行革を阻むわが国政治・行政の内部体質・構造--「
小さな政府」は,システム面からの改革を
著者
坂田 期雄
著者別名
T. Sakata
雑誌名
東洋法学
巻
26
号
2
ページ
1-58
発行年
1983-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00003604/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja行革を阻むわが国政治・行政の内部体質・構造
ーー﹁小さな政府﹂は、システム面からの改革をi
坂
田期
雄
目 次 一 中央省庁、その体質 二 国会、政党ーそれを動かす選挙、票、関係団体 三 中央省庁による地方自治への干渉の網ー自治体行革を阻むもの 四 自治体の職員組合、その体質 五 公務員の意識、役所内部の体質、伝統的日本風土とその土壌 一 地方分権システムヘの改革を 二 高能率、生産性向上に向けてのシステム改革を 目 今後の行政改革の方向と課題ー﹁地方分権﹂と﹁生産性向上システム﹂ 目財政崩壊の寸前ーその危機の実態 臼 行政改革を阻むもの を中心に 東 洋 法 学 一行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 二 はじめに 第二次臨時行政調査会の各部会報告が、昨年︵昭和五十七年︶暮れから今年はじめにかけて相次いで出された。目 下これを受けて調査会で最後の審議が行なわれており、本号が刊行される頃には最終答申がすでに出されていること と思うが、本稿では、この二年間の臨調審議を通じてみられた﹁行政改革を阻むわが国政治・行政の構造と体質﹂を 分析し、その上で今後の財政再建の可能性とその方途を、とくに構造面の改革からみて極めて重要と思われる﹁地方 分権﹂﹁高能率、生産性向上が期待できるシステムヘの改革﹂の二点を中心に今後のあり方を述べてみたい。 なお、本稿のうち一部は、すでに断片的にいくつかの雑誌、新聞に筆者が執筆したものもあるが、ここではそれら を一応まとめるという意味ももたせて取り上げることとした。用いたものは末尾に掲げたが御了承を賜わりたい。 また、本稿執筆時︵五十八年一月末︶においては、臨調最終答申は未だ出されていないので、各部会報告をもとに 論を進めたものであることをお断りしておきたい。
日 行政改革を阻むもの
一 中央省庁、その体質
行革からいかに守るか 裏側で行革つぶしに奔走 行政改革を阻むもの;その第一は、中央省庁である。いうまでもなく、行政改革というのは、その最大のポイン トは公務員の数を減らすこと、組織・機構もぐっと小さくすることが眼目だが、これに対しては、今回の臨調審議を 通じてみられたように、どの省庁も自分の省庁だけはその被害をできるだけ受けないよう、いかにしてこの行革の嵐 に耐え、守り、防ぐかに懸命であった。今臼、わが国の中央各省庁は極めて強いタテ割り縄張り意識の中にある。各 省庁相互間の対抗意識は蚕ことに熾烈である。これら中央省庁では、自己省庁の権限を少しでも拡大することに彼等 は重大な使命感をすら感じている。そこでは、事務次官を頂点に、局長、部長、審議官、課長といった強固な官僚体 制が築かれ、さらにその下には付属機関、出先機関から各種公社、公団その他多くの外郭団体までを抱え、現役のみ ならず0・Bを含めたその裾野は非常に広い。 しかも、中央省庁人事は、各省ごとの採用、各省ごとの人事である。各省の官房は、それぞれの省庁ごとにそこに 属している職員すべてを対象に、退官後の0・Bポストまでもすべてここで世話をしている。途中で他省庁に出向し たりあるいは地方自治体に出ても、すべてその人事は、その親元の省庁の官房が持っており、適当な時期にはまた戻 される。だから、国家公務員は一たんある省庁に入れば、一生涯その省庁で面倒を見て貰うことになる。このように、 人事が各省庁ごとであるため、それぞれ省庁ごとに強く結束し、自分たちの領域、自分たちの権限、自分たちのポス トを少しでも増やそうとする。 中央省庁が新しい施策を立案する際には、それが国の政策、国民のためという目的意識とともにあるいはそれ以上
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行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 四 に自己省庁の権限拡大の意識がその裏側で強く働いている。 このような環境の中にあるから、中央省庁の幹部は、その在任中に自己省庁の領域を少しでも広げる、あるいはそ れを維持するのが最大の任務と意識される。そういう期待を一身に集めて各省庁では、局長そして最後に一人の次官 が選出される。だからこれら省庁の幹部は、行政改革の大波に直面しても自己省庁にはできるだけ影響が少なくてす むようひたすら防戦につとめることとなる。各省庁一律の削減なら仕方ないとあきらめる︵責任を免れる︶が、自分 の省庁だけというのは絶対に困る、反対となるわけである。 今日の第二臨調の各部会の審議経過を見ても、専門委員と並んで途中から参与というポストが設けられ、ここに各 省庁の次官経験者等0・Bが送り込まれた。当初はこのような方々は現在は現役ではないので、幅広い視野から今日 の行政機構内部の問題を指摘して貰おうとの期待で審議メとハーに加えられたようだが、実際にはそれぞれの出身省 庁の強力な応援団となってしまった感がある。 さらに、今回の第二臨時行政調査会の事務局には、各省庁から選り抜きの職員が派遣され、自己省庁に関連のある 情報はいち早くキャッチして送るという役割を果たしている。このため、臨調の部会や委員会で各委員に配付された ⑫資料が会議が終わったあと委員から回収されても、各省庁にはその日の夕方までに必ず屈いており、翌日の新聞に もチャンと報道されるということが何回かあった。 臨調答申が出てからこれに反対ということももちろんあるが、利鷺な中央官僚はこのような形で臨調答申あるいは 部会報告書の作成される過程に入り込み、事前に自己省庁にまずいものは姿を消させるという巧妙なやり方が取られ
た。表向ぎは行政改革を唱えながらも、裏側ではいかにこれを潰すかに狂奔している。 国会の有力議員、特定の業界、団体とゆ着 さらに、今の中央省庁は、最近とみに国会︵議員︶とのゆ着が強まり、行政としての主体性が失われてきているよ うに見受けられる。﹁各省庁は、極端に言えぽ、国会の有力議員に駆使されているように思われる程なり下がってい る﹂︵長野士郎岡山県知事﹁地方公務員はいま﹂︵ぎょうせい刊︶︶。しかも﹁特定の業界とか団体とかの利益のため⋮ ⋮しか考えていない﹂。国家全体とか、国民、住民のためにどうするかといった意識は薄く、自己省庁の縄張り、権 限意識が常に優先する。 それに、現在の中央省庁役人は、おおむね二、三年でポストを変わって行く。大蔵省の主計官もそうである。だか ら、自分の時に大きな問題が起きないように、何とか取り繕って行けばよいという姿勢、視点になってしまう。行政 改革というように、やや長い視点で貝本のあり方、行政のあり方を考え、抜本的にメスを入れるというようなことは、 ︵ユ︶ 今の現状では極めて困難、そういった体質にあるともいえよう。 二 国会、政党ーそれを動かす選挙、票、関係団体 中央に集中したカネ︵国庫補助金︶の配分過程に各種の利害 行政改革を阻むものの第二は国会議員、政党である。まず国庫補助金の改革についてみてみよう。今臼では、
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国庫行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 六 補助金は中央省庁だけの問題として見るだけでは改善できない。立法機関である国会も、政権党も、その常任委員会 や自民党政調各部会は各省庁とぴったり結びつき、ゆ着もたれあいの関係になっている。そしてこれら中央省庁、政 党、国会議員が選挙の票ともからんで関係団体と強く結ばれているため、いわゆる運輸族、道路族などといわれるよ うに、それぞれごとに強く一致して補助金拡大の方向に動く。だから補助金の整理、縮小ともなると、関係団体と関 係議員族が強力な運動を展開し、政権党に揺さぶりをかける。 また、国会議員一人輔人も、補助金の削減縮小には強い抵抗を示す体質を持っている。議員にとって国庫補助金は、 本人と選挙区との問をつなぐ極めて重要なパイプを果たしているからである。選挙の票に影響するだけに、自分の選 挙区に関する国庫補助金となるとその削減には非常に強い抵抗がなされてくるわけである。今日の日本社会は、中央 に集中し過ぎたカネ︵国庫補助金︶の地方への分散、配分過程をめぐって各種の利害関係がそれぞれの立場から渦巻 き、からみあっている。中央省庁、関係団体は、許認可、補助金、利権を通して政治家に密着し、互いに利用しあう ︵2︶ ことでそれぞれの地位や組織を強固にする。 閣僚は中央官僚機構の利益代弁者 さらに、現在の各省庁大臣というものが、中央官僚機構の利益代弁者になり下がっているという面がある。前述の ように、今日の中央官僚機構は極めて強固なものである︵ただし、政権党の有力議員 とくに○○族といわれる議 員には弱い︶が、その上に立つ各省大臣は、ほとんど一年交替であるため、実権を持ってその省庁を動かせるような 大臣は殆んどいない。すべて事務局で官僚がつくった路線のとおりに進めるだけである。もし大臣が各省庁の官僚陣
の意向に反した方向に走り出したりすると官僚から総反発を食うのは必至である。早い話が、大臣は国会で答弁する のが重要な仕事だが、その答弁要旨はすべて役人が作文をして用意し、大臣への事前のレクチャーも行なわれる。そ の省庁で考えている同じ方向に大臣からも答弁して貰わないと困るからである。ところが大臣が独走したりしてその 省庁官僚から﹁困った大臣だしと思われたりすると、この大臣答弁の準備面で上手に手を抜かれる。国会の場で大臣 は恥をかくということになる。まことに巧妙な形で大臣がいじめられるということになる。 昨年、臨調基本答申が出される少し前の五月二十五日の閣議後も、当時の田辺総務長官は、中曽根行管庁長官と会 談し、﹁総理府人事局を行管庁に吸収するのは、総理大臣の人事権をはく奪するものだ﹂と﹁総理大臣の権限﹂を持 ち出して﹁総合管理庁﹂設定案に猛反対し、同じ閣議後、松野北海道開発庁長官︵国土庁長官︶が北海道選出の閣僚 である中川科学技術庁長官および箕輪郵政大臣とμ雑談”の形で北海道開発庁と国土庁との統合問題について協議、 ﹁統合のメリットがあるかどうか検討する﹂という批判的な立場を確認しあっている︵サンケイ新聞五十七年六月三 日︶。 だから、現在では、ほとんどの閣僚がそれぞれの省庁の代弁者になってしまっている。たとえば同じく昨年六月一 日の閣議で﹁閣僚がいやしくも答申作成の妨げとなるような言動を慎しむように﹂という首相指示に対して、当時の 総理府総務長官の田辺国男、科学技術庁長官の中川一郎、郵政大臣の箕輪登といった閣僚諸氏が、臨調から提起しよ うとしている行政組織改革案への各論反対の先兵になったような形で異議を申し立てている︵読売新聞五十七年五月 二十五日︶。またこのような動きは臨調各部会報告が出る前後頃からいくつか見られたが、組織統廃合の対象となっ 東洋法 学 七
行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 八 た各省庁役人は、各大臣をして﹁反対﹂の意向を発言させる、代弁して貰うということになる。本来、大臣というの は国務大臣であり、閣議は各大臣が国政全般について全体の立場からお互いに論議する場であるが、実際には、大臣 は自分の省庁だけの、行革反対の代弁者になってしまう。また、そうならざるを得ない大臣の弱さ、官僚機構の強さ がある。 三 中央省庁による地方自治への干渉の網 自治体行革を阻むもの 行政改革を阻むものの第三としては、自治体における行革が、国の制度や国からの干渉によって実行できない、場 合によっては国が大きな妨害になっていることをあげたい。 自治体の定員組織 七割位まで国が関与 その一は、定員や組織について、自治体が自由に合理化改善ができない。国が細かいところまで基準を定めている ︵全体のほぼ七割程度︶ことである。たとえば、定数では、義務教育、警察、消防の職員をはじめ、保健所、保育所 など福祉施設の定数基準、農業改良普及員、統計主事、社会教育主事、農地主事など、各省ごとに非常に細かに決め られており、組織も、病害虫防除所、家畜保健衛生所、農業改良普及所、婦人相談所など相当数が国によって設置が 義務づけられ、そのため、このような戦後の役割を終えたと思われるものも自治体で廃止できない状況にある。昭和 四十二年以降、地方公務員は八十一万人も増えたといわれるが、その大部分はこれら国の基準によるものであり、自
治体では整理縮小しようとしても手がつけられないものが多い。 民間委託等、自治体行革に申央省庁が反対、妨害 その二は、ごみ収集や学校給食の民間委託である。多くの自治体で、反対する組合とも話し合い、やっと委託へ切 り替えようとすると、厚生省や文部省が反対の意向を表明してくる。市町村長が出向くと﹁直営でも民間でもどちら でも結構ですよ﹂というが、事務当局には大変な圧力がかかってくる。自治体首長としては、組合と中央省庁の両方 から、反対のはさみうちにあうことになる。住民のために少しでもコストを下げて、それで新しいサービスを進めよ うとするのに、事もあろうに指導の立場にあるはずの中央省庁がこれを妨害する、ー私が歩いたいくつかの市町村 でも、憤慨する多くの声が聞かれた。また、保育所も公立より私立の方がずっとコストが低い︵市町村の持ち出し額 が四分の一ですむ︶ため、公設民営という方向をとろうとするところが多いが、これも厚生省児童家庭局は、特別の 場合でないと認めようとしない。同じ厚生省の中でも社会局は、福祉施設についての公設民営を認めているのに、局 ︵3︶ が違うと考え方も違う。つい先臼も﹁何とかならないものか﹂とある市の助役が嘆いていた。
四 自治体の職員組合、その体質
民問組合と役所組合の本質的な違い 民間は自らのカネ、役所は納税者のカネ 行政改革を阻むものの第四は、一部の職員組合である。もちろん、すべての職員組合がそうだというわけではない 東洋法学 九行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 一〇 が、一般にはそういう傾向がなお極めて強い。 とくに自治体の場合、全部の団体についてではないが、国家公務員に比べて高い給与や退職金の引ぎ下げ、わたり の是正が、職員組合の反対、抵抗でどこでも難航している。また、ごみ収集や学校給食の民間委託についても組合が 反対するため、その切り換えはスムーズには進んでいない。 そしてこれら官公労の組合を見た場合、民間の組合と非常に違う点は、民間では、まず各自がよく働いてその企業 の収益を高め、その上で自分たち職員の取り分も増やそうというのが基本姿勢だが、役所の組合にはこのような感覚 はまったくない。納税者の税金を少しでも効率よく使うという感覚などなく、自分たちの定員は一人でも多く、給 与・手当は少しでも多く取れるだけ取る。一たん手にしたものは既得権として絶対に離さないーーそこにあるのは自 分たちのことしか考えない、一番大事な納税者、住民をまったく無視した姿勢である。いって見れば税金むしり取り の姿勢である。 民間であれば、このような取れるだけ取るというような組合の姿勢では、その企業はつぶれてしまうだろう。企業 がつぶれては、組合も組合員もない。だからまずよく働き、効率をあげ、他の企業との競争に打ち勝って企業と職員 も含めた経済基盤をしっかりつくる。その上で﹁自分たちにも﹂という要求になる。だから、同じ組合の中でも民間 労組からは官公労に対して厳しい批判が投げかけられる。働く量は役所は民問に比べて半分以下︵ごみ収集の場合、 清掃職員一人一日当たり収集量は民間は役所直営の場合に比べて二・三倍鎖都市経営総合研究所調査︶であるのに、 給与だけは民問より高い︵とくにラスパイレス指数が一二〇を越える一部の地方公務員の場合︶。民間が血の出るよ
うな減量と厳しい働きの中で税金を納めているのに、その税金を使う公務員が、民間の半分しか働かないで給与や退 職金は民間より高い額を取るーけしからんではないかという声である。 権利主張のみ、独善的、職員エゴ 都市経営総合研究所が、全国の自治体職員について行なったアンケート調査︵昭和五十四年十一月および昭和五十 七年七月︶でも、﹁組合の要求の姿勢に問題がある。権利主張のみ、独善的、職員エゴむき出し﹂ということについ て﹁そう思う﹂と答えた者が五四・九%にのぼっている。いまその中から主な具体的な意見を拾ってみると ○組合は権利を口一杯主張するが、責任は果たさない。 o住民サ⋮ビスを口にしてはいるが、タメにする議論の場合が多く、独善的で表面的な筋論ぽかりである。 ○組合の主張はつねに人員増の要求であり、折りあう余地はない。 ○職員の増員は強い要求であり、民間委託に限らず、すべての委託について、それは﹁合理化反対﹂という上部団 体の統一意識が強く、行財政の効率的運営からの改善を妨げている。 ○業務の民間委託については、組織の弱体化につながるとして、組合としては、組織の拡大にならないので反対で ある。 ○特殊勤務手当等ですでに任務の完了したものを存続させ、それが職員の配置転換のネックとなっているが、既得 権として組合の強い抵抗がある。 〇一般市民には、給与等の交渉内容はまったく知らされない。”役人天国”との批判を恐れる組合と当局との秘密
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行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 交渉である。 ︵4︶ などがあげられている。 一二
五 公務員の意識、役所内部の体質、伝統的日本風土とその土壌
行革を阻むものの第五は、 統的日本風土である。 (1) 国、地方を通じ、ひろく行政全般にわたることだが、職員の意識、役所内部の体質、伝 効率的経営は、役所では評価されない まずその一は、﹁効率的経営が役所では評価されない﹂ということがある。自分の課の定数を抑え、少数精鋭にし てもとくに評価されない。否むしろ今の役所にはそれとは逆の認識の方が強い。不用事業を廃止したり、人員削減を すれば頼りない管理職というレッテルを貼られる。役所では管理職の一番の仕事は予算と人事だという認識が昔から ある。だから自分が課長の時に予算を減らされたり、定数を減らされたりすると、﹁あの課長は力が弱いから結局人 事課長や財政課長にやられてしまった﹂と見られ勝ちである。そして逆に﹁あの課長は力が強いから人事課長や財政 課長の要求をはねのけた、大物課長だ﹂と評価される傾向が残っている。だから、人員や予算の査定では、自分で減 らしてもよい、やめてもよいと思っていても、自分がその課長のポストにある限り、不合理なものでも引き下がらないで頑張らなければならないのである。 このことは、公営企業と民間との比較でもはっきりと出てくる。 民問の経営者ならば、その評価は﹁どれだけ利潤が生み出せたか﹂﹁株主にどのくらい配当ができたか﹂というこ とで決まる。もし、二期も三期も赤字が続くような決算にでもなれば、その経営者は﹁落第しの烙印を押されその座 を去らなければならない。しかも一たんそういうレッテルを貼られると、もはや他の企業の経営者に移るということ もまずできない。だから、民間の経営者は真剣であり必死でもあるQ労働組合に対しても、外部に対しても敢然とし て挑戦し、“利潤”という企業目的に向かって全力投球する。 ところが、公営企業の場合には、赤字を出してもとくに責められない。一生懸命やったが、赤字になったのは外部 環境が悪化したためとか、診療報酬の改訂が遅れたためとか、あるいは国の措置が不十分だったため等、自分ではな い他者に原因があったとの理由が並べられる。そういった説明さえつければよいのである。議会でもそれ以上追求さ れることはない。だから、公営企業では、管理者も長も議会も、赤字に対してそれ程心配もしなければ責任も感じな い。一方民間では、このような言訳、説明は一切通用しない。決算の最後の数字だけがモノを言う。たとえば、松下 電器では﹁今年は冷夏だったのでクーラーが売れなかった﹂という弁解は通らない。全体に需要が落ち込めば他社の 領域に食い込んで自社のシェアを伸ぽす。あるいは他の製品を伸ばして全体の売り上げが落ちないようにする!そ ういった厳しさが要求される。公営の場合と大変な違いがある。 さらに公営企業の場合には、管理者に対して﹁経営に努力してよく赤字を少なくした﹂とか﹁黒字を出した、立派
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コニ行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 一四 だ﹂という評価はそれ程されない。効率経営を実行しても、それが管理者の次の人事や昇進に必ずしも点数としてつ ながらない。むしろ、経営よりも長とか議会の方によく顔を向け、その関係を大事にしていた方がよいという認識で ある。だから、将来、助役とか総務部長などというポストを期待する管理者は、組合と対決し、組合や議会内の革新 政党の反感を買ってまで身を挺して合理化に取り組もうとしない。利βな生き方、上手な世渡りを選ぶ。 このような環境の中では、たとえどんなに有能な経営者を外部から導入してもうまくは動かない。たとえば、A市 交通局では、倒産寸前の民間デパートをみごとに立ち直らせた有能な人材︵元公務員︶を局長として迎え入れた。し かし公営企業という枠、体質の中では民間のように思うようには動けない。また動かない。そして前述のように﹁仕 事﹂に対する評価の基準が民間のように経営面の成果で測られるならともかく、別の物指しで測られるとなるとどん なに経営者としてすぐれた人間でもそこに入ってしまえば、そこで測られる物指し、基準にあわせて行動するように なる。人に対する評価基準、価値基準が民間と同じように﹁経営﹂面で測られるように改革されない限り、公営と民 ︵5︶ 営との基本的な差は縮まらないのではなかろうか。 (2) 企業は﹁何とかして生き残らなければ﹂ー激しい競争の中、行政には原価意識が少ない その二は、右のその一に関連することだが、役所は、民間企業のようにきびしい ていない。いわゆる親方日の丸の中にあるということである。 民問企業では、うかうかしていては競争に負けてしまう。企業もつぶれてしまう。 “競争”という環境の中におかれ ﹁何とかして生き残らなければ﹂
というきびしさの中に常にある。たとえば製品︵商品︶が果たして売れるだろうか。いま売れていても経済情勢や国 民の意識・価値のちょっとした変化で状況はガラッと違ってしまう場合もある。だからほんの僅かな変化や動きにも 鋭敏に反応するし、また、コストを少しでも下げて競争に生き残ろうとする。 これに対して、﹁公﹂の方は、つぶれるという心配がない。競争を意識するということもない。売れるだろうか、 食えなくなるのでは⋮⋮という不安、心配を感ずることもない。配分された予算を使うという感覚だけである。生き 残らなければ⋮⋮というぎびしさがない。安心の上に立った親方日の丸である。 だから﹁効率的経営﹂といっても、頭では分っても肌で感ずるきびしさがないー1この点が﹁公﹂と﹁民﹂の一つ の大きな違いである。 この結果、﹁公﹂には“原価意識”というものが極めて弱い。たとえばごみ収集について直営と民問委託の場合と コストを比較してみると、トン当り前者が一四、五二八円に対し、後者は四、五一三円と、民間は直営のほぼ三分の 一のコストですんでいる。このため、近時、直営から民間委託に切り換えてコストを下げるーそれによって財源を 浮かすという方向がかなりとられてぎているが、これまでは、そもそもこのようなコスト分析、コスト比較すら殆ん どなかった。この仕事には一体どの位原価︵コスト︶がかかっているのか、ということを考えることがそもそも殆ん どなかった。もしこれが自分のカネで自分のふところから出して払うのだったら、こんな三倍も高い買物を平気です るようなことはないだろう。民間企業なら絶えずコストを念頭に置ぎ、少しでも低い方を選ぶ。競争に生ぎ残るため、 きびしいコスト引き下げの努力がなされる。 東洋法学 一五
行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 一六 このことは、金利についてもいえる。役所では、銀行等から借りている資金について﹁一臼金利がいくらになって いるのか﹂という金利コストの意識が殆んどない。そういう意識が非常に弱い。民間では金利の負担を絶えず計算し、 意識している。金利の負担というのは決して馬鹿にならない。場合によっては企業がつぶれる原因ともなりかねない 恐ろしいものだという認識を強く持っている。だから、たえず少しでも金利の低い資金へという配慮をする。﹁公﹂ の場合でも、この点に目を向ければ相当な財源が浮いてくる。たとえば、掛川市では、それまで借りていた高い金利 の金を一たん全部返して安い金利の資金にかえたが、それで一億数千万円という額が浮く結果となった。 さらに﹁人件費コスト﹂という面についても﹁公﹂は非常に意識が薄い。民問企業や、事実上個人で事業している ようなところでは、人一人採用することが経営にどんな大きな負担をもたらすか、その影響の大きさ、その恐ろしさ をよく知っている。だから少しでも人数を減らしコストを下げるーーそれが経営の鉄則である。ところが﹁公﹂の場 合には、最近でこそ幹部の人達の間にそういう認識が少しずつ出てきたが、一般の職員はそんなことは無関心で、平 気で増員要求をする。自分の所管の人員を増やすことが実力のある長だという認識が役所の中にはなお強く残ってい る。﹁少数精鋭で﹂といっても、現実の行動意識はコ人でも多く﹂という方向を指向する。人件費のこわさ.恐ろ しさという意識はまだ殆んどないといえる。 また、﹁公﹂の場合は”時間”という観念が非常に弱い。役所は“ムダな時間”“ムダな仕事”が多いと指摘される。 ﹁仕事の進行管理、目標管理﹂という意識が非常に少ない。遊んでいるわけではないが、何となしに時問が経つ、一 日が終る。民間だとキチッとした目標管理にそって仕事が進められる。もしその通り進まず、ズルズルと仕事がずれ
込むようなことになると、企業はつぶれてしまうだろう。たとえぽ役所では起案文書ひとつ書くのに半日もかけてい る場合もよくある。そして一つの書類に沢山の決裁印を貰うのに半日も一日もかけている。また役所の幹部は連日会 議で追われ、本来の自分の仕事を考える時間もあまりない。会議が充実していればよいが、ムダな会議、ダラダラし た時間の割には中身が少ない会議が多いと指摘される。 このような面に、民間のきびしいコスト感覚、2スト意識が導入され、時間、仕事、そして人員のムダにメスが入 ︵6︶ れられれば、公務員はもっともっと少ない人数でやって行けるということにもなろう。 (3) 伝統的な予算作成方式ー人間的要素に大きな比重 その三は、日本風土の上に立った伝統的な予算作成方式が今臼でもその重ま残っていることである。この点につい, て、宮崎辰雄神戸市長は、昭和五十七年十月、東京で行われた日・米市長、シティマネ⋮ジャー会議に提出したレポ ートの中で行政に科学的管理技法がなかなか導入され難い理由として次のような点をあげている。 ﹁予算制度は本質的には明治以来の伝統的方式を継承しており、各部局課係別の折衝と前年度実績主義が基本とな っている。 また、日本的行政風土、官庁体質によるところの科学的管理技法への拒否反応がある。戦後、日本へのアメリカの 経営管理技法の導入が多くみられ、霞た、行政管理技法としてはPPBS方式、システムアナリシス方式、ゼロベー ス方式などの輸入がみられた。しかし、これらの外来技法は日本的風土に根づくことなく一過性的な流行現象にとど 東洋法 学 一七
行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 一八 まり、立ち枯れになってしまった。その理由は、官庁内部において、人問的要素があまりに大きな比重を占めている からである。地方自治体でいえば、首長の思惑、議会への配慮、各部課へのメンツ、圧力・協力団体への気がねなど、 科学的政策基準にもとづかない決定要素が、現実の予算配分などにあってはより大きな影響力を発揮しているからで ある。﹂ コーディネーターをつとめた自治省公務員第一課長木村仁氏も﹁臼本の地方行政における政治的、行政的風土のた めもあって、高度に理論化された、あるいはデリケートな技法の適用が困難であり、努力の大きさの割には、具体的 な成果が得られないという悩みがある﹂﹁プにグラム・パジェティング、PPBS等の研究、導入の努力が続けられ た。しかし、これらの過度に技巧的な技法は、日本の地方財政にはなじむことがなく、観念上の研究の域を出ること ができなかった﹂。そして﹁これまでのところ、経費削減の主要な実現手段となったのは、むしろ単純な類似団体比 ︵7︶ 較にもとづく、一律削減方式による縮減であった﹂と指摘している。 (4) 民問は決算申心主義!役所は予算申心主義 その四は、さらに民間では﹁決算中心主義﹂であるのに対し、役所は﹁予算中心主義﹂だということである。 民間は、とにかく決算で黒字が出たかどうか、株主にどの位配当できるかどうか、その成果ですべてが評価される。 もちろん、予算というものもあるが、それはあくまでも予定、計画であり、大事なのは決算である。したがって情勢 の変化に応じて予算はたえず変更され機敏な対応が求められる。
ところが﹁公﹂の場合は、予算をいかに取るかに最大の力とエネルギーが注がれる。そしてその結果、決定配分さ れた予算を使うという感覚である。役所の中には昔から”増分主義”という感覚がある。つまり、役所の中では長は 常に仕事を増やし、人もカネ︵予算︶も増やそうとする。それが役所内部でも、また関係団体からも﹁頼もしい課 長﹂と見られる。予算獲得こそが課長の最大に腕を発揮する場である。だから、そこにはスクラップ・アンド・ビル ドとか、不要なもの、不合理なものを裁る、減量するといった発想、認識はなかなかなじみ難い。 また﹁公﹂にも決算はあるし、監査も十分行なわれる。しかし、そこでの視点は﹁納税者のカネを最も効率よく使 っているかどうか﹂﹁非能率、コスト高ではないか﹂﹁もっと少ない人数︵定数減︶でできるのではないか﹂といった ようなことは取り上げられない。予算と決算との対比、前年との対比、不執行があるところの原因追求など全くの事 務的な形だけの監査に終わっている。だから役所の中の職員の姿勢は、予算を取るのに全力をあげても、あとは、そ れを残さないように﹁執行するし﹁使う﹂という姿勢だけになってしまう。そこには、効率よく使う、少しでもコス トを下げる、ムダを裁って財源を浮かすというような発想が出て来ないのである。 (5) やる者が報われないー信賞必罰のシステムがない その五は、いまの役所は﹁やる者が報われるシステムにはなっていない﹂ということ、つまり、やってもやらなく ても同じ、人並みに大過なくやっていれば給与も人事も年功で上がって行くということである。 前述の都市経営総合研究所のアンケート回答でも、職員のやる意欲を殺ぐ要因としては、﹁やる者が報われるシス
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行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 二〇 テムになっていない﹂に六一・二%が﹁そう思う﹂と答えている。適当にやっていても毎年給料は上がるし、年がた てばそれなりのポストにつける状況であれば、むしろやらない方が普通であるという雰囲気になってしまう。 この点、民間のほうはきわめてはっきりしている。やる者、できる者、成果をあげた者は、どしどし人事面でも抜 てきされるし、給与面もそれに対応して大幅に引ぎ上げられる。逆に成果があがらない、成績が落ちれば、容赦なく 降格、降給ということも行なわれる。やる者とやらない者との差がはっきりつけられる。それによって職場全体が活 性化し、戦力が高まる。もちろん、役所でも最近では抜てき人事も行なわれるが、それは全体から見ればほんの一部 であり、またそれは全体のバランスをこわさない程度の範囲内にとどまっている。また、給与はほとんど一律定期昇 給であり、特別昇給が行なわれているところでも、その実態は順番制に近い。そして、﹁信賞必罰がない﹂コ度上が れば降格がない﹂。このため、﹁慣れ、マソネリ化、事なかれ﹂﹁ガツガツして仕事をしている者が馬鹿に見える﹂﹁優 秀な職員がやる気を失くす﹂という傾向を生むようになる。 たとえば、ごみ収集でみると、清掃職員一人一日当りの収集量︵働き量︶は、都市経営総合研究所の調査だと、直 営薩三九三・七トン、民間委託賎八七一・七トンと民間の方が直営より二倍以上︵二・二倍︶多い。つまり、それだ けよく働いているわけだが、なぜこんなに違うのか。それは、民問の方は能率給、能率手当になっているため、少し でも多く働けぽそれだけ自分のふところに入るペイが多くなるからである。これに対し、直営はよく働いても働かな くても皆同じ給与だからどうしても楽な方向へと流れてしまうのだといえる。 もっとも、一般の事務部門の職員の場合には、人が働くのは必ずしも給料とか手当だけで働くわけではない。よく
やっていればいつの日かは昇格するという将来への栄進の期待があるが、ごみ収集などの現業部門の職員には将来の 昇格とか、出世というものがない。したがって目の前に見える給与とか手当の額で人が動かされるというしくみにな ︵8︶ っていないと、効率をあげさせるといっても大変難しい。 (6) 減点主義人事 失敗をおそれる体質 その六は、役所は、﹁失点主義、減点主義人事﹂だということである。新しいことをやったり、何かあった時に、 よくやったとほめられるより、失敗を責められる。だから、失敗しないように、新しいことには手を出さない、常に 従来のやり方という姿勢になる。﹁危険を冒してまで﹂という積極的な姿勢にはならない。先例踏襲、事なかれ、大 過なく、まあまあ主義になる。 都市経営総合研究所が行なった先のアンケート調査によると、五二・四%の人が﹁減点主義人事が公務員の積極性 を失わせている﹂と回答している。すなわち、﹁何か失敗があったかというマイナス点を拾う人事﹂﹁しかも役所とい うところは、一度失点がつくといつまでも消えない。誰も助けてくれない﹂﹁成功してあたり前、失敗すれば責任追 求という失点主義﹂﹁仕事をやってみても“よくやった”という評価がほとんどない﹂など現在のあり方についての 問題が多く指摘されている。そしてこれが、﹁消極性を誘う﹂﹁極度に失敗を恐れる体質﹂﹁事なかれ、大過なく、新 しいことに手を出したがらない﹂という傾向を生んでいる。 この点、民間企業では﹁何をやったか﹂という成果で評価される。新しいことに取り組み、たとえ一つや二つ失敗 東洋法学 輔二
行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 二二 があってもプラスの成果が出てくればその面で評価される。だから常に新しいことに挑戦し、時代の変化、惜勢の変 ︵9︶ 化を先取りしようとする。﹁公﹂には、この挑戦する、チャレンジするという意気込みがなかなか育ち難い。
目財政崩壊の寸前!その危機の実態
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十兆円を超える財源不足の財政構造ーサラ金財政への転落へ
本稿執筆段階︵五十八年一月三十一目︶では、臨調最終答申はまだ出されてないため、これがどういう形のものに なるか予断を許さないが、これまでに出された各部会報告の内容から大幅には変らないとすれば、国民の臨調に寄せ た期待は大きく裏切られたといえよう。泰山鳴動、ねずみ一匹と郷楡する声もあるが、もちろんここで臨調委員はじ め審議にあたられた関係者を批難するつもりでいうのではない。前述のように、中央省庁、国会議員、関係団体の舞 台裏での”抵抗””行革つぶし”がいかに強烈であったかを物語るものであり、﹁実現可能性﹂という枠をはめられた 臨調がその壁を越えられなかったというところにも大きな要因があろう。 しかし、他方、その間にも、一年一年わが国の財政はその危機の度合を一そう強めてきている。五十八年度の予算 では、総額五十兆三、七九六億円のうち、国債発行額が十三兆三千億円だが、このうち赤字国俊は七兆円、前年度三 兆九千億円に比べてほぼ倍増という大幅増である。五十九年度赤字国債脱却という政府公約は完全に崩れただけでなく、一そう深刻さを増した。もっとも、政府では前年度補正後︵五十七年十二月補正︶よりは減っていると強調して はいるが、今年の予算をみると、赤字国債の償還のために当然積み立てなければならない国債整理基金への定率繰り 入れ約一兆四千億円が五十七年度補正予算に続いて停止するという異例異常の措置がとられている。 さらに今年の予算で不健全な要素は税外収入である。前年度に比べて借近い伸び︵五十八年度四兆七、一九六億円、 五十七年度一、〇二八億円︶だが、この中には、補助貨幣回収準備資金の取り崩し︵一兆一千億円︶、自動車損害賠 償責任再保険︵自賠責︶特別会計からの運用益借り入れ︵二千五百六十億円︶、そのほか外国為替資金特別会計の剰 余金繰り入れ︵四千六百億円︶や、たばこの値上げによる専売納付金の増額︵二千億円︶など、いわば実質的には借 金、単年度限りの財源で辻褄があわされている。このようにみてくると、表面上の赤字国債七兆円のほかに、約三兆 四千億円程の、実質的な借金があることになり、あわせれば十兆円を超える財源不足の財政構造だといえよう。 これに加えて、昭和六十年度からは、いよいよ赤字国債の償還がはじまる。国債残高は、五十八年度には百兆円を 超えるが、その利払いを中心とした国債費は五十八年度で八兆二千億円、五十九年度には十兆七千億円、そして六十 年度からは右の赤字国贋︵元本︶の償還がこれに加わるため、国債費は十一兆九千億円、六十一年度には十二兆九千 億円と、毎年約一兆円増というテンポでうなぎのぼりに増こうしてくる。こうした中で、六十年度からの償還財源の 目途もない。その対応として借り換え債の発行でやりくりするとすれば、それは正に借金の返済のために借金をする という、まさに﹁サラ金財政﹂への転落である。 ところが中央も自治体も、まだこの事態をあまり深刻には感じていない。それぽかりか国の側は、政府も国会も中
東洋法学
二三行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 二四 央官僚︵特に大蔵省︶も自分の在任中一年ないし二年間を何とかつくろい、あとは知らないといった無責任な風潮に ある。ー⋮借りられるだけ借り、借金のツケはすべて〃先送り〃という恐ろしい形になってきている。
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財政構造の日・米比較ー蜜本は財政崩壊の寸前へ このことは、昨年︵五十七年︶十月に行われた前述の日・米市長、シティマネージャー会議でも、日本とアメリカ との取り組み方の大きな違いだとして議論を呼んだ。 すなわち、日・米を比較して非常に顕著な違いの第一は、米国ではオイルシ蕊ック後の一九七五年を境に、経済環 境の変化に対応して財政規模はゆるやかな”下降”に転じているのに対し、わが国は依然として“上昇”をたどって いることである。たとえば、米国の場合、州及び地方団体の財政支出が国民総生産に占める割合は、七五年の一五% から八一年にはコニ%︵推定︶へと、下降してきているが、わが国の場合は、国民総生産に対する国の歳出規模は、 七五年の一五%から七九年一八・八%へと依然上昇を続け、また地方歳出規模も七五年の一六・九%から八○年二 〇・一%へと、上昇している。 米国の都市では、七〇年代の中程、カリフォルニア州で起きた納税者の反乱︵提案十三号︶や最近における連邦補 助金の減少など大幅な歳入減に直面したという事清もあるが、この歳入・歳出間に生じた大きなギャップは、今後長 く続く経済環境の変化だという認識の上に立ち、﹁歳入にあわせて歳出を小さくする﹂という﹁下方修正﹂ヘカジを切り替えた。 わが国は依然として高度成長時代の惰性の上に乗っている。行政改革が叫ぽれながら、いまだに切り替えが行なわ れていない。五十八年度は、やっと一般歳出ははじめて伸び率ゼ・︵正確には五億円減︶の形がとられたが、歳出と 実質歳入との問には前述のように十兆円以上のギャップがある。したがって、本来なら前年度比大幅なマイナス予算 でなけれぽならないのにそこに踏み込まれていない。歳入がないのに、赤字国債や借入金によって歳出だけ年々増加 させ続けている。借金といういわば厚カラ財源”の上に乗っかった規模拡大その継続である。 臼・米会議の最終日、連邦政府のシャノン博士が爲本だけが雪だるま式に借金財政で規模を膨張さ壁ていることに ついて、地震の例をあげて重大な警告を発したのが印象的だった。﹁地震の時には小さなゆれの問に少しずつ調節し ておけばよいが、それがなされないまま大きな地震がくると、その時、全体が一度にガタッと崩壊する﹂と。 経済構造が大きく変わったのだから、本来ならそれにあわせて歳出を大幅にカットして調節すべきなのに、これま での対応はそれを避け、傷口を年とともに大きくさせてきた。表面はつくろっても、その下側で病状はいっそう悪化 している。ちょっとの“ゆれ々で財政は崩壊しかねないその寸前にある。シャノン博士ならずとも、いまわが国で多 くの識者がこのことに非常な不安を抱いている。政府はこの警告に真剣に耳を傾け、直ちにカジを大きく下方へ切り ︵鉛︶ 替えないと、日本の財政は取り返しのつかない手遅れになる恐れがあろう。
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二五行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 二六
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大型間接税の導入で危機は救われるか
なお、このような危機的な事態から脱却するため、今年予想される総選挙の後、昭和五十九年度には、税の直間比 率の見直し、大型間接税︵一般消費税︶の導入が大蔵省をはじめ政府、自民党では考えているようであるが、かりに このような増税が実現すれば財政危機は一挙に解消するだろうか。それは、一般消費税の規模をどのようにするかに よってすっかり変わってくるが、一応、四ー五兆円程度が限度だとすると、それと同時に所得税減税を二兆円程せざる を得ないであろうから、差引二、三兆円位しか残らない。前述のように実質的な不足財源が十兆円前後あるとすれば、 やはり、歳出面で七、八兆円切り込まなければ歳入、歳出のバランスはとれない。しかも、先に見たように国債費が 一年に約一兆円ずつ増えて行くとすれば、現在の国民へのサービスを維持するとすればそれだけ実質的な不足財源が 年々増こうして行くことになる。このような状況からみる限り、かりに大型新税が導入されたとしても、今よりさら にきびしい大幅な歳出カット行政改革が断行されなければならないことは明白である。いまわが国は、財政破産の断 崖の上に立たされ、好むと好まざるとにかかわらずきびしい行政改革が迫られている。 目 今後の行政改革の方向と課題⋮﹁地方分権﹂と﹁生産性向上システム﹂を中心にさて、今後、真の行政改革を実現するには、単に目前の歳出カヅト、すぐカネになるものを裁って減量するという ことだけでなく、もっと基本的にシステムそのものにメスを入れ、構造的に”減量””小さな政府”になるように改 造して行くことが極めて大切である・ 前述の日・米市長、シティマネージャー会議の五日目、神戸で最後のとりまとめ総括討議が行なわれた。その中で、 豆・ハンフリー公共間題研究所のコルデリー博士は、緊縮財政には﹁目前の応急の減量﹂と﹁長期的対応策﹂とがあ るが、大事なのは後者だ。単に当面の財政圧縮だけでなくシステム的に減量になる形に改めることに重点がおかれる べきだ、と提言し注目を呼んだ。わが国の場合、システム面からの減量としては外部委託、機械化等によるコストダ ゥンが、自治体ではかなり進んでいる︵国は遅れている︶が、しかし①能率給、成績主義の導入によって生産性の向 上をはかる︵コストを低下させる︶とか、②国庫補助金や権限の集中で大きくなり過ぎた中央省庁やその出先機関を 大幅に縮小し︵頭を小さくし︶、それによって目本の行政全体を﹁小さな政府﹂にするとか③3K赤字の中のたとえ ば医療費も、出来高払制をやめて医療費の抑制が自動的にはかれるようなシステムに改革するとか等、重要なシステ ム面の改革はほとんど手がつけられていない。 そこで、以下には右のうち①及び②を中心に今後のあり方をみてみたい。 東 洋 法 学 二七
行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 二八
一 地方分権システムヘの改革を
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地方分権の必要性ー中央集権より何故効率的なのか 第一は、国と地方とを通じてみた場合、﹁地方分権﹂のシステムにすることが、買本の行政全体を最も﹁小さな政 府﹂にすることだということである。﹁国から地方へ﹂﹁住民から遠いところから近いところへ﹂﹁頭を小さく足腰を 強く﹂ということを是非ともその中心に据えなければならない。その理由として、次の点があげられよう。 ω 多重構造を醐重構造へ、う回路できるだけ排除を まずその一は今の日本の行政機構は、﹁中央“分権”地方”集権”﹂といわれるように、中央がいくつにもタテ割り に分断され、これを総合化するのが地方になっている。そして国、国出先機関、府県、府県出先機関、市町村という 三重、四重の多重構造になり、何千何百という国庫補助金がこの段階を通って下りてくる。したがって、最初から、 実際に仕事をする自治体に一般財源として渡す、つまり、一重構造にすればその上で補助金を配るために座っている 国やその出先機関の多くの公務員は、大半要らなくなる。極めてスッキリする。これこそが、最も重要な行政改革の 柱とされなければならない。すなわち、現在、わが国の行政は全体の七五%が地方で行なわれている︵税金の七五%が地方で使われている︶が、 これを税金を納める納税者の側からみると、地方へ直接納めるのは三割余り、あと七割近くは国税として税務署に納 められ、それが国の予算に計上され、そこから中央各省庁へ、そして地方へ国庫補助金として配分される仕組みにな っている。 つまり、﹁納税者の納めた税金﹂←﹁税務署﹂←﹁国の予算﹂←﹁各省庁の国庫補助金﹂専﹁同出先機関﹂←﹁県﹂ ←﹁市町村﹂という順序で、ぐるっと大変なう回をして、最後に実際に仕事をする自治体に届くという形になってい る。しかも、この経路の中間の中央省庁や、その出先機関には膨大な国家公務員がはりつぎ、そこで国庫補助金の配 分やチェックが行われている。したがって、このようなまわりくどいう回経路を改め、﹁国民の納めた税金﹂が直接、 ﹁県﹂﹁市町村﹂へ流れるよう国庫補助金をやめ、それを地方税、地方交付税に振り替える、つまり﹁仕事をしないと ころ﹂︵中央省庁とその出先︶はカットし、﹁仕事をするところ﹂︵自治体︶にカネを直接渡すようにすれぽ、そのう ︵雄︶ 回経路上にある国家公務員やその組織は、おそらく今の半分以下ですむことになろう。 (2) 地方の方が効率運営が行われやすい 中央ではそういう発想が生れない その二は、地方は常に住民監視の中にあるため、行政の効率的運営、ムダの少ない行政が、国よりずっと行なわれ やすいということである。この点、住民から遠い中央省庁には、そういう意識はなかなか生豪れない。今回の臨時行 政調査会に対しても、中央各省庁の姿勢は、前述のようにいかにして自己省庁を行革から守るか、防ぐかということ
東洋法学
二九行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 三〇 である。中央各省庁のタテ割り、縄張り意識はまことに熾烈なものがある。少しでも自己省庁の領域を拡大するとい うのが各省庁幹部にとっては最大の使命である。各省庁一律減量ならやむを得ない︵大義名分がたつ︶が自分の省庁 だけとなると徹底的に反対、“行革つぶし々にまわる。 ところが地方の方は、財政が窮迫しはじめた昭和五十年頃からいち早く自発的に定数削減、民間委託、事務事業の 総点検などに取り組んできた。それは﹁財源がない中でも何とか住民のために仕事を進めたい。そのためには、ム ダ・非能率を見直してそこから新しい財源を生み出そう﹂という姿勢だったのである。住民に近いだけに自らの減 量・行革は、直ちに住民への新たなサ1ビスとなって成果があらわれてくる。﹁国は臨時行政調査会という機関を設 けて、外部から言って貰わなければ何ひとつ改革できないが、自治体はこのような外部の機関に頼らず、自らの力で 行政改革を進めてきている﹂豊橋の青木市長がこう指摘するように、かなりの自治体がすでに﹁行政改革﹂という言 葉は使わなかったが、すでにいろんな減量に取り組んできている。 たとえば、昭和五十年以降でみれぽ、”定数削減”では、宮城県が知事部局で四〇〇人︵知事部局全体の六%︶減、 大阪府が八八六人︵同七・三%︶減、石川県が二七五人︵同六・二%︶減、奈良県二四六人︵同六・二%︶減をはじ め、新潟県六一五人︵同四・四%︶減、福岡県三一六人︵同三・二%︶減など、職員組合の反対の中でよく断行して きている。また岡山県も五十六年度から三ヵ年計画で一二一人︵同三%︶の定数削減に着手している。 また、市では五十年以降、函館市が総定員の一割、二八六人の定数削減、山口市が同じく一〇%の二一〇人減、長 野市一五〇人︵七%︶減、鹿児島市一六五人︵四・六%︶減、行田市四一人︵六・五%︶減、館山市五一人︵九%︶
の減などを実施している。このほか、民問委託の面でみても、国は、庁用車の運転手や電話業務なども組合の反発で 各省庁間のタテ割り機構などで一向に進んでいないのに対し、地方はすでに一歩も二歩も先んじ、ごみ収集、学校給 ︵鎗︶ 食をはじめ、保育所の公設民営なども手がけてきている。 ⑥ 国民の意識、価値感の変化、わが国行政の重点、課題が地方に移る その三は、よく、中央集権の方が効率的だという人がいるが、今はもう時代が変わってきている。戦後、どん底ま で落ち込んだ臼本が経済、輸出を伸ばし、アメリカに追いつこうというこれまでの高度成長時代であれぽ、まだ三 点集中型”の“中央集権体制”が望ましかったともいえるがすでに時代は変ってきた。安定成長に入るとともに、国 民の意識、価値観がもっと身近かな生活や環境を大事にしよう、そして都市づくり、まちづくり、コミュニティづく りなどが、新しい重要な課題となってきた。こうなってくるとこれを進める主役はもはや国ではない。住民に身近か な自治体、とくに市町村が主役になる。そうだとすれば、実際に仕事をする自治体に最初からカネや権限を渡して、 それぞれの地域にあった行政をやって貰う﹁地方分権﹂の方がずっと効率的だということになる。 ㈲ 地方現場を知らない中央省庁 地方にムダや非能率をもたらす その四は、このような大きな状況変化の中で地方現場から遠い東京霞ケ関にいる中央省庁の人達は、次第にモノが 分らなくなってきているということである。現揚や実態を知らない人達が、中央で余計な干渉、関与をするから地方
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三一行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 三二 にはそのために大変な非能率やムダを生じている。これを住民に近い地方にまかせれば、国民の税金はもっとムダな く有効に使えるということである。 昨年︵昭和五十七年六月︶、私の都市経営総合研究所において、全国自治体の管理職及び中間管理職二二七名︵府 県三三名、市区町村一〇四名︶の方々に﹁地方からみた中央省庁役人﹂についてアンケート回答を戴いたが、それに ょると﹁表面だけしか知らない、非現実的で融通性なし﹂﹁権威主義的、形式主義﹂﹁住民に身近かな行政に関しては 地方が創造とチエ、アイデア、自らの発想で新しい政策をつくり出すようになってぎた。中央主導から地方主導にな ってきた﹂についていずれも﹁そう思う﹂とほぼ半数の人が回答している。︵そう思う⋮⋮四八・一%、そう思わな い・:⋮二四・八%、最近はかなり改善されてきた⋮⋮二七・一%︶。 すなわち、中央省庁役人の姿勢については ○地方の実情をは握し、地方の意見を充分検討するなどがない。機械的な予算配分、責任のがれ。 ○補助金行政に権力的態度が濃厚、下級職員に特にいえる。 oたしかに法律解釈に強い。また、考え方も全国レベルで判断するため視野も広い。しかし、その結果、平均的な 結論しか見出せず、それぞれ地方公共団体のもつ特異性については配慮されていない。むしろ、そこに問題を発 生させる要因がありその点についてはふれようとしない。 したがって、その指導も形式的、非現実的としかいえないところがある。 ○新しい仕事に取り組む場合、アツレキが多い。︵従来からの仕事の場合適切な指導がある︶
○行革には反するような考え方で、今もって、融通性が欠如している。資料請求一つにしても、一度でまにあうも のを何度も要求したり、形にはまった形式を重んじて、非現実的である。地方を知らなすぎる。 ○﹁えらいんだ﹂という感じがにじみ出ていて、いざ仕事となると形式を重んじている。 などの指摘がなされている。 目讐讐”=雛=訟一議篠==漏=鼠=需鳳罵=篇==富需=縣認認=ロ=質 地方からみた中央省庁役人 ︵都市経営総合研究所アンケート園答より︶ ︻醤識巽巽醤=諏=巽==[醤雷篇悶==鴛2累=舞鴛二=鴬鴛霞篇㌶需=恥 一 冊 − 謄 は ヤノ α 表面だけしか知らない、非現実的で融通性なし、通り一 ぺんのタテマエ論、法律解釈だけ、現実と遊離、指導助言 はあまり期待できない ○そう思う⋮:⋮⋮⋮⋮:・:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮・四八・一% ○そう思わない⋮⋮⋮⋮⋮⋮・・⋮⋮:⋮⋮⋮⋮・・二四9八% また、このアンケート回答によると、﹁地方からみた国の出先機関職員﹂ 的に落ちる﹂﹁マンネリ化、無気力、人があまっている﹂﹁直接住民と接していないので地方の実態を知らない、 っていない﹂﹁権力的な発言、いばり型﹂﹁指導助言は全くない、 う﹂の回答が一位を占めている。 主な意見としては、 o顔は常に中央を見ている。目的、内容よりもタテマエ論、書類の審査機関。
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三三 ○最近はかなり改善されてきた⋮⋮⋮⋮⋮⋮5卿二七・一% ㎜ ○そう思う⋮:⋮:⋮⋮⋮・⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・ゆ⋮⋮五四・八勿 ﹃ ○そう思わない⋮⋮:⋮⋮⋮・D:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・・⊥七・五弩⋮ ○最近はかなり改革書されてぎた⋮⋮⋮⋮:⋮⋮9二七・七% ︸ ︸ については、﹁実力のない上級官庁、能力 わか 何も期待できないか﹂についていずれも﹁そう思 ︶ 権威主義的、形式主義 ︸2
(行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 三四 〇マンネリ化、形式的。 ○国の出先は本省の意見を尊重しすぎて地方の実態を本省に訴え、地方自治体を保護する立場に欠けている。 ○本省の行政指針で行政を行なうことは理解できるが、あまりにも弾力性にとぼしい。 ○福岡・熊本の局に伺いをたてねば速答致しかねるが多過ぎる上、指示の内容がくらくら変わって、直ちに実行が 出来ない。法令にくらい。 そして、 oあまり意欲のある職員がいない。 o本省にくらべて意欲、実力の劣ることは事実である。権限配分、人事配置がこのような落差を招いているのでは なかろうか。 ○総じて言えば、国の出先機関で必要を感じるものは全くない︵郵便局位のものか︶。なくても、現実の行政には、 何ら支障なし。 〇一日も早い廃止を望む。 ︵13︶ などである。
二讐扁==讐灘===︸=欄讐竃=鴨=嵩篇羅一蕊=讐謄====巽工扁====二=蹴= 地方からみた国の出先機関職員 饗=篇濡=皿楠=需==質嵩==雲讐=巽=二需====二窒寓冨=扁二=器閏雲薫=瓢 ω 国の出先機関は実力のない上級宮庁、能力的に落ちる、 劣等意識が強い、本省の鼻息ばかり ○そう思う⋮⋮:⋮⋮:⋮・⋮⋮:⋮⋮⋮⋮・⋮::五六・九% ○そう思わない⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・:二七・六% ○最近はかなり改善されてぎた⋮⋮⋮⋮⋮⋮・:一五・五勿 ω 国の出先機関職員はマソネリ化、無気力、人があまって いる、のんびりしている ○そう思う⋮:⋮:⋮⋮⋮・:⋮⋮⋮⋮⋮⋮◎曹⋮⋮六一・九% ○そう思わない⋮⋮⋮⋮⋮⋮・:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・・二八・六% ○最近はかなり改善されてきた⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⊥九・五% ⑥ 直接住民と接していないので、地方の実態を知らない、 わかっていない、問題を理解していない ○そう思う⋮⋮⋮::⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮6⋮⋮六二・八% ︵都市経営総合研究所アンケート回答より︶ ○そう思わない⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮⋮噸一四二% ○最近はかなり改善されてきた⋮・⋮⋮⋮⋮⋮弓騨二三・一% 出しているのは国だという態度 0そう思う⋮⋮⋮:⋮⋮:・⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮・四二・四% ○そう思わない⋮⋮⋮⋮⋮⋮・・⋮⋮⋮:⋮⋮⋮・・二二・○% ○最近はかなり改善されてきた・⋮⋮⋮⋮⋮⋮・・三五・六% い ○そう思う⋮⋮⋮⋮⋮⋮殴⋮⋮⋮:⋮⋮⋮・⋮⋮内五・八% ○そう思わない⋮⋮⋮⋮⋮・⋮・:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・・三〇・五% ○最近はかなり改善されてきた⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮二三・七% ﹀ 権力的な発言、いばり型、横柄、地方をいじめる、金を
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( ︶ 国の出先機関から指導助言は全くない、何も期待できな5
( 角 さらに、都市経営総合研究所が、全国自治体幹部職員一八四名を対象に昭和五十五年に行なったアンケート調査に よると、﹁最近の新しい行政課題の取り組みにあたって、どこにその指針、指導を求めるか﹂との質間に対し、約八 五%の人が﹁先進自治体に﹂﹁自治体内部に﹂﹁市民参加の中に﹂と答え、﹁国や府県に﹂求めるという回答は一五% にも満たなかった。“チニ”の面では、もはや中央に聞いても答えては貰えない、頼りにならない、結局、地方の人東洋法学
三五行革を阻むわが国政治行政の内部体質構造 三六 達が﹁自分達で﹂考えて進まなければならないーそういう意識と現実がはっきりと出ている。 今目、新しい行政課題に直面し、地方は﹁自ら考え﹂、それぞれの地域にあった新しい政策を﹁自ら創り出す﹂。国 から示されたものでなく、自らの創意工夫で独自行政を生み出すその情報をお互いに交換し、学びあうという方向が ︵廻︶ 急速に広がってきた。 このような状況からみても、これからの住民に身近かな行政は、現場を知らない中央でなく、現場を一番よく知っ ている地方にまかせる⋮ということが、国民の税金を最も効率的に使うという観点からみても基本的な方向だとい わねばなるまい。 (5) ︻般国民やマスコミからの“地方分権”支持の声 ところでこのような考えは、単に自治体関係者だけからでなく、実は、一般国民やマスマミ方面からも、最近、驚 くほど強く出されてきている。私が、その作成に一員として参画した﹁行政改革推進国民運動会議﹂の提言︵五十六 年六月︶でも﹁簡素で効率的な政府は、住民から距離の遠い国の機構よりは、住民に最も近い自治体の方がはるかに サービスが行き届く﹂として﹁地方分権の推進﹂を、今次行革の大きな柱として掲げている。また、サンケイ新聞論 説委員の千田恒氏︵第二臨調第二特別部会参与︶も﹁国民健康保険の負担などを国が地方に押しつけてくるなら、む しろそれを逆手にとって、この際、地方にその権限を取り込む、その位の積極的な姿勢に出たらどうか︵もっとも ﹁国保﹂は、材料としてはよくないが︶﹂とも言われ、また、﹁補助金と政権党﹂を書いた朝日新聞の広瀬道貞氏も最