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久末亮一著『香港「帝国の時代」のゲートウェイ』

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全文

(1)

著者

宮田 敏之

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジア経済

55

1

ページ

153-156

発行年

2014-03

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00006933

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本書は,新進気鋭のアジア金融貿易研究者である 久末亮一氏が,19世紀半ばから20世紀前半を対象 に,香港の金融,特に華人による金融業の成立と展 開を,中国およびアジア・太平洋という空間の中に 位置づけながら,中国語,英語,日本語の一次史料 を駆使して,大胆に,そして,緻密に論じた労作で ある。久末氏は,香港と広東省を何度も訪問し,時 に,長期の滞在を通じて,指折りの実力をもつ広東 語を駆使して,当地の両替商や企業家と交流を重 ね(注1),当地でしか入手できない多くの銀号に関す る一次史料等を調査・収集してきた。その地道な研 究の蓄積を,一冊の学術書として凝縮させた成果, それが本書である。そのため,本書からは,獲得し た情報や知見を,久末氏本人が自らの頭と体の中 で,一度じっくりと咀嚼し,自らの言葉で語りなお そうとした,その強い思いを行間から感じることが できる。あとがきで,久末氏は「生涯をかけて取り 組みたい研究とは,世界の表層をこぎれいな形でま とめあげ,物知り顔に解説することではない。むし ろ,それを一枚,二枚とめくったところに脈々と存 在しつづける人間や社会の本質を,経済の歴史とい うアプローチから捉えて説明することが,自らの仕 事であると確信している」(287ページ)と記す。こ の久末氏の姿勢に,東南アジア・タイを研究する評 者も深く同意するものである。実証的かつ真摯な研 究手法によって,氏の「人間や社会の本質」に迫ろ うとする研究者としての情熱が,手堅い学術書とい う形に結実した。そこが本書の最大の魅力であろ う。 本書の構成は以下のとおりである。 序 章 ゲートウェイとしての香港 第1章 香港ドル決済圏における銀号の役割―― 広州-香港間の輸出取引の決済を例に―― 第2章 華僑送金の広域接続関係――シンガポー ル・香港・珠江デルタを例に―― 第3章 香港市場から見た上海向け為替――20世 紀初頭の構造とその動揺―― 第4章 廣東銀行の興亡――華人資本の銀行業展 開とその限界―― 第5章 日中戦争期の香港における金融的位置の 変容――新興銀号業者「恒生」,「永隆」 の活動と重ねて―― 終 章 香港という存在 補論1 銀号の経営構造についての考察 補論2 金銀業貿易場の形成と発展 以下,各章の内容を簡単に整理しておきたい。第 1章は,近代広東の主要産品であった生糸の輸出を 例に,19世紀後半からの広東の輸出決済が,香港と いう中継地,香港ドルという地域決済通貨を利用し て確立され,そこに在来金融機関の銀号が介在する ことで,円滑化されたことを明らかにしている。当 時,生糸を外国商社に売り渡した広州商人が必要と していたのは,外国商社が振り出した香港ドル建 て・香港渡しの小切手ではなく,現地の広東通貨で あった。そのため外国商社の買弁は,広州商人への 支払いのため,香港ドル建て小切手を金融業者を通 じて広東通貨に転換する必要があった。しかし,外 国銀行は広東通貨の複雑性から,その取り扱いには 消極的であった。そこで,小切手を買い取ったの が,広州の地場の金融業者の銀号であった。広州の 銀号は,買い取った小切手を香港に送付し,最終的 な決済をおこなう必要があり,19世紀後半には香港 でも銀号が形成される。香港の銀号は広州から送付 された香港ドル建て小切手を香港の外国銀行に持ち 込み現金化した。20世紀初頭には広州では銀号業者 たちが銀業公所をつくり,香港ドル建て小切手を取 引し,香港ドルと広東通貨間の交換レートを決定す るなど制度化を進めた(47ページ)。 第2章では,東南アジア,米州,オセアニアなど のアジア太平洋地域に居住する華人が,故郷である 華南に向けておこなった華僑送金について,シンガ ポールから香港を経て珠江デルタにいたるルートを 取り上げ,その資金の流れを分析している。アジア 宮 みや 田た 敏とし 之ゆき 

久末亮一著

名古屋大学出版会 2012年 iv+303ページ

『香港 「帝国の時代」の

ゲートウェイ』

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154 太平洋地域の華人社会から現金や郵便物を預かって 華南へ手配する業者を信局といったが,その信局は 貿易業者や商店との兼業であった。たとえば,シン ガポールと香港で華商の巨頭といわれた余東璇が経 営した余仁生は,同一店で薬業と信局を営んでい た。東南アジアから華南への華僑送金では,遠隔地 間の資金取引をおこなった外国銀行と,同族・同 郷・同業という伝統的紐帯に基づく信局は補完関係 にあった(56ページ)。華僑送金は,外国銀行を活 用した電信為替や為替手形もあれば,現金を携帯す る方法もあり,また,シンガポールの余仁生のよう に,香港への商品輸出を通じて,資金を香港に移動 させ,華南への華僑送金をおこなうこともあった。 シンガポールから華南に為替手形が直接届けられる こともあり,そうした手形は,香港の外国銀行支店 や銀号を経由して,華南の貿易業を兼務する信局や 銀号に送られ,巡城馬や批脚と呼ばれる運送者など により受取人に届けられた。 第3章では,まず,20世紀初頭,華南が,北方の 綿,落花生などを,上海を通じて大量に移入し,そ の代金決済のために香港から上海向け為替が増加し たことが示される。その為替取引には銀行間取引の みならず,先物取引用の申電貿易場も設立された。 しかし,この香港と上海の為替取引が維持されたの は,アメリカ,上海,香港,華南などアジア太平洋 を結ぶ多角的な決済関係が形成されていたからで あった。華南の北方に対する赤字は,香港市場を通 じて,広東の対アメリカ生糸輸出による広東側の貿 易黒字とアメリカから上海に輸入された大量の銀塊 による上海側の貿易赤字によって決済された(83 ページ)。しかし,1920年以降,孫文の広東軍政府 が,北伐資金のために,1889年設立の廣東造幣廠で 低品位毫洋を鋳造した。そのため,外国銀行を通じ てアメリカの銀塊や華北の馬蹄銀が香港にもたらさ れ,香港と広州の銀号を通じて,廣東造幣廠にもた らされた。この廣東造幣廠による銀の吸収は,上記 の三角決済構造を不安定化させ,やがて1920年代末 には,ドル系銀貨と香港ドル紙幣との交換も不安定 化させ,香港上海銀行などがドル系銀貨の受け入れ を拒絶するという事態も起きた。 第4章では,1912年に広東系華人が創業した香港 廣東銀行(以下,廣東銀行)の発展,破綻,そして 国民党の宋子文らによる再建が論じられている。20 世紀初頭には在米広東人が銀行創設の運動を始め, 1909年サンフランシスコで金山正埠廣東銀行が設立 された。その関連銀行として,広東省香山人・四邑 人たちが1912年香港に廣東銀行を創設した。北米を 中心とするアジア太平洋地域と香港との間の為替送 金や貿易金融が主要業務であった。同時に,この銀 行を設立した広東系華人は,同郷,同業であるだけ でなく,民族主義や革命という政治目的も共有して いた(104~105ページ)。やがて,広州,バンコ ク,ニューヨークに支店が開設され,ロンドンやシ ンガポールにも代理店が設置され,銀行の業務は拡 大した。しかし,1924年金山正埠廣東銀行の経営陣 が代わり,廣東銀行との為替取引関係が停止される と,廣東銀行側は中国での業務に重点を置いた。 1929年の世界大恐慌の影響で業績が悪化するなか, 30年代前半,同行は香港での不動産投機に失敗し, 35年経営破綻した。翌36年には国民党の宋子文らが 経営権を握り,国民党政府の官僚資本が同行の経営 を握った。 第5章では,1930年代以降,香港は大恐慌の影響 や日本軍の広東占領等で貿易や金融が大打撃を受け たが,逆にそうしたなかで台頭した「恒生」や「永 隆」などの新興銀号の活動を分析している。1930年 代後半,中国大陸における戦乱の拡大により,内地 から香港へ大量の資金が流入したが,それに伴う両 替と投機で,新興の找換銀号の「恒生」らが成功を 収めた。これらの新興銀号は,創業者たちが「聯 合」と呼ばれる同族,同郷,同業の関係を結び,香 港,上海,広州,漢口などの各地の拠点を活用して 金融取引を拡大させ,1939年香港で国防金融条例が 発布された後の法幣取引で利益を上げた。1941年12 月の香港陥落後は,「恒生」ら銀号業者はマカオへ 脱出し,マカオを中心に金融取引を継続させた (165~170ページ)。 終章では,まず,19世紀半ばから20世紀前半,香 港では,香港ドルを介して,各種の金融業者が,異 なる本位,通貨,信用などを調節・転換した。こう した香港の役割こそが,アジア太平洋経済圏の作動 を円滑化させたとまとめる(176~177ページ)。さ らに,戦後の香港は,「閉じた中国」や「独立した 東南アジア諸国」といった国民国家の出現により, それまでの経済活動が不可能となり,いわば「真空 地帯」となったが,やがて軽工業輸出や不動産開発

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が発展し,金融センターとしても成長を遂げる。20 世紀末以降は,アジア太平洋経済圏の一体化に伴 い,香港は中国と世界とのゲートウェイとして発展 しているとまとめる(178~179ページ)。なお,補 論1では,香港の銀号の預金業務,貸付業務,資本 構造や伝統式帳簿,銀号ギルド「聯安堂」の特徴が 具体的にまとめられ,補論2では,香港で金銀貨幣 の両替と投機をおこなった找換銀号が取引場として 創設した金銀業行,後の金銀業貿易場の設立と発展 が整理されている。 以下,本書の特筆すべき点を指摘しておきたい。 それは,本書が,広州や香港で独自の発展を遂げた 「銀号」に注目して,アジア太平洋に広がる広東系 華人の経済活動の本質に鋭く迫った点にある。たと えば,第1に,広東の特産である生糸輸出が,銀号 なくしては円滑に発展しえなかった点である。輸出 代金を外国商社が香港ドルで支払おうとする一方 で,広州の輸出商は広東通貨でしか受け取らない。 広州の銀号と香港の銀号がその仲立ちをすること で,生糸輸出は円滑に発展することができた。モノ の世界だけでは見えてこない金融の決定的な役割を 広州と香港の銀号が担った。そこを久末氏は明確に 指摘した。第2に,広州は華北の物産を上海を通じ て大量に移入したが,それに対する上海向けの支払 いも,広州と香港の銀号なくしては実現しなかった 点である。実は,広州の香港経由の上海向け支払い は,広州からアメリカへの生糸輸出における広州側 の貿易黒字と,アメリカから上海への銀塊の輸出に おけるアメリカ側の貿易黒字との間で決済されてい た。すなわち,広州の上海からの物産の移入とその 支払いは,アジア太平洋を舞台にしたダイナミック なモノとカネの移動があってこそ可能であった。し かし,この場合も,物産を移入した広州の貿易商 は,広州の銀号に広東通貨で支払い,広州の銀号が 香港の銀号との間で他の為替や送金によって決済 し,その香港の銀号が上海向けの為替を組んで,上 海側への支払いを完了した(77~78ページ)。アジ ア太平洋を舞台にしたカネの決済を円滑化させたひ とつの要が,広州と香港の銀号であった。さらに, 第3に,アジア太平洋各地に移住した広東系華人の 華僑送金においても,広州と香港の銀号の役割が極 めて重要であったという点である。すなわち,シン ガポールなどの開港地から香港への資金の移動は, 外国銀行を通じた信局による電信為替や為替手形, バンコクの米など物産を通じた商品貿易を兼ねた送 金,さらには現金携帯等によってなされた。しか し,たとえば,香港支払いの為替手形を受け取った 信局の香港支店は,結局,その手形を香港の找換銀 号や広州の銀号などを通じて,広東通貨に両替し, 巡城馬などが広州および広東省各地の受取人に届け た(61~67ページ)。ここでも銀号の役割は決定的 であった。 このように19世紀後半から20世紀前半にかけて, 広東とアジア太平洋はモノとヒトを通じて経済関係 が強まったのであるが,同時に,モノの貿易を支え る為替の増加,さらには,ヒトの出稼ぎの増加に伴 う華僑送金の増加を通じて,金融取引も著しく拡大 した。そのカネの決済を円滑化させたひとつの柱 は,言うまでもなく,香港上海銀行などの巨大外国 銀行であった。しかし,香港から広州あるいは広東 省各地とのカネの流れを掌った,肝心要の当事者 は,紛れもなく,香港と広州に展開する銀号であっ た。すなわち,19世紀後半からのおよそ100年,広 東系華人の経済が,いわば「グローバル化」すれば するほど,重要性を増し,その核となったのが,広 東の伝統に根ざしながら,香港にも展開し,金融取 引の一翼を担った銀号であった。本書は,アジア太 平洋という広大な空間に広がった広東系華人の貿易 と金融のスケールの大きさと多様性を示しながら, 実は,その空間で拡大した経済活動の扇の要として の銀号の役割を明確に浮かび上がらせた。この点こ そが,本書の特筆すべき点である。 最後に,本書に対する疑問点をひとつ指摘してお きたい。それは,本書で繰り返し使用されている 「つながり」,「流れ」,「ゲートウェイ」という用語 についてである。たとえば,著者は,香港が,「多 種多様な個別の『つながり』の異同や,『つなが り』を通じたヒト・モノ・カネ・情報の流動である 『流れ』を,集散・調節・接続する『ゲートウェ イ』の役割を担ってきた」(1~2ページ)とす る。しかし,これらの「つながり」や「流れ」は貿 易やヒトの往来があるところには一般にみられるで あろうし,「ゲートウェイ」機能も中継貿易港のも つ特徴のひとつだともいえるだろう。とすれば,む しろ,問うべきは,香港「独自」の「つながり」, 「流れ」と「ゲートウェイ」機能は何かではないだ

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156 ろうか。評者の理解では,香港は,19世紀後半の開 港地,たとえば横浜やバンコク等と同様,後背地か ら産出される物産の輸出港(香港の場合は広東の生 糸)であり,欧米やアジアの物産の輸入港であっ た。しかし,香港は,華南からアジア太平洋への移 民の送り出し基地であり,移住先からの華僑送金の 中継受け入れ拠点であったという点で,他の開港地 と決定的に異なる。人の送り出しとそれに伴う資金 の還流こそが,香港の金融,特に両替や為替の重層 性や多様性を育んだ。さらに,香港特有のこうした 金融の重層性や多様性を円滑に処理する,もっとも 地域に根ざした担い手が,広州由来の銀号であっ た。とすれば,香港独自の「ゲートウェイ」機能 は,銀号こそが体現していたといえるだろう。ただ し,言うまでもなく,銀号をあまりに強調すること は,香港の機能を多面的に明らかにしようとした本 書の射程を,やや矮小化することになるかもしれな い。しかし,本書の論述を冷静に振り返れば,明ら かに銀号の機能の変遷にこそ焦点があてられてい る。「つながり」と「流れ」を円滑化させた香港 「独自」の「ゲートウェイ」機能は何かを問うこと は,本書の矮小化ではなく,むしろ,本書の核心が 銀号研究であったことを明確にすることにつながる と考える。 本書は,一次史料を丁寧に読み込みながら,広州 と香港で独自の発展をみせた銀号の歴史を,中国お よびアジア太平洋という空間の中に位置づけなが ら,手堅く分析し,香港の金融,特に華人による金 融業の研究に新しい道を開いた。香港・中国の近現 代史に関心をもつ研究者はもとより,アジア経済に 関心をもつ,多くの研究者や一般の読者にとって も,本書は知的刺激に富んだ書物になることであろ う。 (注1)すでに,久末亮一氏は優れた華僑研究の業 績を著している。久末亮一『評伝 王増祥――台湾・ 日本・香港を生きた,ある華人実業家の近現代史 ――』(勉誠出版,2008年)を参照のこと。 (東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授)

参照

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