朱熹哲学における感応と理
著者
辻井 義輝
著者別名
Yoshiteru Tsujii
雑誌名
東洋大学中国哲学文学科紀要
号
21
ページ
219-245
発行年
2013-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00004184/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja二一九 朱熹哲学における感応と理
朱熹哲学における感応と理
辻
井
義
輝
はじめに
朱熹(一一三〇~一二〇〇)の哲学は、 従来から、 理学、 性理学などとも呼ばれてきたように、 何よりも「理」を その哲学の根幹としている。この朱熹が言う理が何を意味するのかについては、 これまでの研究史において、 「理法 ・ 形相の根源」 (後藤俊 瑞 (1 ( )、「世界を生成する主宰的根本因」 、 ひいては「自然法則」 「人の道」 (楠本正 継 (2 ( )、「意味」 (安 田二 郎 (3 ( )「歴史的社会的しくみに即して、 個々の事物が保有」 している 「価値 ・ 意味 ・ 行動規範など」 (荒木見 悟 (4 ( )、「宇宙、 万物の根拠であり、 宇宙をしてあるべきようにあらしめている原理、 個別的にいえば、 個物を個物たらしめる原理」 (島田虔 次 (5 ( )、「パターン」 (山田慶 児 (6 ( ) などと言うように指摘されてきた。それぞれ特色を有する優れた見解であるが、 このうち、 とりわけ山田氏の提議は、 従来から成されてきた説明を一言のもとに包括しうる優れた見解であると言え る。しかしながら、 山田氏の見解は、 ほとんど専ら朱熹の自然学のみに基づいて導き出されたものであり、 まだ仮説 の域にとどまっていると言わねばならない。その一方で、 近年において木下鉄矢氏は、 朱熹のテキストに即して詳細 かつラディカルに分析を施し、 朱熹の言う理の本質を、 元 ・ 享 ・ 利 ・ 貞という四ポイントから成るリズムに見出し( 『朱東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二二〇 熹 再 読 』 研 文 出 版、 一 九 九 九 年。 第 二 章 )、 さ ら に は、 性 を、 「 活 動 プ ロ グ ラ ム 」 と す る 斬 新 な 解 釈 を 提 示( 『 朱 子 』 岩波書店、 二〇〇九年)し、 この問題に対して新たな展開をもたらした。本稿は、 このような研究史上の展開を受け、 主 に 朱 熹 の『 太 極 図 説 解 』『 周 易 本 義 』 に 関 す る 発 言 に つ い て、 逐 一 資 料 に 即 し て 分 析・ 解 明 し て ゆ く こ と を 通 じ て、 新たに見出された知見を基に、 朱熹の言う「理」の本姿に一層迫ろうとしたものである。なお、 本論において使用し た 引 用 文 は 全 て『 朱 子 全 書 』( 上 海 古 籍 出 版 社・ 安 徽 教 育 出 版 社、 二 〇 〇 二 ) に よ る。 以 下、 同 書 の 出 典 表 記 に つ い ては、全て書名は略し、巻数、ページ数のみを記載する。
一
二種類の陰・陽の働き
朱熹自身ははたして、 理をいかなるものとして捉えていたのだろうか。朱熹はこの問題を、 周敦頣の『太極図説』 に基づいて、陰 ・ 陽の働きと太極の関係の問題として語っている。この節では、まずそのうち、朱熹のいう陰 ・ 陽の 働きとはそもそもいかなることを言っていたのかを解明することから取り組みたい。 朱熹はこれについて以下のよう に言っている。 1.陰 ・ 陽は、対となっている面で言えば、東は陽で、西は陰、南は陽で、北は陰といったようなものだ。入り 組んでいる面で言えば、 昼が夜になったり、 寒いのが暑くなったりして、 一方が横となり、 もう一方が縦とな っているようなものだ。二二一 朱熹哲学における感応と理 陰 陽 有 相 對 而 言 者、 如 東 陽 西 陰、 南 陽 北 陰 是 也。 有 錯 綜 而 言 者、 如 晝 夜 寒 暑、 一 個 橫、 一 箇 直 是 也。 ( 程 端 蒙 録 )( 『 朱 子 語 類 』 巻 六五、易一、綱領上之上、陰陽。一六巻二一五七頁) 2. 天 下 の も の で、 対 か ら 成 ら な い も の な ど 未 だ か つ て な か っ た。 陰 が あ れ ば 陽 が あ り、 仁 が あ れ ば 義 が あ り、 善があれば悪があり、話すことがあれば沈黙することがあり、動の様 態 (7 ( があれば静の様態がある。 天 下 之 物 未 嘗 無 對、 有 陰 便 有 陽、 有 仁 便 有 義、 有 善 便 有 惡、 有 語 便 有 嘿、 有 動 便 有 靜。 ( 呉 雉 録 )( 『 朱 子 語 類 』 巻 九 五、 程 子 之 書 一。 一七巻三二〇二頁) 上記事例から、 朱熹は、 陰の働きは陽の働きを前提として存在しているものと考え、 陽の働きは陰の働きを前提と して存在しているものと考えていたことが窺える。ここにあって、陰 ・ 陽は、対となっている面と入り組んでいる面 との二つの面から説明されている。これらの事例から、対となっている面に関しては、全てが陰 ・ 陽の対から成って いると考えられていたことが判然とするが、 それでは、 この入り組んでいるとはいかなることなのであろうか。朱熹 は、 弟子に、 周敦頣『通書』動静篇における「動而無動、 靜而無靜、 非不動不靜」の条について説明した際、 このよ うに言っている。 3. そ の 動 の 様 態 の と き に あ っ て、 静 の 様 態 で な い こ と な ど 未 だ か つ て な か っ た。 だ か ら、 「 動 の 様 態 で な い 」 と い う の で あ る。 そ の 静 の 様 態 の と き に あ っ て、 動 の 様 態 で な い こ と な ど 未 だ か つ て な か っ た。 だ か ら、 「 静 の 様 態 で な い 」 と い う の で あ る。 静 の 様 態 の と き で も 動 の 様 態 が あ り、 動 の 様 態 の と き で も 静 の 様 態 が あ り、
東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二二二 静の様態であるから動の様態であることができ、 動の様態であるから静の様態であることができ、 陽にあって 陰があり、陰にあって陽があって、入り組んで窮まりがないということだ。 方其動時、 未嘗不靜、 故曰「無動」 。方其靜時、 未嘗不動、 故曰「無靜」 。靜中有動、 動中有靜、 靜而能動、 動而能靜、 陽中有陰、 陰中有陽、 錯綜無窮是也。 (程端蒙録) (『朱子語類』巻九四、周子之書、通書、動靜。一七巻三一六〇頁) 以下の事例は、入り組んでいるという語は出てこないものの、上記の事例を内容上補うものと言える。 4.人身には、 ただ動の様態と静の様態とがあるだけだ。静の様態は、 動の様態を育む根っこであり、 動の様態は、 そ の 静 の 様 態 を 働 か せ る た め の も の だ。 動 の 様 態 に あ っ て 静 の 様 態 が あ る と い う の は、 「 発 し て、 こ と ご と く ピタリと当たる」 (『中庸』一章)というときが、動の様態における静の様態に他ならない。 人身只有箇動、 靜。靜者、 養動之根。動者、 所以行其靜。動中有靜、 如「發而皆中節」處、 便是動中之靜。 (曾祖道録) (『朱子語類』 巻一二、学六、持守。一四巻三八二頁) つ ま り こ れ に 拠 れ ば、 入 り 組 ん で い る 面 と は、 「 静 の 様 態 で あ る か ら 動 の 様 態 で あ る こ と が で き、 動 の 様 態 で あ る か ら 静 の 様 態 で あ る こ と が で き 」 る( 事 例 3) と か、 「 静 の 様 態 は、 動 の 様 態 を 育 む 根 っ こ で あ り、 動 の 様 態 は、 そ の静の様態を働かせるためのものだ」 (事例 4)と言われているところに眼目があるようである。 この入り組んでいる面に関して、 朱熹は、 具体例としては以下のようなものを挙げている。なお、 以下で言われてい る動・静の様態とは、言うまでもなく陰・陽のことに他ならな い (8 ( 。
二二三 朱熹哲学における感応と理 5.聖人は他でもなく静の様態を根幹としているが、 そこにはおのずから動の様態の道理を有している。例えば、 人が話す場合も、 沈黙があってこそ話すことができるのである。というのも、 沈黙の中でこそ話そうとする意 思が生まれるからである。 聖人只是主靜、 自有動底道理。譬如人說話、 也須是先 沉 默、 然後可以說話。蓋 沉 默中便有個言語底意思。 (金去偽録) (『朱子語類』 巻九四、周子之書、太極図。一七巻三一三七頁) ここで言われている内容を事例 1で言われていた具体例「昼が夜になったり、 寒いのが暑くなったり」を参考にし て解釈すると、 「錯綜」 (入り組んでいる)とは、 一方のものにあって、 潜在 的 (9 ( に、 対となっている他方のものとなる 可能性を有していることを言っていると言えよう。例えば、 陰にあっては、 潜在的に陽となる可能性を有していると いうことであり、 逆に、 陽にあっては、 潜在的に陰となる可能性を有しているということである。それでは、 このよ うな入り組んでいる面から言って、陰・陽は、いかなるメカニズムで現象しているのであろうか。 6.陰 ・ 陽とは一つの気に他ならず、陽が減退すれば、陰が生じている。陽が減退すれば、さらに別個に陰が生 じているのではない。 陰 陽 只 是 一 氣、 陽 之 退 便 是 陰 之 生。 不 是 陽 退 了 又 別 有 箇 陰 生。 ( 陳 淳 録 )( 『 朱 子 語 類 』 巻 六 五、 易 一、 綱 領 上 之 上、 陰 陽。 一 六 巻 二一五六頁)
東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二二四 7.動の様態が最大限までに行き着けば静の様態が生じるというのも、 また別個に静の様態なるものがやって来 てこの動の様態を引き継ぐのではない。ただ動の様態が最大限まで行き着けば、 おのずから静の様態となって いるのだ。静の様態が最大限までたどり着けば、おのずから動の様態となっているのだ。 動 極 生 靜、 亦 非 是 又 別 有 一 個 靜 來 繼 此 動。 但 動 極 則 自 然 靜、 靜 極 則 自 然 動。 」( 黄 㽦 録 )( 『 朱 子 語 類 』 巻 九 四、 周 子 之 書、 太 極 図。 一七巻三一三九頁) 上記の事例から窺われることは、 朱熹は、 陽は、 入り組んでいる面から見て、 決して陰から別のものとして生じる と考えたわけではない。むしろ、 陰は最大限まで成長した結果、 ベクトルが反転して減退すると考え、 そしてその際、 そ こ に 生 じ て い る 非 陰 こ そ が、 陽 な の だ と 考 え て い た と い う こ と で あ る。 同 様 に、 陰 も、 決 し て 陽 か ら 別 の も の と して生じるのではない。むしろ、 陽は最大限まで成長した結果、 ベクトルが反転して減退すると考え、 そしてその際、 そこに生じている非陽こそが、陰なのだと考えていたということである。 以上をまとめると、朱熹にとって、陰 ・ 陽とは、対となっている面から言えば、陰なら陰だけ、陽なら陽だけとい うように孤立して存在するのではなく、 実は、 陽なら陰、 陰なら陽というふうに、 対になって存立しているのであり、 入り組んでいる面から言えば、 陽が顕在している際は、 その顕在しているものが最大限まで成長すると、 ベクトルが 反転して陰へと変わってゆくというように、 顕在している陽にあって陰が潜在的に予定され、 また、 陰が顕在した際 は、 その顕在しているものが最大限まで成長すると、 ベクトルが反転して陽へと変わってゆくというように、 顕在し ている陰にあって陽が潜在的に予定されるというふうに、陰 ・ 陽の顕在は陽 ・ 陰を潜在的に予定していると捉えられ
二二五 朱熹哲学における感応と理 ていたと言えよう。とするならば、 対となっている面とは、 その場、 その時の空間的位相で言われている場合のこと であり、また、入り組んでいる面とは、時間的位相で言われている場合のことだとも言えよう。 ところで、このような対となっている面から言うにしろ、入り組んでいる面から言うにしろ、陰 ・ 陽の互いを予定 しあう関係は、 互い拮抗しあっていると捉えられることもあったし、 また、 互い育みあっているとも捉えられていた。 8.天地にあっては(陰陽の)両者が並び立つという理はない。陰が陽に勝つのでなければ、 陽が陰に勝つので あり、そうでない物もないし、そうでない時もない。 天 地 間 無 兩 立 之 理、 非 陰 勝 陽、 即 陽 勝 陰、 無 物 不 然、 無 時 不 然。 ( 楊 道 夫 録 )( 『 朱 子 語 類 』 巻 六 五、 易 一、 綱 領 上 之 上、 陰 陽。 一 六 巻二一五八頁) 9.陰は陽を生じ、陽は陰を生じ、その変化は極まりない。 陰生陽、陽生陰。其變无窮。 (『周易本義』繋辞上五章「生生之謂易」に対する注釈。一巻一二七頁) このように、朱熹は、陰 ・ 陽を、互いに拮抗しあいながらも、同時に互いを育み続けるものとして、互いが互いを 予定して存立しているものと考えていたのである。 朱熹は、このような陰 ・ 陽の働きによって、天地における季節の巡りから、生命の成長、人間の動作 ・ 行為、社会
東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二二六 の趨勢に至るまでが、全て成り立っていると考えていた。 10.一日には一日のめぐりがあり、 一か月には一か月のめぐりがあり、 一年には一年のめぐりがある。大規模な ものでは、 天地の仕上げと始まり、 小規模なものでは、 人や物の誕生と死亡、 遠くは、 古今にわたる世の移り 変わりに至るまで、ことごとく例外なく、盈虚消息(満ち、欠ける・衰滅し、成長する)の理に他ならない。 一 日 有 一 日 之 運、 一 月 有 一 月 之 運、 一 歲 有 一 歲 之 運。 大 而 天 地 之 終 始、 小 而 人 物 之 生 死、 遠 而 古 今 之 世 變、 皆 不 外 乎 此、 只 是 一 箇 盈虛消息之理。 (黄義剛録) (『朱子語類』巻六五、易一、綱領上之上、伏羲卦画先天図。一六巻二一七三頁) 11.耳で聞き、 目で視るのが、 おのずからこのように働くというのは、 理である。眼を開いてものを見たり、 耳 をそばだてて音を聞くのは、運用である。 如耳聽目視、自然如此、是理也。開眼看物、着耳聽聲、便是用。 (甘節録) (『朱子語類』巻六、性理三。一四巻二三九頁) 12.天地にあって、陰 ・ 陽でないものなどない。動の様態となったら静の様態となったり、しゃべったら沈黙し たりするのは、 ことごとく陰 ・ 陽の理である。扇であおぐというのは陽に属し、 扇を止めるのは陰に属し、 陰 ・ 陽の理でないことがない。 天 地 之 間、 無 往 而 非 陰 陽、 一 動 一 靜、 一 語 一 默、 皆 是 陰 陽 之 理。 至 如 揺 扇 便 屬 陽、 住 扇 便 屬 陰、 莫 不 有 陰 陽 之 理。 ( 周 謨 録 )( 『 朱 子 語類』巻六十五、易一、綱領上之上、陰陽。一六巻二一五九頁)
二二七 朱熹哲学における感応と理
二
陰・陽の働きと理
と こ ろ で、 上 記 の 事 例 で は、 陰・ 陽 の 働 き に 対 し て、 「 陰・ 陽 の 理 」「 盈 虚 消 息 の 理 」 と い う 表 現 が 使 わ れ て い る。 両例とも、同じく陰 ・ 陽の働きの理を指して言われているわけであるが、それでは、陰 ・ 陽の働きの理とは、今まで 論じてきた陰 ・ 陽の働きとどう異なるのであろうか。この問題に関しての朱熹の考えは、 やはり周敦頣の 『太極図説』 に関わる問答で触れられており、以下、そこに窺えるものを中核に、朱熹の発言を逐一分析 ・ 解明してゆくこととし たい。なお、 ここにおいては、 太極という言葉が頻出するが、 これは理を『太極図説』に基づいて、 万象の究極とい うニュアンスを込めて言われているもので、つまるところ、理に他ならない。また、ここで動 ・ 静の様態という言葉 も頻出するが、この動 ・ 静の様態も、陽 ・ 陰のそれぞれの様態を言ったものに過ぎず、つまるところ陽 ・ 陰に他なら ない。 13.動の様態であるならば、 この理が働いている。これは動の様態における太極である。静の様態であるならば、 この理が保たれている。これは静の様態における太極である。 動則此理行、 此動中之太極也。靜則此理存、 此靜中之太極也。 (張洽録) (『朱子語類』巻九四、 周子之書、 太極図。一七巻三一二三頁) こ れ ら の 事 例 か ら は、 朱 熹 が、 陰・ 陽 の 働 き は、 こ の 理 が 主 体 と な っ て 成 立 し て い る (10 ( と 考 え て い た こ と が 窺 え る。 それでは、理は、いかに陰・陽の働きの主体となっているのであろうか。東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二二八 14.太極は、もとより動 ・ 静の様態の理を包括しているが、しかしながら、動 ・ 静の様態によって体 ・ 用を(そ れぞれ別のものとして)分けることはできない。そもそも、 静の様態は太極の体であり、 動の様態は太極の用 である。例えば、 扇子は、 一本の扇子にすぎないが、 振り動かせば用であり、 置けば体である。置いたときは、 この道理に他ならず、振り動かしたときも、この道理に他ならない。 太極自是涵動靜之理、 卻不可以動靜分體用。蓋靜即太極之體也、 動即太極之用也。譬如扇子、 只是一個扇子、 動搖便是用、 放下便是體。 才放下時、 便只是這一箇道理。 及搖動時、 亦只是這一個道理。 (記録者不明) (『朱子語類』 巻九四、 周子之書、 太極図。 一七巻三一二四頁) 15. 梁 文 叔 が「 太 極 は、 動 の 様 態 と 静 の 様 態 と を 合 わ せ て 言 っ て い る 」 と 言 っ て い ま す。 答 え た、 「 動 の 様 態 と 静 の 様 態 と を 合 わ せ て い る の で は な く、 太 極 に 動 の 様 態 と 静 の 様 態 と が あ る の だ。 喜・ 怒・ 哀・ 楽 が ま だ 発 していない場合にも太極があり、喜 ・ 怒 ・ 哀 ・ 楽がすでに発した場合にも太極がある。一つの太極なるものが、 すでに発した際に展開し、まだ発していないときに仕舞い込まれているのに他ならないのだ。 」 梁文叔云、 「太極兼動靜而言。 」曰、 「不是兼動靜、 太極有動靜。喜怒哀樂未發、 也有個太極。喜怒哀樂已發、 也有個太極。只是一個太極、 流行於已發之際、斂藏於未發之時。 」(記録者不明) (『朱子語類』巻九四、周子之書、太極図。一七巻三一二四頁) 上記の二事例にあっては、 太極は動の様態と静の様態とを合わせているというのではなく、 太極に動の様態と静の 様態とがあり、静の様態は太極の体であり、動の様態は太極の用であると言われている。ここから朱熹が、陰 ・ 陽の 働きは理に包含される関係にあるのではなく、 理がそのような姿をとったものとして考えていたことが窺える。上記 で見出された理が陰・陽の働きの主体となっているとは、こういう意味だったのである。
二二九 朱熹哲学における感応と理 また、朱熹はこのようにも言っている。 16.質問した、 「『太極は動の様態となれば、 陽を生じる』は、 この動の様態の理があるので、 動の様態となって 陽を生じることができるということですか。 」答えた、 「この動の様態の理があるので、 動の様態となって陽を 生じることができる。この静の様態の理があるので、 静の様態となって陰を生じることができる。動の様態で ある以上、 理もまた動の様態に存在しているのであり、 静の様態である以上、 理もまた静の様態に存在してい るのだ。 」質問した、 「動 ・ 静の様態とは気であって、この理が気の中核となって、気はこのように働きうると いうことです か (11 ( 。」答えた、 「そうだ。 」 問、 「『 太 極 動 而 生 陽 』、 是 有 這 動 之 理、 便 能 動 而 生 陽 否。 」 曰、 「 有 這 動 之 理、 便 能 動 而 生 陽。 有 這 靜 之 理、 便 能 靜 而 生 陰。 既 動、 則 理又在動之中。既靜、 則理又在靜之中。 」曰、 「動靜是氣也、 有此理爲氣之主、 氣便能如此否。 」曰、 「是也。 」(陳淳録) (『朱子語類』 巻九四、周子之書、太極図。一七巻三一二五頁) 17.天が万物を生み育むのは、 ただ陰だけではありえず、 必ず陽があり、 ただ陽だけではありえず、 必ず陰があり、 すべて一対である。この一対というのは、 理が一対となっているのではない。どうして一対となっているかと いえば、理がまさにこのようにあらねばならないということなのだ。 如天之生物、 不能獨陰、 必有陽。不能獨陽、 必有陰。皆是對。這對處、 不是理對。其所以有對者、 是理合當恁地。 」(陳淳録) (『朱子語類』 巻九五、程子之書一。一七巻三二〇一頁)
東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二三〇 これらの事例からは、上記の事例と同じく、陰 ・ 陽の働きとは、理が気にあってそのような様態をとることで成り 立っているものであり、そういう意味で理は陰 ・ 陽の働きの主体となっているものと考えられていたことが窺えると 同時に、それに対し、陰・陽の働きそのものは、気に他ならないと考えられていたことも窺える。 さらに、次の事例では、理は陰・陽の働きを規則的にあらしめているものと考えられていたことも窺える。 18.陰・陽、五行が入り組みながらも筋目を失わないのが、理に他ならない。 如陰陽五行錯綜不失條緒、便是理。 (曾祖道録) (『朱子語類』巻一、理気上。一四巻一一六頁) ところで、木下鉄矢氏は、朱熹が天地の生成を説明する際に使用していた元 ・ 亨 ・ 利 ・ 貞の働きを分析し、これを 四ポイントリズムと称してい る (12 ( 。この元 ・ 亨 ・ 利 ・ 貞とは、朱熹によって、陽を元 ・ 亨に、陰を利 ・ 貞にそれぞれ展 開過程に沿って段階分けした概念である。木下氏のこの分析にならえば、理とは、一定のリズムをとって陰 ・ 陽の働 きをあらしめ、結果としてあらゆる現象を規則的にあらしめているものと言えよう。 ま た、 朱 熹 は 陰・ 陽 の 働 き と 理 の 関 係 に つ い て、 「 理 は、 ま る で 人 が 馬 に ま た が っ て い る よ う に、 陰・ 陽 に 乗 っ て いるのだ」と、極めて特色ある表現を使って語っている。 19.陽は動の様態で、 陰は静の様態だというのは、 太極が動 ・ 静の様態であるということなのではなく、 理に動 ・ 静の様態があるというのに他ならない。理は見ることはできず、陰 ・ 陽の働きをつうじて初めてわかるものだ。
二三一 朱熹哲学における感応と理 陽 理は、まるで人が馬にまたがっているように、陰・陽に乗っているのだ。 動 陰 靜、 非 太 極 動 靜、 只 是 理 有 動 靜。 理 不 可 見、 因 陰 陽 而 後 知。 理 撘 在 陰 陽 上、 如 人 跨 馬 相 似。 ( 周 謨 録 )( 『 朱 子 語 類 』 巻 九 四、 周子之書、太極図。一七巻三一二六頁) こ の 理 が 陰・ 陽 に 乗 っ て い る と い う こ と が 何 を 意 味 す る の か に つ い て は、 『 太 極 図 説 解 』 に お け る「 動 靜 者、 所 乘 之機」に関する問答が参考になる。 20.「動 ・ 静の様態は、 乗っている機である」 (『太極図説解』 ) を質問した。答えた、 「理が気に乗って働いている。 」 問「動靜者、所乘之機。 」曰、 「理搭於氣而行。 」(鄭可學録) (『朱子語類』巻九四、周子之書、太極図。一七巻三一二八頁) 21.「動 ・ 静の様態は、乗っている機である」を質問した。答えた、 「太極は理だ。動であったり静であったりす るのは気だ。気が働けば、 理もまた働いている。二つのものは常に互い寄り添って、 未だかつて離れたことが ない。太極はちょうど人のようなもので、動 ・ 静の様態はちょうど馬のようなものだ。馬は人を載せるもので、 人は馬に乗るものだ。馬が出たり入ったりすれば、人もまたこれと共に出たり入ったりする。 」 問「 動 靜 者、 所 乘 之 機。 」 曰、 「 太 極 理 也、 動 靜 氣 也。 氣 行 則 理 亦 行、 二 者 常 相 依 而 未 嘗 相 離 也。 太 極 猶 人、 動 靜 猶 馬。 馬 所 以 載 人、 人所以乘馬。馬之一出一入、人亦與之一出一入。 」(董銖録) (『朱子語類』巻九四、周子之書、太極図。一七巻三一二八~二九頁) 22. 周 貴 卿 が「 動・ 静 の 様 態 は、 乗 っ て い る 機 で あ る 」 を 質 問 し た。 答 え た、 「 機 は、 ス イ ッ チ 仕 掛 け (13 ( だ。 動 の
東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二三二 ス イ ッ チ を 踏 め ば 、あ の 静 の 様 態 を 惹 き 起 こ し 、静 の ス イ ッ チ を 踏 め ば 、あ の 動 の 様 態 の 機 を 惹 き 起 こ す の だ 。」 周貴卿問「動靜者、 所乘之機」 。曰、 「機、 是關捩子。踏着動底機、 便挑撥得那靜底。踏着靜底機、 便挑撥得那動底。 」(黄義剛録) (『朱 子語類』巻九四、周子之書、太極図。一七巻三一二九頁) 23.「 動 の 様 態 と な れ ば 陽 を 生 じ、 静 の 様 態 と な れ ば 陰 を 生 じ る 」 は、 理 が 気 に 身 を 寄 せ れ ば、 乗 っ て い る 機 を 動 の 様 態 に し た り、 静 の 様 態 に し た り せ ず に は お れ な い の だ。 「 乗 る 」 は、 乗 載( 乗 る、 載 せ る ) と い う と き の乗るだ。その動 ・ 静の様態とは、気に乗って、覚えず知れず、動の様態が終わったら静の様態となり、静の 様態が終わったら動の様態となるのだ。 惟「動而生陽、 靜而生陰」 、 理寓於氣、 不能無動靜所乘之機。乘、 如乘載之「乘」 、 其動靜者、 乃乘載在氣上、 不覺動了靜、 靜了又動。 (葉賀孫録) (『朱子語類』巻九四、周子之書、太極図。一七巻三一二一頁) 上記の事例にあって、 朱熹は「動 ・ 静の様態は、 乗っている機である」を事例 20では、 「理が気に乗って働いている」 こととして、動作主が理であることが説明されている。さらに、事例 21では、理と動 ・ 静の様態を呈する気の関係は、 乗 馬 に 例 え ら れ、 こ の う ち 理 は 人 に、 気 は 馬 に あ た る と さ れ て い る。 ま た、 こ の 事 例 21で は、 「 馬 は 人 を 載 せ る も の で、 人 は 馬 に 乗 る も の だ 」 と 言 わ れ て い る。 こ の「 馬 に 乗 る 」 は、 「 馬 は 人 を 載 せ る も の 」 と い う 句 に 対 比 さ れ て 言 われていることからわかるように、 決して、 ただ意味もなく乗っかるという意で言われていているのではなく、 むし ろ操縦しているという意で言われているものと言えよう。言い換えれば、 理は、 乗馬における馬に対する人のように、 気を操縦しているということである。そして、 事例 23では 「理が気に身を寄せれば、 乗っている機を動の様態にしたり、
二三三 朱熹哲学における感応と理 静の様態にしたりせずにはおれない」と言われており、 また事例 22では、 機とはスイッチ仕掛けのことなのだと説明 されている。言い換えれば、朱熹は、動 ・ 静の様態とは、理が気にあってスイッチ仕掛けを成して、動の様態 ・ 静の 様態というふうに作動させていることで、 現象しているものだと考えていたわけである。なお、 事例 22では、 このス イ ッ チ 仕 掛 け に 対 し て、 「 動 の ス イ ッ チ を 踏 め ば、 あ の 静 の 様 態 を 惹 き 起 こ し、 静 の ス イ ッ チ を 踏 め ば、 あ の 動 の 様 態の機を惹き起こすのだ」と例示されている。この動 ・ 静のスイッチにあって、それを押す動作主は、言うまでもな く理自身に他ならない。このゆえに、 この比喩は、 理自身における内的な働きを指して言われているものと考えるべ きである。言い換えれば、 朱熹は、 陰 ・ 陽の働きとは、 理が気にあって、 静の様態(陰) ・ 動の様態(陽)というふうに、 いわば自動装置の要領でスイッチを切り替えることで成立していると考えていたことが窺え る (14 ( 。 上記で見出した、 陰 ・ 陽の働きとは、 理が気にあってそのような様態をとることで成り立っていると考えられていたというのは、 具体的に は、 こういうことだったのである。ところで、 この理が自動装置となって働いているということについては、 次の事 例も参考になる。 24.「 無 極 で あ り な が ら 太 極 」 と は、 物 が 光 を 放 つ 実 体 と し て そ こ に あ る こ と を 言 っ て い る の で は な く、 こ こ に は、 もとから実体としての物など一つもなく、 ただこの理だけがあることを言っているのに他ならない。この 理がある以上、 この気がある。この気があるので、 陰と陽とに分かれ、 こうしていくつもの物を生じる。その 理がいくつもあるので、 物もいくつもあるのだ。小さなスケールで言えば、 (この部分は恐らく脱字がある)は、 天地の営みでないことはなく、 大きなスケールで言えば、 君臣関係、 父子関係、 夫婦関係、 朋友関係は、 天地 の 営 み で な い こ と は な く、 こ の 一 つ の 道 理 に 他 な ら な い。 だ か ら、 「 君 子 は 身 を 整 え る の で、 吉 で あ り、 小 人
東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二三四 は め ち ゃ く ち ゃ な の で、 凶。 」 な の だ。 い ま、 彼( 周 敦 頣 ) が こ の 物 に つ い て 言 っ て い る の を 読 む と、 こ の 機 関(しかけ)は、ひとたび転回したら、突然遮ることはできない。 「無極而太極」 、不是說有個物事光輝輝地在那裏。只是說這裏當初皆無一物、 只有此理而已。既有此理、 便有此氣。既有此氣、 便分陰陽、 以此生許多物事。惟其理有許多、 故物亦有許多。以小而言之、 則(此下疑有脱句)無非是天地之事。以大而言之、 則君臣父子夫婦朋友、 無非是天地之事。 只是這一箇道理、 所以 「君子修之吉、 小人悖之凶」 。 而今看他說這物事、 這機關一下撥轉後、 卒乍 攔 他不住。 (黄義剛録) (『朱子語類』巻九四、周子之書、太極図。一七巻三一四二頁) こ の 事 例 で、 朱 熹 は、 太 極 と は 物 が 光 を 放 つ 実 体 と し て そ こ に あ る こ と を 言 う の で は な く、 理 の こ と に 他 な ら ず、 この理があるからこそ、 天地におけるあらゆるものが生じうるのだとし、 このような理を、 機関(しかけ)に例え、 「こ の機関(しかけ)は、 ひとたび転回したら、 突然遮ることができない」と言っている。この事例からも、 朱熹が理を 人の力では止めることのできない、 それ自身の力で働く自動装置の内的動力因、 内在的な力のようなものとして捉え ていたことが窺える。 以上をまとめてみると、 朱熹の言う陰 ・ 陽の働きの理とは、 気を規則的に自動装置の要領で、 一定のリズムをとって、 陰の働き ・ 陽の働きというふうにあらしめているもののことを言っていたと言える。ところで、朱熹は陰 ・ 陽の働き によって、天地における季節の巡りから、生命の成長、人間の動作 ・ 行為、社会の趨勢に至るまで、あらゆる現象が 成り立っていると考えていたことは、すでに述べた。とするならば、この陰 ・ 陽の「理」とは、まさしくこのように 気を規則的に自動装置の要領で、一定のリズムをとって、陰の働き ・ 陽の働きというふうにあらしめて、結果として、 あ ら ゆ る 現 象 を 規 則 的 に 成 り 立 た せ て い る も の の こ と を 言 っ て い た の だ と い え よ う。 朱 熹 が つ ね ひ ご ろ 言 っ て い た
二三五 朱熹哲学における感応と理 「理」とは、 この陰 ・ 陽の理のことに他ならない。逆に、 陰 ・ 陽の働きとは、 このような理が、 気にあって、 陰の働き ・ 陽の働きというふうに現象しているもののことを言っていたと言えよう。
三
感応の理
ところでこのような陰 ・ 陽の理は、 『周易本義』咸卦、 『周易本義』繋辞上伝一〇章に基づいて、感応の理、感通の 理とも言われる。 25. 全 て 天 地 に あ っ て は、 感 応 の 理 で な い も の は な い。 天 地 の 造 化 と 人 の 営 み は、 こ と ご と く こ れ だ。 例 え ば、 雨 と 日 照 り は、 雨 は ひ た す ら 降 り 続 け る こ と は な く、 「 感 」 し て 日 照 り と な る。 日 照 り は ひ た す ら 日 照 り 続 け る こ と は な い。 日 照 り が「 応 」 で あ る な ら ば、 今 度 は そ れ が「 感 」 と な っ て 雨 を 降 ら せ る。 こ れ が「 『 感 』 す れ ば、 必 ず『 応 』 が あ り、 『 応 』 す る 働 き は ま た『 感 』 す る 働 き を 成 し て い る 」( 『 周 易 程 氏 伝 』 巻 三・ 咸・ 九四の爻)ということである。寒くなったら暑くなり、 昼となったら夜となるというのは、 この理でないもの はない。例えば、 人は夜になったら眠るが、 いつまでも眠っているわけではなく、 明け方になれば、 起きなけ ればならない。昼日中動き回れば、 夜にかけて、 休息しなければならない。全て、 死んだり生まれたり、 出た り入ったり、往ったり来たり、しゃべったり黙ったりするのは、ことごとく感応なのだ。 凡在天地間、 無非感應之理、 造化與人事皆是。且如雨暘、 雨不成只管雨、 便感得箇暘出來。暘不成只管暘、 暘已是應處、 又感得雨來。 是『感則必有應、 所應復爲感』 。寒暑晝夜、 無非此理。如人夜睡、 不成只管睡、 至曉須着起來。一日運動、 向晦亦須當息。凡一死一生、東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二三六 一出一入、一往一來、一語一默、皆是感應。 (徐 㝢 録) (『朱子語類』巻七二、易八、咸。一六巻二四二一頁) こ の 感 応 と は、 「 感 」「 応 」 の 総 称 で あ り、 「 応 」 と は、 単 純 に 言 っ て、 一 方 が 他 方 に 反 応 す る こ と に 他 な ら な い。 そ れ に 対 し、 「 感 」 と は 虞 翻 が「 動 か す 」 と 注 釈( 李 道 平『 周 易 集 解 纂 疏 』 繋 辞 上「 易 无 思 也、 无 爲 也。 寂 然 不 動、 感而遂通天下之故」の条)しているように、朱熹も、 「他方が一方に働きかける」意味として使っていた。 26.「感」させるものは、全て外から生じる。 「応」させるものは、全てなかから出る。 所以感者、皆從外生。所以應者、皆從中出。 (『晦庵先生朱文公全集』巻五七、答陳安卿 6。二三巻二七四六頁) 27.趙致道が感通の理を質問した。答えた、 「感は、 働きかけがやって来てわたしを 『感』 するということで、 通は、 自分が他者からの『感』する働きを受けとめているという意味だ。 」 趙致道問感通之理。曰、 「感是事來感我、 通是自家受他感處之意。 」(潘時舉録) (『朱子語類』巻七二、 易八、 咸。一六巻二四二三頁) な お、 事 例 27で は 感 通 の「 通 」 が、 一 見 す る と 感 応 の「 応 」 と 微 妙 に 異 な る 意 味 で あ る よ う に 説 明 さ れ て い る が、 こ の「 応 」 も、 一 方 が 他 方 に 反 応 す る こ と に 他 な ら な い。 「 感 応 」 と「 感 通 」 が 決 し て 異 な る 概 念 で は な い こ と は 以 下の事例からも窺える。 28.「 心 が 広 々 と し て、 あ ら ゆ る こ と を 我 が 事 と 考 え る 」( 『 定 性 書 』) は、 「 寂 然 と し て 動 か ず 」( 『 周 易 本 義 』 繋
二三七 朱熹哲学における感応と理 辞上伝一〇章)だ。 「働きかけが来れば、応じて反応する」 (『定性書』 )は、 「『感』すれば遂に通ず」だ。 「擴然而大公」是「寂然不動」 、「物來而順應」是「感而遂通。 」(沈僩録) (『朱子語類』巻九五、 程子之書一。一七巻頁三二一二頁) 29. 陳 器 之 が、 程 子 に よ る 感 通 の 理 の 説 明 を 質 問 し た。 答 え た、 「 昼 が 夜 に な っ た り、 夜 が ま た 昼 に な っ た り、 循環して極まりないといったことは、 いわゆる『動の様態となったら静の様態となり、 互いその根っことなっ ている。 』( 『太極図説』 )ということであり、みな感通の理だ。 」 器之問程子說感通之理。曰、 「如晝而夜、 夜而復晝、 循環不窮。所謂 『一動一靜、 互爲其根』 、皆是感通之理。 」。 」(銭木之録) (『朱子語類』 巻七二、易八、咸。一六巻二四二二頁) ところで、 このように 「動かす」 とも注釈される、 他方が一方に働きかける 「感」 は、 朱熹は具体的には、 「惹き寄せる」 「 惹 き 起 こ す 」「 呼 び 起 こ す (15 ( 」 と い っ た 意 味 で 使 っ て い た よ う で あ る。 そ の こ と は、 例 え ば、 以 下 の よ う な 事 例 か ら 窺える。 30.豚魚は、 知覚が働かないものだ。 (中略)この上なく誠実であれば、 (そのような)豚魚をさえ『感』するこ とができ、 艱難を越えるが、 正しい姿勢を失ってはならない。だから、 占うものは、 豚魚の反応を招くことが できれば、吉で、大川を渡るのに有利となるが、必ず正しさに徹してこそうまくゆくのだ。 豚 魚、 无 知 之 物。 ( 中 略 ) 至 信 可 感 豚 魚、 渉 險 難、 而 不 可 以 失 其 正。 故 占 者 能 致 豚 魚 之 應、 則 吉 而 利 渉 大 川、 又 必 利 於 正 也。 (『 周 易 本義』中孚の卦辞「中孚。豚魚吉、 利渉大川、 利貞。 」に対する注釈。一巻八四頁)
東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二三八 上 記 に お い て、 「 占 う も の は、 豚 魚 の 反 応 を 招 く こ と が で き る 」 と い う 句 は 明 ら か に、 「 こ の 上 な く 誠 実 で あ れ ば 」、 本来 「感」 することのできないはずの 「豚魚をさえ 『感』 することができ」 ると言っている上句に対応して言われて いる。ここから、 ここにおける「感」は、 ただ、 一方が他方を、 外から「動かす」と言っているのではなく、 他方の 内 面 に ま で 踏 み 入 っ て 動 か す、 言 い 換 え れ ば、 「 惹 き 寄 せ る 」「 惹 き 起 こ す 」「 呼 び 起 こ す 」 と い っ た 意 味 で 言 わ れ て いることが窺える。このことを踏まえたうえで、以下において、引き続いて事例を考察してゆきたい。 31.ちょっとでも屈めば、あの伸びる働きを惹き起こす、伸びるのもまた、あの屈む働きを惹き起こす。吐く ・ 吸う、出る・入る、往く・来るといったことも、ことごとくこれだ。 屈 一 屈 便 感 得 那 信 底、 信 又 感 得 那 屈 底、 如 呼 吸、 出 入、 往 來 皆 是。 ( 記 録 者 不 明 )( 『 朱 子 語 類 』 巻 七 六、 易 一 二、 繫 辭 下、 第 五 章。 一六巻二五八六頁) ここでは、 屈むものは、 ひとたび屈めば、 あの伸びを「感」し、 伸びもまた、 あの屈みを「感」すると言われてい る わ け だ か ら、 こ れ も た だ 動 か す と い う 意 味 で は な く、 む し ろ、 屈 み・ 伸 び を「 惹 き 寄 せ る 」「 惹 き 起 こ す 」 と い っ た意味でとった方が適切と言えるだろう。 32.父親が慈悲深ければ、 その子がますます孝行するよう呼び起こし、 子が孝行すれば、 その父親がますます慈 悲深くなるよう呼び起こす。その理もまた他でもなく同じである。
二三九 朱熹哲学における感応と理 父慈則感得那子愈孝。子孝則感得那父愈慈、 其理亦只一般。 (陳文蔚録) (『朱子語類』巻七二、 易八、 咸。一六巻二四二〇~二一頁) こ の 事 例 も、 父 親 に 慈 悲 が あ れ ば あ る 程、 「 感 」 し て そ の 子 供 は ま す ま す 孝 行 す る、 と い う わ け だ か ら、 そ の 子 供 がますます孝行する結果を 「惹き寄せる」 「惹き起こす」 「呼び起こす」 といった意味で読んだ方が、 意味が通るだろう。 な お、 「 感 」 が こ の よ う に「 惹 き 寄 せ る 」「 惹 き 起 こ す 」「 呼 び 起 こ す 」 と い っ た 意 味 で あ る と す る な ら、 「 応 」( 一 方 が 他 方 に 反 応 す る ) は、 「 惹 き 寄 せ ら れ 」 て 反 応 し て い る、 「 惹 き 起 こ さ れ 」 て 反 応 し て い る、 「 呼 び 起 こ さ 」 れ て 反 応 し て い る と い う こ と に 他 な ら な い。 と す る な ら ば、 「 応 」 と い う 働 き は、 決 し て「 感 」 と 別 個 に 独 立 し た 働 き と 考 え ら れ て い た わ け で は な く、 む し ろ、 「 惹 き 寄 せ・ 惹 き 寄 せ ら れ る 働 き 」 の 連 鎖 に あ っ て、 視 点 を 変 え て、 一 方 の 側 か ら 言 い 換 え た 表 現 に す ぎ な い と 言 う べ き だ ろ う。 ま た「 応 」 が「 応 」 の 働 き を し て い る と い う こ と は、 同 時 に 他 方 を「 感 」 し て い る こ と に な る。 こ の ゆ え に、 「 応 」 も 視 点 を 変 え て 言 え ば、 「 感 」 の 働 き に 他 な ら な い わ け で あ る。 事 例 25で は、 朱 熹 は、 程 伊 川 の「 『 応 』 す る 働 き は ま た「 感 」 す る 働 き を 成 し て い る 」 と い う 言 葉 を 引 用 し て い たが、これはこのことを指しているものであろう。朱熹は、万象を、このような「惹き寄せ ・ 惹き寄せられる働き」 の無限の連鎖のもとに成り立っていると考えていたのであ る (16 ( 。ところで、 この感応にあって、 以下の 『河南程氏遺書』 巻一五、 伊川先生語一に引用された発言(事例 33)を基に、 「内感」 「外感」という区別がなされていたことは、 木下 鉄矢氏がすでに指摘しており、氏は、それらをそれぞれ「自己感応」 「対他感応」と名付けている。 33.「寂然として動かず」は、 万理がびっしりとすでに詰まっていることだ。 「『感』すれば遂に通ず」は、 「感」 するというのは、 おのずから内側から惹き寄せているのに他ならず、 外側から何らかの物を持って来てこちら