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円了随筆 利用統計を見る

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全文

(1)

円了随筆

著者名(日)

井上 円了

雑誌名

井上円了選集

24

ページ

67-125

発行年

2004-01-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00004661/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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甫水井上圓了蓮

哲學館鷲行

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羨驚鱒翼了随・華 シr 甫 水、 井上 薗、了、遠続﹁     ︷,、、竺⑭藩人の気賀、、、・、、照誇・し講審、滋、、、認毒拙、 ぷ竺憤に澱康人の類質を櫻の詫梶比し㎡傷痴和膓大縄漬が溺、

難鞭澱鰹ぽぷ鱒難麸蔽⑭慧パ鞘禦

葦麟欝鷲纏鎚舗騒ぽ難灘贈繋嚇欝麟欝・

ぷ聾騨霧漂咋識難㌢・ぷ殆・ど芝葦膓ぷブ

 闘蕊.灘婬濱ぱポの逮ゑ鱗の菟滋衷る懸榔き有蕎ぷき≦灘灘壌灘Wぎ 、6繍蹴、客借姦は、煩︷し毒柁を垢禦る勢為6愚﹁ご一・乏縛路 (巻頭) 4.刊行年月日  初版:明治34年2月12日 5.表記  漢字仮名交じり文 6.句読点  あり 7.発行所  哲学館 1.冊数

 1冊

2.サイズ(タテ×ヨコ) 188×128mm 3.ページ  総数:109  序 :〔2〕  目次:11

 本文:96

購凝擁欝籏尊繭顧騨

隆妻紫鐘確橿ぷ憲⋮ぽ糊ぷ、

        ㌶頓:扇漁嘉

欝鍵騨麟饗鐵譲鴨,

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 余は毎年紀元節を期し、哲学館および京北中学校生徒を集めて祝賀会を開き、その余興として席上福引きを行 い、当日自ら編述せる書類をわかつを常例となせり。よって、本年はいかなるものを福引きに備えんかを思い、 いまだその工夫を得ざりしが、たまたま除夕より風邪にかかり、新年三日の間、一室に閉居して賀客に接せず。 臥床中、退屈のあまり、己の記憶に浮かびたる事ども、意に任せ口に説き人をして筆記せしめたるに、その談片 たちまち百二十余項に及べり。  これを題して﹃円了随筆﹄と名づけ、もって本年の福引きに備え、かつ世間の望みの者に配付することとな す。ゆえにその録するところ、卑浅雑駁、秩序を立てず彙類を設けず、ために大方の笑いを招くは必然なりとい えども、新年の遊びに年少の学生が碁をもてあそびカルタを弄するに比すれば、これをして一夕の余間を本書に 費やさしむるもあえて無益にあらざるを信じ、ここにそのまま印刷に付するに至る。自ら一言を題すること、か くのごとし。 円了随筆 明治三十四年一月五日 67

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円了随筆

       ︵一︶ 日本人の気質  古来一般に日本人の気質を桜の花に比し、﹁敷島の大和心を人間はぶ、朝日ににほふ山桜花﹂と詠じたるがご ときは、よく日本人の心を写したるものといいて可なり。しかれども、これ日本人を教育するには適せざる警喩 なり。その故は、元来日本人の特質は、性急にして一時を競うにありて、その短所は忍耐に乏しく辛抱し難きに あり。ゆえに、その気のひとたび時事に感激するや、あたかも怒浪狂瀾のごとく迅雷烈風のごとく、ほとんど当 たるべからざる勢いありて、一時の後は火の消え風の死したるがごときありさまなり。これ、すなわち桜の花の 満開に当たりては、燗々として百花を圧倒する勢いあるも、一、二日を経過し去らば、たちまち落花泥に和し て、枝頭庸然たるものに似たり。もし、この花をもって人心を教化しきたらば、ますます性急的気質、流行的気 風を増長する恐れあり。ゆえに、もしこの弊を防がんと欲せば、桜花の代わりに梅花を用うるをよしとす。梅花 は桜花のごとき一時の盛色なきも、よく寒を破り雪をおかして百花にさきだちて開き、しかも長く花期を有する ものなれば、花中の最も忍耐辛抱の力に富むものというべし。今後、もしこの花をして日本人を感化しきたら ば、いくぶんかその気質の短を補い、欠くる所をみたすことを得べしと信ず。        ︵二︶ 精神一到何事不レ成︵精神一到何事か成らざらん︶  余、先年欧米を一巡して帰り、哲学館拡張の旨趣を天下に発表するや、勝海舟翁これを聞き、人を介して余に

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円了随筆 面会を求めらる。余、速やかにその庭にはしり、もって教えを請う。翁曰く、﹁哲学館の主義は大賛成なり。よ ろしく精神一到をもってその成功を期すべし。世の青年輩、往々精神一到を試むることあるも、一年ないし三年 にして成功を見ざるときは、たちまち精神をくじきて事業を中止するに至る。古人のいわゆる﹃精神一到﹄の語 は、一年や二年にして成るというにあらず。けだし、その成功に年月を示さざるは、無限の義を含むなり。すな わち精神一到すれば、無限の歳月の間には必ず成るをいう。君もその心得にて哲学館の目的に従事すべし﹂と。       ふくよう 余、謹みてその教えを服膚して今日に至る。海舟翁は実に余が精神上の師なり。        ︵三︶ 堂々たる男子  余、先年九州を巡遊して小倉︹現・北九州市︺に至る。小倉は蓮門教の本部のある所にして、その教祖を島村み つという。その本籍は長州︹山口県︺豊浦郡にあるも、維新以前より小倉藩士某の家に使いて下碑となり、元来教 育なく文字なきものなりしが、明治四年より自ら天啓を得たりと称し、蓮門教を開設し、爾来二十年を出でずし て、数百万の信徒を得、数十万の資産を積むに至るという。余これを聞き、その教義は世のいわゆる淫祀の類に して、愚民の迷信を買うに過ぎずといえども、微賎愚昧の一女子にして、数年の間にかかる成功を見るは、実に 驚くべき一事なり。女子すでにかくのごとし、いわんや堂々たる男子をや。もし男子にして奮起すれば、なんぞ 事の成らざる理あらん。余ここにおいて、ますます己の意志を強くするを得たり。        ︵四︶ 民間の事業  余、比叡山に登るに、終日山にありて一人の参詣するものあるを見ず。しかるに高野山に至るに、毎日登山の 人群れを成す。︹比︺叡山はその地京都に近く、︹高︺野山は遠く僻地にあり。しかして人の参集の度、かくのごと 69

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く異なるはなんぞや。これ、その山を開きたる祖師の遺徳の、民間に及ぶと及ばざるとによらずんばあらず。そ れ︹比︺叡山は伝教大師︹最澄︺の開くところ、︹高︺野山は弘法大師︹空海︺の開くところにして、この両大師は前後 ほとんどその時を同じくして世にあり。かつ、ともに非凡の豪傑なりといえども、伝教大師は高く君側に侍して 民間に下らず、弘法大師は天下を周遊して、もっぱら下民の教化に力を尽くせり。故をもって、伝教の徳は人こ れを知らず、弘法の恩は今日に至りて忘るるものなし。今、余のごときはもとよりその才学といい性行といい、 この両師の百分の一にも及ばずといえども、余が願うところは、伝教よりも弘法を学ばんと欲するなり。        ︵五︶ 大石よく逆流にさかのぼる  信州︹長野県︺は山国にして、渓谷の間激流多し。余ここに遊びて、大石の渓流の中央に立つを見たり。よって 同行者を顧みて、﹁いかなる激流もこの大石を動かすことあたわざるべし﹂とたずねたるに、その者曰く、﹁この 大石は過般の大水に、一町ばかり動きて上流にさかのぼれり﹂と。余怪しみて、﹁これ、おそらくは君の失言に して、その石必ず下流にくだりたるならん﹂と問うに、当人曰く、﹁しからず。小石は大水のために下流にくだ り、大石は上流にさかのぼるを常とす。しかしてそのしかるゆえんは、いかなる激流も、その力到底大石を動か すを得ず。故をもって、水かえってこれに激し、その石の前面にある土を洗い去りて、自然に水底に穴をうが ち、石をして自ら上流に向かいて転ぜしむるに至る。かくのごとくすること再三再四にして、ようやくその位置 を上流数十間の所に移すに至ればなり﹂と。余、大いにこれに感じ、これひとり大石のみしかるにあらず、世の いわゆる豪傑はみなかくのごときを知る。よって、自ら格言を作りて曰く、   大石能瀕二逆流ハ大人能潮二逆運↓ 70

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円了随筆   ︵大石はよく逆流をさかのぼり、立派な人物はよく逆運をのりこえる。︶  人にしてよく逆流にさかのぼるものは、実に非凡の豪傑なりと知るべし。        ︵六︶ 古人の格言  古人の格言は、よく人の精神を固むるに力あり。ゆえに余は平素、己の模範とすべき格言を座右に録して、失 意のとき反復口吟、もって己の心を慰むるを習慣とす。今、左にその二、三を挙ぐれば、    ハ ニ      ノ         ク ス   ノ   成功毎在二随窮日べ敗事多存得意時。   ︵成功はいつも困窮の時にこそあり、失敗は多く得意の時にありとこころえよ。︶

    レハニレ レハマ

  一木出レ林為レ風見レ折、独行秀出為レ衆見レ拒。   ︵林より伐り出された木は一本では風に折られるほど弱くなり、ひとり他よりぬき出た人は衆人にはばまれ   るものである。︶

     ハニシテ ハシ

  事業之根則苦 而其果則甘 。   ︵事業の根本にあるものは苦いものであるが、その果実は甘いものである。︶    レハ      レハ   歳不レ寒無三以知二松柏ハ事不レ難無三以知二君子↓   ︵寒くない年では他の葉が茂って松柏の緑はまぎれてわからないもの、事柄がやさしいときには才能すぐれ   た人物はわからないものである。︶      ニハ     セシメ    ヲ   勤労之家不レ住二餓鬼↓   ︵勤労につとめる家には餓鬼は住みつかぬものである。︶ 71

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   ハ ハル     ニ   勤松彰二於歳寒↓   ︵すごやかな松は他の木の葉が落ちた冬枯れになって、はっきり見えるものである。︶     レハ       ヒ      レハ       ス   日月欲レ明浮雲蔽レ之、河水欲レ清沙土稼レ之。   ︵日月の明るさは浮き雲が光をさえぎったおかげでより明るさを感じさせ、河水の清さは土砂がにごらせて   こそ清らかさを感じさせる。︶      ハ テ      シテ   舜萬周孔生無二一日之歓べ死有二万世之名↓   ︵中国古代の聖人である舜・萬・周公旦・孔子は、生きているうちは一日としてたのしむことなく努力し、   死んでのち万世にその名を残したのである。︶  以上の類なり。そのほか陶淵明の五絶も、また大いに味わうべきものなり。

       ニスヲシヲヲ

  青松在二東園↓衆草没二其姿べ凝霜珍二異類べ卓然見二高枝↓   ︵青々とした松が東園に根をおろしているが、多くの草にその姿は埋もれて目立たない。しかしながら、霜   がおりて草々をしおれつくしたとき、松はひとりぬきでて高い枝をあらわすのである。︶        ︵七︶ 孟子の語  孟子はシナの大賢なり。その遺書七編中、後進の服膚すべき金言すくなからず。なかんずく余が平常深く心頭 に銘じて、一刻も忘れざるものは左の一節なり。すなわち、   天将レ降一一大任於是人︼也、必先苦二其心思ハ労二其筋骨べ餓二其体膚ハ空二乏其身︵行佛二乱其所ジ為、所三以忍レ   性動レ心曾二益其所ラ不レ能。 72

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円了随筆   ︵天が重大な任務をこれと思われる人物に与えようとするときには、必ずまずその人の精神を苦しめ、その   筋骨を疲れさせ、その肉体を餓えさせ、その行動を失敗させ、そのなさんとするところを食い違うようにさ   せるものである。それは天がその人が辛抱強くなり、発憤して、いままでよくできなかったところをできる   ようにするためのものである。︶  余が独力哲学館を創立してより、既設の校舎ひとたびは暴風のために転覆せられ、ひとたびは火災のために烏 有に帰し、僅々十年の間に三度まで校舎を建築せしも、余が精神にありて、一災は一災よりその勇を喚起し、毫 も宿志を動かさざるを得たりしは、その心ひそかに孟子の遺戒を想起し、天の余を試むるものなるを信ずればな り。        ︵八︶ 碁の秘法  余、幼より碁を好み、たまたま寸暇あれば、友人をいざないて黒白を闘わすをもって楽とせり。長じて後、な お碁を弄してやまざりしが、一日碁客を訪い、﹁碁の上手と下手とはいずれの点にありや﹂とたずねたるに、碁 客曰く、﹁ただ、無益の石を打つと打たざるとにあり。初段以上の碁は一石といえども四方に関係を有し、その 重さ実に千鈎なり﹂と。余これを聞きて、自ら碁の秘法を得たりと思い、その日より断然囲碁の遊びを廃し、ま た人と碁を論ぜず、むしろ社会の局面に対してこの秘法を実行するにしかずと考え、爾来一挙手一動足、必ず無 益の労をとらざらんことに注意せり。余、このことを友人に語りしに、友人曰く、﹁昔、北条早雲は人をして兵       しゆうらん 書を講ぜしめ、﹃兵の要は英雄の心を収撹するにあり﹄との一語を聞き、﹃われ、すでにその要を得たり﹄とい いて、また兵書を講ぜしめざりしと聞く。君の廃碁も早雲に似たるところあり﹂と。余、はからずも過分の賛辞 73

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を得たり。        ︵九︶ 哲学と国家  人あり、余に問いて曰く、﹁哲学はよく国を興すことを得るや。﹂余曰く、﹁哲学の国家におけるは、他の諸学 の国家におけるがごとし。しかして他の諸学は、国のひとたびほろびたる後、なおこれをしてほろびざらしむる ことあたわざるも、哲学はしからず。亡国の後、永くその名を不朽に伝うることを得。例えばギリシアのごと し。その国二千年の昔に滅亡せしも、その哲学は依然として今日に生存し、これと同時にその国名も世界の歴史 に赫々たるを得たり。﹂        ︵一〇︶ 哲学的の詩  ある人、余に、古人の詩中に哲学思想を含むものあらば教示せられんことをもとむ。余曰く、﹁詩は多く風景 を詠ずるを常とし、哲学風の理屈張りたるもの、はなはだすくなし。ただ余が記憶せる中にては、左の詩など は、哲学の趣向を含むものといいて可ならんか。   含レ荘洞二理化ハ渉レ老達二虚無べ玄珠握中照、道心益括愉。   ︵荘子の学を含味して万物の原理と変化をさとり、老子の学を渉猟して虚無の理に通ず。道の本体は手のう   ちにかがやき、道を求める心はますます安らかで楽しい。︶  これ、姜玄仲の﹁秋夜読書﹂と題する五絶なるが、余が平素愛吟するところなり。﹂       ︵一一︶ 理屈を述べたる詩  詩はすべて人の想像を描きて理屈に走らざるを常とするも、往々理屈を述べ立てたる詩あり。その一例は白居 74

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円了随筆 易の老子を評したる詩なり。すなわち、   言者不レ知知者黙、此語吾聞二於老君ハ若道二老君是知者ハ縁レ何自著五千文。   ︵言う者は知らず、知る者はしゃべらない。この語を私は老子の書で知ったが、もし老子を知る者というな   らば、いったい老子は何によって五千言の書を著したのであろうか。︶  この詩のごときは論理をもって貫きたるものにして、論理学の推論式に組み立つることを得べし。        ︵一二︶ 霊魂問答  余一日、鳥尾︹小弥太︺子爵を訪う。子爵曰く、﹁過日、三宅︵雄二郎︶氏来たりて、﹃霊魂はいかなるものなり や﹄の尋問ありたれば、余﹃まず君の意見を聞きてのち答うべし。君は霊魂を知るやいなや。﹄三宅氏曰く、 ﹃余、もとよりこれを知らず。ゆえに問う﹄と。﹃果たしてしからば、余は霊魂を知るをもって君に教えん。それ 霊魂は、その体三角なり﹄と。三宅氏難詰して曰く、﹃霊魂の体、三角なるべからず﹄と。余曰く、﹃君の言、は なはだ怪しむべし。余、はじめに意見をたしかめたるに、君は知らずといい、余は知るという。そのよく知るも のより三角なりと教えたるに、毛末も知らざるものが、いずくんそしからずというを得んや。未知者はただ、既 知者の言に従うよりほかなかるべし。西洋論理といえども、必ず君の詰問の不合理的なるを認めん。東西あに二 様の論理あらんや﹄と。三宅氏黙然たり﹂と。これ子爵の一話にして、鳥尾家の論法なり。よろしく論理学の一 例に加えて可ならん。        ︵=二︶ 幽霊は見るべからず  余が大学在学中、故ありて神原精二翁に面会せり。翁語りて曰く、﹁世人、幽霊を見たりというは非なり。幽 75

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とは見るべからざるを義とす。もし幽霊にして見るべきものならば、よろしく顕霊というべし。しかるに、世間 にて幽霊を見たりと唱うるは、論理の撞着を免れず﹂と。この一言、世人の幽霊談の非なるを看破するに足る。 (『d怪百談﹄にも出ず︶        ︵一四︶ 惑病同源論  原坦山翁は大学にありて仏書を講ぜしをもって余の熟知するところなるが、翁かつて仏仙会を東京に設け、 喋々惑病同源論を唱えて曰く、﹁吾人の煩悩と疾病とはその源同じきをもって、ひとたび煩悩を断滅しきたらば、 再び百病にかかることなし。ゆえに、己坦山は四十年来一病むなし﹂と。その後、東京にコレラ病の大いに流行 するに会し、賢なるも愚なるも俗人も上人も、続々その病の襲うところとなり、一時の勢いは仏仙会員を襲い、 さらに進みて坦山翁自身をも襲わんとす。よって、ある人翁に﹁コレラ病はいかん﹂と問いたれば、翁曰く、 ﹁惑病もとより同源なり。ただし、コレラ病はこの限りにあらず﹂と。もし、翁をして今日に存命せしむるなら ば、必ずこの但し書きの内に赤痢病も黒死病も加えらるるに至らん。︵﹃妖怪百談﹄にも出ず︶        ︵一五︶ 姓名の解  昔年、中村敬宇︹正直︺翁在世のとき、余これを小石川の邸に訪う。翁曰く、﹁君の名は円了という。いかよう に解してしかるべきや。﹂余、卒爾答えて曰く、          ﹁円満万徳、了達諸法。  すなわち、円は万徳を円満するの義、了は諸法を了達するの義なり﹂と。翁、大いにその語を喜び、速やかに 一紙を取りてこれを書し、もって余に贈らる。余、これを表装して秘蔵す。その後しばらくありて、余このこと 76

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円了随筆 を友人に語る。友人曰く、﹁円了の解はすでに聞くことを得たり。いまだ井上の義を知らず。請う、これを弁明        ち  あ せよ﹂と。余、その声に応じて答えて曰く、﹁古諺に﹃井底の痴蛙﹄ということあり。井上とは井底にあらざる を義とす﹂と。友人、一笑して去る。        ︵一六︶ 名と名との偶合  余、かつて信濃の各郡を巡遊せるに、上高井郡須坂町︹現・市︺近傍に井上村︹現・須坂市︺と名つくる一村あ り。余を聰して一会を開かんことを請う。余、その招きに応じてここに至れば、会場は円了寺と名つくる寺院な り。村はすでに井上と呼び、寺院また円了と称す。これ余が姓名と符合す。かかる場所において余が演説する は、実に奇遇というべし。        ︵一七︶ 三禁居士  余、はじめ哲学館を創立するに際し、飲酒と喫煙とを禁じて曰く、﹁この館の大成するまで、永くこの二禁を 守る﹂と。その後、全国を周遊するに当たり、さらに禁筆の広告をなせり。ここにおいて、自ら号して三禁居士 という。かくして数年を経たる後、別に京北中学校を創立し、再び地方を巡回するに当たり、故ありて禁筆の広 告を取り消せり。よって、爾来は二禁居士という。        ︵一八︶ 平壌記念の酒  日清戦争のはじめ、平壌の開戦は国民一般に、その勝敗いかんを懸念してやまず。いよいよ戦勝の飛報を聞く や、上下挙げて抵舞。轡躍せざるはなし。余も大いにこれを祝せんと欲するも、その工夫を得ず。すなわち、十 年間の禁酒を破りて祝杯を傾けり。ゆえに、余はこれを名づけて平壌記念の酒という。 77

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       ︵一九︶ 禁酒の謎語  世間に往々、左の連句を標示せるを見る。   林下祖師現二半身↓水辺尊者蔵二頭脚づ   ︵林︵字︶の下に祀師の半身︵示︶をあらわす︵禁︶、水︵・γ︶辺の尊︵字︶者の頭脚︵上・下︶をしまいこむ︵酒︶。︶  前句は﹁禁﹂の字に当たり、後句は﹁酒﹂の字に当たる。すなわち、﹁林﹂の字の下に祖の半身たる﹁示﹂の 字を加うれば﹁禁﹂の字となり、水偏に尊の字の頭脚を脱したる﹁酉﹂の字を合すれば﹁酒﹂の字となる。その 工夫すこぶるおもしろし。今、さらに禁酒の句を得んと欲すれども、いまだ熟せず。        ︵二〇︶ 不レ許三董酒入二山門一︵輩酒山門に入るを許さず︶  禅寺の山門には多くこの禁制を掲ぐ。先年、余は禅寺の境内を借りて居を営めり。ときどき薪炭食料を運ぶも の、山門を通過して余が居宅に至るに、寺僧はなはだこれを喜ばずして、門前に掲示して曰く、﹁荷車を門内に 引き入るるを禁ず﹂と。その後、荷車依然として山門より入る。寺僧これを見て大いに怒り、余が宅に来たり て、いたくその不都合なるを責む。余曰く、﹁門前に掲示ありても、そのとおりに実行するははなはだ難し。例 えば﹃輩酒山門に入るを禁ず﹄とありても、ときどき輩酒の門内に入ることあるがごとし。ゆえに、かかること はゆるしておかれんことを望む﹂と。寺僧、赤面して去る。        ︵二一︶遁 辞  ある学校の先生が、生徒の芝居見物をとどめんと欲し、﹁芝居を見るものは愚物なり。これを見て泣くものは 一層の愚なり。汝ら、決して行き見るなかれ﹂と。その後、生徒ひそかに先生の目を忍びて、芝居見物に行くこ 78

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円了随筆 と前に異ならず。先生も自ら一度これを試みんと欲し、ひそかに見物に行きたり。ときに生徒中、劇場にありて 先生を認めたるものあり。役者、かなしみきわまりて泣く場合には、先生もまた泣くを見たり。翌朝教場にあり て、﹁先生も昨日は芝居を見物せられしや﹂と問うに、先生曰く、﹁しかり。余は汝らが見物に行くやいなやを検 せんと欲して行けり。﹂生徒曰く、﹁かつて先生は、﹃芝居を見て泣くものは愚の極みなり﹄といわれたるに、昨 日先生も涙を流されしはいかん。﹂先生曰く、﹁余が泣きたるは、人の泣くに同じからず。人は芝居を見て、これ を実際なりと思いて泣くも、余は、かかるうそ泣きを見て真に泣くものあるは、実に気の毒のいたりなりと思い て泣くなり。人は芝居を見て泣き、余は見物人を見て泣く。その泣くこと一なりといえども、泣くゆえんのもの 大いに異なれり﹂と。これ、もとより遁辞なり。先生も同じく人間なれば、その泣くことまた生徒のごとくなる べし。とかく学生中には芝居を好む者あれども、かくのごときは老後の楽に残しおきて、修学の間にはなるべく 見ざるようにするをよしとす。余は生まれてより四十年の間、日本の芝居も相撲も、前後ただわずかに二回見た るのみ。        ︵二二︶ 論理の誤用  論理の原則に、ここに甲乙丙の三者ありて、甲は丙に同じく、乙もまた丙に同じきときは、甲と乙と互いに相 同じということあり。この規則の誤用より過失を生ずる例すくなからず。友人の話に、﹁ある妻が夫に向かい、 ﹃わたしとあなたとは兄弟なる理なり。なんとなれば、あなたと金次郎︵弟の名︶とは兄弟にして、わたしと金 次郎とはやはり兄弟なり。しからば、わたしとあなたとは、もとより兄弟ならざるべからず﹄﹂と。けだし、世 にかくのごとき論法を立つるもの必ず多からん。 79

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       ︵二三︶ 三スクミ  ヘビとカエルとナメクジとは、これを三スクミという。政府員と国会議員と一般の人民とは、また三スクミな り。政府員は国会議員の歓心を得んとし、国会議員は一般人民の歓心を得んと欲し、一般人民は政府員の歓心を 得んと欲す。ゆえに、これを立憲政体の三スクミと名つく。宗教の方にても、やはり三スクミあり。今これを本 願寺宗に考うるに、本山役員は檀家信徒の前に権なく、檀家信徒は末寺僧侶の前に権なく、末寺僧侶は本山役員 の前に権なし。この三スクミは前の三スクミとその関係を異にするは、宗教と政治と同じからざるによる。        ︵二四︶ 発音の不通  ある禅寺の和尚、梅毒にかかりて鼻を害し、発声に﹁タ﹂の音出でずして﹁ワ﹂の音となりて聞こゆ。ある 日、その弟子にお経の読み方を授けて、﹁ナモカラタンノウ﹂といわんとするに、その音﹁ワンノウ﹂となりて 出ず。ゆえに弟子は﹁ワンノウ﹂と読むに、和尚これを叱して、﹁おれが﹃ワンノウ﹄というたればとて、貴様 まで﹃ワンノウ﹄と読むに及ぶものか﹂というも、弟子はほかに読み方を知るべき理なければ、やはり﹁ワンノ ウ﹂﹁ワンノウ﹂といえり。和尚大いに腹を立ちしも、いかんともすることあたわざりき。これ、一つの奇談な り。日本人が洋語にて語り、洋人が日本語にて話すときには、これに類したること定めて多からん。        ︵二五︶ 自然の経験  加州︹石川県︺の山間のもの、金沢に出でて初めて﹁数の子﹂を見、これを買いて帰り、醤油に浸して用うる に、堅くしてかむべからず。よって、戸外の雪の上にすてたり。翌朝これを見るに、終夜雪に浸されて自然に柔 らかになりたるようなれば、試み食するに、その味すこぶる佳なり。その後﹁数の子﹂を買うごとに、必ず一夜 80

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円了随筆 戸外の雪の上にすつるを例とせりという。また、シナにて最初、豚をあぶりて食する法を知らざりしが、一夜豚 小屋に火を失して、豚みな焼死せり。これをすつるも無益なりと思い、試みにその肉を味わいたるに、すこぶる 佳なり。これより後、肉をあぶりて食すること行われたりという。すべて日用の発明は、みなかくのごときもの ならん。        ︵二六︶ 獣類の名称  英国にて、獣類の生きたるときはサクソン︹語︺の名をもって呼び、死したる後はノルマン語をもって名つくる は奇なり。例えば、生牛をオックス︵○×︶といい、その死後をビーフ︵じd①①︷︶という。また生豚をビッグ ︵コσq︶といい、その死後をポーク︵勺o完︶というがごとし。        ︵二七︶ 外国語の滑稽  ある人の話に、﹁カルタを分かつときに、その回し方は右よりすると左よりすると、いずれが正しきや。﹂曰 く、﹁右が正しい。なんとなれば、それがライト︵﹁一ひq宮︶であるから。また、ドイツ語にて手紙をかくには、短 くしたためねばならぬ。なんとなれば、それがブリーフ︵coユ①︷︶であるから﹂といえり。また、外国語と日本 語と混じて、自然に滑稽となることあり。例えば一人ありて、﹁英国の貴族某氏はジュウク︵O巨6︶であるそう だ﹂といいたれば、傍らにあるもの曰く、﹁十九にしては若すぎる、私は三十歳以上と思った﹂と。また、フラ ンスにいる日本人は、三フランと五フランとを誤る。なんとなれば、フランス語にて五フランのことをサンフラ ンととなうればなり。 81

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       ︵二八︶ 郷音難レ脱︵郷音脱し難し︶  外国語を学びていかに熟達するも、その中に郷音のナマリを脱せざるものなり。あるシナ人、日本に帰化して 和語をよくするようになりたるも、なお解し難きところありたりとて、元政が詩に﹁君能言二和語ハ郷音舌尚在、 ク テ  ニ    ヲ 久押十知レ九、傍人猶未レ解。﹂︵君はよく日本語を話すも、故国の音韻はなおあり、久しくなれたとはいえ十のう ち九の範囲であって、かたわらにいる人でもなおわからないことがあるのだ。︶とあり。また、︹朱︺舜水は帰化 して後、すべて和語のみにて話せしも、その病の危篤に至り、郷語に復し、だれも解することを得ざりしとい う。        ︵二九︶ 縦読みおよび横読みの利害  先年、和漢文は縦読みにして西洋文は横読みなれば、二者の利害につきて一大論を引き起こせしことあり。こ       けみ の議論、今日に始まりしにあらず。余、かつて﹃梵学津梁通詮﹄を閲し、その中にこの論あるを見たり。その論 は、梵文の横読みなるにつきて起これり。その書中に出だせる横読みの理由として、﹁宥快等日、看閲上下、眼 自生レ労、自レ左至レ右、眼力不レ労云云。﹂︵宥快等は日々上下に看閲して、眼はおのずと疲れる。眼を左より右に 動かせば眼は疲れず、云々。︶の語を引き、横読みを天然となす。しかしてまた曰く、﹁物有二上下ハ事有二昇墜ゴ 則竪書亦無レ妨。﹂︵物には上下があり、物事には昇ると墜ちることがある。つまり、たて書きもまたさまたげと はならない。︶とあり。余は元来縦読み派の一人なるが、眼球を左右に動かすより上下に動かす方、その労少な きを知る。けだし、物はすべて重力の理法により、上下に動く方を天然となす。例えば手を動かすに、左右より 上下の方労少なきも、その理これに同じ。 82

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円了随筆        ︵三〇︶ 論理学の汎意︵﹀ヨ9σq⊆9  論理学にては文学言語の汎意が、論理の過失をきたす原因となるをもって、もっぱらこれを避けんとす。しか るに、今後ようやく漢字を減じ、最後にこれを全廃するに至らば、汎意続々起こりて、実際上計るべからざる不 便をきたすに至らん。ある童子、仮名付き本にて歴史を読み、人に対して﹁頼朝は薩摩に流されたることあり﹂ という。その人大いに怪しみ、﹁いずれの書にてこれを知りしや﹂と問えば、すなわち答えて曰く、﹁日本の歴史       ひるがこじま に﹃頼朝、昼鹿児島に流さる﹄と記しおけり﹂と。これ全く、﹁蛭子島に流さるる﹂とありしを誤りて、﹁昼鹿児 島﹂と読みたるなり。        ︵三一︶ 車夫の誤解  余が先年京都にありて、某月十三日に教育会を訪わんとし、その事務所の三条近傍にあるを聞き、人車を雇い て三条に至る。車夫ようやく三条に近づきたれば、余に問うに﹁いずれに至るや﹂という。余答えて曰く﹁教育 会﹂と。車夫曰く﹁十三日なり﹂と。余、いまだ車夫のなんのために十三日といいたるを解せず。行くこと数十       だんな 歩、また問いて曰く﹁檀那、いずれに至るや﹂余曰く﹁教育会﹂と。車夫曰く﹁十三日なり﹂と。ここにおい て、初めて車夫の余が言を誤解せるを知れり。すなわち、車夫は教育会を聞きて﹁今日はいつか﹂と解したるな り。他日、もし漢字を全廃して、仮名もしくはローマ字のみを用うるに至らば、かかる間違いの、いたるところ に起こるは必然なり。        ︵三二︶ 汎意の興味  論理学にては汎意をいとうも、交際上の談話にこれを交ゆるは、大いに興味を添うることあり。すなわち、世 83

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      こうせん  むな      はんれい のいわゆる滑稽もしくは洒落これなり。例えば﹁天勾践を空しうすることなかれ、時に萢彙なきにしもあらず﹂ というべきを、﹁天保銭を空しうすることなかれ、時に文久なきにしもあらず﹂といい、﹁大学は孔子の遺書にし       でんがく て、初学徳に入るの門なり﹂というべきを、﹁田楽は孔子の味噌にして、とかく口に入るの門なり﹂といい、﹁難       こも       しやくやく 波津にさくやこの花冬籠り﹂というべきを、﹁難波津に苓薬の花冬籠り﹂というときは、満座をして一笑を催さ しむべし。また狂歌、狂句なども、汎意を利用して興を加うるに至るなり。例えば、ある人の年暮れの歌に、 ﹁とれば又とるほどそんのゆく年を、くれるくと思ふおろかさ﹂、また﹁びんぽうの棒が次第にながくなり、ふ りまはされぬ年のくれ哉﹂とあるの類を見て知るべし。さりながら、たとい平常の雑談にても、あまり滑稽に過 ぐるはよろしからず。学生輩の戒むべきことなり。        ︵三三︶ シナの隠語     な ぞ      な ぞ  日本の謎語は、多く言語の汎意にもとづき、シナの隠語は、字義および字形の汎意にもとつく。例えば﹁核﹂ という字を題にして、これを﹃四書﹄の一句をもって解し、﹁仁在二其中一 ﹂︵仁︵果実の核の内部︶はその中にあ る︶︵﹃論語﹄子張︶と答うるなり。また、文字の画をもって解するあり。例えば﹁兄﹂の字を題とし、これを ﹃正蒙﹄一句にて解せよと告げて、﹁⑰上欠﹂︵免の上部を欠く︶と答え、また﹁吾﹂の字を題とし、これを﹃西 廟︹記︺﹄一句にて解せよと定めて、﹁無言語﹂︵言なきの語︶と説くがごとし。        ︵三四︶ 地名の読み方  地方に、同名のために間違いを生ずることあり。この誤りを避けんために、自然に読み方を異にするもの多 し。例えば﹁神戸﹂の地名を、摂津にては﹁コウベ﹂といい、伊勢にては﹁カンベ﹂といい、美濃にては﹁ゴウ 84

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円了随筆 ド﹂という。東京付近にて、甲州街道の新宿は﹁シンジュク﹂と呼び、水戸の街道の新宿は﹁アラジュク﹂と呼 ぶ。また、市中の本郷区の田町を﹁タマチ﹂と読み、神田区の多町を﹁タチョウ﹂と読む。また、東京の日本橋 は﹁ニホンバシ﹂と称し、大阪は﹁ニッポンバシ﹂と称す。また、伊豆の熱海は﹁アタミ﹂ととなえ、出羽の熱 海は﹁アツミ﹂ととなう。また、奥州︹東北地方︺にては南部を﹁ナンブ﹂といい、紀州にては﹁ミナベ﹂とい う。また、三州︹愛知県︺にて村名の豊川は﹁トヨカワ﹂といい、川名の豊川は﹁トヨガワ﹂という。これみな、 汎意を避くるためなり。        ︵三五︶ 心理学の習慣  吾人の気質は多く習慣より成る。ゆえに古来、﹁習慣は第二の天性なり﹂という。一国中にて山間と海浜とは、 人の気風大いに異なり、都会と田舎とまた相異なる等は、やはり習慣の影響なり。余案ずるに、商家の得意なる ものも、また習慣のしからしむるところなるがごとし。例えば、一物を同じき商店より再三再四買い入るるとき は、習慣の力自然にその家をひいきに思い、ほかより買い入るることあたわざるに至る。新聞などにても数十年 来同一のものを購読し、永くほかの新聞に変更せざるものあり。これ、習慣のいたすところなり。ゆえに余は、 ﹁商家は習慣に向けて、年々多少の税金を払いて可なり﹂という。        ︵三六︶ 月の大小  月の距離は非常に遠く、かつ吾人の感覚上判定し難きをもって、その大小のごときは、人々感ずるところ、お のおの同じからず。余、先年、中秋満月の夜、寄宿生を運動場に招き、おのおの鉛筆をもって月の直径なにほど に感ずるやを記せしめ、後にこれを検するに、ある者は五寸と感じ、ほかの者は三尺と感じ、その両端、二尺五 85

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寸の相違ありしを見たり。これによりて、目の感覚の信じ難きを知るべし。        ︵三七︶ 視覚と聴覚  視覚と聴覚と、その感ずる力に遅速の相違あるを試みんと欲せば、児童の戯れになせる﹁鼻々の遊び﹂につき て見るべし。﹁鼻々の遊び﹂とは、両人相対し、おのおの指端を鼻の上にのせ、互いに﹁鼻々﹂といいつつ、一 人がその指を、あるいはしりの上に転じて﹁耳なり﹂と呼び、あるいは頭の上に移して﹁へそなり﹂と呼べば、 その相手は﹁耳なり﹂と聞けば耳の上に指を転じ、﹁へそなり﹂と聞けばへその上に移すべきを、視覚の力に引 かれて、頭または耳の上に指を置くに至る。これ、視覚の力の聴覚より強きゆえんを証するに足る。        ︵三八︶ 予期意向  心理学にて予期意向と称するは、わが心にてあらかじめ、かくあるべしと思いて意をその方に傾くれば、実際 そのとおりに感ぜらるるをいう。その一例は、同一の鶯声を聞きて、日蓮宗の人は﹁法華経﹂﹁法華経﹂とさえ ずるといい、真宗の人は﹁法を聞け﹂﹁法を聞け﹂と歌うという。これ、予期意向にあらずしてなんぞや。        ︵三九︶ 感覚の相対  感覚は前後左右の比較相対によりて、その感ずるところを異にす。ゆえに、なにびとも幼少のとき己の旧里に ありて見聞せしものは、比較上広大なるがごとく記憶し、成長ののち他邦に歴遊し、帰りて故郷の山河を見る に、意外に狭小なるに驚く。近来、西洋に遊びたるものみな曰く、﹁往路にはホンコン市街の非常に美なるに驚 き、帰路には意外に美ならざるに驚く﹂という。また、余が伝聞するところによるに、ある日本人東京にあり て、参謀本部の非常に美かつ大なるを見、後にドイツに遊びベルリンの参謀本部を見て、﹁はるかに日本の参謀 86

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円了随筆 本部より劣る﹂ ずる異同なり。 といえり。その実、日本の建築より数倍美かつ大なりという。これ、比較相対する感覚上より生        ︵四〇︶ 大仏の餅  余、かつてこれを聞く。奈良の大仏の境内に大福餅を売るものあり。ある日、一人の客ありて大仏を拝観し、 帰路その餅を買い、意外に小なるに驚けり。売り主すなわち曰く、﹁いまだ大仏を見ずしてこの餅を買う客は、 みな意外に大なりといい、すでに大仏を拝してこれを買うものは、みな意外に小なりという。ゆえに、これ餅の 真に小なるにあらず、大仏の予想外に大なりしによる﹂と。この言、一理ありというべし。        ︵四一︶ 夢の数  古来、夢と事実との暗合をもって神人の感通に帰せり。しかれども、余いまだその果たして感通なるやを信ず るあたわず。その故は、今日本一国につきて、四千万の国民が平均毎夜一回ずつ夢を結ぶと仮定して推算する に、一年中の夢の総数は百四十六億回の多きを得る割合なり。もし、平均十日に一回の夢を結ぶとして算する も、一年に十四億六千万回の割合なり。しかして、霊夢の数は毎年十回ないし二十回くらいのものなり。さすれ ば、世のいわゆる霊夢は、いまだ霊夢とするに足らざるなり。        ︵四二︶ 夢中の詩作  夢中にて詩を作り句を得たる例、古来少なからず。その中にて、余は﹃新著聞集﹄に出でたる詩を大いに味あ りとす。   六十四年混二世塵ハ夢中不レ覚養二残身バ不来不去是何物、二月花開南谷花。 87

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  ︵六十四年の歳月を世俗の塵にまぎれてすごし、夢の中にもさとらず残りの身を養う。不来不去なるはこれ   なにものぞ、二月の花開く南谷の春。︶  これ、江戸品川泊船寺の住持、延宝七年十一月二十四日の夢に高僧現れきたり、﹁汝は来年二月二十四日に死 すべし﹂といいて、この詩を示せりといえり。        ︵四三︶ 物近きにありて、これを遠きに求む  人往々、物の近きにあるを知らずして、遠きに求むることあり。ある紳士西洋に遊び、大家をたずねて、﹁い かなる宗教をとりてわが国の宗旨とすべきや﹂を問う。大家曰く、﹁日本すでに仏教あり。なんぞほかに宗教を 求むるを要せんや﹂と。これすなわち、近きにありて遠きに求むるものなり。﹃鶴林玉露﹄に掲ぐる詩は、よく この意を調するものにして、余が愛吟するところなり。       シ   ノ         ニ   尽日尋レ春不レ見レ春、芒鮭踏遍瀧頭雲、帰来試把二梅花一看、春在二枝頭一已十分。   ︵朝から晩まで春を探したがわからず、わらぐつをはいてあまねく歩き朧山の雲にまでたずねた。帰ってか   らためしに梅の花を手にして見たところ、春は枝の先にもすでにみちていたのであった。︶        ︵四四︶ ドモリの歌  余、かつてこれを聞く。英語にて、一滴も酒を用いざるものを呼びてテートートラー︹甘09芭o己と名つく。 その語の起源は、あるドモリが人より酒を勧められたれば、﹁己は全く用いませぬ﹂といわんと欲して、全く、 すなわちトータリー︵↓o巨一ぺ︶といえる語をどもり、﹁テーテーテートータリi﹂といえりしより始まれりと。 これ、一つの奇談なり。﹃理斎随筆﹄には、ドモリを詠じたる歌を載せり。 88

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円了随筆   秋の野のか﹀風吹けばそxそよぐ、たxたれまねくはxはつを花  これ、もとより一場の戯れによみたるものなり。        ︵四五︶ 東西幽霊の相違  西洋の幽霊に足ありて、日本の幽霊に足なし。日本にて幽霊に足をつけざるは、中古以来のことなりという も、今日見るところの幽霊は、いずれも腰より以下を欠く。あるいはいう、﹁西洋の幽霊の図は手足全身を具備 せるも、その体透明にして生時の人に異なれり﹂と。幽霊の状貌、東西すでにかくのごとき異同ありとせば、西 洋にて幽霊を見るものは、必ず足ありて透明なるものを見、わが国にて幽霊を見るものは、足なくして不透明な るものを見るに相違なし。この一例によりても、幽霊は人の想像より現じたる幻影なること明らかなり。        ︵四六︶ 空中飛行  西洋にて空中を飛行する人をえがけば、必ず両肩に羽翼を付し、日本にてこれをえがけば、必ず雲を付す。こ れ、東西想像の異なる一点なり。この両者はいずれも空想を描きたるものなれば、その間に可否を論ずるに足ら        あい   こ ずといえども、人体に羽翼を付すれば人獣の間の子となりて、はなはだおもしろからず。ゆえに余は、この想像 は日本の図をもってよしとす。しかして、幽霊は西洋の足ありてその体透明なるを、むしろ真に近しとなす。        ︵四七︶諺語の一致  西洋と日本と、格言および諺語は往々一致することあり。例えば﹁己の欲せざるところ人に施すなかれ﹂と ﹁己の欲するところを人に施せ﹂とは、ただ表裏の差あるのみ。﹁約束と越中揮とは向こうからはずれる﹂と ﹁誓約と鶏卵とはこわれやすし﹂とは同意なり。﹁ころばぬ先の杖﹂と﹁ぬれぬ先の傘﹂とも同意なり。そのほ 89

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か、わが国には健康の秘訣に﹁頭寒足熱﹂という語があるが、ドイツの僅諺にも﹁冷頭熱脚は医師をして貧なら しむ﹂ということありという。かくのごときの類、枚挙にいとまあらず。        ︵四八︶ 分業の進歩  社会の進むに従いて分業もまた進むものなるが、日本にて西洋より分業の進みたるは、飲食店と売ト者なり。 飲食店には牛肉屋、しゃも屋、てんぷら屋、そば屋、しるこ屋、うなぎ屋、すし屋、団子屋等あり、みな分業な          ぜいちく  すみいう      とうきゆう り。また売ト者には麸竹、墨色、方位、人相、家相、淘宮等、みな多くは分業なり。これらの分業は、決して 社会の進歩を証するに足らず、その一は日本人の食いだおれを示し、その二は迷信をあらわすに過ぎず。        ︵四九︶ 運動法  運動法は一般に西洋をもって大いに進みたりとなせども、室内の遊戯的運動はわが国の方に種類多し。例えば      ずもう 腕押し、指角力、枕引き、枕落とし、てぬぐい引き、首引き、額押し、足角力、座り角力、碁盤上げ、シャチホ コ立ち、棒押し、すね押し、しっぺ、三尺角力等、いちいち数え尽くし難し。        ︵五〇︶ 学者の寿命  余は東西両洋の学者の寿命を知らんと欲し、西洋近世の哲学者六十名をとりてこれを算するに、   合計、三千八百七十八年   一人平均、六十四歳七カ月  つぎに徳川時代の漢学者六十人をとりて試むるに、   合計、四千四十五年 90

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円了随筆   一人平均、六十七歳五カ月  すなわち日本の学者は、西洋学者より二年と十カ月の長寿なる割合なり。        ︵五一︶ 頭蓋の大小  明治十八年四月、東京大学にて学生の頭蓋を計りて帽子を定めたることあり。余はそのときの係員の一名なり しが、総員七百十三人にして、頭の周囲一尺九寸五分の者五十九人、一尺九寸の者百十一人、一尺八寸五分の者 二百十五人、一尺八寸の者二百六十四人、一尺七寸五分の者五十二人、一尺七寸の者十二人にて、その平均、   一人の頭蓋、一尺八寸三分余 となる。これを大学的頭蓋の大と見るべし。        ︵五二︶ 経書の字数  ある書に九経の字数を示せるあり。すなわち左表のごとし。

論左周礼毛尚周

語伝礼記詩書易

二万四千二百七字 二万五千七百字 三万九千二百二十四字 九万九千二十字 四万五千八百六字 十九万六千八百四十五字 一万二千九百三字 91

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  孝経  一千九百三字   孟子  三万四千六百八十五字    以上通計、四十八万四千九十五字  この数は﹃和漢名数﹄に掲ぐるものと小異なるは、あるいは写字の誤謬ならんか。とにかく、他日参考の一助 ともなるべきことあらんを知り、ここに挙示せり。        ︵五三︶ 字書の字数  ﹃和漢名数﹄に字書の字数を左のごとく示せり。   玉篇  二万七千七百二十六字   韻会  一万二千六百五十二字   字彙  三万三千百七十九字   丁氏集韻  五万千五百七字   篇海  五万四千五百九十五字   海篇  五万五千四百二十五字 字書のほかに、﹃和漢名数﹄には左の字数をも示せり。  史記  五十二万六千五百言  前漢書  八十余万言   日本紀神代巻  一万五千三百五十四字 92

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円了随筆  これまた、参考のためにここに掲ぐ。        ︵五四︶ 記憶を助くる法  物に記憶しやすきものと記憶し難きものあり。その難きものは、音調のよき歌または句に作りおくをよしと す。例えば太陽暦の大小を記憶するに、   正三五七八十や十二月、日数三十一日と知れ と、一首の歌に作りおけば、記憶しやすし。あるいはまた、一句の語を製して記憶するも可なり。余は太陽暦の 大小を、左の語をもって示せり。   孝悌忠信者漢土周孔之教也。  偏なき文字は大の月を表し、偏ある文字は小の月を表するなり。これらの例に準じて、記憶の便法を工夫する を可とす。        ︵五五︶ 論理学の四種図式の歌  館友保多守太郎氏︵哲学館出身者︶が、論理学演繹法のバルバラ︵OO曽ぴ①轟︶の記憶法の代わりに、左の四句 の梅花に関する俳句を作りて余に示されたり。その工夫ややおもしろく感じたれば、左に録す。   ︵第一図式︶ 花咲けば狭き家居も春の色   ︵第二図式︶ 今朝閨へ出て見よ門の梅薫る   ︵第三図式︶ 花にいざ勇みし笑顔を喩へ見よ   ︵第四図式︶ 朝日影気近き枝の梅匂ふ 93

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 これをいちいち配合して示さば、左のごとし。   はなさ︵アアア︶けばせ︵エアエ︶まきい︵アイイ︶へゐも︵エイオ︶はるのいろ︵填補︶   けさね︵エアエ︶やへで︵アエエ︶てみよ︵エイオ︶かどの︵アオオ︶うめかほる︵填補︶   はなに︵アアイ︶いざひ︵イアイ︶さみし︵アイイ︶えがほ︵エアオ︶をたと︵オアオ︶へみよ︵ニイオ︶   あさひ︵アアイ︶かげけ︵アエエ︶ちかき︵イアイ︶えだの︵エアオ︶う︵補︶めにほ︵エイオ︶ふ︵補︶  これまた、記憶の一助とならん。        ︵五六︶ 哲学の義解  哲学すなわちフィロソフィーの語は、その原語の意﹁知識を愛求する﹂にあれば、よろしくこれを訳して知学 もしくは智学と名つくべし。しかるに、西周氏これを哲学と訳されしは妥当ならずというものあれども、余﹃揚 子方言﹄を読みて、哲の義は知にして、哲学の名称は知学に当たることを知る。その原文を和訳して示さば、 ﹁霊と暁と哲とは知なり。楚にはこれを党といい、あるいは暁という。斉宋の間はこれを哲という﹂とあるを見 て知るべし。        ︵五七︶ 世界のはじめは水より起こる  西洋にてギリシア哲学の元祖たるタレースは、水をもって世界の太初、万物の本源となせり。これと同じく、 シナにては﹃草木子﹄に水論を掲げり。その文、左のごとし。    天のはじめ、これ一気のみ。荘子のいわゆる漠津というこれなり。そのさきなるところを計るに、水より   さきなるはなし。水中の津濁、歳をへることすでに久し。積もりて土となる。水土震蕩して、ようやく凝聚 94

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円了随筆   を加う。水落ち土出でて、ついに山川となる。ゆえに、山の形に波浪の勢いあり。        ︵五八︶ 物心二元論  哲学の起点、真理の標準は、唯物論の上に立つるか唯心論の上に立つるかというに、余は物心二元の上に立つ るを正当なりとなす。なんとなれば、今これを水陸にたとうるに、唯物は大海の底のごとく、唯心は高山のいた だきのごとしとするに、土地の高低の標準は、大海の底に立つるも高山のいただきに立つるもともに不当にし て、水陸相合する所、すなわち海面に立つるを最も正当となすがごとし。        ︵五九︶ 真理の実相  仏教にて﹁真如とは如何なるものと人間はぶ墨絵にかきし松風の音﹂と唱うるは、真理の握るべからず、うか がうべからざるを形容したるものなり。真理果たしてかくのごときものたらば、吾人の絶対的に知るべからざる ものとなるべし。しかれども、これいまだその理の実相とは定め難し。ゆえに、余はかつて真理をたとえて、左 のごとくいえり。    真理はなお水のごときか、味なきがごとくにして味あり、その真理はなお空気のごときか、色なきがごと   くにして色あり。        ︵六〇︶ 時間・空間の語  時間・空間を並称する熟語は和漢になしというものあれども、宇宙および世界は、みな時間・空間を義とする なり。﹃准南子﹄には﹁往古来今これを宙といい、四方上下これを宇という﹂とあり。﹃翻訳名義集﹄に﹃拐厳 ︹経︺﹄を引きて、﹁世をば遷流となし、界をば方位となす。汝、今まさに知るべし、東西南北、東南西南、東北 95

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西北、上下を界となし、過去、未来、現在を世となす﹂と。これによりてこれをみるに、世および宙は時間を義 とし、界および宇は空間を義とすること明らかなり。今後は時間・空間を改めて、宙間・宇間としてはいかん。        ︵六一︶ 哲学者の病死  余聞く、スピノザ氏は肺病にて死し、フィヒテ氏は熱病にて死し、へーゲル氏はコレラ病にて死すと。その哲 学またこれに類す。スピノザの哲学の沈静的なるは肺病に似たり、フィヒテの哲学の活動的なるは熱病に似た り。しかして余いまだ、へーゲルの哲学のコレラ病に似たるを知らず。        ︵六二︶ 哲学者の偶合  孔子は三十にして立ち、釈迦は三十にして成道し、キリストは三十にして救世主となれり。三十のかく偶合せ るは奇というべし。ライプニッツ氏とへーゲルと、ともに十一月十四日に死したるもまた奇合なり。        ︵六三︶極端と極端との一致  古語に﹁過ぎたるはなお及ばざるがごとし﹂とあり、また﹁物窮まれば必ず変ず﹂とありて、人老い窮まれば 赤子にひとしく、富み極まれば貧に帰る。ゆえに、老荘の学問は世間の反対を説きて、﹁大智は愚に似たり﹂﹁大 巧は拙のごとし﹂﹁大道すたれて仁義あり﹂等の理を教えり。この極端一致の例は、言語、文字の上には往々見 ることあり。例えば漢語の﹁乱﹂の字を、ミダルとオサマルと両様に訓ずるがごとし。また和漢ともに、数量の 最大なるを無数無量というがごとし。仏書に、学問の最上に達したるものを無学と名つくるもこの理なり。その ほか、武芸の奥義にムテッポウ名人の語あり、これまた同一理なり。 96

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円了随筆        ︵六四︶ 社会平均  社会の天則は不平均に向かいて進むにありというものあれども、余は平均を保つをもって天則なりと信ず。そ の故は、社会の実況を見るに、治極まれば必ず乱を醸し、盛極まれば必ず衰を兆し、富極まれば必ず貧に傾くが ごとし。これ、決して人の自ら望むところにあらざるも、社会の天則が自然にここに至らしむるように働くな り。さすれば、天則の目的は平均を保つにありと定めて可なり。しかりしこうして、往々不平均を起こすは、平 均を保たんとする余勢に過ぎず。なお、水の流れ波の動くは、その自然の性たる静平を保たんとするにあるがご とし。        ︵六五︶ 天道は鉄道主義なり  ある人、余に語りて曰く、﹁天道は鉄道主義なり﹂と。余、その意を解するあたわず。﹃老子﹄には﹁天道は張 弓のごとし﹂とあれども、いまだ何書にも﹁鉄道のごとし﹂とあるを聞かず。よってその解をもとめたれば、余 がために説明して曰く、﹁鉄道は山あればこれを崩し、渓あればこれをうずめ、凸所はこれを削り、凹所はこれ を盛り、もって水平を保たしめんとす。天道またしかり。驕奢なるものあればこれを抑え、謙譲なるものあれば これを揚げ、人をあなどるものはこれをしりぞけ、己を慎むものはこれを助け、楽にふけるものはこれをたお し、苦を忍ぶものはこれを起こす。これ、これを鉄道主義という﹂と。        ︵六六︶ 人間万事塞翁が馬        さいおう  すでに社会の規則の循環平均なることを知らば、﹁人間万事塞翁が馬﹂なることは疑いなし。この語は上下一 般に唱うるところにして、弁解の必要なしといえども、その本拠は﹃准南子﹄に出ず。昔、塞上に一人の翁あり 97

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て馬を失えり。人みなこれを弔う。翁曰く、﹁これ、かえって幸いたらざるを知らんや。﹂月を経てこの馬、ほか        わざわい の馬一匹をつれて帰る。人みなこれを祝う。翁曰く、﹁これ、かえって禍たらざるを知らんや。﹂案のごとく、 その子この馬に乗り、誤り落ちてひじを折る。人またこれを弔う。翁曰く、﹁これ、かえって福なるを知らん や。﹂後一年にして、政府壮士を募りて戦役に従事せしむ。これに応じたるもの、多く死せり。翁の子、さきに ひじを折りたるがために、公役を免除せられたりと。世間の禍福の意とするに足らざること、みなかくのごと し。ゆえに、世の不幸にあい失敗を招きしものは、そのつどこの語を反復して、自ら慰むるをよしとす。これ、 実に不幸者の念仏、失敗者の題目なり。        ︵六七︶ 失念術  世に不幸、災難に際会して自らこれを忘れんとするも、忘るることあたわずして苦しむものはなはだ多し。ゆ えに、余はその者のために失念術を工夫せり。その術は、老を忘れ、病を忘れ、死を忘れ、憂を忘れ、苦を忘 れ、不幸を忘るる法なり。もし、その憂苦の一時にしてかつ小なるものは、戸外に運動するか、または室内に微 睡して、一時を経過するをもって足れりとす。もし、その大なるものにありては、もっぱら余が発明の失念術に つきて実究するを要するなり。        ︵六八︶ 比較的慰安法  人、病客を訪問するときは、なるべく病気の話を避けて、ほかの雑談をなさんとす。これ、当人をして病気そ のものを忘れしめんがためなり。しかれども病人に、ほかの病人の一層重症なるもの多々あることを示し、これ に比較すれば、その病気のごときはいたって軽症なるがごとくに感ぜしむるは、大いに慰安の功ありて、かつ病 98

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円了随筆 勢を減ずる助けとなるものなり。先年、哲学館出身者に肺病を患うるものありて、余が宅に来たれり。その面貌     しようすい すこぶる憔埣の状あるを見て、余はほかの重症患者の例を挙げ、これに比すれば君の病気はすこぶる軽症なる ことを説きたれば、その後数月を経て病気全快し、再び余が宅に来たり、﹁過般の病談を聞きて大いに精神上の 力を得、その翌日より漸々快復の方に進みたり﹂といえり。また、ある人不平病を起こし、ために身体の健康を 害せんとせり。友人これを恐れて慰撫して曰く、﹁君とビスマルクとはいずれが豪傑なりや、君と孔子とはいず れが聖人なりや。﹂本人答えて曰く、﹁はるかに及ばざるなり。﹂﹁されば、ビスマルク、孔子すらも、なお意のご とくならざることありき。いわんや、これに及ばざる君においてをや。君、なんぞ不平を憂うるに足らん﹂と。 この語を聞きて、大いに不平の度を減じたりという。        ︵六九︶ 人情の浮薄    ぎようき  世の澆季に流れて人情の浮薄となりしため、炭屋は炭の目方を増さんと欲し、俵の中に石を入るるとて、あ る人、句をもってこれを調せり。   やはらかき炭は代理を石にさせ  また、湯屋に行くものは小桶を余分に集め、湯水を多くくみ取り、これを他人につかわせぬために、てぬぐい をその上に掛けおくものあり。ある人これを見て、      かすかひ   手拭を鍵にして桶をとめ とよみたり。これ、人情の浮薄を戒むるに足る。 99

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       ︵七〇︶ 利欲の極み、神を欺く  ある強欲者、神に祈りて大金を得んと欲し、一心に祈請して曰く、﹁願わくは神様よ、われに一万円の大金を 授け給えよ。この願成就したる日には、九千九百九十九円を御礼として差し上げ申すべし﹂と、再三反復して祈 る。傍らにありてこれを聞くもの、一万円より九千九百九十九円を引き去らば、残るところわずかに一円なり。 一円の利を得るに、なんぞ神を煩わすに足らんや。これ、必ず失言もしくは違算ならんとて、その者に注意した れば、当人曰く、﹁これ違算にあらず。その御礼として九千九百九十九円を差し上ぐるとは、全く神を欺くため の方便にして、いよいよ一万円の大金を得たる日には、一文も差し上げぬつもりなり﹂と答えたりとそ。人の欲 極まりて神を欺かんとす。誠におそるべきことなり。        ︵七一︶ 財産は糟糠なり       りんしよくか  ある地方の吝薔家、数十万の大金を有しながら、粗衣粗食、毫も博愛の心なく、慈善の挙なく、ただ高利を むさぼりて、己の畑を肥やさんことのみ、これつとむ。しかして、児童の教育のごときは全く放任してさらに顧 みず。近隣の者、忠告して曰く、﹁粗衣粗食はあえて不可なるにあらず、慈善の挙なきもなおゆるすべし。しか れども、児童の教育をすてて問わざるにおいては、一家の財産をいかにして子孫に伝えんや。よろしく児童教育 に意を注ぎ、君の死後、児童をして永く父母の遺産を守らしむるように訓育せざるべからず﹂と。当人曰く、 ﹁余はただ財産を増殖することをもって無上の楽とするのみ。その遺産のごときは、己がすでに味わいおわりた  そうこう る糟糠に比すべきものなれば、子孫のこれを守るも守らざるも、余が関するところにあらず﹂と、さらに頓着す るところなし。忠告者すなわち曰く、﹁吝薔もここに至れば豪傑と称して可なり﹂と。 100

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円了随筆        ︵七二︶ 言行一致  世間に、人よりなにを頼まれてもたやすく承諾して、さらに実行せざるものあり。世のいわゆる八方美人の評 を得たるものは、多くこの類なり。余は性来この風を好まず、あえて自らよくするにあらざるも、その心にて は、なるべく言行を一致せしめんことを期す。ゆえに平素、左の句を請して己の主義とす。   思ふこと口はいはねど業がいふ。  よって余が教育の方法は、己の事業をもって人に示さんとするにあり。        ︵七三︶ 世事相たがう  世間の事、多くは己の予想に反するものなり。ある歌に、        さシぎ   長かれと思ふ虹豆は短くて、みじかき栗の花の長さよ とよめるがごとく、またある詩に、   書当二快意一読易レ尽、客有レ可レ入期不レ来、世事相違毎如レ此、好懐百歳幾回開。   ︵書は心地よく意をくみとるべく、読めば意を尽くしやすいものであり、客の訪問あるべきに、その時にな        おも   ってもやって来ない。世の事柄で相違することは常にこのようであり、こころよい懐いは百年にいくどある   のであろうか。︶ と詠ずるがごとく、世事相たがうこと多し。しかして、その相たがうをもって世の常態となすにおいては、いく        さ さ      ふんまん たの衝突あるも、毫も意に介するに足らざるなり。しかるに、項々たる小事に不平を起こし、憤懸を抱くがごと きは、全く世の真相を知らざる愚見といわざるべからず。 101

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       ︵七四︶ 世 評         ほうへん  世人は多く他人を褒鹿上下するものなり。これを相手にして、あるいは喜び、あるいは怒るものは、また愚の 至りなり。およそ人の批評は、一方を見て他方を知らず、表面を見て裏面を知らず、これに加うるに十中八九は 己の空想をもって人をえがくものなれば、いずくんそよくその真相を得んや。ゆえに、世評に対しては﹁人のう わさも七十五日﹂として頓着せざるをよしとす。        ︵七五︶ 古今の書信じ難し  方今、新聞は事実の探偵ようやく進み、その報道するところ信を置くに足るべきはずなるも、己の知りたる事 実にして、新聞上に現るる場合には、いまだかつて多少の誤伝なきものを見ず。ここにおいて、ほかの自ら知ら ざる事実を推し、さらに古今無数の書籍上に現るるところを考うるに、みな信拠し難きを知るなり。        ︵七六︶ 余は学者にあらず  人、余を目して学者となすも、余は学者にあらず、また学者をもって自ら任ずるものにあらず。ただ、余は          う 汲々としてつとめて倦まざるものなり。        ︵七七︶ 仏教改革者  水谷仁海氏は自ら大菩薩と称し、仏教を改革せんと欲し、大いに意を決して東京に上れり。一日、余を訪ね て、仏教改革の意見を教えられんことを請えり。余曰く、﹁君の意、解し難し。すでに自ら決心して改革を発表 せる以上は、人の意見をたずぬるに及ばず。もしこれをたずねんと欲せば、そのいまだ世間に発表せざりしとき においてすべし﹂と。氏、大いにその一言に感じて去れり。大道長安氏も仏教革新者の一人なり。その初めて東 102

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円了随筆 京に上るや、余が居をたずねて意見を問わる。余曰く、﹁君、もし一宗を開立せんと欲せば、死後においてすべ し。もし、しいて生前に成さんと欲せば、必ず失敗に終わらんのみ。古来、一宗の開山祖師たりしもの、みな一 代に開宗の出来上がりたるがごとくに思うも、その実は死後成功したるものなり。よって君の存命中は、もっぱ ら弟子を養成することをつとむべし﹂と。氏曰く、﹁実にその言のごとし﹂と。        ︵七八︶ 公徳私徳  日本人は私徳あるを知りて公徳あるを知らずとは、目下一般に唱うるところなり。余は、もっぱら中学教育に おいて公徳思想を発育せんことをつとむ。いずれの中学にても、戸、壁、机等に楽書する悪習あり。これまた公       た 徳を欠けるの罪に座す。余、これを矯めんと欲し、一種の謎を作りて、余が監督せる京北中学生徒に示せり。        か   中学生徒の悪習とかけてなんと解く。夏の萬王のときの奇瑞と解く。その心は洛書を出だす︵楽書をいた   す︶。  爾来、大いにその弊を減ずるを得たり。        ︵七九︶ 学生の喫煙を戒む  学生中、ひそかに喫煙をなすものあり。余これを戒めて曰く、﹁喫煙は小事なり、損々たる小事なり。これを 犯すも、なんの深き罪あらんや。しかれども、かかる項々たる小事ですらも慎むことあたわざるときは、墳々た らざる大事はなお慎むことあたわざるべし。ゆえに、この小事は大事の試験と心得て、固くその身に守らざるべ からず。そもそもタバコの初めてわが国に入りしは、慶長年間のことにして、それ以前の者は一人もタバコを味       皿 わいたるものなし。ゆえに、われわれもし慶長以前の人を想起せば、なんぞ禁煙し難きの理あらんや﹂と。

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