オーストラリアの経済とマルチカルチュラリズム―
―その現状と課題――
著者
前田 修也
雑誌名
東北学院大学論集. 経済学
号
135
ページ
131-151
発行年
1997-09-25
URL
http://id.nii.ac.jp/1204/00024447/
オ
ー
ス
ト ラ リ ア
の
経済と
マルチカルチュ
ラ リ
ズム
ーその現状と課題一
l ) 2 )前
田 修
也
目 次 l ) は し が き一
政権発足から一
年のハワード政確一
2 ) オ ース ト ラ リ ア の歴史・
地理・
国民性 3 ) オ ース l、ラリアの政治風土 4 ) マ ル チ・
カルチュラリズムの現状と課題 5 ) オ ー ス ト ラ リ ア 経 済の特徴と課題 a . 90年代のオース ト ラ リ ア 経 済 概 略 b . 日本経済との密接な関係 c . オース ト ラ リ ア 経 済 の長期H
洛領向とその要因 6 ) む す び に か え てーハワード政権の課題一
(1
)はしがき
一
政権発足から1年の
ハ
ワ
ード政権一 l996年3月上旬に行なわれたオース
トラリア速邦総選挙で, ジ ョ ン・
ハ ワード自由党党首率いる自由・
国民党連合が圧勝し.
l3年ぶりに保守政権 が誕生してから,今年3月でl年が経過した。
この間,福祉・
教育部門へ
の大胆なカットで論議を呼んだl996/97年度速邦予算案や, 相次ぐスキャ ンダルで関僚達が辞任したこと, さらにはポー リ ン・
ハンソン速邦下院議 員の人種差別発言とその後のマスコミを巻き込んだ移民政策の是非論な ど, オーストラリアにとって実に大きな変化のあったl年であった。
本稿では, ますますその
依存度を強く しているアジア太平洋諸国との関 東北学院大学論集経済学第l35号 1997年9月-
l3l-
l東北学院大学論集 経済学第l35号 係
の
中にあって, 大きく変わろうとしているオース
トラリアのマルチカル チ ュ ラ リ ズ ム と , 長期的国洛傾向にある経済の現状と課題とを覚え書き的 に整理し, オース ト ラ リ ア の今後を展望する。 『国土』 オース ト ラ リ ア の国土は7,682,300kIii
と我国の約2l倍, またはアラスカ 州を除いたアメリカ合衆国よりも大きく, 36,735kmの海岸線をもっ
世界で 最も平坦な大陸である。
内陸部のほとんどが人を寄せっ
けない砂漢である が,国土の約40%の北部は熱帯性の気候である。南東部には降雪地帯があ り , また東部・
南部及び南西部は広大な穀倉地帯である。
オース ト ラ リ ア はまた世界でもっとも人ロの都市集中が進んだ国のひとっ
で, 全人ロの約 70%
以上が, l0大都市に住んでいる。
l993年現在の6州及び北部準州と首 都特別区のそれぞれの人ロはっ
ぎのようである。
ニュ
ー サ ウス
ウエ
ールズ 州(州都シドニー)は約600万人,ビクトリア州(州都メルポルン)は約446 万 人 , ク ィ ーン ズ ラ ン ド 州 ( 州 都 プ リ ス ぺ ン ) は 約 3 l l 万 人 , 南 オ ース ト ラ リ ア 州 ( 州 都 ア デレ
ード)は約l46万人,西オース ト ラ リ ア 州 ( 州 都 パ ー ス)は約l68万人,タスマニア州(州都ホバー ト ) は 約 4 7 万 人 , ノー ザ ン テ リ ト リ一
準州(州都ダーウィン)は約l7万人そしてオース
ト ラ リ ア 首 都 特別地域 (キャンぺラ) が約30万人で, 総人ロはl,766万人である3L
『歴史』 オース ト ラ リ ア に は , 白人の入柏;のはるか以前からアポリジニと呼ばれ ている先住民が暮らしている。
ア ポ リ ジニは,約4万年からl万数千年前の
間 に , オーストラリアにやってきた先住民のことで,基本的には石器を 用い狩那・
採取生活をおくっていた。
アポリジーズ, アポリジナル, アポ リジンなどとも呼ばれている4)。
約400からなる都族に分かれ200以上の言 語を持ち, 白人が入植した当時には約30万人しかいなかったといわれる。
彼らが国勢調査の対象になり, 選挙権が与えらえるのはl960年代後半以降 2-
l32-オ ー ス ト ラ リ ア の 経 済 と マ ル チ カ ル チ ュ ラ l 1 ズ ム からである
。
近年, オース
ト ラ リ ア の最高裁で彼らの土地所有の権利に関 する判決が出て, 注目を集めている。
さて, オース ト ラ リ ア が ヨ ーロッパ近代史に登場するのは,意外なこと に天体観測をもとにした科学的行為の結呆なのである。
l768年,「エ
ンデ バ一
号」
を率いて英国を出発したジェームズ・
クック船長に課せられた使 命 は , タヒチほか3カ所で「太陽面通過の際の金星の位置」を正確に測定 し, 海洋国家英国の航海術をより確かなものに す る こ と だ っ た。
同時にこ れには古代ギリシャ・
ローマの音 か ら , た だ ,「
テ ラ・
ア ウス ト ラ リ ス・
インコグニ
タ ( 知 ら れ さ る 南の地)」
とだけ記されていた土地を発見し, できればその領有権を意志表明することもふくまれていたのだ。
l788年l 月26日に, のちに ニューサウス
ウェ
ールズ植民地の初代総督となるアー サ ー・
フィリップ船長が, ll隻の船団に囚人7百余名を含む約l千人の人 々を乗せ,シドニ
一
湾に上陸,ここにオース ト ラ リ ア の歴史がはじまる(国 民祝日であるオース ト ラ リ ア・
デーはこれによる。
オース ト ラ リ ア に は ア メリカのような明確な独立記念日というものは存在しない)。
したがって, イ ギ リスの
流刑地として始まったオース ト ラ リ ア の歴史は, せいぜい2百 年余りなのである。
さて, オーストラリアのその後の歴史をごく簡単に記すと, 次の よ う に な る だ ろ う。
オース
ト ラ リ ア は , 「羊の背中に乗つ た」
植1民地と呼ばれる よ う に , l820年代, 30年代, 40年代に牧羊業を発展させることによって流 1刷植民地から一
般の値民地へ
と移行して行く。
羊毛産業は, l850年台まで に輪出産品の約半分をこえるまでになり, 英国本土においてもオース ト ラ リアからの羊毛が金体の半分以上に達することになった。
l850年代にはゴール ド ラ ッシュをきっかけにして, メルポルンおよびシ ドニーといった大都市が現出し, 国内には軽工業や建設業が発展しはじめ る。
総人口は, バース,
アデレ
ードといった新たな植民地が開発されたもの
と も あ り , l860年代までにll0万人をこえることになり, さらにl890年 代までにこの数字は3倍になる。
-
l33-
3東北学院大学論集 経済学第l311l号 世界市場での羊毛価格が下落した事などを契機として, オー
ス
ト ラ リ ア は1890年代に大きな景気後退を経験するが, 経済への政府部門の広範な関 与や, 西オース ト ラ リ ア 州 で 新 た に 金 鉱 が 発 見 さ れ た こ と な ど に よ り 回 復 し, l90l年連邦政府が誕生することになった。
二度の世界大戦と1930年代の大不況は, それまでオース ト ラ リ ア の 経 済 発展のネックであった資本と労働の流入を加速度的に改善し, 英国との連 携が弱められ, 新たな経済のパート ナーと し て 日 本 と ア メ リ カ が そ れ に 代 わって大きな役割を果たすようになる。 特に, 1960年代にメンジス政権に よる鉄鉱輸出禁止が緩和されると, 高度成長期にあった日本との貿易が本 格化することとなり,それまでの羊毛や小麦などの農業・
酪展品中心から, 石炭・
鉄鉱石などの資源貿易へ
とその輸出構造を変えていく。 日本との貿 易は,l950年代から'70年代にかけては「補完的」
関係と呼ばれた。
日本 は , オース ト ラ リ ア か ら 羊 毛・
小麦・
酪農品や石炭・
鉄鉱石などを輸入し, オーストラリアは日本から電気製品・
自動車などを輸入する。 すなわち, お互いが必要とするものを補完的に輪出入するといった関係であった。
し かし, 80年代以降は, この貿易関係に日本からの技術開発投資や観光投資, さらには不動産投資が加わり, また, オース ト ラ リ ア か ら は 新 た に ポーキ サイ ト・
天然ガスや ウ ラニ
ウ ム と い っ たエ
ネルギ一
資源が加わり, 両国の 関係は新たな段階に入つた。
同時に, オース ト ラ リ ア に と っ て は , 日本の みならずアジア諸国との良好な貿易関係なく しては国内経済の発展が望め ないほど 「アジア化」
が加速されてきている。 『政治制度』 l975年1l月11日,連邦総督(Governor-
G e n e r a l ) ジ ョ ン・
カーは , 当 時の首相であるホィ ッ ト ラ ム ( 労 働 党 ) を 突 然 罷 免 し , 選 挙 管 理 内 関の首 相として野党速合党首マルコム・
フレーザー ( 自 由 党 ) を 任 命 し た 。 こ れ は, 総督による責任内閣制に対する政治権力の行 使 と い う オース ト ラ リ ア 政治史上例のない, 意政上の危機と呼ばれる大事件であった。
4 - l:
1l4-オ ー ス ト ラ l 1 ア の 経 済 と マ ル チ カ ル チ : L ラ リ ズ ム こ
の
節では,このような事件が起こるに至つた経過を概観することで,他 国と比べて極めてュ
ニ
ークな, オーストラリアの政治制度を説明していく。
さ て , オース ト ラ リ ア は , 意 法 上 , 英 国 王 ( 女 王 ) を 豪 州 王 と し て 元 首 にいただき, その名代としての連邦総督がすべての執行権限を代行すると いう立意君主制をとっている5し
また, 国民の直接選挙によって選ばれた 国民代表的性格を有する下院と, 州単位にやはり州民によって直接選ばれ た,各州代表的性格を有する上院とからなる二院制をとっている。
しかし, 内関及び総理大臣といった概念は, 意法上金く存在せず'F
院の
多数党の党 首が,首相として内間を組織し議会に責任を負い,総督はその助言によっ てのみ基づいて行動するという意法個行(ConstitutionalConvention)
と しての識員内閣制を持つ。
と こ ろ で.
下院は選挙制度上少選挙区制であり, 戦後二大政党(労働党と自由・
国民速合)が確立している(表一l参照)。
これに対して, 上院は大選挙区比例代表制をとっていることから, 下院の
多数党が必ずしも上院で多数を占めるとは限らない。
しかも, 予算案その 他全ての法案成立のためには, 上院の
同意が必要とされていることから, それまでも上院と下院との法案にたいする意見の相違が深刻化することが しばしばみられていた。
このような意見相違を解決するための最終的手段 としてのみ, 総督は両院を解散することが出来るとされている。
と こ ろ で , オーストラリアの会計年度は7月l日から翌年6月30日まで であり, 予算案は通常8月半ばに下院に上程され, ll月までに上・
下院を 通過することが價例となっていた6、
。
l975年l0月, 当時上院で多数を確保 していたフレーザ一
党首率いる野党連合は, 閣條のスキャンダルがっ
づい て い た ホ イ ッ ト ラ ム 政 権 に 対 し , 下 院の
総選挙を強くもとめ,これを実施 しない限り予算案議決を延期するとの決定をおこなった。
しかし, ホ ィ ッ トラム首相はこれを無視し.
その結果さきに述ぺたオース ト ラ リ ア 史 上 例 の無い連邦総督による首相解任がおこなわれたのである。
こ の よ う に , オーストラリアの議員内関制は, 我国などとは異なり上院 と下院の同等の権限や, 速邦総督の大臣任免権といった非常に特異で不安-
l35-
5東北学院大学論集 経済学第l35号 表
一
1 歴代内蘭及び庭代速邦首相 内 開 速邦首相(所属政党) l90l. l . l~
l903.
9.
24 l903. 9.
24~
l904.
4.
27 l901i.
4.
27~l904.
8 . 1 7 l904. 8 . l 8 ~ l905. 7 . 5 l905. 7.
5~
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9.
l3 l908.
9.
l3~
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6.
l l909.
6.
2 ~l9l0.
4.
29 l9l0.
4 . 2 9~l9l3. 6 . 2 4 l9l3. 6 . 2 4~
l9l4.
9.
l7 l9l4. 9.
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27 l9l5.
l0.
27~l9l6.
l l . l 4 l9l6.
l1.
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2 . l 7 l9l7.
2 . l 7 ~l9l8. l . l 0 l9l8.
l . l 0~l923. 2 . 9 l923. 2 . 9~
l 9 2 9 l 0 . 2 2 l929.l0.
22~t932.
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l . 6 ~l 9 3 8 l 1 . 7 l938.
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7 ~l939.
4 . 7 l939. 4 . 7~
l939.
4.
26 l939.
4.
26~
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3.
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3.1,l~l 9 4 0 . l 0 . 2 8 l940.
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7~
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9.2l l943.
9.
2l~l945.
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6 l945.
7.
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7.
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7 . l 3 ~l 9 4 6 . l l . l l946.
l l . l~l 9 4 9 . l 2 . l 9 l949.
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5 . l l~l956. l . l l l956.
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l . 2 6~l 9 6 6 . l 2 . l 4 l 9 6 6 . l 2 . l 4~
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3 . l 0 l97l. 3 . l 0~l972.l2. 5 l972.l2. 5~
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l 2 . l 9~l 9 7 5 . l l . l l l975.
l l . l l~l975.
l 2 . 2 2 l975.
l2.
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3 l980.
l l.
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3.
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3.
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l l 9 8 4 l 2 . l~
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3.
l l l996. 3 . l l~
パ ー ト ン テ ' ィ ー キ ン ワ ト ソ ン l1一
ド・
マ ク リ ー ン デ ィ ー キ ン フ ィ ッ シ ャ ー デ ィ ー キ ン フ イ ッ シ ャ ー ク ッ ク フ ィ ッ シ ャ ー t:a ー ズ // // // プ ル ー ス・
ぺ ー ジ ス カ リ ン ラ イ ォン ズ // べ ー ジ・
ン ジ ス // // フ ァ ー デ ン カ ー チ ン // 7,
ー ド チ フ l l -//'
ン ジ ス // // // // ホ ル ト //-・
'ッキ ァ ン .fー ト ン ll' // マ ク マ ー ン ウ ィ ッ ト ラ ム // ーノレーザー // // // ホ ー ク // / / // キ ー テ ィ ン グ 、'1'
ー ド パ ー ト ン (保藤主義者竟) デ ィ ーキ ン ( ″ ) ワ ト ソ ン ( 旁ll党 ) リ ー ド ( 自 由 貿 易 党 ) デ ィ ー キ ン ( 保 護 主 義 者 党 ) フ イ ッ シ ャ ー ( 勢 働 党 ) デ ィ ー キ ン ( 合 同 党 ) フ ィ ッ シ ャ ー ( 旁a
党) ク ッ ク ( 自 由 党 ) フ ィ ッ シ ャ ー ( 勢a
党) l:=ー ズ ( 〟 ) 〟 (国民%a
党) ″ (国民党) // ( // ) プ ル ー ス ( // ) ス カ リ ン ( 労a
党) ラ イ ォン ズ ( 続一
オ ー ス ト ラ リ ァ 党 ) 〟 ( ″ ) ベージ(地方党)・
ン ジ ス ( 統一
オ ー ス ト ラ リ ア 完 ) ″ ( 〟 ) ″ ( ″ ) フ ァ ー デ ン ( 地 方 党 ) カ ー チ ン (勢a
党) // ( // ) フ,
ー ド ( 勢a
党) チ フ リ ー ( ″ ) // ( // )・
ン ジ ス ( 自 由';t
) // ( // ) 〟 ( // ) // ( // ) // ( // ) ホ ル ト ( 〟 ) // ( // ) マツキ ァ ン ( 地 方 党 ) ゴ ー ト ン ( 自 由 党 ) // ( / / ) // ( // )-
1 'ク マ ー ン ( ″ ) ウ ィ ッ ト ラ ム ( 分a
覚 ) // ( / / ) ;'
レ ー ザ ー ( 自 由 党 ) // ( // ) // ( // ) / / ( // ) 本一
ク ( 分a
党) ″ ( // ) // ( // ) // ( // ) キ ー テ ィ ン グ ( ″ ) ハ''
ー ド ( 自 由 党 )出 所 : Y e a・Book Austlalial997. (ABS)
-オ ー ス ト ラ リ ア の 経 済 と マ ル チ カ ル チa.ラ llズ ム 定な基盤のうえになりたっているのである
。
オース ト ラ リ ア 政 治 の も う一
つの特徴は, 選挙制度であろう。
早 く か ら 秘密投票制・
普通選挙・
婦人参政権・一
人一
票制を導入してきたオース
ト ラリアの選挙制度の最大の特徴は,義務投票制(compulsoryvoting
) と 優先順位付連記投票制(preferentialvoting) で あ る。
l925年の総選挙から導入された義務投票制は, 文字通りl8才以上の選挙 権を有する国民にたいして投票を義務づけるものである'
、
。
その
結果, 全 国選挙において投票率が93%
を 割 つ た こ と は な い と い う。
義務投票制に関 しては様々な評価がなされているが, ここではただ, 前述のようにこれが 大政党に有利に働き, おおかたの国民にも定着しているという事実のみを 指摘しておくにとどめる。
優先順位付連記投票制とは, 次 の よ う な ものである。
投票用紙には立候 補者名と空m
が記されていて, 投票人は全ての立候補者に順位番号を記さ なければならない。
開票の結果, 第一
位順位票の過半数を得たものが当選 するが, もし誰も過半数に達しないときには, 第一
順位票の最下位の
者の
が除外され, この者の第二順位票の得票がそれぞれ, 他の立候補者に配分 され, これを誰かが過半数を獲得するまで続ける。
前述のように下院は小選挙区制, 上院は比例代表制といった違いはある が基本的にこの優先順位付速記投票制が両院で採用されている。
これは, できるだけ投票による情報を効率良く採用しようとすることの結果である。
オーストラリアが選挙制度の
実験場であると言われる所以である。 『マルチカルチュ
ラ リ ズ ム 』 本章では, 現代オーストラリア社会の理解に不可欠なマルチカルチュラ リ ズ ム ( 多 文 化 主 義 ) について, 白豪主義政策の廃棄からマルチカルチュ ラ リ ズ ムへ
の移行,更には最近のアジア人排斥発言に至る経総を概略する。
l85l年に始まるゴール ド ラ ッシュの時代に大量に流入した中国人金鉱掘 り8 ) を制限するために制定された「中国人移民制限法」
とその後の「有-
l37-
7東北学院大学論集 経済学第l35号 色人種制限および取節法」 が原形となって, l90l年の連邦政府の成立と と もに「連邦移民制限法
_
I
が制定された。
この法律は,表面的には特殊な病 気を持つもの・
過激な政治活動家を排除する目的で制定されたが, 移民官 自 ら が 行 な うョ
ーロ ッパ言語50語書き取りテストは, 実質的に非ヨーロッ パ系の人々の排除を目的としていた。
そ の 結 果 , イ ン ド 人 , 中 国 人 , 日 本 人などの場合は, 短期滞在者, 学生あるいは連邦形成以前に市民権をとっ た者を除いては, 移住や市民権獲得ができなくなった。
このような, 基本 的 に イ ギ リス系・
アイルランド系移民を優先し非ヨーロ ッバ系移民の移住 や市民権獲得に対して排他的な政策は 「白豪主義 (WhiteAustralia
Policy
)」 と 呼 ば れ , 事実上l960年代まで維持され, 現代オース ト ラ リ ア の社会的・
精 神 的 バ ッ ク グ ラ ン ド と な っ て い る。
こ の よ う な一
種の人種差別的政策は, 主に労働力不足等の理由から, 戦 後徐々に緩和され,表一
2に見られるように, l950年代にはイタリアや東 欧から, またl960年代にはギリシャや旧ユ
ウ ゴ ス ラビアから, そして70年 代からはぺトナムからの難民受け入れを契機とした大量のアジア人移民が 流 入 す る こ と と な り , いわば済し崩し的に捨て去られていった。
最近は, イ ギ リス系・
アイルランド系の減少とは対照的に東南アジアからの
移民の 增加が目立つ。 特にここ数年来は, 香港からの移民が急增している。
A B
S
(AustraliaBureau
of
Statistics:オーストラリア統計局)の調査によ る と , 現在オース ト ラ リ ア 全 人 口のうち約40%
がオーストラリア以外の地 で生まれたか少なくてもその
両親の
う ち一
人が外国生まれである。
そして, 5歳以上のオーストラリア人のうち約l60万人は, 自宅で英語以外の言集 で話し合つているという状況になっている。
また, 表 か ら も 分 か る よ う に 現在毎年受け入れられている移民の3人にl人が中近東を含むアジア地域 からなのである。
このままのペースでいくと, 2025年には人ロの4人にl 人がアジア系になるという政府の予測すらある。
現在のオース ト ラ リ ア 政 府 に よ っ て 採 ら れ て い る 文 化 多 元 主 義 政 策 (Multiculturalism
) とは一
般に, 市民生活やビジネス
・
教育といった公的 8-
l38-オ ー ス ト ラ リ ア の 経 済 と マ ル チ カ ル チ
=
.ラ リ ズ ム表
一
2 移民者の出生地分布の推移出 身 地 l947 l9;4 l96l l97I l98I l99l I995
lloo ooo ln
o
ooo,
[m‘
m olMl 米 国 実 国 及 ア イ ル ラ ン ド 二,ー ジ--
ラ ン ド イ'
リ ア a-
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:1, f べ ト,
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リ ビ ン-・
レ-
シ ア ::tl ン a ン ア イ ル ラ ン ド 海 外 合 計 オ ー ス ト ラ り ア 合 計 302.0 626.0 7l8.3 l.
046.4 l.
l75.・
l.
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2l0.9 54l.3 664.2 71i5.4 l.
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l22.3 6.
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308.2 l2.
755.6 l4.
923.3 l7.
284.0 l8.
l)5ll.0出所:YearBook Australial997. ABS
な場においてはオー
ス
トラリアの法律や言語 (英語) の使用が強制される が.
各人種・
エスニ
ック集団が自らのコミュニテ ィの
なかにあっては, 母 国の
言語や文化を維持することが認められるとする立場・
政策の こ と を い う。
この政策を維持するために, 速邦・
州政府はさまさまな諸制度で対応 している。
以下, い くつかの事例を紹介してこの
ことを確認していく。ォ
l»S B S
(SpecialBroadcasting Service)
:l980年から放映開始 さ れ た SB
Sは,エスニ
ッ ク 専 門の
テレピ局である。
早朝から, 前日母国 で放映された約30分ほどのニュー スが日本語・
ギ リ シャ語・
フランス語・
広東語・
イ タ リ ア 語・
マ
ケ ドニ
ア語・
インドネシア語・
タイ語・
ロシア語 等々の
順で放送され, 祖国に関する貴重な情報源になっている。
ニュ
ース
以外にも,映画やドキュメンタリーが吹き替え無しの英語字幕で紹介され,エスニ
ッ クの
みならず英語国の人々のあいだでも好評をはくしていて, 相 互理解に役だっている。
l987年からの3カ年間にこのテレビ放送によって-
l39-
9東北学院大学論集経済学第l35号 用いられた言語は,東部諸州だけの調査だったが実に54言語に
の
ぼったそ と い う こ と で ,一
つの放送局としてはこれは世界髓一
である9tォ
2»T . I . S
(Telephone
IntrepreterService):これは,誰でも24時 間年中無休で, 電話を通して通訳をしてもらえるサービスであり, 現在日 本語を含む十数語言語がこの
サービスの対象になっている。
主に, 病院・
銀行・
役所などで使用言語が原因でトラプルが発生したとき, 殆どポラン ティアに近い形で待機している通訳を利用することが出来る。
しかも違隔 地にかけても本人負担は市内料金だけであり, 場合によってはこれらのト ラプルが発生している場所に通訳を呼び出すことも可能である。
上記二例以外にも, 社会保障センターのパンフレッ トや各自治体の
ガイ ドブックはもちろんのこと, ナーシングホームの入居説明や施設内の
説明 文等も全て各国語に翻訳されて提供されている。
以上の数例からだけでも容易に想像できるように, まさに至れり尽くせ りの行政サービスがこのマルチカルチュラリズムを維持するために提供さ れているわけだが, 20数年に亘る歴史をもっ
この政策が一
般のオース
ト ラ リア人の間に深く理解され根を下ろしているかどうかという点に関して は, 次のような最近起こった事件をみても, 疑間視せさるをえない。
「オー ストラリアはアジア人に乗つ取られる危機に直面しており, l0年 かl5年もすれば, 取り返しのっかないことになる。
ア ポ リ ジニ
へ
の福祉も 停止すべきだ」。
これは, クィーンズランド州選出の下院議員であるポー リ ン・
ハンソン女史がl996年9月l0日に,
連邦議会での初演説である。
こ の過激な主張は, 国中からの非難と, それを大きく上回る絶費を浴びるこ と と な っ た。
ハンソン女史は, l996年3月の連邦総選挙で, ア ポ リ ジニ
や 母子家庭へ
の福祉政策を批判して自由党から除名され, 無所属で当選した 人気識員であり, オーストラリアの多文化主義を真向から批判して多くの
支持者を集めている。
彼女の
言動によって火がっ
けられた形のオース ト ラ リアの人種差別間題は, 最近具体的な被書の例 も 数 多 く 報 告 さ れ る よ う に な りlo) 高まるアジアのマスコミからの批判に, ハワード新政権がどのよ l 0-
l40-オ ー ス ト ラ リ ア の 経 済 と マ ル チ カ ル チ a ラ lJ ズ ム うな対応をするかが注日されている
。
『オース
トラリア経済の特徴』 a.90年代のオーストラリア経済の概略:表一3で,l994年度一
人当り 国内総生産の国際比較を見ると, オーストラリアは主要各国中l7位で.
日 本との比較では当時の円高の影響もあって, 半分以下と振るわない。
しか しながら, 入手可能な最も古いl870年の
デ ー タ に よ る とl l) オース ト ラ リ アの一
人当りGD
Pは当時, 表一
3 1人当り国内総生産 (l994年<※は92年.
※※は93年>) l 人 当 り G D P が い国 国 名 G D P ( ド ル )l 人 当 り 対日本比(%) 日 本 ス イ ス デ ン マ-
ク 米 国 ド イ ッ ノ ル ウ 二 -オ ー ス ト l 1 ア シ ン ガ ポ ー ル フ ラ ン ス べ ル 二tl -ス ウ,ー デ ン 番 港 オ ラ ン ダ アラプ首長国速邦 フ ィ ン ラ ン ド カ ナ ダ オ ー ス ト ラ リ ア イ タ リ ァ イ ギ リ ス ク ウ 二-
ト-
,ー ジ ー ラ ン ド ア イ ル ラ ン ド イ ス ラ ェ ル ス一
、 イ ン 台 湾 37.
22l 37,l39 28,346 25,,l68 25,077 25,046 24,359 23,532 22.
8:
;8 22.
490 22.
l50 2l.
837 2l.
359 ※ l 9.
76l l 8.
84l l 8.
5l3 l7.
8,l8 l7.
839 l7.
449 l5,000 l4,585 l4,5l0 l3,670 l2,256 l l.
422 l00.
0 99.8 76.2 68.
4 67.
4 67.3 65.4 63.
2 6l.4 60.
4 65.
5 58.7 57.,l 67.
l 50.6 49.
7 48.0 47.
9 46.9 40.
3 39.
2 39.0 36.
7 32.
9 30.7 出 所 : 日銀ll査続計局 「外国a
済統計年報」 (l995 年版)-
l 4 l -イ ギ リスの約l.
4倍, ア メ リ カの
約 l.7倍と大変に高く, 世界一
豊かな国として知られ ていた。
この よ う な , オ ース
ト ラ リ ア の経済的地位は, 第一
次大戦以降後退し, 第二次 大戦後のl960年には世界第5 位,'82年には第8位と徐々に 低下して今日に至つている。
第二節で見たように, 今世紀 初頭までのこの国の
経済発展 は , 主 に ゴール ド ラ ッシュと その後の牧畜業のプームによ るものであったが, そのこと を割り引いて考えてみても今 日のオー ス ト ラ リ ア 経 済 は 長 期的濁洛價向にあると言わさ るをえない。
これはいかなる 要因によるものなのであろう か。
また,この傾向は今後2l東北学院大学論集 経済学第l35号 世紀にはいって改善され得るものなのであろうか。 この節では, 特に経済全般のパフォーマンスが悪化してきた'80年台か ら今日にいたるオース ト ラ リ ア 経 済 を 概 観 す る こ と と し , 次節以降, 長期 i日洛順向にあるオー
ス
トラリア経済の構造的要因にっ
いて言及する。
さて, 最近のオーストラリア経済は, 表一
4に要約されているとおりで ある。
実質GD
Pの成長率は, l986年~
l990年に年平均で3.3%
だ っ た も のが,90年台初頭に一
時景気後退を示し,その後は,0ECD諸国のなか でも最も高い成長率をしめしながら今日に至つている。
これに対して, 失 業率は依然高率で,'80年台後半に一
時期6%
合まで改善されたが.
その後 92年・
93年の2年間はl0%
台にまで悪化した。
外国との貿易やサービスの取り引き勘定を示す経常収支は, 過去恒常的 に赤字を計上しているが,'95年には一
般に危機的な状況とされる対GD P
の6
%
水準にまで近づいた。
従来, オーストラリアの貿易パターンは, 豊 かな第一
次産品の輸出によって稼いだ外貨で輪入を賄い, 更に貿易外収支 の赤字をも補填していたのである。
柏1民地時代より伝統的に, 経済開発を 海外からの資本に大きく依存していて.
貿易外収支の赤字が恒常的であっ 表一
4 近年の主要E
演続計指a
実買G D P 成長率(%、
財政収支-
i
i
i
)i
;-
(%) 消費者物価 上界率(%) E常収支 (%) G D P 失集率(%) l985 4.6-
3.
l 4.0-
5.4 8.
3 86 l・g-
2.
4 6.
7-
:).5 8.
l '87 4.,l-
l.0 g-
l-
3.8 8.l 88 4.
,ll 0.8 8.
4-
4.2 7.2 '89 4.
6 l・g 7.
3-
6.
2 6.
2 '的 l.
3 2.
2 7.
6-
:;l・ l 6.
9 '9l-
l.0 0.
6 3.2-
3.4 9.6 '92 l.8 0.6 l・0-
3.7 l0.8 '93 4.l-
2.3 l.8-
3.8 l0.9 '94 4.
9-
2.9 l・g-
4.
7 9.7 '95 3.
l 'l.
6-
5.
5 8.
5 出所) 日銀統計局「外国E済統計年報J 各年版より作成 l 2-
l42-オ ー ス ト ラ リ アの 経 済 と マ ル チ カ ル チ ニ ラ リ ズ ム た と こ ろ に
,
l980年から貿易収支そのもの
が大き く赤字を計上し始めたた め, オーストラリアは経常収支の大幅な赤字国となってしまっているので あ る。
財政収支も'93年以降赤字に転じ,GD
Pに対する比率では,'94年に2.
85%
にまで膨れ上がっている。そのため,'96年8月20日に発表されたハワー ド新政権は, 国家予算案の最重要課題として, 3年後のl999年までに財政 収支を黒字にすると言わさるをえないものであった。
b.
日本経済との密接な関係, 增大するアジア諸国との連携: オース
トラリアの貿易相手国は,l960年頃を転機として,それまでのイ ギ リスを含むョ
一
口 ツパから, 日本及びアジアへ
と移行した (表一
5 )。
現在日本は, オーストラリアにとって最も大事な貿易相手国である。
表一
6は, 90年代に入つてからの
日豪両国の
貿易に占める相手国のシェアとその
順位である。
こ れ に よ る と , 我国はオーストラリアにとって輪出総額の 約4分のlを占めているし,輪入額でもアメリカにっ
いで第2位の地位を 占めている。
ま さ に「
ガリパーカスタマー」
と呼ばれるに相応しい。
両国貿易の主要商品は表一7のとおりである。
日本は, オース ト ラ リ ア か ら,
羊毛の62%
, 牛 肉の4l%
,石炭の43% ,
鉄l
a
石の39% , その他ポー 40 0 2 E n一
0 d 表一
5
名国別輪出 49・的 〇ll-
SS 的-
的 64・6S 出所:Mahony 〔 8;l, P.
6e
0-
70 1'4-
7S 79-
00 0,l-
8S 89-
90、
f al-
l43-一
商品名 金額 乗用車 l,628 東北学院大学論集 経済学第l35号 表一
6
日種面国の貿易に占める相手国のシ,
ア ( ) 内 は 国 別 願 位 オ ー ス ト ラ リ アの國易に占める 日 本 の シ ニ ア (%
) 日本の貿易に占める オ ー ス ト ラ リ ァ の シ ニ ア (%
) 輪 出 輪 入 始 出 輪 入 l990 '9l '92 '93 '94 '95 2 6 . 2 ( l ) 2 7 . 7 ( l ) 2 5 . 2 ( l ) 24.
6 ( l ) 2 4 . 5 ( l ) 2 3 . 0 ( l ) 1 8 . 7 ( 2 ) 1 7 . 6 ( 2 ) 18.l ( 2 ) l9.
0 ( 2 ) l 7 . 7 ( 2 ) l 5 . 4 ( 2 ) 2.4 2.
l 2.l 2.l 2.
2 l.8 5.3 5.
5 5.3 5 . l 5.
0 4.3 出所) 日a
統計局「外国経済統計年a
」 各年版より作成 表一
7 日E
資易における主要商品 ('95年,単位百万米ドル) 商品名 金額一
石;
炭l
ll・
・
同同製品 製 品 33,2,281S、
ト ラ ッ ク l,019 肉類 l,375 自動車の部品・
付属品 415 鉄拡石 l,355 1ン ビ=
ー タ 329 鉄組一
次製品 326 ー ゴ ム 製 タ イ 216ャ 液化天然ガス l,263一
金 ( 貨 特 用 を 除 く ) 9l5 ー ア ル一
次製品 ミ ニ ウ 727ム 複写機 192 ゥッ ド チ ップ 607 建設・
鉱山用機械 l88 羊毛 357出 所 : JETR0
.
THE WORLDl996キサイトや加工アルミ
ニュ
ウ ム と い っ た 第一
次産品の輪入し,主に自動車 を中心とした工業製品を輪出している。
我国の
自動車の製造に使われてい る鉄鋼材の約半分がオーストラリアから輪入された鉄鋼石に依つてし, ま た, 発電用の石炭も大きくオース
トラリアに依存しているのである。
(アジア諸国との貿易関係)一
方, 徐々にA S EAN諸国のオース ト ラ リ ア経済に占める重要性が增してきた。
表一6にみるようにl980年代よりAS E
A N諸国との貿易が增大した。
両者の関係は日本との関係とは異なり, 貿易だけではなく,投資活動,留学生受け入れ,観光旅行,移民といった l4-
l44-オース ト ラ リ ア の 経 済 と マ ル チ カ ル チ ュ ラ リ ズ ム 実に多方面にわたっている
。
c.長期凋洛傾向の主な要因 表一 8は,産業別就業者の構成比である。こ の 統 計 に よ れ ば , オース ト ラ リ ア と い う 国 は 我 々の 農 業 国 と い う イ メージとはかけ離れて, り っ ば な 工業国であり, 他の先進諸国のように脱工業化しっっあ る よ う に み え る。
さ ら に , 日 本 よ り オース ト ラ リ ア の ほ う が サービス産業が進み,脱工業化 し て い る よ う に さ ぇ 見 え る 。 い う な れ ば , オース ト ラ リ ア は 第一
次産品輸 出国であると同時に脱工業化している立派な工業国ということになるので あ る。
しかし, 実態はそうではない。
その工業の大部分が輸入代替品の製 造にかかわるものであり, かっ
国際競争力をもたない粗惡品である。
統計 的には, 総輸出額の約20%
を工業製品が占めていることになっているが, その実態は鉱物資源の第一
次加工品や半製品がほとんどなのである。 こ の よ う な , オース ト ラ リ ア 経 済 の長期凋洛傾向の主な要因として語ら れているものに は , ( 1 ) 国 内 市 場 か 小 さ い ( 2 ) 距 離 を 克 服 す る た め の イ ン フ ラコストに資本が吸収される, と言つたもののほかに次の2点が指 摘 さ れ る だ ろ う。
(国際収支の悪化)対外経済面からみたオーストラリア経済の間題点は, 国際収支の赤字と豪ドル相場の急落である。オーストラリアの貿易構造は.
前述のように豊機な鉱物資源を中止とした第一
次産品の輸出と, 国内で生 産できない産業機器等工業製品の輸 入 か ら な っ て い る。
第一
次産品は, そ の特性として工業製品に比して技術進歩率が低く, また他の商品に比して 需要の所得弾力性と価格弾力性が低く 長期的にその価格は低下傾向にあ る。その結果オース ト ラ リ ア の 交 易 条 件 は , 表一9 に 見 る よ う に 長 期 に わ たって悪化しっ
づけている。
交易条件の悪化は輸出を減少させ, 貿易収支 の赤字を拡大させ, ひいては経済全体の景気を悪化させる事になる。 も う ーつの対外的信用度の尺度である豪ドル相場もまた下落の歴史である。 (脆弱な脱工業化社会と保護貿易政策)ォ
ース ト ラ リ ア に あ っ て , 産業 政策とは即ち保護関税政策のことであったといっ て よ い'
2'
。連邦政府結成-
l45-
l 5東北学院大学論集 経済学第l35号 表
一
8 オーストラリアの就業構造 (l992/93年) 産 業 人 員(l,000) 題当 り平均労動時間 男 女 合計(%) 明 女 合計 展林漁案及び狩期業 拡 業 製造業 (食料その他) (金属製品) (その他の製造業) 'le
気・
力'ス・
水道葉 建設業 卸売・
小売葉 理●a
・
倉日l薬 通 信 金融・
サ ービ ス 公務・
防a
i 公共サ ー ビ ス その他のサ ー ビ ス 284.5 79.
9 806.
l l30.
7 l50.5 524.
9 86.9 465.
l 879.5 295.
0 80.
2 453.2 223.
3 493.3 276.
0 12l.4 8.
7 309.0 64.0 25.0 220.
l 12.0 707 7294 77.
6 35.3 4l7.3 l46.
6 966.
9 346.
4 405.
9(4.6) 88.7(l.
0) l,ll5.2(l2.7) l94.
8(2.
2) 175.5(2.0) 745.
0(8.
5) 98.9(l.l) 535.
8(6.
l ) l,608.9(l8.5) 372.7(4.
2) l15.
5 ( l.
3) 870.5(9.9) 369.
9(4.
2) l.
4602(l6.6) 622.3(7.
1) 49.7 42.
l 40.
! 39.
8 40.
l 40.
l 35.7 40.
0 40.
3 4l.
6 35.
8 3l.2 36.
2 38.2 37.
6l
29.7 34.
2 32.7l
32.
6l
3l.8 32.9l
°
20.
3 27.
0 32.
0 30.7 30.
1 30.
4 2 9 3 27.
0 4 3 7 4l.3 38.
0 37.4 3 8 0 3 8 0 35.
2 37.4 3l.
3 39.
6 34.2 35.
9 33.9 32.
3 3l.
7出所:YEARB00K AUSTRALIA l995(ABS)
表
一
9
オーストラリアの交易条件.
1948-
49 to 1990-
91 2 0 0・
8,
8 l 9 2o,
8 e o 8 - o 8 -' 3m
-的・S6 M、
m 1 0・1l、
1'S・i6 al・0、
開 90.g l YOn 出 所 : M a h o n y 〔 8 〕.
P.
l8 l 6-
l46-オ ー ス ト ラ リ ア の 経 済 と マ ル チ カ ル チ a ラ リ ズ ム 以前から国内市場向け
の
輪入代替工業品がその対象であり続け, 工業製品 に対する輸出促進的な政策は全くと言つて良いほど, 産業政策としては採 用されてこなかったのである。
この結果, 輸出競争力の強い農業・
鉱業部 門とは対照的に,
工業化は大きく立ち運れたのである。
このような脆弱な 工業とりわけ製造業部門と, 表一
8からも読み取れるような圧倒的なサー ビス産業(全労働者の4分のlが連邦及び州政府の公務員であるという続 計 さ え あ るl3)) の ア ン バ ラ ン ス な 併 存 こ そ , オース ト ラ リ ア 経 済 のも う ーつの停滞要因であるといってよいだろうI4L
むすびにかえて
ーハ
ワ
ード新政権の課題
一
今後, オース
トラリアの針路を左右する課題をあげると次のようになる だ ろ う。
( l ) 共 和 制へ
の
移行 (2)先住帰属権判決 ( 3 ) ポー リ ー・
ハンソ ン発言。 『共和制論争』 これは,実国国王を国家元首と定めた現在の立意君主制を改め,将来オー ス ト ラ リ ア 人 を 元 首 に 置 く 共 和 制へ
移行するとした構想をめぐる論争であ る。
オ ー ス ト ラ リ ア と ア ジ ア 諸 国 との
関係が深まるにともない, 英国との 関係が相対的に薄れてきたなかで起こった議論で, 英国国旗が入つた オ ー ス ト ラ リ ア の国旗もまた変えるべきだとする主張とともに, ここ数年来の 政治課題となっている。
「 シ ドニ
一
五輪の開会宣言を英国女王がするのは 筋違い」
と して共和制へ
の
移行に強い意欲を見せていたキーテ ィ ング前首 相(前労働党党首) と比較すると, 自ら立意君主主義者で共和制移行には 消極的な姿勢を見せてきたハワード首相も, 最 近 よ う や く 移 行へ
の是非を 問う直接投票を実施するかどうかを審議する共和制国民会議を開催する決 定を行ない, この間題は一
歩前進したかのように見えるl 5。
-
l41「一
l 7東北学院大学論集経済学第l35号 『先住帰属権判決』 これは, 先住民アポリジ
ニ
およびトレス諸島民が土地に対して本来もっ ている権利(先住帰属権:NativTitle
) が , そ の 土 地 を 使 用 し て い る 農 業従事者の借地契約によって抹消されるものではない, とした最高裁判所の
判決である。
先住帰属権をオーストラリア史上初めて認めたl992年のマ
ーポ判決以来, l996年2月のワーニ
一
判決, そして今回l996年l2月26日の
ウ ィ ク ( そ れ ぞ れ オ ーストラリア各地のアポリジニの民族名)判決と続 き, 全国的に地元の先住民の土地に対する権利主張の道を開いた格好とな った。
このような訴訟は現在, オーストラリア全土で500件を越えている ともいわれ, 新政権にとって極めて重大な意味を持つている。ハワ
ード首 相はこれら一
連の先住帰属権を認める判決に対して, より現実的な運用で この間題の解決を図ろうとする ' W i k l 0-
point
planl6f と呼ばれる解決 策を(l997年6月現在)識会に提案しており, 今後その動向が注目されて いるo いずれにせよ, このような判決に対する新政権の対応次第では, 全国土 の40%
以上にも達するといわれる先住民の土地所有 (西オース ト ラ リ ア 州 ではそれが全州の実に74%
に も 達 す る ! ) 17)に関する間題は,これらの 土地で大規模な資源開発を行なっている日本を始めとする外国資本に対し て, そしてなによりそれら外国資本に依存しているオース ト ラ リ ア 経 済 自 身にとって, この上もなく大きな影響を及ぼすことは必至であろう。
『ハ
ンソン発言』 第 4 章 で も 紹 介 し た よ う に , 昨年C
96)の速邦議会でのポー リ ー・
ハ ンソン女史による人権差別的な言動がきっかけとなって, オース ト ラ リ ア 全土でマルチカルチュラリズム政策を否定する言動が台頭している。
た と えば, 日本にとってはマグ口漁船の寄港先として知られている南オース ト ラ リ ア 州のポートリンカーン市市長は,同年l2月,将来の移住者は「ヨー ロッパ北部出身のキリスト教徒にするべきだ」 と 述 ぺ , 白豪主義の復活を l 8-
l48-オ ー ス ト ラ リ ア の 経 済 と マ ル チ カ ル チ ュ ラ リ ズ ム
強 く 訴 え , 多くの支持を得た18
。
このよな人種差別的言動の全土的広がりのなか, 最近では, オース ト ラ リ ア 在 住の日本人の身近にも被書が及びは
じ め た と い うl 9
。
その後ハンソン女史は,極右政党である「一 国 家 党 (0ne Nation Par
-ty)」 を 結 成 し , ( 1 ) ア ジ ア 系 移 民 を 制 限 す る ( 2 ) 全 く 根 拠 の 無 い ア ポ リ ジニ
ーへ
の差別発言2°
) ( 3 ) ア ポ リ ジニ
ーへ
の福祉予算の 削 減 ( 4 ) マ ルチカルチュラリズムそのものに反対する ( 5 ) 銃 規 制 に 反 対 す る ( 6 ) 大規模な軍事力強化, などの発言を繰り返している。 既成政党やマスコミ がこれらの発言を批判しているにもかかわらず, 全国平均の失業率が10%
近い現状のなかで, 移民に職を奪われたと感じている貧しい白人層や農民 層の大きな1i
:持を集めている。
あ るニュ
ース誌の世論調査によると, この「一
国家党」へ
の全国民の支持率は13.5%
と , 連 立 与 党 , 最 大 野 党・
労働 党に次く'第3党に躍進している。 また, 保守的で農民層の多いクイーンズ ランド州では21.5%もの支持を集めているという2u。
いずれにせよ, 今回の政権交代によって, また上記の様な一
速の動きに よ っ て こ れ ま で 「 寛 容」
を旨としていたオース ト ラ リ ア 社 会 の:雰囲気が, 大 き く 変 わ ろ う と し て い る こ と は ど う や ら 間 違 い な さ そ う だ 。 注 l ) 筆 者 は 1 9 9 5 年 4 月 よ り l 9 9 6 年 3 月 ま で , 西 オース ト ラ リ ア 州 カーテ ィ ン 大 学 に おいて在外研修の機会を得た。本橘はその時の見間を基にして薔かれたもので あ るo 2 ) 本稿は, 1996年l1月1l目の経済統計学会東北支部での発表の内容に加筆修正し たものである。3)Australian Bureau of Statistics(ABS)〔2〕
4)英語では特に大文字ではじまる時にのみ , オース ト ラ リ ア 先 住 民 を 意 味 す る 。 5 ) 州 政 府 も ま た そ れ ぞ れ 総 督 を い た だ き , 連 邦 政 府 同 様 の 間 題 を 有 す る 。ク ィー
ンズランド州には同様の前例があるという。
東北学院大学論集経済学第l35号 6 ) オーストラリアの経済統計のほとんどが
.
97/98年のように, 磨年をまたいだ 表現になっているのはこのためである。 また.
7月から予算成立までの間の財 政支出は,常に前年会計年度の4-
5月に暫定予算案が提出され可決される價 例となっている。
7)正当な理由無く投票場に行かなかった者には最高でA$50(l996年現在) の罰 金が課せられる。
8)186l年のビクトリア州国勢調査では, すでに全人口のl0%
以上が中国人によっ て占められていた。
関 根 〔 l 4 〕 9 ) 中 野 〔 9 〕 p . 4 6 l0)大西正幸「激変するオーストラリア一頻発する人種差別事件」「第3文明」('97. l 月 ) l l ) Caves〔 3 〕 l l ) NICHIG0-
PRESS,SYDNEY'97MARCHl2)Gordon
.
M..
'The dilemma of WIK'THE WEEKEND AUSTRALIAN,,M Y , 3
-
4,1997l 3 ) ' W I K pIanbasis for resolution'THE AUSTRALIAN M A Y 2 l 9 9 7 l4)NICHIG0
-
PRESS,SYDNEY'97FEBRUARYl5)大西正幸「海外通信オース ト ラ リ ア 発 」 「第3文明'96, 8月号
・
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9月号・
10月 号・
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l 月 号・
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3月号」20) K . M E A D E & G . W I N D S O R ' H a n s o r
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cannibalclaim condemned''THE AUSTRALIAN
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APRIL . 2 32 l )「朝日新聞」朝刊,l997年6月l0日
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