︿史料紹介﹀
中世菅浦文書について︵五︶
中世菅浦文書について︵五︶
滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 第三十四号 三〇 ︿凡 例﹀ 一本書における史料番号は刊本﹃菅訳文書上・下﹄を踏襲している。単数点ずつに帖に綴った形態は変えるが帖 番号・通番号はそのままとしている。 一史料の記載は原則として常用漢字とし、異体字は改めたが、史料のままとしたものである。変体仮名は分りや すいように現行の字体に改めたが、者︵は︶・而︵て︶・江︵え︶・与︵と︶などそのままとしたものもある。 一改行は原史料通りに表現した。 一年月日、宛所の位置もできるだけ史料通りに表現するよう心掛けたが、技術的理由でできなかったところもあ る。差し出しは技術的に可能な限り行末より一字空きで統一した。 一本文は便宜のため、適宜読点をうった。 一後睾・妙筆は上下を﹁﹂で囲み示した。末梢は文字部の左に≧を付した。訂正の場合は末梢文字が判読でき れば末梢された文字を記し、その左に≧を、右側に訂正した文字を記した。裏書は﹁ ﹂で囲み文末に、端裏 書は﹁ ﹂で囲み文頭に入れた。 一加墨・二重書等は文字等の右に*を付した。 一本文中疑義のあるものは︵ママ︶、推定可能なものは︵カ︶、重複と思われるものには︵桁︶を傍注に付した。
明白な誤字は適宜︵︶を付し示した。
一虫喰等の欠損により読解できない文字は、字数が判明するものは字数分を□で、不明なものは[]で示した。 一印章は︵印︶で、花押は︵花押︶で示した。 一料紙・花押は寸法を入れたが、縦×横の順で記し、断らない限り、、、リ単位で示した。一七三 酒直日記 正月七日 百五十文 酒直、使宮内三郎、三文子、正月より ︵ママ︶ ⊥半月、利九百文廿七文、ツ合百七十七文、 正月廿二日 五十四文 使国部源三、三文子、正月より 六月迄、利九文、ツ合六十三文、 三月九日 ⊥ハ十文 酒直、使源三衛門・清大郎・松千代、三月より 六月迄利七文、ツ合六十七文、 ﹁四月七日﹂ 六百五十四文 御祈祷之時酒直、 三月晦日 計六文 酒直、使藤二郎、 卯月十一日 五十四文 酒直、使丹波介、 五月七日 計二文 酒直、使舟大九左近二郎・平三郎大夫、 中世菅浦文書について︵五︶ 五月十三日 百九十一文 酒直、使新三郎大失 六月十九日
八十一文酒直、使宮内三郎・小二郎兵衛・平三郎大夫
三 惣ツ合一貫文百七十文か、七百五十文 こむきにて請取申候、残而六百廿文か、 一竪紙、楮紙、二 一奥綴穴あり 一一七〇・一七二 一*二重書 二二×三二五 ・一七四・一七五と同筆 =二滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 一七四 酒直日記 六月八日 四十文 酒、使江介・としかね 六月十六日 計八文 酒直、使藤二郎、 六月廿三日 百廿八文 使江介、 惣ツ合一貫六百冊三文か ︵二軍有り︶ 第三十四号 ︼竪小切紙、楮紙、二二〇×一〇五 一奥断裁、残画あり、奥綴穴在り 一一七〇・一七二・一七三・一七五と同筆 三二 一七五 借銭日記 二月廿六日 九十文 三文子 此利二月より六月迄利十三文、 ツ合百六文成、使宮内三郎・孫四郎両人、 三月廿五日 二百十文 使孫四郎・江介両人、三文子、三月目り 六月﹁迄﹂利廿五文、ツ合二百計五文、 四月六日 八十文 三文子、使江介・孫四郎、四月より六月迄 七文、ツ合八十七文か、 四月廿三日これハ城より徳政御奉行衆時、 二百五十五文 三文子、、使孫四郎・江介、四月より 六月迄利廿三文、ツ合二百七十八文か、 四月十四日 八十文 三文子、使藤二郎、四月より六月迄利七文、 合八十七文 四月晦日 弐百文 三文子、使孫四郎・宮内三郎、 ツ
五月より六月迄利十二文、ツ合二百十二文か、 五月三日 百文 三文子、使宮内三郎・清九郎、五月より ⊥ハ月迄利六文、ツ合百六文か、 ︼竪紙、楮紙、二二〇×二五八 一地墨汚れ、奥叔父在り 中世菅浦文書について︵五︶ 一七六 借銭日記 借リ日記之專 永十一年三月十九日 百五十文 神明講 秘計人衛門尉二郎 五十文 与三郎別当
画 爵兵衛
山畠銭渡上日記 三月十九日 百文 是ハ油実にて又右衛門尉方へ渡候也、 山畠銭二借リ申候置日記之事、 同三年十九日 使 一貫五百文 孫四郎、松本三郎左衛門尉、 此内 ≧ ヒ 三月廿日 一貫五百文之内五百五十文 木工助殿 渡申候也、参
一切紙、楮紙、二二一×二〇三 一破損・汚れ、袖汚れ、奥綴穴在り 一全面に×状に墨引 三三滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 一七七 光明天皇論旨写 竹生嶋領近江国菅浦 堺事、如長久官符者、 為大浦下庄内之由不載之 上者、止彼庄妨、可全所 務者、 天気如此、悉之以状、 六月五日 大膳大夫在判 ﹁官符案 官使注進案 乾元々年八月日 御牒案 今年五月廿八日 具書案 道念房﹂ ︵残画あり︶ 第三十四号 一竪紙、楮紙、二七四×三九八 一袖破損、中央奥より虫喰、奥断裁、 在り 一一六二号と異筆 奥綴穴 三四 一七八 政所重慶書状 ︵上書︶ ﹁〆菅浦惣中参御宿所 政所﹂ *可給候 尚々惣舟之内、一之三舟回そう との儀候問、其御心得候て、三舟 四そうなからはんけいより* 如代官殿折かミの地 下中⊃之﹂大舟四そう、心晩 気より可給候、見合候て、
かうくミ可申候問さてく切々
申入候、明日・明後日なと 彼下候へ者、此方も手づまり 仕候問、如此候、それも十三日二ならてハ 被下問敷との儀二候ヘハ、猶以 不用立候問、申入候、御返事こより 祝着可申候、恐々謹言 六月十一日 政所一竪紙、楮紙、二〇二×三一七 一全面墨汚れあり、奥綴穴在り 一全文一筆、*につづく 中世菅浦文書について︵五︶ 一七九 定使藤左衛門・五郎兵衛書状 *ふしんに存候て、 猶申候、昨日其方より御申ことく、其方 各々御談合候て、御返事可有申上候間、 いまに大浦にまち申候へ共、御返事なく候* 一昨日者、藤右衛門方其方へ被参候、 又かさねて]筆進之候、一定之御返事 其方よりしかくと御返事なく候、 うけ可給候、とかくの儀御申候ハ・此方より 秋成之事ハすこしにても候へ、 御あてかい可有候、御こ・ろへのために、 上遺問敷候、然共五百文か壱貫文か 両人より急度申候、巳後に両人を 之儀ならは、御使可申候、其外ハ 御うら見有間敷候、猶御使可申候、 一銭も御ふち有間敷候、又年貢 之事ハ引物ともに巨石 はかり之分、涯分可申候、其外ハ 三五
滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 第三十四号 一りうも引間敷候、其御心得 なされ候て、早々御返事まち も
可申候、まへくのことくに、其方方
−−﹂−−−一−−−−−︵紙継ぎ︶−−−旨i−−−−−−− 御申候ハ・、其方定而御ふかくにて 可有候、 上様の御かくこ一かう 別儀にて候間、御こころへのために、熊 藤さへもん被遺候、我等も同前二可参 候へ共、公方御用にひまいり候て、子にて 候物遺申候所、只に御返事なく候、ふ 審程候、御返事により此方より仰 可被、柳子細候間、為其両人を 度 急方御上遺候、早々御返事可給候、 上さまへ御めにかけ可申候、委細 此御使可申候、恐懊謹言 十二月六日半 五郎兵衛︵花押︶ 藤左衛門 菅浦惣庄中へ 参 ︵上書︶ ﹁菅浦惣庄中 御宿所 三六 ︵墨引き帯封跡︶ 自大浦 両定使﹂ 一竪紙、弊紙、二三二x六六九︵第一三三三四︶ 一地断裁、両紙共奥綴穴在り 一花押二五×三四、墨色本文と同じ 一全文一筆、*につづく、端裏地に計画あり一八○ 菅浦惣置文 ︵端裏書︶ ﹁日指・諸河田畠うりかうましきおきふミ﹂ ところおきふミの事
日指・諸河田畠をいて、一年
一 二年ハうりかうといふとも、永代おうることあるへからす、こ
のむねをそむかんともからにおいてハ、そうのしゆんしをと
とめらるへく候、よんてところ
のおきふミの状如件、貞和二年九月日
正阿ミた仏︵略押︶ 正信房︵略押︶ 慈願房︵略押︶現阿弥陀仏︵略押︶ ナカハマ 仏念房︵略押︶ 善阿ミた仏︵略押︶ タウノマエ 上阿弥陀仏︵略押︶ 西念房︵略押︶ 中世菅浦文書について︵五︶ 西阿ミた仏 道念房︵略押︶ 善阿ミた仏︵略押︶ 正現房︵略押︶ 一竪紙、楮紙、二七四×三九八 一袖汚れ、地破損、奥綴穴在り 一本文・端裏・署名一筆、*二重書 一略押墨色異る 三七一八一 滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 定使五郎兵衛次久書状断簡 ︵前欠︶ 五百文之分御めし 候て可給候、いかにも ゑりかうしにめ され候て可給候、 同三百文之分又 御たつね候て おかせられ候へく候、 かさねて取に 可進候、ねおも やすく御めし 候て、御返事に
いかほととよくく
あそはされ候て 可給候、其御返事 上さまへ上回申候、 恐憧謹言、 第三十四号 ︵次久﹀ 五郎兵衛 三八 一折紙、楮紙、二一八×二二八 一前欠、袖綴穴在り 一全文一筆一八二 某銭請取日記 壱貫文 八百八十六文 六百 壱貫二百文 五百辮文 四貫二百拾六文 壱貫四十文 五貫二百五十六文 九百文
吾文﹁.叢蓼候﹂
七百文 三月十日 三月廿二日 三月廿四日 三月二九日 卯月十一日 卯月十七日 卯月廿日 五月七日 六月五日 一竪紙、楮紙、二二九×三一八 一地部破損、奥綴穴在り、 一一八三・一八四 跡同じ 中世菅浦文書について︵五︶ ・一八五・一八八号と虫喰 一八三 拾壱石五斗 五百五斗 四石 ニツ ヒ 菅浦惣算用状 大 はした有 大 こ 大小二大 以上 あミノこニアリ、 八合二 三升かへ 六月十四日 わか分 おう分 同分 同分 ︵墨引︶ 九升酒 老・中老寄合之時、興徳 同 三升かへ 六月十五日 一升長浜へ使節ノいわいノ酒、 六月十五日 百文長へ、遺銭二、清次郎 料泉 同 武百文 同遺代 宝珠庵 一竪紙、手紙、二三七×三四二 一中央・袖虫喰あり、奥綴穴在り 一墨引、合点墨色異る、一八二・一八四・ 八五・一八八号と虫喰跡同じ 三九滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 第三十四号 一八四 菅浦惣借銭算用状 六月より 七里丹後守殿惣中へかし入め 百五十五文 惣銭 ︵候力︶ 又武百文又五郎銭ハ引質引申□、 武百文 萬屋使にて、銭武百文 萬や左近次郎 光八文引申候、善慮寺ふん 百文 千代め銭を清三郎引質仁引申候、 又武百文 かめ千代銭、引質二清三郎引申候、 又百文 慶幸庵銭、二郎別當引質引申候、 百文 清五引質引申候、 此又四百文 竹生嶋しちおき申候、引申候、 百文 玉勝庵銭、源大夫引申候、 同武百六十六文 竹生嶋へ渡、 三 百文 引質仁清■郎回申候、 計七文 孫大夫請畠まき申候、 四〇 一竪紙、楮紙、二〇四×三〇六 一虫喰あり、奥至聖在り、 =八八号と同筆、一八二・一八三・ ・一八八号と虫喰跡同じ 一*二重書 一八五
日一
指八
・五
諸川日
山指
う・
ち諸
記川
山
打
銭
日
記
拾文 廿文調
五文 五文 十五文 五文 十五文馴
十文 十文 五文 三十文調
十文 四位 永恩翻
弥六検校 大郎兵衛 九郎兵衛 兵衛五郎 孫大郎別當姻
彦五郎 兵衛三郎 清太郎 左近二郎醜
︵ママ︶ 行房 左近三郎 中世菅浦文書について︵五︶ 一竪紙、楮紙、二〇八×三二四 一虫喰あり、奥綴穴在り =八二・一八三・一八四・ 跡同じ 四一 一八八号と虫喰滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 一八六 菅浦惣・衆出銭日記 ︵端裏書︶ ﹁二貫三百七十七文﹂ 永禄十年十一月廿一日 十三文 百五十文 、白文 五十文 計三文 二百文 五十文 廿六文 廿六文 廿五文 同 三百文 八 廿十三文 十九文 百文 ﹁四百計五文﹂
颯三郎
上争六
上為四郎
鼻衛二郎
︵太︶商源駄
油介
鼻衛三郎
二郎大夫 平三郎大夫 惣中 惣中 弥源二検校 藤介 四郎三郎 第三十四号 五十文 新二郎大夫 −−−−−:−−−−−−−−−:︵折返し︶ 五十文 百文 六十四文 五十文 八十文 八十一文 同 二百文 百文 五十文 計七文 百文 五十﹁二﹂文 百文 百文 揖一文 四郎三郎漁三郎
商九郎
、刑部大夫 ○千世女商仁
商仁
油二郎
○与五郎別当 ○清八 ○清三郎検校 ○弥三郎 新三郎 二 六郎五郎 ヒ ○太郎兵衛 四二︵奥裏書︶ ﹁二貫五百四十五文﹂ 一八七 菅浦衆出綿日記 七月廿五日 ︵た︶ わだ日記
到目 翻
、馴創 翻
到文目 調剛
割 葡阿之助
司到目 劉
はん 五十文目 左近次郎 六十五文目 五郎大美 一折紙、楮紙、二一八︵天より一〇七折︶ 二八〇 一料紙赤茶、虫喰跡あり、奥綴穴在り 中世菅浦文書について︵五︶ × 一折紙、楮紙、二二〇︵天より一〇七折︶ 三一七 一虫喰あり、奥綴穴在り 四三 ×滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 一八八 菅浦惣銭遺日記 六月より 銭使足日記 一はん 同計文 かいほし 五十文 ふ 百文□■ 二はん ヒ 六十四文 六十四文 計八文 六文 六月十日 御汁 老・中老 すまし 宿老・中老 中老・宿老 老・中老汁 さは 御酒な かいほし 使孫大夫、御代官使 第三十四号 源八左衛門殿 此衆四十五文入め 十六文 しほ 御汁入め 十九文 さけ かいほし +二日 中老・宿老御汁同五十文四ほ ︵塩︶ 百文 味そ 惣銭 一竪紙、楮紙、二〇四×三〇四 一袖汚れ、虫喰あり、奥綴穴在り 一一八二・一八三・↓八四・ 跡同じ 一八五号と虫喰 四四 ]八九 菅浦惣算用状 六月十五日 方々へ礼銭二参候銭ノ日記、惣ヨリ 参候ヲ、地之米と又懸米とよせ慌て払候て 相残銭分
調粗内六百辮陛喜左蒲故封建L
百文宗五郎へかし替候、駈上、﹂ 十月五日二 六貫文 又二郎*此内九百文渡ス、又二郎ヨリ四位所ヨリ 替候ヲ遺戸、 五百文 正覚 九月+七日二 此内壱貫文五十九文又二郎よりなし申候、* 八十一文 形部 ﹁壱貫文﹂ 壱貫文 二百文 興徳坊 拾貫文 新二郎大夫 六貫三百文 木のミ 善応寺﹁此内五貫文暦村寺渡し申候、﹂ 五斗 わた 西 左近四郎 壱年 配三郎木のミ 四斗 わた 新次郎大夫 安養寺 一九〇 六把 弥衛門尉 八 合 蓋 斗 四 升 惣中 七升五合 八合 忠五郎 三升 わた 左近五郎 合武拾六貫三百七十六文三共二、 六把 弥衛門尉借状宥候分、 十文 十文 五文 十 文 ﹁五﹂ 十文 十五文 七文 十文 十文 五文 日指・諸川山打銭日記 与五郎別當 源三衛門 清二郎 新二郎別當 彦二郎 新三郎 清検校新三郎 刑部 清衛門 衛門四郎 日指・諸川山うち日記 一竪紙、楮紙、二三二×三四一 一破損・汚れ、ほぼ全面に墨汚れあり、奥綴 穴在り 一合点墨色異る、*この範囲、合点と同墨囲み 中世菅浦文書について︵五︶ 一竪紙、直紙、二〇八×三二四 一虫喰あり、奥綴穴在り 一全文一筆 四五
滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 一九一 菅浦惣算用状 惣都合料足さん用之事 都合+六貫文内 与一左衛門殿酒樽九十一文入め、 八十二文 使銭 八貫百文 今西へ、 六月八日 此時使銭廿文 七 行所 壱貫八百六十七文 海津へ、 十十三日二 行所 同八百八十文 海津へ、 惣都合武貫七百五十文なし申候、 此内四十文使銭入め、 第三十四号 一竪紙、楮紙、二〇四×三〇五 一奥地、墨汚れもしくは墨移り、 奥綴穴在り 四六 一九二 花王坊算用状 正月十八日 ︵替力︶ ︵工︶ 一斗三升、米二升返、使舟大九左近五郎・兵四郎、 ︵坂力︶ 城本へ被遺候、米試斗六升、 三月三日 三升、米二升返、使平三郎大夫・ひけ孫四郎、米、 三月廿四日 六升成 三月廿四日 四升五合、使平三郎大夫、兵四郎両人、米二升返、 三月廿八日 ︵海蔵庵︶ 二升五合、使かいさうあん、米二升返、 惣ツ合酒武斗三升・米四斗六升、 此分惣中出候、代御つき候て可給候、 花王坊 一竪紙、楮紙、 二二二×一二一⊥ハ 一反汚れ、墨汚れあり、奥綴穴在り 一全文一筆、虫喰あり
]九三 某借銭日記 享禄四年四月廿七日 元
四貫六百廿八文此利醇鷺麗擢り分
享禄五年正月より十二月 ツ合六貫四百六十八文、此リ まて、 三貫六百十二文又天文二年正月より
ツ合十貫八十文、此利 六月まて、 三貫廿四文 享禄四年五月より 惣井十三貫百四文 天文二年之六月まて、 一九四 菅浦惣庄米預状 預申御米之事 合拾石三唖者 菅浦 天文武年極月廿二日里庄 一竪紙、楮紙、二一七×三二四 一破損・汚れ 天一破損、奥綴穴在り 一全文一筆 中世菅浦文書について︵五︶ 一三切紙、楮紙、二〇六× 五〇 一袖汚れ、全面に汚れあり、奥綴穴在り 一全面墨棒引 四七滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 一九五 菅浦惣借銭覚書 永禄五年分 以上八貫武百十三文也、 永禄七年分 合八貫武百廿七文メ、 永禄十一年分 以上七貫九百八十六文メ、 第三十四号 四八 一九六 菅浦惣借銭算用状 百計四文わ平七引質引申候、 四十五文 阿弥た寺引質引申候、 百文 式部卿引質引申候、 計六文 四位引質、くわんすいあん引申候、 六月十四日、今西より舟こいに *** まいり申、廿八文 下用入め、 百文 九郎兵衛引質仁栖徳庵引申候、 ⋮小切紙、三鼎、一九六×︸八三 一全面に汚れあり、奥歯穴在り 一全文一筆 一竪紙、三鼎、二〇四×三〇四 一虫喰あり、奥綴穴在り 一*二重書
一九七 役阿弥等連署状断簡 役阿ミ︵略押︶① 四 位︵花押︶② 清三検校︵花押︶③ 西左近︵花押︶④ 一竪切紙、楮紙、二六〇×二〇八 一奥綴穴在り 一署名・花押墨色同一か 一花押①九×二五、②一七×二〇、③一二× 二五、④一二×二〇、 中世菅浦文書について︵五︶ 一九八 索麺屋彦二郎書状 かやうに御 尚々わるきむき二て候間、ほし 無さた まいつミニて下申候、御らん めされ候問、 し候へく候、 まい年之御むき御上候、御目出度候、 京とよりハ、我々罷下候て 京とへやかて此由可申候、七日の 申候へとおうセ候へ共、 御用二なり申候ハんするか、此 我々罷下候ヘハ、その方 むきひねこて候問、めいわく しんついなんとあるへく候間、 こて候、ひねこて候とも、の 罷下候ハす候ヘハ、セん一のやうに
ほセ候ハ・、やかてく御返事こ
めさて候て御上候へく候、 可承候、それよりの御返事を まち可申候、恐々謹言、 セうつ 七月五日 ひご二郎︵花押︶ 四九滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 第三十四号 すかうら ︵政︶ 御満所殿へ 御返事 一九九 五百文 三百文 一貫文 五〇 菅浦衆出銭状断簡
□大夫 一貫文
せい之のすけ 一貫文 けんあミたふ 三百文□
西あミたふ かちやの四郎 百文ヨ劃文
五百文 かいつの けんすいく大夫 ︵藤検校力︶劃
とう九郎大夫 百文 きたゆふ 三貫文 白布かたく 正しん房 三百文 平三郎 巳上二十貫百五十文 一竪紙、楮紙、二七二×四五六 一袖・地破損、虫喰あり、奥綴穴在り 一全文一筆 一花押二七×三四 一竪切紙、楮紙、二六五x二一六 一袖に紙はがれの跡あり、奥綴穴在り 一合点の外墨色同じ二〇〇 堂豆日記
たうのまめのにき矧三郎 君則二郎
n引二郎 自ん五
娼六 忌二郎
翻もん二郎罰いち
周いち 平三郎
ミ ミ ヒ勾ねん房 とう三郎
菊四郎
十月十一日
とう五潮うし
とうない七号二郎
きん四郎 平二郎 二〇一 菅浦衆借米覚書 ︵並︶ 元亀三年地下次借米之覚 ︵浅井井伴︶ 四十石 四十五石三斗九升か 木工助士 ﹁下しゆつ﹂ 十一石二斗 小丸殿引替也、 ︵浅井長政︶五俵二斗備前守殿木のミたし可申候分、
一竪紙、油紙、二四〇×三九四 一袖虫喰あり、墨汚れあり、奥綴穴在り 一合点の外墨色同じ 中世菅浦文書について︵五︶ 一竪紙、楮紙、二四〇x三三九 一奥綴穴在り 一袖に寄せて書かれ、奥は大きく余白 五一滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 第三十四号 二〇二 大沢久守書状包紙 ︵上書︶ ﹁すかのうらのくこ人御なかへ 大さわ 菅浦 供御人之御中 目代久守﹂ 二〇三 菅浦惣置文案 ︵地裏書︶ ﹁菅浦百姓が御中 友光﹂ 定置 失文書案書之事 合一通者 被定置、 案書 置文一如古老人 Q七本二 右件案書者、依有急用、 七枚 文書ヲ○作テ置了、 中ヲニ枚ハ、 五枚文書、 被 尚以此 子孫可申明者也、 申 ミ 処 人者、可被罪科也、 五二 自 失といへとも、 七枚之文書作 壱貫ツ・ 菅浦庄之在家別に、宛、 用途を宛負物、 然彼文書ヲ、然彼七枚之文書 自性心房本いたされ候、如此上者、今残 難 此到類文出候者、 自何れ方出来候て致其沙汰候、●性心房の 背 申 尚重々の置文、有子細煩 一包紙、竪紙、鞘管、 一天破損、虫喰あり、 一二八∼三四号参照 四一四×二六八 地塁穴在り ]竪紙、濾紙、二六八×三九三 一帯地破損、天奥破損、奥綴穴在り 一裏書は本文に対し横書、墨色異る
二〇四 宗椿請取状案 ︵端裏書︶ ﹁菅浦惣中御中へ 案書 繋槻樋あん﹂ 菅浦之惣中へ案書事 合五百文者、此文書とりわすれ うしない候問、若此文書出来三人 候ハ・、たう仁二おこなはれ候へく候、 但此料足御上候分、卯月より 十月二六百七十五文御上候、実 請取申ところ実正也、傍為 後日案文之状如件、 磨永計三年十一月廿七日 案文主﹁祇樹庵﹂ 菅浦之惣中へ ﹁宗椿︵花押︶﹂ 一本紙、竪紙、楮紙、二四〇×三八六 一奥綴穴在り 一端裏書・□内、本文と各々墨色異る 一花押二二×二七 中世菅浦文書について︵五︶ 二〇五 文書之日記 く
所所所所所所所所所所所所所所所・所
前二畝文書在
前田 文書在 半 赤崎清三郎 文書在 小浦なはたけ 文書在 宮腰 文書在 小浦藤五郎畠 文書在 海津市場田 文書在 法橋やしき 文書在 小浦茶エン 文書、藤源二とあり、 大うらのとしよりゆつり 文書在 小谷畠祇樹庵上 文書在 大うらの弥阿弥畠 文書在 菅浦文書日記 ゆつの木の茶エン 文書なし 松山 文書なし 海津市庭 文書在 南藤六やしき 文書在五三
同二通滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 第三十四号 一竪紙、楮紙、 一奥綴穴在り 二四二×四〇六 五四 二〇六 民部卿局書状 この人やとい候てまいらせ候、いそき いそきすかのうらへっけられ 候へく候、 このほとハ ひさしく 候へく候、 すかのうらへ、ちんあミのかたへの 返々御わひ二 文、 うへさまよりしんほくの御わひ
やかてく
︵浅井長政︶ 事、おほせいたされ候、ひせんとの まいられ候へと、 かしこまり候よし、返事御申候、 かたく申され候へく候、 ちかころめてたくうれしく候へく候、 けふひせんとのより人をつかハし候ハんよし、こなたよりとくくやり候へと
.おほせにて候、このおりかミとくく御
やり候て給候へく候、あまり二こ・許 人候ハす候ま・、それをたのミまいらせ候、 かしく、 ︵上書︶ ﹁二月廿一日I l︵切封墨引︶ 御ちうけん おたにしろより 五郎ひ□うへとのへ うは ミんふ卿﹂ 一本紙、竪紙、楮紙、二三〇×三五八 一袖切封帯破損跡有り、奥山穴在り 一全文一筆 中世菅浦文書について︵五︶ 二〇七 浅井井伴麦請取状 請取むきの事創石六蕩公.升ノ定也、
代六百文二さん用、 右来秋成銭二算用可申候、 但春成銭二未進三百あまり 可在之候、それこもさん用可申候、 右如件、 永禄六年 八月九日 井伴︵花押︶ すかの浦惣中 惣以上七貫五百九十六文 ﹁後十二月廿二日 武貫六百七十八文 百文 かうし代﹂ 一本紙、竪紙、楮紙、二二二×三一二 一中十二より虫喰、全面墨棒引、奥綴穴在り 一本文、花押墨色同じ、 一花押一一×三八 五五二〇八 法蔵上ふき出銭 清大央 平介 六郎二郎 後藤 藤三郎 宮内三郎 源三衛門 六郎二郎 平三郎 清源太 彦五郎 衛門太郎 江介 平四郎後家 藤四郎 新五郎 滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 宝蔵上葺出銭人交名 さご四郎 清兵へ とう別 さご二郎 さご 与一 孫大郎 左近四郎 六郎左衛門 浄弥
劉
清三郎 六郎兵へ 兵衛三郎 五郎 又平三郎 第三十四号匿唾⋮薪整帽⋮
榔石劇房之
衛門四郎翻刑文
・⋮ミしん
劉郎
清介 兵へ五郎 兵へ次郎 与一認
翻
蜀へ
弥六検校 かな 四位 よめ大郎 ⋮:︵断裁︶ 藤三郎 新五郎 とらめ さ坊 忠五郎 弥大郎割
七郎 となり 三郎右大夫 弥源大 千代寿 ね・ 御とら響
五六藤七 彦大夫 二〇九 菅浦惣借銭覚書 秋 永禄五年春八貫百六十五文か、 八貫八十九文か、 永禄七春 永禄四年春.七貫六百廿二文か、 七貫七百八十文か、 永禄七年秋八貫二百六十七文か、 *永禄十二年十二月迄二 ︵朝井井伴︶ 木工助殿借銭 惣ツ合計七貫三百計五文か、 ︵下脱力︶ 地次之借り口 以上揖九貫百廿文か、 ︵地下並︶ 地次之借り口以上計七貫百七十二文か、* 木工助殿前借銭同山畠三二十六石成申候ヘハ、 残借銭廿貫文か、 地下次可打分八貫二百廿文か、 一折紙、楮紙、二=二︵天より一一五で折︶ x二九八 一奥断裁残画あり、奥・袖型に綴穴在り 一*は﹁藤﹂か、墨棒引あり 中世菅浦文書について︵五︶ 一竪紙、楮紙、 一奥綴穴在り 一*内墨棒引 二一二⊥ハ×三二⊥ハ 五七
滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 第三十四号 二 〇 菅浦惣借銭覚書 ︵地裏書︶ ﹁徳受忍﹂ 永禄十年正月四文子 十三貫文 同又三貫文* ︵浅井井伴︶
鋼三月 木工助殿
副五文子 園幹
同年号正月無利百計二文 祇樹庵
木工助殿米五斗、四百五十文、講か湖応幹
引返
︵姓︶ 百性衆借り分、永十正より 十四貫四百五十二文 春成未進八百七十一文、弁分九百計七文 永九秋成分八百九十文 在綿廿一把五十八文め 永十七月銭有廿三貫文か、 同借銭廿三貫三百六十七文 永禄十年十二月十一日二 五八 廿三貫五百文木工助殿ヲ惣借仕候、 借状八人の加判ヲス贈遺之候、此外 一文一切也、 則 一竪紙、楮紙、二五三×四三二 一袖地墨引き残画あり、二二穴在り ]裏書異筆、全面墨棒引二一一 馬淵道達添状写 梶井宮御門跡領近江国菅浦 事所被下 令旨也、傍制札 遺令可被仰其旨、且三三趣 可被下知代官之状、如件、 九月十四日 道達判 馬淵八郎兵衛尉殿 一竪紙、楮紙、 一奥綴穴在り 一全文一筆 三〇八×四三〇 中世菅浦文書について︵五︶ 一=二 清勝書状 ︵端裏上書︶ ﹁ ︵瀬力︶
月□能登守
謹上井口越中守殿 御報 清勝﹂ 尚々花香庵之[]在所抱候者、 □ 共申拮候□、呉々 []彼在所へ御届肝要候、 如仰先日者、御心静[]覚悟候処、労 ︵其力︶ 取乱候て無□儀候、侃浜浦より過分之 ︵姓︶ 御樽代迷惑仕候、乍去貴百精従御入魂如□儀所仰候、髄請取申候、彼折
昏ロバ今返推申候、一昨日者、此方へ御出之 ︵浅井長政︶︵家信︶ 由候、備使与而上坂へ罷越、此方二無候て、 不懸御目候、口惜敷存候、ロバ今此方へ 罷下候、近日以参連々之御礼可 ︵慶幸庵︶ 申入候、将又けいかうあん預ケ劇物共、 少にても候へ不返候、此儀ハ以後彼弟子
五九
滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 第三十四号 在所二堪忍候者、堅可申覚悟候、 此由彼在所老椅衆仁被仰届候て 可給候、何と候共捨置候問敷候、我等入物 五ツ、其外同名者入物敷主訴ケ候、如申 之通以前申候、恐憧謹言、 □月十七日 清勝︵花押︶ 六〇 二一三 廣瀬某菅浦文書奏覧証状 すかうら ︵応永︶ ︵論旨︶ おうゑさんねん八月りんし、 ︵応長︶ ︵院宣︶ おうちやうくわんねん二月いんセん ゑにん二二年+一月くら人下文 三つうお 長橋殿御改被遊候、 右京太夫 年寄廣瀬 ︵宝暦︶ ぼうりゃく五年十月廿五日 一竪紙、楮紙、二六〇×四三二 一袖破損、袖より奥へ虫喰、奥綴穴在り 一花押墨色異、本文・上書同筆 一花押二四×三三 一竪紙、楮紙︵厚手︶、三三八×四五八 一袖・地汚れ、袖地インク汚れ、奥綴穴在り 一全文一筆
第拾壱號
古
文
書
拾六枚
﹁十六﹂ ︵朱印永原村大字
︵朱印︶@
@菅浦[
一二四 菅浦地下置文 ︵後在家︶ すかのうらのうしろさいけの事 かみよりすてをかれ候うゑハ ︵公事︶︵一粒文︶ くし事いちりうもんかけ申ましく候、 ︵木︶・︵焚物料︶ このうゑハき・たきものれうに ︵男︶ をとこ人くをくへし、よての ︵所︶ ちのためにところしやうくたん のことし、 ︵あ脱︶ しやうみたふ︵略押︶ たうほう房 康安元十二月三日 ︵略押︶ さいくわんはう︵略押︶ けんあミたふ︵略押︶ しやうけんはう︵略押︶ しあミたふ︵略押︶ しあミたふひかしの ︵略押︶ 中世菅浦文書について︵五︶ 六一滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 第三十四号 しやうみたふ︵略押︶ 一竪紙、楮紙、二六八×三八九 一天虫喰あり、奥綴穴在り 一*二重書、略押墨色異る、他は一筆 六二 二]五 楢崎某書状案 ︵端裏書︶ ﹁ならさきとのより御かくへっの事﹂ 先日預御札候之問、可申御返事 之由存候、[H目冒心事候とて 相待候ハて罷帰候之間、御報不 申候之条背本意候、抑菅 ︵愚︶ 浦堺事、尽身更々不存知仕候、 殊更御領之由承候、不可有 尽身代官申付候也、急々 ︵へ︶ 代官方え可申付候、於身不可 ︵儀︶ 存等閑議候、此之間所労事 候之間、佐々木此事本所御事ハ 存知仕候ましく候、於身子細を申 ましく候、早々地下へ可申遺候也、 可期後信候、恐々謹言、 七月廿六日 菅浦庄御報
一二六 蔵若紛失状案 其方へ借申候料足事、永禄五 ︵請取︶ 年七月三日武貫参百六十文取請申候、 へ共、其方従我等へ給候御借状見うし ︵案書︶ ︵一丁谷︶ ない候て、あツ書進候おき候、若後々 ︵反古︶ にもかやう之御借状相出候へ共、ほくた るへく候、若取出何かと申物候ハ・、 ︵盗賊∀ とそく可為候、為其我等一筆仕候て おき申候、然ハ子々孫々後々末代迄も 何かと申物在間敷候、傍為後日状如 件、永禄五年七月三日 蔵若 菅浦之惣中 参 一竪紙、楮紙、二五二×四一〇 一袖よりに破損あり、奥綴穴在り 一端裏書異筆 中世菅浦文書について︵五︶ 一竪紙、楮紙、二二二×三一六 一袖汚れ、袖裏墨汚れ或は墨引力、 り 一全文一筆 六三 奥綴穴在
滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要 二一七 高慶書状 当浦年貢之事、毎年五石請切 之由候、当庄代替候問、帳面過分候問、 五石分請切難不可叶候、先前其分二候、 就中夏麦之事、請切之外候間、可 有其沙汰候虚、重々定使申候間土 置候、然上者五石分早々可有運上候、 委細者定使二申付候、恐々謹言、 九月廿八日 高慶︵花押︶ 須賀浦 名主中 * 第三十四号 六四 二一八 西浦・今堅田衆境界契状土蔵 ︵前欠︶ 場津江西東井大崎内海津前 ︵ママ︶ 不可子細者也、就中小野江片山 ほうちやう被直差候条、殊更 ︵漁︶ 以喜悦候、然問此上者海上すな とりによて聯難為子々孫々 違乱妨成申、更々不可有者也、 ︵至膀示︶ 侃後年証拠明鏡、四時はうし 犬口牛、 −升メf 今堅田道賢︵花押︶① 西浦 妙願︵花押︶② ︵ママ︶ 惣領 道ん 一本紙、竪紙、楮紙、二五八×四五〇 一画切封帯破損跡、虫喰、奥綴穴在り 一全文一筆、*宛所面体の墨移りあり 一花押一八×三四 一竪紙、楮紙、二七八×三一四 一袖のりはがれ跡、残画あり、奥綴穴在り 一全面に墨棒引 一花押①一八×三四、②一九×二三
二一九 裏松家代官菅浦年貢井秋成銭皆済切符 納菅浦御年貢之事 但此内拾石者依日焼損免也、