、 アジアNIESの賃金上昇などで日本製品との価格差が縮まっており、価格差 よりも品質の良い方を選ぶという面もでてきているようだ。 〔注1〕台湾、韓国、香港、シンガポール、インド、ブラジル、メキシコなど急速に 工業化をとげた国々は、NICS(NewlylndustrializingCountries新興工業国群) として、各国の注目をあつめた。79年にはOECDの報告書『工業生産と貿易に関す -114-
沖縄大学紀要第7号(1990年) ろ新興工業国(NICS)のインパクト」で使われたのが最初だといわれていろ。 その後、香港、台湾を国(Country)と呼ぶのは問題があるとして、88年6月に開 催されたトロント・サミットからは、NIES(NewlylndustrializingEconomies新 興工業経済地域)と呼称が変更になった。韓国、台湾、香港、シンガポールはアジア NIESとして注目をあつめているが、87年のルーブル合意では、アジアNIESに対し、 貿易障壁の削減や通貨切り上げが要求され、また89年にはアメリカによる特恵関税 制度が廃止された。 2最近の台湾経済 1953年以来、台湾は経済発展に力を往いた。農業の改良と工業の育成から始 まったが、農地改革にも成功し、経済社会構造の変革を促進した。そして権威 主義的政治体制のもとで、台湾は輸入代替工業化、さらに輸出志向の工業化へ と方向転換を図った゜ 58年以降、為替レートの単一化や過大評価の是正、税制や金融面での輸出奨 励措置がとられ、60年には投資条例が改正し、低簾で豊富な労働力を売りもの に外貨導入を積極的に進めた。また66年には輸出加工区を高雄に、つづいて楠 梓、台中に設置した。 60年から73年(第一次石油ショック)までの平均経済成長率は10.1%、74 年以降は7.7%、また-人あたりGNPは、60年の約100ドルから88年には約 6000ドルに増えた。こうして1970年代には経済の近代化も進み、企業経営の質 的強化も進んだものの、米中国交回復(台湾米国国交断絶)、台湾の国連をは じめ国際機関からの追放という状況になり、これまで比較的順調に経済発展し てきた台湾は、ここで深刻な危機の直面した。 「台湾の奇跡」とも呼ばれる驚異的な経済成長は、実は冷戦を前提にした「開発 独裁」のもとで実現されたものであるが、冷戦の構造そのものが崩れはじめ、 また内部において民力が伸長してくると、「開発独裁」もついに終焉を迎え、 政治の民主化に手をつけざるを得なくなった。 86年9月には民主進歩党が結成されたが、蒋介石の死亡のあと総統を引き継 いだ蒋経国は、翌月、党禁(新規政党結成禁止)の解除方針を打ち出した。ま -115-
た88年1月には報禁(新聞の新規発行・増頁禁止)の解除した。また蒋経国の
死去(88年1月13日)のあと、初めて台湾人(本省人)として総統になった
李登輝は、蒋経国の柔軟路線を継承しているが、労働条件の改善をもとめるデ モやスト、農産物自由化に反対する農民のデモなども多発していろ。88年10月 には、高雄県林園石化コンビナートの企業18社は、工場排水の公害問題で周辺 住民によって一時操業停止に追い込まれろという事態も発生した。また政治の 民主化もあまり進展はなく、国民の不満も高まっていろといわれ、さる89年 12月2日に行われた戒厳令解除後初の統一選挙では、野党の民主進歩党は21の 県・市長のうち6つのポストを、また立法議員(国会議員)は21の議席を獲得 していろ(前回の非合法政党だったときの選挙では21だった)。 蒋経国は晩年において、戒厳令を解除(87年7月15日)し、また87年11月 には、台湾住民の大陸里帰りを解禁した。内政部の統計(88年11月)によれ ば、解禁して-年に里帰りをしたのは、24万6000人で、うち20万9000人が 実際に大陸を訪問した。また「中国側によれば、解禁以来一年の台湾からの訪 問者37万人、うち里帰りは約7割にすぎない。」〔注1〕またこの解禁で、ヒ トだけでなくモノやカネの動きも拡大した。「香港紙の推計によると、88年一 年間で海峡両岸を動いた財は低く見積もって66億米ドル(間接貿易25億ドル、 直接貿易5億、里帰りと送金による台湾からの外貨30億ドル、台湾からの直接 投資5億)で、約18億ドル大陸側受け取り超過である。」〔注1〕その他、台 湾赤十字を通じた郵便の交換が認められ、香港、シンガポール経由で電話も通 じていろ。 国民党第13回全大会(88年7月12日)で大陸政策大綱(①「接触せず、交 渉せず、妥協もしない」という三不政策を堅持する。また②民間交流では、い わゆる「三通」〔通商、通郵、通航〕については間接方式をとり、「四流」〔学 術、文化、スポーツ、人の交流〕については弾力的に処理する。)を決定した あと、大陸からの原材料の間接輸入の公認、大陸住民の台湾親族病気見舞い・ 葬儀参列のための訪台が解禁された。9月には北京で開催された国際科学者協会総会に台湾から3名の学者が出席し、さらに12月には在米大陸留学生が台湾
を訪れていろ。 -116-沖縄大学紀要第7号(1990年) 大陸との交流が進むなかで、様々な問題も生じてきている。重婚問題や遺産
相続問題などが発生していろというし、大陸からの密航、漁船による集団強行
上陸事件も発生してろという。こうした集団上陸が頻繁に発生すれば、「台湾 が沈没」しかねないだけに厳重に警戒しているようだ。 香港を中継地とした貿易は、1980年ごろからはじまっていろ。香港政府の再 輸出統計によれば、台湾・大陸中継貿易額は、88年24億米ドル、前年の15億 ドルを大きく上回わり、大陸にとって6番目の貿易相手国となった。 1985年7月、台湾当局が大陸向け中継貿易に対し不干渉の態度をとる方針を 明らかにし、-万大陸も、こうした台湾の動きを国内経済の活性化、中国統一 の立場から歓迎し、台湾からの入国、国内旅行、貿易や投資など様々な面で手 続きの簡素化、優遇策を講じたことから、台湾一大陸間の貿易量は増加してい ろ。台湾から大陸への主な輸出品は、機械設備、電気製品、化学原料、半製品、 織維製品、食品など。また大陸から台湾に輸出されるものは、漢方薬材、種子、 果物、香料用動植物性原料、鮮魚類、乾燥食物などだが、今後、天然織維原料、 皮革毛皮、食品原料、非金属原料、化学原料、希士類等の工業原料なども増え るものとみられていろ。大陸との貿易は香港経由の他に石垣港経由のものもあ る。これについてはあとでふれるが、天安門事件の直後は激減したもののその 後は回復していろ。 NIESの優等生といわれる台湾経済もいま大きな曲がり角にさしかかって いろ。アメリカとの貿易摩擦が激化し、アメリカは89年1月、アジアNIES に対する特恵関税供与を停止した。台湾もまた外需主導から内需主導へと経済構造の転換を迫られていろ。これまで輸出指向の工業化をすすめるうえで、大
きな役割を果たしてきた輸出加工区もその歴史的使命を果たし終えた。台湾元
高、反公害運動、賃金高騰などにより華僑・外国人投資は減少しているし、逆 に台湾の対外投資は、いまのところアメリカが大半を占めているが、ASEAN諸国、中国などへの投資が次第に増えていろ。また弾力外交を展開し、海外市
場の多様化を図ろうとしていろ。また97年の香港の中国返還後をにらんで、自ら香港に替わってアジア国際金
融センターを目指そうという動きも見られるが、台湾にとって大きな問題は、 -117-「三不政策」を変更しないかぎり、これまでのように香港を対大陸貿易の中継 地として使えないということであろう。台湾は香港にかわる中継地としてシン ガポールやフィリッピンも検討したが、遠すぎること、治安上問題があること などからむつかしく、やはり沖縄が有利と判断しているようだ。大陸市場は台 湾の経済成長を維持していくうえでも欠かせないものとなっているし、また大 陸にとっても将来の「統一」を考えた場合、台湾との貿易拡大は重要だ。 さらに台湾にとって、対日貿易赤字がなかなか縮小せず、拡大する一方だと いう問題がある。産業構造の高度化を図りつつ、対日貿易赤字を解消すること が最重要課題の一つとなっていろ。そうしたこともあって、台湾は沖縄を対大 陸貿易の中継地だけでなく、対日本本土貿易の中継地としてもとらえてい る。〔注2〕 台湾と沖縄の経済交流
台湾からの輸入10に対し、見るべき輸出品をもたぬ沖縄からの輸出は1前後
という割合で推移してきた。輸出入総額は85年に輸入の不振で落ち込んだもの
のその後は増加し、88年には151億円に達し、過去最高を記録していろ。また89年
は台湾からの輸入122億円に対し、沖縄からの輸出は石油製品などの増加で39
億円に上昇した。輸入・輸出の比はほぼ3対1となっていろ。
ここでは台湾からの輸入について、沖縄地区税関の「管内における対台湾貿
易」(1987年4月)を中心に見てみるが、「食料品」が全輸入量の32%を占め、
もっとも大きい、というのが特徴である。
①魚介類及び同調整品前年比2倍近くの24億円に達したが、うち「活きたうなぎ」(水を入れたビ
ニール袋に酸素を注入し、氷で冷却して運ぶ。)は大きく減り、「うなぎの調
整品」は実に23倍の伸びである。沖縄で通関したのち本土に転送されろ。「か
じき・マグロ」は横這いで2億67百万円、「えび」は台湾産の養殖車えび、ブ
ラックタイガーでおがくずの中にドライアイスを入れて生きたまま輸入される
が、大半は県内の市場に出回り、一部は本土に転送される。
②野菜及び同調整品「えだ豆」や「さやえんどう」などの冷凍野菜の輸入が増えているが、86年
-118-沖縄大学紀要第7号(1990年) は8億64百万円。沖縄で通関後、外食産業の発展で需要の伸びている首都圏に 送られろ。国内産の野菜の供給量が落ち込む11月から3月にかけて、本土行き の冷凍野菜の輸入が例年増える傾向にあるという。 「たまねぎ」や「にんにく」などが生鮮のまま、「たけのこ」や「きのこ」 の缶詰なども輸入されているが、一部は本土に転送されていろ。 ③衣類 円高や米国の輸入抑制などで、86年87年台湾からの輸入は大幅に増えたが、 88年は半減(7億21百万円)した。86年の税関の調査では、台湾産衣類の70 %は冬物のセーター類で占められており、秋口からの輸入増加が顕著だった。 また輸入衣類の大半は、沖縄で通関後、本土各地へ転送されていろ。(関係者 に聞くとこれは台湾業者が納期に間に合わすため、通関手続きの早い沖縄を経 由して本土に空輸するケースが多いのだという。) ④果実及び同調整品 生鮮果実の主なものは、ぶどうとパイナップルである。台湾産の「巨峰」は 国産のものによく似ており、沖縄では人気があるという。また台湾産のパイナ ップルは、沖縄産のものの端境期(4~8月)に輸入されており、増加する傾 向にある。88年はぶどうの輸入は44百万円、パイナップルは25百万円。わず かな量だが、バナナ、ベリーなども輸入されていろ。 また果実調整品としては、砂糖情けにしたパイナップルやパパイヤなどが輸 入されていろ。 ⑤石及び砂 建設用の砂や砕石輸入は、88年1,169百万円。川砂の少ない沖縄にとって は欠かせないものとなっていろ。またわずかだが、庭石に使われる岩石や墓石 用の大理石も輸入されている。 ⑥家具 沖縄では輸入されている家具の大半(86年82.5%)は台湾からである。ま た台湾産の家具の53.4%は木製家具(応接セット、書棚など)で、これらの家 具を買い求めるのは沖縄に駐留する米軍人であり、沖縄の家具輸入は、米軍人 の需要に支えられて伸びてきたといわれる。 -119-
木製の家具についで多いのは藤製のいすや応接セット。風通しが良いことも あって、沖縄では人気があり、輸入量は安定的に推移している。 ⑦茶 台湾から輸入される茶の大半は、ウーロン茶等のいわゆる中国茶である。中 国茶の国別輸入状況では台湾茶が72.6%を占めていろ。「健康茶ブーム」に乗 り、輸入は増加傾向にある。台湾産の輸入は対前比2.3倍。沖縄を経由し本土 移出を目的とした中国茶輸入の動きも出てきていろという。 〔注1〕若林正丈「台湾政治・経済発展の概観」『アジアNIES総覧』(1989年) 〔注2〕中華民国対外貿易発展協会「琉球転口貿易市場調査』(1989年) 3最近の中国経済 1978年末に開催された中国共産党第11期第三回中央委員会総会で、中国は 対外開放政策を進め、輸出志向型経済への転換を図ろ政策を決定し、深切I(シ ンセン)、廩門(アモイ)、汕頭(スワトウ)、珠海(ジュカイ)の四つの経済 特別区を設け、外資導入をねらいとした大胆な資本主義的な手法による経済開 発を行うという方針を打ち出した。その後13の沿海都市を経済開放都市とし、 その他の沿海地区も開放して、沿海部のほぼ全域が、中国の経済改革の中心的 な役割を果たすことになった。 88年1月、趙紫陽総書記は「沿海地域経済発展戦略」は、沿海地区のあり余
る労働力を利用して、とくに労働集約的産業の重点的発展、原材料輸入と製品
輸出、海外からの投資の奨励などを主な内容とし、この地域を輸出主導で発展
させるというものである。原材料を輸入するのは、内陸部との資源の争奪を避 けるためである。また海外からの投資(外資企業、合弁企業、合作企業)は技 術移転などをねらいとしていた。香港、マカオ、台湾に隣接し、これらの地域の統一に向け、同化を目指すね
らいもあるとされたが、これらの地域をはじめ、中国はこの間アジアNIES、ASEAN諸国と相互依存関係を深めていった。輸出入ともにアジア諸国の比
重が高く、とくにこの間香港、マカオ、シンガポールからの輸入、ASEAN
-120-沖縄大学紀要第7号(1990年) 諸国への輸出が大きく伸びていろ。また台湾、韓国との間接貿易も急拡大し
た〔注’〕・産業用機械類や家電製品類は、対日輸入が減少ないし一進一退で
あるのに対し、対アジアNIES輸入は着実に伸びている。この背景にはアジ アNIES製品の価格競争力が強いこと、技術水準の向上などがあげられてい ろ。 またほぼ完全雇用の状態のつづいている香港では、人件費はますます高くな る傾向にあり、人件費の極端に安い中国は大きな魅力で、香港企業はなだれを 打って進出した。10年ほど前には、人口2万人ののどかな農村だったという探 りI|経済特別区は、今では高層ピルの建ち並ぶ、香港によく似た近代的な、人口 50万人の都市に生まれ変わった。香港企業は直接投資だけでなく、委託加工と いう形で珠江デルタなどに進出していろ。労働者一人あたり賃金は、深#'1経済 特別区では、香港のおよそ三分の-,珠江デルタでは香港の五分の-という。 (表4)香港の製造業への国別投資(1987年末) bj7/(10()(] (資料・香港政庁工業署『香港の製造業における外国 投資に関する調査』1987年) -121- 国・地域名 投資件数(%) 投資総額(%)(100万香港ドル) 米国 日本 中国 英国 オ フ ンダ スイス 西ドイツ フィリピン リベリア シンガポール その他の地域 J111J1J1jj1 96906102277 ●●●●●●●●●●● 33691351130 22 2 くくくくくくくくくくく 20711148850 6646123 24 11 1 1JJ11J1JJ11 46210397333 ●●●●●●●●●●● 66874211119 32 くくくくく!くくくくく 59901886060 90394895767 66748433229 9,,, ? 7511 1 総計 677(100.0) 21,122(100.0)また中国自身も、対香港製造業直接投資もこの間急速に伸びていて、香港の 国別投資受入額では、日本についで第3位となっていろ。 中国は、このように貿易。資本両面で、アジアNIES、ASEAN諸国と の結びつきを深めているが、他方アジアNIESの輸出環境の悪化、またASEAN 諸国においても工業用地、港湾設備等一部のインフレや賃金上昇などボトルネ ックが生じており、中国がこれらの国々の不足を補う形で相互依存の関係をつ くりながら、アジアNIES、ASEAN諸国の後を追う形で成長を遂げてい く可能性を持っていろといえよう。 しかし88年に入ると、急速な経済改革に伴う様々な問題が噴出した。経済不 均衡の拡大、激しいインフレ、経済的不正行為などである。中国の対外開放政 策はもはや後戻りでできない地点まできていろといわれているが、89年6月4 日の天安門事件以来、中国経済は諸外国の厳しい制裁措置もあって、非常に厳 しい状況に陥った。 天安門事件後の中国経済 昨年の暮れ12月16日に、中国国家外国為替管理局は、海外主要通貨に対する 人民元の為替レートを発表した。中国は元レートを米ドルにリンクさせている が、元の対米ドルレートが1ドル=372元から、同4.72元に切り下げられ、 それに伴って対日本円レートも1元-38.6円から30.5円に切り下げられた。 90年以降対外債務の返済額が急増するが、輸出が伸び悩んでいるうえ、昨年の 「天安門事件」で海外からの援助や融資も減少していろ。そういう中で、通貨 の切り下げで輸出を伸ばすことがねらいだとみられている。 中国は90年から外債返済のピーク期を迎えることになるが、中国政府は公開 を拒んでいるものの、元本償還金は目下の70億ドルから100億ドルに増えてい るものとみられ、外貨事情はますますきびしくなると見られていろ〔注2〕・
外貨準備高は現在約140億ドルと発表されているが、最近中国を訪れた沖縄の
貿易業者によれば、70億ドル程度に落ち込んでいるらしい。
一昨年秋以来の経済調整政策は、インフレを抑え、経済過熱を冷やすには効果はあったが、生産の停滞、企業の倒産をまねいた。天安門事件で対外貿易が
大きな痛手を受けた。20億ドル以上あったといわれる観光収入も激減し、海外 -122-沖縄大学紀要第7号(1990年) からの投資などを含めた外貨収入も大幅に減少した。
原材料の値上がりなどで輸出企業の採算分岐点は1ドル=5元以上に達して
いろといわれており、こうなれば企業は輸出すればするほど赤字が増えるわけ で、政府はこの赤字を埋めるため、88年には220億元以上の巨額の輸出補助金 を企業に支給していたという。今回の元切り下げはこの補助金の廃1上もねらっ ていろ。西側諸国の制裁の長期化で新規借款の借り入れもむつかしい、こういう状況のもとでは、結局、通貨ルートの調整のよる貿員収支改善しか危機を克
服する道はない、ということなのであろう。 だが、人民元の切り下げが期待どおりの効果がもたされるかどうかについて は、疑問視する声も多い〔注3〕。「輸出品の45%は一次産品で価格も安いし、 レート切り下げによって輸出拡大できる電気製品などのようなものはわずか3 %を占めるにすぎない。また輸入については、賛沢な消費財の輸入抑制には効 果があっても、これらの占める割合は小さく外貨節約には限度がある。一方、 経済建設に不可欠の機械設備や原材料の輸入コストも同時に高くなり、経済に とってはマイナスの影響が起こることも考えられろ。」〔注4〕という見方や 中国製品は「価格よりは品質が問題」〔注5〕という指摘もある。日本経済新聞(89年12月28日)は、12月27日の人民日報に載った全国計
画会議での李鵬首相の演説を紹介しているが、同首相は「総需要抑制や金融、
財政の引き締めは堅持する」など経済調整策の継続を打ち出したほか「対外債
務返済のピークを迎え、外貨準備を増やさなければならない」ときびしい輸入抑制の方針を示したという。90年のGNPの実質伸び率の目標を5%、工業生
産についても6パーセント成長を目指すと初めて具体的な数字を上げた。11月 の党中央全体会議で91年までの調整期間中の経済成長率を5~6%としており、 これらの数字はこの範囲内であるが、他方引き締めの影響で89年9月以降毎月 の工業生産が9月対前年同月比0.9%増、10月同2.1%減、11月0.9%増と 失速状態に陥っており、この目標達成は容易でないという見方が強い。 また12月30日の日本経済新聞も、政府による部分的な金融緩和政策にもかかわらず、89年夏以降の消費不振による中国の不況が長期化し、工場の減産で、
四川省重慶市では全労働者の約4%のあたる約7万人が一時帰休となり、ま -123-た広東省では失業者が年初に比べ約20%増えろなど、全国的に雇用問題が一段 と深刻化していろとつたえていろ。 〔注1〕間接貿易の実態については、書類だけが香港を経由し「貨物は中国と韓国、 台湾の間を直接運んでしまう」ケースも紹介されていろ。『アジアからの挑戦』日本 放送協会(1988年8月)。 〔注2〕中国の債務返済の「苦しさ」を判断する材料として、①西側銀行から確保し ている融資枠(クレジットライン)のうち、未使用の分について、いつ措b入れに動 くか。②ユーロ市場などで運用している余資の回収状況。③香港などで金の売却のい 踏み切るかどうかなどに関心があつまっている。(日本経済新聞89年10月14日) 中国銀行は邦銀67行が共同で設定している信用供与枠(クレジットライン)20億ド ルの利用に踏み切ったが、これは今年7月までに使用しないと権利が消滅してしまう もので、これを使用したからといって、必ずしも中国の外貨事情が急迫したことを示 すものではないようだ。 〔注3〕対米ドルレートを約21%セント切り下げられた中国では、間髪を入れずに外 国人向けの商品やサービスが値上げされた。日本企業の駐在員らが円やドルで送金さ れた給料を外貨兒換券(タテマエは人民元と等価、)に両替すると、切り下げで使え る金額が増えたことになるが、大部分はこうした値上げで張消しになりそう。「外国 人の生活には切り下げのメリットはほとんどない」(大手商社駐在員)という。 値上げは輸入品ばかりでなく、中国産の食品の一部も外国人向け販売価格が引き上 げられるのではないかと見ている。また昨年末、現地スタッフの給料を元建てからド ル建てへの変更の要求があったとき、外国企業は抵抗し、実現しなかったが、拒否し たが、つぎは給料の大幅引き上げを要求してくるのではないかと、はやくも身構えて いろ、という。(日本経済新聞89年12月20日) また中国では、開放政策に伴って流入する外貨の効率的な管理をねらいとして、 1980年4月から外貨兇換券が発行され、外国人はこの外貨兒換券の使用が義務づけら れていろ。兒換券は人民元と建前上は等価であるが、人民元では買えない輸入品が買 えることからヤミ市場で人民元よりも高値で取引きされてきた。昨年初めにはヤミ市 場で人民元1に対し1.8前後で取引きされていた。 しかし昨年10月末、政府が兎換券から外貨への両替規制を打ち出し、再両替にはパ -124-
沖縄大学紀要第7号(1990年) スポートや航空券の提示を義務づけたため、中国人が手にした兇換券を円やドルに替 える道がふさがれてしまった。これまでは広州などで両替商が集めた外貨兇換券を外 貨に替えることができたが、この規制により、ヤミ両替商も兇換券を受け取らなくな り、兒換券を出すと割引していた商店も値引きに応じなくなり、相幅に下落し、最近 では1対1.1ほどになっていろ。このため当初から弊害の多かった外貨兇換券をこの 際廃止するのではないかという観測が広まっていろ。(日本経済新聞89年12月13日) 〔注4〕方山政治大学国際研究センター副研究員(中華週報第1455号90年1月15日) 〔注5〕FAREASTERNECONOMICREVIEW(89年12月21日) 4沖縄・台湾・中国 最後に、沖縄における新しい動きについて概観してみよう。 (1)廩門一那覇航路 87年11月に、台湾が大陸への里帰りを解禁したが、もちろん里帰り客は直接 大陸には行けないわけで、香港経由で向かうことになったが、混雑のため香港 の入国ピザが時間がかかりすぎろという問題も生じた。これを解決しようと那 覇経由の航路が開設された。 88年9月27日、那覇から廩門に向け、中国船籍(上海海運局所有)の「海桜 (ハイイン)」(4,92906総トン、元大島運輸所有の神戸丸)が里帰り客97人 と中国側関係者や沖縄側の視察団等を乗せて出航した.所要時間は約28時間、 台湾から空路で香港経由での経費13万円に対し、この船は三等で往復五万三千
円、週一回の定期便でそのうえこの船は貨物も運ぶから、沖縄の貿易関係者か
らは大いに期待されたものだった。 台湾の基隆一那覇一廩門というルートで、里帰り客を中国に運ぶというもの であったが、期待どおり乗客が集まらなかった。12月からは距離的により近い 石垣港に変更し、有村産業の「飛龍3」で基隆からやってきた里帰り客を中国 に運ぶことにしたものの、やはり乗客は伸びず、89年1月27日、17人の里帰り 客を乗せて出航した後は運行を停止してしまった。中国との貿易拡大、あるいは台湾一那覇一中国の三角貿易の実現を期待する
ものにとっては残念な結果となった。中国の港は、港湾整備が遅れており、船 -125-舶は接岸に多くの日数を要し、係留コストが重なり、結果的に運賃コストを引 き上げていろ。人が乗船していれば沖待ちはありえず、また週単位で運行する
ため、貨物も優先的に船積みされろ、これによって、たとえば天津→香港→神
戸→那覇というルートではるばるやってきていたものが、天津一盧門一那覇と なり大幅に短縮されろと期待されたものだった。以下のようなモノの流れが期 待されていた〔注1〕・廩門→沖縄→台湾漢方薬、骨董品、絵画、鉱工業の原材料
台湾→沖縄→眞門テレビ、ラジオ、冷蔵庫などの家電製品廩門→沖縄石油、石炭、鉄鋼ぐず、飼料、木材、石、砂
この試みは挫折したもののこの航路はぜひ再建すべきものであろう。 ②台湾→石垣→中国大陸 台湾は三不政策により大陸と直接貿易をすることができない。そのため台湾 の貨物は、香港を経由するか、あるいは第三国の船で石垣港を経由して大陸に 運ばれろ。後者の、つまり台湾からクリアランス取得のために石垣港に立ち寄 る船は、84年7月に-隻が寄港、その後はうなぎのぼりに増えた。「積み荷は セメントを中心に繊維製品、雑貨、オートバイなど、中国からはいまのところ 全船が空船」(八重山毎日新聞85年4月15日)だという。その後84年61隻、85 年250隻、86年175隻、87年107隻、88年200隻と推移した。86年8月には、 トラック、バス、一般貨物を載せ、台湾から大陸に向かうノルウェー船(4万 トン)も寄港した。89年6月4日の天安門事件の直後は、5日を最後に停止し ていたが、7月は4隻、さらにその後増えて1989年全体では250隻となった(沖 縄地区税関石垣出張所調べ)。また石垣市に入る特別とん議与税は88年12.384 千円となっていろ。89年は前年を上回ることは見通しである。なお大陸向け輸 出の約10形が石垣港を経由しているという〔注2〕。 ③与那国一花蓮の国境貿易、台湾一沖縄一中国の三角貿易 日本最西端の位置して、隣国の台湾とはわずか125虎〃の与那国では、姉妹都 市である対岸の台湾・花蓮市との国境貿易で地域活性化を図ろうとしていろ。 国境貿易あるいは辺境貿易、これは一般に「辺境地域の社会的、経済的向上の ための便宜供与として、消費財その他の商品について関税の免除あるいは輸入 -126-沖縄大学紀要第7号(1990年)
制限の緩和が行われる」〔注3〕というもので、「辺境」という言葉が物語っ
ていろと思われるが、部分的に弾力的な運用を行っても全体への影響はないと
とらえられているのだろうが、しかしこの場合、「辺境」が中央を変えていく
可能I性も秘めているものだと思う。与那国への物資は、本土一那覇一石垣経由で移入されろ。それだけではない。
沖縄通関社の平良哲雄氏によれば「衣類もお茶も梅干しも野菜も、台湾から名
古屋、静岡、大阪を経由してやってくる」という。高い輸送費がかかっている
ため、物価は当然高くなる。県の「小売り価格地域差指数調査」(1987年)に
よれば、那覇を100とすると、石垣市117.6,西表128.8、与那国136.1、与那国
は県内一物価が高いという結果になっていろ。物によっては那覇より五割高、
七割高というのもあるという。これを台湾との直接貿易で解決しようという。これまでは関税のかからない
砂や砂利、アスファルト、セメントなど建設資材に限って直接輸入が認められ
ていたが、沖縄地区税関の特別な計らいで輸入トライアル(試行)が認められ
ることになった。関税品目の生活物資を輸入し、国境貿易の可能’性を探ろうと
いうものである。商工会青年部が中心となって取り組んでいろ。88年12月に第
一回トライアルでは衣類、藤家具、木炭など二十数点、60万円分を輸入、第二
回は89年7月、藤製家具、タイヤ、照明器具、アルミサッシ、応接セットなど
260万円。第三回(同8月7日)は、、線香、ローソク、雨具、藤製家具、ピー
チパラソルなど80万円だった。回を重ねることに町民の関心も高まってきていろ。いまのところ厚生省食品衛生員が配置されておらず、野菜などは輸入でき
ない。与那国町では、祖納港の改修を行い、外国船が自由に出入りできる開港
に向けての取り組みも行うという。筑波大学の吉川博也氏によれば、開港による経済効果は、価格面で野菜・果
物類1075万円、雑貨5220万円、さらに輸送費で約4500万円節減できるので合計
で一億円弱の効果である。また建設では原材料費が20パーセントは節減でき、
年8億円ほどの効果が期待できるとしていろ。(八重山毎日新聞89年1月1日)
しかし与那国町を訪れた大蔵省龍島関税局長は、町が熱望している開港につい
ては、今のところ「(開港に足るだけの)事務量はないので税関面は現状維持」
-127-(八重山毎日新聞89年9月27日)と述べていろ。 台湾の香港を経由する貿易量は年間約30億ドルで、そのうち20%の6億ドル (870億円)が香港以南との取引量だという。吉川氏は、この「香港以南のも のについては、その中継港として沖縄本島、石垣、そしてもっとも地理的に有 利な与那国を使った方がコスト的にも、時間的にも有利ではないか」として、 沖縄一中国一台湾の三角貿易を提言していろ〔注4〕。 また香港企業として、繊維関係を中心に200社以上の台湾の企業が福建省に 進出していろといわれていろ。前述したように中国の「沿海地域経済発展戦略」 は原材料は輸入、製品も輸出ということが前提されているため、福建省の「台 湾企業」は原材料を台湾から香港経由で輸入し、製品は日本に輸出していろと いう。関係者の話によると、台湾から香港経由で原材料を輸送すると約一カ月 かかるに対し、台湾一沖縄一盧門のルートを使えば-週間ほどですむという。 ③沖縄自由貿易地域 27社が入居して営業を開始したが、初年度の計画搬出量123億円に対し、実 績は22億1800万円で達成率はわずか18%にすぎない。搬出先も計画では県内18 %、県外69%、国外4%としていたが、実績は県内66%、県外7%、国外27% と、県内が大部分を占める結果となっていろ。27社の内訳は、地元企業が24社、 県外企業が2社、外資(台湾)が1社で、業種目別に見ろと、①加工・製造タ イプ(外国から水産物等の原材料を搬入し、-次処理及び製品にして県内・県 外の各仕向け地へ搬出する)15社、②物流中継タイプ(外国から水産物等の原 材料を搬入し、内容の点検、改装、仕分け、リバック等を行い通関の上、県内 ・県外の各仕向け地へ配送する)10社、③保管タイプ(主として、入居企業が 取り扱う冷凍・冷蔵貨物等を通関するまでの間、一時的に保管する)2社とな っている。 面積が少さすぎることや空港と直接つながっていないために余計な経費がか かるなどの不備、関税法などによる規制が厳しく、本来の「自由」貿易地域と なっていないことなどが不振の原因にあげられていろ。 沖縄自由貿易地域は、復帰前に存在していたということで、復帰後も沖縄復
帰特別措置法のなかに残されたものであるが、しかし復帰後の自由貿易地域は
-128-沖縄大学紀要第7号(1990年) 関税法上の保税地域であって、自由港や自由貿易地域などのように関税法規の 適用除外地域となっているわけではない。これは復帰前の自由貿易地域が、ア メリカの外国貿易地帯に準じて1日琉球物品法の適用除外であったということと 違う。ただ単なる保税地域ではなくて、指定保税地域、保税上屋、保税倉庫、 保税工場、保税展示場などがあつまったもの、一種の保税団地(BondedPark) のようなものになっていることが特徴ということができる。 また輸入割当物資についても、その規制を受けることになっていろ。サバや アジなど水産7品目、でんぷんなど農林物資3品目のIQ(輸入割り当て)が
認められていないため、これは結局本土業者から購入せざろを得ず、コスト高
になっていろ。県ではIQを認めてもらうよう農水省、通産省などに強く働き かけているところである。 しかし今後関税水準が低下していくこと、輸入数量制限なども撤廃されるこ とを考えろと、迅速な物流がはやり重要なポイントになってくる。そのために 港湾、空港の整備、航空運賃や海上運賃の低減など物流基地としての基盤整備 が一層重要になってくると思われる。 さて台湾側は沖縄自由貿易地域をどう見ているだろうか。聯合報(89年1月 20日)は台湾の貿易協会による「沖縄を拠点とする中継貿易に関する報告書」 について報道しているが、台湾の産品を日本本土への出荷、あるいは中国大陸 へ輸出するにあたって、沖縄の自由貿易地域は流通、金融関係(税金対策)と も優れた条件を有しており、貿易業者は沖縄自由貿易地域を香港と並ぶ(また はそれ以上の)中継貿易のもう一つの拠点とすることができるとつたえていろ。 「その地理的位置から見て、沖縄を拠点にしてわが国の産品を中国大陸に輸出 することができれば、所要輸送時間の短縮およば経費の大幅削減が可能である。 また貿易に関して(国際的)問題が生じても、日本の良好な外交関係を利用すれば迅速に合理的な解決が得られろ。また日本の企業の協力が得られれば、そ
の優れた営業力と信用は、新たな市場開拓に対し大きな助けとなる。その他、
日本の金融関係の自由度、’情報流通の速度や正確さ等、わが国の業者は検討す べきである。」「香港はわが国の中継貿易の最大の拠点であることにかわりは ない。しかし1997年の中国政府への返還、また香港政府のわが国貿易業者に対 -129-するピジネスピザ、観光ピザ取得にあたっての差別的待遇を考えろと、やはり
もうひとつの貿易拠点を開拓しておくことは大変重要なことだ。」
さらに沖縄経由本土行きについては「輸送時間の短縮とそれに伴う経費節減
という点で非常に有利である。具体的にいうと、沖縄本土間の国内流通システ
ムの発達度からいって、沖縄で一度陸揚げして本土出荷すると、海上交通を利
用して直接日本本土へ輸送した場合よりも平均3日から5日間の短縮が可能で
あり、期日内配達が完壁になる。これまで問題とされた「遅配」が改善される。
また沖縄側の通関の速さも業者の不必要な損失、たとえば通関に時間がかかっ
たために品物が悪くなったということは少なくすることができる。」という。 宮城弘岩『「沖縄発」の時代』34頁 中華民国対外貿易発展協会『琉球転口貿易市場調査報告書』 安藤平『自由貿易地帯と横浜港」26頁 吉川博也「黄金のトライアングル」-沖縄一中国一台湾一沖縄タイムス89年 12月16~19日 JJJJ 1234 注注注注 しLLⅢ おわりに昨年(1989年10月、沖縄大学は台湾台中市にある逢甲大学と学術交流協定を
結んだ。これまで本土の大学への派遣学生制度や学生交流に取り組み、さらに
ハワイ・パシフィック・カレッジにも学生を派遣してきたが、アジアの大学と は初めての交流である。沖縄の日本復帰後、国際政治情勢の大きな変化などもあって、沖縄と台湾と
の関係も疎遠になってしまったかの感がある。学術レベルでの本格的な台湾との交流も、故島尻勝太郎教授を団長とする学術文化交流親善訪問団が、85年に
台湾を訪れ、歴史関係の教授らと交流をしたのが最初ではなかろうか。このあ と2年毎に琉中歴史関係国際会議が開かれるようになっていろ。 88年10月、中国広州市の花園大酒店に百年ぶりに琉球館が再開されるというので、私も興味をもって参加し、さらに廩門調査団に加わって、沖縄の経営者
たちと廩門港や廩門の貿易会社、泉州の石材工場や福州に移る前の琉球館、柔
-130-沖縄大学紀要第7号(1990年) 遠駅の跡などを見てまわってきた。 このとき知り合った沖縄の貿易関係者の方々に、この旅の中で、また沖縄に 帰ってきてからも何回も話をうかがい、TTIⅡlをしながら、ようやく最近対中国 貿易あるいは対台湾貿易の実'盾がわかりかけてきたという段階である。同時に やはり沖縄の将来にとって、対台湾貿易、対''1囚貿易を軌道に乗せられるかど うかが極めて重要な意味をもっていろ、という気持ちがますます強く巷ってき た。 逢甲大学との学術交流も、私の研究にとっては大変好都合で、今後島尻勝太 郎先生の歴史学関係の交流に続いて、貿易の分野、経済学の分野での研究交流 を大いに進めていきたいと思う。なお本稿は、宇流麻財団から助成を受けていろ 「沖縄自由貿易地域に関する研究」の一部である。 -131-